Coolier - 新生・東方創想話

異邦の筐

2012/07/02 19:14:48
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異邦の筐



    ある夏の冷ややかな早朝、封獣ぬえの見た自らの足は、掛け布団から半ばはみ出し、あるはずのない第三の足を披露していた。
    妙に肌寒く腹が冷え、掛け布団を腰回りにパレオの要領で巻き、汗の滴る腕は思わず好奇心に駆られ、その足に震えながら触れていた。確かな肉の肌触りと、ザラザラと粗く張った鳥肌とで、ことさらリアルな怪異に、ぬえはさらにおののいて急いで手を引いた。
    しかし、触れた足が決して新たな足である保証は無いことに気付き、極めて慎重に、嫌々他の二本にも指を添えた。しかし、どちらも同じように弾力のあるリアルな感触で、この三本の真偽を判定するには甲乙つけがたい。
    血色の良い白と濁った黄色とを混ぜたような色で、腕をかたわらに寄せて色を見比べるが、どれもやはり相も変わらず嫋やかで、艶美たる輝きに満ちていた。すべてもとから備わってたような疑いをもたらす、恐るべき実態だった。
    まだ冷静だったぬえもようやく焦燥に駆られ、天井に下がる幾重もの氷柱から滴る濁り水の行方を確かめてから、生まれたての子鹿のように覚束ない足取りで立ち上がった。足が一本多いだけで、ここまで動きづらくなるのかと、ぬえは体験した。
    腰の布団を払い、四方を見渡して驚愕した。夥しい札が障子を取り囲み、まったく意味のわからない漢字を書き連ね、猛獣を監視するかのように、不備のない手入れが施してあったのだ。
    まさに自分が奇奇怪怪の魑魅魍魎になんなんとす寸前に陥ったような不安が生じ、見るもの全てが飼い主の仕業と疑ってやまず、ぬえは札を剥がそうと手を掛けたが、なにか特殊な術式を施されたようで、札は火花を散らして及んだ手を制した。ジリジリと燃え尽きた札は、何事もなかったかのように再生し、呪詛を思わせる漢字の刻印を時間を掛けて焼きあげた。
    発熱はあつくなく、夏の日差しを何とも思わない氷柱は、ぬえの頭に水をゆっくりと落としていた。これも術式によるものだろうか。部屋は不穏な寒気が漂っていた。
    ふと足を見ると、改めてこの怪異は想像だにしなかったものであると把握し、同時に吐き気をそそる奇怪な肢体であると知った。得体の知れない第三の足の関節はつゆ知らず、もちろん故意に動かせるのかもわからず、ぬえはどうして今晩寝てこられたのかと、誰ともなくその謎を尋ねた。しかし、誰何は儚く叶わず、ひとり佇んでいた。
    服を脱いで骨の有無を確認するのにも気が引け、触って関節の居所を探るのにも気が引け、ふたたび足の感覚を舐めようとも思わず、行きつく先はなんとかしてこの怪異を暴くことに他ならなかった。
    ぬえは常日頃からいたずらを嗜んでいた。なにか良からぬ者に化けては人を脅かし、なにかを正体不明にして人を困らせ、ことあるごとに周りの妖怪から鉄槌を食らった。まさか何者かの復讐の意図があっての変異だとしたら、少しやりすぎているのではないだろうか。しかし、それ以上にいたずら好きなぬえの自分が弄ばれたという屈辱感のほうが、遥かに優っていた。
    ぬえは鵺である以上、これもさだめだと潔く事を切った。しかし、鵺は何たるかと自らに問うと、返答はなかった。では、なぜ自分が鵺だから仕方ないと決めつけられたのかと問うと、やはり返事はなかった。ぬえは自分の存在を忘却したのだと、このとき初めて気がついた。これほど恐ろしいことはなく、記憶喪失でもないのに、自らの存在を脳が否定したことに、憤懣やる方なく、考えることを辞めた。鵺を知らぬいま、姿を変える妙案など、浮かぶわけがなかった。
    無心に滞っていたぬえは、また新たな不安を見つけた。ここは命蓮寺の一室。誰か気にして入っては来ないかと心配した。が、それ以上に深刻な状況であるとすぐに悟ったのは、この札があってこそのことだった。ぬえ自身が貼ったとは、非常に考えにくい。
    誰かが精神的不安に陥ったぬえを隔離したのだと、そう思うに仕方がなかった。自分はいままさに、筐に閉じ込められたわけのわからぬ異邦人であるに違いないのだ。
    ならば棲んでやろう。ぬえは頭のネジが外れたような、途方もなく単純明快かつ頑迷固陋な妙策をはかった。しかし、こちらが囚われの身である以上、姿の見えぬ飼い主に抗うことを優先するを余儀なくされた。
    考え得る者はいる。聖白蓮、寅丸星、村紗水蜜、雲居一輪、多々良小傘、二ッ岩マミゾウ、幽谷響子、ナズーリン。有力なのは聖しかなく、邪気を閉じ込めようとして隔離することは想像に難くない。
    仮にもぬえはここに定住しているわけではないので、なにも感情を持たずに隔離するのは、わりかし簡単なことであろう。孤独とは、こうも差別を受けるものなのか。
    ぬえの頬を流れたのは涙ではなく、天井から滴る水だった。三本の足は、それぞれ異なる水溜りを踏んでいた。
    突如、札がざわめき、一枚がはらりと落ちた。障子の先で走る足音が聞こえ、近づいて耳を欹てたところ、どうやら経を誦んずる時間であるようだ。
    しばらくして、
 
 
    『色即是空 空即是色 受想行識亦復如是    ……』


    と、日課の響きが耳に届いた。般若心経は、命蓮寺の日常生活の一部だった。率先するのは、いうまでもなく聖で、否応なく皆は付いて行った。ぬえもその中のひとりに、自然と溶け込んでいたのだった。今は違う、命蓮寺に三本足の妖怪などいない。ぬえはそう思った。
    しかし、いつのまにか、ぬえは結跏趺坐を組んでいた。三本足が理解不能な絡みを実現し、何の痛みも痒みも感じずに、そのまま続行した。水が降るように氷柱は溶けていたが、ぬえは構わず無心に努めた。
    次々と聞き慣れた心経を記誦し、己の絶境を極め、気を厚く保ち、人間のように集中した。
    

    『涅槃寂静』


    快活な木魚の音と共に、諸行無常偈(諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽)が唱えられた。
    ぬえは悟った。


    色は匂へど 散りぬるを
    我が世誰そ 常ならむ 
    有為の奥山 今日越えて
    浅き夢見じ 酔ひもせず


「ぬえは……私か」


    心の中の煩悩という名の不安と孤独が桜のように儚く散り、障子の札は一瞬で燃え尽き、氷柱は跡形もなく蒸発して天井を濡らし、ぬえの心に我が還った。
    意識を取り戻し、瞳を開いた。
    ぬえの目が障子の開く先の人物を捉えた。案の定、聖白蓮であった。仏の笑顔を浮かべ、合掌し、ぬえを見据えた。その柔らかい唇が言った。


「よく危篤状態から戻られました。己を見失った中、煩悩を消滅することで、自我を見つけるに至らん……。涅槃寂静、仏教を怠るは身の破滅。あなたは仏教に苛まれ、仏教より救いの手を受けたのです」


    聖は続けた。


「それはそうと、何故逃げ出したりしたのです」


    ぬえは考えて、そして思い出した。何もかも、鮮明に。
    何を隠そう、経が面倒になって逃げ出し、それが因果応報し、我を失い、三本足に化けたまま鵺を忘れた。そんな時、逃避したはずの経がぬえを導いた。
    毎日のように干渉した仏教に身も心も奪われ、怠った挙句に報いが訪れ、危篤に陥ったのだと聖は説明した。
    宗教とは、なんと恐ろしいものであろうか。本心とは裏腹に、ぬえにとってなくてはならないものへと変貌を遂げていた。まるで悪いものに洗脳されるように、身体は異常な反応を引き起こした。日常に最大の恐怖が潜んでいたことに、ぬえはひどくおののいた。
    ぬえは内心忸怩たる思いを抱き、仏教に畏怖倦厭し、聖に三拝九拝した。


「正体不明の鵺が我を見失うとは……滑稽な話ですね」


    聖は笑った。ぬえは黙り込んだ。
    筐にはいつのまにか夏の日差しが差し込み、朗らかな陽気を床の水溜りに照らしていた。札も水に浸り、効力を完全に失っていた。
    しかし、ぬえはどうしても笑顔になれなかった。


「ほら、いつまでそんな格好でいるのです。貴方はぬえです。正体はありませんが、私の知り得る限り、二本足でしょう。自分を見つけた今、その足のままでは苦痛ですよ」


    私の心もね。聖がそう言うと、ぬえは自分の存在を理解し、笑顔を取り戻した。フレムデは消え、ぬえは感泣した。


「しかしなんでそのような姿に変身したのですか」
「ええと……」


    人を驚かそうとした。そう言おうとした時、さらに眩しい日光が視界を覆った。廊下側からも、涼しい空気が押し寄せてくる。初夏の楽しい朝である。
    廊下を通して木魚の響く音が聴こえる。軽重なリズムを成し、綺麗な歌声と耳障りなタップダンスも聞こえた。日課の『夜通し読経ライブ』の練習だろうか。ぬえは知らぬ間に足でリズムをとり、抑揚のない歌を口遊んでいた。
    

「こらー。練習は夜です」


    目の前にいたはずの聖は彼らの元へ行き、優しく怒鳴り散らしていた。少しして、彼らの笑い声と、叱られた者の泣き声が聞こえた。なんてことない、今日もいつも通りではないか。
    ぬえは日常を取り戻した。馴染み親しんだ命蓮寺がそこにはあった。
    面倒だが、本来の姿とは欲に逆らっていくべきなのかもしれない。
    ぬえは結跏趺坐を解き、二本足で障子を踏み越えた。


「ギターの練習、してみよっかな」


    彼女は封獣ぬえ。正体はない。
    孤独という異邦の筐から仲間を見つけた、救われた少女である。
今回は夏に冷える話を用意しました。ホラーですね。宗教の
恐ろしさを自分なりに書きました。しかし、この話は奇妙な裏話もあるのですが、それはまた別の機会に。

楽しんでいただけたのなら、たいへん嬉しいです。
ご読了、ありがとうございました。
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コメント



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2.50名前が無い程度の能力削除
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4.90名前が無い程度の能力削除
なんとも言えぬ
仏教感がすばらしい
5.80奇声を発する程度の能力削除
この感じ好き
8.90名前が無い程度の能力削除
雰囲気が良かったが短い
-10点で
面白かった
9.100名前が無い程度の能力削除
二本足でああよかったとは思うのですが、けっこう後味が悪いですね。仏教的かというと微妙な気がしますが、精神世界っぽいところが怖い。いいホラーでした。
12.100名前が無い程度の能力削除
あなたは独特の雰囲気を持っていますね
かなり好みでした
16.70名前が無い程度の能力削除
これじゃ、仏教がたちの悪いカルト宗教に思えてくるなぁ。
いつのまにか、鎖をつけられたようなもんだし。
これが、宗教の怖さかといわれれば、頷けるような気がするけど。
17.100名前が無い程度の能力削除
独特の雰囲気でくどくなく短くまとめてあって良かったです