Coolier - 新生・東方創想話

2羽の兎と月着陸船及びその愛情表現について

2012/03/17 22:51:24
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幻想郷。
結界で区切られ外とは異なる穏やかな空気の流れる郷。
深山幽谷たる幻想郷の中においてなお、異質な程静かな空気の流れる場所がある。

幻想郷の片隅にただあり続ける竹林。
神話の時代、高草郡に端を発すると言われるこの林には、
1000年を生きる大樹の如く高く高く、空へと向かう竹が立ち並ぶ。
何処まで行っても同じ景色が続き、迷い人が絶えない事から迷いの竹林と人里では呼ばれている。
その竹林の中にあって、尚も異質。静かを超え、停止した時を刻むのが永遠亭である。

竹林の奥にひっそりとたたずむこの建物は、神話の時代から存在したかのような厳かな雰囲気を持ちながらも、何処にも風化の後が見られず新築の様な美しさを保っている。
数え切れぬほどの年月。幾星霜を超えて一切の変化無しに暮らすのは、月から隠れ潜む罪人とお付きの兎たち。

これは永遠亭の住人達の、何時もと変わらぬ一日。
静止した時の中で起こる、穏やかな、穏やかな日常のお話。




















「まてや、こんのぉ性悪兎がぁ――――!!」
「ばーか!待てと言われて待つのは、余程の阿呆か、余程の切れ者よ!」





永遠亭内部、長い長い廊下を駆け抜けるのは2羽の兎。
ぴょこりぴょこりと、跳ねるように駆ける兎とが先を行き、
しゅるりしゅるとり、風を切るように駆ける兎が後を追う。

「今止まったら許す!だから止まりなさい!」
涙目になって必死に追いかける少女。
すらりと伸びる長い脚と、腰まで伸びた長い髪、白い肌とは対照的な真っ赤な瞳が印象的な少女。名を鈴仙・優曇華院・イナバと言う。

「降伏勧告?そーゆーのは、もうちょっと私を追い詰めてから言いなって!」
あかんべーをしながら、器用に速度を落とさずバックで駆ける少女。
垂れ下がった耳と、癖のある黒い髪、鈴仙と同じ瞳を持つ少女。名を因幡てゐと言う。


「もー、あったま来た!ちょぉ~っと痛いけど覚悟しなさいよ!」
鈴仙は指の先に妖力を集中させる。
妖力は指先に渦巻き、やがて一点に凝集する。
完全に妖力が固体化した時、それは一つの弾丸を構築していた。
更に鈴仙は気絶させるならこの位か、と調整しながら推進用の妖力を弾丸後部に付加する。

がちゃり、と幻想の音が響く。
鈴仙の手に作られた幻想の銃に弾丸が装填される。

構える。
狙うは”脳天”
威嚇なんてしてやらない。一撃で昏倒させてやる。

そんな”殺す気の無い”殺気を込めて狙いを付ける。
引金に指を掛ける。

狙う。
狙う。
狙う。

来た。
それは、曲がり角で減速した一瞬の時。


――撃て


ぢゅん。と言う独特の風切り音を残して弾丸が発射される。

弾丸は疾走する。
己の発する音すら抜き去り、風の壁を打ち破る。
弾丸は一条の光となりて、真っ直ぐに獲物となった哀れな兎の頭部へと向かう。

だがその時、哀れな兎は気配に気づいたのか此方を振り向く。
しかし、もう既に弾丸は目前に迫っている。

よし、勝った――
そう鈴仙は思った。だがしかし鈴仙は一つの事に気づく。




てゐの顔は”いつも通り”の悪だくみを考えているそれである。と。




弾丸が吸い込まれるように、てゐの額に着弾する。
突如として足元から、強力な衝撃を感じる鈴仙。

もんどりうって倒れるてゐ。
突如空中に放り出される鈴仙。

てゐに弾丸が直撃したと同時、足元の床が大きく跳ね上がると、鈴仙を後方に吹き飛ばした。


「――ってえぇぇぇ~~?!」


ズサササァッー。盛大な音を立てて廊下を転がる鈴仙。
一方のてゐも妖弾の直撃を受け、思いっきり涙目になっていた。
気絶せずに済んでいるのは、直撃する前に全力で障壁を形成したからである。

「……び、びぃ~だ! 何時も何時も同じタイミングで撃ってたら、誰でも避けれるよ! ふぃい どばっくが大事なのよ、ふぃいどばっくが」
ぐわんごわんと、頭中に鳴り響く余波に溢れそうになる涙を堪え、挑発を欠く事が無かったのは、一重にこの兎の持つ悪戯への驚異的な執念が為した奇跡である。

「……あんた今、思いきし直撃だったじゃないのよ」
呆れ、脱力、怒りその他諸々の感情を混ぜあわせ、じとりとした視線を送る。
しかし、その吹き飛ばされた芋虫のような体制のまま半眼を向ける姿もまた、滑稽以外の何物でもなかった。

「そんな細かい事。気にしているから友達が居ないのよ」
「あんただって、似たような物でしょうに。――って待ちなさい!」
会話も終わらぬうちに、てゐはぴょこり、と跳ねると曲がり角の向こう側に消えた。
鈴仙も全身のばねを使い飛び起きると素早く後を追って行った。

曲がり角を曲がるとすぐ前方に、
黒髪のゆったりした和服を着た女性と、白衣を着た銀髪の女性が並んで歩いている所を発見する。
この二人こそが永遠亭の家主にして、兎達の主である永琳と輝夜である。

二人の前でみっともない姿を見せる訳にはいかない。
兎達はどちらともなく眼を見合せ、その掛ける脚を緩めた。

その二人の様子を見て輝夜は悪戯っぽく笑うと二人に声を掛ける。

「イナバ、遊ぶのは良いけど、あまり壊しすぎない様にね」
「は~い」
「了解しました」
だがしかし、あっさりと見破られ注意を受ける。

永遠亭には輝夜と永琳により、元の形状を維持する術式が組み込まれている。
幾ら壊れても数日後には元に戻る。
だがしかし、それは壊しても良いと言う事ではない。
リセットされるまでの間は壊れたままなのだ。激しい損傷は生活の妨げとなり得る。

永琳と輝夜とすれ違う。
二人はどちらともなく眼を合わせる。
それが合図だったのか、二人は全く同じタイミングで駆けだした

静かな、静かな永遠亭。
どたどた、がやがやと続く追いかけっこ。

二人はこんな事を既に三十分以上続けている。

きっかけは”何時もの通り”てゐの悪戯だった。




――時は三時間前に遡る。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

朝の陽光が中庭に差しこむ。
皐月の葉に付着する朝露が朝の到来を受けて煌めく。
日陰にある苔生した岩が陰影を引き立てる。

朝露に、
岩に、
皐月に、
水溜りに、
光は反射し診療室の窓へ入り込む。

中庭を見通す小窓の脇。
ごりごり、ごりごり。と小気味の良い音が響く。
小舟のような形の器と、左右に取っ手の着いた金属製の円盤。
薬研を使い、白衣を着た女性が薬の調合をしている。

ごりごり、ごりごり。と数回円盤を動かしては、
かさり、かさり。と薬包紙に取り分けた生薬を薬研に加える。

その背後。
兎耳に白衣と言うアンバランスな井出達の少女が居る。
はらはら、と採集してきた葛から泥を払い、
ざくりざくり、と根を切りだしていく。
少女が行っているのは漢方における生薬の一次加工。葛根と呼ばれる生薬の加工作業だ。

一段落が着いたのか、白衣を着た女性は両手を大きく上に伸ばし伸びをする。束ねられた白銀の髪がふわりと揺れる。
大きく息を吸い込むと、肺は小窓から流れる清涼な空気で満たされた。

「こんなもんかな。うどんげぇー」
「はーい。何でしょか師匠?」
土気色の混じった粉末が薬研内部に完成した事を確認し永琳は背後の少女に声を掛ける。

「これ。薬の調合済んだから棚にしまっておいて。ついでにこれも出して来て」
永琳は手際よく薬研内部の粉末を薬包紙に包むと、様々な記号の書かれた調剤リストを優曇華に手渡した。

「わかりましたー」
鈴仙は診療室の壁際にある大きな薬棚へ向かう。
自身の伸長程の大きさがあり整然と並ぶ引き出し。最大限に収納量を突き詰めた目前の物体は、まさに碁盤のそれであった。
引き出しにはそれぞれ記号が割り振られており、記号に対応した生薬が収納されている。番号を指でなぞりつつ、手元のメモと見比べては手際良く中身を取りだしていった。

「えーっと……。い-四に、ほ-二っと……あっ」
「師匠。”甘草”がもう無いです」
その手元のほ-二と書かれた引き出しの中にはただ葉の屑が残るばかりだった。鈴仙はその空になった引き出しを見て報告する。

「あら困ったわね。……まぁ良いわ。
熊胆も切れているし、明日里に纏めて仕入れに行きましょう」
甘草は鎮痛・消炎作用などがあり、調剤の基本となる。これが無くては殆どの調剤に支障が出る。実質甘草の枯渇は診療所業務の停止を意味する。
「今日はどうしますか? まだお薬の予備もあまり無いと思うんですが」



「診療の予定も無いし、今日はお休みにしましょう。優曇華もその作業が終わったら休んで良いわよ」
何でもない事のようにそう言うと、永琳は作業用の眼鏡を外し机の上を片付け始める。だが、



「ふぇ? 休んで……良いんですか?」
兎は、野生動物は、被捕食者は、絶対にありえない状況になった時、脳がその判断を放棄する。それは脳の自己防衛機能の一部。

この時の鈴仙の状況は正に兎のそれ。
瞼が見開かれ、瞳孔が開き、心臓の拍動が強まる。その口はただ、開かれるままにされ閉じる事をしらない。体は硬直し、指の一本さえも動かす事を忘れてしまったかのようだ。
信じられない。表情が、体が、思考が、声帯に変わり言葉を紡いでいた。



「えぇ。最近は少し忙しかったしね」
やはり何でもない事のように相槌を打つ。

しかし、それを聞く鈴仙の心中は永琳と光年レベルの剥離が存在した。何故ならばこの数週間。鈴仙は”休みと言う休み”を取った記憶が無かったからだ。


相も変わらず、硬直し続けている鈴仙の脳裏に走馬灯が走る。
鈴仙は回想する。この地獄の如き日々を。


夏の終わり。
季節の変わり目。
例年にも増して急激な気温の変化に、人里では体調を崩す物が続発した。
中には風邪をこじらせる者等、里の医者では手に余る者も少なからず存在した。
そのような者達が、最近名を知られ始めた永遠亭の診療所を訪れるのは自明の理であろう。

許容量を超えパンクする診療室。
足りない寝台。
枯渇する薬剤。
増え続ける患者。
それは正に薬匙と知恵で持って病と闘う戦場。
だが、そのような状態にあっても、永琳は患者の受け入れを決して拒まなかった。




それは、絶対に眼の前の病人を見捨てぬと言う医者としての誇り




……では無く、純粋にこの程度であれば捌き切れると言う自信からである。

結果的に全ての患者は適切な治療を受け、無事に家へと帰って行った。
予想通り多少忙しくとも、”大きな問題”も無く乗り切る事ができたのだ。




永遠の時を生きる蓬莱人にして賢知の象徴たる彼女と、その他有象無象の存在との感覚の違いを除けばだが。




円転滑脱。笑みすら浮かべつつ、次々と激務をこなす永琳の傍ら、
心神耗弱。亡霊の様な表情で補助をする鈴仙に、眼を剥いた患者は少なくなかったと言う。


「本当に、本当に休んで良いんですか?夢じゃないんですか?!」
「……夢だと思うなら、そこの熊胆の残りカスでも舐めてみなさいよ」
「はむっ。うぇ……、めちゃくきゃ苦いですぅ。夢じゃないです……」
「……あなた、少し疲れているのね」
忘我状態で薄気味の悪い笑みを浮かべる鈴仙に、背筋が寒くなる物を感じつつ永琳は机の中から巾着袋を取りだした。

「ほら、今月分のお小遣いあげるから。これで里に行って美味しい物でも食べてきなさい」
ぽすり、と鈴仙の掌に巾着袋が渡される。
おそるおそる、中身を見ると、いつもより随分と沢山入っていた。

「ありがとうございます。……でも、良いんですか?こんなに沢山?」
「今月は頑張ってくれたしね。それに今日は……ってあなた覚えてないの?」
「ほえ?今日は何かありましたっけ?」
「……いや、何でもないわ。すぐに分かるでしょうし」
師匠は何を言いかけたのか?そのような疑問を浮かべつつも、
久々の休みと言う甘美な響きに、作業は急ピッチで進む。
最後の葛の処理を終わらせると、出かける支度の為自室へと戻った。



診療所の程近くに存在する、6畳ほどの小さな和室。
小さな化粧台と、箪笥、小さな机があるだけの簡素な部屋。
それが鈴仙の自室である。

最低限の物しか無い部屋ではあるが、
だがしかし鈴仙はこの部屋が気に入っていた。
それは、落ち着いた空間を好むと言う事でもあるし、元より軍属の兎故無駄を嫌うと言う事もあった。

部屋に入った鈴仙は、小さな机に巾着袋を下ろすと、戸棚の中から一枚の紙片を取りだした。
笑みが隠しきれぬ、と言った様子で紙片を眺める。
その紙片は、人里の雑貨屋の広告チラシであった。

鼻唄混じりに、白衣を脱ぎ籠の中へ入れる
代わりに箪笥からカーディガンを取りだしブレザーの上に羽織った。

「えへへへ……。やった……ついに、やったんだ!」
紙片を見て、笑顔と共に、独り言が漏れる。
目線の先には、”鼈甲の髪留入荷予定”という大きな文字。
文字の下に書かれた入荷予定日は、数日前の日付を差していた。

海のない幻想郷において、鼈甲は大変な貴重品である。
鈴仙はこの費用を貯める為に、チラシを見てから数ヶ月間禁欲生活を行っていた。

それは長く、苦しい生活だった。
お使いで人里に行く事があっても茶屋に寄り道をせず、
少し小腹が空いたと言っても間食をせず、
別の魅力的な装飾具を見つけてもぐっと我慢を続けてきた。

だがそれも今日までである。
今月分のお小遣いを足す事で丁度その費用に届くのだ。

「あれ?でも、もしかしたら……」
鈴仙はふと思い当り、
机の上でこれまでに溜めた金額と今月貰った小遣いの合計を計算する。

――うっそ。丁度だ……。丁度……一つ上のモデルが買える!

永琳の心遣いで追加された分で、
同時期に入荷された”ワンランク上”の物が丁度買える金額に到達していたのだ。
それは、里の名職人の手によって加工された物でより洗練されたデザインになっている。

更に驚くべき事に、この髪留めの入荷日は”今日”であった。

「や、やった! 今日の私って最高にツイてる!
 こんな事してる場合じゃないわ。早く買いに行かないと売り切れちゃう」
天にも昇るとは、この様な状態を差すのであろう。
眼は爛々と輝き、口元はにやける事を隠せない。
急いで出かけるべく化粧台に向かうと、身だしなみのチェックを始めた。

それとほぼ同時、
がたん。と音がしたかと思うと、すぱぁんと勢いよく襖が開いた。
そして、一羽の妖怪兎が部屋に飛び込んできた。

「れっいせーん。今日お休みになったんだって?里まで水あめ買いに行こうよ!」
「あんたねー。部屋に入る前に声くらいかけなさいよ。後お金なら貸さないからね」
いつもと変わらぬ日常に、鈴仙は特に驚いた風も無く返す。

部屋に入ってきたのは因幡てゐ。
地上の兎のリーダーにして、永遠亭が誇る悪戯兎である。

「ぶー。買い物に誘っただけじゃん! なんでそんな話になるのさ」
「あんたと買い物に行って、金を強請られなかった記憶が無い」

鈴仙は回想する。
ある時は財布を忘れたと言い、
またある時は泣き落とし、
さらにまたある時は茶屋で置き去りにされる……
ありとあらゆる手段を講じて、財布の通気性を向上させる。
それがてゐと買い物に行った時の日常であった。

それでも後日きちんと強請った分は返してくれるのでそれ程気にしてはいなかった。
しかし、今日は事情が異なる。
ビタ一文欠く事無く、財布を道具屋まで運ばねばならない。

「ぶー! れいせんのけちんぼ。そんなだから、友達ができないのよ。
 良いよ、もう一人で行ってくる」
「はいはい。お互い様、お互い様。行ってらっしゃい。怪我しない様に気を付けてね」
てゐはぴょんと、一跳ねすると部屋を飛び出して行ってしまった。
それを鈴仙は、ひらひら、と後ろ手に手を振りつつ鏡越しにてゐを見送った。

「……少し可愛そうだったかな。
 もし少しまけて貰えたら余った分で水あめ買っておいてあげよっと」
そう言って、身だしなみを整え終わると机の上に眼を向ける。

そこで、鈴仙が、静止、した。


無い。


無い。


無い。無い。無い。


無い。無い。無い。無い。無い。無い。無い。無い。無い!


無い!机の上に置いてあった、巾着袋が、無い!

鈴仙の肩がふるえる。
心臓は、早鐘を打ち全身へと血液を送りこむ。
びきびき、と全身の血管が浮き出る。

血液は脳へと巡り現状を分析させる。
――何が起こった。
財布が無くなった。

――何時無くなった。
この数分間の間に無くなった。

――どうして無くなった。
誰かが持っていった。

――ダレガモッテイッタ?
……


その瞳は既に狩られる兎の物では無い、
紅とすら言えぬほどにドス黒い濃紅に染まった瞳は、正に獲物を狩る物のそれであった。

肺一杯に空気を吸い込む。
息を止める。

一瞬の間。


「てぇぇぇぇーい!!!!」


永遠亭中に怒声が響き渡る。
それが開戦の知らせだった。




そして物語は冒頭へと続く。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

二人のチェイスは既に1時間を経過する。
この間、鈴仙は五度罠に嵌り、てゐは三度弾丸の直撃を受けていた。
両者ともに軽い疲労の色が出始めている。

地平の果てまで続く廊下。
舞台は、今は”使われていない部屋”の多い永遠亭奥部へと移っていた。

二人は一直線に廊下を駆け抜ける。
一方は溢れんばかりの闘争心と、ほんの少しの呆れを携えて追走する。
一方は途方も無い程の執念と、ほんの少しの焦りを携えて逃走する。

地平の果てまで続く廊下の両側には無数の襖が立ち並ぶ。
各部屋は襖で仕切られているだけであり、容易に部屋間を行き来する事が出来る。
もしも部屋に逃げ込まれれば見失う可能性が高くなる。

当然てゐもそれを狙っている。
先ほどまで廊下の中心を走っていたてゐが、廊下の端へより部屋に飛び込むタイミングをうかがっている。

「逃がしはしないわよ!」
鈴仙は牽制用の妖弾を射出する。
狙うのは足元。
直撃させる必要は無い。要は部屋に入らせなければ良いのだ。

空気を震わせる鋭い音が耳へ届く。
鈍い破砕音と同時に、ぱらぱらと木の破片が四散する。

妖弾は狙いと違わずてゐの足元に着弾。
襖との間の空間の廊下が大きく抉れていた。

たらりと、冷汗が頬を伝う。
思わず大きく距離を取るてゐ。結果として廊下の中心に戻されてしまった。

五間程もあった彼我の距離が、少し、また少しと縮まっていく
純粋な足の速さなら、元軍人である鈴仙に分があるのだ。
このまま移動を制限し続ければ間も無く捕まえられるだろう。

「だから、このまま――」
「――捕まえる? 当然、そうくるよね。でも、私が何の対策もせずにこんな所に来ると思う?」

目標地点まで目測――十間。
てゐは全身を躍動させる。
脚をいっぱいまで広げ、大きく一歩。
着地し、沈み込んだ体で反動を付け力強く地面を蹴り二歩。
両足を揃え、全ての力を脚に集め空へと駆け出し三歩。

大きく跳躍したてゐは少しバランスを崩したのか尻もちをつく形で廊下に着地する。
その大飛翔に僅かながら縮まった距離は元へと戻っていた。
素早く鈴仙へと向き直る。

「それじゃ、ばっいばーい!」
一度だけ、舌を出しあかんべーをすると、足元の床板を一枚蹴りあげた。
一瞬床板に眼を取られる鈴仙。
その次の瞬間。
ごうっと言う音と主に鈴仙の目前に壁が天井から降りてくる。

「くっ。しまった!」
視界が完全に遮られる。
鈴仙は手に妖気を纏わせると、目前の壁を即座に破壊する。
ベニヤ板で出来た即席の壁は、いとも簡単に木屑へと姿を変えた。

開ける視界。
壁の向こう側があらわになる。
正面には何処までも続く無人の廊下。
右手には、まるで手招きをするかのように開いたままの襖。
部屋の中は薄暗く、てゐの姿は見えない。

鈴仙は考える。
追跡するべきか、否かを。

永遠亭奥部。”今は使われていない部屋”区画。
その術式により拡張された正確な間取りは建築者たる永琳すら把握していない。
月都万象展を開くにあたり探索部隊が送り込まれた際は九十九神の発生も報告されている。
正に永遠亭のブラックボックス。
だがしかし、この区画に最も通じているのがてゐだ。
てゐは幾羽かの妖怪兎を連れこの区画を幾度も探索している。
何が、起こっても、おかしくは、無い。

ぞくり。と頭に上った血が降り背筋が冷える。
心が軋む音がする。逃げ出したくなる。

「……でも、」

そんな折れる心を繋ぎ止めたのは強き思い。
何を犠牲にしてでも手に入れなければならない物。

「……こんな事で、こんな所で諦めたくない!」
鈴仙は勇気を振り絞り一歩を踏み出す。
それは、勇猛なる一歩か、それとも蛮勇か。
それを知るのは後に聞かされた者のみ。

片足が、廊下から薄暗い畳の領域を踏みしめる。
古の遺物と妖怪兎の策謀渦巻く魔窟へと鈴仙は歩みを進めた。





ぱたりぱたり、と歩みを進める。
薄暗い部屋。六畳ほどの空間には箪笥を始めとして木箱などがひしめき合っている。
四方は全て襖。後方の自分が入ってきた物を除けば3つの部屋に繋がっている。

鈴仙は感覚を研ぎ澄まし周囲を警戒する。
妖力を放出し、耳周辺に障壁として配置。周囲の音を全て耳に集める。

届けられる波長が鈴仙に周囲の状況を知らせる。
天井裏で小動物が立てる足音、
壁越しに聞こえる時計の針の立てる機械音、
梁を通して伝わる遠方の生活音、
離れた所で超重量の物体が歩き回る鈍い音、
ごく近くで人型の生物が息をする音

――居た。

音を感知した方向。向かって左側を見る。
隣の部屋に続く襖が僅かに開いている事を発見した。


「……てゐ。そこに居るわね」
「この部屋には超級美少女のてゐちゃんなんて隠れてないウサ」
びきびき、と何か良く分からない音が頭部から響く。

「うるせぇ、この年増がぁぁー!」
言葉を発すると同時、鈴仙は一足飛びで加速し部屋に飛びこむ――


襖の向こう、部屋の端で体育座りをするてゐの口元がにやりと歪む。


「――掛かると思ったの?!甘いのよッ!」
直前で足を止め、身を翻すと襖のすぐ内側に仕掛けられていた細い糸を撃ち抜く。
どすん、と言う鈍い音と共に倒れる箪笥。
気付いていなければ確実に下敷きになっていただろう。

「うっそ?! 鈴仙の癖にやるじゃない……」
「毎回毎回、罠に嵌められてりゃパターンの一つも覚えるわよ。
 フィードバックが大事なのよ。フィードバックが。さぁ、観念なさい」
「やだ……って言ったらどうする?」
「へっへぇー? ちょっと痛いかもね」
がちゃり、鈴仙の手に幻想の銃が構えられる音がする。
じりじりと近づき、部屋の隅へと追い詰めていく。

「じゃ……じゃぁ、しょうが無いよね。もう降参するよ」
ついにてゐの背は襖にぴたりと張り付き、じりじりと鈴仙が迫る。

「最初から素直にそう言えば良いのよ。さぁ、巾着袋を渡しなさい」
てゐへと迫り、一歩を大きく踏み出す。
だがしかし、その脚は地を踏みしめる事ができなかった。

がたり

木材がぶつかり合う音が響く。
踏みしめられた床板は大きく沈み込み、鈴仙の脚を絡め取っていた。
更に床板のもう一方の端が猛烈な勢いで鈴仙に襲いかかる。

「ぎゃふっ!!」
床板が顔面にぶつかり、鈴仙は思わずその場に蹲ってしまった。

「油断大敵火がぼーぼー。千里を行く物はなんとやら、よ。鈴仙」
そう言うと、てゐは背後の襖を”通り抜け”隣の部屋へ移動する。
良く見れば、襖には子供一人がやっと通りぬけられる程の小さな穴が開けられていた。

「あっ、待ちなさい!」
真っ赤になった鼻を押さえながらも、急いで跳ね起き後を追いかけようとする。
だがしかし、襖の穴は鈴仙が通れる程には大きくない。
勢いよく襖を開くと、間髪いれずに隣の部屋へ飛び込んだ。





部屋の中を見渡す。
陸橋のように立てかけられた机。
トンネルのように置かれた箪笥。
部屋中に賽の目のように配置された戸棚。
それは、正に家具による迷路。家具による一大遊戯場がそこには築きあげられていた。

遠くを見渡すと、丁度箪笥の向こうにてゐが走り去るのが見えた。
これはまずい、そう鈴仙は考えながらてゐの後を追う。
ひしめき合う家具の間をひょいひょいとすり抜けながら駆け抜けるてゐに対して、
鈴仙では体が引っかかり思うように走り抜ける事が出来ない。

前方に箪笥と机で出来たトンネルが現れる。
前を行くてゐは、僅かに身を屈めるとそのまま駆け抜ける。
後を追う鈴仙が、勢いを殺さぬまま体を倒し滑り抜ける。

前方を戸棚が塞ぐ。
てゐは下部に空いた小さな穴を潜って前へと進む。
鈴仙は妖弾で戸棚を破壊し前へと進む。

刻一刻と、離れる両者の距離。
この現状を打開するため鈴仙は行動を起こす。

てゐの足を止める。
狙うは、てゐの進行方向上にある大きな化粧台。
小さな戸棚の上に置かれており、下部を狙えば容易にバランスを崩せるだろう。
倒した戸棚で退路を奪う。

「「怪我したくなかったら止まりなさい!」」

妖弾が命中し、戸棚のバランスが崩れる。
鈍い音と共に足元に伝わる振動が、妨害の成功を教える。

――だが、しかし

「「わあわわあ!?!?」」

全く同じタイミング。
てゐもまた鈴仙の進行上にあった箪笥を狙い妖弾を放っていた。

頭上でアーチを形成していた箪笥が支えを失い崩れ落ちる。
先ほどまで道であったそれは、箪笥とその他の家具により瓦礫の山と化していた。

てゐはどうであるかと見やれば、向こうも状況は同じである。
突然の事に驚きぺたりとお尻を付き座り込んでいた。
良く見れば眼には少し涙が浮かんでいる。

「ちょっと、馬鹿鈴仙! なにすんのよ! ぶつかったらどうすんのよ!」
「あんたが言うな!」

瓦礫の山をひらりと飛び越えると、てゐに向かって駆ける。
てゐはそれに気付いたのか慌ててて両手を地面に着き蛙飛びの要領でぴょこりと山を飛び越えた。

そのまま二人は家具の迷路を駆け抜け、次の部屋へと飛び込んだ。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ぎしり……ぎしり……。


薄暗い闇の中を巨大な影が蠢く。
影が動くたび、はらり、はらりと積もった埃が地へと落ちる。


仄かに日が差しこんだ日が埃に反射し光の柱を形成する。
巨大な影に差しこむ光は、赤茶けた体表を露わにする。


それは巨大な鉄塊だ。
幾年を超え全身に錆を纏った鉄の塊”だった”物だ。
これは幾年を超え、鉄ですら風化する年月を超え、自我を持ち始めた鉄塊だ。


鉄塊に目的は無い。当ても無く闇を彷徨うのみだった。


永遠亭の奥地。
今日も昨日と変わらず、当ても無く彷徨う筈だった。


遥か彼方で響く戦闘音。


――■☆◇※……○※※×◆□……
暗闇に響いたのは最早聞き取ることのできない機械音声。


ぎしり……ぎしり……。


巨大な鉄塊は緩慢とした動作で体を傾けると、音の元へと動き出した。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

そこは大きな部屋だった。
四十畳はあるだろうか。見渡す限り何も置かれていない空間が突如出現した。
てゐはと見れば、先ほどまでと変わらない様子で前方を跳ねている。

だが、此処で鈴仙は一つの疑問を抱く。

――おかしい。

何故、てゐはこの部屋に逃げ込んだ?
遮る物の無いこの空間では自分が圧倒的に有利だ。
どう少なく見積もっても次の部屋に着く前に自分が追い付ける。

そも、走って追いつく必要すらない。
この部屋に障害物は無い。どこからでも狙い放題だ。
撃とうと思えば今すぐにでも狙い撃てる。

この部屋の事をてゐが知らないはずが無い。
まださほど奥には進んでいないのだから。

心の中にわだかまりはある物の、仕掛けて見なければ始まらない。
だが、てゐが無策である筈が無い。
中途半端な攻撃では意味を為さないだろう。ならば……

「……何考えてるか知らないけど。……全力で、行くわよ」

大量の妖気を体内で練り上げる。
想像するのは銃では無い。
巨大な砲。自身を中心に十二の幻想の砲が展開される。

練られた妖気が放出する。
それは十二の渦を形成し、小さな多数の弾丸の形に凝集していく。
最後に外側が覆われ一つの大きな砲弾が形成された。

妖しく光る弾丸が幻想の砲に装填される。
着火用の小弾を形成し、手元の銃へと装填する
そして、

――撃つ。

轟音が周囲に響く。
十二発の砲弾はてゐへ殺到する。
着弾する直前、破裂した砲弾は内部の小弾を四散させ、同時に起爆する。

紅い閃光。
薄暗い部屋は夕焼けを思い起こさせるほどの強い光に包まれた。

「そんなに花火が見たければ近くで見せてあげる。お釣りは要らないわ」

閃光と煙が視界を遮る。
てゐの様子を窺い知る事はできない。

煙が次第に晴れる。
暗闇に慣れた眼が、状況を伝え始める。
だが煙の向こう側の状況に、鈴仙は眼に驚愕を浮かべた。

「――あいにく、視力には自信があるからね。花火は遠くからで結構よ」

そこには、”何語も無かったのように仁王立ちをする”てゐの姿があったからだ。
鈴仙はてゐの隣に居た存在を見てその理由を納得する。

てゐの隣には配下の妖怪兎が数羽寄り添っていた。

「……なるほど、そいつらが障壁を張って防いだのね。無駄に兎望には厚いんだから」
「せっいかーい。 鈴仙とは違うのよ鈴仙とは」
「友達は居ない癖に」
「鈴仙よりマシだもんね!」

「さぁ、鈴仙。あんたはこの部屋を”抜けられない”だから、私は、逃げさせて貰うよ」
「だったら、あんたが何かする前に捕まえるまでよ」
言うや否や、飛びだしていく鈴仙。
だがしかし、その脚はその場から動く事は無い。

“その前方を畳から飛びだした妖怪兎が遮ったからだ。”

「あんた達だけで、私の足止めをするつもり? 手加減してあげるけど、怪我しても知らないからね」
幾ら数が多いとは言っても、全力の差は歴然としている。強行突破は難しくないだろう。
だがしかし、鈴仙は躊躇した。
てゐは兎も角、只の兎に毛が生えた程度の者達に手は上げたくない。

「やってみたら良いじゃん。リーダーのお願いだからね。
それに今日はお守りも付いている。そう簡単には通れると思わないでよ」
妖怪兎達の首からは、てゐ印のお守りがぶら下がっている。
てゐの能力の付与されたお守りだ。

ただ遭遇するだけで何の能力も道具も持たぬ人間が、魔境とも言える迷いの竹林を無事に突破する事が出来るのだ。その効果はおしてはかるべしだろう。

楽観視はできない。そう鈴仙は考えた。
戦場において敵軍の幸運程、恐ろしいイレギュラーは存在しない事を元軍属の鈴仙は知っているからだ。

妖怪兎達に退く様子は見られない。徹底抗戦の構えを見せる。

圧倒的な力の差で一人を倒し、他が戦意喪失してくれれば被害は最小で済む。
そう考え、鈴仙は幻想の銃を構える。

――が、上空から異様な気配を感じ取る。

「ぐっ?! 狙撃手?」
緊急回避行動を取る鈴仙。
つい先ほどまで鈴仙が居た所には弾痕が複数残っていた。

大広間の上。
入った時には気付かなかったが梁の間に板が通され、兎が潜める空間が作られていた。
これには、鈴仙も舌を巻く。何と言う用意周到さだろうか。
鈴仙の頬に一筋の汗が垂れた。

「……訂正するわ。手加減しないけど、怪我したらごめんね」

片や天為の加護を受け、地の利と人の利を得た力弱き地上の兎達、
片や四面楚歌の元軍人の月の兎。

互いに通さなければならぬ思いがある。
そうであるが故に、両者はぶつかり合う。

それを確認した地上の兎の頭目は次の部屋へと逃げ去っていった。









◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




ぱちり、ぱちりと金属の触れ合う音が響く。
素い兎が懐の懐中時計を眺めては頭を抱える。




――まだなの? もうそろそろ限界よ……



因幡てゐは焦っていた。



事前に仕掛けておいた罠は後二つ。
一つは鈴仙相手に使うのは危険が過ぎ、
一つは時にならなければ意味が無い。
どちらも当てにはできない。

未踏の領域はもう目前だ。間も無く地の利は失われる。
今、狙撃隊と陸戦隊が足止めしているけれど長くは持たないだろう。

――ならばどうする?

様々な案が脳内で出されては棄却される。
その時、手元の通信機に連絡が入る。

「こちら、偵察隊ヘ号。
狙撃隊と陸戦隊は戦闘に入った。目標の卑劣な策略により既に二名が無力化」
了解した。状況が動き次第また連絡してくれ。
「イエス、マム!」
これはまずい。予想外に鈴仙が本気だ。
まぁ、鈴仙がこの日を一日千秋の思いで待ち望んでいた事は知っている。
この事態は覚悟していた筈だ。

また連絡が入る。
「こちら、特務隊ロ-一号。三号が作戦行動中に指を切った」
医務室に連れて行ってやれ。作戦は安全第一で進めろ。後、計画の遅延はどの程度だ?
「五分程度かと思います」
……了解した。焦らず進めてくれ。
「イエス、マム!」

「こちら、補給隊ニ-四号。路傍に蝶を発見した。追跡の許可を」
ふざけんな。真面目に仕事しろ。
「イエス、マム!」

此処に来て”五分の遅延”は非常にまずい。
既定の時刻まで後十五分。
遅延を計算に入れて二十分。

足止めは持って後五分。
この先の部屋を全力で走って稼げるのが五分。
自ら弾幕戦を仕掛けて五分。
それでも残り五分足りない。

未探索領域に逃げ込むか?
否、不確定要素が多すぎる。作戦に修正不可能な変更が加わるかもしれない。
何処かに隠れるか?
否、鈴仙が本気でサーチすれば姿が見えない事は然したる問題にならない。
今から新たに罠を仕掛けるか?
否、即席の罠程度ではすぐに見破られるだろう。

駄目か、駄目なのか。
神話の時代から現代まで生き抜いた因幡の素兎は此処までなのか?
自分の詐欺師として積み重ねてきた物はこの程度なのか?

焦りは、さらなる不安を、
不安は、さらなる失敗を、
これは、この”思考の連鎖”は自分自身が一番良く知っている。
この連鎖には相手を”嵌める物”であって、自分が”嵌ってはいけない”物だ。

血が滲むほどに手を握り締める。大きく息を吸い込むと自らの頭を打った。
ごつん。鈍い音が暗い部屋に響く

――落ち着け、落ち着け、因幡てゐ。イレギュラーを利用出来なくて何が詐欺師だ。

丁度その時。偵察隊より一本の通信が入った。

「――――」

「――?! 了解した。引き続き監視を続けて」
通信を終了する。

「ふふっ、”他人”を幸福にする程度の能力かぁ。成程ねー」
先ほどまでとは一転。
てゐの表情から焦りの色は消え、代わり浮かんだのは、



笑みと、――決意。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


――既定の時刻まで後十七分――


背後の扉が開く。
だがてゐは振り向かなかった。


「思ったより早かったじゃん。鈴仙」
「ちょっと手古摺ったけどね。最終的に人参一人三つで手を打ったわよ。あの子たち」
「あいつら…… 後で覚えとけよ」
「戦場で敵からの情報を『ミルナ』、『キクナ』は基本中の基本よ。教育が甘かったわね。
で、逃げてないって事は降参する気になったのかな? 怒ったりしないから言ってごらん?」
嘘である。手に銃を構え臨戦態勢を取りながら言うセリフでは無い。

「まさか、あんた相手に逃げ隠れしても無駄なのは分かっているからね。
 待ってあげていたのさ。正々堂々とね」
「ふ~ん。じゃ、第二ラウンド開始って事で良いのかな?」
「良いよ。掛かってきなよ、何時でも良いよ」
てゐはそう言って両手を広げ何も持っていない事をアピールする。

だがしかし、鈴仙はすぐには行動しない。
彼我の距離は五間程だろうか。間には何もない。
背を向けたままのてゐは何も行動をしようとしない。
逃げずに此処に留まっていたのも変だ。

明らかに何かを狙っている。そう鈴仙は考えていた。
故に動く事が出来ない。先に動けば罠に嵌められる。
ならば、今は動かず見に回るのが得策である。


両者は対峙し合う。
どちらが先に仕掛けるか、
張りつめた糸の様な緊張感が周囲を支配している。

極度の緊張状態は、
実際には数秒の時を数分にも数十分にも引き延ばして感じさせた。

どれ程の時が経っただろうが、
実際には二分程度であろうが二人にとっては永久とも思える沈黙の後、均衡は突如として破られた。

てゐが一瞬大きく屈みこんだかと思うと、全身を躍動させ大きく跳ねたのだ。
そのまま猛スピードで駆けるてゐ。

鈴仙も後を追うが、前方を警戒しながらでは思うように進む事は出来ない。
てゐが先ほど立っていた所。五間の距離を抜けた時には、てゐの姿は遥か遠方。
更に、結果から言えば床には”何の罠”も無かった。

「ぐっ、結局騙されたのは、また私か」
敵を十回騙すのに仕掛けは十も要らない、疑心暗鬼を利用する事も策略の一つと思え。
月の軍隊学校で学んだ一説が頭によぎった。

そうしている間にも、てゐは先へ進む。
鈴仙は意識を切り替えると、牽制弾を放ちつつ後を追った。
この部屋にも障害物は殆ど無い。移動を制限し、脚力による勝負を仕掛ける。

二分間程追跡をした所だっただろうか。
当初に比べ大幅に縮んだ空間の向こうで、てゐは無線機の様な物を取りだし通信を始めた。

通信を終了した次の瞬間。
ほぼ直角方向、強引に体を捻り襖へと疾走する。

「痛っ……!」
「ちょっと何してんの!?」
牽制用の弾が次々と被弾する。
障壁すら碌に形成していないのか、額は裂け血が噴き出し、手や脚に痣を作って行った。
にもかかわらず勢いは止まらない。
そのまま、転がり込むようにてゐは永遠亭の”奥部へ向かう”襖へと飛び込んで行った。





流れていく襖に畳。
また一つ倒れた箪笥を飛び越える。
この部屋は先ほどの大部屋と同じ程度か少し小さい程度の大きさを有していた。
家具もまばらに配置されている程度である。

只一つ先ほどまでと様子が違うのは、
“著しい損傷のみられる家具や、壁に弾痕が多数残されている事”である。

前を行くてゐに、当初の野を駆ける兎の様な軽快さは微塵も残っていない。
疲労の色は濃く、被弾した脚を庇いつつ逃走を続けている。
もう追い付かれるのは時間の問題だ。鈴仙は既に追跡を緩めている。

また、前方にあった衝立を飛び越えようとした時だった。
脚を取られ思い切り転倒してしまう。
もんどりうって倒れたてゐが起き上がる時には、もう既に鈴仙の顔が頭上にあった。

「てゐ。ホントにもう怒んないからさ。もう止めようよ。ほら、師匠の所に行こ?」
今度は手には何も持っていない。
憐憫を込めた声色から、本当に心配して手を差し伸べている事がてゐにも伝わる。
てゐの心は一瞬揺れ動く。その差し伸べられた手を取ってしまえばどれだけ楽だろうか。
だがてゐにはその手を取れない。まだ、手を取っては”いけない”。
「何言ってんのさ。最後まで何があるか分からないのが勝負なんだよ」
「まーた、そんな負け惜しみを。無理しているんでしょ? ほら早く行くわよ」




「負け惜しみ? いんや違う。これはただの意地張りだよ。私の我儘さ」




鈴仙の頭にクエスチョンマークが浮かぶのと同時、
空間が破裂したかのような衝撃と閃光、一瞬遅れて爆音が周囲に轟いた。

爆発的な風に吹き飛ばされるてゐと鈴仙。
爆風の方向をみやると、先ほどまですぐ隣にあった壁が存在しなかった。

より正確には、巨大な穴が開いていた。
穴の向こう側、煙を纏って現れたのは巨大な鉄塊。

「※□△×◆▼☆♯――」

音にならない咆哮。
鈴仙の数倍はあるかと言う巨体。鈍く煌めく体は錆きった鉄でできている。
歪な球体をした体からは四本のマニピュレーターが伸びており、円盤状の足で地面を踏みしめている。
一歩此方に踏み出すたびに金属の擦れ合う駆動音が響く。
マニピュレーター以外にも球体からは幾つもの突起物や皿の様な物が飛び出ており、その古未来な風体は周囲の空間とは剥離した印象を与えていた。

鈴仙とてゐは突然の事態に動く事が出来ない。
その二人に対し鉄塊は、歪な球体を構成する一枚のパネルを開いたかと思うと、
内部から円筒形の物を収納した四角い箱を迫り出した。



「▼×△※◆-☆▼+++♯――」



意味のある言葉とは思えぬ咆哮。
しかしそれは、臆病な兎の恐怖心を呼び起こすには十分だった。

「てゐっっ!」
「わかってるよ!」

連続的な噴射音。
次の瞬間、箱内の円筒形の弾丸が飛び出し兎達へと猛烈な勢いで加速しつつ襲いかかる。
着弾の直前、間一髪のところで二人は上空へ跳び梁へと退避した。

「ふ……噴進砲?! なんなのよあれ?」
「以前の調査で確認だけはしてた。九十九神もどきね。詳細は……不明だよ」
「って事は、多分元は師匠の戯れの産物ね……。でももどきって?」
「動けるだけって事! 今この場では、説得の余地が無いって意味だよ! 来るよ!」
再度の爆煙、再度狙いを定めた鉄塊は上空へ向けて対空砲撃を開始する。
てゐと鈴仙は別々の方向へ跳び、それを回避した。


二羽の兎は不明の鉄塊相手に戦闘を開始する。





てゐの胸元から懐中時計がこぼれ、ぱかりと蓋が開く。

円盤には小さな紙が張り付けられている。
それは一つの時刻を差していた。

――既定の時刻まで残り十分――





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

巨大な鉄塊から伸びる長大な砲が火を噴く。
その度に箪笥や、衝立などが吹き飛んで行った。

木片が飛び散り、爆煙が広がる。
瓦礫の山と化した家具の影から、煙に紛れ鈴仙が跳び出す。
それと同じくして、鉄塊を挟んで反対側の物影からてゐも跳び出した。
二人は弾丸を射出し鉄塊へ浴びせかけていく。

鈍重な動きの鉄塊に避ける術は無い。全弾が着弾する。

しかし、全ての弾丸を受けても尚、鉄塊に損傷は無い。
原因は鉄塊表面の装甲板に施された傾斜だ。
装甲板に施された傾斜により弾丸の軌道を逸らし、被害を表面に傷を付ける程度に留めていた。

弾幕の止んだ次の瞬間。
歪な球体の一部のパネルが開くと、中から細い筒を円状に纏めた物が迫り出してきた。
それは機敏な動作で、攻撃の為に接近した二人に照準を合わせ、追尾を始める。
その細い筒の束は次の瞬間には猛烈な勢いで回転を始めた。

「逃げろ鈴仙! あれが来るよ!」
「分かっているわよ! あんたこそ逃げ遅れないでよ!」

鈴仙は最も近い障害物の陰へ転がるように入り込む。
その次の瞬間。
影の外では鳥の羽音のような連続した爆音と、
瓦礫の山が次々と削られる破砕音が響きわたる。
跳び出す前に、隠れ場所に眼を付けておかなければ危なかっただろう。

暫く息を潜めるようにして隠れているとふいに爆音が止み、鉄塊の駆動音もしなくなった。


これを好機とみた鈴仙は、瓦礫の山の上に躍り出る。
手に持った幻想のハンドカノンを構え己の持つ最大の貫通力のある攻撃を繰り出す。

今度構成するのは只の弾丸では無い。
強固な装甲を突き破る為に月の都で叩き込まれた特製の弾丸。
弾頭は練りに練られ、極限まで硬化した濃密な妖力。弾芯には不安定な状態で濃縮した妖力。
着弾後、爆発し、装甲を破壊する鉄鋼の榴弾。

己の頭程もある弾丸を形成し終えハンドカノンへ装填される。
狙うのはマニピュレーターと本体の接合部。最も装甲が薄いと思われる箇所。

鉄塊は微動だにせず不気味な沈黙を守っている。

鈴仙は息を止め狙いを付ける。
そして、一瞬の後。

轟音。
火龍の如き咆哮が、手に持った筒から放たれる。

弾丸は装甲を穿たんと空中を疾走する。
装甲に鉄鋼の弾頭が突き刺さる。そしてその次の瞬間、

爆音。

突如装甲板が破裂する。
装甲板から発せられた爆轟により弾頭の軌道はそらされ、極めて浅い場所で爆発させられてしまった。
結果として被害は装甲板を一枚吹き飛ばすに留まる。

「うげー。反応装甲まで完備かぁ……」
「悠長な事言ってる場合じゃないって、反撃来るよ!」
攻撃の飛んできた方向、鈴仙の立つ瓦礫に細長い筒が向けられ回転を始める。

「もう一発……は、無理か。逃げよっと」
鈴仙が身を翻し、物影へと移動する。
衝立にぴたりと背を付け、迎撃姿勢をとった瞬間。背後では轟音が響き、瓦礫の山を吹き飛ばしていった。

鈴仙は自身の能力を展開し、周辺の空間に働きかける。
波長を操る技術の応用だ。対象周辺の”音の波”を互いに入れ替える事で通信を送る。
程なくして、十間は離れた距離にある物影の空間と自身の周辺が接続された。

『てゐ、聞こえる?』
『聞こえるよ。鈴仙。』
『さっきのは、見ていた? あいつの装甲は貫通性の高い弾丸なら貫ける。
 さっき装甲板を一枚破壊したから同じ所にもう一度撃ちこめば有効打を与えられるはずよ。
 私は今狙われているから、あんたの方から……』
『それ、多分無理だと思うよ。』
『なんでよ。今になって怖気づいたの?』
『そんな鈴仙じゃあるまいし。
 だって、さっき鈴仙が破壊した所、”もう直っちゃってる”よ』
『へ……?』
物陰から僅かに身を乗り出し、鉄塊を視界に捉える。
先ほど狙ったマニピュレーターの一本の接続部。確かにそこには”装甲板が再生”していた。

『確認した。師匠、無駄な機能付け過ぎです……』
『私の”弾幕”じゃ、あの装甲板は抜けない。あんたの抜いた装甲板の狭い隙間を狙うのにも向いてない』
『じゃ、どうすんのよ。逃げる?』
『私が、何とかして装甲板を剥がす。鈴仙はそれを狙って。』
『……策はあるのよね? 私はどうしたら良い?』
『前の部屋に戻って梁の上に潜んで。私はそこまであいつを引き摺りだす。』
『分かったわ。怪我しないでね。』
『当り前よ。私が約束破った事ある?』
『いつもじゃん。』
空間の接続を解き通信を終了する。
同時に、てゐが鉄塊へ向けて弾幕を展開した。


鈴仙はその隙に部屋を移動する。
流れゆく景色、壊れた箪笥、木片の塊と化した化粧台。
そして視界の端に基盤だけになりながら時を刻み続ける時計が映る。

――既定の時刻まで残り五分――






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

こいつのデータは以前の探索で幾らか判明している。
こいつは音で敵を探知する。
そして自らに有効打を与える物を最優先に迎撃するルーチンを持っている。
……だから、この役目は”誰か”がやらなきゃいけない。






物陰から梁へ、梁から床へ。
一羽の兎が、弾幕を展開しつつ縦横無尽に跳ねまわる。
移動する兎に一拍遅れて、次々と爆煙が広がる。

鉄塊には容赦なく次々と弾幕が降り注ぐ。
だが何れの弾幕も鉄塊に傷一つ付ける事は無い。
てゐの弾幕は撹乱に特化している。スペルカードを用いても反応装甲を使わせる事すら叶わないだろう。

だが今はそれで構わない。自分に注意を惹きつけられれば目的は達せられる。

また、足元で爆発が起こる。
ばらばらと飛び散る破片が薄く皮膚を裂く。

「ぐっ。……このポンコツうすのろ! 悔しかったら私に当ててみろってんだ!」
てゐは挑発する。弾幕でも声でも何でも良い。今は自分に全力を向けさせねばならない。


「▼×△※◆〒-¶☆▼×+♯――」


言葉の意味を解した訳ではないだろう。
だがしかし、鉄塊は継続的に攻撃を続ける目前の対象を危険だと判断した。
パネルの一枚が開き、二連の巨大な筒が現れる。
それは、特に”狙いを付けるでもなく”火を噴いた。

不気味なほど低速で飛ぶ円筒。
三間程進んだ所だろうか、突如外装が剥がれ落ち中にある更に小さな無数の円筒状の物体があらわになった。

てゐの兎としての本能が猛烈な勢いで警告を鳴らす。
それに逆らわず、咄嗟に回避行動を取ったのは正解だっただろう。
出来るだけの遠くの瓦礫に逃げ込むと、近くにあった衝立を引き寄せ盾とした。

次々と飛び出す小さな筒は、猛烈な速度で周囲に四散する。
耳をつんざくかのような噴射音の連続。
内の一発がてゐの潜む瓦礫の直上で炸裂する。

閃光。爆風。爆音。
後、一帯を爆煙が包み込む。

「げほっ、げふっ! ……っぶなぁ! 二発飛んできていたら死んでたわね……」
煙の中から兎が現れる。
その真っ白だった服は煤に染まり、灰色の兎と化していた。
良く見ればあちこち服は裂け、擦り傷があちらこちらに見える。

『てゐ!凄い音がしたけど大丈夫なの?!』
『大丈夫だよ。それより、準備できた?』
『それは大丈夫だけど……』
『りょーかい。すぐにそっちに届けるから待っててね』
鈴仙からの通信を終了する。
準備はできた。後は誘導するだけだ。


兎は痛む体に鞭を打ち再び鉄塊の前に飛び出してく。





胸元から覗く時計は固く閉じられ時刻は窺い知れない。

――既定の時刻まで残り――






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

梁の上でただじっと息を潜め待機する。
時折聞こえてくる爆音。

鈴仙は通信を送り無事を確認する。
てゐの言う事は鵜呑みに出来ないが、
さりとて、今自分にやれる事をやる以外に選択肢は無い。

鈴仙は特大の鉄鋼弾を形成する。
先ほど反応装甲を吹き飛ばしたものの比では無い。
残りの妖力を惜しみなく注ぎ込み、弾頭を練って行く。
薄桃色に妖しく光る自身の妖力塊。
それはやがて固形化し、鈍く光る銀の弾丸へと変貌した。
今手元にある弾は、吸血鬼狩りに使われるそれと同等かそれ以上。
聖堂の十字架を鋳潰した特性弾丸のそれに近い程の力を持つだろう。

手元に想像した幻想の対物狙撃銃へ弾丸を込める。
スコープを覗きこみ、てゐと鉄塊が現れるのを待つ。



爆音。後に破砕音。
壁が破られ、てゐと鉄塊が現れたのは丁度その時だ。
てゐは牽制弾を放ちつつ、反撃を紙一重でかわしながら此方に近づいてくる。

上空に跳ね飛んだ所を噴進砲に狙われ、妖弾で迎撃する。空中で爆発し辛うじて逃れる。
床に転げた所を戦車砲に撃たれる。すんでの所で体を捻り直撃を回避する。

一歩間違えばどうなるか分からない。
鈴仙は幾度も引金に指を掛けた。
しかし、それを思いとどまらせたのは一種の信用。
てゐが己の策略に賭ける異常なまでの執念。
それを、鈴仙が痛いほどに良く知っているからこその判断。

幾度そんな紙一重のやり取りを繰り返しただろうか、じりじりと鉄の塊は此方に近づいてきている。
そして丁度部屋の中央にそれが来た時、
てゐは不意に逃げる事を止め、鉄塊の前に立ち塞がった。

思わず身を乗り出す鈴仙。
てゐの意図が読み取れない。

鈍く光る砲身がてゐへ向けられる。
その絶体絶命の筈の状況、その状況下
一瞬にも永劫にも捉えられる時の後、てゐは遠くからでもはっきり分かるほど


――確かに”笑った”


鈴仙は全てを悟る。


次の瞬間、部屋の四方から巨大な鉄の杭が飛び出した。
新月の夜の闇の如く鈍く煌めく鉄の杭は、自身の重量により加速し鉄塊に殺到する。
装甲板に喰らい付いたその杭はがきん、と言う金属同士がぶつかり合う甲高い音を立て、外装を突き破る。
その次の瞬間、やはり装甲板は自ら爆発し全ての杭を吹き飛ばした。

だがその結果、鉄塊の装甲板は一部破壊され、無数の歯車が複雑に組み合わさった内部機構が露出する。

鈴仙は弾丸に推進用の妖力を込める。
この一撃で動きを止めねばならない。残りの妖力をありったけ銃身に注ぎ込む。

狙うのは、先ほど穿たれた穴。
鉄の杭により破壊された装甲板の隙間。
引金に掛かる指に力を加えていく、そして引金を
――引く事は出来なかった。


兎の本能が警鐘を鳴らす。
猛烈なアラート音が脳内に響く。
気付いたからだ。気付いて”しまった”からだ。

鉄塊の戦車砲が”正確に鈴仙を狙っている”事に。


――回避するか?
いや、既に装甲板の再生は始まっている。次は無い。
――このまま撃つか?
それが最善だ。ただし私は戦車砲の直撃を受ける。

その躊躇が命取りだった。迷ってしまった時点で手遅れだったのだ。
この時すでに戦車砲の装填及び照準が済んでいた。
鈴仙は気付くべきでは無かったのだ。もしくは、迷わず逃げねばならなかったのだ。

刹那の時の後、戦車砲は無情な咆哮を上げた。


――これまでか。発射を確認した鈴仙はすっと眼を閉じその時を待つ。


その時耳に届いたのは聞きなれた甲高い声。
いつも自分を騙す。いじわるで大嫌いな兎の声。
これが走馬灯か。最後の時に思い出すのがよりにもよって、てゐの言葉なのか。
確かに地上に来て最も多く触れ合ってきたのはてゐだ。自分の交友範囲の狭さに呆れそうになる。


「……っ! ……んっ! 鈴仙早く撃って!」


今際の際の幻聴にしては、現実感を伴い過ぎている。異変を感じた鈴仙はそっと目を開ける。
視界に入ったのは、最後に見た時と変わらず此方を向いている砲身。そして、

――砲身に組みつく小さな兎の姿。

「馬鹿っ! 何やってんの巻き込むよ!」
「良いから! 早く撃てって、馬鹿鈴仙!」
鈴仙のすぐ後方の壁には生生しい弾痕が残っている。
見ている間にも、てゐに向けて幾つもの銃口から炎が上がる。
全てを紙一重で回避しているが、飛び散る破片に、刃となって襲い来る衝撃波に、熱に、その身には傷が刻まれ続けている。引きはがされるのは時間の問題だろう。

「馬鹿はあんたよ! その位置じゃ直撃”しなくても”無事じゃ済まない!」
「なめないで!! 自分へ帰って来る痛みも覚悟しないで、何が詐欺師よ!!」
だから撃て、と。てゐはっきりと鈴仙の目を見て言いきった。そこからは一切の迷いを感じ取る事が出来ない。

鈴仙は思い出す。
あぁ、そうだこいつはこういう奴だ。
他人に与える被害は計算しまくるくせに、自分が受ける被害は重視しない。

「今撃たないと、二人とも無事じゃ済まない。今撃つのが最良の選択なのよ! だから――」
どこまでも、どこまでも、論理的で厭味ったらしくて意地悪だ。でも――
そのくせ嘘つきだ。でも――

「私を信用してよ!! 鈴仙!!」
――でも、絶対に人を不幸にしたりはしない。



撃つタイミングは、今を置いて他には、無い。




そして、鈴仙は、引金を




――引いた。












◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


収まらぬ爆煙の中。
煤けた兎は誰に聞かせるでもなく話しかける。

「▼×△※◆〒-¶☆▼×+♯――」
「ごめんね。あんたに恨みは無かったんだけど、私の為に利用させて貰っちゃった。
 後でお師匠様に見て貰うから今は我慢してね。
 もうちょっと、分別が着く様になったら――また、遊んであげるね」








爆煙が収まった後に残っていたのは、巨大な鉄屑の山と小さな基盤だけになった先ほどの鉄塊。
――そして、ぼろ雑巾の様になった兎が一羽だけだった。

背の高い兎は梁から飛び降り、
こつり、こつりと小さな兎に近づいた。

「てゐ! 何やってんのよ! あんな無茶を……」
「あんな若造に、私の可愛い可愛いおもちゃを壊させてなんてやれないからね」
「ばかっ、誰がおもちゃよ……。そんな事より、あんた大丈夫? かなり怪我しているじゃない」
鈴仙はてゐの前にしゃがみ込み、傷の具合を調べて行った。

裂傷。骨折。内出血。
細かな切り傷は数え切れぬほど無数にある。
文句のつけようも無く重症だ。
目の前の兎は相も変わらずへらへらと笑っているが平気な筈はない。
現におどけた様な仕草をしながらも片手は腹部を抑えつけ続けている。

「どこか痛い所は無い? お師匠様の所に連れて行く前に応急手当だけやっといてあげるから」
その表情は先ほどの戦闘時の凛々しい物とも、その前の逃走時の怒りに満ちた物とも異なる。
裏表なく真に憐憫を込めた物を汲み取る事ができる。

「あー。確かにちょっと頭がクラクラするかな。
 あそこの広い所で寝ころんだら少しはマシになるかも」
「頭よりもっと問題がある所があるでしょう……。
 まぁ良いわ。運んであげるから大人しくしてなさい」
そう言って鈴仙はてゐを抱き上げ、部屋の端の方へと運んで行く。

「あー、そうそう、そこそこ。もう少し右が良いかな。あ、やっぱりもう少しまっすぐ」
「こんな床の何処に違いがあるっていうのよ。変な仔ね」
「私ってば繊細だから?寝る場所にも拘るのよ。風水とか」
「初耳ね。此処で良いの?」
「うん。ありがとう鈴仙。後、ごめんね?」
「へ?」

鈴仙の足元の床がぱかりと開くと、二人は奈落の底へと落ちて行った。









◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


落ちる、落ちる二人は落ちる。
暗闇の中を奈落に向かって二人は落ちる。


暫く落ちた所で地面に到達する。
かなりの距離を落ちたにも拘らず、衝撃は殆ど無い。
地面には緩衝材のような物が敷き詰められていた。

同時に落ちてきたはずのてゐの姿は無い。

部屋に一切の光源は無く、一寸先すら見通す事ができない。
だが、鈴仙の聴覚は周囲を取り囲む何者かの存在を感じ取っていた。

この状況で鈴仙が考えるのは、てゐによる策略。
だがしかし、目的も、手段も。
これまでの経験から推測をしても何一つ分からない。

「てゐっ! あんたどういうつもり! 此処はどこ?」

暗闇に向かって問いかける。
しかし、その言葉に答える言葉は帰ってこない。

言葉の代わりに帰ってきたのは、光。
突如部屋に光が満ちる。
暗闇に慣れた眼は、突然の明かりに対応できず完全に視界が奪われる。

同時、
部屋中に破裂音が響きわたる。
火薬の匂いが周囲に満ちる。

「くっ?!」
鈴仙は危険を感じ、咄嗟に急所を守る体制に入る。


だが、何時まで経っても襲って来るべき痛みも、衝撃も無い。
ぱらぱら、ぱらぱらと頬に何かが触れる。
ふぁさり、ふぁさりと髪の毛に何かが引っかかる。

恐る恐る髪の毛に付いたそれを手に取ってみる。
恐る恐る眼を開く。
それは色のついた紙製のテープ。主に装飾に用いられるそれだ。

状況に判断が追い付かない。
だがそれを確認したと同時、部屋中から歓声が上がる。



「「「「鈴仙、永遠亭に来て●※周年おめでとう!!!」」」」



「へ?」


突如として響く大人数の声に、何が何だか分からないと言った表情の鈴仙。
周囲は永遠亭中の妖怪兎達によって完全に取り囲まれていた。

どこからか現れたてゐがゆっくりと近づいて来ると、鈴仙にメッセージカードを手渡す。

「●※周年記念おめでとう。鈴仙」
「て……てゐ。何……これ?」
「何って鈴仙の為のドッキリパーティーだよ。周りを見渡してごらんよ」
言われる通り周囲を見渡す。
相変わらず周りは妖怪兎達に取り囲まれているが、
此処は位置的に普段は物置として使われている永遠亭の地下倉庫のはずだ。

だがしかし、いまではその面影は無い。
埃の溜まっていた床は奇麗に掃除され、
積み重なっていた荷物は整理され脇に集められ、
殺風景だった壁には紙のテープや花で飾りつけられている。
そこは正にパーティー会場と言って全く差し支えのない部屋だった。

どこから持ってきたのか、洋風のテーブルに並べられるのは豪華な料理。
どこでレシピを仕入れたのか、西洋料理、中華料理、日本料理と、
いずれも人参をふんだんに使った豪華な料理が並べられている。
テーブルの中央には巨大なケーキが鎮座し小さな兎達が指を咥えて物欲しそうに眺めている。


「てゐ、まさか、あんた、私に隠して……この準備をするためにあんな事を?」
「そうだよ。鈴仙のおかげで姫様もお師匠さまも本当に明るくなった。私たちも何度も鈴仙に助けられた。
だから一度皆で感謝しようって」
てゐの最後の言葉に周りにいる全ての兎達が大きく頷く。
何の事は無い、今日何時に無くてゐが本気だったのも、兎達が加勢していたのもこの為だったのだ。
だがしかし、


「この為に、あんな危険な奴と闘ってボロボロになったの?」
「そうだよ。大丈夫だよ。傷なんて大穴牟遅様の薬を塗ればさ、ほらっ?」
そう言って、てゐは懐から取り出した薬を傷口に塗りこむ。
確かに、ぱっくりと開いていた切り傷は見る見るうちに治癒していった。
だがしかし、


「馬鹿っ、幾らその薬でも死んじゃったら意味ないじゃない」
「ま、そうなんだけどね。でも無事だったからね。終わり良ければすべて良しよ」
てゐは何でもない事のように、いつものへらへらとした笑みを浮かべて笑い飛ばす。
だがしかし、鈴仙はどうしても納得が出来ない。


その真っ赤な眼は何時にも増して真っ赤に充血している。
口は何かを話そうとしては、うまく言葉にならず、わなわなと口元が震えるばかりだった。


「ば……ばっかじゃないの! わ……私、な……んかの……えっぐ……」
そこから先の言葉は紡がれない。
突然解けた緊張と、感情の起伏に心がついていく事ができない。
自然と溢れ出した涙の訳は自分でも理解ができない。ただひたすらに、頬を滴が伝うに任せる。


「もー泣かないでよ。鈴仙」
「もー。ばかっ……てゐなんて大っきらい!」
「はいはい。私も鈴仙の事大好きだよ」
泣きだしてしまった鈴仙に近づき優しく頭を撫ぜるてゐ。
その表情は長年子を育てた母の如き慈愛に満ちた物であり、普段の幼い顔立ちのてゐからは想像も出来ぬ物だった。
鈴仙は不意に心が安らいでいく事を感じてしまう。

「――ッ?! ば、ばっかじゃないの」
「はいはい。私はばかで良いからさ。早く料理を食べようよ。皆待ちくたびれているよ」
不意に訪れた心の変化を気取られぬよう、語気を強めるがてゐには聞き流されてしまう。

鈴仙の落ち着きを感じ取ったのか、てゐは鈴仙を置いてあらかじめ作られていた壇上に飛び上がった。
てゐは主賓をさて置いてさっさとパーティー開始の号令を掛け始める。
あちこちで巻き起こる歓声の嵐。

鈴仙の事など眼中に無いと言った様子で大盛り上がりに司会を進めるてゐ。
それは、先ほどまで自分の目の前にいた、母の如きぬくもりを持った人物とは全く別の様に感じる。

一抹の悔しさを感じながらも、
その後ろ姿を見ながら鈴仙は少しだけ納得してしまう。


そうだ。これがてゐだ。



自分勝手で、自由奔放で、悪戯好きな兎だ。



皆の事を第一に考えていて、怨念すら感じるほどに計画的で、おせっかいな兎だ。



捻くれ者で、嘘つきで、気まぐれで、まったくもって本当に――











「本当に――この性悪兎が」
「まぁ、財布から費用は抜いとくけどね」





この性悪兎が。
こんばんは。肥溜めです。
二人はきっとトムとジェリーな間柄。
そんな妄想から書きあげてみました。

※この永遠亭は特殊な訓練を受けておりますので、みなさんは決して真似をしないで下さい。

馬鹿だ阿呆だ、間抜けだと互いに罵り合いながらも、何処か通じ合っている。
大事な時には助け合える。そんな二人だと良いと思うのです。
姫様と妹紅も近いイメージなんですが、あっちはもう殺し合いが愛情表現として成立している域に差しかかっていると思います。

お話の中で出てきた鉄塊のイメージは月面着陸船イーグル5号からお借りしています。
永琳に魔改造されているので原型は留めていません。

私の中のてゐは健康の為なら死んでも良いって本気で考えるタイプです。
そうでも無いと、単なる妖獣が神話の時代から生き続けるなんてとても成し遂げられないと思います。
ご感想、評価、誤字報告等お待ちしています。

3/18 タイトル変更しました。「「そんなだからあんたは、」」→2羽の兎と月着陸船及びその愛情表現について

3/20 
・コメント返信しました。
・後半のラストシーンを加筆修正しました。これからも気になる所があれば修正していきます。
3/22
・一部加筆修正しました。

4/6
ツイッタ始めました。制作に関する事などを呟くかもしれません。

◇◇◇


「ありゃ、鈴仙ったら結構持ってるじゃん。ついでに水飴代も借りちゃおっと」
巾着袋からパーティーの費用を抜き取っていると、使いに出していた補給部隊の兎が丁度戻ってきた。

「リーダー! 頼まれた物買ってきましたよ!」
「しー! 鈴仙にバレルでしょ!」
「でも良かったんですか? 結構高かったですよ?」
そう言いながら、何かをてゐに手渡す。

「良いのよ。おやつ代くらい鈴仙にたかれば良いし」
「まぁ、リーダーがそう言うなら良いですけどね。ほらっ、それ渡しに行かなくて良いんですか?」
「う……うるさいわね。今から渡しに行くわよ」

遠くを見れば鈴仙はケーキを兎達に取り分けながら談笑をしていた。

てゐは、鈴仙の顔と手元の物を見比べる。
これを見たら、あいつはどんな顔をするだろうか。
素直に大喜びするだろうか?感謝されてしまうだろうか?それとも、疑って受け取らないだろうか?

しかし、やはり性悪の兎は素直に渡してなんかやらない。
てゐは巾着袋の中にそっと、渡された物を忍び込ませると鈴仙に向かって駆け出していく。

あいつはいつ気付くだろうか。どんくさいから全然気づかないかもしれない。
お使いの途中にでも見つけて、気が動転してしまえば良い。
それでそのまま帰ってきて師匠に怒られでもしたら最高だ。
その事を考えると笑みが止まらない。いつもよりも更に足取りが軽くなる。



ちゃらり、ちゃらりと舞う硬貨の中、
巾着袋に差しこむ光に飴色がきらりと輝いた。
肥溜め落ち太郎
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コメント



0.590簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
鉄塊と戦ってるシーンが凄くかっこよかったです。
オチに感動
4.90奇声を発する程度の能力削除
とても面白くワクワクしながら読ませて貰いました
5.100名前が無い程度の能力削除
b
9.100名前が無い程度の能力削除
これは良い……良い……てゐ×うどんげの略称ってなんだっけ?
11.100名前が無い程度の能力削除
自分の理想を具現化したかのような二羽でした
13.100名前が無い程度の能力削除
鉄塊と聞いて斑鳩の飛鉄塊を想像したのは私だけではないはず。まあそれはそれとして、この作品のおかげで、永夜抄で一番好きなキャラクターはてゐなのだなぁーと気付かされました。
15.無評価遺伝子組み換えダイズ(遺伝子組み換えでない)削除
>3様
ありがとうございます。戦闘描写の練習を兼ねていたのでとても嬉しいです。

>4様、5様
ありがとうございます。

>9様
てゐレーセンでしょうか? 某いえろ~ぜぶらのコンビ名ですけど。

>11様
そう言って貰えるととても嬉しいです。
超絶捻くれ者のてゐを手玉に取ってるように見せかけて、
手玉に取られてる捻くれ者鈴仙が俺のジャティスです。

>13様
斑鳩は気にはなってたんですが未プレイです。
プラモを見てスゲー、カッケーって思った記憶はあるんですが、機体名までは把握してないですね。

人を幸運にする詐欺師って凄い良い響きだと思います。
騙したつもりが、逆に感謝されてしまってムッキーってなるてゐも可愛いし、
人に何かをしてあげるのが大好きなのに、
捻くれ者だから素直になれず騙すって体裁を取ってるって考えても可愛いですよね。
今回は後者のてゐを採用したんですが、何時か前者のてゐを書いてみたいです。
20.100名前が無い程度の能力削除
ラストでほっこりしました。とてもてゐが可愛かったです。