「ナズーリン大変です!」
「なんだいご主人」
「婚期を逃してしまいました!」
「……わけがわからないよ!!」
そんな突拍子もない会話が飛び出したのは、ほんの数分前、ナズーリンが無縁塚のそばの自宅で遅めの昼食をとっていた時のことであった。
ようやく部下への餌やりを終え、すきっ腹を抱えながら作った料理を口へ運んだその矢先のことで、もとより半ば不機嫌であったナズーリンに火をつけるには十分すぎる事件だった。
そもそも、星が大慌てでナズーリンの所へやって来た時は、宝塔か何かを失くしてしまったから探してほしいと泣きつかれることが大半で、ナズーリンの悩みの種であった。どうせ今日もそんな事だろうと高を括っていたのだが、星の口から飛び出したのは「婚期を逃してしまいました」。ナズーリンはただただ頭を抱えるしかなかったのであった。
「まったく、ご主人はなにを言い出すかわからないから困ったものだね」
「すいません……」
積もり積もった不満とストレスを燃料に、静かに怒りの炎を燃やしながら星にお灸をすえるナズーリン。彼女の背丈は星よりも一回り小さいのに、威圧感のせいでとても大きく見えた。
「いつもいつも私をこき使って。一応、私はご主人の部下ではあるが、使い走りではないのだが?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
一方、星は目尻に涙を浮かべ、正座をした状態で何度も頭を下げている。こんなみっともない姿の上司に、ナズーリンは憤りを通り越して憐みを感じさせられた。――やれやれ、少し怒るといつもこうなんだから。仕方ない、話ぐらい聞いてやろう。
「まあ、いい。とりあえず、どうしていきなり『婚期を逃した』なんて言い出したのかご説明願いたいのだが」
「あ、はい。それがですね――」
そう言った途端にけろっと泣きやんだ星の話に耳を傾けつつ、ナズーリンは食べかけの昼食にもう一度箸を伸ばすのだった。
¶
三十分ほど前、星は人里へ食材の買い出しに来ていた。
「ええっと、これは買ったし、これも買った。よし、大丈夫ですね」
熱心にメモを確認し、買い逃しがないか見直した。こうでもしないと毎回何かしら忘れてしまうのだ。それが原因で一輪や村紗に怒られることは少なくない。
一応、念には念を入れて確認しなおしたが、やはり漏れはなく、星はほっと胸をなでおろした。すると、そのせいか腹の虫が大声で鳴いた。
「ああ、そういえばもうお昼も少し過ぎた頃ですね……。どうりでお腹がすくわけです」
このまままっすぐ命蓮寺に帰って昼食にしようも思ったが、それまで我慢できそうではなかった。何かないかなぁ、と辺りを見渡すと、都合良く「甘味処」の文字が映り込んできた。
「……少しぐらいなら、いいですよね」
空腹と甘いものの誘惑には勝てず、ほんの少し罪悪感を感じながら暖簾をくぐった。
時間が時間なためか店の中はがらんとしていた。もし蕎麦屋なんかに行っていたら、とても混雑していただろうなぁ、ということをを考えながら席に着くと、女性店員が注文を聞きに来た。
「いらっしゃい。なんにしますか?」
「お団子二つとお茶ください」
「はーい」
空いていたおかげか、団子は殆ど待つことなく出てきた。いただきますと手を合わせ、幸せそうにほうばる。――ん、美味しい!! 思わず頬を押さえて笑みをこぼした。
「ねえねえ、お見合いどうなったの?」
「実は、断っちゃったの」
星が団子とお茶に舌鼓を打っていると、隣のテーブルの二人の話し声が耳に入った。若い女性二人のようだ。星を除けば彼女たちしか客が居なかったため、何を話しているのかがまる聞こえだった。
「えーっ、写真見せてもらったけど、なかなか良い人そうだったじゃない」
「でも、話してみたらあんまり好みのタイプじゃなかったのよねえ」
「私が言えることじゃないけど、早いこと結婚しないとまずいと思うわよ? ほら、三十歳超えたら結婚できないって言うし」
「え……」
その発言に、星は耳を疑い、顔を青くした。ショックで湯呑みを落とすところだった。おまけに声を上げてしまい、二人がこちらにチラッと視線を向けた。が、星が咳払いをして誤魔化すと、すぐに興味を失って、また言葉に花を咲かせ始めた。
「さすがに、それはおおげさじゃないのぉ?」
「まあ、ねえ」
「あーあ、運命の赤い糸で繋がってる人が見つかればいいのになあ」
「そう簡単に見つかれば苦労しないわよ……」
――運命の赤い糸……。そうだ!!
星は何か思いついたようで、残っていたお茶を一気に飲み干した。少々むせてしまったので、店員が心配そうにしていたが、「だ、大丈夫です。お団子美味しかったですっ!!」と言ってお金を払うと、脇目も振らずに走って命蓮寺へと帰って行った。そして門の掃除をしていた響子に荷物を押し付け、息つく間もなくナズーリンのもとへと向かうのであった。
¶
そして現在に至るわけである。
「……で、どうしてそれがうちに来る理由になるんだいご主人?」
ナズーリンが顔をしかめて言った。聞いているうちにアホらしくなってきていたのもあるが、星が結婚に興味を持ったことが妙に腹立たしかった。自分でもどうしてそんな感情を抱いたのか分からない。おかげでおかずの味がよくわからなかった。
「えっと、その、それはですね」
星はなんだか言いづらそうにしていた。その様子が、さらにナズーリンの神経を逆なでする。
「はっきり喋ったらどうだいご主人? ま、さ、か、結婚相手をダウジングしてほしいとかいう馬鹿らしいことを言うんじゃないだろうね?」
ぎくり、という音がはっきり聞こえたような気がした。星は目を丸くして、口を半開きにしたまま、額に汗を浮かべて固まっている。図星のようだ。それを察したナズーリンは、額に青筋を浮かべた。
「ご主人? 別に自分の運命の人が誰なのか気になるのは当然だと思うさ。でも、私を頼るのは間違いではないかい? せめてそれぐらいは自分で探すべきだと思うのだが? おまけに、妖怪である私たちが年齢なんか気にして何になるのさ?」
ねちねちと星のことをなじる。徐々に我慢が限界を迎えようとしていた。
「そう、ですよね。すいません……」
「む……、分かればいいんだよ。はぁ……」
星は小さくなって首をうな垂れた。ナズーリンは星があまりにも簡単に自分を頼るという考えを捨ててくれたので、拍子抜けするとともに少し頭が冷えた。また言い過ぎてしまったと気づき、自分が嫌になって耳が垂れた。
「それでは、私は帰ります」
「……そうかい」
素っ気なく返事をする。なんとなく申し訳ない気分にはなったのだが、引きとめることはできなかった。目を合わせることすら、辛い。
星が外へ出ようとドアノブに手をかけたが、しばらくそのまま固まってから、申し訳なさそうな顔をして振り返った。
「……あの、せめてペンデュラムを貸してくれませんか?」
ぷつん。何かが切れたような音。さすがのナズーリンも、収まりかけた怒りが爆発した。
「ご主人!! 君は実に卑怯者だな!! 都合のいい時だけ私を利用して、こっちのことなんか全然気に掛けてくれない!! 私はご主人の便利な道具じゃないんだよ!?」
「私は……、そんなつもりじゃ……」
ドン、と思い切り壁に拳を叩きつけた。驚いて肩を震わせた星の顔がみるみる青くなっていく。それに対してナズリーンの顔は火のように真っ赤だった。
「そっちがそう思っていてもこっちはこう感じてるんだよ!! だいたい私が自分の力で探せって言ったそばからペンデュラムを貸してほしい!? 結局私を頼ってるじゃないか!!」
「す、すいません……」
「また『すいません』か!! 本当にご主人はそればっかりだな!! もう喋るなこの馬鹿!! 阿呆!! 役立たず!! ドジ虎ぁ!! ぐすっ、バカ星ぅ……!! ひっく……」
思うままに罵詈雑言を喚き散らしているうちに、怒りだとか、嫉妬だとか、自分でもよくわからない、胸が苦しくなる気持ちだとかがぐちゃぐちゃに混ざりあって、感情が抑えきれなくなってしまい、ナズーリンは泣き出してしまった。いつも気丈に振る舞う彼女が、初めて星に見せた泣き顔であった。
みっともないところだけは見せたくないと、つまらない意地を張ってなんとか感情を抑えつけようとするのだが、一度溢れてしまったものを堰き止めることなど出来ず、小さな嗚咽を伴いながら身体を震わせるだけ。
「バカぁ……、ご主人のバカぁ……」
「……ナズーリン」
「ふぇ……!?」
すすり泣くナズーリンを、星は優しく抱きしめた。
「ご、ご主人、何を……」
「ナズーリン、辛い思いをさせてごめんなさい。こんなに苦しめていたのに気付かないなんて、私は最低ですね……。せめてもの償いに、今だけは無理をしないでください」
「ご主人……うう……」
星の腕の中で、ナズーリンはしばらくの間、さめざめと泣いた。彼女の声以外には、何も聞こえなかった。
¶
「……先ほどは失礼なことを言った上にみっともないところを見せて申し訳ない。呼び捨てにまでしてしまったし」
「気にしてませんよ。悪いのは私ですしね」
気持ちが落ち着いたナズーリンは、羞恥のあまり、目を伏せたまま星に謝ったが、彼女は普段通りの屈託のない微笑みを浮かべて首を振った。
「もう、大丈夫ですよね? そろそろ戻らないと聖たちに怒られちゃうので、今度こそ私は帰りますね」
「……待って」
帰路へ就こうとした星のスカートを掴んで、ナズーリンは彼女を引きとめた。星は不思議そうに振り返った。
「どうしました?」
「これ、使って」
ナズーリンはネックレスにしているペンデュラムを首から外し、星に差し出した。
「いいんですか?」
「せめてものお詫びさ。遠慮しないでくれ」
「あ、ありがとうございます! それでは!」
星はペンデュラムを受け取ると、礼を述べて嬉嬉としながらさっさと出て行った。
玄関のドアが、ばたんと無機質な音を立てて閉まり、静寂が訪れた。先ほどの一件が無かったかのように思えるほどだった。
「……見つかるといいね。赤い糸」
ナズーリンはさびしげな面持ちで独りごちた。なんとなく、星が遠くに行ってしまいそうで。
空っぽなこの部屋が、まるでナズーリン自身の心を表しているかの様だった。
「……なに感傷的になってるんだ私は。ご主人が誰とくっつこうが問題ないじゃないか。ふん、むしろ厄介払いができて清清したよ」
わざとらしく口に出す。自分に言い聞かせるように。しかし、その言葉とは裏腹に、雫が再び頬を伝った。
「あれ、なんで、私、泣いて、ひっく……」
治まったはずの感情が漏れ出す。その場によろよろと座り込み、顔を手で覆って泣いた。もう自分を誤魔化すのは不可能だった。
ダメな上司だと思っていたのに。初めて会った時は、どうしてこんな奴に従わなくてはいけないのかと思っていたのに。毘沙門天様に命じられたから一緒にいただけなのに。それなのに。それなのに。
私はご主人のことが――。
「ナズーリン!!」
「きゃうぅ!?」
突然、ドアがけたたましい音を立てて開き、星が飛び込んできた。思いがけない出来事に驚かされ、ナズーリンは子犬のような声を出した。心臓が口から飛び出そうになるようだった。
「ナズーリン? また、泣いているのですか……?」
どうして星が戻ってきたのか分からず、間抜けな顔で呆然としているナズーリンに、星が不安そうに声をかけた。また、私が辛い目にあわせてしまったのか、と。
「い、いや。なんでもないよ。それよりどうしたんだいご主人? 帰るんじゃなかったのかい?」
ナズーリンは、いつも通りの声を取り繕うようにして否定した。いっそこのまま感情に任せて、自らの告白してしまおうかとも思ったが、すんでのところで自制心に引き留められた。胸がチクリと痛む。星に対していつまでも正直になれない自分を、ナズーリンは疎んだ。どうなるかはわからないが、全て吐き出してしまえさえすれば、きっと楽になれるはずなのに。
「あの、ペンデュラムなんですが……」
星は手に持ったペンデュラムを差し出した。ナズーリンの脳裏に「まさか壊したんじゃ……」という疑念が過ったが、杞憂だった。
「ちょっと見ててください」
ペンデュラムを構え、星は目を閉じた。ナズーリンのペンデュラムは、釣り下げた状態で見つけたいものを頭の中に思い浮かべると、それがある大まかな方向を指し示す。正確さには欠けるが効果範囲が広く、ナズーリンは主に星が物を失くした時に使っている。
数秒たち、ペンデュラムが少しずつ揺れ始めた。揺れは次第に大きくなっていき、そして――。
「わ、私……?」
磁石に吸いつけられるように、ナズーリンを指して停止した。頭の中が真っ白になる。―――私が、ご主人の運命の人……?
「一応、いろんな何度か試してみましたが、全部あなたを示しました」
「ほ、本当に……?」
「はい」
ナズーリンは、自分の顔が熱くなるのを感じた。空っぽだった心が、嬉しさだとか、恥ずかしさで満たされていく。
「ナズーリン、私は……」
「ご主人!!」
何かを言いかけた星の言葉を遮って、ナズーリンは星の胸へと飛び込んだ。今度は星が目を白黒させる番だった。
「ナズーリン……」
「ご主人、私は、私は、ひぐっ……。いつも、責めたりとか、怒ったり、してるけど、自分でも、ついさっきまで気づいてなかったけど、ホントは、ぐすっ、ご主人の、ことが……、ご主人のことが、好き、なんです……!!」
今まで抑えられてきた気持ちが、タガが外れて流れ出した。小説のような、美しい愛の言葉ではなかったけれど、みっともない泣き顔のままだったけれど、素直に自分の想いを伝えられた。
星は、再び胸の中で泣くナズーリンを力強く、だけど優しく抱きしめて言った。
「また、私はあなたの気持ちに気付けていませんでした。やっぱり、私って最低ですね。ごめんなさい……。
実は、私にも、自分でもよくわからない感情があったんです。でも、漸くわかりました。私も、ナズーリンが大好きです!!」
「ご主人……」
お互いの心を告白しあった二人は、濡れた瞳で見つめあった。
「返事を、お願いできますか?」
「いまさら、聞きなおす必要なんてあるのかい?」
「もう一回しっかりと聞きたいです」
「意地悪な人だな……。私は、ご主人が、寅丸星が、大好きです!」
一回り顔が赤くなったナズーリンであったが、今度は突っかからずにはっきりと言えた。
もう一度見つめあう二人。顔と顔の間が、少しずつ狭まっていく。お互いの息遣いの音さえはっきりと聞こえる。
そして、二人の唇が重なった。初めてのキスは、甘いような、酸っぱいような、よくわからない味がした。
お互い、目を閉じて幸せそうに相手の温もりを感じていたのだが、何故かナズーリンはだんだんと眉をしかめて、怪訝な顔をした。そして唇が離れてすぐさま、星に問いかけた。
「……ご主人、もしかして団子以外にも何か食べなかったかい?」
「あ、ばれました? 今さっき酢昆布を持ってたのを思い出したので食べました」
「ファーストキスが台無しじゃないかご主人のバカっ」
「あ痛っ」
ナズーリンは星の額を中指ではじいた。星が大げさに痛がるのを、小悪魔っぽく笑う。相変わらず言葉は悪いが表情はとてもすっきりしていて、憑き物が落ちたようだった。
「痛たた……。もう、幾らなんでも理不尽です!! それにナズーリンこそ凄くチーズ臭かったです!!」
「し、失礼な!! そんなはずはない!! な、なんだったら、その……、も、もう一度、してみる……?」
自分で言っておいて、顔から火が出た。恥ずかしさのあまり、目線を合わせられない。そんな、最後まで素直じゃないナズーリンを、星は半ば強引に抱き寄せた。呆気にとられているナズーリンをまっすぐ見据えて、星は一言。
「喜んで。ナズーリン、愛してますよ」
「っ!? よ、よくそんな恥ずかしいセリフが真顔で言えるね。……私も、愛してます」
もう一度、誓い合うように愛の告白をして、口づけを交わした。今度のキスは、どことなく獣臭くて、変な味がしたけど、気持ちは一つになれた気がした。
「なんだいご主人」
「婚期を逃してしまいました!」
「……わけがわからないよ!!」
そんな突拍子もない会話が飛び出したのは、ほんの数分前、ナズーリンが無縁塚のそばの自宅で遅めの昼食をとっていた時のことであった。
ようやく部下への餌やりを終え、すきっ腹を抱えながら作った料理を口へ運んだその矢先のことで、もとより半ば不機嫌であったナズーリンに火をつけるには十分すぎる事件だった。
そもそも、星が大慌てでナズーリンの所へやって来た時は、宝塔か何かを失くしてしまったから探してほしいと泣きつかれることが大半で、ナズーリンの悩みの種であった。どうせ今日もそんな事だろうと高を括っていたのだが、星の口から飛び出したのは「婚期を逃してしまいました」。ナズーリンはただただ頭を抱えるしかなかったのであった。
「まったく、ご主人はなにを言い出すかわからないから困ったものだね」
「すいません……」
積もり積もった不満とストレスを燃料に、静かに怒りの炎を燃やしながら星にお灸をすえるナズーリン。彼女の背丈は星よりも一回り小さいのに、威圧感のせいでとても大きく見えた。
「いつもいつも私をこき使って。一応、私はご主人の部下ではあるが、使い走りではないのだが?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
一方、星は目尻に涙を浮かべ、正座をした状態で何度も頭を下げている。こんなみっともない姿の上司に、ナズーリンは憤りを通り越して憐みを感じさせられた。――やれやれ、少し怒るといつもこうなんだから。仕方ない、話ぐらい聞いてやろう。
「まあ、いい。とりあえず、どうしていきなり『婚期を逃した』なんて言い出したのかご説明願いたいのだが」
「あ、はい。それがですね――」
そう言った途端にけろっと泣きやんだ星の話に耳を傾けつつ、ナズーリンは食べかけの昼食にもう一度箸を伸ばすのだった。
¶
三十分ほど前、星は人里へ食材の買い出しに来ていた。
「ええっと、これは買ったし、これも買った。よし、大丈夫ですね」
熱心にメモを確認し、買い逃しがないか見直した。こうでもしないと毎回何かしら忘れてしまうのだ。それが原因で一輪や村紗に怒られることは少なくない。
一応、念には念を入れて確認しなおしたが、やはり漏れはなく、星はほっと胸をなでおろした。すると、そのせいか腹の虫が大声で鳴いた。
「ああ、そういえばもうお昼も少し過ぎた頃ですね……。どうりでお腹がすくわけです」
このまままっすぐ命蓮寺に帰って昼食にしようも思ったが、それまで我慢できそうではなかった。何かないかなぁ、と辺りを見渡すと、都合良く「甘味処」の文字が映り込んできた。
「……少しぐらいなら、いいですよね」
空腹と甘いものの誘惑には勝てず、ほんの少し罪悪感を感じながら暖簾をくぐった。
時間が時間なためか店の中はがらんとしていた。もし蕎麦屋なんかに行っていたら、とても混雑していただろうなぁ、ということをを考えながら席に着くと、女性店員が注文を聞きに来た。
「いらっしゃい。なんにしますか?」
「お団子二つとお茶ください」
「はーい」
空いていたおかげか、団子は殆ど待つことなく出てきた。いただきますと手を合わせ、幸せそうにほうばる。――ん、美味しい!! 思わず頬を押さえて笑みをこぼした。
「ねえねえ、お見合いどうなったの?」
「実は、断っちゃったの」
星が団子とお茶に舌鼓を打っていると、隣のテーブルの二人の話し声が耳に入った。若い女性二人のようだ。星を除けば彼女たちしか客が居なかったため、何を話しているのかがまる聞こえだった。
「えーっ、写真見せてもらったけど、なかなか良い人そうだったじゃない」
「でも、話してみたらあんまり好みのタイプじゃなかったのよねえ」
「私が言えることじゃないけど、早いこと結婚しないとまずいと思うわよ? ほら、三十歳超えたら結婚できないって言うし」
「え……」
その発言に、星は耳を疑い、顔を青くした。ショックで湯呑みを落とすところだった。おまけに声を上げてしまい、二人がこちらにチラッと視線を向けた。が、星が咳払いをして誤魔化すと、すぐに興味を失って、また言葉に花を咲かせ始めた。
「さすがに、それはおおげさじゃないのぉ?」
「まあ、ねえ」
「あーあ、運命の赤い糸で繋がってる人が見つかればいいのになあ」
「そう簡単に見つかれば苦労しないわよ……」
――運命の赤い糸……。そうだ!!
星は何か思いついたようで、残っていたお茶を一気に飲み干した。少々むせてしまったので、店員が心配そうにしていたが、「だ、大丈夫です。お団子美味しかったですっ!!」と言ってお金を払うと、脇目も振らずに走って命蓮寺へと帰って行った。そして門の掃除をしていた響子に荷物を押し付け、息つく間もなくナズーリンのもとへと向かうのであった。
¶
そして現在に至るわけである。
「……で、どうしてそれがうちに来る理由になるんだいご主人?」
ナズーリンが顔をしかめて言った。聞いているうちにアホらしくなってきていたのもあるが、星が結婚に興味を持ったことが妙に腹立たしかった。自分でもどうしてそんな感情を抱いたのか分からない。おかげでおかずの味がよくわからなかった。
「えっと、その、それはですね」
星はなんだか言いづらそうにしていた。その様子が、さらにナズーリンの神経を逆なでする。
「はっきり喋ったらどうだいご主人? ま、さ、か、結婚相手をダウジングしてほしいとかいう馬鹿らしいことを言うんじゃないだろうね?」
ぎくり、という音がはっきり聞こえたような気がした。星は目を丸くして、口を半開きにしたまま、額に汗を浮かべて固まっている。図星のようだ。それを察したナズーリンは、額に青筋を浮かべた。
「ご主人? 別に自分の運命の人が誰なのか気になるのは当然だと思うさ。でも、私を頼るのは間違いではないかい? せめてそれぐらいは自分で探すべきだと思うのだが? おまけに、妖怪である私たちが年齢なんか気にして何になるのさ?」
ねちねちと星のことをなじる。徐々に我慢が限界を迎えようとしていた。
「そう、ですよね。すいません……」
「む……、分かればいいんだよ。はぁ……」
星は小さくなって首をうな垂れた。ナズーリンは星があまりにも簡単に自分を頼るという考えを捨ててくれたので、拍子抜けするとともに少し頭が冷えた。また言い過ぎてしまったと気づき、自分が嫌になって耳が垂れた。
「それでは、私は帰ります」
「……そうかい」
素っ気なく返事をする。なんとなく申し訳ない気分にはなったのだが、引きとめることはできなかった。目を合わせることすら、辛い。
星が外へ出ようとドアノブに手をかけたが、しばらくそのまま固まってから、申し訳なさそうな顔をして振り返った。
「……あの、せめてペンデュラムを貸してくれませんか?」
ぷつん。何かが切れたような音。さすがのナズーリンも、収まりかけた怒りが爆発した。
「ご主人!! 君は実に卑怯者だな!! 都合のいい時だけ私を利用して、こっちのことなんか全然気に掛けてくれない!! 私はご主人の便利な道具じゃないんだよ!?」
「私は……、そんなつもりじゃ……」
ドン、と思い切り壁に拳を叩きつけた。驚いて肩を震わせた星の顔がみるみる青くなっていく。それに対してナズリーンの顔は火のように真っ赤だった。
「そっちがそう思っていてもこっちはこう感じてるんだよ!! だいたい私が自分の力で探せって言ったそばからペンデュラムを貸してほしい!? 結局私を頼ってるじゃないか!!」
「す、すいません……」
「また『すいません』か!! 本当にご主人はそればっかりだな!! もう喋るなこの馬鹿!! 阿呆!! 役立たず!! ドジ虎ぁ!! ぐすっ、バカ星ぅ……!! ひっく……」
思うままに罵詈雑言を喚き散らしているうちに、怒りだとか、嫉妬だとか、自分でもよくわからない、胸が苦しくなる気持ちだとかがぐちゃぐちゃに混ざりあって、感情が抑えきれなくなってしまい、ナズーリンは泣き出してしまった。いつも気丈に振る舞う彼女が、初めて星に見せた泣き顔であった。
みっともないところだけは見せたくないと、つまらない意地を張ってなんとか感情を抑えつけようとするのだが、一度溢れてしまったものを堰き止めることなど出来ず、小さな嗚咽を伴いながら身体を震わせるだけ。
「バカぁ……、ご主人のバカぁ……」
「……ナズーリン」
「ふぇ……!?」
すすり泣くナズーリンを、星は優しく抱きしめた。
「ご、ご主人、何を……」
「ナズーリン、辛い思いをさせてごめんなさい。こんなに苦しめていたのに気付かないなんて、私は最低ですね……。せめてもの償いに、今だけは無理をしないでください」
「ご主人……うう……」
星の腕の中で、ナズーリンはしばらくの間、さめざめと泣いた。彼女の声以外には、何も聞こえなかった。
¶
「……先ほどは失礼なことを言った上にみっともないところを見せて申し訳ない。呼び捨てにまでしてしまったし」
「気にしてませんよ。悪いのは私ですしね」
気持ちが落ち着いたナズーリンは、羞恥のあまり、目を伏せたまま星に謝ったが、彼女は普段通りの屈託のない微笑みを浮かべて首を振った。
「もう、大丈夫ですよね? そろそろ戻らないと聖たちに怒られちゃうので、今度こそ私は帰りますね」
「……待って」
帰路へ就こうとした星のスカートを掴んで、ナズーリンは彼女を引きとめた。星は不思議そうに振り返った。
「どうしました?」
「これ、使って」
ナズーリンはネックレスにしているペンデュラムを首から外し、星に差し出した。
「いいんですか?」
「せめてものお詫びさ。遠慮しないでくれ」
「あ、ありがとうございます! それでは!」
星はペンデュラムを受け取ると、礼を述べて嬉嬉としながらさっさと出て行った。
玄関のドアが、ばたんと無機質な音を立てて閉まり、静寂が訪れた。先ほどの一件が無かったかのように思えるほどだった。
「……見つかるといいね。赤い糸」
ナズーリンはさびしげな面持ちで独りごちた。なんとなく、星が遠くに行ってしまいそうで。
空っぽなこの部屋が、まるでナズーリン自身の心を表しているかの様だった。
「……なに感傷的になってるんだ私は。ご主人が誰とくっつこうが問題ないじゃないか。ふん、むしろ厄介払いができて清清したよ」
わざとらしく口に出す。自分に言い聞かせるように。しかし、その言葉とは裏腹に、雫が再び頬を伝った。
「あれ、なんで、私、泣いて、ひっく……」
治まったはずの感情が漏れ出す。その場によろよろと座り込み、顔を手で覆って泣いた。もう自分を誤魔化すのは不可能だった。
ダメな上司だと思っていたのに。初めて会った時は、どうしてこんな奴に従わなくてはいけないのかと思っていたのに。毘沙門天様に命じられたから一緒にいただけなのに。それなのに。それなのに。
私はご主人のことが――。
「ナズーリン!!」
「きゃうぅ!?」
突然、ドアがけたたましい音を立てて開き、星が飛び込んできた。思いがけない出来事に驚かされ、ナズーリンは子犬のような声を出した。心臓が口から飛び出そうになるようだった。
「ナズーリン? また、泣いているのですか……?」
どうして星が戻ってきたのか分からず、間抜けな顔で呆然としているナズーリンに、星が不安そうに声をかけた。また、私が辛い目にあわせてしまったのか、と。
「い、いや。なんでもないよ。それよりどうしたんだいご主人? 帰るんじゃなかったのかい?」
ナズーリンは、いつも通りの声を取り繕うようにして否定した。いっそこのまま感情に任せて、自らの告白してしまおうかとも思ったが、すんでのところで自制心に引き留められた。胸がチクリと痛む。星に対していつまでも正直になれない自分を、ナズーリンは疎んだ。どうなるかはわからないが、全て吐き出してしまえさえすれば、きっと楽になれるはずなのに。
「あの、ペンデュラムなんですが……」
星は手に持ったペンデュラムを差し出した。ナズーリンの脳裏に「まさか壊したんじゃ……」という疑念が過ったが、杞憂だった。
「ちょっと見ててください」
ペンデュラムを構え、星は目を閉じた。ナズーリンのペンデュラムは、釣り下げた状態で見つけたいものを頭の中に思い浮かべると、それがある大まかな方向を指し示す。正確さには欠けるが効果範囲が広く、ナズーリンは主に星が物を失くした時に使っている。
数秒たち、ペンデュラムが少しずつ揺れ始めた。揺れは次第に大きくなっていき、そして――。
「わ、私……?」
磁石に吸いつけられるように、ナズーリンを指して停止した。頭の中が真っ白になる。―――私が、ご主人の運命の人……?
「一応、いろんな何度か試してみましたが、全部あなたを示しました」
「ほ、本当に……?」
「はい」
ナズーリンは、自分の顔が熱くなるのを感じた。空っぽだった心が、嬉しさだとか、恥ずかしさで満たされていく。
「ナズーリン、私は……」
「ご主人!!」
何かを言いかけた星の言葉を遮って、ナズーリンは星の胸へと飛び込んだ。今度は星が目を白黒させる番だった。
「ナズーリン……」
「ご主人、私は、私は、ひぐっ……。いつも、責めたりとか、怒ったり、してるけど、自分でも、ついさっきまで気づいてなかったけど、ホントは、ぐすっ、ご主人の、ことが……、ご主人のことが、好き、なんです……!!」
今まで抑えられてきた気持ちが、タガが外れて流れ出した。小説のような、美しい愛の言葉ではなかったけれど、みっともない泣き顔のままだったけれど、素直に自分の想いを伝えられた。
星は、再び胸の中で泣くナズーリンを力強く、だけど優しく抱きしめて言った。
「また、私はあなたの気持ちに気付けていませんでした。やっぱり、私って最低ですね。ごめんなさい……。
実は、私にも、自分でもよくわからない感情があったんです。でも、漸くわかりました。私も、ナズーリンが大好きです!!」
「ご主人……」
お互いの心を告白しあった二人は、濡れた瞳で見つめあった。
「返事を、お願いできますか?」
「いまさら、聞きなおす必要なんてあるのかい?」
「もう一回しっかりと聞きたいです」
「意地悪な人だな……。私は、ご主人が、寅丸星が、大好きです!」
一回り顔が赤くなったナズーリンであったが、今度は突っかからずにはっきりと言えた。
もう一度見つめあう二人。顔と顔の間が、少しずつ狭まっていく。お互いの息遣いの音さえはっきりと聞こえる。
そして、二人の唇が重なった。初めてのキスは、甘いような、酸っぱいような、よくわからない味がした。
お互い、目を閉じて幸せそうに相手の温もりを感じていたのだが、何故かナズーリンはだんだんと眉をしかめて、怪訝な顔をした。そして唇が離れてすぐさま、星に問いかけた。
「……ご主人、もしかして団子以外にも何か食べなかったかい?」
「あ、ばれました? 今さっき酢昆布を持ってたのを思い出したので食べました」
「ファーストキスが台無しじゃないかご主人のバカっ」
「あ痛っ」
ナズーリンは星の額を中指ではじいた。星が大げさに痛がるのを、小悪魔っぽく笑う。相変わらず言葉は悪いが表情はとてもすっきりしていて、憑き物が落ちたようだった。
「痛たた……。もう、幾らなんでも理不尽です!! それにナズーリンこそ凄くチーズ臭かったです!!」
「し、失礼な!! そんなはずはない!! な、なんだったら、その……、も、もう一度、してみる……?」
自分で言っておいて、顔から火が出た。恥ずかしさのあまり、目線を合わせられない。そんな、最後まで素直じゃないナズーリンを、星は半ば強引に抱き寄せた。呆気にとられているナズーリンをまっすぐ見据えて、星は一言。
「喜んで。ナズーリン、愛してますよ」
「っ!? よ、よくそんな恥ずかしいセリフが真顔で言えるね。……私も、愛してます」
もう一度、誓い合うように愛の告白をして、口づけを交わした。今度のキスは、どことなく獣臭くて、変な味がしたけど、気持ちは一つになれた気がした。