Coolier - 新生・東方創想話

灼熱の不協和音

2012/07/10 02:37:15
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 じりじり。
 じりじりじり。

「こいし? またご飯を、残してしまったの?」
「……………………」
「駄目よ? 幾ら妖怪でも、ずっと食べないと死んでしまうわ……」
「……………………」
「その……新しいご飯、作ったから……ね? お粥、だけど……」
「……………………」
「出来れば温かい内に食べて頂戴……? 身体も温まるし、少しは元気も出るから……」
「……………………」
「じ、じゃあお姉ちゃん、また、様子見に来るから……ね? じゃあね?」
「……………………」

 ギィ、バタン。

 ……カチャ。

 じりじりじり。
 じりじり――。

 ――こいしが眼を閉ざして、もう一週間になる。
 あの子の精神は余程限界だったのだろう。もうずっとあの子はベッドに腰掛けたまま、残された虚ろな二つの瞳で窓の外の薄闇を見ている。食事も碌に取らない。私が名前を呼ぼうと、こちらを見ようともしない。
 ずっと心を閉ざしているのだ。意識がハッキリしているかどうかも、私には判らない。
 あの娘の表情は、今日も見る事が叶わなかった、と私は溜め息を吐く。
「さとり様……」
 扉の前に立たせていたお燐が、おずおずと私に手を伸ばす。化け猫である彼女が、前足ではなく手を伸ばす事が出来たのは、つい最近この娘が人の形に化ける術を覚えたからだった。
 相手が動物ならば、意志を知るには『眼』が必要になる。覚という妖怪が持つ第三の瞳。他者の心象風景を受信する為のアイテムとしての、私の『眼』が。
 しかし人の形を取る事が出来るならば、話は違う。言語でのコミュニケーションは当然として、手ぶりや目の動き、特定の意味を持つポーズ。今やお燐には、ありとあらゆる表現技法によって、自らの気持ちを他者に伝達する事が可能となっている。
 だから心を読むまでも無く今、彼女が何を考えているかなど一目瞭然だった。
 なので私は、
「えぇ、そうよ……今日も、駄目だった」
 と、一言だけ彼女にそう言った。
「そう……ですか」
 フ、とお燐は悲痛な面持ちを私から逸らした。彼女もこいしの事を心から心配してくれている。普段はガサツにさえ映る振る舞いを繰り返す化け猫だが、優しい娘なのだ。
「――貴女にも他にお仕事があるのに、ずっとここに立たせたままで、御免なさいね?」
「い、いえ! こいし様が一日も早く良くなる方が大切です! アタイの仕事なんて、あの鳥頭が何とかしてくれますよぅ! 何たらとハサミは使いようって奴でさぁ!」
「照れ隠しにお友達を悪く言うのは、あまり誉められた行為じゃないわよ? 本当は誰よりも大切に思ってるくせに。ひょっとしたら、私以上かしら? ふふ、妬けちゃうわね」
「あぁ、さとり様ぁ! 頼んでも無いのにまた心を読みましたね! 酷いですよぅ!」
 お燐は表情をクルクルと変えながら、精一杯に元気な様相を見せた。
 自らの意志でコミュニケーションが出来る喜びを表現する様に。
 もしくは、扉より漏れ出る重苦しい雰囲気を掻き消そうと足掻く様に。
 私は、私の身体から突出した第三の眼を、お燐から逸らす。
 少々オーバーなアクションを彼女が見せる理由に、気付かない振りをする為に。
「このままじゃ、あの娘……死んでしまうわ……」
「――心配、ですね……」
「えぇ……凄く心配だわ……凄く……」
 お燐は独白じみた私の言葉に応えず、その台詞はどこか虚しく淡白に、ガランとした廊下へと後も引かず消えて行った。
「――じゃあ私は、お皿を洗って来なくちゃいけないから……」
「あ、ハイ。それでは」
 私は冷え切ったお粥の器を持ったまま、お燐をその場に残して洗い場へと向かった。

 じりじり。
 じりじりじり。

 ――また、聞こえてきた。
 スリッパの柔らかな足音に混じって、床の底から小さく、響いて来る。
 それは業火の揺らめきだった。罪人の苦悶だった。虚ろな灼熱地獄跡の風の音だった。
 私達の住むこの地霊殿は、灼熱地獄跡の上部に位置する。今尚、かつて地獄へと落とされた罪人の魂を焼く業火は絶える事無く屋敷の地下、私の足もとで燃え盛っている。
 それらが生み出す空気の振動は、生活音に掻き消される程に微細だ。
 でもだからと言って――感知出来ないからと言って、無くなる訳じゃない。
 私はそれを知っている。知っているから、覚の能力を求めてこの屋敷にやって来た動物達を受け入れたのだ。今も受け入れ続けているのだ。少しでも床下に残る地獄の鳴動を、紛らわせる為に。
 この音は、嫌いだ。

 じりじりじり。
 じりじり。

 覚という妖怪の能力は、しばしば『心を読む』と表現される。その表現は正しい物ではあるが、私に言わせれば少々の語弊ある表現だ。私達が『心を読む』際の受容器官が眼である事もそれを生む原因ではある。しかし感覚的に『心を読む』という行為は、視覚と言うよりもむしろ、聴覚に近い。
 流れて来るのだ。望むと望まざるとに関わらず。相手の思考が、音の様に。
 対象に眼を向ければより鮮明に。
 逸らせば、曖昧に。
 だが眼を幾ら逸らせど、思考が流れて来る事を自らの意識で遮断する事は出来ない。曖昧模糊として読み取り辛くなるだけで、大なり小なり眼が機能している限り、相手の思考が流れて来る事を拒絶する事は出来ない。
 だから私は、私達は、他者との接触を極力避けて、特に雑踏へは決して近づかない。流れて来る思考が膨大になって許容量を上回ってしまうと、目が回り、吐き気がして、その場に座り込んで耳を塞いでしまいたくなる。五月蠅くて、五月蠅くて、我慢が出来なくなってしまう。
 よって必然的に、覚という種族は孤立してしまいがちな妖怪だ。心を読まれる事を他種族が愉快に思わない事に加えて、集団で過ごしている限り、私達は思考の洪水に翻弄させられてしまうのだから。
 だから私にとって、地霊殿での生活は心安らぐ物だった。
 静寂を楽しむ事は、私達には得難い安寧なのだから。
 それでも――。

 じりじりじり。
 じりじりじりじり。

 やはり、静寂に混ざる不協和音だけは、好きになれそうにない。
 大量のペットを飼う様になって大分紛れて来たとは言え、それでも広大な地霊殿の敷地。ペット達の好意的な雑音が届かない場所は幾らでもある。贅沢な悩みに聞こえるかもしれないが、感覚受容器官が他者よりも多い覚という種族は、元々精神的に脆い妖怪なのだ。上手く折り合いを付けて、自分自身の精神の調子を伺いつつ生きて行かないと、直ぐに壊れてしまうのだ。
 こいしの様に――。

 じりじりじり。
 じりじり。

 廊下を渡り終え、漸く洗い場へと辿りついた。
 流しにお粥の器を置き、私は躊躇い無く水道の蛇口を捻る。殆ど手を付けた様子の無い粥が水流に混ぜ返されて、空しく器の中でグルグルと回転する。その音に紛れて地下から聞こえるあの音は薄れて聞こえなくなった。
 ふぅ、と溜め息を吐く。
 館を運営する為の仕事が、自室に山積みになっている。けれど私はどうにも書類に向き合う気分になれなくて、下水口へと流れていく米粒の群れをただボンヤリと見つめていた。
 ――こいし。こいし。
 ――私の、たった一人の、可愛い妹。
 ――どうして貴女は、壊れてしまう前に姉さんに相談してくれなかったの?
 ――どうして貴女は私を……。
 いや、止そう。その事について考えるのは。何の意味も無い。
 私は少しだけ、自分にも聞こえない様に少しだけ、小さく歯軋りをした。
 その時。
 私が歩いて来た廊下の向こう側から、ドン、と大きな音が響いた。
「……ッ!?」
 大きな音は旧都の鬼達が上げる花火の様に空気を震わせた。床も壁も僅かに軋み、天井から砂粒の様な塵が落ちてきた。突然の轟音に鼓膜が悲鳴を上げて、鈍い痛みを伴う耳鳴りを齎した。
 ――何が起きたの? 敵? 否、こんな所まで好んでやって来る様な奴なんて居ない。
 私は蛇口を捻って水を止める余裕も無く、鈍痛を訴える耳を両手で押さえながら開け放していた扉へと歩み寄り、音の聞こえた方を見やる。暗闇を湛えた廊下の向こう側はポツポツと洋灯が点いているのが見えるだけで、この部屋からでは何の異常も見えない。
 しかし。
 ――音が聞こえたのは、こいしの部屋の辺りだった。
 思い至った私は、素早く顔を上げる。反射的にこいしの元へと向かった。突っ掛けていただけのスリッパが何度も外れそうになってもどかしく、スリッパを蹴りやって私は裸足で走った。
 息も上がりきった私は普段の運動不足を恨みながらも、こいしの部屋へと至る為の角を曲がる。
 そこで、私の足は思わず止まった。
「何よ、これ……」
 木切れや金属片が、赤絨毯の上にぶちまけられている。洋灯は割られて、粉々のガラス片がその下に散らばっていた。こいしの部屋の扉は原型を留めず大半が欠けて、片方だけになった蝶番が空しく耳障りな音を立てていた。
 そして廊下の壁際に、先ほど別れたばかりのお燐が、額から血を流して座りこんでいた。
「お燐!」
 私は怪我を負ったらしき彼女に走り寄る。スリッパを脱ぎ棄てて来た事を失念していた私の右足の裏に、突如鋭い痛みが走った。
「痛っ……!」
 思わず膝を折って足の裏を確認する。尖ったガラス片が一つ、皮膚に突き刺さってそこから血が一筋流れていた。
「さとり様……来ちゃ駄目です……ガラス、が……」
「馬鹿な事言わないで……貴女の方が重傷じゃない……!」
 四つん這いになり、絨毯の上を這ってお燐の元へと近づく。力無く壁に凭れて座る彼女の両目は焦点が有っておらず虚ろで、彼女が頭部を強打した事は言われるまでも無かった。
「何が起きたの!? 誰がこんな事を……!」
「わ、判りません……扉の前に立っていたら、突然、扉が……」
「お燐、動かないで!」
 フラフラと立ち上がろうとする彼女の動きを制し、私はハンカチで彼女の額を流れる血を拭う。手当にすらなっていない事は明白だが、他にどうすればいいのか、判らなかった。
 心臓が早鐘の様に鳴る。呼吸が浅く早くなり、息苦しさを覚える。思考は散り散りに乱れた。私自身の足の裏の痛みと、お燐のぼやけた思考と鈍痛が私の中に流れ込んで、私は軽い恐慌状態に陥った。
 自分がどうすべきなのかも判らない。何を優先すべきなのかも判らない。なのに、何も出来ていない事へのもどかしさだけが心中に堆積して行く。こいしの部屋の扉が爆発したとしか考えられないが火薬類の臭いはなく、火の手も見受けられない……。
 ――こいし……。
 こいしの部屋で何事かが起きたのは間違いないにも拘らず、今の今までこいしを確認できていない事に気付いた私の背筋に寒気が走る。
「……こいしは? お燐、こいしはどこ!?」
 お燐に問い掛けつつも私は背後を見やり、こいしの部屋の中を確認する。
照明の類は全て消えてしまった様で薄暗くなったこいしの部屋の中に、しかし妹の姿は確認できなかった。あの娘が微動だにせず座っていたベッドも、今はもぬけの殻だ。
 ――何が、起きた? 
 誘拐、という二文字が即座に私の脳裏を掠めるも、首を振ってその言葉を否定する。侵入者が居たなら、お燐が真っ先に気付いて排除してくれる筈だ。しかしお燐は私の問い掛けに、『判らない』と答えた。それに、第三者がこいしを誘拐する理由も判らない。そんな事をして、一体何の得があると言うのか……。
「さ、さとり、様……」
「お燐、喋っては駄目。すぐに他の子を呼んで来るから、それまでは……」
 再びお燐の額に垂れて来た血を、震える手で拭いながら言う。しかしお燐は弱々しく頭を横に振って、私が来たのとは逆の方向の廊下を指さした。
「こ、こいし様は、あちらへ……」
 お燐が指さした方へと顔を向ける。両目だけでなく、第三の眼も使って廊下の奥を見据える。何も見えないし、何も感じ取る事は出来なかった。
「あ、アタイは、大丈夫です……お気になさらず、早く……!」
 先ほどよりは焦点が定まって来たお燐が私を見た。膜に包まれた様な遠い思考ではあったが、それでも彼女の焦りの思考が感じ取れた。
 こいし様がどこかへと行ってしまう。
 どこか遠い所へと行ってしまう。
 彼女の頭の中で、グルグルとその言葉が回転していた。
 ――こいしが……。
「早く!」
 お燐が出した大きな声に当てられた様に身体がビクリと跳ねて、私は立ち上がった。右足を怪我したので、館の中ではあるが私はフワリと空に飛び上がる。
「御免なさい……お燐……直ぐに誰かを呼んで来るから……!」
 私はお燐をその場に置いたまま、彼女が指し示した方向へと進んだ。
 館の中に住まうペット達が、怯え慌てる思考が遠くの方から流れ込んでくる。混乱がこの地霊殿を侵食して行くのが判る。
 なのに、こいしの居場所が判らない。
 あの子の思考だけが、どこからも感じられない。
 まだ、館の中に居る筈なのに……!
 
 じりじり。
 じりじりじり。

 廊下を真っ直ぐ飛んで行くと、やがてエントランスホールへと出る。
 薔薇の花を模したステンドグラスが床一面に張られ、灼熱地獄跡の業火が仄かに地下から床のガラスを照らし上げている。ホールはそんな色取り取りのガラスを通した明かりを受けて、微かに赤や青の燐光を受けていた。
 そこに、こいしが立っていた。
 
 じりじりじりじりじり。
 じりじりじりじりじりじりじりじりじり。

「こいし……?」
 身動き一つせずに立ち尽くすこいしの背中へと私はおずおずと歩み寄る。
 エントランスは耳障りな静寂が立ちこめている。
 ここが一番、灼熱地獄跡の不協和音が響く場所だ。
 こいしに第三の眼を向けているというのに、何も聞こえない。
 ……五月蠅い。
 余りにも静か過ぎて、地獄からの音が明瞭に聞こえて、五月蠅くて仕方が無かった。
「お姉ちゃん」
 振り向く事も無く、こいしが私を呼んだ。
「……何」
「外へ行く。扉を開けて」
「だ、駄目よこいし……! 外に出ては……貴女は眼を閉じてしまって、まだ体調も……」
「じゃあ、まだ私を『閉じ込めて』置くつもりなの?」
「……ッ!」
 感情の色の見えないこいしの声音が、私の脳髄を射抜いた気がした。
 彼女の背中を見ている事が出来ず、私は視線を落とす。ステンドグラスの明かりが僅かに揺らめいて、灼熱地獄跡の焔が透けて見えるようだった。

 じりじりじりじり。
 じりじりじりじりじりじり。

「わ、私は、貴女を閉じ込めて居るつもりなんて……」
「嘘」
 声の出所が明らかに近づいていて、顔を跳ね上げる。
 私が、心を読める私が、全く気付かないうちに――。
 こいしの顔が私の鼻先にあった。
「ひっ……!」
 驚いて、私はこいしの無表情から思わず飛び退いた。地面に右足を置いた瞬間、先ほどガラスを踏んだ部位がジワリと滲む様な痛みを強めて、私は着地に失敗して尻もちをつく。
 それでもこいしは、少しも表情を変える事無く、再度口を開いた。
「部屋に鍵を掛けて。扉の前に見張りまで置いて。閉じ込めてない、なんて良く言えるね」
 久方振りに聞いたこいしの声は、ゾッとするほど冷たい。無感動で無感情で無機質で、私を責める様な台詞にも関わらず、一抹の怒りさえも私は読み取れない。私を見据えるこいしの二つの瞳はきちんと焦点が合っているのに、しかし本当に私を見ているかどうかさえも判らない。
 ――こいしは……こんな表情をしない。こいしは、こんな冷たい声を出さない。
 ――あの娘は人一倍優しくて、私なんかよりもずっと繊細で、甘えんぼで、怖がりで……。
 ――私は、私は一体、誰を、否、『何を』見ている。『何と』対峙している……。
 ――どうして、こんなにも何も聞こえないの……!?

 じりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじり。
 じりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじり。

「部屋の扉を壊したのは、貴女なの……?」
「うん」
「何故……そんな事をしたの?」
「変な事を聞くね。扉が開かなかったからだよ。お姉ちゃんが鍵を掛けたせいでね」
「……お燐が、怪我したわ」
「すぐ治るでしょ。妖怪なんだし」
「そ、そんな事を言ってるんじゃ……!」
「お燐と喋ってる声、聞こえたよ。私が心配だって言ってたね」
 突き付ける様な口調で、こいしが私の言葉に割り込んだ。
「え、えぇ……当たり前でしょう……? 実の妹にあんな事が有って、それを心配しない姉なんて、居る訳が無いじゃない……」
「私はね。どうして、お姉ちゃんは嘘を吐くのかなぁ、って思ったよ」
「――う、嘘?」
「うん。嘘。お姉ちゃんは嘘吐きだよね。覚なのに」
 こいしが私に背中を向けてステンドグラスの上へと戻って俯き、前触れも無く黙った。
 きっと、ステンドグラスの模様に興味が移ったのだろう、と私は推測した。
 先ほどからずっと、こいしの心を少しでも読もうと『眼』を向け続けているにも拘らず、彼女の思考は揺らぎすらも伺えない。どれ程集中しても大まかな感情すら見えず、遠くの方からペット達が騒いでいる雑音が微かに聞こえて来るばかりだった。
 ――こんなにもこいしが近くに居るのに。
 こいしの心が、読めない。判らない。
 何も、聞こえない。
 灼熱地獄跡の炎が揺らめく不協和音だけが、ステンドグラスの下から響いて来るばかりだった。

 じりじりじりじりじりじり。
 じりじりじりじりじりじりじりじりじりじり。

「お姉ちゃん。扉を開けてよ。外に行きたいんだってば」
 ステンドグラスを眺めていたこいしが、またも不意に口を開く。
 不意。突然。前触れ無く。
 動作に移る直前の心の動きが判らなくて、私はこいしが行動を起こす度に驚かされる。
 他者の思考の流れが判ることが前提の私の意識は、そういった予兆の無い動きという物に慣れていない。でも、新鮮、という言葉で私の動揺を説明する事は出来なかった。
 こいしが何かをする度に……。
 何をするのかが読めなくて、判らなくて……。
 こいしは私の妹なのに。私はこいしの姉なのに……。
 私は――。
「お姉ちゃん」
 こいしの声が、今度は遠くから聞こえた。
 急いで姿を探すと、こいしは扉の前に立っていた。
「開けて」
 片手で扉に触れた彼女は、同じ要求を繰り返す。
「開けてよ」
 尻もちを突いたままだった私は、右足を使わない様にして立ち上がる。
「外に出たいの。だから、開けてよ」
「――駄目」
 私はこいしを三つの眼で睨みつけて、叱る様な声音で言う。
 でも、それは、虚勢だ。
 何故なら。
 何故なら私は、こいしが――。
「どうして?」
 こいしが小首を傾げて問う。何だか動作がぎこちなく見えた。全く表情が変わらないからか、彼女の身から立ち上る違和感は強まるばかりだ。
「どうしてもよ。お姉ちゃんの言う事を聞きなさい。貴女の為を思って言っているの」
 私が精一杯凄んで見せてもこいしはどこ吹く風といった感じで、少しも反応しない。
 以前は、殊勝な表情で怯えたというのに、まるでそんな様子は見られない。
 こいしは先ほどとは逆の方向へと首を傾げる。
「だって、私が外に行った方が、お姉ちゃんも喜ぶでしょう?」
「な、何を言っているの! そんな、そんな事を私が思う訳無いじゃない……!」
「ふぅん。でもお姉ちゃんはさ――」
 言いつつこいしが、ゆっくりと右手を上げる。
 相変わらず意図が読めなくて、私は必死で表情を取り繕っていた。
 こいしの手が私を指さして、そしてまた、不意に、こいしが口を開く――。
 
 じりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじり。

「――お姉ちゃんはずっと、私を怖がっているじゃない」
「……ッ!?」
 こいしの言葉が、私の心臓を冷たい手で鷲掴みにしたようだった。
 喉がグッと詰まり、私は呼吸の仕方さえ忘れてしまう。
 フッと足から力が抜けて、私はその場にへたり込んでしまった。
 私は……私は、こいしに、何も言い返す事が出来なかった。
 事実だからだ。
 私は、私は、こいしが眼を閉ざしてからずっと――。
 
 ――ずっと、こいしの事が、怖かったのだ。

「私を部屋に閉じ込めて、お燐に見張りまでさせて。お粥を持って来る度に、お姉ちゃんの声は震えてた。私の部屋を出る度に、お姉ちゃんは扉の外で溜め息吐いてた。それって、お姉ちゃんが私の事を怖がってるからだよね。私が眼を閉ざした事が理解出来ないのに加えて、私の心が読めなくなっちゃったから、お姉ちゃんは私が怖くて仕方が無かったんだ。心が読めないから、私が何をして来るのか予測が出来なくて、もしかしたら自分が気付かないうちに危害を加えられるんじゃないかと思って、だから、お姉ちゃんは私の部屋に鍵を掛けたんだ。私が出られない様に。そうでしょ? だったら、私が外に出た方がお姉ちゃんは喜ぶじゃない。安心するじゃない。だから、外に出してよ。飽きたら帰って来るからさ」
 こいしはそう言って、笑った。
 酷くぎこちない笑顔だった。表情筋を操って笑みの形を取り繕っただけの笑顔だった。
 ――あぁ、こいし……こいし……。私のたった一人の妹……。
 どうか、お姉ちゃんを、許して……。
 弱いお姉ちゃんを、どうか、許して……。
 私は謝りながら。
 何度も何度もこいしに、謝りながら……。
 玄関扉の鍵を、開けた。
「――心が読めなくなっても、私は、お姉ちゃんを置いて行ったりしないよ」
 そう言ってこいしは一人で、館の外へと、出て行ってしまった――。

じりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじり。
じりじりじりじりじりじりじりじりじり。
じりじりじりじり。
じりじりじり。
じりじり。
じり。



 こいしは、大した目的も無くあちこちをフラフラ放浪するだけの妖怪となってしまった。
 あの娘が何処で何をしているのか、私にも判らない。
 こいしが近くに居ても、彼女の心を読む事は出来ない。
 こいしの世話は、ペットに任せてしまう事にした。
 ペットを飼う事によって目的が生まれれば、少しずつでも他人の心が判るようになり、元に戻るのではないかと思った。
 元に戻れば良いとは思っている。昔のこいしに戻って欲しいという願いに偽りは無い。
 ――でも、本当の目的は別にあるのだ。
 心を読めない他人など、私に敵意を向ける他人とは比べ物にならない程に脅威だ。
 それが如何に、自分の妹であっても……。
 他者の思考が流れて来るのが前提の私の世界にとって、他者と相対しているにも関わらずその相手の思考が読めない、何も聞こえないその静寂が如何に不気味で、如何に不安で、如何に戸惑いを生み出す事か。覚では無い者には理解出来まい。
 結局のところ私は、こいしの言った通り、今も、こいしを恐れているのだ。

 じりじりじりじり。
 じりじりじり。

 自室に、囁く様な灼熱地獄跡の不協和音が満ちている。
 それはこの部屋に、私しか居ないからだ。心を読む事の出来る第三者が居ないからだ。
 しかしこの部屋に、こいしが居ないとは最早言い切れない。
 だから私には、書面を注視しつつも時折、室内を確認する癖がついてしまった。
 酷い姉だ。
 まだ覚の能力を排していないとは言え、こんな私を誰が誉められようか。
 本当に弱いのは、覚を辞めたこいしなのか、まだ覚である私なのか。
 私には、判らない。

End
地霊殿のキャラ設定を読んで、「どうして妹の相手までペットに任せんのかなぁ」と思ったので、書きました。
夏後冬前
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コメント



0.420簡易評価
3.90名前が無い程度の能力削除
文章が素晴らしいのでとりあえず一票投じておきます。
8.無評価名前が無い程度の能力削除
前作と比べるとなんだか、書き込み方が足りないような。
10.90名前が無い程度の能力削除
公式でさとりんはこいしちゃんのことを気にかけているようですが、やはりイレギュラーな存在であるがゆえ、距離をおいてしまうということですかね…