Coolier - 新生・東方創想話

線香花火と屠自古マーライオン

2013/07/04 21:32:37
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 太子様がどこかで手に入れて持ってきた花火セット。
 縦長の袋にはパンパンに花火の束が詰まっていて、私と布都は物珍しげにそれを見つめた。
「せっかくだから三人でやりましょう」
 太子様がそう言ったのは日がようやく傾いてきた時刻だったから、布都は夜の帳が下りるまでずっとそわそわとして落ち着きがなかった。
 花火セットを抱えながら、「楽しみじゃのう、楽しみじゃのう」と繰り返し何度も言う布都に、私は少しうんざりする。
「子供かお前は」
 なんて言ってやると、
「何とでも言え」
 誕生日に熊のぬいぐるみを買って貰った子供よろしく花火セットを抱きしめるのだった。
 とは言え、実のところ私も結構楽しみにしていたから布都の気持ちはわからなくもなかった。花火というものについて、もちろん知識としては持ち合わせていたけれど、実際にやったことも見たこともなかった。そう言うわけで、わくわくする気持ちを抑えるほうが無理な話。早く夜になれと心の中でこっそりと思った。
 そんな私たちの様子を太子様はどこか可笑しそうに見つめていた。何だか心の内を見透かされているような気がして私は少しだけ恥ずかしくなり、そんな気持ちを誤魔化すためにそっと微笑みかけてみると、彼女は特上の笑みを返してくれた。
 夕飯の準備をする間も、夜が待ち遠しくてたまらなかった。時間が気になってしょうがない。珍しく布都が手伝うと言い出したのは、きっとそんな理由。
「何か作業をしていた方が、時間が早く進む気がする」
 時計とにらめっこしてるよりは、そうだろう。
「はいはい。じゃあ、お釜見てて。そろそろ炊けるから」
 最近の料理担当は専ら私の役割となっていた。誰かに押しつけられた訳ではなく、自分からやると言った。太子様が食べる物は、やはり自分で作りたい。ちょっとした私の我儘。
 包丁を操り一定のリズムで食材を刻んでいく。トン、トン、トン。そうして一口大の大きさになったジャガイモやらニンジンを順次鍋に放り込む。無駄のない動きで今度はみそ汁の入った鍋の蓋を取ると、味を確認する。問題なし。
 と、そこで布都がおもむろに釜へと腕を伸ばし、蓋に手を掛けた。
「熱ぅっ!」
「ばかあ! 誰が蓋を取れと言った!」
 うう、屠自古、熱い、などと泣き顔で言ってくる。早く水で冷やせ、ほら、早くしろ。そんな具合に台所はいつにも増して騒がしかった。
 邪魔にしかならない布都の手伝いもあって、何とか夕飯の準備を終えた頃には日も随分と落ちていた。
「うーん、美味しそう」
 食卓に並んだ料理を見た太子様がつぶやいた。豚バラの肉じゃが、カボチャの煮物、小松菜の漬け物、等々。それぞれがいただきますを言う。
「太子様。卵焼きは我が作ったのですぞ」
「……でしょうねえ」
 太子様は卵焼き――と思わしき物――を箸で取るとしげしげと見つめた。形が崩れて、おまけに外側が茶色く焦げているものだから、私にはどら焼きの皮にしか見えない。期待するような布都の視線から逃げることはできないと悟ったのか、太子様はそれを口の中に入れる。
「ふむ。味は悪くない」
 太子様が言うと、布都が満足げな顔を見せる。
 私もちょっと安心する。布都に卵焼きを任せた私にも責任があった。何か手伝わせろとうるさかったから、卵焼きくらいなら大丈夫だろうと思い、任せたはいいものの、出来上がった物を見て驚いた。自分の作業に忙しくて、布都の方を見られなかったのもいけなかった。これからは注意しようと心に決める。
「しかし屠自古の作ったのは、やっぱり安心して食べられます」
「そう言って頂けるのは、ありがたいです」
 私が言うと、布都は、
「太子様、その言い方は何かひどくありませぬか」
「いやー、布都の料理も悪くないですよ。下手なりに」
「下手って言われた!?」
「実際かなり下手だから。正直、私一人で作った方が絶対に早かった」
「追い打ちをかけるでない」
 三人で卓を囲んで、たわいない会話をしながら、料理を口に運ぶ。いつもの夕食の風景。私たちがこの地にやって来てからまだ日は浅いけれど、これがいつもの風景であり、きっとこれからもいつもの風景であり続けるのだろう。
 言ってしまえば何でもない日常だけど、私はこんな何でもないことがたまらなく好きだった。ほんわかとした空気に包まれた空間が、本当に心地よく感じられる。
 だから、私はこれがいつまでも続けばいいなと思う。どれくらい続くのかはわからないし、ちょっとだけ不安になることもある。永遠に続くものなんてないことは身を以て知っている。できるだけ長く、一秒でも長く、一緒に居られるように、できることはやろうと思う。
 たわいない会話が愛しいと思える内は、
 料理が美味しいと思える内は、
 こんな風景が続いて行くと信じている。守って行かなくちゃいけないと思う。望むところだ、やってやんよ、ってね。
 さて、いつもの夕食の風景。ちょっとだけ変わったところがあるとすれば、どこか浮ついたような気配が会話の節々に感じられることだろうか。主に布都からだけど。太子様でなくても、今の布都がどんな欲を持っているのかわかる。早く夕食を済ませて花火やろう! ねえねえ早く早く! そんな感じ。ゆっくりと夕食を楽しみたい私は、今にも外に飛び出しそうな彼女をなだめる羽目になる。こう言う風に布都が暴走機関車と化した時、太子様がいつもうまい具合にコントロールしてくれるのだけど、今回は何も助け船を出してくれない。
 気になって太子様の様子をうかがう。私たちの会話に相槌を打ったり、笑ったりするのだけど、少し様子が違う気がする。ほんの少し元気がないように思える。
「お口に合わないものでもありましたか?」
「いえ、どれも美味しいですよ」
 私が訊ねると、彼女はそう言って笑みを見せる。ちょっとだけ無理をしているような感じを受けるのは気のせいだろうか。引っかかりを感じたが、それ以上踏み込むことは止める。彼女が言わないのであれば無理やり聞き出すことはない。私の思い違いと言うこともある。
「我はもうお腹一杯じゃ」
 お腹をさすりながら布都が言った。その脳天気さが羨ましいやら憎らしいやら。


 ―――――


 夕食を済ませ片付けを終えると、私たちは外へ出た。
 待ちに待った時間だった。穏やかで過ごしやすい気候だ。遠くから虫の鳴き声が響いてくる。夜空には月が物静かに光っていて、私たちが花火をするのを見越していたみたいに、今夜は控えめな明かりだった。
 私が水の入ったバケツを地面に置くと、
「さあ、やりましょうか」
 太子様はそう言って、花火セットの口の部分を開いた。どっさりと束になった花火が顔を見せる。筒状の大きな物からひょろっとした細長い物まで、色々な種類がこれでもかと押し込められている。「これでいいかしら」と彼女がその中から取りだしたのは、棒状の花火だった。大きくもなく小さくもない、初めてやるのには調度いいように思えた。
「あ、そうだ。火を用意しないと」
 太子様はろうそくと燭台を持ってきて、それを平たい岩の上に置いた。それから、そのろうそくの上部をそっと両手で包み込んだ。手が離れると暖かな火が灯っていた。
「なるべく、この火を使ってね。術を使って、変な所に火がついちゃったりしないように」
「布都、わかったか?」
「なぜ、我に言う。言っておくが火の扱いには慣れておる」
「どうしてかわからないけれど、すごく不安になったよ」
 そこで太子様が先ほどの花火に火をつけた。先端の部部の紙が燃え、見る見る灰になっていく。私たちは会話を止め、じっと息を殺して見つめる。数秒の沈黙の後、変化はいきなり訪れる。鮮やかな火の塊が先端から飛び出してきた。
「おおー!」
 と三人の声が重なった。
 花火の明るい光が周囲の闇を押しやって、私たちの顔を照らした。太子様も布都もまるで子供に戻ったかのように無邪気な顔を見せる。きっと私も同じ顔をしているのだろう。
 激しい音を立てながら火花が散る。筆くらいしかない太さなのに、次から次へと止まることなく飛び出し続ける。火花は滝のように流れ落ちて、地面で跳ね返って消える。綺麗だと思った。ずっと見ていたいとすら思う。だけどそう思った時に、花火は勢いを失い燃え尽きた。
「わ、我もやって良いでしょうか」
「ええ、どうぞ」
 今度は布都ががさがさと花火の入った袋を漁り始める。
「む」
 何を見つけたのかと思ったら、大きな花火を取りだした。筒状になっていて、地面に置いて火をつけるタイプに見える。
「これはなかなか面白そうじゃ。これにしよう」
「お前、それってこの中で一番すごいやつじゃないの」
「ふむ。どうやらそのようだ」
 私は少し呆れながら、
「あのねえ、こういうのは少しずつ盛り上げていくのがいいんでしょう。いきなりそんなのぶっ放して、どうするのよ」
「……確かに、それもそうか」
 食い下がるかと思っていたから、布都の反応は意外だった。彼女なりにもこのイベントをできるだけ楽しくしようと考えているのかもしれない。手元の花火を少しの間見つめると、名残惜しそうに袋に戻した。何だかちょっとだけ悪いかな、なんて思ったりした。
 すると太子様が、
「まあまあ屠自古。せっかくなんですから、好きなようにやればいいんですよ。私もそれ見てみたいし」
 その言葉を聞いた布都はさっき戻した花火をもう一度掴むと、こっちにそっと視線を送ってくる。
「太子様もそう言っておるし、……良いかの?」
 訊いてくる彼女の眼差しは何だか子犬みたいだった。そんな目で見つめられたら、駄目だなんて言えない。
「まあ、太子様が言うなら、……お前の好きなようにすればいい」
 私が言うと、布都は誰が見てもわかるくらいに表情を明るくさせた。
「そうかそうか! では、屠自古。手伝え」
「はいはい」
 まったく本当にころころと表情を変える奴だな、と呆れる。内面がそのまま顔に出ている。でも、それが彼女の良いところでもあるのかもしれない。
 思った通り設置型の花火だ。適当な場所に置く。
「この部分に火をつけるのだな。しかしどうするか」
「マッチあるよ、ほら」
「おお、用意がいいな。さてはお主、我に負けず劣らず楽しみにしていたのではないか」
 図星だったから、乱暴にマッチ箱を投げてやった。放物線を描いて飛んでいくそれを、布都は慌てながらも何とか掴んだ。
 布都はすぐに箱の中からマッチを一本取り出し、側面のざらざらした部分に擦りつけた。が、火はつかなかった。もう一度同じようにしたが、それでもつかずに持っていたマッチが折れてしまった。それを三回ほど繰り返したところで、私はさすがに見てられないと思い、
「私がやるよ。貸して」
「駄目じゃ。これは我がやらねばならぬ……!」
 何が彼女をそこまで駆り立てるのか知らないが、必死だった。まるで世界の運命が自分の手に掛かっているかのように。マッチの残骸の山ができあがるんじゃないかと心配したが、その後何とか火をつけることに成功してくれた。
 布都がこちらに顔を向ける。私が黙って頷くと、マッチの火が導火線に触れた。急いでその場を離れて、固唾を呑んで見守る。
 導火線が徐々に短くなっていき、本体の筒まで火が届く。少しの間があった後、ドシュッという重たい音が響いたのと同時に、火の玉が上空へ向けて発射される。それは夜の闇を裂いて、ひたすら上へ向かっていく。
 そして、花開く。
 鮮やかな閃光。黄金に輝く火花が円形状に広がる。そのままクリスマスツリーの飾り付けに使えそうなほど煌びやかな光が、夜を彩った。呆気にとられる。想像していたよりもずっと綺麗で、ずっと派手だった。それらは大きく広がった後、まるで星がこぼれ落ちるかのように夜空から降り注いでくる。一つ一つの筋が、目に焼き付いてしまいそうだった。
「すごい」
 と思わず口からついて出る。
「綺麗じゃ」
 布都も空を見上げながら言う。
 それらいくつもの筋は、地上に落ちる前に火薬の匂いを残して消え去った。少し感動する。しばらくの間、余韻に浸るように上空を見上げていた。
 隣をうかがう。布都は腕を上空へ向けて伸ばしていた。
「何か、寂しいのう」
「ん、何が?」
「あんなに綺麗なのに、すぐに消えてしまうとは」
 彼女の様子は、空中で消えた花火の名残を何とか掴もうとしているようで、私は苦笑いをしながら、
「急に感傷的になって、どうしたの。お前らしくない」
「我だって感傷的になることもある」
 ちょっとだけむっとしたような言い方。拗ねちゃったかなと思い、ごめんごめんと謝る。
「確かにちょっと寂しいけど、それが良いんじゃない。儚いものほど美しいって、昔から言うでしょ」
「そうか……そうだな」
 布都は弱々しい笑みを浮かべる。納得したような、諦めたような、どっちにも取れる表情だった。微妙な影が顔を覆っている。
 どうしちゃったんだよ、と思う。布都らしくない。お前にそんな顔は似合わないんだよ。お前はただ子供みたいにはしゃいでいれば良いんだよ。阿呆みたいに手を叩いて喜んでいれば良いんだよ。いつもみたいに無邪気な笑顔を見せてみろよ。
 尻を叩いてやるつもりで、私は息を吸い込み、
「寂しがってないでさ、次の奴やるぞ!」
 目一杯明るい声で言い放ってやる。花火の詰まった袋を掲げて。
「どうしたのだ、いきなりそんなノリノリになって。もしかして、我よりもずっと花火を楽しみにしていたのか」
「う、うるさいな。いいからやるぞ」
 私は花火の袋を押しつけるように渡す。布都は戸惑いながらもそれを受け取ると、少しの間それをしげしげと見つめてから、ふっと笑い声を漏らした。
「うむ、そうだな。ではこれなんてどうじゃ」
「お前、それまたすごそうな奴じゃない」
「おあつらえ向きであろう」
「他のにしなよ。そんな上位の奴じゃなくてもっとこう中間層的な」
「中間層て」
「さっき太子様がやっていたのとか、後はこれとか。地味に長持ちしそうじゃない」
「じゃあこれにしよう。お主はそっちな」
 二人で一緒に火をつける。私のはさっき太子様がやっていたのと同じ物で、布都のはそれの色違い。明るい黄色っぽい光と、赤くどこか怪しげな光がほぼ同時に周囲を照らし出した。
 花火の光に照らされた彼女の顔は、満足そうで、さっきまであった影のような暗さはどこかへ吹き飛んでいた。安心したのと同時に、心の内部を素直に表す彼女を見て、何だか不思議とこっちまで同じ気持ちになってくる。
 布都と私は仲が良いというわけではない。いつも迷惑ごとばかり持ち込んできて、いい加減にして欲しいと思うこともしばしばある。私がこんな身体になったのも布都のせい。恨んだってちっともおかしくはない。
 なのに――。
 火が消える。次はどうしようか。何がいいだろう。これなんてどうかな。いや、こっちの方がいいんじゃない。そんな風にしていると、布都がこっちを向いて、
「楽しいのう、屠自古」
 不意打ちの満面の笑み。
 私は俯いて、
「うん」
 そっと答える。
 ――不思議と、布都のことを嫌いになれない。何でかな。
 そんなことを考えていると、布都がおもむろに花火の詰まった袋を抱え上げ、
「思ったのだが、これを一度に燃やせばすごいことになりそうだ」
「やめー!」
 私は必死にその腕の中にある袋を引ったくる。
「冗談じゃ」
「お前が言うと、冗談に聞こえない」
 風がそっと吹く。柔らかくて、優しい、包み込まれるような風だった。少し離れた木々がさわさわと音を立てた。まるで私たちのやり取りを面白がっているようにも思えた。
 ゆっくりと大きく息を吸い込むと、夏の匂いがした。火薬の匂いを除いたら、千四百年前のそれと変わらない。わずかに感じられる土の匂いも、青々とした草も、まとわりつくような湿気を含んだ風も、全部同じ。なぜだかすごくほっとして、なぜだかすごく嬉しくなる。
「良かった」
 と私は小さくつぶやいた。


 ―――――


 下から上へと噴水のように吹き上げる花火に大喜びする布都を見ながら、そう言えば太子様はどうしているだろうと辺りを見回してみると、少し離れたところで腰を下ろして静かに花火を眺めていた。その様子が少し気になって、彼女の隣まで近付く。
「どうかしましたか?」
 私が訊ねると、太子様はそのまま顔の向きを変えずに、
「ん? いえ、どうもしませんよ。少し疲れちゃっただけ」
「そうですか……」
 夕食の時に少し元気がないように見えた。あれはやはり見間違いではなかったと確信する。
 彼女の視線は、確かに飛び散る火花へと向けられてはいたけれど、どこかもっと遠くを見ているような印象を受ける。水面に浮かぶ月を眺めるかのように、視点の定まらない虚ろな目をしている。
 太子様がそういう顔を見せる時は、あまり良くない兆候だった。普段は気丈に振る舞ってはいるけれど、本当は繊細で傷つきやすい人だと私は知っている。今日、どこへ出かけていたのかは聞いていないが、もしかしたらその時に何かあったのかもしれない。彼女が持つ超人的な能力は、時に辛辣な言葉さえも拾ってしまう。耳あてでいくらか制御はしているものの、全てを遮ってくれるわけではないのだ。振り下ろされる拳よりも、何気ない言葉の方が傷つくなんてことはよくある話だ。
 せっかくの花火。なのに、それを持って来てくれた太子様はあまり楽しそうじゃない。そんなのは許されないと思った。太子様のそんな顔は見たくないと思った。
 彼女にはいつも笑っていて欲しい。
 いつだって凛々しくあって欲しい。
 私たちを導く太陽であって欲しい。
 気が付いた時には、すでに私の身体は勝手に動いていた。適当な大きさの花火を掴んで、ろうそくの炎で先端に火をつける。それを持って再び太子様の近くまで行く。
「太子様」
 決意を込めて呼びかけると、彼女は私の方を向いた。
 そのタイミングで、私は花火を口の前まで持ち上げると、
「マーライオン」
 そう言って、花火を口にくわえた。
 マーライオンになろうと思った。
 なぜマーライオンなのかと言うと、とにかく変なことをしようと考え、それ以外に思いつかなかったから。と言えば、本家のマーライオンに怒られるだろうか。
 シュボボボボ、と火花が飛び出る。口にくわえた花火の先端から、明るい火が途切れることなく流れ出る。手を体にくっつけて、背筋を真っ直ぐ伸ばす。
 少しでも太子様が笑ってくれたらそれでいい。ほんのちょっとでも面白いと思ってくれたら、他のことはどうだっていい。
 どこの国の何なのかは知らないが、気分はすっかりマーライオン。恥は捨てた。後のことなんて考えない。この花火の光で、彼女の中にある暗闇を少しでも明るく照らし出せたらいいな、と思う。
 火花を間近で見ているせいで、目がちかちかする。周りの様子がよく見えない。長かったような、短かったような時間が過ぎ、少しずつ火の勢いが弱くなっていく。
 ようやく火が収まる。
 そこで私は横目でそっと太子様の様子をうかがう。


 ぽかんとした表情だった。


 どこからどう見てもぽかんとしていた。
 信じられないものを見たとでも言うように、目は大きく見開かれ、半開きになった口からは何の声も発せられない。固まっていた。私を真っ直ぐに見つめた状態で一ミリも動かない。
 私は布都の方へ視線を送ると、そこには太子様と似たような顔があって、石像のように呆然と突っ立っていた。
 夜空を仰ぎ見る。相変わらず月が浮かんでいて、弱々しく光っている。
 虫たちの鳴き声がやたら大きく聞こえる。何の虫だろう。松虫だろうか。
 私はくわえていた花火を手に取った。それから、ゆっくりと息を吐いた。
 途端、猛烈な恥ずかしさが私を容赦なく襲った。本気で頭を抱えてうずくまる。なんで、なんで、私はこんな事をしてしまったんだろうか。冷静さを取り戻した頭には、さっきまでの使命感のようなものはすっかりなくなって、収まりきらないほどの羞恥心で埋め尽くされる。穴があったら入りたいと今ほど思ったことはない。
 どこかに穴はないかと私が探し出そうとした時、
「屠自古……」
 太子様がようやく語りかけてくる。顔を合わせたくなかったのでそのまま下を向いていた。もし彼女が哀れみを帯びた目を私に向けていたとしたら、立ち直れない。できれば今すぐにこの場から逃げ出してしまいたかった。
「ど、どうしたのいったい」
 太子様の声は、心配すると言うよりも笑いを堪えているような感じだったから、私はゆっくりと顔を上げた。
 少しだけだったけれど、口元に笑みを浮かべていた。
 すると、布都がそこで、
「お主、な、何を馬鹿なことを唐突に」
 布都もくくく、と笑い出した。
「本当、いきなりだったからびっくりしちゃいました」
「まさか屠自古がふざけるとは」
「しかも」
「「マーライオン」」
 太子様と布都が顔を合わせて笑い合う。
 恥ずかしい気持ちはたっぷりと残っていたが、ほっとした。目的は何とか達成された。これで良かったのだと納得できた。
「後からじわじわときますね、これは。マーライオンとは」
「屠自古マーライオンと名付けよう」
「あ、それちょっと可愛いかも」
「屠自古マーライオン。もう一回やれ」
「ほら、ここに花火ありますよ屠自古マーライオン」
 ……何か、思っていたのと違う。私の頭の中では、単純に太子様が笑ってくれて、それで全てが解決されるはずだったのに、何でこう恥をかいた挙げ句に、さらにそれをほじくり返されているのだろうか。そう思うと、段々腹が立ってきた。
「口開けて。屠自古マーライオンちゃん」
「言うとおりにするのじゃ。屠自古マーライオン」
 花火を口の中に突っ込んで来ようとする二人に、怒りが少しずつ込み上げてくる。
「ほれ、屠自古マーライ……」
 と、布都が無理やり押しつけてくる花火が、私の鼻の穴に入った。そこで限界に来た。バチバチと電気が体の周りを駆けめぐる。そして息を大きく吸い込むと、
「やってやらんよ!」
 大きく叫んで、雷を放出した。二人に向けて電撃を浴びせかける。布都には念入りに。太子様には申し訳程度に。
 夜の闇にいくつもの閃光が走る。
 それまでの和やかな雰囲気は一転して、阿鼻叫喚の巷と化した。


 ―――――


 私が暴れ回った後、二人はすっかり大人しくなって、それぞれが色々な種類の花火を楽しんだ。布都はやはり派手なやつが好みのようだ。太子様はどれも楽しんでいるみたいだった。
 私は線香花火を気に入って、そればかりをずっと眺めていた。他の花火と比べて慎ましく、それでいて美しく燃える姿が、健気で可愛らしいと思った。
 じーっと線香花火を見つめていると、私の隣に太子様が座り込んだ。
「それ、気に入ったの?」
「はい。地味だけど、すごく綺麗だな、と」
 私が答えると、彼女はふうんと意味ありげに頷き、
「なんだか屠自古みたいね」
「え!?」
「屠自古も派手さはないけれど、良く見るとすごく綺麗で、可愛い」
「な、何を言い出すのですか」
 私はすっかり顔が熱くなる。
「ほら、慌ててるとこなんて、すっごく可愛い」
「茶化さないでください」
「本音なんだけどなー」
「うう」
 参ってしまう。恥ずかしい。でも、それ以上に嬉しいと思っている自分がいる。彼女の顔を真っ直ぐに見ることができなくて、手元にある線香花火をじっと眺める。線香花火は健気に燃え続ける。その可憐な姿は、今の私にはぼんやりとしか見えない。なるべく自分の心境を悟られないようにしようとすると、隣に座る太子様の気配が余計に強くなって、私はさらなる困難に陥ってしまう。どんな顔をしてるんだろうとか、どんな気持ちなんだろうとか、色々な考えが頭を巡る。
 火が消える。次の線香花火に火をつける。また消える。またつける。繰り返す。
 肩と肩がぶつかりそうなほどの距離で、私たちは一つの線香花火を見つめていた。言葉はなかったけれど、きっと今の私たちには必要のないものだった。大切なのは、一緒にいるということ。何かを共有すること。線香花火が作り出す淡い空間の中で、そんなことを思う。きっと太子様も同じことを思ってくれている。確証はないけれど、きっとそうだ。
 いつの間にか、布都も私の隣に座っていた。
 不思議な時間だった。初めての花火。なのに何だかずっと昔から三人でこうしていたような気がする。
 線香花火が燃え尽きる。パチパチと火花を散らしていた中心の部分が、音もなく落ちた。
 あれだけあった花火もほとんどが役目を終えて、バケツに突っ込まれている。残っているのは線香花火が一本だけ。
 雲が月を覆う。暗闇が舞い降りてくる。虫たちの声も聞こえない。とても静か。
 自分でも意外だったのだけれど、静寂を破ったのは私だった。
「……ずっと」
 隣にいる二人がこっちを向いた気がした。
「ずっとこうしていたいです。これからも、ずっと」
 心からそう思う。
「大丈夫。いられますよ、きっと」
「本当……ですか?」
 そっと聞き返す。この関係が、花火のように儚く消えたりしませんか、と。
 太子様は、「ええ」と力強く頷き、
「じゃあ、願掛けをしてみましょうか。線香花火に火をつけて、燃えている部分が落ちずにそのまま火が消えたら、願い事が叶うんですって」
 願掛けにも色々種類があるけれど、太子様が言ったのはその中でも一番くだらない部類に入るものだろう。でも、そんなくだらなさが、今の私には調度よかった。
 だから、線香花火を握りしめる。
「では、やってみます」
 そして、火をつける。
 始めは静かに燃え、オレンジ色の球体が少しずつ大きくなっていく。チッチッと小さな火花が一つ、二つと飛び出始めると、それから急に勢いを増して、パチパチと激しく四方に飛び散り出す。オレンジ色の球体を中心に火が踊っているようにも見える。中央で燃えている部分が落ちないように、なるべく動かさないよう注意する。弱々しくて、儚い炎だったけれど、やっぱりこの姿が好きだった。
 太子様も、布都も、一緒にこの手元の淡い光を見つめる。願っていることは、皆同じ。
 ずっとこうしていたい。これからも変わることなく三人で一緒にいたい。願いを込めて、線香花火を見続ける。永遠なんてないのなら、限りなく永遠に近い時間を望む。できるだけ長く、少しでも長く、一年でも一ヶ月でも一日でも一時間でも一分でも一秒でも長く、みんなで一緒にいたいと、この線香花火に願いを込める。





 ぽとり。





「あっ」
 三人が同時に声を上げた。
 落ちた。今までで一番早い時間で。
 どうしようもなく気まずい空気が流れる。あれだけ強く願っておいて、この有様だった。ものすごく重い空気がのしかかってくる。
 誰一人声を出せず、わずかに沈黙があった後、
「え~と」
 太子様が言葉を探す。だが、この場をうまくフォローできるような台詞を思いつかないようで、続く言葉が出てこない。私もどうしようかと考えるが、何も浮かばない。
 と、珍しく黙っていた布都が立ち上がり、花火の袋の中身を改め始める。そこで布都が袋の中に腕を突っ込んだ。それを引き抜き、頭上に拳を高く掲げると、
「袋の中にまだ一本だけ残っておったぞ」
 その手にはしっかりと線香花火が握られていた。
「でかした!」
 と私が言うと、布都はそれを渡してきた。私がまたやっていいのだろうかと、太子様の方へ顔を向けると、うん、と頷く仕草を返してくれた。
 今度こそ、と思う。今度こそ、絶対に。
 最後の線香花火に、火をつける。
 どれくらい一緒にいられるかなんて誰にもわからなかった。でも、三人でこうして花火をしたことは、ずっと忘れないんだろうな、と思う。そう思ったら、何だか急に顔がほころんだ。この願掛けがうまく行っても、ずっと一緒にいられる保証なんてなかったけれど、もしうまく行ったら、せめて自分の気持ちを二人に伝えようと決めた。素直に「ありがとう」って言ってやろう。
 線香花火が燃える。
 私たちの願いを受けながら、鮮やかに燃え続ける。




お読みいただきありがとうございました。
とにかくこの三人で何か書きたいな、と思って色々と考えたらこんな話になりました。頭の中のイメージを文字にするのって、大変ですね。すごく苦労しました。
前作にコメントしてくださった方々もありがとうございます。とてもやる気が出ます。
あめの
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コメント



0.550簡易評価
2.100非現実世界に棲む者削除
いつも隣にいる人と、いつまでも一緒に過ごしていきたい。
これに勝る願い事は無い。と、私は思っています。
だって恋の願い事だって、その願いが叶って一緒になれたら、結局は一緒に過ごしていきたいという、願いに帰結するから。

にしてもマーライオンって(笑)
どっから流れ着いたその単語。

それはともかく、ほのぼのとしてジーンと来る良い作品だったかと思います。
結局、神子は何で悩んでたのだろうか?
その辺が気になります。
あと最初の布都の扱いが随分酷いような気が...
屠自古は屠自古らしくて良かったけど。怒りっぽいところとか。

夏らしい、仙人と亡霊による夜の花火祈祷。
屠自子の...いや、三人の願いが叶うことを祈って。
これにて、失礼いたします。
3.100奇声を発する程度の能力削除
まったりした雰囲気で良かったです
7.80名前が無い程度の能力削除
この三人はなんかこう、他のトリオに出せないキャラ分けというか、空気感を個人的に感じるんだが、これはそれにかなり近くて嬉しい
ちょっとしんみりするようでほのぼのする流れもなかなか。今回は布都回のようだったから次回は神子回?それとも4人目のあの人か。楽しみにしてます
10.100tのひと削除
この雰囲気はとても好きです。
大好きです。
ほのぼのとしながらも、なんだか寂しさとか、儚さとか、夏祭りの後のような、いつまでも続かないような幸せが表現されていて、心地よかったです。

マーライオン…( ゚д゚)
12.100絶望を司る程度の能力削除
儚き夏の夜の一時
14.80さとしお削除
マーライオンに釣られました。面白かった
15.703削除
流れる雰囲気がとてもいいですね。
反面悩み方とかそれへの対応とかが少しありきたりかなと思いました。
16.100このはずし削除
本当にマーライオンだった……!!(  ゚д゚)

マーライオンを混ぜつつ、これだけ温かくて淑やかな1ページを紡げる人は希少だと思います。
それにしても本当に(以下ループ
20.無評価名前が無い程度の能力削除
マーライオンかわいいぉ(à∀á)hshs