Coolier - 新生・東方創想話

幻想少女夕闇突撃隊

2012/11/14 00:43:51
最終更新
サイズ
119.96KB
ページ数
5
閲覧数
3728
評価数
4/13
POINT
820
Rate
12.07

分類タグ





「だ、だいじょうぶ、こっち、道がある‥‥」
「ねえ、ハルちゃんこの道ホントにお寺の方に行くの?」
「たぶん」
「うおう‥‥」

 真っ暗で明かりもない夜の墓場の中を、二人の少女が進んでゆく。少しずつ少しずつ手探りで。
 今日は月も出ているはずなのだが、生憎曇っているようで、空を見上げてもぼんやりとした黄色い球が見えるだけ。足元を照らすにはとても足りない。
 二人とも命蓮寺の墓場に来たのは今日の夕方が初めてである。マミゾウに案内してもらって中をぐるりと回ったのはいいが、道はうろ覚え。大体墓場の中は道が入り組んでいて、行き止まりもあり、まるで迷路。道を通らず、墓を踏み越えて行けば近道し放題なのだが、生憎、二人にそこまで罰当たりなことをする度胸はない。そもそも、どっちがお寺か分からない状況で近道もなんもないのである。おっかなびっくり、道を探して墓場の中をさまよっていた。広い墓場、二人が入ってきた石塀からはすでに結構遠ざかってしまっている。石塀を乗り越えれば墓場からは出られるのだが、出たとしてもそこは真っ暗な夜の森。おまけに、さっき女の人を追いかけたという妖怪がいるかもしれないのだ。そこに再び戻っていくのはいくらなんでも危険と、二人は仕方なく墓場の中をとおっていくことにしたのだ。
 足をゆっくり差し出して、そこに道があることを確かめて一歩一歩進む。明かりがない以上、頼りになるのは耳だけだ。なのに砂利が敷き詰められた墓場の道は、歩くたびに大きな音を立てる。妖怪に聞こえてはいけないと、大声で助けを呼ぶこともできずに歩く二人は、空気の読めない砂利に心の中で悪態をつきながら、おっかなびっくり進んでいった。
 
「み、みよちゃん」
「なに、かな」
「みよちゃんがやろうとしてた肝試し、や、やっちゃってるね。わたし、たち」
「こ、ここまで難易度高くするつもりはなかったんだけど」

 どちらが先に行くでもなく、まるで二人三脚のようにお互いにしがみつきながら少しずつ前へ進む。ときどきふらふらと道を外れ、傍らのお墓に倒れ込みそうになるのを、お互いに引っ張り合って何とか回避する。
 もうどの方向に命蓮寺があるのかなんて、すっかり判らなくなってしまった。お寺の明かりすら見えないのだ。まだ夜も早い時間だから、きっと目印になる明かりが見えるはずと考えていた二人だったが、甘かった。この墓場、結構木が生えていて、遠くを見渡せないのだ。
 
「は、ハルちゃん、火打石、とか、持ってないよねえ?」
「持ってたらとっくに使ってるってば。みよちゃんこそ、何か持ってないの?マッチとか」
「ないない」
「『地獄堂』のカラスのお姉さんみたいな技は?腕から火の玉とか」
「使えたらどんなに幸せだろう、わたしたち」
「そ、そーだねぇー‥‥」

 とりあえず何か喋っていないと怖くて死にそうなので、二人は取り留めもない会話を延々と続けていた。
 薄ぼんやりとした月明かりは、かすかにではあるがお墓の輪郭を夜の闇から浮かび上がらせる。黒いその陰はちょうど人間と同じくらい。暗闇の中に次々と浮かび上がる人のような影。そのすべてが二人を見ているようで。新しい影が現れるたびに、二人の肩が跳ねる。非常に心臓に悪い。

「ハルちゃん」
「なあに!?」
「ごめん!」
「なにが!?」
「き、肝試しはやっぱり夏にやろうね!」
「そ、そうだね!」
「怖すぎて寒いもん!」
「そっち!?」
「ハルちゃんが暖かい、から、わたしは元気だけど!」
「みよちゃんは“へんおんどうぶつ”なの?」
「人肌恋しいの」
「おませだね!」
「ありがとう!」
「あ、行き止まりだ」
「ええええええ‥‥」
「おおおおおお‥‥」
「‥‥」
「‥‥みよちゃん?」
「わたしじゃないよ?」
「‥‥」
「‥‥」
「え、えーっと‥‥」
「‥‥なんか良い匂いがする」
「え!?‥‥いや、なんか生臭い感じの匂いだよこれ」
「臭くないよ」
「そうそう、うーん、たまに道端でカラス達が集まってるじゃん。そこの匂いというか」
「そ、それはどういう意味で」
「‥‥臭かったかなぁ。お肌ケアはしっかりやってるんだけどなぁ」
『はい?』

 振り返れば、ナマ臭い吐息。黒い人影。

「こんばんは!」
『ぎええええええええええ!』

 どがぁっ!

「ぐえっ!」

 見事にシンクロした動きで二人は黒い影にキックを叩き込む。影は悲鳴を上げて闇の中に崩れ落ちた。

「わああああ!」
「ひいい!」

 謎の黒い影に蹴りを叩き込んだ二人は、正面の墓に向かって突進。罰が当たるなどと気にしている場合ではない。二人は墓を踏み越えて行き止まりを突破する。
 お供えの花を踏み潰し、湯呑を蹴飛ばし、卒塔婆を折り、二人は墓を踏み越えた。足に伝わる砂利の感覚。行き止まりの向こう側の道の上。

「どっち!?」
「こっち!」

 みよの問いに、ハルはただがむしゃらに正面に伸びる道を指さしダッシュする。二人とも混乱しており、いつの間にか雲が晴れて月が道を照らしていることに気が付いていない。
 
「な、なにをするんだおまえらー!」
「ひいい!」
「な、なにあれーっ!」

 遠くからあの影の声が聞こえる。二人は声から遠ざかる方向へとひたすら走った。

「待て、そっちはいけない、入ってはダメだぁ」
「思い、出したよあれ!動物が、死んでるときの匂いだよ!」
「あれ、死体なのーっ!?」

 走りながら、必死の形相で怒鳴るみよに、ハルが青ざめた顔で叫び返す。後ろを振り返る。影が追ってくる様子はないが、遠くから声が聞こえる。
 また正面を向いたハルの視界に飛び込んできたのは小さな木札。それは迷路のような墓場の案内札!

「み、みよちゃんストップ!」
「なんでえ!」
「看板あった!」
「何の!?」

 急停止を掛けるハルだったが、砂利に足を取られて尻餅をついた。しかし気にせず立ち上がる。看板に急いで駆け寄るハルの後ろで「むぎゃっ!」という悲鳴が聞こえた。
慌てて振り返ればみよが止まり損ねて角の植え込みに突っ込んでいる。

「大丈夫!?」
「いってえ!」

 ずぼお、と植え込みから頭を引き抜いてぷるぷる振るみよ。鞭のように揺れるポニーテールを見てひとまず安心しながら、ハルは看板の文字を確かめる。

「みよちゃんこっちだ!お寺はこっち!」
「ふ、ふえ!?」

 みよに駆け寄るとその手を引き、ハルはお寺の方に向かって駆け出す。

「まあぁぁぁぁてぇぇぇぇぇ!」

 どがむ!

『うああああああああ!?』

 二人の目の前に、あの影が大声を出しながら落下してきた!

「うぽああああ!?」
「あ、あしっあしいいい!?」

 直立姿勢で落下してきた影の両膝が逆方向に折れ、足だけ砂利道に突き刺しながら体は倒れて突っ伏していた。そのスプラッタな光景に少女達は絶叫する。

「ひ、ひいいっ!」
「は、ハルちゃん‥‥っ!」

 腰を抜かし、抱き合って震える少女達の目の前で、影がもぞもぞとうごめく。
 ぎゅう、とハルとみよはお互いの服を強く握りしめる。

「‥‥」
「ひ‥‥」
「‥‥」
「‥‥」
「‥‥いたい」
「‥‥え」

 聞こえてきたのは半泣きのめそめそ声だった。しかもよく聞けばそれは女の子の声だ。意外な状況に、二人の恐怖心が若干やわらぐ。

「いたい気がする‥‥」
「‥‥」
「遺体だけに」
『‥‥』
「あー、しまったなぁ、飛び跳ねたのはいいけど着地まで考えてなかった」
「‥‥」
「足が折れちゃった」
「ひぃ」

 かろうじてつながっている皮膚の中で、千切れた筋肉や伸びた筋がびくびくと跳ねる。そのおぞましい光景にハルが思わず悲鳴をあげた。影――赤い服を着た少女――はその声を聞き逃さなかった。

「ぬ!」
「‥‥っ?」
「声だ」
「!」
「声が、するぞお」

 もぞ、と影の頭がうごめき、ずるりと二人を見上げる。額にはお札のようなものが貼られている。その向こうにあったのは、青白い肌の少女の顔だった。‥‥顔中にボコボコと砂利をめり込ませたままの。

『――――!』

 濁った光を湛える瞳が、どろりと少女達を捕える。

「居たあああああああ!」
『ぎええええええ!』

げしっ!げしげしげしっ!

「おぶあっ!」
「わああああああ!」
「うおおおおおお!」

 クワッ!と目を見開きネラりと笑う、その気持ち悪すぎる顔面にまたも脊髄反射で二人そろって蹴りを連発すると、また二人は影の元から逃げ出した。さっき見た看板の方向なんてあっというまに忘れ去り、ふたりは元来た道を逆走してゆく。
 
「なんなのなんなのなにあれなにあれえええ!」
「しらないよっ!」
「まてえええええ」
「!」
「!」

 振り返れば、腕だけでわしわしわしわし!と這い寄る“死体”の姿。

『ぎええええええ!』

 走る。走る。走る。墓の出口も女の人の子供のこともすっかり記憶から投げ飛ばして!

「ハルちゃん!」
「!?」
「でえええええい!」

 みよが突然叫んだかと思うと、ハルを抱え、跳んだ!

「――――!」
「うおおおおおお!」

 およそ女の子らしくない雄々しい叫び声をあげ、みよはハルを抱えて墓石を飛び越える。暗い墓場が一瞬眼下に広がる。風を切る音と浮遊感に、ハルの目が大きく見開かれた。

「どぅああっ!」
「でっ!」

 砂利道に着地したみよの腕は着地のショックを受け止められなかった。腕から転げ落ちたハルは顔面から盛大に砂利道に倒れ込む。

「ハルちゃん!」
「い、いたひ」
「た、たって、たってよ!来るよ!」
「!」
「こらお前たち、私の言うことを聞きなさい。悪いことは言わないから大人しくするのだ」

 匍匐前進では障害物はなかなか越えられない様子。墓の向こうからやけに冷静な説得が聞こえてくる。しかし恐怖に駆られた少女たちが聞き入れるはずもなく。

「ひえええええ!」
「いやあああああ!」
「あ、こら!危ないって、ちょっと!」

 どんどん人間臭くなる死体の台詞に耳を貸すこともなく。歩く死体に捕まるよりはましと、二人は墓場の奥めがけて爆走していった。




*********************





「っぜー、っはー」
「は、っはー、な、な、な」
「な、なに、あれ、あれ」
「し、死体?」
「あんなに元気のいい死体がいるなんてしらないよ!」
「あ、あれだよ、きっと、ハルちゃん」
「なにさ」
「お盆」
「それはとっくに過ぎたよね!?」
「遅刻」
「そんな遅刻いやあ!」

 墓場の一本の桜の木の下で、ハルとみよは膝に手をついて必死に息を整えていた。
 あの死体が追いかけてくる様子はない。声も聞こえない。さっきのように空から降ってくるという恐ろしい事態も考えられたが、両足がもげたあの様子ではそれはできないだろう。二人はとりあえず逃げ切れたと考えて、木の陰に身を隠していた。
 状況は芳しくないようで、いつの間にか墓場中に人魂が飛び交い、夜の墓場を青白く照らし出していた。足元が見えるだけ、墓場に入り込んだ時よりはある意味状況はいいのだが。
 ふわふわと飛び交う無数の人魂は、二人を気にする様子もなく夜空を気ままに飛び交っている。二人の顔の前をふわりと通り過ぎたり、体をすり抜けて遊んだり(ハルはこれで気絶しかけた)。特に危害を加える様子もない人魂共だが、気分が良いものではない。桜の木の根元に身を寄せ合い、ふたりはこれからどうするべきか必死に考えていた。

「ど、どうしよう、ハルちゃん」
「おちついて、みよちゃん。焦っていたらいい考えも浮かばないよ」
「ハルちゃん‥‥」
「な、なにさ」
「目が泳いでるよ?」
「みよちゃん落ち着いてるよねえ!」
「わたし半分妖怪だし」
「あ、自分は襲われないと思ってる!」
「そ、そんなこと、ないよ!?」
「動揺したよね?今動揺したよね?」
「だ、大丈夫だよ?わたしハルちゃんを見捨てて逃げたりしないよ?」
「みよちゃん‥‥」
「大丈夫だよ!ハルちゃんが襲われそうになっても私が守ってあげるから」
「みよちゃんっ‥‥!」
「こいつはわたしの獲物だ!っていえばきっとあきらめてくれるよ!」
「わたしみよちゃんの獲物なの!?」
「さっき抱えて飛んだ時なんかそんな気が」
「本能!?」
「わたし人間食べないよ!」
「でもさっきあの死体さんの匂い、“良い匂い”って言ってたよね?」
「香ばしかったし」
「ほら!」
「あ、あれー?」
「とにかく!冷静になろう!冷静に!」
「そ、そうだね!」
「落ち着いたぞ、わたしは落ち着いたぞ‥‥」
「も、もうハルちゃんが頼りだから。信じてるからね」
「みよちゃん‥‥」
「だからお墓の外まで連れて行ってね!」
「他力本願!」
「わたし馬鹿だから!」

 延々と夫婦漫才を繰り広げていても事態は好転しない。幾度目かの突っ込みとボケの後、どうにか冷静さを取り戻した二人は、真面目にこの墓場から脱出する方法を考え始めた。
 相変わらず人魂はふよふよと気ままに漂っている。みよによればあの死体の匂いもしない。まだこちらに近づいてきてはいないようだ。
 あの死体に遭遇せずに、この墓場から脱出するか。それとも、見つからないようにやり過ごして朝を待つか。
 二人は迷いなく、前者を選んだ。秋の夜長、人魂と死体のうろつく墓場で朝まで過ごすなんて、どう考えても悪い冗談にしか思えない。
 かくして、二人はまたおっかなびっくり、夜の墓場を歩きだしていた。人魂のおかげで明るい墓場は、提灯がたくさんぶら下がっているようでまるでお祭りのように見えた。一旦人魂たちが大丈夫だとわかってしまえば(そんな保証はどこにもないのだが)、そこは子供、適応力が高い。少し幻想的でもある人魂の乱舞に時々見とれながら、子供たちは夜の墓場を歩いて行った。

「綺麗だね‥‥」
「みよちゃん、安心しすぎだよ」
「ごめん。でもさ、なんかお祭りみたいじゃない」
「お祭りねえ」
「赤いのとか、青いのとか、白いのとか‥‥」
「獲物が見つかったって喜んでるのかもしれないよ」
「獲物?」
「私達」
「ハルちゃんはわたしの物だよ!」
「み、みよちゃん、ちょっとドキッとするからあんま大きな声で言わないで」
「?」

 なぜか顔の赤いハルを不思議そうにみよは覗き込む。ハルは小さく咳払いをすると、みよに目を合わさずに、あたりの様子を観察した。探しているのはさっき見つけたような、道案内の看板だ。この広い墓場、必ずあの看板の他にもあるはずである。今は月よりも明るい人魂も飛んでいる。看板さえ何とか見つければ、この墓場を脱出できる。そう信じ、二人は砂利の敷かれた道を歩いて行く。
 果たして、幾度目かの角を曲がり、桶の積まれた水場を通り過ぎた先の十字路に、それはあった。横倒しにした表札くらいの大きさの板が、地面から伸びた白木の棒に打ちつけてある。
 
「みよちゃん!あった、看板だよ!」
「よかったぁ‥‥」
「これでお寺に帰れ‥‥」

 二人はほっと溜息をついて、看板に駆け寄った。そして期待に満ちた目で、書いてある文字を読む。

“←地獄/釜茹で→”

「‥‥」
「‥‥」
「な、なに、これ」
「‥‥芋煮会だよ、きっと芋煮会の看板だよ」
「まぎらわしいっ!」

ぼぎっ!

 盛大に現実逃避をしつつ、ハルは看板を蹴り飛ばした。二人は無言で、その看板を通り過ぎ、別の看板を探す。
 しかし。

“←地獄/↑天界/埋葬→”
“火あぶり→”
“←死体”

「‥‥」
「‥‥ハルちゃん」
「冗談、だよね?」
「わかんない‥‥」

 次々と現れる縁起でもない言葉がかかれた看板。その異様な状況に二人の口数もだんだん少なってゆく。相変わらず人魂たちは気ままに漂い、墓は青白く静かなままだ。

「ねえ、みよちゃん」
「なに?」
「あの看板、誰がたてたんだろう‥‥」
「お寺の人?」
「こんな看板立てる?」
「だよねえ‥‥あ、あの狸の人だったりして」
「イタズラだっていうの?」
「‥‥そうじゃない?」
「そうだと思いたいけど‥‥」
「‥‥そうじゃなきゃ怖くて私死ぬ」
「は、早いよ。早いよみよちゃん死ぬの」

 もう看板が見つからなければいいとさえ考えつつ、二人は墓場を歩いて行く。卒塔婆に絡み付く人魂が、歩く二人に気が付いて蛍のように明滅している。もう時間はどれくらい経っただろうか。静かな墓場には、風の音さえ聞こえない。

「ま、また看板だよ」
「‥‥うん」

 今度は何が書いてあるのか。できることなら見たくはないのだが、“命蓮寺→”という文字が書いてあるかもしれない。二人は慎重に、看板に向かって近づいてゆく。
 恐る恐る覗き込む二人。その目に映ったのは――――

「!」
「!」

“命蓮寺→”

「みよちゃん!」
「ハルちゃん!」

 やった!と手を握り合うと、二人は看板の指す方向に向かって走り出した。
 ざっざっざっ、と砂利を踏みしめ少女たちはかけてゆく。驚いたように人魂たちが揺らめいて二人に道を開ける。「ごめんね!」と言いながら、二人は墓の外への道を急いだ。
 看板は二人の行く手に何枚も現れたが、そのどれも“命蓮寺→”とかかれていた。二人は看板の指し示す方向に向かって、さらに加速する。
 これでこの肝試しもおしまいだ。そう、ハルが安心した、その時だった。

「は、ハルちゃん!」
「!?」
「に、匂いが」
「!」

 みよの一言に、ハルは急ブレーキをかける。みよも立ち止まり、ふたりは近くの石灯籠の下に身を寄せた。
 あの死体の匂いがする。近くに居るのだろうか。二人は周囲を見渡すが、死体が居る様子はない。二人は走るのをやめ、体をかがめながら慎重に進みだす。今度は鼻の利くみよが先頭だ。
 進む方向からは、死体の匂いはしないらしい。突然飛び出してこないことを祈りつつ、二人は看板の指し示す方向に向かって進む。しかし。

「は、ハルちゃん。これ」
「‥‥なんで」

 看板が指示した方向には、暗くよどんだ池が広がっていた。その向こう、かすかに明かりが見える。命蓮寺だ。
 この池を超えれば、二人の目指すお寺はすぐそこだ。しかし、この池を渡る方法は、二人にはなかった。つまりは、行き止まりである。

「ど、どうして」
「看板、間違ってなかったよね?」
「うん。さっき一緒に見たよね」

 みよが振り返る。そこには白木の看板が立っていた。
 “命蓮寺→”と書かれた看板が。
 途方に暮れた様子で、みよが肩を落とす。

「どうしよう‥‥」
「この池、ぐるっと回ればいいんじゃないかな。そしたら‥‥」
「でも、かなり広いよ、この池」
「‥‥行くしかないよ」

 せっかくゴールが見えたのに背を向けるのは凄くもどかしいのだが、まっすぐ進めない以上もと来た道を引き返して、池をぐるっと回るしかない。
 二人は看板を蹴り倒して、また足を踏み出し――

がしっ!

「きゃあ!?」
「みよちゃん!?」

 悲鳴と共に、みよが前のめりに転ぶ。振り返ったハルが見たもの。――――地面から生えた腕がみよの足を掴んでいる光景。

「うああああああ!?」
「いたた、って、な、なにこれ!」
「――――つかまえたー」
 
 のんびりとした声が、土の中から響く。途端に漂う腐敗臭。みよがごくりと唾を飲んだ。恐怖で悲鳴をあげられないのか、ぼこぼこと自分の足元で土が盛り上がるのを体を震わせてみていた。
 ハルも同じだ。腰の抜けた体は、逃げようとしても、うまく動いてくれない。

「捕まえた」
「ひ、ああ、あ、‥‥きゃあ!」
「みよちゃん!」

 すっかり土からはい出た死体は、みよを後ろから抱きかかえて持ち上げた。腕を間接で曲げない、まるで人形のような動き。じたばたと暴れるみよだが、こんどは相手はひるまなかった。痛みを感じていないのか、いくら蹴ろうが叩こうが、顔色一つ変えない。

「わたしは宮古芳香だ。お前たちは何者だ?」
「こ、この!離せ!」
「墓あらしか?そうじゃないな。そうだ。ご主人が連れてこいと言っていたな」
「うー!うー!」
「おまえ、暴れちゃだめだ。おとなしくしてて」
「わああああ!」
「しかたないな。‥‥がぶ」
「ひっ――――!」
「みよちゃん!」

 みやこよしか、と名乗った死体は、問答無用でみよの首筋にかぶりついた。冷たい唇がうごめき、みよの首から血を啜る不気味な音が墓場に響く。びくん、と一回体を震わせると、恐怖に震えるハルの目の前で、だんだんみよの体から力が抜けてゆく。

「み、みよちゃん!」
「あ、あ‥‥」
「うん。柔らかいな子供は。そら、よく見て。我々に負けたものは、我々と同じキョンシーとなるのだ。誇り高き戦士だぞ。いいだろう」
「み、みよちゃん!しっかり、しっかりしてよ!」
「あ、ああ、は、る‥‥ちゃ、にげ、て、にげ‥‥」
「みよちゃん!」
「‥‥か」
「!」

 ぐるん、と目玉が上を向き、みよは白目を剥いて、だらりとその体の力をぬいた。半開きの口元からは、よだれが一筋こぼれている。その顔はどんどんと、死体のように青ざめて行った。

「ひ!」
「じゃあ、次はお前だな」
「!」

 どさり、と地面にみよを落とすと、死体はぐるりと首を回してハルを睨む。
 みよが死体にやられる様を目の当たりにしたハルはすっかり怯えてがたがたと震えていた。

「お前もキョンシーになるのだ」
「い、いやっ!こないで、こないでよお!」
「ダメだ。もう逃がすもんか」
「う、ああ、あああ」

 死体は両手を前に付きだし、ぴょん、と跳ねる。ぴょん、ぴょんと近づいてくる死体。足元でピクリとも動かない親友。右手に触れる、硬い感触。‥‥蹴り倒した看板。武器。
 ハルの脳内が、真っ赤に染まる。

「よくも‥‥」
「ん?」
「よくもみよちゃんをぉ!」
「!」

 ばぎゃっ!

「あんまり乱暴してはいけない」
「!」

 渾身の力で振るった看板は、死体の腕の一振りであっけなく砕け散った。しかし、親友を殺された怒りに震えるハルはそれくらいで怯まなかった。

「わああああああ!」
「うお!?」

 絶叫しながら、折れた看板の柄を死体に向かって突き出す。どす、と鈍い音。微動だにせず立つ死体。

「それで終わり?」
「こ、この!」
「元気がいいけど、無謀だね」
「よくも!よくも!」
「あと、時間切れ」
「!?」

 がしっ。


 突然肩を後ろから掴まれ、ハルの動きが止まる。そこに立っていたのは、さっきまで倒れていたはずのみよだった。

「み、みよちゃん!?」
「――――」
「な、なにするのみよちゃん!離して!離して!逃げなくちゃ!」
「――――たしの」
「え」
「ハルちゃん、は、わたし、の」
「み、みよちゃん!」
「わたしの獲物ぉ!」

 がぶ。

「――――!」

 首筋に走る痛み。朦朧とし始める視界。ずるずるという水音。生暖かいものが襟元に広がる感覚。

「はるちゃあん‥‥甘いよぉ‥‥」
「あ、が‥‥」
「でかしたぞ。それでこそキョンシーだ」

 牙の抜ける感覚と同時に、ハルの足から力も抜ける。ばったりと地面に倒れ伏したハルが意識を失う前に見たのは、牙を生やし、口元から血を溢し、死体のように血の気のない、青ざめた顔でニヤニヤとこちらを見下ろす親友の姿。

 ――――あの看板は、嘘だったんだ――――

 信じた者たちは、救われる前に、騙された。




***************




 ざっ、ざっ、と砂利を踏みしめる音が墓地に響く。
 青白い夜の闇を進むのは、3つの人影。
 
「楽しいなぁ!隊列を組んで歩くのは久しぶりだ!」

 先頭を行くキョンシーの少女が、満面の笑みで夜空を仰ぐ。その後ろからついてくるのは、首筋に噛み跡を付けた二人の少女。
 哀れキョンシーの餌食になったハルとみよは自らもキョンシーとなり、芳香と名乗った死体に連れられて、あてもなく墓場をうろついていた。
 芳香のように腕を前に突き出して、青白い顔をして。違うのは、札が貼られていないことぐらいだろうか。

「腕が下がってるぞ!もっと、水平に!こう!」
「つ、疲れたんですけど!」

 斜め45度に下がったハルの腕を見咎め、芳香がびよんびよんと腕を上下に振って注意する。
 ハルがそれに文句を言うと、やけに得意げな顔で芳香は説教を垂れた。

「ゾンビは疲れなど感じないのだ。お前たちはキョンシーになったのだ。疲れるはずがない!」
「あ、あれ、ゾンビ?キョンシー?あれ?」
「芳香さん。みよちゃんが困ってますけど」
「なんで?」
「結局私達どっちなんですか。ゾンビかキョンシーか」
「キョンシーだ!」
「‥‥じゃあ疲れるんですね?」
「?」
「ダメだこの人、分かってないよ、みよちゃん」
「?」
「あんたもかいっ!」
「なんか私、キョンシーになってもっとお馬鹿になった気がするんだよハルちゃん」
「元からじゃないの!?」
「ひどい!」

 キョンシーになっても相変わらずビシバシと突っ込みを入れるハル。ボケるみよ。そんな二人に、芳香が声をかけてくる。

「ねえ」
「なんですか」
「ゾンビはもうちょっと頭悪い方が良いと思うぞ?うん」
「だから、どっちなのー!キョンシーじゃないのー!?」
「キョンシーだ」
「うがー!」
「あまり頭に血をのぼらせてはいけない。しんでしまうぞ」
「あなたが言いますかっ!?」
「死ぬのはいかん。死ぬのだけはダメだ」
「もう死んでるんでしょ!?」
「ん!そうだった!」
「‥‥わざとやってません?」
「うん」
「みよちゃん喰ってしまえ!」
「え、いいの?」
「わあまて、冗談だ、やめろ、においを嗅ぐな。たーすーけーてーっうおお」
「わーっ」

 ふんすふんすとにおいを嗅ぐみよに、焦った表情で芳香がグルグルと逃げ惑う。そして二人して盛大に転んだ。
 芳香に噛まれてキョンシーになってしまった二人だったが、見た目少々顔色が変わったくらいで、自由に動けたし、喋ることもできた。‥‥心臓は止まり、瞳孔は開いているという、いわば仮死状態であるため、早く元に戻らないとマズイ状況であることを二人は認識していないのだが。
 思考に変化はあったようで、いざキョンシーになってみると、自分たちはキョンシーであり、芳香が“仲間”だと、ぼんやり思うようになっていた。そのおかげで、あんなに気味の悪かった芳香とも、普通に話すことができたのだ。‥‥みよはそれとは別になにか、カラスの妖怪としての本能が目覚めたらしく、キョンシー化してからというもの、芳香を見て「美味しそうな匂いがする」といってヨダレを垂らしては芳香を怯えさせる(!)始末。みよはキョンシーになる前からすでに芳香の匂いを「良い匂い」と言っていたが、情緒的な物でなくやはり食欲的なものだったようだ。友人のまた意外な一面、半妖だけど腐肉食動物(スカベンジャー)の本能をしっかり受け継いでいるという事実に、ハルが厨二病的なカッコ良さを感じて内心一人でゾクゾクしていたことを、みよは知らない。
 芳香は芳香で仲間が増えたことがとてもうれしかったようだ。キョンシーとして“復活”した二人の様子を見て、飛び跳ねて喜んでいた。喜びすぎて転んで首の骨が外れるアクシデントもあったが、無邪気なその様子は年下の二人にさえなにか微笑ましいものに見えた。
 今も地面に転がって、においを嗅ぐみよを振りほどこうとジタバタやっているが、その顔はやっぱりうれしそうな笑顔なのだ。

「はは、やめ、やめないか。くすぐったい、くすぐったいってば」
「おねーさん良い匂いなんだもんー。んふー」
「こ、こら、私達はキョンシーなのだぞ。仲間なんだ。共食いはいかん」
「むうー」
「私達が食べていいのは敵か人間なのだぞ」
「おねーさんは敵じゃないじゃん」
「そうだ。だから食べてはいかん」
「うー」
「ほら、みよちゃん。そろそろ勘弁してあげなよ」
「‥‥」
「なにさ」
「ハルちゃんも良い匂いがするよね」
「えっ」
「ちょっとかじっていい?」
「ぬわー!?」

 今度はハルが襲われる番だった。友人は四つん這いでまるで動物的にわしわしと向きを変えると、有無を言わさずハルに飛び掛かる。のしかかられ、ハルの顔を覗きこんでくる、ちょっと濁った瞳は、瞳孔が開いていて赤く光を反射する。

「み、みよちゃん、だめだよ?私達友達だからね。ね」
「むふー」
「聞いてる?」
「ハルちゃんの血美味しかったんだよねえ‥‥れろ」
「うひぃっ!?」
 
 自分でハルの首に付けた噛み跡を、みよはてろりと舌先で舐める。悶える自分の姿を見て楽しむ様子さえ見せつつ、いらぬ色気まで盛大に振りまいて、みよはなおも首筋を責めてくる。腕は抑えられて全く動かせない。キョンシーになったおかげなのか、みよは力まで強くなっている。自分もそれなりに力が強くなっているのだが、キョンシー化する前から自分を抱えて墓を飛び越えるような友人である。差は大きかった。
 押さえつけられ、身動きもとれず、首筋に走るこしょばゆい感覚となぜか湧き出る恥ずかしさ。どう処理したらいいか全くわからない状況に慌てふためきバタバタと暴れるハルの後ろから、心配そうな芳香の声が聞こえてくる。

「こ、こら、だめだ、仲間を襲っちゃいけないぞ。我らはキョンシーなのだ。な。な?」
「た、助けてくださいよ!」
「かじられるかもしれないからヤダ」
「ちょっとお?」
「むふふふー」
「あ、ちょっと、やめ、あう」
「ねえ」
「な、なに?」
「お前たち、ほんと仲がいいよね」
「そ、そうですかね!」
「お姉さん妬けちゃうな」
「ちょ、ぜ、絶対仕返ししてますよね!それ!わざとやってますよね!?ホントは頭いいでしょ?芳香さん!」
「え、私、ゾンビだからわかんなーい」
「ぬああああ!」

 超独特な、芳香のギャグのようなものに絶叫するハル。そのおかげで力が出たのか、ようやくみよを押し返すことができた。まだにおいを嗅ぎ足りないのか、肉を齧りたかったのか。物足りなさそうな顔をして、みよが頬を膨らせる。

「ハルちゃんのけち。減るもんじゃないじゃん」
「ダメ!わ、私達、同じキョンシーなんだからね!そういうことダメなの!」
「えー」
「指をくわえない!」
「ぶへ」

 眼の前の友人はまだ物欲しげな顔をしているが、ハルはその惚けた顔をバチンと叩き、どうにか友人の暴走を止める。

「ははは、愉快だな。すごく愉快だ。いいぞ」

 芳香は二人を見て、硬い両腕を水平にあげて、また楽しそうに笑っていた。その様子をみて、二人も思わず顔を見合わせて、苦笑する。
 彼女はずっと、キョンシーとして“ご主人”の言いつけを守り、大切なものを護ってきたと聞いた。ずっとというのが、千年を超える途方もない間ということも。底抜けにうれしそうに笑う芳香をみていると、二人とも子供心ながら、彼女の寂しさが垣間見えたような気がして、なんだか胸の奥が切なくなってくる。せめて、元に戻るまでの間は一緒にいて、あそんであげよう。お互いに確認しあうまでもなく、二人は同じようにそう思って、芳香と一緒に、するどく伸びた犬歯を剥いて笑った。
 元に戻れる保証なんてどこにもないのに。とりあえず二人とも、そんなことは全く気にしていない。
 そんな時だった。

「む!」
「?」
「どうしたんですか」
 
 とつぜん、芳香が笑うのをやめて真剣な顔つきで遠くを見つめる。2人のちびっ子キョンシーも先輩のただならぬ様子に漫才をやめて体を緊張させた。

「誰か来る。匂いがする」
「えっ」
「お寺のひと!?」
「違うな。匂いが違う。お前たち、墓の陰に隠れるんだ。一旦様子を見よう。まずは相手を確かめるのだ。何があっても動いてはダメ。静かにするのだぞ」
「はい」
「イエス、マイロード」
「みよちゃん‥‥」
「『地獄堂』のセリフだよ」

 キョンシーになっても相変わらずな友人を、濁ったジト目で生暖かく‥‥冷たくながめながら、芳香先輩の言いつけどおりハルは近場の墓石の陰に身を寄せる。そのまま力を抜けば、もう完璧。冷たく息をせず、脈もないこの体はそれだけで完全に気配を消せる。みよもうまく隠れたようだ。芳香はと言えば、ずぶずぶと足元の土を湧き立たせて地面に潜っていた。さすが先輩。

「――――」
「――、―――!――ね」
「――さ、ほんとう――、――?」
「きた‥‥」
「しゃべるな」
「‥‥」

 みよを地面の底から注意して、芳香も気配を消す。声はだんだんと近づいてくる。どうやら、3人いるようだ。違う匂いの吐息が3つ、風に流れて漂ってくる。
 まず声がはっきりと聞こえてきた。

「ねえ、大分歩いたけど本当にお化けいるの?」
「居るんだって!団子屋のおじさんが言ってたよ。夜の命蓮寺のお墓にはお化けが出るんだって」
「でもどんなお化けか分からないんでしょう?」
「だからこそ、その正体を私たちの手で解明するのよっ!これからの時代、妖精だって異変解決ぐらいやらなくちゃ!」
「燃えてるねえ‥‥」
「ま、いきなり神様とケンカするのは無理として、まずは身近なところから!」
「てなわけで、肝試しね‥‥」
「サニー、とりあえず人魂は沢山いるけど、ほかには何もいないわよ。私には何も感じない」
「だってさっきこっちから声がしたじゃない。聞いたでしょ?ルナも」
「人魂の声じゃないの?」

 何処かで聞いたような会話の内容である。闇の向こうから、足音と共に騒がしい声が響いてきた。3つの死体は、暗闇と同化しながら濁った眼を相手に向け続ける。青白い闇をくぐって近づいてきたのは、3人の女の子だった。しかも、背中にはそれぞれ羽が生えている。

(妖精‥‥?)

 自分たちよりも幼いその姿。ふりふりの衣装。輝く羽。もう間違いない。近づいてきたのは、3人の妖精の女の子だった。それぞれ提灯を持ち、にぎやかにおしゃべりをしながら歩いてくる。
 3人の妖精は、ハル達が隠れている墓場までどんどんと近づいてくる。冷たい墓石に寄りかかりながら、ハルはじっと、動きを止め続ける。じわりと胸に湧く高揚感。かくれんぼをしている時の、あの緊張感をもっと強烈にした感じ。脈を打っていないはずの心臓が、ドキドキと音を鳴らしている気がした。
 
「ん?」
「スター?」
(!?)
 
 3人の隠れる墓場の前で、急に一人の妖精が足を止めた。

「どうしたのよ」
「‥‥なんか、変な匂いがしない?」
「匂い?」
「なんかこう、薬くさいというか、桃の匂いというか」
(うええ!)

 薬に、桃。思い当ることばかりで、ハルの体がますます固くこわばる。
 あの女性からもらった軟膏の缶は胸元に入っているし、桃はさっき命蓮寺でもらって食べた。

「ルナ分かる?」
「別にしないけど」
「ほら、これだよきっと」

 墓石の向こうから、足音が近づく。こつん、と一人の妖精が墓の土台の石に足を乗せた。いよいよばれたか、そう思い、ハルは目を閉じた。
 見つかったらどうなるのだろう。さっき妖精の一人は「異変解決」すると言っていた。もしそうならば、自分たちは退治される側である。なにせ、歩く死体だからして。妖精と言えど、中には弾幕ごっこで退治屋と張り合う者もいる。おまけに無邪気な妖精の事、猫が鼠をいたぶるようにひどい目に会わされるかもしれない。新米キョンシーの緊張は今や最高潮に達していた。

「‥‥ほら、しけたお線香。この匂いじゃない?」
「あー、言われてみれば‥‥?」
「薬臭いし、桃の匂いもするかなぁ?」
「そうでしょ。これだよ」
(!)
 
 セーフ。どうやら、妖精たちは“異臭”を線香の匂いと勘違いしたようだ。得意げに話す妖精が、残りの二人に向かって自分の見解を説明している。自信満々に話すその内容に、他の妖精も何とか納得している様子。にぎやかな声が墓石を挟んで反対側から聞こえてくる。
 しばらく、そうやって墓の前で騒いだ妖精は、線香を持ち、また闇の中を進んでいった。
 彼女達の持つ提灯の光が、遠く離れて墓の向こうに消えたあたりで、地面が音を立てた。

「みんな、もういいぞ。それにしてもお前たち隠れるのうまいなぁ。合格合格」
「ふ、ふええ」

 地面の中から、芳香がゆっくりと這い出てくる。声を殺して、ハルは安堵のつぶやきを吐いた。

「み、見つかるかと思った‥‥」
「良い隠れっぷりだったぞ。よしよし」
「えへへ」

 関節の曲がらない腕で撫でられながら、新米キョンシーは嬉しそうに笑う。芳香は笑顔でハルの頭を撫でると、傍らの墓石に向かって語りかけた。

「こら、みよ。もういいぞ。でてきなさい」
「‥‥」
「みよ?」
「みよちゃん、もういいよ。でてきなよ」

 語りかけても一向に姿を見せないみよ。ハルは首をかしげながら、道を挟んだ反対側の墓石の裏を覗き込む。

「‥‥まあ、こうじゃないかとは思ったけど」
「‥‥」

 そこには、墓石にもたれかかったまま、目を閉じて息もせずピクリともしないみよが居た。

「おきなよ。みよちゃん。もう行っちゃったよ」
「‥‥悪党どもめ‥‥地獄の業火で塵も残さず原子に還るがいい‥‥」
「うん。よく寝てる」

 身じろぎ一つせずに寝言を吐くみよ。何事かと覗きに来た芳香は、ピクリともしないみよの様子を見て、驚愕の表情を浮かべて硬直した。

「しっ、死んでる‥‥!」
「芳香さん、それ、ギャグ?」





***************




「追い払うのだ」
「えっ」
「おおっ」

 目標を確認した3体のキョンシーは、みよが寝ていた墓石の陰にみんな集まって、これからどうすべきか作戦会議を開いていた。そこで先輩から出されたのが、強硬案である。彼女はずっと彼女の大事なものを護るために近づくモノを追い払ってきたらしい。今回も同じことをするべきなのだそうだ。
 追い払うのだー、と腕を上下にびょんびょん振る先輩。みよも真似して腕を振る。

「我々のすることは変わらない。邪魔者は追い払う。それだけだ」
「おおー」
「あぶなくないですか?」
「何を言うか。我々は死なんのだぞ。大丈夫」
「やろ!ハルちゃん!なんか面白そうだしさ!」
「むう」

 なんだか怖い気もするが、みよの言うとおりこれはなかなか楽しそう。夜の墓場で妖怪(キョンシー)になって妖精を驚かして追い払う。うん。すごく魅力的。ちょっと関節がギシギシ言うようになってきた腕を組み、ハルは下を向いて考えた。

「どうだ?」
「‥‥やりましょう!」
「うむ!‥‥何を?」
「追い払うんですよ」
「誰を?」
「さっきの妖精どもを」
「‥‥おー!」

 町の雑貨屋に置いてある“らじを”のように、繋がったり繋がらなかったりする芳香のシナプスが醸し出す会話にもだいぶ慣れてきたハルである。
 さて、方針が決まれば次はどうやって彼女達を驚かすかである。もっとも、言いだしっぺとはいえ脳みそが腐った芳香にそんな高度な作戦なんか立てられるわけがない。まだまだ脳味噌が新鮮なハルとみよが、詳細を詰めることになった。芳香は「ごめんね。わたしゾンビだからごめんね」とニコニコして有能な後輩たちの作戦会議を眺めている。

「さてみよちゃん。目標はあの妖精三人組です。私が見たところ、彼女達はなかなか手ごわいようですよ」
「そう?」
「みよちゃんは寝てたから聞いてなかったと思うけど、なんかあの妖精さんの中にすごく気配を探るのがうまい人がいるみたい。周り中の人魂さんの動きを知ってた」
「‥‥すごいねえ、それ」
「近くで動くモノはみんなわかるみたいだったよ」

 やたら動くモノに敏感な妖精。その情報を聞いたみよが、眉をひそめた。

「それって、私達もしかして感づかれてるんじゃない?とっくに」
「それは大丈夫じゃない?あのときは向こうが気が付く前に芳香さんが先に気が付いたでしょ。芳香さんが気配を掴む方が先みたいだよ。きっと」
「‥‥ねえねえ芳香さん。近くになんかいる?」
「お前たちが居る」

 みよの問いかけに芳香レーダーは首をぐるりと360度回して近くにアンノンが居ないことを知らせる。うん、と二人は頷いた。

「居ないみたいだね、ハルちゃん」
「相手は気配を探るのが上手い」
「でもそれはこっちが上です」
「気づかれないうちに気づくのはできるけど、気づかれないように近づくのは無理‥‥そんなときはどうしましょうか、みよちゃん」
「待ち伏せだね。ハルちゃん」
「意見が一致しました」
「地獄堂の主人公もやってたよ。暗い路地で待ち伏せて、犯人をバールのようなもので‥‥」
「‥‥どんな主人公なのさ、それ」

 みよの読んでる小説の中身が道徳的に正しいのかどうかは置いておくことにして、とにかく方法も決まった。待ち伏せして、驚かせる。これしかない。
 「決まったか?」と芳香がニコニコしながら聞いてくる。ふひひ、と笑いあうと、寺子屋の誇る隠れ不良少女達は作戦の中身を芳香軍曹にもわかるように、ゆっくりと説明を始めたのである。
 


***************

コメントは最後のページに表示されます。