Coolier - 新生・東方創想話

星空のように

2013/09/22 23:31:53
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 ある日の午後、チルノは、紅葉の赤く色づく妖怪の山に向かって飛んでいました。
 妖怪の山など、普段なら行こうとするどころか、その方を向きもしない所でした。しかし、今日はそちらに用事がありました。
 あの天狗に、家に来るよう誘われたのです。
 暇を見つけては霧の湖まで降りてきて、さんざん自分をからかって満足そうに帰っていく、その天狗。彼女――射命丸文を、チルノは憎もうとしても憎めませんでした。むしろ好意のほうが強いくらいでした。文がただ自分の暇をつぶすだけの為にからかいに来ているのではなく、チルノの為を思って来てくれているような気がしていたからです。
 最近の生活の中で、文と話している時が一番楽しいのは事実でした。
 だから、チルノは快く誘いを受けました。
 
 教えてもらった場所には、おおよそ家と呼べそうもない物置小屋のような建物が一軒、忘れ去られたように建っていました。その他には、赤くまぶしい葉に身を包んだ年寄りの木々しかありませんでした。
(まさか、これじゃないよね?)
 そう願い、ここら一辺を飛びまわってみましたが、家どころか、人や妖怪が作ったものはこの古ぼけた小屋しかありませんでした。
(どうして文はこんな家に住んでいるんだろう)
 チルノは小さくてちょっと馬鹿な頭を捻って考えました。すぐに一つの結論にたどり着きました。
(もしかして文ってビンボーなのかなあ?)
 文の前ではお金のことを言わないと決めました。言うとものすごく怒られそうでした。
 木製の古びたドアの前で、
「あやー、来たよー!」
 元気に呼びかけると、文は
「チルノさん! 来てくれたんですね」
 と、ドアを開けざまに爽やかな笑顔を見せました。
「呼んだのはあやでしょ?」
「そうですね、でもチルノさんのことだから、どこかで道に迷ってるんじゃないかって心配で」
「迷うはずがないじゃない! だってあたいは」
「最強だからですね?」
 文が合わせてくれると、とてもうれしい気分になります。
「えへん! あたいを心配する暇があったら、別のことでもしたら? 例えばベンキョ―とか」
「チルノさんに言われたくない言葉ナンバー1ですね」
「今あたいをバカにしたでしょ!? ふん、あたいは頭も最強なのよ!」
「はいはい、分かってますよ。取り敢えず上がってくださいよ、汚いですけど。あっ、社交辞令ではなくて本当に汚いですよ」
 シャコージレーという言葉の意味を考えていると、
「ふふっ。分かってないでしょ」
「あ、え、そんなことないに決まってるでしょ!! ほら、アレよ」
 そう言っている間に文は家の中に入っていました。恥ずかしくなって、すぐ後を追いました。

 文の家は二部屋しかありませんでした。そう聞いただけで窮屈に感じるのに、廊下を埋め尽くしている大量の原稿用紙や写真を見ると、チルノは余計に身の縮こまる思いがしました。
「こっちが寝室、こっちがまあいわば、作業場ですね」
 紙のじゅうたんをためらいなく踏みつけ前に進むと、文は作業場のほうへチルノを招きました。
「なんでこんなに紙だらけなの?」
「私たちの感動的出会いの瞬間を忘れちゃったんですか?」
「ええと。そうだ、あや、シンブン書いてるんだったよね」
 初めて会った時、文は手帳と羽ペンを持って霧の湖にやって来たのでした。取材の為。そう言っていくつか質問をされた覚えがありました。そこで、あることないこと記事に書けと言ったのを思い出しました。その時から実に1年程経っていることになります。以来、文はたまにやって来ましたが、手帳とペンを持ってきたのは初めだけでした。また、文の書く文々。新聞は人間と妖怪を読者としている為、霧の湖周辺には配られませんでした。だからチルノは、文が新聞を書いていることを今までコロッと忘れていました。
「仕事なの?」
「労働に見合う手当を受けるという意味での仕事ではありませんね」
 文は失笑ぎみに言いました。
「山の警護をしていた時は、ちょっとはお給金を貰っていたんですけど。いまや収入源はほぼゼロですね。人里から浮気の証拠写真を撮ってくれとか、そんな依頼が月2、3件あればいいほうです」
「ふうん」
 わざと気のない返事をして、話を断ち切りました。お金の話になりそうでした。身を切るような木枯らしが、窓から吹き込んできました。
「チルノさん」
「何よ」
「やっぱりこの小屋は気に召さなかったでしょうか? 妖怪の山の内部にもうひとつ、大きな家を持ってるんですが、やっぱりそちらに招いたほうが良かったですか?」
「え?」
 どうやら、文は二つの家を行き来して暮らしているようでした。
 山の内部の家(なかなかの豪邸らしい)はくつろぐ為に、この小屋は新聞づくりに集中する為にあるそうです。どちらも豪邸でやれば、とチルノが問うと、それじゃ仕事に身が入らないと文は答えました。
 文がビンボーではないことが分かり、チルノはほっとしました。
 ある人の住む家がボロければ、まずその人の経済状況を疑りたくなるのは当然のことです。しかしビンボーそうな生活をしていても、ビンボーそのものではないことはある。妖怪の周囲の環境だけで、その妖怪の生活を判断してはいけない。そんなことをチルノは考えるともなく考えました。それは妖怪だけではなく、人間でも同じことだろうとも。
 しかし、やはりこの家の生活は快適とは言えないようで、夏は暑い、冬は寒いと大変なようです。では春や秋は快適なのかというとそうでもなく、
「……見てしまいました」
 文が絶望の淵のような声を出しながら指でさした先では、無駄に多い足を持つ虫が、原稿用紙の山を登っていました。
「私、ホンットに虫だけは苦手なんですよ! チルノさんなんとかしてください! あややや、動き始めましたよ! なんかやたらと早い! 怖い!」
 あわてる文を見るのも新鮮で、少し笑ってしまいました。チルノは冷気を操り、ムカデを凍らせました。
「ああ怖かった。助かりましたよ。それにしてもその能力って便利ですよね」
 文が胸をなでおろしました。
「この季節は、特に虫が湧くからもう大っ嫌いですよ」
 仮にも烏天狗である文が小さな虫ごときに怖気づくのがおかしくて、チルノは大笑いしてしまいました。
「うぅー、心外です。そんなに笑われるとは」
 チルノはムカデの氷漬けを指でつまみあげ、文に近づけました。
「いる?」
「いりませんいりません! 早く外に放り出して!」
 わたわたする文に、また少し笑いがこみあげてきました。
「そんなに虫が怖いならこんなところに住まなきゃいいじゃないか」
「いや、そうはいかないんですよ」
「集中できないから?」
「それもあります。でも、あれを動かすのが大変ですから」
 文の視線の先には、やたら大きな機械らしきものがありました。
「印刷機です。知り合いの河童に頼んで造ってもらったんですよ。あれを稼働させる為だけに山の内部から電気まで引いてもらったんで、勝手に動かすのも申し訳ないと思って」
 なるほどとチルノは納得しました。同時にふと、文が自分を家に呼んだ理由が分かりました。
「もしかしてあや、あたいは殺虫剤代わりなのか?」
「バレましたか」
 チルノは周囲を冷却し始めました。
「冗談ですって! だからストップ! 機械が壊れる!」
 いつもからかってくる文を、今日は逆にからかっている。その嬉しさを十分に味わい、チルノは冷気を止めました。
「ひとまず、ちゃんとお礼を言わせてください。ありがとう、チルノさん。あなたがいてくれて本当に助かりました」
 文がいつになく真剣な顔つきでそう言うので、チルノは、自分のした行動に誇りを感じました。
 自分は誰かの役に立った。その事実が、胸の中で温かく残りました。
「と、当然のことよ。あやがもしそうしてほしいなら、別にこれからも虫を退治してやってもいいかんね」
 文に感謝されたいから。その一心でした。
「頼りにさせてもらいます」
 その言葉は、胸を優しく包み込む毛布みたいなものでした。温かさを、失わないために。大切に保管するために。
 その後、心地よい沈黙が続いたので、文が家に呼んだ本当の理由を聞きそびれました。しかし、もうそんなことはどうでもよくなっていました。

「客人をお招きしたのに、この程度のおもてなししかできないのは情けないんですが」
 文はどこからか小さな饅頭をいくつか持ってきました。ほこりまみれなのではないかとチルノは心配しましたが、そんなことはなく、見た目は貧相ですが充分食べられそうでした。手に持つとずしりと重みを感じます。中身が案外ぎっしり詰まっているようでした。
「ごゆるりとおくつろぎくださいませ。はは、サマになってませんね」
 文がふざけて紅魔館のメイドの真似をしました。全然似ていないのですが、チルノは満足げに笑いました。
「チルノさん、私は今から新聞の仕上げをしますから、ちょっと待っててくださいね」
 そういうと文は、無造作に散らかった原稿用紙の山から必要なものだけを抜き出していきました。その様子を見てチルノは、慣れているな、と感じました。この散らかり具合が逆にいいのかもしれません。
 しばらく作業を見たのち、饅頭を一口かぶってみました。思わず頬が緩んでしまうほどのあんこの甘みが口の中に広がります。
見た目の斜め上を行く旨さでした。
 しばらく、と文は言いましたが、どれだけ時間がたったか分かりません。5つあった饅頭は全てチルノが食べてしまいました。
 カリカリと筆を走らせる音に、時折寒い風の音が混じります。それ以外は無音でした。文に話しかけるのはためらわれました。こんなに集中している文を見るのは初めてのことで、邪魔するのは悪いと思ったのです。
「食べ終わりました? お茶淹れましょうか?」
 一度だけ文はそう言いましたが、
「いや、いいよ」
 と遠慮しました。
 壁の間から入り込む日光に、少し赤みが差してきました。木枯らしは一層寒く吹きつけます。チルノはもともと寒いのは平気でした。文がすぐそこにいるのが分かっているから、孤独を感じることもありません。
 沈黙すらも心地よくなってきています。文と二人きりで、何も語らずともお互いに親しみを抱いていることそのものが嬉しいのでした。
 カリカリ、カリカリ、カリカリと、テンポよく聞こえてくるその音が、いつしか眠気を誘うようになってきました。眠気に身をゆだねると、すっと吸い込まれるように寝入ってしまいました。

 まどろみの内に、自分を呼ぶ声を聞いたような気がしました。
その声に答えると、眠りから覚めてしまいそうで嫌でした。今はこの心地よさに浸っていたいと、チルノは心から思ったのです。

 目を開けると、夕焼けの明かりは電灯の光に変わっていました。
「お目覚めですね」
 文の声が以外と近くで聞こえたので、チルノはちょっとびっくりしました。目をこすりながら体を起こしました。
「退屈だったから寝ちゃったんですね。ごめんなさい、気を遣ってやれなくて。私の悪い癖なんですよ、新聞を書き始めると周りのこと見えなくなっちゃうの」
 申し訳なさそうに首をかく文。
「いや、あやのせいじゃないよ。それに、昼寝、すごく気持ちよかったから」
 文は顔をゆがめたかと思うと、耐えきれないといったように笑い出しました。
「あははは、そうだと思いました。だってチルノさんの寝顔、とても幸せそうでしたもん」
 チルノは全身がむずがゆくなってきました。
「もっと見ていたかったなあ。楽園だ、みたいな顔で、可愛かったです」
 発せられたその言葉に、最初チルノの頭は理解が及びませんでした。しかし、文のほころんだ顔をぼうっと見つめているうちに、脳がまるで贅沢な食べ物を少しずつ噛みしめるように働き出しました。
 幸せが急激に全身に行き渡っていくのを感じました。
 体中幸せになった後も、心は次々とその素を吐き出してきて、チルノの体ははち切れんばかりでした。顔が焼けるように熱くなり、両腕両脚が震えました。
「ふふっ。そんなに赤くなっちゃって、可愛い」
「う、うるさい! 赤くなんてないわよ!」
 逃げ出したくなって、チルノは勢いよく立ちあがりました。文のほうは見ないようにしました。これ以上文に見つめられたら、幸せを注ぎこまれたら、どうなってしまうか分かりませんでした。
「もう暗いからあたい帰る!」
「待ってくださいよー」
「ふんだ!」
「待ってください」
 文がそれまでとは質の違う声を発しました。思いつめたようなその声に、チルノは意表をつかれ、固まってしまいました。
「チルノさん」
「何なのよ」
 文はうつむき加減で、何度も唇を舐めていました。
「……明日も、明日も来てくださいね」
「あ、あやがそう言うなら、別にいつでも来てあげるわ」
 そう言われなくても来るつもりだったのですが。
 チルノは一人で玄関のドアを開けました。

 チルノは夜の風を切り裂いて飛んでいました。
 身に強く当たっては過ぎる冷たい風が、少しずつ体の火照りを取っていきます。心地よい涼しさでした。
 しかし十月も半ば過ぎの夜風となると、もう大分冬の風に近づいて来ています。自然下に暮らす多くの生物に休息と死をもたらす風は、今さっき感じたばかりの心地よさをあっさりと取り去っていきました。
 霧の湖には何者の影もありません。キリギリスでもどこかで鳴いているのか、消え行きそうな掠れ声だけが、辺りを占めていました。
(ほとんどの虫が今日で鳴き納めなんだろう)
 チルノは自分の寝床へと向かいました。
 夜はまるでチルノを突き放そうとするようでした。それは直接的、暴力的な方法ではなく、チルノだけを闇に迎え入れないように距離を置くというやり方でした。
 寝床に着くと、チルノはさっさと寝転がって目を閉じました。 心中で何度も何度も、
(あたいは孤独じゃない)
 とつぶやいていました。
 文にもらった感謝の言葉を、頭の中で繰り返し唱えました。
――本当に助かりました――
 私は文に頼りにされている。ほんの小さなことでしかないが、確かに私の存在が、文を助けている。それだけで、孤独じゃないと胸を張って言えるはずだという確信がありました。
 昼寝をしすぎたせいか、なかなか寝付けません。虫の鳴き声が、少し小さくなりました。
 胸にくるんだ毛布を時折はがして、じかに温かみに触れながら、チルノは眠気が襲ってくるのを待ちました。

 目を開けると、地面が湿っているのが見えました。地面にしみ込んだ液体には、自分の目から流れ出たものが混じっているかもしれない。チルノは寝床から出ました。
 早朝の空は先日の雨などなかったように青く澄みきっています。日差しも強く、秋にしては蒸し暑い気候でした。
 チルノは湖のほとりに腰をおろしました。そうしてただじっとしていました。
 誰とも顔を合わせず、何も食べず、周りの物を凍らせて遊ぶこともありませんでした。ただ時折太陽の動きを目で追って、時間の経過を確認するばかりでした。
 とにかく文のことが気になって仕方がありませんでした。早く会いにいきたい、という願いが、チルノの心を埋め尽くしています。しかしこんな朝早くには文は起きていないかも知れない為、濡れた地べたに、こうして手持ち無沙汰に座り込んでいるのでした。
 チルノ自身、文と一緒にいることが何より幸福だと気づいていました。もはや文に依存してしまっていることも、薄々分かっています。それが悪いことという思いは全くありませんでした。
(だって、あたいはあやの友達だもん)
 こうして待ちおおせる時間も、文に会えることを考えると退屈には感じません。
 日は思ったより早い動きを見せ、影が大分短くなって来たところで、チルノは空に飛び立ちました。

 二度目の来訪でも、文は変わらずいい笑顔でチルノを迎えました。
「チルノさん、よく来てくれましたね。私嫌われたかもと思って。来てくれないんじゃないかと心配でした」
「ふん、あたいがあやを嫌いになる訳ないじゃない」
 そんなセリフも詰まらずに言えるようになっていました。
「でも、昨日のことは怒ってるんじゃないですか? 私、からかいすぎちゃいましたよね。すいません」
「あ、謝らないでよ!」
 頭に浮かんだ、こちらこそごめんなさい、という言葉を飲み込みました。
「でも、もうあの、可愛い、とか、言わないでくれるかな?」
 可愛い。その言葉はチルノの心をほんの一瞬だけ温かくし、その後裏切ったかのように急激に熱を奪っていきました。
「……ふふふっ」
 文の笑い声に、チルノは顔をしかめました。分かってくれないのだろうか。頼りにしていたものに、突き放される感覚を。
「すいません、チルノさん。真面目に言ってるのは分かるんですが、面白すぎます」
 言われて、笑いの素になることを探してみました。
「そんなに顔を赤くしながら言わないでくださいよ。真面目に受け取れませんって。逆にもっと言っちゃうかも」
 恥ずかしさと同時に怒りもこみ上げてきましたが、
「分かりましたよ。もう言いません」
 という言葉に、
「まあ、いいわよ。あれで最後にして頂戴」
 と納得し、怒りを爆発させはしませんでした。
 家の中は昨日と変わりない汚さでした。この惨状が一夜にして跡形なくきれいになっていたら、それはそれで驚きですが。
「実は朝起きてから、チルノさん早く来てくれないかな、とばかり思ってたんですよ」
「ほんと!?」
 お互いに早く会いたいと思い合っていたことが、チルノにはとても嬉しいのでした。
「ええ。実はですね、昨日の夜の雨でじめじめしてるせいか、虫さんたちが大挙して現れまして」
 チルノは苦笑いを浮かべました。大方そんな理由だろうと見当はついていましたが。
「すでにムカデが三匹ほど出てるんです。知り合いの河童にもらった殺虫剤をたった今使い果たした所でした。真打登場ですよ、チルノさん」
「まっかせなさい!」
 すがすがしい声を発して胸を叩きました。
 口どけが良いだけですぐにとろけて身にならない喜びなどいらない。何かを為し、褒め称えられる名誉だけが、チルノの望むものなのでした。
 ただふたり、ボーっと座り、ムカデが現れると文は怖気づき、チルノが凍らせ、落ち着くと茶をすすり、水羊羹を食べる……というサイクルを3回ほど繰り返しました。
「チルノさん、退屈でしょ?」
「まあそうだけど、嫌じゃないよ、こうしてるの」
「私はすごく退屈です! 耐えられません! 遊びに付き合ってもらいますよ!」
 どうやら昨日の仕事はひと段落したようです。
「いいけど、何して遊ぶのさ?」
 文は腰をすっくと上げ、部屋の隅に山と積まれた紙束の下から将棋盤を引き出しました。
「これ、できますか?」
「ほら、王様を取ったら勝ちのゲームでしょ? 多分分かるわ」
「それはよかった。では早速始めましょう」
 紙束の中からやっと駒箱を見つけ出した文は、盤上に駒をばら撒きました。
「おっと、まずいな……私の分も駒並べといてください」
 さっき下から盤を引き出した紙の山が、今にも崩れかかってきそうでした。文はすばやく支えにかかると、いったん全て崩して山を組み直しにかかりました。
 チルノは何もせずその様子を眺めていました。正直な話、チルノは王様を取る以外に将棋のルールを一つも知らなかったのです。仕方がないので、チルノは将棋倒しを始めました。チルノの頭には、そうすればルールを知らないのをごまかせるかも知れない、という考えもありました。
「よし。チルノさん、済みませんね」
 文がこちらに顔を向けるその一瞬が、チルノの緊張のピークでした。やることが違うと言って、本来の将棋を始めてしまわないか。
「なるほど、将棋倒しですか。それもいいですね」
 助かった。チルノは胸をなでおろし、
「あやも早く並べてよー」
 と急かしました。

 その日はずっと将棋倒しをして遊びました。虫が出るたびに、あわてた文が将棋の駒を倒した為、実際に遊んでいたのは7割でした。3割のムカデやらゴキブリやらの退治の時間が無駄になったわけではありません。むしろ、チルノはその3割の時間に幸福を見出していたのです。
 部屋の中に赤みが差してきたころ、チルノはついにそれだけでは物足りなくなりました。
(もっと他にも文の役に立てることがあるんじゃないか)
 という心境でした。
 そもそも、虫を退治するだけでずっと幸せだと言う、そんな生き物はいません。自分は文に利用されているのかもしれない、という思いが、チルノの中ではそこはかとなくくすぶってきたのでした。
 利用されるのが嫌だというのではありません。文のいいように扱われるのではなく、もっと対等な関係から何かしてあげることで、今まで以上の幸福が得られるのではないかと考えたのです。
 将棋盤を片づけ、すべすべした脚を窓から差し込む夕日に投げ出している文に、声をかけました。
「あや、あたいなんだか悪い気がするよ」
「何がですか?」
「わざわざ家まで呼んでもらってるのに、あたいはあやに恩返しできてないような気がしてさ」
「虫を退治してもらってるだけで、私としてはギブアンドテイクが成立していると思いますが……きゃっ」
「えいっ」
 ぴきん。
「すみません」
「あたいが言いたいのは、それだけじゃ足りないんじゃないかっていうこと。わざわざ美味しいお菓子まで用意してもらってるのに」
 文はしばらく、いや結構な間考え顔をした後、
「うーん、分かりました。チルノさん、一緒に取材してみましょう。最近特集モノをやってないんで、そろそろやろうと考えてるんですけど、情報を集めるのって一人じゃ結構大変なんですよ。だからちょっと手伝ってください」
 予想以上の仕事を貰い、チルノはとても喜びました。ゼロの所から、現地で情報を集めていくその作業は、文の為に何かを創り上げることができるのだと。さらに取材の結果は自分にしか創れない、つまり他人の影響がなく、文も自分も、創り上げる環境は対等だと。チルノはすぐにうなずきました。
「決まりですね。まだ次号の内容も決めてないんで、日時は後で知らせますけどいいですよね?」
 異論はありません。さらに、日時を知る為という口実で、毎日文の家を訪ねることができるのです。
「うん!」
 自然と声が弾みました。

 その日はそれで帰りました。
 まだ赤い日差しは残っています。誰もいないはずはありませんが、湖は静かでした。
 そこへ、妖精が一匹やってきました。チルノは自分以外の妖精を最後に見たのはいつだったか考えてみました。分かりませんでした。
 妖精はチルノの方に近づいてきました。チルノはその妖精の顔を見たことがないと判断しました。ただ、長い間見ていないだけで、実は知り合いかも知れません。その可能性を恐れて、相手が先に話すのを待ちました。
「チルノさんですか?」
 声の調子も聞いたことがありません。そこで初対面だと決めつけ、
「そうだけど」
 そっけない声で返そうと思って、必要以上にとげとげしくなってしまいました。
「会えてよかったです。ちょっとお話をさせてください」
 この妖精は前の住み処でいざこざを起こしたらしく、追い出されてきたようでした。それで新しい住み処を探している、と妖精は語りました。
「チルノさんはここのリーダーだと聞いたんで会いにきました。どうかここで暮らさせてもらえませんか?」
 リーダーと呼ばれるのも久しぶりで、違和感がありました。周りに誰もいないリーダーとは、なんだか皮肉なものです。
「他のやつらにも確認を取らないといけないから、ちょっと待ってよ」
 そう言ったものの、実際妖精に確認をとれるかどうかは分かりません――いや、まず無理だと思っていました。
「いや、もうこの辺の妖精たちには許可を取ったんです。後はリーダーであるあなたの承認だけなんです」
「お前が会ったそいつらはどこにいたのさ?」
 妖精は意外そうな顔をして、
「いつも湖のほとりにいっぱいいるじゃないですか、今はいないみたいですけど。この辺でぶらぶらしてたら4、50匹ほど顔を見ましたよ。うち20匹ぐらいとは挨拶も交わしましたし」
 ふいに熱いものがこみ上げてきました。
「悪いけど、やっぱりここで住むのは認められない。他を当たってちょうだい」
「え、何故ですか?」
「あんたが気に入らない。それだけ。それ以上の理由なんてないし、必要もないんじゃない?」
 妖精は露骨に嫌な顔をし、怒りのこもったまなざしでチルノを睨みつけました。嫌われたな、とチルノは察しました。
「分かりました。もう二度と頼りません。さよなら」
 最後の言葉を言うが早いか、夕日の反対方向へ飛んで行きました。
 妖精が見えなくなった頃、気分が悪くなってきました。
 さっき妖精に発した言葉。声質が冷たすぎたなと悔やみました。ですが、自分は案外そんな口ぶりだったような気もしていました。単に言葉の選び方が悪くて怒りを買っただけだろう。もとより、妖精に悪いことをしたとは感じていません、いや、感じている余裕はありませんでした。
 チルノが不快感を覚えているのは、今の文と話すときの声と、以前の声との違いが嫌ほど気になったからでした。
(まるで、べたべたに甘えているような声じゃないか)
 そんな声で接されて、対等な目線で対応する者がいるだろうか。対等に友情を築こうとする者がいるだろうか。
 文とは固く友情を結んでいる、ずっと抱き続けてきたその確信が、土台から崩れていくような、そんな錯覚がチルノの脳を埋め尽くしました。

 ○ ○ ○

 文は寝室のベッドに横たわり、深い後悔に飲まれていました。

 またもやチルノさんに伝えることができなかった。チルノさんを家に呼ぶことにした、本来の理由を。彼女の為を思えば、すぐにでも伝えるべきだったのに。初日にチルノさんが怒って帰ろうとしたあの時、呼びとめることはできたものの、それを告げてやることはできなかった。そこで言ったほうが、チルノさんの為にも、私の為にもなったはずだ。しかし、それをためらってしまったのは何故だろう。
 ――いや、自分で自分を偽っても仕方がないわね。
 私は、チルノさんを好いている。彼女を守ってあげたいと思う。 彼女が悲しむ顔を見るのは、とてもつらい。
 本当のことを告げると、将来的には彼女は幸せになるだろうが、その場で与えるショックは大きい。チルノさんは泣き叫んで私に怒るだろう。なんでそんなことを言うの。あやと遊んでる時だけは、湖で暮らす寂しさを忘れられるのに、と。
 私はチルノさんを呼びとめた一瞬、そんなチルノさんを見たくないと思ってしまったのだ。
 彼女が今霧の湖で孤立していることは、結構広く知られている。紅魔館の妖怪も知っている。地下に暮らす妖怪も知っている。
 チルノさんは、以前は仲良くやっていた。何が孤立を招いたか。 それは、妖精たちが成熟するにあたり、当たり前に身につけてきた能力を、チルノさんは身につけられなかったからだ。私がチルノさんを家に招いた理由は、その能力を重要だと感じてもらう為だった。さらに、のんきな妖精たちは、チルノを除けものにしていることが周囲には知られていないと思っている。万が一、私が霧の湖でその話をして、妖精たちが聞いていたら厄介だ、という理由もある。
 もうひとつ、これはごく個人的だが、チルノさんと二人きりで過ごしたいという理由――これはまあ、アレだ。どうでもいい。いや、どうでも良くはないが――
 ともかく。
 その能力を簡単に身につけられるかは、運次第である。たまたまチルノさんは駄目だっただけだ。
 したがって、孤立はチルノさんのせいじゃない。そもそも、その能力のない者をけなす周囲の者が、チルノさんを放っておいたことが発端であることに疑いの余地はない。
 また、何かしらの理由で周囲から異端とみなされ、仲間の輪を外される例は、探せばいくらでもある。なにも珍しいことじゃない。
 以前から、そういった一部の物を除外する動きについて調べ、今回の特集にしようと決めていた。チルノさんに特集内容を伝えなかったのは、それに理解を示すためには、まず私の話を聞いてもらい、能力を身につけてもらうのが先決だからだ。
 結局今日もそれを告げることができずじまいだった。自分の決断力の弱さを呪うばかりだ。
 チルノさんは私の大切な友人だ。だから、なんとか苦しみを取ってあげたいと思う。孤独から救ってあげたいと思う。
 今度こそは言おう。昨日はそう思って駄目だったから、今日は敢えて思わないでみよう。そのうちできるし、どうしても急ぐ用でもない。ゆっくりだ、ゆっくり――

 文はゆっくりと瞼を閉じました。

 ○ ○ ○

 チルノはその日も、毛布の中身で身を温めて夜をやり過ごしました。
 チルノは昨夜目をつぶりながら、ずっと文がどう思っているか考えていました。
 しかし、実際のところ、そんなことは文ではないから分かりません。正しい答えが導き出せそうにないその思案を、チルノは無意味なものと捉えました。
 相手の気持ちを考えるアバウトさに対し、現在自分の胸にくすぶるほのかな温かみは本物でした。だから、チルノは自分の誇りから生まれたその温かみに浸りました。
(文がどう思っててもいいもん。あたいにとって、文は絶対に友達なんだもん)
 チルノは心でそうつぶやきながら、まだ日差しが弱い空を飛んでいきました。

 その日からチルノは、文の家で神経をすり減らすような日々を送りました。文が口にする一言ひとことに、びくびくしていました。文が話さない時は以前と変わらぬ喜びを味わうことができていました。ただ、文の顔つきに、日増しに疲れたような、何かを悔やむような色が出てきたことは、ちょっと気になりました。
 チルノが文の家を訪れ始めて、ちょうど一週間たった日のことでした。
 その日の前日、辺りが真っ暗になるまで文の家に呼び止められ、眠るのが遅くなったのが原因で、チルノは寝坊してしまいました。太陽がなかなか高い位置から光線を降り注ぐ頃になってから、チルノは文の家に向かったのでした。
 古ぼけたドアの前に、河童が一匹立っていました。河童はドアをノックすると、返事を待たずに中へ入っていきました。
 後を追うのもおかしい気がして、チルノは外から様子を伺うことにしました。ボロ小屋の中の物音は、外から筒抜けなのです。
 河童はどうやら、殺虫剤の補充にあらわれたようでした。ことを済ませたらしく、河童と文の会話が聞こえてきました。
「すぐに出て行くから、そんなにもてなさなくてもいいって」
「たまにはもてなさせて下さいよ。にとりさんが家に来てくれるなんてそうないでしょう」
「分かったよ、いただくよ。おせっかいな婆ちゃんか、文は」
「はい! ありがとうございます!」
「人間様からしたら大長老じゃ済まないけどな、あんたも私も。あっこれ美味いね」
「その饅頭は大切な親友にしか出さないと決めているんですよ」
「よくもまあ臆面もなくそんなこと言えたもんだ。こっちが恥ずかしくなるわ」
「にとりさんは私のことを親友と思ってないんですか? ぐすん、そんなの寂しいです」
「……私がそう思ってると確信して言ってるんだろ」
「そう、ってどういうことですか?」
「何が何でも言わせたいのか。……もう。私も、文は親友だと思ってるよこれでいいですか?」
「えへへ」
「ふん。私はもう帰るぞ」
「待ってくださいよぉ」
「悪いけど他用があるんだ」
「そんなつれないこと言わないで。お茶も飲んでって下さい。ほらほら、」
「いいって、はあ、仕方ないなあ……お茶も美味い」
 こんな調子でした。
 チルノが感じたのは、心底楽しそうな文の声が、なんだか普段自分と接するときとは違うということです。思いこみかも知れません。それでも、一度抱いた疑念は、まるでたこの吸盤のように、頭に吸いついて離れませんでした。
 小屋の中で交わされているものこそ真の友情のように感じられました。
 ひるがえって、自分は――そこで考えるのを止めました。河童が出てきたからです。チルノはあわてて身を隠しました。
 河童が去ってかなり経ってから、チルノは文の家のドアを叩きました。返事を待たずにドアを開けて家の中に入りました。三日前に、もう出迎えるの面倒なので勝手に入ってくださいと言われたところでした。
「ああチルノさん、今日は遅かったですね」
「寝坊しちゃって」
「昨日、ちょっと遅くまで呼びとめちゃいましたもんね。すいません」
 文はそう言うと、
「実はついさっきまで、知り合いの河童が来てたんですよ。チルノさんに会わせられなくて残念です。なかなか面白いやつなんですよ」
(知り合いなんてものじゃないじゃん)
 そう思いながら、
「そうなの? 残念だったなあ。また今度会わせてよ。それで友達になろうっと」
「うん。チルノさんならきっと気が合います。すぐに友達になれますよ」
 にこやかに文が合わせてくれましたが、チルノの胸にはもやもやしたものが残りました。頭にはりついた吸盤が、生臭いにおいを放って存在を主張しているようでした。

 太陽が一番高くなる頃まで、二人は話すともなく話していました。もう、チルノは心からその時間を楽しめなくなっていました。
 そうしているうちに文が切り出しました。
「チルノさん、特集の内容が決まりましたよ。一週間後に、一緒に取材についてきてもらいますからね」
 ついに待ちに待った知らせが来ました。
「何について特集するの?」
 心を弾ませてチルノは尋ねますが、文の表情は対照的でした。仕事のことを話す文はいつも楽しげだった為、何か悪いことでもあるんじゃないかと無意識に疑いました。
「チルノさん、特集の内容を教える前に、少し話をしましょう」
「どうして?」
「そうしないと、チルノさんには特集の意義が理解できないからです」
「ふうん」
 そんなものか、程度の認識しか、その時のチルノにはありませんでした。しかし、
「チルノさん。真剣に聞いて下さい。これから話す内容で、チルノさんはまず気分を害される。それでも、チルノさんの為にお話ししなければならないことです」
 目をまっすぐに見つめながら言われて、思わずチルノは背筋を伸ばしました。
「率直に言いますよ。チルノさんは、自分がなぜ妖精たちから仲間外しにされているか、考えたことはありますか?」
「な……」
 心の奥底が刃物でえぐられたように痛みました。
「なんで、そんなこと聞くのさ」
「今言ったように、チルノさんの為です」
 考えなさい、と文がプレッシャーを放つように鋭い目線を送ってきます。
「分からないよ」
「どうしてですか? チルノさん、あなただって孤立しているのはつらいでしょう。何とかしようと、日頃何か考えなかったんですか?」
「いや、特に何も」
 考えていなかった、よりはむしろ、考えなかった、の方が正確でした。
 何故自分は孤立しているのか。周りの妖精が自分を敬遠する理由は何か。そんなことを考えるという選択肢がそもそもチルノにはありませんでした。
 ゆっくりと間をとって文は、
「なるほど。チルノさん、私はね、元のようにチルノさんには妖精たちと仲良くしてもらいたいんです」
「あたいを仲間外しにするような奴と仲良くさせようっていうの?」
「そうじゃありません。その考え方が、チルノさんの悪いところです。ハブられた原因です。考えてみてください。あなたを引き離した妖精たちも、心のどこかでチルノさんと仲直りしたいと思っているはずです。
 分かりますか。あなたはこれまで、自分の利益や快楽だけを考えて行動して来たんです」
「だからどうしたのさ」
 チルノは敵対心をむき出しにした声で応えました。
「そうだよ、確かにあたいはそうして来たさ。でも、それを悪いと思ったことはない。そんなこと、考えもしなかった。なぜ悪いの? あたいの行動で、あたい自身がしあわせになってはいけないの?」
「落ち着いてください。そんなことは一言も言ってません」
 怒りに任せて言葉を乱れ打とうとするチルノを文は必死になだめながら、
「手順の問題なんです。あなたがした行動によってあなた自身が幸福を得ることは一向に構わない。でもその前に、他の人妖と関わりを持つ場合に守るべき前提があります」
 文はそこで一息つきました。それから意を決したように、
「幻想郷はあらゆる方向への思いやりで成り立っています。チルノさんにはこの意識がありません」
 文はまさにチルノ自身を正確に断定しているようで、説得力がありました。チルノの怒りは彼方へ消え、黙って話を聞くしかできなくなりました。
「もちろん、自分の為にした行為が、周りを楽しませることもあります。その例は意外と多いです。楽しみは、連鎖しますから。
 チルノさんも昔はこうだったでしょ? 周りの子が笑っているから、自分も笑った。誰かが自分に嫌なことをしても、その子は楽しそうだったから怒る気にもなれず、逆に楽しくなってきた」
 その通りだと思い、チルノはうなずきを返しました。
「それでいいんです、幼い頃は。でもそのうち、それでは満足できなくなってくる。成長するにつれ、思いやりを持つようになるからです。ただし、チルノさんは思いやりを持てずにいる」
「だから、あたいは仲間外しになっているの? 周りのみんなが思いやりを持っているのなら、私を気遣う妖精も出ていいはずじゃないの?」
「さっきも言ったように、これは前提なんです。ルールとも言い換えられます。そのルールを分かっていない者は、無条件に置いていかれる。将棋と同じです。そういえばチルノさん、将棋ができないのを誤魔化しましたよね」
 チルノはうめき声をあげました。
(悟られてたのか)
 隠し通せるよう上手く立ち回ったつもりでしたが、文には通用しませんでした。文に何もかも見透かされているような気がして、チルノは身震いしました。
「そういう風に、思いやりに関わる誤魔化しも無意識に繰り返して来たんじゃないかと思います」
 沈黙が、息がつまりそうな緊張をはらんでいます。
「私がチルノさんにこう言うのは、チルノさんの為だけであって、私自身言うのはつらいです。チルノさんは今この話を聞いていい気分ではないのは分かります。でも、思いやりはチルノさんの将来に渡り大切なものですから。今のうちに身につけてほしいなと思って」
「……」
「もうちょっと器用に、例えば何か体験してもらってチルノさん自身で気付けるように仕向けられたらいいんですけどね。不器用な私を許してください」
「……」
「いったん休みましょうか。ゆっくり考えるといいです」
 文の目から険しさが抜けました。
 頭の中で重りが動いてくらくらするような感じがしていたので、チルノはその言葉に助けられました。
 文に教わった全てがごった煮のように無造作で、しかし、その中に必要ないものは何ひとつないことはよく分かりました。
 その全てが、これまでのチルノを否定するものだという事実も理解できたし、それを受けて何か動くべきだとも感じました。
 振り返ってみると、確かに自分のことしか眼中になかったのでした。文の家に来てからもそうでした。虫を退治する、という行為は、それによって文がしあわせになるからではなく、退治した結果文に褒められ、自分が認められることに誇りを感じるため、ただそれだけの理由から行っていたのでした。考えを改める必要性は、文の口ぶりからもひしひしと伝わってきました。
 しかし、いきなり変化を迫られたことは窮屈でした。チルノにとっては思いやる手段も、心の持ちようも、全てが新しくて分からないものなのです。まるで地図なしに迷いの竹林をさまよい歩かされるような印象を受けました。
「落ち着きましたか?」
 と、文がお菓子を出してくれました。大きな饅頭をひとつ。あまり美味しいと感じられませんでした。これは、河童に出したものとは違うのだろう。どこか、甘みではなく、そう、塩っ辛いような味がする――そこでチルノは涙を流していたのに気づきました。
 何も言わず、文はチルノの肩に手を置き、顔を覗き込んで優しく微笑みました。
(ああ、文とからだが触れ合ったのはこれが初めてだ)
 それが意識され――悲しみの鎖となって、チルノを絞めつけました。
「大丈夫です。みんな涙を流すんです。そうして、思いやりは涵養されていくんです」
 かけられた声は、耳から耳へ通り過ぎて行きました。チルノはただ文の言葉を理解したくないのでした。自分をこれ以上認めたくないのでした。
「もう、いいよ。あやは話しかけないで」
「チルノさん……」
「あたいはあやを友達だと思ってた。あたいと一緒にいる時に、あやもしあわせを感じてもらってると思ってた。でも、本当はあたいの思い込みだったんだよね?」
「チルノさん、それは誤解です!」
「あたいは、あやのことを思いやって言うよ。この前からちょっと元気ないよね、あやは。あたいのせいでしょ? あたいを楽にする為でしょ? それで、あやは苦しんでるんでしょ? じゃあ、あたいが消えればあやは楽になるんでしょ?」
「……どういう意味ですか」
「もう来ないよ。それで、あやが楽になるんなら」
 沈黙が訪れました。チルノは、――涙を流し、今言ったこと全てを後悔しました。全てが自分の中でごちゃ混ぜになって、苦しさを紛らわす為だけに口から排出された言葉でした。意味など持たせるつもりはありませんでした。しかし、言葉自体がまるで意識を持っているかのように、勝手に紡ぎだされたのでした。
「……こんなの、おかしいよ」
 そう呟いた後すぐに、チルノは体中に温かみを感じました。
 文の体温でした。
「ごめんなさい、チルノさん……。ごめんなさい……」
 文はしばらく謝り続けました。呆然としてぶらつかせていたチルノの右の手の甲に、文の涙が落ちました。
 チルノは自分に巻きついた文の腕を振り払いました。
「もうあたい帰るね、さよなら」
「……」
 一度も振り返らず玄関まで向かい、ドアを開け、閉めました。

 秋の風の気持ちよさを、チルノは初めて知りました。
 その風の前では無事繁殖を終え、次代へ命をつなぐことができた虫もそうでない虫も、快適なねぐらを確保できた獣もそうでない獣も、みな平等に活動を休止します。一緒に、自分のこれまでの生活も休止し。凍結してくれそうな気がしました。そう上手くは行かないまでも、せめてあの日のやり取りだけ、忘れられたらどんなにいいことか。それでどれだけ救われるだろうか、と期待して、秋風はそれをほぼ実現してくれるものと思えてきました。
 チルノは昨日から霧の湖には戻らないと決めました。そこにいても、誰とも交流がなく、なんの面白みもない生活が待っているだけです。それより、幻想郷のいろんなところを周って見たほうが退屈しないだろうということでした。
 この日は魔法の森付近の川べりで過ごしていました。目の粗い砂の上にどかっと座って動かず、1刻の時をあくびひとつせず過ごしました。
 夜が来ました。チルノは川のすぐそばに横たわりました。もともと氷の妖精なだけあって、寒さには強いのです。川のせせらぎがいい子守歌になりました。
 次の日もそこで一日を過ごした後、飛ぶのはよそうと決めていたので、川下へと少しずつ歩いて、拠点を移動していきました。
 これといった目的があるでもなく、紅葉を眺めたり虫の羽音を聞いたり栗の実を拾って食べたり風の匂いを嗅いだりして、ただ漫然と時を過ごすのみでした。そうするうち、ある感覚が芽生えてきました。それはまるで――もともと妖精はそうなのですが、チルノはそう知りませんでした――自分自身が自然となり、幻想郷そのものとなったかのような感覚でした。大げさだな、と自分で突っ込みを入れながらも、それが次第に当たり前の感覚となっていくのを自覚しました。
 文の家を訪れなくなって一週間が経った、ある日の朝方でした。
 川が、ほんのすこし少し濁っているようでした。昨日の晩には、きれいな水だな、と手ですくって飲んでみたりもしたのですが。
 その些細な変化に、チルノは自然と異質なものの存在を認めました。
(この近くに何か住んでいる)
 どうやら誰かが川で洗濯でもしたようで、濁った水に手を突っ込むと、相当な垢のこびりついた着物を洗ったのか、泡がよく立つのでした。
 チルノは川上へと向かってみました。
 川に沿って数分歩くと、分流が見つかりました。昨日は夜に移動したため、見落としていたようです。そちらを辿ってさらに進むと、ブナやらカエデやらが群生している奥に、ひっそりとした集落が見えました。
 その集落は周りを森に囲まれていて、周囲から見捨てられた村の趣がありました。ぽつぽつと建った家の近くに、人間の姿もまばらに見受けられます。気付かれては厄介だと思い、チルノは林の中に隠れて集落を覗き込んでいました。
 集落を二つに分断するように流れる川で、ごしごしと洗濯をしている人間の姿もありました。確かに彼らはここに根を生やして、暮らしているようでした。
 魔法の森に近いこんなところに、人間が住んでいるとは意外でした。
 段々と明るくなってきて、家の外に出てくる人間が増えました。満面の笑みを浮かべながら家々を周って畑で採れたイモを差しいれする女性、細い脚でしっかりとした足取りを刻み、集落じゅうを5週もして見せ、それでも平気そうでいる老人。周りに一方的に武勇伝を語って人々の笑いを買っている役者気質の若者。狭い集落の中でもいろいろな人間がいました。
 こんなへんぴな場所に住む人々も、大きな人里と何ら変わらないような快適で楽しげな暮らしをしている。
 チルノは今日はこの辺にいて、ここをずっと見ていようかと思いました。

 昼が近くなると、5、6人の子供たちが駆け回る姿が見え、正午には昼食を食べるらしくそれぞれの家に戻り、子供たちはまた出てきて遊びはじめました。
 しばらくして、子供たちの内二人が取っ組み合いの喧嘩を始めました。そうするとみんなが集まって二人をなだめに入り、顔を真っ赤にして泣いているお互いに謝らせ合ったのでした。
 そうして二人は仲直りし、こう声を掛け合いました。顔、腫れてるよ、大丈夫か? 平気だよ、君こそ、膝すりむいちゃったろ? 痛かったでしょ、大丈夫?
(あたいも、ああすればよかったのかな)
 後悔するほどではありませんでしたが、チルノはその光景を見て、心が洗われるような感覚に浸り、胸に何かぼんやりとした温かいものが残ったのを感じました。

 それから、ぐるりと集落を一周してみました。
 この集落と周囲との関係が完全に途絶しているわけではなく、集落の外れ、川下の方向から九十度左に折れた方に、一本の細道がのびていました。
 しかしその道は雑草が生えっぱなしで整備が行きとどいておらず、また人の通った形跡もまばらで、まるで忘れ去られたかのようでした。
 チルノは昼下がりからその道の近くに隠れて過ごしていましたが、人が通ったのを見たのはたった一人、十二歳くらいの女の子だけでした。
 そんな子供が――もっとも自分も同年代でしたが――一人きりでこんな獣道を通って集落を出ていくことに、チルノは不安を感じました。
(ここで待っていよう)
 と思いました。後をつけたいのは山々ですが、怪しまれるし、相手を驚かせてしまいます。なぜならチルノは妖精なのだから。
 待っていて1刻ほどで、早くも空が赤み始めました。
 明るさがなくなっていくのに反比例して、チルノの不安は増していきました。その感覚が新鮮でした。
 早く来てほしい、その思いはひとえに少女の為でした。
 小さな人影が、ようやく戻ってきました。
(よかった――)
 無事であったことにホッとしたのは束の間、その痛々しい姿を見て、息を飲みました。
 少女の細い手足に、無数の赤や黒の文様が刻みつけられていたからです。彼女の足取りはふらふらで、今にも倒れそうでした。
 チルノはすぐに木々の間から飛び出して、支えてあげるべきでした。一瞬、自分が妖精であることを考え、ためらいました。すぐにその考えを振り捨てて細道に出、少女の肩を支えました。少女の方がやや背が高くて苦戦し、上手く支えられているかは分かりません。。
「足が痛いの? 大丈夫?」
 近くで少女の顔を見ると、鼻水やら涙やらでぐじゅぐじゅになっていました。彼女はチルノの言葉に、のどを鳴らすだけでした。
「支えてあげるから、しっかり歩いて。あともうちょっとで集落だよ」
 チルノは懸命に励ましましたが、もう限界らしい彼女は、地面に膝をつきました。
「少し休もっか」
 チルノは少女をそこにあった大木までなんとか運び、少女を木にもたれかかるような形で座らせました。
 休んでいると、少女の表情は少しずつ晴れてきました。ぼんやりしていた目にも、きれいな光が戻ってきました。
 そしてその光がチルノを捉え、とたんに瞳孔を小さくして、
「は、羽が生えてる」
「ああ、これはね、あたい妖精なの」
「妖精さん?」
「うん。幻想郷中にたくさんいる」
「ふうん」
 もっと食いついてくると予想していたので、若干拍子抜けでした。
「助けてくれてありがと」
 微笑んで少女が言いました。
 照れくさくなってチルノは顔をそむけました。
「あっちの人里に住んでるの?」
 少女は道の集落とは反対側を差しました。
「ううん。そもそも妖精は人里には住んでないし、めったに現れない」
「じゃあなんであなたはここにいるの?」
「たまにそういうやつもいるんだ。ぶらぶらといろんな所を周っていくやつ。あたいは変な妖精だって思ってくれればいいよ」
 適当に言ったその言葉に、あとから自分で納得しました。自分は、確かに普通の妖精の暮らし方をしていない。
「ふうん、そっか」
 少女は妖精を特別視しておらず、初めて会う妖精に早くも慣れてしまったようでした。
「羽を掴まれると痛いの?」
 そう言う前から、チルノの羽に手を延ばしていました。
「ひゃぅ! やめて、力が抜ける」
 あざだらけの手を引っ込め、少女は腫れあがった瞼を下ろして心底楽しそうに笑いました。
「――あのさ、何があったのか、教えてくれない?」
 昼間はこんな傷だらけではなかったし、傷の具合――血やいろいろな液体が混じってぐちゃぐちゃになっている右ひざなどを見るに、怪我をしたのはついさっきのようでした。
 少女の顔がこわばり、また悲しそうな表情に戻りました。
「なんで言わなきゃいけないの? あなたみたいな部外者に」
 ぐっ、と詰まりました。確かに、少女には話す義務も価値もない。
「そうね、でも、そんな怪我してる子を見たら、誰でも心配がるよ。ねえ、お願いだから教えて」
「……」
 沈黙に、ただ鼻をすする音だけが響きました。うつむいた少女の顔を覗き込むと、顔をしかめて涙をこらえているようでした。
「……あたいにしゃべってみたら、ちょっと楽になるかもよ」
 少女はためらいながらも話し出しました。
「見て分かると思うけど、私は殴られたの。向こうの人里の、男の子たちに」
「どうして?」
「私がこっちの集落に住んでるから」
「え……」
「たぶんね、男の子たちには悪気はないの。化け物扱いでもして。向こうの集落の奴は追い払え、と大人たちに教えられてる」
 突然、少女はうめきを上げました。どこか急に痛み出したのでしょう。
「もちろん、殴られて痛いし、悔しいし、腹も立つわよ。でも、向こうは四人だったし、腕力ではかなわないもん」
 チルノの胸には、何とも言えない感情が渦巻いていました。悲しみのようでもあり、怒りのようでもありました。
「でも、そんなことって……」
「うちの集落は大昔、ただの森だったみたい。そのうち森が切り開かれて、卑しい仕事をしていた人々を集められたの」
「卑しい仕事?」
「例えば家畜を殺したり、皮をはいで衣料用にしたり。そんな仕事を、近くで見ていい気分じゃないでしょ。だから、あっちの人たちは、私たちの祖先を集めて、隔離した」
 その名残ね、と少女は言いました。
「もうずっと続いてるから、うちの住民も慣れきっててね。私も実は、あっちに行った時は結構やられてるから。でも今回ほどひどいのは今までなかったな」
 少女が、信じられないほど気楽そうに答えました。
「それで、集落の人は誰も怒らないの?」
「……不満は、あると思う。私も、こんなの嫌だと思うことがあるわ。でもね、周りに逆らわない。これはうちの決まりだからね」
「そんなの、おかしいじゃん」
「おかしいかな? 怒って抵抗したら、倍返しされるかもしれないよ?」
 やはり、少女はけろりと言ってのけます。悲しみの感情を殺し、何もかも諦めようとしているようにチルノの目には映りました。
(そうか……)
 笑ってほしい。
 チルノは、どうしたら少女に笑ってもらえるか考えていました。当たり前のように。
「でも、あたいはそんなこと、許せないな。だって、悪いことしたわけじゃないもん」
「……悪いこと、なのかもしれないわ。周りから見たら」
「何言ってるのさ。悪い訳ないよ」
「あなたからしたら、そう見えるかもしれないわ。でも、実際私たちは、気付かずに悪いことをしてるかもしれない。世間からすれば迷惑なのかもしれない。
 私たちも、もはや変えられないことだって覚悟は持ってるの。もう、この話は止めよう」
 沈黙がおりました。
「……とにかく、家に帰ろうよ。ほら、立てる?」
 チルノが手を貸してやりましたが、少女の足取りはもうずいぶん回復していました。
 集落に入る頃には、さらに辺りは暗くなり、夜の気配もかすかですが存在していました。
 チルノはふらつく少女を時々支えながら、彼女の家まで送りました。
 別れのあいさつをしかけた時でした。ちらりとよぎった考えに、チルノはやれやれ、とため息をつきたくなりました。
「……ここの人たちは何も悪くないわ」
 集落の営みが、頭に浮かんできました。あの元気そうな子供たちの姿も。
 少女は顔をしかめて、
「もう話をしないでって言ってるでしょ」
「わかった。今のところはもう話さない。でも、またここに来るわ」
「どうして? あなた、さすらいの妖精さんなのよね」
 なるほど、さすらいの妖精。響きはかっこいいな。
 でも、チルノは気付いたのです。自分に孤独な旅は向かない。
「いや、もう一回来る。ただし、取材としてね」

 チルノは少女に別れを告げ、川沿いに歩いて川の分かれ目まで辿りつきました。これまで歩いた道を引き返し、川上へと早足に歩いていきます。
 飛ぶ気には、なれませんでした。自分に大切なことを教えてくれたのは、きらきらと流れる川であったり、様々な表情を見せる空、あるいは背の高い木々、それから降ってくるドングリであったからでした。
 自然は、限りない思いやりを持って全ての生き物を等しく見守ってくれていることに、チルノは気付きました。それと同時に、妖精も人間も、生き物はみんなその一部である、という悟りも、体の底から湧いて出ています。チルノにまとわりついていた毛布は、自然がどこかへやってしまいました。
 あたいは帰る。霧の湖に。あの汚い、ボロ小屋に。
 文の笑顔を思い浮かべました。
 川べりで寝ていた時、何度そうしたことか。一日中眺め続けた自然の光景に、何度文を投影させたことか。
 太陽が、もうあちらの山の稜線にその姿の半分を隠していました。
(今日は終わってない、まだ間に合う!)
 チルノは一層足を早めました。なにせ今日は、取材の日なのだから。
 川上のほうへ、たった四半刻ほど駆けただけで、霧の湖が見えてきました。旅の妖精は、自分の旅の小ささに苦笑しました。
(やっぱり、あたいがいなくなったと思って、みんな出てきてるわ)
 そこにはたくさんの見知った妖精たちが、夕日の下で楽しそうにおしゃべりしたり、ふざけ合ったりしている姿がありました。
 ――自分はこの集団から、仲間外しにされている。その孤独は、あの少女も感じているのなら。
(それならあたいは、あの子の気持ちを楽にしてあげたい。喜ばせたい)
 文に言われるまでもなく、それが思いやりと言うものだと、チルノは分かっていました。

 久しぶりに立つ、文の小屋の前。この前捨て去ろうと思った、思い出の数々が、チルノの心中を去来していました。言いようのない高揚感が胸の内でどんどん膨らんでいきます。
 文は、どうしていたのだろうか。あたいがあんな出て行き方をして、怒っているのだろうか。それとも――あたいがいなくなって、少しでも寂しいと思ってくれたのなら、すごく、嬉しい。
 文と楽しく過ごした日々を手で引き戻すかのように、チルノはドアを叩きました。
 どうぞー、と懐かしい声。
 チルノはたまらなくなって、夢中でドアを開きました。
「遅かったですね」
 涙が勝手にあふれてしまい、返すつもりの言葉が詰まってしまいました。体内で沸騰する感情を口に出すことができず、煮えくりかえったそれを代わりに発散させるべく、チルノは無意識に体の重心を文の方へ倒していました。
 文の腕が、チルノの背中を優しく包みました。
「……どこ行ってたんですか」
「ちょっと縄張りをぶらぶらとね」
「あなたの縄張りは、六日間もかけなきゃ回れない程広いんですか。そうですか」
 文は胸に抱えていたチルノと、腕をのばすことで距離を取りました。視線の交換。その眼には喜びの色よりも、怒りの色のほうが強くあるようでした。
「チルノさんが出て行ったあの日、私は不安になって湖の方へ行ってみました。チルノさんはいなかった。次の日も、その次の日もですよ。……どれだけ心配したと思ってるんですか」
「……ごめんなさい」
「全く、思いやりも何もない行動をしてくれたものです」
 ぐうの音も出ませんでした。チルノは目をそらし、うつむくことしかできませんでした。
それでも、チルノは確かに自分の成長を感じていました。
(前なら、あたい怒ってただろうな)
 何故あたいをそんなに責めるのか。元々は文の話のせいじゃないか、と。
 でも、そう言われた文はどう思うだろうか。喜ばないことは、目に見えている。チルノは自分の行動から、相手が何を感じるかを考えられるようになっていました。
「でも、こうして帰ってきてくれたんですから、よしとしましょう」
「……許してくれる?」
「もちろんですよ、チルノさん。私の大切な友達ですもん」
 そんなことを言われて、嬉しくないはずがありませんでした。チルノは満面の笑みを浮かべ、文の胸に抱きつきました。抱きしめる腕に、力が入りました。
「やだ、チルノさんってばもう。――可愛い」
 その言葉に、文の嬉しさが山盛り詰まっていると分かっていたから。
「……えへへ」
 素直に喜ぶことができました。
「では早速ですが、来週ごろには発行かけたいので、取材といきましょう。内容を説明しますね――」
「あっ、あや、ちょっと待って」
「どうしましたか?」
「取材なんだけどさ、あたい、取材したいものを見つけたんだけど。――でも、そんなのあたいのわがままだからダメだよね?」
「まあ、内容を言ってみてください」
 チルノは今日出会った少女のことを全て話しました。
 話が終わると、文は驚いたように、
「実はその話、私の考えていたことにぴったり当てはまるんですよ、それ。取材はそこで決まりですね」
「ほんとに? ああよかった」
「偶然ですね。……それにしても」
 文は鼻をすすりました。
「あや、どうしたの?」
「私は嬉しいです。チルノさんが、そんなに立派になってくれて……」
「年寄りくさいから止めてよ」
「年寄りですもんだ」
 と冗談を交わしました。
「ところで、あの子は諦めてるみたいだけど、集落同士仲良くするのは難しいことじゃないよね?」
 ことの深刻さは、冗談交じりに話ができる程度のものでした。
「その通りです。だから、きっかけを与えてやれば、すぐに関係は修復されるでしょうね」
 そのきっかけを与えるのが私たちの仕事です、と言う文に勇ましさを感じました。新聞には、そういった役割もある。文はそれでお金を取っていないのだから、なおさらすごい。
「話を聞きに行くなら、今日がいいでしょうね。チルノさんが少女の心に何か変化を与えたでしょうから。日にちを置けばおくほど、もとの考え方に戻るでしょうね」
「でも、今日はもう遅いでしょ?」
 窓の外からの光は、もうほとんど入ってきませんでした。
「そうですね。向こうにも迷惑かかるでしょうし、チルノさんも疲れてるんじゃないですか? 私だけで行ってもいいですし、いっそ明日でもいいかなと思いますが」
「いや、あたいは大丈夫。むしろ、今日行きたいな」
「ああ、そうですか?」
 それなら、と文は支度を始めました。
「あたいは何か用意するものない?」
「特にありませんよ。でもせっかくなんで、メモを持っていっていくつか質問でもしてみますか?」
「いや、いい」
 ここは自分の出る幕じゃないと感じました。難しそうだから。
 向かないこと、苦手なことを他人に任せられるのは、文を信頼しているから。文も自分を信頼して欲しいと思っているはずでした。
「さあ、行きましょう」
「うん!」

 空を飛んでいくと、やはりあっという間に集落に到着しました。
「どの家ですか?」
「えっとね……」
 確か、真中の川に近いあたりだった気がしていましたが、記憶はあいまいでした。ほんのちょっと前に訪れたはずの場所を忘れるようでは、人の話を聞いて、後日メモを見ながら内容や語り口、しぐさを思い出せるはずがない。やはり、あたいの出る幕ではなかった。あまりに力量不足だ。
「あっ!」
 チルノの声に反応して、その少女はこちらを見ました。
「あの子ですか?」
 そうだよ、とチルノが言う間もなく、文は息を飲みました。
「ひどい怪我ですね……」
 少女はこちらに近づいてきました。赤黒い腫れだらけの顔が、次第にはっきり見えてきます。
「早かったね」
「ごめんね。でも今日取材しておいた方がいいから」
 少女は文の方をちらりと見て、
「あなたはだれ?」
「新聞記者の射命丸といいます。こっちのチルノさんの友達でして、新聞にこの集落の様子を載せるよう頼まれました」
「じゃあうちのことを新聞に載せるのを決めたのは、ついさっきだってこと?」
「そうなりますね。では早速ですが、取材を受けていただきますよ?
 突然ね、と少女は笑いながらも、
「うん。わたし、今なら本音で話せそうだから」
 と答えました。そのまなざしには、何かの決意が見て取れました。
 文はまずチルノに一通り話を聞いたことを少女に説明し、順に詳細の確認とその時の感情をたずねていきました。少女の「嬉しかった」「助かった」という言葉を聞くたびに、チルノは胸が熱くなりました。
 ひと段落ついたところで、チルノは気になって尋ねてみました。
「ところで、あんたはなんで外に出てきてるのよ? さっき家に帰って、また出てきたの?」
「家の中には入ってないの」
「どうして?」
「だって……こんな顔、お父さんお母さんに見せられないよ」
 文は考え顔をして黙りました。
「私ね、ずっと前に向こうの子にいじめられて顔を腫らした時、家に帰ったらお父さんお母さんにとても悲しい顔をされたの。もうあんな顔、見たくないから、それ以来ずっと、顔が腫れてる時はこうやって外で朝までいるの。そうしたら、朝にはもう顔の腫れなんて目立たなくなってる。お母さんには、どこいってたの、って怒られるけど、怒った顔を見るのは、悲しい顔を見るより何百倍もましだから」
「それでいいんですか? あなたは親を悲しませない為に、自分がつらい目を見ればいいと思ってませんか? それは間違っていますよ」
 少女は目をうるませましたが、一滴の涙も落としません。まるで自分の中に渦巻く悔しさを、少しでも外に出すまいと必死に頑張っているようでした。
「……私もうこんなのやだよ。なんで私ばっかりつらいのよ。向こうの子たちは、私が痛くてみじめでつらい時に、美味しいご飯を食べながら家族とぬくぬくと会話してるのよ!? 私につらい目を味わわせておいて……。なんで、私はこんな……」
「こんな所に生まれてしまったの、ですか? そう言った瞬間、私はあなたの頬を張ってしまうかも知れません」
 少女は弾が尽きたように黙りました。
「さあ、あなたの家を教えてください」
「な、何をするの?」
 チルノはびっくりして尋ねました。
「全て、この子の両親に話すんです。この子がどれだけ苦しんでいるかを分からせます」
「そう、よね。まずは自分のことを分かって貰わなきゃ」
 少女は自分自身に言い聞かすように声を発しました。
「今日妖精さんとお話をして、私、決意したんだから。集落のみんなに、仲間外しがどれだけ理不尽か、仲間外しにされたままその状況に甘んじることが、どれだけばかばかしいことかを分かって貰うって」

「あたいは、一緒に行った方がいいかな?」
「できれば私一人のほうがいいと思いますね。一人で行く方が誠実な印象を与えられますから」
「あたい自身は行きたいんだけどなあ。まあ、あやがそう言うならここにいるよ」
「心配しなくても、両親にはちゃんと理解を頂いて来ますし、ついでに取材もたんまりとしてきますから。烏天狗の社交力をなめないで下さい」
 文は白い歯を見せて親指を立てました。フランクなそのサインをチルノは気に入り、真似して右手で同じ形を作りました。
 グッドラック。

 チルノは川のほとりで待ちました。ただずっと、空が暗くなるのを見ていました。空が暗くなると、無数の星がチルノの視界に広がりました。ここは霧の湖よりもよく星が見えました。
「おーい」と、少女の声が聞こえました。弾むような足音が、ずんずんこちらに近づいてきます。
「星、見てるの?」
「うん」
 少女はチルノの隣に腰を下ろしました。
「どうだった?」
「うん。全部分かって貰えた。私が今までどれだけ苦しんできたか。お母さん、涙を流して、なんで分かってやれなかったのかしら、ごめんなさい、って言ってくれた。お父さんは、ため込まないで、不安になったらすぐに家族に相談していいんだぞ、って」
 わあ、あの星とっても綺麗、と指差す先を、チルノも夢中になって追いました。
「私、そこで自分も悪かったなって思った。今まで、話すことは迷惑だって思ってたけど、それは違った。話さない方が、よっぽど周りを不安がらせてしまうなって気付いた」
 チルノちゃん、だっけ? と少女に言われて、驚きました。
「なんであたいの名前知ってるの?」
「だって、射命丸さんが自己紹介の時に言ってたじゃない」
「ああ、そっか」
 今の今まで、少女の名前を聞きそびれていました。
「あんたの名前は?」
「私はみそら。美しい空って書くの」
 チルノは漢字が得意ではありませんでしたが、とりあえずうなずきました。
「多分、お父さんお母さんもこの星空を見て、名前をつけてくれたんだと思う。結構気に入ってるんだ」
 チルノは星空から目を離し、彼女の満足そうな顔を見つめました。
「聞いた話なんだけど、今見えてる星と星同士は、実はものすっごく離れてるんだって」
「へえ、そうなんだ」
「でも、私たちから見たら、一面の綺麗な星空じゃない?」
 どんなに小さな暗い星でも、一つの星空を作る上では欠かせない存在。一つ一つが、みんな立派な星。
 それらはお互いの距離を超えて、星空という一つのにぎやかな絵画を真っ暗なキャンパスに描いていました。
「私も、あの星空みたいに、全ての人がお互いに一つの星だと認められるようにしたい。住んでいる場所や、やりたいこと、やってることなんて関係なく。――って、難しいこと言いすぎちゃった。つまらなかったでしょ、ごめんね」
「いや、すごいと思う。ほんとに、すごいよ、美空」
 それから二人は、黙って星の魅力を感じていました。

 文が帰ってきました。
「美空さん、もう帰った方がいいですよ」
「うん、そうする」
 美空は立ち上がりました。ゆっくりと、惜しむように。
 これが最後になるかもしれないと、チルノにも分かっていました。
「……じゃあね、チルノちゃん」
「うん」
「射命丸さん、あなたのおかげで、私たちの仲間外しが解消されるかも知れません。本当にありがとうございます」
「家を出る時、あなたのお母さんにも同じことを言われましたよ――お礼なら、私ではなくて、私の新聞を読んだ結果手を貸してくれる人々にして下さい。私たちは、ただ事実を伝えるだけですから」
 チルノは文のきめ顔がおかしくて、笑いをこらえるのに必死でした。
「とにかく、いろいろとありがとうございました。――さよなら」
「さよなら! あたい、忘れっぽいけど、あんたのことだけは忘れないようにできるだけ努めるから!」
 今度は文が吹き出しそうになりました。
「うん、ありがとう……じゃあ」
 美空は家の方へと進み、闇に消えました。
 しばらく二人で立っていました。
「あっ、チルノさん。あの子と一緒に写真撮っときますか? 今から呼べばまだ間に合いますよ」
「いや、いいよ」
 美空のことは、心の中にしまっておきたいと思いました。そう打ち明ければ、その忘れっぽい心の中に? と文にからかわれるのは確実なので、黙っておきました。
「それよりさ、取材はどうだった?」
「よくぞ聞いてくれましたよ。ここ数年で最高の素材が手に入りましたよ」
 文は偉そうにふんぞり返りました。
「お年寄りさん、そんなに胸張ったら腰がピキリといくよ」
「もう、うるさいなあ。ちょっとぐらい威張ったっていいじゃないですか。――とにかく、ここの人たちを救えるのは確実ですよ」
 文は自信を持って言い放ちました。
「この集落の人々を苦しみから救うきっかけを作ったのは、他の誰でもない、チルノさんなんですよ」
 そう言われて、なんだかおかしいように感じました。
(あたいは、ただ美空を救いたかっただけなのに)
 思いやりに端を発したその考え、そして行動が、回り回って多くの人を救うことになったのだと、文は言っているようでした。
(そっか、こういうことか)
 自然と触れ合って自分を変えられたように(やはりチルノには妖精が自然そのものということを知らないのですが)、ちょっとしたことで簡単に他人の為に何かしてあげることができる。
「もう、湖のみんなと仲直りできますよね?」
「うん。それ、めっちゃ簡単な気がしてきた」
「その意気ですよ、チルノさん」
 もう大丈夫。元の生活に、戻れる。
 でも、それによって文との距離が生まれてしまうかもしれないと思うと、ちょっぴり寂しいような気がしました。

 チルノは平気でしたが、文にとって秋の夜を飛ぶのは寒いらしく、しきりに肩を震わせていました。
 小屋に戻ると、一服していくよう文に勧められました。チルノが断るはずもありません。
「ふう。疲れましたね、チルノさん。今日はぐっすり眠れそうです」
 どうぞ、と大きな饅頭を出されました。
「すみませんね。それ、この前出したのと同じやつですけど」
 あの、しょっぱい饅頭か。そう思ってかじると、今までにない上品な甘さが口中に広がりました。
「実は知り合いの河童にも出したんですけどね、それ。いっぱい食べてくれると思って沢山買ったのに、あいつ一個だけしか食べなかったんで余っちゃったんですよ」
 なるほど、つまり。チルノは河童と文との会話を思い出しました。
――その饅頭は大切な親友にしか出さないと決めているんですよ――
(あのときから、あやはあたいのことを親友だと思ってくれてたんだ)
 チルノにとって、もうそれはどうでもいいことでした。だって、今は絶対に文と親友だもん。誰の目から見てもそうだもん。
 ゆっくりと、噛みしめるように饅頭を食べ終えました。
「まだ食べますか?」
「もう、お腹いっぱいだからいい。あやといるだけでお腹いっぱい」
「――チルノさん。ひとつ、お願いがあります」
「なに?」
「私、チルノさんと、今までよりももっと一緒にいたいと思います。多分私、チルノさんのことが大好きで仕方ないんだと思います」
 突然の告白に、チルノは顔が赤くなりました。文の顔も赤いですが、それに負けない自信がありました。
「でも、チルノさんはこれから、湖の仲間と仲良くなっていくと思います。チルノさんは湖のリーダーですから、付き合いはとても広くなるでしょう」
「そうかもね」
「そんな中で、私ともっと一緒にいて欲しいって言うのは、私の我が儘だと分かっています。それは求めずぎだと思います。でも、私のこと、少しでも好きなら、せめて今まで通り、私と会ってくれませんか?」
「何言ってんのさ」
「え?」
「あたいはあやのこと、大大大好きだよ。あやにあまり会わなくなったら、あたいの方がおかしくなっちゃいそうだわ」
「――」
 文は、涙を流しました。
「なんで泣いちゃうのさ。ほら、笑ってよ。白い歯出してさ、笑ってるあや、ほら、かわいい、からさ」
「はい、チルノさん、嬉しい、です」
 文はにこりと笑いました。
「でも、夜、また泣いちゃうかも知れません。だから、今日は泊っていってくれませんか?」
(なるほど、これが言いたかったのね)
「別にいいよ」
「ありがとうございます!」
 ほら、やっぱり。文はけろりとして、さっきまで泣いていたことが嘘のようでした。
「この馬鹿。今日は寝かせないから」
 一週間とちょっとより前、あれほど孤独だった夜が、今宵はこれ以上ないほど楽しめそうです。
 空を埋め尽くすように星が輝き、きらきらと順序良くまたたいていくその姿は、まるで星同士が和やかに意思疎通をしているかのようでした。
「――ってか、チルノさんに馬鹿って言われたら人生終わりですよね」

 一週間が経ちました。
 今日は朝から妖精たちのもめ事を三件ほど仲裁したので、まだ正午だというのに疲れを感じてしまっていました。
 空高くから降ってきたその紙がひらめくのを見ると、疲れはどこかへ吹き飛びました。
 何あれー、と妖精たちが指差し合いました。チルノは舞い降りてきた新聞紙をつかみました。
「ねえ、その紙何?」
「これは、シンブンっていうんだ。ほら、文字がびっしり書いてあるだろ」
「手紙みたいなのも張り付いてるよ」
「あれ、ホントだ」
 チルノは便せんをはがし取り、中身を見ました。写真が二枚、入っていました。
「わあ、綺麗な星だ」
 チルノは驚きました。その写真には、満天の星空と、それをながめるチルノと美空が写っていました。
 これは文が戻ってきて、チルノたちに声をかける前に撮った写真に違いありませんでした。
(なかなかカッコイイこと、してくれるじゃん)
「ねえ、次のは?」
 チルノはもう一枚も取り出しました。すぐにしまいました。
「……これはだめだ。見せられない」
「なんでよ。私にも見せてよ」
「だめだったら」
「なんでよぉー! チルノのいじわる!」
「分かった分かった。じゃあ、一瞬だけ」
 チルノは妖精の方へ写真を見せました。すぐに手を引くつもりでしたが、腕を掴まれてしまいました。
「やめろやめろ、それは反則だろう」
「あはは、なにこれ、かっこわるー」
 それは、文の部屋で寝ているチルノの写真でした。口をぽっかりと開け、よだれの筋が三本もできています。
「ムカついてきた。ちょっと行ってくる」
「え、どこ行くの?」
 チルノは全速力で飛び、あとを追ってくる妖精をまきました。
 ボロ小屋の玄関のドアを突き破ってやろうかと思いました。
お久しぶりと言って覚えていてくださっているかたに、まず最大級のお礼をしたいです。
ご読了頂きありがとうございました。
治部
http://twitter.com/sskatoh39
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コメント



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2.70名前が無い程度の能力削除
いい文チルでした。童話調の語りで物語が優しくなっていて素敵です。
難点を挙げると予定調和というか、型に落とし込もうとしていてぎこちない感じがしました。
みんな良い子で物分りもいい。これと決めた成長譚があり、そのためにキャラを引っ張り出したように受け取れます。
意外性はなく、ちょっと物足りないと感じましたが、かわいいのでよかったです。