Coolier - 新生・東方創想話

さよならファービー

2012/06/16 01:00:54
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「ボク ファービー! ボク オハナシスルヨ!」

「バカジャネーノ」

「ナデナデシテー!」

「バカジャネーノ」

私はその甲高い応酬を、案外醒めた目で眺めていた。



『さよならファービー』



ある春の日、上海が、自分の意思で動くようになった。
アリスはびっくりしたが喜んだ。
自分の兼ねてからの夢がふいに実現したのである。
嬉しくないわけがない。

しかし、そのことは彼女の研究の完成を意味しなかった。
というよりむしろ、それは一つの始まりに過ぎなかった。
アリス・マーガトロイドは魔法使いで、魔法使いという種族は、厄介なことに誰よりも理屈と道理を重んじる連中なのだ。
自分の理解できない方法で実現した夢など、魔法使いとしては何の意味も持たない。
彼女の夢を正確に表すと、「人形を自律させる方法論を発見して理解して体系立てて、いつでも自分の好きなときに活用できるようにする」ことだ、ということになる。
夢も希望もない、と思うかも知れないが、これはもう魔法という分野の実際の性質上しょうがないことなのだ。

楽器を自在に操るミュージシャンが裏で過酷な練習を積んでいるように。
スポーツ選手の目の覚めるようなプレイが実直なトレーニングに裏打ちされているように。
魔法使いの華やかな魔法は、その裏に執念深い研究と研鑽があるからこそのものなのだ。

そういう訳で、上海が偶然の自律を遂げてからというもの、アリスの研究欲は以前の2倍、3倍にもなり、紅魔館の図書館に足繁く通い書物を読み漁っている。

いや、別にそれはいいのだ。
何の文句もない。
私だって一介の魔法使いだし、共感できる。
個人的にも、アリスの事を心から応援してる。

問題はだ。

アリスが紅魔館に行っている間、上海の子守を私に押し付けていくことなのだ。



そんなわけで。
上海は私の部屋のテーブルの上に座っている。
その周りを落ち着かずに歩き回って言葉を発しない私を咎めるように上海が見た。
何か言えよ、というわけだ。

「あー、上海?」

「ナニ マリサ」

「あー、えーとな……うーん、好きな子とかいる?」

修学旅行か。

「バカジャネーノ」

「ほっとけ」

何か食べるか、と言おうとするが、魂は宿っていても人形、何も食べはしないことを思い出す。
人里の定食屋にでも連れて行けば沈黙が紛れると思ったのだが。

いやもう、びっくりするほど会話が続かない。
大体、私の周りにいるのはみんな姉や兄みたいな奴ばっかりなのだ。
お陰で根っからの妹気質になってしまった。
人に甘えるのには慣れていても、その逆は否。

こんな私に子守が務まるわけがない。
私は溜め息をついた。



情操教育。
どうも子供を育てる上で大事な事らしい。
図書館から帰ってきて、私に預けていた上海を受け取りに来たアリスは、出してやった紅茶に口をつけるかつけないかのうちにそれを捲し立てる。
何かよく分からないが、大方パチュリーにでも余計な仕込みをされたに違いない。
あいつは無関心そうに見えて、案外余計な口を突っ込むから。

「ただ、私は子供を育てたことがないから分からないのよね。魔理沙、何か知らない?」

興奮気味に言うアリス。
その理屈で、なんで私がそれを知っていると思うんだ。
ただ、まあ何も調べないのもアレなので、一応私よりは知ってそうな奴に聞いてみようか。



「なあ香霖」

「なんだい」

相変わらず埃っぽくて流行らない古道具屋を営んでいる、兄貴分の香霖は、いつも通りに気のない言葉を返してきた。

「子供の情操教育ってどうするんだ?」

それを聞いた途端、普段顔に感情をほとんど反映させない香霖が、眉をくっつくほど寄せた。
当惑しているようにも見える。

「君か?」

「はあ?」

「それは君個人の質問か、と訊いている」

厳しい表情だ。
意味が分からん。

「え、いや、アリスが……」

香霖は一瞬だけ大きく目を見開いて、それからゆっくりと目蓋を下ろした。

「なるほど、そうか。アリスが……」

うんうん、と自分を納得させるようにひとしきり頷いた後、香霖は目を開いて決然とした表情で告げた。

「ありがとう、分かった、魔理沙。それ以上は訊くまい。後はすべて僕に任せておきなさい」

「お、おう……」

質問の答えをもらっていないんだが。

さあ、今日はもう帰った帰った、と店を追い出されて、次の日アリスの家に行ってみると、赤い靴下を持って呆然と立っているアリスを見つけた。

「あ、魔理沙。これ、今、香霖堂の店主さんが『おめでとう』って……」

「……は?」

……おい、あいつは一体何を勘違いしているんだ。

アリスの後ろから上海がふよふよとついてくる。
アリスが操っていた上海と、自我を形成した上海。
その挙動の違いは昔から近くで彼女達を見ていたものにすら、ほとんど分からないだろう。
それは、上海がアリスの操作による挙動を忠実に再現しようとしているのか、アリスが物言わぬ上海の本質を汲み取って操作していたのか、いずれにせよ、二人の関係がとても良好であることは確かだろう。

いや、それは今はどうでも良くて……。

「まあ……とりあえず、店主さんには魔理沙から誤解を解いておいてくれる?」

「お、おう……了解だぜ」

翌日、私が誤解を指摘してやると香霖は頭を抱えた。



「うん。いや。あー、魔理沙。情操教育というのはだ」

一通り恥ずかしがった後に香霖は私に言った。
いやあ、こんな香霖初めて見た。

「子供に創造的で批判的な心、積極的かつ自主的な態度を育ませることを目的とした教育だね。芸術、道徳、宗教などの社会的な価値を帯びた感情、意志を持たせるために、芸術鑑賞や行儀作法などを教えることがその主な方法だ。ヘルバルトというドイツの学者が提唱してわが国において一般的なものになったらしいよ。惻隠の情やもののあはれを解する事を目的とした教育、と解釈すると、わが国で広く受け入れられたのも当然と言う気がするね。そもそも教育というものは」

「もうちょっと分かりやすく」

「つまり子供が命の大切さなんかを知らないまま大人になったらまずいだろう?だからペットを世話したりすることを通して学ばせるのさ」

どうして初めからそう簡潔に言えないものだろうか。

「しかしまあ、上海人形は魂を持っているといっても無機物だからね。まずはこういったところから始めたら良いんじゃないだろうか」

そう言いながら香霖はカウンターの下から毛むくじゃらで丸っこいものを取り出した。

何だろう。

「香霖、なんだそれ」

「ボク ファービー!」

「のわあっ!」

突然の声に思わず仰け反る。
香霖がくるりとそれを回転させ、顔が露になった。
不自然に大きな目。
ぱくぱくと何かを探るような口。

「紹介しよう、ファービーだ。可愛いだろう?」

「か、可愛い……?」

可愛い、という言葉からは余りにかけ離れたモノがそこにいた。
目の前の動く毛むくじゃらを表す妥当な形容詞は、せいぜいが不気味や珍奇といったところだ。

「ああ。僕の能力で見たところ、名称がファービー、用途が愛玩用となっている。元は鳥のぬいぐるみだったようだが、どうやら何かの弾みで自律を獲得したようだね。自律についてはもちろん僕の専門ではないから、どういう原理でこうなったのかは分からないな」

香霖が講釈をたれている間も、ファービーとやらはぐるぐると目を動かしたりと忙しない。

「どうだろう。情操教育という観点からすると、上海に与えるには丁度良いんじゃないかな」

ええ?
可愛くもない妙な動く人形を家に喜んで持って帰るほど私は酔狂ではない。
……いやー、要らんなあ。

しかし、正直にそんなもの要らん、と言い捨てて箒を駆って家に帰るのは簡単だ。
香霖も私のそんな非礼には慣れっこで、三日も置けば何のわだかまりもなく接してくれるだろうが。
どうもそれでは居心地が悪い。
馬鹿げた早とちりとはいえ、昨日私が情操教育という言葉を出したときの香霖の真剣な表情が頭をよぎる。
何というか、ああいう顔をされるとやはり厚意を無下には出来ないというか……。

そして上海。
このまま何も手を打たなければ、あいつと気まずい空気の中でこれからも時間を過ごす事になる。
それはどうも嫌だし、この毛むくじゃらを持ち帰ってもし本当に上海が喜ぶのなら……と思うと。

結局、ファービーを引き受けることにした。

香霖曰く、対価は昨日の発言を私とアリスがなかったことにしてくれること、だそうだ。
アリスにもよく言っておく、と私が請け合って、礼を言って店を出た。

ファービーは飛行中もやたら忙しなくて危なっかしいので、私は落とさないように両手でファービーを抱きしめて、下半身だけでバランスを取って家まで帰る羽目になった。
ほんと、なんだろうこいつ。



「ナンダ コイツ」

「ボク ファービー! ボク オハナシスルヨ!」

「バカジャネーノ」

「ナデナデシテー!」

「バカジャネーノ」

私はその甲高い応酬を、案外醒めた目で眺めていた。

いや、まあこうなるだろうとは薄々思っていたのだ、うん。
私に対するいつもの上海の毒舌ぶりからしても、初対面の相手とすんなり仲良くなるということはあるはずもない。
というか、いきなり意気投合されたら私はへこむ。
だからまあそれは良いとして、こいつらあまりに騒がしい。

上海は特に口数が多い方ではない、というかむしろ主人に似てクールを気取っている節があるが、結局は好奇心旺盛なので相手が喋ると、まあ例え悪態であれ、必ず何かしらの反応を返す。
ファービーに到ってはもう好奇心の塊というか、とにかく四六時中バタバタやっているので言わずもがなだ。
何だか、面倒が二倍になっただけのような気がする。

頭が痛くなってきて、とりあえず晩飯の支度でも始めることにした。
切った野菜とキノコを炒めて、鍋に湯を沸かして味噌汁を作って、ふと上海たちを見やると。

「ナデナデシテー」

「ナデナデー」

「ワーイ」

私はへこんだ。



夕方になってアリスが図書館から帰ってくる。

「ただいま、魔理沙、上海……あら?」

「おう、アリス」

アリスの視線はファービーに向いている。

「何?これ」

「モルスァ」

私はアリスに一通りの説明をする。

「じゃあ、店主さんが上海の為にってくれたのね?」

「まあそんなとこだな」

途端にアリスの目が光る。

「これは、何を動力として動いているの?魔法ではないわね。まさか自律人形?」

「うん、多分そうなんじゃないか?」

そういえばその辺りを香霖に聞いていなかった。

「ふうん……」

アリスは考え込むような表情でファービーをじっと見た。
その目つきは何というか、そう、獲物を狙う猛禽類を思わせる。

「……ねえ上海、私思うんだけど。そのファービー、私が一度分解して……」

「アリス、 ダメ」

上海が一蹴した。

「そう……じゃあ、しょうがないわね」

口ではそう言いながらもちらちらと未練がましくファービーに目を遣るアリスと、その不穏な視線を警戒する上海との冷戦にうんざりしながら晩飯を食べたあと、3人を家から追い出した。
私の家を戦場にされてはかなわない。



それから、アリスが私に上海を預けに来るときには、決まってファービーが一緒にやってくるようになった。
そのうち梅雨がやってきて雨の日が増えるにつれて、上海は徐々に優しくなっていった。
彼女の心の中の刺々しい部分が徐々に丸みを帯びているようにも思える。

また、上海とファービーの間には、他の誰にも立ち入ることの出来ないある種のコミュニケーションが成立しているように見えた。
例えば窓の隙間から部屋にふと入り込んだ雨の匂いを嗅いだとき、上海が優しげな眼差しをファービーに向ける。
すると、ファービーは分かっているよ、とでも言いたげな表情を浮かべる。
そんな時私はとても幸せな気分になった。

窓には無数の雨粒が貼り付いていて、私と外の景色との間にぼんやりとフィルターをかける。
図書館にいるアリスは、紅魔館に泊まって連日調べものを続けているのでしばらく帰ってこない。
恐らくこの雨が止むまではこの家に三人きりだろう。
まるで私の家が世界中から取り残されたような気持ちになった。
それはそんなに悪い気分ではなかった。
お互いにしか通じない言葉を交わす二人を横目に、私は毎日熱いコーヒーを飲み、研究書を読んだ。



「マリサ」

「?」

久しぶりに声を出したので、空気が喉を上手く通らず奇妙な声が出た。
咳払いをして言い直す。

「なんだ?」

「ミギテ カタイ」

妙な物言いに興味をそそられて魔法書から顔を上げた。
上海は右手をこちらに差し出していた。
その手を握ると、当たり前のことだが、人形の硬い感触が手に伝わった。

「うん、まあそりゃそうじゃないか?」

「チガウ マガラナイ」

ああ、と頷く。

「肩か?それとも肘?」

肘、と答えた上海の袖を捲くらせて、彼女の肘に左手を当てる。
右手で手の平を握り、内側に曲がるように、慎重に力をかける。
確かに動かない。

「左手は?」

「ウゴク」

念の為そちらも袖を捲くらせて、肘を曲げさせてみた。
こちらはちゃんと動く。

「ふむ」

右肘に何か詰まっているか、油が切れたかだと思うけれど、アリスに断らずに私が弄るべきではない。
その旨を伝えると、上海は頷いた。

「ワカッテル」

「そうか?」

「マリサ シラナカッタラ アリス オコルカモ」

「確かに」

上海の想像は的確なように思えた。

「ダカラ マリサニ イッテオイタ」

「恩に着るよ。お大事に」



春に買ったコーヒー豆の袋が底を尽き、読み終えた魔法書の山のてっぺんが私の腰に届く頃になって、ようやく雨があがった。
その朝、久しぶりに窓を開けると、雲の切れ間から腑抜けたような太陽が見えて、しばらくするとアリスがやってきた。

「これ、差し入れ」

「おう」

袋の中にはコーヒー豆とか野菜とか味噌とか、その辺りの現実的な物がたくさん入っていた。
雨に降り込められた後では私の家からこの手のものが尽きかけていた。
想像力の豊かな奴で良かった。

「ありがとう、助かる」

「ううん。長い間子守をさせてごめんね」

主人の声を認めて上海がやってくる。
器用に左手だけでファービーを抱いている。

「オカエリ アリス」

「ただいま」

ファービーは何も言わずパクパクと口を開けたり閉めたりしている。

「ああ、そうだ。上海は右手が動かせないらしい。なんとかしてやってくれ」

「あら、そう?」

上海が私にファービーを預け、アリスに右手を突き出して見せる。
アリスは真剣な表情で上海の右手を取って診ていたが、やがて微笑んだ。

「油が切れて埃が詰まっているだけね。掃除してあげるからこっちにいらっしゃい」

「ミーミー」

安堵したように鳴いたファービーの頭を私は撫でてやった。



日が山の稜線の辺りで躊躇っている間に、アリスは買ってきた6匹の鮎を焼き上げた。
その間に私は新しい味噌で味噌汁を作り、新しい米を炊いた。
金髪の女が二人並んで和食を作っている風景は余り画にはならないかもしれないな、とぼんやり思いながら私は瓶ビールの栓を空けた。
鮎は雨上がりの初夏の味がした。

「それで?自律については何か分かったのか?」

「うーん。進んではいるけれど、完成には遠いわね」

専門領域ではないので、そう言われてしまうと私に言えることはもう何もない。
グラスの底に残った金色の液体を一息に飲んだ。

「でも……そうね。読むべき本はほとんど読んでしまったつもりだし、それでもまだ分からないということは、答えは本の中にはないのかもしれないわね」

「パチュリーはどう言ってる?」

少し驚いたような顔をして、それからアリスは笑った。

「彼女は他人の研究には干渉しないわ。良い意味でも悪い意味でもね。魔法使いってそういうものよ」

「私は差し出がましい?」

「ううん、そういうことじゃない。言い方が悪かったわ。つまりね、魔法使いがお互いの研究に意見を言い合えるような相手を見つけるのは結構難しいってこと」

ええと、いやまだよく分からないんだが。

「うん……つまりどういうこと?」

「……別に分かんなくたっていいわよ」

呆れたように言って、アリスは笑った。



次の日上海とファービーはアリスと家に引き揚げていったので、私の家はすっかり静かになってしまった。
手も空いたことだし、晴れ間がいつまで続くのか分からないので、今のうちに香霖堂に顔を出しておくことにした。

――カランカラン

「おっす香霖、いるか?」

「……?ああ、魔理沙か」

香霖はもう何十年もそこから動いたことがない、といった風情でカウンターに座って本を読んでいた。
一瞬だけ目を上げたが、入ってきたのが私と分かるや否やまた本に目を落とした。
腹立たしい奴だ。

「おい、買い物してきてやったぞ。感謝しろ」

どすん、と音を立ててカウンターに買い物袋を置く。
香霖は大きな音に一瞬眉をしかめたが、それが何か分かると表情を和らげて、読んでいた本を置いた。

「ああ、ありがとう。わざわざすまないね」

「どうせ何も食ってないんだろ?」

「あー、まあね。今日は何日かな?」

私が日付を教えてやると、「ふむ、一週間か……」と呟いて香霖は立ち上がって頭をぽりぽりと掻いた。
信じられないようなずぼら者だ。
そのうち身体に苔が生えるんじゃないだろうか。

「まあ、とりあえずお茶でも飲んでいきなさい」

「そうする」

買い物袋を抱えて、香霖の姿が奥に隠れる。
カウンターの上に残された本の背表紙には『失われた時を求めて』とあった。
題名に何かしら惹かれるところが香霖にはあったのだろうが、とりあえず時間を大切に思うなら食事も忘れて本を読むのはやめたほうが良いと思う。
そう思ったが、湯飲みを二つ持って現れた香霖には何も言わなかった。
結局のところ、他人の生き方にああだこうだと口を挿むのは、いかに親しい相手であっても余計なお世話というものだ。
それに、香霖に残された時間は私に残された時間よりずっと多い。

「それで?今日はどうしたんだ?」

「別に。お前が干物になってないか見に来ただけだ」

「そうかい」

下らない事を言ったことにすぐに後悔するが、香霖は私の軽口なんかにはとっくに慣れっこになっていて腹を立てた様子もない。
随分甘えてしまっているなと自己分析。

「ところで、ファービーは役に立っているかい?」

「え?ああ。上海が夢中だよ」

「それは良かった」

「あれ、どこで手に入れたんだ?」

「まあちょっとした事情があってね。八雲紫から譲り受けたんだ」

「ふうん」

妖しげな笑みを湛える紫がファービーを抱えている様を想像すると不釣合いで可笑しい。
紫はあれで案外ゲテモノ好きだが、彼女の式神は間違いなくファービーを気に入らないだろう。
ファービーを拾ってきた紫を藍が叱っている場面を想像すると笑える。

ふと窓の外を見ると、また怪しげな雲が空を覆い始めていた。

「おっと、また降って来そうだな。そろそろお暇するぜ」

「ん?そうかい」

「ああ。とにかくちゃんと飯は食えよ」

「そうさせてもらうよ」



空を飛んでいる間にぽつぽつと降り始めて、家に入って一息ついたころには本降りになっていた。
危ないところだった。
いつあがるとも知れない雨の中で、私はとりあえずコーヒーを淹れることにした。



3日が経った。
雨によって分断された家々が窓の向こうには広がっているのだろうが、雨によって何もかもが見えなくなっている今ではそれはどちらでも同じことだ。
3日間、食事を摂ったり眠ったりする以外には、私は自分と魔法書しかない、というとてもシンプルな世界にいた。
私が魔法書を読んで、魔法書は私に読まれる。
それだけ。
だからノックの音にはしばらく気付かなかった。

その音が私の意識に入り込んで、それからそれが扉を叩く音だと気付いたのは少し経ってからで、それでも戸を開けて訪問者の姿を確認するまでは半信半疑でいた。

「アリス?どうした?」

「ああ魔理沙。ファービーの具合が悪いらしいの。ちょっと見てやって」

アリスはようやくドアが開いたことにほっとしたように息をつき、和傘を畳んだ。
上海もファービーを抱えて戸をくぐる。

「マリサ タスケテ」

上海が切実な表情で私を見る。

「分かった、とりあえず奥に入れよ」

居間に戻り、机の上の本やら何やらを脇に退けてスペースを作った。
上海がそこにファービーを横たえる。

上海によると、ここ数日は喋りかけても弱々しい答えしか返ってこず心配していたのだが、遂に今日になってほとんど何も喋れなくなってしまったらしい。
確かに私や上海が喋るのに対して全身を動かして騒がしく答えていた以前のファービーに比べるとその差は歴然だ。
原因も分からないし、上海も思い当たるところはないようだ。
病気か何かなのだろうか。
とりあえず頭を撫でてみるが気休めにしかならず、私はアリスに応援を頼んだ。

「おい、アリス。人形はお前の専門じゃないのか」

「残念だけど私にもよく分からないのよ。魔力で動いているものならともかく、何で自律しているか、どういう構造で動いているのかも分からないとくれば手の出しようがないわ」

私は溜め息をついた。



ファービーの容態は日毎に悪化していった。
羽や目を弱々しく動かすことはあっても、こちらの呼びかけにはほとんど反応しなかった。
それでも日に数度、ファービーが思い出したように小さな鳴き声をあげる度に、上海は駆け寄って一生懸命に言葉をかけていた。
私は無力感に歯噛みした。
でも、どうすることも出来なかった。



その朝は前日までの雨が嘘のように晴れ渡っていた。
雲は裂け、窓を開けるとぱたりぱたりと昨日までの名残のような雨雫が窓枠から落ちた。
くっきりとした蒼が空一面に広がり、太陽は誇らしげに光を放っていた。
梅雨が明けたのだ。
私はグラスに入れた一杯の水を飲み干し、寝巻きのままで外に出た。

久しぶりの青空は目に痛くて、でも全身が洗われる様な気分になった。
森の木々からはまだ雫が落ちている。
私は近くの一本の木に近づいて持っていたグラスでそれを受けた。
静かに口をつけるとその水はゆっくりと唇をすり抜け、喉を通り、私の体の中に沁みこんで行った。



「マリサ」

家の方へと戻ると戸口には上海がいた。

「どうした?」

「ファービーガ」

シンジャッタ、と上海は呟いた。

上海の胸に抱かれるファービーの姿は生きているときと何も変わらない様に見えた。
開いた目はまた生き生きと動き、嘴はすぐにでも多くの言葉を紡ぎそうだった。
でも、やはりファービーは確実に死んでいた。

私は手を伸ばして、ゆっくりとファービーの目蓋を降ろしてやった。
それから上海を優しく抱きしめた。

「アリスを起こして一緒に香霖堂に行こう。ちゃんとお別れをしないとな」

抜けるような青空を背に、私は肩の辺りで上海が頷くのを感じた。



◎ ◎ ◎



魔理沙たちが動かなくなったファービーを持って店にやってきた。
僕は少し迷ったものの、やはり当初の予定通り本当のことは言わないでおくことに決める。
良心の呵責がないと言えば嘘になるが、僕一人が悪者になれば済むのなら安いものだ。

葬式をしたいと上海が言うので、僕も店の外に出て彼女達を見守ることにする。

上海がファービーをどうするつもりなのかはまだ聞いていない。
個人的には埋葬するよりも、これからも一緒に過ごした方が今後のためにも良いと思うのだが、やはり心情的に難しいだろうか。
何しろ彼女達はファービーが本当に生きていたと思っているのだから。

「電池を入れ替えればまた動くのだけれど……それを言うのは野暮と言うものよね」

声のした方を見やると、八雲紫が空間の綻びから上半身だけを出して頬杖をついていた。
彼女はいつも突然に姿を現す。
彼女の言葉や行動は多くを示唆し、僕を振り回すが、しかしそれは案外彼女の気まぐれな気質によって左右されているようにも思える。
結局のところ僕にはよく分からない。
だから、僕はただ言葉に耳を傾け、敬意を払って接するだけだ。

彼女の発言を反芻する。

そう、魔理沙には一つ嘘をついてしまった。
僕が紫から譲り受け、魔理沙を通して上海に与えたファービーは、自律を獲得したぬいぐるみではなく、電池という外の世界の技術を糧にして動くからくり人形なのだ。
しかし、紫の言葉や雰囲気から察するに、僕が魔理沙に嘘をついたことを咎めに来たわけではないだろう。
僕は気軽な声を心がけながらも慎重に言葉を選ぶ。

「ええ、もちろん。死んだと思った生き物が小さな金属の塊などで生き返ってしまえば、情操教育は台無しです」

「あの鳥は生き物かしら?」

「彼女達がそう信じている限りは。それに……」

「そのうち本当に生き物になるかもしれない、でしょう?」

底の知れない、妖しげな光を目に湛えて彼女は言った。

「ええ。主の百年分の愛情と思い入れが魂となって道具に宿る。一般に付喪神は人に害をなすと言われますが……」

「そうね。あの人形は、主に変わらぬ忠誠心を抱いている。天の気まぐれか突然変異か。もちろん、それを魔法と言い換えても良いけれど」

紫は少し目を細めて眩しいような表情をする。
その瞳には、上海を慰めているアリスが写っている。

アリスの深い愛情によって裏返った付喪神。
紫は「魔法」という言葉を使った。
そう、それを魔法とするならば、それこそアリス・マーガトロイドにしか使えない魔法だ。
捨食の術を修得しながらも人間の心を捨てない彼女。
例えばアリスが魔法の研究の為に、食事を摂る事を、眠る事を、友人との付き合いを、そして優しい心を切り捨てていたならば、上海に魂が宿ったとしてもアリスに変わらぬ忠義を尽くすことはなかっただろう。

僕は何か下らない事を訊いてみたくなった。

「そのことをアリスに言いましたか?」

紫は驚いたように口をすぼめ、僕の方を見た。

「私がそんな無粋な真似をするとでも?彼女はいずれ自分でそれを見つけるわ」

ああ、そうだろう。
訊くまでもないことだ。
だけど、やはり僕はそれを紫の口から聞いて安心する。

「ええ、分かっています。ちょっと訊いてみたかっただけですよ」

照れたように笑う僕を、紫はしばらく不思議そうに眺め、それからくすりと吹き出した。
一瞬、彼女が外見相応のあどけない少女であるかのように思えた。

「変な人ね」

「よく言われます」

「ええ、そうでしょう」

紫はまたいつもの不敵な笑みを顔に戻した。

「それではあの子達をお願いね。あなたに任せておけば、どうやら間違いはなさそうだから。じゃあ、ごきげんよう」

その言葉を残して、妖怪の賢者は現れた時と同じく、突然にその姿を消した。
残された僕は、紫に言われた通り、アリスたちの顛末を静かに見守ることにする。



上海の腕に抱かれる小鳥の人形。
彼女の頬を大粒の涙が伝い、ぽとりとファービーの身体に落ちる。
魔理沙も黙ってその骸を眺めている。
上海の肩にはアリスの手が置かれている。

アリスの愛情を受けた上海は人形の身体に魂を宿した。

上海たちの愛情を受けて過ごしたファービーも、やがてそのからくりの身体に魂を宿すだろうか。

動かなくなったファービーの顔は、偶然にも上海の腕の中からこちらに向かっていて、僕からよく見えることに気付いた。

何かが起こる気がした。
それは何かが起こって欲しいという、ただの願望だったのかもしれない。
しかし、結局のところその二つの間に差異はない。
現に、アリスの願望によって上海は魂を得たのだ。

だから僕は吸い寄せられるようにファービーの両目を見た。
閉じた瞳。

その時。

見つめる僕に向けて、その目が一瞬ウィンクした……ような気がした。
ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ
長久手
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コメント



0.7310簡易評価
2.80名前が無い程度の能力削除
私の家のファービーは棚の奥で眠っています
あいつって一度起きるとめんどくさいんですよね
6.100名前が無い程度の能力削除
何か言うのも野暮ですな。
7.100名前が無い程度の能力削除
言葉は無粋。
ファーブルスコ ファーブルスコ
8.90名前が無い程度の能力削除
モルスァ
9.100名前が無い程度の能力削除
まさか創想話でファービーがお目にかかれるとは・・・
12.100愚迂多良童子削除
いい話だ。
ひょっとするとアリスの研究を紫が後押ししたのかな。
14.100名前が無い程度の能力削除
ナデナデシテー
15.100名前が無い程度の能力削除
魔理沙がかわいい
16.100名前が無い程度の能力削除
みんな可愛いなぁ。
今までは正直可愛いと思ってなかったファービーも、今度からは愛せそうです。
魔理沙はいいポジションにいるね。姉であり、おばであり、隣人でもある。
19.100名前が無い程度の能力削除
モルスァ
21.80奇声を発する程度の能力削除
懐かしいな…
29.100名前が無い程度の能力削除
なんというか素晴らしい内容だね。
みんながみんな良い役回りで無駄のない構成だ。
30.100久々削除
魂を宿した人形から愛情を受け、その人形もまた魂を宿すのだろうか……?
愛着とは愛が着くと書く。アリスの愛が上海に辿り着いたように、ファービーにもまた辿り着くのかもしれませんね。
昔使っていたあの品は今でも押入れの中で愛着を待っているのかもしれない。実家に帰ったら開けてみようか。
31.100名前が無い程度の能力削除
昔はよく相手してやってたなぁ
32.100名前が無い程度の能力削除
モルスァ
33.100名前が無い程度の能力削除
ファービーでいい話を見る機会があるとは。
無機物に魂が宿る瞬間を見た心境です。
41.40名前が無い程度の能力削除
(iPhone匿名評価)
44.100名前が無い程度の能力削除
上海可愛え…いいお話でした。
なんか頭の中でグレムリンとビジュアルがごっちゃになって区別できない阿呆な俺を許しておくれファービー…!
45.100もんてまん削除
ファービー、お前の事は忘れない……。
47.100名前が無い程度の能力削除
モルスァ
52.100名前が無い程度の能力削除
雨の季節にぴったりな静かなお話だと思いました
ファービーも含めてみんな素敵です
53.100名前が無い程度の能力削除
小傘とメディの仲間入りした上海か
58.100名前が無い程度の能力削除
しんみり良い話でした。霖之助が良いポジション
63.90名前が無い程度の能力削除
良いふいんき。何故か変換できない。
やっぱりキャラみんなが優しいお話はいいですのう
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生意気な上海とお姉さんぶる魔理沙がかわいかったです
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アリスと魔理沙、魔理沙と霖之助、霖之助と紫、紫と幻想郷、主題ではないけど、それぞれの関係の良さが短い台詞だけで伝わって、とても心が温かくなりました。
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モルスァ
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ファービーと言えばギャグだと思ってたのに……
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モルスァ
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モルスァ
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モルスァ
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キャラクターがちゃんと生活しているのが良かったです
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(iPhone匿名評価)
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窓の隙間から~雨の匂い、の文章が凄い気に入りました。
日常の中にある非日常というか、個人的に幻想を感じるシーンでした。
良い話をありがとうございました。
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読む前に某氏のアレが浮かんでしまったw
とてもいい話でした
ファービーが本当に素敵でした
あと、私もたま好きです
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ギャグかと思ったらいいお話でラストのウインクも素敵だったモルスァ
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モルスア
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ファー…ブルスコファー…
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ファービーでこんな話になるとは……ギャグとか、最後にオチがあると思っていたのに
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懐かしいなあ
ギャグかと思って読んでたら最後にしんみり来ました
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おもしろい!すごくよかったです。
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心が洗われるよう。ありがとうございます。
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ファービーでいい話が読めるとは。
構成もしっかりしていて素晴らしかったです。
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良かった
ほのぼのしんみりいい話
登場キャラ達も素敵な子ばかりで読んでて嬉しくなった
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良い
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モルスァ
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グッドb
154.無評価名前が無い程度の能力削除
モ...モルスァ
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モルスァ
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コピペのせいか外観のせいかすっかりネタ要因なファービーで
ここまでしっとりした作品が出来るとは。
お見事でした。
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てっきりブルスコファーするとおもったら感動系でした
いい話です
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モルスァ
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トイストーリーみたいないい話だね
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いいですね
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ブルスコファー
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シャンハーイ
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ゆったりとしたリズムで、心地よく読めました。とても良かったです。
198.100たこと削除
ファービー…