Coolier - 新生・東方創想話

さがしたい

2013/09/06 22:48:57
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「死体を探しに行こうよ、ナズちゃん!」

「ああ、また何か変なものに影響されたんだね」


 梅雨も明け、ジワジワとうだるような熱さが鬱陶しい初夏の午後。
 この暑さじゃあ仕事にならないなと、毘沙門天代理の監督業務を放り投げ、ナズーリンは住処の掘っ立て小屋で一人静かに過ごしていた。
 小屋の軒先に吊るしてある、鳴りそうで鳴らない風鈴を恨めしく睨む。
 その様は動かざること山の如し。
 風鈴ではなく山鈴と改名するべきなんじゃないかと、ナズーリンは毒づいた。
 
 
 ――――こんな日は、誰にも邪魔されず、静かで、豊かに過ごすのが一番だ。
 
 
 そうナズーリンが思った矢先に、人間の少女が一人、勢いよく駆け込んできたのだった。

 
 くりっとした目が印象的な少女だ。
 服の袖から覗く卵のような丸みを帯びた二の腕が、未だ子供らしい。
 小麦色に焼けた肌は、毎日燦々と輝く太陽の下を走り回っている少女の快活さを物語っている。
 少女は、いつも大輪の花のように明るく笑う。
 その笑顔が周囲を和ませている様は想像に難くない、そんな少女だ。
 
 ネズミの大将としては、何ともネズミ受けしそうな柔らかな肌だな、とナズーリンは秘かに思っていた。


「む、変なものじゃないよ! 多感な時期の12歳の少年の行動や心理、友情を描いた名作だよ!」

 そう言うと、少女は一冊のしおりをナズーリンへ向かって嵐を伝える雷のごとく突き出した。
 ナズーリンが初めて出会った時から一貫しているが、この少女は行動がいちいち大仰だ。
 
「ふむ…………スタンドバイミー?」

「うん、月一回の鑑賞会で見せてもらったんだ、昨日」

 守矢の巫女主催のビデオ鑑賞会の事だ。
 人里の子供限定で、外の世界から持ち込んだ録画された映像を見せる催しがある。
 河童を酷使して電気を約二時間分確保し、大き目の白い無地の垂れ幕に映像を映し出す仕組みらしいが、詳細を知る者は少ない。
 なんでも文明化啓発運動の一環だとかなんだとか。
 やけに息巻いていた緑巫女が印象的であったと、ナズーリンは記憶していた。

「その映画によると、12歳の時のような友達はもう二度と出来ないらしいの! だからこそ! その時の友達と一生忘れられないような思い出を作るべきなの! 今!」

 鼻息を荒くして少女は語る。
 少女は今12歳。同い年の子供を描いた物語を見て何か感じることがあったのだろう。
 まるで誰も見つけていない財宝の情報を手にした盗賊のように、沸々と湧き上がる衝動を持て余しているかのようだ。

 しかし、とナズーリンは溜息をつきながら思う。
 ナズーリンは姿こそ童女のようだが、人間の生と比べるべくもなく、妖怪としても決して若いとは言えない。
 子供が活発なのはいいことであろうが、その余りある活力を向けられると、ナズーリンはどうも付いていけないという思いが先行してしまうのだった。
 どうしても、一歩引いてしまう。

「ふむ、まあ、話はわかったよ。確かに若い時の友人というものは得難いものだ。君と私が、その、友達というのも、まあ話が進まないからね、良しとしよう」

「ナズちゃんも素直じゃないなー」

「………とはいえだ、何でそこに死体という単語が出てくるんだい?」

「映画でやってたから」

 何言ってるのナズちゃん、と言わんばかりの声色でナズーリンは即答された。

「いやいや、そこはもっと深く考えるべきところだろう。思い出を作りたいと言うなら、わざわざそんな血生臭いものを探さなくても」

「だからこそ、なんだよ! ナズちゃん!」

 話を途中で切らないで欲しいが言っても仕方ない、とナズーリンは先を促す。

「つまり?」

「死体探しという他人にはなかなか言えない様なある種秘密めいた非日常の経験を共有する事によって個々人の結びつきを強固なものとし死の発見をすることで逆説的に生の発見すなわち自己の発見を促して今後の人生の生き方を模索するひとつの指標となるような――――」

 ナズーリンは半目になりながら、ペラペラと少女から先程押し付けられたしおりをめくった。
 第九回守矢映画鑑賞会とタイトルが付いているそれは、企画の概要と守矢の一柱のコメント、映画の簡単な紹介と、ページ狭しと書き込まれた批評文から構成されていた。

「ああ、そういう風に書いてあるね、このしおりに」

 緑巫女の批評である。二ページに渡り、延々と映画の見所や考察などが書かれていた。
 天狗の新聞に連載でも持てばいいんじゃないかあの巫女は、とナズーリンは溜息をついた。

「いや、ええとね?」

 目を泳がせる少女。

「つまり、碌に考えもせず勢いだけで言ってみたと。さらに言えば映画の真似事もしてみたいと」

「…………そんなジト目で見ないでよナズちゃん~」

 困ったときの常がそうであるように、少女は涙目でオロオロとしてみせる。
 ナズーリンは、そんな様子の少女に、これまた常がそうあるように溜息をつく。 
 
「で? いつ行くんだい? まさか今からとかは言わないだろうね」

 その言葉でパァと花が咲いたような笑顔を浮かべる少女のチョロさに、ナズーリンは少女の行く末を少し不安に思った。

「ホントは今からでもいいんだけど、準備もあるもんね。泊りがけの上に野宿するんだから、しっかり安全対策しとかないと」

 聞き捨てなら無い言葉を聞き、ナズーリンの表情が固まる。
 野宿とか冗談だろう? といった顔だ。

「ちょっと待ちたまえ」

「だってお星様の下で今後の人生について語らないといけないんだもん。そこが一番の見せ場と言っても過言じゃないんだもん」

 ダメ? と、少女は上目遣いを駆使してきた。
 弱々しい目遣いとは裏腹に、着物の裾をギュッと握り、不退転といった様子である。
 少女は我侭を突き通す腹積もりらしい。
 
 やれやれ、とナズーリンは再度溜息をつく。
 こうなった少女が言って聞いた事は、出会ってからの約一年間、一度足りとてない事をナズーリンは思い出す。
 
「ちゃんと親御さんに報告する事、私の指示には忠実に従う事、この二つが条件だよ」

「うん! ありがとうナズちゃん!」

 見ていて気持ちの良くなるくらいの笑顔を浮かべる少女。
 
 その笑顔に、本当にチョロいのは誰なのか。
 ナズーリンは、本日何度目になるかも忘れた溜息をついた。
 
 いつしか夕刻となり、黄昏色に空が染まる。
 鬱陶しかった暑さも幾分は和らいだが、このまま今宵は熱帯夜となることだろう。
 今宵の寝苦しさを思い、雲ひとつない夕焼け空の下で、ナズーリンは暗雲立ち込める心地となった。
 
 家路につく少女を途中まで見送り、そういえば、とナズーリンは小屋の軒先を見上げる。
 その視線の先にはチリンチリンと涼しげに音を奏でる小さな鐘鈴。

 結局、少女が帰るまで、風鈴は鳴らず終いだった。



 一週間後。
 太陽がその姿をあらわにし始めた頃。
 今日も暑くなるぞと言わんばかりの纏わりつくような大気のうねりを感じつつ、ナズーリンと少女は死体探索の旅に出た。
 旅と言っても、そんな大げさなものではない。
 ナズーリンの相方は、いくら活発で元気がいいといっても人間の少女。
 体力的にも精神的にも、少女の希望に沿うと、せいぜい魔法の森の奥地辺りまでが限界である。


「さあ、いざ行かんナズちゃん! 迫り来る列車と対峙する心の準備は十分かっ?」

「…………おー」

 森の中から列車が飛び出る状況など有り得ないだろうと思いつつ、ナズーリンは少女の声に応えるように控えめに腕を上げる。

 二人は魔法の森の入り口までやってきていた。
 魔法の森は、初夏の明るい日光などとは無縁であるかのように、暗くひっそりと沈んでいる。
 その様がまるで幽霊でも集まりそうな雰囲気で、ナズーリンは涼しくて避暑地としては良いかなと趣旨とは大分外れた事を思った。
 
 ナズーリンは、これから起こるであろう厄介事に思いを馳せる。
 たかが一泊二日。されど一泊二日である。
 ナズーリンは一週間掛けて荷物を厳選し、眷属たちも数匹随行させる事とした。
 万が一の事態にも、これで対応できるだろうとナズーリンは踏んでいる。

 
 そんな事を考えていると、隣ではしゃいでいた少女が一歩、そのままの勢いで森の中へ足を踏み入れた。


「う……?」

 気持ちの悪い何かに纏わりつかれたかのように、身をよじる少女。
 魔法の森は年中瘴気に包まれ、人間では長居が過ぎると健康に悪影響をもたらす。
 だが、丸一日程度いた所でどうこうなるようなものでもない。精々、身体が気だるくなる程度だ。

 しかし、少女にとって瘴気が渦巻く地に身を投じるのは初めての経験。
 さながら、初めて大地に立つ小鹿である。 
 気後れの一つくらいはするだろうと、ナズーリンは少女を激励するように声を掛けた。

「どうしたんだい、怖気づきでもしたかい?」

「ッ! まっさか!」

 全身で感じたであろう怖気を振り払うようにして、少女は森の奥へと足を進める。
 微笑を浮かべながら、それに続こうと重たげな背中の荷物を担ぎなおし、前へ踏み出すナズーリン。

「………………?」

 その時、一瞬、少女の後ろ姿が、陽炎のように揺らいだ気がした。
 
 
 ――――ひょっとしたら、今日は森の瘴気が強いのかもしれない。
 
 
 ナズーリンは、一層の警戒を随行する数匹の眷属たちに命じ、自らもまた構えを新たにするのだった。




 行き先は少女が先導した。
 朝だというのに光が十分に届かず薄暗いままの森の中を、二人はゆっくりと進む。
 日光が届かないため熱い光線を直接体に浴びることはないが、代わりに纏わりつく生暖かい湿気と瘴気が体力と気力を奪う。
 やはり、今日は瘴気がいつもより多く大気を舞っているようだ。
 避暑地に良さそうとわずかでも思ったことを、ナズーリンは苦々しく後悔した。

 少女は、そんな悪環境をものともしないといった様子だ。
 それは若さゆえの鈍感さなのか少女生来の勇敢さなのか。
 草むらにひっそりと隠れている死体がないか覗き込み。
 はたまた、木から項垂れるようにして死体がぶら下がっていないか指先で確認する。

 ナズーリンは少女の様子を確認し、問題無さそうだと判断する。
 そして、何か面白そうなものはないかと、いつもは首から提げているペンデュラムを手首に巻きつけダウジングを始めた。
 しかし、特にその行為に注意を払っている気配はない。完全にながら作業である。
 
 ナズーリンにとって、ダウジングや眷属たちに命じて死体を探し出すことなど容易い事だ。
 しかし、そんな事をここでする程、ナズーリンは野暮ではない。
 これは死体探しではなく、思い出づくりなのだから。

「う~ん、見つからないなあ」

「まあ、死体なんてそうそう転がってるものじゃないよ。それに、妖怪や野生の動物たちの餌になって骨も残らない場合も多いからね」

 そうなの~、と少女が残念そうな声を上げる。
 しかし、死体発見の可能性の低さを示唆したところで、簡単に諦める少女ではない。
 それは、今まで何度も少女の思いつきに付き合ってきたナズーリンの骨身にしみていた。

「やれやれ。ああ、そのキノコには触らないように。それ、猛毒だよ」

「ええ~、こんなに面白い形してるのに?」

「毒キノコなんてそんなものさ。中にはしばらく匂いを嗅ぐだけで幻覚や幻聴を引き起こすものもある。精神的に弱っている時など簡単に譫妄状態になってしまうから気をつけた方がいい」 

「へえ、人里にもそんなのあるのかなあ」

「いや、この魔法の森には特に奇妙な物が多いから」

 ふと、ナズーリンの中に、涼やかで、柔らかな、一陣の風が過ぎ去った。
 それは懐かしさだ。
 もう一年以上前となる出来事である。

「そういえば、君と初めて出会った時も似たような会話をしたね」

「あー! そうだったそうだった! あの時は冬だったよね」

 冬で、特別に冷たい日だったとナズーリンは記憶している。
 その日は氷精がはしゃいだ結果なのか、湖が一面氷で覆い尽くされ、ナズーリンも珍しいといえば珍しい氷の絨毯を見物しに来ていた。
 ひと通り眺め、これ以上冷気に触れていたくないとナズーリンが帰ることを決意したその時。
 とある元気の良い人間の少女が、湖に張る氷面へ勢い良く飛び乗ろうとしているところに、珍しく老婆心を出して声を掛けたのが始まりだった。

『ああ、止めておいた方がいい。そんなに勢い良く飛び乗ったら、氷の絨毯を蹴破ってしまうよ』

『えっ!? 私、そんなに重くないよ!』

『重くなくても蹴破る時は蹴破るものさ』

『むむむ、折角のチャンスなんだけどなあ』

『これからも機会はあるさ』

 その時は、少女は大人しくナズーリンの忠告を受け入れ、勢い良く飛び乗りはしなかった。
 しかし、やはり氷結した湖に足を下ろすという誘惑には勝てず、少女は慎重な足取りで氷地に立つ。
 その感動たるや凄まじいものだったらしく、結局自らの内なる衝動に負けて湖を駆けずり回り、ものの見事に薄氷を蹴り抜いた。
 さすがに、毘沙門天に仕える身で、目の前で凍死しそうな少女を見捨てるというのは問題がある。
 元より子供というものは御しがたいもの。
 なんとなくそうなるんじゃないかという予測していた通り、ナズーリンは迅速かつ的確な救助を行い、まあこれも何かの縁かと自らの掘っ建て小屋へと少女を運んだ。

『あ、あ、あ、ありが、が、が、とう、う、う、う、う』
 
『礼なら、もう少し落ち着いてからでいいから。ほら、この白湯でも飲んで温まり給え』

 なかなか少女の震えが止まらず、結局ほぼ一日少女の回復に付き合う事になった。
 
 それから、命蓮寺やどこかに散策へ出かける時、小さな賢将の目に何かとお騒がせな少女が目に付くようになって。
 いつの間にか、ナズーリンと少女は示す合わすことがなくとも、二人でいる時間が多くなっていった。
 それは、ダウザーとしてあちこち移動するナズーリンのマメさと、面白い事を探してあちこち駆け回る少女の生活圏が重なるというのが主因であろう。
 しかし、それだけでは所詮妖怪と人間。ただの『隣人』同士で終わる目算が高かった。
 冷静で少しばかり厭世感の強いナズーリンと活発だが全体的に考えが足らない少女。
 性格は正反対の二人が不思議と馬が合った、ということなのか。もしくは、思ったよりも深い縁が結ばれていたのか。
 
 少なくとも、ナズーリンはそのどちらかだろうとは思っている。
 しかし、二人が共に居られる時間も残り少ないだろうとも、思っていた。

 やはり、どう言い繕ったところで所詮は妖怪と人間なのだ。
 時間が立つにつれ、正確には人間が子供から大人に近づくにつれて、別離は確定的なものとなってしまう。
 

「いや~、まだ一年とちょっとくらい前の事なのに、すんごく前に感じるね~」

「そういう君は、この一年でちっとも変わらなかったね。その年齢ならもう少し変化があっても良さそうなものだけど」

「む。ちゃんと背ものびたし! 胸もおっきくなったし!」 

「いや、そういうことじゃなくてだね」

 
 ――――そのとき、唐突に大気が止まった。
 

 空気を渡る塵も、ざわめくように揺れていた木々も。
 少女と自分以外のモノが全て止まったかのようだとナズーリンは思った。
 それは一瞬の静止であった。
 そして、続き森の陰影が微風でゆらりと静かに揺れる。
 大した風ではなかった筈だ。
 しかし、ナズーリンにはまるで森全体が揺れたかのように感じられた。
 

「わかってるよ、ナズちゃん」

 先ほどの揺らぎの影響だろうか。
 少女を覆っていた木々の影が先程より濃いものとなっており、ナズーリンの位置からは少女の顔がよく見えない。

「…………?」

 周囲の気温が少し下がったかのような感覚。
 ナズーリンは、冷気のようなものに自分の腕を撫でられたような気がした。

「ねえ、ナズちゃん。こんな話知ってる?」

 何を、と言う前に少女が言葉を継ぐ。

「自分が死んだって認めたくなくて、必死に自分の死体を探す女の子の話」

 いつしか、冷気のようなものは明確な寒気に変わっていた。
 少女のそれまで纏っていた空気が変質し、ナズーリンに届く。
 
「その子はね、きっと永遠に続けるよ。だって死んじゃったなんて認めたくないもんね。ずっと遊んでいたいもんね。たとえ周りが変わっちゃっても、その子だけは変わらないでずっとずっと」

 その気持ち、凄くよくわかっちゃうな、とまるで何かに祈るようにして、少女は呟いた。
 そして次の瞬間には、何事もないかのように少女は再び歩き始める。


「……………………」

 
 ほんの数十秒の間に起こった、小さく異質な変転。
 そして、少女から発せられた、あってはならない変質。
 しかし、ナズーリンは一言も発さず、少女の後を追った。
 
 少女が危険なものに手を伸ばそうとすると、横からナズーリンの制止の声が届く。
 そして他愛もない日常話や思い出話に花を咲かせる。
 冷たさなど感じさせない、暖かいやり取りが続き――――
 そうして日が頂点に昇る頃には、纏わりつく湿気は元の生暖かい不快さを完全に取り戻していた。
 

 
 
 鬱蒼とした木々を抜け、ナズーリンと少女は少し開けた場所に出た。
 時刻は、やや遅めの昼といったところで、これからが一層気温が上がる時間帯だ。

「うん、ちょうどいいね。ここでお昼といこうか」

「さんせ~い! いや~、すっかりお腹減っちゃったよ~」

 ナズーリンは背負っていた荷物を降ろし、風呂敷を敷いて食事ができる態勢を整える。
 昼飯は各自家から持参していた。
 ナズーリンは、大き目の白い三角むすびと焼いた川魚、レンコンの弁当。
 対する少女は、ゆうにむすび五個分はあろう大きな三角むすびが一つだけ。
 しかし、そのむすびの中には多彩な具材が入ってるようで、一口一口が飽きない新感覚むすびであるらしい。
 
「午前中いっぱい探したけど、死体見つからないね~。珍しいキノコくらいしか見つけられないのは何なんだろ」

 何か面白いものでも見つかってもいいのに、と少女が口を尖らす。

「入口からほぼ真っ直ぐに注意深く進んだだけではそれが当たり前さ。それも険しい獣道じゃなくて、ある程度踏み固められた人道を通っていては、なおさらさ」

「む~、そういうことは早く言ってよ~」

 少女が可愛らしく口を尖らせる。

「そうは言っても、私が迂闊に口を出したらすぐに終わってしまうよ?」

 それでもいいのかい? と、ナズーリンは少し意地悪く少女に尋ねる。

「…………わかってるよ~」

 ナズーリンの正鵠を射た指摘に少女が不貞腐れる。
 目的は、あくまで思い出作り。死体の発見の有無は、それほど重要ではないのだ。
 発案者である少女が、その事を忘れていない事に安堵し、ナズーリンも昼食を楽しむ事にした。
 
 そんな時、それまで姿を見せずにいたナズーリンの眷属たちがどこからともなく可愛らしい泣き声と共に少女の元に駆けてきた。

「あ、こら」

 ナズーリンの制止の声を物ともせず、そのまま少女の肩まで一気に駆け上がるネズミたち。
 少女も別段嫌そうな素振りも見せず、それどころか溢れんばかりのむすびの具をネズミたちに分け与えていた。

「……すまないね、もう少し厳しく躾けておくよ」

「ん~、聞こえないなあ。っていうかネズちゃん達も来てたんだね。せっかくだし、お昼ご飯食べた後は、一緒に行こうよ」

 ――――それでは眷属たちを連れてきた意味が薄れる。
 
 ナズーリンは、眷属たちに危険なモノが進行方向にないか、もしくは迫ってきていないか、全周を警戒させていた。
 それは、ナズーリンと少女がやや遅めの昼食を取るときも変わらず同様だ。
 本来なら、こうして少女の目の前に姿を表すということは、命令通りに動いているならば出来ないはずなのだ。
 それをどういうつもりなのか、ネズミ達は少女と楽しそうに戯れている。
 とんだ畜生共だと、ナズーリンは内心で深い溜息を付いた。

「わかったよ、ただ彼らも暇ではないからね。きっと果たさなければならない義務もあるだろうから、連れて歩くのはせいぜい二匹程度だよ」

 そう言いながら、ギロリと自らの眷属たちを睨むナズーリン。
 チュ、チュー! とまるで上官からどやしつけられた新兵の様な機敏さで整列する眷属たち。
 
 そんな様子を見ながら、少女はむすびに齧り付こうとし、少女が思っていたよりもかなり小さくなってしまったむすびの無惨な姿に気づく。

「あ、あばばばば、ち、ちいさくなっちゃったー!」

「ほら、言わんこっちゃない。どうせ、何も考えず適当に分け与えたんだろう」

「だ、だって、ナ、ナズちゃん~」

「……ほら、もっとこっちに寄り給え。私のを少し分けるから」

 面目ねえ面目ねえ、と目を潤ませてナズーリンの弁当に箸を伸ばす少女。
 仕方ないな、というように肩を竦めるナズーリン。
 関係性だけを見れば、あるいは二人は仲の良い姉妹のように見えたかもしれない。
 
 食事を終えると、少女は行儀悪く仰向けに寝転んだ。
 大の字になって、微動だにせず、一言も発する事無く、全身で大地と大気を楽しむ少女。
 その姿は、端から見ると野晒しにされた死体のようだが、その実、そんなモノからもっとも縁遠い位置に少女は属している。
 瑞々しく、およそ衰えという言葉を知らない体。一つの場所に留まる事を知らない活き活きとした心。

 ナズーリンは、少女のそんな様子を見ながら、内心でホッと胸を撫で下ろす。
 やはり、先程の少女の変質は気のせいだったのだと。
 ただ単に、魔法の森に漂う妙な空気に当てられただけなのだと。
 
 ナズーリンは、わだかまっていた胸中の不安を晴らすように、空になった弁当箱を荷物の中に押し込んだ。



 
 気が付けば、もう辺りは夕闇の暗さが辺りを支配していた。

「さて、ここまでは概ね予定通りの進捗だね。今夜はこの辺りを寝床としよう」

「う~、死体死体死体~。死体が見付からないよ~」

「聞けば映画でも死体が見付かったのは夜が明けてからなんだろう? 明日に期待しておけば良いさ」

 ナズーリンと少女は、魔法の森を抜け、玄武の沢まで来ていた。
 サラサラと流れる川の側で、ナズーリンは薄暗の中、慣れた手つきで獣避けの焚き火の準備を始める。
 少女と一緒にいたネズミたちも、本来は寝ている時間に働かせられていたためか、種の活動時間に逆らい既にどこかに眠りに行っていた。
 
 昼食後の探索は、空振りに終わった。
 変わった貴金属の類はナズーリンのダウジングで見つかりはしたものの、本命である死体はおろか死骸すら見つからない始末。
 少女も目に付くところは隅から隅まで探さんと頑張っていたが、その努力が報われることはなかった。
 少女の肩に乗っていた二匹のナズーリンの眷属たちも、少女による死体発見の役には立たなかったようだ。
 ナズーリンは、眷属たちに死体の匂いを嗅ぎつけても知らぬふりをするように厳命していた。
 しかし、その必要はなかったらしい。本当に、眷属たちにも死体や死骸を発見できなかったようなのだ。
 
 ナズーリンはその事実に、少々の不自然さを感じた。
 人間の死体を見つけられない事はあるだろうが、小動物の死骸まで見つからないというのは、おかしいのではないか。
 そう思いつつも、眷属たちの警戒網には何も引っかからないという事実が鎮座する。
 まあ、そういう事もあるかと、ナズーリンは警戒を緩めることは無いにしろ、それ以上の思考を止めた。
 
 どうやら今日は、ナズーリンと少女に死体との縁がなかったということなのだろう。
 

「さ、夕食といこう。保存食で何とも色気のないことだが、味は保証するよ」

「うん! ナズちゃんのチーズ美味しいもんね! いつもどうやって手に入れてるの?」

「それは秘密さ。独占できなくなるからね」

 え~、と声を上げる少女にチーズを手渡し、ナズーリンもチーズに噛り付く。
 
「ずっと気になってたんだけど、なんでナズちゃんチーズが好きなの? いや、美味しいけどさ」

「それはだね、お約束というかなんというか。ほら、よく年寄りが子供に甘いお菓子をあげたりするだろう?」

「あー、うん、あれ、嬉しいは嬉しいんだけど、お爺ちゃんお婆ちゃんがくれるお菓子って甘ったるすぎてあんまり食べられないんだよね。そりゃくれたら食べるし、基本的にお菓子は好きだけど」

「そう、お年寄りはなぜか特別に甘いお菓子が子供の好物だと思っている。子供達も決してお菓子が嫌いではないから、ありがたく食べる。けれど、子供達はそればかりが好きだというわけではない。甘いものより辛いものが好きな子供だって決して珍しくはない。そういった個人差もあるだろう。それと同じさ」

「? よくわかんない」

「チーズは個人的嗜好からして好きだが、それが一番というわけではなし。保存食として優れているから、ダウザーとしてあちこち移動する私は、よく食べているというだけさ」

 好きというなら、穀物系が一番さ、と締めくくるナズーリン。

「う~ん、わかるような気がするけど、それならお約束って何?」

「……幻想と偏見、かな」

 ますますわかんないやと、少女がお手上げといった様子でチーズを齧った。


 ささやかな夕食を終え、空を見上げると、そこには満天の星が広がっていた。
 空気は澄み、初夏にしては過ごしやすい夜である。
 どこか遠くから、獣の鳴き声が木霊する。
 炎を囲み、ナズーリンと少女はしばし無言となった。
 
「ん……」

「眠いなら、もう寝るといい。今日はずいぶん歩いたからね。明日に備えたほうがいい」

「うん……そうする」

 少女は、正座を崩す形で座っていたナズーリンの膝に、頭を落とす。

「こら」

「えへへ、いいじゃん」

 甘えたような声を出す少女に、ナズーリンは呆れ顔をしつつも、優しく少女の頭を撫でる。
 くすぐったそうに、身をよじる少女。
 そのまま、ナズーリンと少女は、静かに燃える炎を見つめる。
 ゆらゆらと燃える炎は、その種となっている枝や草を一つに溶け合わせるかのように揺らいで燃える。

 そして、ポツリと少女が何事かを呟いた。

「ん? すまない、なんだい?」

「あのね、私、最近よく同じ夢を見るの」

 夢心地のような声で少女が言う。

「靴がね、見つからないんだ。それでずっと家の中を探すんだけど、見つからないの。探してるうちに、お父さんやお母さんがご馳走作ってくれて、友達も家に遊びに来てくれてさ。でも、私はそれでも靴を探すんだけど、見つからないの。他の無くしちゃったものはいっぱい見つかるのに、ナズちゃんの家に行く靴だけが、見つからないの」

「……………………」

「最近、お父さんとお母さんがね、いい加減妖怪と付き合うのはやめなさいって五月蝿いの。人間と妖怪は生きる世界と時間が違うんだって。碌な事にならないんだって」

 それは事実だ。
 少女の両親の言うことは、妖怪と人間の過度な交流を抑止するための定型文として申し分ない。
 
「私、気づいてるよ。ナズちゃんが私の名前呼んでくれないの」

 ナズーリンは、何も答えない。
 お互いに、顔を合わせることなく。
 目と目を交し合うことなく。

「…………おやすみ、ナズちゃん」

「…………ああ、おやすみ」

 そうして、少女は眠りについた。
 

 ようやく、ナズーリンは理解した。
 少女にとって、この死体探しは通過儀礼なのだ。
 そして、ナズーリン自身にとっても、選択を迫られる時なのだ。

 誰に憚られることのない正真正銘の友人となるか、多くの人間と妖怪がそうであるようにただの気の置けない隣人となるか。
 
 今後を思えば、選択の余地はない。
 前者を選べば、少女を取り巻く環境は、少女の将来に対して刃を帯びることになるだろう。
 妖怪と無邪気に友人で居られるのは、分別のつかない子供の時だけ。
 もし、少しでも少女のことを想うのであれば、選択は明白だ。
 賢しさを持ち合わせなくとも、その程度のことはわかろうものだ。

 そこで、ナズーリンは思い返す。
 現在、ナズーリンと少女は、お互いの姿を見つければ、必ずどちらかが声をかける。
 少女などは、どれ程遠方からでもナズーリンの姿を見つければ、猛烈な勢いでナズーリンの元まで駆けてくる。
 
 しかし。
 
 後者を選べば、それはなくなる。
 道で出会っても、ナズーリンと少女は、良くてせいぜい会釈を交わす程度で、通り過ぎるだろう。
 隣人と一言二言会話を交わすことはあるだろう。
 隣人が命の危険に陥る場に居合わせば、助けはするだろう。
 だが、それ以上の関係など築く余地はない。
 それが、隣人なのだ。
 
 つまり、膝の上に乗る重みと暖かさは確実に失われる。
 
 けれども、隣人としても、良き隣人として少女の思い出の一つにはなれる。

 タイムリミットは、明日が終わるまで。あるいは、少女が死体を見つけるまで。
 それまでに、ナズーリンは少女との今後について、答えを求められている。

 


 翌日。
 刺すような日の光で目覚めた二人は、朝に微睡むことなく朝食のチーズを齧り、活動を再開した。
 
 当初は、玄武の沢を更に奥へ進み昼を少し過ぎた辺りには帰宅する予定だったが、昨日以上に森全体に漂う瘴気が強く、長いは無用とすぐさま帰るように予定を変更した。
 ナズーリンは、空を飛んででも帰るべきかとも思ったが、少女の希望もあり、徒歩で帰ることとなった。
 たしかに早めに切り上げたほうがいいというだけで、緊急性もなく、寄り道もせずにただ帰るだけなら、歩きでも何も問題はないはずだった。

 結局、死体は見つけられずに終わることになるが、それは仕方ない。
 元より、それはただの目標であり、目的ではなかった。
 思い出作りなら、既に昨日の夜の段階で達成されているだろう。
 新たな問題、否、避けられない問題が浮上したという事はあったにせよ。
 
 それに、その問題の解決策はすでに用意されている。
 ただ、その解決の仕方に種類があるだけで、後はそれを選ぶだけなのだ。

 ナズーリンは、帰りの道程を一歩一歩踏みしめる。
 もう二度と、こんな事はないだろうからと。
 せめて踏み出す足の感触を覚えておこうと。


「…………ねえ、ナズちゃん。何か変な声聞こえない?」

 昨日通ったルートと同じ道を森の入り口に向けて歩いていると、少女が怪訝そうな声でそう言った。
 既に、入り口まで半分以上を切っている。
 このままのペースだと、昼前には確実に森を抜ける行程だ。

「……いや、声らしいものは聞こえないな。どんな声だい?」

「なんていうか、助けて、みたいな」

 ナズーリンは、何匹か眷属たちを呼びつけ確認したが、そんな空気の振動はないと眷属たちは報告した。

「ふむ、これはどういうことだろうね」

「や、やっぱり聞こえるよ! ダメだ! 私、行かなきゃ!」

 焦ったように、道ならぬ道へ向けて走り出す少女。

「な! ちょ、ちょっと待ちたまえ!」

 速い。
 考えられる限りのムダのない走りで、ナズーリンには知覚できない何かに向かって疾走する少女。
 人間の少女の走りにしては破格な速度だ。

 ――――こっちも急がなければ置いて行かれる!?

「ッ! 君等はこのまま彼女の背中を猛追しろ! 私は何が起こっているか進行方向に何があるか、空から先回りする!」

 眷属たちに急ぎ指示を飛ばし、背の荷物をその場に置くや否や、上空へ飛翔する。
 次の瞬間には、ダウジングロットとペンデュラムを使い、少女の走り去った方面に向け、ダウジングを開始した。
 人の大きさはあるであろう三つの青いペンデュラムが顕れ、ゆっくりと動き出す。
 
 
 ダウジングとは、本来使用者が持っている潜在意識の力を使う。
 潜在意識下では、生物は様々な情報を捕らえている。
 その情報を、無意識的に、限定的に抜き出し、意識面へと浮上させるための術がそれだ。
 ナズーリンならば、己の獣性、妖性、仏性からそれを導き出せる。
 しかし、それでは効果の範囲に限界がある。
 色即是空や無念無想の境地にまで達した者ならばともかく、所詮、個人の潜在意識は個人に帰結する。
 無自性空などと、それこそ聖人の域の話だ。
 故に、ダウジングでは己の識らぬことを、具体性を持った形で識ることはない。
 
 
 だが、ここに例外が存在する。

 
 ここは幻想郷。
 何よりも自然が身近で、妖精などありふれている。
 妖精とは、自然の、ある程度の人格性が具現化したものだ。
 そして、それらは常に独自のネットワークでコミュニケーションを取っている。
 その声を、ネズミの優れた超音波領域の聴力によって、潜在意識下でナズーリンは聞き取る。
 自然が、ナズーリンに本来なら具体性を持って知りえぬ情報を、分かりやすくそのままに教えてくれる。
 
 高尚でなくわかりやすく、身近でありふれているものを、利用する。

 
 ――――――――故に、卑近なダウザー。


「ッ! なるほどねッ!」

 情報の引き上げと再構成を瞬く間に終えたナズーリンは、急ぎ少女の元へ向かう。


 
 喧騒が森の木々を揺らす。
 ナズーリンが上空から少女の姿を認めたとき、既に状況は佳境へと差し掛かっていた。


「あ、ああああああ! なんで!? どうしてわかってくれないの!?」

 少女が中空に向かって泣き叫ぶ。
 髪を掻き毟り、己の言葉が受け入れられない事に悲嘆する。
 しかし、少女の目の前に、言葉が通ずるモノはいない。
 
「■■■■■■■■■!!!!」 
 
 いるのは、あらぬ方向に目が剥かせ、明らかに興奮し正常ではない野生の獣だけ。
 
「私じゃダメなんだ!? なんでそういう事言うの!? なんで何も言ってくれないの!?」
 
 普段の姿からは想像もつかないほどの支離滅裂な嘆きを、少女は中空へと有らん限りにぶちまける。
 正気ではない。眼にまともな光は無く、血走り、何かに怯えるようにして必死に叫ぶ。
 少女の目にしか映らぬ誰かに対して。
 少女にしかわからぬ言葉で。
 
「■■■■■■■!!」

 少女の気勢に呼応するかのように、獣も唸り声を上げる。
 口からは、夥しいまでの死臭が白い靄のようにして揺らめく。
 いったいどれだけの死体や死骸を口に含めば、眼に見える匂いなどというものが出来上がるのか。
 だが、その異質な獣の瞳には、少女の姿など映っていない。獣もまた、怯えているのだ。
 目の前で咆哮する少女に、獣は異形の何かを見ているのだ。
 目の前の正体不明のモノを唯の肉塊にせんがため、獣はその爪を突きたてようと少女に向け跳躍する。
 
 しかし、飛来するいくつもの影が、それを阻む。

 ナズーリンの眷属たちだ。
 眷属たちは、これ以上少女と獣が近づくことが無いように、己達の大将が現れるまで、必死に少女を守っていた。
 
 その様子に、己が眷属たちの勇士に満足し、ナズーリンはひとまず獣を追い払うため、ロッドを大地目掛けて投げつける。
 
「■■!」

 巻き上がる粉塵。逆巻く風。
 槍のように投擲されたロッドは、その形状の特性を無視し、地面に対し垂直に直立する。
 
 突然の上空からの攻撃に、さしも狂乱していた獣も慄いた。
 そのままの勢いで、ナズーリンは地面に刺さったロッドの上に立つ。そして獣を睨み、己の獣性でもって威嚇する。

 突き刺さりあう、鼠の獣性と獣の狂気。

「――――――――」

 しばし、場が硬直する。

 実際時間は、数秒しか経ってはいまい。
 巻き起こった粉塵が晴れるより先に、乱れていた狂気よりも己が命の保全の勝った獣が、ゆっくりと森の奥へと駆けていく。
 
「ふう…………さて」

 生命が脅かされる危機的状況の回避は成った。
 次は、狂乱に陥った少女の精神を、復調させねばならない。

 ロッドを強く回転させ、辺りの粉塵を晴らす。
 
 先ほどから、辺りは静寂が支配しつつある。
 叫び散らす少女は既に無く、変わりに憔悴した少女の呆けた姿が、ナズーリンと相対した。
 
 少女の突然の奇行に、しかしナズーリンは心当たりがあった。
 先ほどのダウジングで拾い上げた情報。
 魔法の森に生息するキノコのうち、とみに人間に対して幻覚・幻聴を引き起こすものの胞子が、昨日から大量に散布されている。
 森全体の瘴気の濃さも、無関係ではないらしかった。
 日頃から森を利用するものにとっては常識のようだったが、生憎ナズーリンは幻想郷においては未だ新人も同然。一キノコの生態を完全には把握しきれていなかった。
 そもそも人間に対して特別に効果のあるキノコなど、何かしらの魔法なり魔術なりがかかわっているに違いない。
 白黒の魔法使いにでも教えを請うべきだったかと、ナズーリンは後悔する。
 だが、精神が健全な状態であるならば、たいした被害は無かったのだ。
 しかし、少女には種があった。精神が狂乱状態になるだけの理由を、確かに持っていたのだ。

 平時なら何も問題なかったというのになんとタイミングの悪いことかと、ナズーリンは心中で悪態をつく。
 ともあれ、先ほど起こした風で、一時的に胞子は飛んだ。これ以上の悪化はない筈だ。
 急ぎ少女を連れ、一刻も早く森を抜けなければならない。
 
 そして、ナズーリンは少女の様子を改めて見る。

 くりっとした印象的な目は、今は何の光も宿さず、ただ虚空を見詰めるのみ。
 服の袖から覗く卵のような丸みを帯びた二の腕も、木の枝に引っかかったのか、傷だらけだ。
 少女の快活さを物語っていた太陽のような笑顔も見る影がない。
 
 あらん限りの感情を吐き出したせいなのか、糸が切れたように、少女は動きを止めていた。

「――――――――ナズちゃん、私は」

 そして、定まらぬ視線と震える唇で、少女はそう言い残し、その身を大地に投げ出した。
 
 少女の体と大地が重なり合う前に、ナズーリンが少女の体を抱きしめる。

「――――――――すまない」

 一体何に詫びたのか。
 
 ナズーリンは、少女を竹林の診療所に連れて行くまでの道程で、己の口から零れ落ちた言葉の所在を必死に考えていた。


 月の頭脳による処置は完璧だった。
 少女の体の傷は元より、胞子により異常をきたした心も、ものの数時間ですぐに復調させてしまった。 
 身体だろうと精神だろうとそれが傷であるなら師匠は薬で何でも治せるわよ、と受付で月の兎が言っていた。
 患者を安心させるための方便だと思っていたが、どうやら事実であったらしい。
 念のためと、ナズーリンも少女と同じような処置を受け、診療所でしばし体を休めた。
 二人の目が覚めた後、後遺症もなく歩き回っても大丈夫だと、主治医は太鼓判を押した。
 

「…………………………」

 すでに暗くなった道を、ナズーリンと少女は並んで歩く。
 湿っぽい大気が纏わりつく熱帯夜。
 涼やかさとは対極にあるその中を、二人は無言で足を動かす。
 少女は、狂乱状態のことをおぼろげながらだが、覚えているようだった。
 それは医者がそのように処置をしたのか、はじめからそういうものなのか。
 ナズーリンには判断がつかなかったが、ともあれ、交わすべき言葉を二人は失っていた。

 そしてそのまま、ナズーリンは少女を家の近くまで送り、別れた。
 少女も、何も言わず、帰るべき場所へ帰っていった。

 少女の瞳に、涙が溜まっていたことに、ナズーリンは気づいていた。
 

 その日の夜、ナズーリンは一睡もしなかった。
 
 けれど、苦しくも甘い思案の先に、ようやくナズーリンは答えを得た。



 
 翌日の夕方。
 少女が、ナズーリンの掘っ立て小屋にやってきた。
 
 若ければ怪我の治りも早いのかそれとも薬が良かったのか。
 元より傷があまり深くないということもあるだろうが、見れば少女の負った傷は、既に僅かにかさぶたを残すのみとなっていた。

 何事かあったのだろう。
 少女の眼が赤く赤く染まっている。
 まるで夜を徹して泣き明かしたかのように。
 まさしく駄々捏ねる子供として、泣き散らしたかのように。

 すべてを諦めた様に少女は言った。

「…………あのね、ナズちゃん。私、今日でもうナズちゃんとは」

 
 その言葉の続きが発せられるより前に、ナズーリンが少女の名前を呼んだ。


「結局、昨日は死体を見つける事が出来なかったからね。ダウザーとして、探し物を見つけられなかったというのは、沽券にかかわる」

 ナズーリンは、つっかえずに少女の名前を呼べた事に安堵する。

「だから、今度はもっと、入念に準備して出かけよう。何、君と私なら次はちゃんと見つけられるさ」

 そんなもの永遠に見つからなければいいと、そんなことを想いながら、ナズーリンは言う。

 結局、ナズーリンは少女の良き隣人にはなれなかった。ただの思い出になることを拒否した。


 突然の事にしばし呆けていた少女は、まるで長い間探していた宝物を探し当てた探索者のような笑顔を浮かべ、ナズーリンに抱きついた。

 
 端から見れば、それは紛れもなく、友人同士のじゃれ合いで――――――――

 
 時刻は既に黄昏時。
 
 太陽が沈む前、日光が最後の輝きを増し出す。
 
 近く鳴る風鈴の音。
 
 未だうだるような暑さの中で、一陣の涼やかな風が吹いた。




ネズミが特にチーズを好まないことを最近知った。
営内者
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コメント



0.290簡易評価
6.100名前が無い程度の能力削除
したいシリーズ第3弾でしょうか
途中でもしかして・・っておもったらハッピーなエンドでよかった
8.50名前が無い程度の能力削除
これからふたりで色んな景色を見ていくんでしょうね。素敵でした。
ただナズーリンに関して、どうしてそっちに行ったのかな? と疑問が残りました。
決心に至るまでの行動は「少女を守る」という点では一貫しているのですが、
「どう守る?」となるとどっちつかずに思えてもやもやします。
9.80奇声を発する程度の能力削除
終わり方が良いですね
10.90名前が無い程度の能力削除
読後感が良かったので
11.100絶望を司る程度の能力削除
良かった
14.90名前が無い程度の能力削除
ネズミはチーズが好きという偏見はいったいどこからきているのか。
読んでほんわかしました。
15.903削除
何というか、作者様の作品には独得の空気がありますね。
以前読んだ「したいこいし」に通じるところがあったように感じます。
タイトルからして意識しているのかもしれませんが。
雰囲気や二人の関係などはとても良く楽しめたのですが、
若干話の展開や、ナズーリンの行動に疑問が残りましたので-10の90点とさせて頂きます。