Coolier - 新生・東方創想話

来歴をめぐる冒険

2013/08/16 02:46:23
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六、 境界線上の難題(アポリア)

 稗田邸は木造ながら檜製瓦葺きの3LDKであり、人里の住居の八割が板葺きやトタン屋根の掘っ立て小屋まがいという状況下では、普段は見るものに落ち着き安らぎを与えてくれる住まいであった。だが息せき切って輝夜を追っかけ中の妹紅が人里を鳥瞰した折には、稗田邸のがらり戸は開けっ放しとなっており、不気味に静かで、ささいな壁のひっかき傷から屋敷全体が崩壊していきかねないような不穏さを漂わせていた。
 ようやく目的地の上空高くに到達し、下降を始めるとやおら輝夜の低いうめき声が中より響いた。妹紅は慌てて駈けずり入ろうとして、敷居に思い切り蹴躓き、障子を突き破って客間の肘掛椅子に豪快なヘッドスライディングを決めた。気恥かしさをごまかすために、輝夜どうした!、とがなってみたが反応はなく、ただ阿求が部屋の片隅にうずくまり、ごめんなさいごめんなさいと知恵遅れの子供のようにがたがた震えてささやいている。机には湯気の出ている茶が供されていたが、湯呑を中心におびただしい量の血痕が広がっており、倒れた妹紅の腕や胸にも血が付着していた。何!?、どうしたのよと妹紅は立ち上がり阿求へと詰め寄ろうとするも詰め寄れない。走っているはずなのに距離が詰まらないのだ。不思議に思った妹紅は足を止める。その瞬間に事態を理解した。私が何かに引っ張られている! 振り返ると玄関口に空間の裂け目が生じており、あたかもブラックホールのように妹紅を吸引しようとしていた。阿求は涙を流しながら、もこうさんにげてくださいと消え入りそうな声で訴えたが、その言葉を言い終える間に妹紅はあっけなく吸い込まれており、稗田邸は断続的な阿求の嗚咽を除けばいつもどおりの格調高い静けさを取り戻した。


 目が覚めるとそこは異世界だった。見渡す限り黒紫の光景が広がり、自然や生命の律動一切が停止し、「無」としか形容できない空間。世界の果てというものがあるとすればそれはきっとこういうものだろう。ただし今は私の前方に私以外の二匹の生物がいた。輝夜はみぞおちに手刀を埋め込まれて抱え上げられてぐったりとしており、右目はむしりとられていた。もう一匹は私の存在を見とめると、手刀を刺したまま振りかぶり、輝夜の肢体を投げてよこした。私はかろうじてお姫様だっこの格好で受け止める。
「も、こう…、にげな、さ、い…。ころ、さ、れ…」
「しゃべるんじゃない! それになに弱気になってるのよ!」
 言うまでもなくも妹紅も輝夜も蓬莱人だ。ゆえに二人の辞書に「敗北」の二文字はあっても「死」という一文字はない。だがそこで妹紅は信じがたい事実に気づく。輝夜の目の再生が始まらないのだ。
「さて、貴方がたはこれから私の手によって存在が抹消されるわけですけれど、その前に理由を説明させてちょうだいな。そのほうがお互い後腐れなく終われるってものでしょう?」
 紅く染まった手で、日のない世界で意味もなく日傘を開きながら、大妖怪八雲紫が言った。


「まずここが何処なのかからいきましょうか。ここは幻想郷と外の世界の境目の空間、だから特殊能力も弾幕も使えない、唯一ここで機能するのは純粋な身体能力と妖力のみ。そのお姫様の目だってここでは一生治らない、お分かりになって?」
「ああ」
 妹紅は輝夜を丁寧に傍らに寝かせた。意識はもう失ってしまったようだ。
「百聞は一見に如かず、口頭であれこれ説明するのもだるいのでまずこちらを読んでくださらない?」
 紫は乱暴に一冊の分厚い単行本を妹紅になげうった。



序論

 大きな物語の終焉を声高に掲げるポスト・モダニズムが何重もの「転回」を引き起こし、近年人文社会学全体が地殻変動に巻き込まれているという事象は聡明な読者諸兄ならば御存知かもしれない。かような文脈において、歴史学という学問は言語論的転回に覆われてその存立さえ危ぶまれる立場へと転落してしまった。ポスト・モダニズムが大きな物語とともに歴史の終焉をも主張する潮流であったことを踏まえれば、これは当然のことである。
 本書の主題である「聖徳太子」をめぐる歴史は、上述の変転の影響を最も色濃く受けた分野であると言えよう。言語論的転回は、史料から過去の客観的な事実を再構成できるという歴史家の傲慢への疑義申し立てであり、より厳密かつ柔軟な史料批判を歴史家に要請したという生産的効果をもたらした。その結果、かつては一元的に「聖徳太子の時代」として理解されていた推古朝に関して、『日本書紀』や『三経義疏』を東亜の各地の歴史書や経典と比較検討しながら読み直す作業を通して再構成をなそうとする研究が飛躍的に進んだ。
 結果として登場したのがかの有名な「聖徳太子虚構説」である。虚構説の詳細は本書を手に取られるような方々には重々承知の事柄であろうからここでは繰り返さないが、『日本書紀』の再読解を主たるエヴィデンスとして、推古帝の摂政としての聖徳太子は藤原不比等・長屋王・道慈によるフィクションであったとするのがその要旨である。この説がこと有力な学者を中心とするグループによって提示されたことも相まって、幅広い旋風を公共圏に巻き起こしたのは記憶に新しい。
 しかし、その後の更なる個別実証研究の進展は、聖徳太子虚構説の欠陥を顕にした。新たな研究は文体論の手法など新たな人文社会科学的知見を採用しながら、虚構説グループの史料の読みが恣意的かつ牽強付会、演繹的であったことを明らかにした。後世聖徳太子と称されるようになった伝説的聖人君子なぞは実在しなかったが、推古帝の摂政として蘇我馬子と協力して大和朝廷の統治に携わった厩戸皇子は確かに存在した、今日の歴史学界のコンセンサス、落としどころはこのようなところだろう。
 虚構説の登場は確実に聖徳太子研究を刺激し活性化させた。しかしその説は半ば結論ありきで唱えられたものであり、史料批判というより史料軽視の産物でさえあった。かつての素朴実証主義への回帰を訴えようというのではない。まずは過去からの声に丹念に耳を傾け、その上で現代の我々が持つ洞察と想像力によって、今日においてもっとも確からしい歴史を物語る。それこそが過去から学ぶ、「歴史を食べる」ということではないだろうか。本書の目的は、最新の研究成果を踏まえて、みなさんがもっと美味しく日出る処の天子の歴史を食べることができるように素材を提供することである。本書が読者の皆さんの知的関心の充足の一助となればそれに勝る喜びはない。

「表紙を見てご覧なさい、興味深いことがわかるわよ」
 妹紅にはある予感があった。この小難しい文体、厚っぽい語り口には見覚えがある。こいつは…
 表紙にはこうあった。

『日出る処の天子』 著:上白沢慧音

 悪い予感はよく当たる。

                               ☆

紅 「このけーねの本が正しいとすれば、豊聡耳神子はまがいものってことなのか?」
紫 「不正解ね。今はあっちの言っていることが正解。というよりももうこの本は幻想郷には存在しないことになっているの」
紅 「?」
紫 「命蓮寺の底から霊廟が出現する前までだったらこの本の言っていることは正解だったわ」
紅 「??」
紫 「こんな言い伝えを御存知? 幻想郷にやってくるのは外の世界で忘れ去られた者どもである」
紅 「ええ、私はその典型例だもの」
紫 「それね、実は嘘なの」
紅 「???」
紫 「幻想郷という世界はね、外の世界の人間たちが造り出した淡い夢の結晶体にすぎない。上白沢慧音の表現を借りれば、幻想郷という世界そのものが虚構なの」

                                ★

 貴方永遠の人生に退屈してこの騒動を起こしたんですって? なら話が早いわ。外の世界の人たちというのはね、やっぱり貴方と同じく退屈してしまうらしいの。動物にしては容量の大きい脳を持ってしまったばかりに生きる意味やら目的やらに煩悶してしまうらしいのよ。哀れな生物よね。昔は宗教、神様を造って奉じてなんとか悩みをごまかしていたらしいのだけれど、守矢神社の設定をみればわかる通りそれももうぼろがでているらしい。そこで彼らが代替として考案したのがここ、幻想郷なの。

 彼らは美しい架空の少女たちが暗い過去を背負ったりしながらも溌溂として非日常を過ごすこの世界を造りあげた。彼らはこの世界のキャラクターたちに自己を投影したりときめいたり劣情したりして自らの卑小さを慰め、忘れるの。だからね、外の世界で忘れ去られた者が幻想郷に流れ着くのではないの。幻想郷に現れるものこそが、彼らの「そこにあってほしい」という想念の具象化なのよ。もちろん何でもかんでもやって来るというわけではないわ。一応、私たちの世界に一定の枠組みを与えている、私たちにとっての創造主、唯一神といえるような存在がいる。私はそれを仮にZUNと呼んでいるのだけれど。

 一番問題なのは幻想郷の歴史をどうするのか、どういうものにしておくかなのよ。新参者が入ってくるたびにうまく辻褄合わせをしなければならない。だから私は歴史編纂担当の稗田家と秘密を共有し、幻想郷の未来の安寧のために、整合性のとれた歴史を絶えず更新していく体制を整えた。稗田家の人間には幻想郷の真実の重さに苦しみすぎないように早く死んでもらって転生を繰り返してもらうようにしたわ。だからこの秘密を知っているのは私と稗田家の当主だけ。あ、私は一応幻想郷の管理人を務めているのよ、実は私自体は外の世界のある少女の強い想念なのだけれど、ん、私の身の上話はしなくていいか。

 でもこの体制にある時脅威となるイレギュラーが現れた。それが貴方のお友達、上白沢慧音ね。彼女はその「歴史を創る程度の能力」でもって、稗田家の活動とは独立してたくさんの歴史書を書きまくり始めた。貴方が手に持っているのもその成果の一つよ。でも彼女の創る歴史は新参者たちの来歴と矛盾してしまう恐れがある。ちょうど豊聡耳神子の場合のようにね。そうなると幻想郷全体が崩壊しかねないわ。外の世界の人間たちは設定上の齟齬にうるさいのよ、なんだかそういうのあると興ざめしちゃうみたいね。でも幸い上白沢慧音は「歴史を食べる程度の能力」も持っていた。だから私はちょいちょい彼女の能力を操って彼女の歴史の厄介な部分を食べさせて見えなくさせることにした。もちろん本人には気づかれないようにこっそりとね。道義上よろしくないことをしているのはわかっているのよ。でもしょうがないじゃない、ほら言うでしょう、目的は手段を正当化するって。霊廟が出来た時も私は必死で上白沢慧音の歴史を削除したわ。その本もちゃんと闇に葬った。阿求はちゃんと噛み合う記述をしたててくれた。上白沢慧音をきっとそんなこととは露知らず、稗田家の新しい史料をもとに聖徳太子についての新しい歴史書の執筆にかかりきりになっているのでしょうね。

 さて、貴方たちが今や幻想郷にとって最大の脅威になってしまったことが御理解いただけたかしら?阿求は本当によくやってきてくれたけど今回ばかりはしくじってしまったようね。そのお姫様がカラクリに感づいてしまったのですもの。でもその頭の良さが命取り。秘密の拡散はそれだけで幻想郷を壊すわ。しかも貴方たちは死なない、上白沢慧音とも近しい、そんな爆弾をこれから永遠に抱え続けるなんてご免だわ。幻想郷は全てを受け入れる、夢のあるいい言葉よね。でも自由と秩序の釣り合いは必要だわ。貴方たちのこと嫌いではなかったけれど、今は一刻も早く消し去りたくてたまらない。だって、だって私、

「幻想郷のことを本当に愛しているんですもの」

 紫はしたたかに殺気を放ち始めた。

□■□

 どれもそれも夢だったとでもいうのか、私という存在はただの蜃気楼なのか
 妹紅は自然体のまま拳固を握った。
 いいや私もあいつらもいつだって確かにそこにいた。
 紫は傘をたたんでひたひたとこちらに歩み寄って来た。
 大義もなければ勝ち目もないことはわかっていた。しかし私は断固として闘わなければならない。慧音のため、輝夜のため、父のため、とにかく私が出会ってきた全てのため、そして何より私自身が積み上げてきた来歴のために。
 雄叫びをあげて最期の特攻に勇み出た妹紅の前方に突如としてある物体が飛来した。それは蓬莱山輝夜の見事なまでのジャンピング土下座だった。

 「幻想郷の管理人様に謹んで申し上げます。どうか、何卒、私たちの命をお助けください。今回のことは絶対に口外致しませんので、どうかどうかお許し下さい。初めから罪滅ぼしのつもりだったんです。私は妹紅の人生を狂わせたんです。私と妹紅の二人で私が傷つけた妹紅のお父様の本質に触れてそれぞれに感じ入る、それで妹紅の気が少しでも晴れるならと思って無理についてきたんです。それが私のふとした好奇心のせいでまさかこんなことになってしまうなんて。本当に申し訳ありません。私たち人目にふれずひっそりと静かに暮らしていきますから、お命だけはどうか何卒。もし二人の監視が面倒だとおっしゃるなら、私の方は殺して構いません、ですからこの妹紅のお命だけはどうかお助け願えませんか」
 何が起こっているのか妹紅は理解できなかった。千年来の仇敵が、腹から腸をはみ出させながら、哀れに、みじめに、私の助命嘆願をしている? そんなことが起こるはずがない、起こってほしくなかった。
「高貴な身分の者が矜持をすてて懇願する、たまらない光景ね。正直かなりグッときたわ」
 紫は輝夜の方に無表情のまま近寄ってきた。
「でもね、私は知っているのよ」
 紫は日傘を輝夜の背中に突き立てた。先端が左肩にふれ血がにじむ。
「そういう土下座には必ず裏があるってことをね」
 紫は無慈悲に傘を振り下ろした。



 間際の一寸、つんざくような音を立てて青白く発光する三尺程の矢が空間の壁面を突き破り、紫へと殺到した。
 紫はとっさに傘を開いてそれを受け止めたが、覆いも骨組みも弾けとび、傘はただの杖になった。輝夜は矢の登場と同時に起き上がり、傘の破壊のどさくさにまぎれて紫に深々と腹パンを決めた。紫は矢と打撃の衝撃で後方へ吹き飛んだ。
「もう! 永琳遅いじゃないのよ。おかげで下手な演技うたされたわ」
 先の矢は永琳が幻想郷から発射してきたものらしい。輝夜の声は息切れと興奮で弾んでいた。
「はっ、たいした千両役者じゃない、おみそれしたわ」
「さて、幻想郷の管理人殿、もう一度お願いしていいかしら。誰にも言わないから私たちのこと見逃してくださらない?」
 そう言いながら輝夜は下腹部から血液ばかりか胃液までただれ落ちているのをものともせず腕を構えた。妹紅も即座に腰を落とし身体のそなえを作った。いける、永琳の第二第三の矢で動きを制限しながら、私と輝夜でヒットアンドアウェイを繰り返す。ただし私と輝夜のどちらかがあの杖で貫かれたら一発でアウト。有利な状況とはいえないが、ついさっきまでと比べれば格段に希望の持てる展開だ。
 紫は仁王立ちの姿勢で敢然とこちらを睨んでいたが、やがて緊張を解いて呆れたように言った。
「人様にものを頼む態度ではないわね、というかやる気まんまんじゃない。いいわ、わかった、今日のところはあなたたちを信用してあげる、三対一はさすがに少しリスキーだしね。でも他の誰か一人にでも秘密を口外してみなさい、その時は月の賢者と刺し違えてでもあなたたちを抹消してあげるわ」
 私たちの背後には再びスキマゲートが出現していた。


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