Coolier - 新生・東方創想話

こころさがして、あいもとむ

2013/10/24 23:10:20
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 こころは感情と表情とを求めて、人里離れた場所をふらふらとうろつく。基本的な活動場所は人通りの多い人里だが、たまにはこうして変わり者を求めて歩くのだ。
 そんな彼女の隣には、閉ざされた第三の目を揺らすこいしがいる。
 いつから隣にいたのかはわからないが、こうして人里から離れた場所を歩いているときにはよくあることなので、特に気にしたりはしない。何故自分に付いてくるのか、ということに関しては最近気になり始めたのだが。
 二人の間に会話はない。だからといって、その隙間を埋めるように居心地の悪さがあるわけでもなく、二人とも極々自然体である。こころは足を動かしながらもぼんやりとしているからなのだが、こいしは何故だろうか。

「……あれ?」

 しばらく歩いていると、こころは不意に足を止めて首を傾げる。頭に付いているのは困惑の表情。
 気が付くと森の中に足を踏み入れていた。どこをどう歩いていたかという記憶はすっぽりと抜け落ちていてしまっていて、ここがどの辺りなのかはさっぱりわからない。わかるのは、彼女が住む家のある森に比べると木が鬱蒼と生い茂っており、全体的に暗い印象を受けるということ。

「こいし、何かした?」

 隣の不可思議な同行者にそう訪ねる。ぼんやりとしすぎていただろうかと思うにはあまりにも不自然すぎる迷い方なのだ。そして、こころには一つ心当たりがある。

「何かって?」
「私の足が意識と関係なく動くようにしたりとか」

 こいしは無意識を操ることができる。こころはその詳細はわからないながらも、何か関係があるのではないだろうかと思ったのだ。

「こころがぼんやりとしすぎてるだけじゃない?」
「……そう言われると何も言い返せない」

 そして、働きかけるのが無意識であるが故に、本当にこいしのせいだと断言するための証拠がない。とはいえ、ぼんやりとしていたからといって、見知らぬ森の奥地まで足を運ぶようなことは普通ならありえないのだ。だから、こいしにそう言われただけで疑いが晴れると言うこともない。
 しかし、証拠がなければしらばっくれるだけだろう。証拠があったとしても、いけしゃあしゃあと誤魔化そうとする性格なのだ。
 だから、それ以上の追求は諦めて、別のことを聞くことにする。こいしの仕業か否かを明らかにすること以上に重要なことがある。

「それよりも、ここはどこ?」

 幻想郷にはあまり近寄るべきではない場所というのがある。純粋に危険な場所だったり、他の妖怪の縄張りだったりと場所それぞれの理由があるが、何にせよ、そうした場所に踏み入ってしまっているのなら早急に離れるべきである。だからといって、無闇に飛び上がって周囲の状況を確認するというのも賢明ではない。もしも妖怪の縄張りだった場合、向こうに縄張りを侵したということを教えてしまい、最悪の場合、問答無用で攻撃を加えられるということもありえる。

「さあ?」

 こいしは首を傾げて答える。しかし、こころを困らせるために誤魔化している可能性も捨てきれないのが、彼女に対する印象だ。
 こころは何も得ることのなかった追求を経て、安全が確保されているわけでもなく、すぐに帰れそうにもないというのを悟る。

「人の手、勝手に握ってどういうつもり?」
「安全な場所に行けるまで逃がさない」

 こころは両手でしっかりとこいしの手を握る。頭についているのは真剣な表情の面だ。彼女が現状頼ることができるのはこいしだけで、彼女に縋るのも当然と言えば当然のことだろう。そして、いつの間にか現れたり、いつの間にかいなくなっていたりするこいしを自分の傍に引き留めておく方法は、これくらいしか思い浮かばなかった。

「ふーん」

 こいしは興味なさげに呟くと何事もなかったかのように歩き始める。こころとの距離が開くに従って、腕が上がっていく。
 こころはこいしの腕が上がりきってしまう前に、こいしの手をしっかりと握ったまま、ふわふわと捕らえ所のない背中を追いかけるのだった。




 しばらく歩いていると、二人は少し開けた場所に出た。二つの道がそこから延びている。
 その中央には、一人の少女が立っている。フリルがあしらわれている上から下に向けて黒から赤へと変化していっている服に、緑色の髪を覆い尽くさんばかりの黒い生地に赤色で何かが書かれている大きなリボン。薄暗い森の中には不釣り合いな格好だ。しかし、その少女の周りをよくよく観察してみると、暗い気が浮かんでいるのが見える。もしかすると、それに飲み込まれないようにするための派手な服装なのかもしれない。
 その少女も近づいてくるこころたちに気付く。そして、驚いたような表情を浮かべると、後ずさりながら慌てたように口を開く。

「貴女たち、それ以上は近づかないでちょうだい」

 こころは困惑の表情の面を付けながら足を止める。こいしもそれに合わせるように止まる。先ほどまではこころを引っ張っているかのような様子だったが、今は動向をこころに任せているようだ。

「ああ、ごめんなさい。私は人間たちが払った厄を溜め込み、それが人間たちのところへと戻ってしまわないようにと見張る厄神。だから、無闇に近づくと貴女たちが不幸になってしまうわよ」

 少女は優しく諭すような口調でそう言う。しかし、少しだけ無機質な印象を受ける。それは、彼女が何度もその言葉を口にしてきたという証左なのかもしれない。

「あ、そうなんですか」

 こころは何度か頷いて納得を示す。その後は、じーっと少女の顔を見つめ始める。
 見つめられている神様は、反応に困っているようだ。

「えーっと、何かしら?」
「うーん? なんだろ」

 なんだか引っかかる部分があるものの、それが具体的な形にできなかったこころの答えは首を傾げるといったものだった。面も悩んだ表情を浮かべている。
 少女の方もその反応に対して、更に困っている様子を見せる。自分の方が首を傾げたいのに、先にそうされてしまったのだから当然かもしれない。

「こころはすぐに周りが見えなくなるから気にしないであげて」

 お互いに出方を窺って動きを止めているところにこいしがそう言う。皮肉げな声の響きから、助け船を出したというわけではなさそうだが、硬直した二人に動きを促すのには役立っていた。

「そ、そう。わかったわ。……それで、貴女たちはこんなところに何の用かしら?」
「ふらふら歩いてたらいつの間にかこの辺りにいたんですけど、ここがどこかわかりますか?」
「ん? ここは妖怪の山の麓の森だけれど、……本気で言っているの?」

 こころの言葉をいぶかしみながらも、しっかりと答えは返す。
 怪しむのも当然のことだろう。妖怪の山は幻想郷一の高さを誇る山だ。だから、普通ならば何か別のことに意識を向けていたとしても、近づくうちにどこかで必ず意識の中に入ってくるはずなのだ。

「こいしが無意識を操る力を持ってるから、そのせいだと思います」
「へぇ、能力があるってだけで私のせいにするんだ。私も不憫だねぇ、よよよ……」

 こいしがこれ以上ないほどにわざとらしく泣き崩れる様子を見せる。こころも根拠なく言っているという自覚はあるが、こういった態度を見せられると罪悪感も一切湧いてこない。むしろ、証拠もないまま確信を強めていくだけである。

「よくわからないけど、用はないということでいいのよね。だったら早く帰りなさい。ここは不用意に近づいていい場所ではないわよ」

 二人のやり取りに苦笑を浮かべつつ、警告を口にする。あまり深く踏み入ると面倒なことになると判断したのかもしれない。

「はい、そうします。……後ついでに、どっちに行けばいいか教えてくれると嬉しいなー、と」
「あそこを道形に進んでいくのが一番早いと思うわ。大丈夫だとは思うけど、気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」

 こころはぺこりと頭を下げると、特に意識することなくこいしの手を片手で握り直して、少女が指さした道へと向けて歩き出す。帰り道もわかっているので、仮にこいしが忽然といなくなってしまっても問題はないのだが、ずっと握っていたせいで放すタイミングを見失ってしまっている。こいしはされるがままの自分の手を見ながら、こころの後について歩く。
 その間、少女はさり気なくこころたちから距離を取るように動いていた。あまり距離を気にせず動く二人との距離が縮まりすぎないようにするためだろう。

「あ、そうだ」

 忘れ物を思い出したこころは、不意に足を止めて少女の方へと振り返る。そうすることがわかっていたかのように、こいしの足も同時に止まる。

「私は秦こころ。あなたの名前は?」
「……鍵山雛」

 雛は短く名前だけを返す。その声には、どこか突き放すような雰囲気があった。
 こころはそのことに気づきながらも、追求することもできずにそのまま背を向けて立ち去るのだった。




「雛さん、不思議な雰囲気の人だった」

 妖怪の山から少し離れたところで、こころはそんな感想を漏らす。相変わらずこころはこいしの手を握ったままだ。お互いに大して気にしていない上に、困るようなこともなかったため今なお放すきっかけが訪れない。それ以前に、手を握っていることさえ忘れてしまっている。

「そう?」

 こいしはこころとは違った感想を抱いていたようで首を傾げている。

「こいしはどういうふうに感じたの?」
「寂しそうな人」

 端的な言葉には、何の感情も乗せられていなかった。ただ事実だけを伝えるような淡々とした響きしかない。
 こころの頭には意外そうな表情を浮かべた面が現れる。しかし、雛が何をしている神様なのかを思い出して、雛の立ち位置を正しく理解する。

「あ……、そっか……」

 近寄るだけで誰かを不幸にしてしまうというのは、誰とも距離を詰めることができないということだ。
 雛は神様ではあるが、こころたちとのやり取りはどこにでもいるような人間と変わらないようなやり取りだった。そんな精神を持つ者が、誰からも避けられてしまう、避けさせなければいけないというのは耐え難いことだろう。

「……こいしは、色んなことをよく見てるね」
「こころがよく見てなさすぎなだけ」
「そうかも。だから、なんだかんだで私の為になるように動いてくれてるこいしを頼りにしてる」

 こころの面は嬉しそうな笑みを浮かべている。誰の目にも、彼女の言葉に偽りがないというのは明らかだ。こいしがどういう目的で接触しているかはいまだにわからないものの、ちょっとした積み重ねがこいしへの信頼に成り代わっていた。

「私の言ったこと覚えてる? こころは私の玩具で、私は玩具で遊んでるだけ。頼られるなんてありえない。ほら、いつまで手を握ってるつもり? さっさと放して」

 こころとは対照的に、こいしの声には不機嫌の色が見え隠れし始めていた。自らに向けられる信頼を押しのけてしまうように。

「う、うん」

 こころはその姿に困惑しながら、ずっと握り続けていた自分よりも小さな手を放す。
 二人の距離が零でなくなると同時に、差は一気に広がっていく。
 こころは秋の涼やかな風に吹かれる手のひらに冷たさを感じながら、遠ざかっていく背中を呆然と見送ることしかできなかった。





 翌朝。こころは朝食を終え、マミゾウに髪を梳いてもらった後、部屋の中でぼんやりと考え事をしていた。
 その内容は、雛とこいしのことだ。
 厄を集めるという神様としての役割のせいで、他者とは触れ合うことのできない雛。自分ではどうすることもできないとはわかっていても、自身の感情を隠すように接せられていたのだと思うと、このまま気にしないということもできない。
 他人の感情に触れて回ることに気を割いているというのは、それだけ他人のことを気にかけてしまうということでもある。
 ただ、自分なんかがそんなことを気にするのはおこがましいのではないかとも思う。仮にも相手は神様なのだ。そういうことを気にかけるのは、余計なお世話というものかもしれない。これについては、もはや一人で考えても答えが出てくるはずがない。
 だからこれ以上考えるのはこの辺りでやめて、今度はもうひとつの問題であるこいしのことへと意識を向ける。しかし、こいしのことは雛のことよりもずっと難解だった。どうして突然不機嫌になったのか、全くもって理解できない。
 きっかけとなった言葉はなんとなく察しが付いているものの、こころの持つ情報だけでは理不尽な反応をされたと判断することしかできない。

「はあ……」

 考えすぎによって蓄積された疲れをため息に変えて外に吐き出す。
 そして、その場から立ち上がると玄関へと向けて歩き始めた。考えるよりも行動する方が彼女の性には合っているのだ。
 とりあえず向かってみるのは孤独な神様のところ。こいしよりは問題が明確となっているし、居場所もある程度はわかっている。
 今度はちゃんと話をしてみようと思うのだった。




 ある程度居場所がわかっているとはいえ、そこは妖怪の山の麓だ。あまりうろうろとしていると、間違って天狗たちの縄張りに入ってしまう可能性がある。
 そんなことに気づいたのは、注意書きの書かれた看板が見えてきた辺りだった。それまで天狗の存在など完全に頭の中から消えてしまっていた。
 じーっと睨むように看板を見つめるが、そこに雛の居場所も天狗の目を欺く方法も浮かんではこない。最悪、縄張りの書かれた地図でもあれば多少は動きやすくなるのかもしれないが、そういったものもない。

「何やってんの? ついに無機物の表情まで見えるようになった?」

 突然聞こえてきた声にこころの身体がびくりと震える。頭のどこかでこいしは姿を現さないのではないだろうかと思っていたので、最近では不意に話しかけられることに慣れていたにも関わらず、心臓の鼓動が跳ね上がってしまった。

「び、びっくり、した……」

 胸を抑えながら、心臓を落ち着かせるように息を吐き出す。その間も表情は一切動いていないのだが、頭の面と仕草のおかげで感情を浮かべているように見える。

「大げさな。私に話しかけられるなんて今更そんなに驚くようなこと?」
「昨日の今日でこんなにあっさり出てくるとは思ってなかったから」
「ふーん」

 興味なさげに呟いてこころを追い抜く。そして、看板の前に立つと、こころの方へと振り返る。

「会いたい人がいるんでしょ? 私が連れてってあげようか?」

 こいしは笑顔を浮かべて手を差し出す。相変わらず意図は何も見えてこない。

「……そんなことできるの?」
「さあ? 誰にも見つからないようにするのは得意だけどね」
「じゃあ、お願い」

 危険がなくなるというだけでも十分にありがたい。だから、こころは伸ばされた手をそっと握る。触れようとした瞬間に逃げられてしまうのではないだろうかと思いながら。

「……やっぱり、こいしは私のことを助けてくれてるんじゃないの?」
「さ、ペットの散歩に行っくよー」

 こころの言葉を否定するように、こいしは軽快な口調でそう言って歩き始める。
 あんまり追求すると昨日のように不機嫌になるかもしれない。そう思ったこころは、黙ってこいしに引かれるままに歩くのだった。
 玩具とペットだと、一応ペットの方が扱いとしては上なのかなー、と考えながら。




「ええーっと、随分と汚れてるみたいだけど、また道に迷ったのかしら?」

 雛は髪や服に土や葉っぱを付けたこころたちを見て、どういった反応をすればいいのか困っているかのような表情を浮かべている。昨日と今日と立て続けに迷い込んできたと思っているのなら、当然なのかもしれないが。
 最初は道に沿って歩いていたのだ。しかし、そのうちこいしが道をそれ始め、気が付けば道なき道を進んでいた。
 それがこいしの力の副作用によるものなのか、それともこいしに遊ばれただけなのかはわからない。どちらにせよ、大きな問題に直面することなく雛に会うことができたのだから、こころにとってはどちらでもよかった。

「雛さんに会いに来ました」

 こころは自分が汚れているのも気にせず、真っ直ぐに雛を見つめてそう言う。頭には真剣な表情の面が付いている。

「私に、会いに……?」

 よほど意外な言葉だったようで、目をぱちくりとさせている。もしかしたら、言葉の意味さえも飲み込んでいる最中なのかもしれない。それだけ、彼女が孤独に慣れているという証でもある。

「はい。今、私は色んな人の感情を見て回って、そのときに浮かべている表情を学んでいるんです」

 自分の境遇を簡潔に話すだけにとどめる。
 正直に寂しそうな雛を放っておけなかったから、とは言えなかった。だから、そんな建前を用意したのだ。あながち嘘でもないのだが、今は普段よりも優先順位は下がっている。

「……私よりも最適なのはいるんじゃないかしら?」

 ようやく事態を飲み込むことが出来たのか、冷静な声でこころを突き放そうとする。彼女の立場が他人を受け入れることなどさせないのだ。
 それがわかっていても、こころは引こうとするような態度を見せようとはしない。

「できる限り色々な人の表情を見てみたいんです。数の分だけ私の糧になりますから」
「私に近寄りすぎると不幸になるって言ったわよね。私に同情してるんならやめてちょうだい。それであなたに何かあったら、それこそ迷惑だから」

 棘のある物言いにこころはたじろぐ。本音を口にしなくてよかったと心底思う。もしかしたら透けて見えてしまっているかもしれないが、少なくとも誤魔化すことはできる。
 だから、大人しく引き下がろうとは考えず、なんとかできそうな方法を見付け出そうとする。

「このままじゃあ、偽善で終わっちゃいそうだねぇ」

 こころの手を握ったまま成り行きを見ていたこいしが、他人事のようにそう呟く。しかし、こうして隣で大人しくしているところから、多少の興味くらいはあるのかもしれない。

「ええっと……、じゃあ、離れた場所にいるから、その状態で話をする、とか」
「すごく疲れそうね」
「そもそも、こころの目的を達するには全く適してないよね。言いたいこと言って、聞きたいこと聞きさえすればいいってものでもないし」

 二人から同時に突っ込みを入れられる。

「……ごめんなさい。またちゃんと考えてから来ます」

 こころ自身も無理があるとは思っていたとは言え、前後から挟撃されてしまえば、しょんぼりと肩を落とすことしかできなくなる。頭にも弱った表情の面が現れている。考えてばかりいても仕方がないからとこうして出てきたが、考えなしに出てきてもそれはそれで仕方がなかった。

「もう来なくてもいいわよ」
「いえ、絶対に来ます」

 しかし、そこだけは絶対に折れない。半ば意地となっている部分もあるが、そこにはとある思いも混じっているのだ。それを裏切らないためにも、こころは下も後ろも向かず前を向き続ける。

「来ないで」
「来ます」

 これ以上はただの押し問答になると判断したのか、雛はこころを拒絶するように睨む。こころはその視線に少し気圧されながらもじっと見つめ返す。
 緊迫した様子の二人とは対照的に、こいしはのんびりとした様子でこころの耳元に口を近づける。身長差を埋めるため、彼女は爪先立ちとなっている。

「……こころ、ここは一度引くのが吉だよ?」

 そっと囁いたのはそんな言葉。こころ自身、また考えてから来ると言ったのだから、これ以上ここにとどまっている意味はない。約束を取り付けなければ二度と会えないということもないのだ。
 そう判断したこころは、「……お邪魔しました」と頭を下げて、名残惜しさを感じつつもその場を立ち去るのだった。




「どうするのがいいのかな……」

 こころは、注意書きの書かれた看板を通り越した辺りで、とぼとぼと歩きながらそう漏らす。どうにかしたいという気持ちは本物だが、気持ちだけでどうにかできるというものでもない。
 雛の作る壁が、精神的な要因だけであれば感情だけで押し切ることもできるかもしれない。しかし、現実として立ちはだかっているのは、雛の役目に付随する周囲の厄だ。感情だけでどうにかできるものではないのだ。

「ほっとくのが一番なんじゃない? 現状を誤魔化す方法は案外簡単に見つかるけど、根本をどうにかする方法なんてそうそう見つからないんだから。中途半端な救いなんて、今の絶望を余計に深めるだけに決まってる」

 夢も理想もまとめて切り捨てるような口調だった。彼女自身は雛に関わるのは反対だと考えているようである。

「……こいしって結構後ろ向き?」
「何言ってんの。私はどっちにも向いてない。どうせ期待しても信頼しても裏切られるだけ。どうせ絶望しても猜疑しても疲れるだけ。だったら、最初っからなんにも考えず、なんにも感じず、そのときそのときを適当に楽しく怠惰に過ごすのが一番幸せに決まってる」

 笑みを浮かべて、詩でも詠うように告げる。それが、こいしの在り方なのだろう。

「そんなに幸せそうに見えない」

 しかし、こころの目にはこいしの笑みが空虚なもののように見えた。無理矢理自分を納得させているように映るのだ。

「他人の主観を判断するのに自分の主観を使ってどうするの? ま、私のことはどうだっていいよ。こころには関係ないことなんだからさ。あの神様と何か進展が欲しいんなら、アリスに協力を頼んでみたら?」
「関係ないことは……、って、アリス?」

 こころはこいしが不自然に話題を変えていることには気づきはしたが、意外な名前に意識がそちらの方に持って行かれてしまう。こいしはこの辺りが巧みなのだ。

「そ、お伽噺の中のアリスじゃなくて、森に住んでる人形遣いのアリス。初めて魔理沙と会ったとき、アリスの人形を持ってたんだよね。で、そこからアリスの声が聞こえてきてた。さすがに、私の言いたいことの意味はわかるよね?」
「アリスに、その人形を作ってもらう?」
「そういうこと。えらいえらい」

 こいしは爪先立ちをして、我が子かもしくは妹にそうするかのようにこころの頭を撫でる。こころは自然にその手を受け入れる。
 そして、こいしはしばらくすると頭から手を離し、無防備に揺れるこころの手を掴む。

「さ、思い立ったが吉日、善は急げ、好機逸すべからず!」
「う、うん」

 こころは聞きたいことは色々とあったものの、こいしの勢いに押し負けて、思惑通りに有耶無耶にしてしまうことしかできなかった。





 また数日後、こころは一体の人形を抱えて妖怪の山を目指していた。
 その人形は、こころとそっくりの姿をしている。長い髪に、頭に付けられた一枚の面。更には、服装までそっくりそのままだ。しかし、ただ一点だけこころとは全く異なった部分がある。それは、柔らかな笑みを浮かべているということ。その部分だけは、全くモデルの表情が反映されていない。
 制作者であるアリス曰く、一種の願掛けのようなものだそうだ。こころが表情を浮かべられるようになりますように、という。
 数日前、こいしに引かれるままアリスの家へと連れて行かれたこころは、アリスに協力をしてくれるようにと頼んだ。
 その結果、タダでとはいかなかったものの、快く引き受けてもらうことができた。その代償というのは付喪神として感じることを話すといったものであった。意志を持つ人形を作るのが夢であるアリスにとっては、道具が意志を持つという現象は興味深いものなのだろう。
 こころはそれくらいなら安いものだと思ったので二つ返事で頷いたのだが、しばらくして後悔することとなった。それというのも、ほとんど休みなく半日以上解放されず質問に答え続けていたのだ。魔法使いの探求心を甘く見てはいけないというのをその一日で学ぶこととなってしまった。ちなみに、途中まではこいしも一緒になって聞いていたのだが、いつの間にか姿を消してしまっていた。
 そんな苦労をした数日後にアリスから受け取ったのは、こころが抱えている人形と一枚のカードだった。どちらにも同じ術式が刻まれており、それで声のやり取りができるようになっている。
 アリスが雛の姿をよく知っていれば、カードの方は雛の姿をした人形となっていたのだが、残念ながらよく知らない以前に一度も会ったことさえなかったのだ。雛の境遇を考えれば、知らない人の方が多いのかもしれないが。
 ちなみに、表情の確認をするための機能はついていない。そこまで機能を付け加えると魔法使いもしくはそれに並ぶ程度の魔力を持つ者専用の道具となってしまうからだ。こころとしては、これが雛と関わるためのきっかけとなればいいと考えているので、気落ちなどはしていない。今回に限っては、表情観察はおまけ程度のことだとしか考えていないのだから。
 注意書きの書かれた看板の前までたどり着いたこころは、一度その場に立ち止まる。しばらく待った後、首を左右に動かす。しかし、視界の中に入ってくる者はいない。
 これまでに二度この山の麓を訪れ、そのどちらの時も隣にはこいしがいたのだ。だから、今回も現れるものだと思っていた。
 しかし、いくら待っても少し幼さの混じった人を食ったような声は聞こえてこない。看板の横を通り抜けても、気配の一つも現れない。
 そもそも妖怪の山を訪れるときには付いてきてもらうという約束をしていたわけではないのだ。だから、期待をしてしまうのも勝手というものだ。
 それでも、いつもいた人がいないというのは不安なもので、何かあったんだろうかと心配にもなってしまう。
 とはいえ、気にしすぎても仕方がない。何か別にやりたいことでもあるのだろうと思うことにして、一人で山の麓へと足を踏み入れた。




 雛との出会いは、二度とも道なき道を経て為されたが、出会った場所自体はそれほど変わった場所でもなかった。本道からは外れるが、脇道の先や途中といった場所だ。
 だから、今日もそうした場所にいるだろうと当たりを付けて、周りに警戒を向けながら雛の姿を探す。天狗の縄張りには入ってはいないだろうが、用心するに越したことはない。
 妖精に何度か絡まれたりしながらしばらく歩いていると、川の畔に雛の姿を見つける。こころが近づいてきていることには気が付いていないようで、川の方を見つめたまま動こうとはしていない。

「こんにちは!」

 あまり近づくと気を遣われるだろうかと少し距離を取ったまま挨拶をする。伸ばした腕さえも決して届くことのない距離を元気な声が埋める。

「……また来たのね」

 振り返った雛は呆れたような声音でそう言う。こころの声に驚いたのか片方の手が胸に当てられている。

「また来ると言いましたから。それで、これを受け取ってもらえませんか?」
「人形……?」

 雛は差し出された人形へと訝しげな視線を向ける。そこに仕掛けられたものがわからないので、こころの行動が突拍子のないものとして映っているのだろう。
 こころは押しつけるように、雛からの返事を待たず人形を放る。こころの手から放れた人形は放物線を描かずに、真っ直ぐ雛の方へと向かっていく。そして、反射的に両手を伸ばしていた雛の腕の中へと収まった。近づかなくても渡せるようにと、これまたアリスが仕込んでいたものである。

『「聞こえますか?」』

 そして、こころは一枚のカードを取り出して、口元へと当てながら話しかける。こころの声はそのまま人形からも聞こえてくる。
 人形から声が聞こえてくるとは思っていなかったらしい雛が人形を取り落としそうになる。しかし、すんでのところで反射的に両手でしっかりと抱き抱える。それによって、人形が雛の口元に近くなった。

『「でも、これだと……」』

 雛はこちらからも向こう側へと声が届くというのに気が付いたようで、言葉を半ばで飲み込んで人形を口元から離すと、驚いたようにまじまじと人形の笑顔を見つめる。もしかすると、雛の目にはその笑みが得意げな表情にでも見えているかもしれない。

「これで距離を気にせず話ができますよね。どれくらい離れれば気にならなくなりますか?」

 人形とカードの役割の実演は済んだので、こころは口元からカードを離して声をかける。頭には得意げな表情の面が現れている。

「あんまり離れると、表情が見えなくなるんじゃないかしら?」
「えっと、がんばって見るようにします」

 その辺りの返答については用意していなかったので、少々口ごもった上での精神論じみた答えとなってしまう。雛もこころの口にした目的が建前だというのはわかっているのだろう。しかし、わざわざ手の込んだ物を用意してきたという時点でこころの勝ちだった。

「はあ……、分かったわ。こんなものまで用意されて無碍に扱うわけにも行かないものね。あそこに大きな岩があるでしょう? あそこまで行けば、私が蓄えている厄の影響が出てくることはないわ」

 諦めと呆れの混じったため息を付いて、雛は少し離れた場所に鎮座する岩を指さす。
 こころは嬉しそうに頷くと、真っ直ぐに岩の方を目指して走る。彼女に尻尾が生えていれば大きく揺れていたかもしれない。
 そして、岩の所にたどり着くと、雛の方に向いて岩の上に腰掛ける。

「じゃあ、心行くまで話しましょう」

 カードを再び口元に当てると、弾んだ声音でそう言う。頭には嬉しそうな表情の面が付いている。これまで突き放されるような態度を取られていたので、話ができるというだけでも本人が思っていた以上に嬉しいのだ。

『長話をする機会がないから、お手柔らかにお願いしたいのだけれどね』

 雛はそう言うが、こころにはその言葉を聞き入れるつもりはあまりないのだった。




 それからこころは雛に対していくつもの質問を向けた。雛も嫌そうな態度は見せずに丁寧な態度で答えていた。自らの役割のせいでこころを突き放さなくてはいけなかったが、やはり話し相手には飢えていたのかもしれない。
 しかし、しばらくすると質問も尽きてしまい、こころは黙り込んでしまう。それでも、黙ってしまわない方がいいと考えて、うなり声のようなものを出して沈黙が訪れてしまわないようにしている。

『ねえ、どうしてあなたはそこまで一生懸命になって、私に関わってくれるのかしら?』

 不意に雛の方からこころへと質問が向けられる。雛から話しかけるのはこれが初めてだったりする。

「表情を学びたいからです」
『それは建前でしょう? まあ、真っ赤な嘘というわけではないみたいだけれど、そこまで執着する理由にしているようには見えないわ』
「……雛さんが寂しそうだったから、何とかしたいって思ったんです」

 少し考えて、正直に答えることにした。雛が素直な態度で接してくれるようになったのだ。それならば、自分はそれに対して誠実に応えるべきだと思ったのだ。

『あなたにはなんの利益もないのに?』
「これは、恩返しなんです」
『……恩返し?』

 こころの言葉が意外だったのだろう。カードから聞こえてくるのは不思議そうな声だ。

「はい。私は色んな人に助けられて、今ここにいます。その人たちには感謝してるし、恩を返したいって思ってます。でも、みんな私よりもすごい人たちだから、私にできることなんて何もなかったんです。そうやってちょっと落ち込んでるとき、恩人の一人に、他の人を同じように助ければそれが恩返しになると言われました。私が誰かを助けてあげれば、その人がいい気分になる。そうなれば、その人がまた何か別の人を助けるようになればいい。そうやって、恩が繋がって住みやすい世界になればいいって」

 善悪は巡り廻るという仏教の思想。こころは無宗派だが、その考え方は気に入っていた。

『綺麗事ね。都合よく恩を忘れるようなのなんていくらでもいるわよ』
「綺麗事でもいいんじゃないでしょうか。私はそういう考えに基づいて助けてもらったことを感謝しているし、そういうことを抜きにしても、雛さんの楽しそうにちょっと弾んだ声を聞いてると気分がいいです」
『なっ……』

 雛は自分が楽しそうにしていたという自覚がなかったようだ。こころの真っ直ぐな言葉を前にして、何を言うべきかわからなくなってしまっている。
 こころが雛の方へと目を凝らしてみると、微かに頬が赤くなっているのが見えた。こころの視線に気が付くと、顔を逸らされてしまったが。
 そうして慌てたような姿を見せていた雛だが、少しすると自分を落ち着かせるように、一度わざとらしい咳をして仕切り直す。

『……まあ、確かにあなたと話ができて楽しかったのは事実よ。ありがとう、こころ』

 気恥ずかしげな様子で礼を口にする。こうして素直に礼を言うという機会が滅多にないのだろう。

「雛さんも私に色々聞いてくれたら、もっと楽しくなるかも」
『そんなことを言われても、他人と話す機会がないから何も思い浮かばないわよ』

 返ってきたのは、少し困ったような声だった。確かに無茶ぶりだったかもしれないなー、と反省する。

「なら、誰かと話すことに慣れるように、付き合います」
『ふふ、気持ちだけで結構よ。あなたには私ばかりを気にかけているような余裕はないでしょう? 私を気にかけてくれる人がいる、こんなにも一生懸命になって話しかけようとしてくれる人がいる。そういうものがあるだけでも平気。それに、こんなにも良い子が私にばかり執着してしまっていたら、可能性を摘み取ってしまったようで心苦しいわ。だから、私のことは気にしないでちょうだい』

 雛は嬉しそうに自分の心境を語る。しかし、だからといってこのまま再び独りにしてしまうというのでは、何の意味もない。こころからしてみれば、こんなにも気遣いの出来る人が孤独に苛まれているのは心苦しい。

「じゃあ、会いたくなったら会いに来ます」
『……どうせ来るなって言っても来るんでしょう?』

 呆れているような声音が返ってくる。そう簡単には自分のことを諦めさせることはできないと観念しているのだろう。
 それに、よくよく注意して聞いてみれば、嬉しそうな声色が混じっているのもわかる。

「はい」
『じゃあ、勝手にしなさい』
「ありがとう、雛さん」
『……お礼を言われるようなことではないわ』

 恥ずかしそうに声を潜める。

「だって、昨日までは絶対に来るなって態度だったから」
『あれはまあ、あなたを守る手段がなかったからよ。好意で近づいて来た相手を不幸にしてしまうなんて、後味が悪いでしょう?』

 この前までとの態度の違いを意識すると気恥ずかしさがあるのか歯切れが悪い。

「雛さん、優しいですね」
『……褒めても何にも出ないわよ』
「ちゃんと反応してくれるだけで十分です」

 こころの嬉しそうな声に、雛は黙ることしかできないのだった。




 日が傾く。
 妖怪の山の麓は木々に囲まれているため、夜の暗さが訪れるのが早い。

『さすがにそろそろ帰った方がいいんじゃない?』
「あ、もうこんな時間なんだ」

 夜は妖怪の時間とはいえ、こころのような比較的大人しい妖怪にとっては、ただ単に面倒ごとに巻き込まれやすくなるだけの時間だ。だから、昼間は大人しくしている妖怪たちと入れ替わるように家に帰るようにしている。

「今日は楽しかったです。雛さん、またいつか」
『……ええ、また』

 雛は躊躇するように再会の言葉を口にする。何も気負っていないこころとは正反対だ。
 こころは雛の躊躇を感じ取っていた。だからこそ、あまり重い雰囲気を作っても仕方がないと考えて、子供っぽく大げさに手を振りながらその場から離れることにした。




 日が沈みきってしまう前に、急いで妖怪の山から離れたこころは、月に照らされる夜道をのんびりとした歩調で歩く。開けた道なので、弾幕ごっこを挑まれることはあっても、突然襲われるようなことはないだろう。
 何の力も持たない人間ならそれでも自然と早足になってしまっていたかもしれないが、こころも相当な実力者だ。見境のない野良妖怪相手なら、軽くあしらうことができる。

「逢瀬は楽しめた?」

 静かな夜の音に慣れきっていた耳に、からかい混じりの声が届く。いつの間にか、歩調を合わせてこいしが隣を歩いていた。

「何それ」
「恋愛関係にある人たちが出会うこと」
「そうじゃなくて」
「あの神様にご執心だったから、そういう感情を持ってるんじゃないかな、とね」

 本気でそういった勘違いをしているというわけではないだろう。いつものように、こころをからかうためだけに適当なことを言っているだけだと思われる。

「同姓なのに?」
「恋愛に性別なんて関係ないと思うけど? 特に妖怪なんて明確な寿命があるわけじゃないから、子供を残す意味なんてかなり薄いし」
「なるほど」

 こいしの言い分に納得する。彼女自身がそうした感情を抱いたことがないので、割とどうでもいいと思っているだけなのだが。

「話しやすいし、優しいし、色々と気遣いもできて素敵な人だとは思うけど、こいしが言うような感情は持ってない」

 本人が聞いていたら、その場から逃げ出したくなるほどに照れてしまいそうなことを恥ずかしげもなく口にする。

「ふーん」

 こいしは自分から振っておいて、全く興味のなさそうな反応だった。やはり、いつものように思い浮かんだことをそのまま口にしてみただけようだ。だから、こころも対して気にせず家路を進む。

「そういえば、アリスさんのこと教えてくれたお礼言ってなかった。ありがとう、こいし」
「ふふん。それなら、一生私にかしずいてくれればいいよ」

 少しわざとらしい様子で、偉そうなことを言う。

「なんでそうなるの?」
「言葉だけじゃ物足りないし、何か私の身になることをやってほしいから」
「こいしがやって欲しいことがあるなら、できる限りのことはするけど、それはだめ」
「それは残念。まあ、今みたいに私の玩具になってくれてるだけでも十分だけど」

 そう言いながら、こころを追い抜かして正面に立つ。進路を塞がれたこころは、足を止めて少し警戒を抱く。
 こいしは警戒の隙間を縫うようにこころに近づくと、眉尻に指を当てて下げる。こころの心情とは関係のない、哀しげな表情となる。しかし、何か気に入らなかったのか、今度は眦に指を当てて下げる。こころが雛に渡した人形が浮かべていたような柔和な笑みを浮かべた表情となる。

「……こいしは、私をどうしたいの?」

 ここ何度かこいしはこうしてこころの表情を指で動かしている。それらが、その日こころが出会った人が浮かべていた表情だというのにようやく気が付くことができた。

「私に意図なんてあると思う?」

 一度指を離すと、頬に指を当てて遊び始める。形の整った頬は、柔らかな弾力を不躾な指へと返しながら無防備に弄ばれる。

「具体的に何を意図してるかっていうのはわからないけど、なんらかの意図はあるような気がする」
「ふーん。そう見えるっていう錯覚じゃないの? 私はこうやって遊んでるだけなのに」

 楽しそうに頬を緩めるこいし。
 しかし、こころはこいしの言葉をそのまま受け取ることはできない。

「……こいしは、私に近づかれると何か困ることでもあるの?」
「何言ってんの? これ以上近寄りようがないと思うけど。もしかして、本命は私だった、とか?」

 上目遣いでこころを見つめる。そのいじらしい姿は表面だけを見れば、異性相手なら問答無用で言葉を奪い去り、同姓相手でも多少うろたえさせることができるかもしれない。
 しかし、こころの意識はこいしの裏側へと向いている。見えないけれども、確実に何かがあると思えるというそこへ。

「そうじゃなくて、精神的な距離のこと。私がこいしのことを信頼しようとすると、避けられてる気がする」

 それに気が付くきっかけとなったのは、こころを厄から守るために突き放すような態度を取る雛の姿だった。こいしは雛のようにわかりやすい理由の上にわかりやすく突き放してきているというわけではないが、どこか重なる部分があるように感じた。

「それこそ何言ってんの? こころは余計なこと考えすぎ」

 こころの場違いなほどに真剣な姿を呆れるような口調で、何事もないかのようにそう言いながら頬をこねくり回す。全てを有耶無耶にかき混ぜてしまおうとするかのように。

「こころはなんにも難しいことなんか考えずにただただ私に遊ばれてればいい。それで私は楽しいし、こころは人が喜んでる姿を見るのが好きらしいから楽しむ私を見てればそれで満足できる。お互いに利益があるんだから、それでいいでしょ?」

 こころは反論をしようとするが、頬をこねていた手によって口を塞がれてしまう。抗議の声を漏らすが、こいしは聞き入れようとはしない。
 やがてこころは諦めて、身体から力を抜く。

「そうそう、最初っからそうやっておとなしくしてればいいんだよ」

 そして、こいしは満足げにそう言って、つま先立ちをしながらこころの頭を撫でる。
 こころは口を開く代わりに、近くまで寄ってきた顔から何かを読み取ろうとする。
 夜を照らす月光も、こいしの心を照らし出してはくれていなかった。

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