Coolier - 新生・東方創想話

紅魔館の冥土さん(4)

2005/08/25 02:30:00
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<紅魔館>

地球の上に朝が来るならば、幻想郷にだって朝くらい訪れる。
もっとも、時々訪れない事もあるのだが、本日は例外には含まれなかった。
太陽も律儀に東から昇る、至って普通の朝である。


うっすらと朝日の差し込める中、奏でられる多重奏。
その奏者の一人に、幽々子がいた。
「……くー……」
部屋の両側に並べられた二段ベッドの上段。
水色のパジャマに身を包んでの一糸乱れぬ寝姿は、元来の青白い肌色も相まって、
その小さな寝息が無ければ、まるで死人のように見えたであろうが、
実際に死んでいるので、まったく問題は無かった。

「……くー……かっ!」

それまで深く寝入っていた筈の幽々子が、唐突に激しい寝返りを打った。
余りに激しすぎたのか、ベッドの縁を乗り越えて空中浮遊に突入する。
亡霊である幽々子も、睡眠中は重力制限の枠に嵌められていた。
すなわち、自由落下運動開始である。
だが、幽々子は本能的に空中にて身体を捻り後方一回転。
無人の床に、見事なムーンサルトプレスを決める。

「……ふぇ?」
幻視力溢れる者にしか見えないスリーカウントを奪うと、幽々子は目覚めた。
豊かすぎる双丘がクッションとなったのか、さしたるダメージは無いようである。
「夢だったのね……」
ムーンサルトプレスを繰り出す夢とは、一体どういう夢なのか。
答えを知るのは幽々子のみである。

「……楽しい?」
下段のベッドから、同僚の冷たい視線と言葉が送られた。
一様に目覚めの良いメイド達にとって、幽々子の空中ダイブは意識を覚醒させるには十分な音だったのだ。
「……あんまり……」
「……そう「朝っぱらからやかましいわっ! 天誅っ!」
会話を遮るような掛け声。
何事かと振り向くと、対面のベッドから豪快なミサイルキックを放つ同僚の姿が見えた。

それからというものの、部屋の住人達は、意味もなく始まったバトルロイヤルに精を出した。
ハイキック炸裂で失神する者や、オーバーザウインドウにて敗退する者など、中々に本格的である。
先制攻撃をかましてきた同僚にサソリ固めを極めつつ、幽々子は思う。
「(ま、こういう朝もアリかも知れないわねぇ)」
紅魔館にて迎える死涯初の目覚めは、とても新鮮なものとなった。

なお、この早朝乱闘により、一人のメイドが医務室送りとなった事を幽々子は知らなかった。









『本日より二回以上のおかわりを禁止する by 十六夜咲夜』

食堂に、唐突に掲示された張り紙。
もっとも、メイド達の間にさしたる動揺は無かった。
元々、大量におかわりをする人物など、ほとんど存在しなかったのだから当然であろう。

「おはよう、花子」
「あ、おはようございます、メイド長」
咲夜は曖昧に頷きつつ、幽々子の前の席に腰を下ろす。
と同時に、その丹精な顔を壮絶に歪めた。
椅子に画鋲が仕込まれていた……等という悪戯があった訳ではない。
原因は、幽々子の前に置かれたトレイにある。
「……ねぇ」
「はい?」
「それ、何?」
端的に言い表すなら、丘。
幽々子の顔を半分ほど隠すほどに、こんもりと盛り上がっている。
「あら、ご存知無かったんですか、これは白米と言って……」
「ああ、いえ、そういう意味じゃなくてね」
どう言ったものかと言葉を探す咲夜だが、雪崩の如き勢いで標高を下げてゆく丘の前に、沈黙せざるを得なかった。
先日から殆ど食事を取っていないにも関わらず、食欲は減退する一方だ。
「(そうよね……おかわり禁止でも大盛り禁止ではないものね……)」
咲夜は心の中で白旗を上げた。
見れば幽々子は魚の開きなどを突付いている。
鯵や秋刀魚なら何てことはない光景なのだろうが、全長1メートルに及ぶであろう鮭の開きは実に壮大だ。
この調理を慣行した者に最大限の賛辞と呪詛を送りたい気分であった。
「……食べ終わったら図書館に行きなさい。今日から貴方は図書館付きよ」
「……ふぇ?」
それ以上、食事光景を見たくなかったのか、咲夜は言い捨てるように席を立った。
次の食事時には、注意書きの項目が増えている事だろう。


「図書館、ねぇ」
一人になった幽々子が、生卵をぐにぐにとかき混ぜながら呟く。
ちなみに鶏ではなくダチョウの卵である。
夜雀の卵では無かったのは僥倖と言うべきか。









幽々子は先日の僅かな記憶を頼りに、図書館を目指す。
この紅魔館という場所。内部が迷路のように入り組んでいる上に、
無限ループする通路やら、一切の視界が途切れるダークゾーンなど、
嫌がらせとしか思えない仕掛けまで存在していた。
廊下の隅にへたりこむ白骨死体を見た時には、流石の幽々子も戦慄したものである。
「(マッピングをしておくべきだったかしら……マロールが使えないじゃないの)」
等と訳の分からない事を考えながら歩き続けていると、ようやく見覚えのある場所へと辿りついた。
こじんまりとした一角に似つかわしくない、大きく分厚い扉。
記憶が確かならば、ここが図書館の筈だった。
「失礼します」
思い出したかのように一声かけて、重厚な扉を押し開いた。


開け放った先には、外から見た時には想像も付かないであろう膨大な空間が広がっていた。
「凄い量ね……こればっかりはウチじゃ到底敵いそうにも無いわ」
上のほう、と言うよりは上空にまで伸びる本棚を呆然と見上げる。
空を飛べない者に対する配慮が成されていないのが難点か。

「あっ」
甲高い声がした。
振り向くと、制服のような衣装に身を包んだ一人の少女が、ぱたぱたと近付いて来ている。
一見すると、ごく普通の人間なのだが、その背中と頭から見え隠れしている羽の存在が、
妖の類である事を明確に表していた。
「花子さんですか?」
「あ、はい、そうです」
「お待ちしてました。私はこのヴワル魔法図書館の司書を務める小悪魔と申します」
ぺこり、と頭を下げる小悪魔。
それに釣られるように幽々子も頭を下げた。
しかし、妙だった。
司書という仕事の内容は幽々子もある程度は理解しているつもりである。
だが、それにしては、小悪魔の服装があまりにも薄汚れていたのだ。
本の管理の仕事に、泥の汚れが付くとは到底思えない。
「(物腰も妙に低いし……苛めにでも合ってるのかしら)」

「どうしました?」
「あ、いえ、何でもありません。
 今日からこちらでお手伝いをさせて頂く事になりました花子と申します。宜しくお願いします」
「はい、宜しくです。……ええと、その前に一つお願いがあるんですけど」
「え?」
「私相手には、普通に話しては頂けないでしょうか。その、敬語で話されると何だかやりづらくて……」
「はぁ、分かりまし、……分かったわ」
この提案は、幽々子にとっては渡りに船であった。
別に敬語を使うのが苦痛という訳ではないが、少しは素でいる時間も欲しいというのも本音である。
だが、一方で、ますますこの小悪魔という人物の立場が見えないものとなったのも確かだった。
「(普段、どういう態度を取られてるんでしょうねぇ……)」
この時、既に幽々子の中では、小悪魔=苛められっ子という図式が完成していた。

「それにしても、お綺麗な方ですねぇ……咲夜さんの話からして、もっとごつい人が来るのかと思ってました」
「そ、そう?」
恐らくは褒めているのだろう。
だが、言葉の割に、何故か小悪魔の視線は顔ではなく、もっと下のほうへと向いているのが疑問だった。
幽々子が紅魔館で働き出して以来、この微妙にズレた視線を受ける機会が非常に多かったのだが、
生憎、幽々子はその視線の意図を掴みきれていなかった。
知らぬは本人ばかりなり。
また、それとは別に、後半の言葉が気にかかっていた
「あの、メイド長は何と言っていたの?」
「えーと、脱穀機10台分のパワーと耕運機10台分の消費燃料を誇る、期待と絶望の新人さんだとか」
「……」
褒めているのかけなしているのか、些か判別に悩む例えである。
「では、仕事場に案内しますので付いてきてください」
「あ、はーい」





「……ねぇ、小悪魔ちゃん」
「はい?」
「記憶が確かなら、私は図書館付きに任命された筈なんだけど……」
「ええ、そうですね」
「……それなら、この目の前の光景は何なの?」
「畑ですよ」
「……」

燦々と照りつける太陽。
一面に広がる茶色の大地。
小悪魔の頭に乗っかる麦藁帽子。
台車に積まれた無数の農具。
どこをどう見ても農村風景であった。

「ごめんなさい、私の頭ではどう頑張っても畑と図書館がイコールで結ばれてくれないの……説明を求めるわ」
「別にそんなに難しい事じゃありませんよ。私は一応、実質的な図書館の管理人でもあります。
 ですので、図書館付きの花子さんは、私を手伝う事が仕事になるんです」
「いや、それは分かるわ。私が聞きたいのは、どうして貴方が畑仕事をやっているのかという事よ」
「あ、そういう事ですか。……では、少し説明させて頂きましょう」
と言うと、小悪魔は太陽に視線を向けて語り出した。
眩しかったのか、1秒で断念したが。

「あれは何年前だったでしょうか……二月程前、私はとある事情で、名も無い山村を訪れました」
「二月って自分で言ってるのに、何年前も無いじゃないの」
「そこで出合ったのが農業です。今まで本の中の出来事としてしか知らなかったそれは、
 私にとってカルチャーショック以外の何物でもありませんでした。
 もっと端的に言うならデカルチャーです」
「メルラン!? じゃなくてメルトランディ!?」
「紅魔館に戻った私は、決意しました。
 ここで農業を始めさせて頂くべく、レミリア様達に頼み込んだんです。
 幸い、土地は十分に余っているということで、許可は頂けました。
 加えてアドバイザーとして、マンシン・ソーイさんからも協力を得る事が出来ました」
「だ、誰よそれ……?」
「その成果がこれです! 題して『小悪魔農場』!」
「題しても何も、そのままじゃないの」
幾度に渡っての突っ込みを、どこまでも華麗にスルーしつつ悦に入る小悪魔。
そのキラキラと輝く瞳の前に、幽々子は続けての突っ込みを行う気力を失った。
自分のような中途半端な天然ではない、これは本物だ。と確信して。
「さあ無駄口を叩いてる暇はありません。キリキリと働いてもらいますよー!」
「語りモードに入ったのは貴方じゃないの……」
早くもげんなりとしながら、鍬を抱え持つ幽々子。
箸と妖夢より重い物を持った事の無い彼女にとって、いかにも不安を感じさせるずっしり感だった。









<白玉楼>

「……ぼー……」
「……ぽー……」
「……にゃー……」

だらしなく畳に横たわる、スキマと半人前と猫。
彼女らはまっこと暇であった。
が、ただ一名のみ、その雰囲気に迎合しない輩が存在した。

「ひゃっふー! 衣装が無駄にならずに済んだぁ! ぽぅ!」

無駄に高いテンションで庭仕事に励む狐様。
言葉の示す通り、藍の服装はいつもの導師服ではなく、妖夢とお揃いの一品である。
妖夢曰く、
「これが庭師の正装です」
だそうな。
なら先代も着ていたのか、という突っ込みは怖くて出来なかった。
十分に熟した藍のスタイルに、どこぞの学校の制服にも見えない事もない衣装は、
実に背徳的な雰囲気をかもし出す一品であった筈なのだが、藍自身のテンションが台無しにしていた。

「ふふ、藍ってばあんなにはしゃいじゃって。そんなに庭仕事が嬉しいのかしら」
「……」

昨日、あの後何があったのかと問いかけたくもあったが、自ら場を辞した手前、聞くに聞けない妖夢であった。

「……にしても暇ねぇ」
「そうですね……」

その通りだった。
過程はともあれ、すべての仕事を藍に任せた以上、妖夢がやる事は何一つとして無い。
紫も紫で、幽々子の模倣を継続中である以上、暇なのは当然だろう。
橙は……どうなのだろう。
うにゃーうにゃーと鳴き声を上げてごろごろと地面を転がる様は、いかにも猫らしいが
それが日常の行動なのか、暇しているだけなのかは判別が付かなかった。

「……麻雀でもやる?」
「あー! やるー! 天和積み込むー!」

途端に元気になったのは橙。
堂々とイカサマ宣言をする辺りは、彼女も立派に八雲一家の一員である事を認識させられる。
が、乗り気の二人に対して、妖夢の反応は至って冷淡なものだった。

「だめです」
「えー、どうしてよ。別にサンマだって良いじゃない」
「そういう問題じゃありません。いいですか?」
「??」
妖夢はむくりと起き上がると、今だ寝転がったままの二人に指を向ける。
何故か、無駄に自信に満ち溢れた態度である。

「シリーズが……違うんです!」

ずがーん、と、もはやお手の物となった落雷エフェクトを背負いつつ、堂々と言い放った。


「(な、なんて説得力なの!?)」
多大なる衝撃を受けた紫は、止め処なく涙を流しつつ、己の発言の愚かさを呪った。
朝から大変な事だ。

「えー、私、あっちには出てないよー」
「う……」
橙からの不満気な返答に、妖夢は言葉を詰まらせる。
元々、妖夢は橙の取り扱いに、些か困っていた節があった。
実年齢はともかく、外見や性格が明らかに自分より幼い橙は、妖夢の交友関係において希少な存在である。
故に、接すべき態度を今ひとつ掴みきれないのだった。
「ほ、ほら、橙ちゃん。あっち、とかそういう楽屋ネタ持ち出すのは反則よ?」
「先にシリーズとか言い出したの妖夢じゃん」
「う……」
負けてるし。



結局、麻雀は大人の事情で中止となった。
代わりに、という訳ではないが、何かゲームでもしようという案が提出されたのだが、
そこで再び一悶着起きる羽目になった。
妖夢と橙の知っている範囲が、余りにも狭すぎたのだ。
紫はチンチロリンから三国志大戦まで何でもござれだったのだが、これではどうにもならない。
その結果、こうなった。

「王手……じゃないですね。チェックメイト?」
「紫様ー、これ黒字だからひっくり返して良いんですよね」
「駒の補充が出来ないなんて……選択を誤ったわ……」
「ああっ! 盤上がどうなってるのか想像が付かん!!」

それぞれが得意分野で戦おうという結論から出た惨状である。
妖夢が選んだのは将棋。
橙が選んだのはオセロ。
紫が選んだのはチェス。
藍が選んだのは碁。
なお、仕事中につき、強制的に目隠し碁である。

逆さになったビショップを飛車が奪い取り、成った竜にツケた所を白の駒とポーンで挟まれるという、
カオスの極地のような状況なのだが、それでもゲームっぽくなっていたのだから不思議だ。
ちなみに、いつまでたっても終わらないという理由で、決着はジャンケンによって付けられた。
ともあれ、白玉楼は現時点では概ね平和であった。









<紅魔館>

雲ひとつ無い好天。
日は頂点へと昇りつめ、その威光を存分に見せ付けている。
要するに暑いのだが、そんな中、奇特にも地面へと横たわるメイドが一人いた。
言うまでも無いだろうがあえて言おう、幽々子である。
「ふかー、ふかー、ふかー、ふかー」
ヒレが高級食材なアレではない、ましてや不可でもない。
大の字になった幽々子から発される呼吸音である。
亡霊に呼吸が必要なのかどうか、まことに怪しい所ではあるが、実際しているのだから仕方ない。


「花子さーん、進み具合はどうですか?」
そこへ暢気な声を伴って小悪魔が姿を見せた。
手に何やら巨大なバスケットを持っている。
「ふかー、ふかー、ふかー」
返事をする気力が無いのか、無言で畑を指さす幽々子。
「どれどれ……って、うわっ!?」
仰天の余り、思わずバスケットを取り落としかけてしまう。
それもその筈。
今朝までこの畑は、家庭菜園と呼んだほうが正しい程度の、つつましい規模のものであった。
が、今眼前に広がる光景と来たらどうだろう。
敷地の端から端まで開墾された大地。
もはや紅魔館=農家と言っても差し支えない規模である。
「こ、これをお一人でやられたんですか……」
「ふかー、ふかー、ふかー」
返事は無くとも、周囲に転がる鍬の残骸から、それが事実であるのは疑いようも無かった。
「ともあれ、ご苦労様でした。お昼にしましょう」
「!?」
言葉に反応するように、幽々子はがばりと跳ね起き、キラキラとした瞳で小悪魔を見つめ出した。
先程までの疲弊具合はどこへやら、といった様子だ。
「(……足りるかなぁ)」

「ええと、それで、午後からの仕事なんですが……」
「ええ。何をすれば良いのかしら」
「午前中と同じです、ひたすら耕してください」
「……え? もう、出来そうな所は全部やっちゃったけど……」
疑問符を浮かべる幽々子に、小悪魔は満面の笑みで返した。
「うちには、空間をいじるのが好きな方がいらっしゃいますので」
最後まで聞く必要も無かった。
眼前に広がる、数倍にまで拡大された農地を前に、幽々子は眩暈を覚えた。
「(やってくれたわね……咲夜!)」
だが、幽々子にも意地があった。
こんな地味な嫌がらせに負ける訳には行かない。
ドラム缶を端から端まで押し続ける日々に比べれば、十分にやりがいもある。
そんな意味不明な決意と共に、幽々子はエネルギー充填を始めるのだった。


後日、小悪魔は咲夜に進言した。
「10台分じゃとても足りません。パワーも消費も100台分に匹敵する、恐ろしい逸材でした。
 あの、それで、この食費と農具代は経費で落ちるんでしょうか……?」








「い、痛い……手も足も肩も腰もいたいぃー……」
ようやく部屋へと帰りついた幽々子は、ベッドに寝転がり情けない悲鳴を上げる。
軋みを上げる全身が、亡霊にも筋肉痛があるのだと教えてくれる。
あまり有難くない教えだ。
室内に、他のメイドの姿は無い。
恐らくはまだ仕事中なのだろう。

『花子さんが頑張ってくれたお陰で、今日はこれ以上やる事無くなっちゃいました』
『それは良かったわ……なら、休ませて貰うわね』
『あ、明日は5時には起きて下さいね。それと図書館本来の仕事のほうも覚えて貰いますから』
『……ふぁい』

「……」
戻り際、小悪魔と交わした会話を思い出し、思わずため息をつく。
今日一日だけでも、この疲労である。
それが明日は、夜明け間際からぶっ続け+αだと言うのだ。
陰鬱な気分になるのも仕方の無い事だろう。
「妖夢……働くって大変なのね……」
つい、白玉楼で留守を守る従者について思いを馳せてしまう。
思えば妖夢は、庭師としての仕事から、家事全般、加えて自分の遊び相手までを一手に担っていたのだ。
今ならそれがいかに過剰労働であったのか、多少は理解できた。
だと言うのに、妖夢は仕事に関しての愚痴は一切口にしない。
無論、食事量を減らせやら、剣の稽古を受けろやら、人のおやつを食べるなといった物は散々漏らしている。
だが、それらの愚痴はすべて幽々子に関わる事だけであり、決して妖夢自身の不平ではない。

「……」

何か思う所があったのか、幽々子はむくりと起き上がると、枕元の包みを漁り出した。
出立に辺り持ち出した、数少ない私物である。
「……あれ?」
と、その手がピタリと止まる。
「な、無い!?……う、嘘でしょ……」
ある筈のもの、それが存在しなかった。
まず幽々子が考えたのは、盗難の可能性。
だが、直ぐに首を振って否定する。
「あんなもの盗った所で何の特にもならないわよね……すると……」
心当たりに行き着いたのか、幽々子は包みの中から、手の平サイズの金属体を取り出した。
二つ折りになっているそれを開くと、内面の出っ張りに手を這わせた後、自らの耳元に押し当てた。







<白玉楼>

「はぁい、八雲探偵事務所です」
『庭師の素行調査をお願いしたいんですが……』
「ウチの料金は高いですよ?」
『ええ、覚悟の上ですわ』
「では基本料金と必要経費に……って、貴方までボケたら永遠に終わらないじゃないの」
『……それもそうね』
「で、紅魔館の新入りメイドさんが何の用なのかしら」
『ああ、そうよ! ボケてる場合じゃないわ! 紫! 今すぐ白玉楼まで行って頂戴!』
「えーと……行くというか、今まさに白玉楼なんだけど」
『へ、そうなの? ま、それなら話が早いわ。
 私の部屋に、日記が置きっぱなしになっていないか見てくれないかしら?』
「えーと……見るというか、今まさに読んでいる所なんだけど」
『へ、そうなの? ま、それなら良い……訳ないでしょ! 読んじゃダメ!』
「まさか幽々子がこんな事まで考えてたとはねぇ、いやいや意外だったわ」
『お願いだから止めてよぉ……』
「……冗談よ、冗談。まだ読んでないわよ。でも、それだけ焦るって事は、相当にマズい内容みたいねぇ」
『うー……いじわる』
「ふ、ふはっ」
『……紫?』
「し、失礼。少し取り乱したわ。で、この日記がどうかしたのかしら?」
『あ、うん。持って行くの忘れちゃってて。それで、ここまでちょいちょいっと届けて欲しいんだけど』
「構わないけど……私、今身動き取れないのよねぇ。藍も買い物に行ってるし……」
『そこを何とかお願い! とにかく妖夢にだけは見られたら拙いのよ!』

「うーん……」
金属体を手で押さえつつ、下方に視線を動かす。

「くー……」

視界に映るは、己の膝枕ですぴーすぴーと寝息を立てる妖夢の姿。
先程の将オセチェ碁(ジャンケン)の敗者に課せられた罰ゲーム、水道水一気飲みがもたらした結果である。
もし、この光景を幽々子が見たら、どう思うだろうか。
微笑ましいと感じるのか、それとも怒りに身を震わせるのか。
「(後者なら処置無しねぇ……)」
別段、小声で話しているつもりは無いのだが、妖夢が眠りから覚める気配は無い。
とは言え、物理的に身を起こせば、流石に起きてしまう気がした。

『ゆかりー、ゆかりー、ゆかりぃー、ゆあきーーーん!』
「ああ、もう、分かったわよ。とにかくコレを届ければ良いのね?」
『うんうん!』
「なら何とかしてみるわ。期待しないで待ってなさいな」
『ええ、うんと期待して待ってるわ』
「はいはい」



ふぅ、とため息をつきつつ、金属体を懐へと収める。
「さて……どうしたものかしら」
手元にはゆっこたんだいありーと書かれた、一冊の日記。
先ほどの幽々子らしからぬ動揺っぷりからして、これがいかに大事なものであるかは想像に難くない。
もっとも、それほどのものを堂々と机の上に置き忘れる辺りは幽々子らしいが。

「紫さまー」
思案に暮れている所に、甲高い声が届いた。
視線を上げると、ふらふらと接近してくる衣類の固まりが一つ。
否、衣類の固まりを抱えた誰か、だ。
「あ、わっ!」
そんな状態だから、僅かな段差も視界に入っていなかったのだろう。
敷居にものの見事に袈躓き、手にした衣類は華麗に空中へと投げ出された。

「……」
「……あたた……あれ? どうしたんですか紫様。頭の上に洗濯物なんか乗っけて。すごく印度の人っぽいですよ」
「……」
「あ、分かった! バランス感覚の訓練ですね!」
「……」
「凄いなぁ。やっぱりそれくらいやらないと境界なんて操れないんですね」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……ごめんなさい」
「よろしい」

ぺこりと頭を下げつつ、洗濯物を回収に入る橙。
ちなみに、これだけの騒動がありながら、今だに妖夢は目覚めていない。
水道水、恐るべし。

「……丁度良いわね。橙、少し頼まれてくれない?」
「ふぇ?」








「只今戻りましたー」
両手に買い物袋をぶらさげた藍が、白玉楼の玄関へと降り立つ。
当然ながら出迎えは……
「あ、藍様お帰りなさい」
あった。
「ああ、ただいま橙」
「じゃ、行ってきまーす」
「ああ、行ってらっしゃい」


「……」
「……」
「……」
「……って! こんな時間にどこへ行くんだ橙! チェーーーーーン!」

ようやく事に気付いた藍が、叫びを上げる。
が、時既に遅し。愛猫の姿は、完全に視界から消えていた。
「い、家出は非行の始まりっ!」
買い物袋を投げ捨てると、180度方向を変えて地面を蹴る。
が、今まさに加速せんとした所、突如として足元からスキマが口を開いた。
そして、足を思いっきり捕まれた。
当然、全エネルギーが、固定された部分を支点として、斜め下方へと注がれた。
「んぎゃっ!!」
要するに、顔面直撃転倒である。

「落ち着きなさいっての。貴方は橙の事になると取り乱しすぎよ」
スキマから紫がにょっきりと顔を出した。
「で、ですが」
「私が行かせたのよ」
「……へ?」

紫は、現状に至る経緯を簡潔に説明した。
「と、いう訳よ。まぁ、貴方が帰ってくるのを待っても良かったんだけど」
「はぁ……一つ良いですか?」
「ん、何?」
「身動きしなくてもスキマを展開できるんなら、紅魔館まで直接届ける事も出来たんじゃないかと思うんですが」
「……あ……」
間抜けにも、ぽかんと口を開ける紫。
冗談抜きで、今まで気が付かなかったのだろう。
「……か、可愛い子には旅をさせろって言うじゃないの! これは良い機会だったのよ! うん!」
「……さいですか」
突っ込む気力も無いのか、藍は力無く頷いた。
「(……まぁ、ただのお使いなら、そう心配する事も無いだろう……)」










<紅魔館>

ここはメイド長執務室。
デスクに陣取っては、陰鬱な表情で書類とにらめっこする咲夜。
まるで前日のリプレイかの様子だ。

「……」

目の前に置かれた書類は、各所からの報告の数々。
食糧事情が限界だの、早朝プロレスごっこで入院だの、ここはいつから専業農家になったのかだの、
どれも報告というより苦情に近いものである。
その中には、いくつか自分が原因となっているものまであるから始末に終えない。
「……やはり、早計だったのかしら……」
後悔先に立たず。とは良く言ったものだ。
紅魔館の内政事情は、既に崩壊の一途を辿っている。
一番の特効薬は、やはり人員増強なのだが、目処がつくまではおおよそ1週間はあった。
それまで、どう持ちこたえれば良いのか。
むしろ、その日まで紅魔館が残っているのかも疑問であった。








「こうまかんはーひろいーなーおーきーなー」

暢気に歌声を上げては、館内を闊歩する少女一人。
その手には一冊の本が抱えられている。
といっても、人形使いや知識人の頭が春になった訳ではない。
密命を遂行中の橙である。

この任務に当たり、橙は紫からいくつかのアドバイスを受けていた。
まず第一が「潜入するときはダンボールを使いなさい」だった。
何でも、高名な工作員がそうしていたらしい。
しかし、橙は、その言葉の意味する所を理解しきれなかったのか。
内部に侵入する前……すなわち、門前でダンボールに入ったのだ。
それをいち早く発見したのは、中国風の門番。
「こんなに可愛い猫を捨てるだなんて……飼い主は何を考えているの!」
等という台詞と共に、館内まで連れてこられたという次第である。
そして、タイミングを見計らって離脱。現在に至るという訳だ。
まさに結果オーライだ。

「んー、どこにいるんだろ……ここ広すぎー」

橙に科せられた任務は、幽々子に日記を届けることである。
だが、幽々子が紅魔館のどこにいるのかなど分かる筈もなく、
結局は適当に歩き回っては、片っ端から部屋を訪ねるという手段に頼らざるを得なかった。

「失礼しまーす」

そして、これが本日15回目のお部屋訪問であった。









「困ったわね……もう猫の手でも借りたいくらいよ……」

頭を抱える咲夜。
と同時に、ひょい、と差し出される小さな手。
顔を上げるとそこには、どこか見覚えのある妖怪がニコニコ笑顔で立っていた。
「いつぞやの化け猫……って、どうしてここにいるのよ」
「だから、はい」
「……?」
「もう、自分で言ったくせに。ほら、猫の手貸したげる」
妖怪の式の式、橙。
彼女は、慣用句という言葉を今ひとつ理解していなかった。

「……あのねぇ、気持ちは有難いんだけど、そういう意味じゃ」
「待ちなさい」
凛とした声が、咲夜の言葉を遮った。
メイド長の執務室に、無断で入ってこれる人物は極僅かである。
声の主は、その内の一人であった。
故に咲夜も、動揺することなく受け答える。
「あら、パチュリー様。こんな所まで如何なさいました?」
「如何も烏賊も無いわ。私は今、衝撃に打ち震えている所なのよ」
「はぁ」
「いい事? 私独自の視姦……もとい、観察によると、この子の猫度は実に96点!
 そう。なんと貴方の四倍に匹敵するのよ!」
「なるほど」
「シャア専用だって三倍に過ぎないこのご時世に……まさにメークミラクル!」
「左様で」
「しかも、この子。手に本を抱えているのよ!? これを天恵と呼ばずに何と呼ぶの? テンコー?」
「そうですね」
「そういう訳でこの子を雇いなさい。図書館のネコイラズに任命するわ」
「はぁ、ではご自由に」
猫なんだから猫度が高いのは当たり前だろう。やら、
シャア専用って何やねん。やら、
本物の猫にネコイラズは嫌味か。等、台詞の全てに突っ込みどころがあったのだが、
咲夜はそれら全てを無視して、ただ受け答えをするだけの存在と化した。
時間の無駄だと理解していたからだ。
「決定ね。貴方、名前は?」
「え、え、ち、橙……」
「そう、エエチチェンというの、変わった名前ね。特殊な言霊でも宿ってるのかしら」
「そ、そうじゃ……うにゃー!?」
まさに問答無用という言葉が相応しい勢いで、二人は執務室から姿を消した。
正確に言うなら、パチュリーによる拉致だ。

「ワシントン条約違反に当たるのかしら……普通の猫ならともかく、化け猫は確かに希少種よねぇ」
一人になった咲夜は、ぼんやりと呟きを漏らす。
突っ込みはともかく、一切の制止を行わない辺り、彼女もまことに良い性格と言えよう。










<白玉楼>

「紫様ぁ、橙が帰ってきませんよぅ」
「もう遅いし、泊まってくるんじゃないの?」
「そ、そんな……無断外泊は非行の始まりなのに」
「向こうには幽々子もいるんだし、そう心配する事無いでしょう?」
「だから、余計に心配なんですよぉ……」
「大丈夫ですよ。いくら幽々子様でも、橙ちゃんを食べたりはしません」
「当たり前だっ!」
「……多分」
「え、弱気!?」

この日、橙が白玉楼に戻ってくる事は無かった。

どうも、YDSです。
随分とご無沙汰になりましたが、第四話お届けします。
やはり間が空くと色々と難しいですね……。
時期柄、花映塚ネタがガンガン浮かんではくるのですが、
まずはこれを完結させる事に専念しようと思います。多分。

今回、幽々子と紫が使っていたのは、お分かりでしょうが携帯です。
まぁIPodの存在する世界ですし、紫絡みならあっても問題無いんじゃないかなぁ、等と妄想してみた次第です。

では次回も宜しくお願いします。
……今度は早く書けると良いなぁ。
YDS
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コメント



0.5120簡易評価
3.70K-999削除
 携帯電話。なんと世俗の垢にまみれた幽霊か。しかしゆあきん、あんた抜けすぎ。話の展開上仕方ないとはいえ、少々強引な気がします。いくらなんでもそりゃねーだろみたいな。

 でも面白いから70点。
7.60七死削除
まあ紫と幽々子にとって掟はあってなきが如しですから。
幽々子様が土いじりか。 その後がチェルノブイリの農場みたいにならなきゃいいんけど(酷
8.70名前が無い程度の能力削除
橙のダンボールの使い方に感動した。よく頑張った。

捨て咲夜さんとか捨てゆゆ様とかどっかに落ちてないかなぁとか想像した自分は紅魔館にス二ーキングミッションの刑。
9.80名前が無い程度の能力削除
スッ・・・・・スネェェェェェクッ・・・・
分かる人いるかな?
11.80てーる削除
いくら畑を耕そうとも、収穫と同時に幽々子様のおなかにダイビンg(パクッ)

・・とか考えてしまった・・子悪魔ごめん・・・orz

・・・いやいや・・いくら幽々子様でも、橙を食べたりは・・食べたりは・・(滝汗
12.無評価nanasi削除
ドラム缶を押すか…なんか懐かしい響きだな
18.無評価回転式ケルビム削除
スネーク、応答しろスネーク!!
まああのゲームの敵役はみんな妖怪じみてますから、一人二人幻想郷出身でもおかしくないですね。
小悪魔はアウトドア派だったのか・・・普段ストレスたまりそうだなぁ。
あとダチョウの卵は「食えるか!」らしいです大佐。
19.70TAK削除
紅魔館の図書館はダンジョンですか…。
テレポーターとか食らったら『ほんのなかにいる』とかなったりするんでしょうか。
続きを楽しみにしています。
20.90no削除
うちでガチョウ飼ってましたけど、大味で美味しくなかったですからね。>たまご

相変わらずテンポと壊れ度が同居していて楽しく読めました。
むむむ、密かに橙にスポットライトが。
23.80名前が無い程度の能力削除
ゆかりんは覇王デッキだと信じてやまない

それはそうと大佐。橙の萌度をもてあます
38.80名前が無い程度の能力削除
デスクルスですかいw
ちょうどMM2は最近クリアしたばっかりですよ。
「押してもいいんだぜ……なつかしいドラム缶をよ!」
(それが言いたかっただけかい)
42.80名前が無い程度の能力削除
デカルチャーがツボにきました。
91.100時空や空間を翔る程度の能力削除
ダンボールを装備しろ!!
素晴しい使い方だ。
97.100名前が無い程度の能力削除
そーですかゆかりんゲーセン行くんですか
113.80名前が無い程度の能力削除
カオスゲームの決着の付け方に吹いたw
まさにカオス
120.100名前が無い程度の能力削除
お代わりも大盛りも禁止された幽々子はどこまで我慢できるのだろうか
それとそのカオスゲーム凄くやりたいw