Coolier - 新生・東方創想話

ふたり

2012/02/26 21:29:22
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伸びた手が優しく頸を絞めていた。
満月に満たない月明かりが柔らかく窓から射していた、そんな夜更け。
ビクンと跳ねる動脈の動きも、手を退けようと抗うもう一つの手も、きっと全てが愛おしかった。だから、込める力をまた強めた。

月の狂気を知っている。
だからきっと、満ちる前に君を殺してしまいたかったのかも知れない。






『ふたり』






竹林の中に見知った死体を見つけた。しかも二人分。
片方は焼け焦げているしもう片方は穴だらけ。つまりこれは引き分けを意味する。どちらも勝利を手にしないうちに息を引き取ったのだ。多分無念な事なのだろう。どちらの死体も拳を固めているのが分かる。死ぬ間際まできっと悔しかったに違いない。
上白沢慧音はそのうち、穴だらけの方を引き摺って持って帰ることにした。死体の住んでいた家まで。何も、初めてのことじゃない。開いた穴から血だのがどろどろと流れていたけど、気にすることはなかった。
暫く歩くと死体の出血が止まっていることに気がついた。そろそろ死体は死体でなくなる。筈だ。この世の理に逆らって生き返るのだ。…宗教団体じゃなくて、本当に。それはもう不死鳥のように。もちろん不死鳥なんて見たことはないけれど。比喩表現だ。

藤原妹紅は不死者だった。
だから、永遠を手にしていた。

老いることなく、きっとこの世の終わりまで生きていられる。
この世が終わりを迎えても、きっと死ぬことはない。
羨ましくはなかった。寧ろ、大きな畏れを抱いた。
永遠は孤独だから。誰も彼もが居なくなってしまうから。
だから、そんな風に生きていられる妹紅を畏れた。
「何者でも無くなってしまいたい」なんて、妹紅はよく口にする。本心なのだと思う。誰でもなく何でもなく霧散して無になりたいと、そう思うのは当たり前のことだ。

妹紅は何者でもなくなるために、輝夜と殺し合いをしているのだろうか。
「獣みたいで、お似合いだろ?」妹紅はそうよく言うけれど、それは既に無ではなかった。けれど、感情も何もかもいらない殺戮は、きっと妹紅にとっての救いの一つには違いない。
そこに踏み込むことが出来ない私が居た。だって私は、有死だから。妹紅のために永遠と殺され続けることが出来ない。出来るのはこの幻想郷に一人しかいなかった。それが蓬莱山輝夜。妹紅の仇敵。でもそんなことはもう関係ないのだと思う。始まりはそれとして、今はきっと『永遠に殺しあえる』という快楽でしか、妹紅は輝夜を測れないのだろう。そして輝夜もまた。私は未だとして、妹紅の隣に立つことが出来ずにいる。
…だから、望みもしない永遠を見ないふりをすることが出来ないのかもしれない。例えば、歴史書。私は酷く必死に歴史を纏める。それは、私の書いた歴史が後世に残ることを望んでのことだ。あわよくば、永遠に。私の身が滅びても、妹紅と同じ永遠に。

ふぁァ、と妹紅が息を吹き返した。薄い胸が上下して空気を送り出し、声帯から震わせて間の抜けた声を演出した。そうして喉に薄くかかる圧と勝手に動く身体から、襟首を持って引き摺る私のことを認識した。
「慧音、また拾ってくれたのか。」
「町の人間がうっかり迷い込みでもしたら、どうしてたんだ。卒倒するぞ。」
「目が覚める頃にゃ消えてるよ。それなら夢だったなんて思うさ。」
あははははと大笑する妹紅は、先ほどまで死んでいたとは思えない陽気さだった。輝夜と勝負が付かなかった悔しさを、こうして晴らしているのかもしれない。少し分別をわきまえた子供みたいに。彼女は千年生きてもまだ、大人になりきれて居ないのか。
妹紅が目を覚ましても引き摺ることをやめなかった。起きた分少し重くなった気がする。ずりずりと枯葉の上を引き摺っていると、妹紅ももんぺの汚れが気になるのか自分で歩くと言い出した。そんなことは知らない。これは罰なのだ、勝手に殺し合いをしてしまう妹紅への。どれだけ心配をさせていると思っているのか。
はぁ、とため息を一つついて、扉を開ける。妹紅の家に着いたのだ。相変わらず、そこは人が生きている空気の無い部屋だった。なんというか、散らかっているようでその実“何も無い”というような。何本も酒瓶が転がっていて、煙草が申し訳程度に落ちていて、食料も溜めていなくて、だから今にここが燃えてしまっても、彼女は大して困らないのだと思う。
「わざわざここに捨てに来なくても、どこでも良かったのに」
自分の家に捨てる、というのはおかしい気がしたが、妹紅らしいとも思った。何十年生きてきて妹紅が皮肉を交えない姿を、しかし私はまだ見たことが無い。
「ならお前はどこに捨てればいいんだ」
「いっそ川の中とかならいいんじゃないの。ほら、行く先は知らず。スリルがあるだろ?」
「流れ着いた先の人間が青ざめるのが目に浮かぶよ。どざえもんが急に生き返るなんて」
どこまで行っても、妹紅は不死なのだ。
だから、こんな話も冗談として笑い飛ばせる。でなければ、きっと私は教師足り得ない。
けれど、それでも背徳感を捨て去ることは出来ずにいた。まるで触れてはいけないものに触れようとするような、いや、違う。触れられないものに必死に手を伸ばして届かないような。私はやはり、永遠を望んでいた―――。





「永遠を望まないというのなら、あの子から離れなさい。」
家の戸を堅く閉じて迎えた満月の夜。
何も考えないようにただ書に向かっていた私の前に八意永琳は現れた。
「……何故だ?」
ただそれだけ聞いた。それ以上の言葉は要らなかったし、そうでもしないと高ぶった心が何を口走るかが知れなかった。月の狂気は、私の自制をいとも容易く破ってしまう。
「貴方があの子の傍にいる限り、きっと貴方は永遠を望むようになる。限られた幸せだけでは飽き足らず、貪欲にそれを求めるようになる。だから」
酷く勝手な言い草だった。
けれど、それは酷く的を射ているような気もした。
僅かではあるけれど少しずつ、妹紅と永遠に生きたいと思う自分が大きくなるのが分かっていた。何故かは知らないけれど。
あるいは、月の賢者なら知っているのかもしれなかった。

「私は何故、永遠を望むんだ?」

そう問うたら、月の賢者は呆れたような顔をこちらに向けてきた。
そうして、こう言い放った。

「里の先生様は、まさか恋も知らないわけ?」

恋?
恋だって?
ははは、とこちらこそ呆れて笑ってしまう。だってとても馬鹿らしい事だ。
私が、妹紅に、恋をしている。なんて、
だって、妹紅は女で、勿論私も女で。それこそ永遠にその関係は変わらない。
何があったとしても、何を願ったとしても。
気持ちが高ぶっているからか、私は酷く似合わない大笑いをした。
月の賢者は黙って見ていた。肺から空気が無くなって、咳き込むまで笑う私の様を。

私、らしくない。
こんなことで我を忘れるなんて、いくら白沢になっていようと。

「なら永琳、恋とはなんだ?」
「誰かに執着すること、じゃ無いのかしら」

息を整えて、頭の芯から熱が消えたように思えた。そうして聴いた問いに、賢者はあっさりと答えた。その答えは予め用意しておいたの、とでも言いたげに。それとも、用意しなくてもポンと返せるものなのかもしれない。どちらにしても私の頭の芯が再び沸き立つには十分であったけれど、生憎頭は冷えたままだった。
この賢者に一泡吹かせなければ、なんて冷静な思考が相手の粗を探し続けていた。けれども私には何も無かった。賢者を刺し殺す刀どころか、言い返すだけの術も、何も持っていなかった。

「貴方はまさか、藤原妹紅に執着していないのかしら」

なら、娘を思う母親も、床に伏せる父のために泣く息子も、全てが恋なのか。
私の『恋とやら』はまさしく“それ”の筈だ。そう信じたかった。

「貴方が、それが恋じゃないと望むならそれでもいいのだけれど」

…信じたくないのなら愚かに目を逸らせばいい。
きっとそういうことだった。賢者の目には確かに侮蔑の色があった。そして、憐憫。





―――けれども、絶対に恋ではなかった。
それはあまりに上白沢慧音には似合わない飾りであったし、藤原妹紅にも似合わない。分かりきった事だ。永遠を望むのは、ずっと傍らにいたいと望むのは、友情というものの筈で。

「妹紅は、恋とは何だと思う」
「……恋? 慧音、あんた熱でもあるのか?」

それでも、月の賢者の言葉を戯言として流すことの出来ない自分がいた。
あるいは、妹紅なら、答えを持っているのかもしれない。

「恋、ねェ…。ま、有体に言うなら中身の無いもの、ってところじゃないの」

恋には、中身が無い。

「それは、どういう意味だ?」
「言葉通りの意味さ。愛と違って恋ってのは刹那的な物だろ。だからスカスカで、まぁスカスカなものは良く燃える。だから、そういうことだろ」
「……そういうことなのか?」
「さてね。私から見たら、って話さ。他の奴は他の奴なりに答えを持ってるだろうよ。」

ああ、そうなのか。と納得する自分と、そうなのか、と首を傾げる自分がいる。戯れに聞いただけだと言うのに。私の学者肌な部分が疑問を突き止めようとするのかもしれない。

「なら妹紅、愛はどこから生まれるんだ? 恋とは隔離された何かとするなら」
「愛、ねぇ…。――これはあくまでこれまで生きてきた観察からだけれどね。それはきっと狂気からしか生まれないよ。もしかしたら恋なんかよりもっと恐ろしい」

妹紅にとって、恋と愛は何の因果も無いものなのだろうか。…私はそうは思えなかった。恋があるから愛がある。愛があるから恋がある。そう信じていたかった。永琳の言うように、全ての執着が恋に終始するのであればそれは滑稽過ぎる。親子愛も友情も、何もが恋足りえるから。また、妹紅の言うように愛が恋というものと関係なく生まれる狂気の産物だとするのもまた。

「本当、どうしたんだよ突然」
「いいや、少し思うことがあって」
「へぇぇ。先生様は大変だねぇ」

仮に、愛が狂気の産物だとして、それは即ち全ての狂気が愛情に変換しうると言うことだろうか。或いは、全ての愛情が狂気に変換しうる、そのどちらでもかまわないけれど。――兎に角、私は一度でも彼女に狂気を抱いたことが無いと言えるだろうか。そもそも狂気とは何か。定義と言う曖昧な何かは捕らえ続ける。困惑を冴えさせ続ける。

―――出来ることなら、君の傍にいたい。君が生きる永遠を傍らで見守りたい。それは、友として。つまりは、同情。その馴れ合いを最も君が嫌うことだと知っていた。けれども君は私のそれを拒絶はしなかった。無かったことにしてくれている。だから、それに甘え続けている。友であり続ける。敬虔な友として、同情し続ける。贅沢で高慢な願いだと理解してはいるんだ。今を「生きる」ことが出来る私が「生きられない」君を羨むなんて。けれども痺れる様な感覚を錯覚するように、その禁忌に手を伸ばし続けている。






妹紅の家を去って、足早に自宅に帰る。飯は作らない。その手間が面倒だ。寺子屋も空けていない今日はゆっくりと過ごすためにあった。冷たい夜が訪れるまでの明るいこの時、確かに人は自由だ。恐ろしい夢におびえることも眠ることの出来ない苦しみに喘ぐ事も無いのだから。まどろみの中に溶けてゆく。そうしなければならない。それが今精一杯の安寧を生み出したこの世界への礼儀だ。
うっすらと、煩悶。君の傍にいたいと望むことは愚かだろうか。愚かなのだろうか。それを恋としないとすることは本当に正しいのだろうか。ならば何として考えればよいのか。
ふらふらとまどろみは全てを呑み込んでくれる筈なのに、一向にその役目を果たそうとはしない。そもそもどうして眠ろうとしたのだろう。普段ならば昼飯を食べているくらいの時間だ。腹が減って鋭敏になることのでなく、こう眠ろうとするなんてどうにかしている。

むくっと起き上がって机に向かった。筆を執る。
この書だけでも永遠になればよいのに、なんて。似合いもしない願いを込める。
藤原妹紅は上白沢慧音が死んだとき、どのような顔をするのだろう。
――死んだ後、どのような生き方をするのだろう。
輝夜とは相変わらず殺し合うのだろうけど、その他は?
…不思議と思い浮かばないものだ。彼女の顔も声も忘れられることの無いくらいに常に傍にいるというのに。
少なくとも、彼女の生きる永遠が孤独なものでないのなら、それはとても良いことに思えた。







退廃の中の衝動というのは酷く刺激的なのかもしれない。
少し寒さを感じるようになった夏の暮れ。そろそろ秋が迎えに来る。そうしてすぐに去ってしまうのだろうある晩。何発も花火が上がっていた。
欄干に肘を乗せて夜の空を見上げていた。妹紅も同じように見上げていた。

「…綺麗だ」

ぼぅ――っと見上げていると、口からふと言葉が出た。妹紅はそんな私を見てぽかんとして、それからまた同じように見上げた。

「そうかなぁ」
「綺麗だよ。空にあんなものが浮かんでいるなんて」
「……へぇ、あんたも意外と感傷的なんだねぇ」

ぱぁん、ぱぁぁん――。
破裂の音に少し遅れて激しい明滅。一瞬の色彩の波。
筋肉質な腕をした半裸の男が新たなタネを抱えて川の傍を走る。あの煤汚れた玉からあそこまで色彩豊かな花が生まれるのだ。男の行く先を眺めている妹紅に気が付いた。彼女はきっと、懐古と嘲笑の入り混じった顔をして男を見つめていた。

「確かに、綺麗だ」

口を薄く開いて、妹紅はそう言った。すぐに二の句を次ぐことは分かっている。

「幻想郷は平和だよ。いいや、外だって今は平和なんだと思う。なんたってこんなにも花火が綺麗なんだから」
「…だから?」
「……あの光は蛍火だよ、慧音。儚くて脆い、どこまでも欺瞞で溢れた、綺麗な光だ。あの花は本当なら、人を殺すためにあるかも知れなかった花なんだから」

妹紅は世に溢れる矛盾やら歪みやらによく気が付く。いや、始めから知っているのだ。この世のあらゆるものが、どこからか見れば間違っていること。それを皮肉として吐き出すのは、綺麗な唇だ。少女と大人の狭間で留まった存在はこの世の全てを殺していく。

「滑稽か?」
「いいや。けれども慧音、見てみなよ。」

妹紅が欄干の下の子供たちを指差した。陰に隠れて空に浮かぶ花を見上げている。よれた着物を着た何も知らない子供たち。

「もしこの幻想郷でまた妖怪と人間とで戦争があったなら、彼らはその手で何を取るのかなぁ。鍬? 刀? それとも銃?」

ぱぁん、と音が響いた。それと同じに妹紅は指で模った銃を花に向けて撃つ。

「……人は皮肉の中で生きてるよ、慧音。いいや、人こそが皮肉そのものなんだと言ってもいい。…器用すぎるんだよ。長く生きる妖怪にもなれなければ、たった一つのために生きてゆくけだものにもなれない。何時までも矛盾した自己をいくつも保持して生き続けなければならない」


矛盾した、自己。
半分が皮肉で出来ているという私も、それを少なからず持っているとしたならば。

「仮に、だ。妹紅」

このわだかまりを君にぶつけよう。月の賢者の言うことが正しいのか、正しくないのか。

「誰かの生きる姿を見て、それと共に歩こうと、その先を見てみたいと。そう思うのを、お前は何だと思う?」

それは、君の嫌う同情でしかないのだろうけど。
君だって、それを受けているのは分かっているのだろうけど。

「……皮肉、だ。それは皮肉だよ、慧音」

妹紅は視線を落とす。どうしてか落とす。
胸に閊えた何かを必死に吐き出そうとするように、重々しく息を吐いて。

「行き過ぎた同情は一種の狂気にしか成り得ない。それは妖怪もけだものも持てない、綺麗な、けれども歪な嘘だ。厄介なことに自らも騙し続けて何かを規定し続ける。」
「その嘘は、ありふれた何かを一つの高尚な何かに仕立て上げる、と?」
「そうだよ。そうして時が経って、嘘が嘘の価値を無くして行く。嘘であったという事実を否定して、嘘を本当にしてしまう」

だから、それはただの狂気だ。

「慧音が、仮にそれを誰かに抱いているとするならば、」

私は気が付いてしまった。
藤原妹紅の皮肉。藤原妹紅の矛盾。……いいや、気が付きたかった。気が付いてしまっていると思いたかった。

藤原妹紅が上白沢慧音の同情に気が付いているというのは、あくまで私の想像だ。
藤原妹紅が抱く矛盾、というのは、あくまで私がそうであって欲しいと望むこと。

「あんたの不器用さは、器用を不器用に変換してしまうと思うから、」

藤原妹紅は、尊大で、それでいて酷く臆病で、ひとりぼっちで。

「その同情を捨てるべきだ。捨てて、それからすぐに誰かの前から消えるべきだ」

それを酷く嘆いている、と。
そうであって欲しい、と。常に私の主観はそれを求めていた。


私は、上白沢慧音は、藤原妹紅に必要とされていたい。
ただ、それだけのことであるのだ。

妹紅は以前、愛とは狂気の産物でしかないと言った。
行き過ぎた同情が狂気でしかないのなら、同情は、愛に変換される?


ぱぁぁんっ――!
おおっ! と人々が声を上げた。今日一番の大玉だった。
水面に夜の花が映る。揺られて、歪。

「……皮肉ばかりだな」
「……そんなものだよ、人なんて」

花火の音が止んだ。人々の熱も冷める。
――きっとこの熱は人が夢を見るために生まれた熱なんだ。歪で、独りよがりで、残酷な夢。死の匂いを漂わせた花が夜に咲くみたいに、皮肉の込められた夢。つまりは嘘。

自分の中の熱が、急速に冷めていくのを感じていた。
ああ、なんと馬鹿らしい。
恋だの、愛だの、同情だの。そんなこと。

結局は私は妹紅と共にいたいのだ。
妹紅の特別でありたいのだ。
日頃輝夜と妹紅が殺し合いに出向くときに感じる怒りとかは結局、嫉妬から来ていて。

上白沢慧音は、藤原妹紅をたったひとりのものにしたいらしい。



がやがやと人々が去っていく。あっという間に私と妹紅は取り残される。
それでもずっと私たちは遠くを見続けていた。水の流れる先を見続けていた。
薄い靄のような煙は月を遠いものにする。満月に満たない月はその光を届かせることが無い。それはきっと幸せなことなのだ。

狂気に包まれる前に真実を知れてよかった。


妹紅。
君の名を呼べば、君はきっと振り返る。
そうして知るのだろう。君の言う皮肉が確かに真実であったこと。
君の望む(と私は信じている)藤原妹紅のあり方を充たそうと、私が決意してしまったこと。そうして、私がそれすらも捨て去って、自分のためだけに君をひとりじめしようとしていること。
私はそれを知ってほしいのかも、いいや、知ってほしい。
上白沢慧音が藤原妹紅に依存するために、絶対に必要なことなのだから。


「…帰ろう、慧音」

妹紅が振り返る。今日は妹紅が私の家に泊まることになっていた。私も後を追う。
もしも妹紅がひとりで居たいのなら、こうして歩む速度を合わせてくれるだなんて事をしないだろうから、だから私は受け入れられているのだと思いたい。
今ならば、不器用な嘘を器用に信じることが出来る自信があった。愚かしい望みが真実であると信じ込む強さがあった。
前を歩く妹紅の姿は酷く細い。それを頼もしく思う思慕の念と、どうにかしてしまいたいと思う欲望とが交じり合って心臓がドクンドクンと鳴っていた。きっとこれまでだってこのような不安に苛まれる事があったに違いない。今までそれを気が付かないフリをしていただけなのだ。
馬鹿だ。
私は馬鹿だ。
けれどもその愚かさの先を、私は一瞬のうちに覚悟してしまった。そうして、受け入れてしまった。
私はどうやって妹紅を自分のものにしよう。
上白沢慧音の、狂気を避けた狂気には、それだけの考えがぐるぐると渦を巻いていた。







―――だから、背徳感と懺悔の入り混じった思いが、妹紅に対して浮かんでいた。
窓から照る月の明かりは今確かに私に届いていた。それがいっそう、狂気を冴えさせる。満月には満ちていないけれども、けれども。

すうすうと寝息を立てる君はまるで無防備だ。刃物か何かで襲い掛かったならきっとこのままに死んでしまうに違いない。



そのまま手を伸ばす。妹紅の首筋に触れる。ピク、と撥ねた気がした。トクトクと音がする。動脈の――妹紅が生きている証の――音だ。そのまま、首を絞める。妹紅の顔が顰められる。妹紅の手が伸びる。爪を立てて腕を引き剥がそうとする。どうしようもない痛覚と共に赤い血が流れた。けれども、その腕も動作もすべて愛おしいものに思えたから、妹紅の腕から逃れようとは思わなかった。腕の力を強める。妹紅の目が開く。涙目の、悲しむような疑問の目。『――どうして?』 そう言いたげに見えた。……理由など知れている。君の全てが欲しい。君の死んでゆく様を見た事がないのだから、私は見なければならない。君の絶望する顔を見た事が無いのだから、今こうして見ているのだ。どうしてそれを分かってくれない? さらに力を強める。妹紅の首の折れる音が響いた。最後の瞳に映る思いは、『信じていたのに…』。そうだ、君は私のことを信じていたんだ。そうして、私に裏切られたんだ。君の目から流れる涙を舐め取ってやった。どうしてか塩気の強い味がした。ビクンという感覚が手のひらに確かに残っている。君の再び目が覚めた後、どうやって君と過ごそう。君の望むこと、それは何だ? 私を殺したいと思うだろうか。それとも、再び一人で生きようとするだろうか。―――それは、違う。違う!

違うんだ!


違う違う。何もかもが違う!
私は妹紅を殺してはならない。そうだ、今も妹紅はすうすうと寝息を立てている。隣で。それだけの絶望を、妹紅に与えてはならない。妹紅を再び不信の底に突き落とすだなんて。そんな、そんな。


藤原妹紅を上白沢慧音が手に入れることは、出来ない。
覚悟など意味の無いことだ、何をどうしたところで、永遠を共に歩くことは出来ない。
それが結論だ。有限の者に、無限を手に入れることなんて。


目の前には、千年という歴史の全生涯が横たわっている。
私はこれから先の生涯で、その中のどれだけを知ることが出来るだろう。
私はその中の、一体どれだけを占めることのできたろう。

恋、愛、同情。そんなものに規定されなくてもいい。妹紅の傍にいたい。
けれどもそれは、永遠を手にしていない私には到底無理なことである。
初めて、蓬莱山輝夜が羨ましいと思った。彼女は、私の持っていないもの、その全てを持っている。永遠。それだけじゃない。藤原妹紅の死に顔を知っている。藤原妹紅の血の味を知っている。そのどれもが上白沢慧音には届かないものだ。



どれくらい経ったろうか。
何刻も経って、もう朝が来てもおかしくない筈なのだ。なのに、どうして夜は明けない。
どうしてこうも、私の視界は歪んでいるのだろう。

八意永琳が憎い。
奴の言葉さえなければ、きっと幸せな馬鹿のままでいられた。
蓬莱山輝夜が憎い。
奴が妹紅を蓬莱人にさえしなければ、きっとこんな思いも抱かずに済んだ。
藤原妹紅が憎い。
どうして蓬莱の薬など飲んだのだ。どうして、幻想郷になど流れ着いたのだ。
上白沢慧音が憎い。
 こんなにも愚かでなければ、今更になってこんな風に泣くことなんて無かったのだ。
 
 
 
 終わりを。
 終わりを望んでいた。
 それこそ、いつかの永夜のときより、ずっと。
 今このときのほうが、永夜のように思えたのだ。
初めましての人は初めまして。お久しぶりの人はお久しぶりです。カルマです。
ふと、こんな話が浮かんだので書いてみました。
よろしくお願いします。

*二月二十九日 誤字を修正しました。ご指摘ありがとうございます。
カルマ
https://twitter.com/#!/ark11karma
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コメント



0.290簡易評価
1.80奇声を発する程度の能力削除
どこか切ない雰囲気が良かったです
4.70保冷剤削除
慧音の迷走っぷりがいい具合に醸されてます
6.100春日傘削除
全てに行き詰まった者の心情が溢れでていてよかったです。
慧音先生というかA型っぽい女性のドロッとした感じが如実に表現された良作だと思いました。
この後の事を想像すると若干怖気が走ります。
そんな所も良かったです。
9.20名前が無い程度の能力削除
悲しい…悲しい…
11.90名前が無い程度の能力削除
この二人の行く末を見届けてみたいと思うのも狂気なのでしょうか。
あと恐らく誤字だと思うので報告です。地の味→血の味?
13.100名前が無い程度の能力削除
あけない夜はなく、永夜はその歪さ故にいずれ崩れる。
今この時の『永夜』が破られた時、彼女らはどうなっているのか。
終わりの慧音の独白がとても印象的でした。