Coolier - 新生・東方創想話

Destructive Princess

2012/06/03 19:47:38
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 露悪的ではありませんが、割とナチュラルに、内蔵や眼球が出てしまっているので、苦手な方はご注意下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 月の綺麗な夜だった。
 緩やかに風が吹いて、月光の下にあるものを、さわさわと揺らしていた。姫様の髪がさらりと流れ、竹林が揺れて音を立てた。綺麗な夜ね、殺し合いをするにはぴったり、と姫様は朗らかに言った。
 姫様の抱いている死体も、姫様の言葉も、この夜には全く似合わなかった。だけど、姫様は綺麗だと言う。にこにこと笑っている。私とは感覚が違うのだ、と思った。
 死体は妹紅さんのものだ。力を抜いて姫様にもたれて、まるで信頼して身体を預けているようだった。いつも、姫様は妹紅さんと殺し合いをする。勝って殺そうが、負けて殺されようが、姫様はいつもにこにことしている。今もそうだった。姫様は妹紅さんをずるずる引き摺ってきて、重たそうに膝の上に落として、座り込んでいた。

「あぁ、疲れた。ね、鈴仙。持って帰ってあげたわよ、嬉しいでしょう」

 誰も頼んでない。

「兎って万年発情期なんでしょう。ほら、今なら見放題よ。ほらほら。こんなところまで全部」

 姫様が捲りあげているのは、妹紅さんの腹の皮だ。大穴が空いて、中からこぼれた腸が見えている。そんなところまで捲りあげても、別に淫靡さは感じない。そこに淫靡さを感じるほど、偏執的な性癖は持ち合わせていない。
 あるべきものが失われてしまった眼窩が、虚ろに月を見上げていた。姫様も、同じように見上げていた。
 姫様が懐から目玉を取り出して、かぷんとかじった。半分に千切れて、液体がこぼれた。「戦利品」嬉しそうに姫様は言った。姫様は楽しそうだった。どうしてそんなに楽しそうなの、と私は聞きたかったけれど、それは何だか違う気がした。姫様は何だって楽しいのだ。私は聞かなかった。聞く必要も見出せないのだった。姫様は美味しそうに目玉を食べ終わって、ぱっぱっと手から液体を払って立ち上がった。支えを失った妹紅さんの死体が地面に転がった。

「さ、帰りましょう、鈴仙」

 もう、そこにある妹紅さんには興味もないようだった。
 私は姫様に命じられてお風呂を沸かして、一緒に入った。ところどころ血で汚れていて、私はそれを丁寧に洗い落とした。お風呂から上がって姫様の髪を梳く頃には、血で汚れていたことなんて、存在しなかったみたいに、綺麗になっていた。




 次の日、夜遅くになっても姫様が帰ってこないので、師匠に言われて姫様を捜しに行った。竹林が燃えていて、それで私は二人を見つけた。妹紅さんが姫様の死体の上に座っていて、煙草を吸っていた。どうやら、今日勝ったのは妹紅さんのようだった。
「おう」と、妹紅さんは私の姿を見つけて、立ち上がった。目の下が焼け焦げて、筋を引いたみたいになっていた。

「はは、殺してやった。これから持って行こうと思っていたんだ。丁度良いから、お前、持って帰ってやれよ」
「妹紅さん。蓬莱の薬って何なんですか?」
「あ?」
「どうして殺し合いをするんですか」

 妹紅さんは頭をがりがりと掻いた。「そんなもん私の方が聞きたいよ」そう愚痴っぽく言ったが、それでも言葉を見つけようとしているみたいだった。基本的には良い人なのだ。

「蓬莱の薬ってのはだな。……あー……身体のことを覚えてる感覚みたいなもんだ。記憶は脳に貯まるもんだろう。感覚だって似たようなもんだろう。脳が壊れてしまえば、記憶も、感覚も終わりだ。私達は身体の外に、どこかに感覚を持っていて、それを思い出すように身体が戻ってくるんだ。そういうもんだ」
「自分の身体の外に?」
「あー。本当にそうってんじゃないよ、例えの話。大体、私は知らないんだよ。そういうのは、お前の師匠に聞けばいいだろう」

 妹紅さんは少し怒ってるみたいに話したけれど、慧音さんに言わせれば『あれはな、照れてるんだ』だそうだ。妹紅さんは人間だ。他人と話すと嬉しそうにするし、それも理解ができる。
 師匠や、姫様は、本当に分からない。したいように生きていて、他人を本当の意味で必要としていないのだ、と最近は思うけれど、それ以上はさっぱりだ。彼女らから与えられるものには惑い、彼女らに問うても求める答えは返ってこない。妹紅さんに聞くのが、分かっていないなりに一番理解できそうな答えが返ってくる気がしたのだ。
 私は月の兎だけど、月にいる人間は本当に理解ができない、と思う。依姫様や豊姫様はまだましだった。師匠は頭が良すぎるのだし、姫様は自分の言いたいことしか言わないから、望んだ答えが返ってくることは少ない。その上、二人とも、蓬莱の薬を飲んだ蓬莱人だ。生命観も倫理観も違うのだ。思考が懸絶していることに、諦めを抱くしかあの二人に付き添う方法はないように思えた。
 目の前の人間はどうだろうか。

「どうして姫様と殺し合いをするんですか」
「あぁ? 何だよ、今日はお喋りだな……。く、くくくっ」

 妹紅さんは笑い出した。持っている煙草を地面に放り捨てて、ぐりぐりと踏んで消した。

「知ってるか、鈴仙。輝夜を殺すのは、気持ちが良いんだ」

 気持ちが良い。

「殺人快楽者ですか」
「いいや、違う。誰でも良いなら輝夜とばかり殺し合ってはいないさ。こればっかりは言葉にできそうにない。どうしてかは分からないが、動作の果てにどう傷つけて、どう一線を越えて横たわるのか、そういうのを輝夜と共有するのが楽しいのさ」
「……理解ができません」
「分からなくていいさ。どうせお前はただの妖怪兎だ。そうだな。幻想郷で、私が輝夜と再会した時のことを話してやろう。輝夜と再会したとき、私は息巻いたよ。全部思い出させてやってから……お前のせいで、とね。輝夜は少し考えていたみたいだが、それからにやりと笑った。『お伽噺ではないのね、あなた。……あなたが薬を飲んだことや、あなたがそのせいで辛い目に遭ったことは、私は分からないわ。だから、私はあなたのお父さんにしたことだけ謝る。ごめんなさい』」
「どうして」

 どうして、と私は言った。それが本当なら、殺し合う理由なんてない。

「さあな。ついでに言うとな、私もその時謝った。『……勝手な逆恨みをして、悪かった』ってさ。元々、もうどうでも良かったんだ。ああまで素直に謝られちゃ、何も言えることはない。だから、私達はもう喧嘩をしていないんだ。それから輝夜はなんて言ったと思う? 『ねえ。……あなたを殺しても良い?』ってさ。どうしてか、って聞くと、私と同じことを言ったんだ。『決まってるじゃない。楽しいからよ』ってさ。私と同じ理由かは分からないが、輝夜は綺麗だろう。壊したくなんてないんだ。でも、壊したらどうなるんだろう、壊してはいけないものが、失われていくのは、どんな気持ちだろう、ってなるんだ。輝夜を殺したら、私はいつも後悔するんだ。壊しちゃいけないものだったのに、って。そのあと、私達は死なないんだから、って思い出すのさ」

 妹紅さんは二本目の煙草をくわえて、また笑った。私は、姫様を壊すところを想像してみた。……お風呂に入っている姫様。居間で、ぐうたらに過ごしている姫様。部屋の中で、私の耳を手入れしている姫様…
 想像の中の姫様から離れて、現実の姫様を見下ろしてみた。妹紅さんに殺されて、地面に転がっている。風穴の空いた腹腔から、その内容物が失われている。姫様が妹紅さんの目を喰らったことを、どうしてか妹紅さんは知っている。その意趣返しに、内臓を食べた。
 どんな味がしただろう。
 どんな気分になっただろう。

「……分かりたく、ありません」
「分からないなら、輝夜を一度壊してみるといい。きっと、どういうことか分かる。そうしたら、輝夜の方だって、もう一度蓬莱の薬を作って、お前に飲ませてくれるかもしれないよ。そうして、お前を壊してくれるかもしれない。輝夜だって、楽しむのが好きだから」
「分かりたくありませんったら」

 妹紅さんは楽しそうに笑った。妹紅さんは笑いながら、帰ってしまったので、私も姫様を連れて永遠亭に帰った。






「鈴仙。ボディーイメージと言ってね」

 はい、と私は答えた。蓬莱の薬について、師匠に聞いてもきっと分からないけれど、一応聞いてみた。普段質問をしても、三周くらい大回りした答えが返ってくるのだけど、今回もそんな気配がした。
 師匠は私に、肩に蚊が止まっているところをイメージさせ、それを叩かせた。そのとき自分の身体のサイズは無意識に分かっているので、パッドを入れていれば胸に手が当たる、という話だった。

「これはパッドを入れている女性を見つけるのに一番良い方法と言われているのだけど……私はもっと良い方法を知っているわ。天才だから」

 師匠は私の胸に手を伸ばして、私の胸を鷲掴みにした。私は慌ててしまって、師匠の手を払いのけた。師匠はどうしてか手をわきわきとさせていた。

「ちょっとブラのサイズが合っていないのじゃない」
「……分かりましたから。それで、ボディーイメージがどうかしたのですか」
「ブラのサイズが合わないというのは、あなたの胸が成長したということ」
「いや、だから」
「あなたたちのように、私や姫は成長しないということ。あなた達は、成長に合わせて認識も変わってゆく。私達は変わらない、という、それだけよ」

 私は黙り込んだ。変わらないから再生できるのか。再生するため、変わらなくなったのか。

「私達は変わらない。薬を飲んだ時のまま、固定されているの」

 変わらないのは、知っている。暴力や、痛みは勿論、それこそ誰もに降りかかって圧倒的に変化させてしまう、暴威とさえ呼ぶべき時間の流れに晒されても、平然とした顔をしているのだ。

(不便ですね)

 言いかけた言葉を、私は飲み込んだ。師匠、聞いてもよいですか、と私は聞いた。

「師匠は、そうなると分かっていたのですか。蓬莱の薬を飲む前から」
「ええ」
「分かっていて、どうして飲んだんですか」
「責任があったからよ」
「姫様がしたことなのに」
「姫様は永遠に生きる。私がそうした。そうしてしまった。その軌跡がどこへ向かってゆくのか、私は見届けなくてはならなかった」

 鈴仙、と師匠が言う。

「どうしてそんなことを聞くの?」

 私はぐっと押し黙った。師匠の目が、私を見ている。柔和な笑みを浮かべた、いつもと変わらない表情。でも、そこに遊びはなくて、油断なく全てを見通している、いつもの師匠だ。

「私や姫様の身体について。知りたくなってしまったの?」

 ふわりと、師匠が私の胸に触れた。今度は振り払わなかった。師匠の目が、私を見ていたからだ。油断のない、正しい目。

「ね、れいせん。知るには、触れるのが一番よ。できれば、身体の中で」

 師匠が私の手を取る。師匠の胸に、私の手が触れる。パッドは入っていなかった。本当だ、面倒なことを話してやってもらうよりも、遙かに早い。
 あぁ、と思った。この人は、全て奪い尽くさなければ気が済まないのだ。元々、研究が好きなひとだ。全て、知って、自分の中に入れてしまわなければ気が済まないのだ。私には、抗う術が、ない。




 師匠も、姫様も、それぞれの身体を持っていて、それぞれの形を把握している。その、把握そのものについては私も同じことで、私は、それに従って自らの身体を再生することが、できない。
『身体のことを覚えてる感覚みたいなもんだ』妹紅さんはそう言った。『私達は身体の外に、どこかに感覚を持っていて、それを思い出すように身体が戻ってくるんだ』妹紅さんが言ったことを、私は意志ではないかと思った。きっと蓬莱の薬は強制だ。生きることを強制する意志で、疲れたから眠りたいとか、お腹が空いたから食べたいとかと同じように、身体や思考が、廊下や、絶望などで、死を指向することもあるだろうと私は思う。
 死に対して、生を指向することで、私は生きている。普通の人間や妖怪もきっと同じだ。生きることは、強制されていない。生まれたから生きるしかない、なんて、甘えた思考を持ち合わせて生き続けられるほど、この世界はきっと優しくない。
 戦場の風景が蘇る。白く、静謐で、穢れのない、世界。月はそういうところだとされている。だけど、殺し合いはあった。そうした殺し合いを、殆どの人間が知らないことは、彼らにとって穢れがないと信じるには充分なのだろう。
 だけど、人も、兎も、死ぬ。殆どの人間にとっては知らないこと……つまりは、存在しないこと。
 私は存在していない。私を認識するのは、隣に並び立つ仲間か、撃つべき相手でしかなく、それも違いは銃口の向きだけで、どちらにしろすぐに死んだ。上官や上流階級の人間にとっては言わずもがな、私の存在など知らなかった。相手に向ける銃口だけを彼らは求めていた。
 存在しない穢れを抱きかかえて、私は生きていた。訳の分からない生への渇望と、死に対する強い忌避感だけが、私の存在を証明した。

 身体や意識が死を指向して、蓬莱の薬による生の強制を受けるのはどんな気分だろう、と思った。長く生きていると、生の強制はむしろ安心感に変わるのだろうか。変わらないという異物感に、身体は慣れるものだろうか。
 師匠や、姫様は、訳の分からない生の渇望や、死に対する忌避感を感じることはあるのだろうか。




 姫様の指が、私の耳の形をなぞる。姫様はそうしているのが好きだった。姫様といる時間は、姫様の身の回りのことの手伝いだったり、殺し合いの後始末だったり、お風呂や布団で姫様に身体を触られたりだったから、殆ど唯一の、静かな時間と言っても良いかもしれなかった。
 空気はとても冷たくて、庭からの空気が部屋の中を通り抜けていった。姫様の腿に触れている頭の片側だけが暖かくて、私は片手を曲げて姫様の膝に触れた。服越しにでも、温度が伝わって来た。自分の頬にも、触れてみた。

(……冷たい)

 姫様の指も温かかった。どうしてだろう。姫様が時間を止めた頃の年齢は、きっと私よりもずっと幼いはずだ。新陳代謝が高いから、子供の身体は暖かい。そういうことかな、と思った。
 私は手を伸ばして、姫様の髪に触れた。私のとは全く違う、黒く、細い、きめの細かい髪。幼いからとは、けして違う。姫様は美しくて、その美しい姿のまま、時間を止めているのだ。
『私達は変わらない』師匠の言葉が蘇る。
 私は身体を起こして、姫様の髪に触れた。私の耳に触れていた姫様の手は、今は膝の上に置かれている。姫様の髪を一本、手の中に残るまでさらさらと流して、最後に残った一本を手の中で弄んだ。ゆっくりと引き上げると、頭皮との境目でぴん、と張った。力を込めると、あっさりと、姫様の身体から髪は離れた。
 姫様が私の手を取った。その拍子に握っていた手から髪が落ちて、姫様の指が、私の指に触れた。
 暖かい。どうしてだろう、同じ冷たい空気の中なのに。
 姫様の指が私の指を握っていて、ごく近い距離で私と姫様は見つめ合っていた。姫様は私の目を見てにやりとして、私の手を顔の高さに持ち上げた。
 指先にぞわりとした感触が走った。唇からちろりとのぞく舌先が、私の指に触れている。姫様が私の指をゆっくりと飲み込んでいって、その内側で私は、濡れた感覚と、姫様の舌先の感触に触れている。
 私を見上げ、指を口から離すと、姫様は私に微笑みかけて、額に唇を寄せた。二、三度触れて、唇が降りてくる。
 瞼に触れた唇は、指先を添えて目に触れた、違和感。感じたことのない……触れられているという感触だけが、眼球と瞼の間にあった。姫様の舌が眼球をなぞった。耳を触るのと同じように、さわりさわりと、穏やかに、姫様の舌が蠢いている。
 妹紅さんの死体を思った。妹紅さんの死体は眼球がなかった。一つは抉り出され、もう一つはこんな風に囓り取られた。
 姫様の舌先が触れている眼球。戦いの中でのことなら、こんなに落ち着いてはいなかっただろう。だけど、触れたという事実は、同じことだ。私はどうしてか冷静だ。妹紅さんは殺し、殺されるのが楽しいのだと言った。……私には……やっぱり、分からなかった。私は自棄になっているのかもしれなかった。
 姫様が離れて、目の中に涙とも違う液体があるような気がした。それが姫様の涎か、そうじゃないなら、もしかしたらもう目がなくなっていて、それで血を流しているのかも知れない、と思った。目から、姫様の涎か涙が流れてきて、私はそれを手の甲でこすった。

「姫様」

 ひめさま、と私は名前を呼んだ。

「怒っていますか」

 姫様は答えなかった。黙って、離れて行ってしまった。冷たい空気の中で、私は一人残されていた。
 そうしてから、いつもは倍ほど時間をかけてする手入れが、終わってしまっていることに気付いた。私が起き上がって、姫様の髪を抜いてしまったからなのだが、いつもはそうされるのが好きで、黙って姫様の膝の上で大人しくしているのに、どうして今日はそんなことをしてしまったのだろうと思った。






 夕食の時間になった。姫様を怒らせてしまったかもしれなかったので、少しでも美味しいものを作ろう、と思った。
 エプロンをつけて台所に入ると、冷たい空気を足下に感じた。少しでも暖まろうとお湯を使った。
 姫様の死体を持って帰った時も、血のぬめりをお風呂で、何度も洗った。途端に、今台所で触れているお湯の温度がそのときの温度と重なって、血のぬめりが肌の上に残っているような気がしてきた。私は気にしないことにして、手を拭いた。
 とりあえず何をするかを考える前に、道具を用意しようと思った。まな板を取り出して、包丁をその上に置いた。
 どうしてか、牡蠣があったことを思い出した。どこに置いてあったかな、さて、と考えながら、台所を歩いた。
 ごん。音がする、頭の中で。包丁が落ちて、腕が断ち切られている。血が流れて、とても痛いはずなのに、私は冷静だ。もっと酷い傷は、戦場で何度も見た。でも、自分が傷付いたことは殆どない。臆病なのだ。痛みは怖いはずなのに、どうしてか、私は痛みのことを思っている。
 戸棚を開けてみる。そこに、桶に入って、布を被せてしまってあった。てゐか、兎かがしまっておいてくれたのだろう。
 ごん。包丁が落ちて、姫様の腕が落ちた。でも姫様は笑ってる。姫様の死体を思った。顔は殆ど崩れていなくて、かわりにお腹には大きな穴が空いていた。死んでいるのに、眠っているみたいで美しかった。姫様を連れて帰ったあと、しばらくして、姫様の傷は綺麗に治っていた。だから、腕が切れても、平気にしている。

 死ねば治る。

 桶のまま流しに置いた。牡蠣か。姫様や師匠なら、お腹を壊しても構わないから生で食べたい、と言うかもしれない。生で食べると最悪死ぬかもしれない、でも一度食べるとあの味は忘れられない、と姫様は言っていた気がする。
 ごん。腕が落ちるのはどんな気持ちだろう。失われるのことは恐怖だ。もう二度と、元の形に戻ることがない。自分が失われるのはとても、怖いことだ。だけど、姫様は腕が落ちたとしても、死んだら元に戻る。無意識の中にある自分の形に、戻ってくる。

 生き返る。

 包丁を持ち上げると、まな板に力任せに突き刺した。がん、と物凄い音がしてまな板がひび割れた。引き抜こうとしたけれど、あまりの力で突き刺したので、まな板を突き抜けて下にまで突き刺さっていて、抜けなかった。壁を蹴った。穴が空いて、破片がぼろぼろ落ちて、足が汚れた。
 台所を出ると廊下だった。自分が一瞬どこにいるか分からなくて、そこが廊下だと思い出して、壁を蹴りつけた。壁の板張りが割れてまた足が汚れた。真っ直ぐ歩くと、姫様の部屋がある。壁を蹴りながら進んだ。部屋があった。襖を外して、踏み抜いてから、枠を持ったまま二つに蹴り折って、廊下に投げ捨てた。中に何匹か兎がいて、トランプをやっていた。びっくりして、私を見詰めている。私はそのトランプを取り上げて床に投げつけた。びくびくしながらもまだ私を見詰めていたので、私はますます苛立ってしまって、まだ残っていた襖を持ち上げて振り上げて見せると、慌てて皆逃げていった。私はそれを別の襖に投げつけた。ばりばりと音を立てて割れた。
 廊下の角を曲がる。姫様の部屋に続く廊下だ。そこまで行くと、後ろにてゐが立っているのに気付いた。振り返って、てゐの目を見詰めると、てゐは少し眉を寄せて私を見ていた。私はてゐに手を伸ばした。てゐは一歩を引いてよけた。途端に、私はてゐの髪を掴もうとしている、と気付いて、それを自覚すると、がつんと殴られたような痛みが走った。理由のない衝動。脳が揺さぶられたみたいに感じた。
 頭に靄がかかったようになって、私は膝を突いた。てゐが近寄って来て、私を見詰めていた。俯いて、少ししていると、気分が落ち着いた。顔を上げると、私を見ているてゐの目が心配そうだったので、私は少し安心して、「ごめんね」と言った。てゐは「寝た方がいいよ」と、冷たく言った。
 台所に戻ると、てゐはついてきた。とは言っても手伝ってくれる訳ではなくて、ご飯の準備をする私をじっと見ていた。退屈なら手伝ってくれればいいのに、と私は思った。

 夕食を出して、私は頂かずに眠ることにした。特別早くに起きた訳でもなく、眠るには早い時間だったけど、私は深く、どこまでも沈んでいくかのような眠りを得た。






 夢の中で、私と姫様は縁側で座り込んでいた。私は姫様の膝の上に頭を乗せて、膝枕をしてもらっていた。普段からは考えられないくらい明るく言葉を交わし合っていて、全然違うのに、夢の中では自然なことのように捉えられて、とても楽しかった。
 月が私達を見ていた。月だけが、見ていた。風が吹いて、地上に届く月光さえも揺らいでいるように見えた。地面に、月光が突き刺さるように立ち並んで、木々や、私達のいる庭先を照らしていた。
 そのうちに、姫様がお伽噺を始めた。私はそのことを覚えている。いつだったか、姫様にお伽噺を聞かせてもらったことがあった。遠い昔のことのようにも思えるし、昨日のことのようにも思える。今、夢に見るまで覚えてなんていなかったのに、今思い出すと、とても大切なことのように思えた。

 むかし、むかぁし。あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。

 地上に送られた月の姫様は、月に帰る。生きている人に向けられた感情や、これまでの関係なんて、全て断ち切って。姫様が語るとどうしてか、お伽噺のようには聞こえなかった。

 月が光っている。私達を、照らしている。地上を見た。ひどく寂しい土の地面が、月の光に照らされて、薄白く穏やかに光っている。






 目が覚めると、まだ日が登り始めたところだった。布団から身体を起こすと、身震いした。朝は底冷えする。だけど、起きない訳にもいかなかった。師匠や姫様が気まぐれに自分でする時以外、食事を用意するのは私や兎達の仕事だった。
 台所に入ると、師匠がココアを作っていた。飲む? と聞いて、その分を私にくれた。師匠は自分でもう一杯を入れて、二人で飲んだ。
 いつも、兎たちは自分達で作って食事を取る。私と師匠、それから朝は滅多に来ないけど姫様は三人、一緒。てゐは向こうに行ったり、こっちで食べたり、決まっていないけど、私達と一緒にすることが多い。今日も、姫様は起きてこなくて、三人だった。
 食事を終えると、食器を片付けた。それが終わると、師匠の手伝い。言いつけられている分の仕事を終えると、部屋に戻った。本棚が乱れていたので、片付けた。ちょっと散らかっていた気がしたので、ごみを捨てて、ものを整理した。
 することがなくなってしまった。
 姫様のところに行かないといけない、と思った。いや。いつも、することがなければ姫様のところに行っているのだから、それはいつものことなのだ。そうするのだ、と私は思った。
 廊下を歩くと、兎達が掃除をしていた。一匹が私を見て、さっと目をそらした。廊下の壁が、ところどころ、えぐれている。私が空けた穴だ。一部は、破れたところから張り直し始めてあった。
 姫様の部屋に入ると、暖かかった。ストーブがついていた。姫様とてゐが、私に背中を見せて、二人してテレビに見入っている。てゐはコントローラーを握っていて、シューティングゲームをしているみたいだった。姫様はおやつを食べながらそれを見ていた。
 てゐは何度か練習しているみたいで、ひょいひょいとゲームを進めていた。調子が乗っているみたいで、ふんふんと音楽に合わせて鼻歌を奏でていた。
 私は姫様の隣に座った。姫様は私を見て、あら鈴仙、と言った。何も答えなかったので、姫様はまた画面を見た。
「朝ご飯を食べないから、変な時間にお腹が空くんですよ」
 そう言うと、姫様はちょっと驚いた顔をして、私を見た。それから、どうしてか穏やかな顔になった。
「ご飯なんて、いつ食べてもいいのよ。鈴仙だってしたければ好きにしたっていいと思うわ」
 私は何も答えなかった。黙って、炬燵の中手を伸ばして、姫様の膝を撫でた。姫様は悪戯っぽく笑って、膝を触る私の手に、そっと手を重ねてきた。
 私は、足を投げ出している姫様の膝を撫で、裾を割って、生の足に触れた。姫様はますますくすくす笑った。てゐが不思議に思って、画面を止めて、私達を見て、それからまた画面に向き直った。
 私はその手指を曲げて、人差し指だけ触れているみたいにした。それから、親指を立てたまま、他の指を曲げた。
 姫様の顔が歪んだ。
 膝に弾丸が撃ち込まれたのだ。膝から、腿の方に向かって撃ったから、弾丸はきっと臀部に行くまでの途中で止まっただろう。私は手を持ち上げて、姫様の手を取った。もう片手で肘を持って、力任せにへし折った。炬燵を跳ね上げると姫様もてゐも吹っ飛んで、床に倒れた姫様が見えた。帯を強引に引っ張って、服を脱がせた。和服の前がはだけて、姫様の肌が見えた。
 膝がえぐれて、血まみれになっている。肘は、普段、曲がらない方に曲がっていた。私は姫様を跨いで見下ろして、私を見上げている顔に、指を向けた。
 身体全体が傾ぐ。指先が見える。行場がない。たたらを踏む前に、身体に衝撃を受けて、身体が吹っ飛んだ。てゐが見えて、弾を撃ったのだと分かった。立ち上がろうとすると、身体は傾いだままだった。膝を突いた姿勢のまま、前に倒れ込んだ。意識が、水底の砂に沈むように、ゆっくりと深く落ちていった。






 白い天井が見えた。私は見上げていて、それが不思議にぼやけているので、私はまるで白い海の底に沈んでいるようだと思った。
 妙に目が冴えている。さっきまで意識がなかったのに、どうしてか、意識は明瞭だった。夢も見ないほど深い眠りについていたようだった。
 身体を起こす前から、師匠の視線には気付いていた。身体を起こして師匠を見、視線を外して自分の身体を確認した。入院着を着せられている。自分のしたことを思うと、それも仕方ないことかもしれない。でも、私は分からなかった。私は、姫様にしたことを、良くないことだと思っていない。姫様がいつも妹紅さんにしていることだし、されていることだ。姫様も、妹紅さんも、似たようなことを……その行為に肯定的な言動をしている。
 何より、私自身、そこに迷いを感じていない。何も、おかしいことはないのだ。師匠を見た。いつか見た、油断のない、正しい目をしていた。

「師匠」
「何」
「私は、私がおかしいことさえ分かっていませんか」

 ふう、と師匠が溜息をついた。
 私、と続けようとしたとき、師匠はそれを遮った。

「鈴仙」
「はい」
「悪いことしましょう」

 え、と言った。

「世の中全部変わっちゃうくらい、悪いことして遊びましょう」
「え、その」
「したくないの?」
「…………」
「楽しくなかった?」
「いいえ」

 まるで、言葉自身がお腹の中で自由を得て、喉を通ってこぼれ落ちたみたいだった。言ってから、私は考えた。台所を壊したり、廊下を壊したり、兎を脅したり。
 姫様に弾を撃ち込んで、腕を折って、裸にして、それから。

「……いいえ」

 今度は、自動化されていない、きちんと考えた自分の言葉で、答えた。

「どうしてみたいか、言ってみなさい」

 私は自分の座っているベッドを見た。それから部屋を見た。壁を見て、椅子を見た。師匠は、それだけで分かったみたいだった。私が言葉にする前に頷いた。師匠は、私の意志を動作にするみたいに立ち上がって、椅子を持ち上げた。窓に向かって投げた。ものすごい音がして、椅子が窓を突き破って外に出て行ってしまった。

「しないの?」

 師匠は言いながら振り返って壁を蹴り付けた。亭そのものが揺れているんじゃないかと思うほど揺れて、壁に簡単に穴が空いた。
 私も立ち上がって、ベッドを持ち上げた。床に投げ転がすと、横倒しになって、床とベッドと、両方に傷がついた。私はその傷を広げるみたいに、蹴った。一度目は遠慮があった。壊れなかったので、二度目は強く、三度目はもっと強く蹴った。足も痛んだけれど、力を込めて蹴ったので、何度も蹴るとそのうちにばらばらになった。師匠を見ると、椅子を床に叩き付けて、地面に穴を空けていた。あれから何度か蹴ったらしい壁には大穴が空いていて、隣の部屋にいた兎たちが慌てふためき逃げていくところが見えた。突き刺さった机や椅子が、奇妙なオブジェみたいに見えた。師匠は暖房器具も壊してしまっていた。全ての部屋に暖かい空気を流すものだから、皆暖まることもできない。とても不便だ、と私は思った。
 師匠が私を見た。真面目な目をしていた。楽しそうでも、哀しそうでも、怒ってもいない。いつもと変わらない目だった。私がおかしいのだとしたら、師匠は全然おかしくない。この人は迷っていない、と素直に思えて、素直に信じられた。
 師匠は私を見て、扉を示した。私はダッシュして両足を揃えて蹴った。蝶番がはじけ飛んで、扉が吹っ飛んだ。診察室は、洋式だから、扉があるのだ。勢いのままに廊下に出ると、様子を探りに来て、けれど中に入ることは出来なかったらしい兎たちが叫びながら逃げていった。

「さ、次に行きましょう」

 私が空けた扉から、師匠が先に出てすたすた歩いて行ってしまった。
 とても楽しい。でも、と思った。
 どうしてだろう、一人で思っていた時よりも、これでいいのかという気分が強い。師匠と一緒にしているのに。師匠は襖を外すと投げていた。師匠もそうするのだ、と思った。
 そのとき、姫様が廊下の端を歩いているのが、見えた。私は思わず、あ、と言った。




 姫様はグラスと、瓶に入ったジュースを持っていた。師匠が姫様に歩み寄って、それを奪って、床に叩き付けた。瓶みたいな、よく落とすことを前提にしてるものは、壊れにくいし、床は木で、コンクリートみたいに固い訳じゃない。なのに、それはいとも簡単にばらばらになった。ガラスと、中身のジュースが床に広がった。姫様の飲みたかったジュースを、姫様はもう飲むことができない。ジュースくらいいくらでもあるけれど、姫様が飲みたくて持ってきたのは今床にぶちまけた分だけなのだ。替えがあるとかは関係ない。今、飲みたかったのを、姫様は飲むことはできない。
 師匠はガラスのカクテルされたジュースの中に足を突っ込んで、靴下を赤色とオレンジ色に染めながら、姫様に歩み寄った。姫様の表情が見えない。布の破れる音がして、師匠が姫様の服を破いたのだと分かった。
 師匠が姫様を見下ろしている。足を振り上げて、腕を踏みつけた。右手の肘だ。姫様は痛がって、声を上げて、左手で足をどかそうとしたけれど、師匠は思いっきり踏みつけていて、びくともしなかった。足の裏をにじるようにすると、ごきりと音が響いて、姫様の腕が折れた。また、声が響いて、ようやく師匠は足をどけた。肘の近くが折れていて、関節が二つになったみたいだった。
 そうなることを思った。ろくろく動かせないに違いない。指先に力も入るかどうか。何の役にも立たなくなる。
 師匠はまた足を振り上げた。姫様はその足から逃れようとして、けれど、逃れようとする足を踏みつけられた。ちょうど、私が弾を撃ったところだ。関節を踏みしめられて、ぎりりと音がするのが、聞こえるようだった。左手、それから折れた右手でかばうようにしても、師匠は止めようともしなかった。苦しそうな呻き声のあと、また師匠は一層力を込めて折った。
 ししょう、と私は呟いた。けれど、それは無意味だった。師匠は姫様しか見ていない。姫様もまた、師匠に壊されている。彼女らにとって、壊されるのは悪いことではない、最早。なら、どうして、二人はああしているのだ。妹紅さんは、どうしてそうしているのだ。

『知ってるか、鈴仙。輝夜を殺すのは、気持ちが良いんだ』

 妹紅さんは言っていた。妹紅さんは目の前の二人より人間らしい、と思う。元々が人間なのだ。あの二人の言葉を、人間らしく当てはめると、そうなるのかもしれない。でも、と思った。あの二人に当てはまる言葉なんて、きっとどこにもない。
 師匠が、姫様を踏みつけている。胸元に足を置いて。みしみしと音が聞こえてきそうなほど強く。歯を食いしばって、痛みに耐えながら、涙を流して、目を剥いて。姫様が苦悶の表情を浮かべている。だけど、その苦悶さえ、多分、姫様にとっては、妹紅さん流の言い方で言う、『気持ちが良い』なのだ。
 死ぬことさえも、戯れで。何を恐れるのか。
 私は、二人の間に割って入ることが、できない。私は、姫様や、師匠とは、別のものだ。
師匠は膝を突くと、姫様の髪を掴んだ。綺麗な髪、今は兵士に蹂躙される敗戦国のごとく見る目もなく、師匠の拳で姫様の美しく整った貌さえ汚されてゆく。だがその汚れ、変化さえ、痕一つ残ることはない。
 師匠の表情は、変わらない。まるで、普段から日々を過ごし、仕事をし、日常を共にするのと同じ顔だ。同じ、油断のない、美しい、凄味に満ちた目だ。師匠の目が姫様に向けられている。師匠の指が、姫様の目の中に沈む。眼球と瞼の間を割り、まるで果実にスプーンを入れるみたいに、くるりと取り出した。

「師匠」

 恐怖感。黙っていることの怖さが、言葉を発すことの怖さを上回ったのだった。

「止めてください」

 師匠は私を、ちらりとも見もしなかった。黙ったまま、姫様の、残った眼球も抉り出した。それの、何がいけないことか、と言わんばかりに、姫様の二つの眼球を右手の中で転がして、私を見た。

「あげるわ」

 師匠が、私の手の中に、持っていたものを転がした。

「あなたが望んだものよ」

 師匠は、そのまま行ってしまった。私の両手の上に、姫様の眼球が転がっている。私は、なんてことをしてしまったんだろう。姫様の側に膝を突いて、眼球を戻そうとした。でも、一度抜けてしまったものが、戻るはずもない。私は慌ててしまって、それを持ったまま薬と包帯と救急箱を持ってきて、姫様に手当をした。目を覆うように包帯の巻かれた、痛々しい姿になった。






 姫様は、あんなことがあってからも、態度を変えなかった。むしろ、変えるという方が想像しづらいから、姫様を見ていると普通のことなのだけど、私の常識では理解が及ばなかった。
 私の立場は、僅かに変わった。罰として、姫様の日常的な世話をさせられるようになった。姫様は、もう治っているはずなのに、目を覆っている包帯だけ、取ろうとしないのだった。
 寝床を一緒にして、朝起こして、それから空いている時間に世話をして、夜眠るまで付き合う。
 私があんな風になってしまったことについて、誰も教えてはくれなかった。私はおかしくなっていた。だけど、どういう風になっていて、どういう理由でなっていたのか、全く理解が及ばないのだ。それはきっと、姫様にも師匠にも、説明して貰っても、いつもの良く分からない答えになるだろうから、聞いても仕方のないことだ、と諦めることにした。

「鈴仙は、簡単に済んだわね」
「どういうことですか」
「私はずっと試しているの。でも、なかなかうまくいかなくって」

 ふう、と溜息をついた。永い永い時間を生きる姫様が試していて、うまくいかないのなら、それは相当だ。生きていることの理由が、それになっていてもおかしくないんじゃないか、と思った。

「永琳はいつまで経っても変わらないわ。ひどい悪人のまま。人を殺すのだって、それよりもひどいことだって、平気な顔をして」

 そうだろうか、と思った。師匠のことを考えようとした。でも、考えることができるほど、二人の間にあるものを知っている訳でもなかった。それに、知ったところで、きっと、二人の間のことを想像できるほど、理解が及ぶはずもないと思えた。
 私は怯えてしまった。私は、自分が、変わってしまうのが怖かったのだ。
『私達は変わらない』、と師匠は言った。それは、身体のことはもちろんだけど、きっと、本質みたいなものも、変わらないのだと思う。
『輝夜を殺すのは、気持ちが良いんだ』と妹紅さんは言った。師匠もそうだろうか。もし、師匠がそうならば、きっと、生きている頃から、蓬莱の薬を飲む前から、そうしたいと思っていたのだ。師匠は自分と向き合っている。自分の行為を自ら蔑みながら、だけど歩みを止めることは敵わない。姫様に対しての責任でもあるし、自分自身への責任でもある。
 姫様の軌跡を、行く先を見守る責任がある、と言ったのも本当のことだろう。だけど、それとは別で、師匠は、きっと姫様を壊すのが楽しいのだ。姫様を、自分の元に置いて、自分のものにするのが楽しいのだ。壊してはいけない、と思いながら、壊すことを思い、壊すのが楽しいのだ。姫様が師匠は悪人だ、と言った理由が分かった気がした。

「永琳は、一回も謝ったことがないの。ただの一回もよ。それに比べたら、鈴仙はとても素直だわ……ね、鈴仙、お伽噺をしてあげようか」

 むかし、むかぁし。あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
 姫様はそう語り出すと、竹から生まれた女の子の話を始めた。やがて大きく美しく育って、広く、知られるようになった。美しいから、何度も求婚をされ、やがて月に帰りました。めでたしめでたし。姫様はまるで、自分のことのように語った。

「でも、これは本当はお伽噺じゃないの。私は月には帰らなかったし、月の使者は、皆死んでしまった。皆殺しになった」

 師匠がやった。

「私がこんな身体になったのも。全部、あいつのせい。だから、私は妹紅を殺して、あいつに見せてやっているの。あいつに、お前のしたことはこれだ、ってね」

 でも、と私は思った。作らせたのは姫様じゃないのだろうか。師匠は、自らの探求心に負けて、作ってしまってから、後悔したのじゃないだろうか。そうして、姫様の為に責任を感じて、ずっと、ずっと、自分が悪人だと言い続けてきたから、本当に、悪人になってしまったのじゃないだろうか。
 師匠は謝るつもりなんてどこにもないんだろう。自分が悪人なのだから、謝ることもない。悪いことを悪いまま、していいのだ。そうでなかったら、どうしてそんなことをして、今まで平然と生きてきたのか、分からなくなるのではないか。私は想像した。勝手な想像だ。
 師匠は謝れないのではなくて、謝らないのだ。二人がもしも変わってゆく生き物であれば、別の関係になることもあり得たかもしれない。だけど、二人は蓬莱人なのだ。二人はかつての関係性のまま、時を止めてしまっている。

「ねえ鈴仙、お伽噺を聞かせてよ」

 姫様はそう言った。お伽噺? と聞き返した。

「今度は、鈴仙に話してもらいたいの」

 ええと、言った。ここで言うお伽噺は、昔話のことかもしれない。でも、私には他人に語って聞かせる話など、持っていないように思えた。それでも、自分の中で落ち着けて、整理して、物語の形にできそうだった。

「……あるところにですね。一人の兵士がいたんです。話し合いで済むかも知れない事柄を、力があるからという理由で対抗しあう、そもそもの理由が分からなくなるような争いに駆り出される兵士で、その兵士は、自分は何なのか、争うとは何なのかということをずっと考えていたんです。普通は、そんなことを考えながら戦う兵なんてものは、すぐに死んでしまうんですが、その兎は偶々才能があったのか、そんなことはなかったんです。でも、戦場から離れてしまうって意味合いでは同じだったかもしれません。その兎は逃げ出したんです。逃げ出さなくても、頭がおかしくなって、どのみち戦場からは離れていたから。兎は、平和なところに逃げて、追っ手に怯えながら、それでも、幸せに暮らしました。めでたしめでたし」

 私は簡潔に語った。お伽噺とはそういうものだろう。姫様はつまらなそうだった。

「平和に、幸せに暮らしたんだ?」
「ええ。お伽噺ですから。その兵士はもう殺す必要も、殺される必要もない。何不自由のない暮らしで、とても幸せですよ」

 私は、それが嘘か本当なのか、分からなかった。以前に比べれば余程、幸せだ。だけど、戦場のことは思い出す。まだ、戦争は終わっていない。戦場にいるべき兎が、平穏に暮らしていることに、怯えている。きっと、それは、永遠にそのままなのだろう。戦争が終わったとしても。
 幸せ、なんてものを、明確に定義できる人間なんてどこにもいない。姫様にとっての幸せと、私の幸せはきっと違う。師匠はどうだろうか。妹紅さんは? きっと、皆それぞれの不幸と、それぞれの幸せを持っている。
 私は、姫様を傷つけたくなんてない。

「姫様、師匠のことですけど」
「うん」
「私を傷つけてみればいかがですか」

 姫様は目をぱちくりとさせた。驚いたみたいだった。それからあっはははと笑った。本気なのに。

「師匠が最初にひどいことをしたのは、生きていた頃の姫様にでしょう。師匠の前で、私を傷つければ、その頃のことを思い出すのじゃないでしょうか」
「そんなこと言ったって。ねぇ、鈴仙。あなた死ぬのが嫌で、戦場から逃げてきたんでしょう。死ぬかも知れないのよ。それに、痛いのよ」
「死ぬのは嫌です、でも、姫様がそんなに悩んでいるのに」
「馬鹿ね。本気にしなくったっていいのよ。どうせ時間はいくらでもあるのだから、のんびりやるわ。永琳が分かってくれないならそれはそれで、いいのよ」

 本当に、と私は聞きたかった。でも、もしかしたら、姫様はそんな風にして、師匠と一緒にいるのかもしれない。師匠は師匠の方で。二人はかつての関係性のまま、時を止めている。
 小さな火球が襖を突き破って飛んできて、私はそれを手の平で防いだ。小さな火だから平気だったけれど、少し火傷をした。姫様が立ち上がったので、私は庭に続く襖を開け放った。

「また永琳に見せてあげないと」

 そう言って、姫様は庭先に降りた。そこには妹紅さんが立っていて、掌に火をともし、灯りにしていた。妹紅さんは私と、姫様の包帯を見た。

「そいつを、一度壊してみたかい。鈴仙」
「壊してみましたよ。全然、楽しくなんてありませんでした」

 そうかい、と妹紅さんは楽しそうに言った。姫様が庭先に降りて、包帯を解いた。私に、久しぶりに目を見せると、私に向かって手を伸ばした。手を放すと、風に乗ってそれは私の手に届いた。それから、姫様は妹紅さんに向き直った。また、殺すのだ、そして、殺されるのだ。姫様にとっては、ずっと悩んでいたのなら、今師匠のために殺してみせることのできる相手がいるのは、嬉しいことなのかもしれない。
 姫様と私は同じものなのかもしれない、と思った。私もまた、殺し、殺されていた。戦場で、飛び交う死に触れながら、対敵を殺す、そんな日々があった。姫様と違うところは、と考えた。それが師匠のためであり、私は、誰のためでもなかった、ということだ。でも、それは単純に私の想像力の問題かも知れない。意味もないことだ、と思考を放棄して。
 姫様のために生きてみてもいいかもしれないと思った。姫様だけじゃなくて、永遠亭で、誰かのために。これまでは、そんな余裕もなかった。生とか、死とか、そういうのじゃなくて、鬱屈した意志だけを膨らませて生きていた。
 竹林の向こうで、音が聞こえた。姫様と、妹紅さんが殺し合いをしている。月が、光っている。ああ、と思った。風が吹いて、竹林が擦れる音がした。良い夜だ、と思った。
 原作:アン・シャーリー氏『お伽噺を聞かせて』
 リライト・文章担当:RingGing・the・serious breaker

 試行錯誤を繰り返し、何とか料理できないかと思った結果、いつもの自分の、説明過多なくらいに言葉を重ねるストロングスタイルに落ち着きました。今の僕にはこの辺りが限界なようなので、あとは、読者の皆様にお預けして、物語の形を感じて頂こうと思います。

 読んで下さってありがとうございました。
RingGing
https://twitter.com/#!/ProdicateJacks2
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コメント



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2.無評価名前が無い程度の能力削除
原作と殆ど印象が変わらない。どっちか片方あればもう片方は不要。
3.70名前が無い程度の能力削除
元作品と比較するのはなんか間違ってる気がするんだけど、リライトということなので比べた上での感想も書きます。
まず、後書きにある「言葉を重ねるストロングスタイル」というものにしたのが失敗じゃないかと思う。
元作品では読者を意識した読みやすさがあったけど、こちらではそれがない。むしろ、動作面で言葉足らずのところがいくつかあるし、そのスタイル通りの装飾過多な文面があわさって、読みづらさが加速した。作者さんのテンションにこっちが追いつけないような状態。
だけど、あくまで比べた上での話であって、単体で見れば、鈴仙の考え方の道筋は興味深いし、輝夜のやり方には感心できるしと、楽しいところもある。
9.100名前が無い程度の能力削除
狂気ですなぁ