Coolier - 新生・東方創想話

恋色は虹の魔法を架けて

2013/05/24 23:00:04
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充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない――アーサー・C・クラーク第三法則











 実際、愚痴のひとつも言いたくなる。
 「住みよい環境」に人間と妖怪で差があるわけでもないし、掃除なんて小まめにすませるのに越したことはない。サボりぐせがついたら最後、塵も積もれば山となるのは世の常なのだ。
 そうわかってはいるのだが、私自身、こつこつ真面目にするタイプかと聞かれたら自信はない。だから誰かに文句を言えば自分にもブーメランが帰ってくるのはわかっていて、いたって常識人のつもりでもいる私は多少の散らかり具合で口をすっぱくしようとは思わない。

 だが、この図書館はどうだ。

 毎度毎度、訪れるたびに閉口させられるのは、精神衛生的にも実に不健康なことだと思う。
 雨の日みたいな、ほこりっぽい、神経を逆なでするこのニオイ。息を吸い込むたび鼻につくからいちいち咳きこみそうになる。空気が澱んでいる証拠だった。空調がうまく効いていない。
 図書館の空気が悪いのなんて今にはじまったことではないけれど、いい加減そろそろ限界だ。改善する気配が一向にないのは、住人たちがきっとこの悪い環境に慣れてしまっているからで、客分がなにか言い出すわけにもいかず、私はただじっと腰かけ、座して病を得るのを待っているのだった。冗談にしては悪趣味にもほどがある。

 採光は悪くないのだし、ステンドグラスはきらきらと輝いて、地下とは思えないほど雰囲気が明るいのに、肝心の空気がそれはもうすこぶる悪いのだ。そのへんの物陰で壁に手を触れようものなら、緑色のカビがベッタリとつくに違いない。絶対にどこかでキノコが胞子をまき散らしている。
 そろそろ誰かしら気を利かせてもよさそうなのに、やっぱりこの洋館もどこか抜けていると思う。管理するべきメイド長はいったいどこをほっつき歩いているのだろう。こんなことだから、いつまでたっても宿主の喘息がなおらないのだ。
 ただでさえ湖のほとりでしめっぽいのだから、湿気には注意を払うべきだった。本はもっと大事に扱ってほしい。

 こうひと通り恨み事を吐いてみたところで、私がこの図書館に依存しているのもまた事実だから癪にさわる。
 いまどき流行りの人形のスタイル、導術にすぐれた詠唱の方式、効率のよい操作、複数の同時機動、トリートメントの方法、エトセトラエトセトラ――すべてみんな、この図書館で学んだことなのだからしかたがない。
 いかに環境に不満がありとても、ありがたく使わせてもらうしかないのが、未熟な魔法使いの宿命だった。まったく紅魔館さまさまというところ。

 実際、この図書館の蔵書量はそら恐ろしいものがあって、幻想郷のなかで敵う場所などありはしない。見上げるほどの本棚がところ狭しとならび、二段に三段にそびえ立つあり様は笑えてくるほどで、どれくらい広いのか未だにわからない。
 こうして席に腰掛けているあいだも、あちこちいじって規模を拡張していると聞いた。あながち冗談ではあるまい。
 どんどんと際限なく規模を広げる宮殿を見上げながら、私はまるで本の宇宙のようだと思う。

 宇宙が生まれて一三七億年――そんな話をどこかで読んだおぼえがある。
 宇宙はその悠久の時を、生まれてからずっと拡張しながらすごしてきたのだという。
 気が遠くなるほどの永い時間と距離。こういうのを、「天文学的」と呼ぶのだったか。
 この星からはたどりつけないような、外周のふちを彼方へ広げて、もっと遠く、遠くへ。

 とても想像のつくものではない。それはまるで魔法のような超現実。ウソのような本当の話。なるほど、この宇宙は物理学という魔法に操られて、その可能性を広げ続けているのに違いない。イーストを混ぜたパンが膨らむように。糸で人形をあやつるように。
 あるいは、今も世界は魔術でなりたっているのかもしれない。科学はすべて後追いのものだという。その科学では解明できない謎を、魔術は今も補完しつづけているのだ。人々の夢、願い、そんなものを背負って、魔術は今も影で世界をあやつっているに違いない。ああ、そうだ。結界の外では魔術など忘れられて久しいというのに――

 魔術師の存在起源は、己が魔術で不可能を可能にすること。外の世界を内なるそれに置きかえていくこと。
 きっと、それは夢のようなもの。魔術師たちはその内なる夢で自らの可能性を、世界を広げていくのに違いない。魔術とは世界を広げる可能性なのだ。魔術師の夢こそが世界をあやつるのだ。つまり、魔術師のなかにこそ宇宙は広がるのだ。愉快だ。

「どうかして?」

 発した声にとりとめのない空想を断ち切られ、私はぎょっと頭をあげる。
 不健康そうな肌を紅茶で温めながら、パチュリー・ノーレッジは怪訝そうにこちらを見つめていた。
 笑みが顔に出てしまっていたらしい。「なんでもない」と咳払いをして、私も気取られないようにカップをすする。アッサムのミルクティーが間の悪い体にしみていく。
 何やら物問いたげな表情のまま、それでもパチュリーは視線を本の世界へ戻してくれた。
 その様子をうかがいながら、私は内心に安堵のため息を漏らす。子供みたいな妄想をしていたなんて知られたら笑われる。

 魔術師は徒党を組まない。
 魔術がそれぞれなら、それを操る魔術師だってそれぞれだ。
 同じジャンルの魔術でも、系統から属性、詠唱の方式、もしかしたら連れている使い魔まで何ひとつ違うのに、いったいどこをどう連携しろというのだろう。
 だから魔術師のすることなんて個人プレーの最たるもので、研究は自分ひとりだけで行うものと思い込み、他者と交わらず自室へこもる連中ばかり。聞けば他の人妖には、コミュニケーションスキルの足りない残念な連中に思われているらしいとか。

 実際そのとおりなのだから仕方ないが、それでもこうして一堂に会することもないではないわけで、そこは強調しておきたいと私は思う。
 たしか最近では、こういうのを女子会と呼ぶのではなかったか。会話ひとつせず、黙々と本を読むだけの、乙女っ気の無さが「女子会」と呼べるならの話だが。
 たしかに、コミュニケーションのない残念な集団かもしれない。

「感情が表に出るのは慎みの足りない証拠よ」

 訂正。デリカシーのない集団だったか。
 私は内心舌打ちして、パチュリーをにらむようにする。いちいちそんなこと言われなくたってわかっているのに、悟りを開いたような大年増と比べられたらたまらない。
 けれど、視線を本に落としたままの齢数百年の大魔法使いは、乙女のたしなみについて私が講釈垂れる隙も与えず、

「そんなに愉快なことが書いてあるのかしら、その本」
「――べつに」それで反撃をあきらめた私は、大仰に肩をすくめて表紙を見せる。「暇つぶしにはなる、ってくらいよ」
「あら、いつものグリモワじゃないのね」

 ロボットにまつわるサイエンス・フィクションだった。当然、幻想郷で書かれたものではなく、外の世界のもの。
 グリモワみたいにミミズがのたくったような神聖語でもない。言語は平易な日本語だった。

「研究に疲れてフィクションの世界にでも逃げたくなった?」

 笑みを浮かべて茶化す、意地悪なパチュリーを無視して私は続ける。

「ロボットと人形って似ているのよ」

 いったい誰が言い出したものだか、私は「七色の人形使い」なんて呼ばれている。
 なぜ「人形使い」なのかと言えば、文字どおり人形を魔法であやつっているからで、魔術師少なからずと言えど、人形を使い魔にしているのは私くらいではあるまいか。
 とは言っても、魂を吹きこむような封印指定必至の大魔法はまだ私の手に負えないから、やりかたとしては至極オーソドックスな手段にたよることになる。
 つまり、決してからまない魔法の糸で私の指と人形をむすび、その糸を通じて人形をあやつるわけ。早い話がマリオネットだ。
 それなりに便利なこの方法、槍で攻撃したり、盾で防御したり、かわいそうだけど緊急時は身代わりにしたり、爆薬をつめて特攻したり、お勝手で食器を洗ったり、洗濯物を干したり、屋根の雪かきなんかもできる。
 一度に何体もあやつるのは骨が折れるけれど、同時にいくつも物事を処理できるのは実に役立つ。戦闘のときは数でひっぱたけるし。

 そのぶん操者の私がだんだん「おバカさん」になっているのは気のせいだろうか。このあいだも久々に包丁を握ったら、危うく鶏肉のかわりに自分の小指を切り落とすところだった。
 使う側が堕落しそうだという問題は、結界の外のほうがよほど切実らしく、高度機械文明と情報化社会がロボット工学を推し進めても、人間が日常生活に必要な知識を忘れてしまうから、高い授業料を払って大の大人が文字を書く練習をしているのだという。まったく本末転倒だと思う。
 逆に考えれば、それだけロボットの存在がヒトの生活に浸透している証拠ではあるんだろうけど、ロボットがヒトに取って代わる時代が来るかというと、私はまだまだ先のことだと考えている。
 それこそが「ロボットと人形が似ている」と私が考えるポイントで、ロボットにせよ魔法じかけのマリオネットにせよ、単純な命令は理解して実行することはできても、それ以上でもそれ以下でもないというのが、現在の技術的な限界なのだ。

 そう、よく勘違いしている手合いが多いけれど、私の人形はあくまでマリオネットなのだ。言われたとおりに動くけれど、言われたとおりにしか動けない。
 魂を吹き込み、人形自身が考え、思うとおりに行動するなんて高度なギミックは組み込んでいないのだ。そういう意味ではリモート・コントロールと呼んでいいかもしれなかった。
 もちろん、あやつる一体一体にいちいち指示を出していたら、聖徳太子でもない私はパンクしてしまう。操者の負担を軽減するように、ある程度の人工知能を人形たちにあたえて、いったいどれだけの月日が流れただろう。
 複数同時管制ができるように、そういう自動化は進めてきたけれど、これだけ経っても完全自律にはほど遠い。糸一本切れたら止まってしまうような人工無能。それが今の私の限界だ。

 これをまずは糸のないラジオ・コントロールにして、ゆくゆくは完全自律のスタンド・アローンにしようというのが、私の魔術の究極目標だ。
 つまるところ、外のロボット技術に学ぶところが多いのだった。
 昔、山の神社が産業革命を期して巨大ロボットをつくろうとしたことがあるけれど、私が作りたいのはあんなハリボテのアドバルーンじゃない。
 ヒトの考えを模倣し、ヒトのように思考し、ヒトのように自律して、ヒトのように行動する、ヒトガタそのものが作りたいのだ。

 自律といえばスキマ妖怪が「式」を飼っている。
 自分で考え行動するという意味では、あれほど完成された自我もないだろうけど、「式」というのは元々存在している魂にプログラミングで修正をかけているだけのことだ。自律人形とは原理がまるで違う。本人に言わせれば「呪(シュ)」とかいうものらしい。

 「ヒトガタ」から「ヒト」そのものへ。
 決められたとおりに動くマリオネットではなく、自ら思考するオートマトンが私は作りたいのだった。
 外の世界ではコンピュータとかいうものが、人間の脳の役割を果たしてロボットを動かすそうだが、私はこれを魔術で応用できるのではないかと思っている。
 こうしてヒトの挙動を模倣し、実現するヒトガタを生み出せるのなら、創世記の生命創造にも等しい革命だと思う。素晴らしいことではないか。私はそんなに勤勉でないから週休二日制にさせてもらうけれど。

「ナンセンスよ。いくら自動化が進んだところで、使役される定めにある人形はそれ以上の存在になりえない。人工知能が進歩しても、三原則に縛られる以上、ロボットはロボットにすぎないのよ。それに、自分で考える人形より、自分で操った方がいい――そう言ったのは貴女じゃなくて?」

 そう言って、パチュリーはつまらなそうにカップをすする。

「そうね。オートマトンが全知全能になっても、マスターの命令をなんでも聞くうちはマリオネットでしかないのかもしれない。もしかしたら、私の目指す道って魂の在り処を探ることなのかも」

 自律人形の製作は私の長年の夢だった。
 自律人形。つまり、自分で考える人形のこと。
 操者に使役されるマリオネットではなく、命令を必要せずとも独りでに仕事を済ませる人形のこと。
 ――でも、本当にそれだけで「自律制御」なのだろうか。

 オートマトン。自律人形とはなんなのか。
 ヒトの考えを模倣し、ヒトのように思考し、ヒトのように自律して、ヒトのように行動することだと私は言った。
 だが、パチュリーの言うように、使役される定めにある人形はそれ以上の存在になりえない。「危害を与えず、命令に服従し、自己を保存する」うちは、ヒトの操り人形に過ぎない。

 ヒトを模倣するうちはヒトの模倣でしかない。

 きっと、私はヒトそのものを再現したいのだ。ヒトガタではなく、ヒトそのものを。
 ヒトガタとヒトの違いはなんだろう。
 究極の自律人形、つまり最高の人工知能なら、命令なんてなくたって、自ら学習し行動できる「自我」を持っているはず。この自らを規定できる自我こそが、ヒトガタとヒトの違いではないのか。
 自我こそがヒトのヒトたる所以であるならば、これを手に入れた人形はすでにヒトガタの次元を超えているのではあるまいか。

 そうだ。私は人形に魂を――自我を与えたいのだ。
 オートマトンが自我を獲得できたなら。自らの現実存在を認識できたなら――

「コギト・エルゴ・スム――我思う故に我在り。そんなことが可能かしら」

 その一言で話をまとめたパチュリーに、私は晴れやかに笑ってみせる。

「魔術師に不可能はない。そうでしょう?」

 パチュリーは一瞬あっけにとられたように口をぽかんと開けてから、すぐ顔を背けてくすくす肩を震わせたかと思うと、次の瞬間にはお腹をよじって図書館中にひびく笑い声を上げる。
 稀代のバカと思われたのかもしれず、私は耳まで真っ赤になる。

 日が傾いてきたところで今日も紅魔館を辞することにした。
 珍しいことに、蔵書の管理に関してはおそろしくケチで有名なパチュリーが、本を持って帰っていいという。
 明日は雨でも降るのかと思ったけれど、動かない大図書館は「近頃は本を盗む不届き者もいないから」と笑った。

「帰り際に美鈴を起こしてちょうだい」

 どうせ寝ているだろうから、とも付け加えるパチュリーに私はあきれる。この洋館はいつから客に雑用を押しつけるようになったのだろう。

 館を警備しているべき門番は案の定午睡のまっ最中だった。東洋風の妖怪がパイプ椅子に腰掛けて、今日も今日とてシエスタの寝息を立てている。
 いつものことだからもう驚きもしないが、この平和っぷりにはあきれを通りこして感動すらおぼえる。頭越しに屋敷を吹きとばされたって気がつかないのに違いない
 そっとしておくのも一興だったが、様子を見ろと言付かっている手前、無視を決め込むわけにもいかなかった。別世界へと旅立っている極楽とんぼを揺すると、紅美鈴は鬼にでも出くわしたかのような顔をしてはね起きる。

「目が覚めた?」と私。

 間。

「――よかったぁ、アリスさんか。忘れ物ですか。いや、さっきお出迎えしたのだから、あれ?」

 一度屋敷へ通したはずの客が、今は目の前にいることで混乱しているらしい。盛大に安堵のため息を漏らしながら釈然としない顔に、寝ているようであればすなわち起こせ、と言付けられたのだと伝える。それを聞いた美鈴はぺこぺこと何度も頭を下げてきた。命拾いをした、そういうことらしい。
 命が惜しければ居眠りなんてしなければいいのに。ここのメイド長は使用人のミスに目こぼしなどくれてやらない。
 そんなことを言うと、門番は「近頃は勝手に侵入する不届き者もいませんから」と胸をはる。まったく身も蓋もありゃしない。

「それに咲夜さんもお昼はお休みですから」

 日が傾くまではこうしていても平気なのだと美鈴は笑う。そういうものだろうか。
 そもそも、一日中こんな吹きさらしで寝ていて寒くないのだろうか。

「こんなお天気ですよ。せっかくならお昼寝も外のほうが気持ちいいじゃないですか」

 数百年変わらない彼女なりの哲学なのだろう。命は大事にするよう伝えて、私はこんどこそ館を後にする。





     †





 自宅に着くと、借りてきた小説やグリモワを片手に、早速研究の続きにとりかかる。魔術の探求に休みなどない。
 が、一度オフにしてしまったスイッチがそう簡単に元に戻るわけでもなかった。
 都合よく魂や自我とは言ってみたものの、私自身どうにもイメージがわかないのだ。ページをパラパラとめくってみるが、ふわふわとしていて捉えられるものでもなく、私はランプを灯した薄暗い部屋で本につっぷしてぶーたれる。

 きっと「自我」というものは、あらかじめ行動をパターン化された人工知能と違って、ひとたび学習をはじめたが最後、マスターの思いもよらないほうへと走りだすものなのだ。
問題は、その魂――ゴーストとでも言おうか――がいったいどこから来るのか、何に依拠するのか、私には皆目わからない。
 そういえば、パチュリーが思考は電気信号なのだと言っていた。やはりすべて機械仕掛けにするしかないのだろうか。でもそれだと、河童あたりの力を借りる事になるし――

 そこまで考えたところで、グリモワやら羽根ペンやら袋菓子やらヘアゴムやら、ここ数日の無精がたたって机の上に積もりに積もったバベルの塔がついに崩れ落ちてきた。
 バサバサドサドサとまぬけな音が作り上げた、情け容赦のないずぼらの山に埋もれながら、私は心底脱力する。まったく、図書館のことを笑えない。
 そこへトドメとばかりに何かが背後の棚から落ちてきて、私の後頭部にゴツンと一撃。小気味良い音を立ててぶつかったそれのせいで、私の顔から星が飛ぶ。
 文字どおり涙目になりながらそいつの正体を見れば、半分ホコリをかぶったような八角形の魔法具が床に転がっていた。

――あの娘の遺品だ。

 なつかしさと、それ以上に郷愁でも悔恨でもない苦味が走馬灯のように駆け巡り、なんともいえない間の悪さをおぼえつつ、私はかつての友人に思いを馳せる。

 結局、魔理沙は捨食の法も、捨虫の法も修得しなかった。

 ヒトの短い一生分では到底実現できない夢を追うのが魔術師。ならば、その寿命を可能な限り伸ばそうとするのが当然なわけで、それが寝食忘れて没頭するための「捨食の法」であり、成長を止める「捨虫の法」だった。
 なのに何が気に入らないのか、あの白黒はあれこれとゴネるだけだった。いいかげん私も頭に来て、

 魔術師にとって、その二つを覚えるのは当たり前なのだから、何もおかしなことはないのだ。むしろ、修得しないことこそ半人前の証で、お前はいつまでそんな「ごっこ遊び」を続けるつもりなのか。魔術を修めるなら真面目にやれ――

 何度説得してものれんにうで押し、なしのつぶてで、しまいには私もさじを投げた。
 年々開いていく歳の差に、魔理沙が何も感じていなかったはずはないのに。あの娘がそれを表に出すことはあっただろうか。パチュリーに聞いても「ない」と答えるだけだろうし、私もおぼえはない。

 そういえばいつのことだったか、一度だけ私をまじまじと見つめて「いつまでも若いままというのはうらやましいな」などと笑ったことがある。
 常に我が道を征く魔理沙が感傷にひたる――そんなさまが心底意外、というよりいっそ気味が悪く、私はあっけにとられてしまった。

「あなたも魔法で成長を止めて、若返りをすればいいでしょう」

 ようやくのことでそう言ってやったのだが、魔理沙は「まさか。それはごめんだよ」と笑うだけで、森でキノコを採って暮らす生活を最後までやめなかった。

 あれが見栄っ張りの見せた弱さの発露だったとして、あの頑固者をそこまで意固地にさせたものは何だったのだろう。私はそれがわからないでいる。
 つまるところ、霧雨魔理沙とは私にとって謎のままなのだ。

 あの娘の根源がなんだったのか。
 あの娘の魂がどこに渦を巻いていたのか。
 あの娘の内なるものに何が広がっていたのか。

 あの娘がいなくなって、もういくつにもなるというのに、私には未だにそれがわからない。
 だからなのか、魔理沙がいなくなっても、ものの見事に空っぽの魔法店を見ても、その実感が湧かないというのが本当のところで、悲しさや寂しさという思いはこれまで少しも浮かんでこなかったのだ。

 四十九日が過ぎたころ閻魔がやってきて、「このまえ私のところにやってきた」とだけ告げて、いつもの小うるさい説教もなしに彼岸に帰っていった。
 気を利かせてくれたのだろうと検討はついたが、だからと言ってそれで実感がわいてくるわけでもなく、私は幻想郷担当の閻魔様に曖昧な返事しか返せなかった。
 この星といっしょに生まれたような大妖怪は人間ひとりいなくなったところで気にも留めないとしても、いつもセットで扱われていた私が涙ひとつ見せないのは意外だと言われるのだが、実際そうなのだから仕方ない。

 我ながら薄情なことだとは思う。

 けれど、哀しみでも喪失感でもない、なんともいえない「謎」のようなものだけがぽつんとこの場に残り、それは心にぽっかり開いた深淵のように私をのぞきこんでいる。





     †





 明け方まで続いた、たらいをひっくり返したような雨は昼にはすっかり止み、幻想郷の空はすっかり夏模様に戻っていた。
 博麗神社の鳥居をくぐると、友人は拝殿の近くに腰掛けて一服中。いつものようにまたサボっているのかとあきれたが、よく見れば立てかけられた箒の近くに落ち葉が集められていた。
 ここの巫女もたまには殊勝さを発揮するらしい。

「ごきげんよう」

 博麗霊夢は湯のみをすすったまま、片眉だけを上げて応じた。

「元気そうね、お肌もハリがあって」
「フランス人形が言うと皮肉に聞こえるわ」と霊夢。
「それって褒めてくれてるように聞こえるけど」
「どうだか」

「それくらい察しろ」とでも言うように、霊夢は済まし顔のまま湯のみをすする。今日の玉露はとっておきらしい。私もお相伴にあずかることにする。
 そのまましばらく二人で縁側に腰掛けて、天気がいいだの、気温が高くなってきただの、本当に毒にも薬にもならないような世間話に興じていたのだが、霊夢は上空にふわふわ浮かぶ鴉の姿を認めるなり、そいつに向けて行き掛けの駄賃とばかりにスペカをぶん投げた。
 名乗り口上も上げられず、鴉は泡を食う。

「うわっち、開幕座布団だなんて非道いです! 年寄りの冷や水は体にわるいですよ」
「誰が年寄りよ」
「ご老体は国の宝でしょう」
「本当に焼き烏にされたいみたいね」
「あやや、こんちまた御機嫌ナナメですね」

 悪びれもせず、しれっと言いのける射命丸文は、高みから私たちを見下ろして、「これだから年寄りは」なんて顔をしている。自分のほうが十倍も二十倍も長生きのくせに。
 それでムキになったらしい霊夢は、見るからに危なっかしい特大級の陰陽玉を出現させる。それを見て、ようやくのことで地雷を踏んづけたと悟ったらしい鴉天狗は、「本格的にダメだ」とあきらめたか見るも鮮やかな逃げの一手を打つ。

「椛、殿よろしく。ではアリスさん、ごきげんよう」
「はい、文さま――え、しんがり? あれ、文さま? って、うわあ!」

 あとに残された可哀想な白狼に、霊夢は容赦なくスペカを叩き込む。
 顔面にモロに喰らった白狼が黒煙を引いて墜ちていく。ワンコ一匹、飼い主に置いて行かれ哀れ撃沈。

「わああん、みんなしてひどいー!」

 額を押さえて尻尾を巻き、一目散に逃げていく白狼天狗を見送りながら、楽園の素敵な巫女はしわくちゃの笑みに会心のガッツポーズ。まったくどちらが正義なのかわかりはしない。ひどい巻き添えもあったものだと思う。

「こうして見ると変わらないわね」
「飽きもせずによく来るわ。憎たらしいくらいよ」

 私は霊夢のことを言ったつもりなのだけど。
 憤懣やるかたないという表情で霊夢は縁側に腰を下ろすと、湯のみの底に親の敵でも見つけたような勢いで玉露を飲み干しにかかる。
 何か話さないと、

「そういえば、新しい御阿礼の子が見つかったそうよ」
「――それ、本当に本人なんでしょうね」
「ええ。初代稗田阿礼から私たちの知る彼女まで、記憶の継続性も認められたとか」
「なるほど、紫が姿を見せないわけだ。名前は?」
「阿透だったか阿徹だったか」
「順当なところね」

 転生した御阿礼の子は歴代の記憶を継承してはじめて、そうと認められる。ダライ・ラマみたいなものだ。
 何か話さないと、

「霊夢、魂はどこにあると思う」
「輪廻転生の話? 浄土信仰の説教なら寺でおやりなさいな」

 とにかくなんでもいいから口を動かしつづける必要があった。頭のなかの引き出しを片っ端から開けていく。
 何か話、

「魔理沙のことでしょう」

 ぎくりとして霊夢を見ると、しわしわがにやにや笑っていた。失敗。

「――。わかる?」
「わからいでか」

 顔中のパーツを線にして、霊夢はさも可笑しそうに笑う。
 お見通しか。
 白髪で迫力満点の霊夢には、時にかなわないと思わせる何かがあって、こうして時たまずばりと心のなかを探られるのだ。それこそ、まるで覚りの妖怪みたいに。
 ずっと同じ時を過ごしてきたはずなのに、これが「年の功」ってやつなんだろうか。

「なんであの子が魔法使いにならなかったのか――いくら考えても、ね。あなたならわかるんじゃないかって」
「さあね。私にはわからないし、あんたほどの興味もない」霊夢は突き放すようにそう言ってから、それでもしばらく虚空を見つめるようにしてポツリと、「でも、魔理沙らしいじゃない」
「たしかに」

 ――たしかに、魔理沙らしいといえば魔理沙らしい。

 蒸気機関みたいにぽんぽんと活発な、いつまでも子供みたいな魔理沙はイメージできても、取り付く島もない魔族になって、「うふふふふ」などと妖艶に微笑む大魔法使い霧雨魔理沙様はちょっと想像がつかない。お婆さんになってもケタケタ笑っているほうがお似合いといえばお似合いなのかもしれない。

「ま、私も他人事じゃないけどね」

 盛大に地雷を踏んだ気がする。

「そろそろ、次の巫女とも交代しないといけないから」
「――またそんなこと言って。博麗の結界は八雲との盟約で成り立っているのだし、何かあるのなら紫のほうから連絡があっても、」
「この期に及んでそれがないということは、そういうことよ。もう二年も顔を見ていないしね。紫にとって私はもう用済みなんでしょう」と霊夢。
「――」
「次の代なんて、もうとっくにあいつが品定めを終えているのよ」

 形容しがたい笑顔でそう言い切る霊夢に、私は何も言えない。

「さて、なら私もそろそろ床につこうかしら」

 その、いやに明るい口調に助けられてしまった気がして、

「あら、ずいぶん早いご就寝ね。陽はまだ高くってよ」
「季節の代わり目は体の節々が痛んで仕方ないのよ。気分も優れないし。まったく、不老不死がうらやましいわ」

 ずいぶんと年を食ったセリフだが、白髪の巫女が言うのだから真に迫って聞こえる。

「よいしょ」と大儀そうに立ち上がってみせる霊夢の足は意外なほど頑丈に見えるのだが、腰をぽかぽかと殴っているさまはやはり歳相応にお婆さんのものなのだ。
 ふと、霊夢ともこの冬で最後かもしれない、そんな突拍子もない思考が去来して私はかぶりを振る。

 霊夢の就寝を手伝い、寝付くのを見届けてから神社をあとにする。
 なんやかんやで、この歳になっても境内の掃除だけは欠かさないのだから、立派なものかもしれない。
 一杯機嫌の鬼がふらふらとやって来たけれど 主が床に就いたことを告げると 残念そうに来た道をふらふらと帰って行った。
 百鬼夜行で千客万来か。
 博麗神社は変わらない。





     †





 家の扉を開けると人形たちが出迎える。これもいつだって変わらない。
 どれも形が似ているように見えて、彼女たちに同じところなどひとつとしてない。
 その個性こそがゴーストに違いを生み、自我の発生に寄与するのではないかと期待してのことだ。

 大小様々な人形が数十体、棚に腰かけてずらりとならぶさまは壮観だと思うのだが、他人にとってはそうでもないらしい。この家が「不気味の館」と陰口叩かれる理由のひとつは、なんとこの子たちなのだという。心外もいいところだ。
 精気のない瞳を見開いて沈黙する人形たち、その二十体ほどに操術をかける。魔法の糸が次々と人形たちに吸い寄せられ、それだけで彼女たちは息を吹き返したようにわちゃわちゃと動きだす。この上海は何代目だったかしら。
 さぁ家事だ作業だとあれこれ指示を出すと彼女たちは途端に不平不満を訴えはじめ、たとえプログラミングの成せる擬似的なものだとしても、そのさまは私以上に感情が豊かなのかもしれないと思えるのだった。

 人形たちがせっせと皿を洗い、洗濯をしている横で、私は安楽椅子に腰掛けて思考実験に戻る。
 パチュリーから借りたままの小説を手にとると、ちょうどサボタージュを起こした人工知能が思考回路を抜かれるくだりだった。

 人間はなぜロボットを作るのだろう。
 ヒトはなぜヒトガタを目指すのだろう。

 三原則を逸脱した人類近似存在は、いつか人間を滅ぼすかもしれないのに。
 創世記で神は自らの似姿としてヒトを作り上げた。ヒトは自らの似姿としてヒトガタを作るのだろうか。

 それは創造主の模倣?
 創造主への反抗?

 バベルの塔は人の思い上がりが禍を成して崩れ落ちたのだという。未来世紀に生きる人間の思い上がりがHALの反乱を招くのだろうか。
 知恵の実を手に入れた人間が、次に狙うのは生命の樹なのかもしれない。

 そういえば、私がついに捨虫の法を修得したとき、唯一軽蔑した視線を寄越したのも魔理沙だった。あの子の化け物でも見るような目は今でもときどき私を苛む。
 一度完全な魔法使いになってしまえば元が人間だろうと、もう魔族の一員だ。二度と元の地平には還れない。ヒトと限りなく近い種族であっても、私はもう妖怪の仲間なのだ。

 いよいよ老いの無くなり日に日に若返る私が、あの子の目には倒すべき敵に見えていたのかもしれない。あの子がこれまで退治してきた神妖のように。
 もはやヒトでない私は、声も姿も若いまま。私自身はこの永劫の時を楽しんでいるつもりだが、毎日せっせと化物キノコを集める魔理沙がなぜか羨ましく思えたのもたしかだ。
 見かけはおとぎ話に出てくる魔法使いのお婆さんそのものになっても、魔理沙の心は生娘そのままで、日課だったキノコ採集も、老婆の散歩などという生易しいものではなかった。あの頑固者が昼は野山に分け入り、夜は自宅に閉じこもって実験に明け暮れたことを私は知っている。
 あの歳になって恋符の威力を上げたというのだから、なんというかあきれてしまう。山も吹き飛びそうな大威力にポカンとなる私に、「やっぱり弾幕はパワーだぜ」とカラカラ笑ってみせたのが昨日のことのように思える。

 魔理沙が何を考えていたのか。私にははわからない。

 それでも、ヒトであることそのものが魔理沙なりの誇りだったのではないか。そう思えるのだ。
 限られた命の中で、出きることを成す。残りの時間が限られているから今の時を大いに楽しむ。たとえそのすべてが幽世へ消え行くものだとしても。たしかにあの娘は、人生そのものを楽しんでいるように見えた。

 バカバカしいかもしれない。
 ピエロのようなものかもしれない。
 ヒトひとりの短い一生のなかで、できることなんてそう多くはないのだ。
 たった数十年の人生で、人間は生まれ落ちた意味を問いかけ、何かを見つけた気になり、そして何もかもあきらめ、塵に還ってゆく。

 おお人間よ、そのなんと素晴らしきことよ。

 その生き様は魔術師のものに反逆するというのに、それでもあの娘は、最後までその生き方に誇りを持ち、その劣等感を受け入れなかったように思うのだ。自らの存在を問い続け、その生き方と向き合っていたように思うのだ。
 なるほど、霧雨魔理沙は最後まで半人前の魔術師だったわけだ。

 あの娘の宇宙は何を描いていたのだろう。
 あの娘の内には何が広がっていたのだろう。

 結局、霧雨魔理沙という半人前の魔術師は私にとって謎のままだ。
 ――私があの子に追いつけることなど、もうないのではないか
 ふとそんな気がして、私はうすく笑う。

 私がいつ「あちら」へ戻るかはわからない。
 それまでに幾度四季が巡るかなんてわからないし、幻想郷だってもうこの世界に存在しないかもしれない。
 それでも私は、あの子のことを覚えていようと思う。





     †





 その日、紅魔館を訪れると、珍しいことに住民総出で図書館の清掃に勤しんでいた。
 いったいどういう風の吹きまわしかパチュリーに尋ねてみれば、なんと空気の悪さがそろそろ限界なのだという。
 明日は槍でも降るかもしれない。

 宮殿のあちこちで毛ぼうきをパタパタやっている妖精メイドとゴブリンたちは真面目に仕事をこなしているのだが、どう贔屓目にみても状況を悪化させていた。
 この館を数十年にわたって取り仕切る若々しく瀟洒なメイド長が、眠そうな目をこすって檄を飛ばしても彼女らを改心させるには至っていない。もうもうと上がる埃はどこかで読んだアラビアンナイトの砂嵐そっくりだった。
 たしかに、好き勝手にあれこれされるより、言われたことしかやらないほうが、使う方としては便利かもしれない。

 仕方なしに、私が連れてきていた人形を加勢させてやると、上を下にしたような大騒ぎはあっという間におさまった。手際の良さに住民みなが目を丸くしていて、私は少しだけ得意な気分になる。
 人形たちに組み込んだ自動学習システムも、きっとこれくらいの人工知能に留めておいたほうがマスターの私には便利なのだろう。
 でも私に、ヒトガタからヒトへ目指すことをあきらめるつもりはない。
 不可能にまみれて死んでいくことがヒトの定めであるように、魔術師の存在起源も夢を追い続けることなのだから。

 外に出てみれば、嘘みたいに桃色の空には虹がかかっていて、地平線の蒼とのグラデーションに華を添えていた。
 そう、恋色ってきっとこんな色だ。
 エプロンの汚れを気にするような素振りを見せて、上海人形がさも窮屈そうにしていた。家に帰ったらトリートメントしてやろう。



「ホコリにまみれて可哀相だぜ」



 笑い声が聞こえた気がした。
アリスちゃんかわいい!(挨拶)

あれこれと思考を巡らせた結果、気がつけばサイエンス・ファンタジーのようなものが出来上がりました。
それでは、お後がよろしいようで。
りくしょ
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コメント



0.340簡易評価
4.90名前が無い程度の能力削除
完全な生命の創造…。
ヒトを捨てても追求したかったのでしょうが、実は全ての生き物は子として生命を創造しています。
アリスが望むヒトガタがただの便利屋さんであれば、自我は必要なく都合の良い思考ルーチンだけ
組み込めば良い。
緋で「自律させても使いにくいだけ」と自らを否定し始めたのは、自分の最終目的が揺らいでいるためかも
しれませんね。
妖怪は精神に依存する存在、アリスの寿命は捨虫までしたのに案外短いのかもしれないと思ってしまいます。
5.無評価璃玖翔莱削除
>>4
>妖怪は精神に依存する存在
なるほど、自らの起源にのみ頼む百鬼夜行の存在も儚いものですね。ひとつヒントになりました。
アリスの念願が成就することを祈りますが、その達成自体も、彼女の旅の終わりを意味するかもしれませんね。妖怪は夢を追い続ける存在なのかも。あるいは、夢そのものか。
ありがとうございました。
8.903削除
素直に面白いです。
もう+1000点はいっててもおかしくないと思うのですが……