Coolier - 新生・東方創想話

覚り恋し

2012/02/16 01:39:22
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 喧しい雨夜だったと記憶している。

 突然月が隠れ雲が怪しくなったと思ったらすぐに降ってきて、折角洗濯したのに衣服が濡れてしまい。流石の私でも天気は読めない……などと思っていた。

 近寄りもしない下女達の行方など知りもしなかったが、妹がどこにいるかだけ分からなくて気掛かりだった。あの子は思いもよらない場所に移動しているから、外にいなければいいのだけれど、と心配していた、覚えがある。

 もうどのくらい昔のことかは覚えていないけれど、あの日だけはおぼろげにも覚えている。そんな自分に、馬鹿ね、と罵った。

 ………雨は、きっと物の怪を連れてきたのでしょう。人のことは言えないけれども、やはり人間にしては珍しいだろう。私はきっと、あんな人間を「ペット」などと呼べない。近いけど、ちょっと違う。妹には内緒にしているけれども、少しだけ好意……のようなものを持っていたような気もする。きっと若かったからでしょうね。

 ……支離滅裂ね、順番に思い出しましょう。確か、出会いは――。







 突然、酷い雨が振り出した。

 流石に「滝のような」とは言わないけれども、それでも嵐かと思うほどに。昼までは晴れていたくせに、狐の嫁入りにも程がある。全く、嫁入り途中で喧嘩別れでもしたのだろうか。

 私は洗濯物を干していたことを思い出し、既に濡れているだろうと確信しながらも取り込まないわけにはいかないので物干し竿がある洗濯場へと向かった。しかして急いでも急いでも見えるのは廊下ばかり。この時ばかりは無駄に広い我が家が憎く感じられた。それ以上に、パタパタと精一杯走っても大して距離が稼ぐことができないこの短い足に少しばかり劣等感を持った。少しだけ。

 そうして、私なりに急いで洗濯場に辿り着いたものの、案の定濡れていた。妹の服も私の服もあまり代えは無いというのに、困ったものだ。雨が明日明後日までくらいならば凌げるから良いのだけれど、それ以上となると部屋干しの変に乾燥した服を着なければならなくなる。
 いや、そんなことを考えてる場合じゃないと思い直して、いそいそと服を取り込む。一応軒屋根の下であったからある程度しか濡れていないのが不幸中の幸いだろうか、とも思ったけれど、どちらにせよ濡れていることに変わりはなかった。五十歩百歩とは誰が言ったのだろう。

 いったい下女は何をしていたのか、と。考えたところで思い出す。あぁ、そういえば夜は実家に帰らせていたな、と。彼女達は麓の村人だ、昼間に屋敷の掃除をさせて駄賃をやる、それだけの関係だ。下女とも呼べぬ、掃除人。どうせ私と妹だけの屋敷なので、炊事洗濯は私がやったほうが早い。どうせ暇なのだし、ね。
 などと考えている場合ではなかったと再度思い直す。全く、一つのことを考え出すと思考がそちらへ向いてしまうのは困ったものだ。どうにか直せないものだろうか。

 しかし濡れた洗濯物を絞って、干し部屋(誰も住んでいないため部屋干し専用で使われてしまっている)の紐に干しなおすと、今度は妹が心配になってくる。あの子は思いもよらぬ場所へとふらりふらり消えるから、姉の私であってもどこにいるのか分からない。流石に無意識すぎではないかと懸念してしまう。

 あぁ、あの子はどこにいったのかしら。外に出ていなければいいのだけれど。

 思わず、といった風に妹を探そうと屋敷を歩き回る。どうせ暇なのだから、問題ない。
 ふらりふらり、とあの子のように、されど意識は保ったまま彷徨い歩く。はて、こちらにもいない。さて、そちらにはいるかしら。


 ……結局、屋敷にはいなかった。外、なのだろうか。
 この雨の中を? 大変、あの子が風邪を引いてしまったらどうしよう。

 看病するのはどうせ私だし、あの子だって妖怪なのだから死にづらい。風邪を引くだけ私の面倒が増えるだけなのだ。引かれては困る。林檎を剥くくらいはしてあげるのだけれど。

 仕方がない、と高下駄を履き傘を差して探しに行く準備をするが、はたと気づいた。
 私の妹とて子供……っぽいが、子供ではないのだから、どうせいつか帰ってくるだろう、と。何せ無意識に動く妹だ、私が適当に歩いても見つけることは不可能に近い。
 何をしているのだろう私は。どうにも冷静じゃない、意外に、私は妹が心配なのだろうか。

 まぁ、ここまで準備してしまったのだから少し、門の外くらいまでは見てきても良いかもしれない。そう考えて雨の中歩く。
 と、いっても門など本当にすぐそこだ。たいした労力ではないのだからあまり変わらない。本当に、なぜ屋根続きにしないのか……まぁ、様式美とか防犯上とかあるんでしょうね。防犯はどうかわからないけれど。

 ぱちゃぱちゃ、軽快に弾ける水溜りは私の足を少しだけ濡らしてゆくが、別に気にするほどでもない。いつも屋敷の中にいるから、こういうのは新鮮に感じる。
 渡り石は濡れて滑りやすくなっているな、と思っていつもよりゆっくり歩く。それでも水滴が跳ねるのはご愛嬌。からりころりと響く筈の下駄の音も雨に紛れてしまって聞こえづらい。

 とめどないことをつらつらと考えていれば、もう目の前には正門が。どうせ滅多に来ない客以外勝手口しか使わないのだから、もう少し小さくてもいいだろうに、と思うような大きさ。とりあえず私が見上げ続けると首が痛くなるくらい。
 大きな門の少し隣に設置されている小さな扉、つまり勝手口なのだけれど、それを開いて辺りを見回す。

――やはりいない。まぁ当然だ、そもそもあの気ままな妹がこんな近くにいるはずがない。外に出るならもっと遠くへ出るような放浪癖だから困っているんだ。結局無駄足だった、と踵を返す。

 と。その時、声が聞こえた。私だけが聞こえる、心からの波。

(今日は雨か……困った。少しばかり雨宿りをしているものの、このまま夜を過ごすわけにもいかないな)

 波の出所はすぐそこ……勝手口からは見えづらい門脇に、男が立ち呆けていた。
 杖を突いた四十…いや五十? 琵琶を背負ったそのくらいの男が蓑笠を被って立っている。杖を突くその姿は、旅服を着る人間には少しばかり珍しい。どうやら雨に困っているようだ。

 興味が湧いた、とでも言えば良いのだろうか。気づけば、手を差し伸べていた。男は私に比べて少々長身であり、差しのべた筈の手は下から男に向かう、というのは何とも情けないように見えるけども。
 しかし男は意に介さず、私が「私の家で少し泊まりませんか」と聞けば、驚いたように、しかし目をつむったままこちらを向いた。


 そこで初めて、私は人間に興味が湧いた。







(いやしかし助かった。だが、声音からして幼子……しかも女子だ。このような、大の男が突然上がり込めば親御はどう思われようか……)

 入らぬ心配をする男。彼は、盲目だった。
 雨に濡れたまま入れるわけにもいかない、と彼には蓑笠と衣服、琵琶を軒下に干させ、屋敷にあった白装束を着させた。以前の持ち主の物だが、これしかなかったのだから仕方が無い。縁起が悪かろうが我慢してもらう。そもそも私自身が縁起の悪いものなのだ。
 しかしこの男は喋らない。別にどこかしらに傷を負っているわけでも無し、無口なだけか、はたまた生まれつき喋れないのだろうか。
 盲目でもあるのに、何とも不憫な事である。人で無しの私は何とも思わないが。

「杖は……」

 そういえば、と思った。彼は盲目で、杖が無ければ歩けない。杖は今どうしているのか、と聞こうとすると、なんとそのまま持ってきている。
 常識的なのか非常識なのか、まったく呆れてしまった。もうあれは諦めてしまい、明日にでも人間の女中に拭かせるとしよう。

(……? あ、あぁ。しまった、杖をそのまま持ってきてしまったのか。しかしこれが無いと私は歩けないのだが、仕方が無い。迷惑をかけるわけにも)
「あ、そのままでよろしいですよ。部屋に入る前には少々布で拭いてもらいますけど、まぁ今は布も無いですし」

 まさか私の着物で拭くわけにもいくまい。
 と、横から驚いたような雰囲気……というよりも心が伝わった。そういえば、心が読めるさとり妖怪としてここら辺で有名であるし、更にこの第三の眼があるから皆分かっていたのだが……そうか、彼は知らなかったわね、と思いだす。

(どうも会った頃から間の良い返事をしてくる幼子だ。まるでこちらの考えを読んでいるような)
「いるような、ではなく。読んでいるのですよ」

 丁度良いので自己紹介。妖怪に礼儀も何もあったものではないが、少なくとも私は人間社会に関わっているのだ。

「私はこの辺の地主、古明地家のさとりと申します。一応、家主ですがね」
(さとり……とは、聞いたことがあるな。確か、読心の妖怪だったか……?)

 意外に知れ渡っている、などと考えない。なぜなら私は、帝の直臣からも「心を呼んで暴いてくれ」と罪人を持ってきて頼まれるのだ。有名じゃない方がおかしい。何せ神の子孫である帝の直臣が妖怪に頼むのだ。可笑しな話。
 まぁ、結局心まで取り繕わないと、と頑張っている直臣の心の中が罵倒と侮辱だらけなのはつまらなかったのだけれど。本心、というのは隠せないものだ。
 だというのに。

(ふむ、妖怪といえども見ず知らずの人間を招いてくれるとは、きっと良い妖怪に違いないな)

 おかしな男だ。悪たれ、と人間が望み生まれた妖怪に良い悪いも無いだろうに。独善か、それとも無知か。この男を招いたのは気まぐれだが、中々珍しい人間を連れてきたかもしれない。
 と、部屋についたので、部屋から適当な布を取り男に渡す。男は、手で触って布の大きさを確認してから、杖を一通り拭き、手で杖を触って濡れていないか確認してから布を差し出してきた。

 慣れている、と思う。盲人は結構見てきた。火傷や怪我で失明した人間も、元々光を映し出さない人間も。この男は、きっと後者だ。

 差し出してきた布を受け取り、ほいと捨てる。とりあえずそこら辺に座らせ、お茶を汲むと言い残して退室。
 台所関係は私だ。見ず知らずに雇われただけの人間を、厨房に寄せ付ける程甘い妖怪ではない。衣服などどうとでもなるが、毒は少々つらい。それに、料理は嫌いじゃない。

 茶と、少々の茶菓子……と言っても団子だが、それをお盆に載せて部屋へ戻る。どうも私が女中に思えてきたが、家主の筈である。
 と、また心が。

(生まれ出た頃より見る事叶わない目は諦めたが、まさか声の方を聞いてくれる人……まぁ妖か。いるとは思わなんだ。人と会話が出来る……喜ばしいな)

 人ではないと言うのに……本当に可笑しな人間である。
 ただ、欠落している人間、といえばやはり妥当だろう。彼は光や声と共に恐怖を失ったのだろうか。

(嬉しや。……おぉ、そういえば心が読まれるんだったか。失敗だな、不愉快に思われなければ良いが)

 不愉快どころか。

「面白い人ですね。貴方の様な人間はあまり見ませんよ。お茶とお菓子は、目の前に置きますね」
(おぉ忝い。いや、広い世なのだ、私の様な奇特な人間もおりましょう………ほぉ、団子、か? ありがたく頂戴する)

 座ったまま手を這わせ、更にたどり着くと団子に触る。その仕草は改めてこの男を盲人であると認識させた。先程まであれほど堂々と歩いていたのは、杖に対する信頼かあるいは光が無い世界への慣れか。

「えぇ団子です。下手に凝ったものよりかは良いかと思いまして」

 本当は団子以外無かっただけであるが、まぁちょっとした見栄である。

「さて、少しばかりの時間とはいえ、こうして縁も出来たことです。貴方のお話でも聞かせてもらえませんか?」
(おぉ、私もまさか話が出来る相手がいるとは思わなんだ故、願ってもいないことです。では少々ばかり、奇特盲人の苦労話でも聞いていただきたい)

 自分で言うとは。自嘲の意味合いも含まれて無かった為、事実として受け止めているのだろう。
 本当に奇特な男だ。







(――そうして、やっとこさここまで来たのです。いや、やはりこの年になっての行脚は中々厳しい。世間様も厳しいときたもんです)
「人は異端を嫌いますからね。性なので仕方が無いのです」

 パラパラと雨も上がり始めた。もう真夜中であるから、この男の帰りは朝となるだろう。
 中々、面白い話が聞けた。

 行脚する者の話は結構聞く。やはり旅人、というのに憧れる者もいるのだ。そうした旅人を称する者たちがこの屋敷に訪れ、さとり妖怪を一目見ようと謁見を求めるのだ。
 勿論、お帰り頂いた。私は見せ物ではない。偶に、妹に気に入られて標本にされる者もいたりするが、運が悪かったと思ってもらう。

 しかしこの男は盲人で、更に声無しだ。明らかに苦労するだろうにもう日ノ本の半分を行脚した、というのだから驚きである。琵琶を弾いて即金を賄っていたのだと言うが、それとて早々出来るモノではない。あとで聞かせてもらおう。
 出雲やら、安芸よ伊賀よ堺、越後なども行ったという。なんとも波乱人生であるのは羨ましい。これは人の寿命が定まっているからこそ、最後に、と行動できるからだろう。私たち妖怪にそういったことは殆どない。あるとするなら、妹の様な無意識での放浪くらいか。
 ところで何故盲目だというのにそれほどまで分かるのか。と聞くと、親切な人に教えてもらったのだと帰ってきた。親切な人、というのはよくわからない。私が見てきたのは表で恐れ慄き裏で煮え滾る阿呆な人間だ。変人は、そうこの男くらい。

 と。

「おねえちゃーん?」

 今更、と言っていい程遅い時間に帰ってきた。もう蝋燭が尽きそうだ。まったく、さっさと帰ってくれば面白い話が聞けたものを。

「こっちよ、遅かったわねこいし」

 障子から廊下に半身だけ乗り出して手招きする。案の定妹はふらふらと廊下と部屋の間をさまよっていて、こちらに気づくと真っ直ぐに走ってきた。

「ただいまー。なんか軒下にゴミが落ちてたけどあれ何?」

 明らかに衣服と蓑笠であろうものを躊躇わずゴミと称す妹が心配である。

「こっちの人間のものよ。捨てちゃダメよ?」
「はーい」

 それだけ返事すると、パタパタと自分の部屋へ向かおうとするこいし。我が妹は本当に自分勝手だが、まぁ別に咎める程じゃない。とりあえずこれだけは、と妹の背中に声をかけた。

「お帰りなさい」
「ただいま、おねえちゃん!」

 数瞬振りかえり、それだけ言い残すとこいしは今度こそ自分の部屋へ戻った。

(………可愛らしい声の幼子だ。妹君で?)
「そうです。私の妹のこいし、と言います」
(ほほぉ、良い名前です。何分、兄弟姉妹がいなかったものでしてな、いや羨ましい)

 ……私は心を読む妖怪。それを、この男は分かっているのだろうか。

「そうでしょう。それと、あの子は心を読めませんよ。まだ未熟なので」

 ビクリ、男の身体が一瞬だけ震えるが、その一瞬で十分である。
 心の中で考えたことであっても並列に考えたことであっても、心を透かすのが私という妖怪。だからこそのさとり妖怪なのだ。
 この男、先ほどの言葉と同時に、「あの娘も心を読むのか」と問うてきた。ばれまい、という意識の下ではなく、やはり頭の隅を過ぎる程度の考えだったのだろう。それも読んでしまうのだから、こいしは。『目』を閉じたのだろうと思う。

(……成程、貴方が怖れられる理由が何となく分かりました)
「でしょうね。心でしか喋れない貴方でさえ、こうなのだから」

 さて、男はこれで私を怖れるのだろうか。
 これほど奇特な人間は初めてだが、結局は人間だというのか。それとも。

(…………)

 沈黙、しかしその裏でさえ、色々な言葉が廻っていくのが手に取るように分かってしまう。
 「それを喋らなければ怖れられない」「この妖怪は悪い者では」「幼子」

 ……あれ、この男、私が善である事を肯定する言い訳を考えている。
 ここまでおかしな人間は本当に初めてだ。心の裏までこんな考えが出来る者はそういない。

 それに、私を肯定しようとするものも。


(まぁ、そういう方もおりましょう。何、考えれば、自分が考えている正直な事を教えてくれるのですから、これほど凄い方もそうおりますまい)

 その切り返しは予想していなかった。私を己の鏡としようなど、逆転の発想、というべきだろうか。私が鏡となって相手を脅かすのが常なのに。
 この男といると、どこか楽しいと感じる私がいるのが分かる。

「ふふ……。なぁに、それ。予想の外を行く人ですね、貴方は」

 もっと話していたいが、蝋燭が尽きてしまった。月明かりだけが部屋を照らすが、その優しい光はあまりにも頼りない。

「さて、もう夜も遅い……寝所へ案内しますから、今日はもうお開きとしましょう」
(そうですな。はっはっは、いや私も楽しかった。――言葉を交わす事が、もう出来ぬので)

 ……人は時に、欠損を持つ者を「異形」とし、「妖怪」と呼ぶ事がある。
 彼もまた、妖怪なのかもしれない。

 そんなことを思い、明日またこの男と話す事が出来る、と楽しみにしている私は。
 まるで人間の少女の様だった。






 お姉ちゃんが珍しく人間を家に上げてる。
 結構、旅してるって言う人間が結構来るけど、お姉ちゃんが家に上げるのは初めてのことじゃないかな。
 旅人と言う人間の中には面白い人間もいる。例えば、私は全国を行脚して教えを広めた、と言う人。例えば、地図を造っているのです、と言う人。
 そういう人達は結構面白い話を持ってくる。私はその話が結構楽しみだったりするんだけど、今日はお姉ちゃんが気にいる程変な人間なんだろうな。

 私もお話が聞きたかったけれど、多分もう話は済んだ後だと思う。そうなると、まぁお姉ちゃんに聞けばいいのだし。

 たまに、欲しいな、って思う人は私の収集物の中に入れる私だが、今日の人はどうしようかしら。
 私はどっちでもいいけど、お姉ちゃんが欲しがるだろうしなぁ。

 あ、でもお姉ちゃんが欲しがるって言う事は、凄く面白い人かもしれない。じゃぁ私も欲しいな。そうしようかな。そうしよう。うん。

 だって、自由気侭が妖怪じゃない――。







 朝起きたら嫌な臭いが漂っていた。結構な頻度で嗅ぐ臭いで、このご時世では別に珍しくも何ともないのだけれど、やっぱり家で臭うのはおかしいと思う。
 だから、というわけではないけれど、何だか嫌な予感がした。

 だから、というわけじゃないけれど、私は部屋着のまま廊下に出て、こいしの部屋に向かう。
 こいしはいなかった。

 だから、というわけでもないけれど、私は昨夜の男の寝所へ向かった。
 こいしがいた。

 だから。

 だから、と言うべきなのだろうか。

 男が死んでいた。


 両足を縛り、両手を五寸釘で打ち抜き、駄目押しとばかりに心臓には杭が。
 むごい。むごいが、こいしの「標本」はいつもこの手順だ。私は何度も見てきたから分かる。

 こいしは私に気づいたようで、その手と服を血で濡らしたまま無邪気に「おはよう」と挨拶をしてきた。

 釘で打ったら床に穴が開くじゃない、とか。血はとれにくいだろうな、とか。この死体が腐ったらいつも私が処理する、とか。
 色々と無為な事を考えたが、最初に出した言葉はやっぱり妖怪らしかった。

「おはよう、こいし」

 彼に向かっては言わなかった。
 ただ、琵琶が聴けなくなったのが残念だな、とだけ。それだけ、残念に思った。







 それから、暫く琵琶を持つ者を見るたび、彼のことを思い出した。
 どれだけ印象に残っていたのだろうか。たった数刻言葉を交わしただけなのに、何故だか頭に残る。
 たまに彼の様な人間を連れて来て話をしたりしたが、彼の様な変人はいなかった。彼モドキは、「ペット」と呼ぶことにした。遠い異国の言葉らしく、意味は「愛玩動物」とか「家畜」とかそんなことらしい。お似合いかな、と思った。
 今はもう「ペット」は作らなくなったが、まだ頭に彼が残る。
 こいしが新しい「ペット」について喋っている時も、まだ。

 きっと、人はこれをこう呼ぶのだろう、と思う。

 「恋」と。







――私は、若かったのだ。
 だから、まぁ……そういうのも悪くないかな、なんて。思ったのも覚えている。
 あれが私の「初恋」で、「失恋」だった。もう恋、などというものはしないだろう。だって良い男がいない。
 それ以上に、私には大切な家族が居て、それで満足してしまっている。もう、不確定要素はいらない。だって次世代に継がす必要がないのだもの。

 私は、やっぱり妖怪だから。
お初でございます、家守と申します。
このお話は、思いついたのでつらつらと書いてクーリエに投稿してみたかったので投稿したものなので、あんまり深いものではないです。短いですが勘弁。
まぁ昔は妖怪だって若かったのだし、女性なのだし、恋の一つでもするんじゃないかな、と思い。妖怪の恋ってどんな結末だろう、と思ったらこんなになりました。こいしちゃんは別に悪気はないです。
アイナドイラヌッ
家守
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お師さん……!

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創想話にようこそ!
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もっと読みたくなりました。
さとりも乙女であり、またしっかり妖怪でもあった感じが良いですね。