Coolier - 新生・東方創想話

ネイルアートが幻想入りしました【2,アリス・マーガトロイドの場合】

2012/03/25 22:47:18
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※ネイルアートが幻想入りした、という設定です
※前作品集に投稿した作品のアリス視点になります、これだけ読んでも大丈夫です


「……来ないわね」

呟いた言葉は、春の夜、どっぷりとした暗闇のなかに吸いこまれていった。仕方なしに私は立ち上がり、手探りにマッチを擦ってあちこちに明かりを灯してゆく。ずるりと裾を引いた薄水の寝巻を翻す。

ぼう、と机のうえに載せられたふたり分のティセットが浮かぶ。スコーンは三種類、オレンジとチーズ、干し葡萄と胡桃、紅茶の茶葉。つけるのは、バターでなく、勿論もったりとしたクロテッドクリーム、苺からゆっくり煮詰めて作ったストロベリ・ジャム。揃いのランチマットは春らしいレース編みで緑と黄色。添えているのはか細く華奢な銀のバターナイフとフォーク、とっておきの茶器はぽってりと丸みを帯びた薄い桃色をしたポットと同じ色のソーサーとカップ。何処も、欠けているものなどない。平たい大皿のうえに載せられたスコーンは、曖昧な明りの下でも美味しそうに映った。

私は、大皿を手に取った。たっぷりのバターを使って作ったスコーン。そのまま持ちあげて、私の目線のところまで上げるとひっくり返した。ざらざらざらざら。皿の上からスコーンが落ちてゆく。床の上にどさどさどさと音を立てて後から後から滑り落ちてゆく。

「落としたら、もう食べられないものね」

私自身に言い聞かせるように、しっかりとくちに出して言った。上海に全て捨てておくように指示をして、テーブルのうえにすっかりと軽くなった大皿を放るとどすんと椅子に腰を下ろした。ちらと目を遣るけれど、もう未練はない。額に汗をかきながら、バターと粉を混ぜ合せてこねて、一つずつ型を抜いたけれども、後悔もない。

私には食べることは必要ない。

綺麗さっぱりなくなってしまったけれど、それでもまだ床の上からは香ばしい匂いが薫っている。あまりその匂いを嗅いでいたくなくて、立ち上がった。ぺたり、とひとり分のスリッパの音が響く。

台所に通じる扉はぎい、と鈍い音を立てて開いた。調理台の上においてある、里で手に入れた本を開く。ぱらぱら軽い音がして、調理工程と様々な菓子が並んでいるのを眺める。次は何を作ろう。スコーンはたった二日しか美味しく食べられないのだ。フロランタンなんて良いかもしれない。アーモンドにたっぷりのチョコレートを掛ける。同じチョコレートなら、ずっしりしたガトーショコラなんてどうだろう。次々頭のなかに広がるのは、甘いお菓子たち。冷たいタイル張りの床のうえ、調理台に寄りかかって頁を捲る。また里に下りて、必要なものを買って来なければならないだろう。棚を覗いてみれば、紅茶の茶葉を保存してある瓶たちがしん、と並んでいる。今回はキャンディを淹れる予定だったのに。さっぱりとした味は、スコーンと合っただろう。あの子は甘いお茶が好きだからと買って来たアンブレの瓶を開ければ、ふんわりとはちみつの香がする。

暗い台所には、明りとりの窓から僅かに月明かりが差し込んでくるばかりだ。本を閉じてまた、調理台の壁に立てかける。

台所を出ると、ランプの明りの元安楽椅子に腰掛けた。もう春もそこまで来ているけれど、まだ冷たい。膝のうえにふわりと毛布を掛ける。隣に置いてある、猫足のついたテーブルにはみ出さんばかりに置いてある籠を開いた。中には、色とりどりの小瓶たちが入っている。流行っている、と聞いて手に入れてからの密かなたのしみ。

前は半歩先、春を想起させるような桜色を薬指にだけ塗っていた。残りには透明のものを塗り、そのうえに桜色の石をふたつだけ。あまり華やかにするのは趣味ではない。今宵は、籠のうえで手を彷徨わせ、結局深い臙脂色を手に取ると、こつん、とテーブルに置いた。

私が菓子を焼くのは他でもない、彼女のためだけだ。彼女がまたこの家に来たいと思うように、私の考えた馬鹿みたいな作戦だった。はじめは貰い物のカップケーキを出したらとても喜んで、目を輝かせて食べているのを見たらまたその顔が見たくなってしまったのだ。アリスのところに来れば何か美味しいものが食べられる、彼女がそう思ってくれれば良い。たったそれだけで良い。私に対しての感謝だとか、対しての見返りとかなんて必要な筈ない。ただただ、彼女はここに来てお菓子を美味しいと食べて、私と喋ってくれれば良い。私の知らない世界をびゅうんと飛び回って、それでも私のところにすこしだけ、渡り鳥の宿り木となれればそれで良いのだ。

だから彼女が何時やってくるか見当もつかない。常に家には菓子があるようにしているけれど、二日、三日経て美味しくなくなってしまえばもう用済みだ。魔理沙のくちに入らなかったのだから。

ほんのりと温めた指先に、刷毛で丁寧に臙脂色を塗ってゆく。こうしてひとりで爪に色を付けていると無心になれる。深みのある臙脂が明りの下できらりと鈍く輝いている。私は目を細めて、塗り終わった左手の指先を眺めるとふうと息を吹きかけた。毛布の毛がついて仕舞わないように手は空中に浮かべ、そっと刷毛を持ちかえる。

まるで賭けごとだ。彼女が来るかは解らない。私には解らないし、きっと彼女にも解らない。当たるも八卦、当たらぬも八卦なこの行為を何時まで続けるのだろう、と何度も考えたけれど結論は出ない。

臙脂色で十本、綺麗に塗られた爪先の薬指に、ちょんとリボンの形が作られたものを載せる。裾が翻ったリボンは可愛らしくて、風にはためいている様にも見えた。それから、保護の液体を塗る。

魔理沙の手を取りたい。魔理沙の手に、この魔法みたいなネイルアートを施したい。彼女の手など握ったことも無いけれど、その爪の上をすべやかに刷毛で彩って、それからきらきらと星をたくさん載せたい。彼女自身が流れ星であるから、手のなかに夜空を作りたい。正式に、何が正式か解らないが、手を取れないのなら、せめて。

ようやく出来あがったネイルを輝かせて、私は頭上に広げた。出来あがった爪は前回よりも良い出来で、とろりとした深みが好き。

ネイルアートは不思議なもので、大したことではないのに心が満たされる。さっきまでくさくさとしていた心もしっとりと落ちついて、いつか彼女は訪れる、と何処か自分が楽観的になっている。

***

ネイルが巧くいくと、全てが巧くいくような気になるのは何故だろう。アーモンドの香のたっぷりと含まれた牛乳に生クリームをとろとろ加えて、一滴残らず型に流し込み終わって冷やし、その間にとチョコレートを包丁で割っていたところで、は、と振り返った。

「アリス―いるー?」

明るい声が外からする。やっぱりね、と包丁を握る手を見れば臙脂色で綺麗に彩られている。にっこりと微笑んでから、

「いるわよ、勝手に入ってー!」

と扉の方に向かって叫んだ。チョコレートソースをとっとと作って仕舞わなければならない。とんとん、とチョコレートが俎板のうえに広がっていくとあたりに甘い匂いが広がってくる。沸騰させておいたお湯で湯煎をして、とろとろと溶かしていく。明るい台所のなか全体が何だか軽やかで、彼女の来訪を全てが祝福しているようだ。

鍋を置くと、ふうと息を整えて台所から外に出た。居間は普段の様相とは全く違っていて、きらきらと眩しく、それから勝手に椅子に坐ってテーブルの上に置いていた本をぱらぱらとめくっている彼女の姿の周りはより光がはなたれて、直視するのが難しいくらいにきらきら一面に輝いている。ああ、なんて眩しいのだろう。手で光避けを作って彼女の姿を遠目で見つめていると、こちらに気付いたのかぱたん! と勢いよく本を閉じてにこーっと笑った。

「おーっす!」

明るい。眩しい。彼女になんて言葉を尽くすのが正しいのか私は知らない。怪しまれる、と手を下ろすと一歩彼女へと近づいた。

「またいきなり来て……」「ごめんごめん」

ああ、軽い。その軽さに、私の声はふんわりと舞いあがっていく。毒づいた私に彼女が軽く謝るのももはや恒例行事となっていた。テーブルの上には、良い織物だという赤と青の敷物を敷いてあり、木製のスプーンを添えておいておいた。やはり、彼女はやってきた!

「ブランマンジェがあるの、食べる? プリンみたいなの」
「食べる!」

答えはもう決まっている。ちょっと待ってね、と私は台所へと戻る。

ああ、今私の脚は無意識のうちにステップを踏んでいなかっただろうか。ほわほわしたままで空中に舞い上がっていなかっただろうか。しっかりと冷えたブランマンジェの上に、とろおりとチョコレートソースをかける。きちんと二人分。そのうえに、摘んだばかりのミントの葉をちょこんと載せて、白磁の皿の上に載せる。

「どうぞ、これがブランマンジェよ」

彼女の前に置くと、いただきまーす、と手を合わせてから匙を彼女の手が握った。私は、それを隣に坐って、じ、と眺める。真っ白なブランマンジェがチョコレートソースと混じり合って、つるりと匙のうえに乗っかって、彼女の唇に触れる瞬間をこの目にする。

「……旨い!」

彼女の声で、ようやく私は目線を離すことが出来る。ひとこと告げると、あっという間にブランマンジェは原型をとどめないくらいにぐちゃぐちゃにされて彼女のくちへと放り込まれて行く。そしてこれから彼女の血となり肉となっていくのだ。うっとりと眺める。

やってこなかった五日間の話を、切れ切れに彼女はしてくれた。キャンディの茶葉で作ったアイスティを五杯、空にして、それからブランマンジェを三つも食べて。結局私の分も彼女に遣ってしまった。私には必要のないものだ。私の作ったものが私にとって旨かろうがまずかろうが関係はない。全ては、彼女のためにある。

六杯目の紅茶を、硝子の水差しからとぽとぽとグラスに注ぐ。

「それでさあ、こーりんの野郎がさあ」

その単語が聞こえると、私の手はぴたりと止まってしまうのだった。けれどもなんとか、光を乱反射する薄い硝子のグラスから紅茶をあふれさせることなくぎりぎりのところで水差しを元に戻す。

彼女は、古道具屋の店主の話をするときに、必ず語尾が跳ねる。どんなに憎まれ口だったとしても、馬鹿にした口調だったとしても。
頬杖をついて、彼がいかに食に関心がないか彼女は話す。とんでもない食べ合わせで食べるだとか、とうに腐っているだろうというものでも食べるだろうか。そんな、どうってことない話題だというのに彼女の頬はふつふつとピンク色に色めき、睫毛が瞬かれるたびにきらきらと星屑があたりに散らされる。見えないけれど、足が楽しそうにぶらぶらさせられていることも、私はそっと気付いている。

知っている。彼女をそうさせる根源、その感情の名前を。けれど、私はそれを告げるなんて無粋なことはしない。あんなにも上手に淹れた筈の紅茶が、ひえびえと身体に沁み渡り、そして何故か渋い。

話を一通り終えた魔理沙が、ブランマンジェのスプーンを手にとった。その手をじ、と眺める。ふっくらしていて、ちいさくて、爪も短い手。ああ、その手に触れたい。どうしても抑えられない衝動。

彼女の話を聞く限り、彼女と彼が過す時間は私と彼女が過す時間の何倍も長い。それに、彼女が彼に注ぐ視線は百や二百では利かないほどの量だろう。ふたりが一緒にいるところを見たことはないけれど、すこし想像をめぐらせれば簡単に結論づけられてしまう。
だから、彼に敵おうなんてすこしも思わない。思ってはいけないし、思えば思うほど辛くなるとはとうに気が付いている当たり前の事実なのだ。だけど、せめて手を取るくらいは許されたい。

ブランマンジェをまたも食べている彼女を横目にして、私は椅子から立ち上がった。棚に仕舞っておいた大きな籠を持ちだした。ずっしりとした掌に掛かる重さが、これが素晴らしい作戦だと肯定してくれているようにも感じられる。どすん! と勢いよく机のうえに置くと、わ、と魔理沙が文字通りちいさく飛び上がった。
籠に掛けておいた水玉柄の布を剥いでゆく。このなかには魔法の道具がたっぷり詰まっているのだ。魔理沙の視線を感じながらクロスをとって、ばさばさ畳むと椅子の背もたれにかける。すると、魔理沙と目があった。訝しげな顔をした彼女をみて、微笑むとより一層眉根の皺を寄せてそのまま背もたれにぐーっと凭れかかった。

「魔理沙、手出して頂戴」

良く、何ともないような勢いで言えたと思う。微笑みは崩すことはなかったけれど、籠の持ち手を握り締める手に力がぎゅっと掛かる。
咽喉がからからに乾いて痛いくらいだけれど、全く気付いていないようだった。嫌だね、と言うとあっさり目を背けられてしまった。

「……何でよ」

ここで退くわけにはいかなかった。大切なのは、彼女の手を取ること。あの可愛らしいふわふわとした手を、この手に取ること。

「ちょっとね、爪を弄らせて欲しいだけなの」

正直に用件を切りだすと、魔理沙はくるりとこちらを向いて数度目を瞬かせると、すぐに口からブランマンジェのスプーンを取り出した。それからまたうーん、と腕組みして私をじーっと見つめてくる。

「何だ、新しい拷問の一種?」「違うってば」

魔理沙にとって、爪を弄ると言えば生爪を一枚ずつ剥ぐ拷問と同じなのだろうか。ちっとも乙女ではないその思考に、私は溜め息をついた。彼女のとなりの椅子に腰かけると、テーブルのうえに手を広げてみせた。昨日、したばかりのネイルアートがきらめく。

「今ね、流行っているの。ネイルアート」

やっと、彼女の目線が私の爪にいった。ふ、と小さく息を飲む音が耳に伝わって来た。ああ、彼女が私の爪を見ている。それがこそばゆくて、それでいて嬉しくて、指をばらばら動かしてしまいそうになる心を必死に抑えた。睫毛の先が、はらはらと動いている。すると、彼女のゆびが伸びて来た。思わず、びくっと引っ込めてしまいそうになる。薬指の爪をつん、とつっつかれた。リボンのところだ。リボンがそのままひらひらと舞ってしまわないか、とすら思った。

「……可愛い」

うっとりした魔理沙の声。やはり彼女は女の子だ。爪を触られるのが嬉しくて、つるつるだ、と彼女がつつくがままにさせる。このままの時間が一生続いて欲しい。が、今しかないのだ。私は手を出す。

「でしょう! 可愛いでしょう、魔理沙にもやってあげる」

手を取ろうとすると、魔理沙は目を見開いて頬を真っ赤にするとすぐにぱっと後ろに手を回してしまった。視線を逸らされる。

「や、やだよ! 私は見てるだけで十分だから!」

何故照れるのだ、と私は溜め息をついておもむろに籠からマニキュアの瓶を一本ずつ取り出してとん、とんとテーブルに置いていく。
まだ一度も使ったことのない、黄色のマニキュアを取り出した。細かい粒子がはいっていて、ほんの少しだけきらめいている。見た瞬間に、彼女の色だと確信した。つまみ上げて、見せる。

「魔理沙にはこの色が似合うわ。星の色よ」

彼女の目が、じ、と瓶に注がれている。その隙に、と私は彼女の手をとった。ほんのりと暖かい、ふっくらした掌。少女らしい、幼さの残る手が私の手のなかにあって、ぎゅ、と握ってしまいたいとも思う心を抑えて、次々籠から道具を取り出していく。自分の手にはもう何度も施しているけれど、ひとにしたことはなかったので一抹の不安を覚えながらも、ひとつひとつ確認しながら手にとってゆく。

「見せるひともいないのにさー……」

その声は、私にははっきりと聞こえていた。いるではないか、貴女には。きっとすぐに見てくれるひとが、あるいは見せたいひとが。

手は、止めない。道具をずらり、机のうえに並べてゆく。
灰色に花の柄が描かれた爪やすりを取り出すと、そうっと彼女のちいさな爪に当てる。恐らくいつも爪切りでぱちぱち切られているであろう爪。傷つけないように、やさしく削っていけば、ぱらぱらと粉が膝のうえに落ちてゆく。一本ずつ、形を丁寧に整える。
爪の表面に、白に黒い水玉柄の爪やすりを当てて磨いていく。ぴかぴかつやつやと輝きだす爪を見て、彼女が息をとめて爪を覗きこんだ。ふ、と吐きだした息が私の前髪を撫ぜてゆく距離。近い。空気が、彼女という存在のあたたかさが、私のすぐそばにある。

ああ、このまま時が止まってくれ。何度そう願ったか解らない。上海に持って来させたお湯に、香を固めた薬をぽちゃんと入れれば、湯の色が透き通る緑色に変化して、ミントの爽やかな香が広がる。湯の張られた陶器のボウルに指を入れさせてから柔らかな布で丁寧に拭いてやり、銀色の器具で爪の根基をきゅっと押してゆく。ひとつひとつの工程を経れば経るほど彼女は綺麗になっていったが、その分終わりが近づいていることも確かだった。自分にやるよりも何倍もゆっくり丁寧にやっているけれども、時間は過ぎてゆく。

「……はい、いったんお終い」

下準備は終わり。ふう、と彼女の手を離した。手のなかにずっとあった暖かさが離れてゆく。器具を籠のなかに片付けてゆく。

「おお……!」

魔理沙はと言えば、手を開いて、閉じて、また開いて、何度も爪を見ていた。彼女は少女で、女の子だ。強くて勇ましくて、歯切れが良くって、いつだって格好をつけているけれど、女の子なのだ。

「はい、じゃあ次は色塗りますよー」

壜の蓋を開けると、またも魔理沙の手をとった。とろりとしたマニキュアをまずは爪先にすこしだけ、それから付け根から丁寧に塗ってゆく。手が震えているのが悟られないだろうか。決して歪まないように、私はつう、と筆を動かしてゆく。右手五本を塗り終わってから、ふう、と彼女の爪に息を吹きかければ、くすぐったいのかふふふ、と僅かな笑い声が漏れて私の耳に届いてくる。動いてはいけない、と思っているのか声を殺している様をみつめていたいけれど、平静を装ってまたもマニキュアを塗る作業に戻り、左手を取る。

どうして私は私なのだろう。どうして私から別の存在に変わることが出来ないのだろう。この家に縛られるしかないのだろう。良く考える。悠久の時を弄びながら、日々考えている。
そもそも幸せって何だっけ。
結局結論は出ず、私は猫が自分の尻尾を追いかけるように延々とこの問いを繰り返すことが最早趣味と化しているのかもしれない。

つ、と最後、小さな小さな小指に二度目の黄色を着ける。

「……出来た。絶対に! 絶対に! 指そのままでね!」
「わ、解ったよぉ……」

うっかりポケットに手でもつっこもうものならもう最後。ただただ、乾くまで待っていなければならない。魔理沙は、頬を上気させてぴかぴかの爪を何度も眺めている。くちがすこし、開いている。

「別の手に変わっちゃったみたいだ……」

思わず彼女の口から零れた声を聞いて、私は笑った。

「それじゃあ、何だか怖いじゃない」

彼女が嬉しいと、私まで嬉しい。手を取ることしか出来ない距離だけれど、息がかかることが限界の遠さだけれど、それで構わない。

「最後に星を付けてあげるわ。魔理沙は流れ星だから」

接着剤代わりに、透明の液体を薬指の爪にすうっと塗った。どんなデザインにするかは、ずっと前から決めていた。きらめく星たちを散らす。そのために、星の形をしたきらきらした石はたくさん、集めていた。そのなかのひとつ、大き目の黒くて輝く星を掬いあげると爪のうえに載せる。指は、薬指。その隣に、銀色の星も載せる。
きらきらちかちか、春のやわらかな陽に反射してかがやいている。

「取れないように上からもう一度塗ったら、お終い」

薬指、それは特別な指。魔理沙は気付いていないだろうけれど、私の薬指にはリボンが翻っている。すこしだけ、揃いの爪。魔理沙となにかをお揃いで持つ、なんて乙女な夢のほんのひとかけらだけ。
息を止めて最後、星の上をすうっと刷毛が撫でて行った。

「魔理沙の爪は小さいから、濃い色を塗っても可愛いの」

出来あがった爪は、これまでのなかでも最高の出来だった。どこか幼さを残した、丸みを帯びた星の瞬く爪は何度も思い描いた通りに出来あがっていた。健康的な彼女の指にとても映える明るい色。

「ありがとうアリスー!」

まるでこちらに飛びかからん、とした魔理沙を慌てて止める。

「うっかりどこかにぶつけたら、すぐによれちゃうから!」

ちょっと語尾をきつくして言うと、彼女はぱっと目を見開いた。

「わ、わかった!」

顔の横で手を開いて、これで良い? とでも言いたげにこちらを見る。うん、と私はおごそかに頷いて見せた。
魔理沙はにこにこしながら、己の爪を眺めている。良かった、と私は籠に道具を仕舞っていった。ネイルアートは私にしか出来ない。私が女で、だからこそ彼女を喜ばせられる少ない手札のひとつ。

これは、賭けだ。私の持っている手札で、彼女をここに帰させる。歪んだ欲望だということは解っている。それでも、どうしても。
森近霖之助という存在を消すこともできなければ、その存在に成り替わることのできない、ちっぽけで弱い私の小狡い勝負。恐らく、彼は何とも思っていない、私はただひとりで戦場に立っている。

「魔法みたいだな……」

興奮冷めやらぬその声を聞いて、私はにっこりと微笑んだ。

「そうよ、だって私は魔法使いだもの」

何と力技な魔法だろう。魔法使いなのに、帽子に入れた鳩を消してしまうこともできなければ、惚れ薬を煎じることもできないで、私は手を取るだけで満足してしまっているのだから。
それでも。

「暫くしたら禿げちゃうから、そしたらまた来てね」

また来てね。理由のあるその言葉をやっと言うことが出来た。けれど魔理沙はそのことに気付くこともなく、いきなり水をかけられた猫みたいな顔をしてから、さびしそうな、悲しそうな顔をした。

「禿げちゃうの……?」「そりゃそうよ」

ネイルの除光液は、籠のなかにある。魔理沙には渡さない。

「そしたらまた次は違うのしてあげるし」

次。次がある。またここに戻って来てくれる。私は彼女が訪れるのを待つことが出来る。ひとつずつ、勝って行かなければならない。

魔理沙の手をとってをすう、と撫でた。彼女と揃いの爪が、彼女の手の甲を這う。

~period.
前作にコメントありがとうございました!
こんなニッチなの、と震えていたのでとても嬉しかったです
そしてまた学ばなくてすみません

ネイル雑誌を眺めていると涎が出てくるので最近まずいです
ネイルチップを入れている箱が2箱目に突入しました
毎日、あの子にこんなネイルと考えている時間が幸せです

[email protected]
http://topologicaldefeat.web.fc2.com/
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コメント



0.710簡易評価
3.90名前が無い程度の能力削除
なんて乙女で可愛い魔理沙とアリス…と言いたいけれど、
なんだかアリスがミザリーちっくでちょっと怖い気がしましたw
4.100名前が無い程度の能力削除
いいですね。描写の緻密さが甘みと苦みをよく引き出してると思いました。
もうちょっと緩急がほしい気もしたけれど、ごちそうさまです
7.100名前が無い程度の能力削除
私は好きです
8.100名前が無い程度の能力削除
好き
10.100名前が無い程度の能力削除
この世にアリマリより素晴らしい物があろうか
11.100名前が無い程度の能力削除
背景描写とアリスの雰囲気が相性抜群ですね。
前作に比べて風景が思い描きやすく、面白かったです。
14.90名前が無い程度の能力削除
まりさが幼くて可愛い・・・・・・
内容はすごいいいのだけど、タイトルがもう少しどうにかならないのかな、と思ったり
続きものだから仕方ないし分かりやすいとも思うけど、文体が丁寧なだけにちょっともったいない
18.100名前が無い程度の能力削除
素敵
20.100名前が無い程度の能力削除
いいねー
このまま他のキャラにもネイルアートするような感じで
シリーズ化してほしい