Coolier - 新生・東方創想話

ねえ霊夢、わたしの素顔、しってた?

2013/06/18 10:53:39
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 夢の中はやさしい白だった。
 雲に包まれているような中に霊夢は浮かんで、誰かが近づいてくるのをぼんやり見つめていた。輪郭は曖昧としていたが夢の中特有の冴えが働いて、すぐさま誰だか思い当たる。八雲紫だ。
 紫は霊夢と同じく浮かんでいて、ゆったりと近づいてくる。微笑んでいるようだが、いまいちはっきりしない。じれったいなと思ったところで距離が縮まることはない。そうして目を覚ます。
 霊夢はこんな夢を頻繁に見るようになった。数日に一度は白い世界、紫が現れては微笑みかける。霊夢は夢を軽んじず意味を見出すことに躊躇いはなかった。紫がなにか伝えたがっていることは薄々と感じられた。せめて夢の中で会話ができればいいし、紫ならそんな芸当も容易いだろうに、彼女は意志を伝えようとはしてくれない。
 時期は夏で、じっとりとした熱が昼といわず夜といわず霊夢の肌にまつわりついた。居間では磨り硝子の障子戸を開ききって縁側からのそよ風を受け入れていた。博麗神社は山間部に建っているので、我慢できないほど暑くもない。それでも、作り置きの麦茶は毎日足りないくらいだった。
 近々神社で行う夏祭りについて、霊夢はノートに計画を書きつけているところだった。ノートは新品だったが、早くも手汗がノートの縁をやわっこくさせている。予算のやりくりがちびた鉛筆の動きをにぶらせていた。
 数字を書いては線を引いて訂正したりしているとき、縁側を越え、庭先から砂利を踏みおさえる音がした。振り向けばヌッと立ち上がる大きな影があり、一瞬はちょっと人に見えなかったから驚かされた。だがすぐに立ち直る。八雲藍の影は、持ち前のふさふさした尻尾がいつも巨大で異質に見せている。
 藍は白を基調とした大陸風の衣装に身を包んでいて、滑らかに光沢する沓を穿いている。腕を組んでゆったりした袖が掌を覆い隠している。左右がわずかに膨らんでいる帽子は相変わらず。いつもと変わらない衣装だったが、どうやら夏服で生地が薄いらしい、先ほどからそよ風にはためいていた。
 霊夢は彼女をみて、すぐに紫の夢を思い出した。そこから次に彼女が話しだしそうなことを予想してみた。彼女は一も二もなくむっつりした表情で口を開く。
「紫様から貴方へ話したいことがある。三日後にここに来るつもりでいらっしゃるが、よろしいかな」
「いいけど。時間は」
「時間は不定。いつ来てもいいようにしておけ。これは秘密の話だから、その日はここに誰も近づけぬように。あと、大げさな接待は無用。では」
 どうやら予想は当たったらしい。
 藍はふいに現れたときのように、ふいにいなくなった。ともすれば建物の影に隠れていったように見えたが、霊夢が縁側から体を乗り出し見回してみると、もうどこにも見当たらない。
 主人が神出鬼没で怪しいとくれば、従者もそんな風に育つものかしら。霊夢はノートの前に戻って、紫と藍についていろいろ想像してみた。



 指定された日が来るまでの間にも、霊夢は紫の夢を見た。しだいに顔が分かりやすくなってきて、微笑んでいるのだという印象を裏付けてくれた。しかし、現実ではそろそろ話をするというのに、まだ離れすぎていることは不思議でならない。
 三日後、霊夢は朝のうちに部屋の掃除をしておいた。居間に紫と藍のぶんの座布団を用意し、麦茶も作り足した。茶菓子は買ってこなければならなかったが、接待は無用と言われていたので、なるべく安いやつを。
 午後の半ばに霊夢は壁掛けの時計を見やる。三日前はこのくらいに藍がやってきた。夏祭りの計画ノートを書き進めたい気持ちはこらえ、来訪者を待ち構える。今にも庭先から砂利を踏みならす音が聞こえてきそうな気がしたが、ひっそりとしている。庭の向こうにある林が揺れ動き、鳥のさえずりが流れ過ぎていくばかり。
 三時まで待った。けっきょく来訪者は来なかった。霊夢はその日すっぱり諦めて、茶菓子をむさぼりながらノートを広げはじめた。
 予定がはずれた日から数日ほど霊夢は来訪者を待ち構えていたが、どうも来る気配がない。夢の中では何度だって出てくるのに、現実ではちらとも顔を見ない。もう来ないものと思えはじめた。
 最中、神社にふらっと現れた人物がいた。射命丸文だ。庭先に降り立ち精巧な作り笑いを浮かべながら、縁側にそっと座りこんできた。さっぱりしたホワイトシャツは裾出し。黒いスカートはひらめいているが、これは風の影響というより本人の演出らしく、揺れ幅は控えめだ。シャツは夏気にあてられてじっとり汗ばんでいる。文は腰をねじって、両肘とも畳にくっつけながら、猫撫で声で話しかけてきた。
「霊夢さん」
「あによ」
「紫さんを見かけましたか」
 見たわよ、夢の中で。と意地悪な返しをしたくなった霊夢だが、首を振るだけにとどめた。新聞記者の笑顔がひっこむことはなく、口も景気よく動きつづけた。
「ちょっと興味深い噂を耳にしましてね。それで紫さんを尋ねようと思っているのですが、なにぶんあんな妖怪ですからね。霊夢さんなら出会い方をお知りでしょう」
「残念。私も会いたいと思っていたところなの。しばらく会ってないわ」
 突然、文の笑顔がにやりとしたイヤラシイモノに変わったかと思うと、メモ帳を取り出す。
「ほお、しばらく会ってない。いつ頃からですかね」
「数えてないわよ。前の異変のときから会ってないし、一か月くらい?」
 シャーペンがさらさらと走り、走り終えると再び口を開く。紫についての質問を繰り返してきたが、霊夢にはどれも答えることができなかった。そもそも霊夢は紫の家族でも何でもないので、知らないことのほうが多いくらいだ。
 今さら紫を調べている文が不可解だ。しかも最近のことばかり聞いてくる。ふと、紫の身に何かあったのかと思い至る。約束をすっぽかしたのも、文が掴んだ噂と関係があるのかもしれない。
 霊夢は紫と会合予定だったことを文に伝えなかった。この野次馬に加担するのは寝ざめが悪くなりそうだ。秘密だと念を押されていたことも、ちょうどよく思い出したところだ。なのでさっそく文の質問を打ち切らせて、威しをかけて神社から追い払った。さすが天狗は逃げ足はやく、霊夢が退魔道具の準備をしだした頃には晴天に見えなくなっていた。
 こんなこともありながら、当初の予定日からさらに五日後になった時ひょっこり藍がやってきた。初めに訪れたように、だしぬけに庭に現れると、さすがに申し訳なさそうな気持ちを表情に含ましていた。
「すまない。紫様はご都合が悪くなって来れない。だがいずれ来る。近いうちに必ず来るから、そのつもりでいろ」
「はあ、そう」
「誰にも話していないかな。いや、お前なら約束を守ってくれるだろうさ」
「ああ、うん」
 霊夢は先日の文の訪問を思い出しながら答える。どうも最近は訪問客から一方的に会話されている気がしてならなかった。一つこちらからも切り込みたい。そこで席をすすめたが、藍は無言で右手を突き出してきた。霊夢はムッとしながら言葉を続けた。
「ねえ、紫が何を話したがっているのか教えてよ」
「秘密の話だ」
「それは分かっているからね、中身を」
「人に聞かれるとまずい。紫様はなるべく人目を避けたがっている」
「なに、なにか、まずいことでもあるの。紫はどうしたの……」
「邪推するな。ただ秘密だからというだけだ。では」
 藍が煙のように消えていくのは、まさに狐につままれた感じだ。霊夢は紫が伝えたがっている事柄を予想してみたが、もっとヒントがないと難しいところだった。第一、紫がそこまで忍ぶ理由が思い当たらない。彼女は大抵すましきっているし、彼女の話を盗み聞きしたって普通の者に益などない。極端な心境の変化があったか、本当に芯から人に聞かれたくない重大事を抱えているのか。



 紫との面会に、霊夢はまだ感心を失っていない。けども相手のほうは話す気がないようで、良い心持ちではなかった。夢の中ではしつこいくらいなのに、現実ではさっぱり顔を見ていない。
 夢の紫は、いまや霊夢の目と鼻の先に浮かんでいた。相変わらず背景は白雲で、無重力を二人は漂う。紫の微笑みは見たこともないほど穏やかだった。あまりにも柔和すぎて、その奥に秘められた考えは見当もつかない。ただ隠し事のための笑顔でないことは、直感が肯定してくれた。新聞記者が浮かべるような、媚びるための顔ではない。白い両手を差し出してゆっくりと近づいてくる様は天使のよう、今すぐにでも抱きついてきそうだ。
 霊夢はこの頃、目覚めればまず夢を思い返すようになっていた。そのうち、本当は話をしたいというのは口実で、もっと別の何かを行うつもりではないかという気がしてきた。
 自分一人だけで物事を整理しようとしても、中々うまくいかない。霊夢は神社を後にして人里に向かった。目的は人里に数ある占い師を尋ねることだったが、ちょうどその日、茶屋で魔理沙と出くわした。魔理沙も魔法使いを営んでいる手前、占いくらいは身につけている。だんごを三串おごるのを代金にして相談にのらせた。
「魔理沙は夢占いってできるの」
「やり方は知ってる。何度かやってる。プロじゃないぜ」
「私の夢を診てよ」
「霊夢の夢って、ちょっと想像つかないな」
 魔理沙は、袖部分が黒く胸部から腰にかけて白いエプロンドレスを着ていた。半袖、スカートの丈は膝くらい、麻布のざらついた感じがクッキリしている。三角帽子も軽さを求めた作りで、鍔が骨組によって支えられているものの、安っぽい寄れ方が多少目につく。陽の落す影がはすかいに魔理沙の鼻頭を横切っている。
 霊夢は日差しをいやがりながら夢を伝え聞かせた。紫が実際に会いたがっているということは口に出さなかったが、夢の内容については遠慮なく漏らした。魔理沙はだんごを串から噛みちぎりながら、うんうんとうなづいて、ときおり遠くから聞こえるセミの音に気を取られ、首をのっそりと回した。内容自体は大したことがないので、霊夢はすぐに話し終わって、魔理沙もすんなり理解したようだった。
「紫が近づいてくるのか。そりゃ怖いな」
「怖くないわよ。やさしそうだもの」
「霊夢の願望かね」
「それもあんたが調べなさいよ。だんごの分は働きなさい」
 魔理沙はつと立ちあがってそのままキビキビ通りに出て行ってしまった。対面にある雑貨に消えると、右手に紙束とペンを掴んで戻ってきた。領収書を霊夢の手元に渡しつつ、さっそく紙きれ一枚に書きつけはじめる。
 まず紙の中心に円が描かれ、それに沿って古い書き文字の英字が次々と流れ出した。仲間はずれのように円の外側にちょっとした単語や記号が書かれることもあり、密度が増すにつれて物々しい魔術の趣が増していった。と、魔理沙の腕が霊夢の耳元にのびる。髪の毛を一本ぬきとられると、それが円の中心に据えられて、燃やされた。かすかな火がたちまち紙全体にいきわたると灰も残らない。
 魔理沙は困った顔になり首をひねった。「あれ……」と一言漏らして、また紙に一枚さらさらと魔術模様を描きはじめた。霊夢は髪の毛をもう一本抜かれて、それが燃える様を見せられることになった。ところが、魔理沙はますます納得のいかない表情になる。霊夢は自分の頭を手でなでつけながら、ややとげとげしく言った。
「どうしたのよ」
「結果が出てこないんだ」
「占いだし、そういうこともあるでしょ」
「いや、違うんだよ。全然出てこないんだ。紙の燃え方と灰の残り方で分かるはずなんだけど、さっぱりだぜ」
 魔理沙は最後の一串に手をつけず、
「新しいだんごおごるよ。請求書も捨ててくれ」
「だんごはいいわ。他の人にも占ってみてもらう、じゃ」
 霊夢は茶屋の軒先から出ると、いちばん近い占い屋から片っ端に頼ることにした。神の言伝を仰せつかる巫女にとって半ば同業者の占い師たち、彼らの腕には信頼をもっている。魔理沙のような結果にはなるまいと思いつつ、かすかな不安が兆していた。
 霊夢は夕暮れまで人里にいた。夏の空に燃え上がる日が、西の山並みに沈み込んでいく頃、最後の占い屋の暖簾をくぐって表に出た。霊夢はまだ占い師の表情を覚えているが、それはこちらが申し訳なくなるほどの恐縮した表情だった。結果が一つも出てこないことが、彼を相当困らしたようだ。
 占い師が口をそろえて言うのは、何も見ることができないということ。一部の者は邪魔をされているみたいだと、興味深いことを口にした。霊夢は、まさか紫か藍がそうしているのではないかと思ってみた。
 目元を右手で覆いながらキツい西日の中に飛び立ち、帰路についた。
 夕暮れに染まる神社の庭に降り立った霊夢は、軒下に人を見つけた。一人は文で、寺の壁際にいる。もう一人は藍で、文の正面に立つ。藍は怒りに引き締まった顔で、文を静かに責め立てていた。飛び交う言葉が霊夢のもとにかすかに流れ着く。
「嗅ぎまわるのをやめろ。私は再三言っているぞ」
「ですからね、私はちょっと霊夢さんとお話がしたくってね。そろそろ夏祭りも始まることですし」
「たわけが。潔く引き下がれ」
「どうしてそんなに怒るんですか。霊夢さんを取材するだけですって。貴方とはなんにも関係ないじゃないですか」
 文は顔をひきつらせて身ぶり手ぶりで弁解をしているものの、ときおり藍が忌々しげに一歩にじり寄る。手が出そうな勢いだ。いらぬ喧嘩を危惧して霊夢はすぐさま二人に近寄っていった。二人は同時に霊夢を見やり、文のほうは笑顔を咲かせてさっと飛びついてきた。
「ね、ね、霊夢さん、ちょうどよかった。この頑固者に言ってやってください。私は前にも夏祭りの取材をしにきましたよねえ」
「あんた、紫のこと聞きにきたじゃない」
「もー霊夢さんったら意地悪ですねえ」
 と、言いつつ、文は苦笑を浮かべて霊夢から距離をとると、笑顔に狡猾の色をにじませながら藍へ振り向いた。全てお見通しだと言いたそうな、少なくとも顔にはそう書かれていた。その穏やかでない空気を置き土産にして文は飛び去って行った。
 霊夢が振り向いたときには既に藍も飛び立つ瞬間だった。地面から半丈ほど浮き上がりながら声をかけてきた。
「あいつは私が何とかしておく。当分ここに来ることもあるまい」



 紫が何を伝えたいのかさっぱり分からないまま、もう一カ月が経とうとしていた。霊夢はいつか藍が訪れたことも忘れ果てて、いよいよ迫ってきた夏祭りの予定にぐったりと覚悟を決めているところだった。
 昼過ぎ、霊夢は居間でノートに書き込んでいる計画を見つめまわしていた。陽はカンカンと照っているが、縁側から山を下るそよ風が入りこんできて今日は涼しい。軒先から縁側、居間にまで伸びている影は心地よい彩りを添える。
 このまま気だるい午後が過ぎ去っていくのを霊夢はうっすらと感じていた。何も起きない、起きたとしても些細なことで、ゆったりと過ごしきれそうだ。最近はどんな訪問者もめっきり減っていて、今日もそうだろうと思われた。
 うとうと居眠りをしかける。そのとき出し抜けに周りの様子が変わったことに気付いてぼんやりと顔を上げる。しだいに鋭くなってくる違和感に眠気が引っ込んでいく。そよ風がなくなっていた。森のざわめき、鳥のさえずりなどはまるで聞こえなくなっていた。おかげで自分の衣擦れの音がいやに鋭く聞こえてくる。時間が止まったかのような緊張した空気、霊夢は無意識に縁側の外へ顔を向けていた。
 平和な庭先は森閑としている。と、次には堰を切ったように砂利の音が聞こえはじめた。しかも、何か鉄の軋む音が断続的に混じっている。霊夢には一瞬得体の知れない恐ろしいものに思えたが、じきに車輪の回る音だと分かった。目と耳をこらして、近づいてくる者の正体を探る。
 建物の影からふいに大きな車輪が姿を現した。さらに赤いクッションのついた背もたれとそこから伸びる取っ手、一か月ぶりにみた大陸風衣装のゆったりした袖が取っ手を掴んでおり、最後に黄金色の尻尾が揺れる。
 霊夢は目を見開いて縁側の前にやってきたモノを見つめる。藍が車いすを押してきた。乗っているのは藍と同系統な衣装の人物で、これは馴染み深いはずだった。はずだったが、その人物が車いすに乗っているのはありえないことだった。
「な、何よあんたら」
「ようやく紫様のご都合が合ったので、こうして訪れたぞ。突然で申し訳ないが、かわりにモノ除けの結界はこちらで張っておいた」
 紫と聞いて、霊夢はまさかと思った。まさか車いすに乗っているのが紫か。そんなわけがない。
 衣装こそ同じだが、全体的にやせ衰えていて、顔が包帯で覆い隠されている。包帯の隙間からはみ出ている金髪は、醜くねじれあがっている。そうやっていちいち観察している間に、余計に驚かされたことは、袖に見え隠れしている両腕のおぞましさだった。枯れ木のようにこけていて、土気色に変色しきっている。木乃伊という言葉が頭によぎってくると、もうそのことが離れなくなってきた。
「それは何よ」
 霊夢は怖がりつつ、憤りつつ、尋ねた。曲がりなりにも神聖である神社に奇妙なモノを持ちこまれては無視できない。藍は相変わらずむっつりした顔のまま答える。
「紫様だ」
「あんたそれ、言ってよくない冗談よ」
 霊夢の知っている紫は木乃伊などではない。初めて出会ったときからいつだって、若い少女のなりをしていて不気味に大人っぽくて、力にあふれた彼女だ。病気になったり疲労したり、そんなのとはおよそ無縁な姿で、現に数カ月前まではそうだった。
「霊夢、藍は嘘をついていないわ。私をよく見なさい」
 真横から聞こえてきた声に霊夢は面食らって振り向く。ちゃぶ台を隔てて反対側にいつの間にか紫が、車いすなどに乗っていない紫がいた。肘まで届くシルクの手袋に覆われた手で頬づえをつきながら、ちゃぶ台に上半身を預けている。控えめだが魅惑的な唇を曲げて、整ったまつ毛をぱちぱちさせて、いたずらっぽい微笑みは一分の隙もない。
 霊夢は思い描いた通りの紫の登場に一安心した。夢で頻繁に見かける紫がそのまま現世に現れてくれているのだ。
「いたの。へんな悪戯しないでよ」
「悪戯じゃないのよ。ちゃんと私を見なさい。ありのままの私を」
 紫はゆっくり首を振ると、車いすを見やった。それで霊夢におぞけがぶり返してきて、恐る恐る紫の視線を追いかける。車いすの主はピクリともしない。
「あんたたち。何のつもりよ。ソレは誰で何なのよ」
「霊夢、静かにして聞いてちょうだい」
「澄ました顔して、こんな悪戯、許されないんだから」
「霊夢、おねがい」
「その気味悪いのをひっこめなさい」
 藍が顔を激昂させて獣みたく車いすと縁側を飛び越えてきて、霊夢がアッと思ううちに胸倉を掴んできた。剥き出しの八重歯が目の前にちらつく。
「紫様に何を抜かす!」
「どこが紫よ。あんなの」
「あんなのだと、あんなのと言ったかキサマ」
「当たり前じゃない。ふざけないでよ」
 霊夢は藍を振り払うと一足とびに車いすに近寄った。悪戯の化けの皮をはがす。怒りのこもった信念に突き動かされ、右手で顔の包帯を鷲掴んだ。藍が獣みたく吠えたてながら背中に飛びついてきて手を遮ろうとするが、暴れて、その拍子に包帯は取り去られた。
 干からびて皺だらけの顔が露出する。目はくぼみきって瞳がない。頬は肉が削げ落ちている。まさしく木乃伊そのもので、置き物と言われれば納得できそうなほど静止している。
「くそ、この、馬鹿モノが」
 藍の罵倒を受けながら、霊夢は気味悪さを隠しもせずにじろじろ見つめまわして、息をのむ。顔立ちはたしかに紫にそっくりで、特に鼻の筋は鏡合わせかと思うほどだ。だが、それが本人であるという証拠にはならない。恐怖が増す一方、造り物だと懐疑する心も高まっていた。
 藍がかなりの力で引き離そうとしてくるものだから、霊夢もヤケになって抵抗する、すると、木乃伊が一瞬震えて、霊夢と藍は二人揃って驚きに身をすくめた。両腕が辛そうにゆっくり持ちあがってきて、細長い掌を差し出してくる。
「手を握って」
 居間のほうから紫が言った。霊夢は警戒しながら手を近づけて、やや躊躇ったあとに、思い切って握り締めた。感触は、乾ききっているがどことなく水分が残っているようで、かすかなぬめり気を帯びている。不快な類の手触りだが、今の霊夢にそれを感じる余裕はなかった。
 手を握って分かった。わずかに滞留している霊力が弱々しく伝えてくる情報が辛い。どうして力まで紫にそっくりなのか。霊夢は居間に振り向いて答えを問おうとしたが、言葉が出てこない。紫はただ微笑むばかり。
「戻ってきて、座りましょう。そうじゃないと話ができないでしょ」
「おい、紫様の言う通りに……」
 藍の言葉がしりすぼみになっていったとき、霊夢は目元にこもりだした熱を自覚した。視界がぼやけてきて、藍の困った顔がモザイクになる。こんな恐ろしい答えを見せつけられては、感情が漏れだすのを止めようはずがなかった。
 霊夢は藍を振り払うと、たったまましばらく泣き続けた。藍や紫は何も言ってこなかったので、おかげで遠慮なく泣くことができた。ようやく落ち着いてくると顔を上げて二人を見つめる。車いすのほうはあまり目に入れたくなかった。
 ちゃぶ台にもたれている紫がやわらかく二人に手招きをするので、霊夢はもといた座布団に座りこんだ。藍は車いすの元に戻りたそうだったが、しぶしぶ紫のほうに行く。紫が霊夢にむかって口を開く。
「貴方に真実を伝えたいの。私のことと、私がいなくなってからの幻想郷のこと」
「それは、本当の話なの」
「そうよ。正真正銘、本当の話。だから、ね、きちんと聞いてちょうだい。覚悟を決めて」
 紫は懐かしいものを見る目を車いすに向けながら語りはじめる。
 自分はもう寿命が訪れていて、もう遠くないうちに消えてなくなる。満足に動けなくなったのは既に数十年も前からで、最近はもう体がぼろぼろだった。霊夢、というより幻想郷の人々の前に現れていた紫は、若かりし頃の姿が投影されたもので本人ではなかった。大抵の者は幻に騙されていたが、一部の強力者は見抜いていただろう。
 この話を聞くと、霊夢は不思議な気持ちになった。今目の前で起こっている出来事が夢に思えてきた。それは最近夢に出没する紫と久しぶりに出会ったせいかもしれないし、縁側に佇んでいる見慣れない車いすのせいかもしれないし、結界のせいで外の様子がまったく分からないせいかもしれない。
 霊夢にはこれからも博麗の巫女の務めを続けてほしいこと。紫の後釜は藍に任せること。困ったことがあれば遠慮なく藍を尋ねてほしいこと。自分がいなくなってから方々で問題が起きるかもしれないが、めげずに対処すること。そのほか、色々なこと。霊夢が前々から知っていたことから、今まで欠片も知らなかったことまで、事細かに話し続けた。彼女は幻想郷に関することならなんでも話せるようだった。
 幻の紫はよく喋る。うってかわって車いすは動きすらしない。霊夢はときおりそちらに目をやったが、まるで生を感じられなかった。妖怪の最後はこんなになるものかと思った。木乃伊になってなお生き続ける者だって珍しいことではないが。
 日がとっぷり沈んで空がしだいに青ざめていく頃、紫がおいとまを告げた。藍が車いすを押して建物の深い影にもぐりこんでいく。霊夢は何も言わず見送ったあとに部屋を見渡した。誰もいなかった。



 奇妙な訪問があった数日後、霊夢は紫の夢を見た。
 白く暖かな空間に包まれて二人はゆったり浮かぶ。紫は微笑みながら、両手を霊夢に寄せてくる。母のような抱擁がこそばゆい。耳元に何かを囁いてくるがよく聞き取れなかった。しかしそれを聞いていると、とても心が安らいだ。霊夢は涙を流したような気もしたが、よく分からなかった。
 幸せな抱擁は永遠に続きそうだった。霊夢は心地よさにうっとりして、ずっとこのままで居たいと願った。すると、遠くのほうでぼそぼそと音がした。かと思うと、ふいに轟音、驚いて身を震わせた。
 跳ね起きると部屋の中はまだ暗く、外はやかましかった。屋根と壁を激しく打ちつけているのは雨音で、加えてはるか遠くではゴロゴロ言っている。雷が来そうだと思った矢先、めいいっぱいの雷鳴がとどろき、真っ暗な部屋が青白く照らし出される。声こそ出さなかったが背筋をビクリとさせる。
 さっきまで浸っていた夢も忘れて引き寄せられるように床を出る。暗闇だが慣れた部屋を進んで廊下に出た。庭側を覆う磨り硝子の障子戸は雨風に煽られてガタガタ揺れていた。躊躇いなく開いて、それらがザッと廊下にふきこんでくるのもお構いなし。
 霊夢は目を細めて外の様子に見入った。ひどい嵐で山並みが波立ち、空は暗雲が厚く垂れこめている。寝る前までは平和だったのに、一夜のうちに様変わりしてしまった。
 雲の隙間に何かが光ったような気がして霊夢は目を見張る。弓なりの黄金が閃き、うねって東のほうに進んでいく。雲を出たり入ったり、光の複雑さからして表面は滑らかではない。よく見れば西から東までずっと伸び続いているようで、その巨大さはとても想像できない。
 龍神だ。幻想郷の創造主が嵐の闇を縫っている。伝承でしか聞いたことのない存在が目の前にいて、絶句させられた。龍神がうねくるたびに雨風が激しくなっている気がする。実際、龍神の真下は色が重なるほどに降雨している。暗雲は連れそってすばやく飛び過ぎていくが、途切れることは決してない。
 途中、霊夢は目を見開く。龍神のきらめく胴体のすぐとなりに小さなものが並んで飛んでいた。この嵐と距離にも関わらずその姿が不思議とくっきり見えてくる。紫ではないか。木乃伊ではない幻の、霊夢にとってそれこそが紛うことなき、姿だ。スカートを膨らませるゆったりした飛び方で、右手にはいつも見かけた日傘をさしている。風に煽られている様子はなく雨に濡れてもいない。
 紫は嬉しそうな顔を龍神に向けて、口を動かしていたが、ふいに霊夢を見下ろしてくると晴れやかな笑顔で、左手を左右に振った。
 霊夢の中を一つの重たい衝撃が貫くと、紫の記憶がぞろ湧きだしてきた。初めて出会ったとき、共に異変解決に赴いたとき、異変のときは助力を何度してもらったか数えきれない。そうして近頃の夢のことに、車いす。妖しい笑顔、やさしい笑顔、笑顔。紫の走馬灯がなだれこんでくると、もう我慢ができなくなった。嵐へ向かって飛び立ち、自分が出せる最大の勢いで雨風をかきわけていく。目標にむかって喉を絞り上げる。
「まって。紫、まって! どこいくの! まってよ龍神様、紫をどこに連れていくの! まって、まってったら!」
 水浸しになった寝間着が肌に張り付く。霊夢はどんどん高く、東向きに疾走していった。打ちつける雨風は尋常でなく、もはや目も開けていられなかったが、とにかく進むのだけは止めなかった。
 今までに出したことのない速度に、体感覚が怯えているのが伝わってくる。霊力も急激に吐き出されるせいで、目まいが容赦なく襲いかかってきた。だが、この調子なら追いつけそうだとひそかに思った。ところが、ひときわ激しい突風が起き、視界を真っ白にする雷が落ちたとき、とうとう空中で留まって顔をそむけずにいられなかった。しかも突風の凄まじさに負け、地面にむかって吹き飛ばされる。
 姿勢を立て直してもう一度顔を上げてみると、黄金の光はなくなっていた。紫もいない。空にあるのは暗雲だけだ。霊夢は充血した目を週にこらし、遠目に人影が見つけた。
 ある木の先端に文がのっかっていた。二本脚で器用にかがみこんで、両手にカメラを握り締めている。さすがに濡れそぼっていて、短い髪がべとべと頬に張り付いていた。目が合うと、文は思いの外真面目な表情をしていた。しばらく見つめ合うと、彼女は口も開かず飛び去って行った。龍神と紫がいた東の空に向かって、憂いのある流し目を残しながら。
 霊夢は不思議な気持ちのまま寝床にもどり、眠れずに夜を過ごした。嵐は日が昇る前に落ちついてきて、朝には残った雲が切れ切れに飛び過ぎていくばかり。風はまだ強い。
 神社に一人でいると不安だった。昼前には思い切って外出し、人里に訪れることにした。あちこちに輝く水たまり、大人はそれを避け、子供は飛び込む。いたって平穏で拍子抜けさせられる。何をするでもなく市場をぶらぶらし、茶屋の前を通りかかったときに声をかけられた。
 魔理沙は機嫌が良さそうで、霊夢は無視しようとしたのだが腕をとられて茶屋に引きずりこまれた。
「ちょっと昨日さ、占いを試したんだよ。答えが見えてきたぜ。紫がお前に何かを伝えたがっているらしいんだ」
「ふうん……」
「前に言った夢のこと、詳しく教えてくれよ。紫の伝えたいこと分かるかもしれないぜ」
 霊夢は何も答えず団子を注文した。きっと、もう紫が夢に出てくることはないと分かっていた。
もし紫が既に寿命を迎えつつあったとしたら、というIFを描いた話でした。
こういう話はもっといろんな含み、ぼかし、エピソードを混ぜて
ゆっくりとラストに上り詰めていくのが理想でしょう

最後に
勝手に紫を死なせたことを不快に感じた人もいたでしょうから
この場で謝罪しておきます。申し訳ありませんでした。
今野
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コメント



0.930簡易評価
1.90名前が無い程度の能力削除
抑制された文章が織り成す哀切漂う空気の中で、紡がれたのは淡々とやるせない衰弱と死の物語でした。
特に、希薄な感情しか示さなかった霊夢がクライマックスで見せた反応の激しさが切なさを強めています。
4.70名前が無い程度の能力削除
むしろ霊夢の反応の温度差に違和感。なんというかこう、駆け足というか唐突というか
インパクトを強めるなら前提として紫に対しての感情や信頼の描写がもう少し欲しかった
6.80奇声を発する程度の能力削除
切ない雰囲気がありました
8.100名前が無い程度の能力削除
実はちっぽけ系霊夢が可愛いすぎる
少しホラーですね 自分の思っていた世界が実は違ったものだった的な
藍の霊夢に対する言葉使いから明らかに会話じゃなく、一方的に言われるだけの存在だという感が伝わりますからね 結局霊夢は猛者達にとって蚊帳の外の小娘だというのがなんとも
霊夢の反応も大好きですね 戸惑いと幼稚さとナルシストさと狂気があってとてもセクシーです 紫もこれぐらいの距離感が妖怪らしくていいです 妖怪と人間の友愛はこれぐらいで丁度いい
9.70非現実世界に棲む者削除
切ないですね、紫は最後に霊夢に何を伝えたかったのでしょうか。
きっと慈愛に満ちた言葉だろうなあ...。
誤字?でしょうか。「目を週にこらし」→「周」または「周囲」ではないでしょうか。
11.90名前が無い程度の能力削除
あなたの作品の、キャラクターたちの織り成す不透明感=奥行きが好きです。
みんな行動原理が違っていて、他のキャラクターと一緒にいても、孤独感と分かり合えなさが余韻として残るような。
クライマックスシーンでの、文の没入具合もとても印象的でした。
自分も、荒れ狂う竜神の横でふわり舞う紫の幻視に、酔っていたからかもしれません。
17.70愚迂多良童子削除
紫が居なくなった幻想郷はどうなってしまうのだろう。そこが気になる。

>>霊夢はまだ感心を失っていない。
関心?
18.80名前が無い程度の能力削除
貴方のプチのホラー作品が大好きなのですが、このSSも期待通りに怖かった。
雰囲気はすごい好きだし、キャラの描写も良いのだけど、心情変化がやや唐突だとは自分も思いました
28.1003削除
紫が死ぬ。文字にあらわせばたった4文字であらわせてしまうストーリーですが、
文章力とその構成で見事に読ませるものになっています。
個人的に、衰えた紫が頼るものが人間の使う車椅子というところ、不思議な気持ちになりました。
29.80名前が無い程度の能力削除
簡素な描写が逆に読者に奥行きを感じさせるの2次創作らしい2次創作
どこまで描写するかの匙加減が非常に上手いと思いました
33.100名前が無い程度の能力削除
これすごいよなあ