Coolier - 新生・東方創想話

ゲマイネの末裔

2013/05/23 23:49:17
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 喧々、と喉を二度鳴らすと、わずかにくぐもった音が響いた。凝として、また喉を鳴らそうとすると、草が擦れる音が近付いてきた。彼女は深い草と、木の陰に身を隠したまま、草間から目を遣った。湿気った土臭さにほのかに獣の体臭が混ざった。一頭の犬が見える。息を詰めて、草間から手を伸ばすと、犬は低く唸り始めた。彼女は身を乗り出し、瞬く間に腕を伸ばし、そのまま犬の首を折った。立ち上がり、力なく垂れた犬に鼻を近づけた。白い体毛が鼻の頭を撫で、土と、獣独特の、鼻に塗りつくような臭いが鼻腔を通った。彼女は口を大きく、犬の頭が丸々入るほどまでに広げ、尖った乱杭歯を突き立てた。尖歯が犬の肉を千切るのは容易く、辺りに血が散らばった。口から犬をぶら下げたまま、ゲ、と喉を鳴らすと、左の方から物が落ちるような音がした。そちらに顔を向けると、ひとりの男が腰を抜かしていた。彼女は大きく眼を開いた。男は全身が震え、彼の股の下は濡れていた。口角は泡立ち、、歯は噛み合わず、不規則に鳴っている。瞼際に涙が溜まり、焦点は遙か向こうに合い、後ろ手についた腕には力が入っていなかった。足は空を切り、後ずさることすらままならないようであった。彼女は大きな眼を細めた。口を開くと、犬が落ちた。乱杭歯は口全体に詰まっていた。彼女は再び喉を鳴らした。ゲ、という音が鳴った。冥暗を見るような目であっても、彼女は確かに愉しんでいた。一歩ずつ男に向かうと、草が擦れる音が遅れて届いた。男は逃げることも、気を失うことすら能わなかった。ただ彼女が一歩近付く毎に、或いは、草が擦れる毎に、一年ずつ命が削られる心地である。彼女が目の前に立ったとき、彼は恐懼のままにうち震える他になかった。彼女はやおら口を閉じ、しゃがみ、男と目線を合わせた。男の目線は彼女の視線に捉えられた。
「くわないでいてやるよ。」
 彼女は人間の少女の声を真似て言った。ゲ、と喉を一回鳴らした。男は大きく唾を呑み、彼女の言を内で反芻した。言葉を紡ごうとしても、うまく舌が回らず、言葉にならなかったが、かすかに安堵した。彼女は立ち上がり、男を見下ろした。男に背を向け、犬を貪り始めた。男は漸く後ずさりし、その場から走り出していった。
 彼女は犬の残りを加えたまま、森の中をうろついていた。時おり喉から、ゲ、ゲ、と鳴らし、立ち止まったときは、ひゅ、ひゅ、と甲高い音を伸ばした。歩きながら、舌で口内に貼り付いた毛を取っていた。湿気った空気や土臭さは気にならなかったが、獣の肉の生臭さはあまり得意ではなない。特に雑食の内腑は極めて生臭いため、出来る事なら鼻を摘んだままにしたい所であったが、口に野卑な臭いがまとわりつくことを考えると、同じことだった。
 しばらく放浪している内に、日は沈んでいた。屍臭につられて、羽虫が集っていた。彼女は一本の木の根もとに座り込み、骨から肉をそぎ始めた。
「君はまた、そんな小さな獲物を漁っているのか。汚らしいとは思わないかい。私が言えた義理ではないがね。」
 顔を上げると、鼠のまとめ役が立っていた。彼女は上げた顔をすぐに戻し、再び骨を口に入れた。
「君は鵺なんだから、もっとしっかりしたものを取って来られるんじゃないかね。それこそ、人間だって君の餌じゃないか。」
 不遜にいう鼠は、決して鵺に業を煮やしているわけではなかった。鵺は甲高く、ひゅ、と鳴らすだけであった。鵺が、口に入れた骨を歯で刮ぎながら出し入れするたびに、骨は白くなっていった。鼠は一度嘆息し、鵺の前に胡座で座した。数回、骨を出し入れすると、肉はすっかり無くなり、すると、鵺は新しい骨を口に入れた。白くなった骨に月光が反射し、いっそう白さを際立たせていた。鼠は偶に走ってくる自分の部下と二三言交わす以外、黙って鵺の作業を見ていた。
 全体の七割ほどの骨が白くなった時、再び鵺は高く喉を鳴らした。鵺は掃除した骨を丁寧に並べ始めた。
「先刻に人間を襲おうとしたらしいじゃないか。いったいぜんたい、私には理解出来ないね。なんでそこで人間を食わなかったんだ。わざわざそんなみみっちい獲物なんて狩ってね。」
 鼠は矢継ぎ早に鵺に問うた。鵺は手を止め、鼠に顔を向けた。瞳は冥暗に黒く、口角は頬まで裂けて持ち上がっている。喉の奥を、ゲ、と一度鳴らし、鼻をひくつかせた。蓋し、少しするとまた骨を並べ、新しく肉を削ぎ始めた。
 鼠は首を振った。この鵺は、今夜何を答えることもしない。ただの戯れだったのだろう。人間が怯える顔が見られれば、鵺にとって、それで充分だったに違いあるまい。
 すべての骨が並べられた時には、森の木々ですら眠りに沈んでいた。鵺は並べた骨を児戯の如く、並べ替えては置き直すことを繰り返していた。
 ふと、尺骨を月に当てた。ゲ、ゲ、と喉を鳴らすと、ゆっくりと己の右腕に指を差し込み、己の尺骨を抜き出した。手首から上が力なく垂れた。自信の尺骨を放り投げ、そこへ犬のそれを突き入れた。放り投げた尺骨を犬のそこへ置くと、再び喉を鳴らした。
 鼠にはいったい何が起こったか理解は出来なかったが、おそらく、鵺がこの犬を己の物にしたのだろう、と推し量った。鼠は、幾度か鵺が動物を喰らい、取り込むのを見たことがある。ただ、何か目的があるのか、考えは及ばない。鵺なりの理由があるのだろう。鵺は鼠の目の前で骨を弄っていた。一本の燐のように薄く光る骨もまた、鵺によってあちらこちらに移されていった。
 山の際を朝日が縁取るころになって、鵺は遠くへ視線を遣った。鼠はその先を追いかけて、人里であることを確信した。そして、鵺が犬を我が身としたことと、人間を逃がした理由を悟った。
 ――植え付けた種を芽吹かせるために、ひゅ、と甲高く鳴いた。
ストーリーを持たせながら長いものを書くというのは、なかなか難しいと感じます。
しっかり話を流せるようになってから、長いものを書いてみたいと思います。
有河隆道
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コメント



0.350簡易評価
5.70名前が無い程度の能力削除
うん文体は好きなんだよなあ
6.50名前が無い程度の能力削除
悪くないけど難しく上等なもの書こうとし過ぎじゃないか。肩の力抜けよって言いたくなる。
7.70奇声を発する程度の能力削除
雰囲気は良いですね
10.803削除
味のある文章。
この鵺があの命蓮寺のぬえになるかと思うと不思議な気分ですね。
12.90名前が無い程度の能力削除
短くても完成されているのなら私は好きですけどね。
ぬえの可能性を楽しめた。
15.無評価名前が無い程度の能力削除
ぬえが人間と共存するために犬を取り込んだのかな?