Coolier - 新生・東方創想話

それは紅くて丸いもの

2012/11/28 21:26:05
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 にたりと微笑む月の明かりが、幻想郷を怪しく照らしている。
 淡い光は妖(あやかし)が潜む暗い陰を際立たせ、人々の心に不安の種を宿らせる。
 今宵も実に良い夜だ。真円の月も美しいが、今日みたいな三日月もまた、なかなか風情があるものだ。
 もっとも、私がこの夜を素晴らしいものだと感じているのは、単に今日が非番だからかも知れない。
 誰だって、仕事から解放されている時は清々しい気分になるべきなのだ。哨戒の任は決して嫌いではないが、たまに自由に動き回れる日があると、やはり嬉しい。
 さあて、どうやって休日を謳歌しようか。夜番の前の休みは久しく無かったから、しばらくぶりに夜の幻想郷を散歩してみるのも面白いかな。最近は色々と変化も有ったそうだし。
 そんな私の思いをよそに、こちらへと近付いて来る気配が一つ。
 ふむ、あれは、鴉天狗の姫海棠さんだ。こちらへ真っ直ぐに飛んで来ている。
 また私を取材しようと言うのなら、それに応じるつもりはない。他を当たってもらうとしよう。
 しかし、どうにも様子がおかしい。彼女は何やら深刻そうな面持ちではないか。
 これはどうやら、話を聞いた方が良さそうだ。どうせ、あと数秒もすれば私のところまで来るのだし。

「椛!」

 彼女は私の名前を呼び、目の前に降り立った。見たところ顔色があまり芳しくなく、疲れが溜まっているらしい。

「こんばんは。姫海棠さん」
「文を知らない!?」

 ああ、なるほど。
 二日ほど前に大天狗様からも同じことを問われたが、まだ見つかっていなかったのか。まったく、迷惑な人だ。

「私は見ておりません」
「あなたの目でも見付けられないの?」
「残念ながら。私も、幻想郷の全域を同時に確認することは出来ませんので」
「そう…」

 いかに私が千里眼を持つと言っても、限度というものがある。山への侵入者を発見するだけでも、それなりに苦労しているのだ。
 ましてや、博麗神社に魔法の森、霧の湖や人の里、果ては迷いの竹林から無縁塚にまで足を伸ばす射命丸さんのことである。はっきり言って、見付けるのは困難を極める。

「お姿が見えないのは、いつ頃からですか?」
「三日前。一緒にお昼ごはん食べて、それから取材に行くって言ったきり…」
「行き先は仰られなかったんですね」
「聞いてたら、そこを探してるわ!」
「すみません」
「あ…。ごめん…」

 これはいけない。姫海棠さんが途端に声を荒らげられたものだから、私も少し驚いてしまった。
 おそらく、疲れのせいもあるとは思うが、それ以上に射命丸さんが心配なのだろう。それなのに、私があまりに淡々と問答したので、気分を害してしまったようだ。

「今まで、仕事をサボッてまで取材に行ったことなんて無かったのに…」
「え。休暇ではなかったのですか」
「うん、違う」
「それは妙ですね」

 射命丸さんは、山にやって来た人間をわざと上に通したりするような人だが、その本質は断じて不真面目なものではない。
 一見、天狗の掟に背くようなことでも、それは聡明な――悪く言えば狡賢い計算を基にして行っていることなのだ。ただ、たとえ建前でも悪びれようとしないのが不愉快ではあるが。
 ともかく、彼女は山に住む妖怪としての責務を放棄するような人ではないはずだ。だが、今回は休暇でもないのに山に帰って来ないと言うから、これはおかしい。

「どうしよう。怪我で動けなくなってたりしたら…」
「まさか。射命丸さんに限って、そんな不覚は取らないでしょう」
「でも…」
「よほど強力な妖怪でもない限り、あの方に深手は負わせられませんよ」
「じゃあ、ひょっとしたら、文は危ない奴に襲われて…」

 うむ、しまった。
 慰めるつもりが不安を煽っただけではないか。この人の悲観的思考を甘く見ていた。
 しかし、考えてみれば、あながち無い話とも言い切れない。
 射命丸さんは普段からあちこちの妖怪にちょっかいを出し、嘘八百を並び立てた品の無い記事を書いている。誰の恨みを買っていても、おかしくはないのだ。

「どうしよう、椛。助けに行かなきゃ、文が死んじゃうかも…」
「そんな。大袈裟ですよ、姫海棠さん」
「でも…」

 そう言って目に涙を浮かべるのは卑怯ではなかろうか。私よりずっと歳上のクセに。
 いや、妖怪に歳は関係ないか。私と歳の桁が幾つか違う何処かの神様も、子どもみたいに勝手気ままな振る舞いをされているし。

「落ち着いてください。大丈夫ですよ、射命丸さんは滅法強い方ですから」
「うん…」
「仮に危険な目に遭っていても、逃げ足は折り紙付きですし」
「うん…」
「きっと、そのうち、何も無かったような顔をして戻って来ますよ」
「うん…」

 とりあえず姫海棠さんを落ち着かせるための詭弁であることは否定しない。しかし、これは私の本心でもあった。
 あの狡猾な射命丸さんが動けなくなるまで誰かにやられる様など、私にはとても想像出来ないのだ。
 それこそ鬼が相手だったとしても、彼女は上手く軽傷で逃げてくることだろう。
 とにかく、射命丸さんの実力は伊達ではない。だから、彼女が姿を見せない理由は、怪我とは他のことにあると思う。それが何かまでは判らないが。

「ごめん…。ありがとう…」
「いえ」
「あいつのせいで、私の仕事が増えててさ。寝不足で…。ちょっと、疲れがね…」

 仕事が終わった後も捜索をしていたら、それは疲れるだろう。ゆっくり休んで頂きたいところだが、この人の性格からして、それは難しい。
 まったく、本当にあの人は何処で何をしているのだか。
 この幻想郷の何処かに居るであろう鴉天狗に思いを馳せ、気まぐれに山の麓の方を見通してみると、とんでもないものが私の視界に映し出された。
 私は改めて目を見開き、そちらの方を凝視する。姫海棠さんも、そんな私の様子に異変を察知したらしい。

「どうしたの?」
「侵入者です」

 私がそう答えると、姫海棠さんの様子が変わる。

「現在位置は?」
「河童の研究所群の方角。まだ、山裾の方です」
「距離はあるね。数は?」

 その鋭い声色に、私の緊張も高められてくる。
 やはり、この人も頼りになる。先ほどまでの、友人を心配して半べそになっている天狗とはまるで別人のようだ。
 しかし、今回の敵は一筋縄ではいかないだろう。

「妖怪が二人です。ですが…」
「何?」
「片方は一級の曲者、吸血鬼です」
「うそ」

 姫海棠さんが明らかに動揺されている。それはそうだろう。吸血鬼といえば、かつて散々幻想郷を荒らし回った問題児なのだから。
 さらに悪いことに、今回はただの問題児ですらない。正直なところ、報告するのも憚られるが、見てしまった以上は言わねばなるまい。

「しかも、あれは見覚えがない方です」
「…何て?」
「奇怪な形の羽を持つ…」
「まさか、フランドール・スカーレットだって言うの?」
「おそらくは」
「何てこと…」

 冗談ではない。姫海棠さんの心の叫びが私にも聞こえた気がした。
 いや、違う。そう思ったのは、他でもない私自身なのだろう。
 私も噂でしか知らないが、あんな破壊兵器がやって来たとあっては、山は大騒ぎになるに違いない。我々白狼天狗はおろか、鴉天狗衆でも正面からの撃退は難しい。
 だからと言って、大天狗様の誰かが戦い、負けたりしたら天狗の面子が立たないではないか。ましてや、大天狗様の身に何かあったらどうする。
 おそらく、姫海棠さんも同じことを考えている。報告すべきか、秘密裏に行き先を変えさせるべきか。
 哨戒に過ぎない私には判断出来かねる事案だ。もちろん、普段なら迷わず大天狗様に報告するのだが、今回はいつもとは色々事情が違う。
 第一に私は非番だ。それに、報告なら既に姫海棠さんにしたことになるだろう。日頃の任務とは違うのだから、それで十分。これより先は私が判断すべきではない。
 十秒ほど黙って考えていた姫海棠さんであったが、ついに覚悟を決めたような顔付きで私の目を見た。

「私が話をつけに行ってくる。だけど、もし止められなかったら、大天狗様に報告してちょうだい」
「姫海棠さん、それは…」

 彼女の判断に従うつもりでいたが、あまりに危険な提案に、つい制止したくなってしまった。
 いかに我々天狗が面子を気にするとはいえ、誰か一人が命を賭(と)すほどのことではないはずだ。

「あ、そっか、椛は今日、非番なんだっけ」
「そんなこと、どうでも良いですよ!」

 何を呑気なことを。
 ただでさえ失踪した同僚のせいで疲労が溜まっている人が、一人で危険物に近付こうと言うのに、私の時間外労働など気にしている場合か。

「そんなことって何よ。人が気を遣ってやってんのに」
「他人(ひと)に気を遣う前に、ご自分を気遣ってください」
「あのね。こんなこと報告したら、パニックになるでしょうが」
「わかってますよ! だからって、お一人であの化け物に立ち向かうなんて無茶だと申しているんです!」
「じゃあどうしろってのよ!」
「ですから、誰か他の鴉天狗様に相談するとか」
「何? それは友達が少ない私への当て付け!?」
「逐一被害妄想を膨らませるのはやめてください!」
「逐一って何!? あなた、普段からそんな風に思ってたの!?」
「まあまあ、喧嘩はやめなよ」

 不覚。つい熱くなって口論をしている間に、何者かに背後を取られてしまったらしい。
 慌てて振り返ると、数年前から山の上に住んでいる神様の小さい方がいらっしゃるではないか。
 こんな時間に、こんな所で何をされているのだろう。

「これは洩矢様。ご機嫌麗しゅうございます」
「うん。元気そうで何より。ちょっと犬歯伸びた?」
「伸びてませんよ」
「はたてちゃんも久し振りだね」
「え、ええ。ご無沙汰してます」

 姫海棠さんは落ち着かない様子でそわそわしている。この緊急事態にややこしい人が現れたのだから、無理もない。

「吸血鬼が来たんでしょ?」
「何故、それを」
「神様は何でもお見通しなのよ」

 この白々しさ、射命丸さんにも劣るまい。
 おそらく、物陰で盗み聞きでもしていたのだろう。

「はたてちゃんは偉いね。皆のために一人で体を張ろうってんだから」
「いや、そんな…」
「よし! 私が手伝ってあげるよ!」

 何かを言う暇も与えず、洩矢様は宙に浮いて姫海棠さんの首根っこを背後から掴んだ。
 速い、と言うより淀みのない動きだ。姫海棠さんが反応出来なかったのも無理はない。
 ともあれ、洩矢様がついてくださるのなら、何とかなるかも知れない。私の口から、諦めと安堵の混じった溜め息が漏れる。
 次の瞬間、私は自分の考えの甘さを認識することになる。
 気が付くと眼前からお二人の姿が消え、私は首の後ろを誰かに掴まれていた。
 そんな馬鹿な。何故、私まで。

「じゃあ行こうかー」
「え、えっと…。洩矢様が行くんなら、私は行かなくても…」
「私一人じゃ、寂しくて死んじゃうじゃん?」
「どんな理屈ですか。それに、何で私まで?」
「私が勝手に天狗の縄張りに入ったこと、チクられると困るんだよねー」
「言いません。絶対に言いませんから!」
「やだやだ! やっぱり吸血鬼怖いし!」
「こら。もう夜も遅いんだから、あまり騒がないの。悪いようにはしないからさ」

 何だというのだ、この力は。私も天狗の端くれとして大木の一本ぐらいは叩き折れる筋力を持っているはずなのだが、いくらもがいても全く逃れられない。
 これが神の力というものなのか。これが運命だと言うのか。
 必死の抗議も空しく夜闇の中へと消えていき、私たちは二つの意味で後ろ向きに侵入者の撃退へと向かうことになった。





 後ろへ引っ張られ、ぎりぎりと絞まる首を庇いながら飛ぶこと約三分。私たちは、ついに運命の時を迎える。

「んーと、何処らへんかなー」
「諏訪子さん! こっちです、こっち!」
「あ、居た」
「やっほー!」

 洩矢様は私たちを手に持ったまま、侵入者の目の前に着地した。
 とうとう強敵、吸血鬼との相対したようだ。これから、我々は熾烈な争いを…。

「良かったー。このままだと天狗さんのテリトリーに入っちゃうから、どうしようかと…」
「そのまま行こうって言ったのに、美鈴がダメだって」
「ごめんねー。言い忘れてたよ。うちに来るなら専用のルートがあるんだ」
「ああ、そうだったんですか」

 熾烈な…。

「いやー、間一髪だったね。椛ちゃんが非番じゃなかったら危なかったかも」
「あなたが呼んだんですか!」

 ようやく解放された喉元を押さえながら、姫海棠さんが叫んだ。私はと言うと、未だゲホ、ゲホと咳をするのが精一杯である。
 どうやら、この吸血鬼は山の上の守矢神社に遊びに来たらしい。一緒に来た妖怪はその付き添いか。
 先ほど、神様は何でもお見通しだとか仰っていたが、何のことはない。最初から彼女たちが来ることを知っていたのだ。何せ自分の客なのだから。

「洩矢様…。それなら、そうと、言って、くだされば…」
「や、ほら、説明してたら時間かかるでしょ」
「あなた、大丈夫? 何だか苦しそうだけど」

 背後から声がかかる。何処の誰かは知らないが、私を心配してくれているのか。ありがたい。
 だが、待て。何かがおかしい。
 今の声は、吸血鬼の娘の声ではなかったか。いや、そんなはずはない。彼女は私の目の前に居るのだ。すると、今、声をかけたのは何者だ。
 恐る恐る後ろを振り返ってみると、先ほどまで前に――今は後ろだが、とにかく違う場所に居たはずの吸血鬼がそこに立っているではないか。

「喉の調子が良くないの?」
「風邪かしら。養生しないと」

 今度は右と左から同じ声が聞こえてきた。ああ、もう、わけが解らない。四つ子か。四つ子だったのか。
 だが、先ほど私が見通した時には、確かに吸血鬼と付き添いの二人しか居なかったはず。
 どういうことだ。後の三人は何処から湧いて出てきたのだ。

「あらら、ちょっと持ち方が悪かったね」
「ごめんね椛ちゃん。大丈夫?」
「喉、痛めた?」
「お医者さん行く?」

 今度は洩矢様がわらわらと現れだした。四人…。いや、それどころではない。十か二十は増えている。
 ひょっとして、私は酸欠のせいで幻覚を見ているのではないか。それなら、この悪夢のような光景を消す方法は一つだ。
 両目をそっと閉じて、大きく深呼吸をする。吸って、吐いてを一回、二回、三回。
 よし、落ち着いた。いざ、平穏な現実へ帰るために再び眼(まなこ)を開こう。
 三人の吸血鬼と二十人余りの洩矢様が首を傾げて私を見つめている。
 駄目だ。誰か私を現実に帰してくれ。

「フランドール様。白狼天狗さんがびっくりしちゃってるじゃないですか」

 大量の洩矢様の向こうから、慌てているような声が聞こえてくる。先ほども聞いた、吸血鬼の付き添いの声だ。
 そうか、これは幻覚ではなかったのか。良かった。

「洩矢様も張り合わないでください!」
「あはは、ごめんごめん」

 突然、目の前に居る人たちに焦点が合わなくなり、みるみるうちに吸血鬼と洩矢様の数が減っていく。
 私が呆然としている間に、ついに二人とも、元の二人に戻ってしまった。
 いつの間にか腰が抜けてしまっていたらしく、地面に座り込んだ私のもとに、付き添いの娘が近付いて来る。

「大丈夫? ごめんね。驚かせちゃって」

 そういえば、この妖怪は過去に何度か見覚えがある。確か、いつも吸血鬼の館の前に立っていた。
 よくよく見れば綺麗な人だ。確か、幻想郷がある島から近い大陸の…、ミンとかいう国の出身だったかな。

「は、はい。大丈夫です」

 彼女に見られていると、何だか腰を抜かしているのがとても恥ずかしく思えてきた。慌てて立ち上がり、服に付いた砂を払う。
 大丈夫。もう奇怪な現象は去ったのだ。これ以上、この人に気を遣わせはするまい。
 と言うか、どう考えても恐怖の比率は洩矢様の方が大きかっただろう。何だ、あの数は。

「マダム。あなた凄いね! どうやってあんなに増えるの?」
「諏訪子で良いよ、フランドール。後で教えたげる」
「フランって呼んで。私の愛称はフラン」
「はいはい。わかったよ、フラン」

 あの二人に悪びれるつもりは欠片もないらしい。この自分勝手さ。何処かの鴉天狗を彷彿させる。

「それで洩矢様。どうして、こんな娘を呼んだんですか」
「こんな娘とはご挨拶ね。これでも最近はとっても大人しいのよ」
「いきなり増えておいて、よく言うわ」
「それを言うなら、あなたのところの神様の方がやんちゃじゃない」
「そういうのを五十歩百歩って言うのよ」

 あの恐ろしい吸血鬼を相手に、物怖じせずに話をする姫海棠さん。洩矢様が居るという安心感もあるのだろうが、流石は鴉天狗だ。
 それに比べて、私は何と不甲斐ないことか。今一度、精神を鍛え直さねばなるまい。

「この間、この子らの館まで散歩に行ったのよ。まあ、中には入らずに、門のとこで美鈴ちゃんとお話しただけなんだけどね」
「はあ」
「そしたら、ずっと家に篭りきりの子が居るって言うじゃない?」
「はーい。それが私」
「危ない子だとは聞いていたけど、まさか五百年近くも幽閉されてたとはね」
「酷い話でしょ?」
「私や神奈子なら、多少ドカーンってされても大丈夫だしさ」
「早苗ちゃんは」
「あの子は今日と明日と、分社にお泊まり」
「ああ、そうですか」
「それで、美鈴ちゃんに言ってもらって、うちに遊びに来てもらおうってことになったのよ」

 この山だけでは飽き足らず、よその妖怪にまで手を出しているとは。節操も遠慮もないと評判の守矢二柱らしいことだ。
 しかし、箱入りで有名なこの娘が外出しているとは、この人は相当に苦労されたのだろう。

「よく説得できましたね」
「大変だったわ。お嬢様ってば血相変えて『フランに何かあったらどうするのよ!』って言うのよ。思わず、心配するなら本人より周りでしょってツッコミそうになった」
「私もそう思う」
「自分で言うの?」
「だけど、試しにフランドール様に聞いたら、行ってみたいって言うんだもん。根気よく説得を続けたよ。知り合いの人間に手伝ってもらったりして」
「魔理沙が美鈴の代わりに、あいつと勝負してくれたんだって」
「ああ、白黒の魔法使いね」
「フランドール様、姉上様をあいつ呼ばわりはダメですってば」

 これは驚いた。あの霧雨魔理沙が、吸血鬼の妹を外に連れ出す手伝いとは。
 あの魔法使いは博麗の巫女と同じで、妖怪を退治する者だとばかり思っていたが、妖怪に肩入れすることもあるのか。何とも不思議な人間だ。

「美鈴も咲夜を倒したんでしょ?」
「あれは咲夜さんが目一杯手加減してくれたんです。それに、お嬢様だって、本当は…」

 ふと、彼女が話しながら右手で左腕を触っているのが気にかかった。見れば、その左腕には刃物が刺さったような傷跡が薄く残っているではないか。
 それなりに注意して見なければ分からない程度のものだ。それに、彼女も妖怪なのだから回復力は高いだろうし、じきに消え去るだろう。
 だからと言って、こんな綺麗な肌に傷を残すとは、けしからん。まったく、何を考えているのか。
 …いや、私が何を考えているのだ。天狗の仲間ならともかく、よその妖怪の肌に傷を残すの残さないのと、そんなことどうでも良いではないか。

「椛、どうかした?」
「…え? いえ、何も」

 しまった。じろじろと人様の腕を見るなど、はしたないことをしてしまった。四人ともが私のことを不審がっているではないか。
 よもや姫海棠さんに言われるまで、自分で気が付かないとは。やはり、先ほどの悪夢から未だ立ち直れていないようだ。

「あ、もしかして気付いちゃった?」
「何が?」
「いやあ、咲夜さんに頂いたナイフの痕がありまして。今日は包帯巻くの忘れて来ちゃったんです」
「す、すみません」
「良いの、良いの。いつものことだから」

 いつものこと、だと。彼女は普段から、体にこんな傷を作っているのか。何ということだ。
 そういえば、彼女は館の門番だったか。そんな物騒な仕事よりも、もっと慎ましやかな業務に就けば良いのに。
 …いやいや、だから何を考えているのだ、私は。

「ダメだよ、美鈴ちゃん。綺麗な肌してるんだから、むやみに傷作っちゃ」
「あはは。ありがとうございます。でも、そんなこと気にしてたら門番が出来ませんから」
「それなら荒事はやめて、メイドにでもなっちゃえば?」
「咲夜さん一人で十分なんですもん」

 洩矢様のおかげで、場の注目は私から離れてくれた。助かった。
 しかし、彼女と話す洩矢様の顔が妙に意地悪く見えるのは、いったいどうしてだろうか。
 …おや、何者かがこちらへ向かって空を飛んで来ている。まさか、また侵入者か?
 違う。あれは…。

「あやや、どうしてこんなところに貴方たちが」

 今日はもう驚くのに疲れてきた。
 誰がやって来たのかと思ったら、何と射命丸さんではないか。
 多少、青い顔をしているものの、これといった怪我もない様子で、私たちの取り合わせの珍しさに目をしばたたかせている。

「文! 何処に行ってたのよ!」
「それが、ちょっと地底に取材に行ったら、星熊様に捕まっちゃって…」
「地底はみだりに入っちゃダメだってのに!」
「あなたも行ってたじゃない。それで、旧都に足を踏み入れたことを赦す代わりにって、無理矢理お酒の席に付き合わされたのよ」
「三日三晩?」
「一晩目で潰されたっての。ついさっき、ようやく目が覚めて、慌ててこっちに戻って来たところ」

 呆れた話だ。地上の妖怪が地底に入ってはいけないという約束は、ずっと昔からあるというのに。
 近年、あちらから鬼が地上に出て来たり、反対に地上からあちらへと人間が行ったりしているせいで、そのあたりの取り決めが曖昧になってきているらしい。
 しかし、射命丸さんも酒には相当に強かったと思うのだが。鬼が呑む酒とはどれほどの物なのか。考えるだに恐ろしい。

「そう。つまり、文。あなたは…」

 姫海棠さんの脚が勢いよく跳ね上がり、射命丸さんの方へと向かう。
 対する射命丸さんも同じく脚を上げ、二人の蹴りはその中心でぶつかり、辺りの空気を震わせる衝撃音を上げた。

「鬼のところで良い酒呑んで、仕事をサボってぐっすり眠ってたわけね…!」
「羨ましいなら、あなたも行ってみたら…? 生きながら地獄が味わえるわよ…!」

 空中で交差する二人の脚がミシミシと音を立てる。互いにそのまま、相手の脚を圧し折るつもりのようだ。
 そうか、射命丸さんの顔色が悪かったのは二日酔いのせいだったのか。
 鬼という災害が絡んでいるのなら、もう一晩ぐらい休んでから帰ってきても罰(ばち)は当たらないだろうに。何とも律儀なことだ。

「あなたが居なかった分、私たちがその尻拭いをさせられてたのよ…!」
「それはどうも…! ついでに始末書も手伝ってくれない…?」
「ざけんな…! 始末書ってのは、自分で書くことに意義があんでしょうが…!」

 ついに交差する脚が弾かれ合い、双方の一本歯の下駄が同時に地面へと叩き付けられた。
 しかし、二人はなおも闘志を絶やさず、今度は正面から互いに手を組んで睨み合う。力を入れるたび、メキメキと骨の軋む音が聞こえてくる。

「あの二人、仲悪いの?」

 その様子をしばらく静観していた彼女が、至極もっともな疑問を呈した。
 言われてみれば、ああしていると仲が悪く見えなくもない。

「いえ、そんなことはありません。ただ、鴉天狗はすぐに意地を張るので」
「ふうん」
「あなたに言われたくないわね…!」
「プライドの高い犬天狗が…!」

 一応、聞こえないように言ったつもりだったのだが、どうやら耳に届いたらしい。二人とも素晴らしい聴力をお持ちだ。
 それにしても、犬天狗とは言ってくれる。誇り高いのはその通りでも、白狼と犬を一緒にされて、ただ黙っているわけにはいくまい。

「…射命丸さん。業務連絡です」
「何よ」
「姫海棠さんが必死になって貴方を探していらしたので、戻られたら連絡してください」

 途端に姫海棠さんの顔が真っ赤に茹で上がる。夜でも視界がはっきりしている我々妖怪は、こういう時に表情を隠す手立てがないのが難点だ。
 射命丸さんの顔も幾分か赤らんでいるように見受けられる。二人は互いの両手を掴んだまま、目線を逸らしている。
 ふむ。たまには、こういう仕返しをするのも悪くない。

「………ただいま」
「…おかえり」

 うむ。あまり仕返しになっていない気がする。むしろ些か不愉快な気分ですらある。
 まあ、良い。争い事など無い方が平和で良いではないか。そういうことにしておこう。
 ふと見れば、天狗以外のお三方が、揃って生暖かい眼差しを姫海棠さんたちに向けている。
 お二人は気恥ずかしそうにしながら、逃げるようにして仲良く山の上へと帰って行った。





 さて、これで本日の懸念事項は二つとも片が付いた。私の下に、穏やかな休日が戻ってきたのだ。
 これからどうしようか。何だか疲れたし、家に帰って休むのも良いかも知れない。

「お互い、下っ端は苦労するわね」
「貴方ほどじゃありませんよ」
「む、私の方が下っ端だってこと?」
「いえ、そんなつもりは…」
「冗談よ。あんたは誰かと違って、生真面目な天狗ね」

 そう言って彼女は悪戯っぽく笑った。
 この人も常日頃から我がままな主人と、自由奔放な妹君に苦労させられているのだろう。
 それでも、その妹君のために腕に傷まで作ってここへ来たのは、彼女の優しさゆえのことか。
 …そうだ。たまには気まぐれを起こしてみよう。

「洩矢様」
「良いよ。おいで」
「…まだ何も申しておりませんが」
「言ったでしょ? 悪いようにはしないって」

 確かに言われた覚えがある。今の今まで、ほんの洒落に過ぎない言葉だと思っていたのだが…。
 覚(さとり)妖怪でもあるまいし、どうやって私の考えを先読みされたのだろう。
 もしや、射命丸さんのことも分かっていたと言うのか。いったい、何故?

「大丈夫。一人くらい増えたって問題ないよ」
「あなたも神社に行くの? だったら、私と遊べるね」
「お手柔らかに。もう増えるのは勘弁してください」
「はーい」
「よろしくね。モミジさん、だっけ?」
「はい。よろしくお願いします。フランドールさんと、…。……ええと…」

 いけない。彼女の表情が何だか暗くなってきた。何で名前を覚えていないのだ、椛。
 思い出せ。先ほど、洩矢様が何回か呼んでいたはずだ。…そうだ!

「メイリンちゃん!」

 記憶に引っ張られすぎだ、馬鹿者。
 今まで誰一人として、ちゃん付けで呼んだことはないだろうが、お前は。

「あ、いえ、すみません! メイリンさん! よろしくお願いします!」

 あたふたしながら訂正する私を見て、メイリンさんは声を上げて笑いだした。
 その隣でフランドールさんも一緒になってケラケラと笑っている。
 ああ、恥ずかしい。穴があったら入りたい。だけど地底の穴には入りたくない。

「ありがとね。初対面で名前を覚えてもらったのは久しぶりだわ」
「だいたい、中国の人だもんね。それかミスズ。わざとミリンって呼ばれたこともあるんだっけ? あ、うちの妖精たちはメーリンだと思うよ。あれは絶対、片仮名に長音を使ってるわ」
「それ以上言うと泣きますよ、私」

 ミスズということは、美しい鈴でメイリンか。なるほど、良い名前だ。気品がある。
 …何故、洩矢様はこちらを見て何とも言えない笑みを浮かべているのだろう。
 このお顔には覚えがあるような気がする。先ほど、射命丸さんと姫海棠さんに向けられていたものと同じではなかろうか。

「…何かご用でしょうか、洩矢様?」
「や、別に。ただね、もう一度だけ言っておこうかなって」
「何をですか?」
「神様は何でもお見通しなのよ」

 何のことだか。
 私はただ、美鈴さんとお互いの苦労話でもしたいと思っただけだというのに。
 私が彼女に何か特別な感情を抱いているなど、まったくの誤解だ。
 …だから、また何を考えているのだ、私は。洩矢様は美鈴さんのことだとは仰っていないではないか。

「じゃあ行こっか。あんまり遅いと、神奈子が探しに来ちゃう」
「神奈子って、もう一人の神だよね。諏訪子よりも強いんだっけ?」
「ふん。今やったら私が勝つもんね」
「モミジさん、大丈夫? 顔が赤いけど」
「だ、大丈夫です! ご心配なく!」
「そう?」
「ええ。早く行きましょう」

 これはいったい、どうしたことだ。私は何故、この人に話しかけられただけで心地良さを感じているのだ。
 どれだけ胸の高鳴りを否定しようとしても、美鈴さんの声を聞くたびに頭が反応してしまう。
 空へと舞い上がる前に天を仰ぐと、何だか月までにたにたと笑って、こちらを見ているような気がしてきた。
 ああ。あれが紅く輝く望月ならば、心の高揚をあいつのせいに出来るのに。
 まったく。今、私を狂わせているのは、いったいナニモノなのだろう。



 
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

あやはたを書いていたら、椛が吊り橋効果で美鈴に惚れちまっただ。
いや、良いんじゃないでしょうか。生真面目な兵隊さんが天真爛漫なお姉さんにアタックする構図。
この二人の話、また書けたら書いてみたいと思います。

それでは、お疲れ様でした。



追記
続きを書かせて頂いております。
美鈴×椛「それものシリーズ」をよろしくお願い致します。
昭奈
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コメント



0.1020簡易評価
3.80名前が無い程度の能力削除
冒頭で出てきた割に「射命丸が行方不明」という要素が弱いというか、
どうせならソレ絡みで一騒動ほしかったところです。

椛・美鈴(とフランもかな今回の流れだと)の絡みはもっと見てみたい。
よろしければ続編お待ちしております。
4.70名前が無い程度の能力削除
「文が行方不明になった」という部分を、もう少し掘り下げてもよかったのではないかと。
そのせいか物語の中での文の必要性が、少し薄くなってしまっているように感じます。

珍しい組み合わせで面白かったです。
フランの為に戦った魔理沙の話を見てみたいです。
5.80奇声を発する程度の能力削除
こんな組み合わせも面白いですね
11.70名前が無い程度の能力削除
諏訪子と紅魔組に比べて天狗側が不自然にシリアスなのがちょっと引っかかった。
ケロちゃんと仲良しなフランちゃんはなんかツボに入った。マダムって呼び方が箱入りお嬢さんぽくて可愛い。
13.100名前が無い程度の能力削除
見ない面子でどう話を展開させるかと思ったけど、想像よりずっと面白かった。
作者さんの次回作期待してます。
15.70愚迂多良童子削除
あやはたは良いものだ。
椛と美鈴が今後どう言う風に発展していくか、そこに期待。
18.1001313削除
面白いです
22.80名前が無い程度の能力削除
もっと発展できる話だと思ったので−20点。ところで、お二組の挙式はいつ頃ですかな?
31.90名前が無い程度の能力削除
有りだぜ有りだぜー!有りのカップルだぜー