乞い泣くように風は吹いていました。
吹かれて花びらが、散り散りになるように、彼女は赤く、内側をはしたなくも見せびらかしていましたが。よいのです。何せ季節は冬ですから。
尊大な義務感を天より賜った彼らが、世界の仕組みを白紙に還すがごとく、すべてを覆い尽くした零下をきっと見たことがあるでしょう。すなわち、冬は大概のできごとを、見なかった事にしてくれます。おおらかにも、許してくれるのです。
とりわけ繊細さを増す冬のお山で、樹海は白さを身に纏って、春までの眠りに落ちます。
いのちは確かに、ここにありました。真っ黒なとんがり帽子。真っ赤な中身。これらは、いのちの色です。白さだけは、死の色でした。いのちはほどなく、行方をくらますでしょう。どうか安らかに。よい夢を。
雛が拾い上げた眼球は、季節はずれの、ラムネのビー玉みたいでした。南洋を思わせる瞳の青は、紛れもない、いのちそのものでした。もふもふの手袋とマフラーと、ありったけの厚着をして、それでも体が芯から凍える寒波の日でした。息を吐くと白くなります。
よろしければ、魔法使いの不慮に一抹の哀悼を。
天から今も飽きずに降り続く、彼ら以上の義務感に、雛がとらわれたのは、たぶん、おかしな事でもなかったのだと思います。
雛は、神様でしたし、着ている服は魔法使いの中身と同じ色をしていました。ついでに、彼女の胡乱な同居人である厄は、魔法使いのとんがり帽子と、だいたい同じ色です。
/死を思え。
/死を嘆いて。死を縊って。死を埋葬して。死を呪って。死を嘲笑って。死を
「随分、間抜けな様じゃない。自業自得だけど」
「酷い言われようだぜ。まだ若かったっていうのに。輝かしい私の未来が砕け散ってしまったんだ。もっと悲しめ」
雛は不思議そうに首をかしげました。雛の記憶によると、魔法使いの台詞は「うら若き乙女の体に傷が入ったんだ、もっと悲しめ」だった気がするのですが。
「そろそろ厄払いした方がいいって、忠告はしたのにね」
「だから、忙しい中、わざわざお前のとこに箒を飛ばしてたんだよ」
しばらくぼんやり考えて、雛はようやく思い至ったのでした。去年の冬は、今年ほど苛烈でなかった。つまりは、そういう事なのです。日付が、たまたま同じだっただけで。
「仕事柄、今まで結構な数の死体を見てきたけど、あそこまでぐちゃぐちゃになってるのは、あんまりないわよ。どれだけスピード出してぶつかったら、ああなるのかしら」
「仕方ないだろ。寒かったんだから」
サイレン。白狼の遠吠え。三日月。彼ら。夜の鴉。 長靴を軽やかに踏みならし、雛は麓へ向かいます。
隣を歩く魔法使いは、例年の冬ならともかく、今年の世界が冬眠してしまいそうな寒波をしのげそうな格好はしていないのに、存外快活で、これなら、もう一人の方の魔法使いも、運命を恨まなくとも良いかもしれない、雛はそう思いました。麓に降りると、吹雪はざらざらと、やすりで削る調子で雛の事を責め立てるのですが、雛はこの手の嫌がらせには慣れていました。
春が白々しく思える瞬間が、雛には少しだけあります。
謳歌する事の無責任さ。
とっておきの食材で作る晩御飯でお腹をいっぱいにしたり、ふかふかの毛布にくるまったまま二度寝したり、大切な友人と二人、暖炉の前で語りあったり、そういう贅沢のささやかさを馬鹿にされているようで嫌なのです。
死ぬのが怖いと、そんな当たり前の感情を、雛は時々わざわざ思い出します。思い出して首をかしげます。
厄の黒色が、雛を代弁していました。昔はどんな色だったのか雛はもう覚えていませんが、いのちを沢山食べて厄は、絵の具をまぜこぜにした今の姿を得たのです。死体の白さに比べて、それはあまりに生々しく、冬の支配を世界で唯一撥ねつけられる気がしました。
死よりもっとも遠いこれが、より即物的な死を引き寄せる原理が雛には不思議でなりません。
きっと、黒色だった魔法使いも、案外そのように思っていたのではないでしょうか?
膝を折るのはたやすいのだと思います。
懺悔する姿は、さぞ美しいでしょう。天も、それを望んでいます。でも雛は神さまでしたから、茨の冠を被る義務もないのです。
ただしく、友情に報いる。
「じゃあな。ありがとよ。お前が近くにいてよかったぜ。やっぱ一人ぼっちで春を待つのは寂しいからな。私はこう見えて、寂しがり屋なんだ」
「まあ、一応の友人として、最低限の義務は果たさないと」
「葬式にはぜひ出席してくれよ。数は多い方が、にぎやかでいい」
「春になったら、考えておくわ」
魔法使いは手を振って別れてくれましたが。
もう一人の魔法使いは言葉少なく、目玉を受け取ると、そそくさと家に引きこもってしまいました。
雪風。でも誰もかばってはくれません。雛は生まれた時から、今に至るまで、お山の外ではずっと、あらゆる瞬間で、ひとりでした。いや、これも雛の思い込みに過ぎないのかもしれませんが。
華奢でやわらかで、簡単に折れてしまいそうで、ちょっとした事故で負った傷の痕がまだ残っている、魔法使いの右腕が、気高いまでの勇敢さに溢れていた事を、雛は実際のところ覚えているのでした。その右腕が自身に向かって差し出された日も。
ランプの油が切れそうでしたが、大して気に留めるような事でもありません。蝋燭とちがって、これはいのちを燃やしていません。
なら帰路を急ぐ理由もないのですが、北風に押されるように雛の足は自然と速まっていました。冬は今も終わりに一歩一歩近づいています。差し迫ってはいませんが、残された時が潤沢でない事も、また承知の上でした。一年前が、そうだったように。
時計の針を動かすのは死神の仕事だとも言います。
雛の家にもある、あの、ふるびた振り子時計はどれだけの骸骨を積み上げて作られたのでしょうか。
零時に長針と短針が重なりました。昨日は今日に殺害されましたが、しかし鐘の音が、断末魔が雛の耳まで届く道理もありませんでした。
雛の足元には十分な死が、すでに刻まれていましたから。
/死を思え。
/死を称えて。死を飾って。死を許して。死を慈しんで。死を祝福して。死を
いや、思う以上の事は、雛には出来ないのかもしれません。
白い樹海。まだ何も書かれていない原稿用紙と、何一つ違うところがあったでしょうか。
死が停滞であるなら、眠りと変わらないというなら、いずれ目覚めが、始まりが来るというのなら。
冬は大概のできごとを許してくれる季節でした。
許されたまま、雛は残りの冬を何事もなく過ごすでしょう。
回転。春になれば、魔法使いは再びいのちを得るでしょう。許されるかどうかは春の気分次第でした。
雛にとっては、遠い、遠い、お山の外の出来事です。分かるのは、黒さを増した雪解けの厄が、もう一度奪うに十分な、肉食を備えている経験則だけでした。
いっそ、このまま彼らが徹底的に、平らに、真っ白に、アリの巣一つ分の間隙もなく、世界のことごとくを、覆い隠してくれたなら、世界を優しく封鎖してくれたなら、世界が瓶詰めになれば、冬が永遠であったなら。
しかし、急ぎ足で帰ったのは、きっと……そう、たとえ誰かが憎悪の鋭利な刃を向けようとも、きっと正解だったのでしょう。何せ、魔法使いの右手は、白色に呑まれそうになって、しかし、気高くも、まだ抗っていたのですから。
雛は膝をつくと、そっと右手を、胸の前で握りしめました。安っぽくも、誠実な祈りを。ありとあらゆる、全てに優先する切実な願いを。
雛は、彼女を悼む機会がこの先二度と訪れない事を知っているのです。
ある魔法使いの死。冬の、雪降る夜の出来事でした。
吹かれて花びらが、散り散りになるように、彼女は赤く、内側をはしたなくも見せびらかしていましたが。よいのです。何せ季節は冬ですから。
尊大な義務感を天より賜った彼らが、世界の仕組みを白紙に還すがごとく、すべてを覆い尽くした零下をきっと見たことがあるでしょう。すなわち、冬は大概のできごとを、見なかった事にしてくれます。おおらかにも、許してくれるのです。
とりわけ繊細さを増す冬のお山で、樹海は白さを身に纏って、春までの眠りに落ちます。
いのちは確かに、ここにありました。真っ黒なとんがり帽子。真っ赤な中身。これらは、いのちの色です。白さだけは、死の色でした。いのちはほどなく、行方をくらますでしょう。どうか安らかに。よい夢を。
雛が拾い上げた眼球は、季節はずれの、ラムネのビー玉みたいでした。南洋を思わせる瞳の青は、紛れもない、いのちそのものでした。もふもふの手袋とマフラーと、ありったけの厚着をして、それでも体が芯から凍える寒波の日でした。息を吐くと白くなります。
よろしければ、魔法使いの不慮に一抹の哀悼を。
天から今も飽きずに降り続く、彼ら以上の義務感に、雛がとらわれたのは、たぶん、おかしな事でもなかったのだと思います。
雛は、神様でしたし、着ている服は魔法使いの中身と同じ色をしていました。ついでに、彼女の胡乱な同居人である厄は、魔法使いのとんがり帽子と、だいたい同じ色です。
/死を思え。
/死を嘆いて。死を縊って。死を埋葬して。死を呪って。死を嘲笑って。死を
「随分、間抜けな様じゃない。自業自得だけど」
「酷い言われようだぜ。まだ若かったっていうのに。輝かしい私の未来が砕け散ってしまったんだ。もっと悲しめ」
雛は不思議そうに首をかしげました。雛の記憶によると、魔法使いの台詞は「うら若き乙女の体に傷が入ったんだ、もっと悲しめ」だった気がするのですが。
「そろそろ厄払いした方がいいって、忠告はしたのにね」
「だから、忙しい中、わざわざお前のとこに箒を飛ばしてたんだよ」
しばらくぼんやり考えて、雛はようやく思い至ったのでした。去年の冬は、今年ほど苛烈でなかった。つまりは、そういう事なのです。日付が、たまたま同じだっただけで。
「仕事柄、今まで結構な数の死体を見てきたけど、あそこまでぐちゃぐちゃになってるのは、あんまりないわよ。どれだけスピード出してぶつかったら、ああなるのかしら」
「仕方ないだろ。寒かったんだから」
サイレン。白狼の遠吠え。三日月。彼ら。夜の鴉。 長靴を軽やかに踏みならし、雛は麓へ向かいます。
隣を歩く魔法使いは、例年の冬ならともかく、今年の世界が冬眠してしまいそうな寒波をしのげそうな格好はしていないのに、存外快活で、これなら、もう一人の方の魔法使いも、運命を恨まなくとも良いかもしれない、雛はそう思いました。麓に降りると、吹雪はざらざらと、やすりで削る調子で雛の事を責め立てるのですが、雛はこの手の嫌がらせには慣れていました。
春が白々しく思える瞬間が、雛には少しだけあります。
謳歌する事の無責任さ。
とっておきの食材で作る晩御飯でお腹をいっぱいにしたり、ふかふかの毛布にくるまったまま二度寝したり、大切な友人と二人、暖炉の前で語りあったり、そういう贅沢のささやかさを馬鹿にされているようで嫌なのです。
死ぬのが怖いと、そんな当たり前の感情を、雛は時々わざわざ思い出します。思い出して首をかしげます。
厄の黒色が、雛を代弁していました。昔はどんな色だったのか雛はもう覚えていませんが、いのちを沢山食べて厄は、絵の具をまぜこぜにした今の姿を得たのです。死体の白さに比べて、それはあまりに生々しく、冬の支配を世界で唯一撥ねつけられる気がしました。
死よりもっとも遠いこれが、より即物的な死を引き寄せる原理が雛には不思議でなりません。
きっと、黒色だった魔法使いも、案外そのように思っていたのではないでしょうか?
膝を折るのはたやすいのだと思います。
懺悔する姿は、さぞ美しいでしょう。天も、それを望んでいます。でも雛は神さまでしたから、茨の冠を被る義務もないのです。
ただしく、友情に報いる。
「じゃあな。ありがとよ。お前が近くにいてよかったぜ。やっぱ一人ぼっちで春を待つのは寂しいからな。私はこう見えて、寂しがり屋なんだ」
「まあ、一応の友人として、最低限の義務は果たさないと」
「葬式にはぜひ出席してくれよ。数は多い方が、にぎやかでいい」
「春になったら、考えておくわ」
魔法使いは手を振って別れてくれましたが。
もう一人の魔法使いは言葉少なく、目玉を受け取ると、そそくさと家に引きこもってしまいました。
雪風。でも誰もかばってはくれません。雛は生まれた時から、今に至るまで、お山の外ではずっと、あらゆる瞬間で、ひとりでした。いや、これも雛の思い込みに過ぎないのかもしれませんが。
華奢でやわらかで、簡単に折れてしまいそうで、ちょっとした事故で負った傷の痕がまだ残っている、魔法使いの右腕が、気高いまでの勇敢さに溢れていた事を、雛は実際のところ覚えているのでした。その右腕が自身に向かって差し出された日も。
ランプの油が切れそうでしたが、大して気に留めるような事でもありません。蝋燭とちがって、これはいのちを燃やしていません。
なら帰路を急ぐ理由もないのですが、北風に押されるように雛の足は自然と速まっていました。冬は今も終わりに一歩一歩近づいています。差し迫ってはいませんが、残された時が潤沢でない事も、また承知の上でした。一年前が、そうだったように。
時計の針を動かすのは死神の仕事だとも言います。
雛の家にもある、あの、ふるびた振り子時計はどれだけの骸骨を積み上げて作られたのでしょうか。
零時に長針と短針が重なりました。昨日は今日に殺害されましたが、しかし鐘の音が、断末魔が雛の耳まで届く道理もありませんでした。
雛の足元には十分な死が、すでに刻まれていましたから。
/死を思え。
/死を称えて。死を飾って。死を許して。死を慈しんで。死を祝福して。死を
いや、思う以上の事は、雛には出来ないのかもしれません。
白い樹海。まだ何も書かれていない原稿用紙と、何一つ違うところがあったでしょうか。
死が停滞であるなら、眠りと変わらないというなら、いずれ目覚めが、始まりが来るというのなら。
冬は大概のできごとを許してくれる季節でした。
許されたまま、雛は残りの冬を何事もなく過ごすでしょう。
回転。春になれば、魔法使いは再びいのちを得るでしょう。許されるかどうかは春の気分次第でした。
雛にとっては、遠い、遠い、お山の外の出来事です。分かるのは、黒さを増した雪解けの厄が、もう一度奪うに十分な、肉食を備えている経験則だけでした。
いっそ、このまま彼らが徹底的に、平らに、真っ白に、アリの巣一つ分の間隙もなく、世界のことごとくを、覆い隠してくれたなら、世界を優しく封鎖してくれたなら、世界が瓶詰めになれば、冬が永遠であったなら。
しかし、急ぎ足で帰ったのは、きっと……そう、たとえ誰かが憎悪の鋭利な刃を向けようとも、きっと正解だったのでしょう。何せ、魔法使いの右手は、白色に呑まれそうになって、しかし、気高くも、まだ抗っていたのですから。
雛は膝をつくと、そっと右手を、胸の前で握りしめました。安っぽくも、誠実な祈りを。ありとあらゆる、全てに優先する切実な願いを。
雛は、彼女を悼む機会がこの先二度と訪れない事を知っているのです。
ある魔法使いの死。冬の、雪降る夜の出来事でした。
この文体が合う合わないがあるんだろうなーと思ったり。