Coolier - 新生・東方創想話

ヒトコト

2012/11/09 23:57:07
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 ある日のことでございます。
 天にましますお天道様が、情け容赦のない灼熱の眼差しで地上をご覧になるため、そのお顔をお見せになる時がやって参ります。
 それからまだ間もない時分に、幻想郷の何処か、霧のかかった湖の上で、それはそれは美しい氷の花が咲いておりました。
 と、申しましても、花の形をした氷細工のことではございません。
 無数の氷の塊が宙を舞い、遠くから見ると、まるで、キラキラと輝く大きな花が幾つも霧の中に咲いているように見えるのでございます。

「おっ」「ほい」「よっと」

 その氷の飛んでくるのを、箒に跨がって空を飛ぶ娘が、あちらへ、こちらへと、何とも華麗に避けております。
 無彩色な衣装に引き立てられた金色の髪が作り出す軌跡は、さながら、花の中をひらひらと飛び回る紋黄蝶のようでございます。

「あーもう! ちょこまか避けるなー!」

 舞い踊る雹の中心で、氷の羽を背に持つ妖精が手足をジタバタと動かして悔しがり、外見相応の子どもじみた口調で喚いております。
 箒に乗った娘はこれを聞いて、その言葉を待っていたと言うかのように口許に不敵な笑みを浮かべました。
 彼女は手に持った八卦炉の噴射口を妖精に向け、眩しく輝く光の帯を流星のごとく放ったのでございます。

「うわわ!?」

 妖精は瞬く間に光に包まれ、彼女が生み出した無数の氷は跡形も無く霧散してしまいました。
 やがて光が通り過ぎますと、妖精は頭を下にして、綿雪のようにふわふわと落ちて参ります。
 その脳天が水面に着く寸前、妖精はムクッと体を起こし、自分の方へと近付いてくる娘の顔を睨み付けました。

「今度こそー!」

 声を張り上げ、未だ戦意の衰えていないことを示しましたが、相手の娘に構える様子はございません。

「チールーノ。今のカードは何枚目だ?」
「え? えっと…」

 妖精、チルノは一生懸命に記憶を追いかけながら、広げた指を一本ずつ折って数えます。

「あ」

 四本目の指を折ったところで、彼女は自分が手札を使い果たしたことに気が付いたようでございます。

「私の勝ち」
「ちぇー」

 チルノは足元の水を八畳ばかり凍らせて、その上に降り立ち、そのままそこに座り込みました。
 戦いに勝った娘も、その氷の上に足を下ろしましたが、こちらは腰を下ろすつもりはございません。
 この娘、霧雨魔理沙は人間でございますから、いくら暑い季節とはいえ、冷たい氷に直接座るのは憚られたのでございます。

「朝っぱらから、何やってんのよ」

 何処からか現れて、チルノと魔理沙に問いかけたのは、紅白の衣装に身を包んだ博麗の巫女、博麗霊夢にございます。
 幻想郷で起こる異変の解決を生業とする彼女のことでございますから、この湖で繰り広げられる戦いの気配を鋭く察知し、様子を見に来たのでございましょう。

「何って、弾幕ごっこだよ」

 魔理沙が答えますと、霊夢は見に来て損したとぼやいております。

「チルノ。あんたも懲りないわね。これで何回目?」

 チルノはまた、指を折って数えだします。
 十秒ほど掛けて、右と左、両方に拳が握られますと、霊夢達を見上げて、口を開きました。

「十回くらい?」
「いつ聞いても十回じゃない」

 そう言われましても、チルノには正確な回数が思い出せません。
 十四か、十五か、あるいは二十、三十を超えていたか。
 少なくとも十回は挑んだ覚えがございましたから、十回と答える他に無いと思ったのでございます。

「仕方ないぜ。指は十本しかないもんな」
「バカにすんなー!」

 魔理沙にしたところで、正確な数を答えることが出来ないのには違いございません。
 そんな彼女と自分との間に、いったい、どれほどの差異が有るというのか、チルノには到底、理解出来ないのでございます。

「あ」

 霊夢が何事かに気が付いて声を漏らしましたが、二人は相変わらず、からかったり、怒ったりするのに忙しくしております。

「足の指も使えば良いだろ」
「だから、あたいをバカに…おょ!?」

 素っ頓狂な声を上げたチルノを訝しく思い、魔理沙がちょいと振り返って見ますと、そこには一人のメイドの姿がございます。
 湖を覆う霧の中に姿を隠す吸血鬼の館、紅魔館のメイド長、十六夜咲夜にございます。
 いつの間にやって来たのか、魔理沙の背後に佇み、二人のやり取りをじっと眺めておりました。
 その目の冷たさと申しますと、足元の氷が放つ冷気など遠く及ばぬほどのもので、極寒地獄を牛耳る鬼でさえ、震えだすのではないかと思われるほどでございました。

「さ、咲夜」
「うちの庭で騒がないで頂けるかしら」

 問いかけるように言ってはおりますが、その手には既に、銀製のナイフが一本、持たれております。

「先ほど、お嬢様が眠りにつかれたばかりなのよ」
「あ、ああ、そうなのか」

 黄昏時に目を覚まし、夜が明ける頃に眠りにつく妖怪、吸血鬼を主人とする咲夜のことでございます。
 広大な館と、我が儘三昧を言う主人のために、日頃から尋常ではない労力を費やしております。
 不用意に主人の眠りを妨げられたのでは、己の身がもたないものでございますから、相当に気が立っているのでございましょう。

「あ、あたいは、ただ、魔理沙と勝負を…」
「理由は聞いていないわ」

 魔理沙が気が付いてみると、咲夜が手に持つナイフは、いつの間にか八本に増えているではございませんか。
 今の彼女は、穏便な決闘のルールを守ってくれるかどうかさえ、疑わしい限りでございます。
 いよいよ危険を感じて辺りを見回しますと、先ほどまでそこに居たはずの霊夢の姿が見当たりません。

「これ以上、騒ぐのなら、数えられる値を減らすわよ」
「あたい!? あたいが減らされるの!?」
「バカ、そのあたいじゃねぇよ! 指だ、指!」
「ゆび!?」

 この期に及んで大声を出す二人に、咲夜の殺気はますます大きくなって参ります。

「とにかく、逃げるぞ!」
「ごめんなさーい!」

 魔理沙は慌てて箒に跨がり、湖の水面から飛沫を舞い上がらせるほどの突風が起きる速さで、勢いよく飛び去って行きました。
 チルノも間もなくそれに続き、後には、氷の上に佇む咲夜だけが残されたのでございます。

「騒ぐなって言ってるのに」

 キョウキを納めた咲夜の、湖よりも深い溜め息が、霧の中へと吸い込まれて行きました。




「やだねぇ、ああいう暴力的な女ってのは」

 湖から陸地まで一直線に逃げてきて、疎(まば)らに立った木々の間を飛んでいる魔理沙の前方に、霊夢の姿が見えて参ります。

「遅かったわね」
「霊夢! お前、黙って逃げたな!?」

 薄情だ何だと糾弾する魔理沙でございましたが、霊夢はそれを澄ました顔で右から左へと聞き流しております。

「あんたたちがボサッとしてるのが悪いのよ」

 やっと返ってきた言葉がこれでございますから、魔理沙はもはや、何を言う気も失せてしまいました。

「チルノは?」
「あれ?」

 キョロキョロと辺りを見回しますが、一緒に逃げてきたはずのチルノの姿は何処にも見当たりません。
 魔理沙にはチルノに追い越された覚えがございませんから、もしかすると、あの修羅のようなメイドに捕まったのではないかと心配になって参ります。

「薄情な奴ね」
「お前が言うな」

 咲夜が追いかけて来ていないかを確かめながら、二人はそろり、そろりと湖の方へ戻って参ります。
 すると、湖の縁(ふち)からそう遠くない所に在る一本の木のすぐ傍で、チルノが仰向けに倒れているではございませんか。

「きゅー」

 魔理沙は慌てて傍に近寄り、チルノを抱き起こして問いかけます。

「チルノ! 大丈夫か!?」

 しかし、チルノからの返事はございません。
 ただ「お星様が見える」などと譫言(うわごと)を呟くばかりでございます。
 これに焦った魔理沙は、その両肩を持って、体を前後に揺さぶり始めました。

「おい、咲夜にやられたのか!? 指は無事か!?」

 いくら問いかけても、チルノは何も答えません。
 ひたすら、言葉にならない声を出しながら、魔理沙によって頭を前後に激しく揺らされております。

「あうあうあ」
「チルノ! しっかりしろ! チル…」

 魔理沙の後頭部に、その頭と同じぐらいの大きさの陰陽玉が、鈍い音を立ててぶつかりました。
 申し上げるまでもなく、霊夢の仕業でございます。
 魔理沙はチルノから手を離し、再び仰向けになったチルノの隣へ、俯せに倒れ込みます。

「落ち着きなさい」

 起き上がって後頭部をさする魔理沙を横目に、今度は霊夢がチルノの傍に座りこみ、その体を観察し始めました。
 じろじろとチルノの額を見た後、すぐ傍に立つ木を見上げ、もう一度チルノの額を確認します。
 すると、いきなり立ち上がって、地面に転がる陰陽玉を拾いに行きつつ、投げやりな調子で言い放ちます。

「おでこ、ぶつけたのよ、たぶん」

 そう言われて、魔理沙が霊夢と同じようにチルノの額を確認しますと、そこには大きなたんこぶが出来ております。
 この妖精、誰にやられたのでもなく、勝手に頭を打って倒れていたのでございます。

「何だよ、間抜けな奴だな」
「あんたが脳みそ揺さぶったせいで、しばらく起きないわよ」
「妖精って、脳みそあるのか?」

 少しの間、その素朴な疑問について考えてみました結果、二人とも何とは無しに合点がいったようにして頷いております。

「なるほどね」
「そういうことだったんだな」

 その結論では、頭を揺さぶられて意識が混濁する理由が説明出来ないのでございますが、どうやら、彼女達にとってはどうでも良いことのようでございます。
 魔理沙は頭に被った黒い三角帽子を脱ぎ、その中に手を入れて絆創膏を取り出し、それをチルノのたんこぶの上に貼りつけました。

「で、どうしようか」
「そこに放っておいても大丈夫じゃない?」
「え、でも…」

 魔理沙は、すっかり目を回しているチルノを見て、何とも歯切れが悪そうにしております。
 自然現象の権化である妖精は、人間のように死ぬことはございません。
 仮にその体がバラバラになったとしても、何でも無かったかのように復活するような存在でございます。
 そのことは魔理沙も重々承知しておりますが、彼女なりに、症状を悪化させた負い目を感じているのでございましょう。
 霊夢も、そんな彼女の気持ちを察知したようでございました。

「気になるなら、あんたの家で看病しなさい」
「ああ、そうだな」

 魔理沙は再び帽子の中に手を突っ込み、茸やら湯呑みやらを取り出しては、あれでもない、これでもないと言いつつ、何かを探しております。

「あんたの帽子は何? スキマなの?」
「あ、あったあった」

 霊夢の疑問は彼方へと放り投げられましたが、魔理沙はようやく目当ての物を見付けられたようでございます。
 帽子から取り出した大きな布の二隅に付いた紐を、箒の前側と後ろ側とにくくりつけ、箒を宙に浮かせますと、即席のハンモックが出来上がりました。
 魔理沙はチルノを抱き上げて、このハンモックに寝かせますと、「よし」と声をあげます。

「ちょっと待って」
「何だ?」
「そのまま箒に乗って飛ぶつもり?」
「そうだぜ」

 何故、そんなことを訊かれるのかわからない、という風に、魔理沙は首を傾げております。

「振り落とすか、蹴り落とすか、しない?」
「あ」

 魔理沙はその質問で、何かを思い出したようでございます。
 過去に何があったのか、いったい何処の誰が犠牲になったのかは霊夢にもわかりませんが、魔理沙の目は濁流の中に飛び込んだ河童のように泳いでおります。

「…霊夢、ちょっと散歩しないか?」

 おそらく魔理沙は、箒と自分とを同時に、別々に浮遊させることも出来るのでございましょうが、魔法使いが空を飛ぶ時は箒に跨がって飛ぶもの、という妙なこだわりを持っておりました。

「はいはい、付き合ってあげるわよ」

 こうして、霊夢と魔理沙は、宙に浮かんだハンモックで眠るチルノを挟んで横に並び、魔理沙の家がある森へと向かって歩き出したのでございます。




 お天道様が地表を照らす力をじわじわとお強めになっている最中(さなか)、霊夢と魔理沙は、緑葉が作り出す天然の屋根の下に居りました。
 二人の間では、チルノがゆらゆらと揺られながら、心地良さそうに寝息を立てております。
 もし、これが炎天下でしたら、暑さに堪えかねた二人が納涼のために叩き起こすところでございましょう。
 その二人はと申しますと、和やかに会話を交わしながら、のんびりと森の中を歩いております。

「それ、本当?」
「ホントだぜ。昨日も来てた」

 誰かしらの良くない噂話をしているのか、霊夢は顔をしかめております。

「危なっかしいわね」
「大丈夫だって。変に刺激しなけりゃ…」

 魔理沙の言葉をかき消すかのように、大気を振るわせる爆音が、森の何処かから響いて参ります。
 これに驚きましたチルノは、慌てて起き上がろうとして箒の柄に頭をぶつけ、呻き声をあげて地面へと落ちてしまいました。

「刺激しなければ、ね」

 ここは数多くの妖怪が住まう幻想郷でございますから、先ほどのような音を轟かせ得る者と申しますと、それはもう、たくさん居ります。
 ですが、今回ばかりは、今しがた噂をしておりました、ある妖怪の影が差してしまったのに間違いございません。
 霊夢と魔理沙に覚えのある強烈な気配が、一方から漂って参ります。
 チルノは地面に突っ伏した体を勢い良く跳ね上がらせて、魔理沙の制止する声も聞かず、気配のする方へと一目散に飛んで行ってしまいました。
 如何にも関わり合いになりたくなさそうな霊夢と魔理沙でございましたが、放っておけばどのような結果になるかは、目に見えております。
 仕方なく、二人はチルノの後を追いかけることに致しました。




 薄暗い景色ばかりが続く森の中にも、光が溢れる日だまりは、ちらほらと見受けられます。
 そのうちの一つ、お天道様の慈愛がふんだんに注がれますこの一帯では、その半分ほどに色とりどりの花が咲き乱れ、陰々とした森の色彩を色鮮やかなものに塗り替えております。

「何度言えば解ってもらえるのかしら」

 その花畑の傍らで、黒焦げになった三人の妖精が仲良く並んで正座しております。
 その目の前には、妖精達よりも一回りほど歳上に見える少女の姿をした妖怪が凝然として立ち、大きな花のような傘を差して日射しを遮っております。
 この妖怪の恐ろしいことには、死者に裁きを与える閻魔様のごとく妖精達を見下ろし、罪人に罰を与える地獄の鬼のごとく禍々しい殺気を放っているのでございます。

「貴方達は先天的にオツムが足りていないから、いくら気を付けているつもりでも、花を踏みつけてしまうのよ。だから、遊ぶのなら、花の無いところで遊びなさい」

 妖怪は淡々と話しております。

「そう、お説教と体罰とで教えなかったかしら?」
「あい、教わりばした」

 妖怪から見て右側に座る妖精がそう答えますと、妖怪の首が機械仕掛けの人形のように鈍く動き、首を傾げて妖精の目を見つめます。
 獲物を狙う猛禽類の何倍も恐ろしい瞳と視線を合わせてしまった妖精は、髪の毛の先までガタガタと震え上がっております。
 あまりの恐ろしさに、声を上げて泣くことさえ出来ない始末でございました。

「ダッタラ、ドウシテカシラネ?」

 妖怪の背後に広がる花畑の一端で、何本かの花がへし折られております。
 これは先ほど、この日だまりでふざけ合っていた三人の妖精のうちの一人が、他の一人に突き飛ばされて尻餅をついた時に、折れてしまったのでございます。
 三人はすぐさまその場を離れようと致しましたが、運悪くか、はたまた必然でございましょうか、この妖怪に見付かってしまい、言い訳をする間もなく熱線を浴びせられたのでございます。

「何か言うことはあるかしら?」

 先ほども申しましたが、妖精というものは怪我の類で死ぬことがございません。
 それにも関わらず、妖精達が異常に怯えておりますのは、この妖怪が持つ悍(おぞ)ましいまでの妖気が、自然という概念そのものさえ抹消し得るのではないかと思わせるほどに強大なためでございましょう。
 迫り来る終焉の気配に追い立てられ、真ん中に座っております、僅かな赤味を含んだ金色の髪に鮮やかな赤色のリボンを着けた妖精が、おずおずと口を開きます。

「転んだのはルナだから…」

 彼女は、ちらちらと右を見ながら、こう申し上げました。
 これを受けまして、その右手に座っております妖精、ルナチャイルドが、酷く取り乱した様子で上半身を左に捻ります。

「押したのはスターだもん!」

 彼女は螺旋階段のようにくるくると巻かれた金色の髪を揺らし、二つ隣に座る黒髪の妖精を指差して言いました。

「サニーがここで遊ぶって言いだしたのよ! 私は止めたのに!」

 黒髪の妖精、スターサファイアが、自分に廻ってきたお鉢を慌てて真ん中の妖精へと渡しなおします。
 その妖精、サニーミルクも、こんなお鉢など一秒たりとも持っていたくはございません。
 また、すぐにルナチャイルドに向かって放り投げます。

「実際に折った奴が悪いに決まってるでしょ!」
「私は折りたくて折ったんじゃないの!」
「そもそもはあんたのせいでしょ!」
「あんたも結局、一緒に遊んでたじゃん!」
「私だってお尻を打ったんだからね!」
「何を被害者ぶってんのよ、このドジ!」

 とうとう、三人の妖精は喧嘩を始めてしまいました。
 決して、日頃から三人で行動している彼女達の辞書に、連帯責任という言葉が載っていないのではございません。
 ですが、たった今、差し迫っている危険は、たとえ十人で分かち合ったとしても、到底、背負いきれるものでは無いのでございます。
 そんな状況ですから、三人とも、せめて自分だけは生き延びたい気持ちで一杯なのでございましょう。
 しばらくは三人のやり取りを静観していた妖怪でしたが、やがて、ポツリと言葉を漏らしました。

「もう、良いわ」
「え」

 その言葉を聞いて、醜い言い争いをしていた三人の顔に、希望の色が浮かび上がって参ります。
 幻想郷の住人であっても、儚い幻想に、淡い期待を抱いてしまうものなのでございます。
 しかしながら、三人が妖怪の顔を見上げますと、そんな幻想は跡形もなく消え去ってしまうのでございました。
 妖怪は、その口許にうっすらと笑みを浮かべてはおりますが、目許が全く笑っておりません。
 妖精達は、その表情が意味するところを直感的に覚ったのでございます。

「口で言っても解らないのなら、お説教と体罰の比率を変えるしかないわね」
「ひっ!?」

 妖怪はいつの間にか畳んだ傘を左手に持ち、右手の上に、負の感情の塊を具現化させておりました。
 その憎しみは、どす黒く燃える球体となり、その怒りは、赤い稲妻となって憎しみの周りを渦巻いております。
 ああ、何ということでございましょう。
 あろうことか、お説教は教育の現場から完全に排斥されてしまったのでございます。

「あ、あああ…」
「うああ…」

 絶望に直面しました三人の妖精は、もはや命乞いの言葉すら失い、身を寄せ合って涙を流すことしか出来ません。
 と、その時のことでございます。

「待ちなさい、風見幽香!」

 それは、まるで、御伽噺に出てくる英雄が登場したかのようでございました。
 今にも怒りを解き放とうとしていた妖怪、風見幽香は、英雄が現れた方を振り返ります。
 そこに立っておりましたのは、右手の人差し指を幽香に向かって真っ直ぐに伸ばした氷の妖精、チルノにございます。

「最強の妖精であるあたいが来たからには、もうあんたの好き勝手にはさせないよ!」

 チルノは見得と啖呵を併せて切り、極大の冷気をその周囲に纏っております。

「くらいなさい! 新必殺奥義! エタ…」

 敢えて彼女に反省すべき点が有ったと申しますならば、それは、立ち位置を幽香と花畑の間にしなかったことでございましょう。
 そうしておけば、奥義の名前ぐらいは言えたかも知れません。
 チルノは三人の妖精に放たれるはずだった憎しみと怒りを代わりに引き受け、背後に在った一本の木と運命を共にしたのでございます。
 余分な犠牲が僅か一本の木で済んでいるのですから、憎しみで出来た黒い球の中には相当量の優しさも含まれていたのに間違いございません。

「だから、やめとけって言ったのに」

 斜め後ろの方からその様子を見ていた魔理沙が、ぼそりと呟くのでございました。




「…それで、散々注意したのに、またやってしまったから怒っているのよ、私は」

 正座する妖精が四人に増え、教育の現場にお説教が戻って参りました。
 霊夢と魔理沙は、幹の下半分を失って倒れた木の上に腰を下ろし、黙ってその様子を眺めております。

「何か言うことは?」
「すびばせんでした」

 黒焦げになったチルノがそう言いますと、他の三人も頭(こうべ)を垂れて、それに続きます。

「ごめんなさい」
「すみません」
「もうしません」

 幽香は、何も言わずに四人の頭を見下ろしております。
 四、五秒の沈黙の後、霊夢が幽香に声をかけました。

「幽香、そのくらいにしておけば?」

 幽香が他人の言うことを素直に受け入れるような妖怪ではないことは、皆に知られております。
 ですが、これ以上、森の被害が増えてしまいますと、博麗の巫女として見過ごすわけには参りません。
 霊夢は出来ることなら、幽香を相手にしたくは無いのでございます。
 幽香は瞳をほんの少しだけ霊夢の方に動かしてから、閉じていた傘を開いて差しなおしました。

「仕方ないわね。もう絶対にやっちゃ駄目よ」

 そう言うと、幽香は妖精達の返事も聞かずに折れた花の前まで歩いて行き、そこでしゃがみこんで何事かをしております。
 傘が後ろに傾けられたため、霊夢達からは何をしているのか見えません。
 やがて、幽香が立ち上がって何処かへ去って行きますと、後には美しい花畑だけが残っております。
 サニーミルクとスターサファイアが転ばないように注意しながら近寄って見てみますと、先ほどまで茎が折れて倒れていたはずの花は、何事も無かったかのように元気に背を伸ばしております。
 ルナチャイルドは、破滅的な地獄から生還したことに安心し、わっと泣き出してしまいました。

「なかなかやるわね、幽香! だけど、次はあたいが勝つわ!」
「お前のそういうバカなとこ好きだよ、私」

 大空に向かって拳を突き上げて威勢良く叫ぶチルノに、心から感心する魔理沙でございました。

「れいむぅ、助げでぐれでありがどおおぉ」

 顔をぐしゃぐしゃにして霊夢に抱きつこうとするルナチャイルドでしたが、鼻水が付くのを忌避した霊夢に頭を掴んで止められてしまいます。

「あのね、あいつが私に何か言われたからって、帰るわけないでしょ」

 霊夢は、そう断言します。
 ですが、妖精達には、幽香が自分達を解放してくれた理由がさっぱり解りません。
 魔理沙はと申しますと、何か思うところが有るようで、ぼんやりと虚空を見つめております。

「チルノ、頭の方は、もう大丈夫?」

 首を傾げる妖精達を無視して、霊夢が問いかけました。
 もっとも心の中では、木に頭をぶつけるどころか、木をえぐり倒すような攻撃を受けた直後なのでございますから、今さら頭の心配など無用だろうと思っておりました。

「ああ、そうだ。チルノ、ごめんな」
「なんで?」

 チルノがポカンとして答えますと、霊夢と魔理沙は顔を見合わせ、しばらく目で会話をしておりました。

「何でもないわ」

 診断は「いつも通り」に決まったようでございます。

「それじゃあ、私たちはこれで」
「お前ら、まだ遊ぶんなら場所を変えて…、いいか、場所を変えて遊べよ」
「はーい」

 魔理沙が念入りに念を押しますと、妖精達が元気良く返事を致します。
 その返事の良さに内心、苦笑しながら、霊夢と魔理沙はまた森の中を歩き出しました。
 どうやら霊夢は、涼しくなる時分まで神社には帰らず、このまま魔理沙の家にお邪魔するつもりのようでございます。

「なあ、霊夢」

 振り返っても花畑の在る日だまりが見えなくなった辺りで、魔理沙が霊夢に話しかけました。

「紅魔館に差し入れ持ってくならさ、何が良いと思う?」
「何よ。槍でも降らせたいの?」
「ちげぇよ」

 その頃、誰も居なくなった日だまりの花畑では、色とりどりの花が真上を仰ぎ見て、お天道様と向かい合っております。
 幻想郷ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう。
ここまでお読み頂いた皆様、ありがとうございます。
春と冬に続きまして、夏の話を書いてみました。

冒頭と最後の文は、某先生の某作品より拝借、改編させて頂きました。
拙作では、糸を垂らしたのは仏じゃなくて妖怪でしたが。

幽香製デスボ○ルの大部分は優しさで出来ています。
大妖精が居ないのは、真っ先に幽香の問いに正解しそうだったからです。
ごめんね、大ちゃん。
昭則
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コメント



0.360簡易評価
7.70名前が無い程度の能力削除
幽香製デスボ○ルの大部分は優しさでできていても、
残りの部分で十分殺傷能力があるという…ガクブル
9.70yosey削除
ごめんなさいって素直に言えればいのにね。
10.100名前が無い程度の能力削除
文章がなんとなく好き。
12.80名前が無い程度の能力削除
のほほんとしている、幻想郷の一日という感じが出ていてすきです
13.50名前が無い程度の能力削除
花を大事にという幽香も木はへし折るのか。酷いやつだな