Coolier - 新生・東方創想話

メランコリックフランドール5

2013/03/17 22:23:38
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 とある日のこと。晩も過ぎてそろそろ丑三つ時という頃に、レミリアお嬢様がメイドを呼んだ。
 ここ最近のレミリアお嬢様へのお世話は、専ら咲夜さんの仕事となっている。むしろそれまで大勢でやっていたことを咲夜さんが一人でこなしてしまっている。そのため昼なら皆スルーをしてしまうのだが、真夜中となると話が別だ。
 咲夜さんは人間なのである程度の睡眠時間を必要とする。こんな夜更けとなるとほぼ寝てしまっているため、今は動けない状態だ。有る程度の定型なお世話であれば咲夜さんが「寝ているから仕事ができないというのは理由になりませんから」とこれまた謎の言で行った事前の手配でなんとかなるのだが、どうにも様子が違うと今日の担当のメイドから報告が入った。つまり、誰かが代わりに行ってお嬢様のお世話をしなければならない。
 本日は起きているメイドたちで申し合わせた結果、大体何にでも対応できるわたしがお世話をしに行くこととなった。フランドール様も寝てしまっているのでまあ、問題はないだろう。
 真夜中と言えば、吸血鬼が本領を発揮する時間帯だ。それは紅魔館でも変わらない原則で、この館が暗く寝静まっているということはほとんど無い。
 ただし夜のレミリアお嬢様がアブナイことくらいは全員分かっているようで、自然と館には張りつめたような空気が漂ってしまう。特にお嬢様の私室近辺は、誰も寄り付かないのに皆が注意を払っているという、不思議な空間と化している。
 その騒々しい静寂をいつもの仕事のノリを借りて踏み壊し、ドアに三回ノックを叩き入れ、返事を聞いてから部屋の中に入る。
 レミリアお嬢様はテーブルの傍の椅子に背を預けていた。くつろいでいるようだ。
「えっと、三号だったかい?」
「はい。わたくしです」
「うん丁度いい。お茶をちょうだいな」
 丁度いい? とても引っかかるがすぐに理解できないので「承知しました」とだけ告げて、一礼してから部屋を出ようとする、のだが。
「おっと。ちゃんとあんたが淹れなよ」
 と最後に付け足されて、心臓が少しだけ縮む。
 咲夜さんの研修によって紅茶を淹れることがとてもうまくなったメイド妖精がいる。その子ならわたしより上手に淹れることができるので、作るのは丸投げしようと考えていたのだ。それを言い当てられてしまったようでひどく動揺してしまった。とにかく「はい」と返事をして厨房へと戻っていく。
 仕方がなく一人で紅茶を作る。しばらく自分で淹れていなかったけれど、咲夜さんからやり方やコツを少し聞いているのでちょっと頑張ってみよう……それにしてもどうしてお嬢様はわざわざ今日の担当の子ではなく他の誰かに頼んだのか。仕事的にはそこそこいい線いってる子だったと思うんだけれど。さて。
 そうこう考えているうちに出来上がったので、思考を切り上げてそのままお嬢様の部屋に持って行き、作法に則って紅茶を出す。
 正直、生涯の中でも会心の出「……イマイチ」ですよねーちっくしょう。
「紅茶でしたら、わたしより扱いの上手いメイドがいますよ」
 あえて抗議の意味を込めて進言してみるが、お嬢様は二口、三口とゆっくり味わうように紅茶を啜っていく。
「そいつのも、さっきまで近くに居た奴のも、大体咲夜の淹れる紅茶と一緒でしょ? 私は別の誰かの紅茶が飲みたかったからこれでいいのさ」
「はあ」
「そしていいタイミングであんただった。丁度いいってのは一石二鳥ってこと。それとは別にあんたの紅茶も一度飲んでみたいと思っていたから」
 恐らく何度か口にしているハズなんだけれど、面と向かっては初めてかもしれない。しかし、わざわざ味の落ちる誰かの紅茶を飲みたいとはこれ如何に?
 ふと。お嬢様は口を止めて、目を伏せ少し考え込んでから「……葉を蒸らしすぎだね」と呟く。
「失礼しました。次は気をつけます」
 ダメ出しだと思って普通に受け答えをするのだが、お嬢様は少し可笑しそうな表情を向けてくる。
「そんなに畏まらなくてもいいんだよ。
 ほら、咲夜は何でも完璧にこなしてしまうだろう? だからあの子の紅茶だけ飲んでいたらこういう『違い』が無くて、ずっと美味しいばっかりなんだ。それだと次第にその美味しいさえも分からなくなってしまうから、たまには別の味も舌に乗せていく方がいい。そうすればいつもの味の美味しさも、別の味の良さもまた理解できるからね。
 けどだからといって不味い物は出すんじゃないよ。ちゃんと美味しいものじゃなきゃ私は飲みたくないから」
 なんかすっげー我がままなことを言われているような、わりと同意できることを解説されているような、遠回しに褒められているような。
 なんとも返事をできずにいると、お嬢様はそのまま紅茶を飲み干してしまう。
「ごちそうさま。なんだフランドールの奴、咲夜が来るまで一番美味しいのを飲んでいたんじゃないか」
「ありがとうございます……これはもしかして、その。たまにはわたしが淹れてやれよってことでしょうか」
「あはははは、そう聞こえたならすまない。けれどあんたがやりたくなったなら、してあげなよ」
 うーん。一番美味しいのがビシっと出てくるのでそれでいいと思っていたのだけれど、こういう緩急まで考えた方がより楽しめるわけか。っていうかこの一連のやりとりを聞いたら大ダメージを受けるかもしれない咲夜さん。寝ていて良かった。
 誰か別の紅茶を飲んでみたいという言は違いを楽しむということで、わたしの紅茶を飲んでみたいという言は今までフランドール様が飲んでいた紅茶を改めて確認する、という趣旨だったようだ。確かにフランドール様と出会って以降はそちらにかかりきりだったので……。
 いやまてよ、この流れならうっかり「前の紅茶はどんなのでしたか~」なんて前任者のことを聞いても許されるんじゃなかろうか。
 そう思考が飛躍するのと、今しかないという直感はほぼ同時に起こる。かかりきりなのはこれからも同じ。だとすればここしかない。
「はい、心に留めておきます。ところでひとつ気になったのですが、前任者の方にもこれと同じようなことをなさったのでしょうか?」
「前任者……フランドールのかい? いや、そいつらの紅茶の味は覚えてないなぁ。こんなことをしてみたくなったのはあんたが初めてだしね」
 押し込もうと最高の前置きができたと思ったのだが、覚えていないと。これは忘れてしまった的な流れだろうか。
 それでも一応聞こうとした矢先、レミリアお嬢様が先に話しかけてくる。
「おっと。確かに紅茶の味は覚えていないけど、二人のことを忘れたわけじゃないよ。さっきのは聞こえが悪かったねぇ」
 『お前が紅茶を淹れろ』という先ほどを思い出してしまうような言い回しだ。妙に心拍数が上がってしまう。お膳立てとしては完璧なんだけれど、あまりにも出来過ぎていて逆に不気味なトラップのように思えてしまう。お嬢様から聞くのが一番難しいだろうと考えていたこともあって、こんな簡単に聞けてしまうことがちょっと怖い。
 ええい。どちらにせよ退路などないのだから飛び込んでしまおう。
「その前任者のお二方とは、どのような者だったのでしょうか? わたしは直にそれと知らないもので」
「二号の時にはあんたも居たはずだけど。まあ非公開だから知らないか」
 正確に言うと仕事の範囲が違いすぎて面識が薄い。メイドだって昔は妖精だけじゃなかったし、数も多すぎていちいち覚えてなどいられない。
 レミリアお嬢様はふむと考え込んでから、少し瞼を閉じる。
「そうだねぇ。簡単に言い表すなら、一号は『すごく母性的になった咲夜』ってところかな」
 そして、にわかに信じがたいようなコトをさらりと述べてしまった。
 え、ちょっと待って。タイムタイム。とりあえず一号さんのベースをスーパーメイドの咲夜さんだと仮定して、それにすごく母性的な要素をプラスしたと。
「それもう、完全で瀟洒を通り越して聖母じゃないですか!」
 思わず口に出してしまう。だってそんな神様ちっくな存在、羨ましすぎる。
「ふふふ、一号は立ち振る舞いや内面だけでなく肉体も母性的だったからねぇ」
 うおお……それ以上の情報は思考がパンクする。
「つ、次、二号さんの方をお願いします!」
「二号か。あいつを簡単に言うなら、『とても真面目になった美鈴』ってところだね」
 やはり信じられないような表現をさらりと言う。
 もっかいタイムアウト。頑張って想像しよう。わりと気配り上手で庭仕事や門番なんて裏方をやっている美鈴さんが、居眠りやおふざけをしなくなると。
「だからそれ理想的すぎますってば! お嬢様ちょっと誇張してませんか?」
「まさか。二人ともそれくらいの働きをしていたよ」
 マジ? これマジなのだろうか。
 駄目だ。ちょっと信じることができない。どのくらいが本当か誰かに確認する必要がある。ぐっだぐだの働きしかしない紅魔館のメイドにそんな超人たちが居たら話が残っていたりしてもよさそうだ。叩き台となる情報が出たと思えば文句なしの収穫と言えるけれど。
 詳しいところを聞こうかどうか迷っていると、一つの思いつきが頭の中に湧いてくる。お話の締めとしては丁度いい感じだし、聞いてみとこうか。
「あ、じゃあわたしってどんな感じなんでしょうか」
 するとレミリアお嬢様は、少し意外そうに目を見開く。
「あんたかい? どうだろうねぇ……強いて言うなら一歩下がったフランドールってところかな」
「へ……フ、フランドール様ですか? それも一歩下がったって」
「いいや逆だな。フランドールが一歩進んでしまったあんたっていうか」
 ますます分からない。
 しかしレミリアお嬢様は自分の表現に納得したらしく、うんうんと満足げに頷いている。理解できないわたしが悪いのか?
「いや楽しかったよ。それじゃあ私は出掛けるから」
 当惑するこちらを余所にし、レミリアお嬢様はそう告げて立ちあがると部屋を出て行ってしまう。
 主不在のこの部屋に用があるのは掃除担当メイドと洗濯担当メイドくらいなもの。雑用兼フランドール様担当メイドのわたしがいつまでもここに居るわけにはいかないので、取り残されないよう後片付けをして部屋を出る。
 ひょんなことから一号さんと二号さんの全体像に対する意見を聞けたのだが、最初に思った通り鵜呑みにしていいものかどうか。わたしがフランドール様っぽい。というのがよく分からないのだから、もしかしたら他の二つも分かりにくい表現なのかもしれない。
 あ、ヤバい。どこに出かけるのか聞きそびれた。お願いですから夜明け前に戻ってきますように。でないと咲夜さんに怒られるかもしれない。


   ◇


 メイドの質が上がるにつれて、わたしの忙しさは徐々にやわらいで……は、くれなかった。
 確かに仕事の面では負担が減った。今までわたしがやっていた事を他の誰かがやってくれるのだから、随分と楽をできるようになった。
 その反面、誰かに教えるということが激増した。
 メインは咲夜さんがあれこれ指導をしているのだけれど、メイド長は残念ながら一人きり。紅魔館のメイド全員をカバーするには流石に手が足りない。
 そこで、筋のいい者にはわたしに聞きながら仕事をしろという指導が入った。
 誰かと喋るのは嫌いではないし説明するのが面倒というわけでもないので、この下っ端管理職のようなポジションが綺麗にハマり、紅魔館のメイドはさらにうまく仕事を回転させることができるようになった。中には「咲夜さんは厳しすぎるからわたしの方がいい」と言い出す者まで出るようになる始末……とは言ってもわたしの腕前は完全に咲夜さんの劣化版なので、すごく優秀な人材が育つということはないのですが。
 そんな精神面での負担が増えているこの状況で、わたしはあのパズルを手にするようになっていた。フランドール様に貸していただいている立方体『ルービックキューブ』だ。
 最初は休憩時間の暇潰しにと再開したのだけれど、もらった当初と違って色々なトコロが分かるようになっており、少しずつパズルが解けていった。このルービックキューブというパズルを攻略するには、まずフランドール様の動きを真似するところから始めた。ものすごい手さばきにばかり目が行ってしまいがちだが、よく観察するとたくさん回転させる部分があるのにたったの数通りしか使っていない事が分かった。同じように動かしてみると次第にブロックの移動のさせ方が掴めてきて、色が揃ってきて。
「あの、ちょっといいですか?」
 そうしていつもいい所で誰かに声をかけられてしまう。
 仕方なくパズルをぐちゃぐちゃに戻してから、裁縫のやり方を教わりにきたメイド妖精に受け答えをする。途中で保存しておくことも考えたけれど、どうせ暇潰しなのだからとあえて難しいところから始めるようにしているのだ。
 ボタンの縫いつけを教えているとあっという間に休憩時間は過ぎ、その子もわたしもそれぞれ仕事へと戻っていく。
 頑張ればキューブを返せる日は近そうだが、不思議と熱中してしまおうという気にはならなかった。


   ◇


 またある日のことだ。フランドール様の部屋の近くまで来ると、中から話声が聞こえてきた。内容こそは聞き取れないものの、とても楽しげな雰囲気の会話だった。
 珍しい。誰か来ているのだろうか。
 たしか今日はその日でなかったと思うのだけれど。とにかく、話声を聞いただけで部屋の中に誰が居るのかは簡単に想像することができた。
 では一番いい礼節を取り揃えてから、ノックして入室。
「だからねお姉さま。ハムレットは狂気を演じているのだけれど、周囲にとっては彼が本当に気が触れたとしか思われなかった。どんな役者でもこの『演じる』っていう行為の中からは抜け出せず『そのもの』になることはできない――けれどハムレットはそこから抜け出し、オフィーリアを狂わせるほどの狂気を持ってしまった。つまりこのお話の中でハムレットは本当の気狂いになってしまったの」
「ふむ、ふむ。中々深いね。ちょっと深読みしすぎている感じはあるけれど、そのくらいの錯綜感はあるものね」
 二人ともこちらには少しだけ気を向けるものの、わたしはただのメイド。一礼だけの返事をして仕事にとりかかり、二人もすぐに会話を続行していった。
「ああ、なるほど。『大根役者ほどハムレットをやりたがる』という諺を聞いたことがあるのだけど、それは狂気の再現ではなく今フランが言ったみたいに『そのもの』になりきることなんてできないっていう意味なんじゃないかな」
「あはは、いいねそれ。まさしく大根役者への忠告っぽい」
 それにしても珍しい。レミリアお嬢様がまたここへ来てるなんて。
 レミリアお嬢様は月に一度、フランドール様の部屋へと訪れるようにしている。しかし今月はこれで二日目だ。今まで減ることはあったのだけれど、増えたのは今日が初めてではなかろうか……ちなみにフランドール様が不調の時は絶対に部屋へ訪れない。異動し始めた当初は、この訪問の仕方が薄情のような気もしたのだけれど、理解が深まるにつれてわりといい選択肢なのではないかという考えも浮かんでいたりする。
 やってくるとまあ、わりと普通の姉妹のようなことをしている。多いのはフランドール様が読んでいる本のお話。先月はたしか、半裸の女性が虚ろ気な眼差しで局部を全開にしている表紙という、かなり危ない本の小説についてあれこれ語っていたはず。恥ずかしくてなるべく目を逸らしていたからあんまり覚えてない。タイトルの意味には諸説あるとか、作者の名前が夢想家という方言だとか、なんとか三大奇書だとか、そんな話をしていた記憶だけは残っている。
 あとは簡単なテーブルゲームもする。これはほぼ毎回行われており、いつも通りテーブルには盤と駒が広げられていた。決着はついているらしいのだけれど……え、これチェスっぽいけど、なんだろう?
「そうそう。このあいだパチェから『河童』という小説を借りたんだけどね。パチェはあれを痛烈な批判だって言うんだけれど、私にはもっとちがうものに読めたんだ。なんと言えばいいだろう……風刺や批判って言うのはもっと冷淡なものだからさ。あれは、そう。作者自身が感じているもっと熱くて悲しいもののような」
「お姉さますげぇ、するどい。そうだよ龍之介の『河童』は、思い当たる節のある人には批判に見えるんだけれど、それじゃあ最後の人間の世界へ戻るという展開と、最初の方に主人公が言う『出ていけ! この悪党めが~~~』って台詞が生きなくて作品として中途半端になってしまって、作者が以前に執筆した、古典を参考に書いた作品たちの展開をただ踏襲しただけとしか説明できなくなるんだ。けれどもこれを作者自身が感じたどうしようもない憤りを描いたものだと捉えたら……龍之介は河童の在り方に人間と自分の様を重ねているけれど、それは逆説的な表現で面白おかしく皮肉っているのではなく、どうしてこうなんだと、この感情感想は嫌なこといけないことだと知り分かりつつもこれらの人間が現実に存在してしまっているんだと言わずにはいられない、悩んで苦しんでどうしていいか分からなくなった末の吐露だとしたら……だから作中の主人公は人間社会へと戻る決心をして、けれども他の人が当たり前だと思っていることに憤っている自分と龍之介自身は気が狂っているようなものだ、という諦めのような結論があるから、精神病棟に入れられてしまうんだ」
「……なるほど、納得した。そう捉えると最初の台詞がこの作品そのものであるし、龍之介自身の心情そのものでもあるのね」
「『僕は生まれたくありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから』」
「母親から生まれる寸前の胎児河童の台詞ね。その後中絶だなんてねぇ」
 会話はいつにもましてハードな内容となっている。いつもならロミオとジュリエットについて話をしていた時のようなキャッキャウフフ感や、官能小説を読んで黄色い声を上げてるような騒々しさがあるのに。話しているお二人には悪いのだけれど、今は姿と話にギャップがあり過ぎて困る。
「あ、三号。それ片付けといて」
 テーブルの傍で固まりつつあったわたしは、急な一言で自分の仕事を思い出す。「承知しました」と告げて盤と駒を片付け始める。しかし駒に漢字が書いてあるゲームって何だろうか――後のことだがフランドール様はこのゲームをわたしに覚えさせようとルールを教えてくれた。これは将棋というテーブルゲームで、感覚としてはチェスに近い。チェスとの違いは、相手の駒を奪った後に自軍の駒として使う事が出来るというルールで、このおかげでフランドール様とレミリアお嬢様の実力が拮抗するらしい。チェスは数理に圧倒的な強さを持つフランドール様のワンサイドゲームになるのだが、将棋の場合はレミリアお嬢様が自身の強い運命の力によって、宇宙と呼ばれるほどの数多の打ち順の中から直感的に正解をはじき出せるため、かなり強いのだという。そのどちらも持ってないわたしはルールこそ理解したものの、やはりお相手をするには力不足なのでした。二歩くらいしていいじゃん。ダメ?


 テーブルの上を片付けて、その他諸々の雑事を済ませたところでお茶の時間が近くなる。お嬢様もいるから丁度いいしお二人のティータイムにしよう。そう考えて退室するのだが、するとすぐに後ろでドアの開く気配がする。
 振り返ると、レミリアお嬢様が中に手を振りながらドアを閉めていた。
「今日はもうお帰りですか?」
「ああ。ちょっと疲れたからね」
 では予定を少しだけ変更。紅茶はお嬢様とフランドール様の二人分ではなく、わたしとフランドール様の二人分へ。血が入っているかどうか程度の違いですが。
 レミリアお嬢様が通り過ぎるのを待とうと、廊下の隅に立ちお辞儀をする。
「……三号。いいから少し付き合ってちょうだい」
 あれ? 一緒に来いと。
 では失礼して。お嬢様のすぐ後ろについて歩いて行く。
 程なくしてお嬢様が話しかけてくる。珍しくも地下区のような、湿りのある声音で。
「将棋というゲームを発見してきた小悪魔にはあとで礼を言わなくちゃいけないね。あれならしばらくは遊べそうだ」
「お気に召されたのですか?」
「ああ、私もフランもね。
 フランのやつ、お姉さま滅茶苦茶ズルいなんて言ってたからね。煮詰まるようだったら寝かしてやってちょうだい」
「かしこまりました」
 あはは、想像できてしまう。しばらくは色々と研究したりしてそうだ。
 地下区はそう広くない。少し歩くと、すぐに階段へと辿り着く。
 そこでレミリアお嬢様は一度立ち止まる。
「三号」
「はい」
「何度か見てるあんただから聞くけれど。私たちはどんな風に見える?」
 なんて難しい質問を……。
 いや構造はシンプルなんだけれど、その他諸々の事情が、主観を様々なように脚色できてしまうから扱いが難しい。おそらくお嬢様もそれを踏まえた上でこう聞いたのだろうけれど。
 お二人は姉妹だ。
 しかしフランドール様は気を患い、長く地下へ引き籠っている。
 それを指示したのはレミリアお嬢様。言葉だけ捉えるなら、レミリアお嬢様がフランドール様を幽閉していると、そう見えなくもない。実際はフランドール様がこの形しかとれなかったのだが、知らない人が聞けば正しい事実の方が嘘くさいと感じられるだろう。
 かくいうレミリアお嬢様がマトモかと問われれば、わたしはうまく返事をできない。というか吸血鬼に対して何がマトモなのかなんて、それこそ馬鹿げた話である。彼らにとって吸血して殺した人間の数なんて、弱いから踏みつぶした妖精の数なんて、わたしたちが今まで食べた物々の全体の数くらいどうでもいいことなのだろうし。
 けれど。まあ。
 レミリアお嬢様がパチュリー様ではなくわざわざわたしに聞いたということは、求められているのは客観的な事実ではなく素直な感想なのだろう。だとすればわたしの答えなんてとうに決まっている。
「はい。仲の良い姉妹に見えました」
 それを聞いてレミリアお嬢様は、ふうと長く息をついた。
「本当にあんたはお世辞を言わないねぇ」
「え? あれ今のそういうところでした?」
「他のメイドだったら『たいへん』とか『とても』とつけるよ。
 咲夜もパチュリーもよく言っている。あいつは仕事ができるけど大体のことをありのまま話すから扱いに困るってね。でも、私はそういうあんたが嫌いじゃない。だから聞いてみたくなったのかもね」
 うわぁ。そんな評価されてたのかわたし。確かにこう、よっぽどどうでもいい時にしかお世辞なんて使いませんけど。
「だから良かった。これなら、少し無理をしている甲斐があるってもんだ」
 またなんか会話の流れが妙だし……わたしにどうしろと。
「ご無理を、ですか」
「あの子と話を合わせるのは中々ハードだよ。フランドールは人間の書いた小説も読んでいるけれど、私にとっては人間の人間たる感性は中々理解し難い。テーブルゲームだってそう、あいつはあっという間に強くなる。運が絡むものでもなければもう勝てなくなってきた。数学に関しては聞いてやることもままならない」
 それからレミリアお嬢様は首を僅かにだけこちらへ向け、少し目を伏せる。
「本当のことを言うとね。私はあの子の事がよく分からないんだ。
 この数百年余りで分かったことはただ一つ。私たちは姉妹だけれど、あの子はあの子で、私は私、それぞれ違う吸血鬼でしかないって事だけだった」
 それは確かに、ごく当たり前のことではある。
 しかし、再認識するにはとても難しい事実。
 親族は確かに似るだろう。それはきっと吸血鬼でも変わらない。だが、それでも一人一人は独立した一つの存在であるのだ。血縁だから、ただそれだけで一括りにして扱っていい範囲は、実はとても少ない。お二人を見ているとよく分かる。この二人を姉妹だからと言って一括りにしてしまうのはあまりにも乱暴すぎる。そして、そういう括り方はどんな血縁関係の間柄でも乱暴と言われるべきなのだ。まことに残念なことにレミリアお嬢様は吸血鬼。絶対数が少ないがために、気がつくまでにとても時間がかかってしまったのだ。
「私が最初にあんたにかけた言葉、覚えているかい?」
「ええと……はい、たしか『期待している』と」
「それ、一号にも二号にも言わなかったんだ。あんたには一号にも二号にも見えなかった運命が見えたから」
 そんな反則めいた言葉を最後にして、レミリアお嬢様は視線を前へと戻して止めていた歩みを再開させて階段を上っていく。
 追うべきかどうか迷うが、わたしは頭を下げて、見送りの姿勢を取った。
 それにしても、その。あんまり期待されましても。わたしは名前があるのかどうか分からないただの妖精メイドなんですってば。


 その日のお仕事が大体終わりそうな頃、珍しくある事に思い至ったわたしは紅茶の準備をしに厨房へやってきた小悪魔さんに頼み込んで、パチュリー様に紅茶を届ける役をそのまま代わってもらった。
 やってきたわたしを、魔女は訝しげな表情で出迎えてくれる。
「小悪魔はどうしたの?」
「通常業務に戻っております」
「……聞き方が悪かったわね。どうしてあなたなの?」
「少しお伺いしたいことがありまして」
 会話をしながら、小悪魔さんに教わった通りに『いつもの出し方』を実践して準備を進める。
 パチュリー様はあまり乗り気ではないようだったが、追い払うのさえ億劫だったのか背もたれに体を預けて「それで、何か聞きたいの?」とぞんざいに了承する。
「では失礼します。だいぶ前にさわりだけお話していただいたことなのですが、続きを聞いていないのを思い出しまして」
「途中の話なんてあったかしら」
 たくさんある。というのは心の中でだけ言うことにする。
 その中でも一つ、これだけはどうしても聞いておきたいということがあった。
「覚えておりませんでしょうか……フランドール様の頭のよさが、気を患っている要因の一つだというお話です」
「……ああ、なるほど。その時に私は全部説明しなかったのね」
「はい」
「今ならあなたもよく理解できると思うわ。いいわ、話しましょう」
 良かった。少しは話す気になれるお話だったらしい。
 魔女は体を起こしてから湯気のたつティーカップを一口すすり、お茶菓子を一つ食べてからこちらへ向き直る。
「……今私が食べたマドレーヌと、ここにはないパウンドケーキの、この二つの違いをあなたは分かる?」
「ベーキングパウダーを使うのがマドレーヌになります。この二つはバター、卵、小麦粉、砂糖を材料としていて、それぞれほぼ均等の量を使っています。形状については諸説ありますが、マドレーヌの形の方が手間暇や工夫をかけられる要素がありますね」
「これは予想外の返事だわ。私にはどっちも小麦粉を焼いたお菓子にしか見えないの」
 なんて食べさせ甲斐のない人なのだろう。フランドール様なんて、純粋にお菓子を楽しみたいときは何も混ぜていないマドレーヌを。逆に混ぜ物を楽しむ時は色々練り込んだパウンドケーキと食べ分けているというのに。
「じゃあ、咲夜の淹れた紅茶とあなたの淹れた紅茶、違いが分かる?」
「咲夜さんの方が葉の良さがうまく出ている気がします」
「そう。私はあなたの淹れるちょっと濃い紅茶も好きよ」
「ところでこれなんの話なんですか?」
「ところがこれを小悪魔に言わせると話が変わる。あの子は小麦粉が使われているお菓子ならクッキーとビスケットを区別しないし、パウンドケーキとパンケーキも区別しない。あなたの淹れた紅茶と咲夜の淹れた紅茶も、大体一緒に感じる」
「え……ビスケットとクッキーはいくらなんでも。いや紅茶だってけっこう違いますよ?」
「……頭が良い。という表現は様々な使い方をされている。まったく新しい発想を出すことも、きめ細かいほどの記憶と暗記も、微々たる違いを判断できることも、色々な企みを企てられることも、全て頭が良いという括りで表現されてしまう。そしてその括り方はある意味では正しい。頭脳が活発になっている者はそのほとんどが、一つの能力だけ飛びぬけているわけではなく、それを軸として全体の能力が高いものだから」
「はぁ……つまりフランドール様ってけっこうスゴいってことですか?」
「結構も何も、化け物級なのはあなたが一番よく知っているでしょうに。
 ところで。さっき聞いたように物事には様々な違いがある。これを見極められることは良いこと? それとも悪いこと?」
「え。わりと、良いことなのでは?」
「じゃあ少し想像してみなさい。この館のメイド全員が紅茶を淹れたとして、その内どれだけの紅茶がすごく美味しいと思う?」
 ……恐らく一握りもいないはずだ。研修を受けているので皆紅茶を淹れることはできるが、咲夜さんとタメを張れるのはたったの一人。その下の私クラスも五本の指で数えられる程度。それ以下となると……正直、かなり出来はひどい。
「ね。大半が不味いでしょう?」
「たしかにそう言えます」
「つまり世の中に溢れている情報は、大半が悪いことだったり、ノイズのようなものであったりするの。それらの違いが分かって、希少な、良い物を発見した時、同時にあなたは世界中に溢れかえる悪い物も発見してしまう。
 フランドールが気を患っている要因の一つがこれよ。あの子は頭が良いから色んなことの違いが分かってしまう。つまり世の中の嫌なことを、他の者より多く感じてしまっているの。これは何も特別なことじゃないわ。訓練すれば誰だって同じストレスを感じるようになる。ただ、あの子の場合は最初から繊細な感性を持っていたから、不幸な偶然が重なってしまって、耐えきれないほどの負荷になってしまった」
「それって、わたしやパチュリー様も気を患う可能性があるってことですか?」
「私はとうに吹っ切れている。あなたはそんな冗談が言える時点で問題外」
 あちゃー。これはなんと手厳しい。大丈夫ですようフランドール様の前で言うほどわたしは無神経じゃありません。
「フランドールの場合は性格的な所もあるでしょうね。あの子は真面目にやらないと気が済まないから。真面目な性格も行きすぎると、こういう情報を全部飲みこもうとするから比較的鬱になりやすいの……適度に無視できればもう少しはマシだったんでしょうけど、目の前に本物の化け物が居たことも不運ね。だから自分も受け止められると錯覚してしまった」
「え、フランドール様以上の化け物なんて」
「いるじゃない、レミィよレミィ」
 え、レミリアお嬢様!?
 あ、いや。たしかに。言われてみれば、あの方はフランドール様よりもぶっとんでいる節がある。
「あいつはフランドールと同じ程度の感性を持っているわ。当然、フランドールが耐えられなかったくらいのストレスだって感じられる。けどそれを全部真正面から受け止めても、レミィは平気なのよ。あいつは全体を見渡した時の比較的な強さじゃなくって、どんな条件でも破格になる個人としての絶対的な強さを持っている」
「そ、そんなまた大げさな」
「……言っておくけれど、レミィの強さはフランドールのような破壊力じゃない。例えるなら、そんな破壊力でも壊せないほどの耐久力。どんなダメージを受けても有り続ける、圧倒的な『存在する力』と言ったところかしら」
 その話はふと、わたしの頭の中である話と結び付く。フランドール様から聞いたレミリアお嬢様の『運命を操る程度の能力』に関するものだ。なるほどパチュリー様はそういう風にレミリアお嬢様を解釈していたのか。二人の考えはわりと似ている。そして結論も大体一緒だ。レミリアお嬢様の力は見えない所で大きい。
「吸血鬼って弱点が多いんですよね。それがそんな力を持ったら」
「言っているでしょう? だからレミィは化け物なのよ」
 ……ところで。話がかなり脱線しかかっているのですが。
「ええと、つまりフランドール様は頭が良くて感性がいいからストレスを多く感じていて、ご自身もそれらを真面目に受け止めきれるほど強い存在ではなかったと」
「方向性の違いもあるでしょうけど、確かにレミィと比べればフランドールは弱いと言えるでしょうね。
 でも。私が思うに、吸血鬼の平均レベルってフランドールくらいなんじゃないかしら。絶対数が少ないから推測の域を出ないけれど、レミィみたいなものがぽんぽん発生していいわけがないもの。
 まあ、それでも私やあなたから比べればフランドールはとても強いと言える。ただ……あの子はレミリアを普通の吸血鬼だと思ってしまった」
 なるほど。話が分かってきた。
 つまり、吸血鬼が全部レミリアお嬢様のようなのではなく、ただ単にレミリア・スカーレットが規格外のとんでもない存在だったのだ。
 そしてフランドール様は、姉妹という関係であるが故にレミリアお嬢様を普通の吸血鬼として捉えた。
 しかし、フランドール様はそれなりの吸血鬼でしかなかった。そのギャップが、また一つ気を患う要因になったと。
「ありがとうございます。大変よく理解できました」
「何か質問はある?」
「では少々。レミリアお嬢様にも気を患う事があるということですか?」
「無い。それだけは断じてありえない。あいつは多少の事では自身が揺るがないからダメージやストレスには鈍感と言える。その分日光にもけっこう耐えられるみたいだけど、おかげでちょっとバカっぽいのよね」
「ではもう一つ。これがフランドール様が気を患った最大の要因なのでしょうか?」
「いいえ。これはただの要素でしかない。原因はまた別にある」
 むう。これでもまだ入り口に入っただけだと。
 さらに続きを聞こうとした矢先、パチュリー様が少し堰をする。
「……少し長く喋り過ぎたわね。あまり調子も良くないから、本を読むのに戻っていいかしら」
 そう言われると無理に聞くこともできないので、本日はここまで。
「ありがとうございました。それでは、失礼いたします」
「帰りがけに小悪魔にこの本を頼んでおいてちょうだい」
「かしこまりました」
 本当はこの流れを利用して一号さんや二号さんについて聞くことを考えていたのだけれど、『頭が良いことが鬱に関係している』という話が思いの外大きくて時間がかかってしまった。まあでも聞いておいて良かったと思う。色々と参考になるし。あと一応、間接的にレミリアお嬢様の二号さんの表現と話が一致する。真面目な方が鬱になりやすいとパチュリー様は言い、レミリアお嬢様は二号さんをとても真面目だと評価した。
 でもやっぱり真面目になった美鈴さんとか、やりすぎ感があると思うなぁ。


 ◇


 あくる日のことだ。フランドール様の部屋に入ると、紙がそこたら中に散らばっていた。
 紙はノートのページで、紙面が数式で埋め尽くされており、後に大きく×印を書かれたものがほとんどだった。
 どうやら夜通し数式と格闘していたみたいなんだけれど……肝心のフランドール様はベッドの上でうつ伏せになっていて、テーブルの上にはぐしゃぐしゃになったノートがあるっきり。いつもなら解へと辿り着いたページを残して寝ているのだけれど、どうも上手く行かなくて諦めたといった状況のようだ。
 こういうのはたまにある。フランドール様が本調子でない時に、それでも頑張って数式にチャレンジするとこんな場面になる。
 最近はずっと調子が良いと言える方だったけれど、たまにはこういうことだってあるだろう。という結論にしておいて、失礼しますと紙を片付け始める。
 その最中、ベッドの近くに落ちていたのを拾っている時に、フランドール様がゆっくりと顔だけをこちらに向ける。
「三号」
「いかがなさいましたか?」
「……ううん。なんでもない」
「はい。何かありましたら、またなんなりと」
 そう会話をやりとりして再び片付けに戻るのだけれど、フランドール様の視線はこちらに絡みついたままだ。
 それを受け止めつつ片付けを終わらせて、ではお掃除というタイミングでフランドール様から再び声がかかる。
「三号はいつも、優しいね」
 わたしとしては特に気を使った覚えがないため、ちょっと困る評価だったり。
「ありがとうございます」
 いつもならそうお辞儀をして済ませるのだけれど、フランドール様の調子を計る意味合いも込めてその続きを聞いてみる事にする。
「ですが、その。どのあたりがお気に召しているのでしょうか」
 前々から聞きたいとは思っていたことをそのまま直な言葉にする。
 するとフランドール様は、ほとんど言葉を探さずに答える。
「じゃあ三号はいつもどんなこと考えてお仕事しているの?」
「えっと……」
 色々だ。レミリアお嬢様の機嫌だとか、他の妖精メイドに感づかれないようにだとか、季節によってもやる事は細かく変わって来るし、最近はメイド長との細かい調整や他の子の指導まで入ってきて、本当に色々なんです。
「じゃあその中で一番優先していることは?」
 ……そう聞かれると、何か見えてきそうな気がする。それらの思考の一切よりも大事な判断。それをわたしは、フランドール様をよく視て決めている。
「フランドール様がして欲しいと思うであろうこと、です」
 その答えを聞いてフランドール様はくすりと微笑んだ。
「最初からそうだったよね。じゃあきっと三号は底抜けに優しいんだよ」
「これがですか? いやメイドとしては比較的当然なのでは」
「メイドでも普通できないよ。咲夜ってメイド長がそうじゃん。完璧なんだけれど、それが嫌っていうか、そんなに必要じゃないっていうか」
 確かに咲夜さんの仕事ぶりはそんな節がある。あの人はもうちょっとの妥協もしないからとてもすごいのだけれど、それが必要かどうかと訊かれたら正直こたえられない。もう少し足りなくても問題ない場合だってあることはあるし。
「あとさ。すごく優しく扱うってどういうことだと思う?」
「えと……細心の注意を払って触れることでしょうか」
「ううん、もっと優しい扱い方があるよ。
 みんなそう表現されるとどうしても『触れる』ことを前提に考えるんだけど、でも触れるっていうことはどんなに頑張っても刺激を与える事になるから、刺激さえ与えないでおこうと思ったらもう『触れない』しかないんだ。触れないで済むんだったらそれ以上に優しい扱い方なんてないんだよ。でも何かしないと、触れる側が納得しないから、される方の事情なんてお構いなしに、接触するんだ」
 ――なんてことを考えるのか。けれどもまったくの否定をすることができない。
 例えばの話。目の前でとても弱っている親しい誰かが居たら、わたしたちは心配になるだろう。しかしそうして心配したあとで、何か働きかけを行おうとした時、そこには必ずわたしたち自身の心配を、言い換えるなら不安な気持ちを解消したいという意図が混ざってしまうと、優しさの裏にはそういうこちらの事情が入っていると、フランドール様は言っているのだ。
 そして受け手によっては、その親切さえもが激痛なのだ。
「ああ、うん。そこをぐっと我慢して、納得を後回しにしちゃう三号はやっぱり優しいよ。バカ正直と一緒のバカ優しいって感じ」
「む、そんなことないですよ。わたしだって自分の身はかわいいです」
「どうだか。ノートのページ全部集めてとって置いてるのに」
「あれは、後々フランドール様が必要にするかと思いまして……っていうか二、三回あれ漁ってますよね?」
「そうだったね。いつもありがとう、三号」
 うううズルい。こんなタイミングでそんなこと言われたらすごく、照れる。ページを集めておくのは自分で勝手にやり始めたことだし。
 とにかくまあ、これだけ会話ができるということはフランドール様が完全に鬱に転じたわけではなさそうだ。その点だけは安心できる。
 ……ん? なんかちょっとおかしいぞわたし。こんな感じのやりとりを就任当初にもした記憶があるのだけれど、ちょっと気持ちが違うような。
「でも解けないのは意外だったかな。うーん、やっぱり代替行為にするにはハードルが高すぎたか」
「代替って。何か他にやりたいことがあるのですか?」
「あるけど……あれはちょっと実現不能っていうか」
「わたしで良ければお付き合いいたしますよ」
「いくら三号にも、スペルカードで戦いたいってのは頼めないよ」
 ああ、うん。確かにそれは実現が難しい。
 スペルカードルールで戦うにはそこそこ広い場所が必要だ。地下区でやると自爆しかねないし、最悪生き埋めになる。図書館ならまだやれるかもしれないが、あそこで戦うなんてパチュリー様が許すはずもない。だから地上に出なければまず無理だろう。あとわたしに相手が務まるとも思えない。多分秒殺される。
「……そうですね。流石に厳しいところがありますね」
「でしょー。あーあ、でもすっごいスペル作れたんだけどなぁ。こうなって来ると試してみたい」
 そこは一つ、ちょっとだけならガス抜きはできないこともない。
「どのようなスペルでしょうか」
「うん。今度のはすっごいよ! 相手から完全に自分の姿を隠して、包囲するように攻撃を延々と仕掛けるっていうスペルなんだけど」
 このようにフランドール様がスペルカードの説明を行う事で、少しは使った気になるという作戦なのだけれど……相変わらずスペルの内容がヤヴァイ。
「姿を完全に隠してしまうなんて、ありなんでしょうか」
「ルールには抵触してないよ。ただずっと姿を隠しながら攻撃するのってかなり容量食うから、一日一回くらいが限度だと思う」
「隠れるのはとても疲れると」
「あとこれはズルしたくて作ったんじゃなくって、元々の発想はこの前作った『フォーオブアカインド』から来てるんだ。
 前のは私の分身で相手を驚かせて弾幕を展開することでパニックを誘うっていうコンセプトだったんだけど、今回のはその真逆で、自分の姿を隠しつつ攻撃することで相手から恐怖と混乱を引きだすっていうコンセプトなんだ」
 スペルカードにそういう攻撃的なコンセプトが搭載されている時点でかなりぶっ飛んでいる。っていうかパニックと混乱って大体同じ意味だから、実質『フォーオブアカインド』を上回る設計だ。
 ちなみにスペルカードで自分自身をいじるという発想は、レミリアお嬢様のスペルカードから取り入れたものだと以前に聞いた記憶がある。
「このコンセプトは『そして誰も居なくなった』っていう小説からもヒントをもらっててさ。このお話では島に閉じ込められた十人の人間が次々に殺されていって、最後に残った一人は精神的に追い詰められて自殺しちゃうんだ……だからこのスペルではものすごい数の弾幕だけがあって、それが徐々に迫ってくる恐怖におびえながら、小説の最後に残った一人のように自殺に追い込まれていく……まあ小説の方は真犯人が実は生きていた犠牲者の一人で、告白文に真相を全て書いてから、そのまま自殺しちゃうんだ。これでタイトル通り真犯人も生存者も無く、誰も居なくなった。だからこのスペルは誰かが残ってたら私の負けなの」
「つまり続けられるだけの時間が過ぎたら、自動で攻略扱いと」
「そういうこと。これでバランスは取れてるかなーと」
 もっとも、聞きながらフランドール様のスペルカードノートを見てみたが『そして誰もいなくなった』の膨大な量の数式とそれを描き表した図を発見し、想像を遥かに上回る鬼畜っぷりにやっぱり危ないという結論に至る。同時に試してみたいという気持ちも分かる。普通の弾幕と違って相手が狙い通りの動きをしてくれることがこのスペルの主題なのだから、そればかりは実践してみなければ確証がとれない。
 そこまで説明し終えたフランドール様は、欠伸を一つかみ殺す。どうやらガス抜きは成功したらしい。
「やっぱり眠いや。三号、部屋を掃除したらその参考書を返しといてくれる」
「分かりました。お薬はいりますか?」
「今日は無くていいよ」
 ではもう少し失礼しまして、手早く部屋の掃除を済ませていく。
 その間にフランドール様の寝息が聞こえてきたので、挨拶も無言で済ませて参考書を抱えて退室。ではいざ図書館へ。


 長いこと図書館を行ったり来たりしていると、流石のわたしも慣れが出てきて、小悪魔さんやパチュリー様ほどではないけれどおおまかな本の配置が分かるようになった。
 おかげでフランドール様の借りそうな本は大体自分で探り当てられるようになったし、こちらで返すこともできるのだけれど、小悪魔さんの管理を邪魔してはいけないので出入りの報告は行うようにしている。
 今日は小悪魔さんが見当たらなかったのでとりあえず本を戻し、返しましたよーと言うために小悪魔さんを探すのだけれど……その途中で見慣れない光景と出くわす。
 図書館のなんでもない場所で、パチュリー様と咲夜さんが話しこんでいたのだ。それも二人とも難しそうな顔をして、だ。
 パチュリー様はとても知識が豊富だし、咲夜さんはとっても万能だ。そんな二人を悩ませるほどの話題が存在したとは。なんだろう、気になる。
 うむ。ここは一つ探りを入れてみましょう。
「すみません失礼します」
 と話しかけると、二人の顔がこちらに向く。素早く反応したのは咲夜さんの方。
「三号さんですか。どうかしましたか?」
「はい。本を返しましたので小悪魔さんに報告をしたいのですが、どちらにいらっしゃいますか?」
「いいわ、小悪魔には私から言っておくから。『ツァラトゥストラかく語りき』の方?」
「あ、数学の参考書の方です」
 分かったわ。と言ってパチュリー様は視線を切るのだけれど、まだこちらに目が残っている咲夜さんと目を合わせて、言う。
「あの。何かあったのですか?」
「大丈夫ですよ三号さん。今はこれといったことは起きていません」
 ふうん。今は、なんだ。
 しかしそう言われてはでしゃばるわけにもいかない。ここは距離を置いて密かに聞き耳を立てるかと作戦を変更しようとするが、その前にパチュリー様の目がこちらへと戻って来る。
「咲夜。三号には話しておきましょう」
「よろしいのでしょうか?」
「替えの利かない子だもの。万一のことがあったら大変よ」
「……そうですね。では三号さん、こちらへ」
 うっ、ほんの興味本位で聞いただけなのに、あっという間に雰囲気がデンジャーになってしまった。
 当然もう後戻りなどできないし、というかここまで知って聞き逃したらより危ない気がするので、大人しく二人の傍へと行く。
 すると、まずパチュリー様がため息をつく。
「すごく簡単に言うとね。またレミィが何かやらかしそうなのよ」
「何かと言いますと……先の吸血鬼事件のようなことでしょうか?」
「あれよりは平和と言えるでしょうけど、確実にクレームの来る事ね。このあいだ、日光を遮れるほどの赤い霧を出せないかって聞いてきたのよ」
「日光は吸血鬼のお身体に障りますからね。遮れるのならいいことなのでは……」
「規模が幻想郷全体だとしても?」
「あ、うわぁ……お嬢様ってばそういう発想に辿り着いちゃうんですか。てっきりこの館の上空だけだと思いましたよわたし」
「私もそのつもりだったわ。軽く返事したのは迂闊としか言いようがなかった。日光遮断はやれることはやれるけれど、日光が無くて得をするのは吸血鬼と私だけよ」
「パチュリー様もですか?」
「正確に言うと、吸血鬼と本だけね」
「今はその件で、お嬢様が霧の散布を実行に移した場合についての打ち合わせをしていたところです」
 それにしてはその、とても悩ましい感じだったのだけれど。
「レミィとしては、スペルカードルールが制定されたからこれで強引に押し通せるならやってしまった方がいいじゃないか。今なら失敗してもスペルカードルールのせいにできる。というところなんでしょうけど、そうなってくるとかなり面倒なのよね」
「スペルカードルールなら比較的安全と聞いていますが」
「確かに勝敗はそこそこ安全に着きますが、それ故に決闘場所がこの館になる可能性が非常に高いのです」
「しかもレミィが逃げも隠れもするわけがないから、誰かが霧の散布を止めさせに来た場合、正面切って戦うことになる」
「となると、総力戦が非常に濃厚なわけですが……」
「正直なところ、前よりノリ気じゃないというか。巻き込むんじゃないと言ってしまいたいというか……」
 あー。あーあーあー、確かに。吸血鬼しか得をしないようなことに、このお二人が進んで手を貸す理由なんてないんだ。咲夜さんは仕事だから命令されれば行動するだろうけれど、パチュリー様から見れば勝手にしやがれな状態のわけだし。
「なるほど難しいから悩んでいるんじゃなくって、扱いに困って悩んでいたんですね。でしたら、お二人の進言で中止に持ち込むということはできないのでしょうか?」
「したいのは山々でしたけれど、こう言われたら渋々協力するしかなくなりますよ」
「『吸血鬼にはいいことなんだよ。私にもあいつにも』」
 ……あ、そっか。吸血鬼にとって都合がいいのだから、それはレミリアお嬢様に限った話ではなく、フランドール様にも恩恵のある話なわけだ。
「そういう意味も含んでいるから無下にできない、と」
「この程度のことであの子が動くとは思わないけれど。そう言われるとやらない理由が無いのよ」
 どうやらこの赤い霧の件に関しては、もしかしたらの可能性があるから渋々手伝おうという流れになっているようだ。
 わたしには選べる自由なんてありませんが、そういうことなのでしたら喜んでお手伝いさせていただきましょう。
「具体的にわたくしは、それが起こった時にどう行動すればよいでしょうか? フランドール様のお部屋に行くのは当然として……」
「侵入者がきたら、まず咲夜が空間をいじって侵入者をわたしの所へ来るように仕向けてもらう。これと同じ原理でフランドールの部屋は隔離状態にしておくけれど、もしフランドールに少しでも地上に出ようという素振りがあったら慎重に出てきてもいいわ。そういう空間作りはできる?」
「可能です」
「だからあなたはこの前と同じようにフランドールの部屋で待機。フランドールと出てくる時は侵入者の来ていないタイミングにすること。こんなところかしら」
 分かりました。と告げながらもわたしの頭の中ではある閃きが舞い降りてくる。思わず進言しようとして、とてもではないけれどこの場で口にしてはならないと直感で下げる。そうだそうだ、たまにはこちらから秘密裏に動いたっていい。
 わたしの関わる所はそんなところらしく、もう行っていいと言われたのでそのまま失礼しましたと図書館を後にして、思案しながら地上へと向かう。フランドール様はさっき寝たばかりなのでしばらくは余所のお手伝いだ。その間に色々まとめておこう。


 フランドール様の仮眠が終わるであろう時間に地下に降りると、ばっちりとタイミングが合ったのでそのままお世話をこなし、一息ついたところで先ほど聞いた赤い霧のことについて説明をする。
「……日光の無い世界かぁ。ちょっとアリなんじゃないかなって気はするけど」
 アリなんだ。吸血鬼的にはアリなんだ。もちろん妖精的には絶対にノウですが。
「そんなことが近々起こるかもしれません。という旨を一応報告しておこうと思いまして」
「ありがと。でも別に日光の無い世界なら、夜でもいいしなぁ」
 まったくもってその通りだ。っていうか吸血鬼的にはそっちの方が絵になる。無理やり日光を遮るとか力技過ぎるだろう。
 フランドール様自身も、外へ出てみるということにはあまり乗り気ではない様子だ。……となると、地上へ出たくない理由は日光ではないということか。
 まあ、それならそれで魅力的な餌を出しちゃうまで。
「ところでフランドール様、スペルカードを試してみたいというお気持ちに変わりはありませんか?」
「うんできるならやりたいけど、どうしたの?」
「お気づきではありませんか? この真上でスペルカードによる戦いが起こるんですよ」
 わたしの言わんとしていることが通じたらしい、フランドール様の目がより大きく開かれる。
「三号、それって」
「ええ。そこに駆けつけて戦うのは、この館の住人であればごく自然ななり行きではありませんか?」
 それがわたしが閃いたこと。
 これってもしかして、フランドール様がスペルカードで戦う千載一遇のチャンスなのではないか、と。
「で、でも。そんないきなり戦うのはちょっと」
「そうですね。大一番をやるのはかなり気が引けるでしょうから、後にメイド長やレミリアお嬢様が控えているくらいのタイミングなんかは如何ですか?」
「確かに戦いやすいけど……でもほら、わたしの存在って一応は秘密になってるし」
 と言いながらも表情はそう語っていない。どちらかと言うなら、すごくやりたいんだけどやってしまっていいかどうかが分からない、という感じ。
 ではここいらで引きの一手を。
「ですがフランドール様、これ以上のチャンスが巡って来るのはもう無いかもしれませんよ?」
「あう……無い、かなぁ」
「わたくしはそう思います。同時に、後片付けのことを考えると正直これっきりにして欲しいです」
「そうだよね。やるなら一緒の方がまだ……」
 よし、効いてる効いてる。いや後片付け云々はわりと冗談だったのだけれど。
 では最後に駄目押しを。
「それにフランドール様のスペルカードは、とても強力なものばかりです。館を守るのに必ず役立ちますよ」
「強力って、三号ったらそんなお世辞言わなくても」
「違いますよ。お世辞ではなく太鼓判です。
 わたしはパチュリー様や咲夜さんや美鈴さんの模擬戦を何度か見ていますが、そのどれよりもフランドール様のスペルカードが強いと感じております。ノートの内容だけで十分伝わります。これはとても素晴らしいものですよ」
「そ、そうかなぁ」
 むしろ侵入者があれらを食らって立っていられたら、この館が落ちたと言っても過言ではないと思う。
 大義名分としてはこのくらいで十分だろう。軟禁を押し切って地上に出て行くだけの理由になりえる。
 後の問題は、フランドール様の気持ちということになるが。
 しばらく俯いて考えたフランドール様は、上目遣いで視線をこちらに戻す。
「もし出て行くとして、その時にさ」
「はい」
「三号も一緒に来てくれる?」
「その時は喜んでお伴いたしますよ」
「……うん、分かった。ありがとう」
 決意が固まればフランドール様の行動は早い。
「じゃあもしその時に侵入者がこの館に入ってきて、お姉さまを残して全滅したら、その時は戦ってみる」
「分かりました。ではその時にこちらへ知らせが来るように手配しておきます」
 聞きながらフランドール様は机に向かい、スペルカードのノートを広げて内容を確認し始める。先ほどはちょっと遠慮気味な態度をしていたけれど、本心は見ての通り楽しみで仕方がないようだ。
 ではわたしも、その時に不手際が起こらないように準備をしましょう。
お読みいただきましてありがとうございます。書きたいことが増えてしまった結果がこれだよ。
あと2~3話で終われると思います……あれ?

注、クッキーとビスケットは日本の違いを採用していると思ってください。
カイ
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コメント



0.980簡易評価
5.90名前が無い程度の能力削除
フランと三号が可愛すぎる!
6.90奇声を発する程度の能力削除
おおお待ってました!
7.100名前が無い程度の能力削除
あと数話で完結ですか。もう少し読み続けたいですね
なにわともあれ続きをお待ちしております。
9.90名前が無い程度の能力削除
続き楽しみにしてます
10.100名前が無い程度の能力削除
今回も面白かったです。
続きを楽しみにしています!
11.80名前が無い程度の能力削除
一話一話を丁寧に持ちながら、フランドールという絡まった糸を緩やかに解き解していく様は、このシリーズ通しての見所だと思っています。物語がしっかり着地できる様、どうぞゆっくりと噛締めて書いてください。自分もフランと3号の先行きを不安とともに最後まで見守らせて貰います。
13.100名前が無い程度の能力削除
読んでいてすげえ楽しい!それにしても、誇張抜きだと1号と2号がマジぱねえ。
キャラの心情という謎の部分が徐々にほぐれていて、いよいよ紅魔異変。
ワクワク感が増すばかりです。
14.100名前が無い程度の能力削除
続きまってます!
3号かわよす
17.100名前が無い程度の能力削除
好きです
20.100名前が無い程度の能力削除
いよいよ紅霧異変に至るのですね。楽しみです。
22.100名前が無い程度の能力削除
>例えるなら、そんな破壊力でも壊せほどの耐久力。
壊せないほどの耐久力 ?

途中まで読んで、1から全部読んで来てしまいましたw
続き楽しみに待っています。
23.100名前が無い程度の能力削除
続きをお待ちしておりました。
24.100名前が無い程度の能力削除
すばらしい!続き楽しみにしてます。
27.100名前が無い程度の能力削除
またたのしみにしてます。
不思議と惹かれます
31.100名前が無い程度の能力削除
面白くなってきました、いや今までも面白かったですが。
毎回フランと三号がとても可愛くて楽しく読んでいます。
33.100名前が無い程度の能力削除
このシリーズ大好きです