Coolier - 新生・東方創想話

砕殻妖忌

2013/08/26 16:51:14
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 満開になった桜の列が、遙か遠くまで続いていた。彼方はおぼろげな花霞となっている。
 途方もない数の桜を両側にした道は、街道と言ってもいいほど広く取られている。一面に玉砂利が敷かれ、その隙間を埋めるように桜の花びらが惜しみなく降り注いでいた。
 うららかな陽光が辺りを照らす。どこまでも続く道の先まで人の影一つない。小鳥の声が小さく聞こえるのみだ。
 突然の落下物に玉砂利が散る。衝撃音と苦鳴。落下物はバウンドして再び地に叩きつけられる。
「ぐ、うう……っ」
 うめき声を上げながら、白い胴衣に黒い袴姿の少女が立ち上がろうとする。木刀を持った手が震えながら小柄な身体を支え、だが崩れ、それでも再び支える。上半身のみがかろうじて起こされた。
 少女は、自らが飛んできた方向へ短い銀髪を向ける。頭を飾る黒いリボンは、幼さを残す顔と同じく、土埃にまみれていた。荒い呼吸の音の中、黒い瞳に映る桜並木の間から、長身の人物が現れる。
 桜の雨を浴びてゆっくりと歩み寄ってくるのは、老人。髪と同じ、雪のような白さの髭を、顔の下半分にたっぷりとたくわえている。白い胴衣と黒い袴は少女とは違い、まるで汚れが見当たらない。
 玉砂利を踏んで近づいていく。右手は短い竹刀があった。
 通った声が掛けられる。
「競り合いで飛ばしたのみで、身体の芯まで衝撃は行っとらんはずじゃが」
 少女の前方にできた落下点の窪みを見て、ふむ、と息をつく。
「着地に失敗したようじゃな。あれだけの距離を飛んどる間に、体勢を立て直すことはできたであろうにの」
 距離が狭まり、剣の間合いに入るその前に、少女は構えを取ろうとする。疲労と打ち身で悲鳴を上げる身体を叱咤し、膝を立て、木刀の切っ先を老人へ向ける。
 だが、その切っ先は揺れて定まらず、完全に立ち上がることもできない。呼気は千々に乱れている。
 対する老人は、桜の風景に溶け込むように穏やかだ。竹刀を持っていなければ、そのたたずまいはのどかに花見を楽しんでいるようにも見える。散策するかのごとき歩みは少女の前で止まった。剣の間合いの一歩手前。竹刀は下ろされたままだ。
「はぁ……くっ、ァ!」
 直立不動の老人を前に、少女はついに木刀を杖のようにして、勢いをつけて立つ。後方へやや飛び退く形となった。
「妖夢よ、それは悪し」
 妖夢と呼んだ少女に、老人が指摘する。
「考え無しに動くでない。読まれるような呼吸をそのままにし、かつ無防備な状態をさらすに、何の意味も無しとは何事ぞ。それを餌にするくらいの茶目っ気でも出せば釣られてやったものを、あまりの不味さに動く気も失せたわ」
 妖夢の息がひきつるように吸われ、両眼が見開かれる。よろめくように前に出たかと思うと、木刀の先が一瞬下がり、すぐさま顔面への突きとなって走った。
 直撃。
 だが、残像は手応えを感じさせることはない。代わりに妖夢の手首に鋭い痛みが走り、木刀を取り落とさせる。
「教えを忠実に守ったつもりかのう」
 小手を打った老人は、間合いを切って、妖夢が木刀を拾うのを待つ。
「真っ直ぐと馬鹿正直と、猪突猛進と四角四面を全部ごった煮にしておるな。そのような技を食ってやれるほど、この妖忌、悪食ではないぞ」
 妖夢は木刀を正眼に構える。腕はまだ痺れ、眼までが眩んでいる。それほどの小手だった。大きく息を吸い込み、吐いた。
 落ち着いて目の前の相手を見据えようと努める。自分の祖父であり師匠である妖忌は、竹刀を下ろしたまま微動だにしない。剣道の試合などでは、隙だらけの状態として扱われるものだ。打ち込んでしかるべき、なのに、打ち込めなかった。
 大上段から振り下ろしたなら、下から跳ね上げられ、無防備な身体をさらすことになるだろう。回り込んで袈裟斬りにしたらどうか。踏み込まれ、胴を打たれるだろう。無拍子からの突きなら……それは、先ほどと同じことになる。
 妖夢の目には見えてしまうのだった。師匠の長身が変幻自在に動き、自分のいかなる攻撃も容易く返してしまう結果が。
 そうして、間合いを詰めることはおろか、靴裏で玉砂利を鳴らすことさえできず、その場に縫いつけられていた。
「やアァッ!」
 窮して気合いを掛けるも、妖忌は反応しない。反応する必要がないといったように表情も変えない。
 妖夢は息を吸い、再び声を出そうとして、結局やめる。息が抜けた。意味を為さないと判断したのだ。
 そしてそれ以上、何もできなくなる。
「…………」
「…………」
 どちらも声を出さなかった。二人の間を桜の花びらが舞い落ちていく。
 静寂が妖夢の神経をさいなむ。
 妖忌の動きの空白は、妖夢にとって「無」ではなく「全」だった。何もないからといって落ち着けるはずがない。全方位からの攻撃を思わせるものだからだ。
 白眉の下から来る視線も、茫洋と前方を見ているようでありながら、その実全てをとらえているようで。背後からすら視線を覚えるほどだ。
 どう動いていいかわからない。考えれば考えるほど追い込まれているのだろう。そう頭ではわかっていても思考は取っかかりを得ることなく空回りし、精神はいたずらに消耗していく。
 その時、ふっ……と緩やかな風が身体を撫でた。
「おぅ?」
 妖忌の視線が手元にそれる。
 竹刀の柄が右手から離れていた。信じられないことだったが、事実、竹刀は地面に落ちてゆく。
 偶然。気が抜けたか。絶対の好機。
 思考の断片がまとまるのを待たず、妖夢は脳天に木刀を叩き落としていた。
 振り切ったとき、空が白くなった。いや、これは玉砂利。地面。天地が逆転している。
「がッ!!」
 背中を強く叩きつけ、妖夢の肺から空気が絞り出される。
 妖忌は徒手空拳で一歩踏み込み、持ち手に手を差し込んで、横担ぎに投げたのだった。
 白髭の老顔が少女の顔を覗き込む。
「相手に旨みを感じさせれば、このように餌となりうる」
 妖忌は口の端を歪め、
「これを味な真似と呼ぶ」
 ひょうきんに両の眉を上げた。そうして立ち上がり、笑みを浮かべたまま妖夢の反応を待つ。
 妖夢はバッと身を起こすと、妖忌の竹刀を拾い、地面に正座してそれを差し出した。
「見事な剣技、感服いたしました! 未熟な自分に、今一度ッ、今一度ご教授くださいっ!」
「む……」
 妖忌の口から笑みが消え、片手が持ち上がって髭を撫でる。やや失望に色づいていた。
(上手いことを言ったつもりだったがのぅ)
 声にならないつぶやきを漏らす。
「師匠?」
 その様子に妖夢が怪訝な声を掛けるのを、何でもないといったふうに手を横に振る。
「まだ『楽しむ』という境地には達しとらんということよ」
「は……? あ、いえ、申し訳ありません」
 理解の及ばないままの返事を、妖夢はした。
 楽しむとはどういうことなのだろう。自分のいない境地に妖忌が立っていることはわかる。しかし、生きるか死ぬかという真剣勝負を前提にした稽古において、何を楽しめというのかが理解できない。
 剣を極めれば、あらゆる相手の生殺与奪を握ることができる。その万能感を楽しめと言うことだろうか。いや、まさか。師匠がそのような残忍な発言をするはずがない。
「さて、ではこのあたりにしておこうか」
 煩悶する妖夢の手から竹刀を受け取り、妖忌は後を向いて歩き出す。
 妖夢は慌てて止める。
「あの、師匠、ですが、もう一手ご教授願いたく……」
「ふむ、確かにそう言っとったがの、さすがにもう止めにしないとまずいのではないかな?」
「まだへばってはおりません」
「そうではなく、朝食の準備をせねばならぬじゃろう」
「朝食?ですか?」
 疑問の声を上げてしまう。確かに支度をすべき時間である。それでも、あと一度くらいは無理強いできなくもないと考えた。手の込んだ料理を作るわけではないのだ。
 妖忌は思惑を察したのだろう、渋面を作った。
「……そういうことか」
 一人頷くと、そのまま向こうへ歩き出して妖夢を置いていってしまう。
「し、師匠!」
 妖夢は慌てて追いかけて、妖忌の斜め後ろにつく。
 妖忌は黙って歩き続けている。
 妖夢も沈黙を保ったままになってしまう。本当は何度も言葉を掛けようと思っているのだが、その度に声が詰まるのだ。
 自分が何か「まずい」ことをしたようなのはわかる。しかし、それが何であるのかがわからない。それがどの程度の「まずさ」かもわからない以上、問い掛けるか否かさえ決めかねるのだった。
「妖夢よ」
「は、はいっ」
 突如、名を呼ばれた。自分の疑問を察し、答えを与えてくれるのだろうか。
「お主はなぜ儂に勝てないと思う」
 与えられたのは問いだった。またしても意図がつかめない。
 勝てない理由……それは、先ほど自分が犯した「まずさ」と関連することなのか。そうだとしてどのように関連することなのか。
 問われてからわずかな時間しか経っていなかったが、焦りが喉奥から言葉を押し出した。
「自分が、弱いからでしょうか」
「それは問いを言い換えているだけに過ぎんな。自分の頭で考えていることは良い。しかし、であればなおさら、わからんならわからんと認めなければならんよ」
 妖夢は赤面した。苦し紛れの返答を的確に指摘されたのだ。
 「まずさ」との関連性は捨て、勝てない理由・弱い理由について答えることにした。浅い思考と叱責されるのは承知の上でだ。
「では……私が勝てないのは、師匠に比べ、技量・膂力・体格の面で劣っているからだと考えます」
「劣ってはおらん」
「えっ」
 驚きの声が出る。そこを否定されるとは思わなかったのだ。否定されるにしても、「そんなものは当たり前だ。もっと深く、根本的な他の理由を考えよ」などのような言を想定していた。
「確かに体格には差はあろうな。しかし、それをものともしない、むしろ身体のちんまいさを生かせるだけの技量をお主は備えとる」
「技量……私が?」
「一通りは身についとるよ。剣については他に教えることなぞない」
「しかし、それでは! 私はなぜ師匠に勝てないのですか!」
 思わず妖忌からの疑問をそのまま返すことをしてしまう。感情的にさえなってしまう。それだけ妖夢にとっては重大なことだったのだ。
 剣一筋に生きてきた。しかし、自分が強くなった実感はいつになっても持てないままでいた。鍛錬に鍛錬を重ねるほど、師匠との差が開くように思われてしまうのだ。自分に素質はないのではないかと落ち込んだのは一度や二度ではない。
 唐突に技量を認められはしたが、冗談のようにしか聞こえなかった。
「見当もつかないか。未熟だな」
「も、申し訳ありません!」
「そうではない。儂のことよ。自身の未熟さを省みておるのだ」
「はっ、はい?」
 またしても意味のつかめない言葉に困惑してしまう。
「お主に不足しているのは姿勢じゃよ。生き方と言ってもいい」
「生き方、ですか」
「そう言われてもわからんじゃろう。本来、口で説明することではないのよ。口で言っても形だけじゃ。お主の血肉となるかどうかは、お主自身が日々の生活でどう噛み砕き、どう吸収していくかに懸かっとる」
 妖忌はため息をついた。妖夢の方に目をやる。愁いを帯びた表情が妖夢の目に映る。
「儂の未熟さは、己の生き方によって弟子に伝えるべきを伝えられんかったことよ」
 何も言えず妖夢は固まってしまう。
 玉砂利を踏む音が鼓膜をこする。桜の花びらが春の陽気を乱している。
 わずかな時間が途方もなく長く思えた。
 妖忌は真面目な顔を崩さず、言った。
「ところで少々背中がかゆい。少し手を貸してくれんかの。ちょうど孫の手そのものがあって助かったわい」
 妖夢が目をぱちくりさせるのを確認すると、悪戯っぽく口の端を上げる。
「いや、何。弟子に背中で伝えられなかったのじゃから、背中は空白、何も書かれておらんということよの。ゆえに、弟子に『かいて』もらおうと思ってのう」
 そうして忍び笑いを漏らす。また上手いことを言ってやった。さあ、どうだ?
 だが、妖夢は背中をかくべきかと逡巡して右手をさまよわせているだけ。他の思考、動作は気配も感じられない。
 期待した反応が来ないことに、妖忌の笑みは微苦笑に変わる。
 前に振り返って、しばし考えているようだったが、やがて言った。
「そうよの。未熟な師匠なりに伝えようとしても良いかもしれん。お互い未熟者同士、通じ合うこともあろう。儂の未熟ゆえ、弟子の未熟の程度を量れておらん可能性もある。未熟と思っているほど、未熟ではないということもあるか」
「し、師匠、しかし……」
 恐る恐るといったふうに妖夢が言葉を注す。
「ん?」
「私には師匠が熟達してないなどとは納得できません。私と師匠の差はそれこそ雲泥のものであるとしか思えないのです」
「儂をしてからが、未だ尻尾の生えたカエルよ」
「カエル? 尻尾の生えた?」
「お主と同じでな。疑うなら、湯浴みのときにでも互いの尻を見せあうか?」
「なっ、ええっ?!」
 顔中を紅潮させて頓狂な声を上げる妖夢に、カッカッと妖忌が笑う。ようやく良い反応を勝ち取った満足の現れだ。
 まあ冗談はさておきの、と髭を撫でながら続ける。
「儂とお主との間に違いがあるとすれば、そうさな、お主は『井の中の蛙』で、儂は『小林一茶』ということじゃな」
「小林……なんです?」
「『悠然として山を見る蛙かな』」
 5・7・5の音調で述べる。ようやく妖夢にはそれが俳句で、小林某がその作者であることはわかったのだが、師匠が何が言いたいのかまではわからない。
 どちらもカエル。片方は井戸の中にあり、片方は山を見ている。どういうことだろう?
 妖忌は「今回はここらにしておこうか」と言って、質問する間を与えず、朝食の準備へと送り出した。
 釈然としないまま、妖夢は身を清めにゆくのだった。

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 膳を前にして正面に座るのは、西行寺幽々子。ここ白玉楼のお嬢様だ。
 フリルのついた薄青の着物はネグリジェ、頭部をすっぽり覆う帽子はナイトキャップを連想させ、また薄く開かれた目も相まって、起き抜けの状態にも見えるが、それが普段からの彼女の風体である。
 衣服以上に奇異な、額にある赤い渦巻き模様の入った三角巾はふざけているとしか思えないが、見てくれを以て彼女を侮る者はいない。そのようなナリであっても、彼女は恐るべき「死を操る程度の能力」を有しており、幻想郷の中でも上位の存在と見なされているからだ。
 幽々子は良家のお嬢様らしくたおやかに箸を運び、朝食の始めの一口を味わう。
 それを確認してから、幽々子の前で対面に座している妖忌と妖夢は、各々の膳に箸を動かした。
 膳に載るのは、白米の飯、大根と油揚げの味噌汁、野沢菜のお新香、蕗の煮物、そして目玉焼きだ。白玉楼の食事は基本的には粗食中心のものとなっている。
 障子を通して柔らかな陽光が差し込んでいた。炊きたての御飯や熱い味噌汁から上る湯気は、食欲をそそる匂いを帯びる。絵に描いたような、春の朝の穏やかな食卓。
 だが、食べている間、妖夢の頭の中では思考が巡っていた。その内容は場にそぐわない殺伐としたものである。
(もし、この状態から抜刀するならば、膳が邪魔にならないよう後ろに下がりながら行うべきだ)
 師匠の言葉を、「目の前の稽古だけではなく、行住坐臥、いつどこにおいても戦いを意識するべし」と解釈したのだ。
(いや、敢えてその場で抜刀し、膳を跳ね上げることで目くらましとする戦法もあるか)
 剣客たる者、不意打ちであろうとも、集団による闇討ちであろうとも、然るべき対応ができなければならない。そう教わったことがある。理解はしていたつもりだが、頭の中だけでのことだった。
 井戸の中から脱しなければならない。理念をただの理念でなく実践して生かすのであれば、日々の生活の中で実戦を想定せねばならないはずだ。
 食事の準備の際、考えに考えてそう結論づけて。妖夢は思考実験ならぬ思考実戦を行っている。
 味噌汁をすするときも、
(今、襲われたとしたら、相手の顔に味噌汁を浴びせることもできる。具をもう少し細かく刻んでいたら、目に入りやすかったかもしれない)
 目玉焼きをつつくときも、
(眼球……箸を広げて両の目を突くのは有効だろうか。威力と確実性を考えれば、そろえて片目だけを狙う方が良いだろうか)
 などといった、物騒な刃傷沙汰について延々と考えていた。
 当然言葉を発することは一切ない。発していれば周囲の食欲減退は必至であったろうが、幸いにもそこまで彼女は非常識ではなかった。
 妖夢だけでなく、三者共が黙々と食事を進めていた。他の二人が妖夢のようなことを考えているのではもちろんないが、口を開かないのは同じである。静かな食事風景。だが、重苦しい雰囲気はない。それが普段通りだからだ。宴会でもない限り、談笑しながらの食事は滅多にしない家風なのである。
 だから、斬った張ったのイメージトレーニングに没頭して一言もない妖夢に、表面上不自然さはなかったのだが……
「ねぇ、今日のお料理はぁ、妖忌が作ったんじゃないわよねぇ」
 ふと、幽々子がいつもの間延びした口調で、そんなことを言った。
 妖忌は箸を止めて「はい、左様です」と答える。
 数秒の間、目で会話していたが、やがて二人して妖夢に目を向けた。
 妖夢は、気づかない。自分の名前が出ればまた違ったのかもしれないが、二人の視線を察するのに時間を要した。
「えっ……あ、はいっ、な、何でしょうか」
 慌てて返答したため、箸から蕗がぽろりと落ちた。
 幽々子は口元を裾で隠して笑い、妖夢は赤らめた顔を伏せた。
「ついでに箸も転がしたなら、より美味しかったろうにの」
 妖忌はそうおどけて、
「嫌だわぁ、私もうそんな年じゃないわよぉ」
 と、一層幽々子の笑いを誘い、妖夢の顔を紅潮させた。
「さぁ、これ以上妖夢が粗相をしちゃわないようにぃ、早く食べてしまいましょうねぇ」
「か、からかわないでください、幽々子様」
「次の稽古もあるでな、蕗と戯れている時間はないぞ」
「師匠も!」
 そうして愉快なやり取りが為されたのであるが、……妖忌のその目の奥底に、深い思慮の色がたたえられていたことに誰が気づいただろうか。

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 朝食の後、妖忌と妖夢は再び白胴衣と黒袴に着替え、庭に立っていた。
 ただ、先の場所とは違い、剣を振るにはやや手狭であることが妖夢を戸惑わせていた。さらに言えば、師匠が丸め持っている巻物のような布地も何であるのかがわからない。藍色のそれは見覚えがあるようで、思い出せない。
 師匠の竹刀と自分の木刀を捧げ持ってたたずんでいた。何が行われるのだろうか。
 妖忌は舞い散る桜を眺めているようだった。早朝の膨大な桜並木ほどではないが、ここにも満開の桜は幾本もある。
 と、皺だらけの手が懐に差し込まれた。取り出したのは一本の──細く、短い、竹製の串だ。
 その意味を考えて、妖夢の手が汗ばむ。
(同じく未熟者、などと言われていたが……やはり、自分と師匠の差は歴然としてあるんだ)
 ここしばらくの稽古において、妖夢は木刀を使用しており、対して妖忌は竹刀、それも脇差の長さのものを使用していた。すなわち、間合いのハンデを与えられ、それでも打ち込まれるのはほとんど妖夢であるということ。実力差を象徴している。
 そして、今、
(ついに、木刀と竹串ほどに差は開いた、のか)
「木刀と竹串ほどに差は開いた、などとはよもや思うまいの」
 あっさり否定された。
 心中を読まれた妖夢が口ごもっていると、あきれたように妖忌は言った。
「半ば冗談のつもりじゃったが、図星とはな。いくら儂でも竹串でヤットウはできんわい」
 何をするかと言うとな、と再び桜が散るのに目をやり、
「しッ」
 鋭く息を吐いて、竹串を宙に突き出した。
 その竹串を立てて見せられた妖夢の目は大きく見開く。桜の花びらが五枚、きれいに貫かれていたのだ。
「と、まあ、こうじゃ」
 妖忌は花びらを外し、竹串を妖夢によこす。
「やってみい」
 と、そう言うのである。
 妖夢は木刀と竹刀を下に置き、竹串を手にしたものの……どうしていいかわからない。
 まず構え方からして確定できない。短刀のように腰溜めだったか、片手持ちの剣のようだったか。師匠は無造作に持っていたが……。
 ひらひらと舞う花びらは多く、周囲を包むほどだ。しかし、大海からコップ一杯をくむのとはわけが違う。たった一度の挙動で五枚の花びらを貫くのは、その刹那の機をとらえるのは、至難の業だ。
(できることしかできない。できることをしよう)
 構え方については成り行きに任せ、花びらの動きのみに集中することにした。
 花びらは緩い空気の流れに翻弄され、無軌道に動く。速いものではない。一枚だけなら目で追うことは簡単だ。
 しかし、五枚全てとなると、それはもう別次元。一枚をとらえるのを五回繰り返すわけではない。五枚全てが重なる一瞬を見極めるのだ。
「くっ!」
 直線上に幾枚も載ったと見受けられたとき、苦し紛れに竹串を突き出した。先端が花びらを貫く。
 我知らず悔しさで口元が歪んだ。
 やはり二枚をとらえただけに終わった。しかも二枚目のものは端に引っかかっているかのごとき有様。五枚全ての中心を貫いた師匠とはまるで違う。
 一瞬を「見極める」とは、その一瞬を見ることではない。その一瞬が来ることを予測し、確定することだ。そうでなければ竹串を突き出す時間差を埋められない。今の自分のように。
「失敗した理由は、やる前からわかっておったようじゃの」
「……はい」
「お嬢……幽々子様は、朝食の際に見抜いておったがな」
「えっ」
 自分の弱点を? 幽々子様が?
「驚くか? まあの、気持ちはわからんでもない。確かに、普段はあのようにおっとりを通り越して呆けているようでもあるし、間延びした話しぶりは牛のあくびのようでもある。大食らいで、おふざけが過ぎて、頭のネジが二三十本抜けているのではないかと儂も常々……」
「師匠、言い過ぎです」
「うむ、止めてくれなかったら延々言い続けるところであった」
 妖忌の幽々子に対する敬意の程は疑いようもないのであるが、それとは別にいろいろ溜まっていることもあるのかもしれなかった。
 それはともかく、と妖忌は話を戻す。
「お主に何が足りないのかわかっておるか」
「はい、それぞれの動きを見極める能力です」
「なるほど」
 妖忌はため息をついた。
「それこそ不足した答えじゃな。まだ井戸の中から脱しておらんと見える」
「そ、それはどういう……」
「言葉の通りじゃよ。全体を見渡す力に欠けておるのは事実じゃが、お主が見渡そうとしておるのは花びらだけよ」
「風の流れや、自らの呼吸なども含めよということでしょうか」
「花びらを貫くことのみを目的としては本末転倒ぞ。それは本質を追究することで自然と身につく、言わば付属物じゃ」
 腕を組み、うなる。
「ふぅむ、儂の教え方が悪いのかのう、無闇と回りくどいのかのう、伝えたいことが伝わらんわい。喩えも尻尾の生えたカエルではなく、殻の被さったヒヨコというのが適切じゃったか」
「いえ、それも大差ないような」
「本質をとらえるにはッ!」
「ふぇっ?!」
「視野を広く取らねばならぬ! 全体を見るのじゃ!」
 ツッコミを断ち切るように、妖忌は声を張り上げた。
「わかっとるか! 朝食の際に、お主は幽々子様に何を見透かされたのかを」
 その無意味な迫力に言葉が詰まった。いや、それ以上に剣士としての本質を問われたような気がしたのだ。
 考えながら、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「……食事の最中に襲われた場合の対応を考えるあまり、実際にその場で襲われても対応できないような気の抜け様をさらしてしまったことでしょうか。自分に意識が向けられていることにも気づかなかったという……」
 言いながら、間違っているように思えた。語尾をかすれさせ、首を横に振った。
 妖忌は頷いた。
「そうじゃの。そこが本質ではない。広い見方ではない。まあ、やろうとしていたことそのものを否定はせんよ。儂もお主の前を歩くとき、いつ後ろから斬りかかってきても反撃できるように備えておるでな」
 そうだったのか、今度試してみよう、と妖夢は秘かに心に決めた。
「しかし、本質を外していては、どのような稽古も心構えも二流の剣士を作るのみよ」
 妖忌は手にしていた藍色の布を開いた。
 それは妖夢にとって見覚えのあるものでありながら、意表を突くものだった。
 エプロンだった。妖忌は藍色、妖夢は薄桃色のを用いている。妖忌が手にしているのは本人の物だ。それはいい。
 しかし、なぜ今ここで? 身につけていく必要が?
「幽々子様が何に気づいたか教えよう。ついてまいれ」
 妖夢の疑問を置き去りに、エプロン姿の妖忌は歩いていった。
 妖夢は慌てて竹刀と木刀を拾い、師匠の背を追いかける。
 そういえば、ここは勝手口の近く、つまり厨房の付近であったことに気づいた。
 まさか料理をするつもりなのだろうか。他に考えようもなかったが、意図がつかめない。
 何もわからないまま、妖夢は妖忌が厨房において七輪の火を起こすのを見ていた。
「なぜもっと直接的に教えんのか、回りくどいのか……といぶかしむかもしれんがの」
 フライパンを七輪に載せ、妖忌は言った。油を敷く。
「伝わらんことを恐れておるのよ。言葉は言葉でしかない。口で言ったところで、意味を正しくとらえることは難しいじゃろう。それが、実感の持てない表層的なもの、というならばまだ良い。わかった気になってしまうのが一番怖い。間違った方向へ疑問も抱かず疾走するのじゃからな」
 温まってきたところで、余分な油を捨てた。
「悩みながら本質を探り、一応の答えを得てからもさらに悩み続けるのが望ましい。そうして本質に近づいてゆくのじゃよ」
 妖夢の眼前に、小さな白い楕円を出す。卵だった。
「とはいえ、今のお主は矮小な世界に閉じこもっておる。あがくのも開けた広い世界においてこそよ。ゆえにこの場で、お主の狭い世界の壁を、」
 卵をフライパンの縁に当てた。
「壊す」
 片手で割られた卵が、フライパンに広がった。
 透明な白身の中央に、盛り上がった黄身。ごく普通の卵だ。妖忌はフライパンに蓋を置いた。
「きれいに形を保った状態であるのが望ましい。上手くできなければ別の容器に割っておき、そっとフライパンに入れると良いじゃろう」
「あの、師匠。これは、その、剣の道とどのような関係が」
 妖夢の口からついに疑問が出てしまう。何かしらの意味があるのだろうが、このまま何の理解もなしに調理を眺めていることに耐えられなかったのだ。
「妖夢よ、何のために刀を振る?」
 妖忌はとがめることなく、問うた。
「刀は命を奪える道具じゃ。ではどうして奪う。その意味は。その重さを考えたことはあるか」
 フライパンと卵を前にしてはそぐわない質問。突飛もないとさえ言える。けれど、妖夢にとってその問いはは何度も考えてきたことであったので、よどむことなく答えることができた。
「我が身を守るために、幽々子様をお守りするために、時には相手の命を奪わなくてはなりません。そのための刀です」
「言葉だけなら合っておる。じゃが、重さを実感しておらんな。刀の重さ、命の重さ、守ることの重さ。全てが軽い」
「そ、そのようなことは!」
「喝ッ!!」
 雷の如き声が厨房に轟いた。
「ならばなぜ上の空で食事などする! 調理に身を入れておらん!」
 打たれた妖夢は身体を硬直させ、聞き入るしかない。
「命が刀の先にのみ存在していると思うてか。食すという行為も同じじゃろう。自分が生きるために他のものの命を奪う。その重さを理解しておらんお主に、命を語る資格はあるのか」
 妖忌はフライパンの蓋を上げた。火が通り、白く焼けた目玉焼きが現れた。
 フライパンを持った手首がくいっと返されると、目玉焼きが空中で一回転し、円形の皿に受け止められた。
「食べてみよ」
 箸と共に妖夢の前に、目玉焼きが差し出される。
「蓋をしたことで水蒸気が卵の周囲から熱するようになる。黄身の上の卵白が流れる前に固まって、見た目が良いじゃろう。それにフライパンに接する片側のみに熱が加わっては、火が余計に通ることになってしまうからな」
「水蒸気……ということは、中に水を入れれば……」
「卵白は水に溶けやすい。形が悪くなる上、水っぽい食感となろう。卵そのものが持っておる水分で十分じゃ。」
 さあ、と再度勧められ、妖夢は箸と皿を手にした。
「では、いただきます」
 箸で白身を取り、口に運ぶ。味わった妖夢の動きが一瞬止まる。
(……! 確かに、これは)
 明らかだった。自分が作った目玉焼きと、食感がまるで違う。
 自分の目玉焼きは水っぽく、それでいてボソボソしており、端がいびつに焦げていた。これは中身が濃く、滑らかな舌触りで、焦げはあっても香ばしいアクセントとなっている。
「強火にかけてしまうと卵は急激に収縮する。口当たりが粗くなるのじゃ。こうして弱火にかけてゆっくり焼くことで、白身は優しく固まる。黄身も半熟となる」
 箸で黄身をつつくと、黄金色の卵黄がとろりと流れた。理想的だった。それを口に入れれば、なおさら朝食のものとの差を味わうことになった。
「言うておくが、これらのことは儂の師匠から教わったものではないぞ。儂自身が悩み、世界と接し、体得したことじゃ。何が一番良い調理方法か考え、多くの方々から話を聞き、身につけた。ただの言葉、情報ではない。火加減にしてからがその日の炭や大気の状態から判断する。広い世界であがいたがゆえの境地じゃ」
 妖夢は目を伏せた。
 幽々子の指摘したことが何であったのか理解したからだ。妖忌と妖夢の違い。それは目玉焼きの出来、命の尊重。そしてそれに連なる剣の道、生き方そのものであったのだ。
(確かに自分は井戸の中にいた。頭に殻を被っていた。何て狭い世界に……)
 情けなさに涙までが滲んだ。
 幽々子様をお守りする? 家事をないがしろにして、生活を端にやって、何を守るというのか。自分の手元しか見ていないじゃないか。
 私には資格がない。幽々子様をお守りする資格も、剣を握る資格も、何の資格も……。
 そのとき、妖夢の頭に優しい感触が載った。顔を上げる。妖忌の手だった。慈しむ目と共に、静かに撫でてくる。
「これからよ、妖夢、これからじゃ」
「お爺、ちゃ……」
 妖夢は慌てて言葉を飲み込む。それは封印したはずの呼び方だ。
 けれど、妖忌の態度が弟子に対するものではなく、孫娘に対するそれのように感じられてしまったのだった。
 妖忌は言う。
「広い世界で、本当の意味での未熟に気づけた。ならば、先に進めるじゃろう。悩み、あがくと良い。そうして本質に近づける」
 可能性を断言する言葉だった。絶対も、確証もない。ただの言葉といえばそれまで。けれど、暗闇に落ちそうになっていた妖夢の心は、その言葉によって強く照らされていた。
 ただ、まあの、と妖忌は続く言葉を濁す。
「少々言葉を重ねすぎたかもしれんな。言葉はただの言葉であり、単体では意味を為さん。それに儂をしてからが未熟と言うたように、儂の言葉もまた未熟。疑ってしかるべきものじゃ。疑うことで、儂の伝えたいことを受け取ることができる。わかるかの?」
 妖夢は力強く頷いた。論理的には矛盾する言葉である。しかし、目の前が開けたような感覚は嘘ではない。自分は、妖忌から受け取ったと、信じられるのだ。言いたいことは「わかる」のだ。
「剣の道は全ての道。世界を楽しみ、人生を豊かにせよ。これぞ究極の奥義じゃ。精進せぇよ」
 そう言って、妖忌は七輪とフライパンを片づけに立った。
 妖夢も皿と箸を片づけようとして、ふとよぎった疑問が口からこぼれた。
「そういえば、師匠」
「なんじゃ?」
「あの、目玉焼きを空中で一回転させた妙技、あれにはどのような意味が?」
「ああ、あれかの」
 ふむ、と妖忌はあご髭に手をやり、思わしげに言った。
「かっこいいじゃろ?」
 目を点にする妖夢を前に、妖忌は高らかに笑った。カッカッカという笑声が大きく開いた口から天井に広がるのだった。

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 妖夢はかつてのことを思い返していた。七輪上のフライパンを見つめながら。
 ある日、妖忌は忽然と姿を消した。手紙も言葉も前触れもなかった。
 幽々子は「一人前って認められたのねぇ」と言ったが、そんなはずがない。生涯未熟、半人前だ。ただ、妖忌がいなくとも、世界から学ぶことができ、生活から己を高めることができる──そう認められはしたのだ。妖夢はそのように思っている。
 蓋を開けると香ばしいみずみずしさが立ち上る。目を細めて、フライパンに手首から力を加えた。
「よっと」
 空中で目玉焼きがくるりと一回転した。
 そんな妖夢の足下には、竹串。桜の花びらが五枚刺さっているのだった。
「啐啄同機」(さいたくどうき): 雛鳥が殻から出ようとする際、親鳥が外から殻を割って助けること。転じて、弟子が必要とするときに、師匠が適切なタイミングで助け、導く意味がある。


 作品が作者の生活、つまりは人生そのものを土台としてできるものだとすれば、その作品が良いものであると認識したときに得られる高揚感は、人生そのものを肯定したがゆえのものなのだろう。
 駄作と評された時の痛みは、失恋のそれに似ている。
らいじう
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コメント



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3.100オヤジ3削除
もう一度筆を取りたくなるような、いいものを読ませていただきました。
ありがとうございます。
6.1003削除
今年に入って数多くのSSを読んできましたが、
これほどまでに「もっと多くの人に読んで欲しい、評価されて欲しい」と思ったSSは初めてです。
私が点数を入れる前の段階で270点? 10倍は入っていてもおかしくないと思います。
妖夢の未熟さと、彼女に欠けているものは何なのか、それを示すSSは多くありますが、
このSSはその示し方が説得力があり納得出来るもので、
また愚直な妖夢と少し茶目っ気がある妖忌(と、少ししか出番はないけれど存在感を示した幽々子)のキャラクターも良く、
読んで良かったと思わせる出来となっているのではないでしょうか。
8.100名前が無い程度の能力削除
今の自分にも当てはまる形で、少しでも糧にしたいですけどまだ駄目みたい。
落ち着いた筆致で良く書けていますね。作者氏はこう云うのも書くんだ・・・
9.100名前が無い程度の能力削除
確かにこれが本質と思い込まず悩んで疑っているほうが本質に近い気がする反面、思い込みからの行動で試行錯誤も出来なくて本質に近づけるものかとも思う
10.100名前が無い程度の能力削除
理想的な妖忌と妖夢でした。
読んで良かった!
12.100名前が無い程度の能力削除
妖忌と妖夢の師弟関係を描いた話は数あれどこれほどまでに本質を抜き出したものは初めてです。