Coolier - 新生・東方創想話

ひとりよりふたり

2012/07/09 21:57:14
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――人間は一人よりも二人のほうがいい。

 誰が言った言葉だったかな?





 わたしはゆっくりと闇の中を歩く。
 空気がかすかに揺れている。もちろん空気が揺れるという表現は少しおかしくて、本当は風が吹いているといった表現のほうが適切なのかもしれない。けれど、わたしがそういった言葉を使いたかったのは、風のなかに本能をくすぐる臭いをかいだからだ。
 血の臭い。それも、わたしの大好物の『人間』の血の臭いだった。
 夜闇のなかに殺気に似た空気を感じる。
 あわよくば人肉にありつきたいと願っている雑魚どもだろう。力も無いくせにハイエナのようにおこぼれにあずかろうとするやつも中にはいる。当然、妖怪であっても好みがあるから、捨て置かれる部位が少なからず存在する。強力なやつが全部を食べきるということもそうあることではなく、弱い者は時間と忍耐を武器にしているのだ。
 わたしの場合は、ある程度融通がきいた。
 だから、周りの殺気を気にせず、ゆっくりと歩いているのだ。しばらく歩いていると、山の勾配を必死でかけあがる人影を見つけた。
 そいつは、人間の男だった。
 齢は三十すぎ、筋肉質であまりおいしそうではないが、それでも妖精や雑魚妖怪に比べれば遥かにおいしそうだ。
 だが、ふと気づく。
 例の血の臭いがどこからきているのかと思えば、男がかついでいる大きな麻袋からのようだ。お世辞にも綺麗とはいえない、黄色く変色した麻袋を男は肩からかついでいた。闇のなかで獲物を捉える能力もない人間は、わたしの姿を視認することすらできず、その重い荷物を息を切らせながら運んでいる。よっぽど急いでいたのか、男の額にははじけるような汗がいくつも浮かんでいた。

「ねえ。おじちゃん」
 わたしはできる限り幼さを演出しながら声をかけた。
 ギクリ。
 と、男の動きが止まる。くだらない。恐れというよりも思考停止に近い状態だ。男は二秒ほど固まっていた。わたしがその気になれば、五回は死んでいただろう。そうしなかったのは、袋の中身が気になったからだ。
「その袋の中身、なぁに?」とわたしは聞いた。
 普通なら、こんな夜も更けた時間帯に、わたしのような童子がいること自体が不可解であるはずなのだが、男は焦ったように声をだした。
「あ、いや(養豚でさえもう少しマシな言い訳が思いつくだろう)なんだよ」
「ふうん。でも、血がにじんでるけど?」
「おじちゃんは、ちょっとな……(子どもだから仕事という言葉で騙せると思っているらしい)ってわけさ」
「へえ……、じゃあ中身見せてよ」
「だめだよ。この中は(あまりにもくだらないから脳内削除)なんだからね。お嬢ちゃんは帰りな」
 そう言いながらも、男の視線がわたしをかすかに値踏みしていた。わたしは見た目的には小さい。男の胸のあたりぐらいまでしか身長はないし、腕まわりの筋肉も、胸板の厚さも、あらゆる点においてミニサイズなのは事実だ。殺せると思ってるのだろうか。いざとなれば殺してしまおうとか?
 ご苦労なことだが、低脳につきあうのは面倒でもある。

「あのね。おじちゃん。わたし、妖怪なの」
 わたしは男が理解しやすいように、わざとゆっくり言ってやった。
 袋に近づいて、くんくんと嗅ぐ動作。
「人間の血の臭いぐらいわかるよ」
「……」
 いよいよ男は思考を止めているらしい。
 男の思考をいちいちトレースするまでもないが、あるいはわたしを害そうとしていたのかもしれない。けど、妖怪が人間に敵う道理はない。このような夜闇のなかでひとりきりであればなおさらだ。その程度のことはさすがに考える脳みそが残っていたらしく、ようやく男は観念したのか、袋の中身を開陳した。
 なんのことはない。
 女の死体だった。
「殺しちゃったのね?」
「殺すつもりはなかったんだ。(以下、どうでもいい顛末を未練がましく喋る)」

 男の話をまとめると、女は男の配偶者だったらしい。新婚ほやほやの幸せな生活だったのも束の間、互いの本性が見え始めるにいたって、喧嘩が絶えなくなり、勢いあまって殺してしまったとのことだ(くだらない)。本人は事故だと言い張っているが、わたしにはどうでもいい。どうでもいいからこそ男はわたしに罪を告白しているとも言える。ただわたしに名前を名乗るのはどうなのだろう。少し誘導したら簡単にぺらぺらと喋ってしまっている。人間と違う理に生きているとはいえ、妖怪もそれなりに知恵があるのだが……。人を殺したことでよっぽど動揺しているのかもしれない。豚も人間もわたしにとってはそれほど変わるものではないが、同族を殺すことの禁忌は理解できなくもない。

「それでどうするつもりなの。おじちゃん」
 わたしは友好的な態度を崩さなかった。そうすると、男はわたしを睨みつけるように視線を這わせてきた。怒りではなく、恐れでもない。少しは考える頭が残っていたようだ。
「そ、そうだ。お嬢ちゃん。あんた妖怪ってんなら、こいつの体、喰ってくれよ」
「喰べるのはかまわないけどね。妖怪は人間を喰べるんだから……」
「よかった。それは助かる」
 男は心の底から安堵しているようだった。肩で大きく息をついている。多少は頭が働くと思ったが、本当にどうしようもない。
「あのね。おじちゃん」
「ん。なんだい」
「おじちゃんは死体を捨てにきたんだよね」
「ああ……そうだが」
「どうしてそんなことをする必要があるのかな?」
「そりゃ……な。人里っていったって狭いしな。自分の妻を殺してしまったんなら罪をまぬがれんだろ。仮に事故だということになっても、生きていくのは難しい。だが、妖怪に喰われたってんなら、話は別だ。里のみんなは同情してくれるだろうよ」
「じゃあ、わたしはおじちゃんの弱みを握ったことになるね」
「おい、おい……お嬢ちゃんは妖怪だろう。人間の理なんてどうでもいいはずだ」
「うん。そうだね」
 まったくそのとおりだ。さてではそろそろ本題に入ろうか。
「ところで妖怪の理は知ってるよね」
「ん……?」
 すっかり打ち解けたとでも思っているのか、男の声は軽い。
「妖怪は人間を食べるんだよ。もちろん人里のなかでは襲ってはいけないことになってるけどね」
「お、おい……」
「おじちゃんも例外じゃないんだよ」
「ま、待ってくれ。俺は死にたくない」
「じゃあ、なにか見返りをくれる?」
「見返りったって……」
「豚でも鶏でもいいよ。まあ人間が最高なんだけど、さらって来いなんて言わないから」
「じゃあ、豚だ。どうせ俺ひとりじゃ喰える量なんて限られてるしな」
 下卑た笑い。
 打算と利益で行動するのは妖怪も人間も変わらないらしい。死にたくないという本能が筋肉を弛緩させているのかもしれない。
「七匹ぐらい用意できる?」
「七匹もか……」
「嫌なら喰べちゃうよ」
「わ、わかった。用意しよう」
「一週間ごとに一匹持ってきてよ。人里で食べるわけにも行かないしね。まあ、こう見えてわたしはそれなりに強い妖怪だから、ほかのやつには手を出させないようにするからさ。それと――」
 わたしは男の顔を見上げた。
 ちょっと媚びた視線の使い方だ。
「言っておくけど、約束を違えた場合は、おじちゃんが殺したことを人里中で言いふらすからね」
「ああ……、わかった」
「じゃあお帰り」
 男はポカーンとつったっていた。
 危機的状況が簡単に去ったことに面食らっているのか。それとも、人間らしい倫理観を妖怪が持っていないことに驚いているのか。
 いずれにしろ、その間抜け面をこちらに向けないで欲しい。見てると食べてしまいたくなる。
「あー。今からこの死体を処理するからさ。さすがにおじちゃんもさっきまで一緒に暮らしていた奥さんが喰べられるのを見ていたくないでしょ?」
「わかった。じゃあ、一週間後にまた来ればいいんだな」
「一匹ずつでいいからね」
 そうすれば、わたしは労せずして食事にありつける。豚のような食べかさのある生き物は、みんな血眼になって探していて、すぐに他の妖怪に食われてしまうから、なかなか食べられないのだ。人間のほうがもちろん一番レアな食事に違いないが、七匹の豚とも十分につりあうだろう。
 男の姿が再び闇のなかに消えたあと、わたしはとりあえず久方ぶりのご馳走に舌鼓を打つことにした。人間も打算的であるが、妖怪だって十分に打算的だ。生きていくにはそれなりに考えなければならないし、本能だけでは損をしてしまうことも多い。少なくともわたしは考えるだけの能力を持っている。手についた血をぺロリと舐めながら、男が豚を本当に持ってくるかを考える。もちろん持ってくるように、心に楔は打ち込んだが、こんな森の奥深くまで闇夜のなかを歩くなんて自殺もいいところで、いざとなれば臆病風に吹かれるかもしれない。ただ、それでもかまわなかったのだ。
 男を帰した理由は、この死体があるからである。
 生きている人間を殺して喰うのは活き締めのようなもので、要するに新鮮だから一番おいしいのだが、女の体は死後硬直が始まってまだ間もない。通のわたしに言わせてもらえれば、人間は死後硬直が解けるギリギリまでが一番おいしく、あとは腐って味がおちる。なので、この女の死体はかなりおいしかったといえる。
 それで、わたしはこう見えて少食なのだ。とてもじゃないが、二人分の人間の肉を胃の中におさめることはできない。わたしがあそこで男を殺しても、わたしのおなかがすくまで――つまり、その死体がまずくなるまで待たなければならないし、そんな味の落ちた人肉を長時間保持するのも面倒だった。機をうかがっている雑魚どもがたかってくる可能性も高い。
 それなら未来への投機として、七匹の豚を手に入れるほうが幾分かマシに思えたのだ。


 結果から言えば、男は約束を守っている。
 森の入り口近くで待っているのが効を奏したのか、今のところ襲われてもいないようだ。もちろん男には最後まで約束を履行してもらわなければ困る。いや困るというよりは残念といったほうがいいのかな。正直なところ半分くらいの確率で約束は破られるものだと思っているから、別に男がわたしとの約束をたがえても怨みや憎しみの感情を抱くことはないだろう。
 両手両足が縛られた豚をわたしは受け取り、その場においた。
 とりあえず世間話なんてどうだろう。人間らしく――楽しいお喋りというやつだ。
「ねえ。おじちゃん」
「ん。なんだ。約束は守ってるだろ。俺のことは食べないでくれよ」
「そうじゃなくてさ。奥さんのことはどう処理されたのかなって思って」
「ああ、予定どおり妖怪に殺されたことにしたよ。妖怪に食べられちゃ死体も残らないしな」
「変に思う人はいなかったのね?」
「あいつの弟ぐらいかな」
「弟?」
「十になったくらいの餓鬼でさ。姉ちゃんにベッタリだったからな」
「十の子ね。おいしそうじゃない」
 子どもの肉は柔らかい。大人よりもずっとおいしい。咽喉がごくりと鳴った。
「ねえ。その弟さん。食べてあげましょうか?」
「いや……しかしな」
「その義理の弟さんが、妖怪に対する敵討ちとして森に足を踏みいれてもさほどおかしなことじゃないわ。あなたがいっしょに敵討ちしようと言えば、ついてくるんじゃないかな?」
「そうかもしれんが、そこまで外道にはなれんよ」
「あっそう。残念ね」
 男は妙に焦燥した顔になる。同族が殺されるのを嫌悪する感情だろう。自分で配偶者を殺しておきながら、できることなら殺したくはないと思っているようだ。たぶん、それは生物として死を厭う感情がそうさせているのだろう。もしかすると次に死ぬのは自分かもしれないといった想像力が、そうさせているのだ。個人としての男の知能はそこらの妖怪にも劣るようだが、種族としての知能はなかなかに高いらしい。人間の侮れないところである。
 しばし、沈黙。
 それからカツンと男がその場の石を蹴り上げた。
「前にも言ったろ」男が口を開いた。「俺は殺したくて殺したわけじゃないんだ」
「相手側からすればどうだったのかな?」
「わからねぇ。そのときどういう気持ちだったのかうまく自分でも説明できねぇ」
「妖怪が人間を食べるときのように、自動的に殺したの?」
「自動的か。そうかもしれんな。俺のなかの俺じゃない何かがそうさせたんだ」
 ずいぶんと都合のいい話だ。殺された側はいったいどう思っているのだろう。人間の気持ちをおもんばかる必要などないが、しかし食べられもしないで棄てられるとは、さすがに思っていなかったのではないかな。わたしの評価としては、もったいないといった気持ちが強い。
 人間はどうして人間を食べないのだろう。そのほうが力を蓄えることができるし、自然の理にかなっている。べつに生物としてもおかしな行動ではない。昆虫のなかには自分の体を近親に捧げるものも多いと聞く。
 おそらくはそれが人間のいうところの倫理というやつなのだろう。わたしにはよくわからない。そういう概念があることを認識することはできるが、理解することはできない。まして納得なんて空のうえの星をつかむような話だ。
 ただ、そういったもろもろの感情も終局的にはどうでもいい部類の話で、わたしの生にとっては余剰に属する。つまり、人間のあれこれを想像するのは、わたしにとっては単なる遊びだった。
 男の行動は知性としてはあまり褒められたものではないが、それもまたわたしがよくわからない倫理から発するものだとすれば、興味深いのだ。男の行動を観察することで、わたしはある種の人間を飼っているような楽しさを感じていたのかもしれない。
 それにあわよくば、もう一人ぐらいは食べられるかもしれないといった打算も働いた。どう転んだところでわたしが損をすることはないのだ。
 気をつけるべきは、男がうまく讒言することでわたしを退治させようとすることだ。
 人間が徒党を組むか、あるいは博麗の巫女に委任されればわたしの立場はかなり危ういともいえる。しかし、わたしは殺していないのだから、いざとなればどうとでもなる。ここ幻想郷には嘘を見抜けるやつが何人もいるし、真実を暴露するだけでいい。人間が妖怪を退治するのは、妖怪が人間を喰らうからだ。より正確にいえば、妖怪が人間を殺すからだ。したがって、殺していなければ退治もされない。わたしが男に依頼されて死体を隠蔽したことは、妖怪を退治する理由にはならないのだ。
 それに、いまさらといった感じもする。
 わたしが事の顛末を聞いたのは、男が配偶者の死をどのように伝えたかを知りたかったためだ。いまの段階で、このわたしに喰われたのだと言いふらすのは難しいだろう。男はあくまでどこかの妖怪に食われたということにしたのだ。話の整合性のためか、男と配偶者がいっしょに森に入ったことにはしにくかったのだろう。まあこの点については、後日、人里にいって裏づけをとっておいたほうが無難かもしれない。

「人間はな、一人よりも二人がいいんだよ」

 唐突に現実に引き戻される。男が独り言のように呟いた言葉に違和感を覚えたからだ。そんな言葉がこの男の口から出るとは到底思えないのだ。配偶者を殺しておきながら。

「誰の言葉かな?」

 たぶん、誰かから受け取った言葉なのだろう。私はそう考えた。
 そしてその考えは当を得ていた。

「あいつだよ……、あいつが結婚する間際にそう言ってたんだ」

 男はそう言って号泣した。人間という生き物はどうも自分の感情に振り回されている気がする。観察もかねて、私は男の背中をさすってあげた。





 次の日。
 わたしは人里に訪れていた。
 男が言ったとおり、女がどこの妖怪に殺されたのかわからないということになっているのか調べるためである。
 というより――まあたまには人里を闊歩するのも良いかと思っただけである。わたしは見た目は多少は奇異だが、それでも童とさほど変わらない。それに妖怪がそこらを歩いていても襲われない安心感があるのか、人間も気にもとめない。いい時代になったものである。それに金も少しなら蓄えがある。
 団子屋でみたらし団子を注文しながら、わたしは世間話を店屋の人間とする。
 外の世界の人間はともかく、人里の人間が妖怪に喰われるのはかなり珍しいことである。人里の人間は襲われない場所のことを知っているし、妖怪への対処の仕方も多少は心得ている。おふだ一枚もあれば、そこらの雑魚は手を出せないし、そんなのが効かないようなやつは、話せばわかってくれることも多いからだ。
 そんなわけで、妖怪に喰われた人間がいるということは、ちょっとした有名な事件になっていた。
 ただ噂は噂だ。女を食べた妖怪の名前はわからず、容姿すらもてんでバラバラだ。ちょっと聞いたかぎりでは、やれ三つ目の妖怪に喰われただの、口と舌だけの巨大な妖怪にぺロリとひとのみにされただの、地底の鬼がついに本性を表しはじめただの、いろいろな見識があった。自分の目で見てもいないのに、真実などわかるはずもない。半端に知能を有するがゆえに、少ない想像力を暴走させているのだろう。わたしにとっては好都合である。人間は同族を喰らうやつがいるというだけで恐怖を覚え、狩りたてようとする傾向がある。ここ幻想郷ではいくらか牧歌的な雰囲気をまとっているものの、それは蜘蛛の糸よりも細い調整のうえになりたっているのだ。もしも人間の数が今よりも多ければ、妖怪は駆逐されるし、逆に少なすぎても自衛する能力すらなくなって、人間は死滅する。そうするとわたしたち妖怪も道連れになる。
 わたしもできれば長生きがしたい。わたしの話が広まっていないことにひとまず安心する。
 ふにゅと小さく嘆息。
 そうしたら、団子が足りないと勘違いされたのか、追加で一本もらった。
 運が良い。人並みに(文字通りの意味で人並みに)感謝もする。
 とりあえず身の安全は保障されたようだ。男は殊勝にもわたしのことを話していないらしい。それも人間らしい倫理観なのだろうか。とはいえ、夜中に配偶者の死体を山に棄てにくるやつの倫理観が、一般の人間と比べてどれほど平均値に近いかはわかりようもないことだが。





 時が流れ、いよいよ最後の豚の引渡しの日になった。
 男はこれまでずっと約束を守っていた。わたしにはわかりようもないことだが、観察しうる限り、男はさほど悪というわけでもないらしい。悪役的な悪ではないという意味だ。もしかすると配偶者を殺してしまったというのも本当に事故だったのかもしれない。
「ねえ?」
「ん。なんだ。これで約束は果たしたはずだぞ。殺さないでくれよ」
「殺される可能性も考えてたわけだよね。どうしてそれで約束を果たそうとするのかな。よくわからないんだけど」
 もちろん、配偶者を殺したことを黙っていることの対価ではあるのだが、殺されてしまっては元も子もないはずだ。
 そしてわたしには殺す能力も十分にある。舐められているのだろうか。男の前では確かに暴力をふるったことはない。だがそれなら豚を約束どおりわたしにくれる理由がよくわからない。
「約束は守るということなのかな?」
「ああ、たぶんな。俺にもよくわからんよ。もしかすると喰われるならそれもしかたないと思ってるのかもしれない」
「罪滅ぼし?」
「そうだ。だが……別に喰われたいと思っているわけでもないよ。俺はそこまで強くないし、そもそも強かったら、里の皆にもちゃんと説明するだろうしな。結局、どっちつかずなんだ。中途半端なんだよ俺は」
「まあそういうところあるよね」
 中途半端に合理的で、中途半端に打算的で、それでいて計算しきれていないところもある。
 まるで妖怪みたい。
 妖怪のほうこそがそうあるべきなのに。
 人間のほうが計算するべきであるのに。
 幻想郷の人間は一味違うということだろうか。
 あるいはそうだろう。
 わたしはどうなのか。妖怪らしくあろうとしているだろうか。
「いきなよ。おじちゃん」
 わたしはひらひらと軽く手を振った。これでお別れだ。
 男は背を向けてそのまま去ろうとする。去り際に一度こちらを向いた。なんの感傷なのだろう。わたしはこう見えて必死に食欲を我慢しているのに。
 男の姿が草むらの中へと消えた。
 深い森のなかで、まだ少し人間のにおいが残っている。いいにおい。食欲をそそるにおいだ。
 くん……。
「やっぱり食べておくべきだったかな?」
 途端、叫び声があがった。
 そう遠くない。聞き覚えのある声だ。
 ああなるほど、人間のにおいが濃かったのは、もうひとりいたせいか。我ながらどこか疎いところがあった。人間に慣れすぎた。
 現場にかけつけてみると、予想したとおり、男は地面に無様にも転がり、必死で誰かに弁明している。
 包丁を握り締め、殺意に顔を歪ませた少年だった。
 どうやら――、男はつけられていたのだろう。
 わたしは身を隠して事のなりゆきをうかがう。
「おまえが姉ちゃんを殺したんだな」
「ち、違う」
「じゃあどうしてこんな妖怪だらけのとこに豚を持ってくる必要があるんだよ。大方、妖怪に頼んで殺してもらったんだろ」
「エサだ。エサだよ。あいつを殺したやつをおびき出そうと思って持ってきただけだ」
「嘘をつくな。じゃあどうして七匹もいなくなってるんだよ。毎週きっかり一匹ずつ減ってるのはわかってるんだ」
 どうやら人間の知恵というのには個体差があるようだ。まだ十の子とはいえ、男よりは知恵がある。
 男は未練がましくもまだ言い訳を続けているが、もはや言葉を尽くしたところで無駄だろう。なにしろ男が妻を殺したことはまぎれもない真実なのだ。
 少しの間、傍観していると、なにやらいろいろと言い合いをしたあげく、少年のほうがようやくその幼いながらも巨大な殺意をあらわにした。
 包丁が、正中線に対して水平に構えられる。
 わかりにくい表現になってしまったかな。人間ってやつはどこもかしこも急所だらけだが、殺しやすい部位はだいたい真ん中あたりと相場が決まっている。
 少年が構えたのはちょうどお腹あたりを狙っていた。
 殺す意図。
 あんなに醜い顔をして、すごく妖怪っぽい。
 男が情けない声をあげ、まさに包丁の切っ先がちょっと出っ張った食いかさのありそうな腹に到達しようかというとき、その動きは私の指先一つでそらされた。
 人差し指ひとつ。
 べつにつまんでもよかったけど、そんなことをする必要すらない。
 私のテリトリーで何の力のない人間が、ましてや童子がどんな抵抗をしたところで無意味だ。

「なんだおまえ?」
「私? 私は妖怪だよ。おまえの姉を喰らった憎い妖怪さ」
「おまえが? 豚は?」
「契約の証ってやつかな。正確なことを言えば、私は単に屍体を食べたに過ぎないよ。ただの屍体処理。お前たちがそのことを少なからず忌避することは知ってるけど。べつに殺したわけじゃない。それぐらい鳥だって、小さな虫だってやってることだし。お前たちのルールにすら触れてない。わかるかな? 私は悪いことはしていないの」
「そいつとつるんでるわけじゃないか」
「まあ……結果的にいっしょにいる時間は長くなったかな。だけど、それがどうした?」

 そしてクツクツと笑う。
 どうして人間という種はこうも仲間に対する想いが強いのか。
 愛も憎しみも、私にはわからない。
 私は――、一種一妖であるから。
 だから、言う。
 その【だから】の意味がよくわからないが、理知でも論理でもないが、それでも言葉をつむぐ。

「ねえ? この子喰べていい?」

 男は青白い顔をして動かない。
 小刻みに震えている。
 これが人間。
 個が殺されようとしているのに。自分という絶対の主観世界が侵されようとしているのに、それでもなお、他人のことを思わずにはいられない。
 殺されたくないという想いと殺したくないという想いが、絶対の均衡を保つ。
 誰が、作ったのだろう。

「いいよ。べつに」

 私は私の意思で、少年を殺した。
 彼は選ばず、私は選んだ。


 鳥は走り、豚は走らない。
 なんの話かといえば、首を落としたときの話だけど。
 人間の場合は、どうやら豚に近かったようだ。

「どうしたの。おじちゃん?」

 私は笑う。

「おじちゃんは何もしてないんだよ。私を道具のように扱って、おじちゃんの意思で殺したわけじゃない。おじちゃんは引き金を引いてないの。わかるかな。これは私が勝手におこなったことなんだよ。だから、そんなに泣かなくったっていいじゃない。怖いの? 同族を殺したから怖いの?」

 男はずっと何も答えを返さなかった。






























「――というのが顛末。怖い怖い妖怪の話さ」

「それで? あんたの言い訳は里の外だからルールに違反していないとか、そういうことが言いたいわけ?」

 まったくドジを踏んだものだ。
 男はあのあと生気のない顔をして里のほうに帰っていったが、どうやら里の守護者か誰かに自分の罪を告白してしまったらしい。
 私のことなんて微塵も考えてないのだから、困る。
 まあ、そのことを憎む気持ちなんてこれっぽっちもないが。
 しかし、目の前に博麗の巫女があらわれては、さすがに気が滅入るというものだ。
 はっきり言って、勝てる見込みというものをまったく感じない。
 実力が隔絶している。
 そして、私は半ばあきらめている。
 先ほどから博麗の巫女に話の顛末を聞かせたのは、言い訳なんかではなく、むしろ遺言に近い。

 なんだろうなぁ。
 人間ってやつはさ。

「ひとつ聞かせてもらえるかしら」
 巫女は感情の揺らぎを感じさせない声で言った。
「どうぞ?」
「どうして、その男を助けたの? 子供のほうがおいしいから?」
「食べかさのある大人のほうがいいに決まってるよ。ただ、あいつが一人よりも二人のほうがいいなんて言うから……勘違いしてしまったのかもしれない」

 そうなのだ。
 きっといつからか私は支配されていたのかもしれない。
 地底に住む忌まわしい覚り妖怪よりも恐ろしい洗脳能力。
 ああ、妖怪なんかより人間のほうがずっと恐ろしい。
 何が恐ろしいのかわかるか?
 妖怪を人間に近づけてしまうところだよ。
 人間にはそれができる。

 かくして、私は妖怪のように孤高を生きることなく、人間のように二人になることを夢見て死んだ。
まあ、こいしちゃんと同じなんだけど、こいしちゃんよりはふつうよりという設定のオリキャラ妖怪で書いてみた。
意味がわかる人は、アー、またまるきゅーがアレなの書いてるとでも思ってくだされば、それでよし。
妖怪の精神構造は後天的なうんぬんが無いのよ。ふわふわしてる。少女だから。
だから、妖怪少女が人間を喰らっても、べつにいいんだということになる。
こいしちゃんが書きたい。
超空気作家まるきゅー
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コメント



0.1760簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
主人公の考え、思考が人間とは違うということが強烈に伝わってきました。
そういうところを重点的に書くことができる貴方様の頭の中を見てみたいです。
つまり何が言いたいのかというと、すごいです。
客観的?に見るとこのような妖怪こそ哀れというべきなのでしょうか…
2.80名前が無い程度の能力削除
おー毒されたってだけじゃねーの?
4.90奇声を発する程度の能力削除
何というか、凄かったです
5.100もんてまん削除
この子好きだなぁ。
6.100名前が無い程度の能力削除
ミイラ取り…は近いのかな?
良かった
7.50名前が無い程度の能力削除
(iPhone匿名評価)
8.100名前が無い程度の能力削除
b
9.100名前が無い程度の能力削除
すげえ
11.100名前が無い程度の能力削除
妖怪らしい妖怪は良い。
16.無評価名前が無い程度の能力削除
刑法好きですなぁ。
こいしちゃんもいいけど、夏バテ対策にマリアリ下さい!
17.100名前が無い程度の能力削除
↑点数忘れ
22.90名前が無い程度の能力削除
お久し振りです、そしてご馳走様でした。
23.100名前が無い程度の能力削除
なんかそんな気はしてた
25.100名前が無い程度の能力削除
人間らしさ、妖怪らしさということでしょうか
全体的にすごいのですが、特に最後がまた良いですね
26.90名前が無い程度の能力削除
あとがき読んで内臓が配置換えされるような感覚を味わいました。
そっか、こいしちゃんの系譜なんだなと。
良かったです。
27.90名前が無い程度の能力削除
死んだ、とはっきり締められるのは
彼岸と魂が確実に存在する幻想郷らしいな
と本編にあまりかかわらない感想を
31.90過剰削除
氏の書く妖怪は本当に人間離れしてて好き
本当に同じ人間が書いたのか疑わしいほどにww
32.100楽郷 陸削除
オリキャラがメインの話だったけど、うまく幻想郷の雰囲気が出ててよかった。
37.100名前が無い程度の能力削除
変な話ですが、人間味がありますねぇ。
淡々とした文章なだけに余計それを感じました。面白かったです。
40.100名前が無い程度の能力削除
そうか。ラブなら仕方ない。
42.100薬漬削除
普段は「オリキャラ」のタグは殆ど読まないのですが、逆にオリキャラ「のみ」というのはすごく気になって気づいたら読み始めてました。
感想はほかの人にすでに書かれてしまったので省略しますが、素晴らしかったです。
43.80名前が無い程度の能力削除
個人的には、顛末は「二人になりたかった」より「観察したかった」の方が好き。
なので70点、と思ったけど、文も読みやすかったしこんな理由もあんまりだよなあと思うのでこれで。
それに、70の作品じゃない。
44.90名前が無い程度の能力削除
なかなか読み応えが有り面白かったです。
オリキャラだとどうしてもイメージが湧きづらいですね。そこがほんの少しだけ
残念というか、違和感に近い感触というか。
46.80名前が無い程度の能力削除
人間観察記 by 普通の妖怪
47.100名前が無い程度の能力削除
妖怪を描くことで人間を浮かび上がらせる。
まるきゅーさんのセンスは素晴らしい。いや、むしろ怖いくらいです。
50.90名前が無い程度の能力削除
文章が上手い。キャラの感情が多少わかりづらい部分もありましたが(私の読解力不足のせいでしょうが)。
ラストの部分を削るか、改稿すれば一次創作として十分通用する気がしました。むしろそうするべきだった気もします。
51.80名前が無い程度の能力削除
いいなあ
52.100名前が無い程度の能力削除
上手いなぁもう
57.90名前が無い程度の能力削除
いい。最後だけどうにかならなかったかと。
60.100名前が無い程度の能力削除
人間ってそういうものですからねぇ
影響し、影響される存在ですもんねぇ

影響された妖怪少女も仕方ない事かと思いますよ