Coolier - 新生・東方創想話

最果ての向こうへ。(上)

2012/12/10 23:02:54
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はじめに
・このSSはC83頒布作品「最果ての向こうへ。」の全文サンプルです
・詳細や特設サイトへのリンクはあとがきに記してあります。

注意このSSは以下の様な要素を含みます。
・中二病
・東方でやる意味が無い
・無駄に長い
・キバヤシ
・捏造設定

以上の事を許容できる方は以下へお進み下さい。




















 『いや、ここって地下世界だろう? なんで雪が降ってるのかと思って……』
 『あん? まあ冬だから雪が降るのは当然だね』
 東方地霊殿 ~ Subterranean Animism.より














 幻想郷の真下、奥深くに存在する巨大な地下空洞。
 倒壊した建築物と、岩、そしてホコリと溶岩が支配する赤黒い世界がそこには広がっている。
 太陽の光が届かない閉鎖空間、絶え間なく噴き出る溶岩に寄る極度の高温、水源不足による乾ききった大地。
 極限ともいえるその環境は地上からの侵入を完全に拒み、大昔に是非曲直庁の管理下で開発が行われた以外に、外部からの干渉を受けた事は無い。
 だが、それも今は昔。
 あまりの悪環境に是非曲直庁もやがて、その開発から手を引き、結局地獄として運用されたのは僅かな期間に過ぎない。
 現在の地下空洞に構築されているのは地上とは完全に独立した独自の生態系。
 生まれながらに妖獣と見分けがつかない程の強大な獣と、居場所を追われ旧都に身を隠す妖怪だけが住む、荒廃しきった世界。
 それが、現在の旧地獄の姿である。




 旧地獄の環境は極限と言っても過言ではない。
 ほんの僅かな水を争って、獣たちはその命を落として行く。
 栄養と呼べる栄養が、地上からまれに投げ込まれる死体以外に存在せず、自然その食性はスカベンジャーか、カーニヴァーの二択に絞られる。
 スカベンジャーとしてポピュラーな種の一つが、 ”地獄鴉” 。
 それは、老い衰え、傷を負い半死半生の獣や、地上から投棄される死体をついばんで細々と生きる力弱き生命体。
 地下では少数派と言える飛行能力を活かし、天敵からいち早く逃げる事でその勢力を伸ばしたのがその特徴である。
 ありとあらゆる住人に食料として捕食される生態系ピラミッドの最底辺に属する彼らは、緩い繋がりを持ったコロニーを形成してその身を守っている。


 コロニー内で頭目を務めるのは大抵最も年老い妖獣と化した個体。
 人型を取る事ができ高い思考力を持って群れを導く事が出来る者が選出される。


 だから、その鴉は特異個体と言って良い存在だった。


 破格とも言える身体能力と極めて好戦的な性格。
 生を受けて数年で妖獣と化し、人型を取るに至り、その戦闘力は並の妖怪を上回る。
 火焔猫を始めとした本来天敵となる種にすら単騎で挑み、そして討ち取る程のその戦闘力は生態系のバランスを傾ける程の勢いを持っていた。
 齢十数歳にして、一つのコロニーを率い、我が物顔で旧地獄を闊歩するその ”彼女” を止められる存在は、旧都に隠れ住む地上の鬼以外には最早居ないとすら噂される。


 彼女は常に笑みを絶やさなかった。
 それは周りを鼓舞すると言う意味もあるし、笑う事で自らが強いと暗示を掛ける側面もあるからだ。
 強大な天敵の集団に出会った時は、味方を鼓舞する意味で、熊の様な巨体から心臓を抉りだした時は自らの力を誇示する意味で、自らの仲間の最後を看取る時は安心させる意味で。彼女は笑っていた。




 そして、今も、彼女は笑っていた。
 心の底から、腹の奥から横隔膜を痙攣させんばかりの勢いで高らかに笑い声をあげていた。






 「ははは……、まいったぁ。指一本動かせないや」






 あまりの自らの無力さにもはや笑う以外の選択肢が取れなかった。
 地面に這い蹲り無様に砂を舐めているのは何よりも ”強かった” 天下無双の地獄鴉。
 思い上がった彼女は地下空間の中央に位置する廃墟群の覇者。鬼に戦いを挑みそして敗北した。


 命辛々その場を逃げ出しようやく辿りついたのは廃墟群外殻。
 岩と瓦礫ばかりが広がり怨霊の特に多い地帯。最も危険な場所で地獄鴉はついに翼が折れてしまった。
 羽の折れた鴉に凶暴な怨霊から逃れる術は無い。
 周囲に漂うのは無数のしゃれこうべ。人の怨念を喰らい、妖怪の魔性を取り込み、力を増す彼らは間もなくこの喉元に喰らいつくだろう。


 迫る濃厚な死の気配は己の正常な判断力を狂わせる。
 死が怖ろしく無かった訳では断じて無い。
 仲間を看取る度、己の天敵を返り討つ度。
 手の内の骸が次は己の姿であると胸に決して消えない強迫観念を刻みつけるのだ。


 故に彼女は鬼に挑んだ。
 鬼に勝てば己を上回る物は誰一人この地下世界には存在しない。
 ただそれだけの安心感を得る為だけに彼女は無謀な戦いにその身を投じたのだ。


 仲間にはこの事を一切伝えていない。
 自己の我儘の為に仲間の身を危険に晒す事は絶対に嫌だった。


 故に彼女は一人だった。
 死に臨み、心が折れ、翼が折れた。
 胸に這いよるどうしようもなく暗く、堪らなく ”寂しい” その感覚。
 涙が溢れてもおかしく無いのにも関わらず、動作不良を起こした脳神経は狂ったように笑いだけを出力し続ける。


 「あぁ、お腹空いたなぁ。お腹いっぱい何か食べておきたかったなぁ」


 口から出るのは場違いな言葉ばかり。
 無駄な試みと知りつつも力を籠める羽はびくりとも動かない。
 そうしている内に周りを旋回していた怨霊の一体が此方へ向けて猛然と突進してくる。
 死の瞬間を恐れた彼女はただ、その瞳を閉じる事でその現実から逃げる以外の選択肢は取れなかった。


 目の前に広がる暗闇。
 地鳴りの様なマントルの対流音。
 怨霊の狂った笑い声。
 かたかたと顎が鳴る音が耳元に迫る。




 ――死にたくない。




 背筋の寒くなるその音に脳は恐怖の許容量を超える。狂ったように信号を出し続けるシナプスに鴉の脳はようやく正当な感情を伝え始める。
 此処に来て自らの身に訪れた膨大で抗いようの無い恐怖感。彼女は恥も外聞も無く涙を流し喉が破れんばかりに叫びを上げた。


 「――嫌だっ! 死にたくないっ! まだ、私は死にたくないッ!」
 「そうなんですか?」


 場違いとも言える呑気な言葉が返ってくる。
 白い発光と共に上空から舞い降りる一人の少女。
 それは己に背を向け襲い来る怨霊を身動き一つせず次々と消滅させていく。
 あまりの圧倒的な存在感。その時、空の頭に浮かんだのは『神』の一文字だった。


 「……変わった所で昼寝をして居るんですね。……お怪我は無いですか?」
 「ふ……、ぇ?」


 鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔が彼女の取りだしたハンケチーフで拭われている。
 いつの間にか目の前に座り込んでいた彼女の姿を改めて観察する。それは信じがたい事に年端もいかぬ短身の少女だった。


 「内出血が酷いですね……。一体何をしたらこんなに粉々に骨が砕けるんですか?」


 気がつけば既に体は彼女の胸の内にある。
 傷だらけの腕を優しく持ち、腫れた患部を眺める彼女は眉根を潜めその状況を冷静に分析していた。
 しかしそんな彼女の機敏な動きとは対照的に己の頭脳は停止を続ける。


 状況把握が追い付かない。突然に現れた彼女の目的が理解できないでいた。
 緩慢な動作を続ける脳が理解していたのは唯一つ。彼女が自らに危害を与える存在では無いと言う点についてのみだった。


 「御免なさいね、此処から先は少し刺激的だから。ちょっとだけ眠っていた方が良いわ」
 「へ?」


 少し思案をした様子を見せる彼女。
 胸から下げた不明の球体を彼女が両手で掲げる事と視界が極彩色で埋まるのは全く同時であった。


 「 ”おやすみなさい” ――良い夢を」


 不意に訪れた眠気が意識をいとも容易く刈り取る。
 彼女が意識を手放す直前、薄い笑みを浮かべた少女の胸の第三の眼(サードアイ)がきらりと輝いた。









△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 黎明 -the dawn-






 かちり、こちり。
 耳に届くのは規則的なリズムを刻む機械音。体を包むのは柔らかな布の感触。
 睡眠と覚醒の狭間で揺蕩う意識は、着地点を求め白いベッドの上に降り立った。


 「起きましたか?」


 上半身を起こし周囲を見渡す。
 古ぼけて居ながらも、手入れの行き届いた洋室。
 石作りの灰色の壁が正面に広がる。窓の外からは見慣れた廃墟群の瓦礫が顔を覗かせていた。
 声の主らしき人物がベッドの傍に座っている。優しい笑みを浮かべた少女は膝の上に盆を載せ無言でそれを差し出して来た。


 ぐるる、と食欲をそそる香りにお腹が鳴り始める。
 意識をした事をきっかけに加速度的に空腹感が高まって行く。
 抗いがたい欲求に、空は素直にその食事を受け取ると夢中で腹の中にそれを収め始めた。


 「慌てて食べなくても誰も取りませんよ」
 「……信じられない」
 「お行儀が悪いですよ、箸があるじゃないですか」
 「……使い方が分からない」
 「……美味しいですか?」
 「……美味しい」


 「そうですか」と少女は小さく笑う。
 間もなく空になった器を見届けると、ポケットから取り出したハンケチーフで汚れた空の口や手をおもむろに拭い始めた。
 嫌がるそぶりを見せる空。しかし有無を言わせぬ少女の瞳に気圧された空はそれを渋々受け入れた。


 「…………ここは?」
 「地霊殿よ。知らないの?」


 廃墟群の中央に存在する不気味な館、 ”地霊殿” 。
 怨霊の巣窟であり、鬼ですら近づきたがらないと地下では有名な場所である。
 だが、そんな噂とは裏腹にこの場所に怨霊の気配は一つとして無い。


 「この辺の怨霊は粗方隔離しましたからね、安心して良いですよ。貴女を傷つける者は此処には居ません」
 「…………」
 「あぁ、そうですね。すいません。自己紹介がまだでしたね。私の名前は ”古明地さとり” 。是非曲直庁から派遣された地霊殿の管理人です」


 さとり妖怪。是非曲直庁。何れも鴉の記憶には無い言葉であった。
 しかし、そんな鴉の様子に構いもせずさとりは言葉を続ける。


 「是非曲直庁は……、そうですね ”善悪の規範” です。少なくともそう言う ”建前” でお仕事をしています。もう一つはそろそろ分かるんじゃないですか?」
 「……私の心が読めるの?」
 「その通りです。この第三の眼で見た者の思考を読みとる事ができる。さとり妖怪とはそういう能力を持つ妖怪の種族です」


 そう言ってさとりは奇妙なチューブが伸びる眼を胸の前に掲げる。
 無機的とも有機的とも着かない不思議な材質で作られたその眼は生きているかのようにぎょろりと空の方を見た。


 「貴女の名前は――、そうですか。無いのですか」
 「名前なんて別に必要無い。それで、さとり妖怪がどうして私を助けたんだ?」
 「だって、死にたくないって言っていたじゃないですか」
 「…………」
 「嘘ですよ。 ”寂しそう” だったから。私が放っておけなかった」
 「…………」


 酷く不思議だった。地下世界に住む全ての生命には強い淘汰圧が掛かっている。
 同族でもない限り他者を助ける存在は稀有と言っても良い。鴉はさとりの意図が全く掴めないでいた。


 「そんなに深く考える必要は無いと思いますが……。まぁ、気紛れと思って貰っても構いません。 ”その程度の理由” です。――それにしても、恐がらないんですね。私はあなたの考えが全て読めます。貴女が何を歓迎し、何を畏れるのか。その全てが筒抜けなんですよ。恐くないんですか?」
 「どうして恐がる必要がある? 思考と行動がちぐはぐなのは人間か、賢しい妖怪だけ。私たちみたいな獣には関係ない」
 「ふふふ。分かりやすくて良い理由ですね。さて、私は用事があるのでそろそろ離れますが、まだ動かないで下さいね。傷が癒えるまではゆっくりしていって良いですから」


 無言で頷く鴉を確認しさとりは部屋を出て行く。
 一人取り残された部屋にはまた機械的な針の音だけが木霊し始めた。
 暫く石の壁を見詰めていた鴉は思い切りよく体を起こすとベッドから降りる。


 「……」


 自らに危害を与える意志は無い様だが、かと言ってこんな得体のしれない場所に長くは居られない。
 逃げ出そう。そう考えて鴉は扉に向けて脚を踏み出した。
 からだが思った様に動かない。気がつけば体のあちこちには包帯が巻かれている。
 それは非常に稚拙な手当。めちゃくちゃに巻かれた包帯は動きづらくて仕方ない。
 ただ、血や泥は丹念に拭われている事から手当てをした者は少なくとも至極真剣にやったのだろうと思われる。
 胸の中に妙な感覚が生まれる。それが何であるかはその時の鴉には分からなかった。


 体はどこも違和感だらけだが動けない訳では無い。
 どこか感覚のズレを感じる頭を抱え壁に伝う様にしてようやく鴉は部屋を後にした。
 大理石の長い廊下と中央ホールを抜けようやく外へと辿りつく。
 重い体を引きずるように歩いたのでかなりの時間がかかったが、外に出るまで無事に誰にも会わずにいられた。


 異変が訪れたのは、館を離れようと屋敷の門を潜ろうとした時である。
 全身を襲う激しい痛み。体の内から湧きあがる逃れようの無い熱と骨の軋みは、これまでの反動であるかのように容赦なく鴉に襲いかかった。
 耐えきれず鴉はその場に蹲る。その直後、館の中から飛び出して来たさとり妖怪が鴉に駆け寄った。


 「まだ動いちゃ駄目って言っているじゃないですか。私の力で痛覚を鈍らせていただけなんですよ。ほら……、掴まって」


 碌な抵抗も出来ず自分よりも一回り小柄な少女に背負われる。
 妖怪としては身体能力の低い彼女は、引きずるようにしてようやく中へと彼女を運び込んだ。
 再び来た道を連れ戻されるがやはり館の中には誰も居ない。


 先ほどは歩くのに必死だったが今ははっきりと分かる。この館にはこのさとり以外が住んでいる気配が存在しない。
 不気味な程静まり返った廊下に反響する足音がその考えを肯定する様であった。


 蹴破る様にして脚で扉を開けたさとりは、鴉をベッドに下ろすとふうと息を吐く。
 疲労した様子の横顔に鴉は、胸の内のわだかまりを吐きだした。


 「……どうして、そこまで私に世話を焼くの?」
 「前にも言った通り気紛れよ。強いて言うなら、私の敷地の中で勝手に死なれると後味が悪い。その位よ」
 「……なぁ、さとり。お前は一人なのか?」
 「そうですよ。少なくとも ”今は一人” です。さぁ、今度こそ大人しく此処で傷が治るまで寝てなさい。妖獣なら二晩もあれば治るでしょう?」
 「あぁ……、多分」


 親近感にも近い感情。鴉はその時のさとりの顔に物憂げな物が混じるのを見逃しはしなかった。
 たった一人孤独に地霊殿を守る少女が、鴉にはとても頼もしく全く同様に寂しげに見えたのだ。


 さとりは妖術で使い魔を作りだし机の上に放置すると外へと出て行く。
 恐らくは監視をしているから勝手に動くなと言うサインなのだろう。
 碌に妖力が編み込まれず張りぼて同然の使い魔。ただその眼光鋭く、空を牽制するには十分過ぎる物だった。
 鴉は観念したように布団を被る。


 暗い布団の中。固いベットの上。体中は違和感に包まれているし、使い魔の視線は鬱陶しい。
 だと言うのに空の心は不思議と落ち着いてた。それは何年も感じて居なかった安心感。
 自分が気を掛けるのではない。自分に気を掛けてくれる存在と空はその時始めて出会ったのだ。


 妙な事を考えそうになる頭を振り鴉はより深く布団を被る。
 眠気はすぐに訪れた。脳が欲するままに深い眠りへと誘われて行く。数年ぶりの熟睡だった。







 「なぁ、私を此処に置いてくれないか」
 「馬鹿な事を言っていないでさっさと帰りなさい。貴女の家族が待っているんでしょう?」


 地霊殿に世話になって二日目の朝。
 傷が癒え玄関へ出た鴉は、胸の内の覚悟を言葉としてさとりへ告げた。
 地獄鴉の長としての自分は既にあの日死んだ。
 拾われた命の使い道を、返すべき恩の為に自らが出来る事を考え続けた結果の判断だった。


 「私達は地獄の闇と死肉の山から生まれる存在だ、厳密な意味で家族は居ない」
 「言ったでしょう。まだ、部下に給金を払える体制が出来ていないの。大人しく帰りなさい」
 「給料なんて要らない。ただ此処に居たい。頼む私に恩を返させてくれ」
 「給金とは尊い物です。そんな安易に否定してはいけません。不本意ながら是非曲直庁の末端としてその様な事は認められない」


 さとりの瞳は真剣そのものだった。
 有無を言わせないその強い瞳はこれまで何度も鴉が黙らされてきた物。
 だがこの日だけは従う訳にはいかなかった。どうしても従いたく無かった。
 貧弱な頭を熱が出るまで捻らせる。何度ももごもごと口ごもりながら鴉は口を開いた。


 「……私は獣。……そうだ、私は獣だ! 私はお前のペットになる。だから、お前は私の寝床と食事くれ。その代わり……此処に私を置いてくれ」


 顔が赤く染まって行く事を感じる。なにせ思い付きだけで放った言葉だ。
 馬鹿げた事を言っていると言う自覚は十分にあった。
 静まり返った空気に耐えきれなくなった鴉が口を開こうとした時、噴き出したようにさとりがからからと笑いだした。


 「ペット……、ふふ、そうですか。ペットですか……。それなら仕方ないですね。丁度、寂しさを紛らわすペットが欲しいと思っていたのですよ。よろしくね、……えーっと、そうだ。名前を付けてあげなくちゃね」
 「名前……?」
 「そう貴女の名前よ。名無しの権兵衛では困るでしょう? 何が良いかしら……、恰好良いのが良いかしらね。そうね……。――というのはどうかしら?」




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 「さとりー」


 古ぼけた石造りの廊下をばたばたと騒々しい音を立てて歩く鴉の少女。
 優雅さの欠片も無いその気配が、背後の扉を勢いよく開ける事に少々の頭の痛みを感じる。
 騒々しい来訪者を薄紫の髪の少女は書類越しに軽く眼をやった。


 「さとり、こんなもん今日中に終わる訳ねーですよ!」
 「仕事中は様を付けなさいと言ったはずよ、 ”空(うつほ)” 。後、敬語はちゃんと使いなさい」


  “空” と呼ばれた少女が作業指示書と印字された紙を持ってさとりへ詰め寄る。
  “霊烏路空” それが、彼女に付けられた名前である。
 空のそれとは対照的なぼそぼそとした平坦な声は、頭を掻きながら呆れ気味に胡乱な視線を投げかけた。


 「サトリサマ、コノオシゴトホンジツチュウニオワラナイデス」
 「よろしい。帰ってさっさとその仕事終わらせなさい」
 「おいっ! それ解決になってねーぞ!! ――いだぁ゛!」


 小気味の良い音を立てて、妖弾が空にヒットする。
 尻もちを着いた空は眼元に涙を浮かべて紅く染まった額に手を当てていた。


 「仕事中に汚い言葉を使わない。全く……世話の焼ける」


 大理石の床が張り巡らされ、壁にはステンドグラスがはめられた豪華な部屋。そこに場違いな木製のボロ机が一つ。
 書類の山に埋もれた古明地さとりは溜息を吐く。


 「仕事が終わらなくて悩んでいるのは貴女だけではないのですよ。空」
 「ぶへぇ~い……。申し訳有りませんでした。現場に戻ります……」


 事実その計画書に記された工事内容はとても今日一日で終わる物では無い。
 だが、当然さとりも、させたくてそんな仕事を押しつけている訳では無い。
 止むに止まれぬ事情があって、その仕事を進めている。
 だが、渋々と言った様子で帰る空の背負う気配は重苦しく、悲しげな物。


 「待ちなさい。貴女の班、今何人かしら。後、現在までの怪我人を報告しなさい」
 「私が直接指揮しているのが、二十。後、他の班に任せているのが十って所でしょうか。聞いている限りで作業に差し支えのあるレベルの怪我人は五ってところでしょうか。彼らは少なくとも三日間、現場に出られないと思います」


 急ピッチで進める仕事には必ず落伍者が出る。
 その人員の減少による作業効率の低下、それが全体の進捗与える影響、そしてさとりの良心それら全てと、これから発生するであろう心労を天秤に掛ける。
 一瞬均衡し、ゆらゆらと揺れる中央の針。何かを訴える様な漆黒の瞳がその均衡を崩す音がした。




 「……新しい作業スーツと、建設機械を手配しておくわ。それが届くまでは、安全な資材運びだけやっておきなさい」
 「――?! さとりさま……、さっすが話がわっかるぅ!!」
 「あ、ちょっと、抱きつくな、こらっ!」
 「さとりさま、いーにおい、ふー、んー♪ いだっ!?」
 「仕事中だって言ってるでしょう。バカな事言ってないで早く戻りなさい」


 「はーい」


 それは、軽く小馬鹿にしたかの様な間延びした返事。
 かつかつと、床を踏みならし、錆びついた真鍮のドアノブに手を掛けた所で、悪戯っぽい笑みを浮かべ何かを思いついたかのようにくるりと踵を返した。


 (……さとりさま、あなた意外と良い人だね)


 にまにまと口元を釣り上げたままこちらの様子を伺う空。
 サードアイでその思考を読みとったさとりは、一瞬言葉を失った。


 「……無報酬でこき使われ置いてよく言うわね。あなたのその鳥頭に私はびっくりよ」
 「ま、私は貴女の ”ペット” ですし」


 鼻歌を漏らしながら軽やかな足取りで部屋を後にする空。
 執務室と言う表札が掛けられた扉を潜り廊下へと出て行った。


 「思ったより懐いてくれたのは良いけれど……。あんなに単純でこの先大丈夫なのかしら……」


 俄かに静まり返った部屋の中で、さとりは溜め息のように一人ごちる。
 手元の作業中の書類へ眼を落とす。
 仰々しく印字された文字は、地獄の活版印刷技術で刷られた物である事を示す。
 机の上に広げられた数十枚の書類にはそれぞれ数値や図等の異なる内容が記されていただが、共通してその文字が右上に印字されていた。


 『焦熱地獄管理権限譲渡について』


 「それにしても、映姫の奴……。焦熱地獄の再建と管理だなんて無茶を言ってくれる。怨霊管理だけでも手一杯だったって言っているのに……。今度あったら思い切り愚痴ってやる」


 頭を抱えたさとりは机の引き出しの中から予算計上と書かれた紙を取り出した。さらさらと手なれた様子で羽ペンを走らせる。
 資材調達費、人件費、諸経費、数限りない項目とその横に書きこまれた多数の数値。
 そこに一つ欄を追加する。さとりは小さく角張ってはいるが読みやすい文字で桁の一つ違う数値を書き込んだ。






 「今度は私が怒られる番ね、でもまぁ、因果応報……、か」








△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 私はなんの力も持たない唯の火焔猫だった。
 力も無い、妖力が高い訳でも無い。ただ逃げるのだけは人一倍得意だった。
 そのおかげでこの地下空間の発生の初期から今に至るまで生き抜く事ができている。


 だがそれだけだ。人化する事も出来ず、戦闘力も無い自分は泥を啜る様な生活を数百年に渡り続けていた。
 悪運が強いだけ。私は自分の事をそう思っている。だからその時もただ運が尽きただけだと半ば達観していた。
 この身を包む無数の傷はこれまで自らが庇護の元に得ていた食料の代償。全くもって妥当だと言える。


 皮膚が剥がされ剥き出しになった肉は、地獄の熱によって容赦なく焼かれる。
 死に臨み体の自由も効かない。自分がどうしようもなく無力で痛みにただ涙を流す以外出来る事は無かった。


 死に逝こうと言う時に体を包んだのは泥の様な無意識の波ではなく、またしても残酷なまでに優しい肌の温もり。
 こうして私は ”再び” 他者の庇護の下に生きる事になった。まだ生きられる。だと言うのに、私はやはり涙が止まらなかった。






 「ぼーっと、してるんじゃないよ! 怪我しても知らないからね」


 目前に猛然と迫る大鎌。
 すんでの所で身を捻って交わした燐は大きく後方へ飛び、瓦礫へと着地した。


 「お燐ちゃんはもう ”おねむ” の時間かい? だったら、お休みにしても良いんだよ」
 「だ……、大丈夫です。小町姉さん」


 地霊殿の裏で組み手を行うのは、二つの赤いシルエット。
 一人は大鎌を、一人はその身に怨霊を侍らせ縦横無尽に廃墟群を駆けまわっている。


 這うような低い体勢で迫る小町。
 燐と呼ばれた黒猫の少女が立っていた瓦礫が小町の鎌によって真っ二つに断裂された。
 支えを失った燐は空中で器用に体勢を立て直すと、身に侍らせた一匹の怨霊を小町に向かってけしかけた――。


 「……れ?」
 「――いけない」


 不意に訪れる体の感覚のズレ。反転する視界。自らの体制が崩れた事で、頭が地面に向かっている事を示していた。
 その様子を見た小町は鎌を投げ捨てる。ふっと消えたその姿は次の瞬間、燐の真下に移動していた。
 燐の落下を待ちその体をそっと受け止める。
 眼を白黒させながら小町の腕の中で燐は縮こまった。


 「怨霊に逆に干渉されたのか……。実戦はまだ難しかったかねぇ」
 「ごめんなさい……」
 「お燐ちゃんが謝る事じゃない。急ぐ事でも無いし、誰でも最初は良くやる事さ。のんびりやれば良い」


 しゅんと耳を垂れさせた燐は、申し訳無さ気に地面に降りる。
 彼女の名前は ”火焔猫燐” さとりのペットの一体でつい最近人型をとれるようになったばかりの妖獣である。


 「さぁ、そろそろ戻ろうか。映姫様とさとり様もそろそろ暇をし始める頃だろう」
 「はい、ありがとうございました」




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 古明地さとりは、是非曲直庁所属の事務官の一人であった。
 何故に、覚り妖怪が是非曲直庁で事務官を務め、更に遥か昔に放棄された地獄などと言う僻地に飛ばされているのか。
 それは、さとりの持つ能力に由来する。


 “他人の心を読む程度の能力”


  “覚り妖怪” としてのこの能力は、罪人の聴取役にはうってつけの物であったが、種族として内向的且つ攻撃的な性格のものが多い故に是非曲直庁のような巨大な組織に属する事は非常に稀であった。
 故に事務官として特筆すべき能力を持つ訳でも無いさとりを是非曲直庁が登用したのは本来なら完全なイレギュラーである。


 日の下の国で平安の時代から続く敬虔な信仰心は本来なら是非曲直庁の支部の運営を盤石なものとする筈であった。
 しかし、永遠に続くかに思えたその日々の終わりを告げたのは時代の号砲であった。既存政権の崩壊、新政府の成立、政策の転換。


 日の下の国で仏教基盤が揺らぐ中。担当する是非曲直庁支部はそれらに伴い建設中の地下大空洞内部焦熱地獄を放棄。
 地蔵からの閻魔登用、文官の現場投入、全ては激増した霊魂と減少した信仰心への対応の為。そこにイレギュラー等存在しない。
 ありとあらゆる手段で持ってその変革に対応する是非曲直庁。 ”覚り妖怪の姉妹” が登用されたのはそんな時代であった。




 「さとり、きちんと睡眠は取っているの? 少し眼の下に隈が有りますよ」
 「そう思うなら、もう少し予算と人員を回して欲しいわね。 ”映姫” 」


 宵闇の様に黒く、灼熱の様に熱い水面から薫る香りが鼻孔を擽る。
 ともすれば焼け焦げた様な香ばしい香りは、上品では無いが程良い苦みを感じさせる。
 映姫と呼ばれた少女はソーサーの横に置かれた、ミルクのポットを持ち上げるとたっぷりと白い液体を注ぎ隣の瓶に入れられた角砂糖を二粒摘んでぽちゃりと、液面に落とす。
 深い黒を湛えていた水面の面影は薄く、まだらに混じる白い筋とブラウンの液面が対流によって黒い領域を侵食し続けていた。


 「公人である限り、職務は責任を持って全うせねばなりません。しかし、我々は公人である前に一人の女性。個を潰して得られるような幸福は長期的に見た場合損にしかならないのです」
 「そーねー。休日まで好き好んでこんな所に査察に来る貴女に言われたく無い言葉の筆頭よね。後、貴女のとこの上司がケチ臭いのは知っているから、そんなに謝らないで」
 「でも、もう少しで特別予算が出そうな感じはあるのよ。何か後ひと押しがあれば、確実に約束できると思うわ」
 「ただの冗談よ、真に受けないで。……全く映姫は昔っから馬鹿に真面目なのだから」
 「貴女が捻くれ過ぎているのよ。もう少し自分に正直に生きたらどうですか?」


 ティースプーンで軽くかき混ぜると、幾分柔らかくなった香りが鼻孔に届く。
 一口それに含む。少々過剰ともいえるミルクの脂肪分が舌を包み苦みをシャットアウトしてくれたおかげで随分飲みやすい。
 豆の強い香りが鼻へ抜け仄かな糖分が脳を覚醒させた。


 「難しい注文ね。真っ直ぐに生きる私を直視できるのは貴女とペット達以外に思い浮かばないわ」
 「あらそう? 閻魔は割と狙い目だと思うわよ。裏表など存在してはいけない職ですから」
 「そうね、できれば出世頭の閻魔を落とせれば随分楽なのでしょうね。私もできればそうしたいわ。ただ一つ問題があるとすれば、それを馬鹿正直に守っている閻魔を貴女以外に知らない事位ね」
 「ふぅ……、頭が痛くなるわね。あー辞め辞め。仕事の話なんて辞めましょう。折角さとりのところに遊びに来たんだから。もっとくだらないお話をして時間を潰しましょう」
 「その話を振ったのは、貴女でしょうに」
 「あら、そうだったかしら? 私はただ、最近見つけた肌ケアの方法についてお話しようかとですね……」


 普段の仰々しい帽子も肩あての付いた制服も無い。ラフな洋服姿の映姫は快活な笑みを浮かべていた。自らの考案したスキンケアについてさとりに雄弁に語る姿は見た目相応の少女の様ですらあった。
 映姫とさとりは是非曲直庁の支部にさとりが務めていた頃からの親友であり、休日になればこうして特に目的も無く駄弁りに来る事が多い。


 「ばっかじゃないの?! 水分入れるのに胡瓜を使うなんて。勿体ないじゃない。エクトプラズムでも使ってなさいよ」
 「そう言わずに一度試してみてよ。何なら今度持って来ましょうか? 河童のお中元が大量にまだ残っているんですよ」
 「お断りするわ。食べるのに困る程ではないし、かと言ってパックに使う為に貰うのも馬鹿らしいわ」


 二人はほぼ同時期に是非曲直庁に登用された。
 その能力故軋轢を生む事が多いさとりと、あまりに清廉潔白な性格ゆえ周囲を寄せ付けない映姫。
 自然と二人は寄り添いあい、いつしか友人へとその関係は変化した。


 「たっだいまー、です。さとりさま、映姫さま」
 「おかえりなさい、小町、お燐」


 赤髪で長身の女性はところどころ解れた安物の着物を身に纏う。彼女は快活な笑みを浮かべながら部屋に入って来た。
 その豊満な胸元から覗くのは地獄の様に黒い二つの尻尾。
 彼女の名前は小野塚小町。映姫の腹心であり映姫が地蔵として生まれる更に昔から死神――三途の側の渡し守――を務める大ベテランでもある。


 「お、おろひて、おねぇひゃん」


 たどたどしい言葉が聞こえてきたかと思うと俄かに胸元の塊が蠢き出し、垂れる尻尾がじたばたと暴れる。
 地面へすとんと落ちるつやつやとした毛並みの黒い塊。大きく伸びをしたかと思うと、黒猫の姿を人型へと変貌させた。


 「いやー、お燐ちゃんは本当に飲み込みが良いねぇ。この分だとすぐに一人前の渡し守になれるよ」
 「いやいや、あたい別に渡し守になりたいんじゃないからね?」
 「あら、お燐ちゃんならいつでも歓迎よ。なんだったら今すぐにでも小町の代わりに来て貰っても」
 「そんな殺生な?!」
 「そう思うなら、少しは真面目に仕事をしなさい。この所私に回ってくる霊が少ない原因は分かっているのですよ」
 「映姫様が働き過ぎなんですよ。少しはご自愛下さい!」


 さとりと比較しても短身と言える映姫と女性としてはかなり長身の部類に入る小町。その口論は親子のようにすら見える。
 それをあきれ顔で見るのはお燐と呼ばれた少女。
 深い緑で染められたゴスロリ調のワンピースを身に纏い、頭の上には二つの大きな耳。
 それは猫又の中でも更に特殊、極焔と死体の山から生まれ出た地獄の固有種、火焔猫の雌個体である。


 「どっちにしても、あたいはそっちには行かないですよ。あたいはさとり様のペットです。それ以外の何にもなる気はありません」
 「あら、嬉しい事言ってくれるじゃない。グルーミングしてあげるからこっち来なさい」
 「子供扱いもしないで下さい! あたいは、もっと力を付けてさとり様のお役に立つんです。お空に負けないくらいに!」


 お燐がさとりのペットとなったのは、地獄にさとりが住み始めて間もなくの事だ。
 飢餓と重度の傷で瀕死の状態にあった火焔猫をさとりが拾ったのがきっかけである。
 かなりの老齢固体であり半ば妖怪化していたその猫が、人型をとれるようになるまでにはそう長い時間は掛からなかった。


 「あら、私にとってはいつまでたっても可愛いペットよ。貴女も、お空も、他の皆もね。ほら、早く」
 「う……、あぅ……」


 ぽすり、ぽすりと太股を叩くさとりに観念したのか、渋々と言った様子でその上に乗る。
 せめてもの抵抗と猫の姿に戻ったお燐はふてくされる様にそこで寝てしまった。


 「でも、お燐ちゃんは実際凄い才能ですよ。猫だけあって身のこなしは軽いし、あたいが何十年も掛けて習得した操霊術もコツを掴みつつある。きっと数年後にはさとり様の右腕として活躍するでしょうよ」
 「そうね。その時を期待しましょうか。でも、商売敵にそんな肩入れして良いの? 同じ傘下に居るとは言え、私達は半ば独立していると言って良い。貴女の仕事の邪魔になる事を指示する事も無きにしろ非ず、よ」
 「大丈夫ですよ。あたいだって無駄に長く生きている訳じゃないですから。目的がかちあった時のいなし方の一つ二つは身につけてるよ」
 「できたら、その知識と経験を普段の仕事にも生かしてくれないですかね。ね、小町?」
 「え、映姫さまぁ。ですからですね、私は決して、サボっている訳では……」


 小町は映姫が地霊殿を訪れる際には必ず付き従ってくる。
 映姫がさとりと歓談をしている間手持無沙汰になる時間を小町は大抵さとりのペット達と触れ合って潰していた。
 お燐が小町に組手を申し込んだのはそんなある日の事である。


 「こまひ姉しゃん、次はいつけーこを付けてくれみゃすか?」
 「いつでも良いよ。……流石に仕事中は困るけどね」


 半眼を開けたお燐が若干たどたどしい言葉を紡ぐ。猫の口では話し辛いからだ。
 此処までお燐が力に拘るのには空の存在が少なからず関わっている。
 お空とお燐はほぼ時期を時期を同じくしてさとりのペットとなった。しかし、彼女は圧倒的に若いのにも関わらず規格外の力を有する。既に一線でこの旧地獄の復旧計画に働いているのがその証拠であろう。
 対する自分はと言えば唯の穀潰しに過ぎない。ただこうして主の脚に座りその湯たんぽとなるか、より幼いペットの世話をする程度しか出来る事が無い。
 それがお燐は ”堪らなく嫌” だった。役に立たず、また放り出されるのでは無いかと不安で仕方が無かった。 ”お空” が妬ましくて仕方が無かった。募るばかりの焦りと苛立ちを燐はどうしても看過する事ができなかったのだ。


 「お燐、主の力になりたいと言う気持ちはとても貴い物です。ですが、意志を伴わず身の丈に合わない力を得るのは害でしかありませんよ。貴女にとっても、主にとっても。その事を忘れないようにしなさい」
 「みゃい……」
 「さて……、長居をしてしまったし。そろそろ帰りますか。明日の準備もしなくてはなりません」


 ティーカップの中に残っていたクリーム色の液体をずずりと吸い込む。手早く荷物を纏めると映姫は席を立った。
 小町の下へかつかつと歩きその裾に付いた泥を軽く払ってやる。その様子をさとりは静かな瞳で見据えていた。


 「お燐ちゃん、またね」
 「こまねえしゃんさんも、おひごとがんびゃって下さい」
 「映姫も働き過ぎは体に毒よ、気をつけてね」
 「貴女もね、さとり。また会いましょう」


 二人の背中が陽炎のように揺らめく。程なくして音も無くその姿が忽然と空中に搔き消えた。
 彼女らが用いたのは来た時と同種の力。小町の力 ”距離を操る程度の能力” を用いて二人は彼岸へと帰って行った。


 静かになった部屋に遠くからどたどたと、乱暴な足音が近づく。
 今度はどんな問題を起こしたのだろうかと、ほんの少しの期待と、大半の呆れを胸に抱いて二人はその扉が開かれるのを待った。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 夢を見ていた。
 いつもと同じ。何度目かも分からない。夢を見ていた。
 自分が何処に居るのかも分からず、何をしているのかも分からない。
 唯真っ白な空間に居るだけの夢。そんな、何時も通りの ”悪夢” を見ていた。


 夢の始まりは何時も決まっている。
 ほんの僅かに寝付きの悪い夜に限ってその悪夢はやって来る。
 ようやく寝つけた自らを嘲るように ”彼女” は現れる。


 白と黒だけで作られるモノトーンの箱庭世界には私と彼女以外の存在は何一つ存在しない。
 そこは、ただ静寂と孤独だけが自らの胸を満たす世界。


 彼女は後少し手を伸ばせば届きそうな距離に立っている。
 だが、彼女は決して此方に近寄ってくる事は無い。
 ただはにかむようにして此方を見ているだけだ。


 胸の内に満ちる寂しさに耐えかね、無間とも思える距離に手を伸ばす。
 だが、その手を伸ばす分だけ、脚を動かす分だけ彼女は遠ざかって行く。
 後もう一歩。更にもう一歩。
 諦めずに必死で腕を伸ばす。
 その思いが通じたのか彼女が遠ざかる速度が和らぎ、ほんの僅かずつ彼女との距離が縮まって行く。


 その手を取る。
 取ってはいけないと脳が警鐘を鳴らしている。だが、そんな些細な事実に体は耳を貸さない。
 必死で伸ばした指先がようやく彼女の指先に触れる。


 もう一歩。
 彼女の手を握る。温かな彼女の体温が手に伝わる。
 だが、それは一瞬の事だった。
 次の瞬間には手の感覚が消える。


 否、 “手が消滅” している。
 さらさらと自らの崩壊する音を聞きながらも自分では何もできずにそこで立ち尽くす。
 その様子を彼女はただ黙って見つめている。


 そうして、頭だけを残して消滅した私を見て彼女は去るのだ。
 残すのは、小さな笑いと、剥き出しの心を穿つ絶対零度の言葉。
 「大っ嫌い」彼女は言い放ち夢を去った――。




 「――ま、待って! 『■■■』!」
 「どうかしたの、お姉ちゃん?」




 窓の外には相変わらずの暗く荒れ果てた土地で、自分が寝ているのはベッドの上。
 身の回りにある物は何時もと変わらぬ地霊殿と、 ”久しく見ない” 妹の顔だった。


 「……私の顔に何か付いてる?」
 「こい……、し?」
 「私はこいしよ。少なくとも私は私をこいしだと思っているけど、もしかしてお姉ちゃんは違うの?」


 とぼけた顔でさとりの前に立つ彼女の妹、古明地こいしはさとりと同様に是非曲直庁所属の妖怪である。
 だが、彼女は普段地霊殿に住んで居ない。
 彼女の能力と、そこから来る業務の特殊さ故にこの地霊殿を訪れる事も非常に稀であった。


 がたりと、こいしの背後から扉の開く音がする。
 部屋に入って来たのは、黒い翼にぼさぼさ髪を乱暴に纏める緑のリボン。
 空が日課通りさとりを起こしに部屋を訪れたのだ。彼女は部屋に入り先客の存在を見つけると酷く曖昧な笑みを浮かべる。


 「こ、こいし様。お久しぶりですね。……何時こっちに来られたんですか?」
 「ついさっきよー。久しぶりだねー。おくうー。羽でもふもふしてー」
 「い、嫌です」


 問答無用で嫌がる空の背後から抱きつきその羽のくすぐったい感触を楽しむこいし。
 困り切った顔でさとりにすがる様な目線を送る空。
 その奇妙な現実感がようやく、自らが寝起きでベッドの上に座っていると言う事実をはっきりと自覚させた。
 部屋に置かれた化粧台の鏡越しに見る自分は、跳ね放題の髪と寝汗によって酷く見苦しい物だった。


 「さとり様、みんなの朝ごはんはどうしましょうか?」
 「御免なさい、私も身支度をしてすぐに行くから、先に準備しておいて貰っても良いかしら?」
 「わかりました……、けど。 ”これ” をどうにかして貰えないでしょうか?」


 くるりと、背を向けた空の羽にはこいしがべったりとくっついている。
 悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女は此方を向きその小さく白い舌をちろりと出して見せた。


 「……こいし?」
 「はーい」


 ようやくこいしから解放された空がそそくさと部屋を出て行く。
 こいしは妖獣から好かれない。さとりの最初のペットとなった空ですら彼女にはぎこちない笑みしか返さない。
 だがそれは何も珍しい事ではないのだ。少なくとも、何もかもが異なるこの姉妹にとって、それは必然とも言える事態なのだから。


 「それで……、貴女何をしに来たの?」
 「別に、ただ久しぶりに ”家族” の顔を見に来ただけだよ。悪い?」
 「いいえ、悪くありません」


 さとり妖怪同士にも関わらず、彼女らの間には言葉が ”必須” である。
 それは、こいしの瞳が固く閉じられている故の事態であり、その為に彼女らは何もかもが互いに異なっている。


 「今回はどの位の間こっちに居るの?」
 「ん? また蝦夷地の方まで用事があるし、お姉ちゃんの寝顔だけ見たら帰るつもりだったよ」
 「また、慌ただしいのね。……でもありがとう」
 「気持ち悪いよ。お姉ちゃん。ばいばい、『大っ嫌いだよ』」


 そう言ってこいしは部屋から忽然と消える。
 まるで最初から何も居なかったかのように、部屋は静まり返った。
 さとりは大きな溜息を吐く。こいしはさとりの唯一の肉親だ。だと言うのにも関わらず彼女出会う度。さとりは酷く空虚な気持を覚えるのだ。


 故に彼女と会う事はさとりにとって辛くて仕方が無かった。
 こんな遠隔の地に飛んだのはこいしから離れようと言う意志も無かった訳ではない。


 「……嫌になるわ。こんな自分が」


 妹は大切だ。だが合うのは辛くて仕方が無い。
 寧ろ愛する気持ちが増大する程にその辛さは際限なく肥大化して行く。
 そんな自分の気持ちが嫌で仕方が無くて、彼女はこいしと距離を取っていた。






 地霊殿の食物は基本的に全て是非曲直庁から支給されている。
 肉こそ無い物の、新鮮な野菜、魚、果物。
 到底この地下世界では取れぬ食材がその炊事場には揃えられていた。


 だが、獣のままの姿の妖獣にそれを調理する事は出来ない。
 現在の所地霊殿で人型が取れる妖獣は空を含めても僅か数名。
 他は未だ獣の姿であり、その世話をするにはさとり自身も働く以外には無かった。


 この朝食も当番制で調理者が決まる。そして今日はさとりと空が調理をする番。
 朝に弱いさとりにとってそれは決して歓迎された物では無かった。しかしそんな早起きも自らのペットの為と思うと不思議と苦にはならない。


 調理と共に流れるまな板を包丁が叩く音、網で魚を焼く音。
 そしてそれが発する微細な化学物質の粒子の拡散。
 鼻孔や鼓膜を擽るそれらに胃袋を鳴らし期待に胸を馳せる彼らの思考を読むのがさとりは堪らなく好きだったのだ。


 料理と言っても何れも簡単な物、火を軽く通し最低限の塩等の調味料で味を調えただけのシンプルな炒め物。
 出来あがった料理をそれぞれの器に盛り付けて行く。盛りつけは極力シンプルにただ、器に入れば良く乱雑でも構わない。
 寝起きで腹を空かせている彼らには、その様な事は毛ほどの問題にもならない筈だ。


 器を持ち食堂に出ると待ち受けるのは、圧倒的な期待の思考の渦と行儀よく並んだ獣達。
 その彼らの前に器を置くが、姿が獣でも流石は智慧を持った妖獣達。
 さとりからの号令があるまで、彼らはそれに決して口を付けようとはしなかった。


 「いただきます」と小さくさとりが口にする。
 それと同時に、妖獣達も器の食事に口を付け始めた。
 そして、同時に周囲には一種異様とも言える気配が充満し始める。


 『……さとりさまぁ……、これ砂糖と塩間違えてますぅ……』
 『焦げてます……』
 『美味しく無い……』


 次々と飛んでくる、最早おなじみの思考の波。
 さとりはそれを極力気にとめない様に平静を装って自分の朝食を口に運んだ。


 「……さとり様。次から私が変わりますから」
 「練習しましょうかねもう少し……」


 お燐が皿の上に乗った魚の焼き物をちまちまと突きなが小声で告げる。
 あまり手先が器用で無いさとりが食事を作れば大体はこうなる。
 今日こそはと期待を籠めて料理の腕を振るったのだが、結果は見ての通り。
 毎回止められるにも拘らず未だ厨房に立つのは汚名を返上する事を夢見てである。


 しかし上達の気配は一向に見えない。寧ろさとりの反動で料理の腕を上げる者が出始める始末。
 言われる前に身退くべきなのかもしれない。焦げたスクランブルエッグを口に運びながらそんな事を考えていた。


 「……まずい」







 食事の終わった食堂でさとりは一人考え込む。
 そんな様子を不安げに見つめているのはお燐とお空の二人だった。


 「あの……、まさか懲りずにまた新メニューの考案ですか?」
 「辞めた方が……」


 「違うわよ」至極真剣な表情でそう問うてくる二人にさとりは思わず苦笑する。
 確かにそれも考えていたのだが目的は別にある。


 「食料の調達の事よ、ほら所帯も増えて来たし」
 「あー。確かに……、ちょっと食べざかりの子には辛いかもしれないですね。現状」


 意識をしたのかお燐の腹がぐるると鳴る。
 地霊殿では保護された全ての妖獣に均等に食事が配給される。
 支給されるタイミングは朝・昼・夜の三回。
 規則的且つ一日に必要な栄養素を計算された食事は地獄の獣達には革新的である事に疑いを挟む余地は無い。
 しかし、その栄養素が現在は必要量を僅かに下回る量しか提供できていない。


 「彼岸からはこれ以上追加発注はできないんですか?」
 「無理よ。今でも随分無理を言っている。寧ろ切られる可能性があるわ」


 食料の供給に限界が来たのだ。食料の枯渇は地霊殿のペットにとって野生への回帰を意味する。
 どれだけ飼いならされようと彼らは獣なのだ。飢えればどんなトラブルが発生するかは想像に難くない。


 「うーん。そろそろ自給自足を考え無いといけないかしらねぇ……」
 「この地獄でですか? 無茶ですよ。どんな植物が育つって言うんですか」
 「こんな環境じゃ何も生えはしない。そう。こんな環境じゃぁね……」


 「困った」そうつ呟いてさとりは再び腕を組み瞑目する。
 何か画期的な案が浮かんでくる訳ではない。しかし、この地を生きる上で解決しなければならない課題が一つ生まれた瞬間であった。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 関連する事項と言うのは不思議と連鎖する物で、その事件もほぼ間を開けずに発生した。
 それは、さとりが廃墟群の視察から帰って来たある日の事。地霊殿のすぐ裏で眼にしてしまった光景である。


 『タス……、ケテ……』


 それは、小さな思念波だった。
 弱々しく、そして悲痛なまでの叫び。それは間違える筈も無い。死に瀕した者が飛ばす独特の波長である。
 波の出所は地霊殿のすぐ裏。廃墟と荒野が広がる何も無い土地である。


 『タス……、ケテ……』
 『コロス、コロス、コロス』


 殺意を剥き出しにした思念波を同時に受け取る。嫌な予感がする。さとりの予感が正しければその殺意の持ち主には覚えがある。
 だがそうであって欲しく無い。自分の前で笑顔を見せる彼女が、そんな汚い殺意を剥き出しにしている所を見たくない。
 そんな身勝手なさとりの願いは壁を曲ったところで脆くも崩れ去った。


 「お空! 何してるのっ!」
 「さとり様? どうしたんですか。今忙しいんですけど」
 「忙しいじゃありません。何をしているのかと聞いているのです」
 「……? はぁ、突っかかって来た妖獣を殺しているだけですが」


 本当に何でも無い事の様に空はそう言ってのける。
 帰り血に染まった腕。空の背後に転がる獅子の巨体。空の紅い手には苦しげな呻き声を上げる子供の獅子が握られていた。


 「 ”殺している” じゃ、ありません! ちょっとこっちに来なさい」
 「あ、ちょっと待って下さいね。すぐ終わらせますから」
 「辞めなさい!」


 びくり、と空の肩が動き手の力が緩む。
 辛うじて首の骨を折られる事を免れた獅子の子供は地面に落ちた。


 「さ……、さとり様? ど、どうかしたんですか?」
 「どうかしたじゃありません。そんな抵抗も出来ない子供を殺して、あなたは一体どういうつもりですか!」
 「だ……、だって……、そんなの決まって……、なんで私が怒られなきゃ」


 突然の主の激昂に空はパニックを起こす。当然の事だ。少なくとも彼女はこれが “当然” と思っていた。
 これまでの生でこの様な行動をする事に疑問を挟んだ事は無かった。
 主の怒りの理由が分からない。その理不尽さや、主に叱られていると言う情けなさで空の涙腺はついに決壊してしまった。


 さとりの前で静かに涙を流し始める空。
 その姿と流れ込んでくるぐちゃぐちゃの思考にさとり自身も自らの過ちに気が付いた。
 出来る限り優しく。子供をあやす様にさとりは空に歩み寄りながら声を掛ける。


 「……御免なさい。貴女の事を考えていなかった。私の非を認めます。泣くなとも言いませんから……。慰めさせて貰っても良いですか」


 空は無言で首肯するとさとりに体を許した。
 さとりの胸の中で空は静かに涙を流し、小さく非難の声を上げる。
 暫しの後。ようやく落ち着いた彼女の思考からさとりはようやくこの地獄の常識を一つ知る事になった。


 「地獄鴉は生体系ピラミッドの下部に位置する。私みたいなのを食べて妖力と腹を満たす。そうやってこの地獄は回っているんです。」
 「そこの親は貴女を子供達の餌にしようとしたのね。でも、子供達は放っておいても……」
 「駄目です。放っておいても他の獣に食われるか、万が一育ってしまっても私に恨みを持って襲いかかってくるだけです。そんな事は過去に何度もありました」


 空は激しく首を振りながら答えた。
 「だから殺すしかったんです」そう空は詰まる様な声でさとりに告げる。
 さとりの視線の先に居るのは血だまりの中に蠢く一匹の獅子。次第に弱まって行くうめき声は放っておくだけでも死に至るだろう。
 だがさとりはそれが嫌だった。どうして『その子が死ななければならない』。


 「甘いです……。さとり様。この地獄は本来なら殺さなければ殺される。そう言う世界なんですよ。地霊殿が異常なんです」
 「この子に罪は無い。この子はまだ罪を作る程生きてすらいない。得を積む機会も与えられていない。地獄の関係者としてそんな風に死んで行く物を見過ごす訳には行かないわ。大丈夫です。この子にそんな事はさせません。私が責任を持って育てますから」
 「甘いです……、甘いですよ……。さとり様」


 空を胸に抱えたままさとりは獅子の子供も抱き上げる。
 その体毛に着いた血をハンケチーフで丹念に拭いながら空は複雑な顔をする空に語りかけた。


 「ううん。本当に悪いのはこの地獄の厳しさよ。大丈夫。私みたいな妖怪だって、長い長い年月を掛けて言い聞かせれば体に染み付く事はあるわ」
 「それは……、どの位の期間ですか?」
 「さぁ、三百年かしら四百年かしら。でも何時かは必ずよ。お空。貴女を傷つけてしまった代わりに私は二つ約束をするわ。『この子を必ず私達の仲間としてみせる』そして、『こんな事をしなくても良いようにしてみせる』。大丈夫。貴方達は肉体に寄っているんですからもっと早いですよ。だから、一歩ずつで良い。すこしずつ慣れましょうね」
 「……さとり様。貴女のそう言う自分勝手な所。あんまり好きじゃないです」
 「御免なさいね。こう言う性分なの。でも安心して私は ”皆の幸せを願う為に” 身勝手になるつもりだから」
 「……ありがとうございます」


 その日から地霊殿に小さな獅子の子が参加する。
 さとりが地下世界の環境と土地の調査に力を入れ始めたのは丁度同時期の事であった。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 地底の空は暗い。
 当然だ。地上とこの巨大地下空洞を隔てて居るのは何重層もの厚い岩盤である、繋いでいるのは細く曲がりくねった竪穴と、かつての是非曲直庁が建造し完成前に放棄された不安定な概念的門扉があるのみ。旧地獄まで地上の太陽が届く筈も無い。
 しかし、かといって真っ暗と言う訳でも無いのだ。
 河川の様にあちこちを流れる溶岩流は、ごうごうと煮え滾り、赤い光とそれ以上の莫大な熱を周囲に振り撒いている。


 インフラレッドの突き刺さる様な灯りは、その周囲に寄る物を一切の区別無く照らし、熱し、そして焦がす。
 闇と熱線から生まれ出た地獄の獣以外にそれに耐えられるのは地上であれば鬼位の物であろう。
 実際さとりや映姫ですら、その溶岩河川は出来得る限り避けて移動をし、なるべく地霊殿の外には出ない様にしている。


 だが、野生動物の他にその地霊殿の外に住んでいる者は確かに存在する。
 廃墟群の闇の中を死んだ様に浮浪する彼らにさとりが最初気付いたのはお燐を拾った時。
 その体に残る深い ”裂傷の跡” を見た時だった。




 「はぁ? どうして俺たちが此処を離れないといけないんだ?」
 「そう言う訳ではありません。ただ、 ”一時的” にこの場から動いて頂ければ良いのです。施工の終了後この土地はお返しします」


 地霊殿の周りを取り囲む廃墟群。
 その中でも地霊殿に程近い、朽ち果てた長屋の一軒をさとりと空は訪れていた。
 正確に玄関と表すには余りに粗末な家の入口から、顔を覗かせるのは死んだ魚の様な濁り切った瞳の男だった。


 「見え透いた方便だ。彼岸の者共が俺達に土地をわざわざ返す理由など有る筈が無かろう。心を読むさとりが心を読まれるとはもうろくしたのか?」
 「お前っ! さとり様に何て失礼な事を――」
 「待ちなさい――、そうですね。信じて頂けないと言うのも最もな事。私達を信じろと言うのには余りにも実績が無さ過ぎる。その猜疑心はこの胸に痛いほど伝わっております」


 目前に伸ばされた小さな腕の内。空はほぞを噛みながらさとりを懇願する様な瞳で伺い見る。
 粘着質で聞き取りづらく不快な水音を立てるその声の主は、あざ笑うかのように口元だけを笑みに歪ませていた。
 不法占拠者である彼らの彼岸に対する視線は決して肯定的な物では無い。目前の男の様に悪意を持って当たる者は少なくない。


 「ですからたった一度だけチャンスを。たった、一度で良いのです私達に実績を作るチャンスを下さい。旧都再建の第一歩、 ”修繕不可能な廃屋” の取り壊しと、そして ”仮設住宅の提供” をさせて下さい」
 「嫌だね。どうしても、この地を造成したいのなら勝手にやりな。俺たちはこの場から動く気は無い」
 「――この通りです」


 背筋を伸ばしたさとりが、その頭を深く下げる。
 短く切りそろえられた髪が垂れ下がり表情を隠しているが、合間から覗く瞳は真剣そのもの。
 その様子に男は一瞬たじろぐが、直にその顔を険しい物に変える。


 「……駄目な物は駄目だ。殊勝な様子で頭を下げる者に限って最後には裏切る。私はそうやってここに追いやられた。もう――、騙されはしない」
 「……そうですか。嫌な事を思い出させてしまい申し訳有りません」


 数分後ようやく男が口を開くまでさとりはその頭を上げる事は無かった。
 返事を聞いたさとりは一瞬悲しげな表情を浮かべ、意外な程あっさりと踵を返す。
 付き従う空も男を一瞥するとその背を追い後に続いた。


 「さとり様、ほんの少しの間だけお暇を貰っても良いですか?」
 「…………」


 さとりは何も答えない。
 ただ、その胸と顔に付いた三つの瞳をそっと閉じ、すたりすたりと歩き続けるだけであった。
 「申し訳有りません」そう一言耳元に囁き空は静かに来た道を引き返す。
 その場に居たのは部屋の奥に戻ろうとする所の男だった。


 「ねぇねぇ、お兄さん。ちょっとこっち来て貰って良いかな?」
 「はぁ? なんだ小娘。お前にかまってやる程俺は暇じゃないんだが――、ぬぉっ?!」


 一足飛びに室内に飛び込む。その男の腕と口をそれぞれ掌で押さえつけそのまま部屋の壁に叩きつける。
 驚愕に歪んだ男の口からは、叩きつけられた衝撃で肺の空気と共に唾液の泡が飛び出した。


 「食事が欲しければ地霊殿の裏側で提供してやる。寝る場所が欲しければ仮設のテントがある。どちらも今より格段に上等な物だ。だから、明日の朝までにこの場から ”消えろ” 。なぁ、手荒な事はしたくないんだよ。お前さえ納得してくれればお互い幸せになれる。なぁ、悪い話じゃないだろ? 小鬼?」


 握った腕を軽く締め上げる。
 華奢なのにも関わらず万力の様に締め上げるその圧倒的な力。子鬼の男は悲鳴を上げようとするが同時に口を押さえつける手がそれすらも許さない。
 「良いか、わかったら黙って頷け」息が掛る程の近くに、端正なしかし一切の表情を伴わぬ能面の様な顔が押し付けられる。
 唯縦に首を振るしかない男は、その手から解放されるとへなへなとその場にへたりこんだ。


 「どこかで見た事があると思ったら……、お前は地獄鴉の……、どうしてあんな彼岸の者等に組する……」
 「……命の恩人だから。少なくとも ”最初は” そうだった」


  ”彼ら” についてさとり達が知っている事は多く無い。
 空や燐と言った古来の旧地獄の住人ですら、彼らが何時から地下に降りてきて、何故降りるに至ったのかは把握していない。
 唯一確かなのは旧地獄が放棄された後にこの地底に住み着いた事。そして彼らの何れもが心に深い傷と強い攻撃性を保有していると言う事だ。


 「あの小娘がか?  “鬼才” も堕ちた物だ。唯一の希望がそんなでは折角獲得できた地獄鴉の権威が損なわれるぞ」
 「……口を閉じて欲しいな。お燐の事も、私の仲間にした事も忘れてないんだからね」


 感情を押し殺したような低い声。空の胸の奥から巻き起こるのはふつふつとした黒い感情。
 それは、能面のような表情によって必死で覆い隠していた空の本心以外の何者でも無かった。


 「おかしな事を言う。この地底で喰う為に殺す事は当たり前だ。お前だってそうやって生きてきた筈だろう」
 「本当に、 ”食事の為だけ” だったら痛めつける必要は無い。 ”尊厳を折る” 必要は無い。お前達のサディステックな衝動に消耗させられた仲間をどれだけ看取ったと思っている。もう一度言う。 ”口を閉じろ” 。私はお前たちが嫌いだ」
 「…………」
 「私がお前を殺さないのは、 ”私” が紳士的だからじゃない。 ”あいつ” が紳士的だから。でも、この場にあいつは居ない。この意味分かるよね?」


 小鬼の男は怯えたような眼でただ黙って頭を縦に振ると逃げる様に部屋の中に戻って行った。
 「さようなら」小さくそう言い捨てた空は遥か前方を行くさとりを小走りで追いかける。
 遥か遠方、溶岩流が岩盤を突き抜けて噴き上がる爆音が轟いた。









 地霊殿は廃墟群の中央小高い丘の上に立っている。
 東西南北に延びる細道がその丘の上まで続いており、それ以外の場所は大きな岩と激しい起伏が行く手を阻む。
 さとりはどう言う訳か、真っ直ぐに地霊殿に向かわない。それどころか廃墟群の外周へ向けて歩みを進めていた。


 「さとり様? この方向は未探索地域です。危ないんじゃないですか?」
 「……何かが来たらお空が守ってくれるのでしょう?」
 「それはそうですが……」


 すたり、すたりと瓦礫の合間を縫うようにさとりは道を歩く。ちりちり、ちりちりと頬を焦がす熱が強くなるのを感じる。
 その熱に犯されたのだろうか、外周に近づくにつれて廃墟群の風化は激しくなる。かつては擬洋風の建築物だっただろう詰め所らしき物は、瓦礫に混じる煉瓦に刻まれた細工に僅かな名残が残るのみ。
 家屋と言えるのは極めて粗雑に修復されたあばら家のみである。


 「こほっ……」
 「さとり様、引き返した方が……」


 熱風に舞う土埃に喉が酷く痛む。焼ける様な熱で眼を長く開けていられない。
 地獄で生まれた空ですらそうなのだ、さとりがどう感じているかなど言うまでも無い。


 「空、この地底に足りない物は何だと思う?」
 「なんですか、いきなり。そんなの沢山有り過ぎて簡単には答えられないですよ」


 ようやく追いついた空にさとりは振り向きもせずに問いかける。
 故に空はさとりがどんな顔をしているのか伺い知る事が出来なかった。


 「それもそうね……。じゃ、質問を変えましょう。貴女にとってこの灯りはどう見えますか? 無間の闇に生まれ、闇を揺り籠に育った貴女に溶岩の灯りはどう映るのですか?」


 さとりの崖下に広がるのは一面のマグマ溜まり。
 廃墟群の間を縫うように走る溶岩河川から流れ込み、外周を囲むように対流する巨大な溶岩のプール。
 二酸化ケイ素が多量に含まれている故に粘度の低いそれは激しく流れ、時折崖の縁まで火柱が立ち上る。
 それは何の先入観も持たなければ間違いなく ”美しい” と形容される光景だろう。


 「子供の頃からずっと見てきたので特に思う所は……、強いて言うならこれが無かったら困るかなぁと」
 「そうよ、 ”困る” のよ。私達はこんな頼りなく、そして危険極まりない隣人と共生する事を強制されているの。元よりこの地下に生まれた貴女達は兎も角、地上から移り住んできた彼らにこの灼熱はあまりにも過酷」


 実際それは地上からの光の届かないこの旧地獄を照らす唯一の光源。そして同時、全くもって皮肉な事に硫化水素や熱風で住人を蝕む毒でもある。
 廃墟群に住む妖怪たちはこの溶岩に近づく事はできない。その身が焦がされるのを畏れ、ただ朽ち果てた小屋の中に身を潜めるのみ。
 それは存在の緩やかな死へ向けてひたすら無言で歩いていると同義。


 「水も、光も、熱も、寒さも、食料も全てが過剰で全てが枯渇している。この地獄にはあまりにも多くの物が ”無さ過ぎる” 。それは、人間は元より妖怪ですら無視できない」
 「彼らを……、助けるつもりなんですか? 勝手に地下に来て、勝手に住み着いて、その挙句さとり様にやつあたりをするだけのあの塵共に力を割くのですか?」


 空は燐の体に刻まれた深い傷跡を思い浮かべる。
 あれは紛れも無く廃墟群に潜む妖怪たちによって付けられた傷。
 彼らの攻撃性が時にさとりにまで及ぶ事は珍しく無い。
 その為に、こうして外出する際は護衛役のペットがさとりに同伴する事になっている。


 「空、彼らはね決して悪い人達じゃないの。ただ余裕が無く追いつめられているの。だから、私達が手を差し伸べないといけない。私達が誰にも住みよい環境を作らないといけない。そうするのが結局お互いにとって最大の利益となるのよ」
 「……さとり様がそう言うのなら、私から言う事はこれ以上何もありません」
 「――そう、何も言わないでくれるのね。ありがとう、良い子ね」


 空の黒く煮え滾った汚い心の内を覗いても尚さとりはその眼光を微塵も燻らせはしない。
 ただ優しく微笑み、空をそっと抱きかかえ頭を優しく撫でまわした。
 一回りは小さいさとりでは抱きつくと表現した方が近いその格好だが、不思議と空は全身が包まれる様な温かな感覚を覚える。
 一頻りその頭を撫で空の心が静まったのを確認する。さとりはそっと空から離れ今度こそ地霊殿へと脚を進め始めた。


 「これからまた忙しくなりますよ。帰りましょう。計画を立てる必要がある」


 空は苦い顔をしながら力強い足取りで地霊殿へ向かう主の背を追う。
 その体の割には大きな歩幅。追いつき横目に見えた顔にはどこか未来を見据えた不安と期待の入り混じった前向きな光が混じって見えた。







△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 「さとり様、お空。おかえりなさい」
 「お燐、ただいま。食事の準備は要らないわ、暫く執務室に籠もるから、誰も近づけない様にしておいて」
 「はい……、って。ええ?」
 「さとり様ね、多分何か新しい事を思いついたみたいよ。暫くそっとしておきましょう」
 「うん……。まぁ、良いのだけれどさ……」


 玄関でさとりと空を出迎えた燐はわき目も振らず執務室に直行するさとりに眼を丸くする。
 さとりは清潔でゆったりとした服を好む。外行きの衣服のまま湯あみもせず――地底故水は無く体を拭くだけではあるが――に部屋に入るのが珍しかったのだ。
 空は呆気にとられた様子の燐にそっと歩み寄る。頭半分ほど小さい頭に着く耳を一撫ですると優しい声で語りかけた。


 「お燐、暇? 羽洗うの手伝って貰って良いかな? 後でお燐のグルーミングしてあげるから」
 「あー、うん。確かに随分灰がこびり付いちゃっているね、一人じゃ大変かも。良いよ、行こ」


 ばさりと黒い翼を大きく広げついてしまった汚れを確認する。確かに黒光りする大きな風切り羽にあちこち灰色がこびり付いていた。
 溶岩によって燃やされた灰と、溶岩自体が舞いあがり形成される灰にはケイ素が含まれる。
 髪の毛や羽毛の隙間に入り込むと容易には取れないこれは地獄に住む者を苦しめる物の一つだ。
 まだ僅かに惚けているお燐の手を握る。それは姉が妹を引きずる様に浴場へと二人は向かう。
 二人の背後では執務室の扉が閉まる音が響いた。





 伽藍堂の空間に、僅かな水音と姦しい声が反響する。


 「お空、じっとしててよ。洗えないじゃない」
 「分かっているよ。でも、くすぐったい物はくすぐったいよ」


 二人が向かったのは地霊殿の一角にある浴場。
 水が潤沢にあれば数十人が同時に入浴できるだろう。残念ながら現在は一滴の水も溜まっておらずただの伽藍堂と化した空間である。
 だが女型の妖獣が悪戯に肌を見せる事を良しとしないさとりはこの場で体を拭く事を推奨していた。


 手桶に僅か一杯の僅かな水を使い湿らせたタオルに白い粉末を付け、ごしり、ごしりと垢と汗を拭きとって行く。
 死体の油から作られる特製の粉石鹸は少量の水でも良く馴染み、後にも残らず地霊殿のペット達には人気の品である。


 「あんた……、髪の毛より翼の方が綺麗よね。手入れの優先順位が手に取る様に分かるよ」
 「地獄鴉のセックスアピールは翼だよ。そうでなくたって羽は生命線さ。……乱暴に触らないでね?」
 「気持ち悪……、気になるなら自分でやりなよ」
 「……羽を差し出すって、地獄鴉から見たらかなり好感持たれているって意味だからね。今度から気をつけた方が良いよ」
 「お空、眼恐い。洗ったげるから背中向けて」


 鏡の前で横並びなっていたお空はその黒い羽をお燐に差しだしている。
 お燐よりは若干大きいが、女性らしい華奢なその背に肩甲骨のあたりから伸びる巨大でつやつやとした翼は驚くほど不釣り合いだった。


 「お水が沢山使えればなぁ……、ざばぁと流して終わりなのに」
 「無い物を言っても仕方ないよ。この水だって、ほんの僅かに湿った土壌からようやく絞り取れたのに」
 「まぁね。考えてみれば此処に来るまでは気にもしなかった事だしね」
 「此処に来る前……、か……。そうだね。あの頃は生きるのに必死でそれ以外に回す心が無かった。こんな風に友達を作って雑談するなんて考えた事も無かったなぁ……」


 燐はいつもの明るい表情をほんの僅かに曇らせるとピンと張った濃いブラウンの耳を垂れさせる。
 言葉を紡ぐ声は、懐かしむとも心痛めるとも着かぬ曖昧な物。


 「次、お燐の番だよ。こっち向いて」
 「いや、人型の方は自分でも洗えるから……」
 「良いから」


 空は半ば強引にお燐に背を向かせ、その小さな撫で肩に濡れたタオルを添える。
 美しくきめ細かなその肌のあちらこちらに残る薄ピンクの跡。旧い傷跡を眼にした空はその中の一つを慈しむように撫で摩った。
 「お空……」不審に思ったお燐が振り返った時に眼にしたのは悲しげな瞳を浮かべた友人の姿だった。


 「あのさ、お燐はさ。あいつらの事、どう思う?」
 「あいつらって?」
 「ほら……、廃墟群の……」
 「あー……」


 空は胸の中でわだかまっていた思いを燐へ向けてさらけ出す。
 全くの無意識にも関わらず、いつしか傷跡にふれた指には力が籠もっていた。


 「分かんない……、かな」
 「どうして? 燐の体をこんなにしたのはあいつらなのに。排除してやりたいとは思わないの?」
 「頭ではそう考える事は有っても、不思議と心はそうじゃないんだよね。何でかな……、自分でも分かんないや。一つだけ言えるのは、あたいはあの人たちを ”嫌いでも無い” し、 ”好きでも無い” のよ。嫌いきれないと言ったほうがより正しいかもしれない」
 「お燐……?」
 「私の命を脅かしたのがあいつらなのは紛れも無い事実。でも、下らない餌の争奪戦で浅からぬ傷を負い、ろくに食事も取れずに衰弱していた私を拾ってくれたのもまた、同じ人だった……。ただそれだけ。シンプルでしょ?」
 「悪人が少し善人の振りをしたからって騙されているのではないの?」


 燐は静かにその顔を横に振る。
 古ぼけた鏡越しに見たその顔には一つの達観の様な物が混じっていた。


 「良い、悪いで考えると肩が凝るよ。両面が有る事を認めた方が良いのかなって、最近そう思い始めた」
 「私には分からないな。さとり様に害なす者は全部嫌い。それの何がいけないの?」
 「さとり様は、確かに良い人。獣と同義だった私達に文化的な生活を与えてくれた。居場所をくれた。その恩には報いたい。だからこそ私は今力をつけようとしている。けどね、最近思うのよ。小町姉さんに稽古を付けて貰うようになって、映姫様とも話をするようになって。さとり様のあの真っ直ぐさは何れ自らの身をも滅ぼすんじゃないかって」
 「燐……、何が言いたいの?」
 「盲目になるのは良くない。小町姉さんがあたいに教えてくれた最初の事。ただそれだけ。……ごめんね、変な話ししちゃってさ。ただの受け売りだよ。気にしないで。あたいはそのお空の馬鹿みたいに律儀な所も含めて大好きだからさ」
 「へ、……変な事言わないでよ。私そっちの趣味無いから」
 「そう言う意味じゃないから」


 一頻り体を拭き終わり随分とさっぱりした体で脱衣場へと向かう。
 用意しておいた部屋着は柔らかな生地で作られていてとても着心地が良い物だった。
 簡素でゆったりとしたデザインのその部屋着は人型に慣れない妖獣達にも好評の彼岸で作られた洋風の着物である。


 「お燐、お燐はこの後何か用事が有る?」
 「ううん。でも、今日は少し疲れたから部屋で昼寝でもしてこようかなと思ってる」
 「ん、分かった。私はちょっとさとり様の様子を見て来るよ」
 「了解。それじゃ、また夕食の時にね」
 「うん。またね」


 後ろ手に手を振り、自室へ続く石畳の廊下を歩く燐。
 いつもはさとりのペットの妖獣で溢れかえるその廊下。現在は午睡の時間と言う事もありほんの僅かな寝息と燐の殺された足音以外に響く物は無かった。
 遠くの廊下から扉のしまる音と、内容は聞き取れない物の話声らしきものが耳に届く。
 それは、どこか幸せそうな声と、面倒くさそうな声だった。






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 「「天照計画?」」


 さとりから手渡された資料を受け取った空と燐を始めとする地霊殿のペット達は突飛なその言葉の響きに首を傾げる。
 この場は地霊殿の会議室。粗末な木製の長机に座った妖獣達は首を傾げながら皆一様にその資料に目を通していた。


 「そうよ。太陽の恵みの下で生まれた生命体は太陽の下でしか生きられない。無理のある我慢はやがて崩壊を引き起こす。自然に生きられる環境がこの地獄には足りていないのよ」


 壁に大きく張り出された紙に描かれているのは長大な年表と地下大空洞の全景図。
 一体何時の間に調べ上げたのだろうか。驚くほど詳細に調べられたその図は一部を除いてほぼ完全に地下の全景を網羅していた。
 手元の資料には幾つもの図形によって示された完成へと至るロードマップが示されていた。


 「皆に聞きたい。皆はこの地霊殿に来て何を感じたかしら、何を思ったかしら」
 「……カルチャーショックでした。定期的な食事と清潔な寝床が保障される。それは今までの生活では考えられなかった事です。生存を掛けた戦いをしなくて良いと言う事実は未だに信じられません」
 「そう言って貰えるのは本当に嬉しい事だわ。でもね、それは当り前の事なのよ。彼岸は当然として、地上ですらこれ程に過酷な生活は強いられない。ただ存在するだけで命を擦り減らす。この状況下では生きる事それ自体が目的化し、その為にあらゆるリソースがただ悪戯に消耗させられている。予言するわ。現状の地下空洞の行く先は袋小路よ。一切の発展も無くただ衰退するのを待っているのも同義」
 「さとり様……、私達はそれでもこの地下で生まれこの地下で生きてきました。さとり様の言いたい事は分かりますが、それでも少し心が痛いです……」


 心底申し訳が無さそうな表情で手を上げると空はさとりへ進言する。
 その心の内を覗き、さとりは自らが少々興奮し過ぎていた事に気付く。僅かばかり恥じ入る気持ちを覚えるが同時に冷静さを取り戻した。


 「……ごめんなさいね、空。少し、安易な言葉を使い過ぎたわ。私はね最低限度の生活を保障するそんな社会をこの地底に作りたいだけなの。これはお互いの為で、それと同時に地底の先を運命づける物。灯りを与えられるのを待っているのでも、現状で満足するのでもいけない。私達で作り出さなければいけない。この地下を地上と同じ環境に作り変える(テラフォーミングする)のよ」


 テラフォーミング。それは極限環境の是正。地上と同様の環境の創世。
 地下大空洞にもう一つの地上を創造するとも言えるだろう。
 それは太古の昔大和の神が行った国生みにも近い行い。その途方も無さに妖獣達は唯々呆気にとられるしか無かった。


 「私達だけでですか? 不可能です。焦熱地獄の復旧すら今だ目途が立たないのですよ。主神クラスの存在でも居なければとても……」
 「あら、この地下にはまさに神が如き大規模な創造にうってつけの奴らが沢山住んでいるじゃない」


 その言葉と同時に部屋の中にいた妖獣達の間にどよめきが走った。彼らの頭に思い浮かべられているのは皆一様に同一の存在。
 この廃墟群に潜む、最も強く、そして最悪と恐れられる廃墟の支配者。


 「まさか、さとり様。不可能です。奴らに話は通じません。もしも、それでどうにかなるのなら私達はもっと平穏に暮らしていられた。これまで何人があの ”鬼” 共の餌食となったと思っているのです」


 妖怪の最強種、 ”鬼” 。
 その実力は災厄そのものとも言われ純粋な力で勝てる妖怪は存在しない。
 神にも等しい力を持つ彼らはかつて地上の妖怪を支配していると聞いていた。何時しかこの地下空洞に移り住み現在は廃墟を支配している。
 そこにどんな経緯があったのかはさとり達の知る由も無い事である。


 「確かに、今は ”彼ら” と話をするのは難しいかもしれない。でも、それが ”彼女” に変われば不可能じゃない。彼らは力の無い物を嫌う……、私と空。この二人で、星熊勇儀、伊吹萃香、この二人と話をする。そして何としても ”河城みとり” を探し出すわ。付き合ってくれるかしら? 空」
 「そんな、幾らさとり様と空がお強いと言っても――」
 「――当然です。さとり様だけを危険に晒す事はできません」


 一切の迷い無く言いきった空の言葉を否定できる物は誰も居ない。
 暫く沈黙が部屋を支配した後さとりは深く瞑目すると静かに呼吸を整えた。
 次にその瞳が開かれた時に有ったのは途方も無く強い意志。


 「私はこれを ”天照計画” と名付ける。これは地霊殿の独断で行う計画。故に彼岸の協力は受けられないし、受けてはいけない。私達は私達の力で歩まなければ意味が無いのだから」






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 「何の用だ……?」
 「挨拶ですよ。ただのお引越しの報告です」


 普段通りの気だるげなトーンでさとりが声を掛けるのは眼の前に広がる巨大な瓦礫の山。
 瓦礫の山の上で、盃を交わしているのは対照的な二人の鬼。
 一人は小柄な体にはアンバランスとも言える二本の角が特徴的な小柄な鬼。そしてもう一人は大柄な体に相応しい一角を額に生やす鬼。
 どちらもが、明けぬ夜を嘆く様な暗い雰囲気を伴って不機嫌そうに酒を飲んでいた。


 「挨拶? 辞めてくれよ、そんなかたっ苦しいのが嫌で私達はここに逃げてきたんだ」
 「まぁ良いじゃないか勇儀。どうせ暇なんだ。話だけでも聞いてみれば」
 「萃香、お前なぁ」


 さとりの声に答えたのは額から一角を生やした鬼。
 勇儀と呼ばれたその鬼は萃香と呼ぶ鬼を苦々しげな瞳で睨みつけた。


 「私は、地霊殿のさとりと申します、こちらはお空」
 「……どうも」
 「あぁ、地霊殿のか。名前は聞いた事が有るぞ、確かさとり妖怪と言ったか。他人のトラウマを弄って遊ぶ趣味の悪いスプーキーだったな。……隣に居るのは知らない顔だが」


 俯き加減で顔を上げようとしなかった空の気配が俄かに乱れ始める。
 その心を読みとった空は意識して空よりも前に一歩足を出した。


 「お空、下がりなさい。そんな事の為に私達は此処に来たのではない」
 「ほう、そっちは良い気配をしている。どうだ一勝負私と――」
 「貴女方がどうしてもそれを望むのなら吝かでは無いですが今日は別件です。ただ挨拶以外の目的は私にはありません」
 「そうでもないぞ、鬼にとって喧嘩はコミュニケーションだ。百の言葉を語り合うよりも、拳を一度交わす方がより多くの事を読みとれる。それが鬼と言う生き物だ」


 和服を着流した一本角の鬼は立ち上がり盃を掲げながらさとりへ向けて歩み寄る。
 ただの歩行である筈のそれは、単騎であるにも拘らず地鳴りにも似た錯覚を伴う。その発生源は圧倒的な威圧感。単騎の妖怪とは考えられぬ桁外れの妖力がその一歩には内包されていた。だが、その脚は空に背負われている物を見てはたととまる。
 一転してその顔に浮かんだのは子供の様な無邪気な笑顔。


 「おぉ、何か良い香りがすると思えばそれは酒か。鬼と邂逅するなら宴会か喧嘩の二つに一つ。中々分かっているじゃないか。どれツマミでも見繕って来るから荷物を降ろして待っていてくれ」


 しかしその背後で寝そべる二本角の鬼が湛える不機嫌な表情と険しい視線は一片の変化も見せない。
 後方へ引っ込もうとする一本角とは対照的にその場に留まってゆるりと指をさす先に居るのは、微動だにしない地獄鴉の少女だった。


 「お前はどうなんだ?」


 俯き黙りこくっていた空はその鬼の問い掛けに合わせ顔を上げる。露わになった瞳は強い怒りの炎が灯っていた。


 「さとり様。こいつらを……、殴らせて下さい」
 「お空、確かに貴女の考えは正しい。でも正しい事が常に良いとは限らない。大人になりなさい」
 「さとり妖怪。私は今そこの鴉と話している。少し静かにして貰えないだろうか?」


 その姿にはあまりにも似つかわしく無いドスの聞いた声。
 思わず口を閉じたさとりは視線で空に自制を促すべく隣へ目配せをする。しかし返って来たのは強い意志を持った視線だった。


 「御免なさい、さとり様。私は今貴女の指示に従いたくありません。今従ってしまったら次に会う時にはこいつらは地霊殿にとっての要人になってしまう。そうなってしまったら、今の言葉を撤回させる事はできなくなってしまう。さとり様も仰られていたじゃないですか――」


 「「――政治になってしまったら個人の感情は余計でしかない」」


 「その通りよ、お空。良く覚えていました。でもその意見は見当外れ。私はあの鬼を気遣って止めている訳じゃないの。 ”貴女” を気遣って止めているの。この意味。貴女なら分かるわよね?」


 重なる声に、貫く鋭い視線。その強い静止の言葉にも関わらず空の心が静まる気配は無かった。


 「……申し訳有りません。それでも私は許せないのです。……訂正しろ、鬼。さとり様を馬鹿にした事を」
 「私を満足させてくれるなら、その位幾らでも」


 妖怪の最強種、鬼。
 純粋な戦闘能力ではどのような疑問を挟む余地も無く最強を誇る。個体差こそあれ例外無くこの地下にすむどんな生命体をも上回る。
 空の前に立つのは二本角では無く一本角の鬼。酒が入れられたままの盃を片手に肩をならしてその体を揺らした。
 空も背負った樽を脇に降ろし、腰を落とした臨戦態勢を取る。


 「ルールは単純だ。お前が動けなくなる前にこの盃の酒を一滴でも零す事ができれば、お前の勝ち。それが出来なければお前の負け」
 「それ以外は何でもあり……、だよね?」
 「あぁ、何でも使える者は好きに使え。精いっぱい手加減してやるから本気で掛かってきな。――でないと死んでしまうぞ!」


 それは唯の足踏みだった。ほんの少しだけ力を籠めて踏みだされたその脚は岩に足跡を刻み衝撃で大地が雄叫びを上げる。
 幾本もの亀裂が大地に走り奥深くにある紅い溶岩がその姿を露わにした。


 「そっちこそ、地獄鴉を甘く――」
 「御免なさい、お空。今は暫く……、眠りなさい」


 それは、ただの視線だった。
 空は胸にある第三の瞳と空の視線が一瞬交錯した次の瞬間。空の体は完全に意識を奪われゼンマイが切れた様に地面に落ちていた。
 さとりはそれを優しく抱え上げ近くの木陰に寝かせる。そして、不気味な程静かに見つめていた勇儀に向き直った。


 「貴様、何のつもりだ? 鬼の喧嘩を邪魔したんだ。覚悟はできているんだろうな?」
 「ええ、当然です。お空の分まで私が相手をしますから。二人纏めて掛かってきなさい」


 びりびりと震える大気は周囲の小石を弾き飛ばし、風化しかかっていた廃屋をがらがらと倒壊させる。
 怒りに燃えた一角の鬼は片手に持った盃を地面に下ろしその拳を固く握りしめた。


 「面白い……、本気で行く。」
 「そちらこそ、新しいトラウマが刻まれても悪く思わないでね」


 足音も置き去りにしてソニックブームを伴いながら突っ込んでくる勇儀の巨体とさとりの細腕がぶつかり合う。
 その様子を遠巻きに眺めていた萃香は小さな溜息を吐くと瓢箪の酒をぐびりと飲み込んだ。










 「……は、とて……、んかだった……」
 「……みでは……のですよ……」


 耳に入ってくるのは聞きなれた一人の声と聞きなれぬ二人の声
 視界に移るのは黒く煤けた天蓋の紋様。
 反転した視界は自らが地面に寝ている故であると気付いたのは暫く経ってからの事であった。


 「あら、眼を覚ましましたか?」
 「……とり、さま?」
 「随分と遅い目覚めだったな、ほらお前も飲め」
 「しれっと鬼の酒を進めてるんじゃないよ。また意識を飛ばす事になるよ」


 それもそうかと陽気に笑う様子は記憶の中にある最後の光景とは似ても似つかない。
 何が有ったのかと思考を廻らせる前に辿りついたのはさとりの服装についての事だった。


 「さとり様!? その怪我は……、もしかして……」
 「ははは、全く。本気でやって引き分けたのなんて何年振りだろうねぇ。本当に楽しかったよ」


 見れば勇儀の和装は、さとりのそれよりもさらに激しく破損しており、布地が随分と寂しくなっている。
 鬼の治癒力で治りかけては居る物の怪我も少なくは無い様であった。


 「御免なさいね、空。貴女よりは私がやった方が確実だと思った物だから……」
 「お空と言ったな。戦わなかったとはいえ鬼に喧嘩を売るその度胸は悪くなかったぞ」
 「真っ直ぐな馬鹿は見ていて気持ちが良いもんだ。それがたとえ空回りであったとしてもね」
 「勇儀……、萃香……」
 「勇儀さん、萃香さん、よ。もう喧嘩は終わったの。彼女らは私の大切な友人よ」
 「いやいや、私も悪かったな。特にお前を貶める意図は無かった。ただ聞いただけを言葉として口にしただけだ。自分の眼で判断もせずに馬鹿にしたのは私の落ち度だろう」


 その言葉が勇儀の口から出ると同時に押し寄せるのは二つの相反する感情。
 主人を窮地に追い込んだ膨大な罪悪感とほんの僅かな安堵感。
 胸が割れそうになる程ぐちゃぐちゃになった思考を脳はやがて処理をし切れなくなる。余剰の感情が涙として目尻から溢れ出した。


 「――ッ!! さとり様……、私は……、さとり様に迷惑を……」
 「やめてちょうだい。お酒が不味くなるわ……。貴女は私のペット。貴女の責任は私の責任。それで良い筈よ。今は宴会を楽しみましょう」


 子供の様にさとりに泣きつくお空を静かに抱き寄せる。まるで赤子をあやす様にその頭を撫で胸に搔き抱いた。


 「嫌だったんです。さとり様が傷付けられるのを黙って見て居られなかったんです。どうしようもなく胸が苦しくて……、なのに……、私のした事はさとり様を――!」
 「仕方が無い子ね……、分かりましたから。ほら、落ち着きなさい。今は起きたばかりで記憶が混乱しているのよ。暫く静かにして心が落ち着いたら話して御覧なさい……」
 「おー、おー、お熱いねぇ。話で聞くさとり妖怪とはえらい違いじゃないか」
 「あんたみたいな親馬鹿。久しぶりに見たよ。まぁ、嫌いではないけどね」


 そんな光景も酒の肴と言わんばかりに升一杯に並々と注がれた樽酒を一気に飲み干す。
 空になった升をさとりに渡す。自らも新たな升を取りだした萃香はそれらを再び酒で満たし静かにその口を合わせた。


 「お褒めに預かり恐悦至極でございます」
 「褒めたと言えるのかね。まぁ良い。それじゃ、勝負二本目と行こうか」
 「こちらの方でも、負けるつもりはありませんが、それでも良いですか?」
 「何を言うか。流石に酒で負けるつもりは無いよ」


 鬼とさとり妖怪の酒盛りは翌日になっても続きついに決着がついたのは既に昼間になった頃。
 傍らで真っ青な顔をして看病するお空に真っ赤な顔をしたさとり妖怪がろれつの回らない口で「これで良いの」と繰り返す様は一種美しくもあった。
 その見事な飲み口と無防備とも言える程に四肢を投げ打ち地面に倒れる様にはさしもの鬼も関心をする程であった。


 「馬鹿正直でまっすぐな奴の相手なんて慣れ切っているのよ」とは、翌日の二日酔いの頭を抱え桶へと走るさとりの弁である。
 青い顔で口の端から胃液を垂らしながらも、さとりは教えられた場所を地図にしたためお燐を ”ある人物” の下へと走らせた。
 その背を見届けるのと、喉元が焼けつく様な感覚共に乙女度が口から放出されるのは全く同時であった。


 そして、地霊殿は鬼との友好を結ぶ事に成功し、河城みとりの住居を知る事に成功した。







△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 「あぁーあ。めんどくさいなぁ。ひさしぶりにお姉ちゃんをからかってやろうと思ったのに。相変わらず仕事人間なんだから」
 「自分を呼べって言ったのは貴女じゃないですか。こいし様。後、さとり様はあたいみたいな下っ端の者でも愛して下さいます。仕事だと思っていたらそこまで出来ないですよ」


 こいしは、悪戯っぽく笑うと燐の瞳をしげしげと眺める。
 リボンで装飾された黒い山高帽にふんだんにフリルをあしらった黄色のドレス。
 そのスカートの裾を揺らして彼女は燐の先を進んでいた。


 「本当、ペットにはよく懐かれるんだから……。本当に良くも悪くも、お姉ちゃんは変わって無いみたいね。気を付けなよ、お姉ちゃんは特にお気に入りのペットは常に傍に置いときたがるからさ。起きたら首輪と手錠付けられちゃっているかもよ?」
 「さとり様はそんな事しません」
 「根拠が無いね。付き合いは私の方が長い」
 「む、深さでは負けません」
 「ふむ……。それもそうか。確かに私とお姉ちゃんの付き合いは深いとは言えないかもしれない。今のお姉ちゃんを知っているのは傍に居る貴方だと言うのは筋が通っているわね」
 「納得しないで下さい。どう反応すれば良いのか分かりません……」
 「半ば冗談よ。……さて、お喋りはここまでにしようか」


 不自然な程に弾んだ声はその場の雰囲気を和やかに切り替える。
 彼女の瞳に映り込んだのは小さな洞窟だった。地下大空洞の東の果ての果て。さとりの地図では『闇火風処区』と記された地点。
 怨霊が跋扈し原住の獣すら寄りつかぬその場所に掘られた横穴には驚くべき程に明確に人の住む跡が残っていた。


 「本当にこの中に彼女は居るんでしょうか?」
 「居るわよ。確実に、明確に。ここに居ても感じる。だってこんなにも激しい拒絶の気配を既に漂わせているのだもの。ああ、 ”ぞくぞく” する……」


 大岩の狭間に作られたその入り口には木製の簡素な扉とそして、見た事も無い素材で作られた大きなばつ印が掲げられていた。
 一種光沢の様な物を持ったそれは白地に赤でばつが記されている。茶色くただれたその円盤を燐は知らない。
 しかし、遠目で見ても分かる程に強い力で封印が施されている事だけははっきりと感じる事ができた。


 「燐。あなたは此処に居なさい。暫くしたら中から人が出て来ると思うけど、 ”できるだけ優しくしてあげる” のよ。それはきっと貴方にとってだけではなく私達にとっても大切な友人になるのだから」
 「こいし様? それはどういう意味で……」


 燐が聞き返そうとしたその先にこいしの姿は存在しなかった。
 怨霊ばかりがたむろするただっぴろい空間に取り残された燐は心細さを感じながら立ちすくむ。


 「ぅひょぁーーーー!」


 突拍子も無い声が聞こえてきたのは数分もしない内の事だった。
 弾ける様に扉が開いたかと思うと紅い塊が中から飛び出し燐の前に倒れ込む。
 何があったのか、腰が砕けがたがたと震える彼女は縋りつくように燐に抱きついた。


 「みとりさん、ですよね? だ、大丈夫ですか」
 「はふぅ、ひゃぁ……、ぎゃっ?! あんたは誰?! 鬼?!」
 「妖獣です、火焔猫の燐と言います」
 「け……、獣か……、良かった……」


 安心したからなのか、燐の胸の中で無防備に泣きだす彼女は見た目河童の様に取る事ができる。
 彼女の纏うポケットがあちこちに着いた作業着と頭を覆う独特の帽子は河童に特有の物。しかしその燃えるような紅い髪に紅い瞳は河童の特徴には無い物だ。


 (こいし様、なにやったんですか?)
 (私は何も? ちょっと ”トラウマ” を弄っただけよ)


 いつの間にか隣に現れていたこいしに燐はこっそりと話しかける。
 それに気付く様子も無く鼻を鳴らす赤河童は見た目通りの幼い少女の様であった。


 間違いなく現在の地下で最高の頭脳を持つ河童の技術者、河城みとり。
 彼女とコネクションを得た燐はこの後友人として付き合い協力を取り付ける事に成功する。
 そして、『天照計画』は本格的に始動した。


 この後に『天照計画』は地上の不法占拠者達にも広く受け入れられ、滅びゆく筈であった旧地獄の運命を大きく揺るがせる事になる。ただしそれが好転であったのか否かを判断するのは今この時を生きている者達では無い。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 勃興 - the rise of underground -





 「行くぞ……」
 「お願いします」


 腹の底から突き上げるような唸りを上げる巨大な装置がエギゾーストを残して天空へと舞い上る。
 二酸化ケイ素と砂から作られた透明の素材で作られた球体に囲まれたそれは二百メートル程昇った所で停止する。
 ゆっくりと上下に揺れながら空中に縫いとめられるそれは、内部を揺らめく陽炎の様な気体で満たされて行った。
 内部機関のクランクの発するノイズが若干に耳に障るが、致命的な物ではないと判断する。
 気体の充填。そして炉内の温度をチェックすると同時、既定の時刻通りに赤く染まり始めるのは球体下部から発生するアセチレンガスの炎。
 やがて周囲を揺らめく気体に広がりその灯りは硝子の外側へと放出される。


 その時、誰もが空を見上げていた。
 鬼も、妖怪も、妖獣も。
 彼岸も、地下の住人も。
 一切の垣根なく空へ浮かぶ、ちっぽけな歴史の始まりを眼に刻みつけようと彼らは必死に眼を見開いた。


 球体の中で灯り始めるのは橙色の炎。マグマよりも更に温かみを感じさせ且つそれ以下の熱しかもたない柔らかな炎。
 アセチレンの淡い光が地獄の深淵をほんの僅かずつ侵食する。
 誰も見た事が無かった地獄の天井が揺らめく陰影を付けながらそこに浮かび上がる。
 またたく星の様に姿を変える岩盤の天蓋は決して美しくは無いが初めてその姿を住人の前に表す。


 それが記録に残された中では最初に地獄に昇った太陽であった。
 地霊殿、廃墟群の移住者、立場も種族も異なる彼らが初めて共同で作り上げた記念すべき物。
 正式名称 “日照機試作型”。通称 ”アマテラス一号” 。


 それは確かに最大の出力でも脚元が辛うじて視える程度の明るさしか確保できない。点灯中は何者も近づけない程熱く日に一度は緊急停止する程に不安定。
 余りにも弱々しく、余りにも頼りない。しかし、それでもその灯りは紛れも無く地獄が歩みを始めた証だった。
 つかまり立ちにも及ばないその弱々しい歩みは当に赤子。
 だがそうであっても一歩には違いない。間違いなくこの日、地獄は文明としての産声を上げた。










△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 「お空? どうしたの、考え事なんかしちゃって」
 「お燐……? いや、何でも無いよ」


 地霊殿の書庫。
 地霊殿のそのまた地下に作られ、普段は誰も寄りつかぬその場にいたのはこれまた書庫とは掛け離れた二人組であった。


 「けほっ……、それにしても埃っぽいね。普段ここは掃除してないの?」
 「使うとは思ってなかったからねー。持ち回りで掃除しているのは皆の生活スペースだけさ」


 埃っぽいその部屋には是非曲直庁の直接統治中に持ち込まれた大量の文献が無造作に詰め込まれている。それらは特に重要な物を除いてほぼ当時のままだ。
 手元の蝋燭の朧な明かりだけを頼りに二人は本を探す。その随分と風化してしまった背表紙を指でなぞってはそこに書かれた書名を確認して行く。


 「『東大寺及び諸寺の再建へ向けた干渉及び記録』、『熱力学概論』、『宇治拾遺物語』……、何これ。分類もへったくれも無いじゃない」
 「仕方ないよ、随分慌てて引き上げたみたいだし。適当に大事なのだけ見繕って後は放置したんでしょ。ほらその辺見てみなよ」


 蝋燭の頼りない灯りに照らし出されたのは、地面に散らばり無残に折れ曲がった本の山だった。
 うず高く積まれその小動物の住処と化したそれら。既に本と言うよりは紙の山と呼んだ方が正しいだろう。
 それは一か所だけではない。本棚の間の通路と言う通路に渡って広がっていた。
 その山を越えようと脚を掛けると本の隙間から小動物が飛び出しちょろちょろと地面を駆けまわる。


 「あ、ほら。お燐。鼠だよ。ちゅーちゅーって」
 「馬鹿にしてんの? あんな喰い出の無い物。ただの獣だった頃から好きじゃ無かったよ。仕方なしに以外食べた事は無い」
 「冗談だよ。こういう、地味な仕事は好きじゃないからつい……、さ。でも、さとり様ったら何で今頃になってこの部屋の掃除なんか……」
 「さぁ、あたいも聞かされてないけど、さとり様の事。きっと何か考えがあるんでしょう。例えば……、是非曲直庁本部の ”置き土産” ……、とか?」
 「置き土産?」


 お燐は口元に指を当てながら考えを廻らせる。
 心当たりが有る訳でもなくただ何の気なしに口から出た言葉だったが、不思議とそれはすとんと腹に落ちる感覚がした。


 「例えばの話だよ。一時期とはいえこの場に彼岸の者を大量に送り込もうとしていたんだ。何か助けになるような資料が残っていてもおかしくは無いんじゃない?」
 「あー。確かにさとり様も外に出る時はしんどそうだしね。でも助けになるような資料って例えば?」
 「さぁ、分かんない。さとり様がご自分で探すつもりじゃないのかな」
 「だから、自分が探す前に掃除を申しつけられた訳ね。確かにこの埃っぽさはさとり様が嫌いそうだ」


 口に出す度明瞭になるイメージはしかし、肝心な所で喉元につっかえた様に見る事が出来なかった。
 何も聞かされていないので当然ではあるが、どうにも歯がゆい思いをしながら燐は空に促されて片付け作業へ入る。
 持ってきたはたきを取り出しそれで棚の上を払う。面白い程に舞う埃は口元を絹で覆っても尚耐えがたい程の量であった。


 「げほっ、げほっ」
 「大丈夫、お燐? ほら、こっちにおいで。」


 まだ埃の舞って居ない区画。少し離れた所にむせる燐を抱えて空は移動する。
 だが燐を支えるため蝋燭を手放してしまい真っ暗になったその空間は二人で歩くには狭すぎあちこちに体をぶつけてしまう。
 そして空の漆黒の羽は ”運命の歯車” へとかち合ってしまった。


 ごとり、と大きな音を立てて堕ちる一冊の書籍。
 驚くほどに分厚く。そして手垢にまみれたそれはきちんと製本された物ではなく簡素なクリップでまとめられただけの紙の束に過ぎなかった。
 本来ならただのゴミとして処理しても構わない程の風化具合。
 しかし、そんな事は問題にならぬ程にそのめくれた頁には興味深い事が記されていた


 「何……、これ?」


 『地下大空洞日照機建造計画書』開かれた頁の左上に書かれた文字にはそう記され、本文は多数の難解な数式と詳細な挿絵が描かれている。
 巨大な球体が天井に吊り下げられたその図には小さな文字で ”日照機” と記されていた。
 頬を寄せ合う様にしてそれを食い入るように見つめていた二人は、我に返ると大慌てで書庫を出る。
 執務室の扉が乱暴に開かれるのはそれから僅か数分後であった。





 ――パズルのピースが揃い始めようとしていた。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 「日照機か……、昔の是非曲直がこんな大規模な物を建造しようとしていた何て初耳ね」
 「御免なさい、さとり。私もそれについては何の情報も持ち合わせていなかった」
 「映姫が謝る事じゃない。何か情報を貰えたら嬉しかったのは事実だけど……」


 さとりは簡素なデザインのつる付き眼鏡を外し資料から眼を離す。首を傾げる映姫へその資料を差し出した。
 映姫は私用で地霊殿を訪れていたに過ぎない。しかし先ほど二匹のペットから持ち込まれた資料によってすっかりと仕事モードに移行してしまっていた。


 「そうは言っても私はあなたと同期でまだまだ新人。小町は何か知っていますか?」
 「あたいですか? うーん、あたいも長い間務めているけれど、テラフォーミングなんて突飛な事を考えたのはさとり様が初めてだとおもいますねぇ」
 「ケチ臭い本部の奴らがこんな辺境の地に資金を投入する理由も見当たらない……。大方仕事熱心な映姫みたいな人が提案だけして却下されたのかしらね。まぁ、深く考えるよりこの資料の解析を進めた方が建設的だと思いましょうか」


 壁に寄りかかり腕を組む小町と、ぺらり、ぺらりと、紙の束を捲る映姫。
 ぎっしりと書き込まれた無数の数字の羅列と文字。その殆どが長い年月の中で風化しており判読は困難を極めるであろう事が予想された。
 一瞬だけそれを読みとろうとして、即座に諦めた映姫はこめかみに指を当てながらさとりに語りかけた。


 「……あまりこの資料に囚われる必要は無いかもしれないわよ。技術者の当てはあるのでしょう?」
 「まぁ、一応は……、ね。ただ私には会ってくれないみたいだから。こいしかペット達を介してしか話が出来ないのが悩みね」
 「まぁ、それが普通の妖怪の反応よね。ちょっと特殊なのに囲まれ過ぎなのよ。貴女」
 「特殊の筆頭に言われたくは無いわね」
 「……ねぇ、さとり。本当に支部の協力を仰がなくても良いの?」
 「…………」


 執務室の風化の進んだ机に頬杖を着いたさとりは静かに瞑目する。
 映姫の言葉の通りさとりは、是非曲直にテラフォーミング計画の事を伏せている。
 表向きは焦熱地獄と怨霊の管理、裏では地下環境改善に向けた研究開発を進めているのだ。
 その理由は極めて単純明快な物。


 「秦広王様の最近の様子はどうかしら……?」
 「……相変わらずですね。他支部や本部との会合に出られる事が多く、殆ど執務室にはいらっしゃいません」
 「まったく、あの男は……。ねぇ、映姫。貴女程の人が気付いていない筈が無いでしょう?  “あの男” に借りを作るのは長い目で見た時必ず損になる。それでも協力を求めろと言うの?」
 「さとり、滅多な事は言わないで。あの方は……、そうですね。ほんの少し排他的で上昇志向の強い面が有る事は認めますが、善には忠実です。何よりも秦広王様は私達の善悪の規範ではありませんか」


 悲しい顔をした映姫は、どこか自分に言い聞かせるように俯き気味にそう呟く。
 さとりは是非曲直庁を信用していない。より正確に言うのであれば、 ”秦広王” を信用していないからである。


 「映姫、私は今から独り言を言うわ。貴女は偶然珈琲を飲んで居たらその話を耳に挟んでしまった。ただそれだけ。それ以上の事実は無い」
 「偶然……、ね……」


 静かに手もとのカップを傾け、中の黒い液体を一口含み映姫が瞑目する。
 気付けばその後ろで壁によりかかる小町も静かに眼を閉じていた。


 「かなり昔、一瞬だけ秦広王の心を覗くのに成功した事が有る。彼は野心の塊。表面上の筋さえ通れば裏工作も厭わない。おそらく……、彼は力を持ち過ぎる部下、公明正大過ぎる部下を危険視するでしょう。映姫、貴女も気を付けて」
 「お互いよ……、十王を批判するなんて御法度も良い所。私で無ければどんな事になっていたか……。他言は無用。私は今日何も聞かなかったし貴女も何も言わなかった。これがお互いにとって一番幸せよ」


 長い沈黙。
 緊迫とも空虚ともつかないその間はひどく居心地が悪い。映姫さとり共にしきりにあちこち視線を泳がせていた。
 その様子を見かねたのか小町はおもむろに立ち上がると、何時もと何一つ変わらぬ間延びした声を部屋に響かせた。


 「あたい、ちょっと眠くなってしまったのでその辺で昼寝してきますね。夕方には戻りますけど。何か用があれば何時でも念話を飛ばして下さいね」
 「あ、……はい。分かりました。私も用事は無いと思うのでゆっくりして行って下さい」


 「それでは」とひらひらと後ろ手に扉を開く小町は、その奔放な様子とは似つかわしくない程繊細に扉を閉めると規則正しい足音を響かせながら遠ざかる。
 再び静けさが戻った時には妙な空気は何処かへ消え去り、間延びした空気の残り香が漂っていた。


 「さぁ、固い話はこれまでにしましょう。お互いやらなければならない事は数多くあれど、今は休日。より質の良い明日の為に今は全力で肩の力を抜くのが肝心です」
 「その通りよね。……ねぇ、映姫。最近のこいしの奴の様子聞かせてよ」
 「ふふ。良いですよ。相変わらずのトラブルメーカーですけどね」










 かつり、かつりと、燭台で照らされる廊下を小町は歩く。
 時折すれ違うのは背の低く幼い妖獣や人型を取らない妖獣達。
 彼らに笑顔を見せながら小町が行く先にあるのは、いつも同じ場所である。


 階段を降り、暫く進んだ後に小町の脚が止まるのは一つの扉の前。
 見慣れた扉の傷を見てどこかほっとする小町はその扉に手を掛けようとする。


 「小町姉さん?!」


 しかし、その手が扉を開くよりも先にがたりと勢いよく開いた扉から飛び出して来たのは黒い服を着た赤髪の少女だった。


 「やあ、お燐ちゃん、それにお空ちゃんも居るのかい。どう、今は暇かな?」
 「あれ? 小町さん、こんにちは。もうあの件は大丈夫なんですか?」


 白いベッドの上で、眼鏡を掛けて書を食んでいた空は首を上げて突然の来訪者を笑顔で迎える。
 地霊殿の一階に設けられたこの部屋は燐の個室であり、このフロア全体が居住スペースとなっている。


 「暇も暇、大暇です。今だってお空と駄弁っていただけですから」
 「駄弁っていただけって……、まぁ、その通りと言えばその通りだけどさ」


 見れば随分と古ぼけた本がその部屋の床には何冊も積み重ねられている。
 大方、書庫から引っ張り出してきた本を興味本位で読んでいたのだろう。
 難解な文章と、風化した文字に頭を捻る二人の様子を想像した小町は思わず苦笑を漏らした。


 「良かったらあたいも混ぜてくれないかねぇ。向こうはもうカタが着いて、あたいが居る意味は無いみたいでさ」
 「当然良いです……、けど。もしよかったら今日もあたいに付き合って貰う事はできませんか?」
 「また稽古かい? 熱心なのは良い事だけど最近少し根を詰め過ぎてはいないかね?」
 「そんな事ないです。と言うか、お空とかと違ってあたいはまだ決まった仕事がないぷーですから。休む時間なんて幾らでもあるんです」


 眩い様な笑顔を見せたかと思えば、頬を膨らませて怒る様な表情を表す。
 普段のどちらかと言えば飄々とした態度からは想像しづらいその姿。それは空とさとりに見せる物とも少し違う。小町の前独特の物だった。


 「ふぅむ……。まぁ良いだろう。でも、今日は講義だけだからね。実技は無し。それで手を打つ事」
 「はぁーい。……そう言う訳でごめん。あたいちょっと行って来るね。夕方までには戻ってくるからさ。夜になったまたそれ読も!」
 「それ、私も付いて行って良いかな? 小町さんの操霊術って実は少しだけ興味あるんだよね」
 「良いけど、あたいの何てそんなに大した物じゃないさ。期待外れかもしれないよ」
 「そんな事ないです! 小町姉さんは私の憧れなんですから! お空も小町姉さんに迷惑掛けたら承知しないからね!」
 「分かっているよ……。隣で見ているだけ。二人の邪魔はしないからさ」
 「ははは、聞きたい事は何でも聞いてくれて構わないよ。それじゃ、この場所は講義には狭いし物も無い。少し移動しようか。二人とも並んで座ってくれるかい?」


 言われるままにベッドで座る空の横へ腰かける燐。
 オシドリの様に肩を寄せ合って座る二人に眼を細めながら小町はその前に立つと、どこからか取りだした鎌を一振りした。
 ブン、と言う風の壁を抜けたような音が鼓膜に伝わると共に一瞬で周囲の景色が移り変わる。


 気付けば二人が座って居たのは見た事も無い中華風の装飾が施された長椅子の上。
 平然とする燐とは対照的に空は周囲をきょろきょろと見回している。その伽藍堂の室内には ”生きている” 存在の気配が全く感じられない。


 「ふふ、お空ちゃんは此処に来るのが初めてだったね。ようこそ、是非曲直庁支部へ。此処は現在使われていない講堂だよ」
 「是非曲直庁……、さとりさまの昔務められていた場所……」
 「その通り。良く知っているね。偉い、偉い」
 「むー。当たり前です」


 わしわしとぼさぼさの黒髪を撫でられ不平を漏らす空はようやくこの場所の特異性に気付き始めていた。
 二十帖程の部屋には幾つかの長い机が整然と並べられ前には黒い板が壁に貼られている。
 それは空も知っている物。白い特殊な墨で字を書く事で何度でも使い回せる特殊な紙であると、同じ物を地霊殿の倉庫で見つけた時にさとりから聞かされた記憶が有る。


 「さて、時間も限られている事だし。さっさと始めようか。お空ちゃんは初めてだから見学と言う事で、楽にして貰って良いよ」
 「はい。それは良いんですけど……、何でこの部屋には ”死者の魂" がたむろってるんですか?」
 「ほう……、そこに気付くとは。流石は地下に名高い鴉の天才児か」
 「小町姉さん、騙されないで下さい。こいつ脳筋ですから。どうせ野生の勘で当てただけですよ」
 「否定しないけど、あんた酷いね」


 空の言葉の通りこの部屋には亡者の気配が満ちていた。
 最初にこの部屋に来た時こそ何も居ない様に見えたが、一度意識すればそれらを見る事は容易い。
 旧地獄に溢れる怨霊のような苦悶に満ちた表情を浮かべてこそいない。しかし、虚ろな表情や、明るい表情、様々な顔をした髑髏の火の玉が中空を漂っていた。


 「勘も実力の内。特にあたいが今から教える操霊術だって蓋を開ければ勘の集合体みたいな物さ。……そうだね、お空ちゃんも居る事だし今日はおさらいから始めてみようか」


 「はい、わかりました」と元気よく返事をする二人は眼の前の机に向かい授業を受ける寺子屋の生徒の様に姿勢を正した。
 小町も小町で、そんな様子を面白がりどこからか取りだした伊達眼鏡などを付けて黒板の前に立っているのだからお互いさまである。


 「さて、最初は質問から入ろうかな。二人は操霊術と言う物を聞いた事があるかな?」
 「はいっ! あります」
 「だろうね、あたいが教えたからね」
 「お燐の話やさとり様の話で、聞いた事は有る程度ですね」
 「そうか、実のところはね。是非曲直庁(あいつら)は操霊術なんて名前まで付けて大仰に体系立てているけれど、実際の所はただ霊魂とコミュニケーションを取って、こちらの意のままに動かすただそれだけの技術体系だ。高度に発達した意志疎通ではあるが、それでも対話の延長線から外れはしない」
 「霊魂との対話……、ですか? そんな事が……」
 「あー。旧地獄出身の者には特にイメージしづらいんだろうね。大丈夫お燐ちゃんもそうだったよ。こればっかりは見て貰った方が早いかもね」


 そう言うと小町は白墨を降ろし代わりに鎌を持った。すっとその切先を霊の群れ達へ向けて真っ直ぐに伸ばす。
 間もなくして、その刃の周りには数匹の霊魂達が纏わりつき始めた。


 「さて、この内の一体だが、こいつに今からこの部屋を一周して貰いたいと思う。静かに見ていてくれ」


 けたけたと笑う霊魂はその小町の指先の指示通りに部屋をぐるりと回遊すると再び鎌の先へと戻る。
 その他の数体の霊魂も続く小町の指示で同様の行動を示した。
 驚きの目でそれを捕えている暗褐色の瞳とは対照的に、赤い瞳はどこか自慢げにその様子を見つめていた。


 「このように、アウトプットとしては私の意図した通りの行動を取らせる。それが操霊術だ。どうかな、イメージできたかな?」
 「理解は出来ました……、けど……、どうやって霊魂に指示を……」
 「当たり前すぎる事だよ。ただあたいはお願いをしているだけ。彼らの話を日ごろから聞いてあげているだけさ」
 「あたいもその話は何度も聞きましたが未だにコツが分かりません。一体どこに彼らの声はあるんですか?」
 「 ”聞く” って言い方は、あたいは好きな表現何だけど正確じゃ無かったかもしれないね。正しくは、”読みとる” んだよ。霊魂は言葉を持たない。それは事実だ。でも確かに生前の意識は持っているんだ。だから必ず何処かにその ”考え” が現れる。そうだね……、分かりやすい例を上げようか。お燐ちゃん、最近こいし様と話をしたのは何時の事だい?」
 「こいし様とですか? うーん、この間さとり様に着いて支部に報告に戻った時だから大体一ヵ月前位です」
 「その時に、あんたはどうやって話をしたのか、そして何を感じたのか憶えているかい?」
 「どうやってって……、さとり様と話す時とそんなに変わりません。雰囲気も何処となく似ている方ですし……」
 「そうだよ、大事なのはそこなんだよ。こいし様は ”覚り” の力を持っていないのにも関わらず、さとり様と話すのと同じように接する事ができる。これは大きな矛盾だとは思わないか?」
 「そう言えば……」


 古明地こいしは覚りの能力を持っていない。
 それは紛れも無い事実であり、胸の第三の瞳が固く閉じられている事からも明白である。
 だが、それが閉じられた理由について燐は何も聞かされていない。特にそれがタブー視されている訳ではないが何となしに聞く事は憚られたのだ。


 「あんた達獣はそれを良く知っている筈だ。元より生命体は自分の意志を伝えるのに言葉を介してはいなかった。だから、あたい達がやっている事は何も特別な事では無い。元から生命体が持っている能力を普通よりも明確に ”思い出している” だけさ」
 「思い出す……」


 はたと燐が思い当たったのは獣であった頃の記憶が随分と薄くなり始めていると言う驚くべき事実。
 それは空も同じで会ったようで隣をふと見れば、同じような顔がやはりこちらを見ていた。
 実際空は若いうちから妖獣として人型を取るようになり、今では人型で居る時間の方が圧倒的に長い。
 燐も人型を取れるようになってからそれなりの年月が過ぎようとしていた。


 「言葉は便利だね。自分の思っている事を相手にそのまま伝える事ができるんだから。とても便利で同時にとんでも無く ”特別な物” 。実際そんな事ができるのはほんの一握り。後は覚り妖怪みたいなごく一部の例外か、ただの獣だけさ」
 「でも、あたいたちだって、鳴き声位は出せます。実際にそれで意志の疎通ははかれていました」
 「ケタケタと笑うだけのしゃれこうべも、しくしくと泣くだけの霊魂も、全ては意図が有っての事さ。あたい達はその表層から、内側に眠る彼らの気持ちを丁寧に汲み取ってあげる訓練を積んでいる。だからこそあたいらは ”収穫を司る神” でもあるんだよ」


 そう言って小町は手元の鎌を誇らしげに掲げる。
 鎌は本来農耕の象徴。小町のそれは個人的な趣味によっておどろおどろしい装飾が施されているが、通常の鎌は武器では無く農機具である。
 切れ味はほぼ存在せずなまくらと言っても良い小町のそれは、死神である事を示す飾りであると同時に彼女の誇りでもあった。


 「もっとも、こいし様は能力の補助を使っているとは言え、誰にも教えを乞う事も無く自然体で相手の心を読むんだから末怖ろしいよ。あたいを見ていれば分かると思うが、相手の気持ちを汲み取るには少なからず自分から積極的に働きかけないといけない。自らが揺らした水面から水中を探る様にね。感情を言葉で素直に表現するように心がけな、それが一番の近道さ」


 「それと」と小町は言葉を続ける


 「あんたも偶に、 ”飛んだ” 話をする事がある。あたいだから読みとれるが、死神以外にそれを求めるのは酷と言う物だし、 ”怨霊達” と話をしたいと思うのならそれはよくない習慣だ。どうするかはあんた次第だけれどね」
 「はい、肝に命じておきます。小町姉さん」


 怨霊も死人の魂と言う括りで言えば霊魂の一種である。
 だがその在り方はこの是非曲直にある物とあまりにもかけ離れていると言わざるを得ない。
 彼らに意志らしい物を見出せた物は旧地獄にかつて誰一人として存在しないからだ。たとえそれが小町の様なベテランの死神であったとしても、である。


 「さーて、此処からは楽しい楽しいお勉強の時間だ。『霊魂の構造とその生態について』テキスト五十頁から行くぞ。お空ちゃんはお燐ちゃんに見せて貰いな」
 「うへー。私はそう言うの苦手だからちょっとお昼寝してても……」


 ぎろり、と燐に睨まれた空は立とうとした腰を渋々椅子に戻す。空は仕方なしに燐と肩を並べて何処からか取りだされたテキストを開いた。
 小町の講義は夕方まで続き、それは燐にとっては興味深くもあり頭を痛くさせる時間であり、空にとっては上質の睡眠時間であった。
 講義も終わり帰宅の時間となった頃。二人は映姫と入れ替わりに是非曲直庁を後にした。








 静まり返った講堂に忽然と現れる短身の少女。
 つい先ほどまで姦しい妖獣の二人組が座っていた長椅子にはその少女が一人で腰掛ける。目の前の机に寄りかかり安らかな寝息を立てるのは地獄の閻魔だ。
 普段の彼女からは想像もできない程に穏やかな顔を浮かべた、どんな夢を見ているのか口元をにへらとだらしなく開き言葉にならない寝言を紡いでいた。


 「やれやれ……。念話に応じないからどうしたのかと思えば……、遊び疲れて眠ってしまっていたとは……」


 その寝顔に苦笑を洩らしながら小町は自らの羽織を脱ぎ小町の背へそれをそっと被せる。
 その衝撃で僅かにもぞもぞと動く映姫だがすぐにまた眠りに戻ってしまった。


 「さとり様がとっとと連れ帰れと言う訳だ。……何十日ぶりの休みだからって無理しちゃって……。昨晩だって夜遅くまで事務官の書類整理に付き合っていたじゃないですか……」


 小町は慈しむように眼を細め机に顎を着き寝顔を眺める。その玉の様な肌に僅かな荒れが散見される事に気付いた。
 あどけなさの残る可愛らしい顔立ちとは対照的なそれは、その重々しく重大な肩書きを背負う少女のアンバランスさを象徴しているかの様であった。


 「ん……、ふぅにゅ? こ……、まち? れ、……さとりは?」
 「映姫様、おはようございます。此処は是非曲直庁ですよ。さとり様のお願いで連れ帰らせてもらいました」
 「そ……、だったんだ。……ん、んぅー……」


 若干ろれつの回らない口で大きく欠伸をすると同時に体を伸ばす。
 同時に滑り落ちそうになる羽織の存在に気付いた映姫は慌ててそれを受け止め、無意識の内に口元に柔らかな布地を寄せていた。
 漂って来るのは仄かな線香の香りと染みついてしまった小銭の鉄臭さ。
 胸から込上げるような安心感にほっと溜息を着くと映姫はそれを小町へと手渡した。


 「ありがとうございます。小町」
 「いえ、御気になさらず。……映姫様、どうですか。久々の休暇は楽しめましたか?」
 「ええ、……おかげで十分にリフレッシュできたと思います。これで明日からの勤務にも全力を注げるでしょう」
 「そうです……、ね」


 本当に晴れ晴れとした顔でそう言う映姫の様子を、小町はどうしても素直に受け取る事は出来なかった。
 それは目前の少女が常に己の能力の限界以上まで仕事をする癖を知っているからであるし、何よりも、「もっとも……」と言葉を続ける映姫の顔には曇りが混じり始めている事に気が付いていたからだ。
 何を言おうとしているのかは小町も十分に把握している。だからこそ小町は悲しみにも似た感情を抱いていた。


 「……あの ”計画書” の件さえ無ければもっと肩が軽かったでしょうけど、ね」
 「あたいの様な下っ端には、お偉方の情報は殆ど回ってきません。お力になれず……」
 「いいの。小町が謝る事じゃない。ただ少し、この組織はもう老朽化しているのかもしれない。情報の滞りは組織の壊死を招く。是非曲直庁の崩壊は世界の正義の崩壊。それだけは絶対に避けないといけない……。何としても、 ”十王制の腐敗” に気付かせないといけない」
 「映姫様、是非曲直庁内で滅多な事を言わないで下さい。さとり様にもご自分で仰った事では無いですか」
 「それもそうね……、ごめんなさい。以後気を付けます。さて、帰りましょうか。小町も遅くまで着き合わせて御免なさい」
 「良いんですよ。あたいも地霊殿の子達に会うのが最近の楽しみですし。お送りしましょうか? あたいならひとっ飛びですよ」
 「能力に頼り過ぎるのは良くありません。何事も当たり前の事を当たり前に甘受せねばならないのです」


 そして、部屋を出ようとした時に背後に突如として現れた気配は、際限なく不気味でありながら自らも良く知っている種の物であった。


 「じゃ、私が探って来てあげようか?」
 「こいし? あなた今日は仕事で大陸じゃ無かったの?」
 「もう終わったから帰って来たのよ。ほら、私って優秀だし」


 一つしか無い筈の出入り口の前に立っている映姫の背後。
 部屋の真ん中に佇んでいるのは神出鬼没の少女、古明地こいしが居た。


 「それで……、探る、とはどういう事ですか?」
 「さっきの計画書の件よ。気になるんでしょ? 聞けばお姉ちゃんにも関係あるみたいだし、暇な時に手を入れてみても良いよ」
 「いいえ。その必要はありません……、部外者の貴女を危険に晒せない。この支部ですら機密書庫は厳重な警戒態勢が敷かれているのだから」
 「やだなぁ。私は地獄のラブリービジター事、古明地こいしちゃんだよ? その手の事を知ってそうなオヂサマの一人二人位簡単に――」
 「ふしだらな事は許しませんよ。例えそれが友人であっても、です」
 「今さら一人二人増えても、別に何も変わりはしないのにねぇ」
 「……貴女には少し説教が必要なようですね」


 漫画かおとぎ話の少女の様にわざとらしく恐がったこいしは、その姿をブレさせたかと思うと忽然とその姿を眩ませる。
 その意図すら掴みかねる映姫は、小町と顔を見合わせて溜め息を吐いた。


 「まぁ、こいし様は大丈夫でしょう。あの子を捕えられるのは最早、十王の中でも閻魔王様位の物でしょうし……」
 「女の子なのだから、もう少し慎みを持っても良いと思うんですけれどね、私は。まぁ、その辺も含めてこいしなんでしょうけれど」


 静かな廊下に響く足音は気のせいか一人分余計に反響が聞こえて来るような錯覚を覚える。
 小さな少女の笑い声が耳元で囁かれた。




 『うふふ。閻魔様。貴女は深く物を考え過ぎる。それはこの ”組織” では良くない事よ』






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 ごうごう、ごうごうと不気味な、それでいて心を落ち着かせる音が響く洞窟。
 地響きの様なそれは、膨大な質量を持った物体が緩やかに移動する際発生する振動音。
 そのマグマに程近い洞窟の穴に、蝋燭の灯りだけを頼りにした工房は作られていた。


 「みとりー。これ、何?」
 「燐、勝手に触っちゃ駄目だって」


 壁の棚に置かれているのは幾重にも歯車が噛み合わさった精巧なカラクリ達。
 百足の様な側鎖の着いた不思議な鉄の筒に、一定の間隔で針が動く謎の円盤。
 その何れもが、好奇心旺盛な獣たちの興味を引くには十分過ぎる程魅力的な代物だった。


 「あんたら何しに来たの? 邪魔しに来たなら帰ってよ」
 「いやいや、用事はあるんだけど。何かみとりの工房に来ると面白くってさー」
 「気持ちは分かるなー。私もなんか胸がはずむ感じがする。特にこの鉄の筒とか何に使うんだろうとか考えると」


 呆れた様な声を返すのは作業台に向かって血走った眼を向ける赤髪の少女、河城みとり。
 静寂と孤独を愛する彼女の工房にはそれら彼女の哲学を全速力で蹂躙して行く妖獣の二人組が居座っていた。


 「それは、新しい武器よ。地上では既にポピュラーになりつつある ”銃” と言う鉄の矢を飛ばす物さ。ただ、それは火薬を使わなくて大丈夫なように――」
 「鉄って……、何?」
 「そこからか……。説明が面倒だからこの本でも読んどいて……」


 空に放り投げられたのは一冊の本。
 遷移元素概論と記された本はみとりの手製らしい。粗末な紙の束で作られ全ての文字が手書きで記されていた。
 ぺらぺらとそれをめくる空は頭の痛さを感じつつも、ところどころに描かれた華麗な図に眼を奪われる。


 「うっわ、あんた良くそんな小難しい本読む気になるね。この前の小町姉さんの講義の時なんて秒殺だったくせに」
 「興味の問題よ。私は霊魂とか妖気とかその辺のちまちました事は苦手なの」
 「それは、ちまちましてないの?」
 「かっこ良いじゃん? 特にこの原子? とか言う奴の並びとか。ぞっとする程整っている感じが美しいとか思わない?」
 「はぁ、あたいにはわかんないね」


 薄暗く陰気な工房には不釣り合いと言える二人がこの場に居るのは極々単純な理由である。
 みとりがこの二人しか工房に入れる事を許していないからだ。


 「ふん。ちょっと参考書見た位の小童が何をしたり顔で語っているのさ。百年早いんだよ」
 「あ、珍しい。今、みとりが笑った」
 「笑ったって言うな。今のは ”嘲笑” って奴だよ」
 「ホントに? 今のもう一回やってみてよ」
 「やだよ、そんなはずい事」


 元より極端に人づきあいが苦手で地下に籠もり始めたみとり。
 その地下ですらこの小さな洞窟に引き籠っていた彼女の心中がどのような物であったのかは想像に難くない。
 それでもその心は人から離れた者に開かれる程度の余裕は残っていた様である。
 邪気が無く実直な燐や空と言った獣たちとの交流で妖獣に限っては工房への侵入を許すまでになったのが何よりの証拠である。


 「うるさいから、そこでちょっと座って黙ってろ! ほら、約束の ”報告書” と ”試作機” はそこだよ」
 「相変わらず連れないなぁ、そんなんじゃ友達増えないよ」
 「別にそんなもん要らん。ほらとっととそれ持って帰れ」


 燃えるような紅の瞳孔を更に真っ赤に染め上げる。乱暴に指さすのは作業机の端に纏めて置かれた不思議な機器類。
 掌に収まる程度の球体はどういう訳か全くもって透明の不可思議な石で覆われている。その内部には無数の歯車やネジが仕込まれていた。


 「でもさとり様に最低限の使い方はレクチャーして貰えって言われているから、そう言う訳にもいかないんだなぁ。これが」
 「仕様書は別に付けただろう? それを良く読め。全部書いてあるから」
 「さとり様曰く『みとりの説明書は分かりづらい』だってさ。因みに私も読んでみた事あるけどさっぱり分からなかった」
 「これだから、一般人は……。仕方ない、これも仕事と割り切ろうか……、貰う物は貰っちゃったし……、あぁ、面倒臭い」


 比較的機敏な動作で作業中のラチェットレンチを工具箱へしまうのは、不平を洩らす口ぶりとは対象的だ。
 手早く作業台を片付けたみとりは作業台の向かいに二人を座らせた。その瞳にはどこか楽しそうな色が浮かんでいた。
 何だかんだと言っても誰にも理解されない研究を続けるみとりにとって、嬉々として話を聞いてくれる存在は貴重なのだ。


 「ま、実の所使い方は非常に単純なんだ。問題はその原理の方さ。一応その仕様書に書いては有る事なんだが……、まぁ、せいぜいその足りないオツムで必死に覚えて帰りな」
 「酷いなぁ。私もお燐も見た目ほど頭悪くないよ」
 「そう思うのなら、私を失望させない様によーく話を聞くんだ。下らない質問をしてくれるなよ」


 そう言ってみとりが二人の前に置いたのは先ほどの透明な石に覆われた不思議な球体。
 良く見ればそれは台座と上部の二つの領域に分かれている。台座の部分は不透明の、不気味な銀の輝きを放つ素材に覆われている。
 台座の下伸びる数本のパイプは、作業台の下の空間へと続く。先が何に繋がっているのかを確認する事は出来ない。


 「百聞は一見に如かず。まずは、これを見て貰おう。ちょっと、そこのスイッチを入れてみな」
 「ん、これ?」


 台座の横側にたったひとつだけ設けられたボタンを押すと俄かに内部の歯車が連動した動きを見せ始める。
 透明の球体の上部に入れられていた、これまた透明の液体――おそらくは水――が、驚くほど透明度の高いパイプの中を通り球体内で移動を始める。
 ぐるりと周回するように球体を廻った水は幾重にも枝分かれする。トラップの着いた射出口らしき部位からその雫をぽたりと垂らした。
 落ちる雫が台座部分からせり出した白色の結晶に触れ合う。
 結晶よりしゅるしゅると言う不思議な音が聞こえてきたかと思うと、かちりという固い音と共にアセチレンの橙色の炎が硝子の球体を満たして行った。


 「裏の山で豊富にとれるカーバイドに水を反応させた。アセチレンガスの炎は拡散性が高く広範囲を照らすのに向く。このカーバイドはほぼ無限と言っても良い量が取れる。実際今燃料に使っている物もこの洞窟の奥で取れた物さ」
 「アセチレン……、ガス? カーバイド?」
 「それは、今大事な所じゃないよ。お燐。注目すべきは水を使う所、だよね?」
 「ほう、鴉の割には頭が回る様だな、その通り。この ”日照機試作型” は燃焼に水が必要だ、そしてそれが最大の ”デメリット” でもある」
 「そっか……、水はそう沢山取れる物じゃない」
 「その通りだ。……ところで、おまいさん達。この地下空間の気温が一体何度あるかご存知かな?」
 「うん? 五十度くらい?」
 「いやいや、お燐。そんな涼しい訳無いよ。七十度は固いと思うね」
 「うん、多分お前らはそう言うと思ったけど、化け物っぷりも大概にしろ。マグマが道の脇で湧きだしている様な人外魔境にそんな常識的な温度が有る訳無いだろう。この地下はな九百度あるんだよ。九百度。これがどの位の高温か分かる?」


 地下三十km、分厚い岩盤に覆われる形で存在するこの地下空間は摂氏千五百度にも達するマントル地帯に半分程うずまる形で存在している。
 その影響でこの地下は四方から膨大な熱が絶えず供給されており、地上では考えられない様な高温を持つに至った。
 だがその高温が影響するのはあくまでも、この地下空間に ”居なかった” 物に対してのみである。


 「暑くて汗かく」
 「長い間外に居ると頭がぼーっとする」
 「悪かった。あんたらに聞いた私が悪かった……、そうだね。あんたらにはこれが当たり前だものね……。ちょっと……、外に着いて来て。面白い物を見せてあげる」


 平然とした顔をしてそう答える二人を呆れ顔で見渡すと、みとりは手近な藁半紙を手に工房の扉に手を掛けた。
 長い階段を昇り、居住空間を抜け更に長い廊下を抜け、外へと至る鉄製の門扉へ辿りつく。


 「さぁ、良く見ておくんだ。この何の加工も施されていない ”紙” が一体どうなるのか。そして、感じるんだ君たちがどれだけ恵まれた肉体を持っているかを」


 片手を鉄の扉へ押し当てるとぐっと力を籠め、ゆっくりとその扉を開く。
 真っ暗な廊下に薄暗く橙の灯りが照らす外の光景が扉の隙間から漏れ出した。
 同時、もう片方の手に持った薄汚い藁半紙を外へと向けて突きだす。


 俄かに経ちこめる焦げ臭い香り。
 ぶすぶすと上がる白い煙。
 じわじわと広がる黒い染み跡。


 やがて限界に達したそれは、ぼうと大きな赤い炎を発して激しく燃え盛り始める。
 発火現象を確認するとみとりは炎を上げる紙を地面に放り捨て二人に振り返った。


 「うそ……、何もしてないのに」
 「マグマに近づけた訳でもないのに……」
 「元より此処で生まれたお前たちは気付かないかもしれないがな。ここの環境は普通の生命体なら即座に燃え尽きて然るべき物なんだよ。当然水だって例外じゃない。流れ込む地下水脈も。噴き出す間欠泉も。ありとあらゆるものがここの大気に触れた瞬間に高温の蒸気と化す。――故にここには水が無い」


 燐と空は顔を見合わせ互いの肌をぺたぺたと触り合い、次にみとりの体に触れる。
 普段は当然だと思っていたそれらは、改めて見ると根本の部分で明確に隔てられた物を感じる事ができた。


 「みとり。 ”それ” は一体何?」
 「簡易的な結界さ。この熱から身を守るために展開する障壁でこの地下に住む者なら誰もが常時使っている物。当然あんた達の様な何で出来てるのかすら謎な生き物は別だけどね。……話が少しそれたね。水の供給についての話だった筈だ。ま、立ち話も何だし部屋に戻ろうか」


 ばたりと扉を閉める。外から流れ込む熱量を伴った重苦しい空気が若干和らぐ。
 意識して見ればその奥へと続く道は歩を進める度に肌に心地の良い快適な温度を運んで来てくれていた。


 「さて、水の供給についてだが、僅かとは言え水は取れる。それは、あんた達も知っているね」
 「うん、お風呂入ったりとか、歯磨いたりとか生活用水はさとり様から頂いているよ」
 「貴重な水をそんな事に……、あの親馬鹿はどこまで……。まぁ、良いか、私には関係ない。実際問題としてこの部屋の中では水は液体として存在できる。そうでなければ、この日照機は存在し得ないのだから」
 「でも、それはこの洞窟が閉鎖空間だからだよね? でも、この日照機は外で使う物。調達もだしその辺はどうするの?」
 「今は岩盤中に染み込んだ水分を室内で抽出する以外には無いだろうね、。だが、もしも、 ”大気中の水を収集できるようになれば” 話は別だ。この地下空間の生活環境は飛躍的に向上するだろう」


 空はこのみとりが水について言及する度に並々ならぬ程の強い感情が籠められている事に気が付いていた。
 河童とは本来清浄な川辺で流れを枕として静かに生息する穏やかな妖怪。
 硫化水素と噴煙が立ち込める地下環境と極めて清浄な本来のそれの間にはいかんともし難い程の隔絶がある。
 普段口にはしなくとも彼女なりにその環境への未練に近い思いがあるのは明白だろう。
 そこまで思い当たりはしたものの、空がその考えを口にする事は無い。
 燃えるような赤い瞳がそれを軽々しく触れるべきではない事だと警告を発していたからだ。


 「さて、この試作型はまだ ”光る” 機能しか持っていない。これをこの地下空間の ”太陽” として運用するにはまだ足りない機能が二つ有る。すなはち、浮遊する機能、そしてより強い光量、だ」
 「確かにその通りですね……、例え規模を大きくしたとしてもこれだけでは地下全体を照らすには余りにも頼りない」
 「まだまだ、完成までは遠い。今回は『とりあえず発光機能だけを先行して取りつけた』と、さとりに伝えておいてくれないか」
 「わかりました。その様に」


 「それじゃ、よろしくね」と、空に手渡された硝子球体と仕様書の束は見た目以上にずっしりとした重量を腕に伝える。
 間違っても落として割らないよう。しっかりと胸にそれを抱え込むと空と燐は一礼をしてみとりの工房を後にした。










 地霊殿の執務室。
 さとりと空以外に誰もおらず静まり返った部屋で古ぼけた椅子に深く腰掛けるさとりは、先ほど二人が運んできた試作機を眺めながら小さな溜息を吐いた。


 「この灯りで地下全体を果たして照らせるのでしょうか?」
 「とりあえず現状ですぐ実装できる物から実装するそうで。発光機構は換装可能にするらしいです」
 「成程……、まだまだ改善すべき所は多い、と言う訳ね。あの資料の解読が進めばもっと楽になるんでしょうけど」
 「無い物をねだっても仕方ないですよ。さとり様」


 空の言う様にあの日空と燐が書庫で見つけた資料の解読は遅々として進んでいない。
 正確には一部を判読する事には成功した。だが、外の世界の知識を多量に使って書かれているその文章は地霊殿の者達は勿論、みとりですら理解に苦しむ内容であった。
 その中でもほんの僅かに読みとれたワードから復元する事に成功したのが今目前で光を放つ日照機試作型なのである。


 「それもそうね……、あんな不確かな情報だけに何時までも頼っていられない。次よ。私は次の段階も見据えていないといけない。灯りはみとりがどうにかしてくれる。だから私はこの次を。まずはこの地下の温度をどうにかしなければいけない。空、協力してくれるわね」
 「当然です、さとり様。私は貴女だけの物です、何が有ろうとも貴女の傍に居ます」
 「良い子ねこっちへおいで……」


 さとりの椅子の傍へ歩み寄るとほんの少し頭を下げすっと眼を瞑る。
 間もなくしてその頭に柔らかく小さな手が押し当てられた。
 黒くパサついたダメージヘアーを一本一本解す様に書きわける指先の動きに空は唯々、その口元を緩めるだけであった。


 口元に浮かんだ笑みは、計画が開始して以来多忙で触れ合う事が出来なかった時間を埋める為の物。
 この先に待っている業務の山をこの瞬間だけは忘れ、二人はその時間を噛み締める様に微笑みあった。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 是非曲直庁支部。
 彼女が歩くのは手入れの行き届いた板張りの廊下。背筋を伸ばして歩く映姫の背後に一人の影が接近していた。


 「四季映姫」


 背面から掛けられたのは低く野太い声。
 振り返った先に居るのは、映姫よりも更に仰々しい中華風の服を纏った二メートルを優に超える大男であった。


 「何でしょうか……、 ”秦広王様” 」
 「特にどうと言う事は無い唯の報告だ。報告書に眼を通させて貰った。……非常に良い出来だったぞ」
 「恐れ入ります。ですが、私は私の職務を全うしただけですので……、それでは」


 秦広王、是非曲直庁で最大の権力を持ち最高裁判官を務める十王の一人であると同時に四季映姫の直属の上司。
 極東支部を担当――四季映姫は特に幻想郷を担当している――とし、最終的な決定を下す権利と役割を持つ。


 「毎度の事だか君は実に有能だ。簡潔かつ的確に纏まっており一目で地霊殿に妖しい動きが無い事が分かる。本当に美しい。一切の無駄も無く地霊殿が仕事をしている様に ”見える” 」
 「……私は一切の嘘をそこに記してはおりません。浄玻璃の鏡に誓って」
 「そう構えるな。お前を疑っている訳ではない、ただこの先の事に忠告をしておこうと思ってな」


 廊下に揺らめく燭台の灯りが映姫に影を落とす。
 見下ろす形で映姫に向けるその視線は、心なしかいつもよりも幾分重く、それは映姫を遥かに上回る威圧感と相まって実際上にその姿を大きく見せた。


 「あの地下世界に情を移し過ぎるな。四季映姫。あの地は何れ私達の物になる筈の土地だ。私達はただビジネスライクに。決められた援助だけを決められた通りに行えば良い」


 「余計な事をするな」秦広王はそう映姫に釘を刺す。
 その言葉の意味を知る映姫は返す言葉も無くただ頷く以外に出来る事は無かった。


 「お前は優秀な閻魔だ。私はお前に期待している。どうか、失望させないでくれ」
 「私はまだまだ未熟者。身に余るお言葉です」


 その秦広王の視線に苦々しげなものが混じる事に映姫は気が付いていた。
 十王は確かに是非曲直庁で最高の権限を持つが、その中でも頂点にあるのが先ほど名が挙げられた閻魔王である。
 閻魔王は十王中最大の権力を持ち事実上の是非曲直庁の長であり、大陸全土を一手に引き受ける閻魔でもある。
 是非曲直庁全体に関わる決定は十王の合議制を取るが、彼の承認が無ければ最終決定は為されない。
 日の下の国と言う島国に飛ばされた彼はその中でも端役と言える立ち位置にある事がうかがい知れる。


 故に彼が地蔵と言う身分から一区画とは言え閻魔として裁判官を務めるに至った映姫に辛く当たる事が多いのは嫉妬にも似た感情である。
 それに対して映姫は一切の不平を漏らす事は無かった。


 「次の報告も期待している。アーカーシャの導きに従い完全な仕事の完遂を。それが私達の務めだ」
 「分かっております。では……」




 映姫は振り返らずに廊下を歩く。
 どのくらい歩いただろうか。極力何も考えない様に歩いていた映姫はいつの間にか自らの執務室の中に居た。
 その壁にさも当然の様に立っているのは見慣れた死神の姿。


 「四季様、少し休まれては如何ですか?」
 「いいえ、駄目です。秦広王様から直々の指令です」
 「そうやって根を詰め過ぎた結果潰れてしまった新人閻魔は一杯いるんですよ。お休み下さい。用聞き位はやっておきますから」


 有無を言わせぬままに部屋隅の仮眠用ベッドに映姫を寝かしつける。
 小町はその隣に腰掛けまるで子供にするように子守唄を唄ってやった。


 「辞めて下さい。子供じゃないんです」
 「休むべき時に休まないのは子供と変わんないですから違わないっすよ。諦めて下さい」


 不平を言う映姫に耳も貸さず小町は子守唄を続ける。
 それはストレスフルな閻魔を労う為。小町の精一杯の優しさだった。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 「さとり様、こっちです。こっち」
 「ちょっと待って。お燐。徒歩での移動は得意じゃないのよ……」
 「飛べば良いじゃないですか」
 「長い間飛んでないから、そっちの方が返って疲れるのよ」


 前で手招きをする空と燐。その背中を伏し目がちの瞳で睨むのは見慣れない計器を持ったさとりである。
 此処は地霊殿とも廃墟群とも遠く離れたみとりの住居から少し離れた場所。『大焼処区』。
 全く整地されておらず怨霊ばかりが跋扈するこの土地を軽快に跳ねまわる二人とは対照的。気だるげな様子でさとりは歩を進めていた。


 「だったら、ご自分で出て来なくても。あたいらに任せて貰えれば」
 「見慣れた物の中にこそ見落としが発生する物よ。今回みたいな調査なら私みたいな余所者が出向くのが一番ってね。……よいしょっと」


 自らの身長ほどもある岩に手を掛けると機敏とは行かないが、大して苦労した様子も見せずに体を持ち上げ岩場の向こう側に体を降ろす。
 その少女の見た目に似つかわしく無い動きは妖怪ならではの物であった。


 「欲を言うなら、みとりさんが着いて来てくれたら一番良いんですけどね」
 「あたいもお願いはしたんですけどね。いやー。見事に断られちゃいました。どうあってもさとり様には会いたくないそうですよ」
 「随分嫌われた物ね……、まぁ、慣れてるから良いけど……」
 「さとり様、そう思うなら初対面の相手のトラウマ抉る遊びは辞めた方が良いと思います」
 「あれは、あれで私と長期スパンで付き合っていける相手かどうかを見極める良い判断材料なんですけれどね。まぁ、考慮はしておきましょう」


 こんな辺境の地にさとりが出向いたのは言葉の通り調査の為である。
 地霊殿の妖獣達。そして廃墟群に住む住人たちから寄せられるその証言は俄かには信じがたい物であった。
 半信半疑ながらこの場に足を運んださとりはそれを見て半ば確信に近い物を得る。
 身構える様に腰を落としたさとりは普段からは考えられぬ程鋭い瞳を、前を行く二人へ飛ばした。


 「それに、怨霊への対処は私の本来の主業務。貴女達だけに任せるのは忍びないわ。お燐、お空。ちょっと、 ”動かないで” ね」
 「どうしたんで……、?!」


 さとりの背後に居たのは通常では考えられぬほどに肥大化したしゃれこうべ。
 それは一体だけでは無い。横にも、上空にも、自分達の前にも、怒りをも超えたドス黒い感情を伴って周囲を取り囲む。
 その中でも特に巨大な一体が鋭い牙を向けさとりへと襲いかかった。


 「此処に立っているだけでびりびり伝わってくる。怖ろしいわ……、その辺の妖怪たちなんかよりもよっぽど強力な力。でも――」


 さとりの胸に着く第三の瞳がかっと見開かれる。開いた瞼から妖しげな色の光が四方へと放出された。
 それらは、的確に周囲全ての怨霊に突き刺さる。呪縛するかのようにその光は怨霊の動きを急速に鈍らせていった。


 「大人しくして。抵抗は無価値だと知りなさい。お燐、お空、その光にさわっちゃ駄目よ」


 怨霊の体をスキャンするようにぐるぐると回転する光の筋は、一通り回転を終えるとその情報をさとりへと流し込んだ。


 「驚きね……、此処まで壊れてしまった魂を見たのは初めて……。最早個と言う概念すら揺らぎつつある。自己中心的な欲だけで体を保つお前達がそれすらも失って輪廻に留まれるとでも思っているの?」


 ぐるりと、髑髏のなかの空っぽの瞳が一回転する。
 性質を持たない黒い感情の渦は最早一つのエネルギー体となんら相違は無い。自らの魂がちぎれる事も厭わずにさとりの呪縛を振り払い踊りかかって来た。


 「そんなでは、何れにしても消滅は免れない。どうせ惨めに消えゆくのなら、せめて安らかに……、消えなさい」


 動じないさとりにも一切躊躇わず、その髑髏は顎を大きく開き喉笛を掻き切らんと喉元へ迫る。
 その犬歯が皮膚を突き破るコンマ一秒前。
 胸の瞳が発する一際大きな視線が怨霊を射抜いたかと思うと、たちまちのうちにその存在を雲散霧消させた。


 「あぁ、また映姫に怒られるわ。困った物ね……」
 「さとり様! お怪我は?」
 「大丈夫よ。この程度なら喉笛を掻き切られても問題は無い」
 「そう言う問題ではありません……、が、お怪我がなくて良かったです」
 「あんまり無茶をしないで下さい。お空の心臓が持ちませんよ」
 「お空が心配性過ぎるのよ」
 「さとり様が無頓着なんです。それはそうと……、こいつらは結局何なんですか?」


 三人の周囲には依然としてさとりにより動きを止められた怨霊達が漂っている。
 怨霊自体はこの地獄の何処にでも居る。しかしこのような肥大化を遂げた個体は異常であると言って間違いは無いだろう。


 「原因はおそらく、 ”これ” よ。お空は分かるわよね、お燐はどうかしら?」
 「流れ……、ですか? どこか少し離れた所から……」
 「良くできました。その通り。これは霊脈よ」


 その膨大なエネルギー体の流れは少し離れた地面から続いていた。
 そこは大地の裂け目。この地下空間では珍しくマントルが冷え固まり生じた体積の変化に寄って出来た深い縦穴であった。


 「驚いたわ……、地下にこんな霊脈が存在していただなんて……」
 「最近湧きだした物でしょうか? 私の記憶ではこんな所に霊脈なんて無かった筈なんですが……。こんな大規模な物、見逃すはずが無いのに……」
 「恐らくは数日前に地表近くで起こった地震の影響でしょうね。何箇所かで崩落が発生したと言う話は聞いているわ」


 地下空間とは言え、地殻変動の影響を免れる事は出来ない。むしろ活発に対流をするマントルに程近い影響で小さな揺れの発生は珍しく無い事態である。
 目前にある者もその一つなのだろう、さとりの言葉の通り、縦穴の断面は真新しく岩の角に風化した物独特の丸みが見られない。
 だが、その穴は曲がりくねりながら奥深くまで繋がっており、どうもマントル層へ続いている訳では無いらしい事はその場からでも読みとる事が出来た。


 「でも困ったわね。こんな肥大化した怨霊達。離せば必ずまた騒ぎになる。私が何時までも此処で押さえる訳にも行かないし、隔離できる場所はないかしら……」
 「さっきみたいに全部消せば良いんじゃないですか?」
 「それは駄目よ、お燐。映姫はこういう事に口うるさいの。流石に五体消したら言い訳が思いつかないわ」


 怨霊とは言え輪廻を廻る魂の一つである事に変わりは無い。
 正しく地獄へ堕ち罪を償う事も出来ずただ生前の不徳を嘆き恨み漂い続けるだけの彼らも、何時かは輪廻の輪に戻らなければならないのだ。
 そして、その輪廻の魂の数を管理しているのは是非曲直庁である。この地下空間に限定すればさとりの率いる地霊殿となる。
 その荒々しい気性故、事故やトラブルで魂が消滅する事は稀にある事ではある。
 だが、一度の例外も無くその度に詳細な報告を求める映姫の事を考えるとさとりは頭の痛みを感じざるにはいられなかった。


 「うーん……、ただの怨霊に戻ってくれれば良いんですよね……?」
 「まぁ、その通りなのだけど。お空には何か案があるの?」
 「やってみなきゃ分かんないですけどね、では少し失礼して……」


 つかつかと、動きを止めた怨霊の一体に歩みよる空。
 ひょいとその怨霊をつまみ上げた空は何をするのかと思えば大口を開けてそれを口の中に放り込んでしまった。


 「ちょっ――、お空! 何してるの、お腹を壊したらどうするつもり?!」
 「んー。その時はその時で。でもあんまり美味しくは無いかな……、ちょっと苦いかも」


 ほんの僅かにぽっこりと膨れたお腹をさすりつつお空は満足げな顔をしている。
 だが魂その物を胃袋等で消化する事が出来る筈も無く、空の小さな腹はぽこりぽこりと微妙に蠢いていた。
 お燐はそれをしげしげと眺めつつ、腹が動くたび指先でそれをつつきながら眼を丸くしていた。


 「お空ったら、何か妊娠したみたいに見えるよ」
 「私達は卵生だからお腹に子供は入れないよ。あんたの方が似合うんじゃない? 一匹いかが?」
 「そうだね……、面白そうだし試してみようかな……」
 「こらっ、お燐まで何を馬鹿な事をしているの。辞めなさい!」


 さとりが静止する事も聞かず、傍の怨霊を捕まえ同じように腹に収める燐。
 やはり結果は同じで、ぴくりぴくりと動く微妙に膨れた腹が二つに増えただけであった。


 「にっがぁー。よくこんなの平気な顔してられるね」
 「ふふん。私は大人だからね」
 「まぁ、少なくとも私よりも体が育っているのは認めるけど……」
 「あ……ちょっと待って。もうそろそろ良さそう」


 ぽんぽんと、何かを確かめる様に自らの腹を叩きその感触を確かめる空。
 その様子をさとりは唖然とした表情で見つめていた。
 すーはーと数度深呼吸をしたかと思うと、大きく口を開き胸に手を当ててゆっくりと息を吐く。
 その口から空気と共に吐き出されたのは通常のサイズと変わらない怨霊の姿であった。


 「ふぅ……、御馳走様でした、かな?」
 「お空……、そう言う事するなら最初に言いなさい。びっくりするじゃないの……」
 「御免なさい。さとり様。いつも、さとり様が私達の事を考えて下さるので、ついついそれに甘えてしまっていて」
 「まぁ、良いわ。……それで、体の調子はどうかしら?」
 「良い感じですね。魂を介する分、霊力そのままよりも格段に吸収し易いです。これ、正直凄いと思いますよ」


 空と燐が行ったのは、肥大化した怨霊のエネルギー吸収。
 魂と癒着した霊力の塊を、己の体内に取り込むことで自らに移しとったのだ。
 満足げな顔をする空の傍らで、空がしたのと同様に燐も口から吸収した後の怨霊を取りだした。


 「どうです、さとり様も一つ?」
 「……遠慮しとくわ。食あたりしそうだし」


 がたがたと動くしゃれこうべを丸のみにしていくその姿は、獣が食事をする時のそれと近似する。
 己の能力故自らの肉体に内包する妖力量が大きな価値を持たないさとりにとって、それは魅力的な物には見えなかった。
 だがさとりはその様子を見てある一つの事実に気がつく。


 「ねぇ、お空……、貴女……、そんなに翼が大きかったかしら?」
 「え……?」


 腕を上げ首を精いっぱいに回して背を見ようとする空。
 気のせいか僅かながら艶が増している。肩甲骨から肩を少し出る程度だった風切り羽が今では肘との中間点ほどまで伸びている。
 その事を燐が伝えると不思議そうな眼で自らの羽を羽ばたかせ、その感触の違いを確かめていた。


 (この短期間で妖獣の形態を変化させるほどの膨大で純粋なエネルギー。これは、唯事ではない……)


 それは、驚くべき事態だった。妖獣は通常長い年月を掛けて自らの気を高める事でその姿を変える。
 猫又ですら通常は百年単位の時を生きる事からも、その姿を変容させるのに掛かる年月が途方もなく長い物であるのは言うまでも無いだろう。


 故に、この霊脈の存在は大きな発見である。
 魂を介する事で妖獣の姿を変性させるのならば、 ”他の物を介した時” にどんな働きを見せるのだろうか?




 「――おや、誰かと思えば地霊殿の主とペット達じゃないか。こんな地獄の果てに何の用かな」




 その声は、思索に耽るさとりの背後から気配を全く感じさせずに忽然と現れた。


 「萃香さん……、お久しぶりですね。宴会の時以来でしょうか」
 「 ”私” は、そうでも無いんだけど、 ”あんた” はそうかもしれないね」


 ぐいと、腰に下げた瓢箪を傾けて喉を鳴らす。
 離れていても感じる程の強いアルコールの香りが辺りに充満した。


 「この場所は私の最近のお気に入りなんだ。こんなにも強い霊脈に出会った事は、外に居た頃でもそうそう無い」
 「萃香さんも、お気づきだったのですか。実は私達もこれを調査しに来たのですよ」
 「霊脈をかい? こんなもん仙道の道楽か、昼寝場所位にしか使い道が無いと思うけど」
 「それが、そうでも無いようなのですよ、」


 普段は飄々として掴みどころのない萃香であるが、その日は珍しく真剣な表情で怨霊の肥大化の話に最後まで耳を傾けていた。
 最後までその話を聞き終わった萃香は、眉根を寄せ難しい表情をして腕を組み黙り込んでしまった。


 「ねぇ、さとり。お前にはその霊脈が何に見える? この霊脈はこの地下世界にとってどんな意味を持っていると思う?」
 「萃香さん、それは一体どういう事ですか?」


 首を傾げる空と燐を置いて、さとりは慎重に言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。


 「革新的な物、そう私は考える。適切に使う事ができればこの地下空間を大きく変える決定打になるでしょう」
 「そうか……」


 その答えを聞いた萃香の顔はどこか郷愁を感じさせる儚げなもの。
 鬼らしくも無いそれに、さとりは内心驚きを禁じ得なかった。


 「じゃぁ、次の質問だ。お前はそれを何の為に使いたい?」
 「決まっている。私のペット達の為。ひいては廃墟群に住む住人達の為」


 それは即答であった。
 寸瞬の暇も無く返されたその返事に一瞬の迷いも無い。
 それは、心を読む力を持たない鬼であっても、嘘が無い事が瞭然であると判断する事ができた。




 言い淀んでいる訳ではない。深い思索に耽っている訳では無い。
 ただ、何も考えず純粋な感情の整理をするかのように沈黙を保った萃香はやがて静かにその口を開いた。


 「すまない、さとり。年を取るとなどうにも頑固になってしまう。理屈だけじゃ納得できなってしまう。それは例え矛盾であると自分で分かっていたとしても、だ」
 「その感情はとても良く理解できます。でも別にそれは特別な事では無い。誰にでもある事。萃香さんが気にする事ではないと思いますよ」
 「そう言って貰えると助かるよ。――正直に言おう、私はお前の考えには素直に ”賛同できない” 」


 事前にその心を読んでいたさとりは、大して驚いた様子も見せず、表面上は平然とその言葉を受け止める。
 しかし、妖獣の二人はそうでは無かった。
 鬼が己の言葉を違える。それは、一度はさとりへの協力を申し出た鬼がそれと相反する言葉を述べると言う異常事態。
 燐と空はそっと腰を落とし、全身の感覚を研ぎ澄ませて警戒態勢に入った。


 「お燐、お空」


 小さな声で呼びかけ手で制するさとり。
 そんな様子に眼もくれない萃香は、これでまでに見た事も無い程悲しい瞳を持って顔を上げた。


 「聞き流してくれても良いから、頭の片隅に留めておいてほしい。私の経験上、革新的な力は発展をもたらすが、その後に必ず災いを呼び寄せる。その発展が大きければ大きい程に、その災いもより大きく忌々しい物になるんだ。今のあんたからは、昔そうやって破滅していった人間達から感じた物と同種の臭いを感じる。……ただそれだけだ。特に根拠は無い。私の感覚の話だ」
 「興味深いお話ありがとうございます。ですが……、私も此処で立ち止まる訳には行きません」
 「そうか……、残念だが仕方ない。お前さんにとっては何も間違いではないのだから」


 くるりと振り返った彼女は岩場の先にある瓦礫の山に向かってゆっくりと歩を進める。
 振り返る事が終ぞ無かった。その表情はさとりをしても伺う事は出来なかった。


 「萃香さん何処へ行くのですか?」
 「ちょっと散歩に行くだけさ。足の向くまま、気の向くまま、ね」


 ふらふらと歩く彼女の背は不気味な程儚げに見えた。
 彼女の行く末を暗示するかのようなその様子。思わず呼び止めようとするさとりを空は無言で制する。
 揺らめく陽炎の向こうに見える白い影は一際大きく揺らめくと大気の断層に飲まれて消えていった。







△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 洞窟の奥底から夜な夜な響くその低く連続した地鳴りの様なトルク音。
 これまで耳にした如何なる音とも異なる。一種人工的な物を感じさせるその音を聞いた者は各々の勝手な推測を並べ立てる。
 ある者は太古の昔地下に封じられた禍津神が眼を覚ます前兆であると言う。ある者は暇を持て余した鬼が考えだした新たな遊びの音であると言う。
 憶測が憶測を呼び廃墟群の住人達の中に不安の声が広がる。その事を小耳に挟んださとりは燐を伴って廃墟群へと足を運んでいた。




 「禍津神とは……、また大きく出たものね」
 「まったく……、人間も妖怪も。嫌われ者も人気者も。根っこにあるのは同じなのかね」


 廃墟群の中にあって、珍しく小奇麗に整備された小屋に胡坐を掻くのは二人の妖怪。
 その内の茶色いシャツにふくらみ気味のスカートを来た妖怪が見事な手さばきで編み物をしながら向かいに座る細身の女性を見据える。


 「その噂の出所ってどうせ、町はずれの ”あの” 洞窟でしょ?」
 「その通りだけど……、何か知っているのかい。パルスィ?」


 パルスィと呼ばれた少女はその切れ長の目を不機嫌な色に染め上げながら控えめに頷いた。


 「勇儀から話を聞いた事が有る。あの洞窟には地上から来た引き籠りの河童が居るって」
 「へぇ、この地下に河童かい。河童の生息域とは何もかもが真反対だろうに、変な奴も居たもんだ」
 「元々人付き合いは苦手な奴らだしね……。まぁ、ヤマメ以外の大抵に言えることだけれど」
 「事情はともあれ私だって地上の厄介者さ。あんた達と何も変わる所は無いよ」


 ヤマメと呼ばれた少女はスカートの端から節くれだった真っ黒く細長い脚を覗かせる。
 新たに現れた左右二対の脚は、明らかに人間とも獣とも異なり、むしろ蟲の特徴に近い物を有する。
 おどけた様に笑いながらそれを見せるヤマメは、そのまま台所に立つと、吊り下げてあった何物かの乾物を手に取り口に端を加えながら再び元の席に戻った。
 二人の名は水橋パルスィと黒谷ヤマメ。
 眉目秀麗な装いとは裏腹に彼女らもまた地下に潜む忌み嫌われた妖怪達の一人なのである。


 「河童が妙な発明をするのなんて、世の中の自然法則みたいな物さ。みんな考え過ぎなんだよ」
 「知っている人からみたらそう思えるのでしょうけどね。……それで、どうするの?」
 「どうするって、何をさ?」
 「みとりとここの奴ら、それから ”地霊殿の奴ら” について、よ」


 暗く塞ぎ込む者の多い廃墟の住民たちの中にあって、彼女らは寧ろ得意な存在と言って良い。
 負の気を己の糧とする鬼神と、地下の瘴気をこそ己の力として蓄える土蜘蛛。
 ヤマメの方にこそ他の者とはほんの僅かに異なる事情が有るものの、概ねこの環境に適応する事ができた数少ない妖怪達である。


 「どうにかする必要なんてあるのかい? 放っておいた所で、何時も通り何が起こる訳でも無い。そんな気力が皆の何処かに残っているとでも?」
 「 ”私が” 、困るのよ。負の感情の制御を誰が何時もやってあげていると思うの? 感情が制御域を超えれば生命力を削ってでも行動は起こる。正直面倒なのよ、あんたも偶には手伝いなさい」
 「うへー。めんど――、分かったから、分かったから無言で研がないで」
 「分かれば良いのよ」


 何処にそんな物をしまうスペースが有ったのか。懐から取り出した小柄と携帯用の砥石を元へと戻す。
 すっと刃物の様な瞳で射抜かれたヤマメはおどけたような顔を辞め、真剣な顔つきでパルスィへと向き直る


 「でも何で地霊殿の奴らだって分かるのさ、何か証拠でもあるの?」
 「その噂が立ち始めたの、この間地霊殿の妖獣達があの洞窟を訪れてからよ。加えて、地霊殿の奴らが盛んに廃墟群とその周囲に配下の妖獣を派遣しているとも聞いている。河童は昔から技術革新の周辺に存在していた。何か始めるつもりよ、きっと」
 「そんなもんかね……、でも私はそのどっちにも顔を出せないよ。私がみとりと出会ったら ”殺されかねない” し、地霊殿の連中はあまりにも信用ならん。その辺の奴らに声を掛けて回る位はやれるがそれ以外は御免こうむるね」


 ヤマメは毒素と汚染そして腐敗の象徴。
 この地下空間を冠するかのような彼女の特徴は当然のみとりのそれとは真っ向から対立する。
 元より攻撃的なみとりの性格もあって二人の相性は最悪と言っても足りない程の凄惨な物であった。


 苦い顔、後に混じる寂しげな表情。
 その言葉に込められた物にパルスィは内心、同調にも似た感情を抱いていた。


 「あら、みとりについては兎も角。さとり妖怪も随分嫌うのね。私はあの陰気で歪んだ気配、嫌いじゃないけど」
 「嫌いなんだよ。ああいうタイプの支配者気取りが。皆の事を考えるだとか、平和の為だとか綺麗事を抜かして少数を切り捨てる。私が見てきたのと似たような空気をあいつは持っている。だから、嫌いなんだよ」
 「……なーんか、訳ありな感じはするけど。あえて聞きはしないわよ。でも、あんた多分運は良いんじゃない? 少なくとも、その疑念に関しては実際に晴らす機会に恵まれたみたいよ」
 「いやはや、これは驚いた。耳聡い事で。ご本人の登場みたいだ」


 表から聞こえるのは小さな足音と、音の殺された身の軽い足音。
 それは馴染みが無いにも関わらず覚えのある気配。
 全て話を聞いていたとしか思えない完璧なタイミングで現した気配は、本来なら敵意以外の何物でも無い筈だった。
 二人はゆっくりとその気配の方向を振り返る。そこに居たのは予想通りの人物だった。




 「いらっしゃい。古明地さとり」
 「どうも、こんばんは。夜分遅くに申し訳有りません。ですが、一つ間違いを訂正させて頂けるなら、私は支配者では無く、為政者であると言う点ですね」


 不敵な笑みを浮かべ、いつの間にか開いていた小屋の土間に立つのは紛れも無く古明地さとりその人。
 その顔を見たヤマメはこれ以上ないと言う程に苦々しい顔をして、手に持った乾物を食いちぎった。


 「そりゃぁ、昼と夜が無いこの場所への嫌みかい? 古明地さとり」
 「驚きましたね、この廃墟群にこんな小奇麗な建物があるだなんて」


 ヤマメの問いにも答えずに小屋の内装を見渡すさとりは、先ほどまでの不遜な様子が嘘のように素直な感嘆の声を上げる。
 そのさとりの言葉の通り、屋根は隙間なく瓦が敷き詰められ内側には太く頑丈な梁が通されている。漆喰で塗り固められた壁はくすみ一つ無く眩しい程にその存在感を放っていた。
 その調子外れなさとりの様子に出鼻を挫かれたのかヤマメは戸惑う様な表情をみせる。部屋中のあちこちを無断で見て回るさとりをヤマメは唯茫然と見つめていた。


 「これはヤマメさんがお造りになられたんですか?」
 「お……、おう。当然さ」
 「凄いですね。良ければどうやって建築を行ったのかご教授いただければ」
 「……みんなやる気が無いだけさ。朽ち果てていても資材はそこら中に転がっている。技術と人手と時間があれば建て直す位どうって事は無い」


 話を聞きながらさとりが漏らす感嘆の溜め息に、構えていたヤマメも何時しかその肩の力を緩める。
  “乗せられている” その自覚はヤマメ自身にも存在した。しかし、自らの作り上げた物を褒められると言う喜びはさとりに対する警鐘を僅かに上回っていたのだ。


 「どうと言う事は無い……、ですか。ではその力。この廃墟群を再建する事に使ってみるつもりは無いですか?」
 「……やはりお前もそう言う事を言う奴か。全く嫌になるね、為政者って奴は。全くもって何を考えているのか分かりゃしない」


 しかし、その様子は続くさとりの言葉で即座に元の固い物へと変貌する。
 収まりかかった警戒心が再び顔を覗かせようとしていた。


 「そうして私達は明るく楽しく暮らせと言うのか? 外から来たお前達と仲良しこよしで。手を取り合って暮らしましょう? ――嫌だね、私達は悪人だ。悪人でいてやらなきゃ、この地下に来た甲斐が無いじゃないか」
 「それは遠い過去の話です。今の貴女達は引きずらなければならない段階を遠の昔に過ぎた筈です」
 「違う。何もわかっちゃないね。あんた本当に妖怪か? 長い間、頑固頭(是非曲直庁)と一緒に居過ぎてすっかり洗脳されちまったのか? 私達は悪で、正義面をした地上の奴らに敗北したから地下に落とされた。それが私達のちっぽけなアイデンティティで今の私達を支える全てさ。お上品なエリート様には理解できないかもしれないがな」
 「……手厳しいご意見、有り難く受け止めさせて頂きます」


 レーゾンデートルは妖怪にとっての生命線。
 今のヤマメの言葉には多分に悪意と誇張が入り混じっていたが、根本的には嘘では無いのだろう。
 心の内を読んださとりはその事を瞬時に覚る。


 「ですが、ならば逆にこう考えては如何でしょうか。『自分達は地下に落とされたにも関わらず楽しく暮らしている。お前達がやった事は無駄だったんだ。どうだザマ―ミロ』と。どうです、悪役っぽくないですか?」
 「あんたね――」


 子供の様に舌をちろりと出してそう言ってのける様子は、どす黒く淀み始めた空気とはあまりにもかけ離れている。
 そこ生じた先ほどまでのギャップは最早脱力を誘う物でしか無いのだが、それが計算の内である事は誰の目にも明白。
 パルスィは呆れ顔で言葉を掛けようとするが、それを遮ったのは意外にもヤマメでの声だった。


 「ふむ、それも一つの解釈。だが、皆がそれを受け入れるかは別問題さね」
 「そこで、貴女の出番です。地下住人に人望のある貴女が鬼の勇儀を持ち上げ廃墟群の住人達を纏めて欲しい。それが、第一歩になる筈です」
 「おや、良く知っているね。あの根性無しが ”私達を纏め上げて居ない” 事に気付いた奴は彼岸の者だとあんたが初めてだよ。」
 「まぁ、私の場合は心を読めば分かりますからね。そうでなくても、薄々感づいてはいましたが」
 「ま、その理由については追々語って貰うとして、だ。その前にだ。お前達の企んでいる事を聞かせろ。全てだ。勇儀に話した事も含めて洗いざらい。それがお前の示すべき最低限の誠意で。私達が求める当然の権利。そうだろう?」
 「当然です。この後はそうするつもりでした」


 「その前に座って良いですか?」と尋ねたさとりは、玄関でぷるぷると震えていたお燐を呼び、机を囲む形で四人は胡坐を掻いた。
 さとりが話をしたのは、ヤマメの要望の通りありのまま全てである。天照計画の事、旧都再建計画の事、そして、彼岸からの独立の事。そして、それらと今の噂の関係性について。
 一切の例外も無く二人に対して情報を開示した。


 「ほう。するとみとりは私達の為に技術開発を行っていると。今噂になっているのもその一環であると」
 「お燐曰く、当人はただ研究に没頭できればそれで良いと言っているみたいですけれどね。私と会って下さらないのでその真相は闇の中……、ですよね?」


 無言でぶんぶんと頭を振る燐。
 基本的に人見知り無く誰とでもすぐに打ち解ける彼女には珍しいその反応は、一種のトラウマによる物である。
 当然その事にはさとりも気付いてはいたが、今はこの場の空気を優先しそれを口に出す事は無かった。


 「好き好んでさとり妖怪と会いたがる物好きは……、まぁ、この地下には偶に居るかもしれんが、それ程多く無いだろう。しっかし、あの引き籠りが工房に誰かを入れるのを許すなんてねぇ……。どんな魔法を使ったの?」
 「少し知り合いに、 ”そう言う事” にうってつけの人が居ましてね。でも、概ねはそこのお燐のおかげですよ」
 「何にしろ、私も少し気にはしていたんだ。ありがとうな、お燐とやら」
 「はぁ……、いえ……、どうも……」


 何とも歯切れの悪い返事をする燐はやはり落ち着かない様で、あたりをきょろきょろと見回し頻りに脚を組み替えている。
 その視線はどうも切れ長の瞳をちらちらと見ては逸らされている様に感じられた。


 「さて、それじゃ、何時までもここで駄弁っていても仕方が無いし。明日へ向けて私も家で休むかね」
 「待ちなさい、さっきの。皆にはみとりの所だけは伏せときなさい」
 「どうしてだ? 皆に打ち解ける絶好のチャンスじゃないか」
 「これだから、あんたは。ネガティヴな性質の者の事を今一つ理解していない。そう言うのはね。自分から言い出さないと意味が無いの。自分の預かり知らぬ所で名前だけが先走りする……、これ程に辛い事をあなたには理解できないでしょうね」
 「そんなものかね……、私には理解できないと言うのはある程度事実だが。みとりの件は了承した。まぁ、自分から言い出せる日を私は気長に待つとするよ」


 むくりと立ち上がったヤマメはさとりが入って来た扉に手を掛ける。
 外へとでたその背中から羞恥とも怨恨ともつかぬ曖昧な言葉が投げかけられたのはその時だった。


 「さとり妖怪よ」
 「何でしょうか?」
 「最初の言葉、訂正する。為政者としてのお前は依然嫌いだが、お前個人の事はまだ分からん。どうか私を失望させないでくれ」
 「当然ですよ。どうもありがとうございます」


 それだけ行ってヤマメはその家を去る。
 残されたさとりも間もなくパルスィに礼をしてその場を去った。












 同時刻、みとりの住居兼研究所。
 けたたましい回転音の鳴り響く洞窟最深部にて。


 「原動機?」


 空はその聞きなれない言葉の響きに思わず聞き返す。
 みとりの工房には珍しく燐が居らず、空が一人で興味深げに作業台に乗せられた ”それ” を眺めていた。


 「ああ、これはその内の熱機関さ。エンジンとも言うね。大昔から地上では活用されていたし、私達河童もその原型は遥か昔から発明をしていたんだが、いかんせんこの環境下では肝心な燃料が手に入らなくてね。まさか実用化できるなんてねぇ……」


 半ばうっとりとした瞳で作業台の上で激しく駆動を続ける車輪を眺めるみとり。
 その車輪から伸びる二本の鉄柱はシリンダーの様な不思議な形をした機関に繋がり激しく規則的な往復運動を行っていた。


 「へぇ……、それで、これがあれば何が出来るの?」
 「浪漫の無い事を言うんじゃないよ。これを眺めているだけでも幸せな気分にはならないかい?」
 「いや、まぁ、その気持ちは分からなくも無いけど……」


 ガラス製の半球状容器にプールされた液化霊力は、元の形態に戻るべく上につなげられた細いパイプを通ってシリンダーへと運ばれる。
 噴射された霊力に押し出されたそれは、シリンダーに繋がる鉄柱を押し出し車輪を回転させていた。


 「本当なら私はカルノウサイクルを実現したかったんだよ。だけど、それを最も近い方式なのはスターリング式エンジンだ。だがあれは頂けない。観賞用として見た時にあれ程美しい物を私は知らないが、実用化するとなれば話は別だ。あれはちょいとパワーウェイトレシオが悪すぎる。それに構造が複雑すぎていつ故障するか分かった物ではないし、その時に直せるのが私以外に居なくなってしまう。それは困るだろう?」


 矢継ぎ早に飛び出す解説の嵐は留まるところを知らず、鼻息も荒く解説を続けるみとりは興奮状態で少々――、いや、かなりと言っていい程口を挟みにくい。
 このような時はみとりの話したいに任せるのが良い。そう把握していた空は曖昧な返事を返しつつ、その妙に人間臭いピストンの動きに目を奪われていた。


 「これは、それよりも効率は落ちるし図体も大きくなるが確実性とトルクを重視した。厳密には異なるが開発のベースとしたのは、蒸気機関――、そう地上で呼ばれていた物さ」
 「蒸気……、機関……」


 しゅるしゅると、シリンダーから排出される霊力の塊が空中へ霧散して消えていく様は、地下のあちこちに存在する間欠泉をイメージさせる。
 空は実際に地上を蒸気機関で走る列車が有る事を毛ほども知りはしない。
 白い煙を吐き出し、海上を勇猛に駆ける蒸気船がこの世に存在する事を考えた事すら無い。
 しかしその空ですら、この水を一切使用していない外燃機関を目にした時、言い知れぬ可能性にも似た何かを鋭敏に感じ取っていた。


 「スチーム・エンジンかぁ……、水なんて何処にも使って無いのにね」
 「私はネーミングセンスが無いんだよ。ま、その内何か適当な名前が思いつけばそれにするさ」
 「うん、でもカッコ良いからやっぱりそのままで良いや」
 「お、良いね。その考え方。大事だと思う。カッコ良ければそれで良い。素晴らしいじゃないか、私も気に入ったよ」


 ぼこぼこと、沸騰したように気泡を立てる硝子球体の内側に見える水面は当初の五分の一程まで減少している。パイプへ逃げる霊力の流れも目に見えて減少しつつあった。その霊力の減少と連動してピストンの運動にも鈍りが見え始める。
 腹に響くけたたましい駆動音が徐々に収まり静寂が戻る室内と同時に、車輪は完全にその回転運動を止めた。


 「霊脈から湧きだす莫大な霊力の状態変化。こいつは本当に凄い……。三体に加えエーテル体、マナ体、エクトプラズム他にも数え切れない。これ程変幻自在に姿を変えるエネルギー体がこの世に存在するだなんて未だに信じられない」


 駆動の停止と共に僅かばかり興奮の収まったころ合いを見計らい、空は恐る恐ると言った様子で口を開く。


 「怨霊を通せば妖力に、魔法使いを通せばマナに。使用者が在り方を示してあげるだけで融解も昇華も固化も自由自在。妖力が ”そう” なのは、馴染みのある事だけれど、外部から供給できる事にはびっくりしたかな。……で、みとりん。これは、日照機に転用可能な技術なのかい?」


 このみとりの工房を訪れる様になり、空も空なりに勉強は重ねている。
 以前渡された原子に関する書籍も読破済みであるし、それらが組み合わさって形成される分子、そしてその様態変化も理解済みである。
 それはみとりに話を合わせる為と言う事もあるが、多くは空自信の知的好奇心である。元来鴉は好奇心が強い上、鉄等の光り物が好きだ。
 空もこれらの技術に何か通じる所が有ったのだろう。学問と言う物に生まれて初めて触れながらも、その知識は驚くほどすんなりと空の中に定着を始めていた。


 「だれが、みとりんだ。……あぁ、十分に可能だ。小型化したこいつを使って ”羽” を回す。上手く行くのならば、」
 「空を飛べる?」
 「その通りだ、お空。近い内にに実機モデルを用いた試験を行う。さとりの方に場所と資材の確保をお願いして貰えるか」
 「当然だよ、今度お燐も連れて差し入れ持ってくるからさ、根詰め過ぎない様に頑張ってね」
 「……あぁ、ありがとう」


 先ほどとは打って変わり、どこか寂しそうなその声。
 再び容器内への液体霊力の注入を始めた事でその雰囲気は即座に消え、再び静かな工房に駆動音が満ちる。
 体の芯に響く重低音をBGMに二人は暫しその概念に着いて語り合っていた。






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 その小屋は彼女の住居としてはあまりにも粗末な作りだった。壁にはあちこち穴が空き、屋根も完全に覆われている訳ではない。
 灰が部屋の中にまで降り注ぎ、熱風が駆け抜けるその建築物の中に彼女は唯何をする訳でもなく漫然と寝そべっているだけだった。


 「勇儀……」
 「何だパルスィか。どうした? また人肌が寂しくなったのか?」


 辛うじて小屋としての体裁を保つその建築物の扉を開く水橋パルスィ。
 細く尖った楔の様な彼女の声は、その扉からすぐの床の上に寝そべっている星熊勇義に向かって無造作に投げかけられた。


 「そんな訳無いでしょ。……聞いたわよ、あの地霊殿の事よ」


 パルスィはさとりから聞いた全ての計画を勇儀に向かって語りかける。
 しかし、それは勇儀も既に知っていた物。二、三の情報は更新されるがそれは勇儀を驚かせるほどの物にはなり得なかった。


 「やつら、そろそろ人工太陽の打ち上げ実験が見え始めたらしいな。楽しみだよ」
 「 ”らしい” じゃ、無いわよ。どうするの? 協力する――、なんて言ったけど、具体的に誰がどうやって協力するのよ」
 「私さ。後は萃香も多分手伝ってくれる。鬼が二人居れば、悪くは無いだろう?」
 「ふん……、面白い冗談ね。そんな体で、どうやって手伝うつもりかしら?」


 詰め寄ったパルスィは、勇儀が着流している和服を乱暴に剥ぎ取る。
 はだけた浴衣の下からはサラシに撒かれたふくよかな胸と、爛れた皮膚、そして脈打つ熱を持った無数の古傷が顔を覗かせていた。
 それは彼女の下らないプライドとこの地下環境のギャップが生んだ悲劇の一端。
 硫化水素と熱に犯された体は、鬼の驚異的再生力を持ってしてもその治癒が追い付いていない状態であった。


 「鬼は嘘を言わない。あいつらが約束を果たせたなら今度は私達がそれを守る番だ。その為に必要なら何でもしよう」
 「無責任、無根拠、精神論、難儀な所ばっかり ”鬼より” ね。馬鹿じゃないの?」
 「私は馬鹿で良い、矮小な一個人の鬼で良い。偉大である事に疲れたから私は此処に来たんだ」
 「だったら、この場所の事をもう少し考えなさい。気付いているんでしょう? 最近のここの変化に」


 パルスィが勇儀の古傷の一つに爪を突き立てる。
 鋭く尖ったそれは薄いピンク色の皮膚を容易に切り裂き赤い血潮がじわりと滲んだ。
 まるで傍観者の様にその様子を眺める勇儀はただ何でも無い事の様にその口を開く。


 「疼く傷跡はやはりそう言う事か……。熱いのは私だけじゃ無かったのか……」
 「ひ弱な妖怪は干からび始めている。……多分、長く無い」
 「それも私が何とかするさ……、住む所が無くなるのは惜しい」
 「自分一人で解決できる思っているの? そんな傷だらけの鬼が大きな口を叩くのね。解決するつもりも無いのに、一人前に心配だけはする。……本当屑ね」
 「ありがとうパルスィ。心配してくれるんだな……」
 「嫌味で言ったのよ……。妬ましい」








△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 「おーらい、おーらいー……、ストーップ!」
 「おーい、妖術班呼べ―。羽の形状が設計とずれてるぞー」
 「俺の昼飯取ったの誰だ!?」
 「お空ちゃんが居ないぞ! 誰か起こして来い! どうせ寝坊だ! ばっか、男が行くんじゃねーよ。一応乙女だ!」


 怒声が飛び交うのは、地霊殿の裏手にある小さな広場。
 普段は資材置き場か、炊き出しの場として使われているその場が今は大勢の妖獣達でごった返している。
 その中心に立って指揮を執っているのは、人混みに居るのが最も似合わない人物――河城みとり――だった。


 「みとりさん。動力用の液化霊力の注入が完了しました。……ただ、テールローターが設計の半分程の出力でしか動作せず、アンチトルクが不足する可能性があります」
 「エンジンからの動力伝達系に無理があったのかなぁ。よし、設計を変えよう。メインローターの上に更に新たなブレードを足して……」


 野外に作られた仮設の作業所。
 おんぼろ机に広げられた特殊な紙面に驚くほど綿密に、淀みなく線を引いて行くみとり。
 作業場に置かれたのは直径百二十メートルにも及ぶ巨大な装置。それは規模の拡大に伴い続発したトラブルをその場でみとりが修正して行く形で奇跡的に完成を迎えようとしていた。


 建造中のその装置の周りには無数の足場が設けられ、そこで忙しなく妖獣達が作業に従事している。
 彼らは皆地霊殿に属する妖獣達。普段は焦熱地獄の整備に回っている者達故、大規模な建築工事に誰もが熟練している。


 足場の隙間から覗くのは薄く透き通った石英の硝子。
 光のロスを減らす為、みとりの考えだした最も透き通った材質で作られている。よく目をこらさなければその存在を認識できない程に薄く、透明で、美しい。
 その内側は以前みとりがさとりに渡した、試作型よりも更に複雑な構造を持つ。
 内部に組み込まれているのは硝子性のパイプ。そしてテストの為にかゆっくりと回転する歯車に合わせて数十個のシリンダーが連動して上下運動を行っていた。
 外壁には無数のメーターが取り付けられ現在は全て左側に針が傾いている。恐らくは稼働と同時にこの針も躍動を見せる事だろう。


 「ふわぁーあ……、おはよー。みとり。精が出るね」
 「お空ちゃん、ほらちゃんと服着て下さい! 若い奴が仕事になりません」
 「精が出るねじゃない。あんたも働け。人手は幾らあっても足りないんだ」


 空が豊満な体に纏うのは作業用にポケットが追加されたシャツ。
 寝ぼけ眼でぼさぼさ頭を掻く空の胸元は、ボタンが幾つか止められていない所為で白の隙間に肌色の双丘が覗いている。
 今にも零れ落ちそうなそれに、幾人かの雄が困惑顔を浮かべるのを見て、空を起しに行った少女が慌てた様子でその前を遮った。


 「まぁ、まぁ。慌てて作業してミスが発生する方が最終的に時間が掛るんだ。ゆっくりやろうよ」
 「それは、お前が仕事しない理由にならん。ほら、レンチ持て。資材を運べ」


 彼らが急ピッチで建造を進めているのは、日照機の原寸モデル。
 実際に空を飛ぶ機構、そしてサイズを再現し運用に向けた実験データを得るのがこの工事の目的である。
 この実験の結果如何で、今後の技術開発の方向性が決まってくる。
 その意味で、みとりは一刻も早くこれを完成させたいと考えていた。


 「分かってるよ。ふわぁ、ねむ……」
 「まったく――」
 「あぁ、そう言えばさ」
 「なんだい?」
 「さとり様が見学したいって言って、今こっちに向かってるんだけど……」




 「ひゅいっ?!」




 天に高く舞う製図用定規。
 大事な仕事道具がからからと地面に落ちるのを意にも介さず立ちすくむみとり。
 浅い呼吸と散大した瞳孔は、彼女が極度の混乱状態に置かれている事を示していた。


 「ねぇ。みとり。そろそろ慣れようよ。私達妖獣以外にも会ってみよう?」
 「さとりは無理! 抉られる! て言うかなんで勝手に来ているんだよ! 約束が違うじゃないか」
 「いやぁ。私達相手には割と普通にしてるから、もしかしたら大丈夫かなぁ、なんて」
 「駄目に決まってんだろ! さとり妖怪と鬼は御免だ。お空、た、頼むからちょっと私を連れて何処かに飛んでくれ! この通りだ!」
 「はいはい。分かったよ。ほら、背中に乗って」


 涙を目尻に滲ませた彼女は接近するさとりの気配から逃げる様に空の背中へしがみ付いた。
 「いくよ」静かに背の赤河童にそう呼びかけた空は漆黒の翼を翻し空へと飛び立つ。
 少し離れた、建物の影。その様子を見たさとりは苦い笑みを浮かべていた。













 背中から聞こえて来るのは、すーはーと言う深呼吸を繰り返すみとりの息遣いと激しい胸の高鳴り。
 やがて落ち付いたのか、背中越しに感じる心臓の拍動が収まったのを確認して空はゆっくりとその場で旋回を始めた。


 「ねぇ、みとり。落ち付いた?」
 「まぁ、なんとか……」


 二人の上空にあるのは巨大な岩盤で構成された天蓋。
 己の体の数十倍はあるだろうかという岩が幾つも飛び出したそれは、改めて間近で眼にすると息を飲む程に美しい。
 その中の一つ。岩盤から突き出た岩が組み合わさり小さな横穴の様な物が形成される所に降り立つと空はそっとみとりを岩の脚場へ下ろした。


 頬に当たる熱も僅かに和らぐその空間は空のお気に入りの場所の一つである。
 普段からよくこの場に来ているのか、空の私物と思しき食器やゴミとも装飾品ともつかない不思議な石が幾つか転がっていた。


 「御免ね。まさかみとりがそこまで嫌がるとは思わなかった……」
 「まったく……、勝手な事はしないで欲しいね。次やったら本当に怒るよ」
 「本当に御免。私は勝手な事をした。お詫びの印に……、これ……、私の宝物なの。良かったら……、受け取ってくれないかな……」


 空がガラクタの山から取り出し、申し訳なさそうに手渡してきたのは紅く透き通った小さな硝子玉。
 それが、クロムの混じったコランダムである事に気がつけたのはみとりならではの現象だったのだろう。
 美しく希少である事も確かであるが、個人としては見慣れたそれにみとりは曖昧な表情を浮かべるしかできなかった。


 「これって……、あんたねぇ……」
 「私のとっておき。前に散歩してる時に偶然拾った物……。みとりにとってはそんなに価値が有る物じゃ無いかもしれないけど。私にとっては間違いなく宝物だった。だから、それがお詫びの印。みとりの大切な物を傷つけた分、私も責任を負う。だから……」
 「あぁー、もう。そう言う面倒臭い事を言うんじゃない。分かったよ。これで手打ちにしてやる。でもこれは受け取れん。お前の言った通り私には大した価値の無い物だ。その代わり次に同じ事をしたらこれをカチ割りに来てやる。それで良いだろう?」
 「……わかったよ。ありがとう、みとり」
 「あんまりそう言う言葉を安売りするんじゃない……。変な勘違いを起こす奴が居ないとも限らん」


 そう言うと不貞腐れた様にみとりは、岩の縁に腰を下ろすと空中に足を投げ出す。
 空もその隣に腰を下ろすと暫しそこには無言の時間が生まれた。


 言葉を発しなくなると、先ほどまでは気付かなかった周囲の状況に意識が向くようになる。
 低く重々しい岩盤の下を流れるマントルの流動音。
 地霊殿から聞こえる工事の音。
 遥か遠方で上がる怨霊の怨嗟の入り混じった泣き声。
 その何れもが地下に住む者には聞き慣れた物で、特に妖獣達にとっては揺り籠にも近い存在である。
 暫しぼんやりとその時間を過ごす二人は、何気なく脚の下に広がる光景に目をやった。


 崖下に広がるのは広大な廃墟群。
 地霊殿によって一部は瓦礫が撤去され、廃屋よりは幾分作りの確かな仮設の小屋がたてられているが、それでも都市と呼べるような物では無い。
 暗く、溶岩の明かりだけで照らされるその地は一部が淡いオレンジに染まり、どこまでも不気味に見えた。


 「日照機が完成したらここが全部明るくなるんだよね……、なんか凄いな」
 「暗い世界に光が満ちる……、か。確かに此処の奴らはそれを待ち望んでいるだろうね。何せ脚元すらおぼつかない闇だ、不便で無い筈が無い。だけれどね、実の所この暗さは私にとってはとても心地の良い物だった。それこそ、永遠にそのままで居てくれたらと願う程度にはね」
 「でも、実際にみとりはこの地下に灯りをくれようとしている。そして、これからも。……違うの?」
 「私がこれからもあんたらに協力するかは置いといて……、お空。技術に期待し過ぎちゃいけないよ。技術って言うのはね、 ”利用” する物で ”頼る” 物じゃない。それを履き違えた奴はただの操り人形だ。なぜなら技術は広義における魔法って言葉みたいに、何でもかんでもできる不思議な技じゃないからだ。方程式に基づいた何らかの代償を必要とする、ちょいとばかり複雑な……、そう、 ”現象” 。ただそれだけだ」


 遠い眼でそう話すみとりに、空は掛けるべき言葉が見つからない。
 声を掛ける事で踏み込む事になる領域には巨大な進入禁止の札が立てられている様に空は感じていた。


 「正直ね、中に誰か一人生贄突っ込んで常時霊力を光へ変換すればかなり機構は簡略化できるんだよ」
 「無茶言わないでよ、誰が中に入るのさ」


 切り替える様にみとりの口からおどけたような口調で飛び出るのはこれまた突飛なアイデア。
 冗談なのは空も分かっていたので軽く流す


 「冗談だ。お空、聞いてくれ。多分あの日照機は最初感動を与えるかもしれないが、彼らは必ず不満に思うだろう。何せルクスが全く不足しているのだからな。だが、もしそうなったとしても自分が太陽になろうなどと考えるんじゃないよ。なぁ、数少ない友人としての頼みだ」
 「何を急に言い出すかと思ったら、どうしたのみとり? 私が心配に見える?」
 「お前みたいに、まっすぐに他人の為に動ける奴が心を壊して人間不信になるのを沢山見てきた。それは決して珍しい事では無い」


 みとりは、また遠くを見る様にしてその言葉を続ける。語りかけるのでも無い、独り言でも無い。
 ただ、居ない筈の誰かに、昔吐き出したかった言葉の代わりの様にその言葉は紡がれる。


 「お前は太陽では無く蝋燭の灯りであれば良い。仄かな熱と、一人の脚元を照らせるだけの力があれば十分だ。孤独なんて碌なもんじゃない。一度そうなってしまったら、抜け出せなくなってしまう。今の私の様にね。元からそうで無い奴なら尚更だ。お前はそうなるな。お空」
 「……あたりまえだよ、何言ってるのさ。みとり。それに、みとりには私もお燐も居るじゃない」
 「精神的な問題だ。友人が物理的に居たとしても心が孤独なんだ……、いやすまん。こんなのは私の愚痴だったな。ずっと一人で居るとな。勝手に思考が飛んでいく癖が着いてしまうんだよ。――戻ろうか。さとりもそろそろ何処かへ行っただろう。今日中に試運転には扱ぎ付けたい」
 「分かった。しっかり掴まっていてね」


 天上の岩場から空中へ再び飛び出し、雄大な翼で熱風を切り裂く。
 視界の先。地霊殿の裏庭ではゆらゆらと揺れる作業場の灯りが暗い地下に淡く浮き上がっていた。







△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 ごぽりごぽり、と質量を伴った泡沫が弾けては消える。
 赤で塗りつぶされた視界の先にはまた、赤しか存在しない。
 そこは、地下空間の根幹をなす機関の内部、焦熱地獄炉心。


 (こまったなぁ。 ”また” 、熱くなってる)


 じゅう、と額から滴り落ちる汗が蒸発する音がした。
 みとりから渡された温度計は遠の昔に破裂し、使い物にはならなくなっている。
 温度計の測定限界は千五百度。恐らくそれは優に越えてしまったのだろう。


 此処は旧地獄の中にあってその機能の中核を為す機関部。
 そもそもこの地下空間に外部から手が加えられたのは地獄として利用をする為であるが。地下空間に見えている廃墟群はあくまでも彼岸の者達の居住区や、罪人の通る道に過ぎない。真の地獄はその地下。地下大空洞の真下に建設された物にある。


 焦熱地獄及び大焦熱地獄。それが、地下空間の下に眠る真の地獄である。
 是非曲直庁において、地獄は八つの階層により構成され罪人の犯した罪の重さと性質によりどの地獄へと送られるかが決定する。


 殺戮が永久に繰り返される等活地獄。
 鉄板の上で焼かれ、切り刻まれる黒縄地獄。
 鋼鉄のすり鉢ですり潰され続ける衆合地獄。
 窯で茹でられる叫喚地獄、大叫喚地獄。
 地獄の業火で肉体も魂も塵と化すまで燃やされる焦熱地獄、大焦熱地獄。
 そして、無間の苦しみが続く無間地獄。


 この旧地獄の真下にある焦熱地獄、大焦熱地獄は入り口が地霊殿に設けられており管理がさとりに一任されている。
 だが、さとりは肉体的には決して精強な妖怪には属していない。むしろ普段自らが動く事が少ない分虚弱だと言っても良いだろう。


 故にその焦熱地獄炉心部の整備はさとり配下の妖獣の手によって行われる。
 空もまた焦熱地獄整備班に配備された妖獣の一体であり、本来の仕事はさとりの身辺警護件、焦熱地獄の整備班隊長である。
 暫くの間アマテラス計画の為持ち場を離れていたが、この日は現場にトラブルが発生したと言う事で、地霊殿の中庭にある作業員用の降り場からその焦熱地獄へと足を踏み入れていた。




 目下に広がるのは真っ赤に煮え滾ったマグマとそれをも飲み込む炎の海。
 青色すらも混じるその炎の中に空は防護服すら見に纏わず普段通りの白いシャツと緑のスカート姿で作業に従事していた。


 (見た感じは三箇所かぁ……、二つは緊急性が無いけど、これは……)


 ばさり、ばさりと背から生えた大きな翼を八の字にはためかせ空中でホバリングを行いながら、再び額に滲む汗を服の裾で拭う。
 焼けただれてしまった目の前のそれに、空はこの先に待つ作業を思い深く嘆息した。


 「お空ちゃん! 内壁の損傷具合はどうだい?」
 「まだ、十分に検査して無いから分からないけどー、恐らくかなり酷いよー、これ」


 程離れた炎の向こう。内壁にぽっかりと開いた出入り口から作業員の妖獣が顔を出す。
 熱と炎風による耳鳴りの合間に届くその声に、空は精いっぱいの声を張り上げて答えた。


 空が確かめる様にそっと指でなぞるのは、深く抉り取られた内壁の一部。
 剥き出しになっているのは、幾層にも重ねられた防火構造。
 表層が剥がれた事により露わになった内部の建材が、炉心内部から立ち上る猛烈な熱エネルギーによって焦がされてしまっていた。


 「多分、彼岸の方から耐熱塗料追加で貰ってこないと足りなーい」
 「わかったー。辛くなったら、早めに戻っておいでよー」
 「分かってるー、もうちょっとだけー」


 内壁の最表層に塗られているのは、是非曲直で開発された特殊な耐熱塗料。
 建材に千度を超える高温に耐えられる程のとてつもない耐熱能力を付加する代物である。
 そして、 ”驚くべき事にその塗料が空の予想を超える速度で劣化” を始めている。
 通常この炉内は千五百度程で安定をしていると言われていた。
 背のシャツに滲むその汗は、この異常なまでの熱さからくる物なのか、はたまた冷や汗か。


 (あつい……)


 流れる傍から蒸発して行く汗は、体中から水分を奪い取って行く。
 それは地下の生物にとっては本来致命的である筈の事象だった。
 水分が貴重なこの地下世界において水の浪費は死へと直結している。
 貴重とはいえ、水が提供される地霊殿所属の妖獣であるが故に彼らはこの場に立ち入る事が可能なのだ。


 だが地獄の闇で生まれた妖獣ならば誰でもこの炉に入れる訳ではない。
 炉心部にまでスーツ無しで立ち入る事が出来る程の耐熱性を持つのは地霊殿に属する妖獣の中でも空を始めとしてほんの数名。
 その中でも最も熱に強いと言われた空でも限界を感じる今の状況は明らかに ”異常” である。


 かと言ってこのまま帰る訳にはいかない。
 この熱は最早耐火スーツを着ればどうにかなると言う範疇を超えつつある。
 目の前の破損個所をこのまま放置すれば自分以外の妖獣に大きな負担を掛ける事になるだろう。
 肺を焼き尽くさんと入り込む熱風に閉口しながら、空はその損傷を修復するのに相応しい道具を作業着のポケットから探り始めた。


 「はやく戻ってくるんだ。これ以上は危ないんじゃないか?」
 「うーん。応急修理だけしたらもどるー」


 思いだした様に腰に付けたポシェットを開くと、中から小汚い布を引っ張りだす。
 是非曲直庁から支給された数少ない資材の中に混じって埃をかぶっていた特別用途の耐火布である。
 手際良く抉れた個所へそれを張り付け、楔で固定した空は来た時と同じように黒い翼をはためかせ入口へ向けて身を翻した。


 入口は既に開けられ見た慣れた数体の妖獣がこちらへ手招きをしている。冷たい空気の流れを感じる。
 肺の奥まで焼けつきそうなその場とは天と地ほども異なるその扉の向こうに降り立ったお空は、大きく深呼吸を行い肺の中の空気をまるっと全て入れ替えた。


 「ぷっはぁー。生き返るー」
 「当たり前だろう、ほら、水。一気に飲むんじゃないぞ。少しずつだ」
 「分かっているよ」


 地下の妖獣は体に占める水分量が地上のそれに比べ圧倒的に少ない。
 地上の生物はその体の七割が水分で占められているが、彼らのそれは僅か三割にも満たない。
 それは水に乏しい地下で生きる為の彼らの適応の一つ。
 それ故に、多量の水を一度に摂取すると地上の生物よりも遥かに容易に中毒症状を起こし得る。


 こくりこくりと喉を鳴らして差し出された水筒の水を摂取する空。
 ひと息を吐いた空は中身が半分程になった水筒を燐へ返すと、はらりはらりとシャツをはためかせ服に着いた煤を払った。


 「お疲れさま、お空。大丈夫か? ……いつにも増して辛そうに見えるが」
 「こんなの全然平気だよ……、と言いたいんだけど、ちょっと疲れちゃったかな? 最近疲れてるからかなぁ。いつもなら平気なのに」
 「……やはり、おかしいよな。最近の焦熱地獄は」
 「……貴方もそう思うんだ。私の気の所為じゃなかったんだ……」


 なるべく皆に心配を掛けない様に明るくそう言った空。
 調子外れなそれに返って来たのは酷く真剣な言葉だった。
 その言葉に同調するかの様に深く頷くのは、一人や二人では無い。


 「内壁の損傷の頻度も上がって来ている。恐らく内部の温度に壁の耐久度が限界を迎え始めているんだろう」
 「でも、何でここに来て温度上昇が起こる? これまでは、何事も無かったじゃないか」
 「分からん。だが一つだけ確実なのはこのままでは損傷が外壁にまで達しかねないと言う事だ。そうなれば地霊殿はもちろん地下空間の全てが炎の海だぞ。さてはてどうした物か……」


 彼ら焦熱地獄の整備班は主に、その炉心が制御を失い暴走をする事を抑える為に働いている。
 だが、マントルを利用した焦熱地獄の炉はこれまで安定した出力を続けていた。
 故に彼らは、熱が漏れぬ様に老朽個所を修理する以外をする必要が無かったのだ。


 「仕方が無い放熱扉を新設しよう。 ”この熱” を外へ逃がすのは気が引けるが、決壊すればそれ所では無い事態だ。背に腹は変えられん」
 「外壁に穴をか……、出入り口を修繕するだけで骨であったと言うのに、頭が痛くなるな……。だがやらぬ訳にも行かぬか……」


 ふぅと溜め息を吐くのは老齢の地獄鴉。
 空と並んで古くからさとりに仕え、焦熱地獄の管理を営んできた仕事上の良きパートナーである。
 若さ故に経験の足りぬ空を彼が上手く埋めることで、この最も過酷な部署は上手く回っていた。


 「さぁ、そうと決まったならば、早速計画だ。図面と会議用の机を持ってこい」
 「だったら私も――」
 「空、お前は休め。さっきの作業で大分消耗したんだろう? 私に後を任せて先に戻っていろ」
 「でも……、いや。分かった」


 抵抗しようとした空だが、眉間にしわを寄せた真剣な瞳がもたらす無言の圧力に思わず言葉を飲み込む。
 もごもごと何かを口の中で吐き出しながらも、半ば背を押される様な形で空は地霊殿へと続く螺旋階段へと押しやられてしまった。
 「お疲れ様です」と口々に言われては、強引に戻る事も出来ず空は中庭に繋がる階段を昇って行く。
 その背が鉄の門扉の向こう側に消えるのを確認した妖獣の男は小さな、しかしはっきりとした声を背後の者達へ投げかけた。


 「……誰か、こっそりさとり様に連絡入れとけ。空の奴……、無茶し過ぎだ……」
 「分かりました。私が」


 すっと消えた火炎猫の少女の気配が地霊殿の内部へと駆けていく。
 愛するリーダーの ”小さな意地” を挫かぬ為に、その身を隠して彼女はさとりの部屋へと入り込んだ。







 照明の一つも無い階段を不規則なリズムで上がる。
 何処まで行っても同じ景色の続く螺旋階段は、いつにも増して長く感じていた。


 耳に届くのは単調な自らの足音。
 目に映るのは変わり映えのしない石畳の階段


 ようやく視界の情報に淡く朧な地霊殿の灯りが顔を出す。
 ほんの僅かに上向いた気持ちで階段を上がり切り、中庭に出て後ろ手に鉄の門戸を閉めたのだがそれまでだった。


 目に入るのは愛する主の居る部屋の窓の灯り。漂って来るのは炊事場からの食欲をそそる香り。
 胸の内から安心が押し寄せ、それが心を支えていた何かを取り外してしまった。
 壁に手を着き静かに息を吐きながら空はその場に座り込んでしまう。


 「あぁ、困ったなぁ……、さとり様の部屋まではまだ遠いのに……」


 体中を襲うのは、大袈裟とも言える程の酷い疲労感。
 体の芯から力が抜けていく様なその感覚は一種睡魔にも近い物を感じる。
 鉛の様に重い翼はだらしなく垂れ下がり、ピクリとも動かす事が出来なかった。


 不意に襲いかかって来た強烈な睡魔に空は実にあっさりとその意識を手放した。












 ――風邪をひきますよ……。帰りましょう。













 体を包む柔らかな感覚。
 心の落ち付く優しい香り。


 微睡む意識が知覚によって引き起こされ水面上へと意識が昇る。
 ゆっくりと目を開いた先に会ったのは真剣なまなざしで書類と格闘するさとりの姿だった。


 「△☆……、×?!」
 「あら、起きたのね。おはよう。……疑問に思うのなら自分の手を見てみなさいな」


 言われた通り掌を見ようとするが思ったようには体が動かない。
 ようやく視界に入ったそれは黒い翼の形をしている。そこに来て空はやっと自分が地獄鴉本来の姿に戻っている事に気がついた。


 「駄目よ。まだ人の姿に戻っては駄目。暫くそのままで休みなさい。」


 妖獣は極度に精神を消耗すると人型を保てなくなる。無茶をし過ぎた時にはこうなる事もあるがここ暫くは無かった事である。
 さとりはそんな空の背に優しく指を添わせ体に着いてしまった煤を丹念に払っていく。その繊細な指使いとは裏腹に胸の瞳は大きく見開かれその視線が空へと注がれていた。


 「焦熱地獄がねぇ……、ちょっと映姫に調査を頼んでみるわ。私だけでは手が及ばないかもしれない」


 特に空もそれに抵抗しようとはしない。
 寧ろ言葉を発せない今の自分に好都合であるし、元より心をさとりに読まれる事には抵抗が無い。
 ただ、されるがままに身を委ねる空の心は安らかであり、再び心地の良い睡魔が忍び寄ってくるのを感じていた。


 「でも、困ったわね。あの熱は精神を焼く熱。地霊殿の外にはなるべく出したくないのだけれど……」


 椅子に座り頭を捻る主人に申し訳なく思いながらも体は睡眠を欲している。
 ついに抗えなくなった瞼が落ち暗闇の向こうでさとりと、もう一人の声が聞こえ出した。


 「放熱窓……、排熱する……、外……、そうか……、この地下にもあるじゃない、丁度良い ”排熱機構” が! お燐、そこに居るんでしょう?」
 「あら、ばれていましたか……、少しお空の様子が気になって来たんですけれど……」
 「遠慮なんてしなくて良いのよ――。それはそれとして、みとりの所に走って来て貰えるかしら? 要件は分かるわよね?」
 「分かっていますよ。それでは行ってきます」


 慌ただしく部屋を出て行く足音を最後に空は再び深い眠りへと落ちて行った。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 その書簡が届いたのは丁度午前の部の裁判が終わり昼休憩に入ろうと言うタイミングだった。
 地獄の獄卒から手渡されたのは、大袈裟な程におどろおどろしいデザインの筒。
 キャップ上の蓋を開ける。小気味の良い音と共に中に丸められた手紙が姿を現した。


 「ふむ……」


 広げて中身を確認する。それは見慣れた丸文字。
 その様子を傍から見ていた小町は興味深げにその手紙を覗きこんだ。


 「どうしたんです、四季様?」
 「いえ、さとりから手紙が届いたんですけどね……」


 手紙に記されていたのは、焦熱地獄の異変に関する情報提供依頼。
 是非曲直庁では無い。映姫に直接友人としてこの手紙を届けたと言うのはつまり、 ”そう言う事” なのだろう。


 「焦熱地獄炉心の異変ですか。これまた、妙な事もあった物ですね」
 「しかも見過ごせる物では無いと来ましたか……。何か心当たりはありますか、小町?」
 「いいえ。私の様な下っ端には思いもよらぬ事でございます」
 「まったく……、貴女と言う人は……」


 考える様子も無く即答する小町に苦言を述べようとした映姫の手元からもう一枚の書類が宙を舞ったのはその時だった。
 はらり、と落ちたのは幾らかの数値と多数のグラフが載せられたさとり手書きの書類。確認しようと目を凝らす。それは定期報告の怨霊管理に関する統計データであった。


 「先月のが遅れていたと思ったら、他の手紙と纏めてですか……、あまり褒められた事ではありま――」
 「どうかしましたか、映姫様?」
 「小町。私は暫く席を開けます。誰か来たら午後には戻ると伝えて下さい」
 「え、ちょっと、私お昼に――」


 映姫が完全に静止したのはデータの中ほどまで目を通した所。
 血相を変えて執務室を飛び出す映姫の背に、小町の悲痛な叫びは毛ほども届く事は無かった。






 彼女が向かったのは、是非曲直庁支部に存在する資料室。


 暗い資料室を手に持った行燈の灯りだけを頼りに無数の資料をひっくり返す。
 一心不乱に資料を開いては地面に投げ捨てを繰り返す。やがてそれが自らの背に届こうとした頃。彼女は目的の物に行きあたった。
 血走った瞳がこれ以上ない程に大きく見開かれる。優に数分押し黙り、何事か思案を巡らせる映姫はぽつりとただ一言。その言葉を呟いた。


 「おかしい……、やっぱり魂の収支が合わない……?」






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 その日は年中を通して気候の変わらない地下においても珍しい。熱波が和らぎ風も少ない絶好の環境であった。
 場所は廃墟群の中程。地霊殿によって整備工事が行われた数少ない場所の一角に存在する空き地兼、資材置き場。


 「ねー、みとり。もっと前に行かないと良く視えないよ」
 「ばっか、お燐。私の名前を呼ぶんじゃない!」


 頭まですっぽりとぼろを纏い、顔を隠しているのは河城みとり。
 燐に名を呼ばれた事ですっかり怯えてしまったのか、燐の影に隠れる様に背にがっしりとしがみついていた。


 彼女らの前には既に人だかりが生まれている。その内の半分程は燐も顔なじみの地霊殿の同僚達。
 だがもう半分はそうでは無かった。


 「良いの? 今が鬼の評価を塗り替えるチャンスじゃないの?」
 「いいい、いややに決まってるじゃないの! いいい、今さら、どの面下げて勇儀に会えっててていうののの」


 鬼の名前を出しただけでみとりの体の震えは止まらない。
 全身をがたがたと震わす姿は、哀愁を感じさせる程の物であった。


 そんな彼女の様子とは関係なく彼らの視線の先にある ”それ” は、地霊殿の主の手によって大きな唸りを発し始めた。
 排出された霊力によるエギゾースノートが、唸るスチームエンジンのバルブに合わせて大きな産声を上げ始める。


 「ほら、みとり。始まったよ。貴女の心がどれだけ情けなくても、貴女の子供はあんなに頑張っている。……ちゃんと見てあげないと」
 「……うん」


 燐の後ろからみとりに声を掛けてきたのは空だった。
 口元に煤をつけ笑みを浮かべる空は作業着姿でみとりの横に立っていた。
 おそらく彼女も最終調整に関わっていたのだろう。その何かを成し遂げた者特有の誇らしげな横顔が何よりの証明である。


 段々とそのエンジンの発するノートの間隔が狭まり始める。
 同時に髪を揺らし始めるのは、それから巻き起こされる人工の突風。


 「行くぞ……」
 「お願いします」


 装置の前に立ったさとりと、妖獣の技術者は静かに目配せをすると安全装置(セーフティーロック)を外しその本体を完全にフリーな状態へと移行させる。
 それと全く同時。腹の底から突き上げるような唸りを上げる巨大な装置がエギゾーストを残して天空へと舞い昇り始めた。


 それはとても緩慢で不安定な動き。
 自らの発生させる乱気流に寄り、右へ左へと揺れ動く様はとても安心して見られた物ではない。
 だがそれでも二酸化ケイ素と砂から作られた透明の素材で作られた球体に囲まれた装置は、数百メートル程昇った既定の位置で停止する事に成功した。


 その場の誰もがホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。遠く離れてしまったエンジン音が若干不規則な物になった感覚に襲われる。
 それは恐らく内部機関のクランクが発するノイズによる物。警戒は必要だが致命的な物ではないと判断する。
 機体がゆっくりと上下に揺れながら空中に縫いとめられる。内部を揺らめく陽炎の様な気体が満たして行った。
 気体の充填、そして炉内の温度をチェックする無数のメーター群。全てがグリーンを示した時、地上からの遠隔操作でその炉内に青い火花が飛んだ。
 合図通りに球体を紅く染めるのは下部から発生するアセチレンガスの炎。やがて周囲を揺らめく気体に広がり、その灯りは硝子の外側へと放出される。


 その時、誰もが空を見上げていた。
 鬼も、妖怪も、妖獣も。
 彼岸も、地下の住人も。
 一切の垣根なく空へ浮かぶ、ちっぽけな歴史の始まりを眼に刻みつけようと彼らは必死に眼を見開いた。


 球体の中で灯り始めるのは橙色の炎。マグマよりも更に温かみを感じさせ、且つそれ以下の熱しかもたない柔らかな炎。
 アセチレンの淡い光が地獄の深淵をほんの僅かずつ侵食する。


 それは地獄の生命が初めて目にした灯りであり、地上からやって来た者には忘れ果てた筈の生命の光。
 それまで暗闇に閉ざされていた地獄の天井が揺らめく陰影を付けながらそこに浮かび上がる。
 またたく星の様に姿を変える岩盤の天蓋。決して美しくは無い。しかし、初めてその姿を地に足を付ける住人の前に表した。


 それが記録に残された中では最初に地獄に昇った太陽であった。
 地霊殿、廃墟群の移住者、立場も種族も異なる彼らが初めて共同で作り上げた記念すべき物。
 正式名称 “日照機試作型”。通称 ”アマテラス一号” 。


 こうして目にしている間も、その灯りは不安定に揺らめき、機体は自らの巻き起こす風に揺られ続けている。
 明るくなったと言っても、それは建物の影でも脚元が辛うじて視える程度。
 上空から感じる熱も馬鹿にならない。エンジン音もいつ停止してもおかしくない程に不安定極まりない。


 余りにも弱々しく、余りにも頼りない。しかし紛れもなく地下世界が歩みを始めた証。
 誰もがアマテラスに目を奪われていた時、その音は遠方から轟いた。
 大気を震わせる爆音。大地を震わせる鳴動。遥か彼方、地獄の最果てから届くその音は、まるでこの地獄の産声の様にすら感じられた。


 ざわつく民衆とは対照的に涼しい顔をするさとりは、彼らの中心に再び出て行き無言のまま手で制する。
 彼女はそのまま、音がした地点と反対方向の壁を指さす。


 疑問を浮かべながらその方に意識を向けた彼らが感じたのは心地の良い微風。
 初め頬を撫でる程度だったそれは、やがて地下空間その全てに吹き渡る。
 みとりはその肌を蝕む熱がほんの僅かに和らいだ事を感じ取っていた。








 同時刻。地下世界の果ての山裾。


 岩場の影に潜む彼らは巨大な装置を前に上空へ打ち上げられた赤子の光を見守っていた。
 その内の幾人かは、慌ただしく機器の合間を行き交っている。


 「こいし様。日照機打ち上げ、確認しました」
 「りょーかい。整備班。コンプレッサーのメンテナンスは済んだかしら?」
 「全数値正常範囲内。何時でも行けますよ」
 「おっけー、上出来よ。これは政治ショー。思いきり最高のタイミングで乱入して皆を驚かせてやる。それが私達の至上目的よ――、コンプレッサー、起動」
 「了解」


 ごうんと大きな音を立てて、その巨大なコンプレッサーは駆動を始める。
 上部から突き出た七対のピストンが激しく上下運動を行う。それに合わせて内部のシリンダーが駆動を始める。
 ピストンが上昇へと移動する度に周囲の大気が吸い込まれ、下降すると同時にそれがある一か所へ向けて放出される。


 人一人程のサイズのあるコンプレッサーは、彼らの居る場の一台のみでは無い。
 広大な山肌に散らばる様に十数機が設置され、その全てがこいしの合図で連動した駆動を行っている。


 それらから伸びる太く長大なホースは、一本の太い鉄管に統合され彼らの背後に空いた小さな横穴へと繋がっている。
 穴の先にあるのは、旧地獄が誇る馬鹿馬鹿しい程に巨大な ”大間欠泉” 。


 それはかつてこの地が開拓される際に発見されたが、枯れ果てている為に放棄された水脈の一端。
 彼らが行おうとしているのは、眠り果てたその間欠泉に対する強制的な覚醒。
 地底世界の高温な大気を圧縮しその内部の空洞へ送り込んで行く。


 集められた熱と空気により高まった膨大な熱と圧力は間もなく間欠泉の許容できる限界を超える。刺激により間欠泉は実に数千年ぶりの覚醒を迎える。
 腹の底に響く様な地鳴り。吹き溜まりの上にある小さな亀裂を押し広げながら爆発的な勢いで加熱された大気が地上へ向けて立ち昇った。
 その爆音にも似た噴出音は地下空間全てに等しく響き渡る。






 「何年振りだろうな……、傷が疼かないよ」
 「馬鹿だね……、そんなのは当たり前すぎる事さ、これは紛れもなく ”外の空気” だ」


 吹き込む涼風、冷め行く熱。
 その出所は固く封鎖された地上への長い縦穴 ”黄泉比良坂” 。
 遥か三十キロの彼方から届いて尚、新鮮さと温度を保つ風は急速にこの地獄を冷却する。


 断続的に続く爆発音。一直線に坂から音の下へと微風が駆け抜ける。
 その流れはマグマの海から立ち上る業火を、怨霊の群れに吹き溜まる熱風を、その全てを征服しコンプレッサーへと吸い込まれて行った。
 新たな変化が現れたのは、七度目程の爆音が轟いた時である。


 天蓋に煌々と輝くのは作られた地下の太陽 ”アマテラス” 。
 その変化に最初に気がついたのはアマテラスを見上げていた者達である。
 僅か数百メートルの彼方。雄大に空に浮かぶ希望がほんの僅かに揺らめいた様な気がした。












 「え……、何……、これ?」
 「さとりの奴。空にも秘密にしていたのかい……。やれやれ、とんだ悪戯っ子も居たもんだ」


 ぼろの奥でみとりは何かを確かめる様に自らの肌を触りながらその身に纏う結界を解除する。
 初めて直接その身で感じた地獄の大気の感触に、少々戸惑いながらも彼女は自慢げな表情を崩しはしない。


 「やつらがやったのは、間欠泉による排熱。大方、焦熱地獄の熱も合わせて外へ飛ばしているんだろう。この気温の低下はそのせいだ」
 「さっきから聞こえているのは間欠泉の……、でもそんな。地上までどれだけの岩盤があると……」
 「だからこそ、私達は膨大な圧力を掛ける必要があった。それこそ、人為的に引き起こさなければならない、途方も無い程の圧力をね」


 みとりは、そこで言葉を区切ると、すっと上を見上げアマテラス周囲に起こり始めた変化を確認するように目をしかめた。
 それは、この地下では絶対にありえないと思われていた現象。
 地下にはあまりにも似つかわしくないそれを見上げた彼らは唯々驚きを隠せないでいる。
 ポケットに入れていた片手をそっと出し、その袖を捲るのは誇らしげな横顔。


 「間欠泉による排熱、――それで温度が下がったとすれば、私はもう一つ奇跡が起こると予想している」






 鬼達は空を見上げ、唯その成り行きを見守っている。
 バルブからの噴出音に紛れて聞こえて来るのは、小さな物体が擦れ合う様な小さな物音。


 「なぁ、萃香。私達は此処に来て何年だったかなぁ。何時の間に忘れちまっていたんだろうねぇ」
 「馬鹿を言うな、忘れて何かいる物か。ただ思い出さない様にしていただけだろう?」


 ごおんごおんと言う遠方からの大きな駆動音が収まり、辺り一帯に静けさが訪れる。
 空洞内に満ちるのはアマテラスの駆動音と、マントルの対流音の唯二つ。
 頭上からアマテラスのエンジンバルブの擦れる音が一際大きくなり響いたかと思うと、それは地上へ向けて下降を始めた。


 「あるいは、思い出させられたのか。確かにとんだお笑い草だよ。こんな地獄の果てで――」
 「切っ掛けはほんの僅かで良い。それが、科学の奴隷に成り果てた私なんかでもきっと――」


 みとりが細く白い腕を天へ向けてと着きだす。






 「地上を思い出すなんて」
 「雨を降らす事ができる」






 ありったけの願いを籠めて。その掌は強く、強く握りこまれた。








 ざぁざぁ、ざぁざぁ、と当たり前ながらも懐かしき音を子守唄に彼女らは立っていた。


 みとりの能力により限界を迎えたエアロゾルを核とする水滴は重力に従い地面へと下降を始める。
 乾き切りひび割れた大地に一つ、また一つと黒い染みが広がって行く。やがて小さな雫はどしゃぶりの雨へと変わる。
 雨は焼け爛れた大地を、廃墟に流れるマグマの河を、一切の区別なく潤した。


 初めての雨にはしゃぎまわっていた妖獣や、空の恵みに歓喜する廃墟群の住人達も今では最寄りの家屋へ避難している。
 今この雨の中に佇んでいるのはたった二人の鬼に過ぎない。


 「勇儀……、帰るぞ」
 「……もう少し、このままで居させてくれ……」


 唯真っ直ぐに上だけを見上げる彼女の横顔を伺い知る事は出来ない。
 その顔に容赦なく降り注ぐ雨は、彼女の雄大な角も、鮮やかな黄金の髪も、潤んだ眼も全て雨と言う一色で塗りつぶした。
 ずぶ濡れの和装が体に張り付くのを意にも介さず彼女はただそれを受け入れ続ける。


 「忘れていた……。雨がこんなにも冷たい物だなんて。地上がどれだけ恵まれた場所であったかなんて。否、忘れようとしていた。自棄になって瓦礫で酒を飲む事で忘れようとしていた……」
 「それはお前さんだけじゃない。誰もがそうしていた事さ……。誰がお前を責める権利が有る」
 「皆を率いる力がありながら何もせず……、ただ毎日酒を飲む……。そんな……、ただの屑に……。どうして、まだ――」


 紡がれた言葉は普段の勇儀からは想像もできぬ程女性的で柔らかな声色。
 萃香はその横顔を何か遠い物を見るような眼差しで見つめていた。


 「雨を冷たいと思えるほどの心が残っていたんだろう」


 震える声で、そう呟いた鬼は小さく自嘲するように口元を歪める。
 しかしそれも、すぐに別の何かに歪み潰され、彼女は唯肩を震わせた。


 「鬼が泣くんじゃないよ。楽しければ笑って、気に入らなければ笑い飛ばして、そうやって生きる為に私達は鬼になったんだろう」
 「馬鹿を言うな、涙なんて鬼に成った時に枯れて果てた。他人を思う心など、鬼には必要ない。ただ、自分の欲望のままに力を振るえればそれで十分に満足だった。だから、今の私はきっと……、 ”鬼ですらない何か” だ。笑うなら笑ってくれ、私の友人。最も誇り高き鬼。お前にはその権利が有る」
 「……遠慮するよ。最も力強き鬼。私は ”先に戻る” よ。あんたは ”そこでゆっくり” していきな」


 勇儀と萃香は、数百年にわたり共に戦い酒を酌み交わして来た親友同士。
 両者は両者の胸の内を既に理解し終えている。故に、言葉に出すのは最早確認ですらなく唯の結果。
 勇儀はその表情を必死に取り繕う。それは、せめて友人に見せる最後の顔は強くあろうと言う無駄な試みだった。


 「……そうか、すまない。達者でな」
 「……お前さんこそ。風邪、ひくんじゃないよ」






 ざぁざぁ、ざぁざぁと降り続く雨の向こう側に小さな背は消えていく。
 それを呼びとめる権利も言葉も。何一つ勇儀は持ち合わせてはいなかった。


 翌々日まで降り続いた雨の後。溶岩の河が固まりすっかりと潤いを取り戻した大地に、伊吹萃香の姿はどこにも無かった。
 この日以来。彼女を地下で見た者は誰一人として居ない。彼女が今何処を彷徨っているのか。誰一人としてそれを知る者は居なかった。




 からりと晴れた地獄の昼。
 廃墟群にはからからと童の遊ぶ声が流れていた。








 ――そして、時は流れて。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 隆盛 -reach one's peak-




 がたりがたりと揺れる車窓。
 座り心地の良くない固い木製の長椅子に並んだ二人は、流れる景色を眼で追っていた。
 体に感じる慣性。前に引っ張られる様な感覚と共に列車が停止する。駅の看板に見えるのは、『金剛骨処区』三丁目の文字。
 目的の駅はここから更に三駅先。


 がたりごとり、とその小さな箱は揺れている。
 かんかんとなる警告の音。窓に嵌まっているのは、シリカで作られた透明の板。
 その向こう側ではセルロイドカバーの付けられた紅い光が交互に明滅をしていた。
 閉まった踏み切の前に立つのは、壮年の小鬼。人当たりの良さそうな顔をしたその男に燐が窓から手を振る。
 小鬼はおおらかな笑みを浮かべそれに手を振り返す。それを受けてはしゃぐ燐を見て、空は思わず破顔した。


 しゅるしゅると鳴るのは列車の先頭にある、妖力可動式 ”蒸気” 機関。
 彼らが乗っているのは国鉄D五一形蒸気機関車。外の世界ではデコイチと呼ばれ、親しまれた蒸気機関車である。
 機関車はシリンダーから吐き出される力強いノートを轟かせ、騒がしい ”旧都” の中を鋼鉄製のレールに沿って駆け抜けた。


 「切符を拝見します」聞き取りづらいくぐもった声で空と燐の乗る車両に車掌がやってくる。
 この車両には空と燐以外の誰も居ない。革靴が固い音をさせながら二人の下へと歩み寄って来た。


 燐がくしゃくしゃに曲ったチケットをポケットから二枚取り出す。
 改札鋏を手にした男は無言でそれを受け取る。ぱちりと小気味の良い音をさせてそのチケットに鍵型の穴が空いた。
 小さく礼をして後方の車両へと移る車掌。


 その姿を見届けた空が、ポケットからブリキの缶を取り出した。
 からからと乾いた音がするそれを振り、中から飛び出て来るのは二つのドロップ。
 青とピンク色の透き通ったびいだまの様な塊を隣に座る燐へと差し出した。
 ピンクのびいだまをつまんだ燐がそれを口に運ぶ。同時、燐の顔が渋い物に変化した。


 「む……、騙したね。これハッカじゃん」
 「私のもハッカだよ。色が違うだけ」


 己の食糧を食む様子を見る空におかしな点は何一つ無い。
 ただ、それが自然であるように渋い顔をする燐を笑っているだけである。
 鼻に抜けるハッカの香りを楽しみながら空はまた外の景色を眺める作業に戻るのだった。


 両脇にそびえる高い鉄塔。張り巡らされた太く複雑な鉄管。
 彼女らの乗る列車と同様の素材で作られたそれらは、幾らかの錆が散見される物の朽ちた様子は無い。
 鈍く黒い輝きを放ち、その都市を形成する一部となっていた。


 彼女らを包む音が変わる。
 レールの継ぎ目を通る時の縦揺れとは異なる不規則で大きな横揺れ。
 一際大きくなったその音は、彼女らを乗せた機関車が通る鉄橋に由来する。


 あえて揺れる事で衝撃を逃がす構造を持つ鉄橋は、都市の中に存在する大きな河川に掛けられていた。
 鉄橋の下を流れるのは ”黒い河” 。だが、黒いのは水では無い。寧ろ透き通っているが故にその水は黒く見えている。
 川底に溜まる黒い溶岩石が済んだ水を通して黒く水面を染め上げているのだ。


 それはかつて溶岩河川であった物。
 あの日。地下世界の分水嶺となったあの日に降り注いだ多量の雨によって固まった溶岩のなれの果て。
 地下大空洞へ流れ込む幾つかの水脈の水を引き込む事で、現在は都市全体へ水を廻らせる用水路としての役を果たしていた。


 かりり、と飴を噛み砕く音が響いた。燐が目を瞑り鼻に手を当てている。強いハッカの刺激に耐えているのだろう。
 外では列車が鉄橋を渡り終わり開けた土地を駆け抜けていた。急激に開けた視界には、天蓋のアマテラスが良く映える。


 此処は ”旧都” 。
 地下大空洞にかつて建造され、そして朽ち果て廃墟群と呼ばれた場所。


 液体として廻り始めた ”水” と、霊脈から湧く無尽蔵の ”霊力” 、豊富にとれる ”鉱石” 。
 これら奇跡とも呼べる資源に裏打ちされた地霊殿の復興計画と鬼と土蜘蛛の協力により、廃墟群はかつての都としての姿を取り戻していた。
 だがそれだけでは無い。かつては無かった豊富な霊力と言うエネルギー資源は、旧都に更なる発展段階を迎えさせる。


 上空を見上げる。そこにはかつての様な弱々しい光は存在しない。
 上空の人工太陽は直視する事が難しい程に眩く輝く。
 河城みとりから引き継ぎ、研究を行っていた旧都の妖怪の一部が生み出した技術に寄り随時改造が行われているからだ。
 現在のアマテラスには最先端技術。 ”放電現象” と、新規に発見された物質 ”キセノンガス” を利用したランプが搭載されている。
 地上の太陽に限りなく近いと呼ばれたその光は、地下に植物を生やすと言う奇跡を為すに至った。


 地平の彼方へ眼を凝らす。
 空洞壁面内側にきらりと輝くのは、石英ガラスにより形成される巨大半球ドーム。
 真空状態の保たれる内壁は、地下空洞が隣接するマントルからの熱供給を極限まで遮断する。
 改良型間欠泉の排熱システムと合わせて、現在の地下の気候は地上とほぼ変わらない水準にまで回復をした。


 街中に眼を戻す。乱雑に並ぶ真鍮の壁と鉄管の森がそこには広がっている。
 あちこちに灯り取りのガス灯と、のんびりと行き交う鉄の馬が森の合間を埋める様に点在していた。
 それは地上の世界で百年程前に起こった産業革命にも似た現象。古風な外燃機関によりけん引される文明の発達は、留まる所を見せなかった。


 幾つかの駅を超えて、列車は目的の場所へと到着する。
 ゆっくりと開く列車の扉から駅のホームへと降りると刺すような冷たい空気が肌に纏わりついて来た。
 ホームの階段を降り無人の改札を通る。


 無人の改札を通り出た先に広がるのは雑多で無骨な家屋の森。
 様々な看板と、街灯の灯りで装飾された森の隙間を縫うように張り巡らされているのは、エルボによって繋がれた曲がりくねった鉄管。
 霊力輸送用の鉄管は鈍い黄色混じり。家屋の紅煉瓦に鉄管の黄が融け込む光景は美しくもあり重厚でもあった。


 駅前の広場に出た燐は、はぁと、手に白い息を吐きかけた。
 空からはしんしんと白く、ふわふわと軽い雨が降り注いでいる。それは、石畳の地面に落ちると即座に黒い染みへと姿を変える。
  “雪” 。地上ではそう呼ばれる氷の結晶による雨は、技術革新のもたらした奇跡の一端。


 「さむ……」


 郊外に位置するその場所は建物の隙間から地底の果てが覗いている。
 空の瞳に映るのは遥か遠方の巨大間欠泉に併設された熱交換システム。
 改良された排熱機構は、地上の冷えた空気をそのまま地下へ届ける事によって季節すらも再現をする事に成功した。


 「なんか、 ”寒い” って思ってたより気持ち良くないねぇ。肌もカサツクしちょっと期待外れかも」
 「そうだねぇ。でも、ま。 ”これ” のおかげでそんなに辛くないし。何より長い人生、偶にはこう言うのも悪く無いんじゃない?」
 「私より若い癖に」
 「人型になってからの期間は私のが長いけどね」


 悪戯っぽく笑う空は、冷たく凍えた手を袖の内側へと入れる。感じるのは二の腕の柔らかな脂肪の感触と温かな体温。
 さとりにあつらえて貰った防寒着に再び感謝しながら空は腕をさすった。


 二人が身に纏っているのは冬用の防寒着。
 彼岸の技術によって作られた保温性の高い生地は、これまで寒いと言う概念が無かった彼らには必須の道具であった。
 空が羽織るのは何時もの白いシャツの上に紺色のブレザー。そして、燐が着ている何時もより厚手の生地のワンピース。
 妖力により作り出された衣服の上に付加する形で着用するそれらは、機能性、デザイン性と相まって妖獣達の中でも非常に好評な品々だった。


 「まぁ、飽きないのは確かだね。別に今に限った話でもないけど」
 「知ってる? さとり様ったら、最近文通に凝ってるらしいよ」
 「あの最近雑誌で流行り始めた奴だっけ? 直接話せば良いのにねー」


 旧都の発展に伴い地上の人や妖怪を真似る者が続々と出始めた。その中でも最も早くから始まったのが週刊誌の発行である。
 鴉天狗が行っていた瓦版を集合させたような物で、多くの者が思い思いの瓦版を持ち寄って冊子として毎週発行している。
 巻末に載せられた文通コーナーと呼ばれる手紙をやり取りする為のスペースでさとりは偽名――当人はペンネームだと主張する――を用いて、多くの住人と手紙のやり取りをしている。その相手の多さと話題の豊富さから、今ではちょっとした有名人だ。


 「ま、さとり様が楽しそうだから私は良いよ。夜遊びに行っても相手にしてくれないのはちょっと寂しいけどねー」
 「ばっか。夜に遊びに行くのが悪いのよ。私みたいに昼間に遊びに行けば良いのよ」
 「昼間は焦熱地獄のメンテナンスが忙しいの」
 「じゃ、朝?」
 「私、朝は苦手で……」


 姦しく路地裏を歩いて行く二人の脚が停まったのは小さな雑居ビルの前だった。
 ゴミと鉄管に半分以上塞がれてしまった入口を屈むようにしてようやく潜る。
 四階分程階段を昇った所で、昼間だと言うのに薄暗い灯りが漏れる小さな入口が見えてきた。


 ドアノブに掛かる “open” とグランジ加工の筆記体で記された札。
 使いこまれ、錆ついたドアノブを捻り燐と空は中へと入った。
 カラカラと言う鈴の音と共に「いらっしゃい」と愛想のよい笑みを浮かべ奥座敷に座っているのは壮年の男性の姿をした妖怪。


 「やぁ、ご主人。お久しぶり」
 「お空ちゃんか。久しぶりだね煙管の手入れかい?」
 「そ、何時も通りよろしくお願いするよ」


 懐から麻布に包まれた小包を取り出す。
 受け取った店主がそれを開くと中から出てきたのはシンプルながらも随所に意匠を凝らした細工が刻まれる煙管であった。
 真鍮製の管はヤニでくすんではいるものの傷一つない。丹念に使いこまれた物だけが発する一種独特の輝きを放っていた。


 旧都が復興して間もなく流行したのが喫煙文化である。
 一部の妖怪が保管していたタバコの種子から栽培に成功し、それはアウトロー気質の多い旧都住人に一気に普及した。
 特に若者には煙管に凝った装飾を施す事が流行り始め、それは空も例外では無かった。


 カウンターによって区切られた作業スペース。
 店主が傍らに置かれていた小型のボイラーに、バケットを用いて石炭(コークス)を放り込んだ。
 霊力が主流とは言っても、小規模な燃料として豊富にとれる石炭は重宝されている。この店の店主も ”燃焼" による灯りと熱に思い入れのある人物だった。
 間もなくかんかんと言う独特の音が静かな店内に鳴り始めると、ピーと言う高い音が店主のいる方向から響いた。
 小型のボイラーから伸びる管を操作する店主は白い湯気を煙管に通し、内部のヤニを丹念に洗浄していた。


 壁際に設置された椅子に腰かけ、自慢の煙管が生まれ変わる様子を満足気に眺める空。
 少々つまらなさそうな燐は、その暇を潰す様に店内を見渡した。


 天井から釣り下がる装飾過多なシャンデリア。
 壁に掛けられた金属を一切排除した形状のカラクリ時計。
 壁際に並べられた箱の中には、紅茶の葉から甘草の根まで雑多とも言える程に所狭しと商品が陳列されている。
 その中でも店主の思い入れが一番強いのか、事煙草用具に関しては整頓されたショウケース内に入れられていた。
 中に並ぶ、様々な装飾の施された煙管。刻みタバコを使用するそれは現在の旧都の主流な喫煙道具であり、最先端のファッションの一つであった。


 「そんなのの何が美味しいのかなぁ」
 「こういうのはね、美味しいとか、不味いとかじゃないの。そうね……、要は意気かどうかって事よ」
 「はぁ、そう言うもんなんかね……」


 不満げな表情を浮かべる燐。煙草にはあまり良い思い出が無い。
 空に勧められかつて一度だけ煙管を咥えた事のある燐だったが、バニラの甘ったるい香りが合わず直ぐに吐き出してしまった。
 それなりに高級な葉であったようで、その後暫く空が不機嫌になったのが忘れられないのだ。


 暇を持て余した燐が、木箱に入れられた煙草の葉を指先で突く。
 店内に置かれている煙草用品は煙管だけでは無い。
 噛みタバコ用と記された煙草の生葉。
 水煙草用の巨大な器具。
 嗅ぎ煙草用のペレット。
 多種多様な形態のタバコが旧都では楽しまれている。


 「はは、お嬢さんにはまだ早いのかもね。でも、無理して吸う様な物じゃないからね。それで良いんだ。掃除にはもう少しかかるからね、暇だったら ”それ” でも食べていると良い」


 笑いながら店主が指さしたのは、棚に置かれた巻煙草ケースに模した紙箱。
  “シガレット” と書かれた箱を開くと中には紙巻き煙草に模した棒状のラムネが入れられていた。
 はむりと口に含むと、僅かにメンソールの清涼感が鼻へと抜けた。


 「ねぇねぇどうかな。あたい、意気に見えるかな?」
 「ふふっ、まぁまぁってとこかな。五十点位」


 ラムネを咥えた燐が自慢げに空へとそれを見せつける。
 煙草を吸うジェスチャーをする様はユーモラスですらあったが、あえてそれを言う事は無かった。


 しゅるしゅると言う蒸気音の掠れと共に店主が磨き上がった煙管をクロスで拭う。
 ヤニ汚れが取れ、一点の曇りも無く磨き上げられた真鍮は黄金と見紛わんばかりに輝きを放っていた。
 空は店主からそれを受け取るとしげしげと相棒の姿を眺め悦に入る。
 良い笑顔で「ありがとう」と言うと、煙管用に新たに刻み煙草を買い足して店を後にした。




 しんしん雪が降り続く屋外は、ボイラーで温められていた店内との温度差で一層肌寒く感じる。
 通りの向こう側では自動車の下で猫が降り注ぐ雪を物憂げに眺めていた。


 通りに置かれたベンチに腰掛ける。
 空は懐から先ほど磨き上がった煙管を取りだし、先端に刻み煙草を詰め込んだ。


 「さぁ、調子はどおかなっ……と」


 雑誌社の簡素な広告が印字されたマッチ箱から一本を取り出すと、ベンチの背に軽く擦りつける。
 黄色い炎に包まれたバードアイを手で覆い、そっと煙管の先端へ這わせた。


 紫煙がくゆり燐の鼻を擽る。
 仄かにバニラの香りが混じる煙りは傍に嗅ぐ分には心地の良い物である。


 手寂しい感情。
 何の気なしにポケットを漁る燐は、かたりと紙の箱に指先が当たる感覚を覚えた。
 取り出した箱に書かれていたのはシガレットの文字。
 燐は先ほど店内で貰ったお菓子を持ってきてしまった事に気付き、返しに行こうと思った。……が、辞めた。
 箱から一本のラムネを取り出し口に咥え、空と同じようにただ、口内でその味を楽しむ事にした。


 「あぁ、良い。とても良い。上出来だ」
 「うん、悪くない」


 雪が空間を支配する都は、普段からは想像もできない程静寂が満ち溢れている。
 時折聞こえて来る機関車の鼓笛と、通り過ぎる車のエンジン音以外に何も音らしい物は存在しなかった。


 「そう言えばお空ってさ、何で煙草吸おうとか思ったの?」
 「……忘れたよ。けど、多分私の事だからカッコ良さそうとかそんな理由だよ。きっと」
 「ふぅーん」


 空が煙管を持ち始めたきっかけを燐は知らない。
 ある日気がつけばそれが当り前であるかのように煙管を燻らせていた。
 何度も ” 嘔吐き” ながら煙管に口を付ける空に滑稽な印象を覚えた事を燐は良く覚えている。


 「ま、お燐にはまだ分かんないかもね」


 苛々する程に整った横顔で煙管を咥える空。
 ふるりと震える瑞々しい唇は、うっすりと紅が指され女性らしい柔らかさを演出する。
 艶のある黒髪も毎朝丹念に櫛を通した結果である事を燐は知っている。
 全身から感じる仄かな色気。余裕のある表情は達観した空気を押し付ける様で無性に癪に障る。
 何かを思いついたようににやりと笑った燐は、空が深く煙を吸い込んだ時を狙って口を開いた。




 「お空、最近ちょっと可愛くなった?」




 八割の悪意を籠めて放った言葉。
 案の定盛大にむせる空。灰を吸い込んだのか激しい咳を繰り返す空の背を、燐は乱暴にさすってやった。


 「何いきなり言っているのさ、こんな所で昼間っから煙草吸っているような女捕まえて」
 「火、落ちそうだよ」


 それは久しく見なかった空の取り乱した表情。
 燐の言葉に頬を桃に染めた空が明後日の方向を見て反論した。


 「知っているよ。最近一人で化粧の練習をしてるの。その紅だって随分良いのを使ってるじゃない」
 「嗜みじゃない、それ位」
 「前は何もして無かった癖に」
 「化粧道具なんて前は手に入らなったじゃない」
 「その煙管だって、空にしたら随分凝ったのじゃない?」
 「勧められたのをそのまま買っただけよ」
 「…………」
 「…………」


 続く沈黙。
 決して目を合わせようとしない空。
 俯く空の顔をベンチから背を逸らせるようにして覗きこむと、真っ赤になった友人の顔がそこにはあった。
 じっと、目を見つめる。
 目線を逸らされる。
 更に目を合わせる。
 また逸らされる。
 不毛なやり取りを散々繰り返した末に、ようやく観念した様子で空はふうと息を吐いた。


 「何よ、好きな人でも出来たの? 誰、焦熱地獄の整備班の誰か?」
 「おっさんばっかりじゃない」
 「そう言う趣味もあるでしょ」
 「少なくとも私は違う……。でも、 ”恋” じゃない。 ”これ” はもっと違う何か。――気付いてる? 最近私達の仕事、変わって来たって」


 若干の気まずさ。
 言葉の真に意味する所を悟ってはいながらも、表面的な言葉が自らの心を痛ませる。
 燐は曖昧な笑みで言葉を返す以外に選択肢が無かった。


 「それは、 ”あたい” と ”お空” で少し意味が違うと思うんだけど……」
 「それもそうか……、私ね最近思うの。純粋な意味で私達はさとり様の ”ペット” に近づいているって。お小遣いも、お食事も、寝床も全部貰える。仕事はと言えば焦熱地獄の天窓を開ける位。以前みたいに交渉事や、さとり様の代理で旧都に赴く事は少なくなった」


 地霊殿の運営は最早妖獣達の手で全て行われている。
 旧都の復旧が鬼の手で行われ、焦熱地獄管理も空を筆頭とする力のある妖獣で賄われるようになった今。
 殆どのさとりのペット達は交代制で家事を行う以外は、気ままな暮らしを送っていた。


 「仕方ないよ。 ”政治” なんて難しい事。私達には分からないもん」
 「私なんかが……、さとり様の心配をするなんておこがましいとは思うんだけど……。それでも、なんだかさとり様一人にいろんな事を背負わせている気がするの。だから私思ったんだ――」


 強い眼差しが燐へ向けられる。
 決心するかのように息を大きく吸う空はゆっくりと、しかしはっきりとした大きな声で宣言した。




 「私はさとり様の ”ペットじゃ嫌” だって」
 「…………」




 それは、さとりへの裏切りとも取れ兼ねない言葉。
 しかし、そこに籠められているのはあまりにもかけ離れた別の感情だった。


 「半分で良いから ”背負いたい” 。助けになれなくてもその痛みを共有させて欲しい。ペットなんて片利な関係じゃもう耐えられない。私はさとり様の ”家族” になりたい。だから、その為にさとり様に恥じない存在でありたいと」
 「馬鹿だね、それを恋って言うんだよ。……だったらもっとストレートにそう言ったら良いじゃない。 ”一生お傍に置いて下さい” ってさ」
 「S.A.Wとは違う。何処でも何時でも擦って火が付くなんてそんなインスタントな感情では必ず後悔する。恋から何かを生み出すには火力が低くても持続しなけりゃ意味が無い。ちょうどその辺の出来の悪いボイラーにくべられている石炭(コークス)みたいにね。だから私は、こんな回りっくどい事をするの。例えそれがさとり様に筒抜けでもね」
 「あぁ、筒抜けだろうね。よくさとり様も赤面しない物だよ。そんなこっぱずかしい事。四六時中聞かせられ続けたら、あたいならまともに顔も見れないね」


 聞いている燐が赤面する程の愛の告白。
 色恋沙汰に疎いと言う訳では無いにも関わらず、目前のそれは、普段とのギャップも相まってとても直視できた物では無かった。
 しかし、そんな真っ直ぐな様は羨ましくもあり眩しくもある。
 何処か冷めた目で成り行きを見つめる事が多い燐には、尚更であった。


 「我慢してるんだよ。これでも。さとり様の前ではね。極力意識しない様にしてる」


 言いたい事を言い終えたのか、ふぅと息を吐いた空。
 その表情には当初の煮え切らない様な色は無く、むしろ清々しい様子ですらあった。
 その時に遠方から響いたのは時間の経過を告げる二度目の汽車の警笛。
 懐中時計で時間を確認した空は、予想外に過ぎてしまった時間に少し慌てた様子を見せた。


 「変な話をしちゃったね。行こうか、早くしないとお店閉まっちゃうかも」
 「駄菓子屋のおばあちゃん、お昼寝好きだもんねぇ」


 二人はゆっくりとベンチから立ち上がると、雪の降る街を歩き始めた。







△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 案の定閉店してしまっていた駄菓子店を後にした二人は当てもなくぶらぶらと旧都の街を歩く。
 次々と新たな店が現れては消えるこの街は一時として同じ姿を見せず、いつ来ても新たな発見が有った。
 その人物と二人が出会ったのは、車の行き交う大通りの歩道での事だった。


 「よぉ。久しぶりじゃないか。お空にお燐。元気にしていたか?」
 「勇儀姉さん、何時もお疲れ様です」
 「……お久しぶりです。勇儀さん」


 額から生える一本角。
 数名の鬼と一人の目深にニット帽を被った女性と歩く勇儀は、以前着ていた物よりは幾分か上質な生地で作られた和装を着流していた。
 快活な笑みを浮かべる勇儀とは対照的に、物言いたげな苦い表情を浮かべる空。
 それを庇うように燐は自然な動作で空の前に一歩出ると、何時もの人懐っこい笑みを勇儀に向けた。


 「今日も見回りですか?」
 「いや、少し違うさ。ちょっと南の方のドームが破損したらしくてね。資材が足りないってんで状況を確認しに行く所さ」
 「はぁ……、またですか」
 「そう、 ”また” なんだよ。恥ずかしいながらね。全くあの馬鹿どもは」


 からからと豪快に笑う勇儀の隣で、付き人らしき鬼達は頭を抱えている。
 それも当然の事である。彼女は、現在の旧都の代表者。付き人の彼らも含めて、財政を管理する当事者である。


 「笑い事じゃないですよ、幾ら水晶が潤沢に取れると言っても生産量に限界はあります。洒落にならん無駄遣いですよ」
 「んなもんおめー。子供が元気過ぎて悪い事なんて何も無い。それに私達が言っても仕方居ない事だろう。都の教師にでも文句を言うんだな」


 そんな鬼の心配を勇儀はあくまでも笑い飛ばす。
 一見無責任にも見えるその行動。しかし、無用な心労を掛ける必要は無いと言う彼女なりの配慮である。
 一見粗暴に見えるが内実は繊細その物。そのアンバランスとも言える彼女の気質は指導者としてこの上なく都合のよい物だった。


 自分勝手に見える発言も、破天荒な行動も、全ては廻り廻って旧都の為になる。
 そう周囲を納得させられるだけの実績は彼女の背後にそびえ立っている。だからこそ彼女は有能な指導者として旧都の尊敬を集める事に成功していた。


 地霊殿と連携して統治を行う勇儀は空とも会う機会が多い。故に、本来なら友好的に接しなければいけない存在の筈だった。
 にも関わらず現在空が顔を曇らせているのは、単に初対面時のトラウマ故である。


 「それにしても。だ。全く、お空にはすっかり嫌われてしまったな」
 「……申し訳有りません。頭ではもう理解しているのですが、それでも感情まではそうは行かず」
 「正直なのは良い事だ。さとりの所のは誰も嘘をつかないから好きだぞ。いつかな、また喧嘩をしよう。私を打ち倒せるほどの力を持って、全力で喧嘩をするんだ。そうすればその胸のわだかまりもきっと溶けるさ」


 ぐらりと、勇儀の体が後ろに引っ張られる。
 襟首を掴んで勇儀を睨みつけていたのは、彼女の傍にずっと立っていたニット帽の女性だった。


 「喧嘩するのは勝手だけど、あんたの全力は ”盃” までよ。それ以上は許さないから」
 「分かっているよ。パルスィ」


 パルスィは目深に被ったニット帽と揺れる前髪の隙間から鋭い視線を突き付ける。
 勇儀の補佐役として常に傍に控えるパルスィは深入りし過ぎるきらいのある勇儀を上手く調整するストッパーとして活躍していた。


 「死なない程度に抑える。たったそれだけを守るのに面倒臭いルールが必要なんて。だから鬼は嫌いなのよ」
 「ははは。済まないな。偶には鬼らしい事を言ってみたかったんだよ。在り方が変わっても振るう力と能力は変わらない。そう言うどうしようも無い奴が鬼になるんだ。こればっかりはどうしようもないし、どうするつもりも無い。それにいざという時はパルスィが止めてくれるんだろう?」
 「あんたみたいな馬鹿を放っておけないだけよ。妬ましいわね……」


 パルスィの顔に浮かぶのは恍惚に歪む憎悪の表情。
 最早一種の名物とも言えるパルスィの様子に背筋に薄ら寒い物を感じた燐は、話題を変えようと口を開いた。


 「で、今回はどの位壊れたんですか?」
 「一区画全部さ。何せ範囲が広くて、応急修理も間にあわなかった。脱気もし直しだねぇ」
 「硝子工場の奴らが泣くわね」
 「こればっかりは頑張って貰うしかないさ。別の形では報いるとしてね。……みとりが手伝ってくれれば随分楽なんだろうけどねぇ」
 「みとり……。駄目ですよ。無理に手伝わせたって意味なんて無いですから」
 「それもそうだ。何より引き籠りの河童に鬼はちと刺激が強いだろうしな」


 燐と空は顔を見合わせる。
 みとりがドーム建設の原案を作った事、アマテラス建造の指揮を執った事は一般には公開されていない。
 それは鬼も例外ではない。彼女は最初にこう言った。「私は居なかった事にしろ」、と。






 みとりが消えたのは、突然の事だった。
 始まりは素晴らしき雨の夜。打ち上げの成功した後工房に帰ってすぐの事だった。
 地霊殿に移り、専用の工房を建造してそこで暮らす。そう提案した燐と空に帰って来たのは驚くほど冷たいみとりの言葉だった。


 「御免だね、楽しそうに暮らすお前らの姿なんて見たくない。だから、私はこの地下に来た。辛そうに下を向いて暮らすお前らが見たくて此処に私は居るんだよ」


 突き放す様にそう言い放つ彼女の顔に浮かんでいたのは鬼気迫る物。
 今にも出て行けと叫びださんばかりに目を血走らせた彼女はしかし、すぐに冷静さを取り戻した。
 なんとか思い留まらせようと口々に説得の弁を述べる二人。ただ曖昧な笑みを浮かべるだけのみとりにその言葉は届かなかった。


 「私は忌み嫌われた赤河童、嫌われるのが私の役割。幸せになんてなれる筈が無いし、幸せに ”なってはいけない” 」


 みとりの周囲に発生する強烈な妖力の流れ。
 物理の定理も化学の法則も全てを無視して瞬く間に作りだされた莫大な反作用は二人の前に歴然と立ち塞がった。


 「――お前達がこの工房に出入りする事を ”禁止する” 。さようならだ。お燐、お空、――■■■■■■」


 それは、彼女が最後は冷たくあろうと必死の思いで紡いだ言葉。聞き取れぬ言葉を最後に残し彼女は二人の世界から姿を消した。
 最後に見たみとりの顔は泣き出しそうな程に悲しげなものだった。






 次に気がついた時には既に洞窟の外。
 能力によって閉じられた洞窟が再び開かれる事は結局無く、二人はそれ以来みとりと会っていない。
 みとりの事は案じながらも能力により近付く事すらままならない今の状況では全くもってお手上げ状態であった。


 当時の事を思い出しナーバスな気持ちが押し寄せる。
 曖昧な笑みでお茶を濁そうとした所で、慌てた様子の男が勇儀の元に駆けつけた。
 衛兵らしき妖怪は息を切らしながら勇儀に報告する。
 とぎれとぎれの言葉の中、少し離れた位置に居た二人にもはっきりと聞こえた言葉が有る。
  “怨霊” とそして ”暴走事故” 。目の色が変わった勇儀は、慌てた様子で燐の肩を乱暴に掴むと真剣な面を燐へ向けた。


 「お燐。状況は最悪だが ”お前が今此処に居てくれた事” は僥倖だった。頼む、霊力プラントに向かってくれ。――一刻も早くだ」
 「……また、事故なんだね。分かったよ。でも脚はどうするの? 此処からじゃ碌に飛べやしないよ」


 現在の旧都は飛ぶに辛く駆けるに易い構造をしている。
 限られたスペースを有効利用する為に立体的な都市開発が行われた結果。
 入り組んだ霊力輸送用の配管と無数の渡り廊下が妖力翼の展開を阻害するからだ。
 現在の旧都で最も高速なのは ”機関車” とそして、 ”自動車” である。


 「大丈夫だ。その為に私達は居る。パルスィ」
 「……遅い。もう来たわ」


 狙った様なタイミングで通りの向こうから猛然と突っ込んでくる一台の自動車。
 外の世界で名を馳せるT型モデルに似た車体は白煙を上げ彼らの前に停まった。
 運転席と座席の扉が開く。そこで不機嫌な顔をするのは、やはり ”水橋パルスィ” だった。
 二人のパルスィは小さく頷くと、運転席のパルスィがすっと消え代わりに勇儀の傍にいたパルスィが車に乗り込む。
 「乗りなさい」と目線で促された二人は押し込まれるように後部座席に乗り込んだ。


 トルクに大きな難のある気取った車体は、三人を乗せただけで車体が大きく沈み込む。
 しかし、パルスィはその事を気にした様子は無い。運転席から身を乗り出すと、何時の間にか後ろに立っていた勇儀に声を掛ける。


 「勇儀、加減しなさいよ」
 「分かっている」


 車の行く先にあるのは、郊外へと続く只管に真っ直ぐな直線道路。
 都市の大動脈であり、車の行き交うそこは常に多くの人で混雑をしていた。


 その道に向かい、勇儀は何度か大きく深呼吸をする。何度目かの呼吸の後、鬼の口がただ無造作に開かれた。
 瞬間。指向性を持った衝撃波が大気を轟かせる。
 一拍遅れて届く壊滅的な咆哮が郊外へと続く道を行く車を次々と跳ね飛ばしていった。


 「前方、障害物なし! 怪我人多数」
 「後で謝罪は手伝ってくれ。だから、責めて言い訳はできる様にしてくれ」
 「無論よ」


 「歯を食いしばれ、何かに掴まれ。安全の保証は出来かねる」無責任な言葉と共に車が勇儀の能力によって押し出される。
 十割の力を推進力へと変換する奇跡的な暴力は、車を一つの弾丸へと昇華した。




 一条の流星は、音をも置き去りにしてただ真っ直ぐに旧都を駆け抜ける。
 都市の動脈を抜け、橋を渡り、間欠泉の傍を抜ける。
 荒野を行き、やがて見えるは噴煙の上がる建造物。
 場所は旧都の郊外。建物も無く、ただ未整地の荒野だけが広がる空間にぽつんと存在する霊力プラント。
 霊脈の上に建てられたそれは、無間に湧きだす霊力を精製し旧都へ送り出す役割を担っていた。


 プラントまでは数百メートルはあると言うのに、その恐るべき咆哮は彼女らの耳にも届く。
 窓から吹き込む風に燐の紅く長い髪が揺れる。
 その ”声" を聞き取った彼女はその窓から大きく身を乗り出した。


 「私、先に行くね。お空も後で皆と一緒に来て」
 「分かってるよ、気を付けてね」


 ひらりと飛び降りた燐はそのまま着地せずに地面を滑る様に高速で飛行した。
 妖怪とは本来空を飛ぶ物だ。人の理から外れ、その夢と幻想の間に生まれた彼女らは宙に浮き空を飛べる。
 飛ばない者は居ても、飛べない者は居ない。風を切り弾丸のように空を駆ける彼女は瞬く間に、プラント上部の排煙設備まで到達した。


 雪交じりの風が吹きつける鉄塔の中腹。
 その排煙装置に絡みつくのは怖ろしく肥大化した怨霊だった。
 より正確には怨霊 ”だった” 物である。


 数は十に達するだろうか。
 その魂の容量の限界を超えて吸収した霊力に振り回されるしゃれこうべは、苦しげな呻き声を上げる。
 その全てが完全な暴走状態。周囲の建物に突っ込んでは鋼鉄製の柱を飴細工のように曲げて行く。
 その様子から意識らしい物は微塵も感じ取れなかった。


 だが、燐だけは違う。その悲鳴とも咆哮ともつかない不明の呻きを、彼女だけは聞き分ける事ができる。
 その四つの耳を総動員し、雑音としか思えなかった音波を分析する。
 ようやく辿り繰り寄せたのは、ほつれの先にも満たない意識の一端。
 襲い来る怨霊を軽い身のこなしで交わした燐は、その怨霊の一体へと肉薄した。


 「そっか……、寂しかったんだね」


 場違いな程に優しい声。
 「大丈夫だよ。あたいは此処に居る」そんな燐の呟きに答える様にして一体の怨霊は燐に憑き従った。同様に次々と怨霊を沈めて行く。
 争いと苦悩の化身が、ただ平和的に隷属する。それは通常ならば、怨霊の存在に真っ向から反する事。
 だが、燐にとってだけは自然な事だった。


 だが一際大きな一体だけは、頑なに燐に憑こうとはしなかった。
 それどころか、その怨霊は燐へ激しい攻撃を加え始める。その全てを紙一重でよけながら、後方へ大きく飛んだ燐は少し離れた建物の屋根に降り立った。


 「そうか、君は力を示さないと話を聞いてくれないんだね。それなら――」


 燐の周りに新たに数体の怨霊が顕在化する。
 周囲の気に紛れて燐の体に潜んでいたそれらは、燐の言葉に従い呪言に添ってその力を振るう。
 一糸乱れぬ動きで巨大なしゃれこうべを翻弄する怨霊。
 ついに、そのしゃれこうべを拘束せしめた怨霊達は燐の呪言によって再びその身を隠した。


 「知っているよ。君は ”寒かった” からここに来ちゃったんだよね。大丈夫あたいと居れば暖かいから」


 それは、燐が小町から教授を願った物。妖怪として定義された時に与えられた力とは根本的に異なる物。
 旧地獄に住む妖怪の中で唯一燐だけが使える、とっておきの ”技術” である。


 大人しくなった怨霊を燐はそっと抱きかかえると、優しく飲み下す。
 間もなくして無駄な霊力を放出した怨霊が口から飛び出すのと、空達が駆け付けるのは同時の事だった。


 鉄塔の下で空が大きな声で此方を案じている。
 見に纏わせた妖力を解き、軽くスキップでもするかの様に身を空中へと投げ出す。
 背筋をぴんと伸ばし頭から地面へと落ちる燐は、着地の直前で頭を丸めこみ衝撃を横ベクトルへ逃がす。
 美しく五点着地を成功させた燐は、はたはたと服の裾を払った。


 「……かっこ良かった?」
 「十分よ。惜しいのはそれを自分で言わなければ完璧だったわね。さぁ、後は皆に任せて早く帰ろう。晩御飯の時間だ。さとり様が待っている」


 小さくピースをする燐。その横顔は紛れも無く、仕事をやり遂げた者が見せる誇らしげな顔。
 その姿に嘗ての自分の後ろを付いて来るだけだった燐が重なる。
 その成長を嬉しく思う反面ほんの一滴灰色の感情が混じった……、気がしたが空はあえてそれを無視した。
 「帰ろう」そう言って振り返った荒野から視る黄昏の空は、作り物は思えない生命の輝きに満ち溢れていた。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 昨日まで続いた日常が明日も続くなんて神でさえも保証してくれない。
 にも関わらず生命が楽観的に日々を歩めるのは、単に自己防衛的な精神機能の賜物なのだと思う。
 それは、私にとっても例外では無かった。
 日々を漫然と過ごす私にとっての転換点はあまりに日常的な光景の中に埋もれていた。
 目前のさとり様が煙管に口を付けゆっくりと煙を吐き出しながら歓談する、そんないつもと変わらぬ夕刻のある日だった。


 「暫く……、地霊殿を離れます」


 あまりにも何時も通りの自然な口調故に、理解は一拍以上も遅れて着いて来る。
 言葉の意味を咀嚼した時には既に二息目の煙を吸い込む途中であった。


 「なんですか、突然。出張なら着いて行きますよ」
 「少し何時もと事情が違うのですよ。……察して貰えませんか?」


 その瞳は何時もの気圧されるような強い物で。
 でも何処か悲しげだったからだろうか。
 見慣れた筈のさとり様が、今日はどうしてか酷く遠く感じてしまった。


 「嫌です。ちゃんと説明して下さい」


 瞳とは正反対のおどけた表情はまるで道化の様で。
 何かを塗り隠す為のワザとらしく媚を売った表情と声色は酷く不誠実に感じて無性に腹が立った。


 陶器の灰皿に煙管を掛ける。
 淡い桃髪で隠れた横顔が窓の外、旧都の市街地を眺めていた。


 「支部に怒られてしまいました。越権行為だと」


 支部とは十中八九是非曲直庁の事だろう。
 その話をする時のさとり様は、いつも決まって曖昧な表情を浮かべる。
 それは今日も例外では無かった。


 「どうしてそれでさとり様が怒られるのです?」
 「お偉い様って言うのは、自分の思った通りにならない事がお嫌いなのよ。だから、私はそれを謝りに行くの。ただそれだけよ」
 「ならば私もご一緒します。私もさとり様の隣で全て見ていました。さとり様に悪意が無い事の証人になれる筈です」
 「駄目よ。あなたは連れて行けない」


 レコード盤から流れるチェリストの独奏が空回りする室内で、いつしか私は立ち上がりさとり様に詰め寄っていた。
 さとり様に優しく肩を抱かれて初めてその事実に気付いた私は促されるままにまたソファへと腰を落とした。


 「言ったでしょう。怒られに行く、と。私の有罪は既に確定事項。ただ、その罪を灌ぎに行くだけなのです」
 「何故ですか。碌に資材も与えず、碌に指示も無く。ただ放り投げておいて、いざ自分が気にくわないと処罰する? そんな馬鹿な話があってたまるか」


 再び視界が真っ赤に染まる。
 これまでに是非曲直庁からの支援は最低限だった。すなはち、生きるのに必要なだけどの水と食料。後は申し訳ばかりの建設機器。
 焦熱地獄の再建に掛かる資材も、地霊殿補修の費用も殆どが不足しこの地で賄う必要があったさとりの行動を誰が責められるだろうか。


 「お空。落ち付きなさい。私にも非はあります。これまで報告をしてこなかったのですから」
 「それは、報告すれば中止命令が下る可能性があったからでしょう? 知っているんですよ! 彼岸の奴らが旧都の ”不法占拠者” を疎ましく思っている事位」


 現在の旧都はさとりが住人達の自治権を認め委託統治をしている形である。
 だが、この土地は元々是非曲直庁の物。
 仏教閥の物が神道閥に占拠されていると言う事実は、彼らにとって決して面白い物では無かった。
 是非曲直まで着いて行った幾度かの経験で、獄卒や映姫以外の閻魔が発する排他的な空気を空はその身で感じていた。


 「それは事態を構成する一つの要因に過ぎません。私が取るべきだった行動は上層部を説得し開発の許可を得る事。ただ、それだけ。それを踏み外したのが私の罪なのですよ」
 「でも!」


 胸の内から湧きあがる膨大な不安感はもはや理屈で言い表す事では無かった。
 そも、是非曲直などと言う物は数千年もの人類の歴史の中で繰り返されてきた絶対的な基準への渇望を信仰の中に求めた故の産物である。
 数千年物の頑固頭に愛しい主の身を委ねる等、考えただけでも腸が煮えくりかえりそうになる。


 行き場所の無い怒りを手もとの灰皿に叩きつける。
 微細な灰白色の粒子がふわりと宙へと舞い上がった。


 「聞き分けなさい、 ”空” 。はっきりと言います。貴女が私に着いて来てもできる事は何一つありません。それどころか、マイナスに働く可能性すらある。政治の場に貴方は向かない」
 「では私はどうすべきなのですか。何もできないなんて、そんな事は百も承知です。分かっているのに、気持ちが整理できなくて、苦しくて堪らないんです。私は馬鹿だから。分からないです。一体どうやって、この持て余したこの体と心の熱を冷ませば良いのですか?!」
 「その辺の雄とでもまぐわえば良い――、冗談です。怒らないで下さい。灰皿を置いて下さい」


 ぷるぷると震える腕を抑え、椅子へと座り込む。憎たらしい程に愛おしい主人は心が読めるくせに時折空気が読めない。
 「まぁ、貴女の子供の顔が見てみたいのは本当ですけれどね」と余計な前置きを置いてさとりは真面目な顔に戻った。


 「空、貴女はね。私の居場所になってくれれば良いの。私の帰るべき家を、 ”地霊殿” を守って欲しいの。だから、貴女は此処に残って私の居ない間皆のお世話をしてあげて。大丈夫、三日もあれば戻りますから」


 今度こそまぎれも無く、あの眼だった。
 一切の反論も許さずただ、隷属を迫られるかのような威圧的な瞳。
 中毒的なまでに蟲惑的なその眼は、私を一人の歯牙無きペットへと変えてしまう。
 私はただしゅんと羽を窄ませ、俯き加減で漆黒の髪を小さく揺らした。


 「良い子ね。ありがとう私の為に怒ってくれて。その気持ちだけで私は十分よ」
 「さとり……、様。私……、は」


 吐き出そうとした言葉は、無言の抱擁でせき止められてしまう。
 それがさとりの意志だと分かっていても、空は嬉しくて堪らなかった。
 せめてもの抵抗と温かく小さな主の体を強く、強く抱き返す事にした。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 その日の夜。
 私は夢を見た。気がつけば、私は焦熱地獄の中に一人佇んでいた。
 右を見ても、左を見ても目に入るのは真っ赤な炎。見慣れた筈の焦熱地獄。けれど、一つだけ何時もと違うのは熱を感じない事。
 どうしようも無いのでただ歩みを進める。何かに導かれるようにかつりこつりと足音を立て進んだ先に待つのは一人の影。


 「あなたは誰?」
 「神様だよ」


 胡坐をかいた自称 ”神” は立ち昇る火柱をものともせず、マグマの上に座っている。
 しかし、それよりも私の眼を引いたのはそれの肩に乗っている ”モノ” だった。


 「あぁ、その通りだ。もっともお前に用があるのは、 ”私” じゃ無くて ”こいつ” なんだよ。どうしても、ここに連れてこいってうるさくてね」
 「その子は……、 ”鴉” ?」


 それが何であるのか一瞬判断が着かなかった。
 何処までも深く、何処までも遠い不気味で不思議な漆黒の瞳。
 生命にあるまじき無生物的で、古ぼけた鋼鉄の羽。
 体の節々から覗く無数の歯車とクランクはてんでばらばらに回転している。


 「その通り鴉だ。地獄鴉じゃない。何処にでも居る普通の鴉だよ、 ”元々” はね」
 「その鴉が何で――、うわっ?!」


 ばさりと翼を広げた鴉が私目がけて飛びかかってくる。
 襲われると思い身を一瞬固くする。しかし、鴉の鋼鉄のかぎづめは私の肌を傷つけないように優しく肩を掴んだだけだった。
 「ただ問題なのは――」妙に体を摺り寄せて来る鴉は幸せそうにかぁと鳴く。


 「そいつが、何を間違えたのか ”神” であって、お前さんに ”惚れこんでいる” という点なんだよ」


 ぼっと、顔が紅って行くのを感じる。
 耳元で鴉のぎぃぎぃという歯車の音がやかましく響いた。


 「やれ、神に封じてみれば好き勝手に動きたがる。神にあるまじき落ち付きの無さだ。放っておけば置いたで、勝手にほっつき歩いて勝手に惚れこみやがる。全く身勝手な奴だよ……」
 「わ、わ、私に惚れてるって、そんな馬鹿な」


 恋は常にしているつもりだ。ただ、それは常に主人に向けられる物で、一方的に誰かから愛を受け取った事は無い。
 ぐるぐる回る思考をアウェアネスに引き戻したのは神の言葉だった。


 「あぁ、肉欲的な意味じゃない。安心しろ。神としてあんたに惚れたんだとよ。つまりは――、あんただけに信仰を捧げて貰いたいそうだ」
 「しん……、こう?」
 「そうだ、どうにもこいつは皆に馴染めないみたいでねぇ。でも、どうしてかお前さんだけは気に入ったみたいなんだよ」


 固く重い音を立て、翼を動かす肩の鴉。
 浮ついた気持ちと不気味な感触が、非日常的な現在の状況に異様な現実感を伴わせる。


 「駄目かね? タダとは言わん。こんな若造でも一応は神の末席だ。お前は桁外れの力を手に入れる事になるぞ」
 「力……?」
 「そうだ。万物の根源にしてこの世の原初たる力。 ”太陽の力" だ。貴様らの作り出した人工の ”あれ” なんぞとは比べ物にならない光がここにはある」


 私は眼の前の神を急にうさんくさく感じる様になって来た。甘い言葉を掛ける妖怪はこの地下に幾らでも存在する。
 そいつらは決まって眼の前の自称神の様に壮大な言葉を吐く。


 「太陽……。そんな凄い大それたもの、何処の馬の骨とも分からない地下の妖獣に渡して、一体貴女は何を得るの? このやりとりは誰が得をする為のものなの?」
 「ははっ、流石嫌われ者のさとり妖怪の部下。聡明だな。でも、こればっかりは大した理由が無いんだよ。そうだな強いて言うなら――、 ”この子” が外の世界を見る事を望んだ。ただそれだけだよ」


 「まぁ、当然。私がそれ以上の力を持っているからと言うのも事実だが」怖ろしい言葉を聞いた気がするが今は重要でない。
 真相をぼやかした神の言葉は私の苛立ちを募らせる。猜疑心の膨らみは自分でも感じていた。


 「答えになっていない。私に何をさせたいのかと聞いている。そして、その行動が貴女にとって何をもたらすのかを」
 「好きなようにさ。気が付いていないのかもしれないが、今のお前達の技術は地上をも上回ろうとしている。少し、こことはベクトルが違うが私も上の文明を次の段階へ押し上げたいと考えているんだよ。その為の手伝いを少しだけして欲しいのさ」
 「そんな抽象的な言葉じゃ私はどうにも判断なんてできやしない。正直言って胡散臭いよ。貴女」
 「ならば、私もお前に対して率直な言葉を贈ろう。―― ”私がどう考えているか” はお前にとってそんなに重要なのか?」


 体が竦んだ。真なるプレッシャーと言う物を初めて感じた気がする。
 覇王に足る者のみが持つ圧倒的な圧力は鬼の持つそれとは全く別種であって、更に桁違いだった。
 何時の間にか眼の前に立っていた神に顎を掴まれ、互いの息遣いが聞こえて来るほどの距離に顔を寄せられる。


 「……お前さん。力が欲しいと願った事は無いのかい? こんな力が力を支配する世界で生きてきて、唯の一度もそれを願った事が無いのかい? もしも、奇跡的にそれがこれまで無かったとしても、それがこの先にも起こらないと一体、 ”誰が” 保障すると言うのだい?」
 「……五月蠅いよ。そんな分かり切った事を物知り顔で言わないで」
 「ふふ。知っている事と理解している事は違う。もしも、この力が欲しいと願うなら――」


 火柱に吹きあげられた灰が頬に撫でつけられる。
 「三日後の夜、この場所に来い」小さく耳元で囁きかけられた言葉に私は思わず飛び退いた。




 鉄の鴉が地獄の海で不気味にかぁと鳴く。





 「……夢?」


 そこは、何時もの自室だった。地獄の雀が朝日を浴びて中庭で盛大に一日の始まりを告げる。
 隣では寒がりの燐が持参した枕で狭いベッドの上、一枚の布団に潜りこんでいた。


 「どうしたの、空?」


 寝起きの彼女は閉じかかった眼で私を見る。
 先ほどの体験が何だったのか未だに理解できていない。


 「……ううん。何でも無い。起こしちゃって御免ね」
 「いや、別に良いんだけどさ……」


 訝しげな彼女の視線に不自然さを感じる。
 不安の波に追われた私には、ただもがく様に腕を前に伸ばすしかできなかった。
 しかし、現実は残酷に、無造作にその大口を開く。
 日常の終わりの鐘は皮肉な事に、親友の口を借りて高らかに鳴り響くのだ。


 「お空。顔位は洗ってから寝た方が良いよ。 ”煤が付いてる” からさ」






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 シンプルな木目調の扉はけたたましい音を立てて開かれる。
 思いつめたような表情で大股に秦広王に歩み寄る映姫は真っ直ぐに目を見て言い放った。


 「どう言う事ですか、秦広王様」
 「どう言う事……、とは ”どういう事” かね?」


 執務室の机の上に叩きつけられるのは、一枚の書類。
 とある罪人の罪状と処分について記された是非曲直庁では極一般的な書類である。


 「私が聞かされていた事と違います。ただ、話を聞くだけでは無かったのですか!?」
 「ああそうだ。話を聞いた。そして、 ”あれ” は誠実に包み隠さず真実を話した。その上で私は功罪を差し引き、正当な判断を ”あれ” に対して下した。……何か問題が有るか?」


 疑問を挟む事を許さない圧力。その言葉に籠められていたのは最早、悪意などと言う稚拙な物では無い。
 あれと秦広王が口にする度。映姫は普段からは考えられぬ程黒く邪な感情が胸に渦巻く事を感じていた。
 らしくない。そんな事は自分でも理解していた。


 「私にその情報を回さなかった理由は何故ですか。秦広王様が直接裁かれるなど余程大きな案件に限られていました。それが、私の耳に入らないと言うのは、お言葉ですが意図的な物を感じざるを得ません」
 「私はこの支部全体の責任者だ。私の指示があれば全ての業務は行う事ができる。お前の耳に入れる義務は無いし、そんな案件はこれまでもあった。……質問の意図が明確でないぞ、四季映姫。つまるところお前は――、 ”友人の処罰を妨害できなかった事” に対して憤っているのだろう?」
 「……ッ!?」


 返す言葉が無かった。心の内を見通され、且つ明らかな失態を露わにされる。
 如何なる理由であれ、それは閻魔である自分に許される事では到底無かった。


 「申し訳有りません……。私情を業務へ持ちこむ等もっての他。是非曲直庁に不備などありません。おっしゃる通りで御座います。――私の過ぎたる言葉に罰をお与え下さい」


 直角に背を曲げ、唯只管に詫びる映姫。
 秦広王は自らの疑問に何一つ答えていない。だが、それでも自らの閻魔はこれ以上の追及を不可能と判断させた。
 秦広王は映姫をぞんざいな瞳で睨み、そして手で制した。


 「分かったのなら良い。お前ほどの優秀な閻魔を失うのは惜しい。――だが、同じ事が続くようなら話は別だ。行け、私は忙しいんだ」
 「申し訳有りませんでした。失礼します」


 秦広王の執務室の扉が閉じられる。
 溜め息が出る。掌には握り込んだ爪の後が未だくっきりと残っていた。


 肩を落とし仕事部屋へと戻る映姫。
 しかしその途中。映姫を待ち構える様に小町が壁にもたれかかり船を漕いでいた。


 「小町……」
 「おはようございます。映姫様」


 「私は……、少し疲れてしまっていた様です……。私情を挟む等。普段から絶対にしてはいけないと言い聞かせている筈なのに……」
 「仕方ないですよ。誰しも身内に対してはある程度のバイアスが掛かってしまう。若手の船頭にも、閻魔様にもよくある事です。映姫様の場合は近しい者がこれまで居なかったのが裏目に出た。ただそれだけですよ」
 「ですが……」
 「らしくないですよ。映姫様。貴女の仕事は偉そうに高説を垂れて民衆を委縮させる事じゃないですか。貴女のそんな姿、誰が見たいと思うんです?」


 言葉とは裏腹に小町は映姫の頭を優しく撫でる。
 映姫は抵抗をするでも無くそれを受け入れていた。


 「厳しいですね。小町は何時も」
 「優しくして欲しいですか?」
 「いいえ。ただ……」


 「後少しだけこうしていて良いですか」小町の胸に顔を押し付けた映姫は何をするでもなくただその温もりに包まれる。
 小町は何も言わずその小さな背をただそっと抱きしめ返した。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 さとりが帰らぬ地霊殿は、拍子抜けするほどに何時もと変わりはしなかった。
 地霊殿の内部の事は元よりペット達で行っているし、旧都との調整は勇儀が気を効かせてくれた。
 さとりが居ないので、大きなプロジェクトを進める訳にもいかない。
 その結果訪れたのが日常以上の平穏な日常である。


 「ふわ……、おはよ……、お燐」
 「何が “おはよ” だよ。もうお昼だよ」


 窓の外には太陽が煌々と昇る。他の妖獣達は既に各々の自室や談話室で余暇を過ごしている。
 食堂に残り、爪の手入れをしながらラジオに耳を傾けていた燐は、寝起きの悪い親友をじっとりとした瞳で見つめていた。


 「だぁってさぁ。今日は非番だし、早起きしてもやる事なんて無いしさ」
 「そんな事言っているから、いつもいつも朝起きるのに苦労するのよ」
 「お燐が起こしてくれるんでしょう?」
 「調子に乗るな」


 やすりで削り出した爪の粉末を紙の上にこつりこつりと落としつつ、無言で台所を指さす。
 すっかり冷えてしまった空の為の食事が白い皿に乗せられていた。


 欠伸を噛み殺しながら、皿を運び燐の向かいに座る。
 皿に並べられているのは三枚にスライスされたバゲット。
 軽く炙られ茶色い焦げ目がついたそれにはスクランブルエッグ――地獄鴉の無性卵を使用した物――が添えられていた。


 しかし、起きぬけで動きが戻らない胃袋はそれらを収める事を嬉々として了承しない。
 仕方が無いので、誰かが朝に淹れたまま残っていた珈琲をカップへ注ぐ。
 それは当然冷めてしまっており香りも飛んでしまっている。起きぬけの頭にその苦みはうってつけの物だった。


 「お燐、何か面白い事ある?」
 「自分で読みなよ。子供じゃあるまいし」


 放ってよこされた雑誌には自由気ままな文字が躍る。
 字体もフォーマットもてんでばらばら。それは、各々が持ち寄った記事を中身も確認せずに纏めただけの瓦版。
 『星熊勇儀、熱愛発覚――相手は橋姫か?』分かり切った事だろう。何を今更。そう思い読み飛ばす。
 『ラジオ塔開設五周年記念式典に付随する出店申し込みについて』興味はあるが出店をするつもりは無い。
 『大焼処区 鉱石加工場怨霊暴走事故』見慣れつつある内容にうんざりしながらも、そこに目がとまる。


 「ふぅーん。また事故か」


 ずずりと啜る黒い泥の様な珈琲。
 それは驚くほど不味かったが、我慢して嚥下する。
 苦みによって脳神経が激しく刺激される事を感じた。


 「鉱石加工場か……。大焼処区は生産しているのは確か……、石英だっけ?」
 「勇儀さんまた頭痛めそうだねぇ。私も何か手伝えるかなぁ」
 「起こる前ならまだしも、起こった後じゃねぇ……。現場作業なら向こうに任せた方が早いし……」


 現行、怨霊に対する対応は鬼と地霊殿が協力して行っている。
 それら全てを合算しても燐の怨霊への対処能力はずば抜けての一位である。
 地霊殿の怨霊鎮圧能力はほぼ燐と言う一個体に依存していると言っても過言では無い。


 「ま、暫くは見回りの人員を増やさなきゃかもね。さとり様が帰ってきたら相談して見よう」
 「それもそうだね。あたいも暇な時は外に出る様にしてみようかな」


 はむり、と卵を乗せたパンを口に運ぶ。
 塩だけで味付けをされたそれは、あっさりとしていて胃袋への負担も軽く割合抵抗なく咀嚼できた。
 木製ラジオから流れる、土蜘蛛のトークをBGMに空はバゲットを口に運び、燐は爪を研ぐ。
 あまりお腹がすいている訳では無かったが勢いで三枚のバゲットを平らげた。
 重たい胃袋に辟易しながらも、意を決したように泥水の様な珈琲を口に流し込む。
 なるべく息をしない様に気を付けて黒い液体を嚥下した。


 「豆、変えない?」
 「買い出しの担当に言いな。安いからってしこたま買い溜めしやがって……」


 食品庫に積まれた大量の豆袋を思い出す。
 己の身長ほども積み上げられたアレを処理しきるのは何時のになるのだろうかと考えただけで空は頭が痛くなった。
 口内に残った余韻はとても珈琲の物とは思えない。
 鉄製のヤスリで爪を研ぐ燐は、輝きを取り戻した自前の物を満足げに眺めていた。


 「お燐ってさ……、今日、暇?」
 「暇じゃなかったからこんな所でラジオ聞きながら爪研いだりしないよ」
 「それもそうだよね……。ね、お燐。ちょっと散歩に行かない?」
 「良いよ、何処行く?」
 「ん、上」


 指を天上へ向け目配せをする。
 空の言わんとする所を察したのか燐も静かに頷いた。
 仕上げとばかりにやすりに爪の先を刷りつけた燐は流れるような動作でポーチへ手入れセットを閉まった。






 「ふぅ、久しぶりだね。ここに来るの」
 「昔はよくここで遊んだよね。」


 雨どいに足を掛け、屋根の端に腰掛ける。
 周囲に広がる、高層建築物の森。
 僅かな隙間の向こうに見える霊脈の採掘プラント。
 小高い丘に位置する地霊殿からは旧都が一望できた。


 アマテラスは昼間モードで旧都上空を飛行する。
 キセノンライトによって照らされた地下世界は地上となんら遜色が無い程明るく、雲一つない空が広がっていた。


 「どうしたのよ、お空。あんたの方から悩み相談なんて珍しいじゃん」
 「そう言えば昔はお燐の愚痴聞きばっかりだったっけねー。懐かしいなぁ……。小町姉さんの修業が厳しいとか、さとり様のご飯が美味しくないとか、色々あったよねぇ」
 「さとり様の料理が美味しくないのは皆言っていたでしょ。共犯だよ共犯」
 「さとり様暫く凹んでたもんねぇ、お燐が猫の姿で御機嫌取りに行ったりさぁ。皆で何かプレゼントしようって、手作りの肩叩き券上げたり。懐かしいなぁ……」


 胸の内の気恥かしさを誤魔化す様に上を向いて目を瞑る空。
 瞼の裏には当時の様子がありありと思い浮かべられ、友人の情けない笑顔に少し気が紛れた気がした。


 「で、結局何を言いたいのよ。昔散々世話になったしアドバイスできるかは分かんないけどさ……、お話位は聞いてあげるよ」


 片足を組んでいた燐は真面目な顔になり空の眼を真っ直ぐに見る。
 真摯な視線に空は押し黙る。
 燐は煮え切らない友人の態度に焦れると同時、少しばかりの悪戯心が芽生えた。
 俯き気味のその顔を覗きこみに行く。顔を逸らされる。空へ浮き真上から逆さまに目を覗きこむ。
 更に顔を逸らされる。その顔を両手で掴み正面から真っ直ぐに目を見据える。
 デコピンを喰らう。溜め息を吐いた空は観念したように自分から顔を合わせてきた。


 「……お燐はさ、最初に小町姉さんに師事した時、何を思った? どうして操霊術を学ぼうと思ったの?」
 「何を真剣な顔をすると思ったら……、お空も意外と下らない事で悩むのね」
 「……茶化さないで。少なくとも私は真面目に聞いてる」


 その顔に重なるのは嘗ての自分。
 端正な顔で脹れっ面をする相棒の面は自分とは似つかない物だが、その悩み自体には痛い程に心当たりが有った。


 「お空。あんた、もしかして自分はさとり様の役に立って無いとか、邪魔者かもしれないとか、そんな類の事を考えてない?」
 「役に立って無いとは思って無い。だけど、今のままじゃ嫌だっていうだけ」
 「あぁ、そうか。あんたはそうだよね。……逆に質問するよ、あんたはどうなりたいの?」


 ペットでは嫌だ。そう真剣な瞳で語っていた友人の言葉を思い出す。
 ずきりと、胸が痛んだ。
 一途なまでのその思いは羨ましくもあり、どこか嫉妬心の様な物を同時に感じてしまう。
 だからなのかもしれない。燐は意識した訳ではないが少しだけ意地悪な質問をしてしまった。


 「さとり様の役に立ちたい」
 「即答ね」
 「これ意外あり得無いし」
 「具体的にどうなりたいのかって事よ。あんたはどうやって、さとり様を助けたいの? 全部とかそこまで言うなら最早私は何も言わないけどね」
 「力が欲しいって言ったら?」
 「その力でどうするの?」
 「有事の時にさとり様を守る」
 「つまり、普段は何の役にも立たないし、いざと言う時にも鬼にすら勝てない半端物になりたいって事? どう足掻いたって妖獣は鬼に勝てない。幾ら怨霊を取り込もうが、妖獣は妖獣。殆どの神ですら鬼には届かないのよ」
 「……」


 それらは全てお燐が小町に師事した初日に言われた事。
 まさに自分が身に染みて感じたその言葉は、自分でも驚くほどにすらすらと口先から飛び出した。


 「私が操霊術を学んだ理由だっけ……、同じだよ。空と。さとり様の為に ”自分が出来る事” をやろうと思った。ただそれだけ」
 「自分が出来る事?」
 「うん。あたいはさ、色んな人と喋ったり遊んだりするしか能が無い猫。頭も悪いし、力も弱い。そんな自分にできるのは何だろうって考えた時に目に入ったのが小町姉さんだったんだ。操霊術は思った通り私にぴったりの ”技術” だった。覚えの悪いあたいにも小町姉さんは優しく教えてくれた。そうやって今ようやく、さとり様に恥じない位の働きはできていると思ってる」


 空は考え込むように暫し押し黙った。
 空は燐よりも力が強い。頭脳も――燐と比べればだが――明晰だ。だが、それらはあくまでも妖獣の中での事。妖怪と言う大きな括りの中では何の意味も持たない。
 故に燐は嘗て空よりも強く焦り、 ”技術” を得る為に小町に教えを乞うた。


 「私にできる事か……、」
 「私から言えるのはさ……、自分がどんな技術を身につけられるかが重要で、自分が持っている能力はそこまで重要じゃないんじゃないかって事だよ」
 「それも、小町さんから聞いた事?」
 「まぁね。あたいの言葉は半分位はそうだよ」
 「ふふっ、なら信用できるね。ありがと、何か少しだけ分かった気がするよ。そっか、 ”技術” か。そう言う選択もあったんだね」
 「大方、怨霊の群れでも見つけて片っぱしから食べようとか思ってたんでしょ?」
 「まぁ、割と似てるかもね。でも、もう辞める事にした。だから安心して」
 「信じる事にしてあげましょうか。得難い親友の言葉だしね」


 何かを悟った様な晴れやかな顔にほっと胸を撫で下ろす。
 空は妙な所で鈍い事がある。自分がどれだけさとりから愛されているか気が付いていないのがその典型だ。
 さとりは数多くのペットを飼っているが、空程危険な任務に多く従事しているペットは居ない。
 護衛役、焦熱地獄メンテナンス。何れも一歩間違えば最悪の事態に繋がる物ばかりだ。燐はそこまで考えてまたむっとした黒い感情を胸に覚えた。


 「らしくないなぁ。こんなの橋姫に任せとけば良いと思ってたのに……」
 「どうしたの? お燐」


 ぼそりとした呟きは、運悪く地獄耳の友人にも届いてしまったようで、鬱陶しい位の笑顔でこちらを眺めている。
 燐の心の内を絶妙に勘違いしているのかにまにまと笑う空を燐はじとりとした瞳で精いっぱいに睨み返してやった。


 「何でも無いよっ、ほらっ、折角の休みだし旧都に遊びに行こうよ! 駄菓子屋さん閉まっちゃうよ」
 「うわっ、ちょっと、お燐。待って、引っ張らないで」


 時刻はアマテラスが頂上から下り始めた頃。日差しも心地良い昼下がりは町歩きには持ってこいだ。
 胸の内の黒い感情を振り払う様に、空の手を取って屋根を駆けだす。
 抗議の声を上げる空を引きずり、燐は眼の前に広がる鉄とコンクリートのジャングルに飛び出した。






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 「随分と凝った装飾ですね。大変だったんじゃないですか?」
 「そんな事は無いさ。祭り好きの土蜘蛛の手に掛かればこの程度お茶の子さいさい、さ」
 「しかし、良くできている。お祭りなんて大昔に道の脇から眺めていただけですが、これはまさしくあの時の……」


 行き交う人は誰も和装に身を包み、旧都の市街地に集う。
 夜だと言うのに提灯の灯りと街灯で照らし出された広場は昼間の様に明るい。
 同様の光景が上に数十層、下には少なくとも十層。
 複雑に絡み合うスカイスクレイパーに取り付けられた足場には無数の屋台立ち並んでいた。


 「こう言うのはな、ディテールが重要なんだよ。遊びにだからこそ本気を出す。それが私達の流儀さ」
 「だからと言って掛け声だけで的を全部落とすのは考え物よ。……泣きそうだったわよ、あの主人」
 「……偶には良いじゃないか」


 鉄管の隙間を縫うように乱暴に溶接された急造の橋。
 ビル風に揺れる不安定なそれを、空と燐、続いてさとり映姫、勇儀の三人はおっかなびっくり渡り向かいのビルへと向かう。
 階段の様に幾重にも折れ曲がった建造物は、その段差にこれでもかと言わんばかりに店が軒を連ねていた。


 「勇儀さん、向こうの橋。落ちそうですけど」
 「――おっとこれはいけないね。ちょっと直してくるよ。お前さんらは勝手に楽しんで行ってくれ」
 「言われずともそうさせて頂きます。 ”その為に催した” のですから」


 太い鉄管を跨いで向こう側で軋みを上げて折れ曲がる橋。
 見ればその中ほどで小鬼が二人取っ組み合いの喧嘩を始めており、それを回りが囃し立てていた。
 二メートルを超えようかと言う巨体が宙に舞いそして、橋へと叩きつけられる。
 その衝撃が橋のボルトがまた一本弾き飛ばされる。
 ひしゃげた鋼板から飛び出したボルトは今にも外れそうな程ぐらぐらと揺れている。


 勇儀の咆哮が駆け抜けたのは、まさにその時。
 最後の一本。バランスを保つ最低限のボルトが弾け飛ぼうとしたその瞬間だった。
 暴力的なまでの ”ただの咆哮” は、中途半端な暴力を無慈悲に蹂躙する。
 取っ組みあった二人は居竦み即座にその場から連れ出された。


 「乱暴者ばかりですが……、それ以上に活気が有る。……良い町ですね」
 「えぇ、私もそう思う。彼らは確かに気難しい上に気性も荒いけれど、智慧はあるし、節度を誰よりもよく知っている。勿論……、負の意味でなのですけどね」


 苦笑するさとりを映姫はまた軽く微笑みながら見据える。
 さとりは、当初の言葉通り三日で地霊殿に戻った。
 映姫と共に帰宅したさとりは、その脚で丁度開かれた旧都の祭りに参加する事にしたのである。


 鼻孔を擽る甘い砂糖の香り。香ばしいソースが焦げる音。眼にも止まらぬ早業で細工飴を練り上げる職人の腕。
 嘗て長い生に任せて習得した技能を惜しげもなく発揮した店はどれも魅力的に見える。
 空と燐は抗いようの無い欲求に吸い込まれるように、屋台の群れへと吸い込まれていった。


 「……楽しそうですね」
 「えぇ、本当に楽しそう。本当に……、良かった」


 その背を愛おしげに眺めるさとり。


 「良いのですか? 傍に居てあげなくて」


 その背に映姫は静かに語りかける。


 「良いんです。私に良い顔をする人達ばかりでは無い。気を使わせたくありませんし、それに……、あれでお空は鋭い。あまり……、気取られたくありません」


 伸ばしたままの片腕を抱く様な仕草をするさとり。
 如何なる理由か、それを見る映姫の顔には悲痛な物が浮かんでは消える。


 「そうでもないですよ。さとりさん。表層と内心の心理は必ずしも一致しない。心が読めるばっかりにあんたは人の心に疎いねぇ。まぁ、確かにあんたには嫌味な統治者面をしていて貰った方が旧都の安定には繋がりますから、それで良いんですが」


 背後からの声。
 その声の主は、さとりの後ろにあった装身具を売る屋台の店主。
 人懐っこい笑みを浮かべた男がクロスを片手にからからと笑った。


 「私は、それで ”あの子達” と ”貴方達” が平穏に暮らせるならそれで構いません。……それと、その手は何ですか?」
 「お代だよ、買うんだろう? その手のリボン」
 「…………大した腕ですね。本業は巾着切りですか?」
 「惜しいね。唯の雑貨屋(なんでも屋)さ」


 白い刺繍があつらえられた黒いリボンは手触りも良く旧都で作られた物とは思えない。
 意匠を凝らした刺繍は、規則的に網目模様を作りだしており、シンプルながらもその黒に良く生えていた。


 「お燐に似合うかしらね……。全く、良いセンスをしていらっしゃる。ついでに、お空にも似合う物を選んで下さります?」
 「そう言うと思って。もう用意してありますよ」


 とんとんと男が指を指すのは、ケースに並べられた紅玉のネックレス。
 屋台らしくなく本格的な細工は、その輝きがイミテーションではない事を物語っていた。
 しかし、そうなると気になるのは値段である。割高な価格の横行する屋台ビジネスにおいて、これ程の品が幾らになるのか。
 その値段次第では幾らさとりと言えど断る事も視野に入れるつもりであった。


 「この位……、と言いたい所ですが」算盤を弾いて出した金額はさとりの小さな財布には収まり切らない額。
 だが、その代わりに出された次の金額は驚くほど現実的で、良心的な金額だった。
 純粋な善意しか読みとれない事に不審を感じたさとりが男に理由を問うと、良い笑顔で答えが返って来た


 「実はお空ちゃんは家の常連でね。贔屓にして貰っているからこの位はと」
 「あぁ、貴方ですか。お空に煙管を教えた悪い商人って人は」
 「人聞きの悪い。お空ちゃんから頼まれたんですよ。 ”旨い煙草の吸い方と煙管を教えてくれ” って」
 「あぁ、それが、 ”嘘じゃない” と分かってしまうこの眼が恨めしいですね。分かりました。その好意に甘えさせて頂きます。……これからもお空をよろしくお願いします」
 「まいど。こちらこそよろしくお願いします」




 吹き抜けるビル風に手の中のリボンが揺れる。
 人通りの少ない足場に作られた仮設のベンチに腰掛け、夜の摩天楼を二人は見下ろしていた。


 「思ったより……、大きくなってしまいましたね」


 静かにそう呟く映姫。
 その視線は数段下の足場を、飴を片手に駆ける子供に向けられていた。


 「えぇ。どうしてでしょうね。私はあの子達が幸福であって欲しいとただ願っただけなのに」
 「誰しも最初の動機は些細な物ですよ。私だって最初はただの地蔵に過ぎなかったのですから」


 さとりの言葉には何処か寂しげな物が混じる。
 粗雑に貼り合わせられた鋼材の段差に足を取られ地面に倒れる。
 「あ……」と映姫の口から漏れ出る小さな言葉。
 ただ、大きな怪我は無かったようで即座に起き上がると服の裾を軽く叩くと、再び足を踏み出した。


 「最近夢を見るのよ。
 「夢……、ですか?」
 「えぇ、夢。起きたらすぐに忘れてしまう程の儚き泡沫の夢。ただ、何度か見るうちに朧に思い出せるようになった。夢に出て来るのは何時も一人。私と同じ位の背の少女。その子がね。早く身を引け、地獄から離れろ……って。何度も何度も。張り詰めた様な表情で私に訴えるのよ。だからかもしれない。最近私は考える様になった。この文明は何処へと向かうのだろう……、って」
 「何処へですか……。私は長い間、人の歩みを見てきました。文明とは生き物です。人がそうするように、赤子でも、青年でも老人でも、ただ歩みを止めず、蛇行しても、転んでも、先に進み続ける」
 「――そして何れ ”老衰して死に至る” 」
 「…………その通りです」


 長い沈黙の末に映姫は肯定する。


 「ねぇ、映姫。この旧都はあまりに急速に発達している。だとすると、この旧都は一体今どの段階にあるのでしょう? その老衰とは、何で、何時始まるのでしょうか?」
 「決まっているのは結果だけ。何処を通るかなんてアーカーシャにすら映って居ない。分かっている事は一つ。 ”始まる” んじゃない。 ”始めさせられる” のよ。気を付けて、さとり。既にあいつは――」
 「映姫様。 ”聞かれています” 」


 映姫が口に突っ込まれたフランクフルトにもがく。
 背後から現れた小町はベンチの背もたれ越しに映姫を抱きかかえる格好でその小さな口に肉の腸詰を突っ込んでいた。


 「どうですか。さとり様も一本」
 「あ、ありがとう……」


 にこやかな笑顔で手渡されたのはもう一本の手に持たれたフランクフルト。
 太くそして熱を持ったそれは、先端から肉汁が染み出し食欲をそそる。


 「あの。所で、苦しそうですよ」
 「――!! ★■△――!!」


 喉奥まで太い棒を突っ込まれ咀嚼すらままならぬ映姫は、小町を跳ね飛ばすと口から棒を引き抜き不機嫌そうに先を齧る。
 かりりという小気味の良い音共に肉汁が宙を舞った。


 「とにかく、気を付けて。今の私にはそれ以上言えない」
 「分かってる。いつもありがとう映姫」
 「私が真に述べるべきは謝罪。礼なんて受け取れない……」






 遠方からは、爆音と閃光が轟いて来る。
 だが、それは決してキナ臭い物ではない。寧ろ風流さすら感じさせる。
 腹の底に響く大気の振動。それは科学物質の炎色反応と火薬を利用した装飾爆弾。
 地上の世界では ”花火” と呼ばれ人に親しまれていた物。それを再現した光が空に打ち上げられていた。


 爆音とともに空に広がる炎の花弁は、どれも歪で単調な形をしている。
 地上の物より圧倒的に劣っている筈のそれが、地下の住人達には非常に懐かしく、そして美しく思えた。
 花火が炸裂する度に巻き起こる完成、囃し立てる言葉。
 「かーぎやー」と、かつて江戸の町で栄華を誇った店の名を叫ぶ映姫。
 「たーまやー」と、さとりもそれに対抗して囃し立ててみた。


 遠方でまた花火が上がる。
 今度は職人の自信作らしく、一際大きな爆発の後に柳の様な紋様が暗い夜空に浮かび上がる。
 金色にかがやくそれに、完成と共に称賛の拍手があちらこちらに巻き起こった。


 丁度その時。
 向かいのビルから不安定な橋を渡り駆けて来るのは見慣れた二人のシルエット。
 そして少しだけ遅れてゆったりと歩く長身の女性。


 「さとり様!」
 「お帰りなさい。お燐、お空」
 「御苦労さまです。小町」
 「いえいえ。この程度なら歓迎ですよ」


 息を切らしながら駆けてきた二人は全身から祭りを楽しんで来た事を伝えている。
 腰に掛かるのは妖しげなお面。手に持つのは精巧な飴細工。他に数え切れない程の戦利品が体からぶら下がる。
 満足げなその表情は思考を読むまでも無い。この祭りを楽しんできた事とそして、燐が ”後ろ手に隠した物” の事を伝えてくれる。
 おずおずと燐が差し出したのは一つのカチューシャだった。


 「あの、さとり様。これ二人で選んだんですけど。あっちの屋台で見つけて、それで、」
 「……ありがとう。高かったのにごめんなさいね。絶対大切にするからね。付けて貰えるかしら?」


 二人の前に屈み頭を差し出すさとり。
 少し戸惑いながらも、短くさらさらとした髪にカチューシャを付ける。
 ハートマークのワンポイントが着いたそれはシンプルながらも丁寧な作りで、さとりの桃色の髪に良く映えた。
 この上ない笑顔でさとりを見る二人は口々に賞賛の言葉を述べる。
 それはさとりにとっては声を聞くまでも、ましてや思考を読むまでも無い事であった。


 「良い部下を持ちましたね。さとり。私にもそんな気遣いのある部下がいると嬉しいのですけど」
 「やだなぁ、映姫様。あたいはいつもお仕事で答えているじゃないですか」
 「……」


 じとりとした目で小町を睨む。
 耐えきれずに視線を逸らした小町は口笛を吹きながら脇の露店に逃げ込んだ。


 「部下じゃないですよ。ペットです。でも、貰ったならその分を返さないといけない。……二人とも少しだけ目を瞑っていて貰えるかしら」
 「はい? 目をですか?」


 頭の上にクエスチョンマークを浮かべながらも、期待に胸を膨らませる二人は言われるままに眼を閉じる。
 さとりは先ほど露店で購入した二つの品を取りだした。
 まずは紅玉のついたネックレスを空の首元にかけてやる。金属製のチェーンが触れる冷たい感触にびくりと震えた。
 黒いリボンを燐の白く細い脚に優しく巻き付ける。さとりの細く柔らかな指が太股に触れる度燐の体が小さく震えた。


 合図で目を開いた二人は自らの体に付けられた主からのプレゼントに目を輝かせる。
 互いのプレゼントをしきりに見せ合い自慢し合う二人。さとりと映姫はそんな二人へ少し離れた所から慈しむ様な瞳を向けていた。


 「ペット……、ですか。非常に曖昧な表現ですね。身内ではあるけれど、部下では無い。家族でも無い。ペット。物だと思っている訳じゃないんでしょう?」
 「当然違う。あの子達は私の家族に最も近い存在……。でも、私に ”家族” はもう居ないの。だから ”ペット” 。それ以上でもそれ以下でも無いわ」
 「まぁ、流石にそこまで深入りするつもりは無いですね。愛の形は人それぞれです。でも、それはあの子たちにも言える事を忘れてはいけませんよ?」
 「……分かっていますよ。私の能力を忘れた訳じゃないでしょう?」
 「失礼しました。少々忘れかけておりました」


 舌を出し悪戯っぽく笑う映姫。
 地蔵出身だけあって映姫は色恋沙汰とは無縁。その所為か映姫は他人の恋愛に酷く無責任だ。
 恋の罪だけは裁けませんとは彼女の談である。
 その様子に対する呆れを口にしようとした時。さとりは服の後ろ側を掴まれた感覚を覚える。
 少々慌てて後ろを振り返る。そこにはしおらしい顔をする空の姿があった。


 「あの……、さとり様。少し……、良いでしょうか?」
 「……えぇ。良いですよ。お燐、映姫、小町。悪いですが先に帰って居て貰えますか?」


 何かを察したのか三人は顔を見合わせてにやりと笑う。燐が飛ばす意味ありげな視線に頬を染めた空は非常に愛らしい。
 まだ何も言われていないのにも関わらずさとりは緩む頬を隠しきれなかった。


 「私はさとり様にもっと笑っていて貰いたい。私……、もっと勉強します。燐みたいに器用じゃないから怨霊なんて扱えないけど……。さとり様のお仕事を手伝えるようになりたいんです」
 「お願いです。私に勉強を教えて下さい。もっと私に知恵を下さい。さとり様の ”片腕” となれるような智慧を」
 「……嬉しいわ。期待しているから。今度私の書斎に来なさい。簡単な事なら教えてあげるから」


 ぱぁと明るくなった顔がさとりに迫る。
 困った様な笑顔でそれを受け流すと静かに頭を撫でてやった。


 「でも、最初は習字からよ。貴女の字は公の文章に乗せるには……。そうね。少し前衛的だわ」
 「うぇぇ……。了解しました」






△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 灯りが消えた暗い廊下。
 石作りの廊下を、足音を殺して歩く。
 目指すのは夢に見た約束の場所。ただはっきりと自分の気持ちを伝えたい為に寝床を抜け出し空は廊下を歩いていた。


 しかしそれは、出会えたと言うべきか、出会ってしまったと言うべきか。
 空が中庭に続く廊下を歩いていた時、その人影に気がついてしまった。


 「さとり……、様?」
 「空……、こんな時間にどうして」


 そこに居たのはさとりだった。
 それ自体は何もおかしな事では無い。彼女の館で彼女が居る事は自然な事だ。
 問題はそのさとりの左右を固める様に歩く二人の影。
 映姫と、そして ”獄卒鬼” 。
 常に閻魔の傍に着き、裁きの順序を待つ霊魂を見張り、外部からの侵入者を拒む是非曲直庁の戦闘員。
 是非曲直庁の科学力の粋を集めた装備を身に纏う彼岸の主戦力がそこに居た。


 「私の台詞です。こんな時間に何処に行くんですか。そんな荷物を持って。こんな夜中に何処へ出かけるんですか?」
 「散歩よ……、ただのね。映姫と話をするだけ。ただそれだけ。空は心配しなくて良いわ」
 「嘘をつかないで下さい。だったら、その男は何なんです。そんな物騒な奴が地霊殿まで付いてきた事なんて。……私、知りません」


 仮面の下。無表情な面の下で鋭い眼光が空へと向けられる。
 白く髑髏を模した面の隙間から漏れ出るのは殺気にも似た刺々しい気配。
 ぞくり、と背が震える。見慣れた映姫の顔までもが酷く怖ろしく感じられ始める。
 今すぐに此処を離れないといけない。主を連れて此処を離れなければいけない。
 強迫観念にも似たその思いに突き動かされるまま。
 空はさとりの荷物を持っている側と反対の手を ”握ろうとした” 。


 不自然な程軽い感触。
 空を切る指先。
 感じられない肌の温度。


 空は自分の手元へ目線を遣る。
 自らが掴む袖の中に、通される筈の白い腕は何処にも存在していなかった。


 「……え?」
 「――ッ!?」


 驚愕の表情を浮かべる空。
 苦い表情を見せるさとり。
 ばつが悪そうに視線を逸らすさとりに、空は詰め寄った。


 「さとり様、その片腕はどうしたんですか?」
 「空、落ち着きなさい。これは、」
 「何が有ったんですか、さとり様。いや……、さとり様に何をしたッ。四季映姫ッ!」
 「辞めなさい、空」
 「……ここまでですね。さとり」


 それまで沈黙を貫いていた映姫がさとりと空の間に割って入る。
 背後のさとりを制しながら立ちはだかった映姫は冷たい瞳を空に向けた。


 「答えろ、四季映姫!」
 「下がりなさい、さとり」
 「さとり様を何処に連れて行く気だった?!」
 「是非曲直庁ですよ。本来ならまだ彼女の拘束は解けていない。ただそれだけの理由です」


 あくまでも淡々と。
 魂に罪状を述べると同様にそれを告げる。
 膨大な殺気が俄かに空から溢れだす。


 仮面の下から鋭い眼光が覗く。
 腰から下げた切り詰められた形状の錫杖をホルスターから引き抜く。
 その手を映姫が無言で制する。


 「貴女の怒りは自然な物。少なくとも貴女にとっては正当。ですが、是非曲直庁はそれを認める事が出来ない。私にはそれを止めるだけの大義がある」
 「何が是非曲直庁だ。例え映姫様と言えど、さとり様の敵を私は許さない」
 「穴倉の外を知らぬ愚か者よ。せめて自らの言葉の意味を、無駄を知り、そして悔い改めよ。それが今の貴女に積める唯一の善行です」
 「主を見捨てるのが善なら、そんなのは要らない。私には必要無いッ!」


 空の瞳が真っ赤に染まる。深みを増した赤は、拍動毎に脈打ち、全身の血管が浮き上がる。
 一足で映姫の懐に肉薄した空は、全体重を乗せた拳を映姫へ目掛け振り抜いた。


 「貴女の怒りを受けるのは私の役割。でも、貴女を打ち倒すのは、貴女の罪。それを忘れないで欲しい」


 気付いた時には既に体は地面に張り付けられていた。
 空を押しつぶすのは、映姫の手に持たれた悔悟の棒。
 生命が生きるだけで発生する罪。その全てを吸い込み、概念上の重さとして罪人を罰する閻魔の道具。
 無様に地を舐める空は、あまりの無力にただその瞳に涙を溜めた。


 「安心しなさい。貴女の主人はすぐに戻ってきます。これは事実です。今度こそ私の肩書きに掛けて保証します」
 「……だ、……ゃだ、……嫌だッ」


 子供の様に泣きじゃくり、空はその棒の影響下から逃れようとする。
 その体はぴくりとも動かない。野生の生命としてこれまで生きる中で繰り返して来た ”抑制の為の殺生” が空を地面に縫い付ける。
 空がその罰に抗うにはあまりにも若過ぎた。積んで来た徳が少な過ぎた。


 廊下の向こう側で空間が歪曲する。
 その歪みには見覚えがある。案の定、忽然と現れたのは巨大な鎌を持った赤髪の影。
 ぞっとする程冷たい気配を伴った死神だった。


 小町の顔に浮かぶのはいつもの快活な笑顔とは異なる真剣な面持ち。
 かつり、かつりと石作りの廊下を歩き、此方へと向かう。
 下に倒れる空を一瞥もせずさとりと映姫の前に立った小町は小さく二言三言交わすと三人を連れて能力を行使した。


 「さと……、り……様」


 主の名に答える者は無い。唯一の希望のさとりですら此方を見てくれない。
 精一杯にさとりへ向けて伸ばした腕とさとりとの距離はあまりにも遠過ぎた。
 間もなく空間が揺れ、三人の姿が目前から消え去る。最早幾ら探そうとも、さとりの気配は地獄の何処にも見当たらない。
 強大な権力の前に一匹の妖獣はあまりに無力だった。


 静かな廊下。
 地獄鴉の絶叫と嗚咽は誰の耳にも届く事は無かった。












 「正直に言って、来ないと思っていた」


 焦熱地獄の最奥。
 無間地獄への入口まで後少しと言う地点に彼女は胡坐を掻いて座っていた。
 その姿はあの日見た夢の中での姿と何一つ違わない。


 「力が……、欲しい……」
 「一応……、聞いておこう。お前は、何故に力を望み、如何様な力を望む?」


 息も絶え絶えに。服の端が焦げる事も気にせずに。
 空は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を神へと向けた。


 「私は……、主人を守りたい。その為に、私は絶対的な武力を望む。鬼も、規範も、理も、全てを否定できる絶対的な武力が……、欲しい」
 「なんと強欲。なんと単純。だが、それで良い。 ”欲” が有るからこそ神は生まれるのだ。――よかろうお前に神の力を分け与えよう!」


 神の腕から飛び立った不気味な鉄の鴉が空の胸に向けて飛び込んでくる。
 今度はそれを拒まない。
 両手を広げ、その嘴が胸に刺さるがままに受け入れる。
 ずぶりと、体内に入り込んだ鴉は即座に空と同化した。


 「おめでとう。末席ながら君も神の座に着いた。この苦悩溢れる地獄の地で神と添い遂げ、私にその生き様を見せてくれ。地獄の鴉」


 体に変化は無い。特に翼が大きくなる事も無ければ角が生えて来る訳でも無い。
 感じるのは僅かな異物感。胸の奥から無限に湧き上がるマントルの如き熱さ。
 胸の奥がどくりと熱く疼き始めた。









 そして、物語は間欠泉異変へと至る。
この作品に関する詳細は後篇に記します。


頒布情報等の詳細はリンクの特設サイトをご覧ください。

2012/12/15 誤字修正を行いました。
肥溜め落ち太郎
http://amagaeru41.web.fc2.com/index.html
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コメント



0.300簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
長いと自覚しているなら長いなりに見やすくして欲しかったかな
所々誤字も目立つし詰めが甘い
7.100名前が無い程度の能力削除
とても読みごたえがありました