Coolier - 新生・東方創想話

紅魔館の秘宝2

2013/01/14 00:48:01
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 最初にその少女に会ったのは、勿論地下での事だった。
 ごくごく最近、紅魔館が幻想郷に移るすぐ前だったと思う。大好きなお姉様の後ろに隠れて現れた、銀色の髪の幼い少女。
 その時のお姉様の顔は、なんというか飛び切りの玩具を自慢するような顔で、自信満々というか、仏頂面した彼女とは正反対だったのを良く覚えてる。そして、その後お姉様が言い放った突飛な提案も。

「……名前を付ける?」
「そう、そうなのよフラン。この子、色々あって今度から家に住む事になったんだけどね。その……」

 お姉様はベットに座る私の隣に腰掛けて、小首を傾げながら私の事を見つめてくる。
 ……なにかな? 多分、何かを催促されてると思うんだけど……ああ、そっか。
 お姉様とかれこれ五百年近く姉妹を続けている私は、どうにか当たりを付けて綺麗なお人形さんみたいな彼女に、お姉様を挟んだまま声をかけた。

「あの……お名前、聞いてもいいかな?」

 私の言葉を聞いてお姉様が我が意を得たりと満足そうに頷いた。当たりだったみたい。うん、良かった。
 けれど……

「……ない」
「へ?」
「名前は、捨てたから。私に名前は、ない」
「……」

 区切るようにぎこちなく話す少女の返事を聞いて、私は多分凄く困ったような顔になったと思う。だって、流石にこの答えは予想してなかったもの。見ればお姉様も一転して困ったもんだ、と言いたそうな感じでかぶりを振っている。

「えーと、けど全くないって事はないんじゃないかなぁ? ほら、だって呼ぶ時とか困るでしょ?」
「銀時計」
「うん?」
「私、銀時計って呼ばれてた。だから、それで十分」
「……」

 困った顔再び。ただし今度は彼女の腰元に下がった綺麗な銀時計に目をやって。
 えーと、それはもう名前っていうか例えが悪いけど私が良く見かける白い野良鼠をシロって呼んでるような感じじゃないかな? こう、そんなおざなりな感じがひしひしと。
 そして、そんなおざなりに呼ばれてきたこの子に、これ以上名前の話を続けていいものかと悩んでいると、お姉様がポンと私の肩を叩いて、お顔を耳に寄せて……

「ね、解ったでしょ? そんな訳で、この子に名前を付けて上げようと思うんだけど」

 どうかしら? と姿勢を戻して尋ねてくるお姉様の言葉に私は一もニもなく頷いた。この子にはきっと名前が必要。呼び名がなくて困るとか、そんな話じゃなくて。けど……

「名前を付けて上げるのはいいと思うけど、お姉様が付けて上げたんじゃ駄目なの?」
 
 どうして私のところに連れてくるんだろう? この子、綺麗な顔立ちでずっと無表情だから冷たい印象があるけど、お姉様には随分心を開いているように見える。だって、私の部屋に入って来てからお姉様のスカートの端をずっと掴んでるんだもの。私に紹介するっていうのが目的なら名前を付けてからでもいいような気がするし……

「嫌」
「ん?」
「名前は、レミリアに付けて欲しい。けど、レミリアの名前じゃ、嫌」
「……??」

 この部屋に入って初めて名無しの彼女が自分から話しかけて来てくれた。なんというか思いの外、胸の高鳴る喜びが私の中に現れる。けれど、その初めての言葉は結構難解というか、理解しがたい内容で……ああ、ここで困った顔になっていないかちょっと心配。人と話す機会の少ない私はそういう所がちょっと顔に出やすいから。

「……レミリア、名前、言ってみて」
「ん? 今、私に言ったのかしら?」
「うん」

 私と会話していた所でいきなり話を振られたお姉様が不意を突かれた調子でそう答えた。
 どうやら私は困った色を顔に出してしまったばかりか、この子に気を使わせてしまったらしい。うぅ、不覚。
 そんな風に縮こまる私と対照的に、お姉様は胸を張り、翼を伸ばして、誇らしそうにポケットから紙を取り出して広げた。

「おっほん、良く聞いていてねフラン。私が徹昼して考えたこの子の名前を!!」
「寝なかったんだ……」
「名前を考えるのに一日の半分を使い、もう半分で244の候補名を厳選したわ」
「そんなに考えたんだ!?」

 すごい、確かにこの子の名前を決めるのは重要な事だろうけど、そんなに一生懸命考えたなんて。どうりでこの子がこんなに懐くわけだ。
 見れば名無しの彼女も心なし嬉しそうな顔をしている。その顔を見て私も思わず顔が綻ぶ。そして、そんな私達に挟まれてお姉さまは……

「その名も!! サタニィ・モケーレ・ギャラクスィ☆マグナム!!」
「ギャラクスィ☆マグナァァム!!」
「むべゃっ!?」

 お姉様がその名前を叫ぶと同時に私は反射的にお姉様の顔に肘を入れていた。もう、本当に勝手に体が動いた。仕方ない、妹には姉の顔面に肘を入れなきゃいけない時があるんだ。今、解った。

「い、いえ、お姉様流石に肘は酷いと思うのよ。フラン」
「酷くない!! ああもう、さっきまで嬉しそうだったこの子が悲しそうな顔になっちゃったじゃない!!」

 例えて言うなら、私これからこの名前で生きていくのかなぁ? という悲愴な顔。
 うん、すっごく良く解った。さっきのこの子の言葉は名前はお姉様に付けて欲しいけど、お姉様のネーミングセンスは嫌って意味だったんだ!!

「お姉様ちょっとその紙貸してっ!! ……ガリウム・クリプトン・キュリウム。元素並べただけっ!? 身落離身落離那由他の担い手……寿限無かっ!? 赤き月・秋空をゆく・我が瞳。五・七・五!? は、い、く、かー!?」
「いえ、えっと、その、候補の段階では質より数を……ていうか眠くてちょっと意識が……」
「だったらちゃんと寝てから考えなさい!! あーもう!!」

 私は叫んだ勢いのままお姉様からひったくった紙に改めて向き直る。……思わず頭を抱えてしまった。これも仕方ない、だってギャラクスィ☆マグナム、この紙の中だとまともな部類なんだもの。
 私はお姉様が書き記した244の名前を一つ一つチェックして、どうにか人の名前になっている物以外に指で穴を開けて行く。
 お姉様が、ああ私の珠玉の命名が、とか嘆いてるけど無視っ!! そうして私が紙に穴を開け続けて残った名前はなんと7個。狙って無いよね? お姉様。

「はい、お姉様。とりあえずこの子の名前はその中から決めて上げて」
「うー、最近妹が冷たい……反抗期?」
「……反抗期が反逆期になる前に選んでね?」
「……はい」

 カチカチと歯を打ち鳴らして微笑むとお姉様は悄然として紙に向き直った。と言っても、向き直ってすぐに気の入った真剣な目になったのだけれど。まぁ、人の名前を決めるんだからそれも当然なんだけど……ということは、あの名前も真剣に考えた上での物だってことで……うぅ、姉のセンスが心配です。

「……決めたわ」
「ん、早いね?」
「ええ。私が考え、フランが篩にかけた物ですもの。どれを選んでも最上、となれば後は直感で選ぶべきよ」

 あるいは運命でもいいけれど、そう言って髪をかき上げるお姉様はとっても綺麗で。とてもギャラクスィ☆マグナム考案者とは思えない気品があった。私が思うにお姉様が凄いのはこういう所だと思う。道化を演じても、貴族を気取っても、どうしてかそれらしく様になってしまう。こういうのを器量が広いっていうのかな?
 そして、そんなお姉様に真剣に見つめられれば名無しの彼女の背筋だって緊張で伸びる。

「ふむ、では……いいかしら銀時計? ふふ、貴方をこう呼ぶのはこれが最後ね」
「……うん」
「貴方の名前は今日から十六夜咲夜よ。名前は契約となり貴方に宿る。今この時を以って貴方はスカーレットの同胞よ。おめでとう、そしてようこそ紅魔館へ、我が娘よ」
「……娘?」
「ええ、だって……」

 私は今日から貴方の名付け親ですもの。お姉様はそう言って、名無しの……名無しじゃなくなった彼女を抱きしめた。
 彼女はお姉様に抱かれてパチパチと困惑したように瞬きする。目をあちこち彷徨わせ……私と目が合った。だから私は、

「ん、私はフランドール、お姉様はフランって呼ぶよ。よろしくねっ"咲夜"!!」
 
 そう言うと、彼女は更に目を丸くして……

「ふえっ……私、咲夜?」
「そう、貴方は咲夜。もう名無しじゃないわ」
「ふえ……ふえぇぇ、レミリア、レミリアぁ」
「うん、私はレミリアよ。貴方のお母さん」

 とうとう咲夜が泣きだした。お姉様が咲夜の頭をあやすように撫でる。
 いつだか本で読んだことがある。人間にとって名前というのは繋がりなのだと、その証拠に世界にある様々な名前の種類、その中に家族名のない物は一つもない、と。
 咲夜は名前を捨てたと言った。あんな小さな子が、どんな事情があったのかは解らないけど、それまでの繋がりを全部捨てたのだ。それはどんなに辛いことだったのだろう。そして、新しい繋がりを得た今は……。だから今は、いっぱい泣いていいと思う。これまで辛かった分、いっぱい、いっぱい……

「フラン!! フラン!!」
「ん? え、私っ?」

 少し物思いに耽っていた私を咲夜が呼んでいるのに気付いて、狼狽する。
 え、だって、ちょっと、なんで?

「フラン」

 今度はお姉様が私を呼んで手招きする。
 二人に呼ばれて、私はおずおずと二人に近付く。咲夜がお姉様に抱かれたままこっちに手を伸ばす。
 私が、掴んでいいのかな? お姉様に目で問いかけると頷いた。私は恐る恐るその小さな手を掴む。
 その手は、とっても温かくて……震えてて……なんだか、なんだか……

「ひぐっ……よ、良かったねぇ咲夜ぁ……ぐすっ」
「な、ちょっと、なんで貴方まで泣くのよフラン!?」
「ふえぇぇん」
「ああ、もう咲夜も落ち着き……」
「「うえええぇぇん!!」」
「……ええい、しゃらくさい!! オーケー、アンタら今夜は私の胸で泣き明かしなさい!!」

 泣き止まない私達にあっさり業を煮やしたお姉様は私達の頭を胸に掻き抱くと、ちょっと痛いぐらいぎゅーっと力を込めた。
 けどその時の私は、そして多分咲夜も、それが何故だが心地良くて、気が付いたら二人して泣き疲れて眠ってしまっていた。起きた時、咲夜と目が合って照れくさかったりもした。咲夜も顔が赤かったし。
 けれど、初めにそんな風に恥ずかしい所を見せ合ったのが良かったのか、私と咲夜はそれからお互い気が置けない仲で付き合えて来た。メイドになると決意した咲夜がお掃除の練習をしていたのは私の部屋だったし、私が若気の至りで書いたりした詩の中身を知っているのは咲夜だけだし……そんな風に私達はきっと親友になれたのだ。お姉様のように親子とまでは行かなくとも。
 ……だけど、

『フラン』

 ……ああ、だけどいつからだろう。

『フラン様』

 ……いつからだろう、咲夜が、親友だった咲夜が、

『妹様』

 ……私の事を名前で呼んでくれなくなったのは。どうしてだろう、泣いた顔も、悔しい顔も、何度も見て、見せてくれた咲夜が……

『これこそはたった一夜に咲き誇る花、月下美人なので御座いますっ!!』

 オドケタような――作ったような――笑顔しか、見せてくれなくなったのは。








………………

…………

……









 ぱちりと目を開くと、見慣れた天井が目に入る。
 手足を僅かに動かし身じろぎし、それと同時に何故だが身体に走った痛みで以って、フランはようやく目を覚まし自分がベットの上で眠っていた事を悟った。つまり今までのは……

「……ん……夢?」

 寝ぼけ眼を擦りつつ、身を起こしたフランは辺りを見回した。レミリアも居ない、咲夜も居ない、部屋にフラン以外の人影はない。まぁ、さっきまでのは過去の夢なのだから当然なのだが。しかしそれでも、静かな暗い部屋に少々侘しい思いを覚えつつ、フランはベットから抜け出して、とりあえず顔でも洗ってこようと……

「フラン!! フラン!!」

 したところで、人型ではない蝙蝠影が金切り声で叫び出した。
 半覚醒状態だったフランがいきなり響いたその声にびくりと身体を跳ねさせ、ひゃっと声を上げた。

「コ、コウモリさん? うぅ、びっくりしたなぁ。モーニングコールならもっと優しい声で……」
「そんな寝ぼけた事言ってる場合じゃないよ!! 早く着替えて上に行きなよフラン!!」
「上? 上って図書館の事? うぅ嫌だよ、私、いつもならまだ寝てる時間だよ? それに魔理沙が今日も来るって言ってたから、行き違いになったら……」
「その魔理沙がピンチなんだってば!!」

 それを聞いて、フランは大きく目を見開いた。頭に付き纏っていた眠気が一気に吹き飛んだ。

「魔理沙が? それってどういう……?」
「いいから早く!! 行ったら解るから!!」
「う、うん!!」

 コウモリの急いた言葉から焦りの色を嗅ぎとったフランは、慌ててクローゼットを開いて、着替え始めた。
 故にフランは気付かなかった。自分の身体のあちこちに細く薄い傷跡が幾つもついていた事に。

 ――かくして、運命を開く二度目の邂逅は慌ただしく幕を開けた。







 紅魔館の秘宝 ~Devil girls destiny~ 2nd Day








 図書館と聞けば、大抵の者は本棚に囲まれた静謐な空間を想像するのではないだろうか?
 つい最近までは、ここ、朝日届かぬ紅魔館地下図書館にも、その一般的なイメージは常に当て嵌まっていた。いや、使用する者が極々少数に限られているという事を加味すれば、一般以上に静かだったと言える。しかし……

「待ちなさい魔理沙ーー!!」
「へへーん、待てと言われて待つ馬鹿はいないぜ、パチュリー!!」
「あんたはそのいないはずレベルの馬鹿なんだから止まるかもしれないでしょうが!!」
「な、ちょ……言ったなお前ーー!!」
「ほら止まった!! 今よ、こぁ!!」
「合点承知ですパチュリー様!! てやぁーー!!」
「な、おお!?」

 ……地下図書館は常に静かな場所である。それはすでに過去系で語られるべき事象であった。
 ちょっとしたビル並の高さを持つ本棚の間を縫い飛び、朝から高速でウィッチィチェイスを繰り広げる魔理沙とパチュリー。そこに箒に乗った魔理沙の真下からパチュリーの使い魔こと小悪魔が奇襲をかけた。小悪魔は球形の大型魔弾を下から魔理沙に向けて一斉掃射。死角をついた位置関係、相手が止まったタイミング、奇襲として必要なファクターを完璧に備えた攻撃であった。しかし、

「甘い!! 肝心の密度がお粗末だぜ小悪魔!!」
「うそぉ!? この距離で躱すんですか!? って、ちょ、待……」
「魔理沙キィーーック!!」
「こぁぁ!?」

 魔弾同士が干渉しないように小悪魔が開けていた弾幕の隙間、その間を高速ですり抜けた魔理沙が垂直下降を決め、その勢いのまま小悪魔の顔面にケンカキックをぶちかました。直撃。美鈴が繰り出してくる蹴り技を真似ただけの代物なのだが、なにせ魔理沙の飛翔速度は半端ではない。蹴りを貰った小悪魔は顔を手で抑えたまま墜落していく。

(小悪魔は……あれで墜ちたろ!! 元々そんな根性ある奴じゃないし!! てか、正直やり過ぎた気がするし!!)

 魔理沙は足に残り過ぎている反動の大きさに少々小悪魔の心配をしつつも、操縦桿よろしく箒の柄を持ち上げ再び高度を取ろうとする。しかし……

「良くやったわ、こぁ!! さぁ墜ちなさい魔理沙!!」
「うお!? 待てパチュリーその位置からの攻撃は反則だぜ!?」
「あんたが勝手に降りたんでしょうが、自業自得よ!! 喰らいなさい、水&木符!! ウォーターエルフ!!」
「げぇ!?」

 箒に跨り、かつ人間である魔理沙は基本的に後ろからの攻撃に弱い。特に今パチュリーが居る後ろ斜め上方というのは魔理沙の主砲であるミニ八卦炉を向けることすら難しい鬼門である。しかもパチュリーが繰り出してきたスペルは弾速と密度を両立させたウォーターエルフ。弾幕を視認するのに後ろを振り返らねばならない魔理沙からすれば最悪のチョイスであった。

(くっそ、どうにかしてパチュリーの方を向きたいが……無理、今それやったら絶対墜ちる!!)

 魔理沙が後ろを向く為に取り得る機動は二つある。一つはそのまま前進し大きく曲がってUターンする事。しかし、これは言うまでもなく下策である。パチュリーの放った魔弾がひしめいている中をUターンなど無謀にも程がある。絶対に被弾する。
 しかし、もう一方、前進したまま180度横回転し……所謂スピンターンを決めて振り返るというのもあまり上手くない手である。もちろん、Uターンよりは使うスペースが少なく、かつ素早く回れる為安全性で格段に勝るのだが……単純にターンそのものの難度が高いのだ。こちらは単純に自動車の運転を想像してみれば解りやすい。ただUターンするのとスピンターンで回るのと、どちらが難易度が高いか。ましてや魔理沙が居るのは空中である、魔力による浮力と推力、回転するための旋回力、それらの同時調整は出来ないとは言わないが、極めて難しい……恐らくターンしている間と、その直後は全く弾を避けられなくなる程に。

(そこをパチュリーに狙われたらどうにもならん。空中で固まったまま撃ち落される。かと言ってこのままだと……うお、掠った!?)

 時折振り向きつつどうにか弾幕を躱している魔理沙の袖口を水気の込もった水色の魔弾が掠めた。いや、それだけでなく尖った帽子の先っぽや箒の穂先、直撃には程遠いが魔理沙の身体を掠めていく魔弾は確実に増えている。

(くっそ駄目だ。これじゃジリ貧だぜ。こうなったら、一か八か!!)

 そしてとうとうパチュリーの魔弾が頬を掠め軽い凍傷を負ったのを切っ掛けに魔理沙は腹を括った。このままじゃどの道いつかは墜される。なら……!!
 魔理沙は手に持った箒に一層強い魔力を込め、飛翔速度を一気に引き上げる。加速により魔弾との相対速度が落ちる。自身と進路を同じくする弾幕の動きがはっきりと遅くなる。増大したGに顔をしかめつつも魔理沙は遅くなった弾幕を見据え、密度が薄い場所に飛び込んだ。そして……

(ここだ!! ……ッ!?)

 十分なスペースを得て、素早くターンしパチュリーと向き合った魔理沙は思わず目を剥いた。見ればパチュリーは笑っていた。パチュリー得意の広範を焼き払う五本のレーザー、その砲門たる魔方陣を一点集中"全て"こちらに向けて。瞬間、魔理沙は理解する。あんの紫もやしやっぱりこれを狙って……!! 魔理沙の産毛がぞわりと逆立つ、背筋を悪感が通り抜ける。

「これで終わりよ魔理沙!!」
「待てパチュリー!! 私は今日、本を取りに来たんじゃなくてだな!!」
「借りに来たって言うんでしょう!? 私はお前に本を貸すつもりは微塵もない!!」
「そうでもなくてぇ!?」

 魔理沙は言いつつ、どうにかターン直後の硬直から立ち直りパチュリーの射線から外れるべく動き始める。しかし……鈍い。烏天狗にすら劣らぬ普段の飛翔っぷりが嘘のよう、未だ硬直が解けきっていない。

(これじゃ躱しきれない……!! すまんフラン、今日は会いに行けんかも……!!)

 魔理沙の心を一瞬諦めがよぎる。そしてドカンと……"魔理沙とパチュリーの遥か足元で"爆音が響いて……

「……ん?」
「……あら?」

 パチュリーの頭上に、横から"大きな影"が被さった。

「なにぃ!?」
「えぇえぇぇええええ!?」

 影に気付きそちらを見た二人、特にパチュリーは大きな悲鳴を上げた。なにせビル並の高さを持つ本棚がギィィィと壮絶な断末魔を上げながらへし折れ傾き、パチュリーに向かって倒れてくるのだから。本を撒き散らして迫り来る、その姿は津波の如し。そんな自然災害のような倒壊に……

「むっきゅぅぅうう!?」
「あー……」

 パチュリーが見事に巻き込まれ魔理沙の視界から消え去った。間違いなく直撃だった。絶体絶命の危機からの急展開に魔理沙は開いた口が塞がらない。魔理沙が見つめるその先で本棚がズズゥンと重々しい音を立てて倒れきる。

「……って、パ、パチュリィィイイ!?」

 巨大怪獣の足踏みのような音を聞いて我に返った魔理沙が、慌てて倒れた本棚の元に急行した。最後に見た時、パチュリーはどうやら魔法レーザーの魔力を使って咄嗟に防御結界を張ったようだったが、流石にあの超質量を支える事は叶うまい。魔理沙の首筋を冷たい汗が伝う。

(死んだ……? 嘘だろおい!? あのパチュリーがこんな事で!?)

 本を借りに来れば魔砲で迎えられる事もある。冷たい言葉を投げられる事もある。けれど魔理沙にとってパチュリーは密かに尊敬している魔法使いの先達で……とにかく、死んだりすれば何の動揺もなくそれを受け止められるような安い間柄では断じてない。
 故に地面に降り立った魔理沙は立ち上った塵煙の幕を掻き分け、パチュリーが下敷きになっているだろう辺りに必死で駆け寄り……

「な……」
「あ、魔理沙だ。ちょうど良かった。パチュリー運んで離れて貰えない? 私、流石にこれで手一杯で……」
「お、おお?」

 ポカンと大きく口を開いた。
 塵煙の幕が途切れた先、パチュリーの防御結界でも防ぎきれない巨大本棚、それを普通に……"手で支えている"人影、いつの間に来ていたのか、フランドール・スカーレットにそんな言葉を掛けられ、魔理沙は戸惑いも露わにふらふらと前に進み出た。
 フランと、それから床に倒れているパチュリーに近付き、どうやらパチュリーが気絶しているらしい事にようやく気付いた魔理沙は、その時フランの言葉の意味を初めて理解し、パチュリーを引きずりながらも、どうにか本棚の影が掛かる範囲から運び出した。

「うん、もう大丈夫だね……それじゃ、きゅっとして!!」
「……ッ」

 フランがそう言うと同時に、呆然としていた魔理沙の肌をぞわりとした怖気が舐めた。魔理沙はその怖気に総毛立ち咄嗟にフランを凝視する。その怖気はまるでフランから感じられるようで……

「ドカーン!!」
「んなっ!?」

 同時に、本棚が"爆ぜ飛んだ"。
 魔理沙は見た。再び塵煙が視界を遮る直前、フランが持ち上げていた本棚が、およそ建築物と言っても過言ではない巨体が綺麗さっぱり粉々に吹き飛んだのを。

(な、なんだ? 今、何したんだ……? あんな巨大物体をタメ無しで完全破壊? そんな魔法有り得るのか?)

 魔理沙は自身の常識外の現象を目の当たりにして色を無くした。魔法、そう魔法のはずなのだ。私の予想が正しければあれは魔法の……
 混乱と同時に思索を巡らす魔理沙。しかし、その思索はすぐに断ち切られた。何故かと言えば塵煙の幕を切り裂いて、

「まーりさっ!!」
「うお!? フ、フラン!?」

 唖然として青い顔をしていた魔理沙に笑顔でフランが飛びついたからである。髪の色合いが似ているせいか魔理沙の腰元にくっつくフランはまるで魔理沙の妹のようだった。

「えへへ、助けに来たんだよっ。大丈夫だった?」
「た、助けに……?」
「うん、コウモリさんが魔理沙がピンチだから助けてあげなって!!」
「……コウモリさん?」
「うん。……あれ? 魔理沙に話してなかったっけ? お話してくれるコウモリのぬいぐるみなんだけど」
「ん、ああ、聞いてはいたけど……本当だったのか? あれ」
「本当だけど……あー!! 魔理沙ひょっとして嘘だと思ってたの!?」
「お、おお、いやま、その……うん、悪かった」
「酷い。コウモリさんの事話したの魔理沙が初めてだったのに……」
「うぐ、いやけどしゃあないだろ。あのぬいぐるみ、そういう気配全くしなかったぜ!?」

 ちょっと泣きそうなフランに見据えられ魔理沙は慌てて弁明する。……魔理沙とて妖怪溢れる幻想郷の住人である。ぬいぐるみやら人形やらが喋るというトンデモ話でも頭ごなしに否定したりはしない。ただ、そういう類の人形類は得てして気配という物がある。例えば元から喋る人形として作られた魔具なら、その元となる魔力の気配がするし、幽霊の類が憑いている人形なら湿った陰気な霊力を感じとれる。しかし魔理沙が見た限り、あのコウモリのぬいぐるみからはそんな気配は全くしなかった。故にフランの嘘だと判断したのだが……どうやらフランもその事に心当たりはあったのかギクリとした顔で半歩後退る。

「う、確かに私もコウモリさんからそういう気配は感じないけど……でも本当だよ!! コウモリさん本当に話すんだよ!?」
「お、おおう、解った、解ったから落ち着けよフラン。心配すんな疑ってないから」
「……本当?」
「ああ、そもそも私、ってか結果的にパチュリー助けられたのが証拠だろ? そこでお前が嘘付く理由もないしな」

 魔理沙は不安そうにこちらを見上げるフランにそう言って一つ頷いた。そう、コウモリさん実在の証拠は今こうしてフランがここにいる事なのだ。ここより更に地下に居たはずのフランが魔理沙のピンチを察し得るはずがない、にも関わらずフランがここにいるという事はそれを教えた者が実在するという事になる。それが果たして何者なのか? そこでフランがわざわざ嘘を付く理由は見当たらない。
 それにコウモリさんの話が本当だと仮定するなら、気配が感じられなかった事についても一つ説明をつけられる推測が魔理沙にはあった。つまり、

(フランは吸血鬼なんだ。妖怪の中でも最上級の存在、となりゃぬいぐるみ持ってお話したいって"思うだけ"で低級霊ぐらいなら寄せてきちまうかも)

 それなら魔理沙とフランが気配を感じられなかった事にも得心がいく。魔理沙が見た時は単純にぬいぐるみに霊が憑いていなかったのだろうし、フランはそもそも自分の意図せぬ力で呼んでしまったのだから感知しにくい。更に、魔理沙の前でフランが"コウモリさん"を呼んだ時何も喋らなかったのも、生きた人間である魔理沙の存在を霊が避けたのだろうという事で説明が付く。
 自らの推論を検証し、魔理沙は満足気にもう一つ頷く。

「うん、間違いないな。大丈夫だフラン、私はお前を信じるぜ」
「……う、うん、ありがとう魔理沙。信じてくれて」

 訳知り顔で得意そうに頷く魔理沙にフランは、はにかむように笑って再び抱きついた。
 そんなフランに魔理沙は少し戸惑う。フラン、こいつ昨日こんな抱きついてきたっけ? ごろごろと喉を鳴らしそうな感じで魔理沙に頬擦りするフランは大変微笑ましいのだが、少々スキンシップ過剰な気がしないでもない。魔理沙がその辺の所を怪訝に思いフランに尋ねようとした所で……

「パチュリー様ぁぁああ!! ご無事ですかぁぁああ!!」
「げ、この声は……」

 未だ立ち込める塵煙の向こうから聞こえてくる声は魔理沙キックを喰らって墜落していった小悪魔の物であった。増援を連れてきたのか、その声の後ろからゾロゾロとたくさんの足音も聞こえてくる。魔理沙はその物音の意味を立ちどころに理解し、思わず呻いた。

「……まずい、出口塞がれたかも」
「えっ?」

 地下図書館の出入口は現在一ヶ所しかなくそこを封鎖してしまえば、図書館は巨大な密室となり魔理沙を閉じ込める事が出来る。と言ってもいつもならその封鎖ごと魔砲でぶち抜くのが魔理沙のスタイルなのだが……

(今は駄目だ、フランを見られる。私がいつも封鎖を抜けられるのは"突破"であって"殲滅"じゃないからだ。小悪魔と妖精メイド……足音から察するに最低三十以上、全員チマチマ落としてたら、更に増援が来ちまう。そんな無限地獄こっちがやられる)

 塵煙の中、倒壊した本棚の影にフランと共に隠れた魔理沙は辺りを警戒しつつ、思案を巡らす。この密室から無事抜け出すには一体どうすれば……

(ん、密室?)

 自身の思考に引っかかりを覚えた魔理沙は自分の隣に居るフランに目をやった。するとフランも何やら目を丸くさせ自分が気付いたことに驚いたような顔で魔理沙を見返した。

「……ねぇ魔理沙。私、いい事思いついちゃったんだけど」
「奇遇だなフラン。私も今、奇跡の脱出劇を演じるためのタネを見つけたところだぜ」

 魔理沙とフランは同時に同じ方向に顔を向けた。今は塵煙と距離のせいで見えないがその先にはとある暖炉があった。とんでもないセンスで作られたサイケデリックな悪魔暖炉が。

「……魔理沙」
「おう、行くぜフラン!! 合言葉は……」
「抜き足差し足忍び足!!」
「その通り!! そんじゃレッツ・ゴー!!」

 一度叫んで躁気を追い出した魔理沙とフランは打って変わってそろりそろりと、しかし素早く、あたかも鼠の如く去って行く。そして、

「きゃぁぁああ!? パチュリー様が死んでるー!? 嫌です、私を置いて逝かないで下さいパチュリー様ぁ!!」

 小悪魔のそんな声が聞こえてきた頃には二匹の金色鼠はとっくに悪魔の口に収まっていた。
 狭い隠し階段を行く魔理沙はそんな小悪魔の声を聞いて不敵な笑みを浮かべて足を速めた。出来得るなら本棚倒壊という事態に小悪魔達が気を取られている内にフランの部屋を経由して地上に出てしまいたかった。故に魔理沙はフランを引き連れ階段を早足で駆けて……ふと、

(そういや最初に、フランは私の事助けに来たって言ったよな。てことはまさか……)

 思い出すのはフランが使った得体の知れない魔法。
 魔理沙がパチュリーに撃ち落される直前に響いた爆音、あれはパチュリーの弾幕が起こした物だと思っていたが……まさかフランがパチュリーに本棚をぶつけるために?
 魔理沙は僅かに肩越しに振り返る。そこには、こうして走ることすら楽しいと言わんばかりに無邪気に笑うフランがいる。

(いや、まさかな。そんな下手すりゃ死人が出る真似、フランがする訳ないよな。あれはただ、私を助けに来た所で本棚が倒れてきたから止めたってだけだろ、うん)

 フランの笑顔を見てそう納得した魔理沙は、更に歩を速める。フランと二人で、走って走って……

 ――ゴゴン

 悪魔暖炉の口が重い音を立てて、二人を飲み込んだ。







………………

…………

……








 ところで、紅魔館というお屋敷は今更言うまでもないがとても広い。その広さはもはや紅魔館と言うよりは紅魔城とでも呼ぶべき広さである。四階建てと高さこそ大してないが、館内に大規模なイベントホールを備え、百を超える妖精メイド達の宿舎を抱え、噂ではどこかに運動場などもあるらしい。そも、地下に丸々別棟の図書館を内蔵している辺りが、すでに規格外と言える。
 そして例えば……そんな広大なお屋敷の中から特定の人物の部屋を一つ探しだせと言われたら、それはもう砂漠に撒いた米粒を探しだせと言われるようなもので……

「だー見つからん!! おのれ中国ー!!」
「あ、あはは、ホントに見つからないね美鈴の部屋」

 魔理沙は休憩の為に忍び込んだ客室のベットで大の字になってそう叫び、フランもどこか疲れたような顔でソファに深々と背をもたれさせた。
 隠し階段を用いて見事地下からの脱出を果たした二人は現在、紅魔館の名物門番、紅美鈴の部屋を探して広大な紅魔砂漠を彷徨っていた。レミリアの部屋をターゲットにしているはずの二人が何故そんな事をしているかと言うと……




「鍵が半分しかない?」

 地上目指して地下の廊下を小走りで行くフランは魔理沙の言葉を聞いて、結構な驚きを込めてそう言った。

「ああ、正確に言うなら鍵の中の術式が、って事になるんだけどな」

 フランの驚いた声に魔理沙は決まり悪そうにそう答えた。
 魔理沙が言うには、咲夜の部屋にあった魔法鍵はどうやら半分に分割された物の一つであったらしい。昨夜、魔理沙が一人黙々とパチュリーの術式の解析を行なっていると、どう考えても途中としか思えない箇所で術式がぶった切られていた。その区切り方に多少脈絡とでも言える物があれば魔理沙は先を予想して術式を補完する事も出来たのだが、それすらやり用もない唐突な切り方だった。というか、恐らく魔理沙がやろうとしていた補完作業を警戒して、あえてああいう切り方をしたというのが正解なのだろう。そして、そうなってくると……

「ぶっちゃけ、私じゃパチュリーの鍵を真っ向から破るのは無理だからな。もう片方も解析せにゃならん。んで、鍵の片方を咲夜が持っていたって事を考えるとだ」
「もう片方を美鈴が持ってるんじゃないかってこと? ……咲夜が自分で、もしくはパチュリーが持ってるってことは?」
「ないだろうな。もう片方も咲夜が持ってるなら、あいつはそれをいつも持ち歩くはずだ。盗まれるのを警戒してるっていうなら部屋と自分の手元と両方に置いておくのがベストだからな。けど、私は咲夜からパチュリーの魔法の気配を感じた事は一度もない。てことはあいつは持ってないって事だろ? そんでパチュリーの方は……あいつは鍵なんかなくても自力で解錠出来るだろうからな。というか、合鍵なんて物作ったのは、そうやってなんかの機会で自分が鍵開けに呼ばれるのが面倒くさくなったからだと思うぜ、私は」
「あー……ありそう。パチュリー、本読むの邪魔されるのすっごく嫌がるもんね。でも……うん、それならお姉様の部屋の鍵を持ってるのは、やっぱり美鈴なのかも」
「だろ?」

 紅魔館門番長、紅美鈴。門前で昼寝していたり、魔理沙とのスペルカード戦の勝率がえらく低かったり、色々と情けない面も多い彼女だが、その実、紅魔館における彼女の評価は高い。立ち位置としては呑気な現場監督と言った風なのだが、カリスマ溢れるレミリアに、ちょっと天然だが日頃は完全メイドな咲夜、そのトップ二人と大半が子供のような思考回路の妖精メイド達とを仲立ち出来るのは彼女を置いて他にはいない。その働きは咲夜と伍して紅魔館の両輪と呼ぶに相応しい。紅魔館の内情に詳しい魔理沙はその辺も把握していたので、レミリアの部屋の鍵を預けられるとしたら美鈴だろうと当たりを付けたのである。……しかし、

「それでまぁ今日は美鈴の部屋に行ってみようと思うんだが……実は私、あいつの部屋がどこにあるかって知らないんだよな。いっつも門番してるから」

 紅美鈴の立ち姿に相応しい背景を付けろと言われたら、彼女の知り合いはほぼ全員紅魔館の門前をチョイスするのではなかろうか? 少なくとも自室で寛いでいる絵を思い浮かべる者は稀だろう。そして魔理沙もそんな例に漏れない一人で……昨夜、美鈴の部屋に潜入しようと考え始めた辺りで、そもそも部屋の所在すら知らない事に気付いたのだった。
 故に紅魔館在住であるフランにこうして聞いているのだが……

「……」
「待てフラン。なんでそこで目を逸らす?」
「……えーと」
「言葉はいいからこっちを見ろ。いや、ていうかお前まさか……」
「……ごめん。美鈴の部屋、私もどこだか知らないの」
「マジでか」

 魔理沙の方をようやく向いて、申し訳なさそうな声でフランが言った。
 それを聞いて魔理沙は思わず驚きの言葉を零した。魔理沙からすれば、知ってるか? と疑問形で聞いたのは言葉の綾みたいな物で、フランは美鈴の部屋を知っていると端から信じていたのである。というか、一つ屋根の下で暮らしているのに知らないなどと思うはずがない。知らなかったのならそれは薄情者と呼ばれても仕方がない。……が、
 
「うぅ、でも仕方ないでしょ? 私、今までずっと地下に居たんだよ? 美鈴の部屋がどこかなんて知ってるはずないよ」
「……あー、そういえばそうだったな。くそ、どうして気付かなかった、私」

 ただでさえ小柄な体を更に縮こまらせて言ったフランの弁明を聞いて、魔理沙は思わず天を仰いだ。紅魔館在住と言ってもフランのテリトリーは地下部だけなのだ。そこから上の地上部は、むしろ日頃紅魔館に押し入りまくっている魔理沙の方が詳しいぐらいだろう。
 私はそんな状態を何とかするために動いてるのに何で気付かないかなー!! と、魔理沙は自身の失策に気付いて今度は頭を抱えた。なにせ美鈴の部屋の位置についてはフランに聞けば解決すると思っていたので対策を全く考えていなかったのである。しかも、そろそろ地上部への出口が近い。
 魔理沙は走りつつ頭を抱えるという器用な真似をしながら必死で方策を考えた。……そして、

「……よし。こうなったら出たとこ勝負だな。今日のクエストはトラップ回避じゃなくて、美鈴の部屋を探してダンジョン探索と行こうぜ、フラン」
「おお~本当に出たとこ勝負だね……面白そうだけど」
「ふっふっふっ、お前ならそう言ってくれると思ってたぜ」

 魔理沙の考えなしな提案に喜色で持って応えたフラン、二人のチビッコシーフは顔を見合わせて楽しげに笑い、丁度良く辿り着いた地上部への扉を開いたのだった。
 ……そして、それから二人は紅魔館中を練り歩き、美鈴の部屋を探して……




「ていうか、そもそも何の当てもなく歩き回るのが間違いだよな。紅魔館の部屋数を考えると」
「うん、そうだね。私、もう今日だけで一月分ぐらいのドア開けた気がするもん」

 何の成果もなく現在に至る。
 強いて言うなら扉の鍵を開けまくったので魔理沙のピッキング経験値が溜まった事が成果だろうか。

「とは言ってもなー、美鈴の部屋って本当に何の噂も聞いたことないんだよな、考えてみると」
「……そう言えばそうだね。お姉様とか咲夜とかは模様替えした話とか聞いたりするけど、美鈴は本当に何にも聞いたことないかも」

 魔理沙が何かヒントは無いかと考え、何もない事に気付いてボヤくと、フランは少し驚いたような声で応えた。
 二人は、お互いの言葉を聞いてしばし沈黙。そして、

「「……何にも?」」

 魔理沙は身を起こして、フランはだれていた羽をピンと伸ばして、お互いに顔を合わせた。

「おいフラン、お前地下に居たとはいえ美鈴とは長い付き合いなんだろ? 本当に一個も聞いた事ないのか?」
「魔理沙こそ一つもないの? 魔理沙みたいに色々やんちゃしてたら美鈴とは結構お話しそうだけど。こう、教育的な意味で」
「……おい、どういう意味だそれは」
「あ、ごめんごめん。怒んないで魔理沙、ほらこの通り」
「いや、ま、別に怒っちゃいないが……」

 両手を合わせて必死に魔理沙を拝み倒すフランに、魔理沙はぶっきらぼうにそう答えた。フランには悪いと思ったが、今のやりとりで得た閃きが薄れぬ内に思考を纏めてしまいたかった。

(そうだ、考えてみたらおかしくないか? 普段気に掛けちゃいないが美鈴は紅魔館のNo.3だぜ? 一応客人扱いのパチュリーより偉いっちゃ偉いはずなんだ。そんな奴の部屋の事を一個も聞いたことがないだと?)

 例えば紅魔館のトップ、レミリア・スカーレットの部屋は非常に目立つ造りで、外から見ても簡単に見つける事が出来る。何故かと言えば、他の部屋の十倍近い広さがあり、かつその部屋の半分が日が差さぬよう窓のない造りになっている為である。そこだけポッカリと窓なしの煉瓦の壁が続いているのは外から見ても一目瞭然、その壁にレミリアの部屋と横断幕を掛けているのと変わらない解りやすさである。
 そして、実質紅魔館を取り仕切っていると言われている咲夜の部屋、こちらは今更語るまでもない。昨日、魔理沙自身が体験した超危険地帯。あれが話し好きな妖精メイド達の間で話題にのぼらないはずがない。

(そう、そうだ。妖精メイドからも美鈴の部屋については一個も聞いたことがないぞ。あいつの部屋も結構目立つ感じになりそうなのに)

 紅美鈴、名前もそうだし、服装も魔理沙が時折中国などと言ってからかうほど大陸風な門番長。となれば部屋の方もそれなりにオリエンタルな感じだろう、恐らく。純西洋建築な紅魔館でその部屋はどう考えても目立つ。目立つはずなのに紅魔館中に居る妖精メイドの誰からもその部屋について聞いた事がない。となると……

(多分、あいつの部屋は普段人目につかないような場所にある……地下? いや、それならフランが知ってるはず。なら……)

 魔理沙がニヤリと笑った。確信があった。今自分が至った答え、それが正解であることに。

「フラン、一個だけ確認するけど美鈴の部屋の位置を知らないって事は、少なくともあいつの部屋は地下には無いってことだよな?」
「え……うん、そのはずだけど」
「よっしよっし、なら間違いないな。ふふん、美鈴にしちゃ手こずらせてくれたが、まだまだ甘いな。ふっふっふ」
「や、別に美鈴は魔理沙を手こずらせようとはしてないと思うけど……」

 ここに居ない美鈴に向けて勝ち誇った笑みを浮かべる魔理沙にフランは恐る恐る突っ込む。
 しかし、我らが普通の魔法使いはそんな突っ込みは聞いていなかった。ベットに放り投げていた魔女帽子を被り、箒片手に部屋の出口に向かう。そして、満面の笑みでフランに振り返り……

「行くぜ、フラン。目指すは……上だ」

 そう言って魔理沙は上を指差した。その指の先を追って天井しかない事を確認したフランはことりと首を傾げた。







………………

…………

……








 紅魔館で一番低い所はどこかと言えば、それはフランの部屋のある紅魔館地下四階である。地下一階にある魔法図書館よりなお太陽から遠いそこは、ある意味吸血鬼の住処として最も相応しい場所と言える。そして逆に、最も高い所はどこかと言えば……

「す、すごい、本当にあった……」
「あ、ああ、自分で言っといてなんだけど、私も結構驚いてる」

 ギィィ、ゴォォンと金属の軋む音が響くそこは2、30m四方の空間を曇りガラスの窓から注ぐ日が染め上げ、どこかノスタルジックな空気を醸し出す広い部屋だった。
 魔理沙の予想通りの大陸風の箪笥や寝台、インテリアとして置かれた壺や薄く日を透かす青や黄色の遮光暖簾。そしてなにより、部屋の少々広くなったスペースに置かれた青龍刀や双節棍などがこの部屋の持ち主が誰なのかを端的に示していた。
 紅魔館では珍しい中華趣味の居室、それだけで十分特筆に値する場所なのだが、二人が驚いているのはそこではなく……

「なんで美鈴、時計塔に住んでるの?」

 遥か頭上で軋む大時計の歯車を見上げてフランは心底不思議そうに首を傾げた。隣では魔理沙がフランの言葉に全くだ、と頷いている。
 ……意外な事かもしれないが、紅魔館で妖精メイドが完全立ち入り禁止の場所は少ない。というより、立ち入り禁止にせざるを得ないような場所は、本気で危険過ぎるデンジャラスゾーンなので彼女達自身が近付こうとしないので禁止にする必要がないのである。例えば、パチュリーの地下図書館などは妖精メイドが一人でうろつこうものなら半分妖怪みたいな魔導書にぺろり平らげられ、その後彼女を見た者は……などという展開になりかねない。そして、ここ時計塔も……何でも、昔時計の歯車にうっかり挟まれた妖精がその場で死んでは復活し、復活しては死にを繰り返す生地獄を体験したとかいう噂が流れており、さしもの妖精メイド達も二の足を踏む場所なのである。魔理沙がここが美鈴の部屋ではないかと踏んだのはそれが理由だったのだが……

「うぅ、時計の音がうるさい……この部屋、絶対寛げないよ。なんかちょっと揺れてるし」
「そうだな。それに結構機械油の匂いもするしな。まぁ、あいつは門の真ん前でも眠れる奴だから平気なのかも知れんが……」

 ゴッチ、ゴッチと、大時計の時計盤の裏では秒針の音すら良く響く。歯車の振動が床を揺らし、機械油の匂いが鼻を差す。
 結果として魔理沙の推理は正解だった訳だが、予め魔理沙がこの時計塔の住み心地を知っていれば正解は出せなかったに違いない。理由は簡単、こんなとこに住みたがる奴は絶対いないと判断するからだ。……まぁ、例外が一人居たわけだが。
 魔理沙は何故美鈴がここに居を構えたのかが全く解らず、コメカミをとんとんと人差し指で叩いて首を傾げた。……そして結論、

「うん、美鈴の部屋の趣味は置いといてだ。とにかく、ここがあいつの部屋なのは間違いないんだ。となりゃ、さっさと目的を達成しちまおうぜ。部屋の事は何なら今度本人に聞けばいいんだしな」

 魔理沙は横目で自分達が入って来た扉に視線をやってから、早速手近な扉付きの戸棚を漁り始めた。冗談のような話だが、魔理沙達が入って来た扉には時を経て薄まった墨字で紅美鈴と書かれたプレートが確かに下がっていた。その生活感溢れるプレートと鈍色の寂れた時計塔の扉とのギャップは何とも言えない違和感を魔理沙達に与えていた。
 魔理沙が部屋を探索し始めると同時にフランもまた、そばにあった文机の棚を開いて探索を開始する。レミリアの部屋の鍵を探すのなら咲夜の時のように金庫でも開けば良いのだが、魔理沙もフランも、そもそも美鈴の部屋が時計塔にある事も知らなかったのである。そんな部屋の中にある金庫の所在など二人が知り得るはずもない。それどころか金庫の有無すら不明だ。
 その上この部屋、実は端から扉に鍵が掛かっていなかったりする。あけすけな性格な美鈴ならそれも納得なのだが、そんな彼女ならレミリアの部屋の鍵も普通に箪笥の中とかにしまっていても不思議はない……それが魔理沙とフランの共通見解だった。
 故に二人はとりあえず、レミリアの部屋の鍵の、ミニ八卦炉のような姿を思い描きそれが仕舞われてそうな場所を手当たり次第に探っていく。戸棚に机、ベットの下に壺の中……中々目当ての物は見つからなかったが、その代わり魔理沙は一つおかしな事に気付いていた。

(この部屋、よく見たら随分埃が積もってるな。二、三ヶ月……いや、もっと長いこと部屋空けないとこうはなんないぞ?)

 部屋を調べていた魔理沙はサイドボードの上に積もった埃を指でなぞり、その埃の層の厚さに目を訝しげに細め、疑念を露にした。
 美鈴が長い間この部屋に帰っていないというのは、魔理沙からすればあまり歓迎出来ない事実である。なにせこの部屋は住む事に関して致命的なまでに向かないのだ。そこを長く空けるという事は、つまりこの部屋の他に美鈴が寝起きしている部屋がある可能性がある。そうなってくると……

(また広い紅魔館をあてもなく彷徨うのか? うう、それは流石に勘弁して欲しいぜ)

 魔理沙は眉を困ったようにハの字に曲げて、サイドボードの上に飾られた青磁器の皿の後ろを覗き込もうと首を伸ばした。と、

「うおっ」
「わっ」

 同じように皿の後ろを覗こうとしていたフランと至近で目が合った。二人揃って美鈴の部屋の探索に夢中になっていたので、相手が同じ家具を調べている事に気付かなかったようだ。驚きで慌てて後ろに下がった二人は改めて顔を見合わせて照れくさそうに微笑んだ。

「ん、まぁなんだ。一応聞くんだが、お目当ての物は見つかったかフラン?」
「ううん、見つかってないよ。魔理沙も……見つけてないみたいだね? お皿の後ろなんて探すぐらいだし」
「ああ、残念ながらさっぱりだぜ」

 お互いに解りきった成果を確かめ合い魔理沙は肩を竦め、フランはテヘヘと笑って頬をかく。

(参ったなこりゃ、こうなると本当に部屋の在り処から探し直しかもな。とりあえず、私とフランで部屋を一周しちまったみたいだし……)

 魔理沙は部屋の床一面に敷かれた紅い絨毯を見てそう嘆息した。
 家具にたっぷり埃が積もっているという事は、当然ながら絨毯の上もそれと同じような有様だということである。家具の置かれた壁際の足元には魔理沙とフランが埃を踏んで出来た足跡が点々と続き、今魔理沙が立っている箇所で合流し四角形を描いている。それはつまり、この部屋はすでにあらかた探し尽くしてしまったという事で……

「ん? おおっ!?」
「魔理沙?」

 床を残念そうに眺めていた魔理沙が、突然床に這いつくばって首を左右に巡らした。黒いスカートに白い埃が張り付き色を付けたが、それさえもお構いなしだった。
 フランはそんな魔理沙の姿に既視感を覚えつつも疑問の声を上げた。すると魔理沙はこいこいとフランを手招きして自身の横を指差す。どうやら自身と同じ姿勢をとれと指示しているようだった。そんな魔理沙にフランは首を傾げつつも指示通りに床に座り視線を魔理沙と同じ高さまで落す。すると、

「ああっ!? 魔理沙、あれっあれっ!!」
「おう、解ってるぜフラン。ちょっと待ってろ、そこ動くなよ!!」

 怪訝な顔から一転して、興奮で顔を輝かせたフランが部屋の真ん中辺りをビシビシと指差した。それに応えた魔理沙も先程までの憂鬱気な空気を吹き飛ばし、ニヤリと笑って箒に跨った。そして魔理沙はフランを手で制しつつ、吹き抜けになっている部屋の上空を時計の歯車にぶつからない程度に浮遊、懐から取り出した小瓶のコルク蓋を口で引き抜き中身を部屋一面にばら撒いた。小瓶の中身はどうやらキラキラと輝く粉末だったようで、ゆっくりと滞空しつつ降りていき床に降り積もる。そして……

「わ、すごい!! なにこれ!!」
「ふっふーん、中々綺麗なもんだろ? さっき撒いた粉は魔法の森にしか居ない蝶の鱗粉に私の血と魔法を仕込んだもんでな、元々は石版に掘られた字とかを読みやすくする為の物なんだが……」

 魔理沙が撒いた粉末――魔理沙曰く蝶の鱗粉――は床に降りても輝きを失わずキラキラと白い光を放ち続け紅い絨毯をイルミネーションのように光で飾った。その様はあたかも発光する雪が降り積もったかのようで、魔理沙が自慢気に語るのも頷ける美しさであった。
 しかし、この鱗粉の真価は決して見た目の美しさではない。この鱗粉の効用は近くにある同種の鱗粉と"高低差"があった場合、色を変えて輝きそれを検出すると言うもので……例えば埃の積もった絨毯に撒いた場合、そこだけ凹んだ"足跡"を検出するという効果が見込める。そして、白から変色した青色の光が浮き上がらせた足跡は三つ。その内二つは勿論壁際に寄っている魔理沙とフランの物、そしてもう一つが入口と部屋の真ん中へと真っ直ぐに何度も往復している物で、これが恐らくは……、
 宙に浮いている魔理沙に代わり、フランが待ちきれないと言わんばかりの素早さで部屋の中心に走り寄り、足跡が途切れている先の床を凝視する。

「あっ!! 魔理沙、絨毯の真ん中のところなんか術がかかってるよ!! 私の部屋みたいなやつ!!」
「よっしゃ、でかしたフラン!! っと待て、まだ触るな!!」

 魔理沙に怪しい術式の発見を報告するなり床に手を伸ばしたフランを慌てて止め、魔理沙は急降下でフランの横に降り立つ。
 そして部屋の四方をぐるりと用心深く見回し、次に床をだしだしと強めに踏みつけ、最後に歯車が噛み合い回転している上方を見上げ、ぽつりと、

「むぅ、考え過ぎ……か? いや……」
「えーと、どしたの魔理沙?」
「んん、いや正直美鈴が術使ってまで何か隠すっていうのが予想外だったんでな。もしかすると、もう一つ予想外があるかと思ったんだが……」
「予想外って?」
「例えば咲夜風トラップ地獄」
「……!!」

 魔理沙が答えると同時、フランは慌てて先程の魔理沙に倣って四方と天地を怯えた様子で見回した。しかし……

「……何にもないよ?」
「ああ、だから考え過ぎかとも思ったんだが……問題なのが上でな」
「上?」

 先程からずっと上を向いている魔理沙の視線の先では、大きな歯車がガタゴトと音を鳴らしてその役目を果たし続けている。そんな生真面目者を相手に魔理沙が心配するのはただ一つ……あれ、トラップで崩れてきたりしないだろうな?
 頭上の歯車の多くは小さな物でも直径2m程で、大きなものでは10m近い物もあるように見える。そんな代物が大挙して上から降ってきた日には人間の魔理沙は呆気無く死んでしまう。まぁ、そんなルナティックな罠を美鈴が仕掛けるとは思えないのだが……先程パチュリーが本棚に押し潰されかけたのを見た魔理沙はどうにもその不安を拭いきれなかった。
 ……と、そこで魔理沙は思い出した。パチュリーが圧死の憂き目を免れたのは誰のお陰だったのかを。魔理沙は視線を下ろしてフランに据える。

「え、なに?」
「ん、そういえば聞きそびれてたなぁと思い出してな。フラン、お前あの本棚ってどうやって壊したんだ?」
「へ? ああ、あれは……ッ」

 魔理沙に問われて些か間の抜けた声で答えかけたフランは、慌ててパチンと自身の口を両手の掌で塞いだ。それを見て魔理沙は思った、これまた何という雄弁なジェスチャーかと。そんな明らかに『いっけない、これ言っちゃ駄目だった』みたいな感じで口を塞がれたら気になるじゃないかと。しかし……

(フラン、こいつどうにも今朝から様子がおかしいような……これもその類なのか?)

 例えば図書館で魔理沙に抱き着いてきた事。例えば客室で休憩していた時に魔理沙が少し怒ったような素振りを見せると、妙に必死に謝って来た事。そして例えば……今、口を手で抑えたまま魔理沙を怯えたような瞳で見ている事。

(これまでの反応を考えると、お願いだから聞かないでって感じかね? まぁ、そう言われれば別に聞かないけど……)

 正直に言うと。魔理沙はフランが図書館で使った魔法にとても興味があったりする。フランが使った魔法は、結果だけ見てもこの上なく派手かつ破壊的で、派手じゃなけりゃ魔法じゃない弾幕は火力だぜ、をモットーとする魔理沙の琴線を盛大にかき鳴らす代物であった。故に是非ともその術式について聞いてみたかったのだが……そんな意気込みも今のフランを見ているとどうにも萎えた。なんというか、ここで魔理沙があの魔法はなんだったんだと続けて聞くとフランはこのまま口だけじゃなく鼻も抑えて自害の道を選んでしまいそうな気がする。そんな後ろ向きな必死さが今のフランからはまざまざと感じられた。
 魔理沙からすると今日のフランは全体的な感情の振り幅が昨日より大きくなっているように思えた。まぁフランとは知りあって二日目なのだから、馴染んできて地で振る舞うようになったと考えればそれまでなのだが。

(ともあれまぁ、ここで変にフラン問い詰めるのも可哀想だしな。聞くべき事だけ聞いとこうかね)

 それが怯えるフランを見ての魔理沙の決定だった。
 自身の好奇心を抑えて、魔理沙はフランの様子に何も気付いていないかのような惚けた声で問いかけた。

「なぁフラン、例えばなんだがあの歯車が上から降ってきたとして本棚みたいに壊す事って出来るか? 出来れば全部」
「……出来る、よ。視界に入っちゃえば数はあんまり関係ないから……千個とかになったら重なって見えづらくなるから別だけど」
「そうか、まぁ当たったら死にそうなのは千個もないから平気だな。それじゃフラン、もしあれが上から降ってきたりしたら壊してくれるか? 私は死ぬなら大往生か大爆死って決めてるんでな。圧死は勘弁願いたい」
「それはいいけど……」

 上目遣いでこちらを見つめるフランの瞳に今度は疑問の色が宿る。フランとしてはもっと詳しい事を聞かれると思っていたので、肩透かしを食った思いなのだろう。そんなフランに魔理沙は不敵に笑って、フランに背を向けヒラヒラと手を振って見せた。"気にするな"それはフランと同じぐらい雄弁なジェスチャーだった。

「魔理沙……」
「さってと、前置きが長くなったがそろそろこの術の下に何があるか確かめようぜ。フラン、お前は上と……あと、落とし穴っていう可能性もなくもないから一応飛んどいてくれ、いいな?」
「……うん!!」

 魔理沙にそう言われてフランは笑顔で頷いた。そして、肩越しにそれをチラリと見届けた魔理沙はあくまで笑顔のまま、幻術つき絨毯の上に手を翳す。そうしてみると確かに僅かながらも魔力が感じられるような気がしないでもない。こうまで近付いても"気がする"程度にしか感じられないのは恐らくこれが美鈴が得意とする気を使った風水とかそっち方面の術式だからだろう。
 未知と言う程ではないが、決して馴染んだとは言えぬ気の術式。何が起こるか予想出来ない状況に魔理沙はごくりと唾を飲んで、術式で隠れた箇所に探るように手を差し入れる。すると魔理沙の手は床に沈み込み……

(……なんだこりゃ? 取手、か? どれ……)

 手の先に返って来た感触にそう当たりを付けた魔理沙は直径3cmぐらいの太さの棒をグイと引き上げる。瞬間、

 ゴオォォン……

 "床が五つに割れた"。

「うおぉぉぉお!?」
「わ、魔理沙!?」
「お、おう平気……ってなんじゃこりゃ!?」
 
 落とし穴を警戒して、いつでも飛べるよう備えていた魔理沙が宙を昇ってフランの隣に並ぶと、予想だにしない光景が目に飛び込んでくる。
 五枚羽根のレンズシャッターのように割れた床はゆっくりと開いて部屋の中央部、家具のない部分に綺麗な円形の穴を出現させた。それだけなら魔理沙とて予想通りの落とし穴かと息を付くだけだったのだが、その穴は二つ程魔理沙が予想していなかった特徴を備えていた。まず一つが深さ。咲夜の落とし穴の先が見えなかったのは穴が小さくて暗かったからという理由で納得できたのだが、この穴は直径20mはあろうかという大穴であるにも関わらず全く底が見えなかった。天窓からの薄まった陽の光を浴びつつも黒い虚のみが続く大穴、時計塔の高さだけでは実現し得ないそれは恐らく地下まで続いているはずであった。そして、もう一つが……

「お、おお、これひょっとして美鈴が作ったのか?」
「ど、どうなのかな? 美鈴、方術とかは結構詳しかったけど……」

 ぽっかりと口を開けた大穴、その床だった部分の高さから20m程度降りた所にもう一つ透明な水晶でできたような床があった。そこには魔理沙の見慣れた八卦炉の図式が描かれ、緋色の光を放ち輝いている。遠目にも解る大陸式の魔方陣、それが魔理沙とフランが目にしている物だった。
 予想の斜め上を行く荘厳な大仕掛けに二人は目を丸くしつつも、ゆっくりと水晶の床に向かって下降して行く。

「うはぁ、凄いなこりゃ……なるほど八卦炉はただの加速炉なんだな? 本命は壁の……うえ、こりゃ六十四卦か。私、八卦しか覚えてないぜ? いやけど、ってことはシンボルを先に持ってきて結果を補強する……ん? こっちはサンスクリットか? 密教系? 節操ないなーおい」
「……」

 水晶の床に降り立ってまず目についたのは発光している床もさる事ながら、壁にびっしりと書かれた呪言の群れだった。
 底の見えない円筒形の竪穴、その少なくとも魔理沙に見える範囲の壁全てに写経のように薄い金色の文字が敷き詰められているのだ。もしかすると竪穴の底の底まで続いているのかも知れない。魔理沙も一応魔法使いとしてその呪言による術式の意味を追おうと壁を睨めつけるが、西洋黒魔術を専門としている魔理沙には東洋混合型とでも言うべき術式を読み取るのは些か難易度が高かった。なので早々に解読に見切りを付け顔を上げた……と、

「基本は巽、風? 他はその増幅? 乾から坤への……地下から気を吸い上げて上に……けどこの土地の気脈は水気寄りだから坎の方が……美鈴が間違えた? ううん、そんなはずない。だったら……」
「フラン?」
「うそ、でも、まさか……魔理沙!!」
「お、おう」

 何やらぶつぶつと呟いていたフランが魔理沙に駆け寄り慌てて叫んだ。
 見ればフランは色白な顔を更に青ざめさせて動揺している。

「どうしよう、これ……ううん、今はとにかく……」
「お、おい?」
「ごめん魔理沙、私、ちょっと隠れてるから後お願い!!」

 フランはそう言って全速力で走り、床に描かれた八卦炉図の真ん中の穴に――開いていたらしい――飛び込み急降下。魔理沙はその小さな影がみるみる小さくなって、とうとう完全に見えなくなるのをポカンとした顔で見送った。

「な、なんだ? フランのやついきなり……」

 八卦炉図に開いた穴に駆け寄り、唖然として顔で下を見つめて呟く魔理沙だったが、その無理解による呆けはすぐさま得心に変わった。何故なら穴の上からガシャァンと鉄の扉を蹴破った音が響き、紅い髪を靡かせた人影が降ってきたからで……魔理沙はその人影を見て顔を引き攣らせた。

「げ、お、お前は……」
「はぁ、はぁ……まったく、誰かと思えば……いえ、そうですね。こんな所まで来て人の部屋家探しするなんて貴方ぐらいしか居ませんよね。家の子達はここには来ないはずですし……」
「あ、あはは……いやぁ家探しなんて人聞きが悪いぜ美鈴。私はただ、時計塔を探検してたら偶然ここまで来ちゃっただけだぜ?」

 息を切らして魔理沙の前に現れたのは、果たしてこの部屋の持ち主である紅魔館門番長、紅美鈴であった。
 魔理沙は焦りを誤魔化すための作り笑いを浮かべて、苦しい言い訳を言い放つ。その後ろで駆け足の思考を回しながら。

(なるほどな、フランが慌てて隠れたのはこれが理由か。さしずめ壁の術式に警報でも仕込んであったってとこか?)

 魔理沙は油断なく美鈴に据えていた視線を一瞬、壁と足元にやってフランの行動の理由を把握した。と同時に、

(ナイスな判断だぜフラン。美鈴にここの仕掛けが動いたのを察知されたなら、私が残るしかない。下手に私まで隠れてなんかの間違いでフランに疑いが行ったら最悪だからな)

 魔理沙は心中でフランの咄嗟の判断を讃える。
 なにせ魔理沙一人だけなら後は口先八丁でどうとでもなるのだ。魔理沙の日頃の行いを鑑みれば人の部屋に忍び込んで家探ししてても、あぁ魔理沙だしな以上に勘ぐられる事はないのだから。故に……

「……ここに居るのは貴方一人だけですか?」
「あん? おいおい、一人な訳無いだろ? 一人なら私は一体誰と会話してんだよ? 壁とか? いやぁそう言うスキルを身につけるのは愛と勇気と壁だけが友達の門番だけで十分だと思うぜ、私は」
「……」

 いつも柔和に細められている目に鋭い光を宿してそう問うてきた美鈴の言葉に、魔理沙は心臓がひっくり返りそうになった。
 それをどうにか顔に出さずに、ふてぶてしい笑みを作り諧謔を返したのは我ながらフラン並のナイスプレーだと、魔理沙は己のポーカーフェイスを自賛した。
 そして果たして、その魔理沙の機転が功を奏したのかしばらくじっと魔理沙の表情を観察していた美鈴が、ほっと肩から力を抜いて苦笑した。そうですね、変な事を聞きましたと。しかし、

「まぁ、けど謝りはしませんよ? 何せ私は部屋に不法侵入された身ですからね。むしろ怒っていい立場だと思うのです」
「や、だからここに来ちゃったのは偶々だぜ? 時計塔の一番上が美鈴の部屋だとは思わんだろ普通?」
「苦しい言い訳ですねぇ。扉のプレートを目敏い貴方が見逃したと? ちなみに私の部屋の窓は嵌殺しなので開きませんよ?」
「あー、あれな。そうかあれ"ほんめいりん"て書いてあったのか。悪い悪い、私漢字に疎くてな、読めなかったんだ。恥ずかしながら五角以上の漢字は読めないんだよ私。なんせ寺子屋中退の身だからな」
「……私の記憶が確かなら貴方の名前に五角以下の漢字はなかったと思うのですが」
「ああ、だから私自分の名前も解んなくてな。あれ、なんて読むんだ? むあめばきりしゃとかか?」
「ホントにそう読むなら、魔理沙さんのご両親はお嬢様と大変気が合いそうですけど……漢字自体は読めてますよね、それ。しかも結構難しい感じに」
「……おお!?」

 しまったと、そんな叫びを上げつつ魔理沙は内心でほくそ笑んでいた。なにせトントン拍子で話を明後日の方向に逸らせているのだから。
 今の時点で魔理沙が美鈴に隠しておきたい事は二つ。一つがさっきまでフランも一緒にここに居た事。そしてもう一つがレミリアの鍵を狙ってここに入って来たという事である。これがバレると最悪、折角苦労して手に入れた咲夜の方の鍵まで、念の為の鍵の付け替えという形で無意味になりかねない。フランを一日でも早く地下から連れ出したい魔理沙からすればこれは出来る限り避けたい展開であった。そして、

(今のとこ、上手く行ってるっぽいよな? 美鈴、どう見ても私が興味本位で自分の部屋に忍び込んだだけって思ってるっぽいし……)

 魔理沙の冗談にくすくすと笑っている美鈴を見て魔理沙はそう判断した。となれば後はこの場を丸く収められれば……

(……収めたら、不味くないか? フランこの下に居るんだぜ? 私が居なくなった後ここが閉まっちゃったら……)

 先程魔理沙はこの竪穴が地下室まで通じてそうだと思ったが、それはあくまで思っただけであって確定事項ではない。となれば、もしそれが間違いでこの先が普通に地面だとしたら……

『ぐすっ、魔理沙~暗いよ~寒いよ~』

 魔理沙の脳裏に真っ暗な中で冷たい地面に体育座りで涙するフランがぽっと現れる。

(うおぉぉぉ、後であの変な魔法でドカンされても文句言えない絵だぞこれ。ど、どうしよう……)
 
 自分が今、きちんとポーカーフェイスを保てているかどうか自信が無くなるほど魔理沙は惑乱する。美鈴がこの場に居なければ頭を抱えてその場に蹲っていたに違いない。……と、

「魔理沙さん!!」
「うおぅ!?」
「もう、私の話聞いてました?」
「ん、ああ、いや……」
「はぁ、聞いてなかったんですね」
「はは……」

 顔はどうだか解らないが、心はすっかりこの場から離れていた魔理沙は、美鈴に大きな声で呼び掛けられ、ビクリと肩を跳ねさせ決まり悪そうに頬を掻く。なにせ美鈴がなんと言っていたのか本当に全く聞いていなかったのだから。

「あーうん、悪かったな美鈴。で、なんなんだ? 今度はちゃんと聞くからもう一回頼めるか?」
「しょうがないですねぇ。だから、ごめんなさいって言ったんです」
「……うん?」

 それを聞いて魔理沙は首を傾げた。こいつ、さっき謝らないって言ったような……

「はぁ、本当に全然聞いてなかったんですね。ですから……」

 美鈴はそう言ってニコリと微笑んで小首を傾げる。いつも通りの、妖怪のくせに春の陽射しを思わせるポカポカとした……

「今から貴方をぶん殴ります、ごめんなさいって言ったんです」
「は? ……ッ!?」

 全く表情にそぐわない事を言われ呆けたのは一瞬、魔理沙が咄嗟に箒を盾のように構えたのは、一重に危険な魔法の森で培った生存本能故だった。そいつはこう叫んだのだ。曰く"構えないと死ぬぞ"。
 
「疾ッ!!」
「ご、おぉッ!?」

 果たして魔理沙の生存本能の正しさはその直後に彼女の身体を貫いた衝撃が証明した。
 魔理沙と美鈴の間にあった距離はおよそ5m、拳法家の美鈴からすれば至近とすら言える距離を一歩で踏み潰し放たれた右の崩拳は、魔理沙を軽々と吹き飛ばし対面の壁に叩きつけた。今度は背中に走った二度目の衝撃に魔理沙の口から苦鳴が零れる。

「ご、か……この、美鈴、お前何を……」
「いえ、ですから、私こう見えても結構怒ってるんですよ。勝手に部屋を漁られた事に。あと、近頃魔理沙さんを"通して上げてる"のに咲夜さんがお冠でして。ここらで一つお灸を据えておこうかなぁ、なんて思いまして」
「はっ……」

 魔理沙が吹き飛ばされる事で空いた距離を詰めずに、ゆっくりと構え直す美鈴の言葉を聞いて魔理沙はどうにか立ち上がりつつ笑った。

(んのやろう、よりにもよってこのタイミングで本気出しやがって)

 ……前々から、不思議ではあったのだ。あのレミリアの、紅い満月と霧の夜に魔理沙自慢の星と光の魔法を"完膚なきまでに叩き伏せた"レミリアの領地を守る門番が、魔理沙より明らかに弱いというのは。いや、スペルカードルールとは元々そういう物……つまり人間でも妖怪と公平に戦えるよう妖怪側に枷を付けるという意味合いもある物なので、当然と言えば当然なのだが……もう一つの事実が魔理沙にスペルカード戦で見せる実力にすら、美鈴が手加減を加えているのではという疑問を抱かせていた。その事実とは……

(美鈴、こいつ私にスペルカード戦で負けて困った顔はするけど、悔しそうな顔は絶対しない。……有り得んだろ、咲夜ですら負けたら悔しそうな顔するのに)

 あるいはそれを年経て広がった人格の器の成果と見なす者も居るかも知れない。しかし、魔理沙はそうは思わなかった。例えば、稀にほんのちょっとの油断で魔理沙が妖精メイドの弾幕に被弾した時、その時魔理沙は、はっきり言ってパチュリーやレミリアに撃墜された時より遥かに大きな悔恨を覚える。いわんや妖怪の美鈴なら。魔理沙の如き小娘に敗北を喫して、少しも悔しくないはずがない。しかしもし、もし仮に美鈴が敗北に些かの悔恨も覚えていないとしたら、それは……

(負けるべくして、そこまでいかなくても負けても構わないぐらいのつもりで戦っているか……当たって欲しくない想像だったんだけど、ビンゴだったみたいだよなぁ……)

 魔理沙は手の中の箒と美鈴の立ち姿を見て困ったように苦笑する。魔理沙の箒は、長い間魔力を送り込まれ続けた結果、ちょっとした魔法具のようになっており、金属並の強度を持っているのだが……見事にその箒がくの字にへし曲がっていた。もし直撃の憂き目に合っていれば骨の一、二本で済んだかどうか? そして何より……

(くっそ……誰だよ、今私の前で構えてる奴は。紅美鈴とか言われたら笑うぞ、私は)

 事実、魔理沙は口の端に薄っすらと笑みを浮かべていた。そして、そんな魔理沙とは逆に美鈴の顔は厳しく引き締り、その瞳は静かな闘志をありありと湛え魔理沙を見据えている。常の如き朗らかな笑みなど忘れてしまったかのような、拳法家の顔だった。そして極めつけは美鈴の構えた立ち姿である。左の腕はくの字に曲げて腰元に据え守りを固め、右の拳は顔の横に置き威力を溜めて攻撃に備える。映画などでは有りがちと言っていい構えであるが、それ故に素人が真似ると手本との落差が滑稽にすらなってしまう構えである。しかし、美鈴の構えには素人が持つぎこちなさ故の滑稽さなど微塵も無い。ゆるゆると上下し、動き出しに備える足先から頭までを貫く流れはまるで悠久の時を経た大河のような滑らかさだった。
 魔理沙はそれを見てストンと何かが胸の中に落ちて来たかのように得心する。知ってはいたつもりだった、演舞をやっているのを見た事だってある。けれど今、初めて納得した。紅美鈴は、妖怪で、門番で、そして……

(拳法家、なんだ。霊夢の奴が巫女なぐらい、咲夜の奴がメイドなくらい、そんで……)

 私が魔法使いなぐらい。当然のように、拳法家なのだ。そして今その拳法家が初めて魔理沙の前で構えた。魔弾でなく、拳を。レーザーでなく、蹴撃を放つ為に。その意味する所は……

「ところで魔理沙さん」
「ッ」

 ある種場違いな魔理沙の感慨を、美鈴が軽い呼び掛けが遮った。魔理沙の思考がそれを呼び水に場に即した物に切り替わる。
 
(落ち着け、美鈴がグーで勝負するってんなら重要なのは距離だ。今の美鈴までの距離は……ざっとさっきの三倍。こんだけあればさっきみたいに踏み込まれる事は……)

 魔理沙の思考は間違いなく的確だった。
 ごっこが付くとはいえ弾幕戦という戦を何度もこなしてきた兵の冷静な推察だった。ただ惜しむらくは……

「そこ、もう私の間合いですよ?」
(やば……ッ!!)

 拳法家という生き物について知らな過ぎた。
 美鈴が再び一瞬で魔理沙の懐に踏み込んだ際、響いた撃発音は一つ。それはつまり10mを越える間合いを美鈴が踏破するのに要した歩数がたったの一歩であった事に他ならない。そもそも、ただの人間であっても理に適った動きをすれば3m近く有効な踏み込みが可能だという。いわんや美鈴はその理を妖怪の膂力で振るうのだ。その距離が人間で魔法使いの魔理沙の常識を打ち破るのは当然の事と言えた。故に美鈴の放った拳は再び……

「……なっ!?」

 魔理沙の"箒"に突き刺さった。目と、拳に伝わる感触でその事を悟った美鈴が驚きで目を見開く。下から掬うように放った左の突き、その一撃は間違いなく魔理沙の顎を打ち抜き昏倒させるはずだったのに、魔理沙が箒でガードしたのだ。

「はっ、何驚いてやがる!! 私は霧雨魔理沙だぜ!! 舐めんな!!」
「……ッ」

 美鈴の右手が咄嗟に動いた。悪ガキのように笑った魔理沙が反撃の蹴りを放った為である。しかも美鈴の突きを受け高々と身体が浮いた事を利用したハイキックを、意趣返しの様に顎へである。思考に驚きが混じる美鈴はこれを反射的に右腕で受け……それこそが魔理沙の狙いだった。

「踏み台どうもありがとさん!! あばよ美鈴!!」
「ッ、しまっ……」

 魔理沙が美鈴のガードした右腕を踏み台にして、宙に逃げ……美鈴はそれを空いた左手で追うが僅かに遅れ取り逃がす。そうして空いた僅かの差を魔理沙は……

(ここだ!! ここで引き離す!!)

 幻想郷でも屈指の速力で以って幾倍にも引き離す!! 今の応酬で美鈴の踏み込みの距離が"悟れぬ事を悟った"魔理沙は、とにかく最長距離……つまりは竪穴の底に立つ美鈴から最も離れた大時計の歯車の側までロケットのように飛び上がり退避する。と、そこまで行けば流石に拳打は届かないのか、美鈴は今や頭上の安全地帯に退避している魔理沙を静かに見上げていた。内心の読めぬその視線を受けつつも、魔理沙はひとまず安堵の息を吐いた。

(危ねぇー、今絶対死んだろ私。足付いてるよな? 幽霊にクラスチェンジしてないよな私?)

 魔理沙は眼下の美鈴を視界に収めつつ自身の足の方に思わず目をやった。勿論、そこではきちんと健在な両の足が少々不恰好になった箒を挟んでいる。ほっと、思わず二度目の吐息が魔理沙の口から零れた。
 自身が未だ種族人間に収まっている事を確認した魔理沙は改めて現状について思考を巡らす。

(いきなり過ぎるし、美鈴が部屋覗かれたぐらいであそこまで怒るってのは解せんが……正直、この展開は悪くない。ここで私が勝っちまえば、フランを逃がす隙が出来る。鍵はまだ見つかってないが、それはまた今度仕切り直せばいい)

 コメカミの辺りを緊張の汗が伝うのを自覚しつつ、魔理沙は乾いた唇をチロリと舌で湿らす。獲物を狙う猫の仕草。ここで美鈴と勝負し勝、利する意義は十分にある。しかし……

(勝てるか? ぶっちゃけ次、美鈴の間合いに入ったら防げんぞ? 次は美鈴も本気で来るだろうし)

 魔理沙が過分なまでに緊張している理由がそれだった。
 美鈴は先のニ撃、恐らくまだ手加減をしている。魔理沙はそう踏んでいた。何故かと言えば、初撃とニ撃目に明確な威力の差があったからだ。それも初撃の方が強いという形で。それがどういう事かと言えば……

(多分最初の一撃、美鈴は箒の上からダメージを通すつもりで打った。そんでニ撃目は私に直接当てるつもりで打った。まぁそりゃそうだよな、最初の一撃、直撃ならマジで死にかねん威力だったからな)

 そして、その落差が魔理沙の付け込む隙になった。美鈴のニ撃目は魔理沙の目から見ても明らかに鈍く、恐らく普通の人間向けの一撃だったのだろう。しかし、そんな一撃ならば魔理沙は余裕で防げる。何せ魔理沙は高速の弾幕を高速の飛翔で躱す事を日常としている幻想郷の人間なのだから。美鈴はそこを見誤った、日頃魔理沙相手に手加減してきたツケ……つまり霧雨魔理沙の拳弾にも通じ得る、見切りの能力の高さを測り違えたのだ。

(そして美鈴はそれに気付くはず。今まだかかってこないのは、その辺の齟齬の修正中ってとこだろうな。となりゃ……)

 付け込む隙はまだ……、魔理沙が現状の整理から己の勝機に向けて思考をシフトした所で、

「覇ッ!!」

 魔理沙の眼下で美鈴が吠えた。
 空間を震わす咆哮で己を鼓舞した美鈴は、魔理沙との間に空いた長大な間合いを埋めるべく構えを新たにする。"壁に取り付いた"美鈴のそれは例えて言うなら壁を大地に見立てたクラウチングスタートとでも言うべき代物で……

(んにゃろ、正気か?)

 あの構えから狙える事など一つしかない。つまり、あのまま壁を蹴りこちらまで"縦に走って"間を詰める。
 戦場を90°へし曲げ、50m近い距離を、魔法による砲撃を得手とする魔理沙に向かって、である。その大胆不敵な美鈴の目論見を察した魔理沙はしばし唖然とするが、美鈴がらしくもなくニヤリと不敵に笑ったのを見て、額にビシリと青筋を浮かばせた。

「はっ、いい度胸だぜ美鈴!! 普通の魔法使いの弾幕、躱せるもんなら躱してみやがれ!!」

 今度は魔理沙がそう吠える。懐から魔法薬の入った試験管や、キノコの煉丹を取り出し放り投げ、即座に魔力を通す。魔力反応により、砲撃用魔方陣に姿を変えたマジックアイテム達が魔理沙の周囲を固め、青白い光で主を照らす。
 そして、その光に惹かれるように美鈴の身体が撓み……次の瞬間、

「ファイア!!」
「……ッ!!」

 魔理沙の号令と同時に魔法陣が轟音を上げ斉射を開始し、美鈴の身体が短な呼気と同時に壁を踏み砕き一歩を刻んだ。
 魔理沙の周囲に浮かぶ魔方陣はその数実に十四枚、その内半分がマジックミサイルと名付けられた円錐状の緑の魔弾を驟雨の如く撃ちまくり、もう半分がイリュージョンレーザーと名付けられた極太のレーザーで魔弾の隙間を灼熱色の白で染める。流れ弾で煉瓦の壁を削り、空気を焼き焦がすその弾幕は、並の妖怪ならば一秒たりとも持たない密度と速度で美鈴に襲いかかる。
 しかし、

(ちっくしょ、やっぱり躱しやがんのかよ!!)

 猛然と壁を駆けて魔理沙に迫る美鈴は、時に神速の一歩で以って尖鋭の魔弾を躱し、時にぬめるような奇怪な足捌きで輝くレーザーの下を掻い潜る。
 大見得切って啖呵を上げたが、それは魔理沙の予想通りの結果であった。何故かと言って、

(場所が悪い!! 壁があるから飛行術じゃなくて歩法を使われちまってる!! 私じゃあれは見切れん!!)

 門前での弾幕戦と今とで明確に違う事、それは魔理沙の所まで続く踏み込める道があること。
 飛翔術ではなく、脚力を使った見慣れぬ走術に翻弄され、魔理沙の弾幕の照準がどうしてもワンテンポ遅れる。
 ……ただし、

(当てられる目が無いわけじゃない、チャンスは美鈴がこっちの壁に飛び移る時!!)

 顔を上気させ、音と光を撒き散らしつつ苛烈な弾幕を放ちながら、魔理沙は訪れ得る確かな好機を見据えていた。
 美鈴がスタートした位置は仕掛け扉の底である水晶の床の壁。そこから魔理沙の居る歯車付近まで壁伝いに走るには、竪穴の径と美鈴の部屋の径の差分、おおよそ5mの段差を越えなければなければならない。しかも段を昇るのではなく降る動き、どうやった所で壁から足が離れてしまう瞬間がある。その一瞬は美鈴とて飛翔術に頼らねばならない。

(そこをミニ八卦炉で着地する壁ごとぶち抜く!! 飛翔術での機動なら私でも読めるし、最悪避けられても壁を壊せば"着地"は防げるはず!!)

 美鈴の足を壁に付けさせさえしなければ、そこからの展開は魔理沙が得意とする通常の弾幕戦の物になる。それは魔理沙にとって大きなアドバンテージだ。
 魔理沙は、腰元のベルトに下がった自身の主砲の存在に思いをやり、その時が来るのを待つ。その間も弾幕の照準は怠らない、美鈴の動きを少しでも狭めるべく追い込み、コースを限定し……、

(来たっ!!)

 美鈴がとうとう段差に差し掛かり、足を弛める。跳躍の構え、ならば魔理沙は目論見通りその着地点を狙うのみ。そして、

「嘩ァッ!!」

 その全ての目論見を美鈴が放った震脚が打ち崩した。その威力は容易く足場を打ち崩し、直角に切り立った段差をただの坂道に変え、しかも同時に放たれた気の衝撃波が魔理沙の弾幕を相殺し、侵攻路をも切り開く。
 足場を整え、露払いを済まし、ついでに魔理沙の虚をも突く、この一石三鳥の妙手に、魔理沙はミニ八卦炉に手を掛けたまま絶句した。そんな魔理沙の隙を美鈴は見逃さない。若干手緩くなった弾幕の間をこれまでより更に上の速度で駆け抜ける。その速度たるや魔理沙が一瞬の怯みから脱するまでの間に残りの距離の半分を走破する程であった。

(……行けます!!)

 美鈴は縮まった魔理沙との距離を測り、そう判断した。
 今や魔理沙との間に横たわる間合いは美鈴の拳打の射程の内。ただし、それは届きはするという意味で、先のニ撃を凌いだ魔理沙なら躱しかねないようなギリギリの間合いだった。故に……

(あと五歩進んで、そこから全力の一撃を放つ!! この間合なら魔理沙さんは防御ぐらいは絶対にしてくる……!!)

 冷静に必倒の間合いを測りつつ、美鈴は更に三歩歩を進めた。あと二歩、そこから狙うは華符、彩光蓮華掌。突進の勢いと気を練り込んだ掌底の威力は必ずや魔理沙の防御を貫き戦闘不能に追い込むはず。美鈴はそう確信を持って更に一歩踏み込む。あと一歩。と、そこで魔理沙がミニ八卦炉をとうとう抜き放つ。その砲口からはチロチロと白い光が零れ、すでに発射態勢にある事を示している。しかし、

「無駄ですっ!! これで終わりです!!」

 一歩。美鈴が必倒の間合いに魔理沙を捉える。ミニ八卦炉に込められた魔力量はまだまだ微々たる物、あれなら後出しの彩光蓮華掌で打ち抜ける!!
 そうして果たして、美鈴は奥義を放つべく気を足に送り込み……

「え?」

 ピタリと、その足を止めた。

「ちょ、魔理沙さんッ!?」
「はっ、建物壊すのが有りなら先に言えよなぁ、美鈴!!」

 いかにも悪役が浮かべそうな笑顔で叫んだ魔理沙はミニ八卦炉を美鈴とは反対の上に向けていた。その先には勿論、回転している幾つもの歯車があり……

「デストローイ!!」
「うそぉぉおおお!?」

 その歯車に向けて魔理沙はミニ八卦炉の魔力を撃ち放つ!! 美鈴に弱撃と判じられる一撃ではあったが、仮にも魔理沙の主砲から放たれた一撃である。その威力は緻密に組み上げられた歯車のバランスを崩すには十分過ぎ、魔理沙自身が散々危惧していた崩落を引き起こす!!

(さぁって、ここからが本当の勝負だぜ!! 美鈴!!)

 魔理沙は改めて眼下の美鈴に鋭い眼光を注ぐ。
 真剣そのもので勝負に臨んでいた美鈴にすら足を止めさせる、やけっぱちなこの一手。しかし、手を打った魔理沙には確固たる勝算があった。咄嗟に思い付いた綱渡りのような危険な道。しかし……

(渡りきれりゃ勝てる!! まずは……)

 動揺する美鈴が気を静め、新たに構えるのを見据えつつ魔理沙は背中の触覚に集中する。来るべきスタートの合図を待ちつつ、箒に多大な魔力を装填していく。まだ、まだ、まだ、そして……スタートの合図が魔理沙の背を叩いた。コンマ一秒の反射でそれを察知した魔理沙は箒に込めた魔力を弾けさせ……

「突撃ぃー!!」
「……ッ!!」

 再び美鈴を驚愕させる一手を放った。
 魔理沙にとって生命線であるはずの距離、それを自ら食い潰し魔理沙が美鈴に特攻をかける。

「っしゃらぁあああああああああ!!」

 またがっていた箒を空中で握り直し、振り上げ、振り下ろす。美鈴目掛けた急降下の勢いの乗った一撃は、速度こそ尋常の域を超えた物だったが、美鈴からすれば児戯のような単純な一撃でもあった。容易く見切り、カウンターで切り落とせる不用意に過ぎる一撃。

(こんな、こんなのが切り札なんですか魔理沙さん?)

 美鈴は魔理沙の悪手に憐憫すら覚えた。しかし、手を抜く訳にはいかない。あの術式を見られた以上この勝負は絶対に……
 振り下ろされた箒を美鈴は左腕で受け止める。そして勝負の締め括りになるだろう右拳のカウンターを放つべく拳を握り締め……

「いいのか? 避けなくて」
「……? ……!!」

 魔理沙にそう囁くように言われ、美鈴は咄嗟に壁を蹴って大慌てでその場から飛び退った。何故かと言って、急接近によって視界を遮っていた魔理沙に隠れ、巨大な歯車が迫り来て……

「うっひょぉおおお!?」

 美鈴が飛び退ると、魔理沙が素っ頓狂な声を上げ美鈴を上回る慌てっぷりで急降下していく。魔理沙の背に直撃しそうだった歯車との距離が再び開く。美鈴はその背中を追撃すべく再び駆け出したが、その顔は驚愕で引き攣っていた。

(正気ですか、あの人は!? こんな馬鹿げた事やるなんて!!)

 魔理沙が時計塔の歯車を崩した狙いは、急遽の障害物を増やし美鈴の進行を防ぎつつ歯車のあったスペースに逃げ込む事にある。美鈴はそう判断したのだが……違った、魔理沙が考えたのはもっとぶっ飛んだ策であった。すなわち、巨大歯車をギリギリまで引きつけた後、美鈴に急接近し、自らを目隠しにして背後の歯車を隠蔽、"不意打ちの相討ちを狙う"。

(あんな巨大な鉄の塊に当たれば私だってただじゃ済まない……となれば私は"避ける"しか無い。魔理沙さんに道を譲って。確かにこれなら距離は稼げますけど!?)

 この策の何が恐ろしいかと言えば、策の成否を完全に美鈴の実力に委ねている事だ。万が一美鈴が本当に歯車に気付かないようなら妖怪の美鈴はともかく人間の魔理沙は確実に死ぬ。
 美鈴からすれば絶対に負けられぬ勝負ではあるが、魔理沙からすれば弾幕ごっこに毛の生えた戯れのような勝負のはず、そこに命を賭けてきた。その事実が美鈴の心胆を寒からしめていた。そして、

(なーんて思ってんだろうな!! 笑かすな、"紅美鈴"を侮り過ぎだぜ!!)

 そんな美鈴の心境を魔理沙はほぼ完璧に読んでいた。
 魔理沙からすれば、先の歯車の策はこれから始まる綱渡りの前哨戦にすぎず……失敗するとは微塵も思っていなかった。理由は単純、美鈴があの程度の子供騙しに最後の最後までしてやられるなど有り得ない。
 幾度と無く紅魔館の面々と弾幕戦を繰り広げている魔理沙は誰よりも良く知っていた。七曜の魔女パチュリー、完全で瀟洒な従者咲夜、そして紅魔館門番長、紅美鈴。かのスカーレットデビルの眷属に弱卒など一人もいない事を、ともすれば当人達以上に。その確かな実力を当て込んだ策が破れるはずがない。

(だから……)

 ズダンと、音を立てて魔理沙が竪穴の底に着地する。八卦を描く赤光が魔理沙の顔を紅に染める。

「賭けはここからだぜ、美鈴!!」

 魔理沙がスカートのポケットから真鍮色の星型の煉丹を引き抜く。魔理沙のとっておきの煉丹、真鍮で覆っておかねば空気中の僅かな魔力にすら反応して辺り一面を焼き払ってしまうそれは、魔理沙の切り札であると同時に危険な手乗り火薬庫でもある。
 そして魔理沙がそれを手にすると同時、ミニ八卦炉の八つに別れた一角が開け放たれる。そこに描かれた卦は"離"の紋様。八卦の中でも火を象徴する灼熱の印。美鈴への突撃を敢行してからずっと込め続けていた魔力を煮詰めた熱を宿すそこに、魔理沙は星の煉丹を装填する。瞬間、

「ぐ、かっ」

 魔理沙の手の中で熱が爆ぜた。真鍮の覆いを易々溶かして煉丹を食らったミニ八卦炉が生み出す魔力。痛みが過ぎれば熱く感じるように、寒さでさえ過ぎれば熱く感じるように、極大の魔力が魔理沙の手に熱を伝える。それはさながら手の中で太陽が生まれたようで。半ば以上暴走に近い魔力ブースト。そんな異様な程の力を宿したミニ八卦炉を魔理沙は頭上の美鈴に向けて構える。その先では血相を変えた美鈴が形振り構わない全力疾走で魔理沙に迫る。

(はっ、大方今日は"コイツ"は品切れだと思ってたんだろ? "コイツ"があるなら天井に逃げた時に使わない理由がないもんな?)

 溢れる魔力を抑え、制御し、編み込んでいく。魔理沙の綱渡り、美鈴が距離を詰め切る前に術式を形にできるかどうかのスピード勝負。
 天井から床に向けて放てば、"フランを巻き込んで時計塔を破壊しつくしてしまう"、そんな事情を知らぬ美鈴から盗み取った時間を十全に活かした博打打ち。その結果は……

「私の、勝ちだ!! 恋符!!」
「――ッ!!」

 美鈴が魔理沙を射程に捉えるほんの一瞬前、魔理沙の術式が完成し巨大な魔方陣がその砲口を美鈴に向けた。
 
「マスタースパーク!!」

 瞬間、白光が天地逆さに迸った。これまでの弾幕がお遊びに思えてしまうような巨大な光の奔流が、極大の威力と面積で美鈴に襲いかかる。回避、迎撃、そのどちらも馬鹿げていると本能で確信し得るそれは、それでもかろうじて防御の姿勢を取った美鈴を洪水のように飲み込み、その背後に迫る歯車を砕き、煉瓦の壁を破砕し……

 ゴガガガガガガ!!

 時計塔が光に砕かれ微塵に消えていく。そして、

「ふは、か、勝った……」

 白光が通り過ぎた後、熱気を帯びた空気の先に残るのは魔理沙の見上げる蒼天のみ。崩れ去った時計塔は勿論、美鈴の姿もそこには見られない。これが並の妖怪ならやり過ぎて消し飛ばしってしまったかと顔を青くするところなのだが、こと美鈴に至ってその心配はない。紅魔館門番長はとにかくタフなのである。まぁ、どこか吹っ飛ばされた先で気絶ぐらいはしているかも知れないが。

「ていうか、それぐらいはしてて欲しいよな。あんにゃろ、これ食らってもケロッとしてそうなイメージが……」

 水晶の床の上で息を付く魔理沙は、その時初めて油断した。勝負の最中、軽薄な態度を見せながらも終始美鈴に好敵手として敬意を払っていた魔理沙が行い得なかった情動。しかし、勝負が終わったと思ってしまえばそれも別、故に魔理沙は気付けなかった。最上部が消し飛び首無しになった時計塔、その崩れた壁の向こうから美鈴が飛び出して来たことに、そして気付いた時には、もう手遅れだった。

「なっ……」
「せやッ!!」
「がっ!?」

 あれほど的確に距離を保ち、美鈴をとうとう最後まで寄せ付けなかった魔理沙が、あっさりと懐に踏み入られ一本背負いで床に叩きつけられる。そして突如現れた美鈴はそれで止まらない、肺から空気を吐き出した魔理沙に馬乗りになり奥襟絞めで魔理沙を落としにかかる。

「……ッ、ッ」
「まだ意識のある内に言わせて下さい。この勝負は間違いなく貴方の勝ちです。私は貴方の策を見抜けず、本来なら耐え切れない威力の魔法を受けました。ただ……」

 ボロボロで自身も辛そうな美鈴が申し訳なさそうに、声の出せない魔理沙に言葉を続けた。

「場所が悪かった。今貴方が背を付けている術式は"地下の気を吸い上げて地上に放出する効果"が有ります。その上に居るのなら私の耐久度は常時の倍以上に跳ね上がります。それでどうにかギリギリ魔理沙さんの魔法に耐えられました」
「……ッ!!」

 魔理沙の目が大きく見開かれる。その瞳の奥には確かな悔恨の色が見える。

(馬鹿か私は!! 相手の部屋なんて完全アウェイで、しかもこれ見よがしの術式の上に立ってそれを警戒しないなんて……!!)

 言葉がなくともはっきりと解る苦渋の色に魔理沙の顔が染まる。それを見て美鈴の眉が困ったようなハの字に歪む。

「勘違いしないで下さい。魔理沙さんは本当に勝利していたんです。けど、ただ……例え術式の補助を受けても、私程の力の増加は人間なら有り得ませんから、だから……」

 読み違えてもそれは仕方がないんです。
 美鈴はそう続けようとしたが言えなかった。その言葉を口に上らせる前に魔理沙が突然暴れだしたからだ。勿論、体術の技量で上を行く、それ以上に大人と子供の体格差で上から抑えている美鈴からすれば、別段問題にもならないような抵抗なのだが……それでも美鈴が一瞬気圧されたのは魔理沙のあまりの必死さ故だった。言葉が出るのなら間違い無く何事か絶叫していただろう形相は明るく飄々としたいつもの魔理沙からは想像できない、死に物狂いと言っていい表情で、美鈴を戸惑わせるには十分だったのだ。

「ま、魔理沙さん……?」
「……ッ!! ……ッ!! ……っ」

 最後まで決死の表情で足掻いていた魔理沙だったが、とうとう限界が来たのか萎むようにその勢いを減じさせ、カクリと気絶した。
 美鈴は、あるいは勝負の最中以上に動揺しながらも慌てて魔理沙の襟から手を放した。

「えっと……一体……? って、ああ、それよりどうしよう、この術式見られたんじゃただ帰す訳にも……ああ、魔理沙さん床に寝かしたままなのもまずいし。あ、ていうかダメ、くらくらする。まず自分の手当をしないと倒れ……、ッ!?」
 
 勝負に勝ったと思った時こそ油断する。
 それは魔法使いも拳法家も変わらぬようで、ならば突如背後から迫る魔弾を避けられるはずもなく。

「がっ、……ッ」

 完全に不意打ちを食い、そもそもマスタースパークを食らって限界寸前だった美鈴は壁に叩きつけられ、今度こそ気絶した。だから……

「…………」

 もし、この勝負の勝者を挙げるなら、それはきっと狂おしいほど目を爛々と光らせて美鈴を見下ろしている彼女なのだろう。
 ……意識のない二人には勿論気付けないだろうけれど。







………………

…………

……








 あの時の自分はきっといっぱし気取りのお調子者に見えていたんだと思う。それを思うと今でも顔から火が出そうになる。紅い霧が幻想郷を翳らせ、本物の夜には及ばぬまでも偽りの暗がりを生み出していた、あの時の事を。
 結局の所、私があの紅霧異変に首を突っ込んだのは好奇心もさる事ながら霊夢への対抗心が一番大きかったのではないかと思う。スペルカードルールが出来た時、私はそれを口実に幾度と無く霊夢に弾幕戦を挑んでいて、その勝率で……まぁほんの少しだけ負けていたから。けれど、その勝負は同時に私の中にちょっとした自惚れも育てていた。なにせあの霊夢に、荒唐無稽なまでの天才を持つ霊夢に……まぁ、結構それなりに勝ててはいたのだから。
 だから私は、あの異変で霊夢の鼻を明かしてやれる自信があった。あいつより先に異変を解決して、よお遅かったな霊夢、なんて言ってやれる自信が。実際、私は紅魔館のあの月までの道のりを、霊夢より先に破竹の勢いで進んでいった。空を飛ぶ事の速さは私が霊夢に勝っているとはっきり胸を張れる数少ない取り柄だったから、それが幸いしたのだ。
 
『ま、負けたのか~』
『ちくしょー!! あたい最強なのにー!!』

 最初に出くわしたルーミアとチルノには何の問題もなく勝てた。
 流石にあいつらに実力で負けたりはしない。

『ま、負けた……うわーん、お嬢様に叱られるー!! ていうかスペルカードルールって私向いてないですよー!!』
『げほっげほっ、ぜ、喘息が、貧血が……しょうがない、先に行きなさい白黒。……本は持ってかないで』

 その後戦った美鈴とパチュリーにもどうにか勝てた。
 いや、結果だけ見れば楽勝と言って良かった。だから私は勘違いして調子に乗った、私は強いんだと、本気でそう思った……その時言い放った二人の言葉がただの言い訳でしかないと都合良く思い込んで。それは二人にとってただの事実でしかなかったというのに。

『強い。けど、お嬢様なら……』

 調子が狂ってきたのは咲夜を相手にした時からだった。結果だけ言えば私の勝ち。ただ、とっておきの煉丹を幾つも使い、私も何発も弾幕を食らってのどうにか拾った辛勝だった。この時の咲夜は多分、本気ではあったと思う。ただ後で聞くと、咲夜は仕事が忙しすぎてこの時初めて本格的な弾幕戦に臨んだらしかった。私が霊夢との対戦を経てようやく辿り着いたと思っていた境地は、咲夜からすればビギナーレベルの位置だったのだ。……しかしけれど、それを知ったのは後の事で、この時の私はただただ自分に酔っていた。あんな強敵を打ち倒すなんて、私はなんて強いんだと。そんな風に。
 そして……

『ふふふ、こんなに月も紅いから?』

 あの月に出会ってしまった。緋色の月を背に負った、地上に坐す、もう一つの月に。レミリア・スカーレットに。
 そこから先の事はあまり思い出したくない。というか、ほとんど意識が飛んでいたのであまり思い出せない。ただ一つ解るのは、私は容赦ないレミリアの弾幕に為す術なく打ち据えられ、滅多打ちにされたらしいという事。……そのはずだと思う、後から見た私のズタボロ具合と、その時のレミリアの一切汚れのついていない服を考えるに。私がはっきり思い出せるのはそこからだ。一瞬気絶していた私を上から見下ろすレミリアは……

『オシマイのようね、人間。念の為聞くけど、まだ手札は残っているかしら?』
『はっ……あったり前だろ。私は、これから本気を出すところだぜ』
『……それだけこっ酷くやられて、虚勢を吐ける度胸は認めてあげるわ。ただ……ダメね。貴方じゃ足りないわ。貴方じゃまだまだ全然足りない。こんなものなの? これじゃ……』
『これじゃ、なんなのかしら? そこの紅くてちっこいの』

 訳の解らない事を言い始めたレミリアを、実はこの時私はあんまり良く見ていなかった。この時私が見ていたのは、レミリアの後ろ、高い所から私を見下ろすレミリアの、更に上から物を言った……

『誰? 貴方?』
『あんたこそ誰よ? 人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るのが礼儀ってもんでしょう?』

 博麗霊夢の、紅白の人影だった。

『そう、なら名乗らない事にするわ。貴方の名前なんてどうでもいいもの。ちょっと面白そうな奴が喧嘩売ってきたってだけで十分』
『短気ね。まぁ事実そうだからいいんだけど』
『……へぇ、貴方強そうね?』
『あんたもそこそこできそうね』
『あはっ!! いいわ、その威勢!! 私はお前みたいな奴を待っていた!! 見ろあの月を、今夜はこんなに月が紅いから!!』

『楽しい夜になりそうね!!』
『永い夜になりそうね』

 そうしてレミリアは私の事など忘れたかのように飛び立ち、霊夢と撃ち合い、躱し、偶に殴り合い……私の自信を粉々に打ち砕いた。
 勿論、あの二人にそんな意図はないのだろうが、二人の戦いはそれぐらい次元違いだった。レミリアの弾幕は私の数段上の威力と美しさを兼ね備えていたし、そしてなにより、

『このっ!! なんで当たらない!?』
『さぁ? なんでかしらね?』

 そんな桁外れの弾幕を事も無げに、笑みすら浮かべて躱す霊夢。まるで未来予知のような先読みを見せる霊夢が、本当に人間なのかどうか、私は本気で疑った。そして、

『まったく、手こずらせてくれたわねぇ』
『ま、負けた? 私が、本当に?』
『この状況で他になにがあるか、このチスイコウモリもどき。ほら、さっさと行くわよ。この辛気臭い霧を消してもらうんだから』
『う、うー』

 とうとう霊夢がレミリアを撃ち落とし、その首根っこを猫の子みたいに引っ掴んでズルズルと引きずっていく。
 疲労と怪我で再び気絶しそうになっていた私がその光景で覚えている事は二つ。一つが、霊夢に負けたくせにレミリアが妙に嬉しそうな顔をしていた事。そしてもう一つが……

『魔理沙』

 壁に背を預けて座り込み、朦朧として呆然として二人を見ていた私に霊夢が言った言葉。

『あんたは気にすることないわよ。こいつは妖怪で、あんたは人間なんだから負けてもしょうがないの。だから……』

 落ち込むんじゃないわよ。そう言って霊夢は再びレミリアを引き連れて去って行った。あの霊夢に気遣われるなんて私は一体どんな顔をしていたのか。……ああ、覚えていた事は三つだ、私はその背中もよく覚えている。妙に遠く感じられた、私から離れていく霊夢の背中も。その後すぐに気を失ってしまったにも関わらず。

(……なぁ霊夢)

 ……あの日から、私は霊夢に聞きたくても聞けない事がある。私が手も足も出なかったレミリア、そいつにあっさり勝ってしまった霊夢は……

(まさかお前、私との勝負、手ぇ抜いてるんじゃないだろうな?)

 霊夢は妖怪に負けるのはしょうがないと言った。……けど、けれど、

(じゃあお前はなんなんだよ? 負けてもしょうがないような奴に勝っちゃうお前は?)

 気にするな? 無理言うな。
 落ち込むな? 無茶言ってら。
 だって私は、私はいつだって……

(レミリアに勝っちゃうようなお前に並びたいって、あの背中に追いつきたいって、そう願ってるんだぜ?)

 必死なぐらい、決死なぐらい、命ぐらいは懸けちゃうぐらいに。なぁ、知ってるか霊夢?







………………

…………

……








 この夢を見た時は酷く気分の悪い寝覚めになる。
 そう知ってはいるのに、しかし、どうやっても慣れない胸の重さに辟易しつつ、魔理沙はベットの上でポツリと呟いた。

「……ちくしょう」

 酷く弱々しく、らしくもなく。腕で覆った目の端から涙が一筋流れた。
 いつもなら普通に振る舞えるような元気を取り戻すまでそのまま寝転んでいるのだが、そうもいかず魔理沙は自身に無理やり弾みをつけて寝台から身を起こした。何故かと言って、そこが明らかに自室ではなかったからで……

「ここは……フランの部屋か? えーと、私は確かあのカンフーチャイナに絞め落とされて……?」

 部屋に窓が無い事と、高々と積まれた本の塔の姿を確認した魔理沙は、そこでこてりと首を傾げた。それから、何がどうなって私はここに居るんだ?

「私が部屋に連れてきたの。魔理沙、気絶しちゃって起きなかったから」
「うおっ!?」

 魔理沙が突然聞こえてきた声に驚きはね飛ぶ。慌てて隣を見ればフランが寝台の端に腰掛けこちらを見ていた。どうやら魔理沙が気付かなかっただけでずっとそこに居たらしい。フランは驚いている魔理沙を尻目によいしょと落ち着いた様子で、魔理沙に近付いて顔を覗き込んだ。

「傷は……ちょっと残っちゃってるね。ごめん、私、治癒系の魔法って苦手で……」
「ん? おお、言われてみると確かに傷が小さくなってるな。これお前がやってくれたのか?」
「うん、ちょうどそこの本に載ってたから」

 フランがそう言って指差したのは幾本か屹立している本の塔の一本だった。そんなフランと何かの拍子で切っていた腕の傷を見比べて魔理沙はなるほどと頷いた。
 魔導書の類に目のない魔理沙は勿論確認済みだったが、フランの読破済みタワーには魔導書も幾冊か混じっていたりする。と言っても、魔理沙の食指が伸びるような"本物"の部類ではなく、おまじないの本とでも言うようなレベルの物だったが。しかし、それでも吸血鬼のフランが"おまじない"をやれば掠り傷を更に薄くするぐらいの治療は可能だろう。実質的には、ほとんど無意味な治療であったがフランの気持ちが嬉しかった魔理沙はポンポンとフランの頭を撫でた。

「ありがとな。お陰で大分痛くなくなったぜ。私は痛いの大嫌いだからな、助かる」
「う、うん。へへ……」

 魔理沙はそうしてしばし、さらさらとフランの髪を梳いていたが最後に頭の横の尻尾髪をピンと弾いて手を下ろした。
 フランはそれを少し残念そうな顔で見ていたが、意識して区切りをつけないといつまでも触っていたくなりそうな自分がいたので、魔理沙はもう一度伸びかけた手をどうにか抑えて、代わりに口を開いた。

「そういやフラン、私をここまで連れてきたって言ったけど、美鈴はどうしたんだ? まさか地下抜けがバレたとかじゃないよな?」
「え、うん、もちろん。ええと……その、音が止んだから上に昇ってみたら、魔理沙と美鈴が一緒に気絶してて……だから特に誤魔化す必要はなくて……そのまま連れてきちゃっただけだよ」

 魔理沙はそんなフランの話を聞いて内心で首を傾げた。

(美鈴も気絶してた……? 私が気絶した後に限界が来たってことか? にしても、その場から動けない程余力がなかったのか?)

 魔理沙は、傷付きながらも自分を抑え付けた美鈴の力強さを思い出し、どうしても引っかかるものを覚え、納得がいかなそうに唸っていた。……が、

「それとね魔理沙、これだよね? 探してたお姉様の部屋の鍵って」
「ん? おお!? フ、フランお前それどこで!?」

 フランがスカートのポケットから取り出した物を見て、一瞬でその引っかかりを忘れた。
 それは咲夜が持っていた物と同じ形の鍵で、しかし表の盤面に描かれた術式は魔理沙がコピーした物とは確かに違っていた。解析してみねば確たる判断はできないが十中八九、魔理沙達が探し求めていた鍵だろう。
 フランがこちらに差し出してくる鍵を受け取った魔理沙は思わず大きな声を出してフランに鍵の出処を問うた。するとフランはまたまた少し言いにくそうにして答えた。

「えーと、実は魔理沙を運んでる時に時計塔の壁がちょっと崩れて、それで誰か来たのかと思って慌ててそっち見たら、そこに落ちてたんだ。だから多分、私達が見つけられなかっただけでやっぱり部屋のどこかにあったんじゃないかな?」
「ん、む、それが時計塔が崩れた拍子に出てきた……? 見落としがあったとは思えんが、それなら確かにそうなるか……」
「うん。ていうか、あんな大仕掛けがあったんだから、もう一つか二つぐらい隠し扉があったのかもしれないし」
「なるほど……それは確かに言えるな。ふむ、となると私が美鈴にボコボコにされたのもあながち無意味じゃなかったな」

 美鈴がもし乱入して来なければ、魔理沙は恐らくあの場を立ち去り有るかもしれない第二の美鈴ルームを探しに行っていたはずだ。そして、もし魔理沙があの場で美鈴と戦う事を選ばず撤退していれば、この第二の鍵は今も美鈴の部屋のどこかに眠っていたはず。
 人生万事塞翁が馬、予期せぬ幸運に魔理沙はそんな言葉を思い浮かべほくそ笑む。

「よっし、そんじゃ早速解析して見ますかね~っと。フラン、ちょっと机借りるぜ?」

 魔理沙はベットから降りて、フランの机の上にミニ八卦炉を置いてコピー術式を発動。二つ目の鍵の解析を開始する。
 そうなれば、後はミニ八卦炉が術式を読み込むのを待つだけでレミリアの部屋の鍵の術式が完成するはずである。となれば……

(ふむ、どうするかな。ちょっと疲れちゃいるが……解析が終わっちまえば、今日このままレミリアの部屋に突撃するってのもアリだよな。私が鍵狙いだってのは美鈴にバレてないと思うが……今日は美鈴に釣られてはしゃぎ過ぎたからな。明日、仕切り直しってなると警備が厳しくなってたりするかも)

 魔理沙はコピー術式の魔方陣がゆっくり回転するのを眺めつつ、今後の方針を練る。

(ん、いや待てよ。これから行くのがレミリアの部屋だってんなら、夜にならなきゃまずいよな。あいつが寝てる横でこっそり家探しとか怖すぎるし……いやいや、更に待てよ私。あいつ確か最近はかなり不規則な生活してるって言ってたよな。霊夢の所にちょくちょく顔出すから。となると夜に行っても鉢合わせになる可能性はあるのか……)

 魔理沙はチラリと部屋の時計に目をやる。時計の針は午後五時ぐらい、外ではまだ日が出ているだろうが、それでも昼日中とは言い難い時間。この時間だと今日のレミリアの生活サイクルが昼シフトだろうと夜シフトだろうと出くわしそうで怖い。

(となると、今日はいっそ見送って、フランにレミリアの予定でも聞いてきて貰うかな。警備が厳しくなったとしても、レミリアより厄介ってことはないだろうし)

 ふむふむと唸りつつ、魔理沙はそう考えを纏めた。
 レミリアの部屋に忍び込むタイミングは、どう考えても彼女が博麗神社に出向いている時がベストだ。そして近頃のレミリアの日参っぷりを考えればそれは遅くても三日以内に舞い込むチャンスのはず、となれば変に焦る事もない。そんな事を話そうと魔理沙がフランの方を向く。と、

「フラ……」
「美鈴ってね」
「ん」

 ちょうどタイミングが合ったのか魔理沙が呼びかけようとしたところで、静寂を破ってフランがポツリと口を開いた。言葉を言いさした口を中途半端に開いたまま面食らった魔理沙であったが、フランの顔を見て話を聞いてやろうと、すぐに口を閉じた。
 何故かと言ってベットの上で膝を抱えて座るフランがどうにも悲しそうな顔をしているように見えて……

「昔は門番じゃなかったの。魔理沙はこれって知ってた?」
「……い、いや初耳だぜ。それも結構驚きな」

 フランの話を黙って聞いてやろうと決めた魔理沙だったが、二秒でその決意は破られた。
 え、だって美鈴って種族、門番妖怪とかじゃないのか? フランの告げた衝撃の事実に魔理沙は大いに動揺した。

「うん、だよね。美鈴が門番になったのって、もう四百年以上前の事だし。……それでね、美鈴って門番になる前は私とお姉様の教育係だったの。私に字を教えてくれたのは美鈴だし、足し算とか引き算とか教えてくれたのも美鈴。あと、部屋を散らかしちゃった時、片付け方のコツとかも教えてくれたりしたかな」

 ほら私の部屋、結構綺麗でしょ? フランがそう言って指し示す部屋は今更言うまでもなく整頓されており、散らかり過ぎて魔窟と化している魔理沙の部屋とは雲泥の差であった。なるほど、それがもし美鈴の教育の成果なのだとしたら、美鈴は中々優秀な教育係だったのかもしれない。

「お勉強とか、お姉様は嫌いだったから逃げまわったりして、それで美鈴に捕まって私の部屋で一緒にお勉強とか、昔は良くあったなぁ」
「け、けっこう想像できない絵だな、それ」

 あのレミリアがお気楽門番にとっつかまる。いや四百年以上昔と言えばレミリアとてまだまだ妖怪としては若輩者、実力的にはアリなのかもしれないが、それでもレミリアに圧倒的大敗を喫した魔理沙からすれば信じられない……というか信じたくない話である。というか美鈴ってレミリアより歳上なのか? ……連続する驚きの話に魔理沙は目眩を覚えるような思いだった。……と、

「でも、でもね」
「フ、フラン……?」
「私は、好きだったよ? 美鈴が色々教えくれるのも、お姉様と一緒にお勉強するのも、ぜんぶ、ぜんぶ……」
「おい、どうしたフラン!?」

 フランの目から突然、ポロポロと涙が溢れた。魔理沙はそれを見て慌ててフランに駆け寄った。
 突然泣き出したというだけでも大概だが、何より魔理沙を動揺させたのは涙するフランの"笑み"だった。そうフランは笑っていた。涙を流しながら、どこか歪に、まるで狂気染みた……それを見て、魔理沙はたまらずフランを抱き締めた。

「フラン!!」
「まり、さ?」
「なんでお前がそんな顔するのか解らんが……私の前でそんな顔すんのはやめろ。こっちまで悲しくなる、私は辛気臭いのは苦手なんだ」
「まりさ、まりさぁ……」

 ぐずぐずと、今度こそ歪んだ笑みすら消して、フランは泣き崩れて魔理沙に縋った。
 事情はまったく解らない魔理沙だったが、それでもフランを引き離したりするような事はせず、静かにフランの頭を撫でてやっていた。そうしないとフランがこのまま壊れてしまうような気がして。
 ……そうして、どれくらいそうしていたのか、そろそろフランの涙も枯れてきた頃、フランがポツリと言った。
 
「魔理沙、美鈴って強いの?」
「ん? ああ、あいつは強いな。今日まで気付けんかったが、ありゃ相当なもんだ。負けちまったしな」
「じゃあ、お姉様は?」
「ああ、あれはもう強い弱いの次元にいないな。夜の王ってのは伊達じゃない、王様の前に立ったら勝負以前に平伏するしかないだろう?」

 フランを撫でる手は止めずに魔理沙は苦笑してそう答えた。と、そこで……

「それじゃ……魔理沙は? 魔理沙は、強いの?」
「――――」

 まだ涙の余韻で瞳を濡らしているフランは魔理沙の胸から顔を上げて、真っ直ぐに魔理沙を見つめてそう問うた。
 魔理沙はその質問に言葉を詰まらせる。いつもなら、当たり前だろうがと強がって答える質問。
 けれど何故だろう、フランに見つめられるとどうにも……

「私は……弱いな。まだまだ、全然ダメダメだな」

 苦笑ではなく、ただ力の抜けた笑みで魔理沙はそう正直に答えた。
 そんな魔理沙を見上げて、しばしじっと見つめていたフランは不意に視線を切ってもう一度魔理沙の胸に顔を埋めた。

「いいと、思うよ。魔理沙は弱くても。だってその代わりにこんなに温かいんだもん」
「……フラン?」
「それに、それにね」

 フランはそこで再び顔を上げ魔理沙の目を真正面から見つめた。

「魔理沙は……」

 私が、守るから。
 フランは揺るぎのない声でそう言って、淡く微笑んだ。
 ……そんな二人を古ぼけたコウモリのぬいぐるみだけが静かに見つめていた。









………………

…………

……











 サクサクと、軽い衣の小気味良い歯応えを堪能して、次いで現れるにゅるりとした感触を舌で楽しむ。天つゆよりは岩塩のさっぱりした味付けが良く似合う。現在、純洋風の食卓で食されている月下美人の天ぷらはそんな料理だった。

「もぐもぐ。ふむ、意外と美味しいわね。咲夜発案の変化球食材って聞いてちょっと警戒していたのだけれど」
「そうね、悪くないわ。お酢は健康にもいいし」

 花の天ぷらという趣ある食を楽しむレミリアの声に応えたのは、月下美人の三杯酢を咀嚼していたパチュリーだった。
 紅魔館では月に何度か、こうして主たる面々で食事を取る習慣があった。霊夢への面会連打で食事の時間が変動気味なレミリアも、魔法の研究がノって来てしまえばそもそも食事そのものを取らなくなるパチュリーも、この時だけは必ず決まった時間に食卓についていた。
 そして、主たる面々で食事を取るという事は必然場所は地下の一角になる。なにせそうしないと……

「……」

 今、ひたすら無言で食事を取り続けるフランが出席できないのである。故にこの食事会はいつも紅魔館地下四階、天井を飾る荘厳かつ巨大なステンドグラスが特徴的な大広間で行われていた。
 無理に詰めれば千人ぐらい入れそうな空間を片手の指で数えられる人数で専有するのを豪華と見るか、馬鹿げていると取るかは結構微妙な所だろうなぁというのが、この場を使って食事をする事へのフランの割りと正直な感想だった。
 しかし、フランがそれをレミリア達に言った事はこれまで一度もない。何と言っても、レミリア達がわざわざこんな地下深くまで食事をしに来るのはフランと一緒に食卓を囲む為なのだ。そんな些細な事で水を差そうなどと考えるはずもない。というか、そんな要らない事を言って、じゃあ別の場所で食べましょうか地上の食堂とか、などと言われたりした日には、フランはショックで三日は寝込む自信がある。家族とも言える親しい面々に一辺に会えるこの食事会はフランにとってそれぐらい価値のあるイベントだったのである。
 ……少なくとも、これまでは。

「……」

 パクリと、口を下品にならない程度に大きく開けて月下美人の天ぷらを頬張ったフランは、これまた無言で隣に座る美鈴の顔をチラリと見やった。
 ……あれから、フランがわりと一大決心で言った言葉を聞いた魔理沙は、何やら顔を赤くして大慌てで帰って行ってしまった。とりあえずレミリアの明日の予定を聞いといてくれると助かるんだぜとか、この鍵は私が適当に美鈴の部屋の近くに置いて誤魔化しとくんだぜ、とか不自然なまでにだぜだぜ言いながら。……あれはもしかすると動揺していたのだろうか? だとすると悪いことをしてしまったのかもしれない。
 フランはそう思い、記憶の中で帽子と箒を引っ掴み天井に消えて行く魔理沙の背中に心の中で頭を下げた。しかし、同時に……

(動揺してくれて、助かったのかも。だってあの時なんで泣き出したんだって聞かれたら、答えられなかったもん)

 フランは今度は天ぷらが山盛りになっている大皿から鱚の天ぷらを箸で掴んで、苦い顔をした。天ぷら絡みという事で和食中心の食卓に合わせたチョップスティック、そういえばこれの正しい持ち方というのも美鈴に教わったんだったと思い出したから。

(あの術式を見て、何も言わなかったって事は魔理沙はあの術式が読めなかったってことだよね。魔理沙って使う魔法からして西洋魔術師っぽいし)
 
 美鈴を教師役としていたフランは、多少ながら東洋の術式にも造詣があったりする。故に読めてしまった。美鈴の部屋にあった隠し扉の中の術式、あれは……

("監視用の術式"、全部は読めなかったけど多分それであってる。地下の気を吸い上げて地上まで放出して地下の様子を地上に居ながら探る為の。放出するトリガーは多分地下に居る者の感情、それが一定以上昂ぶれば、それを地上に知らせる警報装置。そして、それが繋がる先は……)

 フランはチラリと今度は天井に目をやった。そこには大きなステンドグラスがある。あの術式の底でも見えた色とりどりのステンドグラスが。
 つまり、あの術式はこの地下四階にガラス一枚隔てて繋がっているのだ。それは美鈴が監視していたのは、ここ地下四階という事に他ならない。そして地下四階に居る感情を持った人物というのは基本的に一人しか居ない。

(……フランドール・スカーレット、つまり私。だったら、あの巨大な術式は私を監視する為の術式って事になっちゃう)

 ブスリと、フランは取り皿に置いた鱚の天ぷらに箸を突き刺す。
 この地下四階から、上の地下三階へ出るには必ずこの大食堂にある階段を昇っていかなければならない。そこを例えば、見つかっちゃわないかな、などと脱走を目論み極度に緊張して通り過ぎれば、間違い無くあの術式が作動するはずである。フランが時計塔で慌てて隠れたのはそれが理由であった。あの時フランと魔理沙は美鈴の部屋の仕掛けを見て"極度に興奮して"術式の上に立ってしまった。ならば術式が発動しないはずがない。そして事実、美鈴はドンピシャのタイミングでフラン達の侵入に気付いて部屋に駆けつけて来た。

(そう考えると今朝は危なかったよね。魔理沙と一緒に地上に出る時、もし私と魔理沙が話して、笑って、リラックスしてなかったらあの術式が発動しちゃってたはずだもん。そしたら、多分バレてた)
 
 手元で箸を上下させつつ、フランは不満気に口を曲げる。
 確かに自分は紅魔館の現当主である姉に地下から、より正確に言うならこの地下四階から出るなとの命を受けている身である。そして、それに反して外に出たいと思っている……どころか今はこっそり出てしまっている身ではある。けれど、あそこまで大仰な、絶対にフランを逃さぬと言わんばかりの偏執的な術式を使う必要があるのだろうか? あれではまるで、フランを逃せば紅魔館が滅びてしまうとでも言いたげな……

(違う)

 違う違う違う、その先は間違い。そんなはずない、だってお姉様はあの時言ってくれたじゃない、ここから私を出さないのは……

「……ン?」

 ……だって。だから、だから、

「……ラン?」

 でも、もしそうだったら? だって私の考えが合ってるなら、あの術式だけじゃなくて、あれも、あれももしかしたら……

「フラン!!」
「ふみゃ!? え、え、あ、えーとなに? お姉様?」
「いえ、なに? じゃなくて。というか貴方こそどうしたのよ?」
「へ? あ……」

 大声の呼び掛けで思考の底から帰還したフランは声の主であるレミリアが指差す先を見て、思わず目を丸くした。取り皿の上に取ってきた鱚が気付けば内蔵をぶちまけたかのようにぐちゃぐちゃになっていた。どうやら無意識で鱚に箸を突き立て続けていたらしい。気付けば、美鈴もパチュリーも驚いた顔で奇行に走ったフランを見ていた。

「あ、あはは……えーと、ほらお姉様が咲夜の変化球食材だから警戒してるって言ったでしょ? だから、何かおかしな物が入ってないかなぁって心配になって」
「そ、そうなの? ……ふむ、それなら心配は要らないわよフラン。何せ今日の料理を作ったのは美鈴だから」
「美鈴が?」

 フランが美鈴の方に目をやると、頬や鼻梁に絆創膏を貼っつけた美鈴がいやぁ、あははなどと照れくさそうに笑って頷いた。
 そこでフランはようやく尋ねる機会を得た。実の所、食卓に付いてからずっと疑問に思っていた事を。

「ねぇお姉様、今日は咲夜はどうしたの? いつもはお料理並べて真っ先に席に付いてるのに」

 この食事会において用意される椅子は全部で五つ。いつもなら必ず埋まっているその席が今日は一つだけ空いていた。そこに本来なら腰掛けている人物、それこそが紅魔館メイド長十六夜咲夜であった。常ならば食事の時はメイドとして給仕に勤しみ、主と席を共にするなど絶対にやらない完全なメイドさんであったが、この食事会には必ず休みを合わせ私人としての、言うなればレミリアの義娘としての立場で出席していた。
 そんな咲夜を知っていれば当然浮かんでくるフランの疑問に、レミリアは苦笑して答えた。

「咲夜はちょっと風邪を引いちゃってね。今日は一日私の命令で休ませてるの。あの娘ったら放っておくと病気を押して働いちゃうから」
「ちなみに熱は三十八度五分。死にはしなくても、動きまわるのは相当に苦しい数字ね。ちゃんと薬を飲ませたから今頃はこぁの付き添いで夢の中よ」
「咲夜さん、能力で私達の制止を振り切ってでもここに来ようとしてましたからね。結局、歩けなくて部屋の床でダウンしちゃいましたけど。あれは焦りましたねぇ」

 クスクスと、レミリアに続いて咲夜の病状を苦笑しつつ語るパチュリーと美鈴。それに釣られてフランも思わず笑ってしまった。咲夜が病気という話を笑ってするのは悪いと思ったのだけれど、三人が語るエピソードがあまりにも咲夜らし過ぎて……そして、

(あれ?)

 ぐるりと、そんな穏やかな光景が突然フランの中で引っ繰り返った。上下に、ではない。例えて言うなら写真のネガポジが入れ替わって色が反転したような、そんな気分。
 レミリアが昔咲夜が風邪を引いたのに無理をして失敗した話を語っている。パチュリーと美鈴がそんな事もあったと頷いて微笑んでいる。
 けれど気付く、気付いてしまった。そのどれもが……

(咲夜と、同じ顔? あの、優しいけど、作ったみたいな?)

 フランの顔から血の気が引いていく。
 今まで親しい家族だったはずの者が、それに似せた仮面を付けたニセモノに変わってしまったような悪感。
 レミリアが笑う、床がぐにゃりと内蔵のように柔らかい何かに変わる。
 パチュリーが笑う、壁の色が油を垂らしたような歪んだ虹色に変わる。
 美鈴が……

「妹様? どうしました? 顔が真っ青で……」

 話しかけてくる。そこでもう限界だった。フランが愛して親しんだはずの空間、それが何か決定的に違う物に変わった。

「う、うぇぇ……」
「フラン!?」
「「妹様!?」」

 引っ繰り返った世界に耐え切れず、フランの胃も引っ繰り返って中身を吐き出した。
 美鈴の仮面を付けた誰かが慌ててこちらに手を伸ばしてくる。フランはそれを思い切り振り払った。

「っ痛。い、妹様……?」
「え、あ……」

 美鈴の顔がフランを困惑したように見つめてくる。

(お、落ち着いて、落ち着くの私。こんな、こんなの唯の幻覚に決まってる。幻覚を見るとか、それはそれでまずい気がするけど……)

 浅く早くなった過呼吸気味の息をどうにか深く吸ってフランは美鈴に話しかけようと口を開いた。
 何を言おう、ごめん痛かった? それとも私はなんでもないから大丈夫? とにかく、とにかく何か言わないと……

「さ、」
「……はい?」
「咲夜が風邪を引いたって本当なの?」
「「「え?」」」

 美鈴と、それからレミリアとパチュリーの三人が異口同音にそう驚いた声を出した。けれど、その言葉に一番驚いていたのはフランだった。意図していたのとは、まるで違う言葉が勝手に口をついて出た。
 そして、そんな当人すら驚いた言葉を受けて三人は顔を見合わせ……

「何言ってるのよ、フラン? 本当に決まっているでしょう」
「そうね。こんな事で嘘を付いても仕方ないわね」
「咲夜さんが心配だったんですか? 大丈夫ですよ。本当にただの風邪ですから」

 そう言って 答えた 三人の笑顔は

「――ッ!?」
「フラン!?」

 誰かが自分を呼び止めた。
 それは聞こえていたが、もう限界だった。フランは一秒でも早く変わってしまった世界から逃れる為に、全速力で食堂を飛び出した。







………………

…………

……








 自室の扉を渾身の力で叩き開き、叩き閉め、末期の病人のような必死さで水差しに手を伸ばし、零れる水が服を濡らすのにも気付かず直接口を付けて必死に水を嚥下する。ぜぇぜぇと、病的なまでに荒い呼吸の音が自分の物だとフランが気付いたのは、そうして水差しの中身を全部飲み干してしまってからだった。嘔吐した際の不快感を無理やり飲み下した。そうしないと、また吐いてしまいそうだった。

「なに、なんなのあれ。あんなの、あんなの……」
「あーあ、とうとう気付いちゃったんだねぇフラン」
「……ッ!!」

 ついこの間まで、その声を心待ちにしていた事が、自分で信じられないような黒い驚きがフランの心臓を叩いた。

「コ、コウモリさん……」
「おやおや? 何か嫌そうな顔だねぇ。嫌われてしまったかな? まぁそれでも良いのだけれどねぇ、私は、私が君と話したいから話しているだけなのだし。キキキキ」
「……」

 ベットの上にちょこんと置かれたコウモリのぬいぐるみ。そのぬいぐるみから得体の知れない威圧感を感じたような気がして、フランは二歩ほど後退る。それを見てコウモリのぬいぐるみは酷く愉しげに笑った。

「キキキキ、私としてはいつ気付くのかとずっと待っていたというのが正直な所なのだけども……いやはや、今日までかかるなんていくら何でも鈍すぎやしないかいフラン?」
「……に、鈍いって、なにが?」
「不審に、そして確信にさ。フラン」

 昨夜の話を思い出し、それでもどうにか問うたフランの掠れた声に、コウモリのぬいぐるみは外連味のような戯けた声で即答した。 
 フランの口がそれを聞いて戦慄いた。しかし、それでも、

「違う、違う違う違う!! みんなが、私が知ってるみんなが全部作り物だなんて!! 嘘だなんて、そんな事、そんな事無い!!」
「じゃあ門番さんの術式は? あれは君が知っているみんなとやらに含まれるのかい?」
「そ、それは……美鈴は心配性だから、ちょっと大げさにしちゃっただけで……」
「なるほど? 心配性だから、それで人の部屋に勝手に覗き穴を作ったと? 中々面白い解釈だねぇフラン」
「……!!」

 背筋が凍った。
 決死の覚悟で放ったフランの叫びに、事も無げに答えたコウモリの言葉、その後ろにフランは確かに彼の悪夢じみた笑みを見た気がした。
 いや、それよりも……

「の、覗き穴……?」
「だ~か~ら~、もうそろそろ気付いてないフリはやめないかいフラン? 君が気付こうが気付くまいが、現実ってやつは何一つ変わらないんだよ?」
「……」

 このコウモリのぬいぐるみは、本当は人の心が読めるのではなかろうか?
 知らず知らず我が身を抱きしめていたフランの手が、瘧のように震え始める。そう、自分は確かに気付いている、疑っている。フランの部屋の天井にある隠し階段。それが……美鈴の作った"監視用の覗き穴"なのではないかと。
 フランにとって、あの隠し階段は紛れもなく奇貨だった。あの階段がなければ、フランは魔理沙に出会えなかったはずなのだから。故に気付くのが遅れた。個人の私室に仕掛けられた隠蔽付きの隠しスペース、そんな代物が作られる目的など一つしかないと。魔理沙を導いた幸福の道が、囚人の行動を見張る看守用の覗き穴などという冷たい代物だとは想像出来なかったのだ。
 けれど……

(美鈴の部屋の隠し扉を隠してた術式、あれは隠し階段にかかってるやつと一緒だった。"監視用の術式を隠してた"術式と、完全に)

 ならば……どうなる?
 美鈴はあの親しげな笑顔の裏で、自分の行動を逐一監視していたのでは?
 自分を見張っていた門番の美鈴。門番? 一体彼女はどこの誰に対しての門番なのだ? それはまさか……まさか……
 
「美鈴は私の、私を外に出さずに……閉じ込める為の門番なの?」
「君がそう思うなら、あるいはそうなんじゃないかい? まぁ少なくとも、まともに考えるなら否定するのは難しいと思うけど?」
「――――」

 ズキリズキリと、また痛み出した頭の中でフランは何かが砕ける音を聞いた。
 また世界が引っ繰り返る。耐えられず、フランは床に突っ伏し再び胃液を吐き出した。
 痛い痛い、喉が焼け付くように痛い。痛いイタイ、頭ガ痛い砕ケソウニ痛い。

「うぐ、うぅ……」
「とはいえ、まぁ気にすることはないんじゃない? 君には魔理沙が居るんだし」
「……ッ!!」

 悲痛に顔を歪ませていたフランが顔を上げた。
 涙を流して、涎を零して、見ていられない程哀れな顔で。

「心配しなくてもいいよ、フラン。"魔理沙が寝ている時に私が言った"言葉は嘘じゃない。魔理沙は絶対に君を見捨てたりしないよ。どこかの館の誰かさん達と違ってね」
「まり、さ……」
「そう魔理沙だ。彼女こそは今日まで君が待ち望んでいた人物だよ。君がここから出る事を望んでくれる、君の唯一の友達だ」
「まりさ、まりさ……」
「けど、私はこうも言ったよね。だから彼女はこの館の住人達にとって邪魔だと。そして彼女はとても弱いと。君が守って上げないと、すぐに殺されてしまうと」

 痛い、イタイ、頭がトテモイタイ。
 その上、ああ、何でこんな事を思い出すのか。魔理沙が美鈴に首を締められているところなんて!!
 駄目、やめて、魔理沙が、魔理沙が居なくなったら、私は、私は……?

(あれ? そうしたら私は、もしかして一人ぼっちになっちゃうの?)

 ニセモノの笑顔の下のこの暗い地下室で。たった一人に。

「いや、いやだよ。それだけはいや……!!」
「なら、どうすればいいんだろうねぇ? 魔理沙を守るには、どうすれば?」
「どう、すれば……?」
「その方法を、君はもう知ってるはずだよ、フラン。だって君の力は正にそれを行う為の物なんだから」
「私の、私の力……? あ、く……」

 ぐちゃりと、意識が痛みで潰される。
 元々かなり疲弊していたフランの精神は容易くそこで断ち切れる。
 そして、途切れる意識の中でフランは……

(ああ、そっか……)

 簡単な、事だよね。だって私の力の使い道なんて、一つしかないんだし。
 魔理沙を傷つけるやつを、全部、全部……

「壊しちゃえば、いいんだ……」

 フランの意識が今度こそ完全に途切れ、床に倒れ伏す。……最後に歪な笑顔を浮かべて。

「うーん、もう一押しかなぁ? 悪くない感じだけど、もう少し……」

 その笑顔をコウモリだけが見ていた。
 奇妙に酷薄な声で、けれど艶やかに、まるで……

「……」
「ああ、おはようフラン。お出掛けかい?」
「……アハ」

 人を誘う悪魔のように。
武闘家vs魔法使いはロマン。
お疲れ様でした。本三部作、後に行くほど長くなる仕様なので体力に気をつけてお読みください。目の疲れは蒸しタオルで温めると取れるそうです。
魔理沙とフランの秘宝を求める冒険もいよいよ佳境。果たして二人を待ち受ける結末とは? 気になる方は次も宜しくお願いします。

追伸:没題名候補→そして誰もいなくなった ~Devil girls destiny~

 13/1/17 コメント返信、御評価並びにコメントどうも有り難う御座いました。
 13/1/20 コメント返信追加、御評価並びにコメントどうも有り難う御座いました。
 13/7/15 コメント返信追加、御評価並びにコメントどうも有り難う御座いました。

>>8様
 さてどうなるでしょうか。続きをどうぞw(宣伝)

>>9様
 特に美鈴戦はステージの状況を説明したくて、結構頭使って表現しました。
 功を奏したのなら幸いです。

>>13様
 ロマンです。
 手抜きをしないよう頑張ったので丁寧という言葉は嬉しいです。有難うございます。

>>14様
 嘘を付かない人間など居ない。それは多分妖怪も同じだと思います。
 次も宜しくお願いします。

>>18様
 有難うございます。100点ゲット。

>>葉月ヴァンホーテン様
 次もドキワクを願ってます。
 良い旅を。

>>24様
 おおう、ストレートな感嘆。有難うございます。

>>27様
 御報告有難うございます。修正します。
 ……魔理って誰だよ、ちくしょう。

>>28様
 あのバトルは、2のクライマックスですね。
 位置関係はやっぱりきつかったか。努力はしたんですが……精進します。
 タイトルはそう言って貰えると有難いです。そして誰もいなくなっただと、ミステリーと思われるかな、という気がしたんでミステリーだと思って読んでこれだったら詐欺ですよね。

>>29様
 さて、フランはこれからどうなるのか……次も宜しくお願いします。

>>3様
 伏線を敷いていくのは花火を作ってるみたいで楽しいです。こう、火薬をひたすら詰め込んでいる感じ。こっちもドキドキです。
 点火は次になります。宜しくお願いします。

>>非現実世界に棲む者様
 コメント有難う御座います。
 続々もゾクゾクさせられる……はず。
 フランは、魔理沙は、紅魔館は……全ては次回に。
森秋一
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コメント



0.2060簡易評価
8.100名前が無い程度の能力削除
雰囲気がますます怪しくなってきた不具合が・・・
9.100名前が無い程度の能力削除
物語の構成がうまい。
表現も状況が自然に頭に浮かぶし。
13.100名前が無い程度の能力削除
作りが丁寧っすね
嫌な空気ですが魔理沙なら、魔理沙ならやってくれる!

つーか美鈴とのバトルかっけー
14.100名前が無い程度の能力削除
嘘をつくのは難しいし、嘘の真意を見抜くのも難しいですね。繋ぎの二作目、ここからどう落とすか全力で見届けさせて頂きます。
18.100名前が無い程度の能力削除
これは100点
22.90葉月ヴァンホーテン削除
ドキドキとワクワクが止まりません。
では、続きです。
ボンボヤージュ、私。
24.100名前が無い程度の能力削除
すげぇ。
27.無評価名前が無い程度の能力削除
誤字脱字の報告です
>魔理に向かって
>してるたって
28.100名前が無い程度の能力削除
ここまで激しいバトルをやっておいて中盤にすぎないというのが、すごい
でも時計塔を昇っての戦いは、彼我の位置関係がわかりにくかったかも
タイトルは紅魔館の秘宝のほうが好みです
このタイトルを観たときに、インディ・ジョーンズの映画のようなロマン&アドベンチャーが想起されたし、実際にそういう感じの内容だし
29.100名前が無い程度の能力削除
フランちゃんの危うさが特に ヤバイ
42.1003削除
ドキドキの展開の連続ですね。
早く続きが読みたくて仕方がないです。
44.100非現実世界に棲む者削除
うわあゾクゾクしてきた。
一体どうなるんだろうか。もう気になってしょうがない。
というわけで完結編、読みにいってきます。
55.100名前が無い程度の能力削除
最高の宴をありがとう