Coolier - 新生・東方創想話

狐狗狸同盟

2013/07/28 04:16:56
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 ある夜、居酒屋にて。如何にも獣臭そうなのが三人、額を集めていた。傍から見ればちょっとは面白い光景であろうが、しかし残念ながらそのうち一人は私である。揃えた尻尾がにょろりと蠢いた。
 円卓を囲って時計回りに狐狗狸三人。私を除く二人の頬は薄ら紅く、唇はへの字を描き、眉は逆ハの字を示している。きっと私も似たような表情をしている事であろう。
 既に十を下らぬ一升瓶が卓の上に転がっている。全員、すっかり酔っていた。幻想郷の妖怪には似合わず、酒に任せた怒りを全身から立ち上らせている。
 なぜにそんなにも荒れているのかと言えば、偏に怒りに充ち満ちているからだ。
 昨今に至って、人はすっかり妖怪を敬い畏れるという事を忘れているように思える。山の神様によって与えられた文明にかまけ夜を忘れ、月の民によって与えられた安心を享受し病を忘れ、そうしてとうとう我ら妖怪に対する畏敬の念をすら忘れてしまったのだ。
 殊、妖獣に関しては酷い。博麗の巫女が式憑きの九尾を尻に敷くなど、古今聞いたことのない暴挙である。
 狸、マミゾウ、そして狗、影狼もまた、何かしらの恥辱を被ったらしく、その瞳の奥に感憤の炎を燃え上がらせていた。
 怒りの矛先は行方を見失い、互いを傷つけようと無為な素振りを繰り返す。

「というか藍、そりゃあおぬしが阿呆なだけじゃないのかえ」
「なんだと。だったらお前も話してみせろよ、恥辱に塗れた経験を」
「ストップ、ストップ。仲間内で喧嘩してどうするのよ」

 影狼の言葉に、私は俄に正気を取り戻した。マミゾウもまた、恥じたように後ろ髪を掻いている。そう、こいつの言うとおりだ。我々は互いの心の傷を抉りあっている場合ではないのである。
 今宵集まったのは、飽くまで妖怪の尊厳を取り戻すための会議を行うためなのだ。そのために、こんな身分も立場も異なる三匹で顔を突き合わせているのだ。
 私は幻想郷の管理者代行として。マミゾウは幻想郷中に散らばった狸、ひいては獣の代表として。そして影狼は、虐げられつつある草の根妖怪の代表として。それぞれ意見を交わし合い、人間共の増長を挫くべく頭を使う。そのための会合だ。
 狐狸のつまらぬ闘争を仮託して罵り合ったり、特定の巫女某に対する恨みを思い出して視界を滲ませたり、彼女に対する憤りと愛しさの中間で揺れ動いて撃沈したりするためなどでは決してない。
 私は頷き、マミゾウと視線を交えた。あちらはまだ不服なようであったが、しかし引き摺るのを好しとしているわけではなさそうだ。一先ずは安心である。

「こほん。とりあえず、倫理から外れない程度の意見を出して欲しい。互いに考えを出し合って、それから纏めていく事としよう」

 この度の狐狗狸会議は、恐らく人間にとっては聞くに耐えぬ悍ましき内容となる事であろう。その点を考慮して、現在居酒屋は我々の貸切状態である。これも人間のためである。押しかける客には、それぞれ一升瓶を与えてお帰り願った。
 人間を滅ぼすのが目的ではない以上、節度は弁えねばならない。互いに不快を覚えてはならぬ。平和主義でいこう。
 幸い、この場に集った三人はいずれも穏やかで話のわかる者ばかりだ。そう過激な意見は出まい。平和裏に事を進めるのを旨とせよ。

「まず、影狼。何か意見はあるかしら」
「意見と言っても、私はあんまり事情に詳しくないわ。二人の意見を聞いてからでも良いかしら」

 そういう事なら仕方ない。出来れば最初は弱者の意見を聴いておきたかったのだが、無知より飛び出す発案は一体如何なる軌跡を描くか予想もつかぬ。となれば、後回しにするのは是非もなし。

「じゃあ、マミゾウ。お前の意見は?」
「実は儂、昼間にちょいと痛い目に遭ったばかりでのう。人間には腸が煮えくり返って敵わぬ、今語ったらなんと言うかわからぬぞ」

 そういう事なら仕方ない。多くの狐狸妖怪に慕われている者の意見を聴いておきたかったのだが、怒りに任せた発言は後の禍根ともなりかねぬ。となれば、後回しにするのは是非もなし。

「うぅむ、これは困ったな」

 私は私で、度重なる恥辱の層に押し潰されて我を見失いつつあったので、なるだけ発言は後まで控えておきたかった。
 早くも足で拍子を刻み始めた会議に、一瞬諦観の念が流れる。三人、示し合わせたように尻尾をぱたぱたと振って、その空気を排気口へと押しやった。

「そ、そういう事なら仕方ない。とにかく飲もう。お酒を浴びればきっとそのうち良い案が出る」
「そうね」
「そうじゃな」

 我々はそれぞれ一本づつ一升瓶を携え、そして同時に呷った。幻想郷において、あらゆる問題は時間とお酒が解決してくれる。こうして会議を開いたのは、それらの作用を活性化させるためでもあるのだ。
 より多くの時間を浪費し、多くのお酒を空にすれば、それだけ解決は早くなる。幻想郷とは、そういう場所なのだ。
 別に自らの無能っぷりを嘆いて、ついでに霊夢の好奇の視線を思い出して溢れだした涙をお酒でごまかそうとか、そういった魂胆は全くない。私は畏敬の念復活に向けてひたすらに邁進する所存である。
 やがて三本、六本と瓶の数が増えると、今度は焼けた舌を癒す味覚が欲しくなってくる。気が付いたら目の前には七輪が置かれ、気が付いたらじうじうとお肉が焼けていた。玉葱も一緒に狐色を晒しているのを見ると、既に前後不覚に陥った者もいるらしい。
 私は憎き玉葱のエキスをじっとりと染み込ませた割り箸を舐めつつ、お肉が縮んで焼けるのを見守っていた。

「……ぅぁやっぱり、こう、弾幕で人間連中をじゃなぁ……」
「それ、弾幕ごっこから外れてるわよ」
「うっしゃい、連中ぅなんぞこのぉ、釜でぇ……」

 マミゾウに至っては、とうとう酒気と怒気で脳みそが一杯になってしまったのか、手のひらの上でミニチュアサイズの釜をぶくぶく沸騰させている。
 影狼はそんな様子に若干辟易した素振りを見せていたが、しかしお酒を呷り、お肉をかっくらうその姿は正しく気高きニホンオオカミのそれである。

「マミゾぉ、あんまり過激なことすると、紫様の傘が飛んでくるぞぉ」
「んあぁ? うっさいうっさい、八雲紫の何する者ぞ」

 やかんの様な音を立てて、釜が湯気を噴き上げた。
 己の箸に挟まれた半狐色半透明の謎の物体を只管に口に運びながら、大虎と化したマミゾウをからかった。じょじょに頭がふらふらしてきたが、お酒の飲み過ぎだろうか。
 うぅむ、これはいかん。いかんぞ。何の成果も出ないまま、会議が終わってしまう。これではいつもの宴会となんら変わらないではないか。
 危機感が生まれた頃には、もう遅かった。



 幻想郷の影にあって、妖怪の尊厳をなんとかしようと行動を起こしている集団がある。其奴らは常に狐、狗、狸の三匹で行動し、人間を恐怖させるべく暗躍を繰り返してきた。
 その出自を知る者は居ない。ただ知られているのは、数百年前に姿を現して以来、そこら中で面倒を起こしているという事実だけである。
 人は彼らを狐狗狸同盟などと呼んで持て囃す。井戸端会議に持ち出す。天狗が新聞の記事にする。しかし本気でその実在を信じている者は少なかった。
 私だって、そんなもん信じていなかった。いくら幻想郷であっても、悪の秘密結社だなんて下らない。歴史の裏での暗躍なんて、阿呆の妄想に違いない。そう思っていたのである。
 しかし、巻き込まれるのは簡単であった。事の始まりはほんの数週間前だ。
 いつもの通り、博麗神社で霊夢の監視を行なっていた私の元に、一匹の化け狐が姿を現した。慌てている様子で、とても只事とは思えない。
 私は式神、正確には妖狐の定義からは若干外れているのだが、一応眷属に値する者を捨て置くには忍びない。霊夢の目を盗んで話を聴いてみれば、次のように語る。
 曰く、先代狐狗狸同盟の長が亡くなったので私に継いで欲しいと。ついでに「狗」担当の者も「狸」担当の者も失踪したのでメンバーを集めて欲しいと。
 まったくもって突拍子もない提案である。しかし当時の私はそれに並ぶ程阿呆だった。目の前に油揚げをぶら下げられ、やすやすと承諾してしまったのである。
 斯くして、私は狐狗狸同盟構成員の一人になった。そして里中を適当に散歩していたマミゾウと、一人焼肉に興じていた影狼をとっ捕まえ、同じく仲間に引き込んだのである。
 昨晩の狐狗狸会議は、我らの代に入って初めての活動だった。




 昨晩の愚行については、これはもう永遠に恥を背負って生きていかねばならないだろう。仮にも名のある集団の名を背負った会議で酒に溺れ、玉葱を食し、それで昏倒したと言うのだから、我ながら始末に置けない。
 目を覚ますと、まず命蓮寺の縁側で一文字になっている自分を発見した。隣には影狼が丸くなってぐるぐる唸っている。マミゾウの姿が見えないのを鑑みると、恐らく奴が我々をここまで運んできたのだろう。きっと奴は自室のお布団に包まって、羽毛の感触を享受しているに違いない。
 私はむくりと半身を起こし、硬くなった背筋をほぐさんと背伸びをした。幸い、体内にお酒は残っていない。意識はすっきり、視界も良好である。
 朝霧に埋もれた墓地が向こうに見える。差し込む朝日が尻尾を暖め、俄に爽やかな気分になった。

「影狼、起きて」
「……んー?」

 試しに揺り起こしてみれば、影狼もすぐに目を覚ました。こちらはこちらで、長い髪の毛が日で暖まりつつある。

「あら、ここは?」
「見たところ、命蓮寺のようね。マミゾウの奴、私達をこんなところに放置しやがった」

 私の言葉を受けて、影狼はこつこつと自分の頭を叩いた。

「困ったわね。昨日、どんな事を話したっけ」
「残念ながら、なんの結論も出なかったよ」
「あらまぁ、やっぱり」

 私の記憶も最後まで続いているわけではないが、影狼もそう語ると言うことは、まぁきっとそういう事なのだろう。
 近いうちに、また会議せねばなるまい。その時は居酒屋は避けた方が良いだろう。さもなくば、またこんな醜態を晒すはめになる。

「さて、これからどうする? 今日のところは解散で良いかな」
「私はどうでもいいわよ? どうせ帰っても暇だしね」
「じゃあ、解散ということで……」

 私がそう言いかけたところで、目の前の影狼の肩がビクリと持ち上がった。その視線は私から外れ、背後に注がれている。
 つられて見てみれば、そこにいるのはマミゾウである。なにやら色とりどりの筒だの棒だのがハリネズミの様に飛び出した袋を二、三携えていた。
 表情は極めてしたり顔、今すぐ私達に事の概要を話したくて堪らないという顔をしている。

「おお、おぬしら。もう起きとったか」
「おはよ、マミゾウ。なんだそれは」
「なにって、見てわからぬか。花火じゃよ、花火」
「花火?」

 影狼は一本、棒状の花火を袋から取り出して、鼻を近付けた。

「うげー、臭い。あなた、こんなの何に使うつもりなの?」
「おや、影狼。おぬしは花火を知らぬのか」

 小首を傾げる影狼に、マミゾウはますますニヤリと笑う。その笑顔は如何にも妖怪めいていて、同じく妖獣である私ですら背筋が冷たくなった。若いにも関わらず狸の頭領たるその威厳は、きっと笑顔に根ざしているのだろう。

「これはな、ほれ、こうやって火をつけて……」

 マミゾウが花火の導火線に着火した。か細い線の上を、橙色の炎が走っていく。影狼は驚いて取り落としたが、マミゾウはすぐにそれを拾って、墓地の方へと向けた。
 まもなく、勢いの良い笛の様な音を響かせながら、花火が飛んでいった。続いて爆発音と、「うおー」という間の抜けた悲鳴が聞こえてくる。
 私と影狼は、その様子を呆然として見ていた。
 無論、私は花火のなんたるかを重々把握している。これは夏の夜に大輪の花を咲かせ、大衆を沸かせるために使用するために存在する。決して持ったり、持ったまま火をつけたり、墓地を徘徊する死体めがけて発射してはいけない。そもそも、これは朝っぱらからお寺の庭で使うような代物ではない。
 影狼は初めて花火を見たらしく目を丸くしていたが、やがて足の方でばさりという音を立てた。視線を落として見れば、スカートの後ろがせわしなく膨らんだり凹んだりしている。尻尾を振っているらしい。その瞳は、まるで清らかな少年少女の如く輝いていた。
 なんだか、とても嫌な予感がする。硝煙の香りが漂ってくるかのようである。

「マミゾウ、お前、それを一体どうするつもりだ?」
「決まっておろう、人間の増長を留めるための手段じゃよ」

 予想と一字一句違えず重なる文句を言い放って、マミゾウはますます妖怪めいた笑みを浮かべた。

「お前さんは知っとるじゃろうが、今日は里で大きな祭りがある。花火大会もな。それに乗じて、いろいろと騒ぎを起こしてやろうという魂胆よ」

 確かに、今夜からは人間の里でかなり大規模な祭りが催される。龍神様を崇め、半年の穢れを大いに祓うための大切なお祭りである。その終盤では幻想郷中の妖怪の協力の下、大規模な花火大会も催される。
 花火と言っても、その殆どは光弾だのレーザーだのを用いた弾幕の祭典である。大きな大きな弾幕ごっこを里の上空で行うのだ。
 マミゾウの言っているのは、それに乗じて本物の花火をばら撒き、祭りに浮かれる人間どもの肝を冷やしてやろうと言う事だろう。まこと古典的というか、よくも悪くも妖怪的である。

「そりゃあまた愉快だけど……。危険でしょ」
「もし怪我人でも出たなら、おぬしが八雲の御大臣にお仕置きされりゃあ良い。それで済もう」
「馬鹿、ごめんだよ。最悪死んでしまう。もし実行するなら、誰も傷つけない様に安全に、だ」
「おや意外。おぬし自身は反対しないのかえ」
「そりゃあね。昨日はなんの策も出なかったし、なにもしないよりはずっとマシだ」

 それに。

「それに、なんだか楽しそうじゃない。私も久々に妖怪らしい事が出来そうだ」

 無論、これは人間に危害を加えうる危険な提案である。しかし同時に祭りを盛り上げ、ますます人々を酣へと導く魅力的な提案でもあった。上手く事を運べば、良い意味で畏敬の念を呼び起こす事も出来るかも知れない。
 そもそも幻想郷の住人はみんなお祭り好きである。私とてそのご多聞には漏れぬ。それを盛り上げるのに一翼を担えるのなら、そんなに心の躍ることもなかなかなかろう。
 妖怪の内を流れるお祭り好きの血は、式神である私にも脈々と受け継がれているのである。
 私とマミゾウ、そして影狼は互いににっこり微笑み、そうして手の甲を打ち付けた。かくして、一晩遅れの会議はなんとか実を結んで結論を出すに至ったのだった。




 幻想郷において、地は人間の領域であり、天は妖怪の領域である。
 祭りの夜、大勢の妖怪が空を飛び、各々弾幕ごっこの準備を進めていた。眼下に広がる里では、人間たちが祭典の空気に酔っ払ってぎゃあぎゃあと騒いでいる。

「あれの内、何人が妖怪を畏怖しておるのだろうな」
「私に訊かれても困る。どっちにしろ、判別する前に爆撃しちゃうんだから問題ない」
「丸っきりテロリストよね」

 そんな折、我ら三人だけがやや離れた場所に居て、大量の狸に囲まれながら息を殺していた。鼻をくすぐる火薬の臭いに何度もくしゃみをしながら、じっとその時を待っているのだった。
 我々の周囲に居る狸は、みんながみんな焦点の合わない目をしている。その飛行も極めて非生物的であり、間近で見れば不気味な事この上ない。それもそのはず、これらは全てマミゾウの術によって化けの皮を被された花火なのだ。
 花火をそのまま携えるには少し目立ちすぎるし、数が増えれば運ぶのも大儀。それらを踏まえた上での策であるが、しかしその不動狸の不気味っぷりによってこんな隅っこに追いやられてしまったのだから世話はない。
 かくなる上は、気味悪がって風を起こした天狗、ひいてはその他妖怪どもまでまとめて恐怖の淵に突き落としてやらねば気が済まない。
 苦い肝をぺろぺろ舐めながら、私たちは行方を分岐させてもはや不明となっている敵愾心を振りまいていた。

「お、あれは博麗の巫女ではないか」
「なんだと?」

 手の平をかざして夜空を見遣るマミゾウの視線を追ってみれば、確かに霊夢の姿が見える。腰に手を当てて何やら喚いているみたいだが、大方「妙な事は考えないでよね」「面倒は嫌だから」「ヘタしたら殺すわよ」とかそんなところであろう。
 博麗霊夢は、紛うことなき怠惰の塊だ。まず、すべき事をしない。それどころかすべき事をしないためにすべきでない事までする。毎日神社の居間か縁側か床の上に居て、惰眠を貪っている。怠けているのは幻想郷住人の全てが知るところであるが、本人は尚も「私は努力している」などと喚く。
 おおよそ褒めるところのない巫女の面汚しだ。しかしあれが我が最愛の友人だと言うのだから、悉皆何が起こるかわかったものではない。

「どうするの、藍? あれまでぶっ飛ばしちゃって良いのかしら」
「なるだけ標的に糸目を付けるのは避けたいけど……、いや、出来るだけあいつは避けろ。後が怖い」

 春雪異変の時、霊夢にちょっかいをかけた結果酷い目に遭った私である。それを省みれば、殊弾幕に関しては奴を避けるに越したことはない。花火で爆撃するとなれば尚更だ。
 「うーむ」「善処する」と、なんとも信用ならない二人の返事を聞き流しつつ、私はふわりと大きな欠伸をした。
 やがて、一頻り警告とは名ばかりの罵倒を垂れ流したらしい霊夢は、東の方に帰っていった。その背を見送る妖怪たちの顔は、どこか疎ましげである。
 しかしそれとは対象に我ら三人は喜色満面、ついに然るべき時が来たのだと奮起し、固い狸集団を押しのけて姿を晒した。
 眼下の人間たちが私達を指さして騒ぎ始める。それに気付いた妖怪たちもまた、振り向いて怪訝げな視線をこちらに投げかけてきた。

「やぁやぁ我こそは九尾の妖狐、妖怪文明の今後を誰よりも憂う者なりっ! 夜を恐れぬ人間、昼を忘れた妖怪に告ぐ! 今宵より貴様らは己の領分を思い出し、二度と夜更かしお昼寝の出来ないようになるであろう!」

 私の吶喊は妖力によって増幅され、祭りの空に谺した。無軌道な歓声は止み、暫し里は静寂に包まれた。私一人が注目を浴びる背後では、マミゾウと影狼が花火の化けの皮を一つ一つ剥がしていっている。
 大声張り上げたお陰でちょっぴり痛む喉を摩っているうちに、再び人間たちは騒ぎ始めた。どうやらパフォーマンスか何かかと勘違いしているらしい。まったく暢気な事である。
 対する妖怪たちは警戒を緩めない。全員が全員並んで我々に威嚇を行なっている。こちらはマシであるが、しかしぬるい。なぜ止めに来ないのか。暢気だ。

「藍、準備出来たぞい」
「すぐ飛ばせるわよ」
「うむ、一斉砲撃だ」

 私は尻尾を翻し、攻撃開始の合図を取った。目標は天の妖怪、地の人間、その全てである。ただし家は燃やし給うな、火事は面倒だ。
 すぐに硝煙の臭いがくすぶり始め、私の視界は灰色と、それに反射された橙色に塗り潰された。断続的に爆ぜる音が発せられ、私の背を追い越して火薬の塊がひゅんひゅん音を立てて飛んで行く。
 察しの良い人間はそれを受けて逃げ出し、妖怪たちは回避の素振りを見せた。まもなく夜空は昼の明るさを取り戻し、毒々しくて鮮やかな虹がそこかしこで炸裂する。間抜けな連中は既に撃墜され落下を開始していた。
 私もいつまでもかっこつけたポーズを取っているわけにもいかない。頭を抱えて花火弾幕をすり抜け、点火作業に移行した。
 マミゾウの集めたる花火は、幻想郷内で作られた物から外界から取り寄せた物まで様々である。当然その数も膨大で、全て発射し切るのにはそれなりに時間がかかりそうだ。

「うははは、逃げ惑っちゃえ」

 私は松明片手にそこら中を飛び回り、あらゆる導火線に火を付けて回った。そのそばから花火は弾幕を形成し、空を彩っていく。
 ふと、傍から見た私の姿はどんなものだろうかと気にかかる。きっととんでもない阿呆に見えるのだろうなぁ。




 先代までの狐狗狸同盟構成員が如何なる活動を行なってきたかという事について、私は詳しくは知らない。そもそも、この組織がどういった足跡を残して来たのかすら定かではない。
 それもそのはず、私に使わされた化け狐は要求を言うだけ言って、とっとと消えてしまったからだ。それ以来顔を出す事もない。
 よって、私は狐狗狸同盟の活動について、噂を模倣するより他に方法を持たない。そうしてどういう訳だか、それっぽくしようとすればするほど、なんだかダメな感じになってしまうのである。
 花火大会を焼き尽くした次の日、神社に呼び出された私は、そのように霊夢に説明をした。嘲笑されたのは言うまでもない。

「あんた、馬鹿じゃないの?」

 そして、短くそう言うのだった。

「否定はすまい。これは歴代首長の呪いだよ」
「他人のせいにするんじゃないの」

 霊夢の口調は明らかに私を馬鹿にしたそれである。一人で湯のみを傾けながら、細まった横目でこちらを見つめている。

「あんたが阿呆なのはずっと前からわかってるんだからね」
「知ったような口を利いて」
「知ってるもん。もう付き合いも長いんだしさ」
「むー」

 そう言われて省みてみれば、確かに私と霊夢はそれなりの期間を友人として過ごしている。最初に出会ったのが春雪異変の時だから、もうまもなく十年が経過しようとしているのである。
 霊夢は相変わらず子供のまんまだが、しかし無駄な歴史だけは死人のように積み重ねているのだった。
 もはや腐れ縁と言うより他にない。かつて最強の妖獣としての栄光に包まれていた私の人生は、気が付けばこいつのせいで汚濁に塗れてしまっていた。
 人間に敗北し、それが原因でご主人様の折檻を受け、さらにその時の泣き顔を天狗に激写された時点で、取り返しのつかない歪みが発生したと思わざるを得ない。それが十年も経てば、ますます歪んで修正不可能の領域にまで突入していると考えた方が気も楽になるというものだ。
 しかし、これが現在の己の決算というには、あまりにも情けない。直視すれば眼軸が腐るような思いがする。

「でも、良いじゃないか。私たちのお陰でお祭りは盛り上がったぞ」

 昨晩の我々の物理的花火大会は、最終的に人間と妖怪が結託して我々を花火と弾幕で撃墜したという結末さえ無視すれば、大いに成功であった。祭りは混沌としてままならなく、神輿の類は炎上しながら大路を駆け巡り、お酒は飛ぶように売れた。
 お祭りの酣を引き上げるという目標は間違いなく達成された。本来の目的である妖怪畏怖の復興も、ちょっとは満たせているに違いない。数人くらいは私達を怖がってもくれただろう。
 しかし、霊夢は不機嫌であった。私の頬を引っ張り、ますますじっとりした視線をこちらに向ける。

「盛り上がりゃ良いってもんじゃないでしょうが」
「痛いよ、痛いってば。なんでそんなにぷりぷりしてるのよ」
「怪我人とか出たらどうするつもりだったの」
「お前にそんな事を気にする能があったとは驚きだ」
「そりゃあするわよ、これでも博麗の巫女なんだから」

 霊夢は腰に手を当てて、ますますぷりぷりとしだした。

「というか、あんな事して紫に怒られなかったの?」
「ご主人様は何も知りませんわ。事が済んでから出てきたから」

 作戦実行後、昨晩のその後を思い出す。幻想郷の空を彩った硝煙と閃光に有頂天となった人妖は、揃いも揃って宴会を始めた。紫様はその場に現れて、大量のお酒を周囲に振舞って歩いたのである。
 墜落した狐狗狸同盟の我々も受け入れられ、大変に楽しい宴会だったと記憶している。美味しいお酒に美味しい料理、文句の付け所と言えば火薬臭い事くらいで、日が昇るまでずっと騒いでいた。
 だから私は、今大変に眠い。霊夢の心情ソムリエであるこの八雲藍が、目の前のおまんじゅう巫女がなにを考えているのか判断がつかない理由も、そこに根ざしている。

「うふふ、いや、すまないね」
「まったく……」

 思い出し笑いをする私を見て、霊夢は疎まし気に目を細める。
 酒気に塗れた記憶を探ると、そういえば、昨日は霊夢の姿を見なかったような気がする。覚えているのは、遠くで喚き散らして満足して帰っていったまぬけ巫女の背中だけである。

「…………」
「…………」

 しばし黙って見つめていると、今度はにっこりと微笑みおる。

「……もしかして、怒ってる?」
「うん」
「今日私を呼び出したのは……」

 戦々恐々とする私に、霊夢はいろいろな感情を詰め込みすぎて、結果として自嘲が形成されたような笑顔を浮かべるのだった。

「よくも神社で一人寂しく膝を抱える私を放置してくれたわね」





 私は式神であるが、それ以前に数百年を生きる妖怪であり、己を律するに十分な知性を兼ね備えていると自負している。言い換えればはっきりとノーと言える妖怪なのである。
 そして、その信念を折るに足る力を持っているのは幻想郷に五人と居ない。そのうち一人が目の前の巫女だと言うのは、この上ならぬ不幸であった。

「おぉ、藍。遅かったのう」
「いやすまない。錘があんまり重かったもので」

 狐狗狸同盟の会合場所となった居酒屋の個室、その襖を開けば、既にマミゾウと影狼が卓を囲んでいた。顔が紅いのを見るに、既にべろんべろんに酔っ払っている様子である。卓の上にある鉄鍋では、じうじうと野菜や肉の焼けている。「もう居酒屋で会議はしない」という決心は遥か昔に打ちたてた柱の様に地に倒れ伏していた。
 首を傾げるマミゾウは、まず私の後ろに立つ影に気付き、困惑した。

「なんじゃ、人間じゃないか」
「どうしてもと言うからね。連れて来ちゃったよ」

 私は小さく振り返り、そこに仁王立ちする娘の姿を見やった。霊夢は腰を当て、したり顔である。

「どうしてもなんて言ってないわよ」

 よくもいけしゃあしゃあとそんな事を言えるものだ。涙目で「私も混ぜなさい」などと言われて、この私が拒める筈もなかろう。ずるい娘に育った者だ。
 自分の顔を立てる事すら許してもらえないとなると、これは理不尽である。是が非でも意義を申し立てたい。

「どういう事? 一応、妖怪だけの集まりのはずよね」

 影狼の疑問も尤もだ。私もそう思う。

「監視よ。一昨日みたいな阿呆な事しないように、ね」

 如何にもそれらしい事を宣いやがるが、どうせ口からの出任せだろう。寂しくてしくしく泣いていたくせに、見栄を張る技量だけは人一倍長けている。
 しかし残念ながら、脳みそが単純に出来ている幻想郷の妖怪はそんな事まで信じてしまう。狸も狗も、こくこくと頷いていた。それを受けて、霊夢はそそくさと室内に進入していった。
 まぁ、良いか。排斥されるよりはよっぽど良い。またしくしく泣かれては面倒だ。
 私は「妖怪が畏怖されないのは妖怪そのものに原因があるのではないか」という結論を危うく出しそうになり、くらくらする視界に耐えつつ、霊夢に追従した。
 本日こうして狐狗狸同盟を招集したのは他でもない。一昨晩の祝勝及び反省会と、次なる計画に向けての作戦会議である。
 妖怪の尊厳を云々しようという会に妖怪の敵である博麗の巫女がいるというのは、どうにも幻想郷らしすぎる気がしないでもない。まぁ、こいつにはお肉でも食べさせておけば口を出してくる事もないだろう。
 まず一杯の盃を干してから、私は全員を見回した。ふと乾杯すべきかと逡巡したが、勝利者二人は既に大変おめでたい顔をしている。必要はなさそうだ。

「さて、まずは反省か」

 一度咳払いをし、注目を集めてからそう切り出す。

「まずはマミゾウ、何か意見は」
「とくになーぃ」

 間の抜けた返答である。
 それに続く言葉も期待できそうにないので、次に移る。

「影狼。お前は?」
「特にないわー」

 こちらも然り。
 それに続く言葉も期待できそうにないので、次は私の番だ。

「私からもなにもない。結局撃墜されたとか注目を集めすぎたとか、そういう細かいところを除けば完璧な作戦だった」

 どちらにせよ、この先何年続くとも知れぬ関係だ。まともに反省考察を行うのは馬鹿の所業である。ようするに死者を出すとか火事を起こすとか、そういった重大な事故を起こさなければ良いのだ。
 狐狗狸同盟の活動を行うにあたって、闇雲に妖怪らしい事をする以外に手を知らぬ私は、そういったスタンスを取る境地に辿り着きつつあった。

「というわけで祝勝会。お疲れ様、二人共」
「うん」
「うむ」
「そして放置してごめんね、霊夢」
「んー」

 霊夢は既に、二人に混じってせっせと箸を動かしている。そして鍋からお肉を引き摺り出しては、自分の器に盛りつけていた。そっちに集中しているから、返事も大分おろそかである。

「まったくもー、お前はそうやって肉ばっかり」
「こういう時しか蛋白質摂る機会ないし」
「蛋白質だけ摂ってどうするんだよ」
「なによ、私にこっちのしらたきだけ食べてろって言うの」
「ええい、うるさい」

 うにゃうにゃと蛋白質が如何に大切であるかを説かんとする霊夢の口に熱々の玉葱を押し込んでやると、泣きながら食べ始めた。

「なんじゃ、おぬしら随分と仲が良いんじゃな」
「仲が良い、ねぇ。腐ってるだけだよ」
「どういう意味よ、それ」
「お前にも人間の友人が出来ればわかるよ」

 私と霊夢の間に横たわっているのは、腐水に浸かってずぶずぶに腐り果てた荒縄である。千切ろうと思えばすぐに千切れるが、しかし触れるにはかなり憚られる。もしもこのまま放置していたら、二人共がんじがらめになってしまうのは目に見えていた。
 そもそも、この私に断ち切れるかと言えば、極めて否である。

「まったく、面倒だよ」

 霊夢の恨みがましげな視線を避けつつ、私は自分の器へと卵を流し込んだ。

「こんな巫女の事はどうでもいい。議題は次の活動に移ってる」
「なに? もう他の悪戯するの?」

 影狼がきょとんとした目をしながらそう言った。小首をかしげ、意外そうな表情をしている。

「悪戯とか言うな。一応狐狗狸同盟の由緒正しい暗躍だ」
「由緒ってなによ」
「あの、ほら、数百年の歴史とか」
「具体的には?」
「それは私も知らない」

 それこそが狐狗狸同盟の謎なのであった。少なくとも百を下らぬ歳月を歴史の裏で蠢き、名前は幻想郷に住む者なら誰もが知っている。しかし、その実態は誰一人として知らないのである。
 こうして狐狗狸同盟の首長となった私ですら、かつて耳にした噂を元に「おそらくは非営利妖怪権利団体の類だろう」と推理して行動を起こしている有様だ。

「なんだか怪しいわね」

 影狼の疑念は尤もであり、これには同意せざるを得ない。
 だが一度任された職分をやすやすと手放すというのは、私の奴隷根性に反する。私は断固として、狐狗狸同盟首長として絶えず邁進していく所存である。

「そういや、そもそも狐狗狸同盟ってなにを目的にしてるんじゃ?」
「それは、その、妖怪の脅威をだな」
「そんな大それた事をする割には、三人ってのは少なくない?」
「あう、あう」

 そのような疑問を私にぶつけられても困る。そもそも私だってこの集団の活動主旨については何も知らないのである。
 先代からなんの説明もなかった以上、私に出来るのは考察を元にそれらしいと思われる活動を繰り返す事のみだ。

「目標なんてないんじゃないの?」

 そこで声を上げる霊夢。牛肉を思いっきり頬張ったその声はあまり明瞭ではなかったが、そう言ったはずだ。

「どういう意味?」

 静かになった部屋に、ずるずるとしらたきを啜る音が響く。

「いや、あんたら妖怪って、こう、後先考えないじゃない」

 その言い方には大変な語弊がありそうなものである。実際のところ、霊夢は妖怪を馬鹿にするにつけて吝かでないのは私だって知っていた。

「だったら、その三人が集まるのって三倍後先考えずに阿呆をやるためなんじゃないの」

 暫く、肉が焼ける音だけが室内を支配した。呆然とする私の視界の端で、影狼とマミゾウが互いに顔を見合わせている。
 流石の私も、己が首長を務める団体が単なる阿呆集団であると認めるのは憚られる。というか無理である。もしその言葉が真実であるとしたら、私は恥も外聞も所存も投げ捨てて現在の地位を他の狐に渡すことであろう。
 昨晩の己の姿が脳裏に蘇る。確かに、あれは救いがたい阿呆の姿であったと自分でも思う。しかし、そもそも狐狗狸同盟自体が阿呆のための集団であったとするならば、あれこそが正しく健全な活動であったということなのだろうか。
 勘の鋭い霊夢がそう言うと、ますます不安になってくる。腐り果てた網の内側に囚われた三匹と一匹の姿を幻視し、俄に戦慄した。

「影狼、マミゾウ、なにか活動案を出せ。なるだけ知的なものを」

 かくなる上は、我々の代から意識変革を試みるより他にない。これまでが如何なる団体であったのかは定かではないが、それならば高尚な団体へと塗り替えてしまえばいいのだ。
 霊夢の言葉を真に受けたわけではないが、不安の種は摘み取っていくべきである。この関係がいつまで続くかはわからない、しかし後に棒に振ったと後悔するのは避けたい。
 数百年に渡って孤独であった私の傍で生まれた、小さな種なのだから。
 私の必死さが通じたのか、はたまた危機感を抱いたのか、二人は顎に手を当ててうんうんと唸り出した。私も同様である。唯一、霊夢だけが暢気に蛋白質を摂取していた。




 我々は極めて知的であり、おおよそ知識知恵の類は備えていると自負していた。しかし酒気が抜けて冷静になってから考えてみれば、それはあまりにも身を過ぎた自尊であり、実態は知的でもなんでもない、目の前のアルコールとお肉と油揚げに踊らされるだけの存在であったと反省せざるを得なかった。
 あれから、私たち三人の間で上がった案の一部を紹介しよう。
 まず、マミゾウの「全員で読書を行い、それぞれ意見考察感想を交えて一筆執り、狐狗狸同盟から出版する」という案。これは一見なかなか知的な様に思えるが、しかしいざ実行してみれば残念極まりない結果に終わった。
 私が読んだ「コンピュータの彼岸」、マミゾウの読んだ「曰く付きの人形物語」、影狼の読んだ「死のノート」。それぞれの感想が掲載された出版物は、しかし書名を見てご理解頂ける様にジャンルがバラバラであり、無料頒布にも関わらず「何を目標としているのかわからない」「天狗の新聞よりも酷い」という散々な評価を得るのみに留まった。狐狗狸同盟の世間的評価は低迷する中、霊夢だけが「阿呆ねぇ」と暢気に笑っていた。
 次に採用されたのは影狼の「幻想郷の中でも人の踏破しきれていない場所に行って地図を作る」という意見である。成功すれば、それなりの功績が認められるに足る素晴らしい提案である。
 我々が踏破を試みたのは妖怪の山であった。かつてより人間の近寄りがたい地であり、ここを解明したならきっと妖怪の地位向上、そして目先の目標である狐狗狸同盟の名声も高まることは想像に難くない。
 ところが、それは著しく絵に描いた餅であり、現実はそう優しくはなかった。こっそりと侵入を果たしたは良いものの、すぐに天狗に目をつけられ、にべもなく駆逐されてしまったのである。しくしくと泣き濡れて盃を交わしたあの屈辱を忘れてはならない。
 それだけならば良い。しかし問題はそこからであった。天狗共は我々の痴態を、事もあろうに紙面に晒し、幻想郷中にばらまいたのである。これによって我々三匹(この時霊夢は「なんだか嫌な予感がする」と行って付いてきていなかった)の評判は泥濘の中を這い、そこかしこで後ろ指を差される様になった。「ま、気にしないでよ。阿呆だけど」と慰みにもならぬ言葉をかけてくれたのは霊夢だけであった。
 いよいよ満身創痍の体となりつつあった我々であるが、めげるにはまだ早い。次なる策は私の打ち出した「里中で算学の講義を行い、妖怪の知力を見せつけよう」である。
 これに関して、私とマミゾウは良かった。ただ一人どうしようもなかったのは影狼だ。こいつは数字の才というものが微塵もなく、講義の合間に十を数えぬ子供にすら突っ込まれるという有様だった。
 影狼だけが口撃を受けるのならば良い。しかし理不尽にも私達までもが無能の烙印を押され、手酷いバッシングを受けたと言うのだからたまらない。
 結果として、我々の評判は底なし沼を泳ぐが如き様相を呈し、その上私の財布の中身が影狼の胃袋に収まる事になった。霊夢は蛋白質を補給しながら「阿呆っぽくて良いんじゃないの」などと言うのであった。
 そうして策の出し手が一巡した辺りで、私の精神の力は底を突き、行動を起こすだけの気力をすっかり失ってしまった。

「そろそろ諦めればいいのに。これでわかったでしょ、狐狗狸同盟ってのは阿呆を繰り返すために作られた集団なのよ」
「不吉な事を言うな」
「何が不吉よ。どうせあんた達がなにをしたってダメダメな結果になっちゃうんだ」

 霊夢はきゃらきゃら笑いながらそんな事を言う。追い詰められつつあった私は一時その言葉に籠絡されかけ、己は阿呆の化身であると信じそうになったが、なんとかその場に踏みとどまる事が出来た。

「一体私が何をしたっていうのさ」
「ここまでやってきて未だにわからないなら、あんた本格的にまずいわよ」
「私は飽くまで真面目に事を進めてると思ってる。しかし、なんだこれは」

 今や狐狗狸同盟の名はすっかり地に落ち、追従して私達三人もちょっぴり愉快な動物の仲間たち扱いされてしまっている。風に聞けば、狐狗狸同盟は既に「失敗」だの「阿呆」だのの代名詞扱いをすら受けているらしい。
 全く涙がちょちょ切れる思いである。

「霊夢、一体どうすればいいのかな」
「さぁ? 私の知ったこっちゃないわ」
「お前ちょっとずるいよ。こういう時ぐらい力になってくれてもいいじゃないか」
「力になるってもねぇ。どうすれば良いのよ」
「知恵を貸して欲しい」

 「知恵?」と霊夢が呻く。

「あんたがそんな事言うなんて世も末ね」
「世も末だよ。なんでお前みたいなほえほえ巫女にこんな頼み事をしなくちゃならないんだ」

 数年に渡る霊夢との付き合いを思い返す。こいつとやっていくに当たって、私は未熟ながらも年長者として規範足りえる様に努力を重ねてきたつもりである。
 その結果、霊夢も多少なりとも私を尊敬する素振りを見せるようになった。そこに至るまでの努力、多くは語らぬが、きっと理解していただける事と思う。
 今、私がやろうとしている事は、それら努力をまとめて水泡に帰す可能性を孕んだ危険な行為である。
 しかし我が狐狗狸同盟が現状を打開するには、常に傍で我々の体たらくを笑っていた霊夢の知恵を借りる他にない。
 失った信用は、また取り戻せば良い。私はそうして悲痛な決意を固め、へらへら笑っている霊夢を見やったのだった。

「霊夢、お願い。お前に頼るしかないの」
「ど、どうしたのよ、気持ち悪い」

 しかし泣きつく頃合いを見誤ったらしい私は、有ろうことか目に涙を溜めて霊夢に抱きついてしまった。そのまま堰を切ったように涙が溢れ、すっかり前後不覚に陥る。
 そんな私の様子に、暫時霊夢は困惑しきりであった。が、どこかで合点が行ったらしく、ふんわりと私の頭を撫でた。

「……しょうがないわね」

 「妹が出来た気分だわ」といやらしい笑みを浮かべる霊夢は、どういうわけだか私に安心感を植えつけたのだった。






 実際事になってから顧みてみれば、私はなんと阿呆な事を言ったのだろうかと頭が痛くなった。
 次の日、「準備が出来た」という霊夢からの一報を受けて、マミゾウ影狼ともども馳せ参じた私は、あれよあれよと言う間に悪魔めいた言葉に乗せられ、正気に戻った時には、どういう訳だか巫女装束に袖を通していた。

「この詐欺師め、私の涙を棒に振ったな」
「人聞きの悪い事言わないで。私にだって考えがあるんだから」

 腰に手を当てる目の前の霊夢はしたり顔を浮かべている。その威風たるや、鬼が裸足で逃げ出す妖怪っぷりである。
 影狼を見よ、先程から「こわいわー、人間こわいわー」と繰り返してぷるぷる震えている。弛んだ袖の隙間から見える黒い獣の片鱗が、今日ばかりは幼気な犬っころのそれに見える。
 戦慄する狐狗狸同盟の前に立ち、霊夢はしめやかに説明を開始した。曰く、「幻想郷の代表である博麗の巫女の手伝いをすれば、きっと然るべき評価がくだされるであろう」と。
 マミゾウと影狼は恨みがましげに私と霊夢を交互に見つめている。私だって泣きたい気分だ。

「霊夢、敢えて訊くけど、まさか私達を利用して客寄せしようって魂胆じゃあないわよね?」
「違うわよ、飽くまで親切心」

 親切心が聞いて呆れる。声の調子に耳を傾ければ、嘘である事が丸わかりである。
 しかし、昨日自分から頼み込んだ、否、泣きついた以上、形の上でだけは従順であらねば罰が当たるような気もする。子供の様な素直な心で霊夢を見上げてみれば、その自信に満ちた佇まいは信用に足りそうな錯覚までもを起こさせた。
 私は隣に座る二人に目配せをして、小さく頷いた。マミゾウは露骨に嫌そうな顔をし、影狼に至っては頭を抱えて視線すら交錯しなかったが、私は霊夢を信じる事に決めたのである。

「仕方ないな、わかったよ」

 そう言うと、霊夢はそれまでの化け物じみた意地の悪い笑みを投げ捨て、屈託のない満面の笑顔を見せてくれた。ぱっと目を背け、何も見なかった事にする。
 霊夢の笑顔は危険だ。直視すれば網膜が焼ける。
 斯くして我々は見事に霊夢の口車に乗る羽目になったのだ。
 どうせ参拝客が来るわけでもなかろう。私の痴態を見るのも、この場にいる三人に留まるに決まっている。適当に霊夢の言う事を聞いて、時間を潰していればすぐに終わる。
 そう高をくくっていたのだが。

「藍、藍や、なんじゃこれは」
「私が訊きたい。これは一体どういうことだ」
「毛が、みんなに毛が見られる……」

 狐狗狸同盟が博麗の巫女の走狗に成り下がってから四半刻も経つと、境内は大量の人間に埋め尽くされる様になっていた。妖怪ではなく人間である。これは最早異常事態と言っても差し支えない。

「霊夢、お前まさか何か妙な流言でもしたのか」
「な、なにもしてないわよ」

 霊夢だって、この状況には困惑している様だった。声の震えは看破によるものだけではなく、明らかに目の前の人混みに向いている。なにかしらの宣伝はしたが、ここまでの効果は見込んでいなかったと言う事か。
 どうにも納得のいかない私は、人々の会話からヒントを得るべく耳をそばだてた。すると、聞こえてきたのはおおよそ己の聴覚を疑いたくなるようなものばかりである。
 やれ「次はどんな失敗をするのか」だの「良い見世物だ」だの、狐狗狸同盟の失敗を望んでいるかのような声が、境内にあまねいていた。

「ねぇ、藍、どうするのよ、毛が見られちゃうわ」
「儂もちょいとこれは困るぞい。連中め、野次馬根性丸出しではないか」

 確かに、この状況はあまりよろしくない。私とていい年こいてこんな格好をしているというのを見られるのは人並みに恥ずかしさを覚える。

「や、堂々と振る舞えば良い。これは霊夢の言った通り、好機なのかも知れないわ」

 しかし私の口から出たのはそんな言葉であった。錯乱していたのではない、本心からの台詞である。

「これまでの私たちはどうしようもなく負け犬ムードだったけど、今日は霊夢の手伝いって言う大義がある。きっと上手くいくわよ」

 極めて希望的観測であるが、霊夢の言葉を信用した以上そこまで乗らねば損だ。能を使う事を忘れた人間たちに私たちが如何に優秀であるのかを魅せつけてやるのだっ。
 二人は吶喊する私を呆然と見つめていたが、そのうち渋々ながらもやる気を起こした様だった。
 今こそ我ら狐狗狸同盟の意地を見せてやる時である。
 それから私たちは精一杯働いた。混雑する人員の整理、境内の掃除、極めて適当な祝詞の読み上げ、笑いが止まらない霊夢の介護、その他もろもろ。当初は拝殿の奥に引っ込んで出て来なかった影狼も、袖を二重にして毛を隠すという妙策を経てきびきびと働いてくれた。
 即物的な物の見方によって判断するのであれば、日が昇りきる頃には賽銭箱がいっぱいになっていた、と言えば我々の健気な働きが理解していただけるだろうか。
 民衆の間でも、ところどころ狐狗狸同盟を見なおした様な言葉が会話の端々に聞こえるようになってきた。これが今日の活動の結果であるとすれば、霊夢の妄言に乗ったのは正解だったと言えよう。
 ただ、気にかかる事態も発生した。

「はっはー、頑張れよ狐の嬢ちゃん」

 見知らぬ中年男性の多分に軽視を含んだ愛撫が、なんとも私の気力を抉っていく。それを見てニタニタ笑っていたマミゾウも、すぐに名も知らぬ女性に頭を撫でられて妙な具合になっていた。影狼に至っては、隅っこで子供たちに餌付けなんかされてしまっている。
 一つ確認しておきたい。私は九尾の妖狐、齢千を下らぬ古狐である。そりゃあ見た目は幼いが、尻尾によって一定の威厳は稼げていると自負していた。マミゾウ、影狼も私より大分若いものの、それでも百は数える筈だ。
 それが、どういうわけだかすっかり童子扱いされてしまっている。
 一体どうしたものか。目を丸くしているところを見ると、霊夢もこの状況を狙ったわけではないらしい。ただ離れた場所に立って、小首を傾げるばかりだ。
 撫でられすぎて形の崩れた帽子を疎ましく思いながらも、私は気力を奮い立たせ、人の波が途切れたのを見計らい霊夢の元に駆け寄った。

「霊夢、霊夢、助けてよ」
「いや、そんな事言われても……」
「なんで私がこんな目に遭わなきゃならないんだ」

 知らない者に頭を撫でられるのは、この上ならぬ屈辱である。尻尾をもふもふされるのも然り。ちょっと泣いてしまいそうだ。
 かくなる上は、霊夢のなでなでを受けて浄化するより他にない。そう思って接近すれば、すぐに霊夢は私の両耳の間に手を置いてくれた。

「まったく、手がかかるわね」

 そうしてそんな事を言う。その瞬間、私は己の行動が如何に軽率であったかを思い知った。これではまるっきり私が年下の童のようではないか。

「ああ、もうっ。ままならないなぁ」
「どうしたのよ、情緒不安定ね」
「お前みたいな粗野な巫女にはわかるまい」

 自覚すればますます自分の言動、行動の裏に見え隠れしていた幼気の気配がそろりそろりと忍び寄ってくるかのようである。否、それは違う。狐狗狸同盟としての活動に追従していた我が行動の幼さが、腐りきった網の様に覆いかぶさってきたのだ。
 網に抜け穴はないか。そんな希望を胸にこっそり後ろを振り向いてみれば、なんとも安らいだ顔がいくつも並んでいる。
 その網は穴どころか隙間すらない完璧なものであった。まさしく天網である。その内側に捕らえられた哀れな狐は、もはや身動き一つ出来ずに現実に打ちひしがれるばかりである。
 私はゆっくりと霊夢から頭を離し、拝殿正面から見えない場所、即ち縁側へと飛んで逃げて行ったのだった。よく日の当たるそこに丸くなると、なんだかますます幼くなったような錯覚に襲われた。
 私の脳内では、既にある仮説が成り立ちつつあった。狐狗狸同盟とは、霊夢の言う通りに妖怪が阿呆を繰り返す団体なのではないか、と。それを否定せんと必死に抵抗を続けるうちに、ますます泥沼にはまって阿呆の烙印を受けてしまうという呪われた団体なのではないか、と。
 そもそも考えてみるが良い。まともな思考能力を持っていたのなら、この八雲藍が花火で祭りを爆撃するなどという暴挙に出ようはずもない。これは間違いなく、狐狗狸同盟と言う名の銀の皿に塗りたくられた毒のせいである。
 何が阿呆か。そんなもの私が排斥してくれる。ずぶずぶと毒の沼に嵌り込み、腐り果てていく己の身など想像したくもない。
 ふと顔を上げれば霊夢が天使のような笑顔で手招きをしている様な幻が見えたが、しかし目を凝らせ。奴の周りに張り巡らされた腐敗した天網を見よ。あれに近寄れば、私はますます阿呆の世界へと引きずり込まれてしまうに決まっている。

「藍、どうしたの?」
「ええい、うるさいうるさいっ。私に近寄るなぁ」
「いや、ここ私の神社なんだけど」
「む、ぐ……」

 尻尾がゆらりと揺らめいた。

「霊夢の、馬鹿ーっ!」

 前後不覚の境地にあった私は半ば無意識にそう叫び、そこら中に頭をぶつけながらふらふらと飛び去っていた。北東の空は既に暗く、無軌道な飛行を繰り返しているうちに、気が付けばその闇に飲み込まれていた。





 それから暫く、私は自分の部屋を出るという事をしなかった。外に出れば影狼、マミゾウ、そして霊夢が油揚げと網を携えて待ち構えているのではないか、という疑心に囚われていたためである。
 無論、狐狗狸同盟の活動にも参加していない。寂寥感にも襲われたが、しかしここで奴らに会うわけにもいかず、私は日々悶々と暮らしていたのだった。
 そうしてすべてを忘れるために、無為な方程式開発に勤しんでいた。毎日机に向かって己の才気を煥発させ、筆を取り、倦まず弛まず検証を繰り返し、それに飽いたら万年床に潜り込んで死んだように眠る。人妖的とは言えないものの、極めて模範的な式神の生活である。惜しむらくは褒めてくれる者も貶してくれる者も居ない事くらいか。
 いや、いじけているのではない。私は大妖怪八雲紫の右腕にして、崇高なる式神なのだ。一人の方がよっぽど性にあっている。
 今もこうして出来上がった方程式を掲げ上げ、矯めつ眇めつ見ながら悦に入り、そうして単純な和を間違っているのに気付いて落胆する。その上単純な差を間違っているのに気付いて落胆する。重ねて単純な積を間違っているのに落胆する。商がどうであるかは言うまでもなかろう。ちょっとミスが多すぎる気がしないでもないが、こうやって計算に触れるというのはまこと私らしい、模範的式神の日常消費方法ではないか。
 何が目的にしているのかは自分でもわからないが、狐狗狸同盟として活動を繰り返すのよりかは知的に映るはずだ。問題は誰の目に映るか定かでないことでない事である。
 そんな風に数多の半紙を墨塗りにして暮らし、既に一週間が経過していた。平坦であり、変化の全くない七日間だ。
 答えの出ぬ設問にひたすらに体当たりをする作業にも飽き始めた私は、日の匂いのすっかり抜けた布団に包まってぼんやりと時間がすぎるのを待っていた。
 自分の内から狐狗狸同盟に対する未練が失せるまでは、断固としてここを動かぬ所存である。油揚げだって食べない。
 極めて禁欲的に、この部屋の中で、己の阿呆の血を洗い流すのに専念するのだ。
 ところが、そんな私の気を乱す者あり。
 背後で襖が開き、久方ぶりの光が室内に差し込んでくる。すっかり自分の世界に閉じこもっていた私はすっかり動転して「うぎゃああああっ」と悲鳴を上げてしまった。

「どうしたのよ、藍」

 慌てて布団から這い出して、振り向いてみれば、光の中に紫様が佇んでいた。大きな欠伸を扇子で隠し、流し目でこちらを見下ろしておられる。

「あ、や、申し訳ございません、ちょっと」

 私は布団を退けて、その場で背を正した。尻尾から服、耳に至るまですっかり寄れてしまっているが、しかし姿勢だけでもやらねば格好がつかない。

「あらまぁ、酷い顔。そういえば貴方を見るのも暫く振りね」

 紫様はくすくす笑い、私の傍まで寄ってきて顔を覗きこんできた。

「一週間か、貴方一体何をしていたの?」
「方程式の調整です。普段の仕事は、他の式神に任せてあったと思いますが」
「いや、そりゃあわかってるんだけどねぇ。そうじゃなくて、貴方の事を訊いてるのよ」
「ですから、方程式の調整なのです。幻想郷の為の」

 私の言葉を受けて、紫様はぺらりと一枚、近くにあった半紙をめくった。そして、ほんの一瞬それに目を通してから失笑なのか嘲笑なのか正体の掴めない息を吐いて、再びこちらに視線を戻す。

「間違いだらけじゃない。こんなんに七日もかけたんだって言うんなら、今すぐお仕置き事案なんだけど」
「あうう、仕方ないじゃないですか。集中できなかったんですから」
「集中出来ないなら幻想郷の為だなんて言わないの、まったく」

 額をぴしゃりと小突かれてしまった。私の非は明らかであるので、もはや返す言葉もない。
 そう、私はまったく集中出来ていなかったのである。一週間半紙を濡らして得た成果など欠片もなく、むしろ自分が如何に件の三人に絡め取られていたのかを痛感するばかりであった。
 それを自覚すると、ますます嫌になる。再び布団に潜り込んでこんこんと眠りたい衝動に駆られた。

「待って待って、話はまだ終わってないんだから」
「今は何も話したくないのです。連中の記憶を脳髄から締め出すまでは、禁欲的に戦略的な籠城を続けなければ」

 「連中?」と紫様が小首を傾げる。

「うげ」
「うげ、じゃないわよ。隠し事でもしてるのかしら」

 目の前に浮かぶその顔はなぜだか嬉しそうである。対する私は、口を滑らせてしまった事を激しく後悔した。

「貴方がそんなに腐っているのは、その連中とやらが原因のようね。詳しく教えてくれないかしら」

 紫様はすっかりその話題に興味を持ったらしい。こうなっては、どうはぐらかしてももはや無意味だ。私は腹をくくり、同時に全てを諦めた。

「ご主人様、あなたは狐狗狸同盟を知っていますか?」
「……」

 しかしそんな覚悟も束の間、紫様の反応は芳しくなく、目をぱちくりと瞬かせるばかりである。これは一体どうした事か。

「……もう一度言って貰えるかしら」
「ですから、狐狗狸同盟です。狐、狗、狸と書いてこっくりと読みます」
「……まぁ、まだそんなのがあったのね」

 その言葉によって、なんとなく紫様の反応の意味が察せられた。どうやら、かなり深くご存知の様だ。
 紫様はうんうんと頷いていたが、しばらくしてから再び私を見やって続きを促した。

「えっと、暫く前に私がそれの首長になったのです」
「なんですって?」
「ですから、首長に。ほら、少し前に里のお祭りで花火騒動があったでしょう。あれは私たちの仕業だったのです」
「あらまぁ、知らなかったわ」
「言ってませんでしたからね」
「随分阿呆なことをしたものね」

 そう言われると私も弱い。ご主人様にまで阿呆と称されると、私には立つ瀬も浮かぶ瀬もないではないか。

「……とにかく。ここ最近、私は狐狗狸同盟を率いる者として必死に活動していたのです。霊夢も一緒になって」
「ふぅん、私の知らないところでねぇ。そう……」
「でも、気付いたのです。そんな無為な活動を続けていたら、私はきっとますます阿呆になってしまうと」

 狐狗狸同盟という言葉の持つ魔力。それは人妖の知性を著しく吸収し、逃れられない阿呆の連鎖に巻き込んでしまうという恐るべきものである。私はその魔力から逃れるべく、こうして隠者の様に部屋に引き篭って俗世のあらゆる欲を断ち切って生活していたのだ。
 以上の如く説明すると、紫様はいやらしい妖怪めいた笑みを浮かべ、私の頭をぽんぽんと叩いた。

「藍。ここまで聴いておいて難だけど、私も貴方に言わなきゃならない事があるの」

 その口調は至って真面目であるが、しかしどこか小馬鹿にしたような感じも受ける。そんな不思議な雰囲気をたたえていた。

「なんでございましょう」

 並々ならぬ気配に戦々恐々としていた私も、これでは耳を塞ぐ事も能わない。素直に意識を傾け、続く紫様の言葉を受け入れるばかりである。
 ところが、紫様の口からまろび出たのはおおよそ私の予想をはるかに超えたものであった。

「狐狗狸同盟、昔私が作ったの」

 その一言で多大なる精神の力を消費した私は、そこから先の紫様の口から出る言葉の数々を言葉として認識するのを放棄した。
 ご主人様の話を総括すると、こうである。
 数百年前、まだ妖怪が人間達に本当の意味で畏れられていた頃。紫様は人間たちととある協約を結ぶべく、里にて長老達と会議を行なっていた。現在と違い、完全無欠な妖怪であると考えられていた紫様、締結は簡単であろうと高をくくっていた。ところがそれが大違い、人間の年寄りと言うのは紫様の考えていた以上に傲慢であり、それ以上に頑固だった。
 困ったご主人様は一計を案じ、境界から適当に三匹の獣を取り出して、「条件を飲まなければこの子たちを里に放ちますわ。その代わり、飲んでいただければ里の中の人間が食われる事はありません」と脅しにかかった。老人はそれに恐れ慄き、紫様の望んだ通りの条件を飲んだのであった。
 この時取り出された獣が、狐、狗、狸の三匹だったのである。用事の済んだ紫様はさっさと巣に帰そうとしたが、そうはいかなかった。突然呼び出されてなんの得もないのでは困る、我々にご飯を、むしろ住処を、と要求してきたのだ。
 どこまでもがめつく、おおよそ独善的なこの獣たちを、紫様は狐狗狸同盟と揶揄して呼んだ。彼らはどうやら満更でもないようで、その呼称を自ら吹聴して回ったのである。
 これが狐狗狸同盟の起源だった。

「いや、まぁ、まさか今に至るまで続いていたとは驚きだけどね」
「嫌です、もう聴きたくありません」

 如何に耳を塞ごうとも、ご主人様の言は指の間をすり抜けて入ってくる。途中からは布団に包まってうーうー唸っていたものの、結果は同じであった。
 なぜならば。

「あ、そうそう。一応言っておくけど、この名前に深い意味はないからね」
「あうう」
「適当に私が付けた名前が、適当に受け継がれて、適当な狐狗狸を経て、適当に貴方達に受け継がれたの。そこにはなんの呪詛も祝詞も関係ないわ」

 そう。紫様の言う通り、狐狗狸同盟は呪われた組織でもなんでもなかったのである。そんなものは私の妄想が生み出した幽霊であり、つまりこうして一週間も引き篭っていたのは全くの無意味であったという事だ。
 それ以上に。

「呪いもない。陰謀もない。すると、貴方が言ってた「阿呆を繰り返す」ってのは、貴方自身の問題だったわけね」

 会話の流れから自然に導き出された結論は、私の精神を深く深く抉り取るのに十分な物であった。私の中で何か正体の掴めない物がぼんやりと浮かび上がり、穴があれば入りたくなった。穴がなくても掘って入るべきであろう。

「違うのです、紫様、私は優秀な式神なのです」
「わかってるわよ。何よ、そんなにぐちゃぐちゃになって」
「私は、優秀で、決して阿呆などでは……」

 前後不覚に陥った私の両耳の間に紫様の手がぽん、と乗せられた。霊夢のそれに似た感触が、脳天から全身に広がっていく。視界を濡らす涙の質がなんとなく変わったような錯覚が起こった。

「わかってるわかってる。貴方は優秀よ」
「ほんとですか?」
「うんうん、本当」

 紫様はそこで言葉を切り、一度息を吐いた。

「ただし、賢い妖怪ではないけどね」
「む、それはどういう意味ですか」
「貴方はよく仕事が出来る。私の代わりを務められる程ね」

 頭に置かれた手が髪を掻き乱した。それがあんまりこそばゆくて、思わず目を細めてしまう。

「でもそれ以外が出来ない。自制しているのかどうかは知りませんが、ちょっと真面目すぎますわ」
「式神ですもの。それが普通なのではありませんか?」
「まったく、それだから貴方は駄目なのよ。今回みたいな阿呆みたいな事をした時に沈んじゃうのよ」
「私は阿呆ではありません。沈むのもしょうがない事でしょう」
「藍、良いこと?」

 頭が軽くなり、代わりにぴしゃりと扇子が頭に触れた。

「幻想郷の妖怪ってのはみんなふわふわしたちゃらんぽらんばっかり。その中で一人だけ真面目にやってて、馬鹿らしいとは思わないの?」
「思いませんよっ、私は式神なのです」
「式神式神って、もう、貴方は本当に」

 今度はぺしぺしと扇に叩かれた。これは少し痛い。

「貴方だって妖怪よ。それも幻想郷の、それほど頭もよろしくない阿呆揃いの妖怪の内の一人ですわ」
「……むぅ」
「それを思えば、貴方が狐狗狸同盟でぎゃあぎゃあと騒いでると言うのは、私としては嬉しい事なのだけれど」
「では、どうしろと言うのですか。自分を心の隅で馬鹿にしながら、霊夢たちとずっと馬鹿な事をしていろと言うのですか」
「それが貴方のやりたい事なら」
「やりたくありませんっ」
「そう」

 部屋の中を沈黙が支配する。しかし数秒してから、急に溢れだした嗚咽が響き始めた。それが自分のものであると気付いたのは、それから更に数秒後の事であった。

「じゃあ、貴方はなんで泣いてるのかしら」




 認めるのには些か抵抗があったが、今となってはそれは認知せざるを得ない厳然たる事実であり、否定することは今後数年に渡って成し得ぬ事であると言わざるを得ない。
 まことに残念な事に、私と共に阿呆な行動を繰り返した影狼とマミゾウ、そして陰ながら我々を散々そそのかした霊夢は、どうやら私の友人、それも親友の類であるらしかった。
 自覚をしてみれば、なるほど私と彼女らの間に横たわる一週間という日数が酷く永く、そして無為な物であったかと気付く。本当につまらなく、無意味な時間であった。
 己の過ごした時間の無駄さを自重しつつ、私は暫く振りに博麗神社を訪れた。
 襖を開けて居間を覗けば、どういうわけだか影狼が布団に潜り込んで寝ていた。視界を巡らせればマミゾウまで居る。霊夢と揃って朗らかに笑い、影狼の呆けた寝顔をお酒の肴にしていた。

「おお? そこに居るのは我が首長藍ではないか」

 その和気藹々とした様子に気後れし、入室出来ずにいた私を、マミゾウが発見した。霊夢もそれに釣られて振り向いて、なにやら妖怪めいた笑みを発している。

「あらま、暫く振りね」
「ん、む。色々とあったのだ」
「どうせ大した事なかったくせに」

 霊夢はふふ、と声を溢した。その不敵な態度たるや、まるで私がこうして舞い戻るのを予見していたかのようである。むやみに怯んでしまった私は、言葉を失いながらも室内に歩を進めた。

「なんでそんなに余裕なのよ」
「そりゃあ、帰ってくるのは予想通りだったからね。こんなこったろうと思ってたのよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないわ。あんたと何年付き合ってると思って?」
「むぅ」

 十年の歳月は、こちらの手の内を曝け出してしまうのに十分な時間であったらしい。己の迂闊さを呪いつつ、しかし胸中ほんの少しだけ愉快さを感じてもいた。
 私にとって心の通じる友と言うのは、この博麗霊夢ただ一人だ。それが一方通行な思いではないと知れて不快であろうはずもない。
 ただし手放しで喜ぶ事は出来なかった。我々を囲う腐った縄はますますその強度を増し、もはや逃れる術など無いように思えるからだ。実際のところここまでの関係となると、永遠にこのほえほえ巫女と紫様の両方に尻に敷かれて生きていく姿しか想像出来ない。
 それは狐狗狸同盟の二人に関しても同じ事だ。霊夢の霊気に当てられて陽気になっているマミゾウといい、すやすやと眠る影狼といい、こいつらが私の瞼の裏から消え失せる日など永遠に来ない事であろう。
 これは否定する余地すらなく不幸だ。だが、同時に私の愉悦を満たすに当たってこれほどまでに安心できる結界もない。我々はずっと、この腐り果てた縄にぐるぐる巻きにされたまま阿呆を繰り返すのだ。
 一つの簀巻きになった四人が間欠泉地下センターに飛び込む姿が脳裏に描かれ、私は戦慄した。同時に、ひどく愉快な気分になった。

「それで、こんなところで何をやってるの?」

 神社の居間で狼女が寝ている風景というのは、永い永い私の人生の内でもなかなか思い当たる節がない。その上よく見れば、影狼は傷だらけではないか。擦り傷切り傷火傷、一見重症である。
 この二人が怪我人を介抱してやる程しおらしい質を兼ね備えているとも思えぬし、おそらくは狐狗狸同盟の活動の結果このような状況に陥ったと考えるのが適当であるように感じられた。

「いや、昨日ちょっとな。儂らだけで活動してみたんじゃ」

 マミゾウがそう言う。案の定である。

「一体どんな馬鹿をやらかしたのさ」
「月の姫さんと白髪の少女の殺し合いに乗じて、竹林を焼き討ちにした」
「お前らは馬鹿なんじゃないのか」
「おぬしに言われたかぁない。そもそも儂は悪くない」
「じゃあ誰が悪いのよ。誰の発案だ?」

 霊夢とマミゾウは揃って影狼を指差した。影狼は明確な意思を明らかにはしなかったが、うんうん唸っている。これでは誰を信じるべきか全く定かではない。その上こうして怪我人が出ているのだから、誰であってもいけない事だ。

「骨を折って妖怪の復興に努める姿勢だけは評価するよ」
「じゃろうじゃろう。儂らは頑張った」
「だが本当に骨を折る事はないでしょ。お前らは馬鹿の極みだな」

 マミゾウが顔を歪ませてうぐぐと唸った。

「まったくしょうがない連中だ。やっぱり私の頭脳が必要みたいね」
「あんたの何処に脳みそが収まってるってのよ」
「ふふん、そんな嫌味など通じるもんか。ちょっとは私がいた頃の活動を思い返してみなよ」

 霊夢は余裕綽々な笑みを浮かべたまま、頬に手を当てて考え出した。楽しそうである。恐らく我々の阿呆な活動の阿呆成分のみを抽出して遊んでいるに違いない。
 浅薄なものだ。そのまま放っておけばありもしない事まで妄想しだして沈んでしまうに違いない。ここは助け舟を出すべきだ。

「気付かないか。私が舵をきっていた時は怪我人なんて一人も出していなかった」
「……まぁ、言われて見れば」
「つまりだな、私達がずっと健全な阿呆の縄にしがみついているためには、私の危機管理能力が必要って事なのさ」

 私の言葉に、霊夢はわかったようなわからないような表情を浮かべて呆けた。鈍い巫女だ、こいつ個人にも私が必要なようである。

「霊夢、良いかしら。ひたすらに阿呆を繰り返すってのは、そりゃあ楽しい。でもだれかを悲しませちゃいけない。私達狐狗狸同盟は、飽くまで健全に妖怪らしくあらねばならんのだ」
「まぁ、それなら確かに怪我人を出さないのは重要だけど」
「お前たちに任せていたら危なっかしくてたまらないよ。だから私が導いたげる」

 そう言うと、マミゾウと霊夢は顔を見合わせて、互いに小首を傾げあった。

「あんた、なんかおかしくない?」
「私なりの答えだよ」

 霊夢の問に、そう自信満々に答えてやった。
 うむ、これはなかなか気持ちが良い。私の内に流れる妖怪の血がふつふつと沸き上がるのを感じる。やはり無理に真面目であるより、幻想郷の連中よろしく無軌道にやるのが私にも合っているらしい。
 阿呆と呼ばれる事を甘受し、適度に楽しく、適度に悩みながら生きていけば良い。どう抗っても、妖怪はそれらの業から逃れる事は出来ないのだ。
 それが現時点での私の精算だった。
藍ちゃんかわいい!マミゾウさん可愛い!影狼さん可愛い!ってやってたらいつの間にかこんな事になってました
( ゜Д゜)
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コメント



0.850簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
阿呆どもの友情に100点。
2.90奇声を発する程度の能力削除
良いですね、この感じ
3.90名前か無い程度の能力削除
踊る阿呆に見る阿呆~~ ってヤツですね。分かります。
藍の心境の変化が見て取れました。
それにしても、強がって背伸びをする藍の姿がなんとも可愛らしい。
6.100名前が無い程度の能力削除
おれの何かにドストライクな作品であった。みんなかわいい。
頭の中で藍ちゃんマミちゃん影狼さんの外見年齢が10~12歳で固定された。ちょっぴり背伸びしたいお年頃である。藍ちゃんかわいい。あと紫様がちゃんと主やってて良かった。藍ちゃんかわいい。

余談だが、ここの橙は藍ちゃんよりも精神年齢が高そうな気がする。
8.90名前が無い程度の能力削除
この幻想郷は絶対ロリしかいないw
10.90名前が無い程度の能力削除
(  ゜Д゜)



( ゜Д゜)


こっくりって漢字で狐狗狸って書くんですね。知らなかった…。
藍の言動がとっても若かったのが新鮮でした。藍って、たいてい橙や、グータラご主人や、妖夢とセットになって世話役キャラになることが多い気がします。
だから、こういう失敗したり、いじいじしたり、語尾が「よ」な若い藍様はすごい見てておもしろかった。
影狼がでてきてくれたのも新鮮でGOODでした
12.100名前が無い程度の能力削除
文の中に馴染みのない単語を見つけ、ちょっと落ち込みました。語彙力……
妖怪が妖怪らしくてすごく楽しかったです。阿呆を真面目にやってるのが面白くて面白くて。

藍ちゃんかわいい! みんなかわいい!
16.100名前が無い程度の能力削除
上手いですね。言い回し一つ一つに茶目っ気があって思わず吹き出してしまいました。
ノリと云い人称と云い芥川の文章みたい。
ずっと私の中で藍は藍様だったけど、阿呆の子の藍ちゃんも良いですね!
17.100名前が無い程度の能力削除
実に楽しかったです
21.100名前が無い程度の能力削除
最後の影狼ちゃんの不憫さときたら……
マミゾウさんはうまくとんずらしたんだろうなぁww
25.100名前が無い程度の能力削除
読後に妖々夢の会話を思い出すと途端に藍さまが幼く思えてくる。
つまり、藍が、かわいい。
27.90完熟オレンジ削除
カリスマの無い藍様とは珍しい、と驚きながら、その愛らしさにほっこりしました。
マミゾウさんも同様。影狼さんも……うん、可愛い。

如何にも幻想郷らしい理由で作られたこの団体が、次はどのような阿呆な所業をやらかすのか楽しみです。
28.80名前が無い程度の能力削除
いやだって影狼だけ3ボスだぜ?他の2人はEXなのに。そりゃ被害担当にもなる。
ばか騒ぎを至極楽しそうにやる4人が素敵でした。霊夢が涙目で誘って欲しそうにする程度には、楽しい団体なのです。
29.703削除
これは新鮮な藍。
なんだかんだで幸せを掴んでいるのもいい感じです。
33.80名前が無い程度の能力削除
きわめて理性的で論理的な阿呆(褒め言葉)と言うのが新感覚でした
35.90名前が無い程度の能力削除
楽しんだもん勝ちよ
腐った縄の表現がなんだか好きです