Coolier - 新生・東方創想話

親父臭い

2012/08/23 15:10:21
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「あなたは確か現人神の東風谷早苗さんでしたね山の御社に御住まいとのことでしたがこんな人里まで布教を心掛けているとは素晴らしいですさすがは現人神様ですねその熱心な信仰心に私も心を打たれるばかりですこんなところで出会ったのもなにかの縁です丁度あちらに評判の甘味処もありますので宜しかったらそちらでお話などいかがでしょうか代金はこちらがお支払いしますので」
「はあ」
 なんとか〝甘味処〟と〝代金は支払う〟という部分だけは聞き取れたので、東風谷早苗は神妙な面持ちで、相槌を打った。
 季節は夏の真っ盛りであり、時刻は昼の真っ盛りである。
 暑さ真っ盛りなこの時間は、大通りの人影も疎らだった。擦れ違う人妖の顔も、皆一様に流れる汗で光っている。
 だと言うのに、矢継ぎ早に声を掛けてきた女性は、少しも汗をかいていなかった。にこやかなその笑顔には、うっすらと涼しげな色香さえ漂っている。普段は嗅ぎ慣れていない香水の匂いが、この女性にはとてもよく似合っているなと、早苗は何とはなしに思った。
 霍青娥――神霊の異変の時に知り合った、仙人である。
「良かった。あなたとは、一度ちゃんとお話したかったの」
 本当に嬉しそうに、青娥はまたしっとりと微笑んだ。
 そういう仕草をしていると、とても千年以上生きているとは、到底思えなかった。千年とか仙人などの如何わしい単語よりも、むしろ上品とか妙齢とかの艶やかな言葉のほうが、幾分も似合っているように思えてくる。結われた稚児髷も、可憐さを引き立てこそしているものの、色香を失わせるようなことは決してなかった。
「甘いのはお好きかしら? もし苦手でしたら、別の所を紹介しますけど」
「いえ、お構いなく。甘いのは大好きですから」
「それは良かったです。布教のお邪魔をしてはいけないと思ったのですが、こうしてお会いできたのもなにかの縁かと思い、声を掛けてしまいました。お時間のほうは、大丈夫でしょうか」
「問題ありません。今日は、天気が良いので遊びに来ただけですから」
「そう、ですか」
 若干、青娥の柳眉がぴくりと動いた。
 これと同じ反応を、少し前にされたことを早苗は思い出していた。あの神霊の異変で、冥界にお邪魔した時のことである。早苗としてはストレートに用件を言ったつもりだったが、どうやら相手のお気に召さなかったらしく、後日庭師に苦言を呈されてしまった。
 どうにも自分は、厚顔無恥というか、馬鹿正直というか、ずけずけと物事を言ってしまうところがあると、早苗は密かに自覚していた。
 自覚はしていたが、改善することは諦めていた。
 昔はそれで随分と思い悩んだりもしていたが、結局は治せなかった。性格から生じるものだから、治せるはずがないと気付いたのは、幻想郷にやって来て間もない頃である。
 だから、早苗は自分の物言いを気にしないようにしていた。
 相手の些細な反応には、若干ながら気付いてしまう。
 それでも、私は私だからなーと、早苗はあっけらかんと流すことに決めていた。
「実は、最近も布教のほうは一段落つきまして。神奈子様も、ここでの勝手が分かってきたのか、御自分で動かれることも多くなりました。なので、私も暇を見つけては、こうして遊びに来ていたりするんです。最近では、霊夢さんの御社に顔を出すようにもなったんですよ」
「博麗の巫女の御社ですか。神社同士の交流とは素晴らしい限りです」
「ぼろいですよね、あの神社」
 再び、青娥の柳眉がぴくりと動いた。
「だからこそ、色んな事件があるから面白いのです。雷獣が出るわ、妖精が住み着くわ、肝心の神様をとっ捕まえるために巫女さんが罠を張るわで」
「それはまた、随分と」
「今度、遊びに行かれてはいかがです? お土産でも持って行けば、霊夢さんならお茶くらいは出してくれますよ、たぶん」
「考えておきましょう、ですが」
 波打った瑠璃色のボブヘアが、風もないのにふわりと揺れる。
「今は、東風谷さんとこうしてお話できることに、感謝するので精一杯です」
「早苗で構いません」
 大人の女性とは、こういう人を言うのだろうか。
 ほんの少し早鐘を打った胸に手を当てて、早苗は微笑み返した。
「東風谷と呼ばれるのは、親がそう呼ばれておりましたので、慣れないんです。下の名前で呼んで頂けると、私としてもしっくりきますので」
「分かりました。では、早苗さん」
 誘われるように、早苗の肩に手が置かれた。
 たおやかな笑みを、青娥はひと時も絶やさなかった。
「よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ」
 満面の笑みで、早苗は返した。
 評判の甘味処と聞かされたその店は、しかしながら、あまり繁盛はしていないようだった。店先では氷の旗が揺れていたというのに、店内の人影は疎らである。
「この暑さでは、皆さん外に出るのも億劫なのでしょうね」
 やんわりとした青娥の言葉に、店員は愛想笑いを返しただけだった。
 どうやら、人妖問わずこういった暑い日には、氷を食べに出歩くことも躊躇するらしい。それが、いわゆる世間一般の反応なのだろう。
 早苗には、よく分からない感覚だった。
 天気が良いからこそ、出歩くのではないだろうか。常識とは、かくも難解なものである。
「納得できない、という顔ですね」
 席を見繕いながら、青娥はこちらを見た。
「そんなに、私がお誘いしたことが、おかしかったでしょうか?」
「いえ、そういう訳ではないのです。ただ、こんなに天気が良いのに、なんで皆さん出歩こうとしないのかと、不思議に思っただけです」
「この暑さですからね」
「でも、天気は良いですよ?」
 奥まった場所が空いていたので、互いに席に着いた。
 早苗は、思ったことをそのまま口にした。
「そもそも、夏が暑いのは当たり前じゃないですか。天気が良いか悪いかは、それこそ当日にならないと分かりませんけど、夏が暑いというのは想像できますよね。だったら、それ相応に身体を整えておけば済む話です。訪れることは分かっていて、そのために準備することもできるのに、いざ夏がやってきてから暑い暑いとごねるのは、ちょっと可笑しいと思うんです。そうして暑さに滅入って出歩けず、色々なことを見逃してしまうのは、勿体無くないですか?」
「なるほど、こんな真夏日に出歩いている、あなたらしいご意見ですね」
 早苗の言葉を飲み下すかのように、青娥は頷きながら横手に視線をやった。丁度、おしぼりを二つ持った店員が、歩み寄ってくるところだった。
 注文を伺われたので、早苗は真っ先に希望を伝えた。
 先ほど青娥に言ったとおり、甘いものは大好物だった。餡子と氷とが組み合わさった甘味を、迷いなく注文した。
「では、私はアイスティーで」
 対して、青娥は飲み物を注文しただけだった。
 差し出されたおしぼりは、ひんやりと冷えていた。青娥は、そんな些細なものすらも、丁寧な仕草で受け取っていた。そういったひとつひとつの動きが、どこまでも上品だった。
 羨ましいなと、早苗はそれだけを思った。
 なにが羨ましいのか、具体的なことは何ひとつ浮かばなかったが、何故だかとても羨ましく思ってしまった。
 広げたおしぼりで手を拭きながら、青娥が口を開く。
「でも、中には出歩くこと自体を、億劫に感じる輩も居るでしょう。外を見るより、内で篭もり続けることにこそ、幸福を感じる者も居るのです」
「ん〜。よく分かりませんね、そういう人の考えは」
「分かる必要もありませんよ。そういった者は、得てしてつまらない思索に陥ってしまう例が、大半ですから」
 ささやかな毒舌だったが、青娥の纏う雰囲気は微塵も崩れなかった。
 微笑みに合わせて、瑠璃色の髪がほのかに揺れた。
「ですから、良かったです」
「なにがです?」
「早苗さんが、そんな者とは正反対の考えを、お持ちになられていることが。闊達とした思いを抱いている方で、正直、嬉しく思っていますの。そんな方とこうして、お話できる機会が持てたんですもの」
「いえいえそんな、お世辞にもほどがありますよ、照れ臭いです」
「本心ですから」
 参ったな。
 そう思って、早苗は頬を掻いた。
 これだけの誉めちぎりには、慣れていなかった。普段から接しているのは二柱の神様と、あとは霊夢や魔理沙、その他少々くらいである。誉めたり誉められたりとは縁遠い間柄だった。
 髪色と同じ瑠璃色の瞳が、笑みの形に細められている。
 気のせいではなかったら、その視線はほのかな熱を孕んでいるように見えた。青娥の視線は、大切なものを見据えるかのように、早苗へと注がれている。
 むずむずとした熱が、頬をくすぐった。
「暑いですね、さすがに暑いです」
 取り繕うように大きく笑いながら、それだけを言った。
「これだけ暑いと、そうですね。その、篭もる人の気持ちも分かるような、やっぱり分からないような? あはは、やっぱり分からないかな」
「確かに、今日は暑い日です」
 微笑みを絶やすことなく、青娥は言った。
 白魚のような指を、なおもおしぼりで拭っている。
「本当に」
 そのおしぼりが、洗顔の際に顔を拭くためのタオルのように、大きく広げられた。
 慣れた手付きだった。
「暑い」
 そして青娥は、おしぼりで顔を覆った。
 むぐむぐと、そんな音さえ聞こえてきそうなほどに強めに、顔を拭いはじめていた。あまつさえ、かすかな開放感に喘ぐような声が、小さくその最中から漏れていた。
「あぁ〜」
 ああ、ではない。
 あぁ〜、である。
 打ち上げ花火のような、尾を引き余韻を残す、そんな声である。享受している心地良さに、自ずと引き絞られるように漏れ出た、艶かしい声だった。聞く人が聞けば、昂りとともに邪推してしまっただろう。
 たっぷり、その状態が数秒ほど続いた。
「ふう」
 これまた、上品で艶かしい吐息とともに、青娥の顔が現れる。
 外気への開放感からか、その笑みはより一層穏やかなものに見えた。
 おしぼりに拭われたことで、眉にかかった瑠璃色の髪に、わずかな乱れが散見された。しかしそれは、青娥の艶やかさを引き立てこそすれ、下品な印象は露ほども醸し出していなかった。むしろ、そうした乱れは愛嬌さえ滲ませていた。素晴らしい、隙だった。
「やはり、良いですね」
 瑠璃色の視線が、早苗のそれと絡み合う。
「おしぼりで顔を拭くのは、やはり気持ちが良い」
 使用したおしぼりを丁寧に畳みながら、青娥は静かに、しかしながらはっきりと、そう言った。
「…………」
 早苗は傍観していた。
 おしぼりで顔を覆い、むぐむぐと拭って、気持ち良さそうに取り払う。所要時間は、おおよそ十秒ほどだっただろうか。
 そんな青娥の様子を、早苗は声も出さずに見つめていた。
「えっと」
 なんとかそれだけを口にする。
 訝しく思われたかとも危惧したが、当の青娥に気にした様子は見られなかった。早苗の次の言葉を待つかのように、かすかに首を傾げている。
 上品だった。
 そんな小さな仕草でさえ、青娥はやはり上品だった。

 ◆◆◆

 霍青娥は、なにより力のあるものを好んだ。
 だからこそ、幻想郷は彼女にとって理想の土地とも呼べた。力のある者、力を誘発する物など、青娥にとっては垂涎の品々に事欠かなかったからである。
 東風谷早苗も、そんな品々の一人だった。
 一見するとハイカラなだけのこの少女は、現人神という、外の世界でもまずお目にかかれない逸材だった。その事実だけで、青娥の興味を惹くのには充分だった。
 だから、近寄った。それ以上の理由などない。
 性格に難があれば去ればいいし、飽きてしまったら去ればいい。霍青娥にとって、東風谷早苗はそれだけ興味を惹いたし、同時にそれだけでいいやと考える程度の存在だった。
 しかし、青娥は見落としていた。
 東風谷早苗は、最近になって外の世界からやって来た。あの博麗霊夢や霧雨魔理沙を通じて、幻想郷を学んでいった。常識に囚われてはいけないと躍起になったこともあった。元々の性格など、難があれば去ればいい程度にしか、推し量ろうとはしなかった。
 仮に。あくまで仮の話であるが。
 これが他の誰かだったら、この場は何事もなく収まっただろう。
 気に掛けるほどの者が、そもそも幻想郷の少女には少なかった。その程度の行為に、妙な思いを抱くこともなかっただろう。或いは、率先して青娥の真似をすることも充分に考えられた。
 逆に、その行為を見咎めるほどの者ならば、それとなく青娥に伝えたことだろう。なるべく優しい言葉で、諌めてくれたはずである。それくらいの良識や常識に溢れた者こそが、青娥の行為に眉をひそめたはずだった。
 東風谷早苗だけが、見事にその合間に鎮座していた。
 外来人であり現人神である少女は、そういった意味でも特異な存在だった。
 だと言うのに、霍青娥は油断をした。
 東風谷早苗のずれっぷりを、甘く見るどころか、知ろうともしていなかった。

 ◆◆◆

「青娥さん」
「なんでしょうか、早苗さん」
 なるべく自然な口調で、早苗は続けた。
 それでも、非難してしまうような響きは滲んでしまった。

「それ、すんごく親父臭いです」
 失望から細められた早苗の視線は、夏空のように乾いていた。

 甘味処の店主は、まかない飯用の茶碗がひび割れるのを目撃した。その甘味処で宇治抹茶を待っていた花屋の娘は、まだ一口も食べていないのに頭がキンと痛くなり後頭部をさすった。前を通りかかった薬屋の兎は、久しく経験していないほどの波長の乱れを感じて、ありもしないはずの満月を探した。
「……え?」
 青娥の首が、かすかに傾げられる。
 どうやら言葉の意味が飲み込めていないらしい。たおやかなその微笑みが曇ることはなかった。単刀直入に言ったつもりなのにと、早苗は思った。
「ですから、さっきの行為です」
「え」
「おしぼりで顔を拭いた、それです」
「え」
「それ、すんごく」
 溜めるように、一拍の間を置いた。
 別に、相手を馬鹿にしている訳ではなかった。あくまで聞き取りやすいようにと配慮したまでだった。
「親父臭いです。おじんくさい、とも言います」
 言葉とともに、早苗は青娥に向かって人差し指を向けた。まるっとお見通しだと、心の中だけで呟いた。
「…………」
 一方の青娥は、なおも微笑んでいた。
 そこで早苗は、その微笑みが微動だにしていないこと、能面のようにぴしりと固まっていることに、ようやく気が付いた。
「い」
 たっぷり十秒は経ってから、それだけが聞こえた。
「いやあああああああああああああああああああああああああ」
 劇的な反応だった。
 甘味処の視線が一斉にこちらへと集まる。それどころか、通りからも何事かと顔を出してくる者さえ居る始末だった。
 そんな周りを見て、早苗は小さくあちゃーと呟いた。
 子供が駄々をこねるような動きだった。青娥は両手で顔を覆い、ぶんぶんと聞こえるほどの勢いで、首を横に振っていた。途中で垣間見えた頬は、梅干のように真っ赤に染まっていた。
 とりあえず、このままでは不味い。
「落ち着いて下さい、青娥さん」
 要らぬ誤解をされるのも御免だったので、早苗は宥めるようにすり寄った。席を立ち、青娥の横へと歩み寄って、その肩に手を添える。
 強く鼻をくすぐった香水は、やっぱり良い匂いだった。
「親父臭いと言ったのは、謝りますから」
「いやあ」
 顔も上げられない。
 そんな意思表示であるかのように、青娥は可愛らしい声を上げた。
「だって、そんなこと」
「謝りますから」
「主人にも、そんなこと」
「すみません、ごめんなさい」
「年寄り臭いとか、おばちゃんみたいとか、それくらいなら慣れているのに」
 涙ぐんだ声が、小さく聞こえる。
 慣れているんだと、早苗はかすかに驚いた。
「だって、主人には〝青娥もちょっと小皺が目立ってきたね、それも合わせて可愛いけど〟って言われたし」
 のろけかよ。
 そう思ったが、さすがに口には出さなかった。
「布都にも〝青娥殿はどこか年寄り臭いな、いやまあ怖い顔はしないでくれ。それも含めて青娥殿の魅力を引き立てていると、我は思っている〟とか言われたことあって。他にも、色々と言われてきたけど」
 底無しの自信に溢れる、尸解仙の顔が浮かんだ。
 皮相浅薄とは、ああいった輩のことを指すのだろうと、早苗は思った。
「でも、でもまさか、そんな、そんなこと」
「親父臭い、ですか?」
「いやあ」
「すみません」
「そんなこと、言われるなんて、思ったことも、なくて」
 なんとか宥めようと試みる早苗だったが、巧くいきそうにはなかった。よほどショックだったのか、青娥は頑なに、顔を上げようとはしなかった。下手に刺激すれば、そのまま甘味処を飛び出し、どこかへ走り去ってしまいそうなほどの勢いだった。
 このままでは埒が明かない。
「すみませーん」
 集まっていた視線の一端に向かって、早苗は声を掛けた。事態を窺っている店員に、注文の品を持ってきてもらうよう催促する。それを待つついでに、こちらに集まっていた視線へと、愛想笑いとともに軽く頭を下げた。
 無論、それだけで好奇の眼差しを逸らせるとは、早苗とて考えてはいない。しかし、あからさまに放置しておくよりは、幾分もマシだった。
 集まっていた視線が、早苗と青娥から徐々に離れていく。しつこく窺ってくるものもあったが、さすがにそれは無視することにした。
 自分の席に着き、注文の品を持つ。
 程なくして、高々と積まれた氷と、涼しげな色を湛えたグラスが、運ばれてきた。
「青娥さん」
 簡単なお礼とともに受け取りながら、青娥へと声を掛ける。
「頼んでいたもの、来ましたよ」
「ん」
 それだけを答えるのが、やっとだったのだろう。
 搾り出すような返事が、なおも顔を覆っている青娥から聞こえた。拗ねた子供のような声だった。
「一緒に、召し上がりましょう」
 なるべく優しい声を、早苗は心掛けていた。正直、ここまで劇的に凹まれることは、さすがに予想外だった。
 おずおずと、青娥は顔を上げた。
 涙は流していなかったが、目尻がしっとりと湿っていた。慎ましやかな鼻の穴の下が、はしたなくてらてらと光っていることに、早苗は思わず吹き出しそうになったが、寸でのところで堪え切った。頬は、相変わらず梅干のように真っ赤に染まっている。桃と呼べるほどに、ささやかな染まり具合ではなかった。
 一言も発することなく、青娥はアイスティーにストローを挿した。コンデンスミルクにもガムシロップにも、手を付けることはなかった。
 そういうところまで大人なのになと、早苗は何となしに思っていた。
「ふう」
 一口含み、青娥はそれだけを口にした。
 早苗に向けた瑠璃色の視線は、恨めしそうな色を孕んでいた。
「……そんなに」
「はい?」
「そんなに、親父臭かったですか?」
 遠慮がちな声で、青娥は問い掛けてきた。
「えっと」
 次の言葉を模索するように、早苗は口を噤んだ。その実、続けるべき言葉は決めていた。
「おしぼりで顔を拭くのは、親父臭いの典型です」
 満面の笑みで、早苗は言った。
 青天の霹靂に撃たれたかのような顔で、青娥は目を剥いていた。二の句も告げられないのか、何かを口にする素振りすら見せなかった。
 そんな青娥を尻目に、早苗は氷を口に含んだ。
 甘さと冷たさが、じんわりと広がる。評判の甘味処という言葉に、嘘はなかったようである。放り込むように、早苗は何口かを頬張った。
 しゃりしゃりと、氷を含む音だけが聞こえる。
「こんなに」
 その言葉に、青娥へと視線を戻す。
「こんなに、気持ちが良いのに」
「そこですよ、青娥さん」
 手に持っていたスプーンを、普段の祭具を扱うように握り直しながら、早苗は言った。
 力説する時の、癖だった。
「おしぼりで顔を拭くというのは、確かに気持ちが良いのです。幼少の頃、親の手で拭かれたのを覚えているのですが、確かに気持ちが良かった。幼心地の記憶の中ですが、私もはっきりと記憶しています」
「なら、別におしぼりで拭いても」
「ですが、それはあくまで幼少の頃です。お化粧もしていない、幼心地も有頂天であった頃の話なのです」
 青娥の言葉を遮り、早苗は言い募った。
 からりと、アイスティーの氷が小さく鳴った。
「そう、女性とはお化粧をするのです。その中には、きつめのお化粧をする人もいます。それこそ土建屋のように塗り固める人とて、です。そんな女性が、外出先のおしぼりで顔を拭いてしまったら、果たしてどうなるのか。想像はつくと思います。ちなみに青娥さん、本日お化粧は?」
「暑かったので、極々簡単に……いけませんか?」
 丁寧に畳まれたおしぼりには、化粧が写った形跡すら見当たらない。
 そんな簡素な化粧で、よもやこれほどまでの色香を漂わせていたとは。改めて、そんな青娥が羨ましいなと、早苗は心の底から思っていた。
「いえ、それは構いません。話を続けますね。多くの女性からすると、お化粧をした外出先、おしぼりで顔を拭くのは厳禁なのです。禁忌なのです。タブーなのです! そんな戒めを込めて、顔を拭くのは親父臭いと言われたのでしょう」
 青娥は眉間に皺を寄せていた。納得できていないというのは、早苗にも想像がついた。
 だからこそ、さらに続ける。
「では何故、そんな戒めの先が親父臭いという言葉になったのでしょうか。これについても私見ながら述べさせて頂きます。青娥さん」
「なんでしょうか?」
「あなたが浮かべる、親父臭いと呼ばれるような人の印象って、どんな感じですか? あまり難しく考えないで下さいね」
 突然、話しを振られて巧い返しが思い付かなかったのだろう。
 考え込むように目を細めた青娥だったが、早苗はその答えを待つことなく、口を開いた。
「話を戻します。まず女性は、おしぼりで顔を拭かなくなりました。この場合は、お化粧をするような女性ですよね。そうすると今度は、男性の中でも異性の行為に敏感な、思春期の男性がそれを見咎めます。そして大抵の人は、おしぼりで顔を拭かない理由を察したことでしょう。お化粧が崩れるから拭かないのだろうと。そうすると、今度は自分も拭かなくなるのです。女性が拭いていないのに自分が気持ち良く拭くのはいけないだろうという無意味な優しさとか、女性が拭いていない中で自分が拭くのは浮いて見られるだろうという卑しい危機感とか、色々な理由によって、拭かなくなるのです」
「変な連帯感ですね」
「私もそう思います」
 青娥がアイスティーを含んだので、早苗も氷を放り込んだ。
 喋っていると、どうしても喉が渇く。
「そして、思春期の男性も拭かなくなるのです。大抵、青年くらいの年頃の人たちですね。そうなると、残るのは」
「青年期を過ぎた中年、丁度?親父?とか?おじん?といった人間たちね」
「仰るとおりです。そして、そんな人たちは、思春期を過ぎたこともあって周囲に鈍感な人が多くなります。ここらへんは、性格にもよるので一概には言えませんが、やっぱり厚かましい人が増えてくるのは事実です。そんな人たちなら、外出先で周りがおしぼりで顔を拭くかどうかなんて、いちいち気にしませんよね。気持ちが良いことを、わざわざ忌避する理由がないのです。だから、おしぼりで顔を拭くのは、中年男性に多く見られるのですよ」
「そんなもの、なのかしら」
「では、青娥さん。先程の質問に戻ります。親父臭いと聞いたら、あなたはどんな印象の人を思い浮かべますか?」
 若干、青娥の顔が曇った。
 親父臭いと指摘されたことを、まだ根に持っているのだろう。早苗に向ける視線にも、非難するような棘が滲んでいた。
「あまり良い印象は抱けませんね。無遠慮な人間と言いますか」
「周りに気を配ることもなく煙草を吸って、その癖、汗臭いというか加齢臭まで漂わせて」
「そうそう」
「濁声でくちゃらべって、時折かーっと痰を吐き出しそうな声すら出して」
「そんな感じです」
「脂ぎった顔なんて、いかにも粘ついてそうで。そんな不潔な自分は棚に上げて、やたらと人の不注意ばっかり指摘してきて」
「最悪ね」
「脂ぎった顔なのですよね」
「あ」
「お分かり頂けたでしょうか」
 手中のスプーンを翻しながら、早苗は微笑んだ。
「こんな暑い日に、ふぅふぅと汗をかいた中年男性が、脂の滲んだ顔を出されたおしぼりで拭う。結構、想像がつきやすいと思うのです。少なくとも、お化粧を施している女性が行うよりは、幾分も絵になると思うのですよ。あんまり、綺麗な光景とは言えませんけどね。実際、おしぼりで顔を拭っている男性は、かなりの頻度で見かけますし」
「無論、それは中年男性、いわゆる親父臭い人間ばかりではありませんよね。でも、一番しっくりくるのは」
「私が言ったとおりです。それに、おしぼりで顔を拭くことを戒めたいなら、より強い言葉で戒めるのが効果的ですからね。青娥さんが言ったように、あまり良い印象を抱けない?親父臭い?という言葉なら、効果覿面です」
 瑠璃色の瞳が、感心したように大きく開かれた。
 青娥の顔からは、恥じ入るような赤味はすっかり消え失せていた。そのことに、早苗はそっと胸を撫で下ろした。
「なるほど、面白い考えです」
 グラスを手繰り寄せながら、青娥は目を細める。
「それが、あなたの持論なのですね」
「いえ、まったく」
 すっぱりと、早苗は満面の笑みで言い切った。
「……え?」
「持論なんて大層なものではないです。それこそ、なんとか捻り出したものを次から次へ、ぺらぺら話したという感じですかね。我ながら、中々よく回る口だとも思いましたが、意外と理路整然とできたかなと、自画自賛しています」
 青娥は、ぱちくりと目を瞬かせている。
 恐る恐るといった様子で紡がれた声には、値踏みするかのような慎重さが滲んでいた。
「すると、先程のは」
「言ってしまえば出任せです。親父臭いという表現について、今まで真剣に考えたことなど、これっぽちもありませんでした」
 言い放って、早苗は氷を口に含んだ。
 餡子のしっとりとした甘味が、じんわりと広がった。
 青娥は納得しかねるように、そのほっそりとした顎に指を添えた。瑠璃色のボブヘアも心なしか、探りを入れるかのように細々と揺れていた。
「何故でしょう」
 慮るような声だった。
 何を指しての何故なのかは、早苗にはよく分からなかった。
「早苗さん、あなたは何故」
「強く言い過ぎてしまうところがあるのです」
「あなたが、ですか?」
「はい。人の顔色が窺えないと言いますか、ずけずけと物を言い過ぎてしまうところがあるのです、私には昔から」
 言葉の通りだった。
 有り体に言えば、空気を読むということだろうか。早苗は、そういったことが苦手だった。厚顔無恥とか、馬鹿正直とか、そういった言葉を自覚していた。そして、そんな自分を諌めるようなことは、既に諦めていた。
 だから、そのことを喋るのに抵抗はなかった。
 自分の欠点とも取れる性格を、なるべく人に知ってもらえるようにと、常日頃から早苗は心掛けていた。
 青娥へと語ることにも、躊躇いはなかった。
「親父臭いと言った際、青娥さんが予想以上に取り乱されたのには、驚かされました」
「すみません。なにぶん、慣れておらず」
「私の方こそ、失礼しました。それを見て、後悔したんです。ああ、またやっちゃったなと。少なくなかったんです。言い過ぎて、トラブルを引き起こしてしまうことも。だから、そんな時にはいつも、こんな話をするようにしていたんです。癖とも言いますかね、咄嗟に場を和ます感じで」
「話題を逸らしたかったと」
「言ってしまえば、そういうことです」
 あっけらかんと早苗は言った。
 呆れたように、青娥は溜め息をついていた。
 もっとも、その顔には咎めるような非難の色はなく、あのたおやかな微笑みが戻っていた。
「思った以上に、変な人ですね」
「それなりには自覚しております」
「その癖、親父臭いと指摘するだけの常識はあるなんて」
「まだまだ常識には囚われているみたいです」
「本当」
 魅惑的な形に、青娥の唇が吊り上った。
「面白い人」
「お褒めに預かり光栄です」
「誉めてはいないつもりなんですけどね」
「そうでしたか、これは失敬」
 上品に笑い、青娥はアイスティーを口に含んだ。
 すっかり調子を取り戻したように見えるその笑みに、早苗は気になっていたことを投げ掛けた。
「でも、驚きました」
「何でしょう」
「幻想郷の人たちが、見栄も風体も気にしないのは確かです。霊夢さんは神社のことしか頭にないですし、魔理沙さんは図書館から本を攫っていきますし」
「私がおしぼりで顔を拭いたことが、そんなに意外でしたか?」
 穏やかな微笑みは少しも揺らがなかった。
 青娥の声には、拗ねるような窄みだけが含まれていた。
「知らなかったのですから、仕方ないでしょう? それに、やっぱりおしぼりで顔を拭くのは、気持ちが良いんですもの」
「ええ、それも確かに驚きましたよ。でも、癖だったら仕方ないかなとも思うんです。実際、気持ちが良いですからね。でもですね、私がそれ以上に驚いたのがですね」
 人差し指を立てながら、早苗は続けた。
 甘味の氷は、気付かぬ内に平らげてしまっていた。
「青娥さんに、今までそれを親父臭いって指摘した人が、居なかったことに驚きました。結構、昔から言われているんですよ、おしぼりで顔を拭くのは親父臭いって。あの反応では、言われたのもはじめてみたいでしたし」
 言いながら、脳裏にあの時の青娥の姿が甦った。
 天狗のカメラでもあればなと、意地悪な後悔が芽生えた。
「そこが、意外でしたかね」
「……なるほど」
 一方の青娥は、それだけを言ってストローをくわえた。
 若干、泳がせるように瞬いた瑠璃色の瞳は、どこか気まずそうにも見えた。グラスを持ったその手にも落ち着きがない。白魚のような指が、グラスに浮いた水滴を撫でていた。
 香水の匂いが、再び早苗の鼻をくすぐる。
「その、実はですね」
 いかにも言い辛そうに、青娥は口にした。
「最近、出ましたよね、本」
「本?」
「稗田の」
「ああ」
「あれに載ってから、ですね」
 なんとなく、早苗には察しがついた。
「私が話し掛けても、誰もあんまり相手してくれなくて。ここ最近、こうして誰かとお話をしたこともなかったんです」
「ああ、あの鼻紙ですか。迷惑ですよね、あの鼻紙」
 即座に、早苗は満面の笑みで言い放った。
「……え?」
「いやあ、あの鼻紙みたいな本は酷いですよね。神奈子様や諏訪子様も、もっと抗議しても良いと思うのに」
「えっと、早苗さん?」
「大体、あの稗田の九代目でしたっけ。仮にもあの稗田阿礼の子孫ならば、神奈子様とか諏訪子様なんかの神様について、もっと詳細な事柄を載せておけと思いますよ。しかも、それを直接指摘したら、あの九代目なんて言ったと思います? 検閲を済ませた物にまで部外者が口を出すなって、突っぱねてきたんですよ?」
「もしもし、早苗さん?」
「現人神である私に対して部外者とは、誠に遺憾の意です、憤慨やるせないですよ。私、あんまりにも頭に来ちゃってですね。さらに強く言ってやったら、あの九代目今度は暴力に訴えはじめやがってですね。もうそれこそ、くんずほぐれつの取っ組み合いにまでなって」
 スプーンを握った早苗の声にも、自然と熱が篭もる。
 あの日のこと、九代目こと稗田阿求に口授について抗議した日のことは、今でも色鮮やかに記憶している。お互いに一歩も譲らず、平行線のまま弾幕勝負もないキャッツファイトにまで発展したことは、早苗の人生史上においても類を見ないほどの出来事だった。病弱だとかも聞いていたが、中々どうして。あの九代目も取っ組み合いにおいては、かなりの根性を見せてきた。次に相見えた時には、馬乗りになりながら、自慢の書物を鼻紙として扱うかのごとく自慢のその袴で鼻をかんでやろうと、早苗は密かに決意をしていた。ちなみにまったくの予断であるが、同じく次に相見えた時には、馬乗りになりながら、自慢のその蛇の髪飾りで鼻を穿ってやろうと稗田阿求が密かに画策していることを、早苗は知らない。
 しばし早苗の熱演が、二人の間を支配する。
「まあ、そういう訳ですので」
 阿求の書物について、三十回目の愚痴を吐き出したところだっただろうか。
 かすかに汗ばんだ顔で、早苗は続けた。
 当然ながら、おしぼりで顔を拭くような真似は行わなかった。
「あの書物のことは、そんなに気にされることもないですよ。大半の人が、冗談半分で読んでいることでしょうし」
「友好のところを、強くお願いし過ぎたのが良くなかったかとも後悔したのですけど」
「たまたまたですよ、たまたま」
「そうでしょうか」
「そうですよ、杞憂ですって」
 瑠璃色の瞳は、なおも不安そうに揺れていた。
 稗田の書籍には、かなり強かな性格をしていると載っていた。声を掛けられた時は、確かに油断ならない妖艶さを覚えた。大人だなと、早苗は何とはなしに思っていた。
 今、目の前の青娥は、小動物のように落ち着きがなかった。
 そんな青娥を安心させたくて、早苗は笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。青娥さんみたいな綺麗な人だったら」
 晴天のような、満面の笑みだった。

 ◆◆◆

 霍青娥は、戸惑っていた。
 思惑など欠片もないその笑顔に、久しく経験していない感情に襲われていた。
 青娥は仙人である。
 天人には昇れず、昇ることへの興味など当の昔に捨てたほど、長い時を仙人として過ごしてきた。
 そのために、憚られるようなことは何度も行ってきた。誉められたものではないことなど、両手の指でも足りないくらいには繰り返してきた。
 後ろ指を指されることには慣れていた。陰口どころか、面と向かって罵詈雑言を浴びせられることにも慣れていた。
 非難されることには、とっくの昔に慣れていた。
 良いのだろうか。
 そんな自分が、これほどの笑みを向けられても。
 禁忌と忌避によって塗り固められたこの面を、綺麗だと誉められても。
 飽きれば去ればいい。
 書籍とは何の差異もない、ただ身勝手な考えで接した自分が、裏表など露ほどもない笑顔を向けられている。そのことに、霍青娥は足元から揺さぶられるほどに、戸惑っていた。
 綺麗な人。
 そう言われたのは、いつ以来だろうか。
 恐らく、主人が最初で最後である。最早、顔を思い出すのも困難なほどに昔のことだった。最愛の人の顔ですら、おぼろげな物しか浮かんではこなかった。
 酷い女だと、自嘲する。
 そうやって自分を嗤うのも、久しく経験していなかった。
 だからその時、果たして自分がどう答えたのか。当然ながら、思い出すことはできなかった。生まれてからの全ての記憶を振り返る、そんな初歩的なことすらも、青娥にはできなかった。
 突き抜けるほどの満面の笑みは、微塵も翳らない。
 その眩しさと、それ以上の姦しさに、自ずと頬が綻んだ。
 気の利いた言葉など、言えるはずもなかった。

 ◆◆◆

「ありがとう」
 瑠璃色の髪の下で、桃色に染まった笑みが浮かんだ。
 青娥が浮かべたのは、たおやかなものではなく、恥じるような初々しい微笑みだった。
「ありがとうございます、早苗さん」
「いえいえ、思ったことを口にしたまでです」
「そんな早苗さんも、お綺麗ですよ」
「いやあ、青娥さんには負けますよ」
 照れ臭さから、早苗は後ろ手に後頭部を掻いた。
 青娥はとても嬉しそうに微笑んでいた。鼻をくすぐる香水も、上品に細められた瑠璃色の瞳も、どう見ても大人のそれなのに、子供のようにころころと笑っている。そのアンバランスさも羨ましいなと、早苗は憧れるように思った。
 青娥の手元のグラスは、空となっていた。
「おかわりを」
 店員に視線を送って、青娥は言った。
「あなたと、もっとお話がしたいんです。早苗さん、お時間のほうは如何でしょう?」
「遊びに来ただけですし、大丈夫ですよ」
「良かった」
 本当に嬉しそうに、青娥はまた微笑んだ。
 注文を伺いにやって来た店員へと、青娥は甘味の氷を注文した。それとは逆に、早苗はアイス珈琲を注文する。ミルクとガムシロップは、たっぷりと入れるつもりだった。大人になりきれていない注文だったが、それでもいいかと早苗は思った。
「青娥さん」
「なんでしょうか、早苗さん」
「ひとつアドバイスです」
 温くなったおしぼりで、早苗は手を拭いた。
「爪楊枝をくわえるのも、親父臭いみたいですよ」
 伸ばし掛けた白魚のような指が、ぴたりと止まった。机の端に用意された楊枝置きに、伸ばされようとしていた。
 ばつが悪そうに、瑠璃色の視線が泳いだ。
「そもそも、青娥さん。何も召し上がられていませんよね?」
「……癖です」
 若干俯きながら、青娥は口を尖らせた。
「癖なんです。仕方がないんです」
 ボブヘアを揺らしながら、そっぽを向かれた。
 整った横顔は、そうと気付かない化粧も相まって、下品になり過ぎない色香を漂わせている。だと言うのに、浮かんでいたその表情は、ほんのりと注した朱色もあってか、子供が拗ねたものにしか見えなかった。早苗に向けられた瑠璃色の視線も、恨めしげに細められている。
 意外と、可愛らしい人だと早苗は思った。
 最初に会った頃より、幾分も話しかけやすい印象だった。
 謝罪も兼ねて、早苗は口を開く。
 どんな香水を付けているのかを、まずは聞いてみたかった。

 ◆◆◆

「おかえり、早苗」
「あはははは、さっきの冗談を早苗にも言ってやりなよ、神奈子。早苗、あんたも聞きなさいって、本当に笑えるからさ」
 乙女色に染まった意識が、一気に現実へと引き戻された。
 境内に参拝者の影はなかった。
 ただでさえ山の中であり、加えて時刻も夕暮れへ差し掛かろうとしていたのだから、それも当然だった。守矢神社は、あの博麗神社以上に、訪れる人は少なかった。
「まあまあ、諏訪子。気持ちは分かるが、いきなりでは早苗も戸惑うだけだろう。とりあえず、まずは始まりの一杯を与えてあげなきゃ」
「おお、そうだったね。こいつはうっかりだった、参ったもんだ、大したもんだ、乳揉んだ」
「さすが諏訪子、下品だね」
「爆笑するあんたが言っても説得力ないよ、神奈子」
 げひげひと下卑た笑い声が、境内に響いた。
 今日の酒宴は、どうやら境内のど真ん中で行う趣向らしい。玉砂利の上に敷かれていたのは、粗末なゴザ一枚だった。倉庫に眠っていたものを引っ張り出してきたのか、湿っぽい臭気が風によって運ばれてくる。
 青娥の上品な微笑によって、すっかり浮き足立っていた早苗の心を叩き落とすのには、それだけでも充分だった。
「あぁ〜、チーズ鱈うめぇ」
「諏訪子、あんた本当にそれ好きだね」
 充分だったというのに、その二柱はどうしようもなくだらしない風体で、ゴザの上に鎮座していた。
 八坂神奈子は、へべれけよろしく寝転んでいた。
 片方の手で爪楊枝を摘みながら、奥歯の食べ残しを穿ろうと赤ら顔を歪めていた。もう片方の空いた手は、背中側の腰をぼりぼりと掻いている。それだけに止まらず、器用にも片方の足の親指で、もう片方の足の裏もぼりぼりと掻いていた。
 洩矢諏訪子は、一升瓶を抱きながら胡坐をかいていた。
 片方の手には別の一升瓶が握られており、その中身は三分の一も残っていなかった。もう片方の手で摘んだチーズ鱈を、くちりくちりと音を立てながら咀嚼している。その胡坐が、変な姿勢で前のめりになったと思ったら、ぶぶうと見事な音が鳴った。
 諏訪子の放屁に、神奈子がげたげたと笑った。諏訪子本人もげたげたと笑った。
 勿論、早苗は笑わなかった。
 笑えるはずがなかった。
 此処に至って、自分が何故あれほどまでに霍青娥を羨ましいと思ったのか、早苗にはようやく分かった。上品であり、大人であり、慎ましやかで綺麗だなと青娥を羨んだ理由に、今更ながら思い至るものがあった。
 八坂神奈子、洩矢諏訪子、博麗霊夢、霧雨魔理沙、その他諸々。
 普段から、頻繁に出会う面々である。
 誉めたり誉められたりには縁遠い間柄ではあったが、それ以上に、霍青娥のような気品ある女性にも縁遠い間柄だった。考えるほどに、誰も彼もが無遠慮の塊であると思えるような間柄だった。
 次に、青娥に会ったら謝ろう。
 菓子折りを持って、土下座でもして、自分の失言を謝ろう。
 早苗は、そう決めていた。
「お二人とも」
 何故なら、青娥の行為など可愛らしいほどに。
「良いですか」
 目の前の奴らは、どうしようもなく親父臭かった。
 懐から、決闘用の符を取り出す。
【開海「モーゼの奇跡」】
「親父臭いにも限度があります」
 二柱の丁度真ん中へと、早苗は渾身の力で踏み込んだ。
 どぱあんと、親父どもは流されていった。穢れを払うのには、それだけで充分だった。
 親父臭い言動が幻想郷には似合います。
 しかし、それを親父臭いと指摘して取り乱してくれたら、すごく可愛い気がするのです。取り乱れる娘々は絶対可愛い。
 それは兎も角、おしぼりで顔を拭くのって気持ち良いですよね。

 ご読了、誠にありがとうございました。
爪影
garaku2002@yahoo.co.jp
http://tumekage.blog.shinobi.jp/
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娘々の少女な部分を知らず引き出す早苗さんが良かった
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「いやあああ」と云って取り乱す青娥にやられました。好いですね、実に好いと思います。
それぞれの人物が丁寧に描かれていて、これも心地好い。

ただ、青娥の視点に移った時は説明調で描写がないので、やや説得力に欠けていた気がします。
早苗との対比を際立たせるためにも、甘味処で別れた日の夜の青娥の描写も欲しかったかな。
何も知らない神子たちと、戸惑いが消えない青娥との絡みが見たかったという、個人的な願望もありますがw

何はともあれ、好かったです。青娥と早苗のコンビも好いもんですね。
5.100もんてまん削除
面白かったです。
何故だろう。神奈子はおっさん臭い方がしっくり来るんだよなぁ。
6.90名前が無い程度の能力削除
相変わらず会話だけでなく地の文も含めてテンポがいいですね。
確かに邪仙のくせに青娥が可愛すぎる。

対して守矢の神々があまりに酷すぎる。
親父臭いのは結構ですがお下劣なのは勘弁してください神様。
> 穢れを払うのには、それだけで充分だった。
絶対足りないでしょう。乙女成分を増やすためにフルーツぶつけろ。
7.80奇声を発する程度の能力削除
会話のテンポも良く面白かったです
9.80名前が無い程度の能力削除
早苗さんの胃が心配です
それとあっきゅんが自由過ぎるw
11.20名前が無い程度の能力削除
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14.100名前が無い程度の能力削除
おしぼりで顔拭くだけなのになんでこんな面白いんだろう
17.20名前が無い程度の能力削除
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20.100名前が無い程度の能力削除
このにゃんにゃん可愛すぎw
魅力の新しい一面を発見したようで凄くほっこりしましたw
またこの二人の話が読みたく思いました
24.100名前が無い程度の能力削除
おしぼりは言われて直したなぁ
だから共感できる
31.70名前が無い程度の能力削除
うんうんww
新しい一面的な感じでありでした
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長々とした振りに見事に応える二柱がすごいwww
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神奈子と諏訪子以下、早苗と交流のある連中の親父臭さは良くわかる気がします
美人で上品な青娥にゃんにゃん可愛いよ
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>「いやあ」
なんだこのかわいい生物
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親父臭いのになんでこんなに可愛いんだ…。
新しい何かを見たような気分です、面白かった。

こんなにゃんにゃんもいいね!
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面白かったです
53.80名前が無い程度の能力削除
早苗はまさにこんな原作イメージ。
54.100名前が無い程度の能力削除
娘々に、その、なんだ
目覚めてしまう
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そ、そうか・・・
おしぼりで顔を拭くのは親父臭いのか・・・
59.100名前が無い程度の能力削除
娘々可愛いじゃないか
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>「謝りますから」
>「主人にも、そんなこと」
>「すみません、ごめんなさい」
>「年寄り臭いとか、おばちゃんみたいとか、それくらいなら慣れているのに」

なんかここの会話がすげー面白かった
61.90名前が無い程度の能力削除
これは二人とも良い。
64.100名前が無い程度の能力削除
いや、良かった
65.100名前が無い程度の能力削除
面白いね!
こういう視点からの幻想郷をもっと見てみたいわ
66.100名前が無い程度の能力削除
娘々最高!「いやああ!」と繰り返し叫ぶところに、惚れてしまった!


というか、諏訪子のチーズ鱈が、さりげなく「なかとりもち」にリンクしているという点www
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確かに宴会のシーンを創造すると見た目少女のオヤジばっかですね
72.90名前が無い程度の能力削除
うん、いいじゃないか。実に
アリなんじゃないか 可愛いんじゃないか

しかし、品格は後からでは纏えないよなぁ