Coolier - 新生・東方創想話

鴉が貴女で、私が狗で

2012/10/18 23:20:05
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『……これは……相性を……ックする機械で……』

 もぞもぞと、暗がりの中で白い掛け布団が動く。

『……失敗……いとは思う………あっ……やばっ』

 何度か寝返りをうっているのだろうか。白い盛り上がりがせわしなく形を変える中。急にその動きがぴたり、と止まったかと思うと。

「んぅ?」

 ぺたんと垂れた耳を乗せた文の頭が、布団の中からひょっこりと飛び出す。いかにも眠そうな顔で、瞼もほとんど閉じられたまま。細い瞳をうっすらと開け部屋の中を見渡しても、真っ暗。敷き布団に肘をつき、少しだけ身を起こしながら岩肌に彫り込まれた窓の外を眺めても、やはり真っ暗。太陽すらまだ布団にくるまっている時間帯だと推測出来る。

「……この年で、夢に起こされるとは。なんとも乙女チックなもので」

 古い世代の天狗たちは『天狗に睡眠など不要』など、精神論を振り翳す者は多い。けれど文はできる鴉天狗として常に知識を仕入れている。その中で、睡眠が記憶というものに大きく作用していることも知っているし、他の人間や妖怪に接するときに寝不足で肌が荒れていては情けない。
 以上のことにより、健康的な取材生活を送るためには多少の睡眠は鴉天狗にとっても不可欠であるという結論に至った。決してこの言い知れない温もりに伴う快楽を味わうためではなく、仕事のため、ライフワークのためである。なので、文は新聞を作らない日は太陽より早く起きないことを信条として生活していた。

「よし」

 そして、明日は休刊日。
 つまり起きている理由がない。それを素早く判断した文は、腕に力を入れるのを辞めて、背中からずり落ちていた布団を被り直し、ぽふっと、柔らかな毛布に側頭部を預けた。そうすれば、温もりに誘われてすぐに眠気が、眠気が……
 やってくる、はず、だったのだが。
 側頭部の少し、上。そこから何か違和感にも似た痛みが走ったのだ。それから逃れようと頭を揺すると、余計に悪化。身体のどこかを挟んでしまっているような、そんな嫌な感覚だ。しかたなく痛む場所に手を伸ばして、挟み込んでしまった部位を解放してやると、痛みは消え、また心地よさだけがやってくる。

「はぁ~」

 見た目からは想像出来ないほど、若さを感じさせない吐息を漏らし、枕に顔をすりすり。そうやってしばらくじっとしていると、すぐにまた新しい睡魔が文に襲いかかって来て、幸せな二度寝の世界へと誘う。
 はず、だったのだが。
 またしてもその眠りは妨げられた。
 腰の辺りが妙に熱いのである。毛布を一枚多く着込んでいると思えるくらい、熱い。実際重さも感じるので、何かあるのは間違いない。おそらくは寝返りなどを繰り返しているうちにそこに毛布が集まってしまったということだろう。邪魔ならば布団の外にけり出せばいいと考える睡眠初心者天狗もいるかもしれないが、それは大きな間違い。明け方に掛けて大きく冷え込む妖怪の山、そこで快適睡眠ライフを送るためには、このわずかな温もりを助ける毛布こそが影の立役者なのだから。
 なにはともあれ、一度その集まった毛布を動かそうと腰あたりに意識を集中する。
 その直後だった。
 背中の、下あたり。そこから妙な触覚が全身に伝わったのは。
 腕も、脚もまったく動かしていないというのに、四肢を動かしたときと同じ感覚を、何も付いていないはずの腰の後ろの部分が主張した。その後、その熱の固まりの先っぽが布団の外へと飛び出したせいで冷たい空気と触れ合い。何とも言えない心地よさが全身に走るが。

「……いやいやいや」

 さすがに、文も気付いた。
 何かがおかしいと。
 気持ちいいけど、何かが違う。それを確かめるために文は布団の中で、上から順番に手で探ってみることにした。
 胸は程良く膨れていて、問題なし。
 脇腹も締まっているし、問題なし。
 おへそ周りも、問題なし。
 腰も……

「?」

 前から後ろに手を回したら、もふもふの何かに振れた。
 腰の後ろにくっついて、それなりのボリュームを訴えるコレは……間違いない。

「んぅっ!?」

 付け根をぎゅっと握ってみたら、全身がびくりと反応することから判断しても。これは身体に付いた部位の一つ。
 『尻尾』に間違いない。
 となると、さきほどの頭上の違和感も納得出来るというものだ。
 なるほど、わかってみれば何とも単純。
 自分の身体に耳と尻尾がくっついただけでないか、と。
 事実をしっかりと把握した文は、ふぅっと胸を撫で下ろし。

「よし」

 と、一声掛けてから布団を被り直――

「いいことあるかぁぁぁぁあああっ!!」

 被ろうとしたところで、近所迷惑なほどの大声が玄関のほうから響き、爆発したのかと思うくらいの轟音と共に入り口が開いた。
 さすがにその音の中で寝ていられるほど文の神経は図太くない。

「なによぉ、こんな朝っぱらからぁ……」

 眠気眼を擦りながら、上半身だけを起こし、玄関の方を覗いてみたら。

「え?」

 羽根を全開にし、身体全体で怒りを表現する。
 鴉天狗、射命丸文の姿が、確かにそこにあった。




 <1>




 文が、その鴉天狗を無言で眺めて、どれくらい経っただろうか。
 気まずい沈黙が場を支配し始めたとき、その変化は急に起こった。

「目、目がぁっ!」
「あ、文っ」

 布団に寝ていた文が目を押さえて、倒れたのだ。それを見た鴉天狗は、さっきまで怒っていたのを忘れてしまったかのように、慌てて文に駆け寄ると。

「ね、ねえ! どうしたの! 私の身体に何かあったのっ!」

 顔面を蒼白にさせながら、目を押さえ続ける文の身体を揺らした。しかし文は敷き布団の上でごろごろと転がるばかりで、また恐る恐る瞳を鴉天狗の方へ向けても。

「眩しい……」

 そうつぶやくだけ。

「そんな、周りはこんな暗いのに……なんで」

 能力の暴走、それが頭をよぎった鴉天狗は。永遠亭まで運ぶべきかと、文に両腕を伸ばした。すると文は、苦しそうにもがきながら。

「くぅっ、……暗がりの中、卑しい犬の目で輝くほどに美しい鴉天狗様を直視しまうなんてっ! 私はなんと愚かなことをっ!」
「えぃっ」

 ノータイムで放たれた鴉天狗の前蹴りをあっさりと避けながら立ち上がると、文はふむっと鼻を鳴らしながらまた、鴉天狗を見る。
 その態度が気にくわなかったのか、最速と謳われる鴉天狗の身体で右、左、と突きを繰り出すが。

「いやはや、犬に持たせるには勿体ない目と、身体能力をお持ちで」

 それすらも、身を逸らしただけで避けてしまった。
 手加減をしていたかも知れないが、それでも、速さ自慢の攻撃を余裕で避けるその目の良さと身のこなしは異常でしかない。
 それを眼前で見せつけられ、鴉天狗、いや、その中身である犬走椛が悔しそうに両腕をバタバタと振った。

「なんでいきなり私の能力使いこなしてるの!」
「えー? だって、身体に備わった能力ですし? 加減とかもいらないでしょこれ」

 懸命な方はもう気付いているかも知れないが、文は今、白狼天狗の姿をしている。その身体はもちろん、目の前の『射命丸姿の鴉天狗』の中身、犬走椛のもの。
 一言で言えば、心だけが入れ替わってしまっているのである。
 それを知った上で、見せつけるように尻尾を振ると、余計に興奮した椛が声を荒げた。

「卑怯! 不公平! 私なんて、こっちに来るために急いで飛んだら、早すぎて木にぶつかりそうになったのにっ! それに文って目も悪いし!」

 椛視点で視力分類をすると、幻想郷の9割以上が眼鏡着用必須になりかねない。怒鳴られながらもそんなことを文が考えていると。
 何故か椛の声が尻すぼみになっていき、居心地が悪そうにもじもじしだした。

「それに……風の加減とか、よくわからないし……服とか丈、短か過ぎるし、下着も変なのしかないし……」
「む、失敬な。鴉天狗は風での鉄壁防御が基本中の基本。その外見を武器にしつつ交渉事を行いながらも、大事なところは絶対に見せず、心を許した大切な相手にだけその中身を晒すのです。ですから、多少際どかろうが、派手だろうが、私たちにとって大した問題ではなく」
「だから……風の調整難しいって……言ってるじゃない」
「へ?」

 文は、口をあんぐりと開けたまま。なめ回すように椛の姿を見て。
 恥ずかしがる椛のスカートをちょっと掴んで上げてみたりして……、
 そこでやっと、顔を真っ赤にする。

「そ、そそそ、そんな格好で風なしで飛び回るとか! 痴女ですかあなたは! 変態! 露出狂!」
「だから! 風の調整がわからないって言ったじゃない! 私だって見せたくなんてないわよ! それに、今の文に言われたくない!」

 何を馬鹿な、私が変態だとでも? と。
 視線だけでそう問いかけ、いつもの癖で胸元のポケットから万年筆を取り出そうとして。堅いの感触の代わりに、ぷにぷにとした感触が指の中に生まれた。

「あや?」
「だから! 早く服を着なさいってこと! ああ~~っ! 私の胸っ、揉んでる! どっちが変態よ!」
「不可抗力だってば、私もこの季節に裸でなんていたくない。ほら、下着の置いてある場所さっさと教えなさいよ。私がそれを着てる間に、椛は少しでも風の練習すれば時間の無駄にならないし。体が渦巻きの中心になるようにイメージしてやってみて」
「わかったわよ……、ほら、そこの布団の横の白いヤツ」

 椛はそれだけ告げて、渦、渦、っとつぶやきながらゆっくり風を生み出し始める。それを確認して、うんうんと頷きながら、文は椛が示した場所に手を伸ばした。すると、どうだろうか。
 白い紐に、手の平ほどの幅の長い布がくっついたものが出てくる。
 しかもその布は途中から真ん中で分かれているようで。

「……椛ったら、人のことを変態って言っておいて……紐パンとか……」
「ちょ、なっ! な、何が紐か! ふんどしよ! ふーんーどーし!」
「……ふんどし?」
「そう!」
「へぇ~………………、おぇ」
「ちょ、なっ! ふんどしさんを馬鹿にする気っ! って、何で気持ち悪そうに指先でつかんでるのよ! 綺麗よ! 洗濯してるわよ! それに、尻尾穴の調整も出来るからちょっと太ったり痩せたりしても対応出来るんだから!」

 風の練習を中断し、顔を真っ赤にしてふんどし論を熱く語る。そんな椛を横目で見つつ、ふんどしから手を離すと、こんどは横の布。太い包帯のような固まりを眺めて。

「で? サラシで胸をくるめと?」
「そうよ、それが白狼天狗の基本なんだから」
「ブラは?」
「……そんな外来からの異物は受け入れないの」
「嘘だー、この前私の知り合いの鴉天狗が、ちょっと若い白狼天狗と夜遊んだとき、可愛いの身に付けてたって言ってたよ」
「わ、若者はそういうのでも、いいの! 私は嫌なの!」
「…………ふーん」
「ほら、文、私も風の練習するから! 文もさっさと着てよ! そうしないとにとりのところで戻して貰えない!」

 椛も入れ替わりの原因をおおまかに把握しているようだった。
 昨日の宴会で、ノリでやってしまったことが現状を生み出していると。
 だからこそ、ほとんど誰も活動していないようなこの時間を選んで飛んできたのだろう。
 それでも何故か文は、含み笑いすら浮かべそうなあくどい顔で、

「やだ、着替えない。こんなの着けなくないし」
「え、ええぇぇぇぇっ!」
「どうしても着替えて欲しいんなら、私の部屋のタンスの二段目からはブラを、下は、そうね、たぶん三段目にそういうのが固まってたはずだからそれ持ってきてよ」
「嫌よ。自分でいけばいいじゃない」
「ふーん、行って良いんだ?」
「な、何よ。良いでしょ、別に。自分の家から下着持ってくるだけなんだし」
「うん、わかった」

 椛の了承を得た文は、その何も身に付けない状況で玄関まで出て行こうとする。
 それを慌てて椛が止めるが、

「あれ? 今、良いって言ったじゃない。この裸の状況で、私が自分の家に戻って、下着の格好でここまで帰ってきても良いって♪」
「っっ!! ☆■$#っ!!」

 すると、もう何を叫んでいるのかわからない声を残して、椛の姿がかき消える。
 滝壺裏から繋がる通路を覗いてみても、その姿は確認出来なかった。

「さて」

 体よく使い走りを得た文は、まだ畳まれていない、温もりの残った布団を眼下に納め。

「よっこいしょ、と」

 三度寝にしゃれ込もうと、その身を温もりに預けるが。

「ぱぱ、ぱぱぱぱぱぱぱぱっ!」

 奇声を発しなばら帰宅した椛によって、その野望は半刻と待たずに阻止されたのだった。




 <2>




 やっと、東の空の地平線が明るくなり始めた頃。
 文と椛は河童が住む川原まで足を運んでいた。
 ただ、

「あんなのが……あんな布のない下着が私の体に……」
「何言ってるのよ、単なるローライズなだけじゃない。尻尾も邪魔にならなくて、可愛い。言うことなしよ。椛の身に付けてるのだってちょっと布地が多いだけでしょ?」
「これは文の体だから……でも、せめてサラシ……」
「ダメ」
「うぅ……」

 まだ第一次パンツショックから立ち直れていないようで、椛は肩を落として歩いている。ただ、並んで歩く文と中身が逆になってしまっているせいで、端から見ると、落ち込む鴉天狗を叱りつける白狼天狗という、よくわからない構図が完成していた。辺りが暗くまだ誰も外を出歩いていないのが唯一の救いか。
 だが、落ち込んでいてもしょうがないのは事実。

「まったく、これだから鴉天狗は……」
 
 気を取り直した椛は、何かぶつぶついいながらもにとりを呼ぶ準備を始める。畑から持ってきた新鮮朝採れキュウリ、その丁度真ん中を丈夫な紐で結び、抜けないかどうか揺らして確かめてから。

「天狗仲間ってやつを一体なんだと思ってるの、よっ!」
 
 最後の単語と同時に、キュウリを放り投げた。
 大きく放物線を描いたキュウリは、ぽちゃんっと音を立て、水面に波紋を残してどんどんと沈み込んでいき……

「っ! フィッシュ!」

 握った紐がわずかに川へと動いた瞬間、叫び声と同時に引っ張る。
 すると、投げたときと同じような弧を描いて食べかけのキュウリが飛び出し、

「ま、まてー!」

 それを追いかけるように、ざぱぁっと。水面からにとりが飛び出して、川原に落ちたキュウリへと飛び掛かる。
 そして、すぐさま紐を外し、水洗いすると幸せそうに囓りだして。
 
「あぁ~、新鮮で瑞々しい、上質な味わい……」
「おはようございます、にとり」
「ああ、文に……椛? どうしたのこんな朝っぱらから」
「えっと、椛? あなたさっき天狗仲間がどうとか言ってたけど、将棋仲間っていうか友達のにとりにこの扱いってどうかと思うよ、私は」

 やっと二人に気付いて、顔を上げたにとりだったが、キュウリに夢中になっていたせいだろうか。声の発生源を正確に把握出来なかったと見える。
 それでも違和感は覚えたようで、二人をきょろきょろと見比べながら、文の後ろで待機していた椛の近くまで歩いていく。
 
「おー、ちょっと昨日のことで気になってたことあったんだけど。その様子だと大丈夫そうだ。よかったね、椛」
「え?」

 にとりが問いかけると、当然、文の姿をした方から疑問の声が出る。
 それでもわからないようで、

「椛?」

 と、今度は名前だけで問いかけたら。

「何?」

 と、やはり文姿の椛が答える。

「……あ、あ~、あ~、そういうことか。うんうん、わかった! それで朝っぱらから来たってことだね」

 そしてやっと納得したにとりは、こくこくと頷きながら。文姿の椛の肩をぽんぽんと叩いた。
 心当たりがないはずがない。
 この事態を引き起こした要因は彼女にあると言っても良いくらいなのだから。



 それは昨日の夜、夏が終わり、秋に向けての景気付けに一杯。という名目で文が知り合いを集めて飲み会をしていたときのこと。

『実は、おもしろい機械を持ってきてみたんだよ』

 お酒が入り、皆が陽気になったところでそう切り出したのはにとりだった。外界から設計図と説明書らしきものが流れてきてたから、それを参考にして作った、と。

『それがこの相性チェックマシーンなのだ!』

 にとりが背中に機械の本体を背負い、そこから伸びた二つの吸盤に相性を知りたい者の頭を当ててやれば、その相性がわかるというもの。持ち運び可能な宴会道具として、お披露目したのだった。
 長年生きているとは言っても、やはり精神年齢が少年少女のものに近い妖怪たち。色恋沙汰に発展しそうな機械に興味津々で、どうせなら相性がよくわからない二人を最初に調べようと言う声が上がった。
 そして選び出されたのが、仲が悪そうなのにはっきりしない関係として代表的な文と椛。その場の勢いに流されるまま、お互い文句を言いつつ装置をかぶったまでは良かったのだが。

『ぽちっとな!』

 スイッチオン アーンド

 ドォォォン!

『うわぁ……』

 スイッチを入れたと同時に爆発するという、別の意味での宴会芸となってしまった。被験者である二人と、それと本体を背負っていたにとりにも怪我はなかったのだが。
 
『なんか変な感じがする』

 文と椛が口を揃えてにとりに訴えた。
 宴会が終わっても異常なく、お互い家に戻った。
 そこまでは問題なかったのだろう。
 そうして、いつもどおり眠りに入り、
 で、朝を迎えたらコレだ。

「私もね、もしかしたら副作用か何かが出るかなとは思ってたんだ、うん。だから二人に確認したかったから丁度良かったよ。それにしても、文の方は随分落ち着いて見えるけど?」
「こう見えて、そこそこ年月重ねてるからね。一時の変化も有りかなと思って。もちろん戻らなかったら困るけど」
「私も、絶対鴉天狗のままなんて嫌だから!」
「ははは、実に椛らしい答えで安心したよ」

 会話しつつ、二人の身体をぺたぺたと触り始めるにとり。
 しかし、椛の身体の尻尾と耳が本物だと確認して、悪戯でもなんでもない。この変化が事実だと判断したようだ。

「ちょっと待っててね。それに関係したのまとめたりしてくるから」
「え、ほんとに? さすがにとりっ!」

 にこにこと微笑みながら、また川の中ににとりが消えた。
 それを期待を込めた視線で見送ると、小さく右手でガッツポーズ。

「ほーら、みなさい。にとりだって考えてくれてた」
「なんで椛が偉そうなのか」
「文の人徳だと、こんな風にはならないだろうからね」
「ほうほう、もう解決したと考えているような浅はかな駄犬の考えらしいですね。もしかしたらにとりも状況を把握しただけかも知れませんし」
「ほーら、これだよ。また嫌味。誰も信じられないような鴉天狗様は本当にご立派ね」
「……あのね。考えてもみなさいよ、椛。私たちの状況を改善出来るとすればあの機械のような装置が必要になる。それが完成していたとするなら、水中の倉庫に保管すると思う?」

 水に弱い機械を水の中に置くはずがない。そんなことを文に指摘され、難しい顔をする椛であったが、友人を信じたいという意志に変化はないようだった。
 そうやってにとりが再び登場するのを待っていると。

「あれ?」

 椛の視界の中、水中から一本の長い竿が椛の前に伸びてきて、その先には小さな小箱が括り付けられていた。
 おそるおそる椛がその箱を取ると、竿は勢いよく引っ込んでしまう。なんだろうと、好奇心に従って椛が箱を開けると。にとりのものと思われるメッセージカードが入っていた。直接口で言ってくれればいいのに、と、椛が苦笑しながらそのカードを取り出せば。
 そこにはこうあった。

『ごめん!
  ……超、ごめんっ!! 
   どんな姿になっても親友のにとりより』

「に、にとりぃぃぃぃぃいいいっ!!」

 そんな悲しげな絶叫が響き渡る中、新しい一日の始まりを告げる朝日が川原に差し込んだのだった。




 <3>




 とりあえず、早い段階での状況改善が不可能になった今、どうするべきか。
 それを二人なりに考えた結果。
 お互いが、お互いの振りをして過ごそう、ということで落ち着いた。ただし、文が

『今日は明後日の新聞のための取材をする。絶対する』

 と、言い張ったので。仕方なく椛は、まだ取得していない休日があることを文に告げ、鴉天狗の取材協力ということで申請しろと、裏技を教えた。
 下っ端ならではの悲しい理由ではあるが、そうそう珍しいことでもないらしく。上司も簡単に許可をくれるはずだという。その後、山の麓で待ち合わせて一緒に行動すればいいと。
 ただ、一つだけ椛に注意されたことは。

『絶対に職場に遅刻しないで! 絶対!』

 椛は白狼天狗全体の中で中堅の位置にいるらしく、先輩の目も、後輩の目もある微妙な立場らしい。だから絶対に手本となるような行動をするようにと、文は椛に何度も釘を刺された。
 しかし子供ではないのだ、何度も言わなくてもわかるというもの。
 文は椛の部屋に戻ってから、刀と盾を玄関の前に置き、高下駄もセット。後は出かけるだけと準備をしっかり整えて、少しくらい横になっても良いよねと、腕枕で横になって。

「い、犬走椛! 只今、参りましたっ!!」

 はい、ヤッチャッタ。
 見事、集合時間5分『後』出勤。
 元気の良い声で白狼天狗の詰め所へと駆け込むが、大失態である。
 それゆえ、周囲の視線の痛いこと痛いこと。
 今まさに哨戒の現場に出ようとしていた者も、椛の姿をした文に不審な目を向けてくる。そんな微妙な空気の中で、こつこつと下駄音を立てながら近づいてくるのは、文よりも頭一つ大きい白狼天狗の女性。おそらくは、この詰め所を管理する立場にある者に違いない。

「も、申し訳ありません! 今朝はいろいろと立て込んでおりまして……」

 白狼天狗は規律に厳しく、規則正しい集団行動を良しとする。
 その中で遅刻をかましたのだから、ここは謝罪の一手のみ。そう判断した文は、椛の姿で深々と頭を下げるばかりであった。
 すると、上司と思われる白狼天狗から頭を上げるように、と、声が掛かり。何かされるのかと多少ビクビクしながら体を起こせば、

「……もしもし?」

 いきなり、文の胸元に上司の顔があった。
 しかもしきりに鼻を鳴らしている。ただ、その上司だけならまだいいのだが、

「えーっと、あの……皆様?」

 いつのまにやら文は白狼天狗の群れに覆い尽くされていた。
 しかもその全員が、上司と同じように鼻を鳴らしている。
 その中には後輩と思える小さな影もあり、何故かわなわなと全身を震わせて、いきなり叫んだ。

「も、椛先輩から! 鴉天狗の臭いが!!」

 がたんっ

 その瞬間、我感ぜずと言った様子で黙々と準備をしていた輪の外の白狼天狗ですら。物音を立てながら、ぴんっと聞き耳を立てた。

「……なるほど、いつも半刻前に来て、掃除を欠かさない椛が遅刻なんて珍しいと思ったら……そういうことね」
「そんな、まさかあのお堅い椛でさえ……あの鴉天狗の毒牙にかかったっていうの?」
「うわーんっ! もみじせんぱぁぁいっ!」
「いや、あの……、皆様方?」

 名前や天狗関係がわからないので、とりあえず当たり障りのない言葉で状況改善に努めようとするが、混乱の波は収まるどころか大きくなるばかり。
 推測が推測を呼び、さらなる波となって詰め所を覆いはじめるが。

「静まれ!」

 一番の上司と思われる白狼天狗が一言怒鳴ると、水を打ったように静まり返る。
 さすがだと感心する文であったが、残念だとも思う。その声を発しながらもまだ文の胸元に顔を押しつけたままなので、おもいっきり馬鹿っぽく見えてしまうのだから。
 けれども、場を何とか押さえてくれたことには感謝をするべきかと、文が声を出そうとしたとき。
 やっとその身を起こして、背筋を伸ばすと回れ右。
 背を向けたまま歩いて、文から離れるように二歩ほど歩いて。
 また、素早く半回転しつつ。びしっと文の胸元を指差した。

「椛が! ブラしてる!!」

 ガタッ! ガタン、ガタタン!

 お前等座ってろ。
 素で怒鳴りたくなる衝動を文が押さえているうちに、新たな波紋はあっというまに詰め所中に拡散していく。
 椛の姿をした文が下着を替えただけだというのに、天変地異でも起きたような騒ぎようであった。

「信じてたのにっ! 椛だけはって! 信じてたのにっ!」
「うぇぇぇぇんっ!」

 一画では、何故か崩れ落ち涙を流す一団が。

「あの、椛先輩のってどんなのです?」
「見せっこしましょ! 見せっこ!」

 とある一画では、純粋にどんなデザインなのか興味津々と言った様子の若い一団が。

「もしかして、鴉天狗の臭いの発生源は……そこ?」
「だとしたらもう、椛は傷物に……」
「いや、もしかしたら合意の上という可能性も……」

 とある一画では、別な意味で興味津々と言った様子の古株の一団が。
 このままでは休暇どころではない。
 違うと必死に否定しても、質問攻めとなり取材すらできなくなる可能性が高い。
 そう感じた文は、仕方なく……

 一番偉そうな、古参の白狼天狗が想像していそうなストーリーに乗っかることにした。

 女性として大事な部分を腕で隠すような仕草をしながら……、耳とぺたんと倒し、尻尾も力無く下げ。

「あの、すみません。ちょ、ちょっと、寝不足で、体調不良の上……か、鴉天狗の取材についてくるようにと命令を受けてしまい……」
「っ!? わ、わかった! わかったわ! 椛! 何も言わなくて良いのよ! 大丈夫、みんなあなたの味方だからね! いざとなったら噛み付いても良いのよ!!」

 詰め所の中の至る所で、応援コールが上がる中。
 文は瞳を潤ませながら、行ってきますと頭を下げる。
 そうやって詰め所を出た後も、椛を励ます声はしばらく文の背中を押し続けていたが。

「おーい、お待たせ」

 なにはともあれ、口頭だけでの休暇申請は成功した。
 そして、約束の場所で待っていた文姿の椛としっかり合流。

「あれ? 意外と早い」

 そんな驚きの声を上げる椛に、文はふふんっと胸を張ってから。

「椛って、意外と人望あるね」
「え?」
「休むって言ったら、みんな椛のこと心配してた」
「え? あ、そうなんだ……、改めて言われると……ちょっと照れくさいな」

 裏と表の意味を盛り込んだ言葉を素直にぶつけると。
 椛は文の身体のままで、控えめに笑ったのだった。

「……ただ、ちょ~っと後が怖いけど」
「ん? なんか言った?」
「別に何も?」

 しかし、一番重要なことは伝えない文なのであった。
 



 <4>




「……というわけで、椛は質問役。私はメモと写真、あーゆーあんだすたん?」
「わかった、わかりました! 文の振りをして取材すればいいんでしょう?」
「親切、丁寧、誠意を込めてね」
「……え?」
「親切、丁寧、誠意を込めて」
「……ねえ? 純粋に聞くんだけど」
「なに?」
「文って、人間とか他の種族に対してそういうの持ってたっけ?」
「……さーってっとぉ? 今のうちに椛のヌード写真でも撮っちゃいますかねー?」
「親切! 丁寧! 誠意を込めて!!」
「そうそう、それで結構」

 文が椛に風の扱い方を教えながら跳び続けること、30分弱。
 二人は第一目標である博麗神社の上空に近づいていた。
 異変や大きな事件が発生した場合、間違いなく情報源と成り得る場所なので、絶対に取材場所から外せない重要拠点である。また事件でなくとも吸血鬼や鬼と言った大御所が出入りを繰り返す魔境とも言えた。

「最初、私はしゃべらないから、椛なりにやってみること」
「私のやり方で良いってこと? 私、山からあんまりでたことないけど」
「白狼天狗にもそういった機会を与えなければ、どこかの念射オタクのように引きこもりになってしまいますからね」
「……無礼があっても文句言わないでよ?」

 椛が取材交渉し、それを客観的に文が撮る。
 それで普段とは違う一面を見ることが出来るかも知れない。しかも、この椛の目があればシャッターチャンスを逃すことも少ないはず。
 そう考えた文は、椛の後ろにゆっくり移動し、下降するようにと命令する。
 すると椛はわざわざ鳥居の正面に回り込んでそこからぐるりと神社に入り、境内の敷地内に誰か居ないか探す。文から見ても無人の敷地内にいながら、『おはようございます』と声を振りまき、社務所の方へ。そして玄関の前に立つと、こんこんっと入り口のドアをノックして、

「おはようございます。射命丸文ですが、取材に来ました~」

 すると、入り口の奧から。

「今手が離せないから後にして~」

 という声が帰ってきたので。
 椛は腕組みをしながらうんうん頷き、回れ右。
 そして、待機していた文のところに戻った。

「……文、霊夢は忙しいみたいだから別なところへ」
「せいやっ」
「はうっ!」

 あっさりと引き下がった椛のおでこに文のチョップが決まる。

「何よいきなり!」
「何でいきなり戻ってきてるの! 取材なのよ! 取材!」
「え~っ! 文が誠意を持てって言ったから相手のことを考えて引いたんじゃないの」
「……う」

 確かに、そんなことを言った気もする。
 文にとっては天狗が取材のときだけでも軽く敬語を使うことが誠意に分類されるため、椛の行動は予想外だったのだろう。
 しかし、あれだけ椛なりの感性で、とか誠意を込めてとか教鞭を振るった後で引くことも出来なくなった文は、得意技に切り替える。

「え、えーっとね。椛、実は霊夢は本当は取材されたがっているのです」
「そうなの?」
「そうそう、でも、ちょっと恥ずかしいから用があるとか言ってしまうだけであって、それをこちらが汲み取って、わざと心を開いて上げることも必要なのですよ。ほら、こんなところに独りで住んでいるなんて、寂しいとは思いませんか?」
「……文」
「何?」
「私、文のこと少し誤解してたかも、そこまで相手のことを考えているだなんて」

 必殺、口先三寸。
 しかしなんだろう、この罪悪感。
 文の中でちくちくと傷みが広がっていくが、それに耐え、椛をまっすぐに見つめて行けっと指先で命令。
 意を決した椛は庭の方へと回り込み、

「おはようございます! 射命丸文です」

 廊下に腰を下ろしてお茶を楽しむ霊夢に、深々と頭を下げた。
 が、何故か霊夢は不思議そうに文を見つめ返すばかり。挨拶を返そうともしない。

「……?」
「どうかしました?」
「文、よね?」
「ええ、文です」
「あれ? いつもの『清く正しい~』、とかは?」
「なんですそれ?」
「……? まあ、ないならないでいいんだけど。あ、今日は連れもいるんだ、珍しい」
 
 どこか納得いかない表情をしながらも、中身が逆になっている椛とその少し後ろで会釈する文に視線を配り。またお茶を啜り始めた。

「お茶に忙しいって言ったのに、やっぱり入って来ちゃうか」
「それは忙しいという部類に入るのでしょうか……」
「当たり前じゃない、冷めたら美味しくなくなるし。この少しの時間が大事なのよ」
「はぁ、そういうものなのですか」
「ええ、常識ね。それと常識ついでに、神社に御用の方はまずお賽銭を入れるのが礼儀ってものよ」
「あ、そうなのですか。わかりました」

 すると、椛は普段文が新聞入れに利用している肩掛け鞄の中をごそごそと探り、唐笠模様の巾着を取り出すと。
 指先で小銭が入っているかを再確認。そしてその感触を見つけたようで。

「では、行ってきます」
「……文、ちょっと」

 そうやって、すぐに飛び立とうとする文をまた不審そうに見つめてから。
 ちょいちょいっと霊夢が手招き。
 何の用事かと椛は巾着を持ったまま近づいていく。というところで、椛の頭の中にさっきの言葉が思い出された。

『霊夢は一人で住んでいるから、話し相手に飢えている』と。

 そのため椛は、お茶でも付き合え、とかそういった部類だと判断した。
 だから、なんの疑いもなく、霊夢のすぐ目の前まで移動する。
 直後、

 ばさり、と。
 スカートが翻った。

「……はぇ?」

 両手は腰の上で、巾着を掴み。
 そして、棒立ち。
 ゆえに、下半身は完全なる無防備。
 さらに、鴉天狗独特の短いスカートが仇となった。
 そんな状況で霊夢が事前動作無しで、いきなり手を上に振り上げたものだから。

「な、なななっ!」

 つまり完全な、丸見え状態。
 白昼堂々、日の光の中に、鉄壁であるはずの鴉天狗の下半身がさらされているというわけで。
 文姿の椛はもう、何がなんだかわからず顔を真っ赤にして、石像のように固まるのみ。
 そんな中身を、ほうほう、と頷きながら凝視する霊夢であったが。
 リボンを揺らしながら首を傾け、一言。

「あれ、ない?」
「こ、こらぁぁぁっ!」

 その代役と言わんばかりに。
 後ろに控えていた椛姿の文が稲妻のごとき速度で飛んできて、まだ風にふわふわ浮くスカートを無理矢理押さえ込んだ。
 腰回りに抱きつくというなんだか危険な絵になってしまったが、そんなことは言っていられない。

「なんですか! なんなんですか! いきなり人のスカートめくりなどと、無礼にも程があります!」
「ごめんごめん。文の様子が違ったから、てっきり狸か狐でも化けてるのかと思ったのよ。ほら、そういうのって尻尾ついてるじゃない?」
「隠せるわけないじゃないですか! この、面積で!」
「あー、それもそうね。でも、変なのよね。文の様子。椛もそう思わない?」
「まあ、変には違いないでしょうけれど……」

 入れ替わっているのだから、変じゃない方がおかしい。
 それを霊夢は勘の良さで感じ取ってしまったのだろう。
 別人である、ということを。

「当たりだと思ったんだけどな~、もしかしたら狐憑きとかそう言う部類?」
「天狗がそういったものに憑かれるとでも?」
「ま、ありえないでしょうね」

 憑いていると言うよりも、入ってる。
 霊夢は片目を閉じ、湯飲みに残ったお茶を最後まで飲み干してから。ぽんぽんっとその横の廊下を叩き。

「お詫びにお茶でも飲んでいきなさいよ。時間はあるんでしょ?」
「おお、それは助かります。ついでに取材してもよろしいのなら尚良しです。秋祭りの時期ですから、そういった準備等の話題でも結構ですので、ねえ、文? ……文?」

 しかしながら、一つの犠牲のおかげでゆっくりとした取材時間を得ることが出来たのは文にとって大きいことだ。
 そして遠慮なく廊下にあがろうとするが。
 
「えっと、もみ、じゃなくて、あーやー」
「……ぱ、ぱぱぱ」

 椛が第二次パンツショックで固まってしまっているのを思い出し、声を掛けてみるが。やはり動かない。
 なので、仕方なく。

「せいやっ」
「はぅっ」

 とすっと。
 今日二度目のチョップがおでこに炸裂したのだった。



 そして、その神社での取材の後。



「酷い目にあった……」
「実際酷いコトされたのは私の身体なんだけど。でも犠牲のおかげで、なかなか質の良い情報を得られたのは大きいかな~」

 ほくほくと言った様子で表情を綻ばせる外見椛と、項垂れて飛ぶ、外見文。
 さっきの出来事が尾を引きずっているようで、椛は後ろを飛ぶ文を意味ありげに見つめる。

「あー、でも。スカート捲られたときの写真を撮っておけば良かったのにぃ。二度とない経験だろうしぃ?」

 そして、ちょっと意地悪っぽく、椛は文に問いかけた。
 すると椛姿の文はあからさまに目を細めて。

「何を言っているのやら……」

 呆れたと、言わんばかり、袖からカメラを取り出すと。

「もちろん撮ったに決まっているではありませんか、何を馬鹿な」
「あ、そ、そうなんだ……」

 自分の姿であろうとネタにする。
 文の記者根性に、素直に感心させられる椛であった。




 <5>



 
「次は紅魔館」

 びゅーん。

「次は湖」

 びゅーん。

「次は、魔法の森で……」
「冥界は?」
「ちょっと怖い人がいるのでパスで」

 びゅーんっと。

「ふむ、これはなかなか」

 椛の姿で腕を組み、うんうんと満足そうに唸る。
 白狼天狗の共同生活の中、ある程度丁寧な礼儀を身に付けている椛の取材。それが意外と好評で、井戸端会議の奥様感覚で余計なことまで話してくれる。
 それゆえ、予想外の裏情報すら集まった。

「へぇ、あの御方とあの御方が、今度突撃してみましょうか♪」

 それゆえに、若者達が好みそうな、恋愛話も浮上。
 文はもう上機嫌と言った様子で、鼻歌を歌いながら椛の前を歩いていた。
 本当なら、もう戻る予定だったそうなのだが、予想以上に取材が順調であったため。

「お山の神社と人里も」

 などと追加取材に移行し始めている。
 それで、今、勝手知ったる山で紅葉を楽しみながら登山しているというわけだ。手帳を眺め、今日の出来事を確認しながら歩いていた文の後ろで、椛はどこか落ち着かない様子で周囲を見渡していた。

「文、もうちょっと目立たないルートで……」
「なんで?」
「だって、ここ、白狼天狗も通るし……」

 ああ、なるほど。と、文は胸の前でぱたんっと手帳を閉じ、

「心配性ですね、椛は。天狗が通っているだけなら哨戒天狗もチラ見程度のもの。まじまじと見られることはないでしょう?」
「チラ見でも噂とかになったら困る! ただでさえそろそろ身を固めろって言われてるんだから!」
「そんな時期に、同性の鴉天狗と連れ合っていると思われるのは嫌と?」
「そう、特に文は最悪」
「えいっ」

 ぺちんっと。
 文はさっき閉じた手帳で椛の額を叩いた。
 単なる冗談程度の、痛みすら感じることのない強さで。

『何を言っているのやら』

 その程度のお遊びだったというのに。

「無礼であるぞっ!!」

 文が手帳を椛の額から引くと同時に、直上から鋭い声が飛ぶ。
 はっ、と見上げると。
 そこには文の知る鴉天狗が2人。地面から5メートルほどの位置で浮かんでいた。どちらも羽根を大きく拡げて威嚇体勢ではあるが、1人はと言うと目を血走らせているほどご立腹である。
 その証拠に、

「そこへ直れ!」

 怒声を飛ばしてた後、すぐさま急降下し。
 椛姿の文に向かって体当たりを仕掛けてくるほどなのだから。
 けれど、いきなり知り合いの、しかも後輩の鴉天狗と出会ってしまった文は、自分が鴉天狗のときと同じように、対処してしまう。

「甘い」

 空中からの二重の体当たりをあっさり避けるだけでなく、交差する際。
 ペシペシっと。

「っ!!」

 二つの隙だらけの顔面に、手帳での一撃をくれてやった。もうちょっと上手にやりなさいという指導の意味を含めて。
 そんな予期せぬ反撃を受けた鴉天狗の二人組は、再び空中へと舞い上がり。わなわなと震えながら、怒りに顔を染め上げだした。お遊びでなんでそこまで怒っているのかと、文は尻尾を力無く垂らしながら、呆れたように声を……

「あ、あぁぁぁっ!」

 その尻尾の感触で、文は我に返る。
 取材が順調すぎて浮かれてしまったが、自分は今、椛の姿をしているのだと。
 つまり、白狼天狗の姿なのだと。
 その状態で、妖怪の山の中、二人の鴉天狗が空から眺めているのに気付かず、鴉天狗の中でもそれなりに名の知れた文を叩いた。
 白狼天狗よりも上位にあるはずの、鴉天狗を――、馬鹿にするようにぺしっと。

「……うわぁ」

 それだけでなく、それに怒った二人の鴉天狗のお怒りの攻撃。それがあまりに隙だらけだったので、ついつい反撃しちゃいました、と。
 やっぱり、馬鹿にするように、ぺしぺしっと。

「……そりゃあ、怒るわよね、うん」

 けれど、やってしまったのなら仕方ない。
 椛は鴉天狗に反抗的な白狼天狗として有名であり、気に入らなければ意見することもある。その本人が近くで見守っているのだから、平謝りしてそれを汚すなど、あってはならない。文はそんな使命感に襲われ、キッと上空の鴉天狗を睨み付ける。

「申し訳ありません、折檻のおつもりだったのでしょうが、欠伸がでるほど遅かったもので、思わず避けてしまいました」
「き、貴様! 白狼天狗の分際で!!」

 確かに、白狼天狗と鴉天狗が争う場合、白狼天狗の方が立場が悪くなるのは必然。
 しかし、現在。この場には白狼天狗1人に対し、鴉天狗は2人。文姿の椛を加えれば、1対3である。
 そういった正々堂々としていない、まるで加虐のような状況の場合は例外的に白狼天狗も鴉天狗と同様の立ち回りをしても良いこととなっている。

「さあさあ、お二方ご一緒に、是非ともご指導願えますかな?」

 つまり、多勢に無勢なら、やっちゃってもいいよ、と。
 だからさらに挑発するため、文は刀と盾を捨て、両腕をだらりと下げた。お前達相手に、武器も防御もいらないと、そう伝えるため。
 通常の白狼天狗が1対多数の条件を利用した場合、ぼこぼこにされるのが関の山ではあるから、誰も使わない。けれど素の身体能力の高い椛の身体と、鴉天狗の性質を良く知る文の知識が加わることで、状況を逆手に取れる。

 そうすれば……本来、白狼天狗が頭を下げなければいけないこの場面で。

『文の不注意で、椛が鴉天狗に頭を下げた』

 その事実を残さずにすむ。
 文が勝てば、白狼天狗に二人がかりで負けたことも報告しなければならないこととなり、椛の不名誉も書面上に記載されることなく、場を乗り切れる、と。
 そして文が元の身体に戻ってからさりげなくフォローすれば、なんの後腐れもなくなるはずだ、と。
 上空の鴉天狗は、弾幕勝負も真剣勝負も経験の浅い相手。
 千年以上生きる文との差など言うまでもない。
 その経験上、狙うは冷静さの残る攻撃、ではなく。
 わざと相手を興奮させ、怒りのままに速度を乗せた攻撃を出させる。
 それが文の狙いだった。

 白狼天狗は力が、鴉天狗は速さが武器。
 そんなお決まりの知識しか持っていない、経験不足の相手なら。
 速さだけを追求した攻撃を放つ機会が多いはず。
 それはきっと普通の白狼天狗にならば十分効果的な攻撃となりえるのだろうが……

 椛の瞳の前では、カウンターを狙ってくれと言っているようなものだ。
 攻撃を仕掛けた時点で、敗北が確定。
 さあ、早く来い、と。文が身を屈め軽く拳を握る。
 だが、その二人の鴉天狗が動くよりも早く。

「あ……」

 誰かが、文の首ねっこを強く掴んで。
 おもいっきり、前に倒した。

「え?」

 何が起きたのか、それを文が知るよりも早く。
 その額は荒々しく地面に擦りつけられ、慌てて身体を起こそうとしても、

「い゛っ!?」

 頭の上についている耳を強くねじられ、身動きすら封じられた。
 そうしている間にも、今度は首の上に相応の重さが加わって、また文はくぐもった悲鳴を上げることになる。
 腕とは違う、太い筒状の重圧。それは間違いなく、折り曲げた足での圧迫だ。
 つまり、文は、椛の姿のまま。
 うつぶせの状態で地面に這い蹲らされ、抵抗出来ないように弱点の耳と首を押さえ込まれるという、屈辱的な状態を晒していると言うことになる。

「少々、立場をわきまえた方がよろしいかと……」

 文の上で声を発する者。
 文の姿をした、椛本人の手によって。




 <6>




「すみません二人とも。こちらの指導不足のせいで、気を悪くさせてしまいましたか」

 文が無礼な白狼天狗を押さえ込んだ。
 それを確認した二人の鴉天狗は、まだ警戒しながらもゆっくりと文の前に下りた。

「そんなっ! 気にしないで下さい、文様! こちらの無礼な白狼天狗が悪いのです!」
「そうです! 文様を馬鹿にするようなあの態度! 許せるはずがありません! 是非とも私たちにも指導の機会を!」
「なりません!」
「ひっ!?」

 けれど、椛は戒めるように大声を出し、近づこうとする二人の動きを止める。その威圧感はまさに、いきり立つ狼そのものであった。
 
「1人の相手に多勢でかかること、それが鴉天狗の品性を下げるとは思わないのですか! 作戦行動ならまだしもこのような私闘でなどとっ!」
「そ、それは……」
「わかりませんか? 私はこの白狼天狗を庇っているのではありません! あなたがたに誇りある鴉天狗であって欲しいと願うから、止めているのです!」
「文様……」
「こほん……それと、私が白狼天狗を自由にさせていた。などということは後生に残すには少々恥ずかしすぎますので……今回の事件はなかったことにしていただけると助かります……それに私はまだ、この子を連れて取材をしなければいけないので」
「は、はいっ! もちろんです。文様!」
「私たちも、誇りある鴉天狗いられるよう! 頑張ります!」
「それじゃあ、解散」
「はっ!」

 文姿の椛に言いくるめられた二人の鴉天狗は、風音だけを残してその場から離れていく。それを眺めながら、椛は。

「……文? 大丈夫?」
「口に中が砂っぽい」

 皮肉を受けながらも、文を解放し距離をとった。
 あまり仲良さそうにくっついていたら、また妙な誤解をされるとおもったのかもしれない。

「椛、あなたという人は……」

 文は椛が何をしたかわかっていた。
 長年鴉天狗をやっていたのだ、わからないはずがない。
 今、椛は、文を立てた。
 自分の誇りを犠牲にして、文の鴉天狗という立場を守ったのだ。
 白狼天狗が鴉天狗にかしずく姿、それは妖怪の山では普通かも知れないが、そのあまりの手慣れた仕草で、文は別なことも悟ってしまった。
 椛が、白狼天狗が、鴉天狗を嫌う。本当の理由というヤツを。
 だから、素直に受け入れるわけにはいかない。そう判断し、椛に理由を求めたが、椛はぷいっと顔を逸らすばかり。

「文も同じことをしようとしたから、文句を言う資格はないと思うけど?」
「……さて? 身に覚えがありません」

 そして、椛もわかっているという。
 白狼天狗として、ずっと山で暮らしてきたのだからわからないはずがない。
 文は、白狼天狗である椛の誇りを守ろうとした。
 そんなことは、常識的に考えて天狗社会では絶対にあり得ないというのに。
 椛の前であっさりそれを選択していた。
 だから椛は、文を立ててやろうと思ったのだ。
 白狼天狗は差別されるのが常識、それが鴉天狗の先代から伝えられているはずなのに。それよりも、椛個人のことを優先した文の姿を見ていたら、素直に身体が動いていたと。正直に文に伝えた。

「やっぱり文って、どこか天狗らしくない。人に近い天狗、って言われるわけだ」
「私としてはソレは褒め言葉の部類だけどね」

 本当に曇りのない顔で、心からそう言う。
 そんな文の姿と、さっきの鴉天狗に向けた態度。
 それを考えただけで、椛は思わず笑みが零れてしまっていた。

「とにかく、なんて言おうとも。文が変なコトしようとしたから、私も返した。たったそれだけ」
「そのために自分の身体を地に這わせるとか、私には出来ませんね~。あ~やだやだ、これだから白狼天狗は。被虐的な願望でもあるんですかねー、まったく」
「ぷ、あははっ」
「……何でそこで笑うのやら」

 文はばつが悪そうに、獣のような耳の裏を指で掻いた。
 もしかしたら、照れくさいのかも知れない。そう思った椛はここぞとばかりにくすりっと微笑んで。

「それと、文もなかなか、後輩から好かれてるみたいじゃない?」
「……」
「文様~、なんてね。私だって様付けで呼ばれたことないのにさ」
「……人里です」
「え?」
「人里に行きましょう。山の神社はもう行かなくて結構っ!」
「あ、ちょ、ちょっと! 文!」

 脱ぎ捨てた刀と盾を腕に抱えて、慌てて里の方へ飛んでいってしまう文。
 しかし、悲しいかな。
 その身はしっかり白狼天狗。

「文、それ、しっかり動いてるからね」

 空中を飛びながらでもしっかりその尻尾は揺れていた。
 ぱたぱたと左右に、元気よく。
 どういった感情であるかなど、白狼天狗歴の長い椛にわからないはずがない。
 その姿に、どこか微笑ましさを感じながら椛も送れて飛び立って。

「……もし私に尻尾が残ってたら、ずっと揺れ続けてたかも」

 誰にも聞こえないように、こっそりとつぶやいたのだった。




<7>




 昼も過ぎて、ちょうど小腹も空いてくる時間帯。
 仕事の夫を待つだけの主婦も、家事を終えて一段落。そんな頃、里の甘味処には、日頃の鬱憤を溜めた主婦の方々が押しかける。
 がやがやと、ところかしこでひっきりなしに繰り広げられる会話を聞いているだけでも、人里の取材になるというまさにベストポイント。家事の途中の井戸端会議よりも大胆な内容を聞けるのも、大きな利点だ。

「やはり他人の会話を聞いているだけというのは楽ちんですね。椛もやっと慣れてきたようですし。あ、ご主人、草団子の追加を一つ」
「……」

 そして、その甘味処の一番端の席で、上機嫌に団子を摘む白狼天狗と、なぜかぐったりと上半身を机に密着させる鴉天狗の姿が。

「食べますか?」
「……もういい、疲れた、寝る」

 文姿の椛がどうしてこうもグロッキーかというと。この場所に来た瞬間。

『あ~、文ちゃん! ちょっと聞いてよ! またうちの馬鹿ったらさぁ!』

 挨拶するが早いか、一瞬のうちに奥様方に囲まれ、テーブルに引き込まれ。その後1時間ぶっ通しでパワフルな世間話を聞かされ、意見を求められ、とにかくもみくちゃにされ続けた結果。ご覧の通り精神的に疲労困憊というわけである。奥様方の精神力は、まさに魔物のそれであった。
 そんな魔物の檻の中で椛が助けを求めている間、文はどうしていたかといえば……、
 喫茶店に入った直後、即座に一番隅っこの席に陣取り、お茶を楽しみながら椛の会話をメモしていたというわけだ。

「おやおや、だらしないですね。普段の私なら、要件だけを聞き20分以内に取材を切り上げ、ここからさらに4件ほど回るんですよ?」
「よ、4件……、ってもしかして……」
「ええ、もちろん。甘味処や、茶屋を。人里の中にいくつあると思っているのです?」
「4件も……」

 静かな木漏れ日の中、自然に溢れた世界で午後を過ごす。
 そんな普段の生活とはまるっきり逆の世界に連れ込まれ、椛の精神はすり減ってしまった。そんな地獄の場所があと4つもあるという。
 椛は、うーっという不思議な呻きを漏らしながら、しくしくと涙を流し。

「あ、大丈夫です。今日はこの一件で終わりですから」
「えっ?」

 人里に入り文の口調だけは丁寧モードに入っても、鬼のような取材がまた続く。そう思っていた椛の顔に、生気が戻った。

「ほ、本当でしょうね!」
「ホントホント。秋祭りの情報は記事になる程度仕入れられましたからね。その他の情報もなかなか。必要以上のことを聞いてもやぶ蛇になりかねませんし、後はゆっくり過ごして、夕方山へ戻ることにしましょう。だから、そちらも団子を食べて良いんですよ?」
「……で、でも、どうせ私の分は私が出すことになるんでしょ?」
「ああ、大丈夫です。必要経費は惜しみませんから。良い記事のためには、良い休息が必要なんですよ。それに、今の椛の身体は私のモノなわけですから。自分が食べるものは自分が払って当然であるべきでしょうね」
「そ、それじゃあ……、すみませーん! 草団子3本、みたらし6本! 後、お茶のお代わりをくださいっ」
「おやおや、やっと調子が戻ってきましたね。結構、結構」

 今のやりとりで、『私の食べた分は椛の支払だから』と、切り返しができるのだが、それをまったく考慮せずに、嬉しそうに団子を頼む。それが椛の甘さだと指摘しようとした文だったが、注文してから団子を待つ椛の顔を見た瞬間、その腰を折り、背中を丸めた。
 団子の味を思い出しているのだろうか、表情をわずかに溶かして、瞳をキラキラ輝かせるのはまるで外見相応の少女のようであった。さきほどのやつれた顔と、あまりに対照的すぎて耐えられなかったのだ。元々は自分の顔のはずなのに可笑しくて、笑いがこみ上げ、吹き出しそうになってしまったのである。
 
「な、何よ」

 その異変に気付き、ちょっぴり顔を紅くしながら口を尖らせる。そんな椛の反応すらも、初々しい過去の自分を見せつけられているようで、余計に可笑しくてしょうがない。
 なので、記念にパシャリと。

「な、なんで撮るの!」
「いいじゃないの、それに元々私のモノだってさっきも言ったでしょ? 自分の姿を撮ったって、後で椛が恥ずかしい思いする訳じゃないんですし」
「そりゃあ、そうなんだけどさ……」
「じゃあ、そういうことで~、ほら、団子も届きましたよ?」
「……んー、なんか納得いかない」

 そうやってカメラを向けられながら、椛が団子を手に持ち。
 食べにくそうに、控えめに口を開いた。
 そんなときだった、隣の机からこんな声が聞こえてきたのは。

「そういえば、小春さんのお母さん。今日は見えないね。どこにいったのやら」
 
 文はカメラから顔を離し、奥様方の方へと視線を向けた。

「病気に掛かって今日は永遠亭の診療ですって。小春ちゃんも一緒に行ったらしいわよ」
「そうね、でも、いつもならこの時間に帰ってきているはずよね? 昨日聞いたら、今日も一緒できるって話だったんだけど」
「さあ? 診療時間が長引いているんじゃ?」

 いつもお茶を楽しみにやってくる1人の主婦が来ない。
 たったそれだけのこと。
 そんな、日常的なやりとりを獣の大きな耳で受けた文の顔はというと。

「うわぁ……」

 団子の味を想像しているときの椛と同様に、みるみる輝いていく。
 新しいオモチャを見つけた子供のように、とでも表現するべきだろうか。
 しかし、その表情が明るくなるにつれ、椛の不安は限りなく増大していく。

「ねえ? 私まだ団子食べ始めたところだし、お茶のおかわりも貰ってないんだからね?」

 ゆえに、椛は先手を打った。
 まだ自分は食事の真っ最中である、と。
 また一本団子を口に運びながら、

「まだ、6本も残ってるんだからね?」

 念入りに言う。
 今日はこれを食べて山に帰るんだ、と、暗に訴えながら。
 それを見て文は苦笑しながら、頷いて。

「わかってますってば」

 椛の心配を余所に、すくっと立ち上がり。
 びしっと元気よく挙手。

「すいませーん! 残りの団子持ち帰りで~っ! お茶は取消っ!
 それで精算お願いしますっ!」

 取材終了宣言、さようなら。
 文が口にしてから10分程度後、あっさりと破棄されてしまった穏やかな昼下がり。店員が素早く笹の葉で団子を包んでいくのを目の前で眺めた椛は。

「やっぱり、わかってなかった……」

 店の外に出て、速く出てこいと呼ぶ。
 そんな文の声に従うまま、肩を落として外に出ることしかできない。
 綺麗に包まれた団子を、右手に下げながら。

「遅いですよ、一体何をしているのやら」
「……文、今日はこれで終わりだって言ってなかったっけ」
「状況は刻一刻とかわるものですよ。そんなに団子が恋しいなどとは、椛は意外と食いしん坊ですね」
「はぁ……」

 すぐさま空に飛び上がり、竹林を目指す。そんな文としばらく並んで飛んでいた椛は、人里が視界の中で大分小さくなってから、文の脇腹を肘で軽く突く。

「なんで人間が病気になっただけって話なのに、取材しようと思ったわけ?」
「おやおや、やはり山に籠もっていてばかりではそういったことも想像できないのですね。いいですか、椛。さきほどの会話の中に出てきた人間は、普段あの奥様方と会話を楽しむ仲であり、おそらく今日もその約束をしていたと推測されます。
 診察を受けて、午後には人里に帰れる。そう予測出来るほどの軽い症状だったのでしょう」

 人里口調のまま、文は当然と言った様子で椛に答えた。

「それが、違ったってこと? でもどこか寄り道しているだけじゃない?」
「人里の人間にとって、日中でも外は危険なのですよ。そんな中で道草をするというのは、明らかに私たち側の発想でしかありません。ですから、予定よりも遅く帰ることになったということは、診察中に何か問題が発生した可能性があります」

 予想以上に重病だったり。
 人里に戻れば、被害が拡大しかねない感染症にかかっていたり。
 もしくは何らかの要因で、人里の人間が診療所に押しかけ、なかなか順番が回ってこなかったり。
 可能性を並べてから、文は言葉を続ける。

「様々な要因があろうがなかろうが、それは新聞ネタとなりえるというわけですよ。こういった日常的な話題は受けがよろしいもので、押さえて損はないのです」
「でも、それだと山の妖怪向けにならないんじゃない?」
「だからわかっていないと言うのです。山だ人里だと言っているうちは本当に魅力的な記事なんて書けませんよ。実際山の有力な新聞などは、ずっとあの山の神社の動向観察とかを繰り返すばかりで、情報におもしろみがないじゃないですか。そういった足りない部分をお知らせするのが私というわけです」
「へぇ~、そういうの考えてるんだ」

 文はただ好みで新聞を作っていると考えていた椛であったが、なかなかどうしてこだわりがある。それを直接声で聞いて、感嘆の声を漏らし。

「それに、いち早く情報を回すことで、救われる人がいる。私の新聞でそういうものが伝えられたら幸せじゃないですか」

 少しだけ恥ずかしそうに椛に告げる文の、その充実した顔。
 椛はそれを横目で見て、進むのやめてしまう。信じられないモノを見るかのように目をぱちぱちさせて、空中で棒立ちになっている状態だ。
 それを気にして、先に進んできた文が戻り、近づいてきたところで。
 すっと、椛姿の文に右腕を伸ばし
 ぴたりとおでこに手の平を当てて一言。 

「あれ、熱がない……」
「どういう意味ですか」
「はぅっ」
 
 今日3度目のチョップが椛に襲いかかった。

「いや、だって……、変なこと口走るから体調でも悪いのかなって」
「詳しく解説していただかなくても結構。私だって新聞に思い入れの一つや二つあるんですからね」
「馬鹿にして悪かった。今後は言いません」
「はい、それでよろしい」

 鴉天狗であれ白狼天狗であれ、お互いの仕事に誇りを持つ。
 それを再確認するように、文と椛はどちらか等とも言わず微笑みあって。
 
「……それと、人の生き死にが関係すると、意外に部数が伸びるんですよね」
「はは……はははっ……」

 あっさりと外道に早変わりする文に向け。
 微笑みを引きつらせる椛なのだった。




<8>




「おにごっこ!」
「は?」

 人里に帰ってきていないその親子の情報を調べようと、妹紅の案内で永遠亭までやってきたとき。
 診療所の前でうろつく鈴仙に出くわした。
 それで、何かあったのかと聞いたら。

「だから、おにごっこ中なんだってばっ!」

 これである。
 まったく状況が掴めない。しかも鈴仙は相当に余裕がないのか、一旦二人を放置した状態で、人型の妖怪兎の二人組に細かな指示を出す。
 捜索範囲や、隊列の組み方等々。
 指示を出し終え、その妖怪兎が竹林の中に消えていった後も、落ちつきなく周囲を見渡している。

「あのー、状況を教えていただいても」
「てゐに聞いてよ、あの子の訓練態勢が甘いからこんな大袈裟なことになったんだから。月だとこんなことありえないし」
「あーあー、なんでこういうときだけ私を妖怪兎の代表みたいにして言うんだろね。鈴仙が表向きのリーダーなのにさ。それに師匠の許しもないのに、私がこの新聞記者に話しちゃって良いわけ?」

 そしてもう1人の妖怪兎も、診療所の壁に背を預けサボっているように見えながらも、鈴仙が対処しきれない部下、人型でない兎たちに命令を送っていた。

「う、わ、わかったわよ。私が師匠に繋いでくるから、みんなへの指示お願いね」
「はいは~い」

 文姿の椛は、その慌ただしさを呆然と眺めているばかりで、逆に椛姿の文は、活き活きと手帳に文字を書き記していく。
 見るからに、文が待ち望んでいたような事件が発生したようなのだから。
 そうやって、待つこと数分。

「ごめんなさいね。ちょっと今、取り込んでいて。取材どころじゃないのだけれど」

 永琳がどこか疲れた様子で中から出てきた。
 鈴仙とてゐが兎の指示をしているため、中の患者を1人で対処しているためだろうか。

「出てきていただいて大丈夫なのですか?」

 それを心配して文姿の椛が尋ねると、

「ええ、今日は特別な患者がいたから、診療はその1人だけにしたのよ。急患もこなかったから」
「そうでしたか。しかしこの状況は一体」

 椛姿の文は、一字一句逃すまいと、獣耳に神経を集中させた。
 永琳から何か核心に迫る何かが出ると判断したからだ。
 だが、永琳から出てきた言葉は、

「おにごっこ中なのよ……」
「……は?」

 さきほどから鈴仙が繰り返していた言葉と、まるっきり一緒だった。




 
『おにごっこ』

 これがひとつ目のキーワードだった。
 この言葉は遊びのようにも聞こえるが、誰かが誰かを追いかけるという意味を含めて使われているようだ。
 となると。
 もしかして、その診療中に親子のどちらかが逃げたのか。
 と、文が尋ねると、永琳は静かに頷く。ただ文たちがそれ以上踏み込むなら、と、条件を提示してきた。

『二人とも、おにごっこに加わること』と。

 もう一つ。

『新聞には真実を隠して載せること』と。

 二つ目の条件だけは、真実を知ってから考える。
 という文側が回答しても、

『それでいいわ』

 と簡単に了承してしまうのは、それだけ手が足りないと言うことなのかも知れない。
 ただ、それだけ聞かされたとき文の中には疑問だけが残った。
 椛も手伝えと言われてどこか納得のいっていない様子だ。
 普通の獣姿の妖怪兎ならまだしも、人型の妖怪兎が全班態勢で動いている。それなのに天狗にまで助力を願ったのだ。
 不自然と言わずしてなんと言おう。
 相手は、単なる人間なのだから。
 そんな疑問をぶつけると、永琳は、最後に別な言葉を付け加えたのだった。




<9>




 妖怪兎たちが手こずる理由。
 その真実がどこにあるのかというと。

「夕日の中で、おにごっこ、ですか」

 相変わらず椛の姿をしたままの文が、椛の横で囁いた言葉にあった。

「椛はわかった?」
「夕日と言うことは沈む、とか、赤とかそういうこと、かな? 子供が遊びすぎて親に叱られるような風景も想像できるけど」
「おお、椛にしては鋭い」
「何よその言い方……、って、あれ? その言葉が出てきたってことは、もうわかってる?」
「ええ、こんなもの朝飯前ですよ」

 幻想郷を誰よりも、詳しく、長く。
 記録だけで言うなら稗田家にひけを取らないほど、観察してきたのが鴉天狗だ。
 その中でも文は異質中の異質。
 妖怪の山の組織と、人に近い立場、その両方から世界を眺め続けた唯一の存在である。文にとってそれくらいの言葉遊びなど、問題にはならない。過去の事例に照らし合わせれば、難なく解読出来ると言うもの。

「おにごっこ、という言葉の中には、確かに逃げるという意味合いもある。でもこういった遊びは人間の大人は好まない。となれば、永琳さんの情報を得るまでもなく、逃げているのは子供だという情報を知り得るわけ」
「な、なるほど、でもそうなるとやっぱり……」
「ええ、その二つ目の疑問。永琳さんが事実を伝えず、さらには取材をするな、と私たちに伝えた内容が、夕日の中で、に含まれているわけで」
 
 つまりは、人間の子供が妖怪兎から逃げ続けることが出来るか。
 それに尽きるのだ。
 人間とはあまり付き合いのない椛でも、人間の子供と妖怪獣とが追いかけっこをした場合どうなるかなど、問われるまでもない。
 さらに、この竹林は妖怪兎たちの庭と言って良いのだから、

「夕日の時間に人間の身体能力が上がるなんて、聞いたことないし」

 その絶対に出来るはずがないことが、椛に違和感を与え続けている。
 
「まあ、その前提がもう間違いなんですけどね」
「わかってる。人間の身体能力がそんな簡単に上下しないってことくらい」
「いやいや、そこではなくて」
「……そこじゃないって」

 椛は自分の言ったことを思い出す。
『人間の身体能力は簡単に上下しない』ということしか言っていないはずだ。
 そこで能力が上下しないということが否定されたら、一体何処が間違っているというのか。椛はまた、首を捻って考え。
 
「え?」

 不意に、ソレに気が付いて、声を漏らす。
 自分でもその結論が信じられないと言った様子で。

「……その子供が、人間じゃ……ない?」
「ご名答」

 けれど、文はそれが正解だと言い切る。
 それが、夕日の中だと。

「昼と夜の間、その微妙な時間帯。両方の属性を持つ、自然の奇跡とも言える時間です。それを人間と妖怪に当てはめてやれば、答えはでるでしょう?」
「でも、精神に依存する妖怪と、人間との間で、子供なんて……」

 それでも納得のいかない椛に向け、文は決定的な単語を突きつける。

「森近 霖之助」
「っあ!」

 前例など、いくらでもある。
 彼がこそが、妖獣やわずかに肉体に依存する妖怪であれば、人間と子をなすことができる証明であった。
 それに、文はゆったりと人間と妖怪が混ざり合う幻想郷の中で、そんなことを何度も見てきた。妖怪の山にこだわらず情報を集め続けた結果。人間と妖怪の混血が少ないながらも存在することも知っている。あえて素性を隠す個体さえいることも。

「だから身体能力と夕日で確定、ってところ。加えて、夕日の中でおにごっこということを人間の常識で当てはめれば、帰らなければいけない時間に遊び続ける子供を想像できる。
 つまり、逃げている理由は、診療所に戻りたくないから」

 永琳がこの事実を公表して欲しくない。
 そう提案したことも、繋がってくる。
 
「自分が混血であることを認めたくないか、もしくは興奮状態で暴れ回る等々、妖怪兎だけでは連れ戻すのが困難な状況には違いない」

 それに、だ。
 自分が人間だと認識しつつ育てられた子供が、いきなり『別物』という事実を突きつけられた後どうなるか。
 その多くが、悲劇的な最期を迎えていることを文は知っている。
 もちろんそれを看取ったことの多い永琳も、把握しているに違いない。

「だから隠さなければいけないほど、深刻な状況だと思わせる狙いもあったのかもね。私が気付くと踏んで謎かけをしたのも、それを強めるため。それでも相手は永遠亭の頭脳となる御方、まだ深い意味合いがあるのかもしれないけど」
「そんなことまでわかるんだ……」

 文の推理の鋭さに心底驚く椛であったが、ただ、それ以上に……

「やっぱり引き受けなきゃ良かった」

 文の言葉の後、椛は周囲が一気に冷えたように感じた。
 一面日陰が広がっているので急激な温度変化はないはずなのに、ぞくり、と。簡単な人捜し程度で引き受けたことに、後悔の念が浮かび上がってるせいかもしれない。

「ねえ、文やっぱり……、これは私たち天狗が介入して良いことじゃないんじゃ……」

 あまり状況を知らない自分たちが余計なことをして、最悪の結果を招いたらどうするのか。そんな思いが椛の中で浮かんでは消える。
 それを文に伝えてみるが……
 心を込めて伝えてみるが……

「……でも、悲劇の方が記事としてウケたりもするんですよね」
「文ぁ……」

 なんだろう、この既視感。
 またしても椛の姿をしたまま外道とをつぶやき始める文の横で、急な頭痛に襲われる椛だった。
 その言葉から判断して、文はもうやる気満々。
 子供が無事であろうが、それ以外であろうが、取材のネタとして押さえる気だ。

「……せめて、兎たちの邪魔をしないように、指示を待って探そうね」

 と、椛が釘を刺しても、ぬかに釘状態。
 とりあえず、文が現状のメモを書き終え袖の中に手帳をしまい込み。続けて千里眼の能力を発動させたところで、椛は諦めた。
 が、そのとき、竹の上から人型の、てゐよりも小さい妖怪兎が二人の前に文字通り降ってきて。

「――!」

 まだ人語を話せないのか。
 身振り手振りに必死に何かを説明しながら、ある方向をしきりに指差す。最期にはもう引きずってでも行こうとするように、文の白狼天狗装束を引っ張り始めた。
 この反応は、間違いなく大当たり。

「椛っ!」
「言われずとも!」

 そして文姿の椛は空中へ、
 椛姿の文は、その妖怪兎をむんずと脇に抱えながら。

 どんっと。

 竹がしなるほどの強風を撒き散らしながら、加速する鴉天狗と。
 地面の落ち葉を砕き、土を巻き上げながら加速する白狼天狗。
 その白と黒は、竹林の中に鋭い線を描き、示された場所へと突き進んだ。

 


<10>




「――っ!」

 ばんばんっと。
 鳴き声を上げながら、脇腹で抱えられっぱなしの妖怪兎が文のお腹を強く叩いた。

「イタ……」

 竹を蹴り、掴み、しならせ、数本の竹を減速機代わりに利用しつつ、文は妖怪兎の視線と己の視線を合わせる。
 
「なるほどね、簡単な言葉ならできるわけですか。それであれが目標、と」

 こくり、と。
 地面に下ろされた妖怪兎は頷いた。
 20メートルほど先に見えるのは、竹林の切れ目。
 竹に少しだけ隠れて見えにくくなってはいるが、十分確認できる。齢は10歳を過ぎたばかりの子供、桃色に赤い帯をした可愛らしい少女。肩まで伸びた黒髪は艶やかで、弾ける若さを感じさせるばかり、のはずなのだが。
 
「なかなかやんちゃそうな姿ですね」
「やんちゃで済ますんだ、アレ」

 文の上空で待機していた椛も少し高度を下げて、その様子を見守る。本来は愛らしい姿をしているはずのその少女は、低い唸り声を上げ、体勢を低くし四つん這いになっている。わずかに腰の方が高く上げ、指先を地面に食い込ませながら周囲を睨む様はまさしく肉食獣の威嚇行動。その周囲を3人の妖怪兎が取り囲んでいたが、誰も捕まえに行こうとせず一定距離を保つばかりだ。

「あの様子からすると、父親か母親は妖獣に近い様子。それにしても、すぐに捕まえないのはどういった理由で?」

 その姿を不思議そうに文が見ていると。文の近くにいた妖怪兎がまた文の服をちょいちょいっと引っ張って、引っ掻いたり、噛みついたり、の仕草を見せる。
 
「なるほど、それが怖くてあの妖怪兎たちは近寄らないのですか」

 人里で小春と呼ばれていた人間の少女は、見たところ妖怪の血に目覚めたばかり。恐怖からくる極度の興奮状態で、攻撃的になっているものと思われる。ただ、それを追いかけていたの妖怪兎たちの編隊にも多少問題はあるようだ。

「文、距離による錯覚かもしれないけど、この兎よりもあっちの兎の方が小さく見えない?」
「ええ、そのようで」

 椛の言葉にコクコクと上下に頭を振る妖怪兎。
 この兎はまだ簡単な単語しか話せない若者。その若者が自分より小さいというのなら、少女を取り囲んでいるのは新米中の新米に違いない。だから、人型の相手の対処法などわからないまま捜索隊に加わって、偶然、出会ってしまったといったところか。
 たぶん、少女の前でぴょんんぴょん飛び跳ね、自分を大きく見せようとするのは威嚇返しのつもりなのだろう。そうして相手を固めている間に、ベテランの誰かを呼んで対処してもらうとして。
 それが一番近くに居た文と椛だった。

「これだから怖がりさんは困りますね、鴉天狗だとお仕置きものですよ」
「白狼天狗だと厳罰……」

 しかし、改めて冷静に見ても、
 威嚇する人間の少女の前で、ぴょんぴょん飛び跳ねる妖怪兎3人娘という映像でしかない。なんだか微笑ましい状況にしか見えなくなってしまう。
 だが、やはり近場にいる妖怪兎は何か切羽詰まった様子で、
 
「アノコ、タチ、トベナイ!」

 そんなことを訴えていた。
 飛べないからどうしたと、素で返そうかと思った文だったが、もう一度その先を探ってみる。
 竹林を背にして妖怪兎3人。
 こちらむきに少女が1人。
 1対3。

「あやや?」

 ここで、純粋な疑問が残る。
 なぜ、兎たちが竹林側に背を向けているのかと。
 1対2ならまだ、その布陣もわからなくはないが、3人いるならせめて取り囲むのが当然だろう。
 もしくは、自分たちに有利な竹林に追い返すため、全員が反対側に回り込んでもいいくらいだ。

「トベナイ!」

 そこでまた、悲鳴じみた声が文の耳に飛び込んできて。
 やっと文は気付く。
 その結論なら、この妖怪兎の必死さも理解できる。
 兎たちは回り込まないんじゃない。

 回り込めないのだ。

 少女の後ろ、3歩ほど下がったところから。
 地面が消え去っているのだから。

「ねえ、文……」

 どうやら椛もその危うさに気付いたようである。
 文よりも高い位置で角度をつけて見られるせいで、それがよくわかったのだろう。竹林を抜けた崖のような場所、少し開けているとは言っても十分な広さがあるわけではない。その先がどうなっているのか。それははっきりと見えないが、今4人がいる場所がもし、切り立った崖のに、地面が抉れている場合。
 この妖怪兎が怯える本当の原因がそれならば――
 そんな場所で、妖怪兎はぴょんぴょんっと跳ねていることになる。

 ミシ……

 獣の兎でいたときと、同じように。
 そのときはきっと、そこで遊んでいても問題なかったとしても、だ。
 妖怪兎として変化した今、小さいといっても兎と人型では質量が圧倒的に違う。
 それがもし、不安定な地盤の上だったと仮定するなら。

 ミシミシ……

「ねえ、椛? ……軋むような音が聞こえませんか?」
「……聞こえない、けど?」

 文姿の椛には聞こえず、椛姿の文には聞こえる。
 文の側の妖怪兎も動きを止め、不安そうに耳を崖の方向に向けていた。
 崖の上の妖怪兎も一時的に飛ぶのをやめて、視線を下へと。

 聴覚に優れた、獣耳を持つ全員が一斉に同じ反応をした。
 それ以上に、文が動く理由など必要ない。

「くっ!」

 瞬時に動かなければいけないのに、一度体を沈めなければいけない白狼天狗の身体。
 それを憎いと、文は今日初めて感じた。
 普段なら風を推進力にして、加速力を生み出せるというのに。
 それだけで、コンマ数秒の違いが出る。

 そして、その瞬きするほどの時間を悔やまなければいけない瞬間が、

 がらり、と。

「っ!」

 最悪の瞬間が、地面を蹴る前にやってくる。
 文の目の前で少女の足場が最初に崩れ、その身が足場の中に消えていく。
 そして、文が一歩、二歩目を踏み出した時には……

 妖怪兎3人がいた場所まで、ヒビが入り崩落に飲み込まれていく。
 一人は何とか落ちる前に飛び上がり、無事な地面にしがみ付くことができていた。
 が、

『この馬鹿っ!』

 文は心の中で毒づきながら竹林の中で加速し、一気飛び出す。
 そのおかげで開けた視界でやっとその状況を整理することができた。
 椛の目のおかげで、その風景は一層鮮明に、現実的に見えて。
 その瞳は、思わず揺れる。

 無理だ、と。

 先に落ちた少女が見えれば直線的に飛ぶだけでいい。
 そう思っていた。
 しかし、その視界の中に少女の姿がない。
 時間差で岩が崩れ、しかも一人の妖怪兎が地面を蹴ったせいで、その位置が崖側に滑った。
 そのせいで、二人の妖怪兎が乗ったままの、小さな家ほどの大きさの岩が邪魔となり、先に落下したはずの少女の上になってしまっていた。
 しかも自由落下を始めた岩はもう10メートルも下。
 崖の高さはおよそ30メートルとしても、その衝突までおよそ1.5秒……
 刹那にそれを判断できてしまう瞳の凄さに呆れかえりながら、文は慌てて下方向に飛ぶ向きを変える。
 が、やはり……、初速が足りない。
 耳では椛が後ろから飛んでくる音を感じるが、風を操りきれない椛では間に合いそうにない。

 助けるとするなら岩の下の少女か、上にいる妖怪兎か。
 上にいる妖怪兎の足場を直線的に破壊して、なんとか少女まで突き進むか。

 最低でも、どちらかを見捨てるしかないのに……

 妖怪兎の二人は、必死で上にいる文に手を伸ばしていた。
 助けて、と。
 跳ね飛ぶこともできず、恐怖で全身を震わせて、生きたいと願う。
 それは岩の下にいるはずの少女も同じはず。

 両方救うのは不可能なのに。
 それでも、文は強く。
 一瞬だけ強く、思った。

 もしも、と。

 斜め後ろに控えているはずの椛を想い。

 強く願った。





 ――椛は、音がしたと言ってから文が走り出したのを見て、正直に思った。

 遅すぎだと。

 椛は妖怪の山で、災害の音をよく聞いたことがある。
 雨が多く振った時などは、地滑りを警戒し、地面に耳を当ててその変化を感じ取る仕事だってあるのだ。
 だから、崖付近で何かが土の中で軋む音がしたのなら。
 それは間違いなく、根が引きちぎられ、地盤が崩れさる音。
 だからこそ、自分が動くべきだと慌てて加速しようとして。

「くっ!」

 風のコントロールが上手くいかず、加えて竹の合間を飛ぶという奇怪な飛び方を要求される中で、どうしても速度に乗り切れない。
 だから、椛がなんとか竹林を抜けた時にはもう。視界の中には下方向に向きを変えようとする椛姿の文と、二人の妖怪兎が乗った大きな岩場が直線状に並んでいる状況。
 先に落ちた少女は、間違いなくさらにその下。
 
 無理だ。

 絶望的な状況を見せつけられ、椛は瞬時に判断する。
 椛は風の操り方も不十分で、速度も出せない。
 だから、どちらも救えない。
 常識的にはそう考えてしまうのに。
 椛の中には諦めの感情も、

『妖怪の山に関係のない命には干渉しない』

 そんな規則に縛られているはずなのに、見捨てるという選択肢がなかった。
 ただ、悔しいという感情が意識を埋め尽くし。

 もしも、と。

 眼下の椛姿の文を想い。

 強く願った。

 瞬間、どくん、と。
 心臓が何かを告げるように大きく鳴って、意識が反転した。





『もしも、今、体が戻ってくれたら!』

 それを強く願った直後だった。
 自分で驚くほど、文の胸が大きく脈打ったのは。
 そして、今まで感じたことのない目眩にいきなり襲われたと思ったら。

「っ?」

 文の視界の下には、椛がいた。
 背中を向け、今にも降下しようとする椛の背中が、何故かこう語っているように聞こえた。

『早く』と。

 だから、文は。
 もしも体が戻ったら、実行したい。
 そう思った作戦を躊躇うことなく実行する。

 球状の風を二つ、そして普段は攻撃用に押し出す旋風を生み出し、放つ。
 と、同時に、風を推進力にして、加速。
 幻想郷最速と謳われた身体を取り戻した文にとって、初速の遅れなど、誤差でしかない。
 さきほどとはまるで違う世界で、岩に迫りながら横目で椛を見れば。背中を強風に押され、崖の方に吹き飛ばされていた。
 そして、二人の妖怪兎はというと、

「っ!」

 文が風で作り出した球状の不可視結界の中に閉じ込められ、ふわふわと空中で浮かび上がりながらも、まだ手足をバタバタ動かしていた。

『これで、まず二つ』

 文は岩を追い抜き、スピードの乗ってしまった少女を視界に収めた。
 恐怖で気絶してしまったのか、瞳は閉じたまま。
 このまま突っ込んで、腕で優しく受け止めたとしても、下に向けられた力は少女の身体に十分すぎる衝撃を与えることになる。
 だから、風で多少速度を緩める必要があるが。
 それをすると岩に追いつかれ、命すら失われる。
 ならば、妖怪変化しかけの体に多少後遺症が残ったとしても、少女の命が助かる方を選択するべきなのだろう。
 迷っている時間はもう、ない。
 だから文は迷わず、少女を抱え――ようとはしなかった。

 少女の落下速度を緩めるための風を、眼下に張り巡らせる。
 そうなれば岩に追いつかれるとわかりながらも、速度を落とした少女の下に回り込んで、抱き抱えられるよう先回り。
 文とて、この視界を覆い尽くす大岩の下になれば、無事では済まないのに。
 迷いなく足を止め、速度を落としながら少女が近づいてくるのを眺めていた、

 もしも、あの願いどおりなら。

 必ずここで、動いてくれる誰かがいるからだ。
 もう目の前まで迫っている大岩を、なかったことにできる。
 そんな唯一の要因が。




 その要因となりえる一つの影は、今まさに壁に張り付いていた。
 崖の壁に向けて放たれた文の風を受け、その勢いを生かしたまま壁に足を付き。

「はぁぁぁぁぁああああっ!!」

 裂帛の気合いと共に、崖を蹴った。
 風の圧力のおかげで、地面と同様。
 いや、それ以上の力で崖を蹴ることができた。
 だからこそ、この目の前の大岩など。

 落ちるだけしか能のない、大きな石の塊なんぞ。

「吹き飛べぇぇっ!!」

 白狼天狗の、敵じゃない。
 脚力と風の溜め作り出した瞬間的な速度は、文の速度以上。
 その速度で、大岩に突っ込むと。
 まっすぐ足を突き出した。
 天狗の高下駄の底が折れ飛んでも、岩面を割り砕く足は止まらず。

「たぁりゃぁぁあっ!」

 とどめとばかりに、妖力を足先に込めて爆発させてやれば。
 まるで手で打ち払われたゴム鞠のように、大岩が弾き飛ばされ。
 すり鉢状に表面を削られたその身を、文と少女の横に落とした。

 ドゴォォォンっと。

 地面を揺らす、暴力的な地響きともに。

「お見事」

 椛なら出来るだろうと信じていた文であったが、ここまでやるとは予想外。
 気絶した少女を腕の中に抱き、 ぱらぱらと、今の一撃で砕かれた小石の雨に打たれながら、間近で称賛することしかできない。
 しかし、文も負けじと最期の仕上げ。空中をゆっくり落下していた二人の妖怪兎を地面に降ろして、風の結界も解除してやった。

「――っ!」
「……あー、はいはい、そう来ると思いました」

 すると、少女を抱えていてあまり身動きが取れないというのに、二人の兎が一斉に文に抱きついてくる。
 空中でまだ蹴り足を引き戻さず、息を吐きながら綺麗な残身を取っている。そんな凛々しい椛とは対照的に、今の文はかっこいいとは世辞にも言えない。
 どうがんばっても寺子屋の先生止まりであろう。

「椛~、そろそろこっちも手伝って欲しいんだけど」
「あ、了解! って、あわわ、いたっ!」

 しかし、大事なところで締まらないのが椛という白狼天狗で。
 文の声に従い慌てて高度を下げたのがいけなかったのか。
 高下駄の底の板が折れ飛んだのを忘れ、そのまま着地したせいで、崖下の岩肌の上で転ぶことになってしまっていた。
 あれだけ見事な攻撃を見せて、それでは恰好がつかないような気がするが。

「……その方が、椛らしいですかね?」

 眠ったままの少女に囁いてから、文は椛に二人の妖怪兎を預けそのまま上昇。竹林の中で待っていた妖怪兎に身柄を預けた。
 そんな文に送れるように、脇に妖怪兎を抱えた椛も到着し、無事解決。少女も上手く気絶しているようだから、運ぶのも楽だろう。そうやって竹林の土の上で横になっている少女の側では、四人の妖怪兎たちが再会を抱き合って喜び、鳴き声の大合唱を響かせていた。
 それを邪魔するのも悪いかと、文と椛が静かに去ろうとしたら。

「アリ、ガオ!!」

 四人の中で、一番大きな妖怪兎が声を張り上げた。
 まだ、慣れない言葉で、必死に感謝し、頭を下げてきる。
 何度も、何度も、涙で声を震わせながら、二人の影がその場から見えなくなっても。
 その声は竹林の奥から響いてくるようだった。




 とりあえず二人は、他の妖怪兎をつかまえて永遠亭までの道を聞くと。
 そこで待っていた鈴仙に、妖怪兎が少女を見つけたと報告。
 そこで鈴仙の表情がやっと安堵の色に変わり、

「師匠からお礼の品を預かっているので! 少々お待ち下さい!」

 と、診療所に飛び込んだ瞬間に。
 素早く、文は椛の腕を掴んで、すかさずその場を後にする。

「いやぁ、今日はなかなか珍しい体験を」
「あれ? お礼の品とかいうやつは?」
「ああ、あれ? まず間違いなく、お礼を上げるから記事にだけはしないでっていう話を十中八九切り出されるから、キャンセルしたまで」
「……記事にする気ないくせに」
「いやぁ、わかりませんよ? ふと書きたくなるときがあるかも」

 椛を引っ張って飛び、充分に距離を稼いだ後で着地。
 そこからまたゆっくりと竹林を歩きながら、文は背中を掻く仕草をする。

「まあ、思い出すたびこう、このあたりがムズムズするし、それが収まるまでは記事にできないかな」
「鴉天狗は感謝されるの慣れてないからじゃない?」
「おーおー、言うようになって。足をひょこひょこさせているくせに」
「こ、これは、高下駄が折れて歩きにくいからであって!」
「はいはい、そういうことにしておきましょうか」

 さっきの一撃によって無理をさせた。
 そのせいで足首付近を痛めてしまったのかもしれない。
 ただ、椛にはそれ以上に気になることがあるようで、文の後ろを歩きながら、耳や尻尾をせわしなく触り続けている。

「ん、どうしたの?」
「いや、なんで急に戻ったのかなって……」
「ふむ」
 
 言われてみればそうだ。
 元の身体に戻れて、事件も解決できてすべて良し。
 どうせいつか戻るだろうと、高をくくっていた文だったから、特に気にもしなかったわけだが、あまりにタイミングが良すぎた。

「もしも今戻れたら。文の力を借りてあんなの蹴り飛ばしてやるのに、って、そう思ってたら、本当のことになってた」
「……私も、鴉天狗に戻ることができたなら、風で救えるはず、そう思ったら戻ってたから、案外そういった精神がきっかけなのかも」
「精神、か。なんか照れくさいけど。二人が同時に強く想ったからとか」
「そうかもしれないけど、私は椛が動いてくれない場合も考えてた。
 でもまあ、素直じゃない椛のことだから、人間のことだからほっとけーっとか言ってても助けちゃうんだろうなとやっぱり思い返して、そちらを選択したわけよ」
「……む?」
「そうしたらもう、おもしろいくらい予想通り。いやはや、さすが椛といったところ」
「うー! その言い方ぜんっぜん、うれしくないっ!」

 椛も同じようなことを考えていた。それでも文は、どこかはぐらかすようにまた椛を弄り始める。
 その様子も手帳に残しておいてやろうかと、胸ポケットにあるはずのソレを探して。

「あや?」

 身体が戻ってから、大事なモノを返して貰っていないことをやっと思い出す。

「まあまあ、その怒りは置いておくとして。椛、写真機と手帳の返却を要請します」
「写真機……って、あっ!」
「袖とか懐に入れたままなら、たぶん、さっきので壊れてるとは思うけどね」

 衝突の衝撃と、妖力での圧力。
 それを至近距離で受ければ、丈夫な椛の身体は大丈夫でも機材はそうはいかない。
 椛当人も壊れたと思っているのか、その大きく開いた袖口に手を突っ込んで恐る恐る探ると

 ぬちょ、と。

「……うわぁ」

 団子屋のお土産、それを椛姿だった文が念のため袖に入れたモノ。
 いや、その団子だったモノが……今、椛の手に触れて。

「……うへぇ」

 文の目の前に差し出すと、文も似たような嫌そうな声を出した。
 笹の葉が衝撃に耐えきれずはじけ飛び、そのはじけ飛んだ隙間から団子部分が潰れて飛び出し、黒と白と茶色と緑が混ざり合った、甘い匂いがするだけの、間違っても食べたくない固形物に仕上がっていた。
 団子が入っていた袖の内側は、さぞかし大変なことになっているに違いない。
 幸い、手帳とカメラは別の方の袖に入れてあったのでアンの恐怖には見舞われていないが、

「やっぱり絶望的か」

 文が言うように、だいたい同じ力が加わったと考えるなら。カメラの生命は絶たれているだろう。
 いや、むしろ手帳すら危うい。
 椛も同じ意見なようで、もう半ばやけくそで袖の中に手を突っ込み。

「へ?」

 何故か素っ頓狂な声を上げていた。
 慌てて文が同じ場所を覗きこめば。

「嘘、でしょ?」

 そこにあったのは、大きな傷一つもない。
 レンズやシャッターすら破損していない写真機が、椛の手の平の上にあるだけ。
 偶然衝撃が当たらない位置にあったとするなら、それは一体どれほどの確率だというのだろう。
 まじまじと、それを眺める文の姿と。
 わけがわからないといった様子で棒立ちの椛。
 そんな二人をこっそりと見守る影が、竹林の中に一つ。自分が堀った穴の中に隠れながら、ふふんっと鼻を鳴らしたあとで。

「あの子たちを助けてくれた、お礼だよ」

 幸運を司る兎が、静かに瞳を伏せた。




<11>




「いやー、よかったよかった。写真も無事、体も元通り、取材結果も十分。ほんとにいいこと尽くめの一日だったなぁ」

 さきほどの謎かけではなく、本当の夕日の中をゆっくりと飛びながら、文は幸せそうに目を細める。
 
「私はとんだ臨時休暇だったけどね……」

 やっと一日が終わる。
 それで何があったか頭の中で整理し、ことの始まりが文のわがままであったことを思い出してしまった椛は、複雑な顔で頬を掻くばかり。

「いいじゃない。椛だって、それなりに楽しかったはずでは?」
「鴉天狗になるなど、楽しいはずが」
「私は楽しかったけどなぁ」
「……」
「私は楽しかったけどなぁ~」
「……ま、まあ、多少は、ほんのわずかくらいは、そういう部分があった、かも。ちょっと見直したとこも、あったし……」

 実際に相手の立場にならないと、わからないこともある。
 それを知りえたのも、文や椛にとって良い刺激になったようだ。最初は刺々しかったはずの態度が、ずいぶんと丸くなってしまったのだから。
 今朝の妖怪の山と比較しても大きすぎる変化とも言える。

「それにしても最後のは、残念だった」
「ん? 最後というと、ああ、竹林の」
「文風に言えば、死亡していれば悲劇の記事として書くつもりだったんでしょ?」
「うわー、白狼天狗は最低ですね」
「文風に言えばって言ったよね? 私、そう言ったよね?」

 言葉では喧嘩し合っているようにも聞こえるが、その表情はどちらも穏やかなもの。
 相手を少しでも知り、認めることができた。
 それを感じられたからこそ、

「確かに、あのときはそういうのも有りだとは言ったかもしれませんけどね」

 文はちょっとだけ、照れくさそうにしながら。
 それでも、満足そうに微笑んで。

「私の個人的な感情だけでいうなら……、
 ハッピーエンドの方が、好みなんですよ」

 記者失格かもしれませんがね。
 最後にそう付け加えて、文は椛から距離を取りる。
 その言葉が本音か、単なる建て前か。
 それを判断することは椛にはできないし、やろうとも思わない。だからそんな恥ずかしそうな文に向けて椛は。

「射命丸文らしい答えで、私は好き……かも……」
「え?」
「で、では失礼しますっ!」

 たった一言だけ残し、逃げるように山の麓に降りていく。
 どんどんと小さくなる背中を文は見送って。

「……白狼天狗と鴉天狗、か」

 どこか自嘲を込めて笑いながら、文もまた自分の住処へ戻っていくのだった。










 その次の日の朝。

「……ねえ、文、ちょっと言い忘れてたんだけど」

 新聞作成の件で、早朝から同僚のはたての家にお邪魔した時のこと。

「なんかね、椛が文を探してるって」
「椛が? ああ、昨日取材で一緒にでかけたから、その件かな」
「じゃあ、そのときにケンカとかしたわけだ」
「え?」
「だって、私の話じゃ。椛カンカンだって聞いたよ。もう、その見かけた子が怯えるくらい」
「いやいや、それはない。昨日別れたときだってそんな雰囲気なかったし」
「そっか、じゃあやっぱり嘘か」

 文はその怒りの原因に心当たりなどない。
 だから、あらぬ噂に違いないと。
 そんな反応を返したら、はたても似たように肩を竦めていた。

「あれ? その話、はたても怪しいと思ってるってこと?」
「ええ、もちろん。だって、その目撃情報の中にありえないものがあるんだもの。それを握りしめながら、文の家の周りをうろうろしてたんだって」
「ふむふむ、それは興味深い話。
 それで? その握りしめていたものとは?」
「あー、ことわっとくけど。私もさっき新聞貰いに出たとき口頭で聞いただけだから、私が変になったとかそういうのは思わないでよね?」

 それだけはたてが前置きするほど奇妙なものならば、やはりその新聞配達員の冗談か何かなのだろう。
 それくらいの期待感で、はたての言葉を待つ文であったが。

「ブラジャー握りしめながら、文のせいだーって叫んでたらしいよ」
「…………」
「ね? 誰が信じるか~って、文? どうしたの?」

 昨日の朝、白狼天狗の詰め所で起きた騒動。
 そして、そのまま。白狼天狗天狗達の誤解を一日放置し、ゆっくりこってり熟成させた。
 もし、それを知らずに椛が詰め所へ出かけたとなると……
 その怒りの一部始終に心当たりがあり過ぎて、文は思わず沈黙した。
 と、そのとき。
 ノックの音すらなく、はたての家の入り口が勢いよく開いて。

「あぁぁ…………やぁぁぁ…………」

 びくっ!?

 抜き身の刀を右手に、
 そして、昨日身に付けていた文のブラジャーを左手に持った。
 恐ろしい形相の狼さんがやってきた。
 白狼天狗より上位の鴉天狗のはたてが部屋の隅で怯えている時点で、その威圧感が異常であることは明らかだった。

「あぁぁぁぁ~~~~やぁぁぁぁ~~~~っ!!」
「……椛? ね? 話せばわかる。
 私たち、昨日あれだけわかりあえたじゃない?
 白狼天狗と鴉天狗とか、こう天狗の種族を越えたなにかがそこにあったはずであって、決してそんな刃で片づけて良いようなことはなにひとつないという――」
「問答っ、無用ぉぉぉぉっ!!」
「ちょっ! あぶなっ! 掠った! 今、掠った!」


 そして、二人は仲良く『ブラ&刃物付きおにごっこ』を繰り広げたのだった。




 もちろん、新聞の原稿があっさり落ちたことを最後に記しておく。
 
 
 

 その頃、にとりの研究室では。

「えーっと、確か……設計図の近くに簡易説明書が……」

 再度くみ上げられた相性チェックマシーンが置かれていた。椛からは戻ったからもういいと言われても、原因がわからないまま放置するのはにとりとして納得がいかない。
 だからこうして、再度一からチェックしなおしているわけだ。

「お、あったあった」

 そうして探すこと、半刻。
 やっと一枚の紙を見つけた。
 その説明書には使い方や注意点がいろいろ書かれていたが。
 やはり精神が入れ替わったりするなどという項目は見当たらない。
 動力を霊力系に切り替えたのがまずかったのかと、そんな推測を重ねる中でにとりはその神の右隅に小さく書かれた文字を見つける。

『裏面へ続く』

 掠れて、ずいぶんと薄くなっていたせいで見逃したのだろう。
 加えて厚い紙であったので裏の内容が透けていなかったのが勘違いに繋がったようだ。もしかしたら、と。
 わずかに期待を込めて、その文字を読んだら。

『注意事項その15
 潜在的な相性が高すぎる相手と使用した場合。不具合が発生する恐れがあります。16時間程度で症状は治まりますが、次回からの使用はお控えください』

 などということが書いてあり。

「……はぁ、やっぱり。わかんないや。椛と文で相性が良いとか。ありえないし」

 そしてまた、地道な調査作業へと戻ったのだった。

 ◆ ◆ ◆

 最近文と椛が出てるストーリーでいろんなのを読んで、かっとなって書いた。
 でも、後悔していないっ

 ご意見等あればよろしくお願いします。
 
>一部誤字を修正しました。
pys
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コメント



0.1810簡易評価
5.無評価名前が無い程度の能力削除
イチャイチャしやがって!!
もっとやれ!
6.100名前が無い程度の能力削除
点数忘れ申しわけありませんm(_ _)m
8.100名前が無い程度の能力削除
いいね。まわりがおもってるよりも2人の相性はよさそう
9.90奇声を発する程度の能力削除
この二人良いねやっぱ
12.100名前が無い程度の能力削除
理想のあやもみだった
16.100名前が無い程度の能力削除
ナイス文もみ。喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったもの。
同僚の白狼天狗娘達の反応が可愛すぎて誤解騒動がどうなったか気になるw
20.100名前が無い程度の能力削除
これはいいあやもみ。もっと喧嘩しててください!
21.80名前が無い程度の能力削除
文と椛のイチャイチャっぷりは楽しめたものの、序盤の展開での視点がややわかりにくかったです。
30.80愚迂多良童子削除
てっきりラブテスターでも使うのかとw

>>講評
好評
>>ちょうど小腹も好いてくる時間帯
空いてくる
31.100名前が無い程度の能力削除
どうみても夫婦ですね。

脇役のキャラ達も光っていて、とても良かったです。
32.100名前が無い程度の能力削除
理想のあやもみだっ!
37.100さとしお削除
この後、お互いに身のこなしとかを指南しあってたりしたらほほえましいのに。
……絶対無いな
46.100名前が無い程度の能力削除
こういう立場や性格や能力の違いをしっかり話中に入れてくれる入れ替わりモノは大好物だ