Coolier - 新生・東方創想話

ほろ苦いチョコレート

2012/02/14 17:32:49
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※1.独自設定があります。
※2.甘々なバレンタインのお話をお求めのお方はご注意を。




 バレンタインという最近幻想郷に入ってきた文化。少し考えれば商品を売りたい店の思惑が透けて見えるその日だが、一般市民からしてみれば大事な日。話題に事欠かないこの行事は幻想郷の歴史が浅くとも、すっかり根付いてしまっていた。
 そして今年もその日はやってくる。その日が近づくにつれ、徐々に桃色の空気が幻想郷を包みつつあった。
 そんな中を藍は一人、白けた顔で歩いている。藍の式神である橙は、別宅に住み、時折帰ってくるだけだ。そして紫は冬眠をし、春になるまで起きることはない。そのため、年越しから彼女が起きるまでの全ての仕事を藍がこなさなければならないのだ。
 仕事の量は多いが、別にそれが嫌だという気はしない。自分は紫の式、使役される者だ。紫の力になれると思えば苦ではない。
 この日も仕事を終え、我が家に帰り、晩の準備を始める。二人で住んでいるのに、用意する食事は一人分。もう、慣れたことだ。巧みに包丁を操り、材料を切り刻む。
 手は動かすが、心はどこか別の場所に飛んでいた。
 思い出すのは乙女たちの顔。まだ渡していないのに、楽しさと嬉しさ、そして戸惑いが混じっている。けれど、自分はその感情を味わう事すらできない。
 渡したくとも、渡せない。その気持ちは誰もわかってはくれないだろう。このイベントに関して言えば、何故それが冬に行われるのだろうかと恨んだこともある。勿論それはお門違いなのはわかっているのだが……。
 きっと今頃、自分の良く知る人物たちも何かしら準備をしているのだろう。そう考えるだけで、包丁の手は早くなり、心のどこかで黒い何かがこみ上げた。
 心が乱れ、手元が狂い、指を切ってしまった。顔をしかめ、咥える。痛みで頭が徐々に冷えてきた。

「……何を考えているんだ、私は」

 静かな台所で呟くその声は吹き出す鍋の音に掻き消される。仕方のないことをウジウジ考えるのはらしくない、いつもの自分ではない、と自己嫌悪に陥った。
 そう思いながらも心は泥沼にはまったかのように、沈んでいく。できれば、外出したくない。陽気な空気に浸りたくはなかった。
 けれど、備蓄がつきそうだから人里に行かねばならないだろう。それに、橙がプレゼントを持ってくると連絡があった。どう頑張ってもバレンタインの空気に触れなければならない。
 憂鬱な気分だが、どうしようもない。橙に至っては、彼女は純粋な気持ちで渡そうとしているのだ。それはそれで、わが子から貰うようでとても嬉しいモノだ。
 やり場のない感情のまま、恨めしく目の前で途中まで切っていたネギを見る。口の中に含んだ指から流れる血は止まり始めていたが、その苦い味はどうしようもなく心を乱していた。

 次の日、まだ朝だというのに、人里にある菓子屋はいつも以上に人の出入りが激しい。出てくるのは皆年頃の女性。どこか顔が赤い。彼女らは個々の想いをぶつけるべく、聖戦へと足を踏み込もうとしている。
 外の世界から輸入された一大イベントを明日に控え、恋に燃える少女たちは準備に急ぐ。ある者は手作りで、ある者は名のある店で購入を。込める想いは皆一緒、いつになく幻想郷は燃えていた。
 そして男子一同は、身構えている。気になるあの子から貰えるかもしれない、と野獣と化し、明日を迎える。一体あの中で何人がその想いを遂げることができ、何人が大地に散るのか、滑稽な姿だ。
 そんな人里の中を、八雲藍はいつになく暗い気持ちで歩いている。活気にあふれる里の中で、彼女の周りだけがどんよりとした空気が流れていた。
 若き乙女が恋を叶えるため、想い人にチョコを渡す……結構ではないか。
 幻想郷は外と隔絶された世界だ。通常の恋愛の他に、同性愛もある。それは正式に認められている。それもまた、構わない。恋の形に良し悪しはないからだ。
 はっきり言おう、藍は嫉妬している。うら若き乙女たちに。年端のない女性らに嫉妬することの醜さを理解しながらも冷静になれない程今の彼女の心は不安定だった。
 恨めしい気持ちを抱えたまま買い物を終え、逃げるように里を去ろうとしたその時。

「お、丁度良いところに!」

 突然後ろから焦りと、藍を見つけたことに対する安堵の声がかけられた。知った声である。振り返ると、この里の守護者である上白沢慧音が走ってくるのが見えた。
 藍の前で立ち止まり、膝に手をつき肩で息をしているのを整える。ただ事ではない様子だ。

「大丈夫か?」
「ちょっと来ていただきたい!」
「いや、ちょっと待ってくれ。事情が全然飲み込めん。それに野菜をだな……」

 いいからいいから、と藍の手をとり走り出す。呼び止められて、いきなり連れて行かれる。あまりの出来事になすすべもなく、引きずられるように藍は連れて行かれるのだった。


 そして……なぜこんなことになったのか、藍の頭脳はショート寸前だった。

「では、みんな。大きな声でな。よろしくお願します、先生!」
「「「おねがいしまーす!!」」」

 いつもの割烹着姿に着替えた藍は、なぜか人里の、それも寺子屋にいた。隣には同じくエプロン姿の慧音。自身の前には複数の子供たちが目をキラキラさせてこちらを見ていた。
 期待の目を向けてくる子供たちに引き攣った笑みを浮かべるしかできない。
 なぜこうなった。いきなり寺子屋に連れてこられたかと思うと、割烹着を着せられ、こうして壇上に立っている。
 目の前には同じように思い思いの料理服姿の子供が十人ほど挨拶をしている。皆、女の子だ。普段勉強をする教室には複数の機材で作られた特設のキッチンと化していた。
 子供たちに一言断りを入れ、慧音を連れて一度部屋から出た。中に聞こえない程度の声で凄みを効かせて問い詰めた。

「……さて、理由を聞こうか」
「わ、わかったわかった。説明するから、そう睨まないでくれ」

 腕を組んだ藍の前で正座をさせられる慧音。シュンとしているためか、いつもより小さく見える。
 なんでも、今度のバレンタインデーをめざし、みんなでチョコ作りの練習をしようという事になったらしい。慧音としても、課外授業として扱う良い機会だった。
 教えてくれるのは近くでお菓子屋を開いている若旦那だ。店を妻に任せるつもりだったのだが、その妻がぎっくり腰になってしまい、急きょ彼が店に出ることに。そういうわけで、暫く課外授業に出れないという。
 下手をすればバレンタイン当日に間に合わない。そうなると子供たちの期待を裏切ることになりかねない。困り果てていたところに藍が現れたというのだ。

「……もし私がチョコを作れなかったらどうするつもりだったんだ?」

 大きく肩を落とし、責めるように言うと、今になって気づいたのか面目ない、と慧音は頭を下げた。幸いなことに藍はチョコの作り方を知っている。主の気まぐれで、過去に外の世界で学んだのだ。多少の物なら作ることができる。

「そもそも、お前は作れないのか?」
「……残念ながら」

 苦虫を潰したように俯く慧音を見て、無理もないか、と藍も思う。元々チョコなどという代物は幻想郷にない。 近年外の世界から入ってきた文化だ。料理は創れども、そういった外国の食文化に疎い慧音が知っていたとは思えない。
 参ったな、と思う。別に受けてやってもいいのだが、とてもじゃないが気分じゃない。せめて、バレンタインというイベントに絡まない日ならよかったのだが……。
 そう思いながら項垂れる慧音を尻目に隙間から見える部屋の中に目を向ける。そこには期待や恐れ、緊張感を持ち合わせた子供たちの表情があった。
 あの子たちは本気なのだろう。義理にせよ、本命にせよ、渡すのならばきちんと渡したい。気持ちを伝えたいという想いが伝わってくる。ここで断れば、その想いを踏みにじることになってしまうだろう。それはきっと、ずっと心の重しとなって残るに違いない。

「……分かった、できうる限りで教えよう」
「やっていただけるか!?」
「ただし、礼はしっかりいただくぞ。それにお前にもみっちり仕込んでやる」
「ああ、ああ! 恩に着る!」

 安心したのか、満面の笑みを浮かべる慧音。まるでどちらが子供なのか……と内心で苦笑する。それだけ本気なのだろう。子供たちのことをよく思っている、良い先生だ。
 ならば、報いねばなるまい。帯で袖を結び、腕まくりをすると、戸に手をかけ大きく息を吸い、一度は吐く。ここから先は戦場だ。ならば、手加減はするべきではない。

「ならば、納得できるものを創ろうか」
「よろしく頼みます、藍先生」

 先生か……と、その響きに浸りながらも部屋に戻る。悪くない響きだ。
 手を叩き、生徒たちを集め、器材の説明から一つ一つ始める。皆真面目な表情で熱心に聴いている。
 妬む心は一度しまおう。せめて、この子たちが皆笑顔でイベントを終えられるよう、頑張るべきだ。
 ヘラを手に取り、臨時講師、藍先生の授業が始まる。

「何やら面白そうなことをやっておるのう」

 と、チョコをボウルに放り込んだ時、入り口から声が聞こえてきた。とぼけた感じの明るい声。普段聞かない人の声である。客人だろうか、と慧音が確かめに行くと、そこには驚きの人物が立っていた。


◆ ◆


 時間は少し戻り、とある森の中に物部布都は一人居た。いつもならば廟にある道場で鍛錬に励むのだが、神子に断りを入れ外に出ていたのだ。
 木に登り、枝に座りながら青い空を眺める。千四百年という長い月日が経とうとこの色は変わらない。

「まったく……何をやっておるのだ、我は」

 大きくため息をつき、頭を乱暴に掻く。せっかくのポニーテールも乱れた。しかしそれを気にすることもなく、思いにふける。
 イライラしている、普段の自分らしくないとは思う。それを皆に見られたくないから、こうして逃げてきた……ともいえた。
 冬の冷たい風が体を冷ます。少なくとも、体のほてりが取れるまで、戻るべきではあるまい。
何故こんなにも苛立つのか……それもこれも、全ては昨晩に遡る。


「バレンタインというものがあるそうですよ、豊聡耳様」
「ばれんたいん? なんですそれは。異国の文化ですか?」

 夕食時、青娥がそんなことを言い出した。今日の晩は里で買ってきた野菜を使った精進料理。用意したのは布都である。普段は天然ボケ満載の彼女だが、実は家事は大の得意だったりする。

「想いを馳せる男性に、女性がプレゼントを渡し、想いを伝えるのだそうです。最近外の世界から入ってきた文化だとか」
「それは何とも暖かな文化ですね。想いを伝える。それは簡単なようで、難しいものです」

 感心したように頷く神子。すると、その隣に座る屠自古が興味津々といった感じで口を挟んできた。彼女は幽霊のため、食事をする必要はないのだが、今も昔からの生活を変える気はないらしい。

「男性は戴くだけなのですか?」
「いえ、次の月にホワイトデイなる日がありまして、そこでお礼の品を渡すのだそうです」
「ほう、それはまた面妖な催しよのう。おう屠自古や、座布団を頼むぞ」
「はいはい」

 全員分の食事を運び終え、割烹着を脱ぎ、席に着く布都。ちなみにこれも、彼女のお手製である。
食事の席は神子を上座にし、そこから屠自古と布都、青娥と芳香が互いに向かい合う形だ。

「なぁなぁ、ご主人。プレゼントってどんなの渡すのか? 食えるのか?」
「あらあら、気になるの? そうね、一般的にはチョコらしいわよ」
「チョコですか?」
「太子様。あれです、以前ここに修行に来た妖怪の山の巫女が下さったお菓子ですよ」
「ああ、あれですか。あれは美味でした。私たちの時代にはない独特な味でしたね」

 どうやら神子は大層チョコが気に入っているようで、その味を思い返し湧き出た涎を飲み込む。はしたないとは思いながらも、やはり年ごろの女性、甘い物には目がない。

「女性が男性に送る限定なのですか?」
「いえ、その逆もあるにはありますし、同性同士で行うこともあるそうです。それに義理チョコといういわば想いを伝えるとは別の、慰労を兼ねたモノがあります。色々と趣向は変化しているようですよ」

 そうですか、と屠自古は下がった。心なしか声が弾んでいる気がする。そのまま、夕食は始まった。話題はそのバレンタインの話や、幻想郷での出来事など様々だ。
 しかし布都の表情はどことなく晴れない。皆が不思議に思い声をかけてくるがはぐらかした。
 見てしまったのだ、最後、青娥の説明を聞き終わった屠自古が引き下がった時、その顔がかすかに赤くなっていたのを……。


「まぁ太子様に渡すのだろうな。死んだとはいえ、妻であるし。むしろそうでなくては困るが」

 木から飛び降り、歩く。ほてりは取れた。体の芯まで冷え切っている。ただそれでも皆の元に帰るのは気が引けた。向かう先は特に決めていない。気を紛らわすための散歩だ。
 布都の悩み、というよりも気分を沈ませているのはその屠自古にある。
 嫉妬ではない。屠自古が神子を大切に思う気持ちは良いのだ。二人で神子を支えようと約束もした。嫌っていてでもしたら、逆に殴り倒していたところだ。
 屠自古は自身の娘だ。しかし、親子の縁を切っている。負の感情でそうしたのではない。
 当時、物部と蘇我は仲が悪かった。屠自古は蘇我の娘、自分は物部だ。馬子の妻となったことで蘇我に傾倒してはいたが、危険が無いわけではなかった。
 布都が裏で戦争を操っていた。それを知っている人間は少ないが、気づく者はやはりいた。布都を敵視する、危険視する者は当然いたわけで、屠自古の存在は布都を縛る格好の餌だった。
 当時、布都には彼女自身の策謀があり、それを為す為に立ち止まるわけにはいかない。かといって屠自古を見捨てるわけにもいかなかった。故に、親子の縁を切った。
 屠自古と自分の姓が違うのは、そうした一定の壁を作るためだったからでもあった。自分の娘、というより蘇我馬子の娘にすれば、守れる。馬子は母親が必要だと言っていたが、無視した。
 布都なりに娘を守ろうとしたのだろうが……子が親に捨てられるという苦しみはどれだけ辛いものだっただろうか。屠自古はいったいどう感じたのだろうか。親から捨てられた娘の気持ちは……わからない。

「よりは……もう、もどせんよなぁ。いや、そう考えること自体勝手極まりないか」

 時がたちすぎたし、取り返しのつかない決断をした結果だ。旦那である馬子とも秘密裏に話をしたが、押し切ったのは自分だ。馬子は最後まで反対していた。
 恨まれることをしたのもわかっている。すべては覚悟の上だ。神子に嫁がせようと屠自古と夫婦の契りを交わさせたのも、そうだ。一連の決意に、後悔はない。
 ただ……しんみりした空気になると、どうしても考えてしまう。自身の幸せではない、屠自古の幸せだ。神子を選んだのは屠自古であり、屠自古も神子を選んだ。それは良いと思う。
 が、ほかにも彼女が幸せになる人生があったのではないか。
 自身の都合で娘を翻弄させた。昔にはよくあったこととはいえ、屠自古の運命を滅茶苦茶にさせた。
 今屠自古は幽霊だ、尸解仙ではない。そしてそれを成仏させないまま縛っているのは布都。復活させようかとも思ったが、止めた。
 まるで親が子を生き返らすようで、一度捨てた自分がそれをやる資格がないと思ってしまったからだ。屠自古自身も肉体はいらないと公言しているため今も肉体は得ていない。
 親子という形は上司と部下という形となり、今二人はつながっている。

「よい。これでよい。せめて屠自古は太子様と幸せになってもらわねば。我はそれで十分だ」

 その言葉は自分に言い聞かせるように向けられている。後悔しない、と決めた筈なのに、もう一度親子をやり直したいと思う自分がいる。それがあまりにも浅ましく、唾棄すべきものだと感じた。
 親子の縁を切って以降、屠自古は今に至るまで布都を母とは呼ばなくなった。
今のところ仲は悪くはないが、その心の底には恨む気持ちがあってもおかしくはない。
 昔から屠自古は優しい子だ。厳しいところもあるが、心は優しい。そしてそれを自分にまで向けてくる。
それが嬉しくもあり、たまらなく辛くもあった。もしかしたら、それが彼女なりの復讐なのかもしれないが……。
 屠自古がどう思っているのか……心の内を知りたいと思うこともある。バレンタインという行事は恰好の機会といえた。母の日というのもあるそうだが、それこそ論外というもの。
 けれど、彼女が自分にチョコを渡すことはあるまい。そしてあってはならない。
 時代は変わった、と縁を戻せと神子は言ってきたが、断った。これはあくまでも二人の問題。
 プレゼントは嬉しいだろう。でも仮に受け取れば、馬子はどうなるか。親に対する愛は、馬子も受ける権利があったはず。それを捨てた筈の自分が独占するのは虫が良すぎる。
 馬子は屠自古や自分を溺愛していた。親子一つの形が良いのだといつも言っていた。それを否定したのは自分だ。物部の娘ではなく、あくまでも蘇我娘として扱うこと。彼を説得した時のあの苦痛で歪んだ表情は今でも忘れられない。
 父である馬子の気持ちもわかっている屠自古は優しい。だから義理であろうと、決して自分に渡すことはないだろう。
 仲は悪くないが、微妙な立ち位置にいる……それがいまの布都と屠自古の関係だった。

 悶々と歩いているうちに、いつの間にか人里に来てしまった。元々、こういう喧騒から離れたくて森の中にいた筈なのに。帰巣本能は怖いものだな、と苦笑する。

「なんだ?」

 人目から隠れるように市場を離れ、路地裏を歩いていたころ、何やら家の一角で騒がしい声が聞こえてきた。大小様々、男女混ざっているが、子供が主か。楽しそうな声だ。

「あれは確か、寺子屋……よな?」

 騒がしい気配を放つのは、以前あいさつ回りに行った際に訪れた、上白沢慧音なるハクタクが開く寺子屋だった。
 一度見学したが、子供たちの元気あふれる笑顔が眩しく、微笑ましかったのを覚えている。
 勝手に入っていいものかと思いながらも、明るい場所に行ってみたいという気持ちの方が強く、訪れることにした。


◆ ◆


 布都という思わぬ客を迎えながらも、チョコ作りは順調に進んでいた。慣れないチョコ作りに悪戦苦闘する子供たちを微笑ましく眺めながら、一つ、ため息をつき隣に目を向ける。

「……上白沢、お前もしかして不器用か?」
「い、いや、そんなことないと思うぞ!?」

 今行っているのはチョコを型に流し込んだあとに行うデコレーションの作業。一足先に皆に実演をしているため、藍たちの作業はだいぶ早い。
 デコレーションはある意味一番大事だと思われるその作業なのだが、あまり見ない慧音の失態を目の当たりにし、内心驚いていた。
 手伝おうか、と言おうものなら必死の形相で断られる。藍は呆れた表情で、チョコと格闘している慧音から目を離した。
 彼女の眼は真剣そのもの。しかし描かれた絵と思わしき図式は余りにも不細工だった。

「それは……ネコか?」
「牛だ!」

 顔を真っ赤にして叫ぶ慧音。心なしか目じりには涙が見える。
 何故牛なのかと問いたいが、ぐっとこらえる。どう見ても牛には見えんだろう……これは。
 それに何故牛? ああ、あれか、ハクタク繋がりか、と一人で納得した。

「よくそれで歴史の編纂ができたな……。あれは確か、図も必要だろうに」
「ち、違うぞ。筆と勝手が違うから、うまくできないだけだ! それに、文字は綺麗だろうが!」

 確かに、牛(?)だという絵の下には難しい漢字で日頃の感謝の想いがつづられている。
 余りからかうのはよそう。これ以上追い詰めると何をするかわからないし、慧音も真面目なのだ。
 と、その時ふとあることに気づいた。慧音は他の生徒と違い、複数のチョコの型が置いてある。複数作るつもりらしい。中でも今創っているモノは形が一回り大きかった。
 ある程度落ち着いたところを見計らい、声をかけてみた。
 
「なんだ、意中の相手でもいるのか?」
「これは妹紅のだ。私だけでなく、里の皆も彼女の世話になっているからな。お礼の気持ちだよ。それに里の人たちの分も作るつもりさ」
「そうか……まぁがんばれ」

 色恋沙汰かと少し期待したが、残念。里の分も作ると言っていたが、あの様子だと間に合わないだろう。
 一度慧音から目を離し、隣にいる布都に目をやる。白い割烹着に身を包み、いつもの帽子ではなく、ナプキンを頭に巻いていた。まるでお母さんである。背の低い細い体格に相反してなんというか、そのギャップがまた魅力がある。

「しかし驚いた。まさか料理もお得意とは」
「なに、この程度造作もない。廟での家事は全て我がこなしておるのよ。料理から裁縫まで、なんでもござれと言ったところかな」

 手先が器用なのは間違いないようだ。家事をする際に放つ気はまるで母親が料理をするかのようだ。……いや、話によれば本当に母親だったか。
 長年眠っていたこともあり、チョコ作りは彼女も初めてのはずなのだが、その手つきに迷いはない。

 寺子屋を訪れた布都は、面白そうだから、という理由で今回の課外授業に参加してくれた。
 彼女の天然は霊夢から聞いていた藍は最初心配していたが、すぐに布都は溶け込んだため、いらぬ心配だったらしい。今では生徒たちと仲良く菓子を作っている。
 歴史では布都は相当の策略家だと聞いているが、チョコ作りの本を流し読みしただけで完璧に把握してしまうなど、相当の頭を持っているのはわかった。
 ただ、それをすぐに実践できるだけの技量があるのにはさすがに驚いた。普段の料理も、美味しいモノを作ってしまうに違いない。
 今では自分の品を作る傍ら、藍と共に生徒たちの手伝いをしている。ただ、そちらに時間を割いていたのか、皆に比べ布都のチョコ作りは遅い。
 やはり慣れない作業もあるのだろうが、また、そうなる理由もあった。

「物部殿のは……ケーキなのだな」
「うむ。ガトーショコラといってな。皆で手を付けられるものなら、こういうのが良かろう」

 窯に術で火を起こし、適度な温度に温める。即席の箱で作ったオーブンといったところか。温める間にチョコを練っていく。ガトーショコラはどうしても、他のチョコに比べ手間がかかるのだ。
 ヘラでチョコを練りながら、布都は藍を挟んで隣で格闘している慧音に目をやる。絞り袋で何やら字を書いていた。
 その上に書いてある……先ほど藍が言っていたであろう動物に目をやるが……なんというか、あまりの前衛的芸術に目を細める。

「……犬か?」
「牛だと言っているだろう!」

 どこかでやったようなやり取り。流石に心が折れたのか教室の隅で畳をいじりだす慧音を尻目に布都はやりすぎたか、と藍を見てみると、笑いをこらえながら親指だけ立てていた。
 流石に悪い気がして、慧音の傍に行き、肩に手を乗せた。

「ふむ……まぁ、心が詰まっておればよかろうよ。そこなハクタク。元気を出すがよい。何事も、得手不得手というものがあるのじゃ」
「……それは、フォローなのか?」

 かか、と笑いながら用意された割烹着のまま腕を組む。

「お主はこういうことが苦手な代わりに、作る歴史書は見事なものだと聞いておる。そういうモノだ」
「料理は問題なくできるのだがなぁ……」
「それもまた、同じよ。一言料理といっても和洋様々ある。だが想いさえこもれば皆一緒じゃ。多少不格好でも分かって貰えるというものよ」
「……そうか」
「ま、せめて送る相手に分かる動物にしろよ? 上白沢」
「う、うるさい!」

 ははは、と笑いあう。怒っていた慧音もつられて笑い出す。こういうのもいいな、と藍も布都も思った。ひとしきり笑った後で、藍が型に入れ終わったケーキに目をやる。

「しかしケーキとは、また手間がかかるやつを選んだな。チョコを一口サイズで量産した方がよくないか?」
「最初は考えたがのう。太子様はああ見えてかなり食べるお人なのよ。それにチョコを気に入っておられてな、下手したら全部食べかねん。
 一口サイズのものだと皆太子様に遠慮してしまうじゃろ? ケーキなら、切り分けられるから皆で食せるというものよ」
「なるほどな、そういう考えも有りか」

 表情は笑顔のままだが、布都の心のうちはどんよりとしている。それを悟られぬよう、笑っている。作り笑顔にも慣れたモノだ。
 嘘だからだ。単純に、屠自古を考えてのことだ。誰か一人に渡せば……まぁ神子になるだろうが、屠自古もきっと面白くはないだろう。
 なので、本命はやめた。どうせ屠自古が渡すだろうし、自分は彼女の上司として、そして皆のためにチョコを作ることにしたのだ。そうすれば、皆幸せになる。
そう言い聞かすように、型にチョコを流し込む。

「そこなハクタクは置いておいて、お主も一つなのだな」
「ああ……まぁな」

 誰に送るのか、は聞かれなかった。ただ、たぶん感づいていると思う。
 橙は自分の式であるし、娘のような存在だ。プレゼントをする、というのもどこか違うような気がした。
それに、今あの子はあの子なりにチョコと格闘している最中だ。今回はおとなしく受け取る側に回ろうと思っていた。
 ならば、このチョコは一体誰に渡すのか。……渡したくても、渡せないのに。
 事前に温めておいたオーブンに型を入れる布都を尻目に自身のチョコに目を向ける。絞り袋はいらない。というより、何を書けば良いかわからないのだ。
 今になって後悔する。モノを作るとき、必要になるのは心だ。布都も言っていた。真心込めた品は人を喜ばせるというが、それは間違っていない。
 目の前にあるチョコ……ハート型だ。デコレーションはされていない。いくらなんでもこれでは不恰好すぎる。
 何か書くべきだろうとは思うのだが、思い浮かばない。ありきたりな言葉は嫌だった。
 布都のようにケーキにしようかと思ったが、しかし、それでは日持ちが悪い。
 ふと、周囲に目をやる。生徒たちは思い思いのチョコを作るのに必死だ。絵や字を書く子供、飾りつけを考える子供、色々いる。でも、皆顔は真剣だ。
 突然、自分がひどく場違いなところにいる、という気分に襲われた。教えるために講師としてきたが、やはり失敗だったと思える。
 自分が作ったそれは傍目から見れば、形はきちんとしている立派なモノだが、藍の眼からはひどく歪な形に見えた。
 瞬間、叩き割りたい衝動に襲われた。あまりにも見ていられない。
 すぐそばに包丁が置いてあるのに気付いた。手に取る。
 震える手で、チョコの真上に持ってきたところで……横から伸びてきた手に止められた。
 
「……物部殿?」
「チョコを斬るのであれば、包丁は温めねば綺麗に切れぬよ。……いや、そもそもお主のチョコにそれは必要あるまい」

 気づいて……いない? 布都はいつもの笑顔で包丁を取り上げると、そのまま持って行ってしまった。いや……一瞬見えた、咎めるような視線。気づいていた。

(……らしくない)

 天井を見て、大きくため息をつく。こんなの、自分らしくない。
 曲がりなりにも藍は大妖怪であり、かつて策を練り渡り歩いてきた。他人に考えを読まれないよう、頑張って来たのに……見事に看破された。まぁ相手も同じ策略家だから読まれたかもしれない。ただ、それほどまでに不安定だったということか。
 布都はもう藍を見ることなく、生徒たちの中に入っている。談笑する姿はとてもかわいらしい。その裏に悪女ともいうべき一面があるなど、どうしても信じられないだろう。
 もう一度ため息をつき、頭をコツンと軽く殴る。気分を変えよう。まずはこの授業を乗り切るのだ。自分のせいで皆の努力を壊してはならない。
 そう思い、一度自分のチョコから目を離し、藍も生徒たちの輪の中に入るのだった。


◆ ◆


 そして次の日。
 橙は朝のうちに届けに来た。かわいらしいハートのチョコだ。驚いたのは妖夢もいたことで、彼女もチョコをくれた。日頃のお世話のお返しに、だという。
 味も美味しく形も上手くできており、褒めると二人とも喜んでいた。
 二人を見送った後、藍は再び里にいた。昨日作ったチョコレートを取りに来たのである。結局、書くべき文字は浮かばなかったため、裸のチョコだ。
 一晩冷やしておいたチョコを、生徒たちと共に包んでいく。今から決戦なのか、皆目は真剣だ。
 ちなみに布都はいない。昨日は夕方に帰宅していた、夕食を作るための材料を里で買って。ケーキはその時に持って帰っている。一晩家において、今日渡すのだろう。
 チョコを渡すため、生徒たちを見送ったのち、藍は一人、寺子屋にいた。慧音に留守番を頼まれたからだ。ちなみに慧音は結局、昨日は全員分作ることができなかった。
 一番大きいのを妹紅に渡すことにし、足りない里の人たちの分は泣く泣く店で買ったチョコレートを渡すのだそうだ。
 律儀だなぁ、と思いながらも、お礼とばかりに慧音から渡されたチョコを口に入れる。甘い味が口に広がった。形は不格好だったが中々においしかった。
 
「ん?」

 部屋の中をグルリと見回すと、戸の間から何やら人影が見えた。昨日も似たような光景にあった気がするが、気にしないことにする。
 寺子屋の裏なら少し空けても問題ないだろう、と思い裏手に回ってみると、そこには木の陰に隠れるように女の子がいた。確か昨日チョコを作っていた子供の一人だったはずだ。
 木の陰から、人通りの多い道を伺うようにしている。誰かが通るのを待っているのだろうか。

「どうした?」

 声をかけると、飛び上がるほど驚き、恐る恐るこちらに目を向けてきた。その眼尻には涙が溜まっている。

「いや、すまん、驚かせたか。どうした? 誰か待っているのか?」

 怖がらせないよう、しゃがみ、視線を同じ高さにする。おどおどしていた少女も次第に落ち着きを取り戻してきたのを確認し、優しく声をかけた。

「先生に言ってみなさい」
「……うん」

 そう言い、通り……ちょうど寺子屋の真向かいにある八百屋に目を向ける。そこには親御さんと一緒に店を切り盛りする少女と同じくらいの年齢の男の子がいた。
 なるほど、彼に渡したいわけか。この年だし初恋だろう。初々しいなぁ、と内心朗らかになりながら、少し後押ししてやるか、と考えた。

「渡すのが怖いか」
「……(コクリ)」
「わかるぞ、その気持ち」
「先生も?」
「ああ。伝えたい気持ちがあっても、伝えられない。経験があるよ。でも、怖がっても仕方ないだろう? 勇気を出して、精一杯の気持ちを伝えるんだ。そうすればきっと想いは届く」
「……うん」
「素直に言ってみろ。私もここで見てる。頑張れ」
「うん!」

 意を決したのか少女は真面目な顔で店に駆けだした。男の子を呼びだす。藍は見つからないよう、少し離れた位置から見ていた。
 男の子は何故呼び出されたかわからないようだ。少女はチョコを背に画し、言い出せないでいる。怖いのだろう、拒絶されるのが。心の中でエールを送る。一歩前へ、踏み出せと。
 暫くモジモジした後、ついに少女はチョコを差し出した。ハート形で、赤い包装紙に包まれている。
 男の子は最初キョトンとした顔をしていたが、理解したのか顔を赤くし、照れた表情で受け取った。

「よく……がんばったな」

 少し泣き顔の少女をほめながら、だんだん自分の心には靄がかかる。
 どの口がそんなことをほざくのか、とぶん殴りたい気分になっていた。

「おう、すまなかったな藍殿。……どうかしたのか?」
「……いや、なんでもない。失礼するよ」

 タイミングよく戻ってきた慧音の脇を逃げるようにすり抜け、寺子屋を出ようとする。

「忘れ物ですよ」

 しかし、遮られるようにチョコを渡された。銀色の包装紙に包まれた、藍が作ったチョコだった。



 その夜。幻想郷の一角にある、とある屋台。

「……女将、もう一杯くれ」
「お客さん。悪いことは言わないから、そろそろやめておいた方がよくないかい?」
「黙って出せ」

 殺気も込めた言葉に女将は怯えながら、黙って差し出したコップに酒を注ぐ。周囲には空いた瓶が散乱しており、藍も普段にないくらい酔っぱらっていた。
 ここはミスティア・ローレライの屋台。あの後藍は家に帰ることもせず、ブラブラと幻想郷を回ったのちここにたどり着いていた。
 普段は多数の妖怪で賑わうこの店も、この藍の剣幕で皆恐れ誰も近寄らないため、半ば貸し切りになっていた。

「……ああ、糞」

 悪態をつく度にミスティアがビクつく。それがまた癪に障るのだ。勿論八つ当たりでしかない。すべては自分に対する自己嫌悪だ。
 あの少女にああは言ったが、結局自分は出来ていない。渡したくとも、その気持ちを表にできない。それがあまりにももどかしく、そしてつらいのだ。

「やあ、そこな狐。一日ぶりといったところかな?」

 不意に背後からかかる陽気な声。凄味を利かせながら振り向くと、そこにはもう見知った人物がいた。
布都だ。殺気を向けられても動じる気配はなく、腰に手を当て、笑っていた。

「やれやれ、予想通りといったところかのう。おい女将、我にも酒を。それと、美味い飯を一つ頼む」
「は、はい!」

 一人でその藍の相手をしていたミスティアにとっては何よりも勝る援軍だろう。逃げるように注文に取りかかる。
 高笑いしながら右隣に座るのが癪で不意打ち交じりに拳を握り、殴ろうとするが、簡単に受け止められた。一応、軽く首が吹き飛ぶくらいの威力なのだが。酒が入ると力加減も上手くできないのだ。

「ふむ、九尾といえど、激情に駆られるか。一つ、覚えておこう」

 左掌で、殴りかかった拳を受け止めたまま、オズオズと差し出されたグラスに口をつける。ミシミシ、と骨が鳴る。なんていう握力だ。こんな小さな体で、こんな怪力を持つとは……。

「苛立つのは勝手じゃが……やめておけ。折角の飯も暴れれば無駄になる。我は食物を粗末に扱う奴を好かん」

 笑顔から一転、こちらを見て言うその視線は咎めるように厳しく冷たい。
 始めてみる布都の表情。悪女と呼ばれた彼女の、見たことのない一面を垣間見た気がした。
 不覚ながら、背筋に氷を流し込まれたような……そんな、寒気を覚えた。

「頭は冷えたか? 暴れれば店にも迷惑がかかるというものよ」

 すまし顔で言う布都。確かに、徐々に頭は冷えてきた。拳が力を失ったのを確認し、布都は握っていた手を離した。すまない、と小声で謝る。
 それを聞いた布都はニコリと笑い、いつもの調子に戻った。

「馬鹿力だな」
「ははっ……我を甘く見ないでもらおう。眠りより覚めて、ようやく上手く制御できるようになったわ。
 それより、女将にも詫びの一言くらい入れておくが良い。先ほどまでのお主の妖気は十里離れていてもわかるくらい、荒れておったぞ」

 ミスティアにも詫びを入れ、大きくため息をつく。全面的に自分が悪い分、ぐうの音も出ない。
 布都の料理が出たところで、お互い無言で食事を始める。布都の食べる仕草は優雅だ。流石、良家の女。ただ、食い意地は大分張るようで、直ぐに追加の注文を入れる。

「おいおい、そんなに食べられるのか?」
「無論じゃ。ここの鰻は美味い。何匹でも口に入れられるぞ。うむ、早苗殿から話は聞いておったが、中々の名店じゃな、ここは」

 そう言いながらも次々口に入れていく。
 と、一つ違和感に気付いた。布都の横顔を見るのは昨日以来だが、今日はどこか陰りを見せている。何かあったのだろうか。
 そもそも、バレンタインという格好の行事もあり、今日は博麗神社で宴会を行っているはずだ。廟の連中もてっきりそちらに行っていると思ったのだが……なぜ彼女はここにいるのだろうか。
 そんな彼女は日本酒を一気に飲み干し、その辛さに咽ていた。忙しない人というのは聞いていたので、苦笑いで背中をなでてやる。
 
「す、すまんな。……千四百年という時代は眠っていたらわからんが、やはり長いのう。これほどの酒、魚に出会えるとは思わなんだ。それに女将も美人と来た」
「そ、それはどうも」
「かかっ、めんこいのう。それがまた良し! どうじゃ。うちに入門する気はないか? 手厚い保証を付けると約束しよう」
「えっ……と、それは」
「おい、あまり女将を困らすな。それに女将が入門したら、八目鰻が食べられなくなる」
「むっ……それは、困るな」
「……お二人とも食い意地が張っていますね」

 食事しか能がないのか、と言いたげなミスティアのジト目にそろって笑う。すでに、険悪な空気はなくなっていた。
 その後は3人で世間話に華を咲かせた。ミスティアの周囲でも今回のバレンタイン、相当大騒ぎになっていたそうだ。彼女自身も店を懇意にしてくれている客から貰ったらしい。
 そういえば藍が来るまではかなりの客がいたなぁ、と思い返す。
 チルノを始め、多くの友人は皆宴会に行ってしまったらしい。ミスティアも誘われたが、店を開いていたし、断ったそうだ。
 と、なると……この日を狙ってミスティアに会いに来る者を先ほどの藍の怒気で追い返してしまったことになる。売り上げも落ちただろう。
 ミスティアを怖がらせてしまったのは違いないので、せめてもの償いとして、今日一日分の売り上げを二人で稼ぐことにしたのだった。
 
 たらふく鰻を喰い、酒も飲んだ後……捌いていた鰻が切れたため、仕入れにいくと言い残しミスティアは屋台を離れた。藍と布都の間にある奇妙な空気を感じ取ったのだろう。中々に良くできた女将である。
 周囲に人の気配がないことを感じ取ってから、話を切り出したのは、藍だった。

「……宴会には行かなかったのだな」
「誘われたが、断った。行く気分では無かったしのう」

 藍は日本酒、布都はウイスキーだ。グラスに入った丸い氷を指でつつきながら、布都は続ける。
 ウイスキーを眺める視線はどこかここではない遠くを見ていた。

「今日くらいは離れていたかったのよ」
「千四百年も離れていたのに?」
「だからじゃ」

 今日くらいは屠自古と神子を一緒に居させてやりたい。神子は人の考えを読んでくるので、今朝から外に出ていた。昨日作ったケーキを置いて。

「良いのか? 皆、一緒に騒ぎたかっただろうに。それにチョコを渡したかったのかもしれんぞ」
「同性から貰うというのは、義理とはいえ緊張したぞ。それに、貰いたくない者もいての」

 今朝神子と、青娥からは貰った。屠自古はやはり、くれなかった。仕方ない、と思う反面、それでいいという思いがあった。
 何しろ先にこちらから先制攻撃を仕掛けた。自分が、プレゼントを皆に渡す。それは部下である屠自古に対しても。
 あくまでも上司として。日頃の礼として渡した。上司が何かを挙げるのは普通にすること。
 あくまでもねぎらいだと示すことで、屠自古が間違いを犯さぬよう、壁を作ったのだ。
 もしかしたら屠自古は用意していたかもしれない。しかし、それを貰うわけにはいかないのだ。だから逃げるように廟を後にした。明日、何食わぬ顔で帰ればいいのだ。

「なるほどな。……あなたも厄介な難題を背負いこんでいる」
「自業自得じゃがな。仕方ない」
「が、時代は経った。よりを戻すのは悪くないと思うが」
「太子様もそう仰っていたよ。仮に当人たちがそう思ってもな……あの時代に取り残された者はどうすればよい?」
「それは……」
「屠自古は私が捨てたのだ。なのに、今さらよりを戻してどうする。馬子も最後は了承したとはいえ、最も反対していたのも、あ奴じゃ。今更仲良くなろうとするのは、馬子にも悪い」
「その馬子がよりを戻してほしいと願っていたら?」
「死人に口なしじゃ。仮にそう思っていようと、我等にそれを確かめる術はあるまい。尸解仙になるときも考えた。
 我はな、屠自古を捨て、最後には夫である馬子を捨てた大罪人よ。可愛い娘をその手に抱く資格はない」
「屠自古殿も願っていたら?」
「……わからん」
「もしよりを戻したいと言ってきたらどうする?」
「おそらくは……断るのう」

 程よく氷が溶けたところで、グラスを手に取り一口飲む。おおよそ、飲んだことのない大陸特有の味が口に広がった。布都はこう見えて無類の酒好きだ。彼女の自室には東西様々な酒があるのだが、それはまた別の話。

「それはやはり、馬子のため?」
「かもしれんし、そして、屠自古のためでもある」
「彼女の?」
「知っておるだろうが、我は策士じゃ。物部を滅ぼした悪女でもある。その頃の頭脳は徐々にだが戻ってきた。我は太子様のためにも、今後その力を使うつもりよ」
「……それは、幻想郷を揺るがす気があるということか?」
「わからんよ。だが、最悪はそうする。すでに我の手は十分汚れておる。今更、汚れを繰り返したところで何も変わるまい」

 無論、こういう話を守護者の式である藍の前でいうということは、それなりの考えがあるのだろう。
 止めてほしいのか。それとも、神子とは関係なく、異変を今後起こすとすれば、その時は自分がその主犯になる……ということか。

「我は今後も手を汚す。が、屠自古は違う。あの子は優しい子じゃ。死んだが、幸せになるべきじゃよ。なぁ九尾殿。死人は幸せになってはいけないと思うか?」

 脳裏にかの姫君が浮かぶ。彼女は果たしてどうだったか。その心は主と同じく、読み取ることはできないが……死人だから駄目だとは思っていない。幸せは、皆平等に得るべきだと思う。

「我はそうは思わん。娘は我の策略に散々翻弄されてきた。得られるはずの幸せを失った。それを復活した今、恨みの一つも言わんのは、あの子の優しさじゃ」

 布都の脳裏に浮かぶのは当時の記憶。まだ、二人が親子だったころのモノ。自分が作った料理や菓子を、生きていた屠自古は笑顔で食べていた。本来得られるはずの家族の幸せ。それを奪ったのは他でもない母親である自分自身。
 恨んだだろう、妬んだだろう。しかし、今まで一度もそれを自分に叩き付けることはしなかった。屠自古は人の心がわかる、優しい子。布都の考えもわかっているから、何も言わないのだ。それがまた、辛い。

「我はそこまで優しくはなれんよ。太子様のため、仮にあの方が望んでなくとも、我はする。皆から見捨てられようと、必要なことなれば、喜んで行うつもりよ」
「それは未来に向けての宣戦布告か?」
「さあな。ただ、その覚悟でおるよ、九尾殿。聞けばお主も策略にたけていると聞く。その時は、存分に我が策を受けていただこう」

 笑いながら彼女は言うが、目は本気だ。藍は黙った後、静かにグラスを上げる。受けて立つ、と。布都はにやりと笑うと、ウイスキーのグラスを持ち、互いにぶつけた。甲高い音が鳴り、二人一緒に酒を飲む。

「もしかしてケーキを選んだのは、怖かったからか? 娘の気持ちを知るのが怖くて」
「左様。品をくれなければ良い。しかし、もし貰ってしまったら……と考えてのう。笑ってくれて良いぞ? 単純な行事なのに、そこから逃げる臆病者だと」
「……笑わんよ、別に」

 親子の縁、そしてそれを断ち切った関係。千年以上も続いた歪な関係。もう、後戻りはできない二人の女性。体の小さい布都だが、背負っているモノは思いのほか大きい。
 子のことを考えてやれ、という声もあるだろうが、それは許されない、と決めつけている。
 かつては親として子を育て、そして裏切った。それでも関係を続けている以上、屠自古にもさまざまな感情があるはずだ。少なくとも黒い気持ちではないはず。
 面倒な親子だ、と思わないでもない。だが、過去のしがらみがそうさせている。人の心は難しい。屠自古も、布都もだ。
 屠自古はきっと彼女とよりを戻したい……と思う。一度宴会で会ったが、性格は違えど、根っこのところは似ていた。
 布都は屠自古が優しいというが、それに勝るとも劣らず、彼女も優しいのがわかる。
 そう思うと、不意に笑いが込み上げてきた。彼女の優しさだけではない、これが子を持つ親の悩みなのだ。時折、橙に抱く自身と似ているな、と思ってしまったからだ。
 いきなり笑い出したので、気を悪くしたのかジト目になる布都は量が減ったグラスで藍の頬を叩く。冷たい感触と共に、カランと氷が動き、音を鳴らした。
 
「笑うことなかろう。次はお主じゃぞ」
「へ?」
「ほれ、悩みを話せ。そうなるようにわざわざ恥ずかしい話を先にしてやったのだぞ」
「……気づいていたか?」
「当然じゃ。我を誰だと思っておる」

 と、胸を張る布都を尻目に考える。話しても良いだろうかと。幸い、店主はまだ戻ってこないし、一番聞かれたくない人は今も夢の中だ。
 問題ないだろうと思いながらも、身を乗り出して布都との距離を詰め、出来うる限り周囲には聞こえないよう、小声で話す。
 
「なぁ、渡したい相手がいるのに、渡せないという状況、どう思う?」
「情けないと言いたいところだが……まぁ、何とも言えんわな。一歩間違えれば我もその状況じゃろうし」
「渡したくても、渡すことが出来ない状況下に相手がいるとしたら?」
「……どういう意味じゃ?」
「私がチョコを渡したい相手は、すごい人でね。その強大な力で幻想郷を守っている人さ。私よりも強くって、優しい。厳しい事もいうけれど、何だかんだで私のことを思ってくれている。少しでも役に立ちたいと鍛錬を積んでもわかるのはその差ばかり。
 せめてもの想いを込めて、チョコを贈ろうと思ったが……その人は力を蓄えるために眠りについているんだ」
「……まさかそれは」
「あなたは受け取る立場から話をしてくれたな。私は逆。渡す方の立場だよ。バレンタインという日は特別さ。その日に渡すからこそ、意味がある。チョコは日持ちするが、後日渡すか、今渡すかで意味が大きく変わるんだ」

 紫が冬眠するのは、幻想郷の管理に多大な力を使うため、体を少しでも休めるためだ。
 少しでも助けになれば、と鍛錬しても鍛錬しても差は縮まらない。紫が寝ている間に幻想郷を守る程度の力しか出せない。
 もっと力があれば、紫は冬眠することもなく、共に冬を過ごせただろうに……そう思うと不甲斐なさに腹が立ってしょうがないのだ。

「それに私は式だ。紫様は主。これは決して変えられない」

 相手を伏せることもやめていた。心の底にあるモノまで、吐露する。酔っている、酒のせいだと思うことにした。
 渡したいのだ。式といえど、今日まで共に生きてきた、それを許されてきた。せめてもの恩返しがしたい。それ位は、許されるはずだ。
 日常生活では言えない。気持ちよりも立場が勝ってしまうからだ。歳を取ればそれだけ心の内を吐露するのが難しくなる。
 柵が大きくなる。そう、それこそ今目の前にいる母親のように。

「好きなのだな、紫殿が」
「ああ、好きさ。だから悔しい。共に、この日を迎えられないのを」

 だから嫉妬してしまう。この特別な日を迎えることが出来る全ての人に。渡したくても渡せない、そういう者がいるのだと。
 悔しさで涙が出そうになるが、必死にこらえる。仕方ない、仕方ないのだ。そう何年も言い聞かせてきた。
 不意に頭に何かが乗せられた。布都の手だと気付くのには少し時間がかかった。
 彼女はいつもの天真爛漫な笑み……というより、微笑んでいた。まるで、母親が子供に向けるそれ。

「辛かったのだな、お主も」

 そういって撫でてくる。馬鹿にしているのではない、心の底から、藍のことを想ってくれている声だ。藍は動けない。小さな手だが、とても心地よく感じるのは何故だろう。

「一つ、わかった。お主のように、渡す側の気持ちが。もし、屠自古がお主のような気持ちを持っているとすれば、冬眠せず年中起きている分、我は紫殿よりも悪じゃろう。
 わかっていてやっているのだから」

 別に布都を責めているわけではない。ただ、奇妙なことに二人にはそれぞれ、渡す立場と、貰う立場に分かれていた。どちらも、渡せない、受け取れない、という事情がある。

「なぁ九尾殿。お主、主が好きか?」
「ああ……好きさ。誰よりも、一番。恋心……とは違うと思うが」
「変わらんよ。その気持ちはきっと……紫殿が一番よく理解しているだろうよ。
 我が言うのもなんだがな。永きに渡ってお主は仕えている。一時冬眠で会えずとも、その任を任せているということは、それほどまでにお主を信用しているからじゃ。
 幻想郷という世界を守る役目を任せている。それは多大な決意が必要だと思うぞ」
「……そうだろうか。私は、紫様よりも弱いぞ」
「強い、弱いは関係ない。任せることに意義がある。よかったではないか九尾殿。お主は愛されておるよ」
「だが……ならば、私はどう報いればいい? どう紫様に伝えれば良い?」
「十分伝わっておろう。それにな九尾殿。何故そこまでバレンタインに拘る? なぜ好きという気持ちを表す日を今日だけと決めねばならぬのだ?」

 え? と藍は止まる。思いもよらぬ問いかけだった。それはバレンタインという行事の根幹にかかわる問題。

「我はふと……ついさっき思った。好きだという気持ちを伝える日を一年のうちの今日この日を重要とするのはなぜか。それはな、九尾殿。ずっと共に居たがために、素直に気持ちを言えない者たちへの後押しだからだと考えた」
「後押し、だと?」
「うむ。やはり立場や自尊心などが邪魔をして、普通の日ではなかなか言い出せぬものよ。
 里の女子衆を見たろう? 普段から会い、言葉を交わすからこそ、想いを伝えられない。
 それを今日という日で後押しするのじゃ。そういう者たちへの後押しだが……主は事情が違う」

 紫と藍は年中あっているわけではない。冬の間は声を交わすことが出来ない。まるで、織姫と彦星のように、引き離されている。

「それは……」
「言葉を交わすことが出来ぬ寂しさ。お主のその気持ちは、そこからじゃ。
 確かに今日という日に言葉を伝えるのは大きい事じゃろう。けれど、それはあくまでも二人の関係が未熟であったからにすぎぬ。我から見るに、お主と紫殿の間には、十分愛があると思うが?」
「だが……私も、子供たちと一緒で、日常では言えないよ」
「主は聡いお人じゃ。式だなんだと理由をつけて、言いたいことも言えぬ、損な性格じゃな。しかし、それすら紫殿はわかっておるよ」

 モノに込めずとも、言葉にせずともつながっている。主と式としてではなく、紫と藍という個人が。そこには挟むべき余計なものは存在しない。
 もし仮にどうしてもというのであれば、それは日常生活の中で示すのが良い、と布都は言った。
 日常こそ得難いモノ。故に大事にすることで、相手と自分を親密にするのだ、と。
 恥ずかしくて結構。中々言い出せないのも結構。けれど、本当に想っているならば、それは自然と相手に伝わっているから、いざという時は気にせず伝えよ、と。

「我はその日常からまず先に潰してしまったからな。我と屠自古はどうしようもないだろう。しかし、お主たちは既に成就しておるよ」

 紫が冬眠する前、一度二人で飲んだことがあった。その時の話は幻想郷だったが、その節々に藍のことを気遣う内容が混じっていたのを覚えている。無意識だろうが、それほどまでに紫は藍を溺愛している。それに、今気づいた。

「だが、どうしても伝えたいと思ったら?」
「伝えればよかろう。ただし、それは今日という日以外でじゃ。近年入ってきた文化がなければ伝えられぬほどお主の主を想う気持ちは低いモノか?」

 それはない、と首を横に振る。大切な人を想う気持ちはだれにも負けない。

「それでよい。バレンタインという日は確かに重要じゃが……お主には必要ない。恥ずかしい台詞で言うならば、お主らの愛はバレンタインという枠を超えて表現すべきもの、といったところかの」
「…………」
「だから、プレゼントは必要ない。ただ、昨日お主は壊そうとしていた時止めたのは、あれでは後悔すると思ったからよ。後悔は言葉をせき止めてしまう。純真無垢な心を汚すのは気が引けた」

 ひょっとするとこの女性は、思っている以上に立派なのではないか、と思う。年齢は自分よりはるかにしただ。だが、短い時間で他人を観察し、推論する洞察力がきわめて高い。素直にすごいな、と感服してしまう。

「……そうか。私には、プレゼントは必要ないか」
「あえて言うならば、お主が生きることこそが宝物だろう。紫殿が冬眠から覚めたとき、傍にいてやれ。いつも通りの笑顔で、いつも通りの食卓でな」
「……なあ物部殿」
「皆まで言うな。考えを変えろと言いたいのだろう? 悪いが、ここから先は我と屠自古の問題よ。妥協できる線を越えておる。今はこれでよい。もし仮に関係が変わることになるとしても、それは先に延ばす」
「いいのか? 延ばせば延ばすほど、苦しむぞ?」
「苦しむべきなのだよ、我は。そうするべきだ」

 屠自古も苦しむだろうが、立場が違う。それぞれ、抱えているモノ、支えているモノが違う。
 屠自古には神子がいる。何かあれば、神子は屠自古を助けるだろう。屠自古にも神子にも未来がある。
 そしてその礎を作るのが自分の役目だ。自分は神子を支えながらも一歩下ってみていれば良い。皆が迷惑しないよう、一人になることもできるのだ。それでいい。

「そう……か。すまんな。悩みを聞くはずが、自分の悩みを打ち明けることになってしまった」
「構わん。我も人に喋ることが出来た。気が楽になったよ。誰かひとりには吐露しておきたかったのだと思う。一つ提案だが、互いにこのことは内緒ということにせぬか?」
「わかった、そうしよう。言ってて正直恥ずかしくなってしまったしな」
「それともう一つ、我の名は布都じゃ。そう呼ぶと良い」
「そうか、私も藍だ。九尾殿じゃ、少々硬いよ」
 
 お互いに頷く。最後の最後、名前を呼び合うことでまだ硬さが残る関係を壊す。藍は布都を好きになっていた。この先友人として仲良くやれそうだ。
 似たような問題を持った者同士だ。藍の問題は藍が、布都の問題は布都が解決する。手助けが必要な段階になったら手を貸せば良い。
 ひとまずこの話はしまいになった。まだ言いたいことはたくさんある。が、今はやめよう。折角の酒も不味くなってしまう。

 それに、丁度良いタイミングでミスティアが戻ってきたのだ。秘密は喋らないモノだ。

「何のお話をしていたんですか?」
「いやなに、お互い大変だな、という話さ」

 空気が変わったのに気付いたのか、訪ねてくる彼女を適当にはぐらかす。
 怪訝な表情を浮かべるミスティアを尻目に、布都と笑いあいながら藍は懐からあるモノを取り出した。

「おう、結局持ったままか、それは」
「まあな」

 包装されたハート型のチョコだ。事情は分かっている癖に茶化してくるが、今はその優しさが助かる。きっとさっきまでの自分では、これを見た瞬間に気分が沈んでいただろう。

「あら、バレンタインのチョコですか? 残念、日が変わっちゃいましたよ」

 そういって時計を指差すと、確かに夜中の零時を過ぎていた。二月十五日、普通の日だ。もう、このチョコにはバレンタインの意味は込められていない。ただの、お菓子だ。

「よし、食べるか」
「良いのか?」
「勿体ないしな。女将、あなたもどうだ?」
「あら、良いんですか? であれば、いただきましょう。新作のウイスキーもありますが、どうします?」
「良いな、しかし手持ちがもうない」
「我が払おう。なに、実のある話をした、礼だと思え」
「では、少々お待ちを」

 グラスに注ぐミスティアを尻目に藍は包装されたまま上から手刀で叩き割った。豪快だな、と笑う布都につられ、藍も笑う。
 昨日のような暗い気持ちはない。むしろ、晴れ晴れとしていた。
 包みを開けば、ハート型のチョコレートは粉々になっていた。

「ふむ、これはあれか? 失恋ということか?」
「いやいや。この形に収まりきれずに壊れるほど、愛が大きい、と思えばよくないか?」
「……あの、言ってて何か恥ずかしくありませんか?」
 
 確かにむず痒い。思わず背中に手を入れ掻いてしまった。そんな藍を笑いながら、布都とミスティアはそれぞれチョコを口に運ぶ。

「おいしい」
「うむ、美味じゃ。少々苦いがの」

 昨日の作成工程はさほど覚えていないので、味は正直自信がなかったのだが……笑顔を浮かべる二人を見て、安心した。それに追随するように藍もまた一つ口に入れる。
 作ったのは普通のチョコレートのつもりだが、配分を間違ってビターチョコレートになってしまった。まぁいい、大人の味だ。濃く、苦いチョコレートの味が口に広がった。
 味を堪能していると横から小突かれる。見れば二人がグラスを持って待っていた。何に乾杯かは問わない。言わずとも、わかっていた。
 苦笑しながら、三つのグラスを合わせ、鳴らした。
 バレンタインのすべきことはしなかったが、これでいい。また一つ、気づいたことがある。それに友もできた。
 きっと幻想郷のどこかで恋人たちが甘いひと時を過ごしているだろう。自分はこうして新しくできた友と酒を飲み、談笑をする。寂しくはない。むしろ、その恋人たちに負けないくらい、心は暖かだ。もう妬ましくもならないだろう。
 ただ、早く紫の笑顔が見たいな……そう思いながら、藍は再びチョコレートの欠片を口に入れた。
 その味はやっぱり……少し、苦かった。




終わり
どうも、長靴はいた黒猫です。
時事ネタとしては八雲一家で母の日を書いた以来の作品。
ほのぼのを書くつもりだったんですが、なぜこんなことに……。
冬眠故に渡したくてもその日に渡せない藍と、過去との経緯から貰う訳にはいかない布都。
渡すと受け取るの立場のお話を書きたいと思いこうなりました。
布都と屠自古は史実基準。布都は神霊廟の中でもお気に入りのため、また書きたいですね。
ではこれにて。誤字脱字の報告、よろしくお願いします。
長靴はいた黒猫
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コメント



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1.100名前が正体不明である程度の能力削除
おもしろかった。
でも少し悲しいね…
2.80奇声を発する程度の能力削除
少し切ない感じが良かったです
3.100すすき削除
布都はそんなに阿保の子じゃない派の私歓喜!勝利!第三部完っ!
布都がらみの解釈や藍様の心境描写に納得させられました
13.100名前が無い程度の能力削除
おおう、点数見てびっくりしました。こんな素晴らしい話が埋もれているとは世の中間違ってる。深い心理描写や人間関係等々とにかくすごいお話でした。
19.100名前が無い程度の能力削除
こういう布都も素晴らしい。
また書きたいとの言葉に期待します!