Coolier - 新生・東方創想話

おかえりなさい (sanitarium)

2013/09/16 22:54:38
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 味も素っ気もない形式ばった言葉の行列が、上質な紙の上っ面を黒く埋めていく。手に馴染んだペンの先端は淀みないリズムを刻み、ただただ左から右へ、上から下へと走っていく。字はそれなりに上手いほうだという自負はあったが、内容が薄っぺらなのは毎度のことながらどうしようもなかった。
 引き延ばしに引き延ばした文章が、紙の面積の八割以上を占拠した。これならもう充分だろう。ひとつ呼吸を置いて、一番下に署名を入れる。――『古明地さとり』
「あー、終わっ……たぁ」
 さとりはペンを右手に持ったまま、椅子の上で大きく伸びをした。
 根を詰めて書類作成に取り組んだおかげで、肩や腰が凝り固まってしまっている。頭もなんとなく重たいようだった。だが、そのぶん仕事は意外と早く仕上がった。書類提出の期限まで、あと一時間といったところだ――いつものことを思えば、今回はわりと余裕をもって仕上げることができた。
 灼熱地獄跡の管理を任されている身としては、日々の書類作成はどうしても避けられない仕事だった。なにせ上司にあたるのが、閻魔の中でも類を見ない堅物だと評判の、かの四季映姫ヤマザナドゥだからだ。わずかな手抜きも許されるものではなく、誤字のひとつで口やかましく説教を食らったこともある。机仕事がさほど苦にならない性分は、地霊殿の主という立場に就くにあたって、まさに幸いだったといえるだろう。むしろ、好き嫌いは別として、出不精には最適の仕事というべきか。
 両腕をすとんと下ろして、頭の中で予定表をめくる。このあと映姫が視察にやってきて、その際に書類も渡すことになっていた。それまでに取り急ぎやっておかなければならないことは、もうなかったはず。少し休憩の時間がとれそうだ。
 こういうとき、人並みの活動性を持った者ならば、散歩でもするなり何かしら体を動かすことをしてリフレッシュ、という気分になるのだろう。今の今まで机にかじりついていたのだから当然だ。だがさとりは濃いめにコーヒーを淹れると、机の上に書きかけの原稿用紙を出した。やはり性分というやつだ。こんなときでも、小説を読むか、書くか。体を動かすよりも、こちらのほうがよほどいい気分転換になるのだった。
 いま書いているのは、ひとりの平凡な女性を主人公とした物語だった。
 放浪癖のある妹に気を揉みつつも、その天真爛漫さに癒される日々。ふたりの養女と、ときにすれ違い、ときに解り合いながら、次第に絆を深めていく。数多くの動物たちに囲まれ、愛し愛されながら、何気なく紡がれる生活。
 ひとたび書き始めれば、ペンは滞ることなくすらすらと流れていく。展開にも表現にも迷うことはなかった。自身が味わっている幸福を、ただ主人公の身に置き換え、文字に起こしているだけだからだ。頭をひねることなど何もない。
 紙の匂いに、インクの匂い。そこにコーヒーの香りが紛れ込む。ペンの走る音、紙のこすれる音。あらゆる感覚を開いて、原稿用紙の中の世界と対話する。皮膚からはわずかな空気の流れまでも、すべて感じ取れてしまいそうだった。
 しかし、執筆に没頭する時間も長くは続かない。慌ただしい足音が響き、ドアがやかましく打ち鳴らされると、返事も待たずにひとつの影が転がり込んできた。
「さっ、さっ、さっ、さとり様ー!」
 舌と足をもつれさせ、さとりの生足に絡みついてきたのは、お燐だった。
 思わず眉をひそめた。執筆を邪魔されて機嫌を損ねたわけではない。お燐といえば地霊殿のペットたちの中でも屈指の実力を持っており、相当に頭も切れる。さとりも自身の右腕として重用し、他のペットたちを管理する役目も任せているほどだ。その切れ者がこんなにも取り乱しているということは、ただごとではないのだろう。
「おっ、お、おくっ」
 涙目で両手をわたわたと動かしながら、なおもお燐の口は、つっかえて言葉にもならない音ばかりを発している。ならば心を読んでやれば――だが、よほど混乱しているようで、支離滅裂な思考からは状況がほとんど推察できなかった。
 ここで自分まで慌ててしまってはいけない。さとりはお燐の頭を、両腕と胸とで包み込んだ。
「落ち着いて。焦らずに、急がずに、ゆっくりと話してくれればいいですから」
「……はい」
 くぐもった声が第三の目をくすぐる。腕をほどいて、正面から目を合わせてやると、お燐の思考は次第に落ち着きを取り戻していった。
「さあ、もう話せますね」
「はい。……あの、お空が、お空が!」
 お燐は音をたてて唾を飲み込み、
「おなかが苦しくて死にそうだって言ってるんですー!」
「まあ、それは大変」
 さとりはすぐさま立ち上がり、机の上をそのままにしてお空の部屋へと向かった。
 果たしてお空は蒼白な顔をして、ベッドの上で大量の脂汗をかいていた。横向きで寝転がって背中を丸め、両手で腹部を押さえている。
「うぐぐごごご」
 苦しげなうめき声と、光の失せたうつろな目。様子を見る限りでは、確かにどんなひどい病気かと慌てるのも無理のないことだ。しかし当人の心の中を覗いてみれば、どうやらただの食べすぎのようだった。ゆで卵を食べていたら止まらなくなって、三十個ほども平らげてしまったらしい。
 お燐に胃薬を取ってこさせ、それをお空に飲ませると、ようやくふたりとも人心地ついたようだった。
「ううー、さとり様、ごめんなさいー……」
【また、やっちゃった……】
 布団から顔の上半分だけを出して、お空は潤んだ目を向けてきた。お燐がベッドの端を両手で叩いて、金切り声をあげる。
「ほんっとに馬鹿だよアンタは! さとり様に迷惑ばっかりかけて!」
「うにゅー……」
「学習能力ってもんがないのか、この鳥頭!」
 お空もそうだが、次第にお燐も涙目になってきた。
【もしもお空に何かあったら、あたい、どうすりゃいいんだよー!】
 罵声に近いほどのきつい口調も、心の底から友人のことを心配していたからこそなのだ。
「まあまあ、それくらいにしておきなさい」
 なおも言い足りていない様子のお燐の肩に、そっと手を置いた。
「私は迷惑だなんて思っていませんから」
「でも!」
「いいんですよ、お燐。ただしですね、お空」
 今度はお空に向かって、人差し指をまっすぐに立ててみせた。
「結局、苦しい思いをするのは自分でしょう? それに、大切な友人を心配させてしまったのはいただけませんね。もう少し節度を持って行動できるようになりなさい」
「……はい、ごめんなさい」
「さあ、少し休んで、早く良くなって、それから仕事に戻りなさい」
 お空の頭をなでて、さとりは立ち上がった。
 ――と、ノックもなしにいきなりドアが開かれた。
 不意打ちに少し驚く。普通ならば、ドアを開けようとする者の心の声が事前に聞こえるものなのだ。聞こえなかった場合でも、気配というのはそうそう完全に消してしまえるものではない。つまり、それら前兆がいずれも察知できなかったということは、部屋に入ってくる者は誰なのか、ひとりしか考えられなかった。
「たのもー、たのもー」
 ドアの向こうから半分だけ姿を見せたのは、やはり妹のこいしだった。
「あー、お姉ちゃん、やっぱりここにいた」
「どうしたの」
「お客さんが来てるよ。おーい、こっちこっち」
 廊下に顔を引き戻して、誰かを手招きする。こいしは今度は全身を部屋の中に入れて、来訪者のために大きくドアを開いた。
「さぁさぁ、四季映姫ヤマニンザナドゥ様のお通りー」
「ヤマザナドゥです」
 訂正しながら、言われた本人が入ってきた。もちろんヤマニンザナドゥではなく、映姫のほうだ。
 すぐさまお燐が立ち上がり、お空も起き上がろうとする。主人の上役がやって来たのだから、ペットとしては当然の反応だ。それを映姫は、手のひらを向けて止めた。
「お構いなく。休んでいてください」
 お空は遠慮がちにまた身を横たえたが、お燐は所在なさげに突っ立ったままだ。さとりは映姫を促して部屋を出た。
「ごめんなさい、お見苦しいところを」
「こちらこそ――お休みのところにお邪魔して、申し訳なかったですね」
「いえいえ、お気になさらず。……では、執務室に書類を用意してありますので」
 そっと懐中時計を見てみると、予定の時刻の二分前だった。映姫が来るのが早すぎたわけではなく、ばたばたしている間に休憩できるはずの時間が潰れてしまっていたというわけだ。だが決して悪いことではない。お燐やお空といっしょにいた時間で、気分はすっかりリフレッシュされていた。小説ならまたいつでも書ける。これはこれで有意義な時間を過ごせたのかもしれないと、さとりはひとり苦笑した。
 執務室に着いて映姫をソファに座らせると、さとりは紅茶を淹れながら言った。
「毎度わざわざご足労いただかなくても、書類でしたらこちらからお持ちしますのに」
「ええ、まあ、書類のこともありますが、地霊殿の様子もこまめに見ておきたいですから」
 映姫は、出された紅茶をさっそく口に運んだ。
【地霊殿というより、外に出られないさとりさんの様子を】
 あら、と首をかしげた。確かに出不精ではあるが、そこまで言われるほど籠もりきりというわけでもない。さすがに地上にまで出ることはないが、地霊殿の主という立場上、地底の各所を訪れることはよくある。先日も――直近でいつどこに行ったのかは覚えていないが、とにかく、そんな引きこもりのように言われるのは心外だった。
 業務報告はすぐに終わった。それもそのはず、毎週毎週たいした問題など起こってはいないのだ。極端に言えば、異状なしのひと言でも事足りる。正直なところ、こんな大袈裟な書類の必要性など大いに疑わしいと思っているのだが、そんなことをこの四季映姫ヤマザナドゥの前で口に出せるはずもなかった。
 仕事の話が済んでしまうと、まだろくに量を減らしていなかった紅茶と焼き菓子に引き留められるように、他愛もない雑談へと移っていった。
「――ですけど、私とお空だけはものすごく朝が弱いんですよねぇ。お燐に叩き起こされることもしょっちゅうで」
 笑いながらクッキーを口に入れかけて、しまった、とさとりは手を止めた。自分のだらしない部分をみずから口に出すなど、映姫の前では自殺行為に等しい。ここぞとばかりに雑談は説教へと変貌し、あとはもうひたすら首をすぼめて、言葉と時間が頭上を通り過ぎていくのを待つ羽目になるに決まっているのだ。
 今回は何十分コースだろうか――さとりは半ば覚悟を決めていたが、今日の映姫はいつもと様子が違っていた。失言にも気の入らない愛想笑いを返すだけで、どうにも別のことに気を取られているようなのだ。説教を免れたことにはほっとしたが、同時に気味悪くもあった。なにやら映姫は、本題を切り出すタイミングを計っているようでもある。
 他ならぬ映姫にこんな様子を見せられては、落ち着きが悪くてしかたがない。失礼かとは思ったが、心を読んで先手を打ってしまうことにした。
「『地霊殿から出て、少し散歩でもしませんか』――と」
 いつもなら容易には感情を表に出さないはずの映姫の顔が、少しこわばった。やはりまずかっただろうか。しかしその程度のことならば、そんなにもったいぶらず普通に言ってくれればいいのに、とも思う。
「四季様がそう仰るならば、ご一緒しますよ」
「そ、そうですか」
「では、お茶の片づけだけさせてくださいね」
 菓子皿とティーポット、カップを手早くトレーに乗せていく。自分が使っていたカップを持ち上げた際に、残っていた紅茶が少しこぼれて手にかかってしまった。ハンカチを取り出そうと服のポケットに手を入れて――何か、違和感のある手ざわりに気づいた。
「あら、紙?」
 引っ張り出してみると、かなり厚手の紙だった。しかし妙なことに、いつどこでポケットに入れたものか、まるで記憶にない。
 手から少しはみ出す程度の大きさで、白くて分厚い丈夫な紙、というよりカードのようなものが、三枚握られていた。よくよく見てみると、いずれも黒で太めの文字が書かれている。内容は――
 どん、と部屋が揺らいだ。次いで、廊下を慌ただしく駆ける足音。執務室のドアが派手に開かれた。
「さっ、さっ、さっ、さとり様ー!」
 転がり込んできたのは、お燐だった。
「お空が寝ぼけて、壁に大穴を開けちまいましたー!」
「まあ、大変」
 すがりついてくるお燐の頭をなでながら、さとりは映姫に顔を向けた。
「どうやら今日は、お散歩にお付き合いする暇がなくなってしまったようです」
「……そうですか」
「申し訳ありませんが、またの機会に」
「わかりました。では今日のところはこれで」
 映姫はソファから立ち上がった。執務室を出て行くときの横顔は、らしくもなく思い悩んでいる様子だった。
【くそ、これで何度目だ】
「……?」
 心の声の意味は気になったが、今はそれどころではない。さとりはお燐に手を引かれ、小走りでお空の部屋に向かった。



 一週間後、また映姫が地霊殿に訪れた。
 このところ毎週だ。さとりなどとは比較にならないほど忙しいはずの閻魔が、大した内容もない毎週の報告書類を受け取るために、わざわざ地霊殿に足を運ぶ。無駄を好まないはずの閻魔が、仕事上の話が終わった後も、しばし雑談で居座ろうとする。
 よほど自分に問題があるのだろうか。さとりは自省してみたが、これといって思い当たる節はなかった。自分も、地霊殿も、もちろん文句なしの優等生とは言えるはずもないが、かといって灼熱地獄跡の管理に支障を来すような問題を抱えているわけでもない。推測だけでは、映姫の意図は読むことができなかった。
「『地霊殿から出て、少し散歩でもしてみませんか』――と」
 心を読んで、口に出して言ってみた。映姫は少し顔をこわばらせた。
「四季様がそう仰るならば、ご一緒――」
「その前に」
 容赦なく言葉をさえぎって、映姫はスペルカードの束を取り出した。
「弾幕ごっこをしませんか」
 本気だった。
 珍しい、どころの話ではない。さとりの知る限り、映姫はたわむれに弾幕ごっこを嗜むような性格ではなかった。妖精や、白黒魔法使いとはわけが違うのだ。何かよほどの理由があるはずだった。
「私が勝ったら、」
「『散歩に付き合ってもらいますよ』? そんなの、わざわざ弾幕ごっこをするまでもなく、普通に付き合うつもりですが」
「いいから始めましょう」
「気が向きませんね。そんな――」
「問答無用!」
 さとりが身構えるのも待たず、審判『十王裁判』が宣告された。こうなってしまえば、もう応じるしかない。さとりにもささやかなプライドというものがあるのだ。こんなわけのわからない勝負を仕掛けられて、意味もわからず敗北を味わわされるのは、どうにも納得がいかない。ならば、ここは勝つしかなかった。
 映姫の実力を考えれば、手加減は無用どころか即座に敗北を招く。遠慮なく、最初から全力で弾幕を放った。
「――あら?」
 空間をほとんど埋め尽くすほどの弾幕を張った、つもりだった。だが、意外にも視界はきれいに開けている。粉雪が舞うのとさほど違わないくらいで、その向こうから押し寄せてくる映姫の弾幕が、嫌になるほどはっきりと見て取れた。
 手を抜いているわけでもなく、本当に全力のつもりだったのに、さとりの弾幕は密度も弾速も明らかに物足りない。こんなものでは牽制にすらなるはずもなく、たちまち守勢に回らされた。
 このままではすぐに押し切られてしまう。なんとか弾幕密度を上げようと、もともと大して考えていなかったスタミナ配分も完全に頭から放り出して、より多くの力を注ぎ込んでいった。が、変化はない。相変わらずスカスカのままだ。どころか、
「えっ――」
 開始から何十秒も経っていないのに、さとりの弾幕は逆に弱まり始めた。弾の数は減り、サイズは小さくなり、弾速は落ち、軌道は単調になってくる。呼吸の乱れからもわかるように、早くも体力が尽きかけているのだった。
 身体的な貧弱さは自他ともに認めるところだとはいえ、いくらなんでも早すぎる。体調でも悪いのか。確かにこのところ、体が重く感じることが多かったのだが、まさかこれほどとは思ってもいなかった。
 もはや防戦一方だ。そして、最後の抵抗もたやすく押し切られようとしていた。
「……虚言『タン・オブ・ウルフ』」
 弾を何発も身に受け、さとりは倒れた。映姫のスペルカードは、まだ半分を優に越える数が未使用のまま残っていた。
「参りました」
 映姫に手を引っ張ってもらって、なんとか立ち上がった。ダメージは軽かったが、疲労のせいで足腰が立たなかった。体調が悪かったにしても、さすがにこれはひどい。老婆になってしまったようだと、さとりは心の中で自嘲の笑みを浮かべた。
「では、散歩に付き合っていただきましょうか」
「最初からそのつもりですけどね」
「行けますか」
「ええ、でも、お燐に声をかけておかないと。少し出かけてきます、と」
 さとりのスカートについた埃を払いながら、映姫は表情を曇らせた。
【無意味、というより、無理だけど】
 何が無理だというのか。内心では首をかしげつつも、さとりは執務室を出た。
「お燐、いますか」
 やや上向き加減に、大きめの声で呼びかける。お燐は耳がいいので、声の小さいさとりがさほど声を張り上げなくても、たいていはこれくらいで駆けつけてくれるのだ。が、今回は少し待っても反応がなかった。となると、灼熱地獄跡で作業中なのかもしれない。
「お燐」
 灼熱地獄跡を覗いてみた。いない。ということは、死体の調達に出かけているのだろう。
 お空も見当たらないので、また地霊殿に戻ってみる。
「お空。こいし。誰かいませんか」
 建物内をひととおり歩き回ってみたが、誰もいなかった。さとりはため息をついて、ずっと後ろをついてきていた映姫に肩をすくめてみせた。
「仕方ありませんね。書き置きだけ残しておくことにします」
 映姫は苦い顔で、ひとつうなずいた。



「少し散歩、どころではないですね」
 予想外の遠出に、さとりは少しばかり非難の意を匂わせた。せいぜい旧地獄の中をぶらつく程度だろうと思っていたのだが、実際にはもう地上にまで出てきていたのだ。
 映姫は真面目くさった顔のまま、小さく頭を下げた。
「すみません、時間をとらせてしまって」
【でも、さとりさんには必要なことだから】
「私に、必要なこと?」
 訊ねても、映姫は応えずに前を向いて歩いた。
「さあ、着きましたよ」
 魔法の森にさしかかって、ようやく映姫は足を止めた。目の前には、こぢんまりとした家屋がひっそりと佇んでいる。純西洋の洒落たデザインではあるが、壁のひび割れから雑草が顔を覗かせていたりと、うらぶれた雰囲気が漂っていた。
 映姫がドアノッカーを軽く鳴らす。意外にも、ほぼ間を置かずに応じる声が返ってきた。聞き覚えのある声だった。
「また来たの――あら」
 開いたドアの向こうにいたのは、魔法使いにして人形遣い、アリス・マーガトロイドだった。
【サトリ妖怪なんて連れて、どうしたのかしら】
 それは、さとりが訊きたいくらいだった。ただ、どうやら映姫はこのアリス宅にもよく足を運んでいるらしい、ということはわかった。
 アリスのことは、まるで知らないわけではない。何度か顔を合わせたことはある。だが逆に、べつだん親しくしているというわけでもない。何やら含むところのありそうな映姫を間に挟んで、気まずさはお互い様のようだった。
「まあいいわ、入ってよ。先客がいるけど」
「先客?」
 首をかしげるさとりに、アリスは大きく息をついてみせた。
「図々しくて厚かましい奴が二人、ね。入り浸って困るのよ」
 そんなはずはない。小さな家なのだから、中に誰かいれば多少なりとも心の声が聞こえてくるはずだ。だが実際には、話し声も心の声もまるで聞こえてこない。ならば嘘をついているのか。いや、そうではなかった。アリスは本当に心で思ったとおりのことを言っていた。
 いくぶん混乱しながら、促されて中に入る。先に立つアリスが、ぱんぱんと手を打ち鳴らした。
「はいはい、あんたら、席つめて。それか帰りなさい」
 すぐそこに誰かいるかのような口ぶりだ。とはいえ、やはりこれといった気配は感じない。リビングの中の様子はどうなっているのかと、アリスの肩越しに覗いてみて――さとりは、危うく尻餅をつくところだった。テーブルに着いた二つの人影が、確かにそこにあったのだ。
 博麗霊夢と、霧雨魔理沙。
 こんな近くにいて、なぜ心の声が聞こえなかったのか。考えて、二秒もかからず答えは出た。本物ではなく、人形だからだ。ぱっと見だけでなく、まじまじと見てもなかなか作り物だとはわかりそうにないほどに外見は精巧に作られていたが、あくまで魂は空っぽだ。サトリ妖怪にかかれば、見破るのはわけもないことだった。
『おう、これは珍客だな』
 魔理沙が――魔理沙人形が、軽く右手を上げて言った。その対面にいた霊夢人形が、腰を浮かせて魔理沙人形の隣に座りなおし、空いた席を指さした。
『突っ立ってないで、あんたらも座りなさいよ。遠慮せず』
「霊夢は少しくらい遠慮したらどう? まるで自分の家みたいな顔して」
 アリスは皮肉たっぷりの声で言って、紅茶の用意に取りかかった。といっても、手のひらサイズの人形を二体操ってキッチンに向かわせたのだが。
『じゃあ私、アリスと結婚するわ。そしたらここは私の家でしょ』
『お、霊夢、頭いいな。じゃあ私も。重婚だけど、よろしく頼むぜ』
「アホなこと言ってると、本当に叩き出すわよ。――あ、あなたたちは気にせず座って。こんなアホどもと相席で申し訳ないけど」
 なんとも、異様な光景だ。
 席に着くと、さとりは隣の霊夢人形と対面の魔理沙人形を、間近で観察した。見れば見るほど、よくできている。
 目や鼻や口の形、大きさ、位置。瞳の色、唇の色。肩の曲線、手の甲に透ける血管、見えるか見えないかといった程度の産毛。加えて、動作のことごとくが本人たちの特徴を完璧に再現していた。クッキーをつまむ指先の動き、紅茶を飲むときの首の傾き、頭を掻くときの肘の角度、視線の動きやまばたきの頻度。さらには服に隠れた部分――背中や腹や胸や腿や恥部も、皮膚感まで含めてすべて実物に忠実に作られているに違いなかった。そうでなければ、これほどのリアリティは生まれない。そこに常識はずれの人形操作技術があわさって、二体の人形をまるで生命が宿っているかのように見せているのだ。
 声だってそうだ。おそらくは霊夢と魔理沙の声紋を再現した内蔵音源を、いかにも本人たちが言いそうな文章に組み立てて、声の大きさや喋る早さ、微妙なイントネーションに至るまで事細かに調整し、なんら違和感のない台詞に仕上げている。
 だが、ただそれだけならば感嘆して終わりだ。そうではなく、さとりがこの光景を異様だと感じる原因――それは、これほど複雑にして精密な人形操作を完璧に行いながらも、自分が人形を操っているという事実に、当のアリス自身が気づいていないことだった。いや、そもそも霊夢と魔理沙が人形であるということ自体に、まったく気がついていないのだ。
「それで、」
 アリスは映姫と魔理沙人形の間に入って、別の部屋から上海人形だか蓬莱人形だかに持ってこさせた簡素な椅子に腰かけた。決して広くないリビングで小さな正方形のテーブルを五人(三人と二体)で囲むという、なんとも窮屈な状況になった。
「今日はどんな用件で?」
「いえ、用件というほど大層なものではないのですが」
 砂糖も入れず紅茶に口をつけて、映姫は答えた。
「地上と地底との交流も盛んになってきたことですし、地霊殿の主であるさとりさんにも、地上の人妖と顔をつないでおいていただいたほうがいいと思いまして」
「それでうちに連れてきた、と」
【へえ、閻魔様がねえ】
 あからさまに訝る心の声を、アリスは表情に出さなかった。しかしさとりは、胸の中だけで小さくうなずいた。映姫の言動を奇妙に思っているのは同様だったからだ。
『そんなこと言って』
 魔理沙人形は下品な笑みを浮かべ、身を乗り出してきた。
『実はアリスを狙ってるんだぜ、性的な意味で』
「ひとをレズ扱いするのはやめなさい」
 アリスは魔理沙人形の脇腹に肘を食い込ませた。魔理沙人形は青白い顔で背中を丸めた。
『アリスったら人気者ね、性的な意味で』
 言った霊夢人形の脛を、アリスはテーブルの下で蹴りつけた。霊夢人形は目を見開いて、手に持っていたクッキーを取り落とした。
 茶番だ。人形は動作も発言も、すべてアリスによって操作されている。しかし当のアリスは、そのことにまるで気がついていない。隣を見てみると、映姫が苦い視線を返してきた。
 異様な空気に中てられて、吐き気がこみ上げてきた。少しでもましになるかと紅茶を口に含んでみたが、入れすぎた砂糖の甘味で余計に気持ち悪くなっただけだった。



 結局、さほど長居はせずにアリス宅を辞去した。
 しばらくの間、無言で歩いた。森を出たところで、ようやく映姫が口を開いた。
「どうですか、アリスさんと会った感想は」
「……狂ってる」
 取り繕うこともないと思って、率直に答えた。
「あれは演技とか悪ふざけとかそういうものではなく、本気で狂っていました」
「ええ」
「本人たちが――霊夢さんや魔理沙さんが見たら、どう思うんでしょうね」
「…………」
 言葉の代わりに、奥歯の軋む音が返ってきた。
【効果なし、か】
「え?」
「あの二人は」
 振り向いたさとりの視線など無視するかのような調子で言って、映姫は立ち止まった。帽子を脱いで、青い空を見上げる。
「亡くなりましたよ。五年前に」
「あら、そうなんですか」
 さとりも立ち止まって、視線を上げた。そのまま首をひねる。
 霊夢といえば、幻想郷における最重要級の人物だ。魔理沙にしても、妖怪たちの間でもなにかと話題に上ることが多い。そんな二人が亡くなったという情報が、五年もの間、耳に入らずにいるなどということがあるだろうか。仮にも地霊殿の主という重責を担っている身だ。部屋に籠もることが多いとはいえ、世間から取り残されているつもりはない。このところ地上に遊びに行くことが多くなったお燐やお空、それにこいしも、見聞きした生の情報を届けてくれている。
 それに、もう一点。さとりが霊夢や魔理沙と知り合ったのは間欠泉異変のときだ。あのときから数えてみても、五年も経っているだろうか。ほとんどルーティンワークばかりの生活で歳月の感覚は曖昧になっているが、それでも、五年も経っているとは思えなかった。
「信じられませんか」
 言われて、さとりは思わず目を泳がせた。心を読めるサトリ妖怪であるがゆえに、逆に胸中を言い当てられると動揺してしまう。
「ならば、行ってみましょうか。博麗神社に」
「今からですか」
「そうです。これは、ヤマザナドゥとしての命令です」
「はあ」
 そろそろ、地霊殿のことが気になって仕方がなくなってきていた。自分抜きで、仕事はちゃんとこなせているのだろうか。お燐は無事に戻っているだろうか。お空はまたゆで卵を食べすぎてはいないだろうか。こいしは書き置きにも気づかず、珍しく部屋にいない姉のことを探しまわってはいないだろうか。ペットたちは――。
 だが、閻魔の命令とあれば従わないわけにもいかないだろう。
「わかりました、ヤマニンザナドゥ様の仰るとおりに」
「……ヤマザナドゥです」
 慣れない冗談を言ってみたつもりだったが、映姫は口の端を緩めもしなかった。



 鳥居が見えてきたあたりで、なにやら掛け声が聞こえてきた。幼さを多分に残した声が二つ。ひとつはそれなりに鋭く、ひとつはどうにも締まらない。
 境内には人影が三つあった。ひとつは、紅白で腋出しの巫女装束に身を包み長い黒髪の頭頂部に大きなリボンを鎮座させている。霊夢――ではない。似ているが、霊夢よりも幼かった。
 紅白巫女と弾幕を撃ち合っているのは、人型の妖獣。猫のような耳に、黒くて長い尻尾が三本生えていて、しなやかな動きも猫を強く連想させた。
 それを腕組みで見守る、長身の妖獣。あまりに大きな存在感を放つ九本の尻尾には、見覚えがあった。スキマ妖怪の式、八雲藍だ。
「精が出ますね」
 映姫が声をかけると、藍は振り向き、当たりのいい笑みを浮かべて小さく会釈した。それから幼いふたりに向き直って、ぽんぽんと手を叩いた。
「そこまで。休憩だ」
 弾幕が消えたのを見届けて、藍はこちらに寄ってきた。
「待ちわびたよ、さとりさん。五年間ね」
 意味がわからず、さとりはちらりと視線を映姫に送った。藍は、あれ、と頭を掻いた。
「まだ、あまり説明できていないんですよ」
 申し訳なさそうに映姫が言うと、ああ、と藍は曖昧な声を漏らした。
 微妙な空気のまま、しばし立ち尽くす。そこに、幼いふたりが汗を拭きながらやってきた。
「このひとが、さとりさんですか」
 猫の妖獣が訊ねた。藍はそうだとうなずいて、猫の妖獣の頭に手を乗せた。
「私の式神の、橙」
「ああ、話に聞いたことはあります」
 橙はさとりよりも少し背が低かった。上目遣いで耳をひくひくと動かす様子が、動物好きの目にはたまらなく魅力的に映る。さとりは知らずと頬を緩めていた。
「かわいらしいですね」
 思わず声も弾む。見たまま、感じたままのことが口から出た。が、その言葉が、言われたほうにしてみれば気に障ったようだ。途端に橙は口を山型にねじ曲げ、顔を背けてしまった。
【かわいらしい、だって? この八雲橙に向かって、失敬な!】
 どうやら自尊心を傷つけてしまったらしい。一人前の扱いをされたいという欲求と、そのためにはまだ自分は未熟であるという自覚。持て余した葛藤に手を触れられて、自然と反発する気持ちが噴き出したというところだ。
 そういうところが余計にかわいらしく見えたが、さすがにそれは口に出さなかった。
「それから、この子は博麗霊羅。当代博麗の巫女だ」
 橙の背中に半ば隠れるようにして、霊羅はさとりの様子を窺っていた。
【さとりさんって、心を読めるっていう、あのサトリ妖怪だよね。どうしよう。わたしってばドジでバカだから、頭の中でものすごく失礼なこと考えちゃうかも】
 そういう思考自体が読まれているということに、まるで思い至っていないようだ。どうやら霊夢とは、いろいろな面でかなり違うらしい。
 藍が助け船を出すように、霊羅の肩を叩いた。
「橙といっしょに、お茶を淹れてきてくれないか」
「あ、はい」
【よかったぁ。さとりさんに見られてると、何言っていいかわかんないし、息が詰まりそうだよ】
 橙を急かし立てながら、霊羅はそそくさと台所に向かっていった。見送ってから藍は、さて、とつぶやいた。
「霊夢の姪にあたる子だよ。わずか四歳で博麗の巫女を継いで、今でもまだ九歳だ。といっても、人間の年齢のことはさとりさんにはわかりづらいかな」
 藍はゆるゆると歩いて、縁側に腰かけた。さとりは映姫に背中を押され、ふたりに挟まれる形で座った。
「急だったからね。四歳の子供には酷だとは思ったけれど、誰かを巫女にしなきゃならなかった。そして、他に適格者はいなかった」
 藍は草履を脱ぎ、胡座をかいて続けた。
「才能としては、あるような、ないような。霊夢が才能の塊だったから、比べてしまうとどうしても、ね。ただ、本当に真面目な子だ。泣き言も吐かず修行に明け暮れて、弾幕も結界も少しずつモノになりつつある。この調子で育ってくれれば、問題なく仕事を任せられるようになるだろう」
 天に向かって、藍は深く息をついた。よくよく見れば、頬から顎にかけてのラインがいくぶんほっそりとしたようにも感じる。うっすらと疲労の堆積したその横顔に、さとりは訊ねた。
「さきほど、橙さんの心を読んでしまったのですが」
「うん?」
「自分のことを『八雲橙』と呼んでいました。八雲性は――」
「ああ……。大異変が終わってすぐの頃から、八雲を名乗らせている」
「紫さんが認めたのですか」
「……えーと」
 藍は映姫に、責めるような視線を向けた。ぜんぜん話が通じていないじゃないか、と。映姫が目を伏せたまま何も言わないので、藍が腕組みをして答えた。
「紫様は、五年前の大異変で亡くなった」
「はあ」
「その直前に能力と役割を受け継いで、以来、私が大結界を管理するスキマ妖怪になった」
「そう、ですか」
「その後すぐ、橙に八雲性を授けた。正直なところ、まだ早いと思っていたんだが、そんなことを言っていられる状況ではなかったからな。まあ結果としては、一日も早く八雲の名に相応しい妖怪になろうと修行に励んでくれているようだから、これで良かったのかもしれないが」
 なんということか――霊夢だけでなく、紫までもが死んでいた。つまり、五年前の大異変とやらで幻想郷が消滅していても、何の不思議もなかったというわけだ。なのにさとりは、今の今まで何も知らずにいた。わけがわからなかった。
 話が途切れたところに、遠慮がちな足音が近づいてきて、止まった。
【みんな難しそうな顔してるけど、いま行って大丈夫かな】
 振り向けば、不安げな顔をして霊羅が立っている。さとりはやわらかく笑いかけてやった。
「ありがとう」
「え、あ、はい」
 お茶を出し終えると、霊羅はそそくさと姿を消した。
「さぁて、と」
 藍はお茶に口もつけず、組んだ両手を思いきり上に伸ばしながら言った。
「どこから、どう話せばいいものやら。というより、どこまで話が進んでいるのか私は知らないんだから、あとは映姫さんから頼むよ」
「……そうですね。では、私からお話ししましょうか」
 湯飲みを手に映姫は話し始めたが、普段の彼女の話し方とはまるで違っていた。歯切れ悪く、単語をひとつひとつ迷いながら選んでいるようで、蝸牛が這うような速度でしか話は進んでいかなかった。
 何者かが、密かにスペルカードルールの改竄を行った――それが、五年前に起きた異変の内容だった。正式名称『スペルカードルール改竄異変』、しかし単に『大異変』と言えば普通はこれのことを指す。
 八雲邸に保管されていたスペルカードルールの規約書が、いかなる手段によってかはわからないが、いつの間にか改竄されていた。しかもご丁寧に、再修正を禁止する術式を施されて。
 藍が改竄を発見した直後、おそらくは犯人によって、規約書の写しが幻想郷のいたるところにばら撒かれた。鴉天狗の新聞記者たちも余計なジャーナリズム精神を発揮し、規約書改竄の事実とその内容を広く伝えてまわった。結果、数日のうちに新ルールはあまねく幻想郷住人の知るところとなった。
 こうなると、いまさら隠蔽できるはずもなかった。すべての決闘は、従来のスペルカードルールを発展させた新ルール『ノーロープ有刺鉄線電流爆破バレットヘル』に則って行わなくてはならなくなったのである。
 規約書に施された術式は、紫と霊夢の力を合わせても破ることができなかった。つまり再修正のためには、この危険極まりない新方式の弾幕ごっこを戦い抜き、首謀者を捜し出して倒さなければならないということだった。そして当然ながら、異変とは関係ないちょっとした弾幕ごっこも、例外なく新方式で行われることとなった。
 悪夢のようなルールだった。なにしろ、前後左右上下の全面を、抜け穴もない有刺鉄線に囲まれて弾幕ごっこを行うのだ。少しでも触れれば電流爆破のダメージを負うことになる。人間であれば一度の被弾がほぼ即死につながったし、妖怪といえども数度の爆破を受ければ死は免れなかった。
 わずか数日のうちに、多くの人妖が命を落とした。
 責任を感じた紫は、率先して首謀者探しの戦いに赴き、内臓が飛び散るほどの大怪我を何度も負って、最後には能力を藍に託して死んだ。
 その三日後、規定書に施された術式が勝手に解けていた。藍は直ちに中身を書き換え、元のスペルカードルールへと戻し、幻想郷中に公布した。
 結局、首謀者が誰であったのかはわからなかった。弾幕ごっこで命を落としたのかもしれないし、途中で異変を放棄したのかもしれない。いずれにしても、首謀者がわからない限りは、異変を起こした目的も憶測で語ることしかできなかった。スペルカードルールに守られた決闘を真剣さに欠ける形ばかりのお遊びと捉え、妖怪たちが精神的に牙も爪も失ってしまうのではないかと案じての行動だったという見方が最も確からしいように思えたが、単に命のやりとりを求める戦闘狂の仕業である可能性も充分に考えられた。
 それはともかくとして、多くの人妖が命を落とした。それだけが確かな結果として残った。
 親友と従者を失ったことで、レミリア・スカーレットは気が触れて地下室に閉じこもった。紅魔館は現在、当主代理フランドール・スカーレットの下、なんとか体面を保っている。
 魂魄妖夢は半人部分が死滅し、半霊だけの存在になった。変わらず西行寺幽々子に仕えてはいるが、刀も包丁も持てなくなったとあって、いろいろと不便で困っているようだ。
 周囲との交流を深めつつあった永遠亭は、鈴仙優曇華院イナバと因幡てゐの死によって、孤立へと大幅に逆戻りした。だが最近になって、道案内なしでも迷いの竹林を抜けられるよう患者用の林道を開いたことにより、再び交流を取り戻しつつある。
 亡くなった上白沢慧音の代わりとして、藤原妹紅が人里の守護者を買って出た。ただし人里の人間たちはこの得体の知れない不死者を煙たがり、なかなか気を許そうとしないらしい。
 八坂神奈子と洩矢諏訪子は融合して一つになることで、なんとか存在を維持することができた。今は一から信仰を集めなおしているところだが、神としての力に覚醒した東風谷早苗は逆に風祝としての適性を損ない、営業活動は難航している。
 雲居一輪の死後、寅丸星が雲山を引き取った。が、あろうことか、三日後に星は雲山を無くしてしまった。ナズーリン亡き後では捜索もままならず、五年が経った今もなお行方は知れないままだ。
 多くの人妖が命を落とした。計り知れないほどの大きな傷を心に負いながら、それでも大半の者は新しい時代のために、己の責務を全うしようと歩きはじめている。ただ、やはり中にはいまだ立ち直れずにいる者もいた。
「そのうちのひとりが、アリスさんなのですね」
 さとりが言うと、映姫は湯飲みを置き、うなずいた。
「本来の彼女は、非常に聡明な魔法使いです。あの知性と能力があれば、きっと大いに幻想郷の役に立ってくれるはずなのですが……」
「あの状態ではどうにもならない、と」
「はい。もちろん私たちも、ただただ時間に任せて放っておくのではなく、いろいろと手は考えています」
「そう! 我々の切り札、それは、さとりさんの力なんだ!」
 話に合わせてうなずくことに徹していた藍が、いきなり大きな声をあげた。さらにそれだけでは足らず、手のひらを膝に、尻尾を床板に叩きつける。
「私や映姫さんの声では、アリスたちには届かなかった。でも、さとりさん、あなたならできるはずだ。サトリの能力を持ち、地霊殿のペットたちをまとめ上げていた、あなたなら!」
 藍は身振り手振りを交えて、堰を切ったように力説を始めた。――だが、その内容はひとつも届いてこなかった。さとりの意識からは音がことごとく遠ざかっていき、ただ藍の言葉の一部分だけが、閉所で反響するかのように繰り返された。
『地霊殿のペットたちをまとめ上げていた、あなたなら』
『ペットたちをまとめ上げていた、あなたなら』
『ペットたちをまとめ上げていた』
『まとめ上げていた』
 なぜ、過去形?
 首筋に爪を立てて掻きむしりたくなるほど、妙に気になった。とはいえ、こんな言葉の端の部分など、さほど気にする必要はないのかもしれない。普通に考えれば、言った本人でさえ気づいていないような、しょうもない言い間違いに決まっている。
 さとりが心の中で結論づけるのと同時に、体当たりをされるのかと思うような勢いで、藍に両手を握られた。
「大異変の犠牲者たちに胸を張って見せられるような、そんな素晴らしい幻想郷を、我々の手で取り戻そうじゃないか!」
 鼻息が、さとりの前髪をなびかせる。しっかりと握られた手を払いのけるわけにもいかず、ただ息苦しさに顔を伏せた。
「猫の手も――と言うのは、橙さんに失礼ですね。とにかく、幻想郷が大変な状況にあって、ひとりでも多く協力者が欲しいというのは、痛いほどよくわかりました」
「ああ、恥を承知で認めるよ。私ではまだまだ力不足だから、みんなに助けてもらわないとどうにもならない」
「ですが、」
 目を合わさずに、さとりはそっと藍の手を解いた。
「なんというか――頭の中が、まだぜんぜん整理できていない。あなたがたの教えてくださった今の状況が、なんだか夢の世界の話のようで、現実味をもって認識できないんです」
「それは……」
「この五年間、私は何も知らず、ぬくぬくと幸せに暮らしてきました。大異変以前と何も変わらないまま、妹とペットたちに囲まれて。ですから、いきなり話を聞かされたところで、まるで実感が湧かない。ひとまず地霊殿に帰って、みんなと相談しながら、数日間ゆっくりと考えさせていただけませんか」
「え、いや――」
 戸惑いもあらわに、藍は口を噤んだ。おいおいどうなってるんだ、とさとりの頭越しに映姫を睨む。
 深く息をついて、映姫が無言で立ち上がった。さとりの真正面に立つと、いつも以上に真面目くさった顔で、両肩をしっかりと掴んできた。
「すみませんが、まだ地霊殿に帰らせるわけにはいきません」
【せっかく連れ出すことに成功したんだから】
「え? どういう――」
「大異変の後、今日の今日まで私たちがさとりさんを除け者にしていたとでも思っているのですか」
「いえ、そんなことは」
「そう、そのとおり。私は大異変とその後の状況について、何度もあなたに話して聞かせました」
「……え?」
「ですが、あなたの頭にも、心にも届かなかった。私の声はあなたの耳を素通りして、すべてどこかへ行ってしまいました。そしてそのうち、この話をすることすらできなくなりました」
「え?」
 わけがわからない。どういうことなのか――意味を考えようとすればするほど、頭の中は濃い霧に包まれて真っ白になっていった。
「だから、今日はまたとない好機なのです。今日、私は地霊殿であなたを弾幕ごっこに付き合わせましたね。どうしてかわかりますか」
 わけがわからない。考えることすらできなかった。
「疲れさせて、一時的にスペルカードを維持できなくさせるためです」
 意味がわからない。頭が潰れそうなほど痛い。
「あなたの服の、そのポケット。中身を出してみてください」
 映姫はさとりの右腰あたりについたポケットを指さした。出せと言われても、こんなところには何も入れて――あった。厚くて丈夫そうな紙が、三枚。
「さあ、読んでみてください。そこに何が書かれてあるのか」
 読めない。何か文字が書かれているのはわかるが、どんな内容が書かれているのか、それは霧で包まれたように認識できない。
「わかりませんか。ならば仕方ないですね、私が代わりに読みましょう」
 いや、やめて。知りたくなんかない。
 ――私はまだ、何も知らないままでいたい。
「そこには、こう書かれていますよ」
 言わないで。
 知りたくないのに。
 思い出したく、ないのに。



 想起『火焔猫燐』

 想起『霊烏路空』

 想起『古明地こいし』



「あ……ああ……」
 映姫に読み上げられると同時に、手に持った三枚の紙――スペルカードに記された文字が、意味をもって頭の中に流れ込んできた。それとともに、五年間ずっと目を逸らし続けてきた地霊殿の現実も。
 お燐は死んだ。お空は死んだ。こいしも死んだ。有刺鉄線電流爆破の餌食になって、黒こげの穴だらけで死んだ。
 さとりも瀕死の重傷を負って、長らく昏睡状態にあった。三ヶ月も経ってようやく目を覚ましたとき、ペットは誰も残っていなかった。多くは有刺鉄線電流爆破で散り、生き残りの一部は地霊殿を去り、残った者はみな餓死していた。
 ひとりきりになった地霊殿の中で、さとりは屍同然に時を過ごした。自室のベッドに横たわったまま、何日間も体を起こすことすらせず、天井を見るともなしに眺め、少しまどろんではすぐ目を覚まし、床にはうっすらと埃が積もり、そのうち時間の感覚がなくなって、夢と現の区別もつかなくなってきたころ、夢枕にこいしが立った。いや、夢なのか幻覚なのか、はっきりとはわからなかったのだが、ともかく混濁した意識の中でこいしの姿を見た。
 ――私たちは、そこにいるよ。
 こいしはさとりの第三の目を指先でつつきながら笑い、消えた。
 さとりは跳ね起きた。己の心音と息遣いだけが荒々しく鳴り響く薄暗い室内で、急速に頭が冴えてくるのを感じた。第三の目を限界まで見開き、テーブルの上にあったスペルカード原紙を三枚引っつかんで、高々と掲げた。躊躇の欠片もなく想起のスペルカードを発動すると、一瞬光に包まれた後の室内には、さとりの他に三つの人影が佇んでいた。さとり自身の記憶を呼び覚まして、記憶の中のお燐を、記憶の中のお空を、記憶の中のこいしを具現化したのだった。
 最初のうちは、完璧には程遠かった。外見こそ比較的精巧に再現できていたが、言動の面で本物と乖離した部分が多々見られたのだ。本物のお燐は、部屋の中で猫車を押したりしない。本物のお空は、ゆで卵を殻ごと食べたりしない。本物のこいしは、汗こきを粗雑に扱ったりしない。さとりは妖力を湯水のように注ぎ込んで、そういった相違点をひとつひとつ修正していった。そうしてひと月も経たないうちに、ほぼ違和感のない状態にまで仕上がった。
 再び訪れた日常。茶番と知りつつも、狂気じみた安らぎから逃れることはできなかったし、逃れる気もなかった。そうして茶番を続けるうち、さとりは自分が想起のスペルカードを使用しているという事実を、すっかり忘れてしまった。作り物の地霊殿を、本物だと思い込んでしまった。
「さとりさんのスペルカードには苦しめられましたよ」
 映姫はため息をひとつ挟んで、続けた。
「私が地霊殿を訪れて話をしようとしても、必ず途中でお燐さんやお空さんやこいしさんが邪魔をしてきて、まともに話ができませんでした。ならばとさとりさんを地霊殿の外に連れ出そうとしても、お空さんが騒ぎを起こして、お燐さんがあなたに泣きついて、こいしさんがかき回して」
 その光景は、ありありと目に浮かぶようだった。それはさとりの中に存在する地霊殿をそっくりそのまま具現化したものであり、つまりある意味ではかつて現実に存在していた地霊殿よりもさらに、さとりにとっては現実味を持ったものだった。
「力ずくで強引に連れ出そうともしましたが、無理でした。業火に投げ込まれそうになったり、核兵器で吹き飛ばされそうになったり。さすがに身の危険を感じて、諦めました」
 そうまでしてさとりは、無意識のうちに、現実から目を逸らし続けていたかったのだ。
 さとりはアリスのことを、狂っていると言った。自分自身が狂っているなどとは、露ほども思わずに。壊れた人形遣いの姿に嫌悪感を抱き、同時に哀れんでもいた。自分自身が映姫に哀れまれているなどとは、露ほども思わずに。
「大異変でとりわけ大きな損害を被ったのは、地霊殿でした。残されたさとりさんが心に負った傷は、誰よりも深かったと思います。ですが――辛いでしょうが、そろそろ現実を受け入れなければ」
 映姫はひとと話すとき、それが大事な話であればあるほど、じっと相手を正面から見据えたまま、目を逸らさずに話す。今は、その圧迫感が耐えがたいものに感じられた。息をひとつするにも、肺を握りつぶされるような息苦しさが胸にまとわりついてくる。
 たまらず、視線は手元のスペルカードに向いていた。
「……想起……『古明地こいし』」
 スペルカード宣言。
 しかし、何も起こらない。呆然と口を半開きにしたまま、じっとスペルカードを見つめる。
「無理ですよ。妖力が足りませんから」
 言って、映姫はさとりの手からスペルカードを三枚とも抜き取った。
「五年もの間、三枚のスペルカードを使いっぱなしだったのです。あなたほどの妖怪といえども、もはや妖力は完全に尽きてしまう寸前ですよ」
「……う」
 会えない。何をどうしたらいいのか、何を考えればいいのかもわからなくて、とにかく心を許せる誰かにそばにいてほしいのに、妹も、ペットたちも、誰もいない。
「……うう……」
 全身から、力が抜けていく。座った姿勢すら保てずに、額が両膝の間へと落ちていく。
「う……あぐ……うああ……」
 スカートに顔を押しつけて、さとりは泣いた。なまあたたかい涙が、汚い色で滲んでいった。



 さとりは縁側に座り、ぼんやりと境内の景色を眺めていた。
 鮮やかな緑に、濃く澄んだ青。豊かな色彩を目の当たりにしても、いかなる感慨も生まれてはこない。一度、感情のまま垂れ流しに泣いてしまうと、後には何も残っていなかった。人形と同じだ。見事なまでに空っぽになってしまった己の心を眺めて、さとりは何も感じられなかった。ああ、空っぽだなあと、自分でも呆れるほどの醒めた目を向けるだけだった。
 初夏の日差しに灼かれる玉砂利の上では、橙がひとりで武術の型のようなものを練習している。
 藍はまだ頼りなく思っているようだが、なかなかどうして、様になっていた。甘さを振り払おうとするような眼光と同様に、動きも目を見張るほどに鋭い。一挙動ごとに汗の滴が飛び散っているが、動きは鈍るどころかむしろ次第に鋭さを増している。本当に鋭い。鋭さのあまり、網膜の表面を上滑りしているかのようだった。目に見えてはいても、そこに橙がいるという実感があまりにも薄い。
 映姫はさとりの隣に座り、同じく黙って橙の修行を見つめていた。
 何も喋らず、まるで地蔵のように座っていてくれるのは、非常にありがたかった。さとりも、何も話す気になれなかったからだ。心の中では、さとりのことを気遣う声がうるさいくらいに渦巻いている。しかし、口に出しては何も言わない。そこが重要だった。
 閻魔としての、二交代制勤務の合間。藍とともに幻想郷再興の中核をなす身として他にやるべきことも山積みだろうし、休息もとらなければならないはずだ。それなのに映姫は、特に何をするでもなく、ずっと隣で黙っていてくれる。本当に、それだけはありがたい。
 真っ青な空を見上げていると、自分が何をしているのか、よくわからなくなってきた。縁側にただ座っている自分を、誰とも知れない第三者の視点で眺めているような気分になる。これから苛烈さを増していく夏の色彩に押し潰されて、今にも消えてしまいそうな古明地さとり。しかし、それを見ての感想はこれといって特に浮かんでこなかった。
 こんなところで、何をしているんだろう。
 何をすればいいんだろう。
 ここでいいのか。
 じゃあ、どこに?
 ――そうだ、帰ろう。
 さとりは立ち上がった。が、立ちくらみに襲われ、大きくよろめいて、映姫に腰を支えられてようやく踏みとどまった。これも、妖力が衰えているせいなのだろうか。
 五年間、スペルカードを三枚も同時に使い続けていたのだ。起きている間はもちろんのこと、もしかしたら、眠っている間でさえ。しかも、妖怪をそっくりそのまま再現しているだけあって、妖力消費は並のスペルカードの比ではない。消耗するのは当然のことで、映姫の見立てでは、あと二ヶ月も同じ生活を続けていたならば、妖力が尽きて死んでしまっていただろう、とのことだ。今後、妖力の回復に専念した生活を送ったとしても、元の力を取り戻すには最低でも半年、ともすれば数年かかってしまう可能性もあるという。
 さとりは立ちくらみをやり過ごすためにしばらく待って、それから言った。
「地霊殿に帰ります」
「駄目です、と言ったでしょう」
 映姫はさとりの横に立って、親が子を諭すように言った。
 確かに、説明は聞いた。今の地霊殿は特殊な空間になっているらしいのだ。五年間にわたり使用され続けていた想起のスペルカードのせいで、堆積したさとりの妖気と思念が混ざり合い、かつて地霊殿で暮らしていた者たちの霊魂に似たものに変質して、むせかえるほどの濃度で漂っているという。言わば、騒霊を生むための溶液で満たされた水槽だ。小さなきっかけでも与えられれば、たやすく騒霊として具現化されるだろう。
 今のさとりには、独力で想起を発動できるほどの力が残っていない。つまり逆に言えば、これ以上妖力を消耗してしまう心配は少ないということだ。が、先の理由から、こと地霊殿という場所に限っては話が違ってくる。
 衰弱した状態のさとりでも、地霊殿の空気に触れれば、こいしたちを具現化することができてしまうだろう。それは、残り少ない妖力をさらに搾り取るようにして消費してしまう行為だ。
 力の源を取り戻した騒霊たちは、きっとさとりのことを二度と手放すまいとするに違いない。外部の者が連れ出そうとしても、これまで以上にえげつない妨害を仕掛けてくるはずだ――五年間、映姫を阻み続けてきたのよりも、さらに徹底した妨害を。そうなれば、あとはさとりが衰弱死するのを、指をくわえて見ているしかない。
「わかっていますよ」
 いっこうに緩む気配もない橙の動きをこれといった感情もなく眺めながら、さとりは言った。
「地霊殿に帰れば、またこいしたちといっしょに暮らせるわけですよね」
「……私の話を、ちゃんと聞いていましたか」
「はい。死んでしまうのでしょう」
「そうです。死んでしまうのですよ」
「それで、何か問題でも?」
 映姫は返答に詰まった。
「こいしやペットたちと会えなくなるのは、私にとっては何事にも勝る大問題です。そんな状態で長く生きたとして、何か意味がありますか」
「…………」
「四季様や藍さんは、私の能力を必要としているのですね。確かに記憶を引きずり出してやれば、アリスさんだって現実を認めるしかなくなりますから」
「いえ、能力だけでは――」
「ですが」
 不躾に、映姫の言葉をさえぎって宣言する。
「失礼ながら、あなたがたの事情など、私の知ったことではないのです」
 ニイニイゼミの声。風鈴の音。橙が砂利を踏みしめる音が、やけに遠くから鼓膜をくすぐる。頬から顎へと伝う汗が、チリと鳴った。
「では、地霊殿に帰らせていただきます」
 映姫の返事も待たずに、さっさと足を踏み出した。が、その出鼻をくじこうと待ち構えていたかのように、目の前の空間に亀裂が生じた。
「残念ながら、それはちょっと無理だな」
 ぬるりと開いたスキマから、藍が滑り出てきた。尻尾には半ば埋もれるようにして、霊羅がしがみついていた。
 無理、とはどういう意味か。心を読んで、思わず顔がこわばった。
「勝手なことをして、悪いね」
 言葉の割には、むしろ申し訳ないという感情を排除した平坦な口調で、藍は言った。
 本当に、勝手なことだ。さとりは藍のつま先を睨みつけた。
 今しがた、地霊殿周辺に結界を張ってきたのだった。術者の許可した者以外は、さとりに限らず誰も出入りすることができないという、非常に強力な結界だ。
 家族との幸せな生活を、あくまで邪魔しようというのか。ならば――さとりに迷いはなかった。三つの目で、刺すように藍を見据えた。いかに強力な結界でも、いや、永続性を犠牲にした強力な結界であればこそ、術者が倒れれば効力は消えてなくなる。藍のトラウマを抉り出して精神を破壊してやれば、さとりの家路を邪魔する障害は取り除かれるというわけだ。
 迷うこともない。第三の目を見開き、藍の眉間に力を叩き込んだ。が、
 ――効かない。
 圧倒的な妖力差。さらに、強靱な精神力。見上げるほどの存在感が、さとりの力を跳ね返すでも受け流すでもなく、真っ向から受け止めて、なお微塵も揺るがずにそびえ立っていた。
 そんなはずはない。力を緩めることなく、何度も何度も藍の精神に掴みかかる。だがそれでも、まるで巨木に体当たりをしているかのように、無力感を突き返されるだけだった。
 藍のほうから、さとりに歩み寄ってくる。反射的に後ずさりそうになったところ、肩をやわらかく掴まれた。藍は静かに告げる。
「いずれ、結界は解く――時が過ぎて、さとりさんの妖力が戻り、地霊殿の妖気が充分に薄まれば、ね」
「……はい」
 藍の手から解放されると、全身からだらりと力が抜けた。後ろによろめいたのを、今度は映姫に抱き止められる。
 はっきりとわかった。今の状態では、どうあがいても藍に太刀打ちできない――つまり、地霊殿には帰れない。これ以上の抵抗をするだけの気力は、もう逆さに振っても出てきそうにはなかった。
 映姫に肩を抱かれ、縁側に座らされる。少女らしく白くしなやかで、しかし男のように大きく力強い閻魔の手が、さとりの小さな手を包んだ。
「さとりさん……今日からは、博麗神社に住んでください」
 ここには霊羅だけでなく、大異変後は、藍と橙も暮らしているという。なるほど、常時誰かの目が届くところにさとりを置いておこうと考えるならば、博麗神社はかなり適した場所だった。
 黙っていると、不満があるものと勘違いしたのか、映姫は少し焦りながら言葉を継いだ。
「いい場所ですよ。藍さんたちも良くしてくれますし。土地の力も強いので、ここでのんびり過ごしていれば、きっと妖力も順調に回復します」
「……わかりました」
 さとりにしてみれば、どこであろうと構わなかった。地霊殿でないのならば、博麗神社だろうが人里だろうが、森の奥のぼろ小屋だろうが、それこそ野宿でも大して違わない。
「いいですよ、ここで」
「そうですか! いや、良かった」
 映姫は柄にもなく、握ったままのさとりの手を勢いよく上下に振った。
「是非曲直庁の宿舎にも空きはあるので、そこに入っていただこうかとも思っていたのですが――上にかけあってみても、部外者は入れられないの一点張りで。本当に、頭の固い連中ばかりで困ります」
「映姫さんに言われちゃ、おしまいだ」
 言って、藍は声をあげて笑った。映姫もようやく手を離したと思えば、今度はさとりの肩をぺしぺしと叩いて、笑った。
「そういうわけですから、お願いしますよ、藍さん」
「どんと任せなさい。よろしく、さとりさん」
 藍はさとりの背中を、腹に響くほどの強さで何度も叩いた。さとりは黙って、されるがままにしていた。



 雲は流れ、陽は傾き、西の空は赤く、次いで紫に染まっていく。
 さとりは縁側に腰かけたまま、境内と空とを眺めていた。何をするでもなく、何を考えるでもない。隣には映姫が、やはりまた黙って座っていた。
 さとりの心は微塵も波立っていなかった。どこまで行っても平坦で、のっぺりとした単色が広がっている。それはそうだ。波立たせようにも、そもそも空っぽなのだから、いくら揺さぶられようとも表面に変化が生じるはずもなかった。
 気づくと、背後に藍が立っていた。幻想郷を管理する大妖怪だというのに、割烹着姿がしっくりと身に馴染んでいる。
「そろそろ晩ごはんができるぞ」
「あ、いえ……」
「腕によりをかけて作ったからな。映姫さんも食べていくだろう?」
「ではお言葉に甘えて、私も呼ばれることにします」
 何も食べられる気がしなかったのだが、話が勝手に進んで、もう断るに断れなくなってしまった。藍に腕まで掴まれて、ちゃぶ台のところまで引っ張っていかれた。
 落ち着かない気分で正座して待つ。普段は座るといえば椅子の上なので、余計に尻がもぞもぞする。少しでも座りのいい位置を探して身じろぎしているうちに、橙と霊羅が料理を運んできた。まずは中央に、いなり寿司の大皿。さらに各々の座布団の前にずらずらと並べられていくのは、いんげんの肉巻き、にがうりの炒め物、なすの煮付け、わかめの味噌汁――見る間に、ちゃぶ台の上は埋め尽くされてしまった。
「これは、これは」
 一面に並んだ料理を上から覗いて、映姫はわざと声を弾ませた。
「豪勢ですね。おいしそうだ」
「さとりさんの歓迎会だからな。映姫さんも倹約倹約ばかり言ってないで、普段からもっといいものを食べたほうがいい」
「はは。私が贅沢をしていては、皆に示しがつきませんよ」
「そういうところは、相変わらずお堅いなあ。ま、今日のところは私の自信作を堪能してくれよ」
「もちろん、遠慮なく」
 言っている間に、橙と霊羅も卓に着いた。藍の合図で一斉に手を合わせ、いただきます、と声をそろえる。さとりも遅れ気味に、いただきますとつぶやいた。
 ず、と味噌汁をすする音が隣から聞こえてくる。映姫は大きく深く息を吐きながら、おいしい、と言った。倣って、さとりもひと口飲んでみた。白湯を飲んでいるかのように、何の味も感じられなかった。
 味噌汁の椀を置き、箸を料理の上に進ませる。しかし、そこからはどの皿にも引き寄せられることなく、ぴたりと止まってしまった。
「お、さとりさん。さてはどれから箸をつけようか迷っているな?」
 藍が笑って、大皿を指さした。
「だったら、まずはいなり寿司だ。私の十八番だからな」
「……はあ」
 黄金色の俵をひとつ、取り皿に移す。
 サイズはそれほど大きくはなく、橙などは一個丸ごとひと口で頬張っていた。それをさとりは上の歯と下の歯の間に突っ込み、三分の一ほど噛み切った。強めの酸味が、一瞬だけ鼻を刺す。そのあとはスポンジでも食べているかのようだったが、残り三分の二を強引に押し込んで、味噌汁で流し込んだ。
「酢を多めに入れてみたんだ。暑い日が続いているし、食欲増進のために」
 別の原因で食欲のないさとりのことを気遣ったのだろう。ただし、その気遣いもこれといった効果を生むことはなかったようだ。きっと味は絶品なのだろうが、今のさとりの舌は、何を食べてもほとんど味を感じられない。
 今度は藍は何も言わず、箸で肉巻きをひとつつまみ、さとりに向けて片目をつむってみせた。
【これ、人肉だよ。田舎育ちの上物だ】
 さとりは思わず眉をひそめた。他ならぬ博麗神社の食卓で、目の前に博麗の巫女がいるというのに、これはいかがなものか。霊羅のものだけは牛肉なのだが、そういう問題でもないだろう。
「すごいねー。牛肉なんて久しぶり」
 牛肉巻きを噛みしめながら、霊羅が言う。隣の橙が、そうだねと言いながら、当たり前のような顔で人肉巻きを口に放り込んだ。
【気づいてないのかなぁ。気づいてないんだろうなぁ。鈍いね、この子は】
 言われなくても、橙は肉の違いに気づいているようだ。もちろん映姫もわかっている。
 ともかく、しきりに藍が視線を送ってくるので、仕方なくさとりも人肉巻きをかじった。噛むたびに、鉄の味の肉汁が滲み出てくる。これまた味噌汁で、ろくに咀嚼しないまま流し込んだ。
 そもそもさとりは、他の妖怪たちほどは人肉を好まない。もちろん嫌いではないが、かといって食べずにはいられないほど好きでもない。もし明日から一切の食人を禁止すると言われたとしても、ああそうですかと受け入れることができる程度のものでしかない。だから人肉巻きは、藍が期待したほどの効果を発揮することはなかった。
 困った。もう何も食べる気が起きない。このまま箸を置いてしまおうかと思ったとき、ふと、霊羅と目が合った。幼い巫女は慌てて視線を逸らし、にがうりを口に運んで――前歯にぶつけて、ちゃぶ台の上に落とした。
「あっ」
「何やってんの。落ち着いて食べな――熱っ!」
 注意した橙自身が、飲みかけた味噌汁を少しこぼしてしまった。
「ぷふっ。人のこと言えないじゃない」
「うっさい。猫舌はいろいろと大変なの」
 霊羅は半笑いで、橙はむすっとした顔で、言い合いを始める。すかさず藍が苦笑いでたしなめた。
「こらこら、お前たち。そのへんにしとかないと、閻魔様のありがたーいお説教が始まってしまうぞ」
「そう、あなたたちは少し、お行儀が悪すぎる」
 箸を悔悟棒に見立てて胸の前に構え、映姫が澄ました顔で言った。橙と霊羅は、たまらず盛大に噴き出した。藍も大口を開けて笑った。
 ああ、ここは、幸せな食卓だ。――だがさとりの心は、その輪の外側で立ち尽くしていた。
 いなり寿司をもう一個、口に詰め込む。油揚げを噛み破いて、米を噛み潰して、噛んで、噛んで、噛んで、噛んで、飲み込んで、が、しかし、拒絶するかのように食道の奥が波打った。とっさに箸を置き、手で口を押さえて、立ち上がる。
「……藍さん、御不浄は」
「え、あっ、ああ」
 急を要する事態であると察知してくれたのだろう。藍はスキマにさとりを取り込み、洗面台の真ん前に送り出してくれた。
「おぼっ」
 体を屈め、逆流してくる胃の内容物を、洗面台にぶちまけた。
「か……はぁっ、はっ」
 胃液混じりの唾液が、唇から糸を引いて垂れる。酸い臭いが鼻をつく。
「はっ、はぁっ、……うぉえ」
 もう一度、絞り出すように吐いた。足に力が入らない。洗面台に抱きついて、なんとか体を支えた。
 深い呼吸を何度も繰り返しているうち、少しは気分がましになってきた。もう立てる。水で口をすすいで、洗面所から出た。戻るのが遅くなれば、藍が心配して様子を見にくるだろう。吐きまくってへたり込んでいる姿を、あまり見られたくはない。
 食卓に戻ると、皆が一斉に視線を向けてきた。痛い。たまりかねて顔を伏せた。
「大丈夫かい」
 藍が訊ねる。さとりは座りながらうなずいた。
「おかげさまで」
「そうか、良かった」
 藍はにこやかな笑みでさとりの顔色をうかがって、「まだ食べる?」
「いえ……ごちそうさまでした」
 人肉巻きで口をもごつかせながら、橙がちらりと睨んできた。
 さとりとしても、これだけ手の込んだ料理を残すのは心苦しい。地霊殿では料理を作る側だったのだから、なおさらだ。しかし、どうしても腹に入っていかないのだから仕方がない。無理に押し込んだとしても、また吐瀉物に変わるだけだろう。
 さとりがお茶をゆっくりとすすっている間に、料理はきれいに他の四人の胃袋へと収まっていく。賑やかな食卓――それをさとりは、どこか遠い世界の物語のように眺めた。



 風呂から上がると(面倒だしどうでもよかったのだが、藍にしきりに勧められて、それ以上押し問答を続けるほうが面倒くさくなったので入ったのだ)さとりは縁側で涼んだ。
 夕食が終わると映姫は帰っていった。多少は気心の知れた相手であり、いっしょにいてくれれば少しは気が紛れるのではないかとは思うのだが、なにぶん彼女も多忙な身だ。夕食まで付き合ってくれただけでも、ありがたく思うべきなのだろう。
 廊下の床板を軋ませて、藍がやってきた。手には日本酒の一升瓶を持っている。
「悪いね、ちょうどいい着替えがなくて」
 藍はさとりの手を見て苦笑した。袖が長すぎて、指の付け根あたりまでも覆い隠されている。
 霊夢が着ていた浴衣だ、とのことだった。
 少しばかりサイズが大きい。むしろ橙のほうがさとりと体格が近いのだが、彼女の服は逆に小さすぎた。小さいよりは大きいほうがましだろうということで、霊夢のものを借りたのだ。
 藍は腕組みをして、見栄えを確認するようにまじまじと眺めた。
「でも、まあ、浴衣自体はよく似合っているよ」
「どうも」
「それにサイズが大きいのが逆に、なんというか、色っぽく見える」
【胸元がゆるくて、もうちょっとで乳首が……あ、いかんいかん】
 さとりは無言で、浴衣の襟をかき合わせた。
 藍はばつが悪そうにごまかし笑いを浮かべて、隣に腰を下ろした。一升瓶を少し持ち上げて、反対の手の爪で弾き、チンと鳴らす。
「どうだ、飲まないか」
「すみません、すぐにまた戻してしまいそうなので」
「そうか。じゃあ、隣で飲んでもいいかな」
「……どうぞ」
 返答を聞く間に、藍はもうスキマに手を突っ込んでいる。中からグラスを取り出して、手酌で酒を注いだ。ひと口飲んで、深く息をつく。ふた口飲んで、深く息をつく。――グラスを置いて、力いっぱい膝を叩いた。
「本能なんだ!」
 いきなり興奮しだして、今度は両の拳をでたらめに振り回しはじめた。
「胸チラについつい視線が行ってしまうのは、本能なんだよ! 不可抗力だ! さとりさんも、そう思うだろう? べつに変な考えがあってのことじゃないんだよ!」
「はあ」
「魅力的なものがチラチラ見えそうなのを目で追ってしまうのは、本能以外の何だというんだ! 橙には白い目で見られることもあるけど、これはもう仕方がないんだよ! 九尾だって、結局は妖獣だもの!」
 声の限りに思いの丈をぶちまける姿。なるほど、この様子を橙や霊羅に目撃されれば、白い目を向けられるに違いなかった。息を切らしたまま、藍はグラスを一気に乾した。
 背中を丸めて、ため息とともに再度グラスを満たす。
「……まあ、いいか」
 藍はいきなり顔を上げ、背筋を伸ばし、右手をぴんと真上に挙げた。
「はーい、私、変態です! 美少女のおっぱい、大好きです! 特に、小さめのが大好物!」
「あのー藍様、うるさくて寝れないんですけど」
 橙が後ろを通り過ぎて、トイレの方向へと歩いていった。藍は美しい姿勢と突き抜けた笑顔のまま、ぴくりとも動かなくなった。
「……大丈夫ですか」
 見たところ呼吸すらしておらず、あまり大丈夫そうではないのだが、一応は声をかけ、脇腹をつついてみた。やはり微動だにしない。
 水の流れる音がして、足音が戻ってきた。
「せめて霊羅には聞かれないように、気をつけてくださいよ。おやすみなさい」
 凍えそうなほど冷たい声を残して、橙は自分の部屋へと入っていった。
 操り糸を切られたかのように、藍の右手がすとんと落ちた。そして全身が、ゆっくりと崩れていく。
「あああああ……」
 横倒しになったまま、藍は鉤状に曲げた指先で床板をかきむしった。
「もうだめだ……橙に軽蔑される……」
 軽蔑に値する言動だったということは自覚しているようだ。
「こんな変態狐の言うことなんて、聞いてくれるはずがない……私のせいで、橙は非行に走ってしまうんだ……あああ」
「そうでもないと思いますけど」
「えぁ?」
 生気の抜け落ちた目を上向けて、藍は間抜けな声を発した。
「ああいう態度を見せてはいても、やはり橙さんはあなたのことを慕っていますよ」
「……そうかな」
「ええ。心を読んだんですから、間違いありません」
 あまり泣かれても鬱陶しいので慰めておこうと思ったのは事実だが、嘘はついていない。橙が藍に対して抱く感情は、もはや崇拝にすら近いものだった。変態性癖に多少は幻滅したとしても、そんなのは大したことではないと言えるほどに。
「さとりさん……」
 藍は目の輝きを取り戻し、さとりの両手を握ってきた。
「ありがとう。慰めてくれて、ありがとう」
「事実を言ったまでです」
「でも、救われた気分だよ。そうだ、慰めついでに、ちょっとさとりさんの乳首を舐」
「橙さんと、霊羅さんも呼んできましょうか」
「いやそれはやめてくださいホンマに堪忍お願いしますスンマセンした」
 目にも留まらぬ早さで、藍は床板に額をこすりつけていた。
 さとりは顔を背け、ため息を吐き捨てた。――鬱陶しい。少しでも元気づけようと、わざとおどけているのが見え見えだ。こんなもの、たとえ第三の目を閉じていたとしてもわかる。
 しかし――星空を指す藍の尻尾を横目で見ながら、さとりは思った。いくらさとりを元気づけるためとはいえ、自らこんな身を切るような真似をする妖怪だっただろうか。記憶の中にある藍の姿といえば、まずは紫の命令に対して絶対的に忠実で、さらには数学が得意なだけあって常に論理的に物事を考え、良く言えば勤勉実直、悪く言えば堅苦しくて面白味に欠けていた。主人がああだったから必要に迫られて余計にそうだったのだろうが、本質的にももっと肩肘張った堅物だったはずだ。
 五年間で変わった、ということなのだろう。
「ずいぶんと、丸くなったんですね」
 さとりが言うと、藍は血相を変えて立ち上がった。
「うそ、そんなに太った?」
「あー、……体型ではなくて、性格が」
「……ああ、そう」
 藍は安心した様子で腹をさすりつつ、座りなおした。実際のところは、以前に比べて痩せている――やつれている、のか。
「確かに、変わったとは言われる。橙や映姫さんに」
 グラスを酒で満たし、藍はゆっくりと話した。
「紫様がいなくなって、私がスキマの能力を受け継いで。でも、まだ完全に能力を自分のものにできたわけじゃないんだ。私の中で、式神としての要素が少しずつ薄れていっている。それで容量の空いた部分に、スキマの能力が取り込まれているんだ」
「では、性格も?」
「そうそうそうそう、そう、そう。性格も式神らしい部分が薄れて、それでスキマ妖怪みたいな性格が強くなってきている」
「はあ」
「そのうち紫様みたいに、胡散臭い怠け者になってしまうかもな」
 藍は声をあげて笑い、酒を呷って、むせた。
 揺れる尻尾からは、一抹の寂しさがこぼれ落ちた。今の幻想郷ではこんな冗談も言えてしまうのだ。鬼婆の形相で折檻するはずの主人は、もういない。
「げほ、あー。……丸くなったといえば、映姫さんこそ丸くなったな。もちろん性格が、ね」
 さとりはうなずいた。説教での決め台詞を笑いに使うなど、以前の彼女からすれば考えられないことだ。藍をはるかに凌ぐ堅物であったのが、相当に解れてきたのだということだろう。
 藍は、うん、とつぶやいて、
「何十人もの顔馴染みをわずか二ヶ月ほどの間に裁いて、その大半を地獄行きにしたんだ。何かしら思うところがあって当然だろうよ」
「そうですね」
「説教臭さもすっかり薄れて――まあ、空き時間を説教行脚に費やすよりも、他にやるべきことが山積みだっていうせいもあるけど」
 諸々の事情がどうあれ、映姫は以前のように煙たがられるばかりの存在ではなくなっているようだ。そしてそのことを、藍も好ましく受け止めている。
「管理者として未熟な私だけでは手に負えないということは、わかりきっていたからな。幻想郷再興を導く役割を、映姫さんにも担ってもらっているんだが――以前の説教魔よりも今の砕けた映姫さんのほうが、皆が反感なく従ってくれる」
 妖怪の基本的な性質を考えてみれば、その通りだろう。例外はあれど、多くの者は自由と混沌と、馬鹿馬鹿しい愉悦を好む。
「ついては、さとりさんも私や映姫さんと並んで、指導者的立場に――あ、もちろん、すぐにとは言わない」
 自身の言葉に、藍は慌てて手を振り、酒をひと口飲んだ。
「妖力がひどく消耗している今の状態では、精神的にもなかなか前向きなことは考えにくいと思う。だから当面は、力の回復に専念してくれよ」
「はあ」
「ここでのんびり過ごせばいい。焦らずゆっくり、な」
「……ありがとうございます」
 のんびり、ゆっくり。ということは、それだけ長い間、地霊殿に帰らせる気はないということか。こいしたちが消えてしまった後で帰れたとしても、何の意味もないというのに。だがすべてが藍の意思ひとつによって決まるという事実に、不思議と憤りは湧いてこない。無力感に押し潰されて、顔も上げられなくなるだけだ。
 さとりはただ黙って、浴衣の胸元を直した。



 O)))



 夢を見た。
 青い薔薇の切り花が、地面に転がっていた。誰かに踏みにじられたのか、数枚の花弁はちぎれ、周囲に散らばっている。ちぎれずに残った花弁も、無惨に押し潰され、平べったくなっていた。
 折れ曲がった黒い羽根が一枚、落ちている。
 ひしゃげた車輪がひとつ、打ち捨てられている。
 薄暗い灰色の世界、だだ広い景色の中、見えるのはそれだけだった。



 O)))



 目が覚めてからしばらくの間、さとりは自分がどこで寝ていたのかわからなかった。
 博麗神社だと思い出して、それから、はて、なぜこんなところで寝ていたのかと首をひねった。寝起きはひどく悪いたちだ。一分か、二分か、十分か。たっぷり時間をかけてぼんやりと考え、ようやく、前日の記憶が甦ってきた。
 体はまるで石像のように、布団に沈んだまま動かなかった。
 昨夜は寝床に就くまでは、一睡もできる気がしなかった。それが体を横たえてからいくらもしないうちに、泥濘の眠りへと落ちていた。寝苦しさが本番を迎えているこの時季に、首筋に汗を伝わせながら途中で目を覚ますこともなく、今の今まで死体のように眠っていたのだ。
 力の消耗は、自分で思っていた以上に深刻だったのだろう。なるほど、映姫との弾幕ごっこであの有様だったのもうなずける。地霊殿であの生活を続けていたら、近いうちに妖力が尽きて死んでしまっていたはずだという話も、ただの脅しではなかったらしい。もっとも、あまり脅しにはなっていなかったわけだが。
 燕麦の袋でも抱えているのかという思いをして、ようよう体を起こした。今の時刻はどれくらいだろうか。障子を貫いて射し込んでくる光は寝起きには眩しいほどだったが、それは夜でないことを教えてくれるにすぎない。太陽に馴染みの薄い地底の住人にとって、明るさの度合いは時刻を推察する材料として決定的に不足だった。ただ、橙と霊羅の元気そうな声は聞こえてくる。
 障子を開けて、部屋から出てみた。バケツを提げた藍が廊下を歩いてくるところだった。
「ああ、おはよう、さとりさん」
【おはようっていう時間でもないけど】
 空を見上げると、なるほど、太陽はかなり高い位置にある。何と言うべきか少し迷ってから、さとりは結局、おはようございますと返した。
「よく眠れたようで」
「ええ、そうですね」
「よほど疲れていたんだろうな。昨日はまったく起きる気配がなかったし」
 え、とさとりは眉をひそめた。ああ、と藍は頭を掻いた。
「さとりさん、丸一日ずっと寝ていたんだよ」
「あ、そう、ですか」
 思わず目を泳がせた。藍も一昨日はさとりの受け入れなどで大変だっただろうに、昨日は普通に活動していたはずなのだ。橙や霊羅だってそうだ。映姫も、ヤマザナドゥ本来の仕事に追われて息つく暇もなかったに違いない。そんな中、ひとりだけ延々と眠り続けていたとは。どうにも落ち着かない気分だった。
 藍は少し困ったように笑った。
「紫様の冬眠と比べたら、どうってことはないさ」
 心を読まれたようで、さとりは余計に恥ずかしくなった。顔色に出ているのかもしれないと思うと、それを見られるのが嫌で、下を向いた。
「それにしても、さとりさんは寝姿も色っぽ――いや、何でもないです」
 さとりが視線を上げた瞬間、藍は顔を背けて口ごもった。軽く睨んだだけだったのだが、この反応だ。おどけたつもりなのだろうが、さとりとしては少々馬鹿にされているようでもあり、いい気はしなかった。
 しばし沈黙のままに立ち尽くしていると、さとりが寝ていた部屋の隣から声がした。
「どうしましたか、ふたりとも。大して仲良くもなかった従姉妹と数年ぶりに再会したような微妙な顔をして」
 言いながら出てきたのは、映姫だった。
「藍さん、さっそくセクハラですか」
「ち、違うよハハハ。あ、それはそうと」
 動揺を表に出しながら、強引に話を変える。
「昨日、地霊殿から荷物を持ってきたんだ。服もあるから、とりあえず着替えたらどうかな」
 藍は、映姫が出てきた部屋を指さした。覗いてみると、確かに段ボール箱がいくつか置かれていた。
 主が帰りたくても帰れない地霊殿に堂々と入って、勝手に荷物を持ち出してきたのか――さとりの不満を察してか、映姫が取りなすように口を挟んできた。
「お休みの間に、無断ですみませんでした。ですが、しばらくはここで暮らしていただくわけですし、身の回りのものはあったほうが便利かと」
「はあ」
 不快に感じたのは事実だが、映姫にこう言われては、ぐちぐち言うのも大人げない。なにより、そんな気力はない。さとりは荷物の部屋に足を踏み入れ、畳の上の段ボール箱を見まわした。
「これ、おふたりで?」
 それなりの数だった。もちろん、馬鹿正直に担いで運んだのでないことはわかっている。スキマで送ったのだ。だが、それで荷造りの手間が省けたわけではないだろう。
 映姫もさとりの背後に立って、荷物を眺めた。
「藍さんも忙しいもので。私が先に行って箱詰めをしておき、それを後から来た藍さんにまとめてスキマで送っていただきました」
 実質、映姫がひとりで全部やったようなものだ。
「どれが必要なものかよくわからなかったので、すぐには不要なものも交じっていると思いますが」
「いえ、お気になさらず」
 それにしても、意外と多いものだ。こちらに持ってくるようなものなど、何があっただろうか――心当たりを思い起こしてみたが、衣類もさほど数多く持っているわけではない。となると、箱の中身は大方、書類や書籍で占められていることだろう。
「とにかく、ゆっくり着替えてくるといい」
 藍はバケツを持ち直して、言った。
「そうしているうちに、昼ごはんも出来上がるだろうから」
「あ、いえ、私は――」
 まだ、食欲などまったく湧かない。米の一粒も喉を通る気がしない。言おうとしたのをさえぎるように、映姫に肩を叩かれた。
「着替えるときには、狐の覗き見に注意しなければいけませんよ」
「ちょっと、真顔でそういう冗談はやめてくれるかな。そろそろ洒落にならなくなる」
「あなたのは本当に冗談で済まないから、こうしてさとりさんに忠告しているのです。スキマを駆使した手口は、実に巧妙かつ狡猾ですから」
「ああ、もう……」
 藍は疲れた顔をして、ふらふらと歩いていった。
 映姫は力の抜けた笑みを浮かべて、肩をすくめた。
「こういう馬鹿らしい会話も、悪くないものですね」
「はあ」
「あ、服は一番右の箱に入っていますので。では」
 軽く会釈して、映姫も去っていった。
 ひとり部屋に残って、段ボール箱を開いてみる。衣類は箱の大きさに合わせてきれいに折り畳まれ、きっちりと収められていた。ずいぶんと角が取れたとはいえ、やはりこういうところに本来の性格が滲み出ている。多忙な身なのだから、適当に丸めて突っ込んでおいてくれればよかったものを。
 一番着慣れた服を探し出して、のろのろと袖を通していく。最初のボタンをかけ違えたことに気づかないまま下まで留めてしまい、全部留め直すはめになった。
 急ぐことなどない。やらなければいけないことなど、何もない。畳に尻をついて、靴下を履いた。
 大異変までは――いや、一昨日の昼過ぎまでは、何やかやと忙しい日々を送っていた。自分とこいし、それと人型化できるペットの食事は基本的にさとりが作っていたし、執務室や姉妹の寝室の掃除もしていた。それにもちろん、灼熱地獄跡などの管理の仕事が最も時間をとられる。本当に必要なのか疑わしい書類作成に追われて、読書に没頭することもままならなかったのだ。
 今頃の時間帯ならば、何をしていただろうか。掃除洗濯は朝のうちに済ませ、主立ったペットたちから各部署の報告を受ける。それをもとに書類の内容をある程度まとめておき、昼が近づいたら食事の用意だ。ペットたちに任せられないこともないのだが、時間の許す限りは自分でやりたい。あれこれと世話を焼くのが、楽しくて仕方ないのだ。お燐だって料理の腕は悪くないし、実際、さとりが多忙でどうしても手が回らないときには食事の支度を任せることもある。ただ、それ以外のときは必ず自分が作るようにしていた。こいしや、お燐や、お空や、他のペットたちがおいしいおいしいと喜ぶ顔を思い浮かべながら、キッチンで慌ただしく立ち回る。大変なのは否定しない。だが、見る間に空になっていく皿を眺めていれば、たちどころに疲労など吹き飛ぶし、皿洗いと午後の仕事に向けての気力も湧いてくるというものだ。この時間、確かな幸せがそこにはあり、
「あ、いけない。みんなのお昼ごはん、作らないと」
 慌てて立ち上がり、それからすぐに畳と襖と障子に囲まれた自分に気づいて、肩をすぼめた。
 みんな――もちろん、霊羅たちのことではない。こいし、お燐、お空。ペットたち。今やどこにも存在しない『みんな』のために、当たり前のように立ち上がってしまったのだ。
 何をやっているのだか。無理に吐き出そうとした自嘲の笑い声は、喉の奥で引っかかって、そのまま肺にこびりついた。



 橙と霊羅の手によって、食事が運ばれてくる。
 質素ながら目に鮮やかな藍の手料理を眺めて、しかしさとりは憂鬱の度合いをいっそう増していた。これらが自分の喉を通りそうにないということが、すでにわかってしまっているからだ。
 自分の食事はいらないと、あらかじめ藍には伝えていた。が、彼女は「いいから、いいから」とまるで取り合わず、きっちりとさとりの分まで盛り付けたのだった。ほとんど手つかずで残してしまうのはさすがに心苦しいと思ったからこそ、いらないと言ったのに。
「いただきます」
 他の四人が声をそろえる中、さとりは手を合わせて口を動かしただけだった。
 とりあえず箸を持って、食卓を眺める。
 橙と霊羅は、一昨日の夕食で映姫に指摘されていたとおり、あまり行儀のいい食べ方とは言えなかった。橙は箸の持ち方が悪くて、魚の身をむしろうとしてもなかなかうまくいかず、結局は直接かぶりついている。霊羅は手先が不器用なのか、豆などをぽろぽろとちゃぶ台の上にこぼしている。だがふたりとも、食べっぷりは見ていて気持ちが良かった。料理を作った者にしてみれば、それこそが最大の報酬であろう。
 藍と映姫も、さすがに所作は上品だが、実においしそうに食べるところは同じだ。
 ――今の暮らしを楽しんでいる、楽しめている、ということか。
 対して自分は、と考えてみて、さとりの手は完全に止まってしまった。愛する者たちがすべていなくなってしまった世界で、いったい何を楽しめというのか。楽しめるわけがない。そんな状態で食事を口に押し込んだところで、ろくに味わえるわけがない。べつだん親しくもない者たちと食卓を囲んだところで、面白おかしく笑い合えるはずもなかろう。
 地霊殿での生活――大異変以後の、偽物の地霊殿において、しかしさとりは幸せだった。穏やかな笑みに彩られて、満ち足りた生活を送っていた。実態はただの茶番であろうが、事実として、さとりは幸せに過ごしていたのだ。
 せめてもの救いであった虚構に浸ることも許されなくなった今、本当に、何を支えにして生きていけというのだろうか。さとりは、まだ汚れてもいない箸を置いた。
「おや、さとりさん。箸が進みませんね」
 映姫が小首をかしげた。放っておいてくれと言いたいのを、さとりは飲み込んだ。だが、藍がすかさず話を広げにかかる。
「いかんなあ。しっかり食べないと大きくなれないぞ」
「いやいや、さとりさんも少女ではありますけど、子供じゃないんですから。食べたからって大きくはならないでしょう」
 笑いながら映姫が言ったが、藍はあくまで真顔で返す。
「いやいや、大きくなるぞ。主に胸とか」
「えっ、胸とか?」
「そう、胸とか」
「…………」
 映姫はちらりと自分の胸元に視線を落とした。それから茶碗の中身を一気にかき込むと、藍に向かって遠慮がちに差し出した。
「すみません、お代わりをいただけますか」
「はいよ。……まあ、映姫さんはもう手遅れだな」
「えっ」
 山盛りの茶碗を手渡されて、しばし映姫は硬直していた。
 これといって面白くもないコントを横目に見ながら、さとりはようやく箸を動かした。煮豆をひと粒つまんで口に入れる。噛んで、噛んで、ゆっくりと噛み砕いて、飲み込んだ。
「…………」
 左手で口を覆い、立ち上がる。
「御不浄に……」
「お、ああ、ちょっと待って」
 藍がスキマで洗面台の前まで送ってくれて、結局は初日と同じことになった。



 昼食の片づけが終わると、橙と霊羅は表に出て、弾幕の撃ち合いを始めた。実戦形式の訓練だ。
 一方的に霊羅が攻め立てているようだが、橙は緩急自在の動きで、危なげなく弾幕をかいくぐっていた。あえて相手の好きなように弾を撃たせ、回避の練習をしているのだ。
 実際のところ、両者の実力差は大きかった。全力同士で戦っていたのでは簡単に勝負がついてしまって、双方にとって訓練にならない。そこで手を抜くわけではないが、橙が自らに縛りを課して、ある程度まともな勝負になるよう調整しているのだ。
 霊羅がまだまだ未熟だから、というのも確かにある。が、それにしても、橙は強い。お燐やお空ほどではないにしても、万全の状態のさとりにも勝てそうなくらいには強かった。
「もー、じっとしててよぉ」
 あまりに攻撃が当たらなくて業を煮やしたのか、霊羅が苛立った声で言った。橙は涼しい顔で返す。
「じっとしてたら、私も霊羅も練習にならないでしょ」
「うー、楽しくなーい!」
「楽しくないのは、頭を使ってない証拠だよ、っと」
 弾の塊をすり抜けざま、橙は高速の楔弾を放った。そのうちの一つが鼻先をかすめ、霊羅は後ろに転びそうになる。体勢を立て直すその一瞬の間に、ずらりと霊羅を取り囲むように鱗弾が現れ、空中に静止した。
「はい、おしまい」
 橙は弾を消し、相手に歩み寄った。霊羅はふくれっ面で、足を踏み鳴らす。
「えー、まだ負けてなかったのにー」
「あの鱗弾、どうやってかわすつもりだったのさ。素直に認めなって」
「むー。じゃあ、もう一回!」
 滴るほどの汗をかきながら、元気なことだ。彼女たちがこのまま歪むことなく成長してくれるのならば、幻想郷の未来は明るいだろう――さとりが何の手助けをするまでもなく。
 さとりは立ち上がった。さて自分は何をしようかと考えてみたが、やることがない。やる気もない。宙ぶらりんな気分のまま、荷物が置いてある部屋に入ってみた。
 段ボール箱の中身を見てみる。やはり衣類は一箱に全部収まったようだ。あとは書籍の類がかなりの部分を占めている。それでも、半分以上は地霊殿に残っているはずだった。
 咳払いを置いてから、映姫が入ってきた。
「どうです、必要なものは揃っていますか」
「そうですね……」
 言いながら考えてみて、ふと気づいた。仕事関係の書類が、一枚も見当たらない。
「あの」
「はい?」
「灼熱地獄跡の管理は」
「ああ」
 映姫は天井を仰ぎ、顎を撫でた。
「星熊勇儀を中心に、地底の妖怪たちに任せていますよ」
「そうですか――五年前から」
「そうです、五年前から」
 ならば、書類など必要なはずがない。大異変の後も毎週欠かさず作成してきた書類は、自分で茶番をより本物っぽくするための小道具にすぎなかったのだ。
 どうりで毎回毎回、特記すべき事項のひとつもなかったはずだ。たまの異状はさとりと関係のないところで発生し、さとりと関係のないところで処理され、さとりと関係のないところで報告されていたのだから。
 それならそれで、もはやどうでもいいことだった。
「まあ、いずれは」
 映姫はそこで言葉を切り、心の中で続けた。
【いずれは灼熱地獄跡の管理に戻ってもらわなくては】
 どうでもいい。妹もペットもいないのであれば、そんな責任ある立場にわざわざ戻る理由も見当たらなかった。もともと性には合っていなかったのだから。
「急ぐ必要はありませんけどね」
 映姫はごく自然に、やわらかい笑みを浮かべた。本心では、あまり長引けば勇儀の胃袋に穴が開いてしまうのではないかと案じているというのに。
 サトリ妖怪の前で心を偽ることなど不可能だというのは、百も承知。そのうえで映姫は、心を偽ろうとする態度そのものは決して無意味なものではないという考えを持っているようだった。嘘つきの舌を抜く張本人であるはずの閻魔らしからぬ――やはり、大異変を経ての心境の変化なのだろう。
「そうそう」
 思い出したように、映姫は荷物を見回した。
「原稿が入った箱も、もう開けてみましたか」
「ええ」
「あ、読んではいませんから、ご心配なく」
 映姫は部屋の外に体を向けると、さとりの肩を軽く叩いた。
「ですが、何か書き上がったら是非とも読ませていただきたいですね。時間はあるのですから、腰を据えて書くいい機会でしょう」
「はあ……」
「あ、ペンとインクもどこかに入っていますよ」
 軽快かつ颯爽とした足取りで去っていく緑色の後頭部を見送りながら、さとりはぼんやりと立ち尽くすしかなかった。
 とりあえず、原稿入り段ボール箱の中身を確かめてみる。
 一箱まるまるびっしりと、原稿用紙ばかりが詰まっていた。一番上には未使用の新しい原稿用紙が、千枚はあるだろうか。その下には以前執筆し、出版もされた数冊の本のオリジナル原稿がすべて揃っている。
 一番下に、書きかけの小説が入っていた。平凡な女性が、妹と、二人の養女と、数多くのペットたちに囲まれて、幸福な日々を紡いでいく物語――さとり自身と地霊殿の顔ぶれをモデルにした、ある種、私小説のような物語だ。
 すでに五百枚を軽く超えている。それでもまだまだ書くべきことは尽きていないし、終わりも見えていない。いや――数日前までは見えていなかった、と言わねばならないだろうか。
 地霊殿の生活を置き換えただけの物語だ。日常に散らばる小さな幸せの数々がなくならない限りは、この物語も、いつまででも続いていくはずだった。
 今となっては、もう違う。
 幸福な日々は終わってしまった。書くべきことが有限になってしまった。だから今は、物語の終わりも見えている。必要な原稿用紙の枚数も、おおよその見当がついてしまっていた。
 どうするか。この物語を書き上げてしまうか、それとも別の作品を書き始めるか。あるいは、何も書かないか。考えようにも頭が回らないので、ふらふらと別の段ボール箱に向かった。何か書くとするならば、まずはペンとインクが必要になる。探しながら、ゆっくりと考えてみることにした。
 ……あった。
 こういうときに限って、捜し物はあっさりと見つかってしまうものなのだ。最初に手をつけた段ボール箱の比較的上のほうに、愛用の万年筆が横たわっていた。その隣、新聞紙にくるまれたずしりと重いものを開いてみると、なみなみと中身が入ったインクの瓶だった。
 新しい原稿用紙を一枚取って、部屋を見回して、机がないことに気づく。仕方なく段ボール箱に向かって正座し、その上に原稿用紙を裏返しで置いた。
 やはり、書きかけの小説の続きを書く気にはなれなかった。この物語の終わりと向き合うにはそれなりの覚悟が必要だろうし、今のところはそんな覚悟をしようとも思わない。気を紛らわすためには、新たな物語に取りかかるのが最善だろう。さとりは目を閉じ、埋もれた原石を探すべく心の中へと潜っていった。
 蝉の声が聞こえる。イ草の匂い。開け放った障子からそよ風が上がり込んできて、薄く汗ばんだうなじをくすぐっていく。
 蝉の声。まだ、見えない。
 イ草の匂い。おぼろに、見えてきた。
 広い館。広さを持て余す。机にかじりついて、眉間にしわを寄せて、書類を書き上げていく女性。妹が、ふわりと、後ろから抱きつく。私が死んだら、死体は、お姉ちゃんの部屋に飾ってね。お姉ちゃんが死んだら、私が毎晩、お姉ちゃんの死体をダッチワイフみたいに抱いて寝てあげるから。
 ――違う、違う。
 かぶりを振って、一度、頭の中の世界を更地に戻す。
 蝉の声。イ草の匂い。ふたつの幼い声が、楽しそうに笑っている。
 ――うん、見えてきた、かな。
 さとりは万年筆にインクを含ませ、原稿用紙の裏面に走らせた。
 すべてを失い打ちひしがれた、平凡だったはずの女性。途方に暮れていたところ、とある家庭に受け入れられる。お人好しで、お節介焼きで、肝が据わって、まるで大地そのもののような包容力を持つ母親。少し生意気な長女と、少し人見知りな次女。けれど、どちらも真っ直ぐな心の持ち主。母子三人と徐々に心を通わせていくうち、女性の傷も次第に癒され――。
 ――何、これ。
 書き付けられた文字の列を読み返して、思わず顔をしかめた。さとりはまだインクも乾いていない原稿用紙をくしゃくしゃに丸めて、それだけでは収まらず、わざわざまた開いてから破り捨てた。
 再び目を閉じる。己の内面を見つめる。しかし、もはや黒塗りの虚空以外には何も見えてこなかった。
「……やめた」
 ペンを机代わりの段ボール箱の上に放り出し、仰向けに寝転がった。
 ぼんやりと天井を眺める。蝉の声もイ草の匂いも途端によそよそしくなって、あとはもう暑さばかりがなれなれしくまとわりついてくるだけだ。ただし、破り捨てられて畳の上に転がる原稿用紙よりは、目玉のような形で天井に浮き上がった木目のほうが、まだしも幾分かの現実味があるように感じられた。
「……ん」
 何かが風を切る音が、遠くから聞こえてきた。空高くを、かなりの速度でこちらに向かっている。そしてわずか数秒後には、何者かが境内に降り立った。ちょうどさとりの視点から見える位置に砂埃が舞っている。
 来訪者は鴉のような翼をたたみ、ミニスカートの埃を払った。白いブラウスの胸元には、相当に使い込まれた形跡のある一眼レフが黒光りしている。
「毎度ー! 幻想郷最速の記者がお届けする幻想郷最速の新聞、『花果子念報』だよー!」
「あ、はたてさん!」
 すぐさま霊羅の声がした。どうやら幻想郷最速らしい姫海棠はたての手から、新聞を受け取って喜んでいる。
「いつも配達してもらって、ありがとーございます」
「ちゃんとお代は頂いてるから当然だけどね。それより霊羅ちゃん、たまにはネタになりそうな事件とか起こしてよね」
「えー、それはちょっと……」
「はは、冗談冗談。先代とは違って、そんな柄じゃないもんねー」
 はたては腰に手を当て、形のいい胸を反らして笑った。
「とはいえ、ここ最近はさすがにもう毎日ネタがてんこ盛りってわけにもいかなくてさ。なんか変わったことない?」
「あー、えーと……」
 霊羅が目を泳がせながら、ちらちらとさとりを見てきた。あまり言いたくなさそうにはしているようなのだが、なんというか、つくづく隠し事のできない娘だ。すぐにはたても視線の動きに気づいて、その先にいるさとりを発見した。
 こうなっては仕方ない。さとりは畳の上に起き上がった。
「こんにちは、売れっ子新聞記者の姫海棠はたてです――って、言わなくてもわかってるか」
 頭を掻きながら、はたてが歩み寄ってきた。縁側の向こうで立ち止まり、品定めするような目を室内に向けてくる。さとりは正座をして、軽く会釈した。
「古明地さとりさん、よね。いつからここに?」
「……二日前、ですね」
「ふん、ふん」
 手帖もペンも取り出すことなく、はたてはうなずいた。うなずきながら、彼女の考えることは、ただひとつ。目の前にいるサトリ妖怪に、最速を謳う花果子念報で取り上げるだけの価値があるのか否か、だ。
 重要な情報を早く伝えようとするならば、重要でない情報に時間を割くわけにはいかない。はたてにとっての重要な情報とは、未来に繋がる情報のことだ。彼女の目は過去には向いていない。
 はたてはにこやかな笑みを崩さないまま思考を巡らし、数秒で結論を出した。
「また機会があれば、取材させてくださいね」
「……ええ」
 ツインテールを揺らして頭を下げると、一秒を惜しむかのようにはたては踵を返した。どうやら彼女にとっての古明地さとりは、もう過去の存在であるらしい。なんともありがたいことだ。



 まっさらな原稿用紙を横目に見て、さとりはもう何時間も、ただただぼんやりと座っていた。
 新たな物語のアイディアが降りてくるのを、じっと待っている。――という自分への言い訳を断続的に繰り返しながら、いよいよ頭は回転を鈍らせていった。息をするのも億劫な状態でろくに思考などできるはずもなく、足の甲には畳の目がじわじわと食い込んでいくのみだった。
 日が暮れてきた。そろそろ夕食の時間だろう。
 食事はいらないと、藍には伝えてある。欲しくなったら言うから、それまでは作らなくてかまわないと。さとりとしては、食材と、調理の手間が無駄になるのが心苦しいのだ。藍は不満そうにしていたが、結局はしぶしぶながら了承してくれた。
「本当にいらないのか?」
「うあっ!?」
 いきなりスキマから藍の顔が出てきて、さとりは思わず飛びのいた。
「いりません、と言ったでしょう」
「でもなあ。やっぱり食べないと力の回復も遅いし、大きくなれないぞ、いろいろと」
【まあ個人的には、小さいのが好物なわけだが】
「……消化する暇もなく全部吐き出していては、食べても食べなくても同じです」
「うーん、そうか、わかった。でも、少しでも食べる気になったら遠慮なく言ってくれよ。お粥でもにゅうめんでもプリンでも、何でも用意するから」
「……はい、ありがとうございます」
 藍の顔が引っ込み、スキマが閉じるのを見届けてから、さとりは深い息とともに全身の力を抜いた。
 こうも唐突に出没されるのでは、ひとりで落ち着ける空間などあってないようなものだ。普通なら、近づく者があれば気配でそうとわかる。だがスキマを使われると駄目だ。前兆らしきものを感じ取ることはできず、実際にスキマが開いてしまうまで察知することは不可能だった。本当に、気分が休まらないのでやめてほしい。
 ただし、このようにプライバシーの確保が難しい状況というのも、まるっきり耐性がないわけではない。むしろ、それが常だった。
 こいしが、いたからだ。
 自室にひとりでいるつもりでいても、気がつけば妹がすぐ背後にいて、さとりが今まさに書いている小説を音読していた、などということは日常茶飯事だった。常に誰かの目がある可能性を頭の片隅に置いて行動することが、もはや習慣としてさとりの意識にこびりついていた。
 とはいえ、己の半身にも等しく思っていた妹と、つい二日前までは多少の顔見知り程度だった藍とでは、わけが違う。妹になら多少の恥部を晒してもさほど気にはならないが、相手が藍となれば、欠伸のひとつも見られたくはなかった。
 部屋の外からは、楽しげな声がかすかに聞こえてきていた。家族の団らん。もはや、さとりには縁のないもの。
 原稿用紙を横目に眺める。新たな物語など、降りてくるはずもなかった。



 O)))



 見わたす限りの闇、闇、闇。
 ひしゃげた車輪が、からからと転がっている。風もないのに、黒い羽根がひらひらと舞っている。
 青い薔薇は目を閉じていて、何を考えているのか窺い知ることはできなかった。
 手を伸ばす。青い薔薇の茎を掴むと、棘がさとりの皮膚を貫いた。血が手首から肘へと流れていき、服の袖に滲んでいく。
 痛い。夢の中ではあるが、痛い。しかし、手を離そうという気にはならなかった。そんな発想自体が、頭になかった。
 そのうちさとりは棘の痛みよりも、血の流れるくすぐったさに耐えかねて顔をしかめた。



 O)))



 三日が過ぎた。
 食事はまったく摂らず、部屋からほとんど出ない。一文字も記されない原稿用紙を眺めてただただ時間を流している。あまり布団には入らないが、気づけば居眠りしている間に涎を原稿用紙に垂らしている。眠いのか眠くないのか、自分でもよくわからない。
 たまに藍が部屋に入ってきて、二人ぶんのお茶を淹れる。重たそうに腰を下ろして、どうでもいい話をする。仕方ないのでさとりは、お茶を飲みながら話を聞いているふりをする。このお茶が、口から摂取する唯一のものだ。
 妖力は、回復しているような様子はない。衰えている様子もない。たかが三日でそうそう変わるものでもないのだろう。ただ、停滞しているような感覚が不愉快だった。回復するのか、衰弱死するのか、どちらにしてもさっさと済ませてほしかった。
「じゃあ、出かけてくるよ」
 帽子をかぶりながら、藍が言った。
 外出する際には、藍は必ずさとりに声をかけていく。こんな屍に、そんなことをわざわざ伝えなくてもべつにいいだろうに、と思う。さとりは黙って、一応小さくうなずくだけだ。
 やはり藍は非常に多忙らしく、昨日も一昨日も出かけていた。一回休みから復活した妖精の数を把握するため、霧の湖に住む大妖精のところへ。外界からの人肉調達について打ち合わせするため、ミスティア・ローレライのところへ。その頭脳で誰に何をどう話すべきかを的確に導き出し、それを実行するために幻想郷中を駆けずり回る。スキマを活用してようやく追いつくくらいの過酷なスケジュールをこなしながら、博麗神社に帰ってくればそんな苦労などおくびにも出さないのだった。
 今日も夕方まで帰らないようだ。それまでさとりは誰にも邪魔されることなく、白紙を眺める時間を過ごすことになる、はずだった。
 荒い歩調で突き進む足音と、それに追いすがる浮ついた足音。
「ねえ、やめとこうよー」
「構うもんか」
 不安そうに止めようとする霊羅と、聞く耳を持たない橙だった。
「待ってよ、橙、ねえってば」
「嫌なら、霊羅は来なくていいよ」
「そんなこと言ったってー」
「とにかく私は、もう我慢できないから」
 言い終わるのと同時に、開け放した障子の向こうから橙が姿を現した。続いて霊羅も。
 橙の手には竹箒が握られていた。――黒猫に、箒。しかし、魔法使いになれというわけではないようだった。
「おい、居候!」
 竹箒を持った手をさとりに向けて突き出し、突っかかるような口調で橙は言った。
「どうせ暇してるんだったら、掃除くらい手伝えよ」
 そのまま静止して、橙はさとりを見据えた。
 ……十秒。……二十秒。声も動きもないまま、ねばついた時間が流れる。そしてたっぷり三十秒が過ぎようかという頃、ようやく霊羅が金縛りから解放されたかのように、橙の腕を両手で掴んだ。
「ちょ、ちょっと、橙!」
「いでっ、何よ」
「いいから、こっち!」
 体格でも、おそらく腕力でも自分より上の橙を、霊羅はものすごい勢いで障子の向こうに引きずり出した。
「ダメだよー、あんなケンカ売るみたいな言い方」
 霊羅は小声で食ってかかった。声は殺しているつもりらしいが、第三の目を使わずともはっきりと聞き取れる。対して橙は、声を抑えることもなく普通に返した。
「なんで駄目なの」
「なんでって、さとりさん絶対に怒ってるよ、あれ」
【目つきがものすごく怖かったし、あーもう橙のバカバカバカ】
 さとりとしては怒っているつもりはなかったのだが、元々の目つきの悪さがそう思わせてしまったのだろう。一方で、橙は平気なものだ。
「怒らせたって、どうってことないよ。あんな腑抜け」
「わー! 聞こえちゃうって!」
「私は家事なんかさっさと終わらせて、早く修行がしたいの。ほら、どいて」
 橙が部屋に戻ってきた。座ったままのさとりを見下ろして、腰に手を当てる。
「働かざる者食うべからず、って言うけど、食ってないから働かなくていいとか思ったら大間違いだよ」
「…………」
「宿賃くらいは働いてもらうからね。さあ、立ちなさい」
「あーもー、どうしてそんな言い方!」
 霊羅が後ろから橙に飛びついて、フルネルソンに捕らえた。そのまま部屋の外へと連れ出そうとする。
「こらっ、霊羅、何すんの!」
「さとりさん、橙の言うことなんか聞かなくていいですから!」
 やはり体格と力の差か、途中で橙が踏みとどまった。とはいえ多分に手加減をしているため、フルネルソンを振りほどくまでには至らない。大騒ぎをしながら二人でもがいているうち、足が絡まった。
「ぬわー!」
 折り重なって、前のめりに倒れる。
「ぐはー」
「ちょっと霊羅、重い! 伸びてないで、早くどいてよ」
 下敷きになってもがく橙の手から、竹箒が転がった。さとりは立ち上がって、それを拾い上げた。
 二人が起き上がる。橙は不機嫌そうに、霊羅は不安そうに、それぞれさとりを見上げた。さとりは竹箒を両手で握った。
「やりますよ、掃除くらい」
 え、という口の形で、二人は意外そうな顔をした。命令した橙ですら、こうもあっさりと腰を上げるとは思っていなかったのだろう。
 さとり自身、意気揚々と立ち上がったわけではなかった。なんとなくの気まぐれで体が動いたにすぎない。ただ、実際に竹箒のひんやりとした感触を手のひらに受けてみると、原稿用紙に睨まれて日がな一日過ごすよりも多少はましであるように思えた。
「始めましょう。表を掃けばいいのですか」
「え、ん、うん。石畳のところとか、階段とか」
 自分でやれと言っておきながら、橙は少し戸惑っているようだった。靴を履きに玄関へと向かうさとりを、行き場のなくなった苛立ちを抱えたままの様子で、所在なく見送っている。
 先に気を取り直したのは、霊羅のほうだった。
「あ、じゃあわたし、拭き掃除する! 橙は中の掃き掃除ね!」
「ああ、うん……」
 不穏な空気から解放されて気が楽になったのか、飛び跳ねるような小走りで雑巾とバケツを取りに行く。対照的に橙は引きずるような足取りで、箒を取りに向かった。
 さとりは石畳の上に立つと、大きく息を吸い込み、吐き出した。数日間まともに体を動かしていなかったせいか、血の流れが淀んでいる感じがする。いや、むしろ五年間の蓄積か。どちらにしても、健康的と言い難いのはずっと昔からのことだ。
 まずは境内をぐるりと見回してみた。時季柄、落ち葉などはあまりない。その代わり、橙や霊羅がよく動き回っているためか、砂利がかなり多く石畳にかぶってしまっていた。表面をなでるように軽く掃いただけでは、なかなかこの砂利は除けきれないだろう。
 どこからどう掃いていくのが最も効率的か――手順を、頭の中で組み立てていく。
「ちんたらしてると日が暮れちゃうよ」
 背後から声がかかった。振り返ってみると、橙がしゃきしゃきと手を動かして畳の上の埃を掃き出しながら、横目でこちらを睨んでいた。
「あんた、見た目どおりトロいね。霊羅のほうがずっとマシだ」
「……そうですね」
「認めるのかよ。まあいいや、わかってるなら早くして。そんなペースじゃ、手伝わせてる意味ないじゃん」
「もー、橙! そういう言い方やめてってば!」
 霊羅が小走りで戻ってきながら言った。それからさとりに向かって、曖昧な笑みを浮かべて頭を下げる。橙はそっぽを向いて、掃除を続けた。
 さとりは竹箒を持ち直し、橙の姿を横目でうかがう。
 言うだけあって、手の動きは速かった。だけでなく、全身にキレがある。足の裏で掴むようにしっかりと畳を捉え、膝のバネと腰の回転を効率よく活用し、最大限の速度で手に持った箒を往復運動させていた。これだけ見ても、非常に優れた身体能力の持ち主であることがはっきりとわかった。
 だが、それが作業自体の早さにつながっているかというと、必ずしもそうではない。同じ箇所を何度も掃いたり、一度掃いた埃をまた風圧で掃き戻したり、四角い部屋を丸く掃いて、後から隅だけを掃き直したり。せっかく手が速くても、無駄が多いせいで作業はさほど早くはなかった。
 その点、さとりは正反対だ。竹箒を地面に押し付け、一足遅れて掃除を始める。
 間違っても、運動神経に自信があるなどとは言えない。お燐やお空が身近にいたから余計にそう感じるのかもしれないが、それを抜きにしたとしても、決して自慢できるようなものではなかった。もし今ここでヴァーリトゥードの試合をしろと言われたとしても、おそらく霊羅といい勝負なのではないだろうか。確かに認めざるをえない。動きは非常にトロい、と。
 だからといって作業が遅いかといえば、決してそうではない。
 地霊殿では、山ほどある仕事をできるだけ多く自分の手で片づけるべく、効率のいいやり方を日々考えながら過ごしていたつもりだ。初めて掃除する場所ではあるが、橙にだって早さで負ける気はしなかった。
 頭の中では、すでに青写真ができあがっている。それをなぞるように竹箒を滑らせれば、砂利の払いのけられた跡が予想通りの帯を描いた。そこにわずかに重なるように、もう一度。帯がほぼ倍近くの太さになった。もう一度。もう一度。竹箒を動かすたびに、石畳はその輪郭をあらわにしていく。
 気づけば滲む汗を拭うことすら忘れ、一心のうちに石畳と階段の上を掃き清めて終わっていた。
「済みましたよ、橙さん」
「えっ」
 橙は箒を持つ手を止めて、縁側に出てきた。信じられない、といった表情で庭を見わたす。
【あんなトロいのに、こんなに早く――しかも、手抜きもしてない。どうやって?】
「動きの速さよりも、大事なのは効率ですよ」
「ぐっ」
 橙は気に食わない様子で口を引き結んだ。
「次は何をしましょう。中の掃き掃除を手伝いましょうか」
「……いや、こっちはもうすぐ終わるから、霊羅を手伝って」
「わかりました」
 さとりは竹箒を片づけると、雑巾を持って霊羅のところに向かった。
「雑巾がけ、手伝います」
「あっ、ありがとうございます」
 場所を分担して雑巾をかけていく。すぐに進み具合に差がでてきた。
 やはり橙が言うように、さとりほどではないにしても霊羅は動きが鈍い。それでいて効率も橙といい勝負なので、明らかに遅かった。しかも拭き残しがところどころに見られる。もちろん怠慢ではなく不器用さによるものだ。傍から見ていて気にはなったが、まあいいかと思い黙っていた。
 雑巾を洗うため、バケツのところへ。先に雑巾を絞り終えていた霊羅が、すぐには持ち場に戻らず、何か言いたげに突っ立っていた。
「……何でしょう」
「えっ、あっ、あの、えーとですね、その」
 霊羅はさんざん口ごもった後、
「さ、さとりさんって、すごいですね!」
「……そうでしょうか」
「なんていうか、その、ものすごく手慣れてるっていうか」
「……毎日やっていましたから」
「あ、そっ、そうですよね!」
「…………」
 なおも霊羅は、雑巾をいじりまわしながらその場に立っている。さとりがため息をかみ殺しながら戻ろうとしたところ、後ろから袖を掴まれた。何かと思って振り向いてみると、深々と頭を下げた霊羅の頭頂部が見えていた。
「ごっ、ごめんなさい!」
 何が――言いかけたとき、霊羅の思考が流れ込んできた。その瞬間、さとりの心臓は跳ね上がった。
【わたしが結界を開けば、さとりさんは地霊殿に帰れるのに】
 さとりは勘違いをしていたのだ。いま地霊殿を囲んでいる結界は、藍が一人で張ったものだとばかり思い込んでいた。だが実際には、藍と霊羅の二人で張ったものだったのだ。
 紫から受け継いだ能力を、藍はまだ完全には自分のものにできていなかった。既存の結界を維持・修復するぶんには、博麗大結界でさえも一人で事足りる。だが新たな結界となると、一人ではあまり強力で持続性のあるものを張ることができないのだった。なので必要に応じて霊羅の力を借りている。
 複数の術者による結界は強力だが、欠点もある。術者のうち一人でも力を失ってしまえば、たちどころに結界も消えてしまう可能性が高いのだ。
 さとりは霊羅のリボンを、瞬きも忘れて凝視した。今の自分では、藍にはとうてい太刀打ちできない。それは身に染みてわかっている。だが、相手が霊羅ならどうか。
 目の前にいる相手の考えていることも知らずに、霊羅は顔を上げた。
「いま地霊殿に帰ったら危険だっていう、藍さんの話もわかるんですけど、でも、さとりさんの気持ちを考えたら……おうちに帰れないなんて、辛いに決まってますよね」
「いいんですよ、気にしないで」
「え」
「だって――」
 ――もう、地霊殿に帰れるから。
 さとりは手の雑巾を床に落として、霊羅の両肩を掴んだ。
【えっ、なに? なに? さとりさん、どうしたの?】
 身じろぎする霊羅の肩を、さらに強く握りしめる。剥き出しの素肌にさとりの指先が食い込んだ。本気で振りほどこうとされたら抑えきれないかもしれないが、戸惑いながら後ずさろうとする程度ならば逃がさないようにするのはたやすい。
 なんと無防備なことか。ここに至っても、まだ霊羅は悪意に対して身構えようとしなかった。博麗の巫女を務める者としては、あまりにぬるすぎる。幻想郷自体の存在をその身に負っているのだという自覚が、完全に欠けている。
 だがこのときに限っては、それならそれで都合のいいことだ。霊羅を潰せば地霊殿に張られた結界は消え、晴れてさとりは愛する者たちの元へ帰ることができる。藍には太刀打ちできなくても、相手がこの貧弱な巫女であれば、衰弱したさとりの力でも充分だ。
 トラウマの在処を探るべく、第三の目を見開く。と、いきなり後ろから肩を掴まれた。
 振り向いた瞬間、斜め下から飛んできた拳が、さとりの顎を的確に打ち抜いた。
 膝から力が抜け、尻から床に崩れ落ちる。さらに、襲いかかってきた影に押し倒された。
「何するつもりだ、コラァ!」
 馬乗りになった影――橙が、意外なほどの迫力で恫喝を浴びせてきた。
「さっきの、本気だっただろうが! うちの霊羅を潰そうってのか、あぁ!?」
「……そうですよ」
「何ィ!」
 橙はさとりの胸ぐらを掴んで締め上げ、喉元に体重をかけてきた。
「つくづく腐った根性してんな、お前は!」
 息ができない。が、さとりは全身の力を抜いて、されるがままにしていた。痛みも、苦しさも、どうでもいい。このまま絞め殺されるのならば、そのほうがむしろ楽でいいかもしれない、などと他人事のように思ったりもしていた。
 そのうち、頭がぼんやりしてきた。酸素が足りなくて、意識が薄れてきたのか。橙の手が緩められたわけでもないのに息苦しさがなくなってきて、代わりに、ふと心地良い感触に気がついた。
 腹部に押し付けられている、橙の尻だ。
 肉は薄くて、でも痩せぎすではなくて、しなやかな筋肉が躍動している。すらりと伸びた太股がさとりの胴をはさみ、艶やかな毛並の尻尾がさとりの腰をなでて――そう、とても、似ている。
 まだ人型化できるようになったばかりの、少し幼かったころのお燐は、よくこうしてさとりにじゃれついてきたものだ。そのときの感触に、とても似ている。
 懐かしさに浸っているうち、記憶と現実との境界があやふやになってきた。思わず頬がゆるむ。右手が勝手に動いた。橙のスカートの中、ドロワの裾から指先を滑り込ませ、毛も生えない滑らかな割れ目を直にくすぐった。
「うにあぁっ!?」
 さっきまでとはうってかわって可愛らしい声で叫び、橙は飛び上がった。次の瞬間にはさとりの顔面に拳が降ってきて、紅い飛沫が散った。
「こっ、この、変態!」
 橙は真っ赤な顔で、さらに追撃を振り下ろす。しかしそれがさとりを打ち据える寸前で、間に霊羅が割って入ってきた。
「ちょちょちょ、ちょっと待ったー!」
「どけろ、霊羅!」
「これ以上やったら、さとりさんが死んじゃうよ!」
「ああ、殺してやる! 邪魔するな!」
「ダメだってばー!」
 霊羅に押し止められて、なおも橙は拳を振りかざしている。さとりは大の字に転がって鼻血を流しながら、もみ合う二人を見上げていた。
「大体、こいつは霊羅を潰そうとしたんだぞ。霊羅が庇ってやる義理なんてない!」
「でも、やっぱりダメだよ!」
「このままじゃこいつ、絶対また霊羅に手を出そうとする。霊羅が危ないんだぞ」
「でも……あんなに血が出て、痛そうだしかわいそう……」
 急に霊羅が涙声になった。さとりからは顔が見えないが、おそらく逆らいがたいような表情をしているのだろう。橙は口をつぐんで、ゆっくりと拳を下ろした。
「……まあ、霊羅がそう言うなら、この場はここまでにしとくけど」
 橙はまたさとりに鋭い視線を向け、
「二度と変な気は起こすなよ。この神社のどこにいたって、霊羅に手を出そうとしたらすぐにわかるんだからな。次は、鼻の骨も顎の骨も砕いてやる」
「もー、やめてってば」
 霊羅が橙の袖を引っ張る。橙は取り合わずに、それから、と続けた。
「ちょっと藍様に優しくされてるからって、調子に乗るなよ」
 調子に乗っているつもりなど、さらさらない。だが痛みで口も動かないので、さとりは黙っていた。
「あんたの能力が幻想郷の役に立ちそうだから、藍様はあんたに優しくしてるんだ。でもいくら役に立ちそうだっていっても、霊羅の能力と比べたらゴミカスみたいなもんだ。あんたが霊羅に危害を加えようとするなら、藍様だってあんたを許してはおかない」
 うなずこうにも、首が痛くて動かない。さとりは心の中だけで同意した。
 最後にひと言とばかり、橙はさとりに人差し指を向けて、
「覚えておけ。幻想郷に貢献できなきゃ、あんたには何の存在価値もないんだ」
【もちろん、私も】
 言い捨てて、橙は足音も荒く廊下を歩いていった。
「だっ、大丈夫ですか」
 霊羅が駆け寄って、さとりの上に屈み込んだ。目の周りが赤く染まっている。
「……ええ、大丈夫」
「血が出てる」
「すぐ止まります」
「起き上がれますか」
「大丈夫で……」
 ……起き上がれない。まったく力が入らなかった。
「あっ、あっ、無理しないで!」
「……しばらくここで横になっていれば、良くなります」
「ダメですよ、こんなところで! 待っててください、すぐにさとりさんのお布団しいてきます!」
 霊羅は立ち上がって、ばたばたと走っていった。
 やれやれ、とため息をつく。あの調子だと、担いででもさとりを布団に連れていくつもりだろう。ならば霊羅が戻ってくるまでに、なんとか自力で歩ける状態になっておかなければ。
 もとより乏しい筋力を振り絞って、なんとか体を起こそうともがく。さっきよりは、少しだけ力が入るようになったようだった。



 O)))



 黒い羽根が、伏し目がちに問う。――私は、あなたの翼として、少しでも役に立っていたのでしょうか。
 ひしゃげた車輪が、伏し目がちに問う。――あたいは、あなたの足として、少しでも役に立っていたのでしょうか。
 返答に詰まって口ごもっていると、羽根と車輪はいよいよもって自信なさげにうなだれた。視界の端で青い薔薇が咲いて、次の瞬間には微風に消えていた。



 O)))



 目を開けると、息がかかりそうなほどの至近距離に上下逆さの顔があった。
「ただいま」
 逆さの顔――藍が、薄く笑みを浮かべて言った。
 さとりは今の状況を把握しようと、ぼんやりとした頭をかき分けた。外の景色が橙色に染まっている。どうやら時刻は夕方で、藍も用事を済ませて帰ってきたところのようだ。霊羅の肩を借りて布団にたどり着いてから今まで、眠っていたのか、気を失っていたのか。
 藍は体を起こして、今度は、にっと笑った。
「残念。眠れる美少女に、目覚めのキスと洒落込むところだったのに」
「……殴られたいのですか」
「んー、どちらかというと踏まれたいかな」
 痛む頭をようよう持ち上げて、さとりはゆっくりと起き上がった。すかさず藍が布団の横にまわって、顔を覗き込んでくる。
「うん、ちょっと腫れてるけど、大したことはないな」
 ひとりでうなずいてから、藍は正座をして深々と頭を下げた。
「私の留守中に、橙が乱暴なことをしたようで。申し訳ない」
「あ、いえ。頭を上げてください」
「橙には私から厳しく指導しておくので、どうか許してやっていただきたい」
「いえ、悪かったのは私ですから。もう頭を上げてください」
 ひと呼吸置いてから、藍は神妙な顔をようやく上向けた。
「まあ、橙は、私の言いつけどおりにやってくれただけなんだ。私が外に出ているときは、何かあったらお前が霊羅を守ってくれ、とな」
 その言いつけ自体は、少しも間違ってはいないし、必要なものでもあるだろう。
 先代の霊夢であれば誰に襲われようとも返り討ちにできただろうし、そもそもある程度利口な妖怪であれば最初から諦めて手出しなどしなかったはずだ。しかし相手が霊羅ならば、並の妖怪でも充分どうにかできてしまう。博麗の巫女という重責に実力が追いついていない現状を見て、良からぬことを企む者が現れたとしても不思議はない。
 もちろん橙といえども、各勢力のトップに立つほどの大妖怪と真っ向から戦ってはひとたまりもないし、大勢で攻め込まれては対処しきれない。その場合は、藍が事態を察知するまで霊羅を連れて逃げることに徹することとなるだろう。とはいえ、ある意味では幻想郷の存亡を握るような重要な役割を任されているのだ。橙としては、神経質になりすぎるくらいの心構えで臨むのも無理のないところだ。
 ちなみに、橙はさとりを殴った理由として、下着の中に指を突っ込まれたことは伝えていないようだった。さとりの名誉を守ったというわけでもあるまい。そんなことがあったと藍に知られるのが嫌だった、というところか。
「じゃあ、晩ごはんの支度をしてくるよ」
 藍は立ち上がり、
「さとりさんは食べる?」
「……いりません」
「……そうか」
 残念そうに首を振って、
「何かあったらいつでも呼んでくれ」
「お構いなく」
 少し困ったように笑いながら、部屋を出ていった。
 藍の姿が消えたのを見届けてから、再び布団に身を横たえる。天井を眺めながら、橙が放った捨て台詞と、その後に聞こえた心の声を思い出した。
 ――【もちろん、私も】
 今の藍にとっては、幻想郷を守り、より良くしていくことが最優先事項だ。なぜなら、その仕事に関わっている時間だけは、どこかで紫との繋がりを感じていられるから。冗談めかして話してはいても、いまだ藍の中では、紫こそが唯一無二にして絶対の存在であり続けているのだ。
 であればこそ、藍にとって他者の価値は、いかに幻想郷の役に立つかで決まる。それはさとりや映姫はもちろん、霊羅も例外ではない。
 そして、八雲の姓を授けた式神でさえも。――と、橙は思っている。
 役に立たなければ、自分に価値はない。逆に言うなら、役に立てば愛してもらえる。役に立っている間は、傍に置いてもらえる。そういう考えが橙を支配しているのだ。だから修行でも一切手は抜かないし、霊羅を守るようにという藍の言いつけには絶対に応えようとする。そうすることでしか、藍との繋がりを保てないと思っているから。
 さとりは額の上で手を重ね、視界を遮った。脳裏にはお燐と、お空の姿が浮かんでいた。
 かつてのさとりは、ペットたちに対して基本的に放任主義の態度をとっていた。愛情が欠けていたからではない。それこそ目に入れても痛くないくらいに愛おしかったからこそ、できる限り行動を縛ることなく自由奔放に過ごさせるのがペットたちの幸せだと思い、自分からはあまり触れ合いを持とうとはしなかった。
 動物の姿しかとれない者であればともかく、人型化して言葉を操れるようになったお燐やお空などであれば、人間や他の妖怪たちと同じく、そのうちサトリの能力を疎ましく思うようになってしまうのではないか。――ペットたちを遠ざけた理由の中には、そんな恐怖心も少なからずあった。
 考えを変える契機となったのは、あの異変だ。お空が起こしたというべきか、それともお燐が起こしたというべきか。地底と地上との交流が始まるきっかけともなった、あの間欠泉異変だった。
 二柱の神様がちらつかせた強大な力に、お空は躊躇なく飛びついた。そして手に入れた力を、とにかく使おうとした。使って、さとりの役に立てば、確実に愛してもらえると思ったから。
 お空の暴走を知ったお燐は、さとりよりも先に、地上の妖怪に異常事態を伝えた。友人が犯した過ちを主人が知れば、どんな処罰が下されるか。もう二度と会えなくなる可能性だって、ないわけではないと思ったから。
 結局、あれはお空とお燐の不安が引き起こした異変だったのだ。無条件で主人に愛されているという確信が持てなかったから、不安から逃れたくてああいった行動に出た。
 つまりあの異変は、さらに言うなら、ペットたちへの愛情をあまり表現してこなかったさとりにも責任があったのだ。
 気づいてしまえば、何でもないようなことだった。臆病であるがために互いに距離をとってしまい、その距離が実体のない疑念を生み、不安がよりいっそう距離を遠ざける。だからこそ、主人のほうから歩み寄ってやらなければならなかったのに。
 その後は方針を変え、積極的にペットたちと触れ合うようになった。自分の気持ちや考えを、よく口に出すようになった。ペットたちの頭を撫でて、私はあなたが大好きですよ、と。
 変化はじきに見えてきた。自分がいかに愛されているかを改めて知ったペットたちは、何を恐れることもなくさとりに寄ってくるようになった。元々、そうしたいという欲求は強く持っていたのだ。さとりの膝の上を占有する権利を巡っては、たびたび小競り合いが繰り広げられるようになるほどだった。
 小説として書き上げて、見知らぬ者にも誰彼なく読ませてやりたいと思うほどの幸福な日々が訪れた。仕事の疲労など感じる暇もないほどに、ペットたちと心を通わせ合った。それまでのどんな苦労も、この日々によって報われたような気がしていた。
 だがしかし、それから大異変が起こるまでのわずか数年という時間は、あまりにも短かった。
 何を措いても、まずは主人の役に立ちたい。たとえ危険を冒してでも。たとえ自分を犠牲にしても。そういうペットたちの行動原理は、いまだ変わってはいなかったのだ。仲間を、地霊殿を、さとりを守るため、ペットたちは力の強い者から我先にと、勇んで戦いに赴いていった。
 そして力の強い者から、次々と散っていった。
 もっと早くに態度を改めていたら、という後悔をさとりは強く感じていた。役に立つか立たないか、そんなことは関係ない。お燐だから、大好きなのだ。お空だから、大好きなのだ。それがもっと早くに伝わっていれば、お燐もお空ももっと自分を大事にしたはずだし、きっと生き延びてくれたはずだ。あんな馬鹿げた乱痴気騒ぎに、軽々しく命を放り出したりはしなかったはずだ。自分が死ねば主人が悲しむと、疑う余地もないくらいに確信してくれていたならば。
 気づけばさとりは、額の上で拳をきつく握りしめていた。手のひらに爪が食い込むほどに。
 よく似ている。お燐やお空に、橙はよく似ている。だから、一発や二発殴られたところで、嫌ったり憎んだりできるはずがなかった。
「あのー……」
 青草を踏んだくらいの小さな声によって、思考の泥濘から引き戻された。手を少しずらして、片目だけを声の主に向ける。障子の向こうから、霊羅が左半身だけを覗かせていた。
「……何でしょう」
「あ、あのっ、入っていいですか」
「……どうぞ」
 さとりは起き上がった。
 招き入れられてもなお、霊羅は腰の引けた歩き方で布団の横まで来て、膝をついた。
「大丈夫ですか」
「何ともありません」
「でも、鼻血とかすごい出てたし」
「これでも妖怪のはしくれです。すぐに治りますよ」
「そうなんですか」
 あまり納得していないような顔で、霊羅は形だけうなずいた。
 ――橙がお燐なら、霊羅はお空、だろうか。
 さとりは頭の中で当てはめてみて、やっぱり違うな、とかぶりを振った。猫の妖怪という共通点のみならず、橙とお燐には似通った部分が多く見られる。だが霊羅とお空には、あまり重なる部分が見当たらなかった。くっきりとしてどこか男性的でもある顔立ちのお空と、やわらかくぼんやりとした印象の霊羅。長身で骨格もしっかりしており、メリハリのある体型のお空と、幼さを差し引いたとしても線が細く、頼りない感じの霊羅。性格も大きくかけ離れている。強いて挙げるなら、あちこち毛先が跳ねた長い黒髪。その程度のものだ。
「あ、あのっ」
 霊羅は身を乗り出してきた。自然とさとりは後ろ手をついて、顔と顔との距離を離す。
「橙がさとりさんを殴ったのは、ちょっと勘違いしただけなんです」
「……はい?」
「なんで殴ったのって聞いてみたら、さとりさんがわたしに悪いことしようとしてたからだ、って。そんなこと、するわけないですよね」
 本気で橙に対して呆れている。おめでたいことだ。
「でも、橙も、悪気があってやったわけじゃないと思うんです。ただ、ちょっとひとを疑いすぎるところがあって」
 ひとを疑わなさすぎるのも、いかがなものか。
「だから、どうか、橙をあんまり嫌わないであげてください」
 またしても頭を下げられて、さとりは戸惑うしかなかった。真っ赤なリボンから目を逸らして答える。
「嫌っていませんよ、これっぽっちも」
「え、本当?」
 ぱっと輝いた表情が、さとりに向けられた。
「ええ。橙さんが言ったことは、本当ですから」
「えっ」
「あのとき橙さんが守っていなければ、あなたは今ごろ廃人でしょうね」
 ぽかりと開いた口は徐々に閉じて、口角だけが下がっていく。目は伏せられ、眉は外側へと下降線を描いた。
「やっぱり、そうですよね」
 さきほどとは言うことが正反対になっている。だが、これも霊羅の本心には違いないようだった。
「わたしの結界のせいで、さとりさんは家族に会えないんですもんね。怒って当然だと思います」
 怒ってなどいなかった。霊羅に対しても、藍に対しても。ただ、地霊殿に帰るための障害を排除するというだけのために、全く作業的に、全く無感情に、躊躇なく霊羅を潰そうとしたのだ。
「でっ、でも!」
 霊羅は顔を上げて言った。
「藍さんのこと、嫌いにならないでください!」
「はあ」
「いいひとなんです、ものすごく!」
「わかっています。……嫌っていませんよ、藍さんも」
 霊羅は胸に手を当て、「良かったぁ」と息をついた。が、しかしすぐに表情が曇る。
【だけど、もっと他に、何かいい方法はなかったのかなぁ】
 地霊殿に結界を張る。そのことに、霊羅は心から納得していたわけではないようだった。
 さとりを家族から引き離す――いや、本物の家族ではない。あくまでスペルカードによって生み出されただけの、単なる虚像だ。それに、さとりの身の無事を考えるならば、問答無用で引き離したのはおそらく最善の選択だった、客観的に見るならば。それは霊羅も頭では理解していて、だからこそ藍の指示に従ったのだろう。
 だが、心から納得していたわけではない。
【いきなり家族と会えなくするなんて、ひどいことだよ、きっと。どんな理由があっても】
 ほんの小さなものではあったが、霊羅の中に、藍に対する疑念が生じていた。
 さとりは意外に感じた。こんなにもひとを疑うことを知らない霊羅であるのだから、親代わりともいえる藍の言うことであれば、深く考えることもなく何でも従いそうなものだと思っていたのだ。それなのに、初めて会ったばかりだったさとりの気持ちを考えて、藍の指示に抵抗感を覚えている。
 自身の境遇に重ね合わせているのか。と、さとりは見当をつけた。
 博麗の巫女であるとはいえ、霊羅も人間だ。おそらくは人里に、実の家族がいるはずだった。つまり、ちゃんと両親がいるはずだし、兄弟姉妹もいるだろう。祖父母も健在かもしれない。人間であれば当然のことだ。ただし、初めて出会ってからの彼女を見ている限りでは、家族の存在を窺わせるものが何ひとつなかった。人間が誰か会いに来ることもなければ、手紙か何かをやりとりしている様子もない。霊羅が人里に出向いていくこともない。
 博麗の巫女になった際に、引き離されたと考えるのが妥当だろう。紫か、あるいは藍か、どちらの仕業かは知らないが、今後霊羅と関わらないようにと因縁を付けられたか。
 さとりはこれといった意図もなく、ただ単にこういうときの習慣として、霊羅の心理をやや深いところまで読んだ。が、そこで妙なことに気がついた。
 両親をはじめ、家族のことが記憶にない。
 ないというよりは、作為的に封じ込められているようだった。必然的に四歳以前の記憶はことごとく曖昧で、博麗の巫女になる前の霊羅がどんな子供だったのか、本人があまりよくわかっていない。
 少し考えてみれば、容易に推察できることだった。巫女として扱いやすくするために、結界の管理者が記憶を操作したのだ。
 当時、わずか四歳の子供だ。記憶を封じられた後の心許なさを埋めるために、藍と橙を新たな家族と見なすようになった。元来、ひとを疑わない性格でもあったのだろう。記憶を封じた犯人が藍かもしれないなどという疑念を抱くこともなく、依存の態度を早々に固めてしまった。安心を得たいという、子供としては当たり前すぎる欲求によって。
 そういえば、と思い返してみて初めて気がつく。霊夢の心にも、家族の存在が欠如していた。博麗の巫女は代々、結界の管理者によって記憶を封じられるのかもしれない。そしてその結果が霊夢の場合、あの人間離れした泰然たる人格だったのだろう。
 ともかくも、霊羅は藍を家族として頼っている。それは霊夢と紫の関係よりも、はるかに強く癒着したものだった。結界の管理者としての立場からすれば、これほど都合のいいこともないだろう。博麗の巫女という最も重要な要素が、自分の手駒として思い通りに動く。未熟な巫女の扱い方さえ誤らなければ、おおむね安定した管理が可能になるはずだった。
 そこに綻びを生じさせかねない、今の霊羅の気持ち。藍が考えるよりも、家族というものへの執着が強かったということか。
 斟酌せずに言うならば、さとりにとっては、知ったことではない。幻想郷の安定だとか、そういったことは正直なところどうでもいいのだ。ただ、霊羅の心に淀みが生じつつあるのを黙って見ているというのは、少しだけ心苦しくも感じられた。
 さとりは手を伸ばし、霊羅の頭を軽く撫でた。
「信じてあげなさい」
「え」
「あなたの『家族』なのでしょう? だったら、居候のことなど気にしないで、藍さんのことをもう少し信じてあげなさい」
 主人のことを、信じさせてあげられなかった。これは今となってはもはや叶わぬ、お燐やお空に対するせめてもの罪滅ぼしであったのかもしれない。霊羅はしばらくさとりの言葉を胸の中で反芻し、その意味に納得してからようやく顔を上げ、ゆっくりと、だがしっかりとうなずいた。
「……はい」
 滲んだ涙を袖で拭い、すくと立ち上がったときには、霊羅の表情は幾分すっきりとしたものになっていた。
「ありがとうございます。じゃ、わたしは藍さんのお手伝いに戻りますから、ゆっくりしててくださいね」
「ええ」
「あ、そうだ。朝のお掃除も、ありがとうございました」
 ぴょこんと頭を下げて、小走りで部屋を出ていく。
【さとりさん、明日はごはん食べてくれるかなぁ】
 足音は軽やかに遠ざかっていった。今更ながら霊羅が残した、汗と土と太陽の混ざったようなかすかな匂いに気がついた。
 まだ他者の悪意に染められていない、無垢な心。――少しは似ているのかもしれない、と、さとりは静かに考えを改めた。



 O)))



 さとりと青い薔薇は並んで座り、車輪と羽根を眺めていた。
 ――似てるの?
 青い薔薇が訊ねた。さとりがうなずくと、青い薔薇は鼻で笑った。
 ――ふぅん、良かったね。



 O)))



「はい」
 次の朝、さとりの部屋に入ってくるなり、橙は竹箒を差し出した。もちろん、藍が外出した後でのことだ。
「もー、やめようってばー!」
 慌てふためいて霊羅が止めようとするのは、昨日と同じ。
「やりましょう」
 そしてさとりがあっさりと竹箒を受け取るのも、全く同じだった。
 むしろ、待ってさえいた。そのために動きやすい服装にしていたのだ。上下ジャージなど、持ってはいたものの、これまではほとんど着たことはなかった。地霊殿の主として急な来客にもすぐ対応できるよう、邪魔なフリルのついた洋服のまま家事をこなすのが常だった。
 今日も晴天。
 肌を焼かれながら掃き掃除をしているうち、ふと気づいたことがある。よく晴れた日というのは、少しだけ周囲がよく見えるような気がするのだった。地霊殿にいたころや、ここに来てからでも部屋に籠もってばかりいた一昨日までは、思いもしなかったことだ。
 例えば、拝殿の右手前。その一角には向日葵が植えられている。数にして百本ほどか。神社の境内にはいささか不似合いであったが、どれもこの場所が檜舞台とばかり、臆することなく元気一杯に咲いている。
「いいでしょ。わたしのお花畑ー」
 廊下の雑巾がけをしていた霊羅が、歌うように言いながら外に出てきた。
「霊羅さんが育てているのですか」
「はい。って言っても、種を植えて水をあげてるだけですけど」
「それだけで、こんな元気に?」
「種がいいんですよ。幽香さんにもらったものだから」
 花の大妖怪、風見幽香。意外な名前に、さとりは首をかしげた。
 誰が生き残って、誰が死んだのか。だいたいのことは藍から聞いている。非常に好戦的であるにもかかわらず大異変を無傷で生き延びた珍しい存在として、幽香の名前は挙げられていた。今はいくぶん落ち着いて行動範囲は狭まっているが、機嫌を損ねると恐ろしいのは変わらないので気をつけるように、とのことだった。
 その幽香に、向日葵の種をもらったという。
「わたしに悪いことしようとする奴がいたら、この向日葵を見せてやりなさいって言われたんです」
 霊羅も首をひねって、
「どういう意味なのかな」
 と笑った。
 博麗霊羅に手を出す者がいたら、風見幽香が許さない。という意思表示だろう。用心棒のつもりか。確かに、藍も恐れる大妖怪がバックについているとあれば、利口な者であるほど手を出しづらくなる。抑止力としての効果は申し分ないはずだ。
 にしても、霊羅は本当に何もわかっていないようだ。幽香のことを『お花のお姉さん』程度にしか思っていない。どんな理由があるのか知らないが、あるいはただの気まぐれか、今は霊羅のことを気に入ってくれているようだが、ひとたび何かの拍子で不興を買ってしまえば、藍と橙に守られているといえども無事でいられるかどうか。
「あ、それから、この土ねぇ」
 暢気な巫女は向日葵の植わっている地面を指さし、
「たまに穣子様と静葉様が来て、神様の力を入れてってくれるんです。あっちの畑も」
 本殿の横あたりに指を向ける。そこでは確かに各種野菜が力強く育っていた。これまた、神社の境内にはひどく不似合いではあるが。
「御利益で、作るものはたいてい豊作。おかげでうちは、とりあえず食べるものには困らないんですよ」
「はあ」
「あ、そうそう」
 霊羅はぽんと手を打ち鳴らした。
「さとりさん、好きな食べ物って何ですか」
「そうですね……」
 気は乗らなかったが、一応考えてみる。
 人肉に限らず、肉はさほど好きではない。魚は、そもそも地底では良質なものが手に入りにくかったうえに、手に入れば優先してペットたちに食べさせていたため、好き嫌い以前にそもそも印象が薄い。自然とさとりは野菜中心の食生活となっていた。その中でも、自ら地中に身を潜め、強固な体に土くささを纏う、ある野菜。味のみならず、その在りように対する共感と憧憬をも両方含めて、さとりは気に入っていた。
「牛蒡、ですかね」
「え、牛蒡?」
「……変ですか」
「あ、いや、あの、シブいなーと思って」
 霊羅は慌てて手と首を横に振り、「そうか、牛蒡かー」とつぶやきながら思案に沈みかけた。
「こらー、霊羅!」
 見計らっていたかのように、橙の声が飛んでくる。霊羅は肩をびくりと跳ね上げて、おそるおそる振り向いた。
「なにサボってんの! さとりさんに手伝わせてる意味ないじゃない!」
「ごめーん、いま戻るー!」
 ぱたぱたと草履を鳴らして、霊羅が駆け戻っていく。
 走り方ひとつ取ってみても、どことなく鈍くささというか、見ていて心配になってくる。こんなので大妖怪たちと対等に渡り合い、博麗の巫女としての務めを全うすることができるのだろうか、と思わずにはいられない。だが彼女に魅力がないかというと、決してそういうわけでもなかった。先代とはまた違った形をした何らかの魅力を、霊羅は持っているような気がする。
 さて、とさとりは竹箒を握り直した。ぼんやりしていては、自分も橙に怒られてしまう。手を動かさなくては。
 ふと見ると、向日葵たちは境内を見張っているかのように、一様にその焦茶色の顔を見せていた。



 風呂掃除をさとりに任せて、橙と霊羅は昼食の仕度を始めた。
「さとりさん、食べます?」
 訊ねてきた霊羅にいらないと伝えると、この世の終わりのような顔で去っていった。三度三度同じ返答ばかりなのだから予想くらいついているはずなのに、そうまで本気でがっかりしなくてもいいだろうにと思うのだが。
 空の湯船にしゃがみこんで、たわしで磨いていく。ちなみに、朝着ていたジャージはすでに汗まみれで洗濯籠にぶち込まれていた。上はもうTシャツ一枚で、下もショートパンツに穿き替えている。藍が見たらまた変態のふりをして絡んできそうな格好だが、今は気にすることもあるまい。そんなことよりも作業効率が優先だ。それにそもそも、地底の夏とは比べものにならないこの猛暑の中で、ジャージなど土台無理だったのだ。
 しかし、とさとりは頬に貼りつく髪の毛を払った。地霊殿の浴槽が大理石でできていたのに対し、ここのものは檜でできている。掃除するにも感覚が違って、思ったよりも手間取っていた。博麗神社に住み始めてからの生活で、体がなまってしまっていたせいもあるだろう。次第に足がしびれて、皮膚の感覚が薄れていった。構わず手を動かしていると、今度は肩から先が石のように重くなってくる。
 最後に水を流す頃には、すっかり腰が痛くなっていた。
「さとりさん、さとりさん」
 脱衣所で腰を伸ばしていると、霊羅が小走りでやってきた。手には箸と小皿を持っている。
「あのっ、これ、わたしが作ったんです。味見してもらえませんか」
「ですが……」
 小皿に乗っているのは、きんぴら牛蒡だった。
 確かに牛蒡が好きだと言ったし、実際に好きだ。だが今は、食欲がない。食事が喉を通らない。それは、好物の牛蒡といえども例外ではなかった。
「ね、ひと口でいいですから」
 なおも霊羅は手を引っ込めない。すると橙も顔を出して、呆れたように肩をすくめた。
「気をつけたほうがいいよ。マズいから」
「ぬぁっ、ひどい!」
「事実だし。悪いこと言わないから、やめときなって」
 言いながら、橙は気持ち悪そうに口をもごもご動かしている。どうやら本気で不味かったらしい。
 見れば、牛蒡は一応ささがきに切られてはいるが、厚さも長さもてんでばらばらだ。さらに色が妙に濃く、ところどころに焦げた部分がある。なるほど、藍の料理と比べてみるまでもなく、これは並の腕を持つ者の手によるものではなかった。
「やる気があるのはいいんだけどさー、そろそろまともなの作れるようになってくれないかなー」
 橙の苦言を受けて、霊羅の顔が赤くなる。
「これが博麗流の味付けなの! ちょっと口に合わなかったからって、文句ばっかり言わないでよ!」
「いや、これは好みの問題ってレベルじゃ……」
「頂きましょう」
 さとりは霊羅の手から、箸と小皿をひょいと取った。言い合いがぴたりと止まる。橙に正気を疑う目で見られたのはもちろんのこと、霊羅も、にわかには信じがたいという表情を向けてきた。
 視線をむず痒く感じながら、きんぴら牛蒡を口へ運ぶ。
 ――辛い。
 まずは舌が、これでもかと利かされた醤油の辛さに縮み上がった。それでいて、味の印象が絶望的にぼやけている。辛いなら辛いなりにまとまった味にすることも可能なのだが、これはただもう辛いばかりで、どこを目指しているのかがはっきりとしなかった。唾液と混ざり合うにつれて、気持ち悪くさえなってきた。よくもこれだけ不味いものが作れたものだ。
 だが。
 咀嚼しているうちに冒涜的な味付けが薄れ、代わりに牛蒡本来の土くさい芳香が口腔内を満たし始めた。決して華美ではない、しかし地に足の着いた、安心できる味だ。
「……おいしい」
 飲み下した牛蒡と入れ替えに、ささやくような小声で言った。見守る二人の反応が真っ二つに割れる。
「ほんとうに? やった!」
 霊羅は小さく飛び跳ねながら手を叩いた。やはり本心では自信がなかったらしく、弾けるような喜びようだ。一方で橙は、いよいよ苦い顔で腕を組んだ。
【嘘ついてまで喜ばすことなんてないのに。これじゃ、霊羅が勘違いしちゃうよ。それともまさか、本当に舌が馬鹿だとか?】
 もちろんさとりも、調理が良かったとは思っていない。しかし、霊羅を支える者たちの力を受けて育った牛蒡そのものは、とてもとても、おいしかった。そこは偽りのない本心からの感想だ。
「じゃあ、じゃあ、」
 霊羅は飛び跳ねたまま、さとりの手を握ってきた。
「やっぱり、お昼ごはん食べませんかっ!」
「いえ、遠慮しておきます」
「えっ」
 顔に笑みを貼り付けたままで、霊羅の動きが止まった。
「……食べませんか?」
 重ねて言われても、返答は同じだ。さとりは首を横に振り、霊羅の手を解いた。後ろで橙が、やっぱりね、とうなずいている。
「ごめんなさい。食欲がなくて」
「ああ……そうですよね」
 この世の終わりのような顔で、霊羅は橙に振り向いた。
「じゃあ、二人で食べよっか」
「私はいらないよ、きんぴら牛蒡」
「えっ」
「霊羅が責任持って食べてよね」
「……はーい」
 箸と小皿を受け取ると、霊羅はがっくりと肩を落とし、とぼとぼと去っていく。その背中に、さとりは声をかけた。
「また今度、作ってください」
 髪が舞い踊るほどの勢いで、霊羅は振り返った。驚いた表情に、たちまち笑みが満ちる。
「はいっ!」
 明るい声で言って、霊羅は背を向けた。橙を後ろからせっつきつつ、台所へと去っていく。
「痛い痛い、皿で押すな!」
「じゃあ、もっと速く歩いてよー」
 騒がしい声が遠ざかる。ひとり残ったさとりは、口の中で牛蒡の余韻を味わっていた。



 昼食が終わると、橙と霊羅は陽が多少でも傾くのすら待たずに、揚々と修行を始めた。
 二つの影が空を舞う。急上昇、自然落下、地面すれすれでの急旋回、急停止。空中での身体制御の訓練だった。弾幕ごっこを行うにあたって、飛行技術はまずもって必要となってくる能力であろう。橙はどちらかというと地上戦を得意としているようだが、平面上の動きだけでは限界があるというのは、本人も自覚するところだった。
 訓練、といっても何のことはない。霊羅が先を飛び、橙が追いかける。後追い側が手で触れれば、前後交替。鬼ごっこの要領だ。
 両者の鬼番は、ほぼ同じくらいの時間で入れ替わっていた。空中戦の苦手な橙が相手とはいえ、霊羅もなかなか健闘するものだ――と思っていたら、橙の手首足首にはそれぞれ加重のための鉄輪がはめられていて、ちょうどいい勝負になるよう調節されているのだった。
 さとりはといえば、二人の修行を眺めながら、境内の草むしりに励んでいた。
 夏場は草木の生育が早く、気を抜くとすぐに周囲の森から雑草が侵食してくる。今日必ずやらなければならないというわけでもないが、どうせ暇しているのなら、と橙に頼まれたのだ。霊羅はやんわり止めようとしていたが、さとりは即座に請け負った。掃除洗濯は良くて草むしりは駄目というのも変だと思って、特に深い考えもなく鎌と軍手を受け取ったのだった。
 が、少し後悔し始めている。
 この草むしりという作業、地霊殿での生活とはまるで無縁だった。地底では雑草が伸びて困るなどということはなかったのだ。他にも、こうやって腰を屈めたり、地べたにしゃがみ込んだりしてする作業というのは、あまり経験がない。手のほうはどうということはないが、風呂掃除ですでに軋み始めていた腰が、ものの数十分で痛みを訴えだしていた。
 加えて、この直射日光。これまた地底にはなかったものだ。高角度から降り注ぐ太陽エネルギーは、適度であれば生命の活力にもなるのだろうが、度が過ぎれば急速に体力を奪う。とめどなく汗が噴き出し、もともと身体的な貧弱さに定評のあるさとりは、そろそろ意識が朦朧と――
「さーとーりーさんっ」
「ひあっ!?」
 突如として耳元で発せられた声と、頬に触れた得体の知れない刺激によって、さとりは思わず変な声をあげながら尻餅をついた。顔を上げる――霊羅が、焦茶色の液体をなみなみと湛えたグラスを手に、目を丸くしていた。
「あー、こっちがびっくりしちゃった。まさかさとりさんが、そんなに驚くなんて」
「あ、いえ……」
「んー、でも」
 霊羅は楽しそうに笑い、
「初めて見たかも。さとりさんが本気で慌ててるとこ」
「……そうですか」
 気恥ずかしさから逃げるように、急いで立ち上がる。見事に立ちくらみに襲われて、よろめくところを橙の腕に支えられた。
「あーもう、地底のもやしっ子がこんな炎天下で、頭丸出しで何やってんの」
 ぶつくさ言われつつ、そのまま手を引かれて縁側まで連れて行かれた。腰を下ろすと、横から霊羅がグラスを差し出してくる。
「ちょっと休憩しましょ。はい、麦茶」
「……ありがとうございます」
 さきほど頬に押し付けられたのは、びっしりと結露を纏った麦茶のグラスだった。ありがたく受け取って、まずは少量を喉に落とす。体の中心部から冷やされて、とろけた脳味噌が再び形を取り戻していくかのようだった。
「まったく。さとりお嬢様には、こんな基本的なことから教えて差し上げなきゃならないのかね」
 言いながら、バケツを手に橙が戻ってきた。
「日差しが強くて暑いときは、帽子とか何かで頭を守る。これ、常識だよ」
「……霊羅さんも丸出しですが」
「ああ、この子は大丈夫。博麗の巫女の夏用リボンには、ラジエーターの機能が備わってんの」
 橙は霊羅のリボンを指でつまんでみせたが、少なくとも外見はそういった機能を連想させるものではなかった。
「でも、まあ、さとりさんって帽子似合わなさそうだし」
「……わかっています」
「こっちのほうがいいっしょ」
 橙はバケツの中に入っていたタオルを絞って、さとりの頭に被せた。そしてバンダナのように、端を後ろで結ぶ。
「うん。やっぱりこっちのほうが、まだ絵になる」
「……ありがとうございます」
「途中で倒れられたら草むしりが進まないし、看病で余計に面倒になるからね。藍様にバレてもまずいし」
 あながち照れ隠しでもない発言をして、橙は一気に麦茶を飲み干した。
「ほら、始めるよ、霊羅」
「あ、うん。さとりさんはゆっくりしてくださいね」
 二人とも軽い足取りで、暴虐なる太陽の下に出陣していく。つくづく元気なことだ。
 再開した空中鬼ごっこを観戦しながら、ゆっくり、ゆっくりと、グラスを空にした。汗は止まらないが、そのぶん毛穴から熱を体外に押し出してくれるようだ。それに、橙が頭に巻いてくれた濡れタオルが、ことのほか心地良い。これなら炎天下の作業もずいぶんと楽になりそうだ。
 よし、と立ち上がる。土に汚れた軍手は、湿り気でひやりとした感触だった。



 肌の火照りが逆に、夕刻の風の涼しさを教えてくれる。
 草むしりはほどほどで終えて、さとりは縁側で団扇を手に腰かけていた。雑草はまだまだいくらでも残っているが、早めに切り上げるよう橙に言われたのだ。あまり長引かせて藍様にバレてもいけないから、ということだった。
 気怠さが両肩にぶら下がっている。なけなしの握力をほぼ使い果たして、団扇を握る手にも思うように力が入らない。足腰もだいぶん怪しくなっており、明日には訪れるであろう筋肉痛のことを考えると、今から恐ろしかった。
 だが、感じる。筋肉の奥で、骨の芯で、体を回復させようとする作用が、確かに働いている。
 ――もう、空っぽになってしまったのだとばかり、思っていたのだけれど。
 さとりは腰をかばいつつ立ち上がり、自分の部屋に入った。原稿用紙を段ボール箱に乗せ、ペンを手に取る。微弱ながら、外へと出たがっている言葉たちのざわめきが聞こえていた。
 ――これなら書ける、かも。
 さとりは原稿用紙の裏面にペンを走らせた。
 すべてを失い打ちひしがれた、平凡だったはずの女性。途方に暮れていたところ、とある家庭に受け入れられる。お人好しで、お節介焼きで、肝が据わって、包容力のある母親。少し生意気な長女と、少し人見知りな次女。けれど、どちらも真っ直ぐな心の持ち主。母子三人と徐々に心を通わせていくうち、女性の傷も次第に癒され――。
 ――うん、悪くはない。
 ペンを置き、原稿用紙を両手で持って、筋書きを読み返してみた。ほぼ同じものをほんの数日前に没にしたような気がするが、構うことはあるまい。物語の善し悪しなどは、受け手の精神状態によっていとも簡単に正反対へと変わってしまうものなのだから。
 さて次はプロットだが、どこまで細かく組んでいくか。さとりはガチガチにプロットを固めるよりも、大まかな設定と構成を決めただけで書き始めるというやり方のほうを得意としている。この小説もやはり、後者の書き方が向いているような気がした。あるいは、もう筆の流れるのに任せて、いきなり本稿に取りかかってしまうか。思案しつつ原稿用紙を置き、再びペンに手を伸ばす。
「ふんふん。お人好しでお節介焼き、ねえ」
 いきなり頭上から声がして、さとりは弾かれるように顔を上げると同時に、段ボール箱の上に身を伏せた。体は決して柔らかくない、というより非常に硬いほうだ。首が変な具合によじれて、筋に若干の痛みが走った。
 見上げれば、藍がスキマから首を出して、原稿用紙を覗き込んでいる。
「ただいま」
「……帰宅早々、覗き見ですか」
「いいじゃないか、見られて減るものでもないし。おっぱいと同じだ」
「あなたに見られると、減ってしまいそうな気がします」
「それはいいことを聞いた」
 藍はスキマから抜け出して、畳の上へと降り立った。
「だったらこれから毎朝毎晩、さとりさんのおっぱいを覗き見することにしよう」
 そう言われても、元々さとりは間違っても大きいと言えるほどのものは持っていない。これより小さいとなると、もはや子供並の大きさに近くなる。
「そんなに小さいのがいいなら、橙さんも霊羅さんもいるじゃないですか」
「ああ……」
 途端に藍は真顔になって、わざとらしく身を震わせた。
「あの二人にそういうことをやったり言ったりしたら、本当に冗談で済まないから」
 つまり、さとりさんは冗談で済ませてくれよ、という意味だ。
 さとりとしては、口先だけでセクハラ発言を繰り返しているだけのうちは本気で目くじらを立てるつもりもない。不愉快ではあるが、ただそれだけのことだからだ。こんな軽口ばかりを敢えて叩く藍の意図も、そして立場も、わかりきっていることだった。
 藍は部屋を出て行きかけて、「そうそう」と振り返った。
「さとりさん、今日の晩ごはんは食べるだろう?」
「あ、いえ、私は――」
 いらないです、と反射的に言いかけたところで、くる、と腹の虫が小さく鳴いた。予想外のことに、唖然と口を開いて自分の腹を見下ろす。
 藍は目を細めて、にやりと笑った。
「やっぱり、体を動かしたら腹が減るだろう」
「え、ということは、あれは藍さんの指示――」
 ではなかった。さとりに掃除等の手伝いをさせたのは、あくまで橙の独断だった。藍は外出先から神社の様子を覗き見たときに、たまたまこのことを知ったにすぎない。
 藍としては、橙に注意してやめさせるつもりだったようだ。だが、留守中にたびたびスキマを使って神社の様子を見ていることを、橙や霊羅には知られたくない。どうしたものかと思案していたが、これがどうやらさとりにとっては悪くない方向に作用しているらしい。ならば止める必要もあるまい、といったところだ。
「橙の気の強さには手を焼くことも多いんだが、今回は結果オーライだったな」
 藍は肩を揺らして笑い、
「というわけで、晩ごはんは楽しみにしておいてくれよ」
 上機嫌に尻尾を揺らしながら部屋を出ていった。
 残されたさとりは、原稿用紙に視線を落として、そうかしらと首をひねった。藍の言った、橙の気の強さ、という部分が少し引っかかったのだ。
 もちろん霊羅と比べれば気は強いだろうし、理由はあれどさとりを拳で殴ったりと、そう思わせるような言動が多々見られるのは事実だ。だがそれは、本当に気の強さだけによるものなのだろうか。さとりが見たところでは、むしろ不安の大きさがそういう行動をとらせているように思えてならなかった。
 ――まあ、余計なお世話か。
 八雲の主従の絆は、決して脆いものではない。住み着いて十日かそこらの居候がおいそれと口を挟んでいいものでもないだろう。それにさとり自身、余所事には首を突っ込みたくない質だった。
 藍だって管理者を務めるほどの妖怪なのだ。自分の式神の教育くらいは、誰の助けを借りずとも問題があるとは思えなかった。すべて計算のうえで、ゆくゆくは結界管理の実務を任せるに足る妖怪へと育て上げるに違いない。
 さとりは新しい原稿用紙を手に取って、しばし考え、しかし何も書くことなくペンを置いた。



 牛蒡の肉巻き、牛蒡の甘辛煮、牛蒡のサラダ、牛蒡の味噌汁。
 ちゃぶ台に並ぶ牛蒡づくしの夕食を前に、さとりは口元を引きつらせることしかできなかった。
【これならきっと、さとりさんもたくさん食べてくれるよね!】
 霊羅は期待のこもった熱い視線を、じっとさとりに向けていた。
 横で藍が、笑いをこらえきれずに頬をひくつかせている。牛蒡が好きだというさとりの言葉に過剰反応した霊羅の、純真といえば純真すぎる提案を受けて、この悪ふざけじみた牛蒡スペシャルを作ってしまったらしい。自分もこれを食べることになるというのに、ノリがいいというか、何というか。
「あのさあ、藍様と霊羅……」
 夕食の仕度には参加していなかった橙が、うんざりとした表情で牛蒡祭りに視線を落とす。
「二人とも、幻想郷を牛蒡の楽園か何かにするつもり?」
「そうだな、三年以内には実現するつもりだ」
 思ってもいないことを大真面目な顔で言ってから、藍はからからと笑った。
「すでに賛同者も大勢いるぞ。例えば、フランドール・スカーレット」
「あの吸血鬼が?」
「ほら、背中から二本の牛蒡を生やしているだろう」
「いやいや」
 とても式神が主人に向けたものだとは思えないような冷やかな目と声で、橙は首と手を横に振った。
「それと伊吹萃香。見ればわかるように、頭から二本の牛蒡を生やしている」
「いやいや、確かにそれっぽいですけど」
「星熊勇儀も、額から一本」
「あれはどちらかというと人参」
「守谷の御柱だって、元はといえば牛蒡だぞ」
「あーはいはいそうですか」
「私も近いうちに、尻尾を九本とも牛蒡に付け替える予定だ」
「あのー、藍様、いいんですか」
 うんざりした様子で、橙は隣を指さした。
「霊羅が少し信じてますけど」
 指さされた当人ははっとして、半開きだった口を閉じた。
【え、嘘だったの? でも、どこまでが本当で、どこからが冗談?】
 霊羅は恥ずかしさを押し込めようとするかのように、ほの赤く染まった頬を膨らませた。
 曲者ばかりが闊歩する幻想郷において、この少女はあまりにも無垢だ。さとりは微笑ましく思うと同時に、危うさをも感じていた。他に適格者がいなかったとはいえ、幻想郷の根幹を担う博麗の巫女が、こんなことで本当に大丈夫なのだろうか、と。
 そして、ふと思う。――やはり少し、少しだけ、お空と似ているかもしれない、と。
「さぁさ、食べるぞ。大地の恵みに感謝」
 藍の合図で一同手を合わせ、いただきます、と声を揃える。先陣を切って藍が牛蒡にかぶりついた。
 ざく、ざく。ごり、ごり。聞いているだけで顎が疲れてしまいそうな咀嚼音が響く。続いて霊羅も加わると、出来の悪い打楽器アンサンブルのような調子で、いっそう牛蒡の音ばかりが耳につくようになった。
 気は進まないが、自分もここに加わらないわけにはいくまい。牛蒡に箸を伸ばしかけたところで、ふと、橙と目が合った。
【やんなっちゃうね。責任持って、自分のは残さず食べてよ】
 苦い顔で、しかし少しだけおかしそうに、橙は牛蒡を口に運んだ。
【あ、おいしい――まあ、藍様もいっしょに作ったんだし、当たり前か】
 ざく、ざく、ざく。ごり、ごり、ごり。咀嚼の三重奏が始まった。食卓から言葉が途絶える。霊羅は絶え間なく口を動かしながら、上目遣いでさとりの様子を窺っていた。
 数日ぶりのまともな食事だ。空腹感が戻ってきたとはいえ、胃腸の調子を気遣ってか、さとりの皿に盛られたぶんは他の三人と比べてかなり少なかった。本当に気遣うのならまずはメニューをなんとかしてもらいたかったが、そこは霊羅の気持ちも汲まないわけにはいかないだろう。ならばさとりにできることは、この牛蒡フェスティバルを平らげることだけだ。
 覚悟を決めて、牛蒡にかぶりつく。絶妙なバランスの調味料に扉を開かれて、牛蒡の風味が、口の中いっぱいに広がった。
「……おいしい」
 自然と、口をついて感想が出てきた。霊羅の笑顔が弾け、藍は口角を上げる。橙は仏頂面のままで、当然だろ、と咀嚼を続けた。
 言葉少なに、和やかな時間が流れる。霊羅から少し遅れて最後にはなったが、さとりは牛蒡カーニバルをひと切れも残さず完食した。



 O)))



 青い薔薇の切り花が、逆立ちしている。
 茎が蛇のように伸びて、コップの中の水に先端を突っ込んだ。ずず、と音をたてて水を吸い上げる。
「ふーん。まだ、枯れるつもりはないんだねぇ?」
 言った青い薔薇の口調には、小さいが鋭い棘が仕込まれていた。



 O)))



 翌朝、外出の仕度を整えた藍が、出がけに橙に訊ねた。
「今日からさとりさんが家事を手伝ってくれると言ってるんだが、どうする?」
 声を聞きつけて、さとりは部屋から顔を出した。二人の近くにいた霊羅も、足を止めてどういうことかと視線を向けている。
「いや、橙と霊羅が自分たちで全部やりたいというならそれでもいいんだが、さとりさんが少し体を動かしたいということでな。言葉に甘えておいたほうが、おまえたちも修行の時間が多く取れると思うんだが……どうする?」
 さとりは特に何も言っていない。隠れてこそこそするのは心苦しいだろうという、藍の配慮だろう。若干、甘やかしているような感じがしないでもないが。
 橙は少し考えて、「そうですね」とうなずいた。それからさとりに向かって「よろしくお願いします」と頭を下げた。
 藍が出かけていった後、霊羅は跳ねるように橙に駆け寄った。
「これで、堂々とお手伝いしてもらえるね!」
「うん……」
 橙の表情は浮かない。
【さっきの、絶対に全部わかって言ってる。藍様は優しいから滅多なことじゃ怒らないけど、それに甘えてちゃ駄目だ】
 甘えてばかりでは、いつか見限られる。橙に自省を強いているのは、やはり彼女自身の内にある不安だった。改めてさとりの前までやってきて、「お願いします」と深く頭を下げる。霊羅も慌ててそれに倣った。
「いいですよ、そんなに畏まらなくて」
 さとりは軽く手を振った。
「では、晴れて藍さん公認となったわけですし、早く始めて、早く終わらせてしまいましょう」
「はーい」
 返事するのが早いか、霊羅は箒を取りに駆けだした。さとりは筋肉痛で顔が引きつりそうになるのを、必死で押し隠した。



 午後からは少し残った家事と草むしりをさとりに任せて、橙と霊羅は修行に専念、というのが毎日の流れになった。
 筋肉痛が引いて、炎天下での作業にも慣れてくると、横目で修行を眺める余裕も増えてきた。汗だくになって走り回り、飛び回るふたりを見ているのは、気分がいいものだ。いくら動いても尽きないのではないかというほどの活力に満ちた姿が、見る者にも少しばかりの気力をお裾分けしてくれる。そして、前日までと比べて少しでも成長した部分が見られれば、親のような気分で楽しくもなるのだった。
 そんな日々を、さとりは架空の場所と架空の人物たちに置き換えて、原稿用紙の中に綴っていった。主人公の負った傷は大きすぎて永遠に消えそうにないけれど、他の三人が心を支えていてくれるから、痛みに崩れ落ちるようなこともない。そしていずれは、逆に自分が三人の支えに。
 ご都合主義に満ち満ちた、どこまでも陳腐な物語だ。だが、こんな生ぬるい物語も、時には悪くない。少なくとも、今のさとりにはそう思えた。
「さ・と・り・さんっ」
 部屋の外から呼ぶ声が転がってきた。全開にしている障子の向こうから、大きなリボンを戴いた顔だけが覗いている。物語の中の人物によく似た、紅白の巫女だった。
 さとりは自分の手元に視線を落とし、うなずいた。
「確かに、段ボール箱の上では書きにくいですね」
「え? ……あ、わたしの心読んだでしょ」
「サトリ妖怪ですから」
「んー、まあいいか」
 霊羅は両足で小さく跳ねて、敷居を飛び越した。そのおどけた仕種が後から恥ずかしくなったのか、小さくはにかみ笑いを浮かべて、机代わりの段ボール箱を指さした。
「文机だったら、たぶん納屋にしまってるのがありますよ。ガラクタみたいな家具や道具がぎっしりですから」
「ガラクタ……由緒ある宝物や重要な道具も、中に紛れていそうですが」
「そうかも。でも、見てもわかんないし。そのうち藍さんに見てもらって整理するつもりですけど」
 これは霊羅の怠慢というわけではなく、先代の頃からろくに整理などしていなかったのだろう。ともかく、言葉に甘えて余った机があれば使わせてもらうことにした。
 鍵を開けてもらい納屋に入ってみると、果たして中には、使用に堪えるのかどうか定かでないほどに古ぼけて埃にまみれた物体の数々が、壁も見えないほどに積み上げられていた。この中から、どこにあるのかわからない――あるいは、ひょっとしたらどこにもないかもしれない机を発掘しなければならないのか。さすがに面倒になり、やはり断ってしまおうかという考えが頭をよぎる。が、霊羅は入口から右に顔を向けて、弾んだ声をあげた。
「ありましたよ、ここ」
 見れば目の前に、薄汚い文机が蹲っていた。幸いなことにその上には、小さな木箱が二つ乗っているだけだ。捜索と発掘の労力は、ほぼ皆無に近い値で済んだ。
「じゃあ、雑巾持ってきます」
 言うが早いか、霊羅は黒髪をたなびかせて駆け出した。慌てて背中に声をかける。
「霊羅さん、あとは私がやります」
「いいからいいから、待っててください!」
 さほど待つまでもなく、霊羅は水と雑巾の入ったバケツを提げて戻ってきた。さらには息も整えないまま雑巾を絞り、文机を拭き始めた。
「ああ、いいです、私がやりますから」
「いいんですよ、さとりさんのお洋服が汚れちゃいますから。……わたしのは、ほら」
 言いながら、セパレート式の袖を広げてみせる。確かに、すでに土や埃や汗が繊維の奥まで染み込んで沈滞し、茶色い汚れは一度や二度の洗濯ではどうにもならなさそうだった。いまさら汚れが増えたところで、大した違いはないだろう。巫女装束がそんなに汚くて大丈夫なのだろうかと思ったが、巫女としての仕事をするときはちゃんときれいな装束を着るようなので、問題はないらしい。
 にしても、なかなかに頑固な娘だ。仕方なくさとりは、黙って見守ることにした。
 拭き上がってみると、文机は古めかしいながらに頑丈そうで、傷も目立つものはなかった。手で揺さぶってみても、がたつきは全くない。使用するには何の不足もなさそうだ。
 霊羅はバケツを横にどかして、一人で文机を持ち上げた。しかし重さが堪えたか、後ろに一歩よろめく。さとりは慌てて手を添えた。
「いえいえいえいえ、霊羅さん、もういいです。運ぶのは私がやりますから」
「いやいやいやいや、気にしないで。こういうのも修行になりますから」
「そんな、悪いです。使うのは私なんですから」
「いいですいいです、わたしにやらせてください」
 二人で机を引っ張り合う。と、二人同時に手を滑らせて、机が宙に浮いた。
「あ」
 がす、と鈍い音をたてて、机が床に落ちた。
「ああー……」
 おそるおそる、屈み込んでみる。机は無事なようだが、床には二センチほどのへこみ傷が刻まれていた。
「……二人で、運びましょうか」
 さとりの提案に、さすがに霊羅もうなずいた。
 それぞれ机の端を持って、さとりが左、霊羅が右に立って歩いていく。一人で運ぶには少し重くて苦労しそうだが、二人で持ってしまうと、馬鹿らしくなるくらい軽かった。
「ぷっ」
 この状況がおかしかったらしく、霊羅が吹き出した。箸が転んでもおかしい年頃、というやつだろうか。つられてさとりの口からも、ふっと抜けるような笑いが漏れた。
「あっ」
 大発見でもしたかのように、霊羅がさとりの顔を見た。
「初めてかも。さとりさんが普通に笑ってくれたの」
「……そうですか?」
「んー、たぶん」
 軽い調子で言って、霊羅はまた嬉しそうに笑った。
 さとりの部屋に着くと、適当な位置に文机を置いた。ふと見ると、書きかけの原稿が段ボール箱の上に置きっぱなしだ。なんとなくモデルの三人には見られたくないと思っていたので、何でもないふうを装って、原稿を文机の上に裏返しで置いた。
「あ、さとりさんの書いた小説、ですか」
 思わず動きを止めてしまった。
「……見えましたか」
「目と耳が良いのだけが自慢なんです」
 うぇひひ、と照れくさそうに笑い、霊羅は頭を掻いた。
「橙や藍さんの弾幕も、ぜんぶ見えてるし、ぜんぶ聞こえてるんですよ。……避けられないけど」
 言って、物欲しそうにまた原稿を見る。さとりは、今度は体で視線を遮った。
「あの、これはまだ書きかけですし、とても人様に見せられるようなものでは」
「えー、そうなんですか」
 霊羅は諦めきれない様子で原稿を窺っていたが、やがて、剥き出しの華奢な肩をすぼめた。
「じゃあ、書き上がったら読ませてくださいね」
「……わかりました」
 とりあえずこう言っておけば、今は引き下がってくれるだろう。後々、閻魔様に舌を抜かれるだろうか。
「手伝っていただいて、ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ、気にしないで!」
 ぴょこんと頭を下げて、霊羅は走っていった。一歩ごとに跳ねる後ろ髪が、動物の尻尾のようだった。



「お時間、よろしいですか」
 草むしりを中断して休憩していると、姫海棠はたてがやって来た。今度は、ペンと手帖をしっかりと手に持って。
 最速の新聞記者であるはたてが時間をもらいたいと言うからには、取材の申し込みに他ならない。さとりは首をひねった。自分は彼女にとって、過去の存在ではなかったのだろうか。
「面白い話など、できないと思いますが?」
「またまた、ご謙遜を」
「……まあ、私でよければ何なりと」
 断っても、どうせあの手この手で食い下がるのだろう。さとりは適当に応じて、早めに終わらせることにした。



 翌日の昼下がり、さっそくさとりの舌を抜きにきたわけではないだろうが、およそ一週間ぶりに映姫が博麗神社を訪れた。彼女はさとりの格好――頭にタオルを巻いて軍手をはめた姿に、大袈裟に驚いてみせた。
「地霊殿の古明地さとりといえば、紅魔館のパチュリー・ノーレッジと双璧を成すインドア派として有名だったはずですが」
「四季様が命じる面倒な書類作成のせいで、机に縛り付けられていただけですよ」
「あれでも手加減はしていたつもりなんですけどね」
 映姫は後頭部に手をやりながら、嬉しそうに笑った。屋外で体を動かしている姿、そして構えることなく流れ出る軽口。さとりの心身が回復基調にあるのを見て取り、安心するとともに喜んでくれてもいるようだ。
 映姫に麦茶でも出そうと、さとりは草むしりの手を休めて台所に向かった。それを待っていたように、橙が映姫に駆け寄る。挨拶のあとは抑えた小声になり、離れていくさとりには話の内容は聞き取れなかった。この距離だと心の声ももう聞こえない。だが特に気にすることもなく、さとりは麦茶のグラスを盆に乗せて映姫のもとに運んだ。
 すでに映姫の前から橙の姿は消えている。かと思えば、巾着袋を手に境内を横切り、裏手の森の上空へと風を裂くような勢いで飛び上がっていった。最速のブン屋ほどではないにしても、あっという間に背中は小さくなり、見えなくなった。
「橙さん、あんなに急いでどこへ――マヨヒガ、ですか」
 映姫は、微笑ましいようで苦々しいような、複雑な顔をしてうなずいた。修行の一環で出かけていったらしい。
 このところ――さとりが博麗神社に住むようになって以来、藍は以前にも増して多忙なようで、毎日朝から夕方まで外出しており、時には夜遅くまで帰らないこともある。となると、橙が一人で出かけるわけにはいかなかった。彼女はまださとりのことを完全には信用しておらず、霊羅と二人きりで神社に残してはおけないと考えていたから。ならば霊羅を連れて行けばいいのではないかと思うのだが、その修行を誰かに見られるのは嫌なようだ。また、さとりを一人きりにしておくのも、それはそれで心配らしい。
 マヨヒガに行きたいがなかなか行けない。そこに映姫が訪れたのをこれ幸いと、留守番を頼んで飛び出していったというわけだ。
「本当に修行熱心で、しかも霊羅さんのことを想っているんですねえ」
 さとりは素直に感心した。だが映姫は難しい顔をしている。
「さとりさんのことを心配するのはともかく、信用できないというのは、どうかと思うんですが。用心深すぎるというか」
「ああ、それは当然でしょう。私、前科持ちですから」
「えっ」
「もちろん未遂ですけど」
「……そうでなかったら、今頃さとりさんは八つ裂きにされていますよ」
 事実か冗談か測りかねている様子で、映姫は顎を撫でた。閻魔の業務はもちろん多忙を極めるが、その合間を縫って博麗神社に顔を出す頻度を、もっと増やすべきではないかと本気で考えている。
 これ以上、映姫の負担を増やすのは忍びない。適当に弁明でもしておこうかと思っているところに、小走りで霊羅がやってきた。
「映姫様、こんにちは」
「こんにちは。変わりはないですか」
「はい、おかげさまで。……橙は、アレですか」
「ええ、アレです。張り切って出かけていきましたよ」
 映姫も霊羅も、橙がマヨヒガでどんな修行をしているのか知らない。だが、アレ、で話は通じているようだった。
 霊羅は眉根を寄せて、人差し指の先で下唇に触れた。
「気になりますよねー。橙がいつも何をやってるのか」
「ですが、あまり知られたくなさそうですし」
「でも、帰ってくるときはいつも浮かない顔してるじゃないですか。橙ってば意地っ張りだから、落ち込んだところはなるべく見せないようにしようとしてるみたいですけど」
「ふむ……」
「やっぱり、気になりますよ」
 鈍いようでいて、見るところは見ている。あるいは、鈍くてもわかるほどはっきりと落ち込んでいるのか。いずれにしても、さとりとしても気になるところだった。
 だから、と霊羅は少し言いにくそうに続ける。
「マヨヒガでどんなことやってるのか、ちょっと見てきてほしいんです。映姫様だったら、見られたって橙も文句は言わないだろうし」
「む、ですが……」
 自分がマヨヒガに出向けば、さとりと霊羅を二人きりで残すことになる。先ほどの話で、映姫は橙と同様、さとりに対して不安を抱いてしまっていた。十中八九、杞憂に過ぎないとは思っているが、もしやという可能性は拭いきれない。口をきつめに引き結んだ以外は表情を変えず、どうしたものかと思案していた。
「あ、でしたら」
 映姫はぽんと手を打ち鳴らして、さとりを見た。
「さとりさんが見てきていただけますか」
「え、私が?」
「気晴らしの散歩がてら。いいでしょう?」
 正直なところ、気は進まない。が、
「わかりました。行きます」
 あまり映姫を悩ませるのもいい気分ではない。さとりはうなずいて、橙の飛んでいった方角の空を見上げた。



 緑に煌めく森の上空を、さとりはマヨヒガ目指し遅めの速度で飛んでいった。
 走るのも遅いが、飛ぶのももともと速くない。加えて、だいたいの場所を聞いただけのマヨヒガを探しながらとあっては、余計に遅くなるのは当然のことだ。
「そろそろ……」
 近くまで来ただろうか。高度を下げ、さらに速度を落としてみると、廃屋が数軒並んでいるのが見えた。ここで間違いないようだ。
 森の中に着地して、ここからは徒歩で進む。気付かれないよう陰から様子を窺って、どんな修行をしているのか見届けたら、そのまま帰るつもりだった。特に問題がなければそれでいいし、問題がありそうならまずは映姫に相談だ。まあ、藍は知っていて放置しているようなので、さほど急を要することもないだろう。
 しかし――さとりは木の幹に手をついて立ち止まり、しばし息を整えた。このところの草むしり等で多少は鍛えられているとはいえ、元来出不精の身にこれは堪える。想起のスペルカードに吸い取られた妖力もまだまだ回復していないとあっては、これだけの距離を飛ぶのも歩くのもひと苦労だった。
 さあ、と自分を叱咤して顔を上げる。橙はなかなか勘というか注意力に優れているので、できるだけ気配を消して歩かなければならない。地面を踏みしめる足にも変な力が入っていては、すぐに感づかれてしまうだろう。最小限の力で、自然な動きで、そう、無意識のように――
「何してんの」
「うはぁっ!?」
 首筋に息がかかりそうなほどの近距離から声をかけられて、さとりはのけぞった。反射的に距離をとりながら振り返り、声の主を視界に捉える。探していた当の相手、橙だった。
「い、ああ、奇遇ですねえ橙さん」
 跳ね上がった心拍数を落ち着けながら、とりあえずとぼけてみる。が、やはり橙に通用するはずはなかった。じっと向けられた白い目が痛い。
「霊羅に頼まれたの? それとも映姫様? まあ、どっちでもいいけど」
「う、うふ、鋭いですね。実はサトリ妖怪だったり」
「んなわけないでしょ」
「そ、そうですよねえ」
 ごまかし笑いを浮かべるも、自分で白々しさを感じないではいられなかった。
 さとりにとっては痛々しい空気が流れる。橙は腕組みをしてさとりの眉間を見据えていたが、やがて、深くため息をついた。
「いいよ、もう。見るなら見てけば」
「……いいのですか」
「駄目だっつっても、こっそり見るでしょ。勝手にしてよ」
 橙はもうさとりには目もくれず、さっさとマヨヒガへ歩いていった。
 周囲を廃屋に囲まれたちょっとした広場のような場所の中央に、半ば草に埋もれた涸れ井戸がある。それを背に、橙は足を肩幅に踏ん張って立ち、右手をぴんと真上に挙げた。
「全員集合!」
 芯の通った橙の声が、広場に響く。全員といっても、もちろんさとりは勘定に入っていなかった。十秒ほども経ってから、ようやく草むらをかき分けて現れ出る影が一つ、二つ、三つ、……四つ。いずれも猫だった。
「はい、整列!」
 腰に手を当て、橙はきびきびとした口調で命令した。が、猫たちが従う様子はない。四匹ともが知らん顔で勝手に歩き回り、少し太り気味の灰色などは大欠伸だ。
 あっという間に橙の心が苛立ちで満たされる。だがなるべく表には出すまいとしながら(実際には頬が引きつっている)、巾着袋を顔の高さに持ち上げてみせた。
「ほら、整列! どうしたの、おやつ欲しくないの?」
 おやつ、という言葉に灰色と三毛が反応した。その二匹が橙の前に並んで座り、爛々と光る目を巾着袋に向ける。橙は袋に手を突っ込み、猫のひと口大に切ったジャーキーを二つ取り出して、よしと言いながら二匹にひと切れずつ与えた。二匹はもう橙には目もくれず、ジャーキーにかぶりついた。
 咀嚼音と匂いにつられて、あとの二匹――斑と茶色も寄ってきた。そして、仕方なしにといった仕種で、並んで座る。橙の手からジャーキーを受け取ると、これまた一心不乱に食らいついた。
 四匹ともが食べ終わるのを待ってから、橙は足下の小石を拾い上げて言った。
「よーし。今日は、私がこれを投げて、あんたらに拾ってきてもらうからね。名前を呼ばれたらすぐに行きなさいよ!」
 軽く放られた小石は、五メートルほど離れたところに落ちた。
「ハンネマン!」
 小石を指さしながら、橙が指名する。呼ばれた灰色は、のろのろと歩いて小石のところに向かい、それを銜えると橙のところに運んできた。
「むー、ちょっと遅いけど……まあ、よろしい」
 橙は小石を受け取ると、ハンネマンの頭を軽く撫で、ジャーキーをひと切れ差し出した。
「じゃあ次、キング!」
 また小石を放り投げる。ところが指名された三毛のキングは、値踏みするように橙を眺め、動きだそうとはしない。
「どうしたの! ちゃんとしないと、もうあげないよ!」
 橙は巾着袋を振って、中身をがしゃがしゃと鳴らした。キングはのろのろと重い腰を上げ、ハンネマンの倍ほども時間をかけて小石を運んだ。
 小石を投げ、猫を指名し、取ってこさせる。四匹の中ではハンネマンがまだまともで、斑のアラヤと茶色のロンバードはキングと似たようなものだった。それでも食い気には勝てないか、渋々、嫌々といった様子ながらも、一応は従っている。
 そして、全員に何度かずつ順番が回った。
「ロンバード!」
 小石が転がる。ロンバードは鼻をひくひくと動かし――全く違う方向に、ぷいと歩きだした。
「ちょっとー、どこ行くの!」
 叱責されても、どこ吹く風だ。橙の怒りのボルテージは一気に跳ね上がった。
「おらぁ、待て!」
 橙は拳を振り上げ、駆け出そうとした。が、それを素早く察知したロンバードは、身を翻して草むらの中に消えた。
「逃げるなー! ……ちくしょう」
 橙は尻尾の毛を逆立たせつつも、諦めて他の三匹に向き直った。
「じゃあ、代わりにハンネマン行って」
 不満げな表情は見せつつも、ハンネマンは素直に小石を届けた。橙はいくぶん機嫌を直したようで、ハンネマンの背中を念入りに撫でてから巾着袋に手を入れた。
「よしよし、いい子。ご褒美……あれ?」
 橙はしばらく巾着袋の中を手で探っていたが、やがて何も持たずに引き抜いた。今度は袋を逆さまにして、ばさばさと振る。だが中からは何も落ちてこなかった。
「あー、ごめん、もうないや」
 途端、ハンネマンの瞳孔がきゅっとすぼまった。橙を見上げ、抗議の声をあげる。
「ごめんってばー……いてっ!」
 ハンネマンの爪が、橙の脛に三本の赤い筋をつけた。橙は一瞬足を引っ込めたが、すぐに激昂し、傷つけられた足を踏み鳴らした。
「こらー、何すんのー!」
 すぐさま逃げだそうと、ハンネマンは地面を蹴った。が、それよりも鋭く橙の手が伸びる。灰色の猫は首根っこを掴まれ、宙吊りになった。
「この八雲橙に刃向かおうだなんて、いい度胸してるじゃないの」
「うにゃー」
「だいたいねえ、本当ならご褒美のおやつなんかなくても命令に……って、こらー!」
 橙はまた、空いた手の拳を振り上げた。他の二匹が尻尾を向けて、草むらの中へと潜ろうとしていたのだ。
「ちょっと待てー!」
 聞く耳も持たず、アラヤとキングは悠然と立ち去っていった。
 橙は力なく拳を下ろした。ハンネマンは体をひねり、橙の手から逃れて地面に降り立つと、素早く距離をとった。
「……あー、もう、いいや」
 投げやりにつぶやくと、橙は空っぽの巾着袋をくるくると振り回しながら、さとりのところに向かって歩いてきた。
「見ての通りよ。わかったでしょ」
「まあ、だいたいは」
 野良猫を手懐けて、自分の思い通りに動かせるようにしようとしているのだった。もちろん遊びでやっているわけではない。式神を使役できるようになるための前段階として、修行の一環でやっているのだ。
 橙がここに住んでいた頃から、戯れ半分には続けていたことだ。明確な目的意識を持ち始めたのは、八雲の姓を授かって以降のことだろう。それにしても、進捗の具合はといえば――見ての通りだとすれば、芳しいものではなかった。いつも浮かない顔で神社に帰ってくるというのも、当然のことだ。
「まだ足りないかぁ」
 言って、橙は廃屋の縁側に腰かけた。
「この五年間で、前とは比べものにならないくらい強くなったつもりだけど……ただの野良猫を従えるのですら、まだ足りないみたいだね」
 橙は後ろ手をついて、空を見上げた。
「もっともっと、強くならなきゃ」
 青い空には、白い雲の輪郭がくっきりと浮かび上がっている。視界を横切って、大きなスズメバチが飛んでいった。
 視線を下ろせば、木陰で灰色の猫が毛繕いをしている。こちらの様子を見ているような、見ていないような。さとりは立ち上がって、ゆっくりとハンネマンに歩み寄った。
 十歩ほどの距離まで近づいたところで、ハンネマンが身構えた。ここが境界線というわけだ。さとりはその場でしゃがみ、右手を差し伸べた。
「おいで」
 ハンネマンは両目をぱっちりと開いて、さとりを見ている。貧相な容姿に惑わされまいと、内面的な本性を見抜こうとしている目だ。さとりは急かすことなく、待った。審査が終わるまで、慌てず焦らず、しゃがんだままでじっと待った。
 やがて――ハンネマンは完全には警戒を解かないながらも、ゆっくりゆっくりと、さとりに歩み寄ってきた。差し出された手を眺め回し、匂いを嗅ぎ、そして、ざらついた舌で舐めた。
「いい子」
 それから初めてさとりは手を動かし、自分からハンネマンに触れた。まずは指先で鼻を、額を、喉をくすぐる。拒絶されないのを確かめてから、今度は手のひらで頭を、さらに背中を撫でていく。ハンネマンは目を閉じ、喉を鳴らして、さとりの手に身を委ねていた。
 さとりは立ち上がり、振り返った。小さな橙の口が、ぽかりと開いたままになっている。
【すごい】
 さとりは橙の隣に歩いて戻り、座った。その間に橙の口は閉じて、逆にきつく引き結ばれた。視線は地面に突き刺さる。
 自分が何年かけてもできずにいることを、さとりはものの数分でやってのけたのだ。自尊心が崩れ落ちていく。八雲の名が、未成熟な精神を押し潰さんとしていた。
「強さだけでは、動物たちは従ってくれませんよ」
 お燐の髪を三つ編みに結ってやりながら話していたときのような何気ない調子で、さとりは言った。
「強さでいうなら、私よりも橙さんのほうが遙かに上です。問題は強さではありませんよ。第一、力で従えた相手というのは、別の強者に寝返るものです。ご褒美の餌で釣ったとしても、餌がなくなれば元の木阿弥であるのと同じように」
「……じゃあ」
 橙の声は震えていた。力いっぱい握られた拳から、軋む音が聞こえてきそうだった。
「じゃあ、どうすればいいっていうのよ」
「そうですね……」
 さとりは答えずに、質問で返した。
「さっき私がハンネマンに近寄っていったとき、何を考えていたかわかりますか」
「……あいつの癖とか、そういうのを見抜こうとしてた?」
「ぬこ、かわいい。もふもふしたい。ハァハァ」
「は?」
 変質者を見るような目が、さとりに向けられた。まあ、当然の反応だろう。かまわず話を進める。
「好意であれ悪意であれ、感情というものは相手に伝染するものですよ。裏表の少ない動物であれば、特に」
 橙は目を伏せた。賢い娘なのだから、ここまで言えばもう理解できただろう。
 見返りで釣るでもなく、力で屈服させるでもなく、親愛の情による関係こそが最も強固だ。だからこそ、貧弱なサトリ妖怪が有能なペットたちを多数従え、纏め上げることができていたのだ。
 では、相手から慕ってもらいたいと思うならば、どうすればいいのか。まずはこちらから好きになればいいのだ。好意は必ず――というわけではないにしても、かなりの確率で返ってくるのだから。
 だというのに、橙は四匹の猫たちに対して、どのように接していたか。言うことを聞いてくれないことに腹を立て、苛立ち、あろうことか憎んでさえいたのだ。式神を使役できるようになるための訓練が一向に進まないのは、こいつらにも原因の一端があるに違いない、と。
 橙は耳をへにょりと寝かせて、さらにうつむいた。
「馬鹿みたい」
 普段の活発さが嘘のように、聞き取れないほどの小声で橙は言った。
「ただ単に強くなればいいと――それだけで八雲の名に恥じない妖怪になれるとばかり思ってて。駄目じゃん。こんな馬鹿が、いっちょまえに霊羅の姉貴面したりなんかして」
「霊羅さんは……」
「あの子は凄いよ。まだまだ鈍くさいけど、素直だから何でもすぐに吸収して、どんどん成長してる」
 確かに妖怪と比べたら、人間の成長が早いのは当然のことだ。だが、橙は焦っていた。才能では霊夢に遠く及ばないとはいえ、仮にも博麗の巫女なのだ。何もできない無力な子供だった霊羅も、いずれ、数年のうちには、橙に追い付き、追い越していく。誰かに守ってもらわなくても、立派に巫女の務めを果たせるようになるだろう。
 間もなく霊羅は、結界の管理者の――藍の、力になれる。翻って自分はどうか。考えを巡らせるほどに、橙は無力感に苛まれるばかりだった。そして不安と恐怖に身を震わせる――いつまでも役立たずのままで、主人に愛してもらえるはずがないと。こんな役立たずの自分は、いつ主人に見限られてもおかしくないのだと。
 橙は右手で自分の左腕を、力いっぱい握りしめた。立てた爪が服と皮膚とを突き破り、白い袖に赤い染みが広がっていく。
 薄い胸の内側には、負の感情がはちきれんばかりに充満していた。だがそれは、表に噴き出してくることはない。感情が溜まれば溜まるほど、それを抑え込もうと橙が意固地になるからだ。主人の前で泣き言を漏らしてはならない、霊羅の前では頼れる姉のような存在でなければならない、という強迫観念。そして当然、抑えれば抑えるほど内からの圧力は強くなる。
 極限まで押し込められた感情は、精一杯の強がりによってなんとか形を保っているだけの橙自身を、今にも粉々に砕かんと――。
 さとりは立ち上がり、橙の両肩に掴みかかった。折り重なって倒れる寸前で、橙は後ろ手をついてどうにか耐えた。
「ちょっ?」
「橙さん!」
「な、何」
「大至急、折り入ってお願いがあります」
「お願い?」
「膝枕させてください、今すぐに!」
「……は?」
 何を言ってるんだこいつは。――隠すこともない戸惑いが聞こえてきたが、そんなことはどうでもいい。
「お願いします」
「いや……膝枕、してくださいじゃなくて、させてください?」
「はい。最近、猫分が決定的に不足していて、禁断症状が出そうなんです。さあ早く!」
「待て待て。あそこにハンネマンだっているし」
「人型猫耳成分が必要なんです!」
「どんな理屈――」
「早くしてください! さもないと」
「さもないと?」
「脱ぎますよ」
「なんでやねん!」
 橙はさとりを押し返すと、肩で息をしながら前髪を直した。混乱した頭を落ち着けるように深く息を吐き、それから、せっかく直した髪をまた荒っぽく掻き乱した。
「あー、もう。わかった、わかった」
「いいんですか!」
「いいけど、変なところ触らないでよ」
「私がそんなことするように見えますか」
 途端に、白い視線が突き刺さった。どうやら、ドロワの内側に手を突っ込まれたことはまだ根に持っているらしい。
 さとりは縁側に座りなおし、太股をぽんと叩いた。
「さあ、ここ、どうぞどうぞ」
「……イヤだなぁ」
「地底の動物たちを骨抜きにしてきた楽園ですよ。本来ならこちらが料金を頂くところです」
「知るか」
 ためらいがち、というか警戒心もあらわに、橙は帽子を脱ぎ、さとりの足の上に頭を乗せた。ぴんと立った耳の付け根を、さとりは指先でくすぐるように撫でた。
「あー、猫耳、猫耳ー」
「ちょっ、ちょっと、くすぐったいよ」
「あら、ごめんなさい。これならいいですか」
 今度は手のひら全体を使って、ゆったりと頭を撫でる。橙はひと呼吸置いてから、うんとうなずいた。
 しばし、無言の時間が過ぎる。日陰で多少の風もあるとはいえ、ただ座っているだけで汗の滲む暑さだ。それでも、膝の上に温もりを乗せるのは決して不快ではなかった。
 橙はどうだろうかと、見下ろしてみる。頭を撫でられるのに任せてじっとしてはいるが、やや全身がこわばったままだった。
「……どうですか、寝心地は」
「肉が薄くて、あんまり気持ちよくない」
「誰が貧相ですって」
「そこまでは言って――まあ、その通りか」
 橙はへらりと笑った。それで、少しだけ力が抜けたようだった。
「だって、最高に気持ちいい膝枕の感触を知ってるからね」
「藍さんですか」
「うん、それともうひとり」
 ――紫様。
 第三の目を通して、太股の柔らかさ、肌の温もり、甘い香り、そういったものがうすぼんやりと伝わってきた。
「好きだったんですね、紫さんのこと」
「もちろん」
 本来ならば、式神の式神など下っ端も下っ端、声もかけてもらえないはずの関係だ。ところが紫は橙に対して、まるで自身の式神であるかのように――しかも、将来的に片腕として重用するつもりの式神に対するかのような目のかけようで――時に優しく、時に厳しく接してくれた。橙は二人の主人の愛情をその身に受けて、この上ないほど幸せに暮らしていた。
 だからこそ、大異変では紫の役に立ちたかった。だが、できなかった。せめて足手まといにはならないようにと身を潜めるのが精一杯だった。そして紫が爆死したという報せに、呆然と崩れ落ちるしかなかった。
 しかし、泣いている暇はない。八雲の姓を授かった以上は、結界の管理者たる藍の右腕として役に立たなければならないのだから。
「悲しかったのですね」
「うん」
「悔しかったのですね」
「まあ、ね」
「泣かないのですか」
「冗談じゃない」
 がば、と橙は起き上がった。
「一番辛いのは、藍様なんだ。一番泣きたかったのは、藍様なんだ。それなのに涙のひとつも見せずに、紫様から託された役目を果たそうと、幻想郷を守るために毎日駆けずり回ってる。私も、暢気に泣いてなんかいられるかっての」
 背中を向けたまま、橙は吐き捨てるような口調で言った。
「もういいでしょ、膝枕。はい、終わり終わり」
 腰を浮かしかけた橙の服を、さとりは掴み、思い切り引き寄せた。さすがの橙もこの不意打ちには耐えられず、再び尻をついた。
 橙は振り向いて、さとりを睨んだ。
「何よ」
「ちょっと、お説教があります」
「は?」
「ほら、寝転んで」
「はぁ?」
「ここ、ここ」
 膝を指さす。
「えー、もういいじゃん」
「まだです」
「やだよ」
「いいから、寝なさい」
 静かに、しかし反論を許さない重い口調で、さとりは言った。橙は一瞬たじろいで、それから少し不満げな顔で、再びさとりの太股に頭を乗せた。
 暗い茶色の髪に指を差し入れ、そっと梳いていく。髪が傷んでいるせいで、途中で何度も指が引っかかった。女の子らしさといったものには、あまり頓着しないらしい。だがそこが逆に、じっくり念入りに手入れして綺麗にしてあげたいというさとりの欲求をくすぐるのだった。
 昔のお燐もこんな感じだったか、と思い出す。
 人型化できるようになったかと思えば、何かさとり様のお手伝いがしたい、さとり様の役に立ちたいと、そればかり。怨霊たちを手懐けようとするも、気ばかり逸ってなかなかうまくいかず、苛立ちを怨霊たちにぶつけてしまうこともよくあった。一方で自分の容姿にはなかなか手をかけようとせず、せっかくの燃えるような赤髪も傷み放題。さすがに見かねたさとりが手ずから念入りな手入れを施してやって、ようやく野生少女といった趣を脱することができたのだった。
 長い髪を主人に預けて身動きせずにいたときのお燐は、確か、今の橙と同じ顔をしていた。
「さて、ここで問題です」
 デデン、と口で効果音をつける。何なんだこいつ、と橙は気色悪がったが、さとりは構わず続けた。
「第一問。あなたが藍さんに従う理由は、何ですか」
 問題というより、質問だ。戸惑いと苛立ちを増幅させながら、橙は一拍置いて答えた。
「私が式神だからに決まってんじゃん」
「ぶぶー。そういう上辺だけの理屈は、要らないでーす」
「はぁ?」
「ちゃんと答えてくださーい」
「なんだよ、もう……」
 橙は苛立ちのあまり考えることを投げ出して、いつ起き上がろうかとタイミングを窺ってばかりいる。そうはさせじと、さとりは茶色の髪を撫で続けた。力で押さえつける必要はない。ただ、動作のきっかけをそっと奪ってやるだけで、橙の頭を縛り付けておくには充分だ。なぜなら、気が強いようでいても、根はとても優しい娘なのだから。
 指を、また橙の髪に差し込む。だいぶん通りが良くなったようで、引っかかることなくするりと流れた。
「どうしましたか、黙ってしまって。まだ問題は終わっていませんよ」
「知らないってば」
「わかりませんか。正解は、もう私が見せたはずですが」
「あ?」
 白い横目が、さとりを睨み上げてきた。受け流すように、向かいの廃屋の軒先を指さしてみせる。さとりの指が示す先に目をやって、橙は、あ、と声を漏らした。
 ハンネマンが寝転がって、余念なく毛繕いをしている。
「さあ、もうわかったでしょう。答えてください。あなたが藍さんに従う理由は、何ですか」
「……藍様が私に、優しくしてくれるから」
「うーん、もうひと声」
「……愛してくれてる、から?」
 自信なさげな小声で、橙はぼそりと言った。そうですと答えて、さとりは頭を撫でる手に少し力を込めた。
「藍さんがあなたを愛してくれているからこそ、あなたもそれに応えたいと強く思っているのです」
「……うん」
「その愛情は、自分の役に立つとか立たないとか、そんなことで左右されるようなものではない。でしょう?」
「……そう、かな」
「藍さんと同じような立場にいた私が言っているんです。間違いはありませんよ」
「……そう、なんだ」
 短い言葉を発するたびに、橙の声はますます小さくなっていった。戸惑っているのだ。これまで自分に厳しく課してきた様々なことが、ひょっとしたらただの独りよがりだったのかもしれない、と。
 それは本来、喜ぶべきことなのだろう。だが実際には、橙を苛む不安は少しも解消されていなかった。きつく縛りつける縄から解き放たれたと思ったら、今度は自由に動く手足が逆に拠り所なく感じる。そんなところだろう。
「それでも甘えるわけにはいかない、ですか」
 橙は答えずに、少し身じろぎをしただけだった。それをさとりは肯定したものとして話を続ける。
「それでいいと思いますよ。好きな相手が大変な思いをしているのなら、少しでも軽減してあげたいと願うのはむしろ立派なことです」
 尻尾が、小さく波打つ。
「ですが、無理はいけませんよ」
 尻尾が、ぴたりと止まった。
「気を張ってばかりでは、そのうち心のどこかが潰れてしまいます」
「……無理なんか、してない」
 少し掠れた声で、橙は否定した。
「もう、強がりさん」
「強がりじゃない」
「ふふ」
 さとりは身を屈めて、橙の顔を覗き込んだ。膝の上の少女は逃げるように、顔をさとりの太股に押しつけた。
「泣けるときには、泣けばいいんですよ」
 さとりはまた顔を上げて、子守唄でも歌うような気分で言った。
「ここには、藍さんも霊羅さんもいない。優秀な式神でいる必要もないですし、頼れるお姉さんでいる必要もありません。ここにいるのは、ただの居候だけなんですから」
「違う……」
「強がったって、無駄ですよ。私はサトリ妖怪ですもの」
 ふわりと、猫耳に口を寄せる。少し卑怯かとは思ったが、橙の心の奥底から、鈍い輝きを纏って眠る言葉を拾い上げた。それはいつの日か、紫の膝の上、夢見心地で聞いた言葉だ。
「伸びやかに、健やかに、大きく育ちなさい。あなたの未来は、幻想郷の宝なのだから」
「く」
 橙の体が震えた。さとりの膝に、じわりと温かい感触が滲む。
「ふくっ……う……」
 嗚咽が漏れるたびに、小さな背中が小刻みに揺れた。
 我慢しなくても、声をあげて泣けばいいのに。そのほうが、全部すっきりと洗い流せるのに。だが、橙は頑なにそうしようとはしなかった。ならば、それでもいい。この押し殺した泣き声が、今の橙にとっての精一杯なのだから。
 さとりの膝に顔をうずめて、橙は静かに泣き続けた。さとりはもう何も言わず、橙の頭を撫で続けた。ハンネマンはこちらを見るでもなく、日陰に身を長々と横たえていた。



「あー、すっかり遅くなっちゃったよ」
 風を切って飛びながら、橙が声を張り上げた。すでに西の空は赤く染まっており、もう夕食の仕度に取りかかっていなければならないはずの時刻だ。
 減速しつつ、橙が振り返る。
「さとりさん、急いで!」
「はぁ、はぁ、待ってくださいよ……」
 さとりはかなり遅れて、息も絶え絶えでふらふらと飛んでいた。
 地上戦のほうが得意だとはいえ、橙はときおり地面を蹴りながらの低空飛行で、相当の速度を出している。鴉天狗ほどではないにしても、並の妖怪にはスピードで劣ることはないはずだ。ましてやさとりなど、本当なら後ろ姿を見失わないようにすることすら難しい。それでもなんとかついていけているのは、橙がいちいち追い付くのを待ってくれているからだった。
「ほら、ダッシュ、ダッシュ!」
 急き立てるように、橙が手を打ち鳴らす。
「これで、限界いっぱい、急いでいます……」
「だらしなーい! もう『古明地もやし』に改名しちゃえよ」
 相変わらず、きついことを言う。だが声色からは険が薄れ、顔色もずいぶんとすっきりしていた。となれば多少の口の悪さは、快活さの証としてむしろ微笑ましくも感じられるものだった。
 神社に帰り着いてみると、霊羅が一人で夕食の準備を進めていた。
「ただいまー! 霊羅、遅くなってごめん!」
「あ、おかえりー。いや、別にいいんだけど……」
「あれ、藍様はまだ?」
「帰ってるよ。なんか、部屋で映姫様と話してる」
「わかった。すぐ手伝うから、ちょっと待ってて」
 あ、と霊羅が呼び止めようとするのも聞かずに、橙は駆け出した。未熟な体のどこにそんなに詰まっているのかと思うくらいに、元気は尽きる気配も見えなかった。さとりなどは、また動き出すのにひとつ大きく息をついて、気を入れ直さなければならないというのに。
 橙は藍の部屋まで駆けていくと、躊躇なく障子を開け放った。
「すみません! 遅くなりまし……た……」
 よく通る声が、尻すぼみに小さくなった。三本の尻尾が、隠れるように垂れ下がる。
【あちゃー、この重い空気……マズいところで入っちゃったかな】
 さとりも追い付いて、部屋の中に目をやった。藍と映姫が差し向かいで座っているのだが、いずれも非常に険しい表情を顔に貼り付けている。
 ややあって、藍が疲労の滲む笑みを浮かべた。
「まあ、以後気をつけるように」
「は、はい」
「手を洗ったら、霊羅の手伝いに行ってあげなさい」
「わかりました」
 橙は慌てて頭を下げ、すぐさま台所へと向かった。さとりも後に続こうとしたが、藍に呼び止められた。
「ああ、さとりさん。ここ座って、話を聞いてくれるかな」
「え? はあ……」
 さとりは部屋に入り、障子を閉めた。
 そういえば、藍の部屋に入るのは初めてだった。なのに、どことなく鼻に馴染む匂いが漂っている。見まわすまでもなく、その理由はすぐにわかった。紙と、インクの匂いだ。部屋の中は山のような書類に空間を圧迫されているのだが、その量は、灼熱地獄跡を管理していたころのさとりの比ではない。さすがに映姫の執務室ほどではないが、藍がいかに苛酷な日々を送っているかを窺い知るには充分に過ぎた。
 勧められた座布団に正座し、さてどんな話かと二人の顔を見比べる。あまり楽しくない用件であるのは心を読むまでもなくわかったし、さとりを交える必要のある話というものに心当たりがないわけでもなかったので、その先を聞くのはいくぶん憂鬱であった。
「アリスさんのこと、ですか」
 先に心を読んで言うと、映姫がうなずいた。
「ええ。そろそろ手を打たなければならないようです」
 アリスの魔力が底をつこうとしている、ということだった。
 彼女は魔力を使って人形を操る。上海人形や蓬莱人形といった、六分の一ほどのサイズで機能も限定された人形であれば、数十体を同時に操ろうが問題ではない。が、霊夢人形や魔理沙人形のような等身大スケールで、発声だけでなく飲食や排泄といった機能まで具え、臓器の動きまで再現を目指した人形となると、操作によって消費する魔力は馬鹿にならなくなる。しかも、さとりの想起がそうであったように、少なくとも本人が起きて活動している間は常に、大量の魔力を食い続けているのだ。
 時間の経過によって本人が自発的に現実と向き合えるようになるのであればそれに越したことはないというのが、これまでの藍と映姫の共通した方針だった。ただ、もはやそんな悠長なことは言っていられない状況にまでなっている。アフターケアはもちろん重要だが、まずは命を救うこと。事態は急を要する段階にまで進んでいた。
「明日、アリスの家に行って、私と映姫さんで話をしてみる」
 言いながら、藍はさとりに顔を向けた。
「それで無理だった場合のために――さとりさん、一緒に来てくれるか」
 さとりは、膝の上で握った手に視線を落として、唾を飲み込んだ。張り付くような感触、それで初めて喉がからからに乾いていたことに気付く。
 大異変のこと。大勢の人妖が死んだこと。その後のこと。口で話してわかってくれるのならば、さとりの出番はない。出番が回ってくるのは、いくら口で言っても話が通じず最終手段をとるしかなくなった場合だ。つまり、サトリ妖怪の能力でアリスのトラウマを――大異変の記憶を、無理矢理にでも引きずり出す。それはアリスの精神を壊してしまいかねない、非常に危険な行為だ。だが、生き延びさせるためにはやむを得ない。
 幻想郷のために、自分ができること。藍や映姫の役に立つために、自分にできること。さとりは顔を上げ、二人の視線をしっかりと受け止めて、はい、とうなずいた。



 目が冴えて眠れない。
 暑さで寝苦しいのはもちろんのこと、月が明るすぎるのも余計に悪かった。しばらくは布団の上で寝返りを繰り返していたものの、さとりはもう諦めて、今は縁側で月見と洒落込んでいた。
 虫の騒がしさに紛れて、足音がひとつ。
「霊羅さんも眠れないのですか」
 振り向かずに言うと、足音はぴたりと止まった。
「はい、ちょっと」
 元気のない声で答えて、霊羅はさとりの隣に座った。
 夕食の失敗を、まだ引きずっているようだった。
 主菜であった焼き魚を、一尾、見事に焦がしてしまったのだ。黒い炭でしかなくなった魚はたいそう香ばしそうな外見ではあったが、間違っても箸をつけてみようとは思えなかった。それでも霊羅は自分の責任とばかりに炭を平らげるつもりでいたが、さすがに皆で止めて捨てさせた。数が足りなくなったぶんは、さとりと藍が一尾を分け合うという形で落ち着けた。
「はぁーあ」
 霊羅は抱えた膝の間に顔をうずめて、弱々しくため息をついた。
 食事とは、他者の生命を分け与えてもらう行為。大異変を経た幻想郷においては、その行為はとてつもなく重い意味を持っていた。だからこそ、他者の生命を無駄にしてしまうような失敗をしてしまった自分を、霊羅はきつく責めていた。根っから真面目なのだ。
「失敗なんて、誰にでもあることですよー」
 さとりはわざと語尾をだらしなく伸ばした。
「そのうち上手になればいいのです。経験ですよ、経験」
「そうかなー」
「私だって、何度も食材を駄目にしながら少しずつ上手くなったのですから」
「うーん」
 霊羅の気分はなかなか晴れない。さてどうしたものかと、さとりは月を見上げた。負けじと、星もなかなかに明るく瞬いている。地底にいた頃は、お空のマントの内側にしか見られなかった光景だ。
 霊羅はまたため息をつきかけて、寸前で飲み込み、代わりに横目でさとりを見た。
【ぜんぜん眠くならないし……さとりさん、いっしょに寝てくれないかなぁ】
 一緒に寝てほしいのならそう言えばいいのにと思うのだが、霊羅の中にはためらいがあるようだ。
「橙さんは一緒に寝てくれないのですか」
「え? あ……橙は、『いつまでもそんな子供みたいなこと言ってるんじゃない』って怒るんです」
「藍さんは」
「真夜中にお部屋に行っても、いつも明かりがついててお仕事中だから、そんなこと頼んだら悪いと思って」
「そうですか……」
 確かに藍は、いつ寝ているのかと思うほど毎日夜遅くまで仕事に追われている。もしかしたら、本当に全く寝ていないのかもしれない。頼みづらくもなるだろうというものだ。
「もし――」
「あ」
 私でよければ、とさとりが言いかけたのを遮って、唐突に霊羅が顔を上げた。視線は木立のやや上に向けられている、が、特に何かを見ているわけではない。そうではなく、何かを聞いていた。さとりの耳には変哲もない虫の声が聞こえるばかりで、これといって気を引かれるような音は見あたらなかったのだが、霊羅の意識を通してみると、確かに夜の神社には似つかわしくない音が――音楽が、かすかに聞こえているのだった。
 少しずつ、少しずつ、音は近づいてくる。しばし経って、ようやくさとりの耳にも直接届くようになってきた。ギターと、ベースと、ドラムと。どことなく懐かしい音が、少しずつ大きくなっていく。
 ややあって、音の主が森の中に姿を現した。――ヴァイオリンと、トランペットと、キーボードが、宙に浮かんでいる。
 どうやら実体はなく、楽器の幽霊のようだ。ならば、外見と音がまるで異なるのも不思議なことではない。さらには、よほど年季が入っているのか、それとも、よほどの才能を持つ者に扱われていたのか、半ば意思を持ちかけているようでもあった。
「また、来てくれた」
 霊羅が嬉しそうに笑った。
「よく来るのですか」
「はい。楽団さん、って勝手に呼んでるんですけど、わたしが落ち込んでるときに来て、この曲を聴かせてくれるんです」
 歯切れの良いリフに、変拍子が交じる。それらの音は、まるで霊羅を励まし、暖かく見守っているかのようで――いや、実際そうだった。かつての持ち主たちの思念が楽器の中に残留し、こうして霊羅に曲を聴かせているのだった。
 かつての持ち主たちにとって、霊羅は何らかの大きな意味を持つ存在だったのだろう。自分たちが消えてしまっても、彼女のことはずっと守ってやりたい。そんな思いが、今もなおこうして残された楽器に宿り続けているのだ。
 首を小さく縦に振りながら、霊羅が訊ねてくる。
「これ、なんていう曲か知ってます?」
「オライオン、という曲です」
「へぇー、そうなんだ」
 それだけ言って、霊羅はまた音楽に聴き入った。彼女にとってはこの音自体が大事なのであり、曲名などは料理における箸置き程度の意味しか持たないのであろう。ベースソロに合わせて、霊羅がフレーズを口ずさんだ。
 曲は中盤の三拍子から、終盤の四拍子へ。霊羅は指先で膝を叩き、リズムを取り始めた。
「最初は変な曲だなあって思ってたんですけど、何度も聴いてるうちに、だんだん好きになって。今じゃこれを聴いたら、なんだか元気が出てくるような気がするんです」
 楽器たち――『楽団さん』は、ゆっくりと森の中へ姿を消していく。それに伴って勇壮なリフも次第にフェードアウトしていき、やがて虫の音に紛れていった。さとりは夜空を見上げてみたが、オリオン座らしきものは見あたらなかった。
 幻想郷の未来は明るい――さとりは、改めてそう思った。
 確かに霊羅は、先代と比べれば能力的には大きく劣っており、重責を任せても安心して見ていられるような巫女ではない。だがそれを補うかのように、数多くの力ある者たちに見守られている。藍、橙、映姫、姫海棠はたて、風見幽香、秋姉妹、そして『楽団さん』も。こと愛されるという能力に関しては、決して霊夢にも劣ってはいなかった。
 霊羅が周りの者に支えられている限り、幻想郷は安泰だ。そしてさとりも、支える者の一人でありたいと、そう思うのだった。
「よかったら、」
 まだ楽器たちの去った方向を見ている霊羅に、さとりは話しかけた。
「今日は一緒に寝ませんか」
「え、いいんですか」
「歓迎しますよ」
「やったぁ!」
「あ、でも」
 小躍りしかけた霊羅が、ぴたりと動きを止めた。途端に不安げな表情になる。意地悪くもわざとたっぷり間を溜めてから、さとりは続けた。
「せっかくですから、橙さんとも一緒に寝ましょうか」
「あっ、それ賛成!」
 霊羅は立ち上がり、そのままの勢いで飛び跳ねた。
 さとりの手を引いて、霊羅は駆け出さんばかりに廊下を進んでいく。途中、さとりは人差し指を立てて唇に当て、しー、と笑ってみせた。霊羅も察し、同じく人差し指を口に当てて、しー。それから忍び足で、息を殺して橙の部屋へと近づき、そっと障子に手をかけた。せーの、の口の動きで、二人同時に障子を全開にする。
「突撃ー!」
「のわぁっ?」
 布団の上の橙に、二人がかりで飛びついていく。橙は眠ってはいなかったが、咄嗟には反応できず、貧弱なボディプレスを二発受けることとなった。
「ぐえっ、何だおまえら!」
「いやいや、ちょっと添い寝をですね」
 しれっと答える。さとりは振りほどかれないように、橙の右腕に絡みついた。
「霊羅も何やってんの!」
「いーじゃない。添い寝、添い寝」
 霊羅も橙の左腕に、抱きつくというよりは巻きついている。
「いっしょに寝ようよー」
「ええい、暑苦しい!」
 橙は身をよじってもがいたが、両腕にくっついたものを振り払うことはできなかった。いや、いくら二人がかりで押さえつけられているといっても、本当なら古明地もやしと人間の小娘など難なく吹っ飛ばすことができるはずなのだ。敢えてそれをしないというだけであって。
 しかし、口ではまだ抵抗を試みている。
「こら、霊羅! 一人じゃ寝られないとか、子供みたいなこと言ってるんじゃない」
「だって、実際まだ子供だもーん」
「だーもう、開き直りやがって……」
 抵抗の気力は、かなり萎えてきた。ここぞとばかり、さとりは追い討ちをかける。
「……一人で寝られないのは、むしろオトナのほうかもしれませんよ?」
「ちょっ、潤んだ目で上目遣いはやめろ!」
「どうしてオトナのほうが一人で寝られないんですか?」
「霊羅! そんな話に食いつかんでいい!」
「それはですね、オトナになると性的な」
「さとりさんも説明せんでいい! 幼女体型のくせに!」
「橙さんほどでは」
「やかましい!」
 なおも一つ布団の上、三人で揉み合っていると、ふと、頭上に気配を感じた。見上げると、いつの間に部屋に入ってきていたのか、藍が立っていた。無表情で、あからさまに不機嫌そうな空気を放っている。
 橙と霊羅も気づいて、動きを止めた。
「あ、藍様……うるさかった、ですか」
 いたずらを見咎められた子供のように、橙は震えた声でおそるおそる訊ねた。が、藍は黙ったままだ。霊羅も首をすくめて、叱責が降ってくるのに備えている。
 藍の心を読めるさとりとしては、この状況、笑いをこらえるのに必死だった。
 表情を変えないまま、藍はやおら両手を大きく広げ、ようやく口を開いた。
「私も入れてくれー!」
 しなやかな体躯が宙を舞う。体格からいって藍のボディプレスは、さとりと霊羅の同時攻撃をはるかに凌ぐ威力を持っているはずだった。それが三人の上に降ってくる。結果、
「ぐへぇっ」
 真ん中にいた橙は、小ぶりの西瓜ほどもある重量級の乳房に顔面を押し潰され、濁った声をあげた。
「ふはははは、三人まとめて抱いてやる!」
「うえっ、藍様、重い重い!」
「逃げられまい! さあ橙、観念するんだ!」
「ひぃ」
 胸で押さえつけられて、摩擦熱で火傷しそうなほど頬擦りされて、橙はもうされるがままだった。さとりと霊羅も、藍の腕でしっかりと抱きすくめられながら、笑った。何に憚ることもなく、笑った。
 布団からはみ出た足先に食い込む畳の目の感触は、思いのほか心地良いものだった。



 O)))



 ――楽しそうですね、さとり様。
 羽根が言った、かすれた声で。
 ――あたいたちは、もう必要ありませんね。良かったです。
 車輪が言った。言って、頬にひと滴、塩気の強い液体を伝わせた。
 ――あーあ、泣かせちゃった。
 青い薔薇が頭をゆらゆらと揺らしながら、絡みついてきた。さあさあどうするの、と言わんばかりに無数の棘を食い込ませてくる。
 流れ落ちる血が、両の足の間に、鈍色の泥沼を作り出した。経血のようにも、破瓜の血のようにも見えた。



 O)))



 アリス宅の玄関ドアが開いた瞬間、さとりは思わず声を漏らしそうになった。出迎えた魔法使いは、記憶の中にあるのとは違う姿をしていたのだ。
 肌は張りと艶と潤いを失い、目尻や鼻の脇には皺が刻まれ、輝くようだったブロンドはむしろ白髪に近くなっていた。
 元人間といえども、魔女である以上アリスも人外に分類される。精神状態や魔力の状態に容姿が影響されるのは当然のことだった。とはいえ、前回さとりが訪れてから、わずか一ヶ月ほどだ。確かに切羽詰まった状況であるのは間違いなさそうだった。
 嫌そうな顔のアリスに迎え入れられ、居間に通される。中の様子を目にするや、藍と映姫の表情が驚きと焦りとで険しくなった。
【増えている】
 霊夢人形と魔理沙人形が当たり前のような顔でテーブルに着いているのは、前と同じ。ただし今回はもう一人――もう一体、椅子を占拠する先客がいたのだ。パチュリー・ノーレッジ、の人形が、さとりたちの来訪に顔を上げることもなく魔導書を読みふけっていた。
 いつの間に、と映姫は困惑している。ここに足繁く通っていた彼女も、新たな人形が製作されているような気配は察知していなかった。昨日訪れたときですら、パチュリー人形は影も形も見あたらなかったのだ。材料の切れ端や道具を使用している形跡も、すべてが徹底的に隠されていた。といっても、映姫に対するカモフラージュというわけではないだろう。本当の目的は、アリス自身に気づかせないようにすることだ。
 地下かどこかに、隠し工房でもあるのか。わからないが、ともかく、パチュリー人形の製作がアリスの消耗を加速させていたのは間違いない。そして、操る人形が三体になったということは、今後もより激しく魔力が失われていくということだ。
 想定外の状況に驚きはしたが、やることは変わらない。藍も映姫も予定通り、今日この場でアリスを現実へと引き戻すつもりでいた。
 アリスが椅子を追加で三脚用意してくれたが、藍は腰を下ろさず、パチュリー人形の隣に立った。魔導書に向けられてうつむいた顔を覗き込むように、腰を曲げて首をひねる。
『……何』
 蠅を追い払うかのような調子で、顔も上げずにパチュリー人形が言った。気分を害した様子は見受けられないが、かといって愉快なようにも見えない。生前のモデルと同様、感情をあまり表情には出さないようにしているのだろう。
 藍は体を起こして、アリスに向いた。
「今度の人形も、よくできているじゃないか」
 それから、横目でまたパチュリー人形をじろじろと見て、
「でも、細かいところがちょっと雑だな。老眼か、それとも手先が思うように動かないか」
「何を寝惚けたこと言ってるの」
 呆れたような、哀れむような、とにかく藍が正しく現実を認識しているとは微塵も思っていない様子で、アリスは痩せた腕を組んだ。
「ちょっと腰を据えて読みたい魔導書があるんだけど、レミリアが絡んできて鬱陶しいからっていうんで、うちに避難してきたのよ。このパチュリーは人形じゃなくて本物なの、本物」
「そうかな? ほら、ここ」
 言いながら、藍はパチュリー人形の手の甲を指先でなぞった。パチュリー人形は艶めかしい声をわずかに漏らして、身をよじらせた。
『……何のつもり』
「老眼鏡でもかけてなきゃ見えないのか、アリス」
「だから、何――」
「糸の端が、飛び出てる」
 藍はパチュリー人形の手首を掴み、手の甲から生えた細長いものをつまんでみせた。遠目には毛に見えないこともないが、ちゃんと見てみれば、それは人形の縫製に使う糸に他ならなかった。
 霊夢人形や魔理沙人形には、そのような人形であることを明確に示してしまう部分は見あたらない。裸にひん剥いて転がしておいても、眠っているか気を失っているのだとしか思えないだろう。それなのにパチュリー人形には、わりと見えやすい位置に目立つ証拠が刻まれている。とても同一人物の手によるものとは思えなかった。
「アリス・マーガトロイドともあろう者が、こんなつまらないミスを犯して、しかもそれに気が付いていないとは」
 藍は容赦なく、苛酷な事実を突き付けていく。が、アリスは眉間に皺を寄せてパチュリー人形の手をまじまじと眺め、それから、首をひねった。
「ねえ、藍。ものすごく失礼なことを言わせてもらうけれど」
「む」
「あなた、頭、大丈夫?」
 挑発するでもなく、小馬鹿にするでもなく、ただ純粋に気遣う表情でアリスは言った。藍はパチュリー人形を指さして、唾を飛ばさんばかりに声を荒らげる。
「それはこっちの台詞だ! 本当に見えないのか、この糸が!」
「うるさいわね、喚かないでよ。眼鏡なんてかけなくても、埃のひとつだって見落とさないくらいよく見えているわよ」
「いいや、見えていない! 逃げずによく見てみろ、現実――」
 突然、藍は言葉を切り、壁際まで飛び退いた。見れば、パチュリー人形が魔導書を手に身構えている。開かれたページには、「水符『プリンセスウンディネ』」の文字が見えた。
『……退くだけの賢明さは残っているのね。式神は水に弱い』
 語りかけとも独り言とも判別のつかないパチュリー人形の言葉には応えずに、藍はなおもアリスに訴える。
「その技術、その知識。過去に閉じこもるためだけに使うのは、あまりにも勿体ないとは思わないか」
「だからぁ、意味がわからないってば。こう見えて、パチュリーもたいがい怒っているわよ」
「確かに本物のパチュリーなら、あまり表情を変えずに怒っていただろうな」
「あのねえ――」
 苛立ちに、アリスが声を大きくした。その瞬間、映姫が立ち上がって二人の間に割って入る。
「まあまあ、やめましょうよ」
 にこやかな表情と和やかな口調は、大異変以前の映姫しか知らない者であれば目と耳を疑うものであったはずだ。アリスは不満を残しながらも口を噤んだ。多忙な中で足繁く通い詰めた効果が、多少はあったということだろうか。
 アリスは髪を掻き上げて、藍を指さした。
「ちょっと。この錯乱狐、さっさと連れて帰ってよ」
「まあ、まあ。アリスさんも落ち着いて」
「私は落ち着いてるわよ。ああ、落ち着いてるわ。この狐の頭を蹴り飛ばしてやりたくなるほどに、私は落ち着いてる」
「そうですか? その割には、」
 映姫は視線をずらして、椅子に座ったままで微動だにしない二体の人形を見やった。
「霊夢人形と魔理沙人形が、先ほどからひと言も喋っていないようですが」
 アリスの両肩が一瞬、動揺に震えた。が、それも次の瞬間には頭から排除して、すぐに魔力を人形の操作に振り向ける。もちろん全ての操作は無意識のもとに行われており、彼女自身が真実に気づくことはない。映姫の言葉に、一瞬動揺したことさえも。
 椅子を蹴って、魔理沙人形が立ち上がった。腰に手を当てて、薄い胸を押し付けんばかりの近距離で映姫を睨み据える。――傍から見れば、かなり遅い反応だった。
『おうおう、今度は私たちを人形呼ばわりかい。閻魔様ともあろう御方が、夜雀にでも目をやられちまったか』
『暑さで頭がやられちゃったんじゃないの。いいから放っときなさいよ』
 霊夢人形は頬杖をついたまま、気だるい声でたしなめた。魔理沙人形は納得できない様子ながらも、再び椅子に座って貧乏揺すりを始めた。
 今度はパチュリー人形が全く動かなくなったことに、アリスは気づいていない。動かない大図書館などと称されただけあって、もともと活発な動きを見せるほうではなかったが、瞬きのひとつもしないとなればさすがに違和感がある。
「アリスさん。もうそろそろ、気づいてみませんか」
 映姫はおもむろにパチュリー人形の腕を取った。他の二体に魔力が振り向けられている今、パチュリー人形はすぐには何の反応もできない。されるがままだ。映姫は急ぐこともなく、それどころかわざと緩慢な動きでチキンウイングアームロックをかけた。肘関節の可動限界は躊躇いもなく突破され、鈍い破折音が響く。なおも映姫は力を緩めることなく、表情ひとつ変えないままで、パチュリー人形の腕を引きちぎった。
「大異変は、起こってしまったのですよ」
 人形の腕の断面をアリスに見せて、映姫は言った。無念の色が滲み出ていた。
 さとりと藍も、アリスの反応を見守る。現実を受け入れてくれさえすれば、あとは取り乱して暴れても藍が抑え込んでくれる。それから、ゆっくりと心のケアをしてやればいいのだ。まずは虚構の人形劇から抜け出して、現実に戻ってきてもらうこと。そうしなければ始まらない。
 これといった感情を表に出すこともなく、アリスはただ突っ立っていた。瞬きもせず、呼吸もしているのかどうか定かでない。まるで、彼女自身までもが人形になってしまったかのようだった。
 空気を揺らすのすら憚られるような、張りつめた時間が流れる。
 と、そのときドアを破って居間に飛び込んでくる影があった。さとりの目には金色の筋としてしか映らず、ただ、映姫に向かっているのだけはわかった。
「あっ?」
 映姫が声を上げたとき、その手にはすでにパチュリー人形の腕はなかった。あまりの素早さに、映姫も、藍ですら、何の反応もできなかったのだ。
 金色の影が、さらに三つ、四つ。壊れたドアから入ってくると、今度はパチュリー人形の本体に取り付き、最初の影とともに窓ガラスをぶち破って外に出ていった。
 かなり遠ざかってから、ようやく後ろ姿が視認できた。いずれもブロンドのロングヘアをなびかせて、アリスと似たような服装をしている。ただし背丈は六分の一ほどの人形だった。
【大江戸爆薬からくり人形】
 抜け殻のようなアリスから無意識の声が聞こえた瞬間、窓の外で閃光が走った。次いで、轟音と衝撃波。さとりは咄嗟に身を屈めた。
 振動をやり過ごして、恐る恐る顔を上げる。
 空から、灰がはらはらと降り落ちてきていた。焦げたにおいが濃く漂っている。火薬を腹いっぱいに詰めた人形たちの自爆攻撃によって、パチュリー人形は木端微塵に吹き飛ばされたのだった。
 錯乱したか――アリスの様子を窺って、それから、さとりはあまりにも意外な光景に眉根を寄せた。何が起こったのか少しも理解できていない、まるで少女のような表情で、アリスはじっと佇んでいたのだ。
「あら? さっきまでパチュリーいたのに、どこ行ったのかしら」
 言って、アリスはしかめっ面を魔理沙人形に向けた。
「ちょっと魔理沙。窓とドア、ちゃんと直しなさいよ」
『は、私? なんで』
「どうせあんたが壊したんでしょ」
『知らないぜ。根拠もなく人を疑うなよ』
「あんた以外に誰がいるの」
『ぞろぞろといるじゃないか。霊夢なんか、容疑者候補筆頭だ』
『なに魔理沙、私を売るつもり?』
「こんな穀潰し、誰も買わないわよ」
『ふーん、アリス、そういうこと言うんだ。ここで夢想封印ぶっ放しちゃおっかなー』
「蹴り出されたいのなら、やってみなさい」
 茶番だ。紛れもない茶番が、目の前で繰り広げられている。自らパチュリー人形を爆破しておきながら、アリスはなおも茶番を続けている。それは取りも直さず、何が起ころうとも茶番を終わらせるつもりはないという無意識の意思表示だ。何が起ころうとも、現実に目を向けるつもりはない、と。
 事ここに至っては、いかなる言葉も意味を持たなかった。藍は苦い顔で両手を挙げて、降参の意を示した。映姫もさとりに向けて、肩をすくめてみせる。
「私たちでは無理なようです。……さとりさん、お願いします」
「……はい」
 最終手段というわけだった。三人ともが、できれば避けたいと思っていた展開だ。だが、おそらくこうなるだろうということは、これまた三人ともがうっすらと予測していた。さとりとしても、この場にいる以上は覚悟はできているつもりだった。
 さとりは立ち上がった。スカートの裾を軽く手で払って、皺を伸ばす。
「ん、何?」
 アリスが訝しげに振り向いた。霊夢人形と魔理沙人形も目を向けてくる。場を支配する異様な空気に呑まれまいと、さとりは右手の人差し指と中指の先で第三の目に軽く触れた。
「……強引なやり方になってしまいますが、なんとか耐えてください」
「は? どういう――」
「行きますよ。想起『スペルカードルール改竄異変』」
 右手を第三の目から離し、スカートのポケットへと滑り込ませて、中からスペルカードを取り出した。宣言と同時に、室内が薄闇に包まれる。
「ちょっと、どういうつもり? 喧嘩を売ってるつもりなら、買わないこともないけれど」
「残念ながら、売れるほどのものは持ち合わせていません」
「だったら、今すぐその奇妙なスペルカードを解除して立ち去りなさい」
「解除はしますよ。アリスさんが全てを思い出した後で」
 風が、さとりの癖毛を乱した。屋内にいたはずが、いつの間にかテーブルは草原の真ん中に佇んでいた。思い出したように霊夢人形と魔理沙人形が顔を上げ、警戒するように辺りを見回した。
 頭上から金属の触れ合う音が聞こえてきた。見上げると、一辺が約六メートルの立方体フレームが浮かんでいた。どこからともなく銀色に光る有刺鉄線が伸びて、フレームに巻きつき立方体の六面を形成していく。
 忘れるはずもない――『ノーロープ有刺鉄線電流爆破バレットヘル』の舞台となった、公式リングだった。
 ただし、実物ではない。触れれば棘が刺さり、電気が流れ、火薬が爆発し、触れた者の肉を焼き抉るのだろうが、それでも実物ではない。アリスの記憶の深層から引きずり出してきた、あくまでも虚構だ。ということはつまり、大異変はアリスの記憶から完全に消えてしまっていたわけではなく、奥底に押し込められて見えないようにされていただけだということだ。以前のさとりと同じ状態だといえる。いや、パチュリー人形を自ら破壊してまで現実から目を逸らそうとしているあたり、もっと深刻な状態かもしれない。
 だが、こうなってはもう逃げ場はない。有刺鉄線の向こう側、リングの中では、二つの人影が対峙していた。一つは、聖白蓮。もう一つは、
「――魔理沙?」
 アリスがつぶやいて、虚構の魔理沙と魔理沙人形とを交互に見た。動揺を表すかのように、人形がぴたりと動かなくなる。
 頭上では激しい弾幕戦が繰り広げられていた。リングをほぼ埋め尽くそうかという白蓮の弾幕をかいくぐりながら、魔理沙は苦しい体勢からもマジックミサイルを放つ。魔力によって身体能力を強化した白蓮は、スコット・ノートンにも匹敵する筋肉の鎧を纏っていたが、それでも被弾のたび着実に体力を削られ、徐々にリングの端へと追い詰められていった。
 ついに白蓮の姿勢が揺らいだ。機と見るや、魔理沙は一気に距離を詰める。ミニ八卦炉が光を帯び、必殺の大技マスタースパークが発動――することは、なかった。それより先に、筋肉超人・聖白蓮のラリアットが魔理沙の喉を潰していたのだ。
 ミニ八卦炉が手から離れる。帽子と箒を置き去りにして、魔理沙の体は吹っ飛んだ。当然のように体勢を立て直す猶予などあるはずもなく、待ち構える有刺鉄線へとそのまま叩きつけられた。
 火花と炸裂音が、見る者の目と耳を貫く。
 飛び散る鮮血と肉片。それらが降り注ぐ寸前で、世界は一瞬、暗転した。
 次の瞬間には、景色が一変していた。地底から地上に出てすぐのあたりだ。立方体のリングが浮かんでいるのは同じだが、中にいる顔ぶれは変わっている。命を懸けた弾幕ごっこを繰り広げているのは、霊夢とキスメだった。
 キスメは天井付近に陣取り、絶え間なく弾幕の雨を降らせている。しかし霊夢は何食わぬ表情で、悠然と弾幕をくぐり抜けていった。最小限の動きで、危なげなく、体力の消耗もほとんどない。霊夢が一度も攻撃を繰り出さない間に、キスメはもう喉も破れんばかりに息を乱していた。
 そのうち体力が尽きかけてきたのか、弾幕が目に見えて薄くなった。キスメは攻撃手段を切り替え、霊夢の頭部目がけて全速で降下していった。釣瓶落としの特攻体当たりだ。霊夢はこれも難なくかわした。
 底面の有刺鉄線に触れる寸前でキスメはなんとか踏みとどまり、再び天井まで上昇した。そして、また降下。速度はあるし、当たればただでは済まないのだろうが、所詮は単調で直線的な動きだ。どうあがいても幻想郷屈指の実力者に通用するようなものではなく、またも霊夢はいとも簡単に身をかわした――と、思われたのだが。
 すれ違う瞬間の出来事だった。キスメは桶の中に隠し持っていたパイプ椅子を、霊夢の脳天に思い切り叩きつけた。
 霊夢は白目を剥いて、ぼろ切れのように落ちていく。意識がなければ、空を飛ぶ程度の能力も効果を発揮することはできない。待ち構えるのは有刺鉄線の抱擁、そして電流爆破の接吻だ。
 紅い花が、散った。
 その後も、アリスの見た知己の死に様が、リングの中で次々と再現されていった。そのたびに漂う焦げた臭い――肉の焼けた臭いが、さとりの鼻にもまとわりついてきて、なまぬるい吐き気を誘うのだった。
 もういい、もうやめたい。ここまでやれば充分だろうと、さとりはアリスの表情を窺った。頭を抱え、うずくまって震えているだろうから、もうトラウマを抉るのはこれくらいでやめにしてもいいはずだ、と。
 ――違った。
 これだけのものを見せつけられても、アリスは不愉快そうに少し顔をしかめただけで、じっと空中のリングを眺めていた。そしてさとりの視線に気づくと、軽蔑もあらわに、吐き捨てるように言った。
「あなた、こんなもの見せて何のつもり?」
「え、あの……」
「こんな趣味の悪いショーを作り出せるなんて、想像力豊かなことね。私の気分を損ねたかったのなら、効果は充分よ」
「いえ、これは……」
「でも、もう見飽きたわ。さっさと幕を引いて、帰ってもらえるかしら」
 アリスはくるりと背中を向けて、肩の上で小さく手を振った。
 サトリ妖怪の力でも、アリスを現実に引き戻すことはできないのか。さとりは想起を解除して、藍と映姫を見た。こうなっては、いったん退くしかない。二人も同意を示すように、苦い顔でうなずいた。
『おっと、そうはいかないぜ』
 意外なところから声が上がった。魔理沙人形だ。
『自分の死ぬところなんざ見せられて、黙っちゃいられないな。タダで帰らせるとでも思ってるのかよ、なあ霊夢?』
『そうね。馬鹿にしてくれたお礼に、お賽銭でももらってあげようかしら。有り金全部で』
『珍しく良心的じゃないか。なら私は、腕の一本でもいただいておくかなっ!』
 ポケットからミニ八卦炉を取り出すと、すぐだった。もったいぶった溜めも脅しもなく、魔理沙人形はいきなりスターダストレヴァリエを放った。
 押し寄せる光の塊。さとりは一歩も動けなかった。そして目の前まで迫った星屑は――突如開いたスキマに飛び込み、どこかに消えていった。
 魔理沙人形と霊夢人形の喉元にも、それぞれスキマが開いた。首から上を食いちぎらんと閉じるスキマから、人形たちは間一髪で逃れた。
『ちょっと、女狐! いまのは卑怯よ!』
 霊夢は針を四本同時に投げた。藍は体をひねって針をかわし、直後、家の壁に人の頭ほどの風穴が開いた。
「こらー、外でやりなさい!」
 アリスの声に、魔理沙人形は小さく舌打ちし、腰を落とした体勢でミニ八卦炉を構えた。
『じゃあ、とりあえず出入りに邪魔なあの壁を取り除くぜ』
 収束する魔力。漏れ出る光。スペルカード宣言を聞くまでもなく、放たれるのが何なのかは容易に予測できた。
 ――恋符『マスタースパーク』
 その射線上に、三人はいた。藍は大きくスキマを開いて叫んだ。
「くっ、撤収だ! 入れ!」
 だが、さとりは立ち尽くしたままだった。足が動かない。そうしている間にミニ八卦炉からは薄い光が伸びて、さとりの胸を照らした。
 走らないと。早く、あのスキマに飛び込まないと。思うほどに、さとりの体は動かなくなった。まるで動かし方を忘れてしまったかのようだった。
「さとりさん!」
 後ろから映姫が、体当たりするように抱きついてきた。そのままの勢いで、二人一緒に空間の亀裂へと転がり込む。スキマが閉じる瞬間、外の世界が白い光で埋め尽くされるのが見えた。
 気色悪い目玉模様に囲まれて、上も下もわからない藍色の世界を漂う。映姫にしっかりと抱き締められていなければ、自分がどこかに流れていって、消えてしまいそうだった。やけに長い数秒間の後、目の前にスキマの出口が開いた。
 畳の上に降り立つも、ほんの数十センチの落下に踏ん張りきれず、さとりは前のめりに膝から崩れ、次いで両手を着いた。鈍い痛みとともに、ようやく少しばかりの現実感が肺に流れ込んでくる。顔を上げてみれば、藍の部屋だった。
 さとりは映姫に抱き起こされた。藍はこちらに背中を向け、拳を握り、うなだれ気味に立っていた。
「くそう……これでも駄目なのか」
 首を絞めるような声色でつぶやいて、藍は振り向いた。それからさとりの肩を叩いて、よくやってくれた、と労いの言葉をかけてきた。
「私はもう一度アリスの家に行って、外から様子だけ見てくる。映姫さんとさとりさんは休んでいてくれ」
 そう言うと、藍はまたスキマを開いた。境界の向こうへと消える前、背中越しに心の声が漏れてきた。
【サトリ妖怪の能力、期待しすぎだったか】
 わざと聞かせたわけではないだろう。ふと漏れてしまったことにも、気づいていたのかどうか。ただ、さとりの第三の目に聞こえてしまったことは事実だった。聞き間違いでも何でもなく、確かに聞こえた。
「うーん」
 映姫は左手で帽子のずれを直しながら唸った。
「なかなか、そう上手くはいかないものですね」
 苦笑いでそう言う。笑っている場合でないことは百も承知だが、苦笑でもせずにはいられないというのも実際のところだった。
 ふと、左膝に少しひりつくような痛みを感じて、さとりはスカートの裾をめくり上げてみた。畳に倒れ込んだときにすりむいたのか、小さな傷ができていた。妖怪であれば早くて数時間で消えてしまうような、大したことのない傷だ。だがさとりは妙にその傷が気になって、指先でそっと撫でてみた。やはり血もほとんど出ていなかったが、触ったせいで余計にひりつく感じが強くなってしまった。



 空は分厚い雲に覆われていた。直接の日差しは遮られていたが、たっぷりと湿気を含んだ空気のせいで、汗が乾かずに全部肌にまとわりついてくる。べとついて、気持ち悪くて、気分がまるで乗ってこなかった。
 さとりは空模様に気を取られながら、ほぼ日課の草むしりに励んでいた。だが、いつもより明らかにペースが遅い。天候だけのせい、というわけでもなかった。
 橙と霊羅は修行。これはいつも通りだ。一方で藍は、自室で映姫と膝を突き合わせ、今日も深刻な話を続けている。外出先といえばほとんどアリスの家ばかりで、しかもわりと短時間で戻ってくる。アリスの救出に失敗して以来、三日間ずっとこの調子だ。
 アリスの家に行っても、霊夢人形と魔理沙人形に庭先で追い払われるらしい。話をしようにも、聞く耳持たずだ。そして人形の酷使により、アリス自身の魔力はさらに加速度的に失われ、もはや老婆にしか見えないという。
 残されたチャンスは、アリスがもう人形を操る力を全て失い、死んでしまう寸前。そのわずかな時間だけだ。ただしそれでは、その後の回復までに膨大な時間がかかってしまうし、そもそもちゃんと回復できるのかも疑わしい。ならば、そうなる前になんとか別の手段で救出を、と知恵を絞っているのだが、なかなかそう簡単に名案が出てくるはずもなく、といった状況のようだ。
 話し合いには、さとりは呼ばれなかった。まだ全快には程遠いのを鑑みて、荷が重いと判断されているのだ。それに前回の作戦でこれといって役に立たなかったのだから、これ以上何ができる、ということもある。藍も映姫も決してそんなことは口に出さないし、心の声にもできるだけ出さないようにはしているようだが、それでも完全に隠すことはできない。さとりも己の無力をもどかしく思ったが、かといって自分が動いても足を引っ張るだけだ。できることといえば、黙ってこれまでの日常を続けることだけだった。
「ちょっと出かけてくる」
 藍の声に、橙と霊羅は大きく手を振り、元気な声で行ってらっしゃいと言った。藍と映姫は連れ立って、スキマの向こうへと消えていった。
 さとりはタオルで顔の汗を拭い、捗らない草むしりを再開した。またすぐに顎から汗が滴る。鬱陶しくなって、軍手の甲で顎をこすった。
 ふと、視界に四つの靴の先が入ってきた。顔を上げると、橙と霊羅が並んで立っていた。ほら、言いなよ、と橙が肘でつつく。しかし霊羅は両手を揉み合わせて、じっと黙ったままだった。
 しびれを切らしたらしく、橙が頭を掻きながら口を開いた。
「あー、えーと、ちょっとお願いがあるんだけど」
「駄目です」
「えぇー」
 橙は不満の声をあげた。
 もちろんさとりも、何のお願いか知りもせずに却下したわけではない。心を読んで、それは駄目だと判断した上で却下したのだ。
 霊夢の弾幕を、霊羅に見せてやってほしい。――それが、お願いの内容だった。
 このところ霊羅は、弾幕ごっこの上達に行き詰まりを感じていた。それは本人がそう思っているだけで、さとりから見れば着実に成長していたのだが、とにかく本人は焦る気持ちに苦しんでいた。ただでさえ、話に聞く先代巫女の強さには遠く及んでいないのだから。
 何かきっかけがあれば、と霊羅は考えた。橙に相談する中で思いついたのが、先代の弾幕を真似ることだ。完全にコピーすることはできないにしても、見て、真似てみることによって、新たに気づくことがあるのではないか、と。
 ただしそのためには、霊夢の弾幕を知る者の協力が大前提として必要だ。そして、できるだけ正確に再現できる者である必要もある。
 これだけ難しい条件を満たしていて、なおかつ頼み事をできる。そんな都合のいい存在が――いた。しかも、ひとつ屋根の下で寝起きしている。協力してもらうには、さとりはまさに最適の人材だった。
 さとり自身、霊夢の弾幕をいくつか知っている。橙の記憶にある弾幕も引き出せば、霊羅に見せる材料には事欠かないはずだった。そして、再現の正確さはお墨付きだ。
 とはいえ、見るだけで弾幕の本質が掴めるかといえば、特に霊羅のように経験の乏しい者にとってそれは難しい。だから実際には、霊夢の弾幕を霊羅に浴びせてほしい、という依頼だった。そしてそれが、さとりが依頼を断る理由でもある。
 さとりも体験した通り、霊夢の弾幕はどれも非常に強力だった。単発の火力は決して高くないにしても、相手を追い詰めていく際の巧みさ、というか嫌らしさは抜きん出ていた。そして何より、追い詰めた相手を仕留める際の無慈悲さ、容赦のなさは、並ぶ者もなかったほどだ。
 そんな恐ろしい弾幕を、霊羅に浴びせろという。無事に済むのか、甚だ疑問だった。寸止めや力加減をしようにも、今のさとりにどれだけ正確な制御ができるのか。そういうこともあり、さとりはあまりに危険だと判断して依頼を断ったのだ。
「そんなこと言わずに、お願いします!」
 深々と腰を折って、霊羅は言った。その隣で、橙も霊羅より低く頭を下げる。
「私からも、お願い」
 二人の頭のてっぺんが、じっとさとりに向けられている。姿勢を保つために背中を小刻みに震わせている様は、健気としか言いようがなかった。
 さとりは頭に巻いたタオルを外した。
 相当の覚悟だろう。博麗の巫女であるからには、先代である霊夢の凄まじい強さはよくよく話に聞いているはず。その弾幕を敢えて浴びたいというのだから、これはもう一大決心に違いない。
 橙にしても、霊羅を危険な目に遭わせてしまうのではないかという不安と、一方で、成長した霊羅に追い抜かれてしまうのではないかという不安とで、葛藤は激しいはずだ。霊羅の実力が霊夢に近づけば近づくほど、藍の中での橙の相対的な重要度は、どんどん下がっていく。それでも、成長したいという妹分の願いを叶えようと、この居候に向かってこうして頭を下げているのだ。意地っ張りな娘なのだから、頭を下げることへの抵抗感は人一倍だろうに。
 では自分は、と、さとりは考えてみた。
 自分も、何か幻想郷のためになるようなことをしたい。朽ち行こうとしていた自分を救ってくれた藍や映姫に対する恩義。妹やペットたちに胸を張りたいという思い。どちらもある。ならば自分には、自分の能力には、何ができるのか。アリスは救えなかった。少なくともあの場で、自分は何の役にも立っていなかった。トラウマを抉っても、誰一人として幸せにすることはできなかった。
 今、幼い二人が、自分の能力を頼りにしてくれている。幻想郷の未来を担っていく二人だ。成長の手助けをすることができれば、それは幻想郷に貢献しているとはいえまいか。そして何より、二人が自分の能力を必要としてくれている。自分を、必要としてくれている。
「――いいでしょう」
 右手を、霊羅の頭に。左手を、橙の頭に。同時に乗せて、優しく撫でた。
「私の能力、お貸ししましょう」
「本当に!?」
 さとりの手を弾き飛ばすような勢いで、橙が頭を上げた。霊羅も黒々と光る目を向けてくる。
「ただし、危険ですよ。覚悟はできていますか」
「は、はい! もちろん!」
「……わかりました。決して気を抜かないように」
 藍と映姫が帰ってくるまでに終わらせなければならない。さとりは早速、橙を隣に、霊羅を二十メートルほど離れたところに立たせた。
 橙は春雪異変を皮切りに、霊夢とは何度か弾幕を交えている。全て完敗だったが、相手の弾幕はしっかりと記憶に刻み込んでいた。一度対戦したきりのさとりよりも、はるかに多く霊夢の弾幕を知っている。なので、橙の記憶から弾幕を再現し、それを霊羅に放つという形をとることにした。
「行きますよ。想起『夢想封印』」
 さとりの妖力は光となって放たれ、直径二メートルほどの弾を次々と形成していく。最初はでたらめな方向に飛んでいくものの、すぐに標的の自動追尾が始まり、結果として、あらゆる角度から光弾が霊羅に襲いかかった。
「えっ?」
 思わず口から漏らしたのは、さとり自身だった。
 ――こんなに?
 現れた弾幕は、さとりが思っていた以上のものだったのだ。弾の数、弾の大きさ、弾速、軌道――あらゆる要素で、予想をはるかに上回っていた。当然、回避難度も。
 霊夢の弾幕は、予想以上に凶悪だった。そして、さとりの妖力は、予想以上に順調に回復していた。この二つの要因が重なって、さとりが意図していたのとはかけ離れた弾幕が放たれてしまったのだ。
 すぐさま、想起を中断。だが、すでに放たれた弾が消えるまでには、あと数秒の時間がかかる。
「霊羅さん、逃げて!」
 さとりは叫んだ。橙は怪訝そうに眉を顰めている。
 霊羅は弾幕回避の基本通り、小さい動きで夢想封印を回避しようとしていた。しかし、光る大弾はすべて高い追尾性能を持っている。掠るような避け方では、食らいつくように旋回する弾幕からは逃れられないだろう。そしてそもそも、あらゆる方向から襲いかかっていくあの弾道。よほどの達人にしか、無傷で弾幕を泳ぎ抜ける道筋は見出せないはずだった。
 さとりが叫んだ意味は、霊羅にはまるで伝わっていない。どころか、戸惑わせて余計に反応を遅くしただけだった。ようやく上空に大きく飛び上がるも、光の大弾はやすやすと追尾していく。全速力で振り切ろうとしたところで引き離せるわけもなく、霊羅はあっけなく光に包まれようとしていた。
 そのとき、森の中から飛び出した三つの影が、風を切って弾幕の真っ只中へと突っ込んでいった。
 三つの影は光の大弾にぶち当たり、乾いた音をたてて砕けた。
「楽団さんっ!?」
 困惑とともに、霊羅が悲鳴に近い声をあげた。光の大弾三つをかき消したのと引き替えに破片をまき散らしながら落ちていくのは、ヴァイオリンと、トランペットと、キーボード――の、幽霊だったのだ。
 霊羅を守るつもりだったのか。だとしたら、その行動は成功だったともいえるし、失敗だったともいえる。確かに光の大弾は三つ数を減らしたが、それでもまだ五つも残っていたのだ。そしてそれら全てが、霊羅の華奢な体を的確に捉えた。
 霊羅は空中で意識を失い、人形のように地面へと落ちた。
 ――大変なことになった。大変なことを、してしまった。
 それは、見るからに明らかだった。目で見ても、第三の目で聞いても、霊羅が無事でないことはわかる。さとりはその場で凍りついた。
「霊羅!」
 橙が駆け出して、ようやくさとりも我に返った。冷たく痺れるほどに血の気の引いた手足をなんとか動かして、霊羅のもとへ駆け寄る。唇が震えるほどの息苦しさは、運動不足のせいばかりではなかったはずだ。
「おい、霊羅!」
 覆い被さるようにして、橙が呼びかける。霊羅は弱々しい呻き声とともに、わずかに身じろぎをした。
 最悪結果――命を失ってしまうような事態は、どうやら避けられたようだ。だが、まだ安心はできない。地上数メートルのところで弾幕を浴び、背中からまともに落下したのだ。時間がかかっても完治するような怪我であれば、むしろ幸運かもしれなかった。
 橙も冷静とは程遠い。怪我の具合も確認せず、霊羅の肩を乱暴に揺さぶった。
「おい、起きろ! 返事しろよ!」
「……ん、う……」
 霊羅の両目が、薄く開いた。
「お、大丈夫か、霊羅!」
「う……痛……」
「あっ、無理するな、寝てろ!」
「……うん」
 霊羅はぼんやりとした表情で、全身の力をだらりと抜いた。それから、視線だけを左右に動かして、また顔を歪める。
「……こわい」
「え?」
「ねえ、さとりさん、これ怖いよ。もうスペルカードは終わりにしてよ」
「なに言ってるんだ。もう終わってるだろ、とっくに」
 橙は鼻で笑ってみせたが、内心では冷や汗が噴き出すほどに焦っていた。霊羅の様子がおかしい。目は開いているのに、どこにも焦点が合っていない感じで、何かを探すように眼球をせわしなく動かしていた。
「終わってないじゃない。ねえさとりさん、このミスティアみたいなの、もうやめてよ」
 ミスティアみたいなの――その言葉に、さとりも橙も息を飲んだ。意味するところがすぐにわかってしまったからだ。しかし、すんなりと認めて受け入れてしまうには、あまりに事が重大すぎた。橙が声を荒らげる。
「よく見てみろ。いつも通りの景色だろ、な?」
「見えないよぉ、真っ暗で……」
「どこが真っ暗だ! 真っ昼間だろ、ほら! 見ろ!」
「うう……」
 霊羅の目が閉じた。どうやら、また気を失ったらしい。橙はさらに焦りを増して、霊羅の両肩を激しく揺さぶった。
「おい! 霊羅、霊羅!」
「やめるんだ、橙」
 頭上から声がかかる。宙に開いたスキマから抜け出して、藍が地面に降り立った。少し神社の様子を覗き見ていたら、ちょうど倒れた霊羅の姿が目に入ったようだ。
「あまり無闇に動かすんじゃない」
「す、すいません」
「一体どうしたんだ、これは」
「あの……だ、弾幕の訓練をしていて……」
 そこで橙は口ごもって、それから、ただ「すいません」とだけ消え入りそうな声で付け加えた。
 藍は続く言葉を待っている。だが、橙はもうこれ以上の事情を話すつもりはなさそうだった。さらに追及されるようなら、さとりを庇って自分が責任を負おうと考えている。
 さとりは右手を挙げ、歩み出た。
「藍さん、私のせいです。霊夢さんの弾幕を想起したのですが、……加減を、誤ってしまいました」
「……わかった」
 藍は橙を下がらせて、霊羅のそばにしゃがみ込んだ。地面の上に開いたスキマで、霊羅の体を飲み込んでいく。
「永遠亭に連れていく。留守番していなさい」
 言い残すと、藍もスキマに飛び込んだ。返事を待たず、藍色の境界はその入口を閉じた。
 後にはまとわりつくような湿気と、やかましい蝉の声だけが残った。さとりは髪を汗で頬に貼り付かせたまま、地面に膝と両手をついた。
「なんて事……」
 橙は何も言わなかった。奥歯を食いしばって、じっとその場に立っていた。



 陽もかなり傾いてきた頃、藍が一人で帰ってきた。
 霊羅の容態はどうだったのか。一秒でも早く聞きたくて、だが同時に知るのが怖くて、さとりも橙も何も言えないまま、藍の言葉を待っていた。
「命に別状はない。意識も戻った」
 まずは最悪中の最悪が消えた。しかし安心するには早すぎる。後遺症でも残れば、博麗の巫女を続けられなくなる可能性もあるのだ。
 そして、祈る気持ちをゆっくりと破り捨てるように、ただし、と藍は続けた。
「目が見えていない。何もかもが真っ暗だ、と」
「え、あ……」
 言葉にならない声を漏らして、あとは口を開いたり閉じたりしているばかりの橙を横目に見て、藍は小さなため息をついた。
「まだ決まってしまったわけじゃない。時間が経てば、視力も回復するかもしれないそうだ。可能性は――永琳の見立てでは、三割」
「三割!?」
 橙が叫んだ。そんなに低いのか、と。
「永琳を責めても、診断は変わらないぞ」
「い、いえ、そんなつもりじゃ……」
 藍はまた、ため息をついた。
「霊羅はしばらく永遠亭に入院させる。私はとりあえず必要な荷物を持っていって、今夜は付き添うから」
「あっ、わ、私も行きます!」
 橙が手を挙げたが、藍は厳しい表情を向けた。
「お前は留守番だ」
「でも! ……はい」
「さとりさん、橙の面倒を見ていてくれ」
 声をかけられても、さとりは返事することもできなかった。両手で口を覆って、なんて事、とつぶやくのが精一杯のところだった。
 藍は三度ため息をついて、霊羅の部屋へと向かった。
「ひとまず、着替えと……む」
 ふと、藍が足を止めた。緊迫した眼差しを、空に向ける。
 わずかに遅れて、さとりと橙も気づいた。じわりと神社に近寄ってくる、ただならぬ気配。
「いかん」
 藍の顔が青ざめた。すぐにスキマを開き、鋭い声で叫ぶ。
「さとりさん! ここに入るんだ!」
 だが、さとりは動けなかった。ただ、ここに向かってくる強大な気配を全身で感じている。その殺意は、確実に、自分に向けられているのだった。
「早く!」
 業を煮やしたのか、言いながら藍が駆け寄ってきた。首根っこを掴まれて、スキマの中へと放り入れられる。
 狭間の空間で姿勢を立て直したときには、すでにスキマの入口は閉じられていた。
 スキマの外から中は見えないが、中からは外が半透明の膜を通したようにぼんやりとだが見える。音も、多少こもってはいるが聞こえていた。藍が橙に向かって叫んでいる。
「お前も隠れていろ!」
「でも」
「相手が相手だ、お前を庇いながら戦う余裕はない!」
「庇ってもらう必要なんてないです! 私も藍様の力になります!」
「ええい、下がっていろ!」
 藍は再度スキマを開いて、橙も投げ入れた。激しく回転しながら飛んできた橙の体を、さとりはなんとか受け止めた。
 スキマが閉じたのと同時だ。上空に、近寄ってくる者の姿がかすかに見えた。彼女は急ぐでもなく、日傘を差したままで優雅に飛び、そして、静かに境内へと降り立った。
「ごきげんよう」
 表面上にこやかに微笑んでいるのは、花の大妖怪・風見幽香だった。しかしその妖気と殺気は、向かうべき相手を視界に捉えるまでも待ちきれないといった様子で、周囲にだらだらと漏れ出していた。
 対峙する藍は、威圧感に押されないよう両足を広めに開いてしっかりと踏ん張り、それでいながら、相手の感情を刺激しないよう表情はにこやかに応じる。
「やあ、フラワーマスターともあろう御方がわざわざ立ち寄ってくれるとは、一体なんの用件かな」
「鉄拳制裁、かしらね。霊羅を傷つけた者に対する」
「これはまた……」
 どういうわけか、霊羅の状況は知っているらしい。なおも藍はしらばっくれた。
「ちょっとした怪我だったんだが、大事をとって入院しているんだ。お見舞いに来てくれたのなら、永遠亭に行ってやってほしい」
「ちょっとした怪我、ねえ」
 幽香は傘を畳んだ。その先端をすっと上げ、まっすぐ藍に向ける。
「あなたも体験してみる? 霊羅と同じ、ちょっとした怪我というのを」
「無意味に痛い思いをするのは、御免被りたいな」
「なら、ふざけたことを言っていないで出しなさい。霊羅を傷つけた張本人、古明地さとりを」
「――さとりさん? 何の関係が」
「とぼけても無駄なのよ。あの子たちが、一部始終を見ていたわ」
 あの子たち、と言って幽香が指さしたのは、境内を視界に収めるような向きで咲いている、数十本の向日葵だった。
「神社を焼き払えば、犯人が出てくるかしら? でもそうしたら霊羅が悲しむ。あなたを拷問して口を割らせるのも、霊羅の気持ちを考えれば本意ではないわ。けれどあくまで犯人を庇うつもりなら、容赦はしない」
 森がざわめく。花畑が蠢く。辺りの植物がすべて幽香の武器となって、凄まじい恫喝を藍に加えていた。
「私の望みは、古明地さとりの両目を潰すこと。殺しはしないわ。だから、潔く引き渡しなさい」
 並の妖怪なら失禁と失神は必至の脅しを受けながら、藍は身動きひとつしない。だが、全身ねばついた汗に覆われていることからもわかるように、決して平然と立っているわけではなかった。頭の中では、最善の対応を選択すべく猛烈な速度で思考が駆け巡っている。
【本気の幽香と一戦交えたとして――負けるつもりはないが、無傷で済むとも思えない。それは避けなければ】
 霊羅が負傷した際、幻想郷の各地に張られた結界の多くに綻びが生じ、いくつかは消滅してしまっていた。これ以上の損害が出ないよう、現在は藍の力で食い止めている状態だ。ここで藍がそれなり以上のダメージを負ってしまった場合、結界の損壊はさらに広がってしまう。中でも博麗大結界に綻びが生じてしまえば、これはもう幻想郷の存亡に関わる大問題だ。
 幽香とて、そのことは理解しているはずだ。理解したうえで、こうやって脅しをかけてきている。幻想郷にもしものことがあって困るのは幽香も同じだが、だからといって絶対に藍に危害を加えないとは言い切れない。むしろ目的を果たす邪魔をするのであれば、たとえ自分の生存が危うくなろうとも、制裁を加えるのを躊躇わない。そういった性格が、風見幽香をして恐怖の象徴たらしめているのだった。
 幻想郷を守ろうと考えるのならば、幽香の要求を飲まないわけにはいかない。
 住人の多くにとって、幻想郷は世界に唯一残された拠り所だ。ほとんどの者は、外の世界では生きていくことができないだろう――藍も、橙も、もしかしたら霊羅だって。そしてそれ以上に、藍にとっての幻想郷とは、死んだ紫との接点を今なお感じられる大事な大事な箱庭だ。失うわけにはいかない。
 だが、
【――見捨てるのか、さとりさんを】
 藍は迷っていた。
 こんな、たいして役にも立たない一匹の妖怪を――しかも、幻想郷の宝たる博麗の巫女を傷つけてしまった罪深い妖怪を、あろうことか幻想郷そのものと天秤にかけて、本気で悩んでいるのだ。
「ねえ、渡すの、渡さないの?」
 声の調子を低くしながら、幽香は傘の先端を地面に突き立てた。特に力など込めていないような動作だったが、傘は四分の一ほど地面に刺さっていた。
「渡せば、古明地さとりの両目が潰れる。渡さなければ、神社ごとあなたと古明地さとりが消し飛ぶ。どちらを選ぶのかしら?」
「……どちらも、選ぶわけにはいかないな」
「だーめ、どちらか選びなさい。私は慈悲深いから、あと五秒だけ待ってあげるわ」
 幽香は手のひらを前に向け、白くほっそりとした指を五本ともぴんと立てた。
「ごー」
 容赦なく秒読みが始まる。残忍さとは無縁のたおやかな笑みを崩さないまま、幽香は親指を折り曲げた。
「よーん」
 色香濃く漂う容姿とは不釣り合いな、幼ささえ含まれるおどけた声で、さらに残された時間が削り取られていく。人差し指が折り曲げられた。
「さーん」
 追い立てられて、藍の思考がさらに加速した。ただしそれは妖怪の賢者らしくもなく、焦りで千々に乱れた拙速な思考だった。
【さとりさんだって、幻想郷の一部には違いない。それを見捨てて、今後も幻想郷の守護者を気取っていけというのか? いや、今は理想論で考えている場合じゃない。現実を見て考えるんだ、現実を】
 思考がさとりに読まれていることは、藍も気づいている。気づいているからこそ、余計に焦っている。幽香の中指が曲がった。
「にー」
【私が無傷で勝てばいいだけの話なんだ。無傷で――できるのか? 本当に、できるのか?】
 藍の奥歯から、軋む音が響いた。
【……仕方ない。仕方ないんだ。誰に恨まれようと憎まれようと、私は幻想郷を守らなければ】
 藍の心は、決まった。その決断を、さとりは目を閉じて、静かに受け入れた。
「いーち」
「わかった」
 苦渋の声。藍は両の手のひらを突き出して、秒読みを遮った。
「さとりさんを引き渡そう」
「藍様!?」
 どうして、と橙が声をあげた。まだ一ヶ月ほどとはいえ家族同然に暮らしているさとりを、残忍な仕打ちを受けるとわかっていて差し出すのか。まさか、幽香と戦うのが怖いのか。橙の中で、にわかに藍に対する不信感が噴き上がってきた。
 怒りでも悲しみでもない、どうにもやりきれない気持ちに震える橙の肩に、さとりはそっと手をかけた。
「藍さんは、立場だとか使命だとか、そういったあまりにも大きくて重いものを抱えているのです」
「さとりさん……」
「わかってあげてください」
「でも!」
「そもそも私は、四季様と藍さんに助けてもらわなければ、あのまま地霊殿で朽ち果てていたはずなのです。藍さんは大恩人、その事実に変わりはありませんよ」
 目の前で、スキマの出口が開いた。不思議な力に体を押され、ふわりと出口に向かっていく。さとりは四肢の力を抜き、されるがままに任せていた。
 もうさとりの姿は、スキマの外からも見えているだろうか。幽香の視線はこちらを向いている。
「待ってよ……」
 低い声で、橙が言った。
 さとりは流れるようにスキマの出口へと向かっていき――いきなり、後ろから首根っこを掴まれた。
「え?」
「うらぁっ!」
「ちょ、えっ?」
 後ろへ――出口とは反対方向へと強い力で引っ張られ、次いで視界が勢いよく回転を始める。
 橙に投げ飛ばされたのだ。
 結界も扱えなければスキマに入ったことも数えるほどしかないさとりにとっては、この空間では姿勢の制御だけでも手に余る。なかなか回転を止めることもできず、上も下もわからない状態で吹っ飛ばされていく中、橙がスキマから出ていくのはなんとか見ることができた。
「橙さん……?」
 ようやく止まることができたときには、出口から百メートルほども離されていた。だが外の様子は見えるし、音も聞こえる。橙が藍を背に、正面きって幽香と対峙していた。
「ちぇ、橙、何を!?」
 動揺もあらわな藍とは対照的に、橙は背筋をすっと伸ばして堂々と立っていた。幽香は無表情なぶん余計に底知れない恐ろしさを醸し出していたが、それにも気後れすることなく三本の尻尾を揺らしている。
「あら。わざわざ出てきたの、かわいらしい子猫ちゃん」
 首筋が粟立つような猫なで声で、幽香が言った。
「子猫じゃない! 八雲藍の式、八雲橙だ!」
「そう。で、子猫の橙ちゃんが何か用かしら」
 拳をきつく握って、橙は前に一歩出た。少しばかりの驚きと、それよりは少しばかり大きな悦びによって、幽香の目が見開かれる。
「待て、橙! 下がっているんだ!」
 藍の叫びも聞かず、橙はさらにもう一歩、幽香との距離を詰めた。頭ひとつ身長の高い相手を睨み上げて――それから腰を折り、ふかぶかと頭を下げた。
「悪いのは、私です」
 美しい弧を描く幽香の眉が、ぴくりと動いた。
「危険だとわかっていて、無理矢理さとりさんに頼み込んだんです。だから、霊羅が怪我をしたのは私のせい。さとりさんは悪くないんです。両目を潰すなら、私のにしてください」
 頭を下げたままの橙。見下ろす幽香。身動きもできない藍。誰もが無言のまま、蝉だけが鳴いていた。
 さとりは必死にスキマの出口へと向かっていた。だが、思うように進まない。カナヅチが水中でもがいているようなものだ。そうこうしている間に、幽香の手が橙の頭へと伸びる。
 藍の頭の中は、もはや氾濫した濁流のごとく彼女自身にも制御しきれなくなっていた。
【ああいけない。このままだと橙が傷つけられてしまう。幽香は鼻歌まじりで相手の手足をもぐことだってできる奴だ。単なる脅しじゃない、やるといったらやる。ああ、かわいい橙。しかし、幻想郷のためには私が幽香と戦うわけにはいかない。どうすれば、どうすれば――】
 幽香の手が、橙の短い髪に触れた。もう悠長に迷っていられるだけの猶予はなかった。
【ああ、お許しください紫様、そして私に力を! 何があろうとも橙だけは、橙だけは!】
 黄金の風が吹いた――と、幽香には感じられたはずだ。そして目の前から橙が消えた。橙の姿は、毛を逆立てた九尾の腕の中にあった。
「橙に危害を加えようというのなら――」
 藍が低い声で言う。普段の朗らかさからは想像もつかないような、動物的な殺気に満ちた声だった。
「私が相手になる。覚悟しろ、風見幽香」
 橙をその場に残して、藍は静かに歩み出た。
「藍様」
「引っ込んでいろ」
「……はい」
 底冷えのするような迫力に、橙はあえなく引き下がった。
 境内が夕日に紅く染まる中、実力的には幻想郷の頂点に位置するであろう二人が、間合いのぎりぎり一歩外で向かい合う。渦巻く妖気が、天高く立ちのぼって雲をかき散らしていた。
 どこまでも張り詰めていく空気の中、幽香はふと目を伏せ、小さくため息をついた。
「あーあ、残念」
 つまらなさそうな、拗ねたようなその口調で、場の緊迫感が途端に緩んだ。
「あなたと一戦交えるのも楽しそうだけれど、結界の管理者が死んでしまえば幻想郷が崩壊する。それは霊羅が最も悲しむこと。霊羅の気持ちを盾にするなんて――卑怯な女ね」
「何とでも言え」
「まあ、安心なさい。もとから橙ちゃんに手を出すつもりはないから」
「信じると思うのか」
 幽香は口の端を片方だけ吊り上げて、鼻の先で笑った。
「未来のある者は、決して傷つけない。――大異変以来、自分に課しているルールよ。橙ちゃんは将来、幻想郷の中核を担うことになるんだもの。傷つけたりするはずないわ」
「それが本当なら、ありがたいんだが」
「本当よ。痛めつけるのは、このさき衰え朽ちていくだけの、未来を持たない古明地さとり、ただ一人」
 藍の妖気が、一気に萎縮した。それを見て幽香は、ひそかに嗜虐心を満たされる快楽にうち震えた。
「まあ、いいわ」
 幽香は舞うような動きで傘を開き、気だるそうな薄笑みを浮かべた。
「今回のところはサトリ妖怪も見逃してあげる。八雲橙の勇気に免じて、ね」
「そうか」
「ただし」
 緩んでいた空気が、再び藍の眉間に突き刺さった。
「もし霊羅が博麗の巫女を続けられないとなれば――その時には、今度こそサトリ妖怪の両目を潰しにくるわ。あなたたちがいくら庇い立てしようと、次こそは容赦しない」
「……わかった」
 うなずきながらも、藍の表情は重々しかった。霊羅の視力が戻る可能性は、三割。つまり七割の確率で、再び幽香が殴り込みをかけてくるのだ。
「どこかに隠れて聞いているんでしょう、古明地さとり。今のうちに覚悟を決めておくことね」
 言い捨てて、幽香は去っていった。
 さとりはようやくスキマの出口にたどり着き、境内に降り立った。むせ返るような熱い空気を肺に取り込んで、初めてスキマの中がひんやりと涼しかったことに気づいた。
 九本の巨大な尻尾に半分ほど隠れた横顔を、静かに見詰める。藍は表情を隠そうとするようにうつむいて、背中をわななかせた。
「私は……」
 それだけ言って、藍は両膝をついた。
 幻想郷のため、藍はさとりを見捨てようとした。しかし橙のためならば、幻想郷を危機に陥れることも厭わなかった。そしてそれら心の葛藤がすべてさとりに筒抜けだったことは、百も承知している。結界の管理者たる妖怪の賢者は、いまや罪悪感に押し潰される寸前だった。
 さとりは、崩れかけの賢者の肩に手をかけた。びくりと震えたのは、咎められることへの恐怖のせいだった。小刻みに動き続ける狐耳に、さとりはそっと口を寄せた。
「紫さんとの絆そのものである幻想郷と、ただの居候であるこの私とを、あなたは本気で天秤にかけて、真剣に悩んでくれましたね。ありがとうございます」
 それは、心からの言葉だった。弾かれたように、藍は顔を上げた。
「私は地霊殿に帰ります。もう結界は消えているのでしょう?」
「あ……」
「最期にいい思い出をいただきました。本当に、感謝しています」
 元に戻るだけ。本来の形に戻って、あるべき結末へと再び進み始めるだけ。思いがけず素敵な道草を楽しませてくれた藍のことを、少しでも憎んだり恨んだりする理由が、一体どこにあるというのか。
 頬に、軽い口づけをひとつ。さとりは藍から離れた。
「く……」
 藍は地面に突っ伏した。震えるほど強く握り締めた拳を、石畳にこすりつける。
「くふ……う……あああ……」
 くぐもった嗚咽が垂れ流される。背中に聞きながら、さとりは橙に微笑みかけた。
「橙さんも、ありがとうございます。楽しかったですよ」
「地霊殿に帰るってことは……」
 橙はうつむいたまま言った。
「まさか、その、また想起を」
「ええ、使いますよ」
 当然、といったニュアンスを含めた口調でさとりは応えた。
「妹とペットたちに囲まれて、幸せに暮らすつもりです。力尽きて死んでしまうまでの、ほんの短い間でしょうけど」
「そんな……!」
「見届けることはできませんが、」
 さとりは帽子の上から、橙の頭を撫でた。
「応援していますよ。八雲橙の成長を」
 橙は唇を噛んだ。見えないところからの応援なんていらない――そんな心の声を、さとりは聞こえないふりをした。
「霊羅さんにもよろしく伝えておいてください。申し訳ないことをしてしまった、と」
「自分で言ってよ」
「嫌でーす。私はもう、好き勝手やって死ぬだけのつもりなんですから」
 歌い上げるように言って、思い切り口を尖らせる。会心の変顔のつもりだったが、橙はくすりと笑うこともなく、奥歯を食いしばってうつむくばかりだった。
「それでは、お元気で」
 さとりは空に舞い上がった。いろいろなものが肩や背中から落ちてしまったようで、妙に気分が軽やかだ。じきに境内は小さくなった。地上に向けて手を振ってみたが、藍も橙も顔を上げることはなかった。
 地底の入口へと向かって飛んでいく。風が襟元から服の中を通り抜けて、汗ばんだ肌をくすぐった。自分の頬が自然と緩んでいることに、さとりは気づいた。



 しばらくぶりに見る地底の風景は、あたかも精巧な写実画のように、押しつけがましい現実感を漂わせていた。身に馴染んだはずのじめついた風がやけによそよそしいのは、地上にいる間にさんざん浴びた太陽のせいだろうか。
 縦穴を抜けるとき水橋パルスィに見つかって、声をかけられた。さとりのことは噂で聞いて、彼女なりには心配してくれていたらしい。つかまったら話が長くなりそうだったので、愛想笑いでいなして通り過ぎた。
 河童たちの威勢のいい声を聞き流しながら旧地獄の繁華街を抜け、しばらくすると懐かしい地霊殿が見えてきた。ここに結界が張られていたのだろうな、という痕跡は見られたが、もう通り過ぎるのには何の障害もない。やはり霊羅が負傷したときに、はずみで解けてしまっていたのだ。
 間近で見上げる地霊殿は、まるで数十年も放置されていたかのようだった。ひどく汚れているとか、壁がひび割れているとか、そういったことはない。ただ、愕然とするほどに精気が抜け落ちていた。無理もない。五年間にわたってさとりが一人で地霊殿を演じ続けていたわけだし、わずか一ヶ月の不在であっという間に抜け殻のようになってしまうのも、当然といえば当然だった。
 いや――物理的に重い扉を開きつつ、さとりは確かな気配を屋内に感じ取っていた。
『やっぱり帰ってきてくれたね』
 エントランスホールのど真ん中、青い薔薇がふらふらと揺れていた。ああ、残っていてくれた――さとりは後ろ手に扉を閉じながら、頬が緩むのを止めることができなかった。
「少し遅くなってしまったけれど」
『そうそう。もう少し遅かったら、私たち消えちゃうところだったよ』
 深刻さの欠片もない声で、青い薔薇が笑う。ふらり、揺れる。その声、その仕種は、間違えるはずもない。こいし――想起『古明地こいし』、だった。
 五年間にわたって発動され続けていた想起のスペルカードは、半ば実体を持った騒霊のようなものとなっており、さとりが不在の間も存在を保っていたのだ。ただし、いまだ完全に姿が固定されていたわけではなかったため、さとりの妖力を受けられなかった間に、このような似ても似つかぬ姿に変わってしまったというわけだ。
 そして、こいしが『私たち』と言うからには、残っていたのはひとりではない。
『会いたかったですー』
 鼻声で言う黒い羽根は、お空だった。
『お待ちしてました、さとり様』
 抑えきれない感情に声を震わせた車輪は、お燐だ。
「……ただいま」
 さとりは両手を広げた。それを見て、羽根と車輪がおずおずと近寄ってくる。甘えたい、でも、甘えていいのか。悩む姿はいじらしく、本物のペットたちと同様かそれ以上に、強く母性を揺り動かすものだった。
 たまらなく愛しい気持ちで、さとりは三人をまとめて抱き締めた。触れ合った肌から、急速に妖力が抜け出ていく。決して無理に吸い取られているわけではなく、むしろさとりが自ら望んで力を分け与えているのだった。
 青い薔薇の蔓は伸び、枝分かれし、巻きつきながら太く大きくなって、五体を形づくった。花弁は細く細く裂けていくにつれて淡い緑色になり、縮れながら垂れ下がった。そして現れたのは、間違いなく古明地こいしの姿だった。
 車輪はお燐に、羽根はお空に、それぞれ姿を変える。懐かしい、胸が張り裂けそうなほどに懐かしい姿だ。
「はい、これで元通り」
 笑いながら言った。が、一気に妖力を失いすぎたか、妙にかすれた声が出た。三人から手を離す。そのときに自分の手の甲が見えて――さとりは、思わず自分の手に見入った。
 痩せ細って関節ばかりが盛り上がり、肌は乾き切って皺だらけ、青黒い血管のくっきりと浮き出た老婆の手が、そこにはあった。
 妖怪の容姿は、妖力の状態にも大きく左右される。短時間に多量の妖力を失ったことで、さとりの姿はすっかり老い衰えてしまった。自分で全身を確かめてみることはできないが、おそらく最後に見たアリスの比ではないはずだった。
 ただし、自分が老婆になってしまったのを知っても、驚きも悲しみもなかった。妹やペットたちと一緒に過ごして、そして死ぬことができれば、それでいいのだから。余生の長短はさほど大きな問題ではない。自分の容姿などは、なおさら問題ではない。最期まで一緒にいられるということだけが、唯一絶対の幸福なのだ。
 かさついた手のひらで、こいしの頬に触れた。
「ごめんなさいね」
「何が?」
「地上で藍さんたちと暮らして――あなたたちの代わりが見つかっただなんて、思ってしまったこと」
 家族を失ったことによる空虚さを、別の何かで埋め合わせることができるかもしれないと勘違いをしていた。かけがえのない思い出たちを、新たな日常で上書きしようとしてしまっていた。その間、こいしたちはさとりから受け取った妖力を徐々に失って姿を留めておくことすらできなくなり、しまいには消えてなくなってしまうかというところまで追い込まれていたというのに。
「あなたたちの代わりなんて、どこにもいるはずがないのにね」
「なーんか、勘違いしてるんじゃないの、お姉ちゃん」
 感情の見えない薄笑いで、こいしが言った。さとりは首をかしげた。
「勘違い?」
「そう、そう」
「何が?」
「私は、想起『古明地こいし』だよ。本物の古明地こいしじゃない」
 こいしは右手の人差し指と親指だけをぴんと伸ばし、拳銃のような形にして、自分の側頭部に突きつけた。
「私が本物のこいしみたいに、ふらっと出かけたまま一週間も帰らないなんてこと、一度でもあった?」
「……なかったわ」
「そう、一日だって留守にしたことはなかった。私は、お姉ちゃんが『こうだったらいいのに』って思ってる理想の妹を形にした、古明地こいしに似た別の存在なの」
 言われてみれば、そうに違いなかった。
「本物のお空は、ゆで卵の食べすぎでお腹を壊したり、寝ぼけて壁をぶち破ったり、そんなにしょっちゅうしてた?」
「……いいえ」
 馬鹿だ馬鹿だとは言われていたが、お空はお空なりに、主人や仲間に迷惑をかけまいと気を遣っていたのだ。間欠泉異変のときは新しく手に入れた力に気分が昂りすぎてついつい羽目を外してしまったのだが、それ以前もそれ以降も、本物のお空はそうそう毎日のように騒ぎを起こすようなことはなかった。人並みの自制心は持っていたのだ。
「お空がお腹を壊したり、壁をぶち破ったり――そんなとき、本物のお燐ならお姉ちゃんに助けを求めたと思う?」
「……いいえ」
 間欠泉異変のときですら、主人には黙って事を収めようとしていたのだ。友人の病気や不祥事は確かに一大事には違いないだろうが、かといって異変よりも手に負えない重大事件ということはあるまい。本物のお燐はどんな問題も主人の手を煩わせずに解決しようとしていたし、実際に間欠泉異変のとき以外は、主人の手を煩わせることなく解決していた。
 もっと馬鹿なことをしてくれていたら、もっと世話を焼いてあげられたのに。もっと頼ってくれていたら、もっと助けてあげられたのに。あちこち遊びに行くのはいいのだけれど、もっと一緒の時間を過ごしたかったのに。そんなさとりの叶わなかった願望が、三人の姿を歪ませた。さとりの願いを叶える代わりに、本物とはかけ離れた、まるきり別個の存在となってしまったのだった。
「お姉ちゃんは、こんな偽物たちと心中するつもり?」
 感情の見えない薄笑いのまま、こいしは両手を広げた。自虐でもなく、単なる確認。事実をさとりに提示した上で、ただ単に意思を確認しようとしている。
 さとりは、自分の第三の目をそっと手で包み込んだ。悩むまでもなく、早々に答えは出ている。
「当然でしょ」
 下を向いて、何を気負うこともなく、つぶやくように続ける。
「五年間、私に幸せをくれていたのは、あなたたちなんだから。たとえ偽物でも、私にとっては家族そのものよ」
「と、いうことは」
「死ぬまで、あなたたちと一緒に暮らしたい」
 お姉ちゃん、とこいしがつぶやいた。その後ろでお燐とお空が目を潤ませながら、主人の言葉が空耳でないことを確かめるように、互いに抱き合っている。
 さとりの願望によって、本物からは多少ズレた存在になっているのは事実だ。しかし、五年間を家族として過ごしたという事実も無視できない。想起のスペルカードによって生み出された三人もまた、本物のこいしたちと同じく、さとりにとってかけがえのない存在となっていた。
 拒絶する理由など、あるはずもない。
「いいの?」
 こいしは腕を組んで、再度確認してきた。だが、何度訊かれても返答は同じだ。
「いいのよ。それが私の望み」
「本当にいいんだね?」
「本当よ」
「本当に、本当?」
「本当だってば」
「じゃあ、」
 こいしは目を見開いて、口の両端を吊り上げた。
「私はお姉ちゃんの望み通り、想起『古明地こいし』として行動するからね」
「ええ。……どういう?」
「ん、こういうの」
 こいしの上体がふわりと揺らいだ。右の腕が妙な具合にしなり、その先端にある拳は不可解な軌跡を描いて、さとりの頬に食い込んだ。
「ぷっ!?」
 衝撃でさとりの首が九十度ねじれた。尻餅をつくのはなんとかこらえたが、口の中いっぱいに生温かい血の味が広がった。
「何を――」
「あ、喋らないで」
 今度はこいしの左拳が、さとりの右頬を捉えた。
「舌噛むから」
「…………」
 さとりは口から血を垂らしながら、両頬の鈍痛に戸惑っていた。これが、自分の望み――妹に殴られることが、自分でも気づいていなかった無意識の望みだったというのだろうか。
「そうだよ」
「え?」
「だって、許せないんだよね、自分が」
 言われてみて、ああ、と理解できた。妹とペットたちには悪いことをした。だから、せめて何かしらの罪滅ぼしをしてからでなければ、一緒に暮らす資格はないと思っているのだ。
 本物の代わりとして想起で生み出した虚像。五年の歳月を重ねるうち、いつしか本物と同等の大切な存在へと変わっていた。それなのに、ほんの一ヶ月ほど地上で暮らしている間に、もう彼女たちのことを必要ないと思うようになってしまっていた。また新たな代わりが見つかったのだから、虚像たちとの家族ごっこに妖力を使い果たす必要などない、と。今にして思えば呆れるほどに身勝手で、呆れるほどに浅薄な考えだった。そもそもが利害関係によって結ばれていた藍たちとの家族のような関係は、当然の帰結として、利害関係の兼ね合いによっていつでも壊れうるものだったのだ。存在意義そのものでさとりと固く結ばれた虚像たちとは、わけが違う。
 我が身かわいさに、家族同然の虚像たちを危うく見捨てるところだった。もう少し地霊殿に帰ってくるのが遅ければ、三人は溜め込んでいた妖力をすべて使い果たし、完全に消滅してしまうところだったのだ。本物の代わりとして、家族として存在してくれていた、かけがえのない三人が。
 罰を受けてからでなければ、三人と抱き合う資格はない。そんな罪悪感が想起『古明地こいし』の拳に宿り、容赦なくさとりの頬を軋ませているのだ。右、左、右、左。奥歯が一本折れて、血といっしょに口から飛んだ。
「あー、痛いなぁ」
 こいしは半笑いで、手の先をぶらぶらと振った。
「殴りすぎで、手が痛くなってきちゃったよ。まだ殴ってほしいの、お姉ちゃん?」
「……もっと」
「うふ」
 こいしは柔らかそうな舌を出して、右の手の甲をちろりと舐めた。
「もっと、もっと、ってお姉ちゃん、それじゃまるで淫乱雌豚だよ」
「……いいから、もっと」
「はしたないなぁ。――いいよ、もっとあげる」
 再度握られたこいしの右拳は、かすんださとりの目には亀頭のようにも見えた。左手がさとりの胸ぐらを掴み、右手は的確に狙いを定めて人中へと――
「うらぁっ!」
 突如、かけ声とともに玄関の扉が叩き破られ、小さな影が飛び込んできた。勢い余って転倒するも、突進力を殺さずうまく前転し、そのまま立ち上がった。
 服についた埃も払わず奥にいるさとりとこいしを見据え、しかし落ちた帽子だけは拾い上げて頭に乗せる。荒い呼吸に合わせて三本の尻尾が揺らぎ、様子を探るように猫耳がひくひくと動いて――乱入者は、橙だった。
「あれー、破られちゃった」
 こいしは左手を離さず、顔だけを橙に向けた。
「妖力で鍵をかけてたのに。見かけによらず、結構な腕力だね」
「……八雲の姓を継いだ者として、こんな貧弱な結界もどきに手こずるわけにはいかない」
「へぇ」
 小馬鹿にするように、こいしは言った。
 さとりは胸ぐらを掴まれたままで、橙を見た。足には力が入らず、こいしに手を離されたらすぐに崩れ落ちてしまいそうだ。
「橙さん――どうして、ここへ」
 地上の妖怪は地底へと立ち入らないという約束は、今もまだ生きている。間欠泉異変の後になし崩し的に実質無効化しつつあったこの約束は、大異変を機に以前の強制力を取り戻していた。藍や映姫などは例外的に許可されていたが、それ以外の者であれば、ヤマメやパルスィらの実力行使による排除を受けるはずだった。実際、形だけではない妨害を受けながらも強行突破してきたことを物語るように、橙の服はあちこちが破れ、肌は数多くの小さな傷を負っていた。
 そうまでして、なぜ地霊殿にやってきたのか。いや、さとりを連れ戻しに、というのはわかっている。ただわからないのは、なぜさとりを連れ戻したいなどと思っているのか、だ。
「どうして、って――」
 自明のことを説明するような口調で言いかけたが、そこで橙は口ごもってしまった。あまりにも当然のようにさとりを連れ戻すことを考えていて、改まってその理由を言葉にしようとしてみると、ちゃんと理屈立てた回答がすぐには浮かんでこなかったのだ。
「あー、アレだよ、ほら。……ハンネマンたちにちゃんと言うこと聞かせられるようになるために、まだまださとりさんに教えてほしいこととかあるし」
 口ではそう言いながら、橙は同時に心の中で、あーなんか違うなと頭を掻いていた。まったく違うわけではないが、大事なのはそれじゃない、と。
 納得のいく言葉が浮かばないままに、橙の思考が中断する。向けられた敵意を感じ取ったからだ。
「泥棒猫が」
 つぶやいて、こいしはさとりから手を離した。さとりは自分の体を支えていられず、その場にへたり込んだ。
 こいしは体をゆらゆらと揺らしながら、橙に一歩近づき、二歩近づき、三歩近づいて止まった。
「せっかく帰ってきてくれたお姉ちゃんを、また惑わせるつもりなんでしょ」
「いや、惑わせるとか、そんなんじゃ――」
「あんたにゃ無理だよ」
 勝ち誇った表情で、こいしが言った。橙はむっと口を噤んだ。
「お姉ちゃんのこと、猫耳と尻尾さえついてれば誰でもいいっていうような、節操ないひとだと思ってた?」
「そんなわけ――」
「あんたにゃ無理なの。お燐の代わりは務まらないよ」
 ね、とこいしが振り返って、お燐やお空とうなずきあう。それからさとりにも、でしょ、と同意を求めてきた。さとりは言葉を返すことができず、床のひび割れに視線を落とした。
「あれー? お姉ちゃん、まさか猫耳と尻尾さえついてれば誰でもよかったわけじゃないよね」
「……そんなわけ、ないでしょう」
「だよね。じゃあさ、」
 こいしはまた橙に目を向けて続けた。抜き身の刀のような、底光りする声色だ。
「あんたはもういらないの。地上にいる間、気を紛らわす役には立ってたのかもしれないけど、でもここにはお燐がいるから。お姉ちゃんがここに帰ってきたからには、あんたはもう用済み」
「何、その言い方」
 橙の声が低くなった。煮えくり返った腸が、見る間に理性を飲み込んで溶かしていく。
「騒霊の出来損ないが、偉そうに。おまえらはさとりさんを救えてるつもりか」
「もちろん。お姉ちゃんとはたかが一ヶ月の付き合いしかないあんたにゃ、とても理解できないだろうけど」
「理解? できるわけがない! 力を吸い取り尽くして殺すことがさとりさんを救うことになるなんて、そんな理屈、理解したいとも思わないね」
「それならそれで構わないけど、だからって私たちの邪魔しないでくれるかな。部外者が何を思おうが勝手だけど、家族のことに手出し口出しはしないでほしいんだ」
「家族? さとりさんを食い物にしておいて、家族! 笑わせるな!」
「はぁーあ、うるさいなあ。そんなに言うんだったらさ、」
 面倒くさそうにこいしはため息をつき、さとりに振り向いた。
「お姉ちゃん本人に選んでもらおうよ、この場で。それならあんたも文句はないでしょ」
「それは――」
 橙は口ごもった。自らの意思でここ地霊殿へと戻ったさとりが、今この場で選べと言われても、再び地上に出ることを望むとは考えにくいと思っている。
 見抜いているように、こいしは挑発的な笑みで口元を歪めた。
「あれ、自信がないのかな? ん?」
「自信とか、そんなことじゃ――」
「じゃあ、自分に不利なことをハッキリさせたくない、と。泥棒猫にふさわしい、ゴミクズな思考だね」
「あぁ?」
 乗っちゃいけない、という自制の声をあっさりとどこかへ押し流して、橙はわずかに前傾姿勢をとった。
「いいよ、さとりさんに選んでもらおう。本人の口から言ってくれれば、どんな結果だろうと私はそれで納得するから」
「お、意外とあっさり」
「うっさい。八雲の姓を戴く以上、見苦しいことをするつもりはない」
「ふーん、ま、いいや。じゃあさっそく確かめようか」
 ぐりん、とこいしの首が回り、さとりに目が向けられた。その瞳は奥深い洞穴のように、吸い込まれてしまいそうな底知れぬ闇をたたえている。一方で橙の表情は、少しの期待と、大きな不安と、さらには早くもわずかばかりの後悔に侵食され始めている。
「さあ、どっち?」
 余裕たっぷりの口調で、こいしが訊ねる。きっと答えを確信しているのだ。
 橙の手が、服の裾を握り締めている。お燐とお空が、手を握り合っている。それぞれの想いが、痛いほどに伝わってくる。どちらを選ぶにしても、誰かの気持ちを裏切ることになるのだ。さとりは少しだけ、第三の目を閉じてしまいたいという衝動に襲われた。
 考えて、考えて、考えているつもりでいて、その実、頭はぼんやりと空回りを続けているだけだった。だが、いつまでも結論を先延ばしにしているわけにもいかない。そもそも天秤にかけるなら、どちらに傾くかは最初からわかりきったことだった。
「……私は、ここで暮らします」
 歓喜と、失望と。さとりの中で、三者の感情が交錯した。さとりは思わず両目を閉じた。
「決まりだねぇ」
 へらりへらりと笑いながら、こいしが言う。
「それじゃ、泥棒猫さんにはお引き取り願おうか」
「くっ」
「……と言いたいところだが」
「え?」
 何か譲歩があるのか。橙の口元がささやかな期待に緩んだ――が、それもつかの間のことだった。
「私たち家族の絆を、さんざんコケにされたんだ。タダで帰すわけにはいかないなぁ」
 こいしの赤い舌が唇を舐める。橙がわずかにたじろぐ隙に、お燐とお空が素早く動いて三方から取り囲んだ。
 にわかに緊迫度を高める、不穏な空気。単なる脅しではない。止めなければ――だが、さとりは割って入るどころか、立ち上がることもできなかった。代わりに声をあげる。
「やめなさい、あなたたち!」
「いいえ、さとり様、ここは退けませんね」
 お燐が鈍器の猫車をどこからともなく取り出し、身構えた。
「あたいらを侮辱するのは、生みの親であるさとり様を侮辱するのと同じこと。黙って見過ごすわけにはいきませんや」
「んー、お燐の話は難しくってよくわかんないけどー!」
 お空も制御棒を振りかざし、左手に熱エネルギーを集めていく。
「せっかく帰ってきてくれたさとり様を、こいつ、またどこかに連れて行こうとしてたんですよね。私たちとさとり様を、また引き裂こうとしてたんですよね。だったら、悪者ってことですよね。じゃあ、足腰が立たなくなるくらいには成敗してやらないと」
 こうなっては、もうさとりの声は届かない。お燐もお空も、思い込みの激しさは人一倍なのだ。それは、間欠泉異変のときに思い知らされた。
 お空の左手から、巨大な火球が放たれる。それは咄嗟に伏せた橙の耳先をかすめ、その向こうにある壁を灰にして消えた。
 やらなければ、やられる。橙も、やむなく覚悟を決めたようだ。
 まずは圧倒的な火力を持つお空に狙いを定め、突進する。二発目の火球をかわしながら瞬く間に懐へと入り、飛び上がって左ハイキック。しかし足は側頭部に届くことなく、制御棒でがっちりと食い止められた。
 橙はそのまま空中で体を丸め、お空の腕に絡みついていく。関節技系の上級スペルカード『飛び付き式腕ひしぎ逆十字固め』に移行して、一瞬で片腕を持っていくつもりだ。が、
「にゃーん!」
 お燐が猫車で殴りかかってきた。仕方なく橙はお空の腕を離し、殴打から逃れる。
「いらっしゃーい」
 逃れた先には、こいしが待ち構えていた。着地の間際を狙われては反応もできず、顔面にまともに拳を受け、もんどりうって転がった。
「橙さん!」
 さとりは叫んだ。しかしこいしたちは知らぬ顔で、橙に追撃を加えようと襲いかかっていく。橙は起き上がろうとしたが、一発目のダメージが相当に大きく、手足に力が入っていない。
 脳天に猫車を叩きつけられ、橙はまた潰れた蛙のように床に突っ伏した。
 殴る、蹴る。三人がかりの猛攻を受け、橙はたちまち血塗れのボロ雑巾になり果てた。
「やめて! もういいから、やめて!」
 いくらさとりが声を振り絞っても、一方的な蹂躙は終わる気配を見せない。橙の顔は、ますます形を変えていく。
 さとりは震える足に精一杯の力を込め、駆け出した。
「やめなさい!」
 夢中だった。こいしたちか、橙か、どちらが大事なのかといったことなど考える余裕もなく、ただ夢中で体を動かしていた。耳朶が風を切る。駆け寄る勢いそのまま、さとりは全身をぶつけるようにして、こいしを殴り飛ばした。
 鼻血を噴きながら、こいしの体が転がる。二回転する間に帽子は脱げ、俯せで動かなくなった。
「……あ」
 自分のやったことが即座には飲み込めず、さとりは息を切らしながら立ち尽くした。これまで誰一人として殴ったことのなかった拳は、骨が砕けたかのような熱と痛みを帯び、それが頭の奥深い場所を鈍く締め付けていた。
 耳鳴りの他に聞こえるのは、自分の荒い息遣いだけ。呆然と見守るお燐とお空が、はるか遠く結界の彼方にいるように感じられた。
「……くふ、ふ」
 こいしは背中を震わせて、笑った。
「なーんだ、お姉ちゃん、やっぱりこいつのことも大事なんじゃない」
「あ、え、それは……」
 思考が完全に止まってしまっている。なんとか取り繕おうとすればするほど、視界が黒くぼやけていくようだった。
 こいしはごろんと仰向けになり、さとりを見た。笑っている。切れた唇から血を流しながら、笑っている。嬉しそうに――少し寂しそうに、だが嬉しそうに、笑っている。
「私は、想起『古明地こいし』。お姉ちゃんが望むとおりのことをするよ」
 気だるそうな動きで起き上がると、こいしは倒れたままの橙の横に立ち、見下ろした。かと思えば悠然と橙の腹のあたりをまたぎ、腰を下ろして馬乗りの状態になった。
「やめ――」
 また殴るのかと思って、さとりは止めようとした。が、こいしは開いた右手を橙の額に伸ばすと、そっと触れた。
 手のひらから、額へ。妖力が送られていく。ほんの十秒ほどの間に、橙の怪我はあらかた治ってしまった。
「……こいし?」
「言ったでしょ。お姉ちゃんが望むとおりのことをするって」
 膝に手をついて、こいしはよろよろと立ち上がった。関節がぱきぱきと音をたてる。
「自分で気づいてないの? お姉ちゃん、何もかもぜんぶ諦めちゃってるようなこと言ってるけど、本当は、まだ終わりたくないって思ってるんだよ」
 こいしが、ゆらりゆらりと歩み寄ってくる。お燐とお空も近づいてきて、三人でさとりを取り囲んだ。
「私たちは、あくまで本物の代わりでしかない。この先、たとえ何年一緒に暮らしたとしても、それはお姉ちゃんの中にある本物の記憶をなぞるだけで、お姉ちゃんに新しい思い出を作ってあげることはできないんだ」
「でも、一緒に暮らした五年間の幸せは、偽物ではなかったわ」
「そうかもしれないね。でもそれって、朝から晩まで古い写真を眺めてばかりの生活と同じだったんじゃない?」
 ふわりと、薄緑の髪が鼻先で揺れた。気づけば、こいしにしっかりと抱きつかれていた。
「博麗神社でなら――橙と、藍と、霊羅となら、新しい思い出を作っていくことだってできる。地上で暮らしてる間に、お姉ちゃんはそのことに気づいちゃったんだよ?」
 お燐とお空も、さとりに抱きついてきた。
 体が熱くなる。体温のせいばかりではなかった。三人から、妖力が送り込まれている――それに気づいて、さとりは三人を振りほどこうともがいた。
「やめなさい!」
「いーや。借りてた力、お姉ちゃんに返すよ」
「そんなことしたら、あなたたちが消え――んっ」
 突然こいしに唇で唇を塞がれ、言葉を封じられた。強引に押し込まれた舌から、さらに勢いよく妖力が流れ込んでくる。
 お燐とお空も、胸や股間をまさぐる手から妖力を送り込んできた。老婆のようだったさとりの体が、急速に少女へと立ち戻っていく。それにつれて、お燐は車輪へと、お空は羽根へと、その姿を変えていった。そしてついには車輪と羽根さえも、霞のように薄れて消えてしまった。
 こいしも、半ば青い薔薇へと姿を変えつつある。さとりは戻ってきた力を腕に込めて、こいしを突き飛ばした。
「やめなさい!」
「……なーに焦ってんの」
「だって、こいし、その手……!」
 さとりの指さした先には、すっかり薔薇の蔓になってしまったこいしの手が垂れ下がっている。
「いいのいいの、別にこんなの」
「良くないでしょ! こいしが消えてしまったら、私は……!」
「往生際が悪いねぇ。んじゃ、力ずくで」
 蔓と化したこいしの両腕がするすると伸びて、さとりの体に絡みついた。再び密着した体から、容赦なく妖力が流し込まれる。
「やめなさい……やめて!」
 今度はいくらもがいても、こいしの手を振りほどくことはできなかった。
「あ、そうそう」
 トイレの電気を消し忘れていた、などと言いだしそうな何気なさで、こいしは言った。
「お姉ちゃんのこと任せるから、あとは頼むよ。八雲橙」
「あ……うん」
 橙は戸惑いながら小さくうなずいて、それから、しっかりと口を引き結ぶと、もういちど力強くうなずいた。
「わかった。任せて」
「ふふ、これで安心だ。……殴ったりして、ごめんね」
「忘れとくよ」
 こいしはまた、穏やかに笑った。が、その間にも体はさらに痩せ細っていき、もはや足や胴体さえも完全に薔薇の蔓になり果てている。
「さあ、お姉ちゃん。そろそろお別れだね」
「待って……消えないで……」
「古明地こいしは、五年前に死んだの。いいかげん、受け入れなきゃ」
「こいし……こいし!」
「私は、古明地こいしの偽物。それ以上の何者でもない。でしょ?」
 理屈ではわかっている。だが、甘んじて受け入れられるものではなかった。なんとか妖力をこいしに送り返そうと、さとりは手を尽くした。それでも、どうにもならなかった。妖力はこいしからさとりへと一方的に流れ込むばかりだ。
「しょうがないお姉ちゃんだねぇ」
 まるで母親のように、こいしは呆れ声で言った。
「あのね、私が消えても、本物の古明地こいしは」
 言いながらこいしは手を――蔓の先を伸ばすと、さとりの第三の目を少しずらし、左胸の先端に触れた。
「ちゃーんと、ここにいるんだから。ずっとずっと、いつまでも」
 言い終わった瞬間、こいしの全身は急速に萎れ、灰になって崩れた。その灰も、見る間に空気の中へと溶けていく。さとりは思わず手を伸ばしたが、塵のひとつも掴み取ることはできなかった。
 何もない空間が広がる。こいしたちのいなくなった地霊殿はこんなにも静かなのだと、さとりは改めて思い知った。灼熱地獄跡の業火の音が、低く低く響いていた。
 幸せな茶番は、今度こそ終わってしまった。
 大切なものを失ってしまったという事実が受け入れられなくて、身を削ってまで築き上げた箱庭。それさえも失った今、胸の中は空虚感に支配されていた。涙も出ず、膝からは力が抜け、さとりは床の上に崩れ落ちた。
「……こいし」
 呼びかけてみても、やけに響く声が静けさを際立たせるだけだった。
「お燐、お空、……こいし」
 応える者は、誰一人としていない。こいしの言ったとおりだった。妹も、ペットたちも、もはやさとりの胸の中にしか存在していないのだ。第三の目の下に右手を差し入れ、自分の乳房を鷲掴みにした。痛みで目眩がしそうなほどに、力を込めて握り締めた。
 視界の端に橙のつま先が入ってきて、立ち止まった。
 何て言えば、さとりさんの痛みを少しでも和らげてあげられるんだろう。任されたんだから、私がなんとかしなきゃ。――橙を追い立てるのは、人一倍の責任感だった。
「帰ろうよ、博麗神社に」
 言われて、かすかに胸の奥が震えた。行こう、ではなく、帰ろう。それは、敢えて選んだわけではなく、当たり前のように取り出されただけの言葉だった。
 湧き上がってくる甘美な感覚に抗うように、さとりはかぶりを振った。
「霊羅さんにひどいことをして、藍さんにひどいことを言って。今更、おめおめと顔など出せるものですか」
「私と霊羅のお願いを断りきれなかっただけのお人好しの、どこがひどいのさ。それに、何か藍様にひどいこと言った? だとしても、あの立ち直りの早さを甘く見ちゃいけないよ」
「……博麗神社に戻ったところで、いったい私に何ができるというのですか。何の役にも立たないどころか、余計なことをして迷惑をかけて。存在自体が、ただの害悪です」
 己を否定しつつも、さとりは無意識のうちに何かを待っていた。熱烈な期待――そんなもの、抱いてはならないのだといくら自分に言い聞かせても、なお執拗に頭をもたげてくる、制御しようのない期待。気を抜けばたちまち流されてしまうとわかっているから、さとりは右手で自分の左腕を握り締め、思い切り爪を食い込ませていた。橙と顔を合わせてしまわないように、ひたすら床を睨みつけていた。
 甘えてはならない。甘える資格など、自分は持っていない。心の中で橙との間に境界線を引き、一歩たりとも踏み越えないよう、踏み越えさせないよう、心の結界を張っていた。張っていた、つもりだった。
【ああもう、面倒くさいひとだな】
 さとりが勝手に引いていた境界線を、橙は大股な一歩目で踏みにじり、二歩目で踏み越えた。あ、と声をあげる間もなく、腕はさとりの後頭部に絡み、その細さからは想像できないほどのしなやかな力強さで包み込んだ。
「役に立つとか立たないとか。そんな理由でいっしょに住む住まないを決めるようなもんじゃないでしょ、家族って」
「家族……」
「そう。家族」
「でも、一緒に暮らしていたのはほんの一ヶ月ほどで――」
「だから、まだ新米家族。これからいくらでも長い時間を過ごして、そのうちベテラン家族になっていけばいいじゃん」
 抱き締める橙の腕に、さらに力が込められた。さとりは腕の力を抜いて、だらりと垂らした。
「……いいのですか」
「ん?」
「その長い時間を過ごす相手が私でも、いいのですか」
「んー、どうだろうねー」
 橙は小さく笑い、
「駄目だと思ってるんだったら、そもそもここまで追いかけてきてないよ」
「……そうですか」
 音をたてて、壁が崩れていくようだった。壁なのか、殻なのか、外形なのか、何と表現したらいいのかはよくわからなかったが、とにかく、心の中の硬く身構えていた部分が、こなみじんになってすべて取り払われていくのが感じられた。
 さとりは自分から顔を橙の腹に押しつけて、泣いた。涙も涎も鼻水もこすりつけて、みっともない声をあげて、憚ることもなく泣いた。
 子宮の疼く音が、小さく、しかしはっきりと聞こえていた。第三の目を通してではなく、薄い下腹部に押しつけた額から、確かな温もりとともに伝わってきていた。
 ――この胎に抱かれて、私は生まれ変われるのかもしれない。
 妹やペットたちのことを忘れることはきっとできないだろうし、忘れてしまうつもりもない。それでも、新たな思い出を手に入れるために立ち上がることができるだけの気力が、少しずつ四肢に戻りつつあるのを感じることはできた。
 一時間か、二時間か。声が嗄れ、涙が涸れ、鼻水も尽き、さとりが泣きやむのを待ってから、ようやく橙は口を開いた。
「さ、帰ろっか」
 さとりは顔を押しつけたままで、小さくうなずいた。



 二人は無言で、地上を目指し飛んでいた。
 橙が地霊殿へと向かう際に小競り合いを繰り広げたと思しき妖怪たちが、不思議そうな顔で見上げてきたが、さとりと一緒なのを見ると何も言わなかった。
 そろそろ地上だ。斜め上を見れば、月明かりが白く射し込んでいて――さとりは、立ち止まった。橙も二十メートルほど先で止まり、振り返る。
「どうしたの」
「いえ、ね」
 馬鹿らしさと気恥ずかしさとで、話をはぐらかしてしまおうかとも思ったが、やはりさとりは思ったままのことを言うことにした。
「私って、世界一の幸せ者なんじゃないかなと思いまして」
「は?」
 わけがわからない、というような顔をされて、途端に気恥ずかしさが膨れ上がった。だが、ここで話をやめてしまうのも余計におかしい。ひくつきそうになる口元をなんとかごまかしつつ、さとりは続けた。
「帰る場所を、一度は失ってしまったと思っていたのに。気づけば、私は『ただいま』を言える場所を、二つも手に入れていたのです。これほどの幸せ者、他にはそうそういないでしょう?」
「あー、うーん……」
 橙は首を傾げて、それから口をへの字にねじ曲げ、指の背で鼻をこすりながら言った。
「私や霊羅には、かなわないと思うけどね」
「……なるほど、そうかもしれませんね」
「うん、そう」
 さとりと橙は顔を見合わせ、こらえきれなくなって、同時に吹き出した。橙は黙って手を差し出し、さとりはその手を黙って握った。二人は黙って前を向き、帰るべき場所へと再び進み始めた。
 地底と地上とを繋ぐ洞窟を抜け、満天の星空の下へと飛び出す。少しだけ秋の予感を孕んだ風が、二人の帰りを静かに出迎えた。
執筆中BGMはもちろんマスパペ……と言いたいところだが、
実際にはなぜか鉄カブトのTETSUKABUTOばっかり聴いてた気がします。
汗こきハァハァ
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コメント



0.710簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
凄まじい大作でした。
「ノーロープ有刺鉄線電流爆破バレットヘル」とは要するに、5年前の異変は舞台装置に過ぎず本編とは関わり無いから気にしないでね、ということですね。その他設定の問題も舞台装置なので無視するべき、と。

幻想郷の人妖の半分を消し飛ばして、悲劇を撒き散らしたことで、いままでにありえなかったような退廃的な空気を作り、恐怖と驚きと悲しみに麻痺するような世界を作り上げ、ついでにそれによって今まで無かったキャラクターの組み合わせを実現、また霊夢や魔理沙やチルノあたりの「絶対大丈夫」系ポジティブなキャラクターを舞台から追放するというこの大技。描き出された絶望のディストピアの物語は、斬新で、そうでありながらこれまでの創想話の系譜を受け継いでいて、最高です。
3.100名前が無い程度の能力削除
1番さんが殆ど語ってくれてるので書くこと無いなぁー
極限状態に覘ける殻の内側に隠れる柔らかい部位こそ、過去作共に作者の嗜好であるのは想像に難くない。日常から非日常に堕とし込む手法自体古典的ですが、その先をダイナミックに書く事に成功している。細部を突っ込めば力技的展開も散見するが主軸から外れた瑣末な問題でしょう。
はぁ、何故毎回こう云うの書きますかね…自分はあなたのこと飛びつくくらい好きですけど…
(点数伸びない予感もひしひし)
5.無評価非現実世界に棲む者削除
申し訳ありませんが私はまったくこの作品に対しては不快感しか覚えざるを得ません。
全体的に言うとキャラを貶めたい感じしかしない。
私が寿命ネタを嫌っているのもあるのだが、とにかくこの作品はまったくもってふざけているしくだらないとしか言い様がないです。
誰が何を言おうとこの評価は決して変えません。
読むんじゃなかった。
7.無評価名無しの権米削除
大好きです。
これに尽きます。
9.50名前が無い程度の能力削除
まあまあ
10.80奇声を発する程度の能力削除
とても超大作でした
執筆お疲れ様でした
12.無評価名前が無い程度の能力削除
プロレス物が書きたいなら堂々とそういうのを書いたら良いと思いますよ。
14.30名前が無い程度の能力削除
本編自体の重いシリアスな空気と、大異変始め過去の出来事の支離滅裂さのギャップが悪い方向に機能している、というのが印象として強いでしょうか
結果として起こった事が悲劇的な損失であるだけに、笑うに笑えずかといって喪失感にも浸れず完全に浮いてしまってます
既出の意見のような意図であるにしても、掘り下げず結果だけ触れるといったような手法がある以上無視するには苦しい物があります
力作であることは間違いありませんし、部位ごとに見れば優れた話であるとは思えるのですが、全体としてはあまり評価できないものになってしまっているのが残念です
17.100名前が無い程度の能力削除
長編物は批判コメが多い気がするがなぜだ?ここはプロの小説家を育てる場所ではないぞ。
…ところでアリスと霊羅の安否が気になるな。
19.無評価汗こきハァハァ削除
すげー、熱いコメがこんなにも。
物書き冥利に尽きます。ありがたや。
わりと長めの作品なのに読んでくださった方々に、感謝。
評価・コメントをしてくださった方々には、もっと感謝。

>>1様
舞台装置が無意味とまでは言いませんが、やはり書くべきは内面の動きだと思っています。
さらに言うなら、絶望から立ち上がろうとする姿こそが描きたかったものなんですが……ちゃんと表現できているのかどうか。

>>3様
私は橙のおっぱいに飛びつきたいです。
点数は伸びるに越したことはないですけど、こんなコメントを頂けるだけで充分に幸せです。

>>非現実世界に棲む者様
お口に合わなかったようで。うーむ、残念。

>>名無しの権米様
よし、尻を貸そう。

>>奇声を発する程度の能力様
シリアス長編だろうがギャグ短編だろうが、全力で書けば疲れます。
いい疲労感ですけど。

>>12様
どちらかというと、おっぱい物が書きたいです。

>>14様
シリアス一辺倒だと書いてる本人が精神的に耐えられないので、毎度のことながらつい悪ふざけを……。

>>17様
読んだ人が、思ったままに感想を書いたらいいんじゃないでしょうか。
もちろん、「コメントしない」「評価を入れない」という選択肢もアリで。
22.60名前が無い程度の能力削除
せっかく読んだので評価を。

だいたい物語において持ち上げるのは落とすため、落とすのは持ち上げるためっていうのが自然な流れとしてあると思うのですが紅魔館やアリス、文、霊羅についてもその後どうなったか書かれておらずモヤモヤするします。
主軸に据えられてるさとりを地霊殿から外に出そう!ということ自体が客観的には映姫が連れ出した序盤で達成されてる訳ですし、わざわざそこにもう一度波風を立てて完璧に解決する必要あったんですかね?

端的にいいますとバランスが非常に悪いと思うのです。
仮にさとりの内面の葛藤を描きたいのであればマクガフィンとして用意された電流なんとかについて詳細を書く必要はまるでないし、電流なんとかを単なるきっかけ以上の役割を持つものとして書いているのであれば描写が足りな過ぎる。

あとところどころに作者さんの名前やお気に入りの言い回しを落款のように入れているようですが少しくどいと感じました。
ああいうのはこれくらいの長さだとせいぜい1〜2箇所にこっそり忍ばせる程度が良いと思いますよ。

総評としましては主要人物亡き後の幻想郷と言うのはいろんな作品で書かれてるけど、この作品はご都合主義を意図的に排除してる結果結局何を言いたいのかがボヤけてしまってるように感じます。
たまには必要だと思うんですよねご都合主義って。
24.100名前が無い程度の能力削除
うーん、やっぱりこういう作品は評価が二分してしまうものなのでしょうか…
私はこの話を一気に読んでしまうほど楽しかったのですが…もっと多くの人に読んでもらいたいです

作品としては今までの中で最高の出来でした。長編シリアス好きとしてはたまりません
5年前の大異変の存在や地霊殿の様子、映姫の態度などから何かがあるとは思っていたのですが…ここまで重いとは予想していませんでした。
悲劇から続いている絶望や現実からの逃避などの他にはない展開や、その中にある日常、ちょっとした幸せなどを上手く織り交ぜており心にしみるものがありました。
大長編、お疲れ様です。
28.903削除
最終的に地霊殿に戻って終わり……かと思いましたが一応の未来に進むエンドとなったわけですね。
さとりの「居る場所に受け入れられる」過程が非常によく描かれていたと思います。
橙や霊羅というサブキャラもそれぞれに悩み育ち……と大変に魅力的ですね。
ラストはまだ「この物語のラスト」の半分といったところでしょうね。
この先も読んでみたいと思わせる、そういう作品でした。

気になったのは、「ノーロープ有刺鉄線電流爆破バレットヘル」ってなんやねん、と。
>>1の人が言うように単なる装置ですよ、で納得しても良いのですが
・全体的に真面目なストーリーなのにこの図だけプロレスで非常にシュール
・そんな危ない状態で普通に(新)弾幕ごっこなんかしてんじゃねーよ!!!
の2点がどうしても納得いかないので、
物語自体は素晴らしい、大変に素晴らしいのですが-10点させて頂きます。ごめんなさい。
31.100名前が無い程度の能力削除
このタグから、この内容は想像できなかった。単語はどれもトボけた感じなのに、着々と話が進行していく感じが、好きです。さとりん(のおっぱい)可愛い