Coolier - 新生・東方創想話

少女卒業抱え落ち

2012/10/21 22:52:51
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 雪は解けたもののいまだ肌寒い春の宵。魔理沙は博麗神社でゆったりと酒杯を傾けていた。
「今くらいの季節ならまだ熱燗でいいな」
 そう言って、魔理沙はお猪口をくいっと空けた。酒精はほどよい熱を保ちながら喉から胃の腑へ落ちて、身体を巡る。既に肌はふんわりと熱くなっていて、開け放った縁側で月を仰ぎ見ても寒さなど感じない。むしろ、夜風が頬を撫でて気持ち良いくらいである。
「そうねえ。ちょっと手間だけど」
 霊夢は気怠げに応えながら、ふう、と息を吐いた。
「こうして静かに飲むには良いわね」
 今日は霊夢と魔理沙、二人だけである。お互い交友関係が増えた昨今、こうして二人で静かに飲むのはどれくらいぶりだろうか。
「ま、静かなのも今だけだろうさ」魔理沙はニッと笑う。「そろそろ花見だからな。そうなりゃ毎日騒がしくなるぜ」
 毎年、花見の会場はこの神社である。集まる面子は揃いもそろって大のお祭り好きときたもので、これが一堂に会して酒が入れば最早止めるものなど誰もいない。連日連夜のどんちゃん騒ぎは年々参加者が増えて大きくなる一方である。霊夢は「みんなさんざん騒ぐだけでちっとも後片付けしないんだから!」と都度頬を膨らませるが、それでも宴席では屈託のない笑顔を見せて五度入りなみなみの酒を飲み干すのだから、やはり彼女にとっても楽しいイベントであろう。
 だが、
「そうねえ」
 この日の霊夢は気のない様子であった。空のお猪口を手で転がして、もう一度、ふう、と息を吐く。
「なんだ、どうしたんだ。もう酔っぱらっちまったのか」
 からかう魔理沙にも、霊夢は「うーん」と生返事である。どうにもいつもの霊夢らしくない。
「おいおい、なんだよ。どっか調子でも悪いのか?」
「ああ、違うわ。そういうんじゃなくてね」
 顔を覗き込む魔理沙へ、霊夢は苦笑して手を振った。
「ちょっと考え事してて」
「へえ」
 魔理沙は目を丸くする。なんと、この霊夢が悩み事とは。
「なんだか美味しそうな匂いがするぜ。酒の肴になるかな」
「さて、どうかしらね」
 うそぶくようにそう言うと、霊夢は月を仰ぎ見た。しばし、二人の間に沈黙が下りる。魔理沙はわざわざ促さなかった。このあたりの呼吸はそれなりに長い付き合いの賜である。
 やがて、霊夢はぽつりと呟いた。

「バイト、辞めようかと思うの」

「は?」
 思いがけない言葉が出てきて、魔理沙はぽかんと口を開けた。

「だから、バイト、辞めようかって思ってるの」
 じれったそうに霊夢は言葉を重ねる。だが、その言葉こそが魔理沙には理解できないのだ。
「ま、待て。バイトって何の話だ?」
 すると、霊夢は「これよ」と自分の服を引っ張って見せた。その意味を、魔理沙はゆっくりと頭の中で咀嚼する。その間、たっぷり五拍。ようやく認識が追いついて、

「ええ~~~~ッ!?」

 素っ頓狂に叫んだ。
「え、ちょ、待て。待ってくれ。なに? なんだ、その、バイトってお前のその、巫女のことか!?」
「そうよ」
「ちょ、ちょ、どういうことだよ!? お前巫女辞めるの!? っていうか、なんだお前、それバイトだったのか!?」
「あれ、言ってなかったっけ。もうとっくに話してたと思ったけど」
「初耳だよ! ぜんっぜん知らなかったよ!」
 驚天動地とはまさにこのこと。ほろ酔いなどいっぺんに吹き飛んだ。
「タイムタイム! 待て、ちょっと待て。待ってろ」
 魔理沙は縁側から飛び降りて駆け出した。落ち着け落ち着けと呟きながらそのままぐるっと神社を一周し、勝手口から厨(くりや)に飛び込むや水瓶から水を汲み、ごくごくと一息に飲み干すこと三回。腹がたぷたぷになったところで、はて私は何をやってるんだと我に返り、ぽてぽてと居間に戻ってきて霊夢の顔を見た瞬間、またぞろ先刻の衝撃を思い出して、うわあと叫んだ。

「おいおいおいおいおい! なんだよなんでだよどうしてだよ! バイトとか辞めるとかなんの話だよ! いったい何があったってんだよお前に!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ、魔理沙」
「これが落ち着いていられるか!」
「まあまあ、水でも飲んで、ほら」
「もうたらふく飲んだよ!」
「深呼吸、深呼吸」
「すー、はー、すー、はー」
「落ち着いた? 大丈夫? まあつまりそういうわけよ」
「そういうわけじゃねえよ! 全然わかんねえよ! ちゃんと説明しろよ!」
 詰め寄る魔理沙に、霊夢は「仕方ないわねえ」と腕を組んだ。
「わかったわよ。何が訊きたいの?」

 その言葉で、ようやく魔理沙に冷静さが戻ってきた。訊きたいことは山ほどあったが、頭をフル回転させて状況を整理する。
「えーっと、まずはバイトのことだ。お前、巫女ってバイトでやってたのか」
 やはり最初に問うべきはここだろう。
 そうよ、と霊夢は応えた。
「最初からか?」「ええ、最初から」「そうか、知らなかったな……。私が初めて会ったときからそうだったのか。でもまた、なんで?」
「うーん、最初は軽い気持ちだったんだけどねー。やってみたら意外に面白かったから今までやってきたんだけど」
「ほんとに軽いな。お前らしいっちゃらしいけど」
 博麗の巫女といえば、この幻想郷では唯一無二。そう能天気にできる仕事ではない。しかしなにしろ霊夢である。特に気負う事無く今までやってきたのだろうし、それを可能にするだけの資質があったということだろう。

「あと、家から近かったのよね。○田急一本で行けるし」
「へー、そうかー。って、お前何さらっととんでもないこと言ってんの!? お前んちはここだろ!? ○田急ってどういうことだよ!? っていうかお前んち、○田急沿線なの!?」
「もう、そうぽんぽん質問しないでよ。えーっと、最初は通いだったのよ。でもほら、この仕事って夜も多いじゃない? 終電いつも間に合わなくって、だから結局ここに住み込みになったの」
「そ、そうか。でも知らなかったな。お前、外の人間だったんだなあ。家族も外にいるのか?」
「そりゃいるわよ、普通に。お父さんとお母さん」
「はは、まあそうか、そうだよな」

 魔理沙は苦笑しながら、内心ほっとした。長年、彼女の家庭環境については触れないようにしてきたのだ。魔理沙が最初に会った時からずっと一人だった彼女。てっきり、不幸な生い立ちがあるものと勝手に決めつけていたのである。なまじ自分が裕福な家庭で生まれ育っていただけに、どうしても気にしてしまう。それがずっと魔理沙の中でしこりとなっていたのだ。
 だから、魔理沙は安堵したのだった。話はさっきからショッキングなものばかりだが、この点だけは聞けて良かったことである。

「しかし、びっくりだな。幻想郷って○田急に近かったんだな。てっきりどっかの山奥だとばかり思ってたぜ」
 なにしろ、幻想郷から見れば東西南北どこを見ても山しかないのである。とても電車が通っているようには見えないのだが。
 すると霊夢は、「あ、違う違う」と軽く手を振った。
「そこはほら、境界の揺らぎを使って行き来できるようにしてあるだけよ。実際に近いわけじゃないわ」
「境界の揺らぎ?」
「うん、ほら、あの辺ってちょうど揺らいでるのよ。T京だかKN川だかわかんないじゃない?」
「MT田か!? MT田のことかァーッ!?」
 魔理沙は頭を抱えた。知りたくもなかった新事実発覚である。
「なんてこった。まさかMT田が幻想郷に繋がっていたなんて……!」
「紫なんかよく買い物してるみたいよ。こないだも西Uに――」
「いや、いい! 言うな! わかったからそれ以上はやめろ!」
 これ以上聞けばもっとまずいことが出てきそうだった。ただでさえ件の町の民は所属意識に敏感だと聞く。これ以上触れてはならない。
「それにしても魔理沙。あんたも○田急とかMT田がわかるのね」
「ぎくり」
 なにげない霊夢の言葉に、魔理沙は身体を強ばらせた。
「い、いや、大したことじゃないんだぜ。その、ずーっと昔だけど、うちも家族であの辺、住んでたからさ……。い、いや、ほんの少しの間だけだぜ? 私がまだ家出してないようなちっちゃい時だぜ? うちの親父がちょっと外で商売してたんだけど、店を継ぐため幻想郷へ戻ってきて……」
「魔理沙、どこに向かって言い訳してんの?」
「い、言い訳じゃないよ!? いやほら、もういいじゃないか。なあ、その、私にも世間的なイメージってもんがあってだな」
「えー」
 霊夢の追求に、魔理沙は冷や汗ものだった。なにしろ今まで生まれも育ちも幻想郷という箱入り魔法少女で売ってきたのだ。このままではアイデンティティ崩壊の危機である。
 目を惑わせながら、どうにか話を逸らそうと魔理沙は頭を巡らせた。

「そ、そうだ。そもそもなんでお前辞めようなんて思ったんだ?」
 本題に立ち返る。そう、そもそもバイトだろうが正社員だろうが、霊夢が巫女である限り何も問題はないのだ。むしろここからが重要である。
「んー」霊夢はそこで言い淀んだ。肩の髪を指に絡めて目を伏せる。
「はは、今更なにもったいぶってんだ。ここまで話したんだ。最後まで聞かせろよ」
 魔理沙は笑って霊夢の肩を叩いた。追う側になれば楽なものである。
 霊夢は「そうね」と微笑むと、
「わかったわ。ちょっと恥ずかしいんだけど、正直に話す」
 そう言って、霊夢は一呼吸置いた。


「ぶっちゃけ、○○歳過ぎて少女っていうの、きつくなってきたのよねー」
「うおおおおおおおおい!?」


 ぶっちゃけ過ぎだった。またもや爆弾発言である。

「なななななななにをおっしゃってるんですか、霊夢さん!? ワタシタチはずっと十代前半の少女ですヨ!?」
「いやまあそういう設定だけどさ」
「設定いうなや!」
 魔理沙はおろおろと周囲を見回した。いまの霊夢の発言が誰かの耳に入ってはまずい。
「お、お前いきなりなんなんだよ。今までこれでやってきただろ」
 声を潜めて霊夢を諫める。すると、霊夢はじろりと魔理沙を見た。その視線の思わぬ強さに、一瞬魔理沙はたじろぐ。

「魔理沙、あんた最近咲夜と弾幕ごっこやった?」
「は?」
 問われて魔理沙は記憶を辿った。紅魔館へ行く機会は多いし、咲夜に会うこともしょっちゅうだが、
「そういえば、ないな」
 以前は何かと異変の折に戦ったものだが、近頃は平和なものである。紅魔館でもたいてい衝突するのはパチュリーで、たまに吸血鬼姉妹が戯れを所望なさる程度か。
 魔理沙の答えに、霊夢は確かめるように頷いた。
「多分、咲夜はもうその域に達しちゃってると思うわ」
「はあ!?」
 霊夢の言葉を頭の中で吟味する。それなりに頭の回る魔理沙である。ほどなく何を言わんとするかはわかった。
「つまりあれか。咲夜はああいう弾幕ごっこみたいな遊びが楽しめなくなってきたってことか」

 弾幕ごっこは少女達の遊びだ。いかに美しく、いかに華やかに、いかに格好良く。遊びだからこそ互いに真剣で、単純な体力や技術だけでは計れないものを競う場である。それだけに、場のノリは重要だ。双方ともに楽しんでなんぼである。
 だが、それは互いに少女だからこそできる楽しみ方でもある。

「さすがにねー、キメ顔で『時符プライベートスクウェア!』とか言っちゃうノリはキツイと思うわー」
「お前、もうちょっとオブラートに包んだ言い方しろよ! あ、いや、違う、違った! えーっと、ほら、キツくないって! 咲夜、全然オッケーだろ!?」
「あれ、絶対一人になったとき、我に返って悶絶するパターンじゃないかなー」
「だからさあ、見てきたようにそんなこと言うなよ! 最近はネガティブ発言叩かれやすいんだからさあ!」

 必死にフォローしようとする魔理沙だが、霊夢の言葉を完全に否定することもできなかった。最近の咲夜の様子から、思い当たることがあったからである。
 先日、パチュリーと戦った時のこと。離れたところで二人を見ていた咲夜の目は、いつになく温かかった。そう、どこか達観したような――。

「勘違いしないで、魔理沙。私は別に咲夜を悪く言うつもりはないの。それどころか、あいつのことを見直したくらいよ」
「見直す?」
 魔理沙、本日何度目かの驚きである。まさか、霊夢が誰かを褒める日が来ようとは。
「だってそうでしょう。自分にきちんと向き合って、どうあるべきなのか、どうするべきなのかってことに結論を出したんだもの」
「じゃあ、お前も弾幕ごっこ楽しくないのか?」
「今は楽しいわよ。今はまだ、ね。でも、この先いつまでもっていうのはやっぱり違うかなーって」
 それにね、と霊夢は続けた。
「収まるべきところに収まるのが一番だと思うの。楽しくないなら止めればいいし、できないって思えば無理してやらなくったっていいじゃない。ただ、そうね、止めるだけじゃなくって、代わりに別のやり方ができるようになるといいかな」
「別のやり方、か……」

 魔理沙は再び咲夜のことを思い返す。最初に会った頃に比べて、彼女は随分丸くなった。依然として怜悧な印象は変わらないが、抜き身の刃物に似た危うさはかなり薄れて、部下のメイドと笑い合う姿を見ることも多くなった。
 弾幕ごっこをしなくなったのは確かだが、かといって決して彼女が弱くなったわけではない。いや、むしろ、滅多に刃を交わさなくなった分、以前よりも底が知れない、どこかしら凄みを増した感すらある。
 貫禄、とでも言おうか。
 彼女が弾幕ごっこに加わらなくなったことで、魔理沙もまた彼女への対応を変えた。
 以前ならば問答無用の実力行使で解決していた事柄を、そこへ至る前に落としどころを見つけて収めるようになった。
 大人になった。
 身も蓋も無い言い方をすれば、そうなるだろうか。
 咲夜は、ある日どこかで少女であることに訣別したのだ。

「いや、でもさー」
 しかし、魔理沙は納得しない。
「咲夜は咲夜、お前はお前だろ。それに、お前は弾幕ごっこイヤじゃないんだろ? じゃあいいじゃないか、今のままで」
「そういう問題じゃないわよ。いずれその時が来るって言ってんの。自分でもこういうこと言いたくないけどさ。いつまでも少女やってられないでしょ、さすがに」
「見た目の話か? いやいや、大丈夫だって。ちゃんと少女してるって」
「そうかなあ」
 霊夢は、口をへの字に曲げて自分の身体を見回した。
「昔は気にしなかったけど、フリルとかリボンとかちょっと抑えた方が良くないかなあ」
「お前のファッションからその辺り取っ払ったら、もう特徴が腋しか残らないぞ。今のままでいいって。似合ってるって」
「うーん」
 魔理沙が持ち上げようとするものの、霊夢の反応はいまいちである。やがて、はあ、と重いため息を一つ。
「服のサイズが合わなくなるとさ、なんかちょっと寂しくなるんだよね。気に入ってた服だと特にそう。子どもの頃は背が伸びると嬉しかったんだけど、最近は、なんか、ね」
 そこで、霊夢はちらりと魔理沙を見た。
「魔理沙は良いわよね。昔からあんまり変わんないし」
「おい、それはチビだって言ってるのか!? 牛乳飲んでも効果が無い私へのイヤミか!? 採寸したら去年どころかン年前の型紙が使い回せて手間いらずと香霖に言われたこの私へのあてつけか!?」
「あんた、霖之助さんにそんなこと言われてんの?」
「墓穴!」
 机に突っ伏す魔理沙の肩を、霊夢は「どんまい」と叩いた。
「悪い意味じゃなくてさ。魔理沙見てるとね、ああ、女の子だなあって思うの。だって、私から見ても可愛いもの、魔理沙」
「……お、おう」
 直球の褒め言葉には慣れてない魔理沙である。真っ赤になった顔を見られたくなくて、突っ伏したまま口をもぐもぐする。
「ま、まあ、ともかくだ。気にしすぎだよ。早苗だってこないだ『女子は幾つになっても女子なんです!!!!』とか言ってたぜ」
「……いや、それはさすがにちょっと」
「……う、うん、そうだな……」


 いつまでも少女ではいられない。

 無論、魔理沙にも霊夢の言うことはわかる。確かに、その時は来るだろう。必ず。
 だが、それはもっと遠い先のことだとと思っていたのだ。そのはずだった。
 なのに、霊夢にとっては違ったのだ。どちらかといえば地に足の付いてないように見える友人が、実は自分よりも真面目に将来のことを考えていたのである。
 そのギャップは、思いのほか威力を持って魔理沙を打った。
 ずるい。
 ついそう思ってしまう魔理沙である。
 ガキの頃からの仲である。喧嘩だって何度となくしたし、互いの良いところも悪いところも知っている。今までだってこれからだっていろんな事が起こって、しかしそれでも今までどおり、二人変わらない日々が続くものだと思っていた。
 なのに、霊夢はそれを終わらせるという。魔理沙を置いて、その先へ行こうとしているのだ。その変化があまりに急すぎて、ついていけなくて、そこから来る想いが魔理沙の奥底を揺さぶる。
 頭ではわかっていても心では呑み込めない。そのもどかしさが胸の中に収まりきれず、ついには、がばと起き上がって、魔理沙は真っ直ぐに霊夢を見た。
「なあ、ちょっと考え直せよ。だいたいお前、ここ辞めてどうするんだよ」
 少女の先にあるもの。
 魔理沙とて、そのことを考えたことがないわけではない。
 だが、それは魔理沙にとって、あくまで『今』の延長としてである。霊夢が巫女でなくなる未来などまったくの想定外である。
「何かやりたいことでもあるのか? まさか、結婚とかいうんじゃないだろうな?」
「んー、結婚はまだいいかな。相手もいないし」
 そう言って、霊夢は苦笑した。
「でも、そうねえ、何がしたいかっていうと仕事がしたいな」
「仕事?」
「そう。なんていうか、普通の仕事。普通の大人が普通にやってるみたいな仕事」
「普通、か」
 この話が出たときから、予想していた答えではある。
「普通に、なりたいのか」
 普通の人間として暮らしたい。
 博麗の巫女を辞めるということはそういうことなのだ。
 そして、その口ぶりから察するに――
「お前、外に出て行くつもり、なのか」
 魔理沙の問いに、霊夢は微笑んで頷いた。
「そうなるかな。うん、ここで仕事見つけるのもいいかもだけど、区切りを付けるならここかなって思って」
 そこで、霊夢は空を見上げた。
「ほんとはね。どうするか、ちょっと悩んでたの。でも、魔理沙と話してるうちに、なんか心の整理が付いたっていうか、自分が何をしたいのか見えてきた感じ」
 そう語る彼女の横顔は、普段の彼女らしい天衣無縫の少女のものとは違って、穏やかで、しっとりと優しい。
「そう、か」
 そんな彼女を見て、魔理沙の中から言葉が抜けていった。
 彼女を説得する言葉。
 自分の気持ちを語る言葉。
 少女が少女であることを表す多くの言葉が、するすると抜けていく。
「私、こんなだから、その、あんまりこういうのって誰とでも気軽に話せないっていうか、うん、だからね」
 霊夢は、耳を赤くしながら、ぼそりと言った。

 ありがとう、魔理沙。

「……ああ」
 ずるい。
 やっぱり魔理沙はそう思ってしまう。
 図らずも自分が彼女の背を押してしまっていた皮肉さ。そのことに微かな苦みを覚える魔理沙である。
 だが、そんな言葉を聞いてしまっては、魔理沙だって認めざるをえないのだ。
 だって、魔理沙は、
「ああ、友達だからな。気にすんな」
 長い、付き合いなのだ。おそらく、この幻想郷では彼女と最も多く接してきて、多くの言葉を交わし、時には喧嘩をし、張り合い、あるいは互いにバカもやって。
 だから、魔理沙にはわかる。たったそれだけの言葉でわかってしまう。

 ああ、成長したなあ、お前。

 いつか大人になるものと思っていたのは子どものうちだけ。
 それは、いつの間にか、なってしまうものなのだ。
 そして、なってしまえば、もう子どもには戻れない。
 少女を卒業すれば、少女には戻れない。
 魔理沙はそのことを怖れているし、その時を避けていたのだが、しかし。
 果たして、霊夢は気付いているだろうか。

 己がいかに眩しく魔理沙の目に映っているのかを。

 ぱたん、と魔理沙は横になった。
 火照った頬を冷たい縁側の床へ押しつける。
「悪い。ちょっと飲み過ぎたぜ。少し寝かせてくれ」
「あら、そんなに飲んだかしら」
「月が明るすぎるからな。こういう夜は月で酔うんだ」
「曇ってきたわよ」
「雲にも酔うんだ」
「泣いてるの?」
「泣いてないぜ」
「ウソ」
「ところにより雨だぜ」
「意地っ張り」
「張りがあるのはお肌のツヤだ。若いからな」
「若いのはいいけど、寝るなら中で寝なさいよ。さすがにこの時期じゃ寒いわよ」
「霊夢」
「何?」
「今日、泊めてくれ」

 霊夢は、くすりと笑って応えた。

「朝はあんたが作りなさいよ」



 さて、それからの話など退屈なものである。

 もちろん、幻想郷中が大騒ぎになった。連日連夜、博麗神社には事の疑義をただすべく有象無象が引きも切らず訪れ、どういうことだ何があったんだダメだ紫様息してないお嬢様それは霊夢ではなく箪笥です今の気持ちをお聞かせくださいところで今度うちの神社でこういう計画があってですねいやいやうちの寺でもですねほほうおぬし太子様のため外界にてみすたーどおなつとやらを手に入れようというのだなそうに決まって勝負だ勝負しろーちょっとなんで私に黙って勝手ににゃーんまったくあなたには自覚というものが無いのですか偉そうなことを言う前にまずは身の回りをそれより飲もうぜツマミ切れたあらこのお漬け物美味しいわ誰よ私のアタリメ取ったのチルノちゃんどこーあれルーミアなに囓ってるの、とそれはもう目を覆わんばかりの阿鼻叫喚である。
 ただ、そんな混沌の中心にありながらも、霊夢はやはりいつもどおりで、笑って、怒って、楽しげに騒いで、そのおかげで、この狂乱も際どいところで抑えられた。
 なにしろ、周囲がいくら盛り上がろうが、当の本人がのほほんとしているのだ。肩透かしもいいところである。
 だが、聡い者はしっかり霊夢の変化に気付いていて、魔理沙と同じように彼女を認めた。それが呼び水となったものか、やがて日が経つにつれ、彼女の理解者は少しずつ少しずつ増えていき、馬鹿騒ぎはいつしか彼女を送り出すための宴へと変わった。
 その頃になると、さしもの霊夢といえど普段どおりとはいかなくなり、誰かしらと抱き合いながら涙をこぼす姿も珍しくなくなった。あまりにも当たり前になってしまったので、これではネタにならぬと天狗も記事にするのは控えるようになったとか。

 そして、桜の盛りを迎えた頃、薄紅色の花吹雪の中、彼女は泣きはらした目とさっぱりした笑顔で幻想郷を去った。


「少女卒業、か」
 霊夢を見送った帰り道、霞がかかった春空を見上げて魔理沙は呟いた。
 彼女から話を持ちかけられたあの夜を遠く思う。実際は、まだひと月も経っていないというのにである。
 無論、その間の大宴会が例年の何倍も凄まじかったから、というのはある。どれほど酷いかと言えば、鬼と閻魔が仲良く潰れるくらいと表せばその地獄ぶりが伝わるだろうか。
 だが、その濃密な時間は魔理沙にとって深い内省の時でもあった。
 霊夢は未来を選んだ。
 ならば、自分はどうあるべきか。
 いつか自らが彼女へ向けた言葉を振り返りながら、魔理沙は考え続けた。
 霊夢は霊夢、魔理沙は魔理沙だ。
 彼女が選んだ道は彼女のもので、魔理沙はそのことを参考にすれども決して倣ってはならない。
 いや、魔理沙の性格として、そもそもそんなことはできないのだ。
 考えて考えて考え続けて、
 未だに結論は出ないままである。
 ただ、おぼろげながらも魔理沙に見えている未来があった。
 少女の可能性を大人の力へ変換して、初めて手に入るものがある。
 子どもの頃には届かなかったものが、今なら届くような、
 そういう直観が魔理沙の裡で静かに形となりつつあった。

「ま、そういうのもいいかもな!」

 ニヤリと笑って、魔理沙は片手で帽子を押さえながら空を飛ぶ。





 と、まあ、ここで締めれば良い話で終わったのだが――。




 残念ながら続きがあるのである。

 そろそろ梅雨に入ろうかという頃、博麗霊夢は戻ってきたのだった。

「なにやってんだよ、お前」
 知らせを聞きつけて、久しぶりに博麗神社を訪れた魔理沙である。
 母屋の戸を開けて中を一瞥するや、呆れるように放った一声であった。
「あー?」
 と、険のある応(いら)え。
「あー、まりひゃー、おーひしゃー」
 寝っ転がったまま、霊夢は億劫そうに言った。
 見慣れた巫女服ではない。魔理沙も初めて見る黒のスーツ姿である。おそらく新調したのであろうそれは、魔理沙の印象ではなかなか彼女によく似合っている。
 似合っていたであろう。多分。
 今の霊夢ときたら、ブラウスのボタンは上二つ外れているわ、ストッキングは伝線してるわで、ジャケットもスカートも皺だらけ。あられもないとはこのことで、その上、抱えた一升瓶に周囲の空き瓶数本、どろんと濁った眼にろれつの回らぬ舌でべろんべろんとなれば、これはもう一目瞭然。
 ただの酔っ払い女であった。
「お前なあ……」
 魔理沙は己のこめかみを押さえて、ため息を吐く。
「おひさーじゃねえよ。なんでここにいんだよ」
 とても久闊を叙するという雰囲気ではなかった。あれだけ派手に送り出したというのに、これはいったいどういうことか。
 すると、霊夢はぷうっとふくれっ面でそっぽを向いた。そして、小さくぼそりと、
「百十二社」
 そう呟いた。
「は?」
「だ・か・ら! 百十二社よっ!」
 ばんっと畳を叩いて霊夢は跳ね起きた。
「そんだけ受けて、そんだけ落ちたのっ!」
「お、おう」
 キッと睨む目には涙が溜まっていた。それを見て、魔理沙は一瞬言葉を失う。
「あ、あー、その、つまり、なんだ、そういうことか?」
 そうもこうもないものである。
 霊夢が今、自分で説明したとおりなのだった。
 魔理沙は、しばし言葉を選んで言った。
「お前、就職失敗したのか」
「はっきり言うなぁーっ!」
 うわーん、と霊夢は泣き出した。酒が入っているせいか、酷い泣き方である。魔理沙は天を仰いだ。


 それからが大変である。
 荒れる霊夢を宥め、水を飲ませ、気分が悪いと青くなった彼女の背をさすりつつ、魔理沙は少しずつ事情を聞き出した。
 外の世界は、就職氷河期と言われるほどの就職難社会なのだそうである。
 もちろん、仕事がないわけではない。ただ、少なくとも社会の需要と霊夢自身がうまくかみ合わなかったのは確かだ。
「……職歴に博麗の巫女って書いたら笑われたわ」
 と、霊夢はむすっとした様子で言った。

 ――『博麗の巫女』? ははは、なんですかそりゃ。ゲンソウキョウ? アニメかゲームの話ですか? ああ、コスプレですか。ははあ、いやいや、そういうのが最近流行ってるとは聞きますがねえ。いや、でもあなた、ちょっと常識をわきまえないと――。
 ――バイト? じゃあ、フリーターってことですね。なるほどなるほど。ええ、結構ですよ。近頃はそういう方も結構いらっしゃいますからね。それでは、他にはどういったことを? は? これだけですか? はあ、うーん、そうですかあ……。
 ――資格の欄が空白ですが、何もお持ちじゃない? その、特技ですとか。ふむ、ふむふむ。ダンマクゴッコ、ですか。ああいや、そういうゲームの話ではなくてですね――。

 それはもう散々な結果だったそうである。さもありなん、と魔理沙は頭を抱える。
「いや、だからお前さあ! そこはもうちょっと合わせるとかさあ!」
「だから合わせようって思ったわよ! でも、これ言わなかったら何をアピールするっていうのよ!」
「あー……」
 そう、霊夢にはそれしかない。
 それだけをやってきた少女なのだ。
 そして、学歴も資格もない女子に、現実は厳しい。

「うーん、じゃあ、いっそ向こうで巫女の仕事を探したらいいんじゃないか」
 せっかくの魔理沙の提案だったが、それにも霊夢は渋い顔をした。
「それもやってみたわよ。でも――」

 『本物』は要らない。
 そう言われたそうである。

 むべなるかな。確かに、『本物』は外の世界ではもてあますに違いない。早苗がこちらに来ているのがその証拠である。
 そもそも『本物』が外の世界にいるのでは、幻想郷が存在する意味が無いのだ。

 博麗の巫女ってツブシが利かない仕事だったんだなあ。
 魔理沙は遠い目をしながら、そんなことを思った。

「それでお前、戻ってきたのか。でも、どうするんだよ、この先」
 あれほど大騒ぎして出て行ったのだ。季節も変わらぬうちに戻ってきましたでは、あの狂乱はなんだったのかと皆が思うだろう。もっとも、どうこういいつつも霊夢の帰還を喜ぶ者は多いだろうが。
 それに、今更霊夢が博麗の巫女に戻れるわけではない。近く、新しい巫女が来るという噂もあるし、かつての霊夢の居場所は、既に幻想郷(ここ)には無いのだ。
「んー、なんとかするわ」
 と、霊夢は気のない様子で答えた。
「紫んとこにちょっと仕事あるらしいから、しばらくはそこでなんかやってるわ。里の方で阿求が派遣業立ち上げるっていうから、そこに登録すれば食いっぱぐれることないだろうし。残業代だって出るのよ。上限あるみたいだけど。あ、でもたまには定時で帰れるって。休みだって月に二日はあって――」
 魔理沙は、そっと目頭を押さえた。
 どこからどう聞いてもブラックに違いなかったが、それを彼女に言って何になろう。

「だからね、魔理沙」
 そこで、霊夢は涙を拭きながら、ようやく笑顔を見せた。
 魔理沙が見慣れた、あの朗らかな笑顔だった。
「そんなわけだから、これからもよろしくね」

「あ、わりい」
 魔理沙は片手を軽く上げて応えた。
「私、イギリスに留学決まったんだ。卒業したら多分どっかの外資系の研究室入るし、お前とつるんでるヒマが――」


 霊夢渾身のストマックブローが魔理沙に炸裂した。

残機0になってからが勝負
deso
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コメント



0.2100簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
つハロワ
取り敢えず霊夢は資格を取ろうか、簿記会計とか宅建あたりがオススメ
一番確実なのは、俺のところに永久就職だがな!!
6.100名前が無い程度の能力削除
面白かった
チビな魔理沙可愛い
7.80名前が無い程度の能力削除
霊夢意外と近所に住んでたんだな
8.90奇声を発する程度の能力削除
やり取りが面白かったです
9.90名前が無い程度の能力削除
オチが特によかった
10.90名前が無い程度の能力削除
イギリス・・・時計塔?
11.80名前が無い程度の能力削除
魔理沙は普段遊んでばかりいる印象を与えながらも影ではしっかり進路について行動してるタイプ
12.90名前が無い程度の能力削除
軽妙な会話が素晴らしい
13.90名前が無い程度の能力削除
小田急でやられた…
15.100名前が無い程度の能力削除
霊夢さんの就職先、思いつかないなあ。
16.90euclid削除
前半の弾むようなテンポで飛び出てくる衝撃の事実のオンパレードと中盤のしっとりムード、後半の(ある意味)涙なしでは語れない展開、どこをとっても面白かったです。
18.100名前が無い程度の能力削除
おいばかやめろばあk
現実をみえsないでください;;
19.90名前が無い程度の能力削除
魔理沙ちゃんが勝ち組コースでううわわわ
実家も金持ちとかそれどんなチート?
20.100名前が無い程度の能力削除
オチにクスっときた。
魔理沙は普通に勉強できそうなイメージというかヘタな大学生とかより頭良さそう@@;
21.100名前が無い程度の能力削除
笑ったw
確かに幾ら天才でも、現代社会でアピール出来るポイント少ないな。
魔理沙は英語出来るだろうし、就職先は幾らでもあるよな。
22.無評価名前が無い程度の能力削除
魔理沙可愛いなあもうwww
しかし「本物はいらない」って悲しいよなあ
23.100名前が無い程度の能力削除
すいません点数入れ忘れです
25.100名前が無い程度の能力削除
よきかなよきかな
29.90名前が無い程度の能力削除
巫女って職業はなくてお正月とかに見るあの人たちって全員バイトらしいですね
30.90名前が無い程度の能力削除
俺のところに就職すれば…いや、霊夢を縛りつけるような事はできないな。
やはり普通は無理そう。
しかし小田○仲間だったかあ。
31.100名前が無い程度の能力削除
最初から最後まで面白かったです。
35.90名前が無い程度の能力削除
ネタと現実と幻想が上手く噛み合って面白かった。K東以外の人にも通じる?w
結局、努力+コネが就活の勝ち組か…
38.90名前が無い程度の能力削除
霊夢さんそれただの八つ当たりやで
44.90名前が無い程度の能力削除
小田○仲間とは嬉しいなw
魔理沙さん勝ち組ですね
45.100名前が無い程度の能力削除
オチが切ねぇwwww
46.100名前が無い程度の能力削除
そういや魔理沙、普通によくわからん言語の本を読めましたねぇ、としみじみ思いました(棒)
50.100名前が無い程度の能力削除
最後のあっさりとした会話がいいなー
51.80名前が無い程度の能力削除
せつないw オチが秀逸ですね
52.100名前が無い程度の能力削除
東方二次も爛熟期に入ったのですね
54.100名前が無い程度の能力削除
冒頭のネタパートから一気に引き込まれてシリアスでしんみりした後オチで笑いました
あと何故かあとがきが心に響いた
57.100名前が無い程度の能力削除
KN川のY浜北西部に住んでいるせいでMT田のくだりで盛大に吹いた((
61.80名前が無い程度の能力削除
おいやめろ馬鹿
62.100名前が無い程度の能力削除
うわぁぁぁぁぁぁぁ・・・ははっ、永遠に子供のままでいいじゃないの。
以上ピーターパン症候群(汗)のコメントでした
65.100名前が無い程度の能力削除
ストーリー、軽妙さを失わないテンポ、適度な長さ。面白かったです
でも人によっては読むのがちょっと辛いかもしれないですね・・・
そして切ない・・・(´Д⊂
73.80名前が無い程度の能力削除
KN川に住んでいたせいでMT田のくだりが大爆笑だった。

でも、切ない終わり方。
80.60名前が無い程度の能力削除
シリアス(?)とギャグにメリハリが欲しかった
あと魔理沙が可愛かった