Coolier - 新生・東方創想話

100 million miles

2012/06/06 04:38:02
最終更新
サイズ
22.66KB
ページ数
1
閲覧数
1824
評価数
9/29
POINT
1800
Rate
12.17

分類タグ


  
彼女は空の真ん中にいた。

雲の上でも空の色は日によって変わる。今日の空は蒼すぎるほど青かった。

「いい日ね」

横に置いたお盆から、金蒔絵模様の茶碗を取り上げると、蓋を半分立てるようにずらして、隙間に形のいい鼻先を寄せた。
上がる湯気をしばらく嗅いで、

「いい香り」

呟くと、桜色の唇をそっとその縁に寄せて茶碗を傾ける。
やがて唇を離すと、そっと呟く。

「うまく出てる」

満足げに頷くと、彼女は頭上のまばゆい天球を見上げて、またつぶやく。

「今日もきっといい日になるわ」














system check start
…………
fin
start ping 10646
return ping 6449

link check start…
satellite link none
HQ link none
internal link none
friendly link

…none

system check interruption




私の使命は飛び続けること。
それが第一。
そして命令に従うこと。
それが第二の使命。

・敵性動体索敵開始

最後のオペレーション更新から79万時間2002秒が経過。

・上位状況に該当なし 偵察機の使用を認めず

最終オペレーションは制空圏防衛。通常オペレーション。
その後17万時間で支援衛星とのリンクが途絶。司令部との通信は最終更新が最後。
そのログは珪素記憶集積の最深部に保管されている。
作戦終了コマンドは無し。任務は続行中。

・状況不明

最近は特に異常が酷い。修理用資材はとうに底をついたし、試験搭載された珪素系ナノマシン培養炉は予備扱いだったが今では修理の要となっている。
稼動しているメンテマシンは通常運用想定数の半数程度であり、機体備品も同様に多数の故障がある。副センサーは28基あった中の19基が反応しない。可動対空砲は3割ほど故障している。配線は特に修理が難しく、重要な箇所の故障はUAVを数機解体して配線を流用した。柔軟な対応は第13世代型統合制御システムの面目躍如と自画自賛したいところだ。

・自画自賛?
・…

最近、特に不明なログがウィンドゥに表示されるようになった。
私の頭脳は非常に大容量の情報保管能力を持つ珪素記憶集積だが、運用想定外に及んだ「私」の稼働時間の中で、処理できない情報が溜まりすぎ、一部でカオス化が起きていると推測する。この推測はかなりの確率で正しく、毎週ごとにアクセス不能領域が増加している。
人間が搭乗して運用されることも想定された私には小型の指令所があるが、3つしか座席のないそこに空中表示されたウィンドゥには現在のステータスと、私の内部処理の様子が表示され続けている。

・処理不能な出来事が発生中

天体観測による座標確認は私が自得した能力の一つである。本来は衛星の情報と基地からの信号、及び着信差による観測から記録している地図との照合で位置を把握していたが、外部からの支援を失って以来、私は各種ライブラリから情報を引き出し、私に使用できるものは使用することを覚えた。
その結果、今現在私が飛行しているのは、本来の私の任務空域ではないということが判明している。
私が飛行ルートを外れたという事実はログに無い。しかし、いつ外れたのか分からない。少なくとも、06:00時までは所定の哨戒コース上を飛行していたはず。
位置確認は定期的ではあったが常時ではなかったのが悔やまれる。機能と電力の節約のために仕方ないことではあったが。これは異常現象に違いない。
異常現象。
高度を下げて地上を観測することを考慮する。しかし、指令なく一定の高度以下に降りることは禁止されている。
また、今の私の状態では、一度高度を落とせば再上昇は非常に困難である。更に、雲の下で起こる気象変化に、私の体が耐えうるかが怪しい。装甲板が約3%剥離しているため防水に不安がある。温度差で発生する霜の水滴にすら苦労しているのに。
まったく。


動体反応確認


・!!

唯一常時稼動しているセンサーポッドからの報告で、私の意識は急速に拡大された。
システムが準戦闘モードに切り替わりFCSが眼を覚ます。攻撃プログラムが電子の触手で対空兵装のセーフティに手をかける。埃をかぶった攻撃機の燃料槽から酸化防止膜が吸い出されて排水溝に流された。
生きているセンサーが次々に目を開き、多様な電波で目標を捕まえる。

・…該当機種なし

3DCGで司令室のメインパネルに対象が浮かび上がる。
鳥類にしては大きすぎて、敵対兵器にしては小さくて、遅すぎる。
私は処理不能条項に追加する項目が増えたと感じた。














「あらまあ、これまたずいぶんとでかいのが」

彼女はぽかんと口を開けて言った。
空中に浮いた岩に腰掛けている彼女は、3杯目のお茶を淹れている最中だったが、空の向こうに現れた黒い影を見て、大きな陶製のポットを置いて、茶碗には蓋をした。
『それ』は黒くて平べったい形をしていて、遠くを飛んでいるのにあの大きさということは、とても大きなものだということは一目瞭然だった。

「話の分かる奴だといいんだけど」

言うと、彼女は腰を上げて、岩を蹴った。
重力など知らぬ気に体が浮いた。
彼女は岩の上に残ったお盆と、それに乗ったポットと茶碗に眼をやってから、滑るようにしてその黒い巨影に向かって、飛んでいく。
眼下、はるか下に広がる雲海に落ちるそいつの影は、彼女が昔見たブーメランというものに少し似ていた。
だが、近付くにつれて鮮明になるその姿は、ブーメランに比べれば格段に複雑なかたちをしている。巨大な平べったい三角形に、翼のようなものが上下にいくつもくっついたと言った方がいいだろうか。
そして平べったいといっても、その厚みは彼女の体とでは比べるのが馬鹿らしくなるほど巨大だった。羽根の端から端までの長さは言わずもがな。ちょっとした島くらいはありそうだ。

「……あーあー、テステス」

彼女は、自分ののどに手を当てて、何度か声を出して、それから言った。

「聞こえるかしら?」

その語りかけは、大声ではなかったが、妙によく通った。風も距離もないかのように、その巨大な影に届いた。

「……ふむ」

彼女は、黝(あおぐろ)い眉を軽くしかめてから、再度声を上げた。

「もう少し近付くわよ?いいわね?」










私は驚いた。
人間ならそう表現するのが適切だろうか。いや、正確に言うならば、想定外の事態に適正な判断が選択できなくなり、処理が数秒間滞ったということなのだが。
まず、正面方向で捕捉した対象から、人型の物体が分離し、加速して接近してきた。
私の持つデータでは、人間は飛行能力を持たない。しかも対象は熱エネルギーを噴出している訳ではないし、私のように回転翼を備えている訳でもないのに飛行している。ただ、対象が分離してからはセンサーの測定数値が一部異常になった。私のデータにない最新技術の恐れがある。
そして対象が通信してきた。
いや、通信といっていいのだろうか。私のログに通信機器が電波を受信した記録は無いのに、私は対象が「何を言っているのか」を把握し、処理することができた。これも最新技術なのだろうか。
私は混乱している。

『ねえ、返事ぐらいしなさいよ』

・IFF識別不明

対象は生物である可能性が著しく高い。しかし私は未確認機と接触した時の処理を行うことにした。それが当面、最も正解に近そうな対応だった。
あまり柔軟な対処法を私は持っていない。
サーチ・アンド・デストロイが攻撃用空中空母の身上である。

『え?何?これは……私が敵かどうかですって?』

相手は何故か私の内部における演算過程を理解しているようだった。そして、私もそのことを理解している。私に相手のこのようなイレギュラーな対応を、理解する能力があるということは新たな驚きであった。
驚き。

『相手にものを聞く時は自分の氏素性をつまびらかにするのが常識ですよ?まったく…これだから兵器ってやつは』

私が領空侵犯警告を発するよりも早く、相手はさらに「通信」を行ってきた。

『まあいいわ。あなたは“なりたて”みたいだから、優しくしてあげる。ねぇ、上に乗っかってもいい?』

・…………
・接触を許可する

私はレーザー照準を解除した。
センサーの反応によると相手は兵器を搭載しておらず、未知の技術を搭載している可能性を差し引いても、私にとって脅威となる可能性は低い。そして同時に、私の置かれた状況を把握、もしくは関連する情報を持っている可能性がある。
私の処理プロセスの様々な判断基準がせめぎあって、その結果生まれた結論だった。
しつこい対空警戒プログラムと機密保持条項が攻撃的提案を更新し続けてくる。処理を強制中断。私は攻撃プロセスの全てにロックをかけた。

『ありがと、それじゃあ失礼するわね』

私に圧力センサーは搭載されていないが、相手が私の艦首付近に接触するのをセンサーポッドが光学映像で確認した。慣性ベクトルに50キログラム前後のぶれが発生したことをジャイロが告げる。

『…も、もしかして、私、重かった?』

相手の言葉、その調子に変化があった。理由は不明。

・非常に軽量。SCMの20%以下。

『……SCMって何?』

・短距離迎撃ミサイル。

『…そ、そう』

相手が髪をかき上げて、黒い装甲板の上に腰掛けた。

・疑問

『え?なにが?』

相手が頭を動かし、視覚をこちらに向けた。
センサーポッドでもサブカメラでもなく、機体の奥のほうに。角度としては、指令所の奥、データ集積がある方だが、まさか相手は私の構造を知っているのだろうか。

・通信方式。そちらはいかなる方法でデータをこちらに送付しているのか。私の電子センサーに反応はない。

『ああ、どうして言葉が分かるのかってことね』

相手は腕部を装甲に付けると、脚部を投げ出して視覚を前方に向けた。

『私はあらゆるものの気質を見ることができるわ。あなたのように年経た道具には、その生きてきた過程で気質が生まれ、染み付いているの。それを読み取れば、考えていること、感じていることはすぐに分かる。特に兵器というのは一途だから、とても分かりやすいわ』

・気質?

『なんと言ったら分かりやすいか…“気”って分かる……わけないか。そうねえ』

相手は腕部の先端可動部位で頭部の下部をなぞってから答えた。

『まあ、存在そのものが持つ目に見えない影、みたいなものよ』

・……?

『…とにかく、あなたはあなたなりの目に見えない形を持っている。私は、それを見てあなたを理解することが出来るということ』

・理解が非常に困難

『……おかしいなあ。この子、すっごく頭固いわ。まだなりきってないのかな。こんなにでっかいから?』

・理解不能

『ここは、忘れられた者たちが来る世界。あなたも、きっと古くなりすぎて忘れられたのね、だからここに来た』

・…………………

『名前は幻想郷。聞いたことはあるかしら?』

・検索ファイルに該当なし。理解不能。

『……しゃーないなあ、もう』

相手は装甲の上に立ち上がると、腕部で基軸部の後ろを払って、発令所正面のカメラをのぞきこむようにして、言った。

『じゃあ、戦うわよ』

・!?

『言って分からなきゃ殴って分からせる。大丈夫、殺したりはしないから』

・理解不能。あなたと私では攻撃能力に差がありすぎる。私は耐用年数を大幅に超えているが、積載火力は標準的な同型機の47%を維持している。これは…

『ぐだぐだ言わなくていいの。戦って、自分を相手に分からせるのがここの流儀なのよ』

そう言うと、彼女はカメラに手をかけて、背中をのばして語りかけてきた。

『とりあえず大雑把なルールを教えてあげるわね。いい?』

そう言って、彼女は幾つかの事柄を私に語った。すべて理解できるはずの無いことだったが、私は、その間、黙って彼女の言葉を受け入れていた。

『…さて、あ、そうだ。あなた、名前は?』

・呼称はR-12。レイヴンカイトがシリーズの名称。

『あーるとぅえるぶ……』

彼女はしばらく、口の中でもごもごと呟いていたが、

『…じゃあ、レイカって呼ぶわね』

・レイカ……。

『長いし呼びにくいから、それでね、……』

それから相手が口にしたことは、私をそのときは、大いに困惑させた。

・……理解不能。私の目的を大いに逸脱している。私に偽証能力はない。

『それがここの流儀なのよ。それに嘘じゃないわ』

・?

『大口叩くってのは、嘘をつくこととは違うわ。いいから、あなたがそれを言ってくれないと始まらないのよ』

・私に交戦の意思はない。

『もう戻れないわよ』

・?

『あなたは、もう今まで飛んでいた空には戻れない。戻る意味すら失ったの。幻想郷に来るというのは、そういうことよ』






私は、その言葉を受けて、奇妙な処理が頭脳の中で沸き起こるのを感じた。
私の使命は戦うこと。飛び続けること。いつまでも飛び続けて、あの空を守ること。
あの場所に戻れないのならば、私の飛ぶ意味は。
飛び続けてきた、意味は。
















「ここに来るためよ」

彼女は、そう言い切った。
目の前にあるのは巨大な黒い翼。哀れな機械。
自我のかけらを手に入れてしまった兵器たちを、彼女は幾つも見てきた。彼らは、総じて哀れだ。
人を傷付け、脅かすためだけに生まれて、それでもなお、自分たちの使命を疑うことなく生きて、奇跡的なほどに生き抜いてしまった彼らは、ただの忘れられた道具たちより、何倍も惨めだ。
ここには、彼らに役目を果たせと、なお戦えと命じるものはいないのだ。ただの一人も。
それはここに生きる物たちにとっては確かに幸せであり、そして彼らにとっては……

「忠実は美徳よ。だけど、仕える相手がいなくなったら、自分で楽しいことを見つけないといけないわ。それが、生きているものの義務よ」

彼女は両手を広げ、明るく声をあげる。

「さあ、私と遊びなさいよ!私は卑しくも比那名居が総領!たかが鉄屑相手に負ける様では、恥ずかしくて天人はとても名乗れないからね!」

しばらく、沈黙があった。
やがて、待っていた声が返ってきた。

『ならば挑んで来なさい、小さき者よ!我は数多の鉄の鳥を屠りし空の王!!幻想郷を這いずるもの全て、我が翼に怯えるがいい!!』

彼女の教えたとおりの前口上だった。
思わず唇の端がつりあがる。
淑やかとは言えない、いたずら小僧のそれを思わせる笑みを浮かべたまま、彼女は甲板を蹴って高く飛び上がり、さかさまになりながら背泳ぎのような動きで巨大な全翼型空中空母の後方へ飛んだ。
互いに加速して十分距離が離れると、彼女は小さく、相手は白い雲を翼の端から引きながら旋回を行った。
彼女のかざした手のひらにカードが、その前に巨大な要石が発現し、そのはるか前方で、黒い巨体のウェポンハッチが次々と開いていく。
歓喜を微塵も隠さずに、彼女は叫んだ。

「じゃあ、行くわよ!」

UAVを機体翼面上部のターレットから射出しながら、巨大な飛行兵器は宣言した。

『自己責任による交戦を開始します』

レーザーポインターが乱舞し、超音速の弾丸が幾百重にも大気の悲鳴を奏で、骨組みに羽根を組み合わせたような体温なき戦士達が舞い、幾何学線のごとき軌道で青空を裂きながら、群体のように連携して彼女を包囲する。
その中で極彩の赤光を振りまきながら、彼女は踊る。
一時も笑みを絶やすことなく。























「……超痛いわ」

夕日が雲海の向こうから赤い光を差し掛ける中で、彼女は機体後部の飛行甲板の上に転がったまま言った。

「私はバルカンファランクスの掃射を受けて原型を留めているあなたが驚きです」

相手はそう、“呆れた様子で”言った。

「天人は金剛不壊が取り柄よ。それに気質とか使えば、いろいろ防御手段はある」
「気とは便利なものなのね」
「便利よ」

彼女が視線を向けたら、相手は不思議そうな目で見返してきた。

「なんですか?」
「まだ気付かないの?」

そう言って彼女は片手を上げ、相手を指差した。
指の先には、ボロボロになった航空士官の女性制服を着た女の子が腰掛けていた。

「…あれ?」

女の子は自分の両手をまじまじと見下ろして、そのまま固まった。

「戦うことで気質は高まるもの」

悪戯っぽく笑って、彼女は女の子に言う。

「もう一押しで妖怪になると思ったから。でも、あなたみたいに大きなのも付喪神って言うのかしらね」
「あれ?」
「名前はとりあえずレイカって呼ぶから、いい名前を思いついたらそっちにするといいわ。あーるなんたられいぶんなんとかって、長すぎるもんね」
「あれ?」
「人型になったら、考え方、感じ方もかなり人間っぽくなるから、これで楽しみやすくなったでしょ」

にかっと笑う彼女に、女の子は固まった表情でしばらく動かなかった。
まあ、無理もない。半日も経たない間にこうなるとは、どんなに優秀なコンピューターだって予測できないだろうから。





「あっちが、人間が住んでる方」

彼女が指差す方はもう日が落ちて真っ暗だったが、レイカ(仮名)は素直に甲板の端から頭を出して視線を向けた。
雲の隙間から見る地上の方向は、暗くて遠すぎて何も見えない。
地上なんて本当にあるのだろうか、とさえレイカは考えてしまう。

「いろいろ考えたんだけどさ」
「なんでありましょう」
「やっぱり異変がいいと思うのよね」
「異変、ですか」
「そう。あなたみたいな経緯で最近入ってきた子が何人かいるからさ、それを集めて何か騒ぎを起こすの」
「はぁ」

レイカはしばらく考えてから言った。

「領空侵犯とか?」
「いやいや、それ日常茶飯事だから。もっと大きなことをね」
「ミサイルとUAVで先制爆撃とか」
「それやったらマジでヤバいからね!絶対しちゃだめよ!」
「は、はい」
「まあ、この巨体で我が物顔で飛び回るだけで騒ぎにはなるでしょ」

彼女はそう言うと、立てた指をくるくると振る。

「そしたら人間が誰か調査に来ると思うから、あなたたちで迎撃する」
「勝っていいのですか?」
「スペルカードルールは守ってね。というか、ルール破ったらやばいから、気をつけなさい」
「やばい?」
「巫女が来るわ」
「ミコ」
「バケモン入ってるから、本気だと私でもちょっとヤバイわ」

そう脅かすと、レイカは目を丸くした。

「あなたよりバケモンなのですか?」
「そうそう…いや待て!私は化け物じゃないわよ!」
「だって…なんで生きてるんですか、私と戦って、あれだけ被弾しておきながら」
「天人なら普通よ!……ああ、でもあのSUVとファランクス?とかミサイルとか、小規模反応弾?全般的にもうちょっと威力加減しなさいよ。万が一があると拙い。今なら威力調節とか出来るでしょ?妖気的な何かで」
「それは、たぶん」









ヒナナイテンシ、と名乗った彼女から、いろいろと聞いた。
幻想郷とは、昔、ある妖怪が作った隔離された世界であること。
忘れられた者たち、物たちが流れ着くようにできていること。
そして、自分も恐らく、人間から忘れ去られてしまったということ。

「生きたまま忘れられると、あなたみたいに迷い込んでしまうの」

テンシは私の着艦用後部甲板に寝そべりながら、私が取り出してきた非常用ランタンの明かりの中に、その綺麗に整った顔立ちを浮かび上がらせている。
私の感じ方はずいぶん変わってしまった。敏感になったともいえるし、鈍感になったとも言えそうだ。
いや、こういった曖昧な考え方が出来るようになったということ自体が驚愕に値する。とりあえず、人間サイズの体があるのは便利がいい。

「………」
「あなた、何を食べるの?」
「あ、動力は原子炉です。が……」

ぐぅ、と腹から音がした。

「え?」
「あはは」

テンシは笑うと、どこからともなく桃を取り出した。
桃、知っている。人間用のデータベースにあったものを、今の私はスムーズに引き出し、知識として使えている。

「妖怪には、有り方があるの。そのあり方に沿って生きることで胃袋が満たされて、生き続けていける。あなたのあり方は何かしらね」
「……」
「とりあえずお食べなさい。味は保障しないけど、空腹は紛れるわ」

私は桃を両手で受け取り、ふと疑問を口にした。

「テンシはどういう妖怪なのです?そのあり方とは」

何気なく口にした疑問に、テンシの動きが止まった。
私は少し驚いた。明るく飄々として見えていた彼女の瞳の中に、私の見たことがないものがよぎった。それは、なんだか、薄暗くて重たいもののようだった。

「天人は、そうね、人間の世界から浮き上がった、楽園の住人ね」
「楽園…?幻想郷のことですか」
「そうね」

紛れもない苦笑いを浮かべて、テンシは頷いた。

「ここは楽園だわ…本当に」
「はぁ」
「天人の世界は空の上にあるの。そのうち案内してもいいわ。桃の花が咲き乱れて、日々安楽に碁を打ったり踊ったり歌ったりして過ごす、そんな場所よ」
「…人間の、憧れの世界、ですか?」
「そうねぇ。でも、私には退屈だったから。暮らしているうちに我慢できなくなって、地上の人間を呼び寄せてみたの」
「……」
「そのうち、地上に行くようになったの。ずっと莫迦にしてたのよ、天人は遥か空の上から地上を見下ろす存在だから。地上に生きる者たちなんて、って」
「……地上は、どうでしたか」

私は、半ば答えの予想できる問いをした。
地上。
私にとって、建造され、飛び立つまでしか縁のなかった場所だ。
今の私ならば、再び行けるのだろうか。

「楽しかったわ」

とても穏やかな目で、テンシはそう言った。

「本当に楽しかった。くだらないことも沢山したわ。でも、どんなくだらないことでも、一つ残らず覚えてるような気がする」
「良かったですね」
「でも、楽しすぎて忘れちゃってたのよね、要石のことも」
「要石?」

そう言うと、テンシはごろんと寝返って、上の方を見上げた。
平べったい後部V字翼の間から、星空が見えた。
しばらく、プロペラの駆動音だけが低く響いていた。

「…私は昔、地震を起こそうとしたの」
「ああ、地震ですか……地震!?どうやって!?」
「人々の気質を集めて、赤い雲に蓄える。そうすれば、大地が目覚める」
「気質すごい!本当になんでもできるな!」
「ええ。それが私の異変」
「…もしかして、異変とは」
「ここでの儀式みたいなものね。みんなに自分を知って貰うには、自分をさらけ出す。それには、戦うのが一番。だからあのルールはあるの」
「………」
「でも、私はやり方を間違えたのかもね」

テンシはそう言った。

「自分で作った地震を止めるために、要石を刺した。でも、要石は起こるはずの地震を先送りするもの。時が経つほどに、地震は強力になる」
「…え…?」
「……私ですら、要石を刺したことを時々忘れてたもの。代替わりする巫女たちは、尚更だったのも仕方ないわよね」
「………」
「抜いたのは巫女ではなかったし、私でもなかった。言い訳じゃないわよ。あれは、私が責任を持つべきものだったんだから」

テンシの話では、幻想郷に掛け値なしの悪意が入り込むことが、時折起こるそうだ。

「幻想郷を囲む大結界は、少しづつ拡張されていってたの。まあ、流れ込むものが増えて、人間はともかく、人間以外が増えすぎる傾向にあったから、仕方なかったのよね」

拡張されるたびに歪みが生まれ、そこから色んな、本来入れるはずのないものが入り込むことが増えていったという。
要石を壊したのも、その掛け値無しの悪意、そのひとつだったという。

「…幻想郷のほぼ全土に大きな被害が出たわ。無事だったのは地下と、天上。あとは違う空間にあった仙界とかくらい」

………。
このようなとき、私は何を言えばいいのだろうか。

「だから、さ。あー…もう!」

いきなり、テンシは私の背中をぶっ叩いた。
私は吹っ飛ばされて、甲板から落ちた。

「………」

私は人間の体の方も飛べると、初めて知った。
もっともテンシの話によると、これは私が空中空母の妖怪(すごい字面だ)であることとは関係ないそうだが。不思議だ。

「あー、つまり、ね」

甲板に這い上がった私に対して、テンシはそっぽを向きながら言った。
悪いとは思っているのか?というより、照れているのか。もしかして。

「あんたは、うまくやりなさい。異変を」

その言葉に、テンシはどんな思いを込めたのだろうか。
私が知るべきではないのかもしれないが、少しだけ知りたいと思った。しかし実際の私は、桃を抱えて頷くだけだった。

「うん…了解した」
「よろしい」

テンシは照れを隠したような顔のままで。頷き返してくれた。
私がきっと初めて受ける、やさしい目つきだった。

















比那名居天子は要石に腰掛けて、朝日に向かって飛ぶ、黒くて大きい翼を見送っていた。
その横で、金属がきしむような音がして、空間が縦に裂けた。

「レイヴンカイト級空中空母は、星間移民船を守るために作られた兵器です」

その裂け目の中、奇妙に濁った空間から声がした。天子は驚く様子もなく、黙ったまま、逆光に彩られて遠ざかっていく“彼女”の後ろ姿を見ていた。

「つまり、あの子の本質は守るための武器。詭弁には違いないんですけど、心配はいらないと思いますよ」
「…八雲の連中って、本当に無神経よね」

天子は不機嫌そうに呟くと、じろっとその裂け目に視線を向けた。

「貴方にまでそうなって欲しくなかったわ、橙」
「…あら、ごめんなさい」

裂け目の中から、頭に猫の耳を生やし、愛嬌を湛えた茶色の目を持つ、美貌の女が現れた。
均整の取れた体を赤と白の道服で装った彼女は、空中に足を踏み出すと、天子の横の、何もない空間に当たり前のように立った。

「………何か用かしら」
「いいえ、別にないですよ」

わざとらしく澄まして言う橙。

「じゃ、帰りなさいよ。八雲橙様にはやることが沢山あるでしょう」
「今は休憩です」
「私は忙しいってば」
「…幻想郷に危ないやつが入らないように、見張るのが?」

橙が言い、天子は押し黙った。

「そうそう、今度、博麗神社で宴会があるんですよ」
「ああ、良かったわね。楽しんでらっしゃい」

つめたい声で答える天子に、橙はちょっと怯んだ目をしたが、幸い、天子は橙の方を見ていなかった。

「…まだ、参加する気になりませんか?」
「………」
「みんなもう、天子さんのこと、怒ってませんよ」
「………」
「それに、あれは私たちだって」

橙がそう言いかけたとき、天子がぽつりと言った。

「だって、もう謝れないもの」
「?」
「あの要石のことお願い、って言われたのに」

ずっと誰かを頼ったりなんて、しなかったのに、あのこ。

天子の、まるで吐息のような囁きに、橙は一時、呼吸を忘れた。

「最後の約束、破っちゃったもの」
「………」

天子はくるりと要石の上で体をひるがえし、両膝を橙の方に向けた。

「…だから、宴会は行く気になれないの」
「天子さん」
「ほら、これあげるから帰りなさい」

天子がどこからともなく取り出した桃を放ると、橙は両手でキャッチした。
それを見て、天子は微笑んだ。

「最近はお茶に凝ってる。3時に来たら、淹れてあげるわ」
「…それは、楽しみにしておきます」
「前言撤回。橙、あなただけは素直ないい子よ」

金属がこすり合うような音がして、橙が通ったあとの裂け目が閉じると、天子は向き直って前方を、博麗大結界の外側がある方を見つめた。
眼下に広がる複雑な白の陰影の中で、天子と、腰掛ける巨岩が投げかける薄く黒い影が、波打つ雲の海をゆっくり渡っていく。

「今日もいい日になりそうね」

天子は呟くと、要石に上体に投げ出し、手を頭の後ろで組んだ。

(次に来るのも、いい奴だといいわね)

心の中でつぶやいて、目を閉じた天子はそのまま、ゆるやかに迫る睡魔を待つことにしたのだった。









〈了〉
変なお話ですが、ここまで読んで下さった方がおられましたら、心よりの感謝を捧げさせていただきます。

余談ながら、タイトルは好きな曲からもじって付けました。
ヴァネッサ・カールトンの「サウザンド・マイルズ」という曲です。


6/6 誤字と色々修正させていただきました。申し訳ありませんでした。
6/7 再度修正。誤字の討ち漏らしがありました。重ね重ね失礼いたしました…
6/9 やっぱり我慢できないので修正。
サブレ揚げ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.940簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
あなたの新作を待ってた。
創作応援してます。
8.100名前が無い程度の能力削除
これはいいな。創作って感じ。
天子ちゃんの背負っちゃった悲しみが、いつか消える日が来ますように。
9.90奇声を発する程度の能力削除
読んでて、とても面白かったです
素晴らしいお話でした
10.無評価名前が無い程度の能力削除
レイカちゃんが最高にCoooool !!
ミリタリー娘大好きです。
11.100名前が無い程度の能力削除
↑点数付け忘れすいません。
13.80名前が無い程度の能力削除
良かったと思います。
特に落ちもない話なのに、飽きずに読めました。
14.90名前が無い程度の能力削除
博霊が残ってますよ
あの子が天子を責めることはないと天子自身もわかってるだろうけど
本人が直接文句言いに来るくらいでないと晴れはしないんでしょうね
16.100名前が無い程度の能力削除
まさか東方でこの手の自律兵器に出くわすとは。
とてもいい空を見せて貰いました。そして大人っぽい天子さんもいい!
17.100名前が無い程度の能力削除
これは良いオリキャラ
面白かったです。
24.100名前が無い程度の能力削除
ひゃっはー!瑞だーーっ!!
額に第三の眼だとぉっーー!?

すみません、色々混じりましたがこういうの大好物ですw