Coolier - 新生・東方創想話

八雲紫、覚醒

2012/03/21 01:50:08
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 もう三年ほどになる。
 
 
 
 
 紫様の手を握ったまま座り込んでいる霊夢の背中は、そうしていると益々小さく、しょぼくれて見えた。襖は開けっ放しにしてある。そうしないと、霊夢も紫様も、どこかへ行ってしまうか、霊夢が何かおかしなことを考えるか……どうにかなってしまうような気がしたのだ。
 それでも、この景色は、それはそれで気が滅入る。四六時中そうしている霊夢の姿は、何かが異常で、私は信じられない気持ちになる。
 霊夢は、ずっとそうしているというのに、何も辛そうにはしていないからだ。
 最初のうちは、信じられないのかと思った。信じられなくて、呆然としているのかと、思った。けれど、違う。紫様を見下ろして、斜めに崩した正座のまま手を握っている。哀しみではない。それはけして、不安であるとか、哀しいとか、そんなことではない。
 そこは、切り離されているのだ。今二人は私の理解の外にいて、だから私は不安になる。霊夢に襖を開けておくように、と言ったのは、ご飯の時呼びやすいから、とかそんな風に言ったけれど、それはただ繕った仮縫いのような薄っぺらいものでしかなかった。
 そして霊夢はそんなことに意味を見出していないに違いない。
 実際の所、霊夢は紫様以外のものを見ていないのだ。




 もうすぐ、紫様が目覚めなくなって三年ほどになる。
 霊夢が、紫様と一緒に過ごすようになって、もう三年ほどになる。




 静止しているかのように見えて、時折霊夢は紫様の掌を撫でている。そんな時、霊夢は優しげな微笑みを浮かべているのだろうと思う。そんな雰囲気があるのを、私はあの世界の外から感じることしかできない。
「霊夢、ご飯ですよ」
 うん、すぐに行くわ、と霊夢は答える。少しの間待つと、霊夢は紫様の手を、別れを惜しむように愛おしそうに撫でて、立ち上がる。その足取りはしっかりとしていて、私に向き合うと、手伝うわ、と言ってくれる。そこにさっきまで紫様と向き合っていたみたいな感じはない。
 本当に、と思う。霊夢は朝起きると、食事を取って、私を手伝って家事をし、昼食まで紫様に付き添い、昼食を取って、仕事があれば私を手伝い、無ければ無いで紫様に付き添って夕食までの時間を過ごす。夕食の後から、眠るまでも同じ。
 霊夢は今、悟りきったように紫様に向き合っている。どういう感情で、紫様に向き合っているのか、見当もつかない。
 ……あまり考えすぎても、私の方が病んでしまう。ふう、と一息をつくと、霊夢に向き直った。
「もう出来てますよ。今日は橙が早く帰ってきてくれたので、してくれました」
「そう。感謝をしなくちゃね」
 霊夢を伴って部屋を出る。霊夢がちらり、と背後を見る。紫様が一人、そこに残されている。



 食事を終えた後、立ち上がろうとする霊夢を、橙が手を伸ばして引き止めた。
「どうしたの、橙」
 うにゅー、と。橙は言葉らしい言葉を発せずに、橙は霊夢のお腹に顔を埋めた。あらあら、と困ったように霊夢は髪を撫でて、微笑んだ。
「困ったわ、片付けをしなくちゃ。ほら、藍が見てるわよ」
 橙が、埋めたままの顔を少しずらして、片目だけで私を見た。くす、と私は小さく笑った。
「構いませんよ。霊夢、たまには橙と遊んであげて」
「だって。良かったわね、橙。おいで、撫で撫でしてあげる」
 霊夢がそう言っても、橙は何も言わなかった。ぎゅっと背中に手を回して、顔を埋めている。霊夢の指が、橙の髪の間を通り抜けていく。
「それにしても、橙、今日は珍しいのね。どうしたの?」
「だって……霊夢、ご飯食べたらすぐに紫様の所に行っちゃうから」
 橙が霊夢を見上げ、答える。橙も変わった、と思う。霊夢がここに来た頃は、『きょ、今日の、ご飯はどうしますか、霊夢……さん』なんて、来訪者に対してどうしたら良いのか、分かっていないまま堅苦しく話していたのを思い出す。他人として乱雑に接していた頃は、平気で喧嘩を売っていたのに、こうして住むことになって、困ったことになった、と思っただろうな。そう思うとおかしくてますますくすくすと笑う。くすくすと笑って、食器を運んで台所に行く。
「そう。寂しかったのね、橙は。でも、橙には藍がいるでしょう。私が橙を取っちゃったら、藍が寂しがっちゃうわ」
「違うよ、霊夢。霊夢はいつも、紫様としかいないから、寂しいんじゃないかなって思ったの」
 水を流し、手袋で水に直接触れないようにして、食器を洗う。あらあら、とまた霊夢は笑っている。
「私の心配をしてくれたの? 嬉しいわ、ありがとね、橙」
「うにゅ」
 橙が小さく声を上げてから黙り込む。私の背ではきっと、橙が撫でられるがままに懐いているのだろう。私は一人静かに水音を響かせる。



 紫様が目覚めなくなってから。霊夢はそれが自然のことであるかのように、紫様の側に寄り添った。巫女は神社にいるべき、という紫様の教えをあっさりと置き去りにして。それがどういうことなのか、私には分からない。ただ、今、それを咎める存在はいない。
 霊夢が神社を離れてから、私は巫女の跡継ぎがいない時紫様がしているように、外の世界から一家心中に巻き込まれる寸前の子供や、孤児で暗い路地の片隅、死に行こうとしている子供を探して、一人を拾い上げて神社にて修行をさせた。子供を拾ってくるのは慈善事業なんかではなくて、それが外の世界で価値のない存在だからだ。
 幻想郷は外で存在が薄れたものが入ってくる場所で、でも、紫様はそんな子供を一人一人救ったりはしない。曰く、『外の世界はそういう子供を救おうとしているのだから、こちらで救えば、向こうで救う動きがなくなり、益々後ろ暗い場所になるから』なのだそうだ。紫様は色んな方向に頭が回る。
 私が思っているのはもっと単純で、死んでゆくのは自分の勝手なのだから、好きにすればいいだろう、と思う。殺されるならまだしも、生きていくなら、泥棒でも、残飯を食うでも。やりようはあるはずなのだから、諦めの末の死は、意志の死でしかなく、意志の死んだものに価値はない。そう思う。だから紫様がしているように私もするのは、それが向こうで必要のないものだというのは納得ができるから、その一点だけだ。紫様が否定しようとしながら、紫様は優しいから自分で否定しきれない慈善事業のような気持ちは私にはないし、そもそも本当に慈善事業のつもりならそういう気持ちでするべきではないのだ。
 話がずれた。
 その、新しく見つけてきた巫女はもうすっかり馴染んで、妖怪退治なんかもするようになっていた。霊夢のように自堕落ではなくて働き者で、結界の綻びも私に早くしなさいよと急かすのではなく、自分から行こうとする。だから、私も自然と動かなくちゃいけなくなる。霊夢ほど妖怪退治の力は無いとは言え、分からないなりに、結界の補修であれ妖怪退治であれ、をしようとする。巫女を私がサポートする。そんな風にして、紫様と霊夢が消えた幻想郷はそれなりに動いている。



 代わりと言っては何だが、霊夢は家のことをしてくれるようになった。食事やら、家事やら何やら。私達の動力は、式神なのに食事で得る熱量だから、それにはお金がかかる。紫様は幻想郷や外の世界に落ちている小銭や宝石を拾い上げて小金を稼いで暮らしていたけれど、紫様が起きてこない今、そんな意地の汚いことはしたくなくて、私は里からちょっとした内職なんかを引き受けてひっそりとお金を得ることにした。私や霊夢の力ならもっと大掛かりで儲かることもできるのだけど、あまり目立ちたくないし、それに相手から信頼を得られてしまうと、その信頼に追われてゆくようになる。
 本来の仕事があるのだから、私達は、誰もが出来るような造花作りであるとか、割り箸の選別作業であるとかの仕事を選んで受けた。橙は時々友達のお店を手伝っていたりもするようだったし、そういう内職を一番してくれるのは霊夢だった。紫様の代わりに私が仕事をする今、家にいる時間が一番長いのだから自然とそうなった。
 掃除をして、洗濯をして、橙のご飯を作って。内職も終えて時間ができると、霊夢はいつも紫様の所に行った。霊夢は今、自分の居場所としていた神社を、時間を一緒に過ごしてきた友人達を、生業としていた巫女稼業を、全て置き去りにしている。



 紫様がいない今、私は紫様の代わりをやろうとしている。紫様からの力の供給はどうしてか、切れてはいない。身体は動く。なら、動けるなりにするべきだ。
 霊夢は? ……霊夢は、紫様の側にいる。全て捨てて、紫様と寄り添っている。それは、正直に言って、巫女としては取るべき行動ではない。異変の時に動くであるとか、困った人がいれば助けるとか、そういうことは、霊夢が今、紫様に寄り添うようになってからもしている。だが、そういうことではないのだ。博麗神社の巫女とは、一種のシンボルみたいなもので、そこにいると安心する、里の人間にとってはそういうものだ。
 それに、神社にいないと霊夢の力は低下する。神社にいるという自覚が力を保たせるのだと紫様は言っていた。自分は異変を解決する、妖怪を退治する巫女である、という認識を常に持つことで自分の力を自覚し、低下すればそれを保とうとする、そういう力が無意識下に生じるのだと。

 今、霊夢は全てを置き去りにしている。
 霊夢は、博麗の巫女を……それどころか、博麗霊夢という人生を止めようとしているのかもしれない。私はそんな妄念を抱いた。紫様と寄り添う霊夢の姿。表情は見えない。隣に行けば霊夢の顔は見ることは出来るけれど、それは私が隣にいる時の顔であって、紫様と一対一で、どんな顔をして向き合っているのかを見ることは、けしてできない。全てを捨て行く少女が、どんな貌で変わっていくのかを、私は理解することができない。
 霊夢が巫女をするというのは、紫様も望んでいたことだ。内外から幻想郷を保つ、その一環として。これは、あるいは……紫様がしていることなのか? ここまで長く眠っていながら、式としての私、あるいは幻想郷に変調は見られない。紫様一人が眠り、霊夢が幻想郷を離れ。ただ、それだけの変質。
 それがもし正当なものでなければ、私はこの古老の妖怪をぼっこぼこにして滝壺に叩き落とさなきゃならない。出来るかどうかは別にして。
 それがもし正当なものであれば。この眠りが、霊夢がここに来たことが、紫様の恣意に依るもので。何か、行われる為の、儀式のようなもので、その為に紫様は眠っているのだとすれば。
 私は、どうすれば良いのだろう。



 居間に戻ると、霊夢は橙を膝の上に乗せて、くすくす笑いながら他愛のない話をしている。何をして遊んだ、屋台を手伝ってお小遣いを貰った。橙の日々はある程度のルーティンがあっても、基本的にはすることは決まっていない。いつでも新しいことをし、新しい発見がある。その中でいくつかの発見があり、橙は成長している。自分では気付かないほど少しずつ、けれど外から見ていれば確実に。
 以前は、霊夢もそうだった。今は、全てを紫様に捧げてしまっている。成長期を過ぎて、人間の霊夢は色々と伸びた。けれど、傍目から見て、霊夢は何も変わらない。それはきっと、幼いままなのではなくて、元からそれなりに賢明だったのだ。
 霊夢は変わらない。以前の生活とは、全く変わってしまったのに。何も不安そうではなく、何も迷いがない。
「ありがと、藍」
 霊夢が笑いかけてくる。橙が振り向いて私を見ている。私は笑顔を作って、居間で待つ二人の元に歩み寄った。霊夢にしていた話を、橙は繰り返し私にもしてくれた。




 ******




 その日も、霊夢は紫様の隣に寄り添っていた。意味もなく微笑んで、紫様の指を撫でている。私は霊夢の隣に座るとお茶を差し出した。
「あら。ありがとう、藍。でも、こぼしちゃったらいけないから、後で貰うわ」
 霊夢は畳に置いたお茶を持ち上げて、私が持っているおぼんの上に乗せる。私は特別感情を表すでもなく受け取ると、すっと後ろに下げた。
「…………」
 言葉はない。紫様の容態を聞くことも、最早何度も繰り返されたことで、擦り切れて意味を失っている。紫様の身体に異常はない。本当にもう、起きるか起きないかは、それだけのことだ。紫様が起きるならば、そのまま自然に起きてくるだろう。
「藍。今日は、出て行かなくて良いの?」
「ええ……」
 元より、そうそう結界の綻びなど起こらないものだ。一度綻びた所は、繕っても、綻びやすいものだが……巫女はそういう場所は定期的に見回って、簡単な補修なら一人でしてしまう。手間がかからなくて、紫様や霊夢は、どうしてこんな風に色々と放っておくのが好きだったのだろうと疑ってしまう。
「近頃は、何も問題はないようです」
「そう。それは、良いことね」
 あぁ、本当に。霊夢はそう言ってくすくすと笑った。袖で口元を隠し、片手で紫様の手を撫でさすりながら。
 植物状態の人間に、毎日手を撫で、声をかけ続けていれば、回復したという事例があるらしい。あるいは霊夢はそうしたことを実践しているのかもしれない。奇蹟、という言葉。
「これで、紫が起きてくれたら万々歳なのだけど、困ったものね」
「……ええ、本当に」
「ねぇ、藍。おかしなことだと思わない? 私達は、いくら問題を解決しても、紫が起きない限りは悩みが晴れることはないの。まるで、私達、紫のことだけで全て埋められてしまっているようだわ」
 ……少なくとも、私はそうだ。紫様の式として、命じられたまま行動し、時に思考することを示され、導かれてきた。霊夢もそうだ。紫様に導かれてきた。直接命じられることはなくても、それは使役されるという立場ではないのだから当然のこと。
 私と霊夢の立場は似ている。
 いや。似ている、なんてものではない。未だ紫様からの式は途切れず、続いている。だが紫様から命令はない。つまりは、私達は、導かれるべき存在を失い、互いに今、ここで立ち尽くしている。
 私は幻想郷を保つ為巫女を見出し、結界を繕い、有事に備えている。
 霊夢は対称的に、全てを投げ出して紫様に寄り添っている。
「……私達は、紫様という存在を軸にしている……」
「……藍にとっては、自明のことね」
「霊夢にとっては、違うと?」
んー、と悩むでも惑うでもなく、霊夢は紫様を見下ろしている。
「私がこうしてるのはね。……いつだったかな。ずっと前、風邪で寝込んじゃったことがあって。もしかしたら風邪じゃなかったのかも。何か、ひどい病気になってね。もう死んじゃうのかもしれない、って思ったくらい辛くて、泣きながら横になっていたの」
 知ってる? と霊夢は私を見た。
「あんまり辛いと、眠ることもできないの。藍はあんまり経験のないことかもしれないけど。ちょっと動くだけでもずきずき痛む身体の痛みと、重たくって動かせない頭を抱えて、ただ横になっていることしかできなかった」
 霊夢の優しい表情からは、その辛さは垣間見ることは出来なかった。安らかな風さえ吹きそうな、穏やかな姿。
「でも、すぐに紫は来てくれたわ。色々としてくれたみたいで、ちょっと楽になって、意識を失うみたいに眠ったの。長い間眠ったみたいなのだけど、目が覚めたら、紫が手を握って、待っていてくれた。あぁ、ずっと待っていてくれたんだ、って、すぅっと私の中に入ってきて、私、とても嬉しかった」
 だから。
「だからね。私も、そんな風にしてあげたいな、って」
 そう言って霊夢は微笑んだ。



「霊夢は……紫様のこと、どう思っていたのですか?」
「紫のこと? ……そうね、大切な人よ。急に部屋に、何も言わずに入ってくることとか、勝手にお菓子とかお酒とか飲んでたりとか、人の話をこっそりと盗み聞きしてたりとか、ね。魔理沙なんかは『鬱陶しくて仕方ないだろ、あんな奴と一緒にいると』なんて言うわ。紫のこと。皆、そう思ってるのだと思う。きっと、そう思うのが普通のことだわ。でもね、私きっとおかしいの。紫に何をされてもね、嫌だとか鬱陶しいとか、思ったことないの」
 私が霊夢と話す時、紫様に関することが多かったように思う。幻想郷のこと、神社のことも、同じだ。紫様の影はどこかにあった。私達は、そこにいない紫様の姿をどこかに見ている。
 ……目の前には、紫様の寝姿がある。霊夢はいつも、紫様と一緒にいる。けれど、今はただ偶然姿があるだけであって。それは、霊夢にとっては、常に行動を共にしていなくても、同じことではないか?
「紫になら私生活を全て見られていても嫌な気持ちにならないわ。もし、すること全部制限されて、代わりに何かを命じられるなら、全部聞きたいって気持ちになるの。全然会いに来てくれなくって、一人でいることも、紫のことを考えて、紫が私のことをごくたまに思い出してくれてるかもって思うだけで、幸せな気分になる。ねぇ? 私って、変かしら」
「異常ですね」
 正直に言って。紫様は尊敬に値する人物だけど、人格は比例しない。紫様の力や知性は溢れるほどに充ち満ちているし、人並みの気遣いや優しさ、愛情なんてものもある。ただ、それを皆が皆に振りまくわけではない、ということなのだ。
 霊夢は、霊夢の目の前にいる紫様と、皆の前にいる紫様の姿とが、圧倒的な懸絶をもって懸け離れているという事実をきっと知らない。霊夢が紫様から受ける鬱陶しいことは、その実紫様の愛情だ。
「……紫様は、きっと霊夢のことは、愛しくて愛しくて仕方がないはずです。でなければ、あの人がこんなに一人の人間に興味を持つはずがない。誰にも、他人に一欠片の興味も持たない、あの人が」
「あら、私もそうよ。藍って言葉にするの、上手なのね」
 霊夢が自然のことのようにさらりと言うと、視線を手元に落として、見下ろす紫様の指を撫でた。
「うん……藍の言ってること、ちょうどぴったり来るみたいだわ。私、他の人に興味はあんまり持てないの。ひどいことを言ってしまうと、どうでも良い、って考えてるくらい。きっとね。紫に全部、私の興味は取られてしまって、他の人にはいかないのよ。紫さえいればいい、って私が思い込んでいる訳ではないけど、無意識にきっとそうなっているのね。このままじゃきっと、いけないのだけど」
 くすくす、何がおかしいのか霊夢は笑った。
「でもね。紫は、他の誰にも代えられやしないわ。だからきっと、紫がいなくなるまで私はきっとこのままだわ」
 嘘だ、と思う。紫様がいなくなれば、余計に霊夢は紫様に寄り添おうとするに違いない。表向きは、きっと何も気にしていない風で、誰にでも平等に優しく接する巫女に戻る。けれどその心は、今度こそ本当に誰にも、興味を持たないようになると、確信できる。
もしも、このまま紫様が本当に目覚めなければ。それこそ、一生このままだ。霊夢は紫様を見詰めたまま、幸せそうに笑って死んでゆくだろう。
 私は分からなくなった。霊夢はそれで、本当に幸せなのか?それではまるで、紫様に監禁されているようなものだ。
 けれど、慈愛に溢れた笑みに、どこにも迷いや戸惑いは、ない。私がいるから私を見ているだけで、それは最低限の礼儀程度の意味合いしかなくて、本当の意味で博麗霊夢の全ては八雲紫に向けられているのだろう。
「このまま、紫様が目覚めなかったとして」
「死んでしまったらということ?」
「いえ。その方が、区切りがついて、余程良いかもしれません。……そうではなくて、眠り続けたままだとしたら。……霊夢は、このままで、良いのですか」
「ええ。幻想郷のことは、藍が良いようにしてくれたようだし。異変解決くらいなら、するつもりだったけれど、代わりがいてくれるのならそれに越したことはないわ。ありがとね、藍。改めて言っておくわ」
「幻想郷のことではなく……霊夢、あなた自身のことですよ。こんな……紫様に囚われたような現状のままで、霊夢は満足なのですか」
 わたしのこと? 霊夢は不思議そうに言ってから、うーん、と考え込んだ。
「こんな現状、って言ったってねぇ。私はしてあげたいと思ったからしてるだけだし、どうしてもしなくちゃいけないって訳でもないのよ? ……ただ、私にとっては同じことなの」
「どういう意味です?」
「うん。なんて言うのかな、神社にいてもここにいても、同じことよ。藍は心配してくれているのかもしれないけれど、私はここが不自由だとか、神社が自由だとかは、考えたことがないの。勿論、神社にいることは楽しいわ。退屈しないし、宴会だって頻繁にあるし。でもね、私にとってはそれが幸せなことではないの。
 私にとっての幸せっていうのは、紫が側にいることよ。それはね、神社にいても同じだし、ここで紫の手を握っていても一緒。私ね、前に考えたことあるのだけど、紫って私なのじゃないかしらと思ったことがあるの。紫は私の心の中にいて、紫を皆が知っているのは、私が紫のふりを、私自身気付かないうちに無意識にやっているのじゃないかって。それくらい、勿論私と紫が一緒にいるのは皆見てるから、私と紫は別物だわ。でも、それくらい、私と紫は一緒にいる感じがするってこと。
 だからね、ここにいても神社にいても一緒なのよ。……ちょっと、こんな風にしてるのがあんまり幸福だから、長居してしまってるけれど。
 要するにね。神社にいて日々を過ごすことよりも、ここにいて紫と一緒にいる方が、余程幸せなのよ。だから、心配しないで」
 霊夢はそう言ってますますにっこり笑った。私を満足させようとしているような、作り笑いではなかった。自らの幸福を再認識した笑みだった……私は何も言えなくなった。霊夢にそう言われて、どこまでも幸せそうなのに、やはりそれが幸せだとは思えなかったからだ。私は意固地なのだろうか。
 それとも、と私は思う。やはり、あの笑みは霊夢自身のものではないのだろうか。




 ******




 紫様の眠っている寝室を眺めてみる。狭い四畳半の部屋だ。中央に布団が敷かれていて、紫様が眠っている。寝間着代わりの浴衣姿。普段は寝相が驚くほど悪いのに、冬眠している時は驚くほど動かない。固まったまま眠るから死体と見紛うほどだ。
 部屋に置かれているものは、片隅に箪笥と、その隣に鏡台が置かれている程度で、ものは少ない。その二つにしても、私が勝手に置いたもので、後は境界の中にしまっている。元々、紫様が境界そのもののようなものだから、つまり全て必要なものは紫様自身が内包しているようなものだ。
 そして、今は霊夢がいる。ここ三年ほどは、霊夢は部屋に置かれた調度品のように佇んでいる。それを言えば紫様自身もだが。思えば、紫様が内包出来ないものと言う意味で考えれば、霊夢はこの部屋で初めて、意味のあるものだ。紫様が唯一内包できないもの、それが他人だとは思わない。必要ならば、人や妖怪でさえ取り込んでしまう。喰らうのよりも余程効率的な方法で。
 紫様は、霊夢を取り込まない。紫様は霊夢を必要としているからだ。私は、それをひどく人間的なものだと、妖怪であるはず(あれほどの力を持つ者だから、元はもっと高次的な存在であるのかもしれないと想像したりはするけれど)の紫様も、霊夢を直接的でなくて、じっくりと……我々からすれば笑ってしまうような言葉だが、恋愛を育んで行きたいと思っているのであろうと、私はそう思っていた。
 でも、違うのかもしれない。紫様が、霊夢を必要としている理由が、別のところにあるのだとすれば。



 次に、霊夢を眺めてみる。霊夢は随分と成長した。背は伸びて、今は私と変わらない。幼い姿のままの紫様とは、元々身長が変わらなかったから、今は紫様より余程高いだろう。そしてより女性的な体つきになり、それに伴い、霊夢の内面も女性的に変わったはずだ。女性として見られるということを、事実として済ませていないから、ここに来る前から持っていたであろう、女性として見られている感じが、確信に変わっていることはないのかもしれない。その内面は確実には分からないが、ともあれ、愛情の在処ということについて、考え方は大きく変わっていると推測できる。
 以前の霊夢の考え方が、幼い思い込みや、違う感情を愛情と捉えることだったりしたとしても、今、霊夢の愛情は以前と変わらず、真っ直ぐで、迷いはない。
 変わったことと言えば。その感情に引っ張られたものか、紫様と一緒にいられることが嬉しいのか分からないが、良く笑うようになった。
 霊夢はいつまでああしているつもりなのだろう? 正直なところ、霊夢はあれだけで全て満ち足りているように見えるし、実際そうなのだろう。
 だけど……だけど、そんなこと。信じられなくて、愕然とする。近頃、霊夢は、本当に良く笑うようになった。私達の前でも、紫様の前でも。以前は紫様の前でも笑いかけることなんて無かったのに。紫様にさえ、好きだと言うことを躊躇い、無表情を装う霊夢は、今は影さえも見えない。
 まるで、別のものになってしまったかのように。
 思えば、紫様が起き出して来なかった春、霊夢は泣きも哀しみもしなかった。ただふわふわと微笑んで、ただ紫様を見詰めていた。私が色々と手を尽くして、知識を持った人や妖怪を呼んでみたりもしても、霊夢はそのうち起きてくるでしょうと言わんばかりの微笑を浮かべていた。仕方ないわね、とも言わんばかりに。霊夢は紫様を受け入れている。



 霊夢の、指先。紫様の手を握っている、紫様と繋がっている、指先。



 霊夢は紫様と同じものだ。私の中に直感的に生まれた予感は、空中からさらりとまろび出るようにこぼれ落ちて、私の中に落ち着いた。
 私は紫様のいる場所を知らない。紫様がどこにいて、何者であるのかを、知らない。それがもし霊夢だとしても(霊夢自身が言っていたように)、私はそれを否定することが出来ない。
 思えば、紫様の笑みは、今の霊夢と同じものだと気付く。霊夢は良く笑うようになり、家に転がり込んで、橙や私に構うようになった。紫様と霊夢は同じものだ。本当の意味で一つになろうとしている。
 今、霊夢には指先から紫様が染み込んでいるのだろうか。紫様は境界を操る妖怪だ。眠っているように見えて、その爪の間から、霊夢の中に入ってゆくのだろうか。
 紫様のしていることならば、そういうことだ。紫様に何らかの考えがあって、霊夢を乗っ取って、依代とする。あるいは霊夢でなくても良いのかもしれない。ただ、肉体を保つ為、冬眠を装って。
 それが、もし、霊夢が望んでしていることだとすれば。紫様が本当に、ただ眠っているだけで、霊夢が自分の意志で、紫様になろうとしているのなら、紫様は日常のうちに、霊夢の中に入っていっていることになる。
「霊夢」
 私は、霊夢の名前を呼ぶ。うん、と声を上げて、振り向く霊夢は、いつも向き合っていたあの人と同じ微笑みを浮かべている。
 なぁに、藍。
「霊夢……霊夢、様」
 不意に、私の中からこぼれた言葉を、私は外に出てから知覚した。
 霊夢が私を見返している。
 霊夢がその言葉を受け入れたとしても、その言葉に疑問を持って聞き返したとしても。
 最早私には、目の前にいるのが誰なのか、分からない。
 
 
 
 ほら、二度寝ってあるじゃない? あんな感じでさ。そろそろ起きようかな、って思ったら思ったより寒くて、うわーないわーって、もっかい目を閉じたら、思ったより長く寝ちゃうことって、ほら、よくあることでしょ?

 それでさ、夏くらいかな。いい加減起きようとしたら、霊夢がにこにこしながら私を見てて手を握ってるじゃない。うわー何これ天国って。そりゃもう、もうちょっともうちょっと、ってなるじゃない。分かるでしょ、藍。




 ……言い訳は終わりましたか? 紫様。






 そういう訳で、

 藍、霊夢の愛の深さにびびる
 博麗霊夢は八雲紫と手を握りたい
 紫様まじぐうたら

 の三本でお送りいたしました。



 久々にゆかれいむを書いた気がします。紫が起きてくるネタは今だと思って。正直まだ寒いけど、もう暦では3月だし、いいかなーと。
 
 と言うわけで、今回も読んでいただいてありがとうございました。
RingGing
https://twitter.com/#!/ProdicateJacks2
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コメント



0.2250簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
起きる度に笑顔の霊夢が見れる!幸せ!

…お前、それでいいのか…

いいゆかれいむ
4.90奇声を発する程度の能力削除
後書きで思わずほっこり
良かったです
7.100名前が無い程度の能力削除
…狸寝入り決め込んでただけかい!w

本編での藍さまの苦悩を返してw
と、本編と後書きが直結してるならの話。

いくら紫と一緒にいることが幸せ、と言ったって…。
何の反応も返してくれないのに、霊夢はそれでもいいんだろうか…
いいって言ってるから余計に異常さが見える気がします。
8.70名前が無い程度の能力削除
うー。本編の重たさが。ヤンデレっぷりが。最後のほう力が入っていて思わず引き込まれます。でももっと東方っぽい自然な流れが欲しいかも?と思いました。同じテーマでいくらでも軽量化できるような気がしました。
11.60名前が無い程度の能力削除
ギャップ狙いなんだろうが霊夢が怖いというかなんというか、取り敢えず橙は一緒に住んでない
15.100名前が無い程度の能力削除
依存症の最終形態なんだろうか。
こういう危うさ好きです。
18.90名前が無い程度の能力削除
優しくほほえむ霊夢が紫にダブったのが私にも見えた……
でも後書きw鳥肌が元に戻ったぞw
霊夢の紫に対する異常ともいえる愛が凄く伝わってきていいね
それでいて霊夢本人にヤンデレ特有のキャラ崩壊の怖さがなくてよい
19.100名前が無い程度の能力削除
幸せそうでなにより!
20.90名前が無い程度の能力削除
紫様は大変なものを盗んでいってしまいました。可哀想なので返してあげてください
21.100名前が無い程度の能力削除
あれ?藍さま勘違いエンド?

霊夢の態度が、本人の意志によるものだとしても、紫さまと同化した末のものだとしても、何だか薄ら寒さを感じました。
しかし考えてみれば、境界をなくして同化するとか、究極のゆかれいむじゃないですか……!
24.100名前が無い程度の能力削除
そういえば第三者を通じてのゆかれいむってあまり見覚えがない。
25.100名前が無い程度の能力削除
紫様・・・かわいいです!!
35.100名前が無い程度の能力削除
ゆかれいむ!
36.90名前が無い程度の能力削除
良かった。

二時創作なのに橙は一緒に住んでないとか言う奴ウケる。ネタだよな?
43.100名前が無い程度の能力削除
なにそれこわい
44.100とーなす削除
あとがきが……あとがきが!
結局藍様の勘違いオチではありましたが、それでも本編の藍様の深く切り込んでいく考察にはうすら寒いものを覚えます。ゆかれいむって突き詰めていくとこんなになるのか……。
ガチシリアスのまま終わったほうが個人的には好きでしたが、これはこれで。
45.100名前が無い程度の能力削除
これはまた濃厚なゆかれいむ……
藍はやっぱりいつでも苦労人ですなあ。
46.90名前が無い程度の能力削除
最後あたりで、ああそういう話ならもう少しじっくり書いて欲しかったな発想はいいのに見せ方で損してるよな
などと考えていたら、全部ひっくり返す後書きw
いやそう悪ノリも好きだけど、作者の書きたかったのはどっちだぅたんだろうと疑問を感じてしまった
とりあえず霊夢と藍は好きなだけ怒ってもいい
50.100名前が無い程度の能力削除
紫と霊夢、ずっと手をつないでいることで二人一体に見えてくるという
流れにひきこまれました。
最後に藍が「霊夢様」と呼ぶところはもうゾクゾクしましたよ。
51.80名前が無い程度の能力削除
こういう霊夢さんもあるか。
二人が向かいあって話している光景が再現されました。
52.100名前が無い程度の能力削除
融合的ゆかれいむとでも表現したらよいのでしょうか
一途と言うよりも悟りを開いたかのような霊夢が素敵で恐ろしいです
53.100あずき削除
あぁ、それは意味の忘却
58.100名前が無い程度の能力削除
いい…
68.100リペヤー削除
狸寝入りかwww
面白かったです。
74.無評価名前が無い程度の能力削除
これ、後書き通りなら本編の紫様の内面描写どうなるんだw