Coolier - 新生・東方創想話

鈴奈庵と別れ離れの桃太郎

2013/09/16 00:30:13
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 遂に最終日。
 今日で決着が付くのか否か。とにかく鈴奈庵へと向かった。
 一応祭りは今日までだが。里の雰囲気もまだまだ楽しみ足りないという感じで、そこら中で陽気な会話や見せ物がなされていた。
 大食いだとか、綱渡りの曲芸だとか、下らないとは思うけど。もうちょっと遊びたかったというのが本音だ。

 鈴奈庵の暖簾を潜ると、小鈴ちゃんはお茶を両手で包み込むように持ち、ひたすら茶の濁りを覗いていた。
「小鈴ちゃん、今日は寺子屋の人が来るんだったわね」
「はい、なので鈴奈庵に居ようかと」
 今までの軌跡を辿るべく展示ケースを見てみた。結局全部は集まってい居ないが、それでも充分に展示としては潤っている。
 ケースの一角が妙に開いてるのが気になるが……。
「ここって最後の桃太郎を置く所?」
「『桃太郎遠征記』の展示が多少場を喰っていたからそこだけちょっと空いちゃいましたね。雑誌の作品だったんです、それも一九三三年四月から一九三四年の四月までの連載で、展示ではその掲載雑誌全てを置いていました」
「そういえば一三冊だって昨日言ってたわね。よくもまあそんな書くこと有ったなあ……」
「内容はかなり当世風ですけど、雉は木花咲耶姫の神使、犬と猿は猿田彦に訴え人間にして貰ったり、少し神話を交えたりもしています」
「聞くからに壮大な話ね」
「正直言って桃太郎にしては類稀と言って良い長さです。一話一話もそれなりに長く、読むのはかなり時間が掛かるかと……買った人はまだ読んで居るかもしれませんね……」
 一年もやってたらそれはそれは長い物語なんだろう。一三冊を一遍に買ったという事なのだ。
 そんな物持っていたら一番目撃情報がある筈、誰も見ていないのはおかしい。

「どうにもきな臭いのよね、そんなに沢山の物を持っていたら誰か見ている筈」
「何か入れ物を持っていたら気づかないかと。まあそもそも里をぶらつくのに鞄の様なものを持つ人も多くはないかも……」

 やっぱり誰も見てないのは普通の事では無い。

 犯人の目星。全く付いていない訳ではなかった。現状やはり式神を扱えるのは、紫以外に考えられない。印刷された紙を挟むというまどろっこしさも、紫っぽい。
 何処に居るか分からないが、萃香の言うように本がどうなったかを気にしているのなら……。恐らく本が何処に行ったのかは把握しているんじゃないだろうか。

 私は今まで本を返して貰った奴らに会いに行くことにした。紫でなくとも、昨日の萃香の言い方的に手がかりはありそうだ。
 小鈴ちゃんにそう伝えると、すみませんと謝っていたが、もう私やってる事は興味心でも有るので気にしてない。
 お土産待っててねと言うと小鈴ちゃんは笑顔で手を振り送り出してくれた。小鈴ちゃんも何やら考え事をしていたようだが、大丈夫だろうか。


 まずは小傘にでも聞いてみようと命蓮寺に赴くと、墓の前で萎びた茄子みたいにぐったりしていた。
「ちょっとあんた、今日桃太郎のことで誰か訪ねて来なかった?」
「あー?来たよ、日傘と旅行鞄持った奴。貴方に返したって言ったらちょっと驚いてたかな」
「何処行ったか聞いたかしら」
「そこまでは……あ、でも旅行中とか言ってた」
 日傘を持っているのはやはり紫か、それか幽香かレミリアか。日傘持ってるのは碌な奴がいないな……。
 旅行は何の事言ってるのか全く分からない。とにかくレミリアの線を潰すのも兼ねてパチュリーに話を聞きに紅魔館に行こう。


 紅魔館に着くと咲夜が代金をせびってくる。しまったまた忘れていた。
もう面倒なので鈴奈庵に来るように言い、急ぎだからと図書館に通してもらった。

「誰か本の事聞きに来た?」
「何よ突然……」
 パチュリーは昨日と同じ場所で本を読んでいた。
 こんなかび臭い所でよく飽きないもんだ。

「良いから教えて頂戴。レミリアの無実が掛かってるのよ」
「レミィが?馬鹿馬鹿しい。紫が来たわよ、貴方に返したって言ったら笑ってた。今朝来てたんだけどね」
 パチュリーはめんどくさそうに、ごそごそと机の上を漁った。
「やっぱり紫……何か言ってたかしら」
「黒髪の奴が来たらこれを渡してくれと頼まれた……貴方は黒髪だからあげる」

 パチュリーは真っ白い封筒を取り出すと私に差し出した。ペーパーナイフを借りて封蝋を砕き、中を確認する。
 便箋が一枚。黒髪の奴って私が見ても良いんだろうな、ちょっと不安を覚えつつ内容を見た。

──神社から出発して意味もなく旅しているの。色んな結界が見えて楽しいわ。私はこれから白澤国に行ってくるの──

 それだけ。何を言っているんだこいつは。手紙の癖に相手に分からせようという気が微塵も無いのが紫らしい。
 怪奇文書としか思えない手紙にひるんでいると、パチュリーが覗いてきた。

「そういえば、此処は悪魔国とか言ってたわよ」
「国?……じゃあ白澤の国っていうのも場所かしら」
「寺小屋のことじゃないの」
「うーん、あんたは紫が何処に言ったか聞いてないの?」
「そこまでは聞いてない」
 パチュリーの言うように寺子屋に行けという事か。しかし目的が見えて来ないのが怪しい。まあ最初からやってる事は分からないのだが……。
 紅魔館にこれ以上いても仕方ないと思い、再び里に戻ることにした。


 そのまま寺子屋へと向かう。慧音の話では今日が登校日だとか、まだ早い時間だから鈴奈庵に行っていないだろうか。
 寺子屋は子供がいくらか居て、慧音も子供と話していた。子供には用が無いので、慧音に見えるように戸の影から手招きをして呼び寄せた。

「どうした?鈴奈庵はやはり駄目か?」
「いや、展示自体はやってるけど……それより紫が来なかった?」
 それなら、と慧音は内緒話するように声を抑えて応えた。
「昨日の晩に来たぞ。桃太郎の本をどうしたかって聞いてきたから、鈴奈庵に返したと言っておいた」
「やっぱり此処が白澤の国だったのね」
「まったく、何が国なんだか。私が王権を振るってるみたいじゃないか」
「先生ってのはちょっとそういう所あるんじゃないのかしら」
「個々で見ればあくまで師弟関係だ。ところで『桃太郎遠征記』はまだ戻ってないのか?」
「え、無いけど。紫が何か言ってたの?」
 慧音は、後から来た生徒に挨拶すると、腕を組んで記憶を辿っているようだった。
「ああ、自分が持っていると。てっきり返したのかと思ったのだが……」
「多分桃太郎の展示を全部売り払ったのもあいつなんだけど、どうして『桃太郎遠征記』だけ自分で持ってったのやら……」
「そうだったのか……『桃太郎遠征記』は私が行ったときにはもう無くて見てないが、確か異国を侵略するという内容だった筈だ」
 どうやら慧音は内容を多少把握しているらしい。聞いておいたほうが良いだろうか……。紫のことだ、『桃太郎遠征記』を買ったのにもさぞ捻くれた理由があるに違いない。
 小鈴ちゃんに聞きに行くよりは此処で聞いてしまおう。

「詳しいなら少し教えてよ、手かがりになるかもしれないから」
「そうだな……『桃太郎遠征記』は西洋の異国に行った男が親不孝したという事件と、同じく西洋から帰国した八蔵という子が兄の長太と喧嘩するところを桃太郎が目撃するのが発心。
 異国は自由でのんき、たとえ盗みをしても構わない。ただしされても文句は言わない。そんな話を聞いた桃太郎は驚き
 異国のそんな考えが悪いのだと、旅に出ることを決心する。
「それが鬼ヶ島って事かしら」
「いや、鬼の国とは言っているんだが……悪魔を倒すという話だったかな。異国と言っても具体的でなく、怠惰国、モダン国、食欲国、邪心国等を旅し、そこにいる魔王を倒していく話だ」
「へぇ、一つじゃないのね。流石連載されただけの事はある……」
「旅こそするが、基本は排他的な思考に基づいている。天皇の御国である日本を見習えというスタンスが終始だ。西洋が拝金的で怠惰で、利己的。それを矯正していき、最終的には全世界にその威光を示す」
「全世界って言われると、何か危ない感じもするわね」
「簡単にいえば世界征服って事だからな。この時代にこれほどまで諸外国を悪とする思想は珍しい」
 慧音は腕組を解くと、戸から寺子屋の中を覗いた。生徒は話している最中にもちらほらと来て、揃ったようだ。

「どこと無く西遊記に似ている感じだな……こんな物でいいか?そろそろ鈴奈庵に行きたいんだが」
「時間取らせて悪かったわ、ありがとう。あ、それでその後は何処に行くとか言ってた?」
「根の国に行くとか言ってたな、てっきり冗談かと思ってたが……」
 そう言うと寺子屋の中に入っていった。浮ついて話していた生徒達は慧音の用が済んだと察し静かになった。
 邪魔になりそうなので私はそっと戸を閉めて、冥界へと向かった。根の国は恐らく冥界の事だろうから。


 というわけで今度は白玉楼に来た。飛んでるとは言え長い階段を上りきると若干疲れる。ただ涼しいのが幸いだ。夏には良いところかもしれない。避暑地として何処かに小屋でも作ろうかな。
 等と企んでいると、庭先に妖夢が居たので早速聞いてみる。

「紫見てない?」
「あら、霊夢。紫様は見てないけど……あの方は知らぬ間に幽々子様と一緒に居たりするから……」
「じゃあ幽々子にも聞いてみる」
「その前にちょっと弾幕勝負しましょう」
「急いでるんだけど?」
「急がば回れという言葉もあります。幽々子様も霊夢が来たら相手してやってくれと仰っていたので」
 ゆっくりと刀を抜く妖夢。こう言うときに限って面倒な奴が立ちふさがるんだ。
 私も懐から札を出して身構えた。
「人魂灯上げた恩は忘れちゃったのかしら」
「恩は仇で返す方が簡単だったり」
 なんて事言うんだ。闇夜に針の穴を通すような妙な緊迫した状況を迫られるから、妖夢と戦うのは正直疲れる。
 静かな冥界だからこそ顕著に現れるのかもしれない。視界も耳も、相手と自分以外は殆ど認識しづらい幽玄さだ。
 妖夢の切っ先から放たれた一振りの弾幕をゆっくりと交わし、札を投げつける。

 しかしあんまり長く戦うのも無駄というものだ。手っ取り早く、刀の弾幕を避け妖夢の懐に思い切って飛び込んだ。
 身を翻そうとする妖夢にそのまま体当り。諸共地面に叩きつけ、八方鬼縛陣を使って吹き飛ばした。
 取り敢えず先に進む分にはこれくらいで構わないだろう。妖夢が戻ってくる前にそそくさと白玉楼に押し入る。

 幽々子はその様子を見ていたのか、縁側にゆったりと座って居た。
 少し疲れもあったので黙って隣に座ると、幽々子が口を開いた。
「妖夢はもうやられちゃったの?」
「面倒だからやっちゃった」
「物騒な世の中ねぇ」
「それより紫が来なかった?桃太郎の事聞いて回ってるらしいんだけど」
 幽々子は扇子を取り出すと、開いて扇いだ。
「来たわよ。今朝にね、霊夢に返したって言ったら怒ってた」
「それは災難だったわね」
「怒ってたのは霊夢に、だけどね」
「何で私が怒られなくちゃ成らないのよ」
「折角散り散りにさせたのに、集めちゃったから」
 幽々子はくすりと笑う。どうやら幽々子はそれなりに分かっているらしい。

「散り散りにする方が悪いわ。理由も言わないんだから、仕方ない」
「理由は──桃太郎が優しくて、酷くて、子供で、来ないから」
「さっぱりだわ」
「うふふ、紫は心配しているのよ」
「何を?」
「霊夢に構ってもらえなくなるのを」
「そんな馬鹿な……」

 幽々子は縁側を降り立ち上がると、石庭をぐしゃぐしゃと歩き始めた。後の妖夢の苦労が思いやられる……。
 庭の真ん中辺りでこちらを振り向き、話を続けた。

「色んな桃太郎を見てきたでしょう。それぞれに違ったものが見えたはず。でも、桃太郎ってくくりは全部が持っている」
「そういう展示だったからね」
「だから、気づいてしまう。外の世界の常識に」
「常識ねぇ……」
 桃太郎で常識が見えるって事なのだろうか。外の世界で言えば優しい桃太郎が一番新しかったが……。
 ぼんやり考えていると、幽々子が庭の常緑であろう葉っぱをちぎって、捨てた。
「紫は永遠亭に行くって言ってたわ。未来を懐かしむって言ってね」
「未来を懐かしむ?また訳の分からない話を……」
「倶楽部活動しているんだって」
 倶楽部?余計に頭が混乱してくる。幽々子が変なのか紫が変なのかどっちも変なのか……。とにかく永遠亭に行ったのならば其処に向かうべきか。
 礼を言って、現世に戻った。


 永遠亭に直行すると、兎が餅と薬を付いていた。夜の例月祭とやらに向けて作っているらしい。
 冥界で時間を食ってしまい、もう日が傾き始めている。つまり大詰め段階で、兎たちは熱心に杵を振るう。
 そんな餅搗きうさぎの中で鈴仙が指揮をしていたので早速声をかけた。

「紫が来なかった?桃太郎のこと聞いて回ってるらしいんだけど」
「先日はどうも。昨日来ましたよ、元の持ち主に返したと言ったら何か悲しんでましたけど」
「悲しむ?まあそれは兎も角、何処行くかとか聞いてない?なんとか国とか」
「はぁ、そう言えば悪魔国に行くとか言っていましたよ……あ、そこサボらない!」
 私と話してる隙を見た一匹の兎が、竹林に駆けだした。その脱兎を追いかけて鈴仙は竹林に消えていった。
 その間に他の兎が明らかにサボり始めていたが……。

 しかし悪魔国って確か紅魔館だったはず。二度行ったのか?いや、昨日来たのなら、今朝パチュリーが有ったのがそうだろう。
 紫の行った場所がループになってしまった。ということは誰かが嘘をついたか、紫につままれたか。
 間違いなく後者だろう、里から出たのに紅魔館、里、冥界、永遠亭なんて普通に考えたら順番がおかしい。遠回りし過ぎだ。
 これは時間稼ぎだ、きっと私がこうしている間に何かを……。
 理由はともかく、紫は本が集まっていたのが気に食わなかったらしい。となれば行く場所は……まさか鈴奈庵だろうか。



 私は一心不乱に飛んで鈴奈庵に戻った。里は祭りが最終日ということで盛り上がっているのが目の端に映ったが、それよりも目に留まるは、日も落ちそうなのに日傘を差して、大きな旅行鞄を持っている人影一つ。

「紫、こんな所で何してんのかしら」
 前に立ち塞がって、進路を塞いだ。紫は特に驚く様子もなく、笑っている。紫色の服に旅行鞄と日傘……どこか大人びた風格に少したじろぐが、引かない。
「御機嫌よう。霊夢が来たのね」
「何が御機嫌ようよ、こんなに面倒なことして、どういうつもり?」
「あら嫌ね、折角楽しい里の祭なのに、つまらない話は駄目」
「人間のための祭りで、あんたは関係無いでしょう。むしろ水を差したのは紫じゃない」

「私は、ちゃんと里を楽しんでいたわよ。面白い本を見つけて、買って読んだ後に旅をしたのに」
「嘘おっしゃい。売った犯人もあんたでしょ」
「ふふふ、でも本を買ったのも本当。ちゃんとお金払ったし。その分はちゃんと返してくれないと」
「なら本を返しなさいよ」
「はいはい、霊夢はせっかちね」
 紫は革製の年季の入った旅行鞄を地面に置くと、バンドを外し中が見えるように開けた。
 スカスカの鞄の中には『少女倶楽部』と表紙にある本が入れられている。恐らく十三冊。流石に旅行鞄いっぱいとはならないようだ。

「あんたの言ってた倶楽部活動ってこれの事?」
「さぁ、どうでしょう」
 含み笑いを浮かべつつ、旅行鞄を閉じて私に手渡してきた。
 両手で受け取ってみたら持てない程じゃないが、重い。本も多いが鞄自体に重量があるようだ。
「よいしょ。こんな物もって旅なんて、妖怪は大変ね」
「このくらい、例え妖怪でなくても持てるわよ」
「少女倶楽部は中々怪力持ちなようで」
「貴方が貧弱なだけ」
 紫は重そうに鞄を持ち上げた私をあざ笑う。妖怪と一緒にするな。
「んで、一人旅は楽しめたの?」
「駄目ね、やっぱり倶楽部は二人はいないと。今度は後から付いてくるんじゃなくて、一緒に来てくれる?」
「時々一緒に異変解決してるじゃないの」
「行く場所から考えるのが旅だもの。異変解決は相手の所に出向くんだから遠征」
「じゃあ紫を追いかけるのも遠征だったということね」
「まあ、旅も遠征も行く付く所は同じなんだけどね」
「あんたとなんか、ごめんよ。もしかして私を変な目で見てるとか……?」
「気持ち悪い目で見てるかも」
「はぁ?」

 紫は楽しそうに笑っていた。

「とにかくこれは小鈴ちゃんに渡すわよ」
「良いわよ、私はまだまだ旅の途中だから」
 どうにも調子か狂う。ひとまずこれは預かり、小鈴ちゃんに返そう。その後みっちりと話を聞いてやる。
 そう思って暖簾を潜ると……。


 ぎょっとした。
 綺麗に並んでいた展示がケースの中から一つ残らず消えていたのだ。
 私が展示を初めて手伝いに来たあの時のように、無情な静謐さしかない。

「ちょっとどういう事よこれ!」
 暖簾を押しのけ顔を出し、首を左右にさせたが、紫は既に消えていた。
 再び店内を見回す……。いつにもまして鈴奈庵は静寂に支配されている。

「小鈴ちゃん?」
 何故なら、小鈴ちゃんも居なかったからだ。書架の死角に居るかと見回しても居ない。
 奥に居るのかと思ったが、カウンターにメモが残されていた。

 ─紫さんという方に本の事で呼ばれたので、ちょっと行ってきます 小鈴─


 なんてことだ。紫は本に飽きたらず、小鈴ちゃんまでもを何処かにやってしまったのだ。
 まさか里で堂々と神隠しまがいのことするなんて……。いや、本当にただ呼ばれたのかもしれないが。
 このまま引き下がれるはずもない、どうにか紫の場所を探さないと。
 小鈴ちゃんのメモに行き先がないか、表裏見てみるが何も無い。

 店内をぐるぐる回りながら考えてるが、何も思いつかない。
 そう言えば最初に本を盗まれた時もこんな感じだったな。あの時は魔理沙が感想箱から紙片を見つけたんだっけ。
 ふと、感想箱の前で立ち止まる。期待もしていないが、開けて中を見てみた。

「……!」
 中には紙が沢山入っていた。それぞれ別の筆跡で感想が書かれている……こんなに感想を書いてくれたとは。
 一枚取って見てみる。明らかに字が子供の筆跡だが……。

 ─『桃太郎の足のあと』を読みました。桃太郎は本当はちっぽけだったのかな。ちっぽけでも鬼を退治しちゃうから凄いのかなあ─

 展示を読んだ……?という事はこれは寺子屋の子供達か。
 この感想の紙は大部分が寺子屋の子の様だ。慧音が書かせたのだろう。
 開いて色々見てみる。

 ─『犬にあふまで』読みました。桃太郎さんも私達と変わらない子供みたい。私も桃太郎みたいになれるのかな─

 ─『桃太郎征伐』を読んで、桃太郎と言えど、弱い者はいけないなと思いました。それが鬼と思っても、駄目だよね─

 ─『ある日の鬼ヶ島』を読みました。桃太郎があんなだったら嫌だな。鬼は本当は可哀想な人達なのかも。もしかして桃太郎の方が鬼のような心を持っているんじゃないかと思いました。─

 ─『新桃太郎の話』を見たら、僕の周りにも鬼が居るような気がします。すぐにチョークが飛んできて、頭突きをする鬼が……─

 ─『やんちゃ桃太郎』読みました。私も家に帰ったら、親はこんな風に考えてくれるだろうか。私が考えて仕方ないけど─

 ─『ただの桃太郎』を読んで。帰ってみたら想像と違っていたなんて悲しかっただろうな、と思いました。─

 ─『桃太郎』童話大系でも取り上げるなんて凄い。私は普通の桃太郎が好きだ。旅から無事に帰ってめでたしが一番─

 思い思いの感想群。微笑ましい物もあれば、そうでも無いものも……。
 見ていくと、一際しっかりとした綺麗な文字の感想が有った。

 ─子供に本を見せてくれて有り難う。各々気に入った本を楽しんでいる。拙いだろうが感想も皆書いたから見てやってくれ。
  展示の素晴らしさは確かだが、こういう本を集めるのは妖怪としては褒めたものではないぞ。
  外の世界と幻想郷が隔たれた理由を、考えた方がいい。本を集めた後も変な奴に目を付けられない様にな。 慧音─

 慧音の感想だ。妖怪としては褒めたものではない。というのは……今一ピンとこないが、紫が本を散らしたのも同様の理由なのか?
 結局紫の居場所につながるヒントは無い。しかしちょっと気になったのが「帰る」という桃太郎の動作。
 横においていた旅行鞄を開く。『少女倶楽部』は確かにまだある。
 一九三四年の四月号を手にとって『桃太郎遠征記』を探した。これだけ長い話の終わりだけ読むのも気が引けるが……。

 最後に作者から読者に向けてのメッセージがあった。
 “桃太郎は日本に帰り、大和村の老父母に会つた時はどんなに嬉しかったでせう”。
 紫に言わせてみたら桃太郎は全部遠征なのだろうが、紫は言っていた、「まあ、旅も遠征も行く付く所は同じなんだけどね」と。
 これは帰るって事では無いか? 死出の旅とか、帰ってこないが……。紫の言う旅はそういった類を指していない気がする。
 むしろそういった意味だと、一緒に来てくれる?が怖すぎるのでそうじゃないと信じる。
 手紙では──神社から出発して意味もなく旅している──と書いてあった。それならば遅かれ早かれ神社に帰ってくるのではないだろうか。

 そうと成れば、私も……帰ろう。
 旅行鞄を持って帰路についた。






 鈴奈庵で手こずったこともあり、博麗神社に戻ると日はすっかり落ちていた。
 表に回ってみるかと縁側の前を足早に横切ろうとした、その時。酒の匂いがふわりと鼻につく。
 更に縁側に座ってる人影が二つ……。

「やあ、霊夢」
「遅かったじゃないの」

 萃香と紫だった。二人で酒を飲んでいたらしく酒の匂いが漂わせつつも、見物人のような白々しい物言いだ。
 紫は着替えたのか、先ほどと違って八卦と太極図のある衣装に変わっていた。

「萃香も共犯?小鈴ちゃんをどっかに隠したのは」
「隠してないよ、ただちょっと。隠れざるを得ないというか……」
「あの娘なら、そこに居るわよ」
 隠れざるを得ない?不穏な言い方だ。
 紫がちょっと手をやると、縁側の奥の障子が開く。
 畳の上で小鈴ちゃんがピクリともせず横たわっているのが見えた。

「小鈴ちゃん?」
 思わず旅行鞄をその場に置いて、土足で小鈴ちゃんの元に駆け寄り動かない体を揺する。
「ちょっと! 平気!?」
「うぷ……揺らさないでぇ……」
 酒臭い呟きが聞こえた。小鈴ちゃんは完全に泥酔していた。

「……あんたたち、小鈴ちゃんに酒飲ませたの?」
「なに、ちょっと飲み比べしただけさ。無理矢理は飲ませてないんだけど……」
「霊夢がもっと早く来たら潰れる前に止められたのに。残念だったわね」
「なんてむごい……」
 と言ったら萃香は大笑いした。鬼と飲み比べなんて、冗談でもするもんじゃない。
 張り切りすぎて酔いつぶれてしまったらしい。でもこの様子なら休んでいれば大事なさそうだ。
 一先ず胸を撫で下ろす。でも紫達が原因だし、何より一連のことを紫に聞かなくてはならない。

「さっきは逃げられたけど、今度はちゃんと話しなさいよ」
「……わかったわよ。鬼ごっこも飽きちゃったし」
「紫は人間が妖怪を恐れなく成るんじゃないかって危惧してるんだよ」
「人間が……?」

 紫はバツの悪そうな顔を一瞬見せたかと思うと、酒を軽く煽って打ち消した。
 そのままお猪口を置くと、スキマから本を三冊出してこちらに向ける。
 『桃太郎大江山入』だ。

「桃太郎は、元々は英雄譚だった、成立こそ今一分かってないけど。江戸時代にはかなり知られていたのよ」
「だからこそパロディーなんてのが出来たって事よね」
「鬼を倒す者。としての知名度だけで言ったら源頼光に並んだと言っても過言じゃない。寧ろ抜いたかもしれないね」

 萃香も縁側に涅槃仏の様なポーズで寝っ転がりつつ、話に加わる。
 水も既に用意してあったので、薄い掛け布団だけ掛けてあげて、土足だったのでもう一度、縁側に出た。

「それで妖怪を恐れなくなるって?」
「別に良いんだけどね、そういう話自体が広まるのは……。問題はこの後。展示の桃太郎を時代順で並べるとこうなる」

 紫はドサドサとスキマから本を落とし、縁側に平積みにした。荒っぽい所業に驚いたが、案外綺麗に積まれているので平気なのだろう。


「『桃太郎大江山入』、『明治桃太郎』、『桃太郎のロスキー退治』、『征露再生桃太郎』、世界童話大系『桃太郎』、『ある日の鬼ヶ島』、
『新桃太郎の話』、『桃太郎征伐』、『桃太郎遠征記』、『桃太郎の足のあと』、『犬にあふまで』、『うぐひすの謡』、『ただの桃太郎』、『ももたろう』、『昔話の魔力』、『やんちゃももたろう』」

 軽く本を撫でる紫。桃太郎と聞きすぎて何が何やら……。
 何だかんだで殆どは軽く内容も聞いたが、こうも立て続けだとイメージも付かないもんだ。

「分かった?」
「世界童話大系とかは置くとして、『明治桃太郎』、『桃太郎のロスキー退治』、『征露再生桃太郎』は人間を鬼に見立てているでしょう?」
「んー、確か敵を鬼に見立てたとかそんなだったわね」
「えらいえらい。『新桃太郎の話』、『桃太郎遠征記』。これは社会を鬼に見立てていたわ」

「『新桃太郎の話』は当世の社会は鬼だらけって話だっけ。でも『桃太郎遠征記』は外国……いや、明確に敵だった国とかを比喩したわけでは無かったんだっけ」
「あくまで異国の精神を退治するという話だったわ。発端は日本の中に芽生えた異国の怠惰な精神。それを倒すのだから、社会ね」

 妖怪を恐れなくなる。氷山の様な漠然としていた萃香の言葉が、ほんの少し溶けて来た気がする。恐怖の具現化で有る筈の妖怪が、負の思想を比喩するの道具にされてしまっている。ということなのだろう。

「『ある日の鬼ヶ島』の鬼は……逆に理想や正しい感情を鬼として比喩していたのね」

「そういうこと。『ある日の鬼ヶ島』は早い時期に鬼の観点を変えて作られた話。とにかく鬼ってのはただ単に恐怖の対象ではなく成ってしまったのよ。もう鬼であって鬼でない。それに対して『桃太郎の足のあと』、『犬にあふまで』は……桃太郎を桃太郎でなくしてしまったわ」

 『桃太郎の足のあと』や『犬にあふまで』は桃太郎を唯の子供のように描いていた、つまり……

「桃太郎を英雄から、ただの人間にしてしまってるって事かしら?」
 紫がふうと息を吐きつつ笑った。もしかして酔っているのか、無邪気に笑っている。
「そうよ、だけどそれを蔑んでいると思う人は居なかった。誰だって英雄になれる。それはとても甘美で、平和で、平等で、とっても暖かい考え方だったのよ」
「でもね、英雄が英雄じゃ無くなった時。英雄の敵は存在意義が疎になり始めるんだ」
 黙っていた萃香が寂しげに口を挟んだ。
「存在意義?」
「英雄は悪いやつを倒していいのさ、鬼とかね。でも英雄じゃなくなったら、相手も尊重しなくちゃならない。それが平等ってもんだ」
「とは言っても桃太郎は鬼が悪いことしたから……って話でしょう?」

「桃太郎ではね。所がどっこい、鬼は無条件で悪って考え自体がおかしいという風潮が出来てきた。何故鬼は虐げられなくてはいけないのか?鬼は一体何を考えているのか?鬼は実は悪いやつじゃ無いのでは?
 それなのに人間は今まで散々鬼たちを悪と言って、差別して来たのではないか……?」

「それが『鬼の涙』や、果ては『やんちゃ桃太郎』ってわけね」
 ひんやりとした風が辺りを吹いていた。少し肌寒さを感じる。

「明治辺りから科学の進歩もあって、怪異自体が躊躇い無く死んでいったってのも有るのだけれどね。
 『ある日の鬼ヶ島』はそういうのを逸早く察知した話でしょう。『桃太郎征伐』も、鬼を無害の人として扱っているわね。
 いつの間にか、鬼や妖怪は怖いかどうか分からない物に変わってしまった。そうなると、妖怪よりも絶対に怖いって物が見えてきてしまったのよ」

「妖怪より怖いもの?」

「人間。」

 紫は私の問に間髪入れずに答えると。月を見上げた。

「人間は恐い。平然と嘘を付くし、お金や権力なんて見えない力も使える。何より神出鬼没なんて言わずいつも居るんだから、たまったもんじゃない」
「あんたに言われると、何か照れるわね」
「はん、霊夢なんてちょろいちょろい」
 萃香が軽く縁側を叩いた。

「外の世界の話。あっちでは妖怪より人間の方が怖いなんてのはもう常識なのだから」
「本当かしら……というかそういう人間は妖怪化したりするんじゃないの?鬼に比喩される位なんだから……」
「怖い人間が増えすぎたのよ。社会そのものが鬼になっちゃったんだからね。科学の進歩は妖怪の存在を希薄にさせたし、何より人間は怖くても我慢することを覚えてしまった」
「我慢ねぇ……我慢大会が年中行事に成ったのかしら」
 紫は酒を再び飲むと、縁側を降りて放置していた旅行鞄を開ける。
 そして連載最終号の本を開くと私に突きつけてきた。

「な、何よ」
「ここ、見てみなさい」
「えーと、

  「悪魔国の征伐はこれで終だが、これから後はもつとえらい討伐があるぞ。」
  「まだあるんでございますか。」
  「自分の心の中の悪魔を征伐しなきゃならん。これが一番大切だぞ。」

 これの事?」

「これが妖怪を恐れなくなった理由の一つ」
 悪魔というのは『桃太郎遠征記』では鬼と同義だった筈。
 それを心の中に居ると言ったのは、悪い感情を抑えろということか。なるほど我慢かもしれない。

「鬼は心の中に居る。そういう考えが跋扈してしまったんだね」
「ふーん……妖怪なんて前からそんなもんだったと思うけど。疑心暗鬼を生ずってね」
 私は紫から受け取った本を再び鞄に戻した。

「生じてくれるなら良いのよ。今は心の中に溜め込んでるだけ、鬼をも差別すべきで無いとする考えは疑心で暗鬼を見せなくなった。疑心で見えるのは自分という人間の狂気と下劣さ、そんな世界なのよ」

 紫は縁側に再び腰を下ろすと、伊吹瓢からお猪口に酒を注いだ。
 萃香の置いていた盃に軽く乾杯して飲む。紫はやはり酔いが回っているらしく仄かに左右に揺れていた。

「妖怪の中には勿論人の心を媒体にする物もあるし、人間間の恐怖で生まれる妖怪もある。
 だけどやりすぎ、人間は何でもかんでも自分のせいにしてしまう様になった……自分がおかしい、自分が悪いって、妖怪のせいにしてくれたっていいのに、まったくどうして……」

 紫は話し始めの様な決まりの悪そうな顔を見せると、目頭を押さえうつむいた。
 妖怪の現状に憂いを感じているのか、人間を馬鹿にしているのか、
 それとも、人間を心配してるのか。よく分からなかった。

「そういうの一箇所に萃めちゃうとさ、そういう外の世界の常識に勘づいちゃう奴が居るんだよね」
 紫に変わって萃香が話を進めた。

「別に知っても大したこと無いと思うけどなぁ。外とちがって妖怪が普通にいるんだし。幻想郷で妖怪を恐れなくなるなんて信じられないわよ」
「常識ってのはゆっくり広まるもんだろ。下手なオーバーテクノロジーより長い目で見ると認識が変わっちゃうのさ」
「だから芽を摘んだってわけ。妖怪は随分と安牌を選ぶのね」
「そのくらい追い詰められてるってことさ。本当の鬼も皆隠れた今、妖怪の恐ろしさを示すのは難しい。幻想郷だってぎりぎりだよ」
「妖怪なんていたって私が退治しちゃうのに」
「居なくなったら困るだろう?」
「人間としては……居なくなるに越したことはないでしょうけどね」
 妖怪が居なくなったら幻想郷自体の存続が怪しい。急に外の世界に放り出されたら、というのはとても考えたくない。


「妖怪が心に居るなんて、ふざけんじゃないわよ……。妖怪は居るんだから……心の中ではなく、幻想ではなく、現実の中に……」

 紫は少し潤んだような声でか細く言った。目頭を抑えたままの姿が、怒っているようにも、悩んでいるようにも、泣いているようにも見えた。

 そんな境の無い感情を露わにしている紫は、どか唯の少女の様で……。
 暫し誰も声を立てず、そよ風が軽く草木を揺らす音がするだけだった。

「ちょっと飲ませすぎたかな。今日はそろそろお開きにしよう」
「そうね。もう私も疲れちゃったし。これでおしまい……」


「ちょっとまっらぁ゛!!」
 ぴしゃりと障子が開かれ、小鈴ちゃんが叫ぶ。
 どうやら酔いながらも立てるくらいにはなったらしい。
 ズカズカと歩を進めて紫の隣に座ると、乱暴に紫の肩を叩きだした。
「貴女が本を皆に売っちゃったせいで、お祭り全然楽しめなかったじゃないですかぁ! 謝って下さい!!」

 小鈴ちゃんは絡み酒だったのか。
 知らぬが仏、紫をこれでもかとぐわんぐわん揺する。
 流石に紫にその行為は見てるこっちが怖くなってくる。
「小鈴ちゃん、酔ってるでしょう?早く帰ったほうがいいわよ」
「妖怪はですねぇ、負けを認めたらごめんなさいと言わなくちゃいけないんですよー」
「ふふふ、そうね。霊夢が居たとはいえ、全部取り返してるとは思わなかったわ、負けを認めなくちゃいけないかしら」
 紫は顔をあげると、嬉しそうに小鈴ちゃんを見た。小鈴ちゃんは目が無駄に泳いでいるが、多分大丈夫。
「でしょおー……」
「ごめんなさい、貸本屋さん」
 笑顔で謝る紫に、小鈴ちゃんも笑っていた。これで良いのか疑問に感じつつも、不満は無さそうだからいいか。
 このまま終わるならそれでもういい……とも思ったが、解決したと言っても本をどうするかまだ決めていない。


「それで、この本は結局どうしたらいいの?」
「……貴女達の好きにして頂戴。今更展示も無いでしょうし」
 こんだけ面倒臭い状況にしておきながら、その原因はそのままでいいのだろうか。
 展示される事は無くとも、これ自体が鈴奈庵に収まっているのは危険視してない。どこかちぐはぐだ。
「そういや、何で展示の本を直接処分しなかったの?そうするのが一番簡単じゃないの」

 紫は月をまた見上げると、
「展示にあった本も……多くは幻想郷にあっておかしく無いものだったから。それでなくとも、絵本や童話はいつも現実にあって幻想的だもの。処分するのは勿体ない」
「貴女も本当は本が好きなんですねぇー?」
「そういうことよ」
 そういうことなのか?まあ、絵巻ほどではないが古そうな本が多かったから、紫の言うこともあながち間違いではないのだろう。
 絵本や童話が幻想的……というのは魔理沙も言っていた。行き場の無くなった本もまた、幻想郷は受け入れているのだろうか。

「私も小鈴ちゃんに任せるから。好きにして……」
「それなら、いい考えがあるますよ」
 覚束ない足取りで縁側に降りてくると、小鈴ちゃんは小さな手で旅行鞄を持ち、よろよろと紫前に降ろした。


「何?私にくれるの?」
「はい」
「あら、どうしてかしら」
 紫は何処からか扇子を取り出すと顔を扇ぎだした。

「あなたに似合う気がするからです。『桃太郎遠征記』の作者、佐藤紅緑は明治七年に生まれ昭和二四年に没しましたが……。
明治、大正、昭和の三つの時代を生きたその生涯は、日本人への理想を追い続けた物でした。
大衆文学を主としながらも、あまり是非にでもなく書き始めた少年文学が、『少年倶楽部』で発表されると絶大な評価を受け。度々執筆し、ご存知の通り少年だけでなく『少女倶楽部』の方でも発表をしたんです」
 一瞬で酒が抜けたのかと聞き間違うほどハッキリとした声で小鈴ちゃんは話し始めた。 
 年代が出てくるとこんがらがるな……。三つの時代を生きたというのは面白いが……。
「えっと、確か『桃太郎遠征記』って確か昭和のだったわよね。ということは割りと晩年だったのかしら」

「昭和八年……五九才ですから、まあ晩年でしょうか……。紅緑の描いた少年少女小説は理想を追い求めた物でした。有るべき少年少女の姿を明確に示し、縁取ったと言えるでしょう。その主題は今見れば前時代的ですが、その時代では非常に力のある物だった筈です」

「私が前時代的ってことかしら?」
 紫が口を挟む。
「間違ってないわね」
「いえ、そういうわけでは……あるべき姿を追い求めるのは似ていると思いまして。紅緑ははっきり言ってかなり偏った考えを持っていました。でも読んでいるとただ信じているだけの気がするんです、在りし日の和国の素晴らしさ、みたいな物を。そしてそれを受け継いで欲しいという切なる気持ちが……」
 小鈴ちゃんもゆっくりと月を見上げる。紫はそんな小鈴ちゃんを横目に見ていた。

「知ってる?佐藤紅緑の息子は漏れなくグレちゃったって」
「幻想郷はグレないといいですね」
 楽しげに話していた。何気に小鈴ちゃんも大きな器の持ち主なのかもしれないな。私は立ち疲れたので寝転んでいる萃香の隣に座った。
 紫と小鈴ちゃんの話には深く入り込みすぎて私にはとても付いていけそうにない。
 萃香は私にもお猪口で酒を出してくれた。

「ありがと。あんたも協力してたの?」
「話は軽く聞いてたけど別に協力はしてないよ。見てるほうが楽しかったし」
「自分だって盗ったくせに」
「ありゃ気まぐれ。桃太郎より気になっちゃって」
「鬼は泣かないって?随分子供じみた意地ね……」
「違いない。妖怪は成長しないからね、成長する人間の前では永遠に子供なのかもしれないよ。英雄も、だけどね」
 萃香はケラケラと笑うと起き上がった。

「だからって人間に成長するなって言うのはずれてると思うけど」
「紫もそういう事が言いたいんじゃないんだろうさ。寧ろ妖怪も成長しなくちゃいけない時なのかもしれないな。
 ただこの問題は複雑過ぎて、慎重さが求められる。だから今は水を差してほしくない、そういうこった」

 外の桃太郎の様に妖怪も成長するのだろうか。桃太郎で鬼は優しい面を持ち始めたのが見えたが……。
 妖怪全てがあんなに成ってしまったらと思うと、確かに妖怪にとっては一大事かもしれない。

「少なくとも霊夢は妖怪のやる事に目を向けてやっていてくれ。そんで悪さしたら退治する。それが巫女としての役割だから」
「そんな事でいいの」
「そんな事しかできないじゃん」
「馬鹿にしてる?」

 それから少し話と酒を呑んで、結局お開きに。紫と萃香は月の光に溶けたかのように消えてしまった。
 紫が旅行鞄を置いていったので持ち帰り忘れかと焦ったが、中を見るとカラに成っていたので、代わりに紫の置いていった本をまとめて入れた。


 月明かりの下で小鈴ちゃんと二人、神社に立ち尽くす。
「やっと全部揃った……まあ結局一つ無くなっちゃったけど」
 何だかんだで長かった桃太郎集めも終ったのだ。あまり実感が無いが……重い旅行鞄は確かにそれを物語る。
「そうですね……霊夢さんには本当色々お世話になりました」
 小鈴ちゃんはまだ酔って足がもつれそうだが、深々とお辞儀した。私がやったことはあまり無いんだけどな。
 満月の夜なので歩いて里に戻るのも気が引けて、陰陽玉4つを密集させて小鈴ちゃんと旅行鞄を乗せ、里まで運ぶことに。

 道中、小鈴ちゃんは寝てしまった。こんなに酒飲ませて家の人びっくりしないかな。
 不安に駆られながらも、一人桃太郎の事を考えていた。

 紫は展示なんて大それた見せ方で、桃太郎を読んだ人が外の世界の悪い影響を受けないよう、展示を台無しにした。
 外では人間が人間を異常に恐れるように成っているという。畏怖とかではなく、単純な恐怖なのだろう。
 桃太郎等に出てくる鬼が優しいのは、妖怪の方がマシという事だったりするのかな。
 外の世界は一体どんな事になっているのやら、不安に成らずには居られない。

 そして桃太郎自体はあくまでそれを映した媒体。
 私が見てきた奇妙な桃太郎達が偏った世界の写し鏡というならば、これ以上妙な桃太郎が生まれないこと祈ろう。
 媒体にされた桃太郎は愛された英雄という事なのだろうか。それとも人間に弄ばれただけの不遇の英雄なのだろうか。
 桃太郎がもしも今居るならば、その辺りどう思っているのか是非聞いてみたいものだ。

 今居たら何してるのか。鬼よりも怖い人間を倒しに行ってるか、それとも普通の人間として生きているかはたまた私のように、何処かに居る鬼を倒そうとしているのか。逆にやられたりは……しないと思うけど。


 鈴奈庵に着くと、祭りも最終夜の部という感じで、朧気な明かりが増えて酒の様な物を飲んでいる人が多い。
 あんまり子供も居ないようだ。ませているのか無駄に元気なのか区別のつかないような燥いでる子供も居るが……。
 小鈴ちゃんを鈴奈庵に下ろして起こし、旅行鞄を店内に運ぶ。

「あー、疲れた。これで全部片が着いたってことでいいのかしら」
「ふぁ。そう、ですね……お疲れさまでした……」
「……ねぇ小鈴ちゃん。小鈴ちゃんは妖怪にとって良くない展示だって、分かってなかったの?」
「私はそこまで思い至りませんでした……。ただ、私も本の持つ力というのは知っていますから、ちょっと配慮がたりなかったかも……本当にありがとうございました」
 目をこすりつつ、またお礼を述べる小鈴ちゃん。もしかしてわざとやったんじゃないかと思ったが、流石にそれはないか。
「いいわよ、店を手伝うって言ったけどこんなことに成るとは思わなかったけど」
「私も驚きですよ、展示は殆ど出来ませんでしたが……霊夢さんだけでも色んな本を見せられてよかったです」
「もう桃太郎は懲り懲りだけどね。これ以上変な桃太郎が出てこない事を祈るわ」
 そう言ったら、小鈴ちゃんは良いと寝ぼけが合い混じった足取りで私に顔を寄せた。
「何を言ってるんですか霊夢さん。桃太郎はこれからもきっと出てきますよ」
「……なんで?」
「良くも。悪くも。人間って変わっています……だから書かれます。妖怪がいなくなろうが永遠に……」
 そう言ってふっと嗤う姿が何処か妖怪じみていて、少しだけ怖かった。

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