Coolier - 新生・東方創想話

それは偽り切れぬもの

2013/03/04 00:33:34
最終更新
サイズ
120.86KB
ページ数
1
閲覧数
3113
評価数
8/26
POINT
1520
Rate
11.44

分類タグ

 

    第一局  紅く輝く河童のトラウマ



 妖怪である私が言うのも可笑しな話だが、陽の光というのは良いものだ。
 夜の間にすっかり冷たくなってしまった大地も、この光によって生命(いのち)を育む暖かさを取り戻す。山を彩る草花とて、こうして照らしてもらわなければ、その鮮やかさを誇ることが出来ない。
 もっとも、彼女にとっては、太陽など邪魔者でしかないのだろうが。

「今日もいい天気ねー」
「フランドール様! 日傘、日傘!」

 …どうやら、そうでもないらしい。
 日光を天敵とするはずのフランさんだが、彼女は平然と日向に立って晴天を仰いでいる。
 吸血鬼が太陽の光を苦手とするというのは、誤った言い伝えなのだろうか。
 …いや、美鈴さんの慌て振りからすると、そうでもないようだ。

「フランさん、お体に障りますよ」
「平気よ、これぐらい」
「ダメですってば。ほら」
「いらない」
「じゃあ、私が代わりに持ってますから」
「あー、もう。わかったわよ」

 そう言って、彼女は美鈴さんから日傘を引ったくった。
 後ろにぴったりと付いて来られるぐらいなら、自分で差した方が良いと思ったようだ。
 日傘は西洋風の全体真っ黒な代物で、傘布にひらひらとした装飾が施されている。

「可愛らしい傘ですね」
「そう?」
「はい。この刺繍も綺麗ですし」
「…ふーん」

 フランさんは日向を歩きながら、傘をくるくると回して遊び始めた。
 その様子を見て、美鈴さんの口からホッと溜め息が漏れる。それから、彼女は左手の親指を天に向けて突き立て、私に微笑み掛けてきた。
 別段の他意は無く、ただ思ったことを口に出しただけだったのだが…。結果的に美鈴さんが喜んでくれたのだから、儲けものだ。
 ……ああ、もう。
 私は何故、このひとのことをこんな風に意識しているのか。
 お互い妖怪であるとは言え、彼女は女性で、しかも、つい昨晩に初めて会ったばかりの方だというのに。

「ねー、椛。やっぱり、諏訪子と神奈子は来ないの?」
「…おそらく、お二方とも当分お目覚めにならないかと」
「勝手に出て行って大丈夫?」
「一応、書き置きはしておきました」

 ただ今の時刻は、朝四つを数えたところ。
 そして、此処は妖怪の山、守矢神社の境内である。
 何故、この私、犬走椛が美鈴さん達と一緒に此処に居るのかと言うと、その経緯は次の通りだ。

 それは昨晩、暮六つを過ぎた頃のことであった。
 美鈴さんとフランさんの二人は、守矢神社に宿泊する為、この妖怪の山へとやって来た。と言うのも、「これまで一度も館の外に出たことが無い」というフランさんを気に掛けた洩矢様が、彼女を神社に一泊させてみないか、と美鈴さんに持ち掛けたのが発端だったそうだ。
 そんな事情など知らなかった私は当初、彼女達を至極危険な侵入者として強く警戒していた。何の前触れも無しに、破壊魔と名高い吸血鬼が来たのだから、仕方の無いこととは思う。
 もっとも、私は昨日から非番で、哨戒の任務中ではなかったのだが。
 予期せぬ来訪者への対処に困っているところへ洩矢様が現れ、ようやく私は彼女達が守矢の客人であることを知ることが出来た。
 正直、「山に誰かを招くのなら事前に伝えておけ」と思ったが、それは置いておこう。
 その後、彼女達と共に守矢神社へ来ることになったのは、私のちょっとした気まぐれと、洩矢様の厚意によるものだ。
 …そう、それは飽くまでも気まぐれに過ぎない。
 ただ、ほんの少しだけ、美鈴さんを見て「綺麗な人だな」と感じたり、「彼女ともう少しだけ話をしてみたい」と思ったりしたかも知れないが、とにかく気まぐれだったのである。
 洩矢様はそんな私の荒唐無稽な申し出を快く承諾してくれて、私達は揃って守矢神社で夜を明かすことになったのだ。

 ……と、そこまでは良かったのだが…。

「浴びるほど呑んでたものねー」
「早苗さんが居れば止めてくれるのですが…」

 私達が神社に到着して間も無く、洩矢様と八坂様は、フランさんの来訪を歓迎する為と称して酒の席を設けた。
 何でも、昨日から早苗さんが博麗神社へ泊まりに行っているとのことで、その隙に好きなだけ酒を呑みたいというのが本音だったらしい。
 …もし早苗さんに知れたら、特大の雷が落ちることだろう。

「美鈴さん。お体の具合は」
「ん。大丈夫。たぶん」

 酒盛りを始めてから半刻(はんとき)ばかり経った頃、酒が入って気分を良くした八坂様は、美鈴さんに呑み比べを強要した。
 勿論、私は止めようとしたのだが、力及ばず、やたらと強い酒を大量に呑まされた彼女は瞬く間に目を回してしまったのだ。
 斯く言う私自身も、危うく今晩からの哨戒の任に支障が出るまで呑まされるところだったが、幸いなことに、八坂様の矛先が洩矢様に向いたおかげで難を逃れた。
 そして…問題は、その後。
 八坂様の挑発に洩矢様が乗り、二柱は揃って湯水の如く酒を呷(あお)り始めたのだ。
 あろうことか、主賓であるはずのフランさんを放ったままで。

「あの人ら、いつまでやってたの?」
「夜が明けても呑んでたわ」
「朝五つ頃に眠られるまで続けていました」
「…十二時間以上ぶっ通し!?」
「はい」

 美鈴さんが驚くのも無理は無い。あれは、天狗である私にとっても強烈な酒だった。ひょっとして鬼から貰った物ではないか、と疑ったほどだ。
 あんな物を何刻(なんとき)も呑み続けるなど、およそ正気の沙汰ではない。

「…あれ? もしかしてフランドール様、ずっと起きてたんですか?」
「そーよ。美鈴が寝ちゃったから、椛とお話してたの」
「す、すみません…」
「お礼言いなさい。椛があなたをお布団に運んでくれたのよ」
「うわ、そうだったんですか。…ごめんね、ありがとう」
「いえ、そんな」
「さっき入ったお風呂だって、椛がわかしてくれたんだからね。それに、朝ごはん用意してくれたのも」
「フランさん。どうか、その辺りでご勘弁を」
「なんで?」

 私は、褒められたことはしていない。
 他人様(ひとさま)の家の押し入れを漁って布団を取り出し、それを敷いた上に美鈴さんを寝かせただけのこと。一応、事前に了承は得ていたが、それは酔いが回って碌に話を聞いていない洩矢様達の二つ返事だけであった。
 それだけならまだしも、夜が明けた後に至っては、いよいよ無断で厨房と風呂場まで借りてしまっている。
 家主がすっかり酩酊していたのだから止むを得なかったとは言え、不躾なこと甚だしいと反省しているところなのだ。

「些か、勝手が過ぎましたので」
「客をほったらかしにして酔いつぶれてるのが悪いのよ」
「そうですよねぇ」
「美鈴はひとのこと言えないでしょ」
「えう」
「仕方が有りませんよ。あの酒は本当に強い物でしたから」
「あんなの、水みたいなものじゃない」

 …これだから、上位の妖怪や神々は性質(たち)が悪い。
 もしかすると、彼女等吸血鬼の場合、そもそも体が酒に反応しないのではないだろうか。

「まあいいわ。それより、早く行きましょ」
「えっと、どこ行くんですか?」
「椛の友だちのとこ」
「え。…大丈夫なの?」
「はい。無闇に姿を見せると騒がれるかも知れませんが、一人だけなら先に口を封じられますので」
「言い方がものすごく物騒なんだけど」
「ですから、他の者には見付からないよう、少々慎重にお願いします」
「はーい」

 昨晩までの私なら、吸血鬼を友人と会わせようなどとは絶対に思わなかっただろう。
 …正直なところ、私はフランさんを疑っていた。恐れていた、と言った方が正しいかも知れない。自制心に欠ける残忍な悪魔と噂されている彼女が、何時(いつ)その力を暴走させるかと肝を冷やしていたのだ。
 だから、彼女の保護者である美鈴さんが酔って眠ってしまった時には、冷や汗が浮かんだし、洩矢様と八坂様が呑み比べを始めた時など、もう気が気でなかった。
 独りになって機嫌を損ねられては一大事と、一晩、彼女の話し相手にもなった。

――私はお酒呑むためのダシにされたのね。ご立腹だわ。
――良いではありませんか。理由はどうあれ、それを切っ掛けに、こうして外へ出られたのでしょう?
――まーねー。

 最初は、どうして私が吸血鬼を相手に守矢の弁護をする羽目になっているのか、一泊の宿代にしては高過ぎではないか、そんな恨み節ばかりが頭に浮かんでいた。
 妙な気まぐれを起こすのではなかった、と後悔さえしていたものだ。
 しかし、しばらくフランさんと話をしている間に、私の認識は改められることとなる。

――私の力はとても危ないのよ。だから、お姉様は私を閉じ込めたの。
――それで、貴方は姉君を恨んでいるのですか?
――まさか。そのおかげで、私は壊すのを我慢できるようになったのよ。でも、これはナイショね。

 彼女は、私が聞き及び、思い描いていたような凶悪な存在ではなかった。

――で、能力(ちから)を使わないって約束で出てきたんだけど。
――はい。
――実際に私が粗相をすると、怒られるのは美鈴なのよね。
――そうでしょうね。
――不条理だと思わない?
――目付役とは、そういうものですよ。
――美鈴はそんなのじゃないわ。私を信じてくれてるだけだもの。

 己の力の強さを十分に理解し、他者を思いやり、自分への信頼に応えようとしている。
 そんな彼女を何故、恐れなければならないのか。もっと邪な存在など、この幻想郷にはごまんと居るではないか。
 洩矢様と八坂様は、彼女をその目で見た時から、そのことが解っていたのだろう。だから、敢えて彼女と私を二人きりにさせて、噂を鵜呑みにしている浅はかな私に、誤解を解く機会を与えようとしたのかも知れない。…そういうことにしておこう。
 フランさん曰く、彼女に対する皆の評価を最も憂いたのが、美鈴さんであった。

――美鈴はね、私も皆みたいに暮らせるはずだって、お姉様を説得してくれたの。

 再三に亘(わた)る交渉の末、彼女は主人であるレミリアの忠僕、十六夜咲夜と決闘するまでに至った。格上の相手であることは、重々承知した上で。己の体に深い傷を受けてなお、フランさんを館から連れ出す為に戦ったのだと言う。
 何と献身的で心優しく、強い心を持った妖怪なのだろう。
 昨晩、その姿に見惚れたことなど、日の出も待たずに忘れるだろうと思っていたはずの私は、その話を聞いて益々彼女に惹かれてしまった。
 もっと美鈴さんのことを聞きたい。何時しか、そんな卑俗な思いからフランさんと話を続けていたのである。
 その会話の中で思い掛けず、フランさんが私の友人の話に興味を持った。

――他にも色々作ってるの?
――私が知っている物だけでも、何百と有ります。
――すごいね。見てみたいわ。
――…行ってみますか?
――いいの?
――はい。
――行く!
――では、美鈴さんがお目覚めになったら、共に参りましょう。

 友人に紹介することで、少しでもフランさんに対する誤解が減れば、美鈴さんの喜ぶ顔が……。
 …いや、彼女を疑ったことへの償いになるかと思ったのだ。

「友達って、白狼天狗?」
「いえ。これから会いに行くのは、河童です」
「魔理沙と仲よしの」
「ああ。にとりとかいう奴」
「そうです。ご存知でしたか」
「私はあんまり話したことないけど…。パチュリー様から、変わり者の河童って聞いたわ」
「私も魔理沙から聞いたよ。非常識なヤツだって」

 否定はするまい。にとりは紛れも無く変わり者で、非常識な妖怪だ。
 …ただ、私も間欠泉騒ぎの時、にとりから「紅魔館の魔女は変ちくりん」で「白黒魔法使いは常識外れ」だと聞かされた覚えが有るのだが。

「白昼堂々出歩く吸血鬼も、ホントは変なんですよ?」
「幻想郷の妖怪は非常識なのが常識だって言ってたわ」
「誰がですか」
「神奈子」
「…早速変なこと吹き込まれないでください」

 美鈴さんは「変なこと」と言うが、それも決して間違いではないだろう。この幻想郷で常識的な妖怪を数えると、片手の指で足りてしまいかねない。
 しかし、八坂様とて他人(ひと)のことは言えない。何せ、こと有る毎に厄介事の種を蒔いているのだから。
 最近では、間欠泉の一件。地底に封印されていたはずの怨霊どもが地上へと溢れ出した、あの異変の原因も守矢だったそうではないか。
 聞くところによると、悪運強く博麗と八雲の手を逃れた霊が何体か、未だに地上を彷徨っているらしい。先日も人里に姿を現したとか何とか。
 我々妖怪は自我に依って己の存在を保っている為、怨霊に精神を乗っ取られると洒落では済まない。早い話が、憑依されたら死んでしまうのだ。
 …改めて考えても、冗談抜きで大変なことをしてくれたものだ。本当に、非常識で迷惑なことこの上ない神である。

「…まったく」
「うん?」
「あ。いえ、何でもありません」
「そう?」
「ご心配無く。では、参りましょう」
「おー」

 危うく、日頃の鬱憤が口を突いて出てしまうところであった。
 折角、有意義な休日を送ろうとしているのだ。詰まらぬことを考えていては勿体無い。守矢の所業への愚痴はまた今度、同僚と言い合うとしよう。
 心に浮かんできた苦々しい思いを再び沈み込めつつ、私は二人を引率して山を下り始めた。





 何かがおかしい。
 同僚の天狗達に見付からないよう大きく迂回して山を下り、ようやく、にとりの工場(こうば)兼自宅の傍までやって来たというのに、肝心の工場が随分ひっそりとしている。
 事前に連絡こそしなかったものの、今日は工場で作業をすると聞いていたのだが…。某(なにがし)か、素材の採取に行くと言っていた日と憶え違えたのだろうか。

「あと、どれくらい?」
「あちらに見えている建物です」
「すぐそこじゃない」
「辺りに人影は…ないわね」
「はい。周囲には」
「じゃあ、誰か来る前に行った方がいいかな」
「…そうですね」

 ともかく、確認してみるとしよう。にとりは先日、防音設備を作る予定だと話していたから、それで静かになっているだけかも知れない。
 私達は辺りを警戒しつつ、素早く工場の入り口まで移動し、頑丈そうな金属製の扉を叩いた。

「ごめんくださーい」
「にとり。居るか?」

 しかし、中からは何の反応も無い。…どうやら不在のようだ。
 これは参った。当てが外れてしまった。

「お出かけ中?」
「…そのようです」

 さて、どうしたものか。
 他にも河童の友人は居るが、いずれも在宅しているという保証は無い。居るものとばかり思っていた者がまさかの不在だ。次も空振りに終わる可能性は否定出来ない。
 それに、余り長くこの辺りを彷徨っていると、フランさんが河童に見付かって大騒ぎになりかねない。ここは一旦、引き上げるか…?
 …などと思慮しながら不意に横を見てみると、美鈴さんが何やら難しそうな顔をして、工場の扉をじっと見詰めていることに気が付いた。

「美鈴さん。どうかされましたか?」
「…留守じゃない」
「え?」
「誰かいるわ、この中」

 昨晩、フランさんから聞いた話では、彼女は気配を読む能力に長けているらしい。
 五感に頼らない感知能力に関しては、私よりも遥かに優れているだろう、とのことだ。

「それも一人じゃないね。五、六人はいると思う」
「そんなに?」

 これは奇怪な話である。
 河童が人数を集めて一緒に作業をするのは珍しいことではないが、それなら居留守にする理由が無い。日頃、邪魔が入っては不味い精密な作業を行う場合には、玄関口にその旨を伝える貼り紙がなされている。
 それに、にとりはこの建物の大部分を作業場にしており、住居として使用している部分は客を四人も呼べるような広さではないはずだ。

「椛の眼なら、中も見えるんじゃないの?」
「残念ながら、屋内までは」
「ふーん」

 私は妖力を用いて、本来なら見えない方向や距離に在る物を視ることが出来る。所謂、千里眼というものだ。
 しかし、如何に千里を見通す眼と言えども、障害物を迂回することには限度がある。
 古参の白狼天狗からは、密閉された空間も視られるようになるまで妖力を磨けと言われたが、そんな悪趣味な能力、出来ることなら会得したくはない。
 ただでさえ、とある鴉天狗から「覗き魔」呼ばわりされて苛立っているのだ。洒落か冗談のつもりだとは解っていても、言われる度に咬み殺したい衝動に駆られるので辟易している。

「居留守にしたいんなら、ほっといた方がいいかしらね」
「そうなのですが、少し気掛かりなことが有ります」
「何?」
「実は、この中は大半が」
「あ、開いてる」
「わ、ちょっ、フランドール様!」

 少し目を離した隙に、フランさんが勝手に取手を捻って扉を開けてしまった。美鈴さんが慌てて閉め直したが、これのおかげで私の疑念は益々大きく膨らんできた。
 河童という者達は頗(すこぶ)る慎重で用心深く、鍵も掛けずに外出したり居留守を使ったりするようなことは、絶対にしないはずなのである。
 もしかすると、中に居る者は招かれざる客かも知れない。

「人ん家(ち)のドアを勝手に開けちゃダメです」
「魔理沙はいつもやってるよ?」
「あのバカタレは参考にしないでください!」

 …色々と苦労しているようだ。
 霧雨魔理沙か。あの白黒魔法使いは、頻繁に紅魔館へ無断侵入している不届き者だと聞いた。
 しかも、その都度、門番である美鈴さんを倒して行くと言うのだから赦しがたい。フランさんの外出許可を得るに際して力を貸したとも聞いているが、それとこれとは別の話だ。
 次、あの魔法使いが山に来た時には、何とか私の手で引導を渡してやりたいものである。
 …さて、それはさて置き。

「待ってください」
「ふぁ?」
「一旦、中に入りましょう」
「いいの?」
「余り良くはありませんが、どうも様子がおかしい。何か有ったのかも知れません」
「なになに? 事件? 異変?」
「不謹慎ですよ」
「それに、外に居ると、いずれ誰かに見付かってしまいます。にとりには、後で承諾させておきますので」
「…わかった」



 そっと入り込んだ工場の中は、灯りが点(とも)っておらず真っ暗なこと以外、普段と何ら変わりが無かった。いつも通り、にとりが開発している奇怪な装置や謎の物体が、そこかしこで妙な存在感を放ちながら佇んでいるだけである。
 度々此処を訪れる私にとってはすっかり見慣れた光景だが、美鈴さん達にとっては、これでも十分に物珍しいようだ。
 二人は暗闇など物ともせずに、早速工場の中をあちこち見て回っている。

「なにこれ。タヌキ?」
「ダルマじゃないですか?」
「見て、美鈴。瞬間移動装置だって」
「…これ、中に入れた物を粉々にするやつに見えるんですけど…。あ、あの箱、もしかして洗濯機!?」
「センタッキ?」
「センタクキ! 中に入れた物を勝手に洗ってくれる魔法の道具ですよ!」
「魔法なの?」
「これさえあれば、日々の洗濯を自分でしなくてもよくなるとかなんとか!」
「美鈴って、けっこうものぐさよね」
「お二人とも」
「あ、ごめん…」

 置いてある物を見ただけでこれだけ盛り上がるのなら、連れて来た甲斐は有ったと言えるだろう。正直、美鈴さんのはしゃぐ様をもうしばらく見ていたかったが、今はそれどころではない。
 当たり前のことだが、この真っ暗な工場の中には誰も居ない。美鈴さんが感じた気配の主は、更に奥に居るようだ。
 だが、たった今、あれだけ騒いだのにも関わらず、誰も様子を見に来ない。…やはり、怪しい。

「様子を見て来ます。しばしの間、此方でお待ちを」
「大丈夫? 賊とかいそうなら手伝うけど」
「ご心配無く」

 飽くまでも、美鈴さんとフランさんは神社の客人。私と守矢の関係は建前だけのものであるとは言え、その客の手を煩わせるのは忍びない。
 案の定、奥の住居部分へ入るための戸にも、鍵は掛かっていなかった。私は音を立てないように気を付けつつ戸を開き、ひっそりとした廊下へと歩を進めた。
 以前来た時の記憶が正しければ、すぐ目の前がにとりの寝室であったはずだ。
 …そのはずなのだが。

「何だ、これは」

 僅か二間ばかりの廊下の先には、いやに重厚そうな黒鉄(くろがね)の扉がどっしりと構えていた。
 にとりが頻繁に家の中を改造していることは知っているし、河童の用心深さも心得てはいるが、果たして寝床をここまで堅固にする必要が有るのだろうか。
 まあ良い。ともかく、先ずは眼と耳を頼りに周囲を探ろう。
 …ふむ。どうやら、あの扉より手前には誰も居ないようだ。残る部屋は、この寝室しか無い。
 念の為、鉄扉を叩いてしばらく待ってみたが、何の反応も得られなかった。これは益々、曲者が居そうな予感だ。
 私は腰に提げた柳葉刀に手を掛けつつ、この扉を開ける方法を思案し始めた。…が、そんなことを考えるまでもなく、手始めに大仰な取手を押し下げてみると、いとも簡単に扉を引き開けることが出来た。

「何や何や」
「どちらさん?」

 開いた扉の隙間から、聞き覚えの有る声が聞こえてきた。
 寝室の中では五人の河童が窮屈そうにして立っており、一様に目を大きく見開いて私の顔を見詰めている。全員、私の顔見知りだ。
 しかし、その中ににとりの姿は見当たらない。匂いはしているから、近くに居ると思うのだが…。

「なんでぇ。誰かと思えば」
「あー…。びっくりした。椛さんじゃないの」
「おお、驚いたよ。ノックぐらいしてくんなきゃ」
「扉は叩いた。誰も気が付かなかったのか?」
「ああ、悪いね。この部屋、安眠の邪魔されないよう防音にしたのよ」

 河童達の更に向こうから声が掛けられ、五人が一斉に其方(そちら)へと向き直る。
 今の声は、にとりに間違い無い。どうにも姿が見えないと思ったら、部屋の奥にしゃがみ込んでいるのか?

「それで、ドアがこんなごつくなってたんか」
「なに? 最近、寝不足なの?」
「いやぁ、そうでもなかったんだけどね」
「防音にするにしても、やりすぎだよー」
「これじゃ、盗人(ぬすっと)に入られても分からないじゃない」
「あ、そっか」

 …先ほどからずっと、声を頼りににとりを探しているのだが、河童達の頭が邪魔で見えない。私に美鈴さんほどの背丈が有れば、問題無く見えるのに。しかし、この狭い室内でわざわざ宙に浮かぶのも癪だ。
 懸命に背を伸ばして首を動かし、居並ぶ後頭部の間から何とか奥の方を覗いてみると、ようやく、少し下の方ににとりの顔が見えた。
 どうやら、彼女は寝台の上で横になっているらしい。
 …はて。一体全体、これはどういう状況なのだ。

「椛さんも見舞いに来てくれたのかい。すまんねぇ、狭い家で」
「見舞い? 病を患っているのか?」
「いやいや、違ぇよ」
「にとりはね、斬られたのよ」
「何だと」

 こうして臥せているのも知らなかったのに、よもや斬られたなどとは、寝耳に水の話だ。

「誰に、何時、何処でだ」
「昨日の夕方って言ったっけ」
「そうそう」
「竹林へ狩りに行ってて」
「狩り言うんか? 竹、採ってただけやろ」
「それで、誰にやられた」
「そいつが判んないのよ」
「判らないとはどういうことだ」
「いや、それがホントに判らないらしくてさ」
「俺らも色々と思い当たる節を考えてんだけどよ」

 河童達は皆、揃って不思議そうな顔をしながら首を捻っている。
 そういう仕草をしたいのは、私の方なのだが…。

「あ、あいつらでないか。最近、人里で悪さしてる…」
「どいつ?」
「ほら、三匹連れのさ」
「馬鹿。あんな小動物がこんなにバッサリとやれるかよ」
「そうかぁ」
「あの連中ならこの間、例の姐さんに焼き入れられたみたいよ」
「先生かい?」
「いやいや。その友達の方よ」
「おお、そりゃ恐い。そんなら十年は大人しくしてそうだ」
「里で悪戯なんてするもんじゃないやね」

 この調子で、よく解らない話を延々と続けられては堪ったものではない。詳しく説明するよう求めようとした、その時であった。
 突然、私の背後から甲高い悲鳴が聴こえてきた。
 …何事だ。美鈴さん達の身に何か有ったのか!?
 私は慌てて身を翻し、戸を蹴り開けて工場へと躍り出た。

「ご無事ですか!?」
「う、うん、無事…だけど……」

 …美鈴さんに怪我は無さそうだ。フランさんも健在で、きょとんとして足許を見下ろしている。
 その足許では、河童の娘が腰を抜かした様子で床に座り込んでいた。

「…ごめん。うっかり見付かっちゃって」

 なるほど。概ね、状況は理解出来た。
 おそらく、あの河童の娘は他の者達と同様、にとりの見舞いに来たのだろう。何も警戒せずに入って来て、工場の中ほどまで進んだ所でフランさんに気が付いて悲鳴を上げたに違いない。
 ともかく、怪我人は居ないようだ。良かった。
 …いや、良くはないな。

「ひあ!?」
「吸血鬼!」
「嘘ぉ!?」

 ああ、やはりか…。安心している場合ではなかった。
 一体何事か、と私の後ろを付いて来ていた河童達にも、フランさんの姿を見られてしまった。
 予想通りと言うべきか、皆、あの娘と同じように怯えてしまっている。

「慌てるな。恐れることは無い」
「血ぃ吸われるぞ!」
「逃げろ!」
「待て! 大丈夫だ、動揺するな!」
「早く早く!」
「にとりぃ! 大変だぁ!」
「ああ、もう! 落ち着かないか!」

 幾ら声を張り上げて制止しようとしても、河童達は聞く耳を持とうとはしない。
 多少は覚悟していたものの、まさか、これほどまで酷い恐慌状態に陥るとは…。
 …いや、考えてみれば無理も無い。奥で寝ているにとりを除いて、この場に居る河童達は皆、荒事が苦手な者ばかりだ。それでも、吸血鬼異変の際には前線近くで天狗衆の支援をさせられていたが、そのことが却って吸血鬼への恐怖心を強めていたに違いない。

「おい、あの娘が喰われちまうよ!」
「任せて!」

 河童の一人が何処からか通背(つうはい)用の道具を取り出した。人の手を象ったそれは、腰を抜かした娘の方へ向かって伸びて行き、その首根っこを掴まえるなり大急ぎで持ち主の元へと戻って行った。
 奇妙な手に引き摺られて行った娘を連れて、彼等は大慌てで奥の寝室へと引っ込んでしまった。

「椛さん! 早く逃げないと死んじゃうよ!」
「扉、閉めるよ!? もう閉めるよ!?」
「大丈夫だ! あの人は足が速ぇから、正面から逃げられる!」

 私の身を案じてくれるのは有り難いが、その前に話を聞けと言うのに。
 あっという間に鉄扉が閉じられ、後には私達三人と静けさだけが残された。
 思わず、自分でも驚くほど深い溜め息が洩れる。
 …何ということだ。こうならないよう、細心の注意を払って此処まで来たのに。詰めが甘くては何の意味も無い。フランさんに対する誤解を減らすどころか、悪戯に恐怖心を煽ってしまったではないか。
 何故、中に入った時に鍵を掛けるなり、二人に隠れておくよう指示しておくなりしなかった。何故、新たに誰かがやって来る可能性を考えなかった。せめて、寝室に入った時点で逸早(いちはや)く彼女のことを伝えておけば、この事態は避けられただろう。
 …何をやっているのだ、私は。

「河童って臆病ねー」
「それだけ吸血鬼は悪名高いんですよ」
「あいつって、そんな悪いことばっかやってるの?」
「フランドール様」
「はいはい。『お姉様』ね」
「…すみません。こんなことになってしまって」
「あら、いいじゃない。妖怪は怖がられるのが本分だもの」

 フランさんはそう言って「ふふん」と笑い、誇らしげに胸を張った。
 彼女の言っていることは解る。我々妖怪は、誰かに恐怖されることで、その存在を保っているのだから。
 …だが、美鈴さんが彼女を館の外へと連れ出したのは、皆を畏怖させる為ではなかったはずだ。彼女の孤立を深める為ではなかったはずだ。
 それなのに……。

「もうっ」

 バシン、という大きな音と共に、私の背中に激しい衝撃と痛みが走る。

「何であんたがしょげてんのよ」

 背骨が砕けたかと思うほどの痛みに声が出ない。どうやら、背中を美鈴さんに平手打ちされたらしい。
 …もう少し、手加減してもらえないものだろうか。

「あの河童どもが悪いんじゃない。椛さんの言うこと聞かないで」
「違うわ、美鈴。この私から溢れ出る、圧倒的な威圧感こそが罪なのよ」
「…お嬢様に似てきましたね」
「え、やだ」

 …情けない。迷惑を掛けた相手に慰められるとは何事か。
 そうだ。何も、取り返しの付かないことになったわけではない。また後で、にとり達にフランさんのことを説明してやれば良いだけだ。
 それより、見過ごすことの出来ない事態が発生している。こんなことで落ち込んでいる場合ではないだろう。
 しっかりしなければ。

「フランさん。恐れ入りますが、今日のところは、にとりの紹介を諦めてください」
「ん。しょーがないわね」
「それと」
「待って。誰か出てくる」

 美鈴さんに言われて廊下の奥を見てみると、例の寝室の鉄扉が再び開き始めていた。
 …不味い。まだ此処にフランさんが居るのを見られると、待ち伏せしていると勘違いされてしまう。
 そうなれば、彼等はあの寝室で籠城しかねない。下手をすると数週間は出て来ない。

「一先ず、外に出ましょう」
「そうね」
「はーい」
「あいや、待たれい!」

 …にとりか。今のは誰の真似だ。また変な本でも読んだのか。
 間も無く、慣れない様子で杖を突くにとりが姿を現し、ひょこひょこと工場まで歩いて来た。
 先ほど寝室で会った時にはよく見えなかったが、彼女は左肩から胴体に渡ってぐるぐると包帯を巻き付けており、その上に上着を羽織っている。

「同胞が失礼したね。ニトリ・インダストリーへようこそ」
「…この間まで、にとり製作所ではなかったか?」
「私は天才エンジニアの河城にとり。あんた、紅魔館の妹様、フランドールだね」
「ええ、そーよ。お会い出来て光栄だわ」

 フランさんは片足を斜め後ろへ引き、もう片足の膝を曲げて丁寧にお辞儀をしてみせた。それに対抗しようと思ったのかどうかは知らないが、にとりの方もやたらと深く頭を下げる。
 それから、にとりは壁際にある出っ張りに触れて天井に吊るされた行灯に火を点すと、一言「失礼するよ」と断りを入れて手近な道具箱へと腰掛けた。

「あんたらも適当に座ってちょうだいな」
「はーい」
「…あ。中国の人もこんにちは」
「紅美鈴」
「あんたとは前に顔を合わせてるね。話をした覚えは無いけど」
「何度か、うちのパーティに来てたでしょ」

 博麗の巫女が今の代に交替してから、頻繁に開かれるようになった宴会のことか。
 私も守矢神社で催された時に案内を貰い、一度だけ参加したことが有る。だが、折り合いの悪い鴉天狗の出現頻度がやたらと高いことを知り、それ以降は参加を控えていた。
 …次、紅魔館で行われるのは何時だろう。上手く非番と重なってくれないだろうか。

「ねー、にとり」
「はいよ」
「あなたは、私が怖くないの?」
「ん? 恐がってほしいかい?」
「怖がるべきなのよ。それが礼儀」

 …肝心のフランさんがこの調子では、誤解を解くも何も有ったものではない。
 彼女は、皆から畏怖される存在になることを望んでいるのだろうか…。もし、そうだとしたら、私は要らぬ節介を焼いたことになるな。
 にとりは口元に笑みを浮かべて「そっか、そっか」と頷くと、無礼にも私を指で差した。

「だったら、椛さんを恨んでね。このひとが『大丈夫だ』って言っちゃったんだから」
「だってさ。椛のバカ」
「すみません」

 つん、とそっぽを向いたフランさんであるが、何処か嬉しそうに思われたのは気のせいではあるまい。
 私は他人(ひと)の心の機微に聡(さと)い方ではないが、知り合いの鴉天狗にもこういう反応を示しがちなひとが居るので、何と無く解る。
 美鈴さんも同じ考えらしく、その様子を見てクスクスと笑っている。

「やっぱり、お嬢様に似てきましたね」
「似てない」
「そうだね。あの姉ちゃんよりも、あんたの方がずっと可愛げあるわ」
「でしょ? わかってるじゃない、にとり」

 天の邪鬼に振る舞ってみたり、素直に喜んだりと、忙しないひとだ。
 …少しだけ、安心した。私はともかく、美鈴さんの努力が無意味なものでなくて良かった。
 幾分か緊張が解(ほぐ)れたのを期に、ちらと廊下の方に目をやってみると、にとりを見舞いに来た六人の河童がこそこそと此方の様子を窺っているのが見えた。大方、にとりが心配で隠れるに隠れられないのだろう。

「ところで、その包帯と杖はどうしたのよ」
「これ? どっちもお手製だよ」
「違うわ、バカッパ」
「ひどいな、中国さん」
「美鈴だっての」
「いやね、竹林で辻斬りにやられて」
「何よ、それ」
「それがさぁ、私にもよく分かんないのよ」

 にとりは事の経緯を説明した。
 昨日、彼女は新しい発明品の素材として竹を採取しに竹林へ向かった。
 日が暮れてきた頃には納得のいく物資が手に入っており、いざ山へ帰ろうと思った、正にその時。
 突然、左肩付近から血が噴き出したのだと言う。
 敵襲かと慌てて辺りを確認したが、何者の姿も見当たらない。結局、それ以上の攻撃を仕掛けられることも無く、犯人が誰であったのかは判らぬままとなった。
 幸い、直ちに気を失うほど酷い出血ではなかったらしく、その場で応急処置を施し、何とか山まで帰って来ることが出来た、とのことだ。もっとも、杖を突いて歩いていたところを見ると、それなりに深い傷だったようだが。
 それで、その時に出来た傷というのが、間違うこと無き刀傷であったのだそうだ。

「気づかないうちに斬られちゃったの?」
「何者よ、そいつ」
「だから分かんないんだってば」

 奇っ怪な。
 音を立てず姿も見せず、妖怪を斬り捨てるなど、そうそう出来ることではない。
 かの剣豪、魂魄ほどの剣技と俊敏さとを持ち合わせていれば、あるいは可能かも知れないが…。今の幻想郷には、彼ほどの剣士は居ないはず。
 きっと、何かしらの小細工を使ったのに違いない。忌々しいことだ。
 心当たりが有るとすれば…。

「…風使いの仕業ではないだろうな?」
「違うんじゃないかなぁ。斬られた時、風に吹かれた覚えは無いし」

 それは良かった。もし「丁度その時、強い風に吹かれた」などと言われたら、私は鴉天狗を疑わなくてはならないところであった。
 風を使って相手を斬ることが出来る妖怪は他にも居るのだが、それなりに妖力の高い者でなければ、そう大きな傷は負わせられないはずなのである。
 何にしても、無風だったのならば関係の無い話だ。
 さて、他に考えられそうなのは…。

「七丁念仏の類は?」
「また古めかしいもん出してきたね」
「茶々は入れなくて良い」
「失敬失敬。けど違うね。お侍さんは勿論、他の誰とも擦れ違ってないもの」

 やはり違うか。
 まあ、私も「茶々を入れるな」などと言いつつ、半ば冗談で聞いてみただけだが。

「ナナチョウネンブツって?」
「妖刀だよ。眉唾もんだけどね」
「その刀で斬られた僧が、何事も無かったかの如く念仏を唱えながら七丁歩き、其処でようやく血を流したという伝説に由来します」
「ふーん」

 斯く言う私も、実物を見たことは無い。正直に言って、実在するかどうかも怪しい代物だ。

「本当の達人なら、そんな妖刀要らないんでしょ? 鼻唄何とかってやつ」
「鼻唄三丁矢筈斬りってかい。そんなのよく知ってるね、ミリンさん」
「…わざとか。どっかの庭師だったら、出来んじゃないの?」
「うーん。先代の爺様ならともかく、あのお嬢さんじゃ難しいかなぁ」

 いずれにせよ、にとりが竹林で誰とも出会わなかったのならば、擦れ違い様に斬られていた、という線は消えている。
 気が付かない内に飛び道具でやられたか、鉄線等の罠に掛かったか…。

「…ところで、天狗衆には伝えたのか?」
「いやぁ。何せ、山の外でのことだからね。言ったところで、どうにもならないでしょ」

 確かに。竹林といえば、妖怪兎どもと永遠亭の縄張りだ。
 他所様の領域へ勝手に入り込んで怪我をさせられたからと言って、易々と組織ぐるみで報復に乗り出すほど、山の妖怪は単純ではない。仮に私が上役に相談したところで、「事が大きくなるようなら、博麗の巫女が始末を付けるはずだ」と言われて仕舞いだろう。
 …だが、私にとっては、それで済ませて良い問題ではない。
 友人が辻斬りに遭ったというのに、黙っていることなど出来るものか。

「…フランさん、美鈴さん」
「うん?」
「申し訳有りませんが、私は用事が出来てしまいました」
「わかった。付いてってあげる」
「いえ、用事と申しましても」
「竹林に行って、にとりを斬った奴をやっつけるんでしょ?」

 …何故だ。
 どうして、私が竹林に行くつもりだと判ったのだ。それどころか、敵の力量次第では討伐も考えていることまで。
 そう言えば、私の同僚達や守矢神社の三柱も時々、まるで心の中を読めるかのように……。

「あんたは、考えてることが顔に出てるのよ」
「え?」
「すっごく、わかりやすいよね」
「え」
「ひょっとして自覚無かったのかい、椛さん?」
「えぇ…」

 …知らなかった。私はそれほどまでに思考を隠すのが下手だったのか。まさか、出会って半日の美鈴さん達にまで筒抜けだなどと…。
 普段から、感情任せに動いてしまいがちな耳と尾を隠すことで冷静沈着を装っているつもりだったのに、顔で読まれたのでは全く意味が無いではないか。

「フランドール様。行くのはいいですけど、きゅっとしちゃダメですよ」
「はいはい。わかってます」
「ありがたいね。あんたが椛さんと一緒に、私の仇を取ってくれるのか」
「まかせて」
「お待ちください!」

 恥ずかしさに顔を覆っている場合ではない。
 友の怨みを晴らす為に他人の力を借りるなど、言語道断。
 それに、フランさんが来るのなら当然、美鈴さんも付き添うつもりだろう。彼女の強さを疑うわけではないが、相手は得体の知れない通り悪魔だ。彼女を危険な目に遭わせるなど…。
 …ああ、いや。違う、違う。美鈴さんだけではない。

「山の神の客人に怪我をさせたとあっては、私の面目が立ちません。ここはどうか、ご遠慮願います」
「そう、残念ね」
「申し訳有りません。一先ず、守矢神社に戻りましょう」
「美鈴はお留守番だって」
「はい?」

 …思いの外、素直に聞き入れてもらえたと思ったのに。そうは問屋が卸してくれないか。

「何で私だけなんですか」
「決まってるでしょ」
「…どうせ私は木っ端妖怪ですよ」
「いえ、その…」

 美鈴さんは壁の方を向いてしゃがみこみ、床にのの字を書き始めてしまった。
 …どうしてかは判らないが、この光景は心に響くものが有る。

「そうよね。私なんかが行ったら迷惑よね」
「あの、美鈴さん」
「いいの。事実だから。いつも魔理沙に負けてるし」

 …何だろうか、この罪悪感は。
 そうではないのだ。断じて、そんな意図は無かった。
 強い弱いの話ではなく、私はただ、彼女達を危険に晒したくなかっただけなのだ。

「そんなつもりでは」
「それじゃあ…」

 いきなり立ち上がった美鈴さんの顔が、私の目の前に来た。
 神社で使われていた石鹸の良い香りが……違う!
 こんな時に雑念は要らぬ。
 潤んだ瞳が、まるで飼い主に捨てられた小動物のような儚さを………だから違う!
 余計なことを考えるのを止めろ。
 あと二寸ばかりで唇が触れ合うほどの…………ああ、もう!
 落ち着け、落ち着くのだ。心を無にしろ。何も考えるな。
 …。
 ………。
 ……………。

「私も行っていい?」
「え、あ、はい」

 …ん?

「ぃよっしゃ! オッケーが出ましたよ、フランドール様!」
「やったね、美鈴!」
「…は!? いや、あの…」

 今のは間違いだ。心を無にする余り、適当な返事が口を突いてしまっただけだ。
 このままでは、美鈴さん達が危険な目に…。しかし、二言を申すなど、白狼天狗としての誇りが…。
 そもそも、今の過ちを何と説明する? 彼女に見惚れて妄りな思いを抱きそうになったから、心を無にして呆けていたと?
 あり得ぬ。断じて口にすること罷りならぬ。
 …仕方が無い。こうなったら、覚悟を決めよう。

「…分かりました。共に参りましょう」
「そうと決まれば、早く行きましょ。鉄は熱いうちに打つものよ」
「そうですね」
「おっと、待ちな!」

 早速工場から出て行こうとするフランさんを、にとりが大声で呼び止めた。
 ひょっとして、私の意を汲んで二人を引き止めてくれるのだろうか。
 淡い期待を抱きつつ振り向いて見ると、何時の間にか廊下から工場へと出て来ていた河童達が全員、にとりと共に整列していた。

「あんた、噂に聞いてたよりもいい奴ね」
「さっきは騒いで悪かったよ」
「にとりの仇をとってくれるなんてな」
「地獄で、にとりも喜んでるはずやわ」
「勝手に殺すな。何で地獄行きなのよ」
「…あの…叫んじゃって、ごめんなさい…」
「せめてもの詫びだ。あたしらからの贈り物、受け取っておくんなせぇ」

 七人の河童が捲し立てるようにして喋り、やけに大きな風呂敷がフランさんの前に差し出された。
 …とりあえず、止めてくれる気は無いようだ。
 その風呂敷の中には多種多様な品が詰め込まれているらしく、外見がいやにごつごつしている。

「これ、くれるの?」
「そいつを使って、辻斬りの野郎をスパーンとやっつけてくれい!」
「武器?」
「救急箱も入ってるよ」
「もちろん、使った後は返さなくて構わねぇ」
「マニュアルも付いてるから、使い方は間違えちゃダメよ」

 …詫びだの贈り物だのと言って、仇討ちに使えるような物騒な代物を寄越すのは如何なものか。
 にとりはともかく、他の者達は戦線に立たない癖に武器の類を作ったりするものだから、今一つ匙加減が判っていないのだ。まさか、危険な物を入れたりしていないだろうな…。

「よかったですね、フランドール様」
「うん!」
「では、私がお持ちします」
「あ、ちょっと。私の方が身軽なんだから、私が持つよ」
「ですが」
「いいから」
「わ」

 折角、先に風呂敷を持ち上げたのに、あっさりと引ったくられてしまった。
 美鈴さんの方が身軽と言っても、私とて刀を一振り腰に提げているだけだというのに。
 重量はともかく、何が入っているか判らない物を彼女に持たせたくなかったのだが…。

「情けねぇ」
「いいとこ見せたいんなら、もっと頑張んなきゃ」
「普段から将棋ばっかやってるから」
「しっかし、浮いた噂の一つも聞かんと思ったら」
「エフティエムってやつ?」
「いやいや、一概にそうとは」
「しっ。聞こえるぞ」

 聞こえている。
 この河童ども、額を集めて小声で内緒話をしているつもりなのだろうが、私には一言一句洩らすことなく聞こえている。耳を隠すと聞こえが悪くなると思っているなら大間違いだ。
 そして、大きなお世話だ。放っておいてくれ。
 私はわざと大きな咳払いをしてから「早く行きましょう」と二人を急かし、入って来た扉を開けて外に出た。

「またねー」
「お邪魔しました」
「おお。気ぃ付けてな!」
「また来てよ!」
「今度はうちにも寄ってくれ」
「椛さん、頑張って! 応援してるからね!」

 黙れ、にとり。余計なことを言ってないで、美鈴さん達に別れの言葉を送れ。
 フランさんは太陽の下に出ると、また例の洒落た日傘を差した。それから、私から竹林の方角を聞くなり、止める間も無く飛び立って行ってしまった。
 すぐに追い掛けたかったのだが、後方では美鈴さんの背負った風呂敷が出入口に支(つか)えて出られなくなっている。
 私は河童達が荷物を二つに分けなかったことに苦言を呈しつつ、強引に包みを引っ張り出し、彼女と共に急いで空へと舞い上がった。



「フランドール様ー! …もう。少しぐらい待ってくれてもいいのに」
「余程、辻斬りと対峙するのが楽しみなのでしょうか」
「それもあるけど、今はすっごく機嫌がいいのよ」
「そうなのですか?」
「椛さんのおかげで、お友達がたくさん増えたからね」
「…にとりのおかげでしょう」
「謙遜しなくていいってば。何より、あんたが一番の収穫だし」
「私が?」
「そ。うちのひとたち以外でフランドール様のために何かしてくれた奴なんて、あいつら以来だからさ。…ホント、ありがとね」

 そう言って、彼女は一際嬉しそうな笑顔を見せた。
 自分以外の誰かの為に、心から喜ぶことが出来る。やはり素敵なひとだ。
 …そう感じる一方で、その誰かであるフランさんを羨ましく思っている自分が居る。
 まったく、嘆かわしい。他人(ひと)を妬み嫉むなど、恥ずべきことだ。

「そうだ。お礼にさ、にとりとの仲、手伝ってあげましょうか」

 ……何?

「今、何と」
「クソ真面目なあんたが尻込みするのは解るけどね。ホントに好きなら、男だ女だなんて気にすることじゃないわ。うちの咲夜さんだって」
「いえ、あの、美鈴さん? にとりはただの友人で」
「なーに言ってんのよ。あいつから『頑張って』とか言われて、顔真っ赤にしてたくせに」
「いやそれは違」
「言ったでしょ。あんたは隠し事するのに向いてないのよ」

 何たること。何たること。
 あの大馬鹿者が余計なことを言ったせいで、あらぬ誤解を生んでしまったではないか。
 この責任、どう取らせてくれよう。皿でも叩き割ってやろうか。頭のとは言うまい。膝の皿で勘弁しておいてやる。

「無事に終わったら、あんたが格好よく敵を仕留めたって言っといてあげるからね」
「ですから、そうではなくて」
「二人とも遅ーい!」

 前方、斜め下からフランさんの声が聞こえてきた。
 …何ということだ。弁解する暇も無く、迷いの竹林に着いてしまうとは。
 不幸中の幸いだったのは、フランさんが竹林に入る手前で待機していてくれたことか。先に入られると合流するのに難儀する為、これは有り難い。

「すみません。荷物が引っかかっちゃって」
「もー」
「お待たせ致しました」
「ここで合ってるのよね?」
「はい」
「まだ、いるのかしら?」
「…いますよ、きっと。気が乱れてますもん」

 その意見には私も異存無い。
 地上へ降りて早々、竹林の中を見通そうとしてみたのだが、どういうわけかごちゃごちゃしていて、余り広い範囲を見渡すことが出来ない。
 今、此処で何者かの悪意が働いているのは確かなようだ。

「じゃあ行くわよ!」
「…この竹林、いつも迷うのよねぇ」
「逸(はぐ)れないように注意しましょう」

 実を言うと、普段の私ならこの時点で一時撤退している。この眼を頼りに辻斬りを探そうと言うのに、それが使いづらそうな状況だからだ。
 だが、その旨を伝えたところで、フランさんは止まらないだろう。出来得る限り視(み)る範囲を拡げ、後は足で稼ぐしかあるまい。
 意気揚々としたフランさんを先頭に、私達は竹林の中へと歩を進めた。










    第二局  インポッシブルシューティング



「ねー。まだ見つからないのー?」
「はい…。どっかにいるのは確かだと思うんですけど…」
「…すみません」

 迷いの竹林に入って、はや四半刻(しはんとき)。私は未だ、辻斬りの影も見付けられずにいた。
 入る前から判っていたこととは言え、今日の竹林は余りにも異常が過ぎるのだ。
 千里眼を用いた時ばかりか、ただ周囲を見回しているだけで目眩がする始末。なお且つ、その原因が一向に判らないのだから、殊更に気味が悪い。
 加えて、普段なら竹林のあちこちに居るはずの兎達が、今日は全く姿を見せない。妖怪であるか否かに関わらず、ただの一羽たりとも現れないのは奇妙なことだ。
 これまでに見掛けたものと言えば、ずんぐりとした狸(たぬき)一匹に親子連れらしき鼬(いたち)が二匹、鼠(ねずみ)二匹と、その鼠を追い掛ける鴉(からす)が一羽だけである。

「その中に妖怪を探す道具とかないの?」
「あ、そっか。すっかり忘れてました」
「開けてみましょーよ」

 フランさんに促され、美鈴さんは背負っていた風呂敷を下ろして結び目を解いた。
 広げられた風呂敷の上で、様々な道具が鎮座している。その中には、案の定と言うか悪いことにと言うか、私が危惧した通りの物も含まれていた。

「あ、マニュアル一つにまとめてくれてるわ」
「……これは…」
「それ何?」
「ちょっと待ってくださいね」

 美鈴さんがパラパラと取扱説明書の束を捲(めく)っていく。やがて、その動きが止まったかと思うと、彼女の表情に苦々しさが浮かび上がってきた。

「どーしたの、美鈴?」
「…『手榴弾』…『ピンを抜いてから五秒後に爆発する』…。」
「ピン? これ?」
「それを引っ張ってはいけません!」
「私は爆弾を背負ってたのね…」

 だから、私が持つと言ったのに。
 誰が入れたのか知らないが、こんな物を剥き出しで風呂敷に包む奴があるか。戯けめ。
 そもそも焙烙玉(ほうろくだま)の類は、投げた後に隠れる場所が無いと危ない。障害物が竹しか無い此処では、扱いにくい代物だ。

「ねーねー、このカゴは?」
「ええっと、『捕獲装置籠型一号』…『付属品の紐付き棒で籠の一端を持ち上げて、その下に餌を置き』…。サルを捕まえんじゃないんだから」
「猿でも引っ掛からないと思いますが」
「パチュリーだったら、本をエサにすればいけるかも」
「いくらなんでも…」
「此方は武器…でしょうか? 余り見たことの無い形状ですが」

 二本の短い鉄棒が、その一端を鎖で繋がれている。
 美鈴さんは説明書を見るまでもなく、これが何か知っていたらしい。しかし、試しに使って見せてほしいと頼んでみたら、どうにも複雑そうな顔をして断られてしまった。
 よく解らないが、彼女なりの矜持が有るようだ。

「これ、魔理沙が持ってたの?」
「あ、そうですね。あれと似たようなもんみたいです。離れた所でも話が出来るとか」

 噂の通信機か。ようやく使えそうな物が出てきた。…と思ったが、冷静に考えてみれば、三人で固まって行動している限り不要な物である。
 どうにも使い勝手の悪い物ばかり集まってしまっている。結局、事前に入っていることを教えてもらっていた救急箱が一番…と言うより唯一、有効な物のようだ。
 …いや、まだ在った。
 正体不明の細長い布包みが残されている。今までの傾向からして、大して期待は出来ないが…。

「……鉄砲ですね」
「かっこいいデザイン」
「うん、と…『対妖魔狙撃銃二十三式』…んー、説明文読んでも何が何だか…。『射程距離は二千メートル』らしいけど、これって凄いの?」
「こういった物は不得手でして…」
「私もわかんない」
「お。弾丸を守矢神社でお祓いしてあるらしいわ」
「それなら、妖怪も一撃ね」
「誰が撃つのですか?」

 そっと説明書が閉じられ、美鈴さんは黙って首を横に振った。
 …こんなことなら、先に荷物を確認しておくのだった。そうすれば、救急箱以外は置いて来られただろう。

「…自力で頑張るしかないか」
「そのようです。ともかく、先ずは敵を発見しなければ」
「私、バラけよーか?」
「力も分散されるのでしょう? 危険ですよ」
「通信機(これ)使ってみたいの」
「自分同士で会話するんですか」

 さて、物資の確認に託(かこつ)けて眼を休めていたが、そろそろ探索を再開するとしよう。
 改めて千里眼を使って視界を拡げ……。
 …これは、間(ま)が良かったと言うべきか。まさに今、私の背後から複数の妖弾(ようだん)が飛んで来ている。
 この軌道、下手に避けてしまうと美鈴さん達に当たってしまいかねない。強引に弾き飛ばすしかあるまい。だが、私の手には未だ鉄砲が持たれたままで、刀を抜いている暇が無い。
 …仕方が無い。
 私は銃身を握り締め、それを使って、振り向き様に妖弾を薙ぎ払った。

「敵襲!」
「あら素敵」
「来たわね!」

 妖弾の飛んで来た先には、一人の妖怪兎が佇んでいた。
 あの女には見覚えが有る。永遠亭の使い走りだ。奴は険しい表情をして、此方を睨み付けている。
 …それと、もう一人。兎とは反対の側から、私達のことを見ている者が居る。山袴を履いた、真白く長い髪の女。珍しい風体だが、どうやら人間のようだ。

「其方にも何か居ます。数は一人」
「了解。合わせて二人か」

 果たして、この二人がにとりを襲った辻斬りなのだろうか。不意打ちを仕掛けてきたとは言え、こうして堂々と姿を見せている辺り、どうも違うような気がするが…。
 …まあ良い。いずれにせよ、我々に危害を加えようとするのなら、叩き伏せるだけのこと。

「少しは愉しめるのかしら? 美鈴。私は」
「わかってます。ウサギじゃない方ですよね? 私もそっち手伝います」
「いいけど、ジャマしないでよね」

 フランさんに加勢? あちらの人間を相当な強敵と判断したということか。

「椛さん。あのウサギ、任せていい?」
「問題有りません」

 出来ることなら両方とも私が相手をしたいところだが、悲しいかな、私にそこまでの力は無い。
 元々、敵を討ち取るのは私の本分でないのだ。辻斬りについても、手に負えないようなら正体だけ確認して引き上げるつもりだった。
 無理をしても詰まらない。ここは一先ず、あの兎に集中するとしよう。

「眼に気を付けなさいよ」
「勿論です。これだけが取り柄ですから」
「あ、いや、そういう意味じゃないんだけど…」
「え?」
「美鈴。そろそろダンスのお誘いがくるわよ」
「げ。と、とにかく気を付けて」
「はい。ご武運を」
「あんたもね」

 鉄砲を投げ捨て、刀を抜いて妖怪兎の左方に向けて走る。すると、奴は私を標的に二度目の攻撃を放ってきた。命名決闘法を度外視した、華々しさも情緒も無い乱雑な妖弾の波が押し寄せる。
 よし。これで良い。狙い通りだ。今、私の背後には誰も居ない。従って、全ての攻撃を受けてやる必要は無くなった。
 妖弾を回避、撃墜しつつ接近し、直接斬り伏せてくれる。場合によっては彼岸へと送ることになるかも知れないが、奇襲を仕掛けたのは向こうだ。構うことは有るまい。

「お前らがやったのか!」

 幾分か離れた所で誰かが怒鳴り声を上げた。目の前の兎から注意を逸らせない為、あちらの様子はよく視えないが、十中八九、あの人間の声だろう。
 …私達が何か咎の有る者だと思っているのか?
 冗談ではない。我々はむしろ、咎人を懲らしめに来たというのに。

「何の話よ!」
「弁解は後で聞いてやる!」
「問答無用ってわけ!? 死んでも知らないわよ!」
「やれるものなら、やってみろ!」

 奴が声を張り上げるやいなや、激しい爆音が轟き、熱風が吹いてきた。
 あの人間は妖術使いだったのか。確かに厄介そうな相手だ。これは出来るだけ早く加勢しなければ。
 …しかし、私の見通しは相当に甘かったと言わざるを得ない。
 この妖怪兎も、思っていたより遥かに手強い。
 どういうわけか、先ほどから体の自由が利かず、飛んで来る妖弾を躱(かわ)すのがやっとという有り様だ。おかげで、全く相手に近寄ることが出来ない。
 此方からも妖弾を放ってはいるのだが、大半が敵方の物と相殺され、僅かに残った弾も軽々と避けられてしまう。
 たかだか兎一匹にここまで苦戦させられるとは…。
 その上、奴は時々余所見をして、もう一方の戦いの模様を見物している始末。こんな屈辱というものは無い。

「まだ日は高いのに元気が良いな、吸血鬼」
「フランドール様! 日傘が!」
「ジャマしないでって言ってるでしょ!」

 私と妖怪兎が黙々と地味な撃ち合いを続けているのに対し、向こうでは異常な爆発音や衝突音が頻発している。
 それに、今のフランさんの声からは平時の余裕が感じられない。まさか、苦戦しているのだろうか。…吸血鬼が苦戦するなど、一体、敵は何者なのだ。
 何にしても、状況は芳しくなさそうだ。
 …止むを得ない。五、六発、妖弾を体に受けても構わないから、強引に敵との距離を詰めよう。
 今やっているのは、規則に従った決闘ではないのだ。攻撃が当たったからと言って、動きを止めてやる必要は無い。

「うわっ!?」
「めいり…!」

 …しまった。
 美鈴さんの悲鳴に思わず振り向いてしまった。
 幸い、まだ彼女達が怪我を負った様子は無い。だが、正に今、鳥を象った何十もの炎に襲い掛かられようとしているところだ。
 とは言え、あの炎は大した速度ではない。予想外の攻撃に驚いて声が洩れたようだが、美鈴さん達ならば問題無く避けられるだろう。
 それよりも、非常に不味い物が目に入った。
 炎の一つが向かう先に、あの焙烙玉が置かれている。しかも、美鈴さんもフランさんも、そのことに気が付いていないようだ。もし、あれが爆発したら、すぐ傍に居る二人は確実に巻き込まれてしまう。
 それだけは、何としても阻止しなければ。
 私は迷わず焙烙玉の方へと走った。背中と右足に一発ずつ妖怪兎の妖弾が命中したが、知ったことではない。

「何を…?」

 何も知らない兎が。何をする気か、だと? 私が何もしなければ、美鈴さんが大怪我をするかも知れないのだ。
 …よし、間に合った。どうにか、焙烙玉の前に立つことが出来た。
 しかし、襲い来るのは決まった形を持たない炎の鳥。刀だけでは受け止め切れず、刃を伝った炎が私の右腕を喰らう。

「くっ…!」
「椛さん!?」

 素早く腕を振り、纏わり付いた炎を払い除ける。
 盾を宿舎へ取りに行かなかったのは失敗だったか。…いや、あれは木製だったな。
 ともかく、暴発は避けられたようだ。

「げ…。さっきの手榴弾…。あんた、大丈夫!?」
「心配無用です」

 多少火傷をしたかも知れないが、特に問題は無い。
 美鈴さんには私の行動の意図が伝わったようだし、用は済んだ。早く戻って、今度こそあの妖怪兎を仕留めなければ。
 …そう思ったのだが、身を翻そうとしたところで、先ほど妖弾を受けた分の痛みが発露し、私は不覚にもその場で膝を突いてしまった。

「椛!」
「何のつもりか知らんが、先にやられたいのなら望み通りにしてやる!」

 妖術使いは自分自身よりも大きい火の玉を頭上に生み出し、それを此方に向けて投げ付けようと振り被っている。
 …やはり、並大抵の使い手ではない。鴉天狗に、あるいは大天狗様にも匹敵し得る妖力。何者だ、あの人間は。
 いや、そんなことを考えている場合ではない。あれをそのまま放たれたら、今度は庇い切れない。
 どうする? 焙烙玉を手早く回収するか、先に何処かへ投げ飛ばすか? …駄目だ。それでは間に合うかどうか疑わしい。
 それより、今すぐ空へと飛んで狙いを変えさせる方が確実だろう。私は空中では地上より動きが鈍る為、飛んだ後に火球を避け切れる保証は無いが、少なくとも焙烙玉の暴発は回避出来る。
 これ以上、迷ってはいられない!
 決断し、地を蹴って飛び上がろうとした、その矢先のことだった。突如、未だ嘗て感じたことが無いほどの凄まじい悪寒が私の全身を駆け巡った。
 …瘴気(しょうき)だ。狂気に満ちた禍々しい瘴気が周囲を包み込んでいる。

「待って!」

 美鈴さんと妖怪兎が同時に叫んだ。
 その声に反応したのか、妖術使いがぴたりと動きを止め、掲げられていた炎も瞬く間に消え去った。
 しかし、辺りに蔓延する瘴気は未だ収まろうとしない。
 ただでさえ氷霧のようだった狂気が、より一層その冷たさを増していく。それは私を全身が凍り付いたかのような錯覚に陥らせ、私は身動き一つ出来なくなってしまった。
 そこへ、何処からか何かが破裂するような音が聴こえてきた。それが何の音かを考える間も無く、眼前に佇む妖術使いの口から鮮血が溢れ出す。
 それだけではない。
 吐血と同時に力を失い、倒れようとしているその体が、今度は鈍く不快な音を伴って爆ぜたのだ。それも一度だけでは終わらず、二度三度、四度五度と立て続けに同じことが繰り返される。
 何だと言うのだ! 何が起こっている!?
 状況を理解したいのに、得体の知れない恐怖が私の思考を阻害する。…体の震えが、止まらない。

「…あ……」

 美鈴さんは、文字通り崩れ落ちる妖術使いを見て呆然と立ち尽くしている。
 フランさんもまた、私と同じように意味不明の恐怖に顔をひきつらせて……。
 …違う。
 違う。同じではない。
 彼女の方に意識を向けたおかげで、ようやく解った。私に途方も無い恐怖心を抱かせている瘴気。その元凶は、この吸血鬼であると。
 今、私の眼前で起こっている惨劇は、フランさんの手で引き起こされているのだ。

――私の力はとても危ないのよ。だから、お姉様は私を閉じ込めたの。

 私は軽んじていた。吸血鬼レミリアが五百年の時を掛けて抑制させた、その力の凶悪さを侮っていた。
 嫌だ…。…怖い…恐い!
 力の矛先が私に向いていないことは解っている! 解っているのに…!
 それでも…この寒さに耐えることが出来ない…。

「……どうして…?」

 フランさんは、なおも力を行使することを止めようとしない。彼女が右手の中に呼び出した何かを握り潰す度、もはや見る影も無くなった妖術使いの残骸が弾け飛ぶ。
 ……解らない…。
 何故、彼女はあれほど必死に、もうとっくに死んでいる人間の屍を破壊し続けているのか。何がそこまで、彼女を怯えさせているのか…。

「やめて!」

 背後から、美鈴さんが彼女の右手を掴んだ。

「……美鈴」
「フランドール様。約束したでしょう」
「…でも……椛が…」
「椛さんは大丈夫。…大丈夫です。だから、もう、やめてください…」
「……でも…」

 フランさんの狂気が薄らぎ、その目にじわりと涙が浮かぶ。
 今にも泣き出しそうになっている彼女を、美鈴さんは沈痛な面持ちをして力強く抱き締めた。

「…すみません。止めるのが…遅れちゃいました…」

 ……私のせいだ。
 私が、フランさんにあの力を使わせた。
 あの妖術使いの攻撃を前にして無様にも膝を突いた私は、彼女の目にどれほど頼り無く映ったか。きっと、捨て置けば炎に焼き尽くされてしまうであろう、ひ弱な存在に見えたに違いない。
 だから、彼女は私を助ける為に…。
 そうだ。それほどまでに私を気に掛けてくれていた彼女に、私は誓いを破らせたのだ。
 …馬鹿か! 助けに来たつもりが、反対に助けられてどうする! その為に、使ってはならない力を使わせてどうする!
 おかげで、美鈴さんにも悲痛な思いをさせてしまった…。
 全ては…私の…。

『そうだな。出来れば四、五回で止めてほしかった』

 ……今のは…?
 あの妖怪兎ではない。奴はフランさんが瘴気を放って間も無く、何処かへ姿を眩(くら)ませてしまった。
 では、今の声は何だ…?
 困惑する私の眼前で突然、複数の火柱が立ち上った。それらは地面に散乱する妖術使いの遺骸を火種にして、骨も残さぬ勢いで燃焼している。
 やがて炎は一ヶ所に集まり、その中から、見覚えの有る人間が姿を現した。

「お前達は…私が探していた輩とは違うらしい」
「……何で…生きてんの…?」
「何でか生きてる」

 美鈴さんの問い掛けに対して、黄泉返った妖術使いは肩を竦めながら答えた。
 …こんな馬鹿なことが有るか。人間はおろか、屈強な妖怪でさえ容易く消滅してしまうほどの力を何十回とその身に受けて、何故生きていられる。何故、何でもないような顔をして立っていられる。
 フランさんは戦いの最中(さなか)から、この女が意味不明な存在であることに気が付いていたのだろう。彼女らしからぬ焦燥を見せていたのは、それが原因だったのだ。

「おい。そこの吸血鬼。今の力は、使ってはならないものだったようだな?」

 妖術使いが上からギロリと睨み付けると、フランさんは体をびくりと震わせて美鈴さんの後ろに隠れた。
 美鈴さんは警戒心を顕にしつつ、彼女を庇うようにして立ちはだかっている。
 と、急に妖術使いは目を細め、その口許に柔らかな笑みを浮かべた。

「…仲間の危機に、思わずやってしまったのだろう? お前は、優しいな」

 存在も意味不明なら、発言の真意も読み取れない。
 先刻までの強い敵意は今、微塵も感じられなくなっている。まるで、別人であるかのように。
 全くわけが解らない…。こんな生き物は、今まで一度たりとも……。
 ……いや、知っている…?
 そうだ。私は、この人間の存在を知っている。山の上役や河童達から度々話を聞かされているし、稗田の文献でも、新聞でも読んだことが有るではないか。
 よもや、自分で遭遇することになるとは思わなかった。せめて、容姿を記憶しておけば…。

「貴方が、藤原妹紅か」
「そう」

 妖怪殺しと名高い竹林の狩人。不老不死の肉体を持つ、稀有な人間。てっきり、寿命を捨てた仙人崩れか何かだと思っていたのだが、本当に不死身であったとは恐れ入る。
 …なるほど。あらゆるものを破壊することが出来るはずのフランさんには、どうやっても壊せないこの女が不条理の塊に見えるに違いない。その証拠に、彼女は妹紅から優しく微笑み掛けられた今でも、なお怯えた様子で、美鈴さんの後ろからこそこそと様子を窺っている。

「お前とは祝賀会の時に会ったな。大陸の妖怪」
「…あんたが、お嬢様の言ってたアンデッドだったのね」
「アンデッドって…あの小娘、自分のことを棚に上げて…。まあ、間違ってはいないけど」

 妹紅は人差し指で頬を掻きつつ、ふう、とわざとらしい溜め息を吐いた。

「…すまなかった。お前達が、昨日から出没している通り魔じゃないかと思ったんだ」
「人違いってやつね。すみませんでした」

 何時の間にか、あの妖怪兎までもが再びその姿を現していた。奴は器用にも空中で足を組んで座り、おまけに腕まで組んでいる。
 一体、今まで何処に隠れていたのか。この薄情な卑怯者が。
 人違いだと? ふざけるな。

「…謝って済む話か」
「怪我の治療はするわ」
「そんなことはどうでも良い!」

 不覚を取り、身体に傷を受けたのは私一人だ。それも、軽い打ち身と僅かな火傷だけ。
 そんなものは、彼女達の負ったものに比べれば些事に過ぎぬ。

「貴様等のせいで、フランさんは己の禁を破る羽目になった!」
「……貴様ら、ね…。…あなたが出しゃばったのが原因じゃなくて?」
「それは…」
「ザコ妖怪のクセに無理しちゃって」

 今すぐ、この女の喉笛を咬み千切ってやりたい。
 だが、フランさんが恐々と萎縮してしまっている今、この二人と戦闘を続けるのは余りにも危険過ぎる。
 …それに、私が出過ぎた真似をした為に惨事を招いたのは事実だ。

「ちょっと口が過ぎんじゃないの、鈴仙さん」
「…ああ。久しぶりね、門番さん。前みたいに敬語使ってくれても良いのよ」
「黙れ」
「鈴仙。挑発するな」
「まあ、あれよ。禁忌(タブー)だか何だか知らないけど、今回は帳消(ノーカウント)で良いんじゃない? だってその吸血鬼(ひと)、たかが人間一人も殺せてないんだし」

 私は、自分が余り辛抱強い方ではないと自覚している。安い挑発に負け、仮にも目上である鴉天狗に咬み付くことも珍しくない。
 その私に、レイセンとやらの無礼な物言いを二度も三度も聞き流せるはずが無かったのだ。
 気が付いた時には既に、その喉元を狙って刀を振るっていた。

「おっと」

 奴は澄ました顔で宙に浮いたまま後ろへ飛び退き、四寸ばかりの余裕を持って私の一閃を避けた。
 …忌々しい。この口の減らない兎も、その兎如きに易々と太刀筋を見切られてしまう自分も、腹立たしくて仕様が無い。

「懲りないわね。あなたじゃ私に勝てないと思うけど?」
「五月蝿い!」
「それより、その右手、痛まない?」
「知ったことか! その首、撥ね飛ばしてくれる!」
「待て!」

 今一度刀を振るう為に踏み込もうとしたところで、妹紅が制止の声を張り上げた。その声は私の体を強張らせ、私は思わずその場に踏み留まってしまった。
 おそらく、私の心の内にも幾らか、妹紅に対する畏怖の念が有ったのだろう。

「お前達に奇襲を仕掛けるよう言ったのは、私だ」
「妹紅、それは…」
「お前も落ち着け。どうしたんだ。わざわざ恨みを買おうとするなんて、お前の柄(がら)じゃないだろう」
「……だけど…」

 レイセンはなおも何か言いたげにしていたが、妹紅は有無を言わさず会話を切り上げ、 此方へと向き直った。その目は、少しく下向きに伏せられている。

「…本当に、お前達にはすまないことをした。出来る限りの償いはさせてもらう」
「償いだと?」

 起こってしまった事実は変えられない。貴様等に出来る事など有るものか。
 そう怒声を上げる寸前、誰かが私の肩をとん、と叩いた。
 …美鈴さんだった。私の肩に手を置き、鋭い目付きで妹紅を睨んでいる。

「あんたが責任を取るって言うのね?」
「ああ」
「…わかった」

 彼女はそう呟くと、膝を曲げてその場にしゃがみ込み、今なお足許で不安そうにしているフランさんの体をそっと抱き上げた。

「とりあえず、そいつに椛さんの手当てをさせて。そこの救急箱、使っていいから」
「承知した。…鈴仙」
「はいはい」
「余計なことしたら、ぶち殺すからね」
「何もしないったら」
「美鈴さん。本当に…」

 本当にそれで良いのかと尋ねたかったのだが、私が呼び止める声は聞いてもらえず、その場から離れられてしまった。
 彼女は抱き抱えられたフランさんの頭を優しく撫でながら、小声で話し掛けている。

「ああいう、わけわかんない生き物もいるってことですよ」
「…うん」
「でも、そんなに危ない人じゃないみたいですから」
「……うん…」

 …そうか。先ずはフランさんを宥(なだ)め、落ち着かせるのが最優先か。
 彼女がそのつもりならば、致し方無い。私も、この場は大人しくしているとしよう。傷の手当てを許すということは、この二人に対する警戒は幾らか緩めても構わないのだろうし。

「ほら、あなた。診るからこっち来て。おすわり」
「…そんなに私を怒らせたいのか」
「私の弾が当たった所は? あれでも威力は抑えたつもりだけど、まだ痛むなら言ってよ」
「問題無い」
「そう。じゃあ右腕出してちょうだい。袖は捲らないでね」

 人や獣ではあるまいし、放っておいても大丈夫だと言う私に対し、レイセンは「痕が残ると恨まれるから」と強引に手当てをし始めた。そんな詰まらないことで恨んだりはしないと言うのに。
 彼女は冷水だの湿布だの、よく分からない薬品だのを河童の救急箱や衣服の中から取り出してきて、存外丁寧に私の火傷の処置を施していく。
 …さて、今の内にやっておきたいことが有る。
 先の発言の中で一つ、気に掛かったものが有るのだ。それについて訊ねてみるとしよう。

「妹紅」
「ん?」
「先ほど、通り魔がどうのと言っていたが」
「言ったな」
「朝から探し回ってるのよ」
「その件について、詳しく聞かせてもらいたい」





「そうか…。お前の友人も…」
「にとりさんは大丈夫だったの? 傷口膿んだりしてなかった?」
「杖を突いてはいたが、大事無さそうだった」

 鈴仙が私の手当てをしている間に、私達は互いが此処へ到るまでの経緯(いきさつ)を話し合った。その間に一応、名乗り合いも済ませている。
 にとりが辻斬りに襲われたのは昨日の夕刻。二人が言うには、その前後にも複数の被害が出ているらしい。
 その内、妹紅と鈴仙が直接話を聞いた被害者は二人。一人は、里の外れで遊んでいた人間の子供。もう一人は、鈴仙の部下だという妖怪兎の最長老。どちらも何時の間にか体に深い刀傷が出来ていて、誰にやられたのかも判らないと言う。これは、にとりの証言と一致している。
 本来、妹紅と鈴仙は互いに協力的とは言いがたい関係にあるそうだが、その犯人を共通の敵と見做し、これを討つべく共に行動することになったのだそうだ。

「里に居る人間に手を出す妖怪は博麗と八雲の粛清対象なんだが」
「今回、その子どもが斬られた場所は曖昧地域(グレーゾーン)。それでも、良識ある妖怪なら手を出さない所よ。あなたなら分かるでしょ?」
「おまけに、その後は竹林で獣を斬り捨て三昧」
「妖怪も、ね。これはちょっと度が過ぎるわ」
「で、少しばかりクンロクを入れてやろうと思ってな」

 今のところ、辻斬りによる死者はただの獣や名も無い妖怪だけらしい。だからと言って、放置すると次は誰が被害に遭うか判らない。
 例の兎の長老は斬られてから自力で永遠亭まで帰ったそうだが、人間の子供の方は発見されるのが少し遅ければ、危うく命を落とすところだったのだと言う。妹紅にしてみれば、辻斬りは同胞を殺し掛けた下手人というわけだ。

「それでは、気が立つのも解らないではないな」
「…すまない。どうかしていた」

 先ほどから、妹紅は頻りに申し訳の無さそうな顔を見せている。彼女自身、碌に確かめもせずに襲い掛かった己の早合点を恥じているのだろう。
 この平身低頭な振る舞いで話をされている間に、私の頭はすっかり冷まされてしまった。
 何も、妹紅達のしたことと、その結果を赦そうと言うのではない。ただ、この二人の処遇については、美鈴さん達に任せた方が良いと思ったのだ。本来、フランさんのことについて私が口を出す筋合いなど無いのだから。
 その美鈴さんはと言うと、話の途中で此方へと戻って来て以来、一切口を開こうとせず、ただ黙って話を聞いているばかりである。

「でも、椛は怪我したのよ?」
「それを言うなら、妹紅はバラバラになったわ」
「元気じゃない」

 一方、フランさんは既に普段の調子を取り戻していた。
 いっそのこと、辻斬りの討伐を諦めてくれないかとも密かに期待したのだが、とうとう「帰りたい」の一言が発せられることは無かった。逞しいと言うか、強情張りと言うか…。
 妹紅が私と話しているのを傍で見ている内に、その存在にも大分慣れてきたようだ。
 …と、思ったのだが……。
 彼女は妹紅に視線を向けられるやいなや、忽ち美鈴さんの背後へと逃げ込んでしまった。どうやら、一度刻み込まれた苦手意識というものは、そう簡単には拭い去ることが出来ないらしい。
 フランさんが妹紅から隠れて間も無く、長らく押し黙っていた美鈴さんが遂にその口を開いた。

「…事情は分かったわ。悪気はなかったみたいだし、フランドール様のことは勘弁してあげる」

 …不問に処す、か。
 先ほど鈴仙が言ったように、此度の一件は無かったことにするつもりか、あるいは、妹紅の反省を鑑みてのことか。
 いずれにせよ、それが彼女の結論ならば、私もそれに準じよう。

「かたじけない」
「まあ、あれはその吸血鬼(ひと)が勝手にやったことだしねぇ。妹紅(こっち)は手を止めてたのに」
「うっさい。妹紅さんはともかく、あんたが言うな」
「はいはい」

 まったく…。
 この兎はまた、どうして逐一憎まれ口を叩こうとするのだろうか。

「わかってると思うけど、くれぐれも他言しないでよね。喋ったら命はないから。私の」
「あなたのなんだ」
「それと、焦がした椛さんの服は弁償しなさいよ?」
「勿論だ。後で一着分の値を教えてくれ」
「この袖の分だけで良いのだが」
「慰謝料込みなんだから、貰えるもんは貰っときゃいいのよ」
「…はあ」

 泡銭(あぶくぜに)を得たところで、これと言った使い途も無く、ただ持て余すだけなのだが…。
 しかし、考えてみれば、右袖だけ小綺麗なのも不格好か。折角の機会だ。久し振りに、一通り新調させてもらおう。
 …そうだ。敢えて一回り大きい物を仕立ててもらったら、身の丈が服に合わせて大きくなったりしないだろうか。……しないのだろうな。今更。

「ところで、何でこんな物持って来たの?」

 鈴仙は例の焙烙玉を手に取り、お手玉にして遊んでいる。
 危険物で遊ぶな。いや、その前に、他人(ひと)の物を勝手に取るな。

「これでしょ? 誰かさんが慌ててこの妹紅(フリーク)の前にしゃしゃり出た理由(わけ)は」
「…好きで持ってきた物ではない」
「それに何? このでっかいザル。竹林はゴミ捨て場じゃないのよ?」
「ゴミじゃないもん…」

 美鈴さんの後ろで、フランさんが恨めしそうに呟いた。
 そう。彼女にとってこの品々は辻斬りを退治する道具である前に、大切な貰い物なのだ。

「これらはフランさんが河童達から譲り受けた品だ。酷く扱いにくい物が多い上に危険物まで混入している始末で、出来ることなら此処へ持って来るべきでなかったのは認めるが、過ぎた口は控えてほしい」
「椛さん。あんまりフォローになってない」
「本音が透けて見えるな」

 …そう言われても、捕獲装置籠型一号を正しく弁護出来る言葉が見付からなかったのだから、仕方が無いではないか。

「ふうん。この通信機(トランシーバー)と狙撃銃(スナイパーライフル)ぐらいは使えそうね」
「使い方が分かるのか」
「当たり前でしょ。…って、これ、照準器(スコープ)壊れてるじゃない」
「よく解らないが、壊れたのは貴方の攻撃のせいだろう」
「銃身で叩き落とすのが悪いのよ。原始人じゃあるまいし、何でもかんでも棍棒みたいに振り回さないでほしいわ」
「む…」
「これだから古臭い犬は」

 聞き捨てならぬ。
 百歩譲って鉄砲の故障は私のせいでも構わないが、今の一言は絶対に聞き過ごすわけにはいかぬ。
 古臭いだけならまだしも、誇り高き白狼天狗を犬などと呼称するとは、赦しがたい侮辱。

「その呼び方は二度としてくれるな、兎風情が」
「私をその辺の兎と一緒にしないでくれる?」
「確かに大分違うようだ。兎が言葉を話すだけで、こうも不愉快なものになるのだな」
「狼ってのは話しても話さなくても品が無いわ。せっかく治療してあげたのに、お礼の一つも言わない」
「思い上がりも甚だしい。これは元々、貴様等のせいで負った傷だろう」
「そのことなら謝ったでしょ」
「ならば、先ほどからの度重なる非礼も詫びてもらおうか」
「そうね。ゴミなんて言って、ごめんなさい」
「……それだけか?」
「他に何か?」

 この兎、やはり首を撥ねてやるべきだった。
 先の襲撃に関しては、妹紅の態度と美鈴さんに免じて水に流すつもりであったが、此奴は性根から直してやらねばならないらしい。

「あら、怖い顔。戦(や)る気なら相手になってあげ」
「いい加減にしろ」

 妹紅の拳が鈍い音をさせて鈴仙の後頭部を殴り付けた。
 殴られた鈴仙は声も出せない様子で、両手で頭を押さえて踞(うずくま)っている。

「赦してくれ。こいつも、相方を襲われて気が動転してるんだ」
「…いや、此方こそ、申し訳無い」

 私としたことが、不躾な兎に釣られて、また要らぬ争いを起こそうとしてしまった。
 忘れてはなるまい。此度のことに関しては、辻斬りこそが全ての元凶。私達は、それを排除する為に来たのだ。
 個人的な理由でいがみ合っている場合ではない。

「どーして椛が謝るの? 悪いのはあっちじゃない」
「フランさんっ!」

 ようやく隠れるのを止めて前に出て来たと思ったら、これだ。消え掛けた火に再び油を注ぐのは勘弁してほしい。
 無論、私とて奴の無礼を赦すつもりはない。だが、今はそんなことを言っている時ではないのだ。
 これまで、こういう時には美鈴さんがフランさんの発言を諫めてくれていたのだが、彼女は今、如何にも不愉快そうな顔をして口を閉ざしている。
 …参った。要らぬ諍(いさか)いを起こした為に、美鈴さんを怒らせてしまった。
 つくづく、この兎などの為に余計な時間を使っている場合ではない。今、するべきことをしなければ。

「とにかく今は、辻斬りの討伐を急ぎましょう」
「えー」
「…まあ、そうね。兎達は永遠亭(うち)に避難させてるけど、また誰か迷い込んじゃうかも知れないし」
「でも、正体がわからないんでしょ?」
「たぶん、姿を消せる妖怪の仕業よ。竹林にいた兎全員に確認してみたけど、誰もそれらしい姿を見てないんだもの」
「カメレオンみたいなの?」
「そうそう。きっと眼球があなたの顔ぐらい大きかったりするのよ」

 …想像してみると、何とも気味の悪い妖怪だ。
 そんなものが突然目の前で姿を現したら、思わず怯んでしまうかも知れない。

「あいつらの話を聞いた時点では、他にも心当たりが有ったんだが…」
「最初のアテが外れて、二つ目の心当たりが天狗だったのよね?」
「…ああ、そうだ。鴉天狗なら、半里先の相手を切り裂くぐらいは簡単にやってのけるからな」
「その延長で椛が疑われたのね。失礼な話ですこと」

 妹紅がその言葉に反応してフランさんの方を見やると、彼女はまたも慌てて後方へと引っ込み、今度は私の背後に隠れてしまった。
 別に睨まれたのではなく、些か申し訳無さそうな顔を向けられただけなのだが、もはや妹紅を怖がるのは条件反射になっているらしい。
 それはさて置き、姿を消すことが出来る相手とは厄介だ。私の眼は広範囲を見渡すことが出来るものの、生憎、透明な物は見えない。…もっとも、今日は本来見えるべき物さえ碌に見られない有り様であるが。

「鈴仙の言った通りだとすれば、どのようにして賊を探せば良い? 貴方達には何か手段が有るのだろう?」
「それは簡単だ。こいつは敵が透明人間でも見える」
「波長だけならね」
「波長?」

 何でも、ありとあらゆる物には固有の波長が有り、彼女の眼はそれを視ることが出来るのだそうだ。説明されてもよく解らなかったが、とにかく、本来の視覚とは異なるものらしい。

「美鈴も気配でわかるよね?」
「…そうですね。たぶん」
「だったら丁度良いじゃない。そっちとこっちで別々に探して、見付けたら通信機(これ)で連絡すれば良いのよ」
「それ使うの!?」
「え、ええ…。どうしたの、いきなり?」
「名案ね! ぜひ、そーしましょう!」

 何時の間に我々が協力し合うという話になったのかは判らないが、言っていることは一理ある。この竹林も狭くはないのだし、敵の発見が第一目標であるならば、固まって探すより分かれた方が効率的だ。
 …フランさんは通信機を使ってみたいだけだと思うが。
 ともかく、余り悠長に構えてはいられない。里の人間や妖怪兎の安否などには然(さ)して興味も無いが、また山の妖怪が竹林に来ないとも限らないのだから。
 それに、日が落ちる前に片を付けないと、今夜の仕事に差し障る。
 …ただ、一つ気掛かりなのは………。

「なら、私はフランドール達と行こう。椛は鈴仙を連れて行ってくれ」
「は?」
「…えぇ!?」

 この人間はまた、いきなり何を言い出すのか。…まさか、隙を見て美鈴さん達に危害を加えるつもりか?
 …いや、妹紅がそのつもりなら、わざわざ期を窺うまでもない。彼女にとっては、私など物の数にも入らないのだから。

「なんでこっち来るの!?」
「お前を野放しに出来ないからだ」
「ちょっと。フランドール様を目の敵にしないでよ」
「待ってよ、妹紅! 私にこの天狗と組めって言うの!?」
「文句でも?」
「……ありません…」

 少し凄まれただけで萎縮する様を見るに、鈴仙も妹紅のことが苦手らしい。
 …考えてみれば、妹紅は身を以てフランさんの力の強大さを知っているのだ。近くで監視しておきたいと思うのは、当然と言えば当然のことかも知れない。

「そちらがどうしても嫌なら考え直すが?」
「冗談じゃないわ。ねえ?」
「……椛?」

 黙って考え込む私の服の裾をフランさんが力弱く引っ張る。何を言いたいのかは、聞くまでもなく判っている。
 だが、私には一つ、大きな懸念が有った。
 先ほど、彼女は私の身に危険が迫ったことを切っ掛けに、その力を解放した。出会って僅か半日の付き合いしか無い、私などの為にだ。
 妹紅はそれを、彼女の優しさ故のことと評した。迫り来る仲間の危機に我慢が利かなくなったのだろうと。
 …では、もし、彼女が信頼を寄せる美鈴さんの身に何か有ったら?
 彼女は、いよいよ力を暴走させるかも知れない。もしそうなったら、私では絶対に制止することが出来ない。
 それに、私には美鈴さんを護り切るだけの力が無い。現に先ほども、鈴仙如きに手こずった挙げ句、あの為体(ていたらく)だった。
 私が護衛するより、妹紅に監視してもらう方が何倍も安全に違いない。
 …悔しいが、それが事実だ。

「…フランさん、美鈴さん。恐れ入りますが、ここは妹紅の提案を聞き入れて頂けませんか」
「…本気(マジ)で?」
「え…。…でも……」
「どうか、お願いします」
「……椛がそれでいいんなら…」

 こう言ってくれてはいるものの、実際のところ、フランさんが承諾した理由は鈴仙と同じだろう。
 断ったからと言って、取って喰われたりはしないだろうに。妹紅は、他を威圧することに長けているのかも知れない。
 私の申し出にこれ以上無く渋い顔をしていた美鈴さんも、結局、フランさんに従うということで了承してくれた。
 ……これで、また一層嫌われたのだろうな…。嗚呼…。

「お二人のこと、宜しく頼む」
「任せておけ。…さて。仲良くしようか、フランドール」
「……よろしく」
「フランドール様に何かしようとしたら、ぶっ飛ばすからね」
「肝に銘じておこう」

 かなり心配だが、私が行くよりは良いと自分に言い聞かせるしかない。
 それより、あちら以上に不安なのが此方だ。妹紅に美鈴さん達を護ってもらう為とは言え、よりにもよって、この高慢ちきで厚顔無恥な兎と組むことになろうとは。

「何ならあなたも、あっちに行ってくれて良いのよ」
「笑えない冗談だ。もし貴方が辻斬りを見付けたとしても、そのまま取り逃されては困る」
「…ナメてくれるじゃない。しょうがない。私の手並みをとくと見せてあげるわ」

 何より問題なのは、この女を縊(くび)り殺したいという衝動を抑えられるかどうかだ。どうにか、辻斬りを始末するまでは堪えたい。その後のこととなると保証しかねるが。
 話が決まれば即座に解散。…とはいかず、私達は改めて辻斬りを探す為の準備を始めた。



「ええ、と…。裏の周波数を両方とも同じものに合わせ…周波数?」
「山の妖怪のクセに、機械が苦手なの? 少しは上司の鴉を見習ったら?」
「私の隊は大天狗様の直轄だ」
「ああ、そう。ほら、取説(マニュアル)読むより、実際に触った方が解りやすいわ」
「私も私も! どーやるの?」
「はいはい。壊さないようにね。そこのボタンを押しながら…」

 二つ在る通信機をそれぞれ私とフランさんが携帯することになった。
 指摘された通り、私はこういった物が不得意なのだが、鈴仙には索敵に集中してもらう必要がある為、仕方が無い。

「その爆弾は処分しておけ。ここじゃ使い勝手が悪すぎる」
「えー」
「大事な貰い物なのは分かるけど、諦めろ。土産にも向いてないぞ、それは」
「うー…。…わかった」
「それなら試し撃ちの的にするから、ピンは抜かずに投げて。出来るだけ遠くにね」
「阿呆。こいつにそんなこと言ったら…」
「全力でいいの?」
「え」
「月まで届け、河童の発破!」
「待って! やっぱり二百メートルくらいにしておいて!」

 鉄砲は、唯一扱えると豪語する鈴仙に貸し与えられた。故障していると言っていたが、見えている物を撃つ分には問題無いらしい。
 その他の荷物は、あちらで索敵を担当する美鈴さんに代わり、妹紅が持って行ってくれるようだ。



「椛さん。ちょっといい?」

 粗方準備が整い、いざ分かれようというところで、美鈴さんが声を落として話し掛けてきた。
 一体、何の話だろうか。
 先ほどから、彼女は異様に口数が少なくなっているだけに、些かの不安が過(よぎ)る。妹紅と共に行動することを無理に承服させた勝手を叱られるか、それとも、その前の…。

「まず一つ」
「はい」
「班分けのことで、あんたが気に病む必要はないからね。何か考えがあるんだろうし、理由はどうあれ、最終的にはフランドール様が自分で決めたことなんだから」
「…私が憂いているように」
「見えるから言ってんでしょうが」

 汗顔の極み。図星を指されるとは正にこのことである。
 ううむ…。己の思考を気取られにくくする為には、どういった訓練をすれば良いのだろう。また今度、特段に分厚い面の皮を誇る鴉天狗にでも、恥を忍んで相談してみようか。

「で、本題だけど」
「何でしょう」
「あんた、あのウサギとケンカしたり」
「ご心配無く。この件の片が付くまでは何も」
「するなら全力でボコんのよ」
「……え?」

 これはまた予想外のことである。
 てっきり、余計な争いはするなと釘を刺されるのだと思っていたのだが…。

「何でか知らないけど、今日はやたらと突っかかってきやがってさ。特に、あんたに対する態度の悪さは半端じゃないわ。ちょっと大人しくしてやってりゃ、調子に乗って言いたい放題。無理に我慢することないから、遠慮なくぶちのめしなさい。ああ見えて丈夫な奴だし、首を飛ばしたぐらいで死にやしないよ。たぶん。ていうか死んだら死んだ時のことだわ。徹底的にやっておしまい」

 意外な発言に戸惑っているところへ更に畳み掛けられ、私は二の句を継ぐことが出来なかった。
 …つまり、彼女は私が鈴仙と口論をしたから怒っていたのではなく、鈴仙の不遜な振る舞いに、延(ひ)いては私が愚弄されたことに対して腹を立てていたということか? それだけではないにしても、少なくとも幾分かは私のことを気に掛けてくれていたということか。
 …ああ、駄目だ。内心で喜んでしまっている。美鈴さんが私の為に怒ってくれている事実を知り、あの兎の非礼などどうでも良くなりつつある浅ましい自分が居る。

「…なんで表情(かお)が緩んでんのよ。何か変なこと言った?」
「い、いえ、その…。…有り難う御座います」
「うん?」

 他に言うべきことは山ほど在った。先ほど私が刀を納めたのは堪忍ではなく臆病からであるとか、飽くまでも優先すべきは辻斬りの討伐であるとか、幾ら何でも首が飛んだら死ぬだろうとか…。
 しかし、どうにも思考を整えることが出来ず、取り急ぎ礼を述べることしか出来なかったのだ。
 脈絡も無く放たれた謝辞は、彼女を狐に摘ままれたような顔にさせてしまった。

「えと、なに? 何がありがとう?」
「ねー。二人で何話してるの? 面白い話?」
「おい、そろそろ発(た)ちたいんだが」
「あ、はい」
「…お二人とも、くれぐれもお気を付けて」
「椛もね」

 思わず礼を言ってしまった理由など、とても説明出来るものではない。そんなことをしたら、恥ずかしさで死んでしまう。
 美鈴さんはまだ不思議そうな顔をしていたが、フランさんに背中を押されて妹紅の下へと向かった。間も無く私も身を翻し、鈴仙に声を掛けて、再び竹林を歩き始めた。
 …よし。急ごう。夕刻までに始末を付けなければ、今晩の当直に間に合わない。





 竹林は相変わらずひっそりとしていた。
 幾ら歩けども、現れるのは兎を除く小さな獣や鳥ばかり。
 だが、辻斬りは未だ、この竹林の何処かに潜んでいるらしい。鋭利な刃物で斬られたと思われる、死後間もない狸の骸が見付かったのだ。
 骸に近寄ると、屍肉(しにく)を貪る鴉どもが勇敢にも私と鈴仙を威嚇してきたが、反対に少し嚇(おど)かしてやったら簡単に逃げて行った。

「さっきの鴉のせいで、身はボロボロ。だけど、骨までスッパリと斬られてるわ」
「そうか」

 鈴仙は近くに居るかも知れない辻斬りを見付け出そうと、周囲をぐるりと見回した。しかし、何も変わった物は見当たらないようだ。
 私も可能な限り千里眼を用いて、誰も居ない所で落ち葉が動いたりはしていないかと見張っているのだが、如何せん此処は見通しが悪い。
 聞けば、この竹林の異常は、鈴仙が辻斬りを外へ逃がさないために波長を弄ったことが原因らしい。つくづく、私とは相性が悪い妖怪だ。

『もしもーし! こちらフランドール隊。椛隊、どーぞー!』
「わ。…ええと、これ…だったか?」
「そう。それ押しながら話して」

 まったく、こういう機械仕掛けの代物は本当に苦手だ。
 先ほど鈴仙に詰(なじ)られたように、大天狗様からもよく勉強しろと言われているのだが、こればかりは何年経っても慣れることが出来ない。

「此方、椛。どうぞ」
『あのねー。近くに来たみたいなんだけど、逃がしちゃった!』
「…お怪我は?」
『ないない。でもアナグマが斬られて』
『そ…じゃわか…んだろ…』
「穴熊?」
『えっとね、ついさっき、大きなアナグマが通りかかったんだけど…』

 その穴熊が突然、周囲に何も無いのに血を噴いて倒れたと言う。
 慌てて近寄って体を確かめてみると、真新しい刀傷が在ったのだそうだ。
 当然、すぐに美鈴さんが辺りの気配を探ったのだが、何も発見出来なかった、とのこと。

「何やってんのよ、あの妖怪(ひと)」
『次、その辺にいそうだったら適当に焼きはらってみるねー』
「ちょっと! あまり竹林を荒らさないでよ!?」
『こ…なこと言…てるよ』
『ほっとけ。…きを仕留め…のがゆうせ…だ』
「妹紅! ホントにやったら慧音さんに言い付けるからね!」
『その前にお前が黒兎になる』

 妹紅も、根は過激派らしい。何の為にフランさんを見張っているのだか…。
 此方からも、先ほど見付けた狸の死骸のことを伝え、通信は終わった。

「…こうなったら、こっちで見付けるしかないわ。あの人達に任せてると竹林が無くなっちゃう」
「それなら、貴方の眼が頼りだ」
「すぐ探し出せる自信があるのなら、一旦波長を元に戻すけど?」
「…やめておこう。透明な相手を探すとなると、私の眼では時間が掛かる」
「使えないわね」
「面目無い」

 美鈴さんには、喧嘩をするなら…と言うより喧嘩をして倒せと言われたが、売られた言葉を逐一買ってやることは有るまい。
 何も怒るようなことでも無い。幾ら悪意が有ろうとも、間違ったことを言わない限りは勘弁してやろう。

「…悪かったわ」
「ん?」
「嫌味言って、ごめん」
「気にすることは無い。事実だ」
「…張り合い無いわね」
「何が」
「さっきから、急に機嫌良くなっちゃって」
「……ただ、己の行いを省みただけのこと」
「そんなに門番さんが味方に回ったのが嬉しかった?」
「んな!?」

 見掛けに違わず耳の良い兎だ。先刻の美鈴さんの話は、全て聞かれていたということか。
 いや、しかし、私が彼女の言動に一喜一憂していたことまで、此奴に判るわけが無い。
 落ち着け。下手に慌てては相手の思う壺だ。

「…別に。そんなことは」
「波長が見えると、恋煩いぐらいはすぐ判るのよねー」
「コ、こいわ…!?」

 そうか。そういうことだったのか。
 この兎、やはり今の内に口を封じておこうか。先の戦いでは甚だ劣勢であったと言わざるを得ないが、既にその能力の大凡(おおよそ)は分かった。同じ轍は踏まぬ。
 ………。
 …いや、待て。
 その前に一つ、気に掛かることが出来た。
 この疑問が私の杞憂であるならば、何も問題は無い。だが、もしも、それが真実であったなら、その時は……。

「鈴仙」
「何? 無駄な言い訳なら結構よ」
「貴方の能力を使えば、相手の抱いている感情など、容易く窺い知ることが出来そうだな」
「その気になれば、もっと詳しく判るわ。だから、私に隠し事しようとしても無意味」
「ならば、私達が辻斬りとは違うことぐらい、すぐに判ったのではないか?」

 その質問を投げ掛けた途端、前を歩く鈴仙の歩幅が小さくなり始め、やがてその足は動くのを止めた。

「……さあね」
「…何故、私達を襲った」

 歩みを止めた鈴仙は此方を振り向こうともせず、前方を見据えたまま、口を噤(つぐ)んで何も答えようとしない。
 …残念ながら、私の想像は正しかったらしい。碌に言い訳も考えていないとは、呆れたことだ。
 私は刀を抜き放ち、鈴仙の背に刃を向けた。

「理由によっては、この場は見逃すことも有るかも知れない。…だが、あくまで口を割らないと言うのなら、今すぐにその首を取る」

 悪意は無かったと思っていた。信じていた。単なる勘違い、早合点だったのだと。
 …しかし、そうではなかった。
 この女は、私達に咎の無いことを知っていながら、素知らぬ顔をして美鈴さん達を危険に晒したのだ。せめて、その理由を聞けなければ、私はこの怒りを抑えることが出来ない。

「答えろ!」

 鈴仙は相変わらず前を向いて立ち尽くし、僅かたりとも動こうとしない。
 しばしの沈黙の後、その口から小さな溜め息の洩れる音が聴こえてきた。

「……一度、見ておきたかったの。フランドール・スカーレットの実力を」
「何の為に」
「決まってるでしょ。敵に回った時のためよ。永遠亭(わたしたち)は何かと、紅魔館(あのひとたち)と因縁があってね」
「貴様は…仲間を襲った下手人を探している時に、そんな真似を」
「てゐは死んだわけじゃないわ。他の兎達もちゃんと避難してるし。だから、そんなことより、滅多に出て来ない吸血鬼の力を推し量ってみたかったのよ」

 呆れるほど冷酷な女だ。
 テイという名の妖怪兎について、鈴仙は部下だと言っていたが、妹紅には相方と表現されていた。少なくとも、そう目される程度には親しい間柄の存在なのだろう。
 その相方が被害に遭ったというのに、そんなこと呼ばわりか。

「それで、妹紅を当て馬に使ったのか」
「ええ。ほんの少しだけ波長を弄ったら、簡単に動いてくれたわ。あの人、里の子が斬られたことで相当苛立ってたから」
「…人の感情を利用して、か」
「妖怪らしいでしょ?」

 いけしゃあしゃあと…。
 確かに、人心を弄ぶのは我等妖怪の得意とするところだ。本分であると言っても過言ではあるまい。それは否定しない。
 だが、仮にも同じ目的の為に共闘している相手にするようなことではない。それが妖怪であろうと人間であろうと、己の非礼を戒め、庇ってくれる者を騙して利用するなど悪徳の極みだ。
 たとえ他の誰が赦そうとも、斯様な不義を容認することは、私には出来ない。

「何故、そこまでして…。貴様と吸血鬼の因縁など知りはしないが、それほどまでに深い遺恨が有るのか?」
「……別に」
「何?」
「恨みってほどのことはないわ。スペルカード勝負では散々やられたし、あの館で怖い思いをしたこともあるけど、それはそれよ」
「…なら、何故だ」
「……私はただ、あのひとの障害になり得るものの情報を得たかっただけ。…少しでも、役に立ちたかっただけ」
「ふざけるな!」

 それが誰の為であろうと、私の知ったことか。
 役に立ちたかったなどと、虫の好い言い方をするな。ただ、功を焦って身勝手な行いをしただけではないか。
 その所業の為に、彼女がどれほどの苦痛を味わったと思っている! あの時、彼女がどれほど辛そうな顔をしていたと思っている!

「そんなことの為に、美鈴さんは…!」
「わかってる!」

 突然、鈴仙が上げた絶叫とも言うべき大声に、私は言葉を失った。

「あの時、あなた達が酷いショックを受けたことくらい、わかってる…! あなた達にとって、あれがどんなに辛いことだったのかも…」

 解っている、だと? この女に何が解る。
 ……いや、この女だからこそ、視えるものが有ったのか…?

「…止めるつもりだったのよ。負けるのが妹紅でもフランドールでも、危なくなったら止めに入るつもりだった。それで穏便に済ませられると思ってたのよ」
「何を根拠に」
「言ったでしょ。その気になれば、もっと詳しく判るって。遠目に視たフランドールの波長は、レミリアよりずっと温厚に見えた。…それが、あんなに逆上するなんて…思わなかった…」

 …それはおそらく、妹紅という不可解な存在に対する恐怖と、何より私の貧弱さが原因だろう。
 今まで、フランさんと親しかった者が彼女の眼前で危機に瀕することなど、全く無かったはずだ。その理由は大きく二つ。
 一つは、レミリアが彼女を幽閉し、その世界を狭めていたこと。そして、もう一つは、数少ない縁者である紅魔館の住人が皆、一様に手練れ揃いであること。近年になって交流が出来たという人間達でさえ、私に比べれば遥かに頑強なのだ。
 …私に、妹紅と互角に戦えるほどの実力さえ有れば、彼女が無理に力を使うことは無かった。

「あの能力(ちから)を見た瞬間、私はすぐに身を隠したわ。死にたくはなかったから。止めに入るつもりなんて、どこかに吹っ飛んだ。…おかげで妹紅は何十回も殺されて、あなたと…美鈴は悲痛な思いをすることになった。フランドールも…余計なトラウマを負ったわね」

 鈴仙の声と体が僅かに震えてきている。
 寒さに耐えているのではない。…では、恐れだろうか。先ほど目の当たりにした強大な力を思い出し、恐怖にうち震えているのか…?
 ……それとも…。

「…妹紅は確かに不死身だけど、人並みに…ううん、それ以上に、痛みを感じるのよ。心臓を潰されて…体もバラバラにされて…それでも、死ねない。痛いなんてものじゃないでしょ…。それが、あれだけ酷い目に遭って、悪いのは自分だなんて言うんだから、バカな人だと思わない? けしかけられたとも知らないで…。……どうして…私を庇うのよ。私は…妹紅を見捨てて…隠れたってのに…」
「……鈴仙」
「あなたもそう。…まるで自分の弱さのせいみたいに思ってるんでしょ? 美鈴も…きっと、似たようなこと考えてる…。自分が至らなかったのが悪いんだ、って…。…ホント…バカげてる。何も責任感じることなんて…無いのに…。悪いのは…全部……」

 ぽたり、ぽたりと雫が地面に落ちていく。
 …それは一体、誰が為に流される涙か。
 私達の心の痛みを、妹紅の体の痛みをその眼で視て、鈴仙は何を思い、何を感じていたのか。

「……ごめん…なさい…」

 今日の行動は鈴仙らしからぬものだと妹紅は言った。
 何のことは無い。ただ単に、後ろ暗さから虚勢を張っていただけのこと。少し小石を投げてみるだけのつもりが予想外に酷い事態を引き起こしてしまい、怖じ気付いたのだろう。
 …馬鹿馬鹿しい。そんな子供染みた意地の為に、私は二度も刀を抜かされてしまったのか。

「…あなたが私を恨むのは当然。だけど、それでも私は死にたくないから、ここで私を殺すつもりなら抵抗させてもらうわ」

 つくづく、慣れない者が外道を演じようとするものではない。本当に死にたくないだけの卑俗な手合いならば、こんな断りは絶対に入れない。迷わず私の口を封じに掛かる場面だ。
 せめて、その手に持った鉄砲を構える振りでもしてくれれば、その腕を斬り飛ばしてやる気にもなれたものを…。
 私はわざと大きな音が鳴るようにして、刀を鞘へと納めた。

「貴方が謝罪すべき相手は、他にも居るだろう」
「…そうね」
「頭は自分で下げてもらう。それまでに、彼女達に赦しを乞う文言でも考えておくが良い」
「……うん…」

 まだ声がぐずっている。
 …まったく。張り合いが無いのはどちらだ。良心の呵責に苦しんでいる相手に刃を向けても、詰まらないだけではないか。
 拍子抜けだ。面白くも無い。
 まだ本題である辻斬りの捜索及び討伐が全く進んでいないが、この兎が思いの外小さい存在だったので、幾らか興が削がれてしまった。あるいは此奴こそが辻斬りの件の黒幕で、妹紅を騙して私達に罪を着せようとした、という可能性まで考えていたのに。

「それで、あなたがあの門番に惚れてるって話だけど」
「急にそこを蒸し返すな! もうしばらく静かに泣いていられないのか!」
「誰が泣いてたのよ」
「子供か。…目が赤いな」
「兎の目が赤いのは当たり前でしょ。バカ?」
「日本白色種には見えないが?」
「何かっていうとキャンキャン鳴いてる連中と一緒にしないでちょうだい」

 前言撤回。
 この女は刃を向けるに値する。
 ひょっとして、嘘泣きか。下手に目を合わせると狂わされる虞(おそれ)が有った為、千里眼での確認は出来ていない。
 後悔に涙を流していたにしては、余りにも切り替えが早過ぎる。もしや、本当に演技だったのではないか。
 …やはり、今の内に斬り捨てておくか?

「話を戻すけど」
「戻すな!」
「この際、あなたの性的指向はどうでも良いわ。あのガサツのどこに惚れる要素があったのよ?」
「がさ…つ…!? あ…いや、だから私は別に…その…。そういうつもり…では…」

 確かに、彼女に対して好意を抱いてはいるが、それが所謂恋慕う気持ちであるのかどうか、私には判らない。
 強い妖怪に憧れるとか、そういう気持ちとは明らかに違うのだが…。しかし……。

「あれなら、どっかの新聞記者の方が良い女じゃない?」
「何?」
「ブンブン何とかの天狗(ひと)とか、兎(うち)の男衆にもまあまあ人気あるわよ」
「馬鹿を言うな。あんな皮肉が染み着いた品の無い文屋とは比べ物にもならない。綺麗な肌にしなやかな躯。鳳仙花のように美しい艶やかな髪。春陽の如く明るく、思いやりがあって気も強い。忠義と情にも厚く、打算的で狡猾なだけが取り柄の鴉天狗とは天と地ほどの差がある。また、本人は謙遜しているが、妖怪として恥じることの無い強さも兼ね備えている。この謙遜するという控え目な点も彼女の」
「ストップ。もういい」

 …しまった。
 この愚か者が美鈴さんをがさつなどと愚弄した挙げ句、あろうことか性悪鴉天狗を引き合いに出すものだから、つい舌が回ってしまった。
 何を熱弁しているのだ、私は。

「会って半日だっけ? よくもまあ、そこまで惚れ込めるものね」
「うう五月蝿い!」
「そうねぇ。ことによっては後押ししてあげても良いけど?」
「断る。碌な要求をされないことは目に見えている」
「ふんふん。代価がマトモだったら手伝ってほしいってわけ」
「な、なにを!?」
「あっちは当たり前のお友達感覚みたいだったわねー。まあ、出会ったばかりにしては、わりと信頼されてるようだけど」
「訊いていない」
「…これぐらいで喜んでるようじゃ、この先、発展しないわよ?」
「一々私の波長を視るな!」
「そんなもの視なくても、顔に出すぎなのよ。あなたの場合」
「何でも良いから、放っておいてくれ!」

 思わず喚いた、正にその時。右方から何者かの足音が聴こえてきた。鈴仙も気が付いたらしく、二人で同時に其方を振り向く。
 其処に居たのは、見覚えの有る大小二匹の鼬であった。

「何だ。先刻の鼬か」
「さっきも見たの?」
「ああ。ひょっとして、貴方のせいで迷子になっているのではないか?」
「う…。そうかも…」

 先に見掛けた時は親子かと思っていたが、改めて見ると、小柄な方が妙におどおどしている。どうやら、親分と子分の関係であるらしい。
 試しに少しだけ歩み寄ってみると、鼬の方もそろそろと此方へ近付いて来た。
 ふむ。存外に人懐こい鼬だ。大抵の小動物は私を見るとすぐに逃げ出すのだが。

「あ。咬まれるわよ」
「え」

 予期せぬ警告に思わず体が固まる。
 と、そこへ、急に正面から強い風が吹いてきた。

「わ」
「ひゃっ」

 舞い上げられた砂がぱたぱたと体にぶつかり、流れる空気が脇腹をくすぐる。
 風が止み、砂が入らないように目を庇っていた手をどけると、二匹の鼬は既に遥か後方まで行ってしまっていた。
 今の風のおかげかどうかは判らないが、咬み付かれずに済んだようだ。

「あれ、鼬は?」
「あそこだ」
「速ッ」
「風で飛んだのだろう」
「まさか」

 …などと、笑い話をしている場合ではない。鈴仙を問い詰め出した辺りから、全く動いていないではないか。早急に探索を再開しなければ。
 私は彼女に改めて周囲の波長を見るよう促し、再び竹林を歩き始めた。





「そう言えば、鼬で思い出したんだけど」
「何を」
「妹紅が永遠亭(うち)に人間の子を連れて来た時、てゐに聞いてたのよ。『三匹の鼬を見なかったか』って。すごい剣幕で」
「三匹の? ……ああ」

 おそらく、にとりの家で河童達が話していた連中のことだろう。
 今にして思えば、其奴等に焼きを入れた「姐さん」とは、妹紅を指していたのだな。

「もう一匹見かけたら何かあるのかしら」
「そうではない。鼬三匹で一組の妖怪が居るのだ」
「ふうん」
「一匹目が風を起こし、二匹目が切り裂き、三匹目が薬を塗る」
「薬?」
「鎌鼬(かまいたち)という、それなりに名の知れた妖怪だ」
「…どっかで聞いたことあるような」
「私も実物は久しく見ていない。それを模した妖術を使う知り合いなら居るが」
「あ、それだわ。あの鴉天狗のスペルカード」
「知っていたか。あれに比べれば、本物の鎌鼬など可愛いも…の……」
「どうかした?」
「…いや、何でもない。ただの鴉だ」

 前方から、見覚えのある数羽の鴉が此方へ向かって飛んで来ている。彼我の距離は間も無く詰められ、鴉達はわざわざ私達の頭上を通って後方へと抜けた。それから奴等は十間ばかり離れた所に降り立ち、遠巻きに此方の様子を窺い始めた。
 先ほど嚇かした仕返しのつもりか、喧嘩でも売りに来たのだろうか。

「気味が悪いわね」
「害意は?」
「あるけど消極的、って感じ。あなた、餌でも持ってるんじゃない? 骨とか犬缶とか」
「…貴様。一度、皮を剥いでやろうか」
「そしたら予言者になれるかもね」

 口の減らない兎だ。
 それはさて置き、鴉の集団に見張られているというのは気分が良くない。また追い払うとするか。
 そう思い、鴉の方へと足を踏み出そうとしたところで、鈴仙が私の方を向いたまま固まっていることに気が付いた。彼女は難しそうな顔をして、目玉だけを上へ下へと忙しく動かし、じろじろと私のことを観察している。

「…何か付いているか?」
「大丈夫?」

 訊いているのは此方だ。
 だが、まあ、大丈夫かと問われれば、多少疲れているかも知れない。昨晩から余り心の休まる暇が無かったし。それと、右の脇腹の辺りに心成しか違和感が…。…違和感?
 ……痛み?

「椛!」

 鈴仙が私の名を呼ぶのとほぼ同時に、ごとり、と何かが地面に落ちた。続いて、視界の右下で赤い飛沫が舞う。
 …やられたか。
 血が噴き出すのに併せて脇腹に鋭い痛みが襲い掛かり、私はまた地面に片膝を突いてしまった。

「ど、どこ!? いつ近付いてきたのよ!?」

 狼狽えながらも、敵を探す為に周囲を見回す鈴仙。だが、その成果は得られないらしい。一方では鴉どもが嬉しそうに瞳を輝かせ、カッカッカッと不愉快な鳴き声を上げている。
 …狙いに来た餌は私というわけか。癪に触る鴉だ。天狗など喰ったら腹を壊すぞ。
 先ほど地面に落ちた物は、真っ二つになった通信機の片割れであった。腕や腸(はらわた)でなくて良かった。
 だが、どうやって?
 姿、音、臭い、気配…そして、波長。それら全てを感じさせず、私に一太刀浴びせて逃げただと…? あれだけ周囲を警戒していたはずなのに…?
 幾ら何でも、そんなことが有り得るだろうか。他に、可能性は…?

――大丈夫?

 先ほど、鈴仙は私が気付くよりも早く、私の体の異常を察知した。あるいは、その時点で既に斬られていたということか…?
 …では、何時やられた?

――あ。咬まれるわよ。
――え。

 …あの時、鈴仙が察知したのは「咬み付く」という行為そのものではなく、私に対する害意であったと考えるのが妥当だ。
 そして、奴等が突風に紛れて私の横を通り抜けて行った時、私は不覚にも目を瞑っていた。もし、あれが、ただの鼬の振りをした鎌鼬であったなら…。
 いや、しかし、それにしては余りにも傷が開くのが遅いではないか。あれから何百歩進んだと……。

――鼻唄三丁矢筈斬りってかい。

 そんなはずは無い。悪い冗談だ。
 たかが鼬如きに、そんな芸当が出来るものか。それに、一匹だけならまだしも、二匹連れの鎌鼬など聞いたことも無い。
 大体、あれに斬られた時には血が出ないし痛みも無いというのが常識で……。

――幻想郷の妖怪は、非常識なのが常識だって言ってたわ。

 ……ああ、そうだった。その通りだ。
 まったく寝惚けている。何年、この幻想郷に住んでいるのだ。過去に例の無い強力な妖怪が現れたところで、何ら不思議でも珍しくもないではないか。
 考えてみれば、好き好んで白狼天狗に近付いて来る鼬など、甚だ不自然な存在だったのだ。勘の悪い人間の幼児ではあるまいし、そんな鼬が居てたまるか。
 それを呑気に「人懐こい鼬だ」などと…間抜けにもほどが有る。いい加減、自分自身に嫌気が差してきたな…。
 だが、とにかく、敵の正体は判った。ならば、私のすべきことは……。

「…逃げられた」
「鈴仙。竹林の波長を元に戻せ」
「それより、その血をなんとかしないと」
「早く」
「何で!?」
「急げ!」
「…ああ、もう! わかったわよ!」

 見る見るうちに視界が開けていく。これで、ようやく本領を発揮出来る。
 …あの戯けども、ふざけた真似をしてくれた。首を落とさなかったのは失策だ。これぐらいで私を仕留められると思うな。
 今に見ていろ。絶対に逃さぬ。
 西へ東へ南へ北へ。私の眼が竹林を縦横無尽に駆け巡る。
 ………居た。間違い無い。あの鼬だ。 
 先ほど去った方角とは違う方へ向かって走っているようだ。その行く先には……。

「あ…」
「な、なに? どうしたのよ」

 不味い。これは非常に不味い。
 二匹の鼬は、一直線に美鈴さん達の居る方を目指している。
 …通信機は奴等に壊されてしまった。…なら、直接向かうしかない!

「あ、ちょっと、動いたら傷が…!」
「構わない! 来い!」

 傷の開くことなど知ったことか。急げ。奴等が美鈴さん達と接触する前に辿り着かねば。
 だが遠い。間に合うか?
 …いや、間に合わせる!
 私は傷の痛みも忘れて一目散に走った。後を追ってくる鈴仙が何事か喚いているが、聞く耳など持ちはしない。

「待ちなさいったら! 血がぼたぼた落ちてるじゃないの! …何なのよ一体!」

 彼女達が鎌鼬の正体に気付いて先手を取れるのならば、それはそれで構わない。しかし、もし私と同じように奴等の接近を許してしまったら…。
 万が一にも、彼女に手を出させてなるものか!
 …もう少しだ。もう少しで、声が届く距離まで近付ける。既に肉眼でも辛うじて見える所まで来ている。
 しかし、そう都合良くは事が運んでくれないらしい。美鈴さんが奴等を見付けてしまった。微かに違和感を覚えたのか、些か訝しげな表情を浮かべてはいるものの、後ろを歩くフランさん達に警戒を促す様子は無い。
 フランさんと妹紅は二人で通信機を見ながら何事か話しているらしく、まだ鼬に気が付いていないようだ。
 …嫌な予感がする。思っていたより、鎌鼬の足が速い。このままでは間に合わない…!

「あれは…妹紅?」
「鈴仙! 鼬を撃て!」
「え、なに? 何を撃てって!?」
「鼬だ!」

 指示が伝わったかどうかを確認する暇は無い。
 二匹の鼬と美鈴さんの距離は急速に縮まっており、もうじきに奴の間合いに入ってしまう。

「近寄るな!」

 思わず叫んだ。
 その声が届いたらしく、三人が同時に此方へと顔を向ける。美鈴さんは直ちに鼬の方へと向き直り、今度は警戒心を顕にして構えた。
 よし。これで不意討ちを喰らう心配は無くなった。
 …そう安堵したのも、束の間のこと。
 先ほど私と鈴仙を煽った風とは比べ物にならない、爆発的な突風が彼女達に襲い掛かった。

「わっ!?」
「きゃっ」
「何だ!?」

 突風はフランさんと妹紅の体を空中へと吹き飛ばし、更に美鈴さんの体勢を崩して強引に構えを解かせてしまった。
 フランさん達のことは心配要らない。鎌鼬の姿を認識していない分、何が起こったかを把握する為には幾らか時間を要するだろうが、あれぐらいで参るような二人ではない。
 問題は、敵の目の前で風に煽られている美鈴さんの方だ。奴等もこの隙をみすみす見逃しはしないだろう。
 …と思いきや、小柄な方の鼬は何時の間にか踵を返しており、疾風の如き速さで逃げ去ろうとしている。美鈴さんに気付かれたことで、恐れをなしたのだろうか。
 他方、大きい方の鼬は逃げるつもりが無いらしい。奴は未だ吹き荒れる烈風を物ともせずに悠々と後ろ足で立ち上がると、何処からともなく刃渡り二尺ばかりのギラリと光る鎌を取り出した。
 …最悪だ。よりによって、鎌を振るう方の鼬が残っているとは。
 鼬の体が美鈴さんの体に向かって跳ね、前足に持たれた鎌が大きく振り被られた。

「やめろ!」

 次の瞬間、奴の手に持たれた鎌が甲高い衝突音を上げて弾き飛ばされた。ほんの少し遅れて、私の後方で銃声が鳴り響く。
 鈴仙か。これは驚いた。まさか、あの突風の真っ只中に居る鼬の鎌を正確に撃ち抜くとは。…おかげで、何とか助かった。危ないところであった。
 …しかし、まだ終わってはいなかった。
 得物を失い、もう一匹と同じように逃げ出すかと思われた鼬が、何と、怨めしそうな咆哮を上げながらむくむくと巨大化し始めたのだ。
 一体、何だと言うのか。単なる平凡な鎌鼬でないことは判っていたが、ここまで怪異を極めた存在だなどと予想出来るわけが無い。
 鼬は瞬く間に羆(ひぐま)ほどの大きさまで膨らんだ。その体毛はどす黒く染まり、勢いが弱まってきた風を受けて闇色の炎のようにぐらぐらと揺れている。
 異形の大鼬はおよそ正気とは思えぬ血走った瞳で美鈴さんを睨み付け、今度は死神の物かと見間違うほど大きく禍々しい鎌を取り出した。

「はぁ!? 何!?」

 目まぐるしく変化する状況と謎の怪物の出現に動揺したのか、やっと体勢を整え直そうとしていた美鈴さんの体が再び強張る。その隙を狙い、大鼬が鎌を振り上げた。
 そうはさせぬ! 今度こそ間に合った!
 私は間一髪、鼬と彼女の間に割って入り、振り下ろされた刃を刀で受け止めた。
 …つもりだったのだが……。

「ぐっ……!?」

 鼬の力は思いの外強く、私の刀は鎌の軌道を逸らしこそしたものの、そのまま弾き飛ばされてしまった。
 刀身ごと両断されなかっただけでも幸いだが、たったの一度しか防ぐことが出来ないとは、口惜しいことだ。
 鼬はまたも気味の悪い咆哮を上げ、私を睨みつつ大鎌の刃をくるりと返した。
 …今度は受けられない。首が飛ぶか、胴が二つに分かたれるか。
 しかし、その覚悟は杞憂に終わった。鎌鼬の刃が私の体に届くよりも早く、私の脇を擦り抜けた美鈴さんの脚が、矢の如き速さで鼬の腹へと撃ち込まれたのだ。

「調子に乗ってんじゃないよ!」

 鼬は呻き声を上げながら飛んで行き、六間ばかり向こうの地面へと仰向けに倒れ込んだ。
 立ち上がろうとする怪物の胴体に、今度は空から流星の如く落ちてきた紅い剣が突き刺さり、その体を地面へと打ち付ける。更に間髪を入れず、燃え盛る巨大な火炎もその身に落とされ、異形の大鼬は瞬く間に紅蓮の炎に包まれた。

「もう終わり?」
「どけ、フランドール!」
「きゃっ」

 頭上でフランさん達の声がしたかと思うと、悲鳴を上げながら燃える鼬の前に妹紅が降りて来た。
 直後、鼬の肉体が砂のように崩れ、炎の熱気で舞い上げられた灰塵の中から何者かが姿を現した。黒い霞のような雲のような姿をしたそれは、何やら気味の悪い叫び声を上げながらぐるぐると宙を飛び回っている。
 これこそ、鎌鼬を異形の怪物へと変貌させた張本人に違いない。そして、その正体は…。

「なに? あのもよもよしてるの?」
「げ。あれって…」
「怨霊だ! 気を付けろ、妹紅!」
「分かってる。今、追い払ってやる」

 妹紅は落ち着き払った様子で両手を組み合わせ、印を結びつつ「臨(りん)兵(ぴょう)闘(とう)…」と呪文を唱え始めた。
 これに慌てたのか、怨霊は隙間風のような泣き声を洩らしながら逃げて行ってしまった。

「こら、待ちなさい!」
「お前が待て」
「にゃっ!?」

 すかさず怨霊を追い掛けようとしたフランさんの襟首を妹紅が掴み、彼女の追跡を止めた。
 フランさんは体をじたばたと動かしてその手から逃れようとするが、妹紅は離さない。

「深追いするんじゃない」
「もう! 『どけ』とか『待て』とか、何様なのよ!」
「藤原様だ。怨霊を甘く見るな。あれを祓うには、それなりの準備が要るんだ」
「そーなの?」
「巫女なら即興で出来るんだろうが」
「さっきの呪文でいいじゃない」
「あれは、はったり」
「うわ、ガッカリ」
「…何か言ったか?」

 いやに凄味を利かせた声で脅され、フランさんは項(うなじ)を摘まんで持ち上げられた猫のように大人しくなってしまった。
 と、妹紅は彼女の首筋から手を離し、その掌を彼女の頭の上に置いた。

「今回はちゃんと力を抑えたな。安心したよ」
「…子ども扱いしないでよね」
「ガキだ、お前は」
「うー…」

 普段から、敢えて外見相応の子供染みた振る舞いをしているフランさんだが、本当に子供扱いされるのは癪らしい。
 …もっとも、聞いた話では妹紅は千年以上生きているそうだから、彼女に言わせれば、古参の妖怪以外は殆どが童(わっぱ)なのだろう。

「椛さん! それ!」
「え? …あ」

 すっかり忘れていた。私はあの鼬に斬られていたのだった。
 美鈴さんに指摘された途端、思い出したように傷口が痛み出し、私は三度膝を突いた。

「お、おい。大丈夫か」
「椛!」

 周囲に背筋の凍るような冷たい空気が溢れ出す。つい最近、感じた覚えのある冷気だ。
 …これはしまった。傷をそのままにして急いでやって来たものだから、みすみすフランさんの動揺を誘ってしまった。
 何とか、心を落ち着かせてもらわなければ。

「心配要りません」
「でも、血がいっぱい出てるわ!」
「大丈夫です。天狗はそれほど柔(やわ)ではありませんよ」

 とは言ったものの、脇腹の痛みは全く消えてくれない。ほんの少し前までは、すっかり忘れていた程度のものなのに。
 この痛みのせいで、思った通りの表情を作れている自信が全く無い。
 そこへ、美鈴さんが私の目の前にしゃがみ込み、器用にも小声で怒鳴り付けてきた。

「強がり言ってんのが見え見えなのよ!」

 ああ、やっぱり。

「気を遣ってくれんのは嬉しいけど、限度ってもんがあるでしょうが!」
「それより、美鈴さん。お怪我は」
「私は大丈夫だっての! 他人(ひと)の心配より…!」
「…良かった」

 思わず、心の底から安堵の溜め息が洩れる。
 ホッとしている場合ではないと分かってはいるのだが、この安心ばかりは自制する気にもならない。
 私は、その為に走ったのだから。彼女が傷を負わぬように、彼女が無事でいられるように。

「……うん。大したことなさそうね」
「……そうだな。問題無いな」

 フランさんと妹紅は揃って此方から目を逸らし、フッと息を吐き出した。それから間も無く、辺りの瘴気もぴたりと止んだ。
 二人とも、何処か嘲笑するような雰囲気であるのが気に掛かるが、ともかく、フランさんも落ち着いてくれたようで助かった。
 一方、美鈴さんは呆れたような怒ったような表情で、私のことを睨んでいる。少しばかり顔が赤らんでいるところを見るに、少々頭に血が上ってきているようだ。

「…だから、他人(ひと)の心配してる場合じゃないでしょ、バカ!」
「ああ、もう。だから言ったのに」

 ようやく、鈴仙も追い付いて来たか。
 丁度良かった。彼女にはやってもらいたいことが有る。

「鈴仙。椛の手当てをして永遠亭に運べ」
「了解」
「フランドールと…ええと、お前もそっちに付き添え。もし怨霊が襲って来たら、何とかして逃げろ。最悪、永遠亭に居る奴に憑かせても良い。兎でも小僧でもない奴なら、どっちでも構わん」
「わかった」
「わかった、じゃない!」
「あなたはどーするの?」
「私は博麗に応援を頼みに行く」
「その必要は無い」

 あれだけ虚仮にされて、このまま引き下がってなるものか。
 私は腰に提げた刀の鞘を外し、ある方角を指し示すようにして地面に置いた。
 その先で起こった出来事を、私の眼はずっと視ていたのだ。

「先に逃げた鼬が、あの怨霊に取り憑かれたようだ」
「げ」
「あらら…」
「…もう一匹はどうなった?」
「あいつらは二匹連れだったわ。逃げたのは一匹だけ」
「…そうか」
「知り合いだったの?」
「知り合いと言うほどのものでもない。ただ、前に里でアホやってたのをシメただけだ。まさか怨霊憑きになってるとは思わなかった」

 なるほど。ようやく理解することが出来た。
 あの鎌鼬は、河童達が噂をしていた、人里で悪事を働いたという三匹連れの小動物そのものだったのだ。詳しい経緯は不明だが、三匹の内、鎌使いの鼬が怨霊に取り憑かれてしまい、その成れの果てがあの異形だったというわけか。
 姿の見えない三匹目…薬師の鼬は既に喰われたか、あるいは前以て上手く逃げたか。
 いずれにせよ、新たに憑かれた風使いの鼬はもう助からない。少々気の毒だが、せめて一思いに浄化してやるのが良いだろう。

「鈴仙。まだ弾は残っているな」
「へ? あるにはあるけど…」
「その弾なら、取り憑いた怨霊ごと撃ち抜ける」
「……いや、だから、それどころじゃないでしょうが!」
「お前な。いくら妖怪でも、死ぬ時は死ぬぞ?」
「そうよ。早く止血を」
「標的は其処に置いた鞘の指す方向、先端から千八百八十四点一七米(メートル)の地点で止まっている。頭の高さは十七糎(センチメートル)。それと、今は無風だ。正確に撃てば障害物にも当たらないはずだから、動く前に早く撃て」

 …四人とも、呆れて物も言えないといった面持ちだ。
 私とて、何も自分の命を粗末にしたいとは思っていない。…だが、それでもここは譲れない。
 友人を襲い、この私を出し抜き、あまつさえ美鈴さんに危害を加えようとした、あの愚か者を始末しておかなければ腹の虫が収まらないのだ。

「…本っ気で呆れたわ」
「椛。ホントに死にそうになったら、残った血を吸ったげるからね」
「やめんか、阿呆。洒落にならん」
「…あなた、無理難題を言ってる自覚ある? そりゃ、さっきは運良く当たったけど、さすがに二キロも向こうの」
「出来ないのか?」
「む…。……門番さん、代わりに止血お願い」
「はいよ。…いつまで座ってんの!」
「え……が…ハッ…!?」

 美鈴さんは鈴仙から投げ渡された湿布と包帯を受け取るやいなや、私の上半身を手で押さえ、そのまま力一杯に地面へと叩き付けた。
 後頭部が地面に衝突し、目の前で火花が弾け飛ぶ。

「美鈴ってば大胆ッ」
「…鈴仙。早くしないと、椛が出血で死ぬ前に殺されるかも知れん」
「急いでほしいなら話しかけないで! レンズが割れてるってのに無茶苦茶言ってくれるわ…。一八八四ポイント一七……」

 続いて、美鈴さんは私の着ている服を豪快に引きちぎり始めた。
 嗚呼…。斬られた部分を縫い直して漂白すれば、まだ予備として置いておけると思っていたのに…。
 …などと文句を言うような気力は、もはや残っていない。とりあえず、晒しまで破かれなくて良かった。
 それにしても、自分で思っていたよりも重傷だったのだろうか。地面に寝かされてから、目の前の視界さえぼんやりとしてきている。

「……っと! し…かりし…よ!」

 とうとう耳まで聴こえにくくなってきた。これはひょっとすると、冗談抜きで死ぬかも知れない。
 だが、悔いは無い。私は己の為したいように為したまでのこと。
 ああ、しかし、此処で死んだら今日の当番を無断欠勤してしまうな。誰か代わりに入ってくれるだろうか…。
 ……こんな時に何を考えているのだろう。どうやら本格的に意識が薄れてきているようだ。
 消え行く意識の中で私が最後に聴いた音は、一発の銃声であった。










    第三局  メイリンズナイト



――えーと…。それって、つまり脳震盪(のうしんとう)ですよね。
――ええ。それと過労ね。疲れが溜まってたんでしょう。

 誰かの話し声が聞こえる…。誰だろう…。片方は知っているような…。
 …駄目だ。眠い…。
 ……………。



――貴方がちゃんと、イナバに鎌鼬のことを話していればねぇ。
――やかましい。それより、あの坊主の容態はどうなんだ。
――もう食事も出来るようになってたよ。流石はお師匠さま、ってところさね。
――…で、何でお前はもう完治してるんだ。
――あら心外。これでも重傷うさ。
――嘘吐け。あと、その語尾やめろ。

 また聞き覚えのある声と、知らない声…。
 此処は何処だ…。
 夢を見ているのか…?
 …………。



――慧音さんが霊夢さんに相談しにいらしたんです。
――もうカタが付いてるなんてな。つまらないぜ。
――よかったじゃないですか。早く慧音さんにも教えてあげないと。
――だから、ほっとけばいいって言ったのに。
――お前は一度、早苗の爪の垢を煎じて飲ませてもらえよ。巫女としてって言うか、人として。
――何でよ。

 …早苗さんに、博麗…。それと…。
 霧雨魔理沙…。今度は必ず、私の手で返り討ちにしてやる…。
 ………。



――おー。本当にぶっ倒れてるわ。
――うどんちゃんの言ってた通りね。
――ちょっと来るのが遅かったか。
――あんたが迎え酒呑むとか言うから。
――自分も呑んだくせに。
――あはは。まあね。
――へー。そうなんですかー。お客様をほったらかして、お二人で楽しくお酒を…。
――さな…え…!?
――何でここに…!?

 洩矢様と八坂様…?
 守矢二柱まで出てくるなんて、騒がしい夢だな…。
 ……。



――何よ、鈴仙さん。改まって。
――面白い話?
――…実は……。
――私は里に行ってくる。
――あ、ちょっと、妹紅。
――自分から話す気になったんなら、結構だ。…門番。私の分もよろしく。
――は? 何を?

 …違う、これは夢ではない…。
 美鈴さんもフランさんも、本当に無事で良かった…。
 丸太で何かを叩くような音が三度聴こえて来たが…一体、何だろう…。
 …。





「師匠が大丈夫って言うんだから、大丈夫だったら」
「でも、眠りっぱなしよ?」
「そうよ。やっぱり血が足りてないんじゃないの?」

 ようやく意識がはっきりとしてきた。
 どうやら私は、温かい布団の中で寝かせてもらっているらしい。声と匂いから察するに、近くには美鈴さんとフランさん、鈴仙の三人が居るようだ。
 それと、微かに竹の香りもしている。おそらく此処は、永遠亭の一室なのだろう。

「妖怪を普通の動物と一緒にしちゃダメよ。あなただって、輸血なんかしないでしょ?」
「そういえば、美鈴は心臓にナイフが刺さっても平気よね」
「平気じゃないですって。痛いんですよ、あれ。鍛えてるから死にはしませんけど」

 私も、それなりに鍛えているつもりだったのだが…。まだまだ鍛錬が足りていないようだ。
 私にもっと耐久力が有れば…いや、そもそも、初めからあの鎌鼬の正体に気が付いてさえいれば、あのような醜態を晒すことは無かった。
 折角、死なずに済んだのだ。一から鍛え直そう。
 …さて、このまま心配させているのは忍びない。起きよう。

「あ、起きた?」
「すみません。ご心配をお掛…ッ!?」
「寝てなさいって」
「下手に動くと傷口が開くわよ」
「…すみません」

 まったく、情けない。ほんの少し斬られたぐらいでこの様(ざま)とは。
 斬られた脇腹も痛いが、何故だか臀部(でんぶ)の辺りにも僅かな違和感がある。これは何だろうか…?

「じっとしてても痛むようなら教えて。師匠を呼んでくるから」
「…大丈夫だ。有り難う」
「まあ、ホントは誰かさんがぶつけた頭の方が危なかったんだけど」
「うっさい。もう一回殴られたいの?」
「三発じゃ気が済まなかったのかしら?」
「全然足りないわ」
「これでも骨にヒビが入ってるのよ?」
「粉砕骨折と内蔵破裂のつもりだったのに。何食ってたら、そんな丈夫になんのよ」
「あんなの、師匠のお仕置きに比べればね…」
「美鈴だって、いっつも居眠りして、ひどい仕打ち受けてるんだからね!」
「そんなとこで張り合わないでください!」

 …私が寝ている間に、何か有ったらしい。
 夢半ばに聴いたあの轟音は、美鈴さんが鈴仙を殴打する音だったのだろう。

「……怨霊は?」
「仕留めた。あの鼬には悪かったけどね」
「そーそー。鈴仙って意外とすごかったのよ、椛。ちゃんと一発で当てたんだもの」
「意外って何」

 風が無く、鉄砲の射程範囲内で、目標の位置も正確に伝えたのだ。当たらない方がどうかしている。……ひょっとして、そうでもないのか?
 いや、それより…。

「今、何時(なんどき)でしょう」
「午後七時くらい」
「そうですか。もう日も落ちて…。……当直!」
「寝てろってば!」

 慌てて起き上がろうとした私の頭が、間髪を入れずに美鈴さんの手で枕の上へと押し戻される。
 …何だか、既視感のある展開だ。

「大人しくしてないと、今度こそ美鈴に殺されちゃうわよ?」
「ですが、私は仕事が…」
「ああ、もう。それは諏訪子さんが山のひとたちに言っといてくれたから!」
「ケガが治るまでお休みだって」
「…洩矢様が?」
「あんたの書き置き見て、にとりん家(ち)に行ったんだってさ。それで、竹林まで様子を見に来てくれたのよ」
「神奈子も来てるよ」

 やはり、あれは夢ではなかったのか。…と言うことは、早苗さん達も実際に此処へ来ていたのだな。
 それにしても、傷が癒えるまで休養か…。洩矢様が伝えておいてくれたと言うのが些か…もとい、かなり不安ではあるが、致し方無い。とりあえず、今日のところは素直に休ませてもらうとしよう。

「それじゃ、その天狗(ひと)が起きたこと教えて来るわ」
「あ、うん」
「私も行くー」
「良いの? 見張ってなくて」
「見張る?」
「今日こそは諏訪子達に遊んでもらうのよ。魔理沙と霊夢もいるし、愉しい夜になりそうじゃない」

 白黒と紅白も、まだ此処に居るのか。
 特に用事も無いだろうに、何をしているのだか。…まあ、例によって宴会だろうな。

「フランドール様が行くんなら、あんたの代わりに私が」
「ああ、良いの良いの。あなたはここに座ってて」

 鈴仙はニヤニヤと意地悪そうな笑みを顔に浮かべつつ、立ち上がろうとした美鈴さんの両肩を上から押して戻した。
 …何やら、要らぬ気を遣っているようだ。

「いや、だけどさ」
「大丈夫よ、美鈴。このお屋敷の外には出ないから」
「…はあ。わかりました」
「言っとくけど、今日だけだからね?」

 フランさんは人差し指の先を此方へと向けながら、能面のような笑顔でそう言い放った。
 …「今日だけ」?
 何のことだろう。おそらく私に向けて言ったのだと思うのだが、考えても思い当たる事柄が無い。それに、彼女の笑みから感じられる、この妙な悪寒は何なのだろうか…。

「鈴仙も一緒に遊ぶ?」
「あなたと遊ぶと寿命が縮みそうなんだけど」
「遊ぶわよね?」
「…わかったから、その牙を引っ込めてくれる?」
「八重歯」
「はいはい。可愛らしくて魅力的(チャーミング)な八重歯なのね。それで良いから、引っ込めて」

 二人が連れ立って部屋を出て行き、障子がそっと閉じられると、静けさが辺りを包み込んだ。と言うのも、美鈴さんが鈴仙の言動に首を傾げている傍ら、私が妙に気不味い心持ちで何も言えずにいた為である。
 閑古鳥が七度は鳴くことが出来るであろう長い沈黙に堪え切れなかった私は、一先ず内容は何でも良いから、という思いで話を切り出した。

「…そう言えば、妹紅もこの屋敷に?」
「あの人なら先に帰ったわ。人里に、辻斬りがいなくなったことと、子どもの無事を伝えに行くって」
「ああ。それで、フランさんが伸び伸びとされていたのですね」
「そうね。今度何かキツいワガママ言われたら、『妹紅が来ますよ』って言ってみようかな」

 そんな冗談を言いつつ、美鈴さんはケタケタと笑っている。
 結局、最後までフランさんの苦手意識は消えなかったようだ。確かに奇々怪々な存在で、恐るべき強さの人間であるには違いないが、あの博麗の巫女に比べれば大したことはないだろうに。

「すっかり恐怖の象徴ですか」
「うん。私ら妖怪に比べたら、あっちのがずっと人情味もあんだけどね。当たり前だけど。あのイタチのお墓なんか作ってたし」
「彼女が妖怪の墓を?」
「そ。一匹につき竹串一本で」

 竹串…。弔う気持ちが有るのだか無いのだか…。
 何にしても、少し面識が有っただけの妖怪の為にわざわざ墓標を立てるとは、人間とは奇妙なものだ。もしかすると、奴等が怨霊憑きであったことに同情したのかも知れないな。

「……ところで、椛さん」
「はい」
「一つ聞きたいんだけどさ」
「…何でしょう」

 美鈴さんは突然真面目な顔になり、此方をじっと見詰めてきた。
 …何だろう。何か、込み入った話でもされるのだろうか。
 未だ仰向けに寝かされたままの体ではあるが、私は幾分か身を引き締めた。
 と、彼女は私の額より少し上辺りを指差して…。

「それ、どうなってんの?」

 こう訊いてきた。
 …はて。「それ」とは、何のことを指しているのか。私の枕元に何か在るのか?
 彼女の質問の意図が解らず、黙って考えを廻(めぐ)らせることしばし。ようやく私は、自分の体の異変に気が付いた。
 …耳が表に出てしまっている。尻尾もだ。目を覚ましてから、どうも体に違和感が有ると思ったら、正体はこれだったのか。
 一体、何時の間に出てきたのだろう。勝手にパタパタと動いて鬱陶しいからと、常に隠すようにしていたはずなのに。

「あ、ああ…。これのことですか」
「それは何? 出したり消したり出来るの?」
「ええ、まあ」

 右手を布団から出して頭の上に置いて、そっと耳を畳み込み、そのまま髪と同化させる。
 私にとっては何ら珍しいことではないのだが、その様子を大変興味深そうにまじまじと見られると、何故だか少し恥ずかしい気がする。
 …フランさん達は、あの羽根を隠したりしないのだろうか。それとも、隠す時の要領が違うのだろうか。

「普段はずっと、こうしているのですが、気が緩むと出てしまうことが…」
「気が緩むと?」
「はい」
「……へえ…」

 もっとも、今回の場合は気の緩みよりも、体の力が抜けたことが原因かも知れない。
 きっと、気絶して眠っている間に出てきてしまったのだろう。

「…ねえ」
「はい?」
「も一つ聞いてもいい?」
「何なりと」
「……その…あんたの耳が出たのはさ、私が」
「椛さーん! 斬られたってぇ本当かい!?」

 突然の大声と共に障子がけたたましく開かれ、一人の河童が姿を現した。
 河童は私達二人の姿を認めた後、目玉をギョロギョロと動かして部屋の中を見回したかと思うと、その顔に薄笑いと冷や汗を浮かべ、中へは踏み込まずにそっと障子を閉め直した。

「ちょいちょいちょいちょい。二人っきりじゃん」
「え? ええ、そうね」
「何で教えてくれなかったのよ」
「あ、あなたも知ってたの? いえ、その、下手に誤魔化してバレたら悪いと思って」
「バッキャロウ。こちとら百年以上ダチやってんだぜ。それくらい知ってるわ」
「それは失礼」
「で、どうなのよ。ちっとは進展しそうなん?」
「さあね」

 障子の向こうのひそひそ話が、私の耳にはよく聞こえる。
 話し手の一方は言うまでもなく我が友人、にとり。そして、もう一方は鈴仙のようだ。
 …鈴仙はともかく、にとりはいい加減に懲りないものか。私に聞かれたくないのなら、十間離れて蚊の飛ぶような声で話せといつも言っているのに。

「…今の、にとりだったわよね?」
「そのようですね」

 改めて障子がゆっくりと開かれ、にとりと鈴仙の二人がばつの悪そうな顔をしながら入ってきた。
 にとりは杖を突いておらず、衣服もしっかりと着込んでいる為、もはや怪我をしているようには見えない。また、どういうわけか、直径三寸ばかりの壺を抱えた鼬を一匹、頭の上に乗せている。

「やあやあ、椛さん。斬られたってのぁ、本当かい?」
「しれっと仕切り直すな」
「あんた、傷はもう大丈夫なの?」
「だいじょーぶ、まーかせてー。あれくらい、少し休めば無問題(モウマンタイ)よ」
「妖怪は回復が早いからね。てゐだって、もうピンピンしてるし」

 …それは床(とこ)に臥せている私への嫌味か。
 まあ良い。私も明日の朝には何食わぬ顔で日常の業務に戻ってやるつもりだ。

「そう不機嫌そうな顔しなくても、椛の傷が一番深かったんだから仕方ないわ。あの怨霊憑き、誰かを斬る度に力を増してたんじゃないか、って妹紅が言ってたもの」
「…別に不機嫌になどなってはいない」
「違う違う。あなたじゃなくて、門番さんに言ったのよ」
「あ? 何で私が」
「あー、うん、まー、あれだ。椛さんも、じきに良くなると思うよ。うん」
「そうね。…じゃあ、にとりさん。見舞いはこのくらいにして、宴会に行く?」
「お、おう。そうだね」
「うん? もう戻んの?」
「あとでフランドールと遊ぶ約束をしてるのよ。にとりさんも一緒にどう? 犠牲者(オトモダチ)は多い方が良いわ」
「ほうほう。そりゃあ楽しそうじゃないかい。そんじゃ、椛さん。お大事に」
「ちょ、ちょっと…」

 にとり達は有無を言わさず踵を返し、逃げるようにして部屋を出て行った。
 …揃いも揃って、変な気を回そうとするな。にとりにせよ鈴仙にせよ、余計なことをしようとすると碌な結果を招かないではないか。あの大馬鹿者が美鈴さんに要らぬ誤解を与えたことも、私は忘れてはいない。後生だから、放っておいてくれ。
 二人が部屋を出て間も無く、今度は普通の声量での会話が聞こえてきた。

「ところで、さっきから気になってたんだけど」
「何だい」
「その頭の上のは何?」
「あ、こいつ?」
「そう。その子」
「いやね、さっき竹林のはずれでピーピー泣いてたのを拾って……」

 確かに声の大きさは並だったのだが、にとり達は余程足早に離れて行ったらしく、早々に会話が聞き取れなくなってしまった。
 美鈴さんは二人の余りの慌ただしさに呆気に取られた様子で、ポカンとして障子を見詰めている。

「…何だったのよ、あいつら」
「通り雨のようでしたね」
「……ねえ」
「はい?」
「にとり、元気そうでよかったわね」
「…そうですね」

 それ見たことか。案の定、私がにとりの無事を喜ぶものと思われているではないか。
 冗談ではない。昼間に会った時点であれだけ動けたのだ。今時分に健常であることなど、何の感動も有りはしない。
 などと冷ややかに考えていたところ、また美鈴さんが此方をじっと眺めていることに気が付いた。その視線は先刻、耳のことを訊かれた時と同じ辺りを指している。
 …どうしたのだろう。またしても耳が出てきてしまったのかとも思ったが、今はしっかりと隠れているようだし…。
 しばしの後、彼女は視線を私の顔まで落とし、その口許に何処か意地悪そうな笑みを浮かべた。私はその笑みを見て、何故か妙にくすぐったい気持ちになってしまい、咄嗟に彼女から目を逸らした。

「…あ、そうだ。あんたさ、あのドブウサギの話、聞いた? 本人は話したって言ってたけど」
「昼間の襲撃の件ですか?」
「そう」
「知っています」
「……殴った?」
「…いえ」
「じゃあ、あんたの分でもう一発」
「フランさんと妹紅の分もやったのでしょう? もう良いではありませんか」

 立ち上がって部屋の外へ向かおうとする彼女の服の裾を、何時の間にか私の手が掴んでしまっていた。
 …本来、彼女が鈴仙への制裁を不十分だと感じているのなら、それを止める理由など有りはしない。ただ、思わず手が出てしまったことの言い訳をしているだけなのである。
 彼女はそんな私の手を振り払おうとせず、小さく溜め息を吐きつつも、また傍に座り直してくれた。

「…フランドール様の分は百発でも足りないくらいなのよ。あのことがお嬢様に知れたら……また…」
「その時は、今一度説得するしかないでしょう」
「簡単に言わないでよね。うちでお上に物申すの、命懸けなんだから」
「私も、非番の日ならお手伝いしま…ッ…!?」

 痛い! これは痛い!
 掛け布団の上から、傷の在る右の脇腹をぐりっと押さえ付けられている。

「うちのお嬢様ナメんな。だいたい、そうやって無理をしようとした結果が、このザマなんでしょうが」
「…あの…手を…」
「大怪我してんのに全力疾走した挙げ句、あのデカブツの攻撃を受け止めようとして…。この際だから言っとくけど、二度と私の前に立って戦おうとすんじゃないよ」
「…すみません」
「だけど」

 彼女は、そっと布団から手を離し、少し俯き加減になって呟いた。

「……ありがとう」
「何もお礼を言われるようなことは」
「うら」
「いっ…ッ…!?」
「あれだけ色々してもらって、お礼の一つも言わせてもらえなかったら、いい恥晒しだわ」
「…ですが…私は結局、貴方に助けてい…たッ!?」
「やり直し」
「……どう…致しまして…」
「よろしい」

 …三回目は絶対に手加減していなかった。手を離してもらった今でも、まだずきずきと痛んでいる。これは傷口が開いたかも知れない。
 鬼か、このひとは…。

「…ところで、美鈴さん。先ほど、にとりが来る前に何か言おうとされていませんでしたか」
「ああ、あれ? あれは…。うん。もういいかな」
「…そうですか」
「納得いかない、って顔してる」

 それはそうだ。にとりの乱入のせいで、何を言い掛けていたのかは忘れてしまったが、彼女が如何にも真剣そうな面持ちで話そうとしていたことは覚えている。それを今更「もういい」と言われても、腑に落ちないに決まっているではないか。
 …だが、無理に聞こうとすると、また傷口をつつかれる気がする。
 そうやって、私が己の傷を庇って何も言えずに黙っていると、遠くの方から陶器や硝子の類が割れる音が盛大に響いてきた。ついでに、悲鳴のような怒声のような絶叫も聴こえている。
 随分と派手な宴会も在ったものだ。まさか、にとりの奴が何か仕出かしたのではあるまいな…。

「…どっちの陣営がやらかしたんだと思う?」
「断っておきますが、洩矢様達だったら私は知りませんよ」
「ちょっと様子見てくるわ」

 そう言って、身を翻しつつ立ち上がろうとした美鈴さんの動きが、不意に止まる。
 はて。どうかしたのだろうか。何か、気に掛かることでも有るのか? …と思ったが、何のことは無い。
 私がまた無意識の内に、彼女の服の裾を掴んでしまっていたのだ。
 そのことに気が付いて即座に手を離したものの、自分でも何故そんなことをしたのか解らない。今回は、先ほどのような言い訳も立つ余地が無い。

「す、すみません!」

 自分自身の意味不明な行動に混乱し、おたおたと狼狽する私を振り返り、彼女はクスリと笑った。

「…すぐ戻ってきてあげるからさ」
「い、いえ、その、そんなつもりでは……!」

 慌てて体を起こして言い訳をしようとしたところで、あろうことか、今度は私の腹がクゥ、と大きな音を鳴らす。
 一瞬の沈黙の後、美鈴さんの口から大きな失笑が洩れた。そればかりか、一度噴き出した物は止められないとでも言うように、彼女は腹を抱えてゲラゲラと笑い始めてしまった。
 違う! 少なくとも、そんなことを伝える為に引き止めたのではない! 断じて違う! 西行寺の主人ではあるまいし、普段なら二月(ふたつき)やそこら何も口にしなかったところで何ら支障は無いのだ! ただ、今回は少しばかり消耗が激しかったから…!
 …等々、色々と弁解をしたいのは山々だったのだが、今の私にそんな気力は全く残っておらず、もはやその場に踞(うずくま)ることしか出来なくなっていた。

「ごめんごめん。あんだけやられりゃ、おなかも空くわよね。…えっと、魔理沙たちも食べてるごはんでいい?」
「……はい」
「無事に残ってる皿があったら、持ってくるわね」
「……お願いします」

 優しさという名の針に全身を貫かれている気分であった。おかげで、彼女が部屋を出て障子を閉めるまで、とうとうその顔を見上げることすら出来なかった。
 嗚呼。どうして私の身体(からだ)は、場を弁えず勝手に動こうとするのだろう。
 この顔が! この手が! この腸(はらわた)が!
 そして、何より…。
 …どうしよう。美鈴さんが戻ってきたら、訊いてみた方が良いだろうか。
 だが、もし、それが最後の会話の最中だったとしたら、私はもはや立ち直れないかも知れない。
 何時だ。何時のことだったのだ。
 この両耳が、再びその姿を現したのは。







 
 この長い話をここまでお読み頂きまして、誠にありがとうございます。
 というわけで、懲りずに書かせて頂きました、めーもみ! 流行れ! 無理か!

 本作は拙作「第五番目のプライム」及び「それは紅くて丸いもの」より後の話となっております。
 各話、独立したエピソードとしても読んで頂けるよう心掛けているつもりですが、よろしければ、当該作品もご笑覧くださいますと幸いです。

 当分、この「それものシリーズ」を軸に色々と書いてみたいと思います。
 今回は少し暴走気味だった鈴仙と『あのひと』の話とか、パルパルするフランとか。
 ですが、とりあえずはメインである椛と美鈴の関係をちゃんと発展させる話を書きたいですね。次からは「若干」無しの百合になるでしょう。

 それでは、お疲れ様でした。
昭奈
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.780簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
続きが楽しみでありますな。
美鈴も椛も好きなキャラですし、メイフラ成分もあるのがなおよし。
2.100名前が無い程度の能力削除
口調とかあれなのに、こっそり身長気にしたりしてる椛かわええw
椛と美鈴の今後とフランドールの嫉妬に期待
4.90奇声を発する程度の能力削除
面白いですね
これからの展開も気になる
7.100名前が無い程度の能力削除
すっごい好みの美鈴ですわ。
続き楽しみにしてます!
16.100名前が無い程度の能力削除
どのキャラが~とか言う余地が無く全員魅力的で面白かった
特に妹紅とフランの関係、と言うか相性と、美鈴の聡い所と全般的ににとり
ってほとんど全員じゃないか
22.703削除
椛、未熟よのう。感情にどんどん振り回される。
それが良いのかもしれませんが、個人的には話の説得力に欠ける要素の一つになっていると思いました。
25.90名前が無い程度の能力削除
ムッツリな椛に、タカビーだけどビビりの鈴仙、面白いです
26.90名前が無い程度の能力削除
美鈴と椛も良いですが、プライド高そうな鈴仙とぶっきらぼうなもこたんのコンビ、もこたんに苦手意識が芽生えて気後れするフランも好きです