Coolier - 新生・東方創想話

紅魔(幕間)~華人小娘、吸血鬼の館にて正道を貫く

2012/02/13 02:19:50
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 幕間――華人小娘、吸血鬼の館にて正道を貫く
 紅美鈴、その本質は布のような柔軟さでできている。
 時に柔軟さとは何者をも貫く槍となる。
 悪魔の僕となりながら、その本質は変わらない。
 その槍は何よりも先に、紅美鈴、その生命を貫いている。




『承前:始』

 紅美鈴は、過去においてこそ、自らの姿を強く見いだすことができる。過去から繋がる今。それは、未来へと繋がる道を描いている。

 紅美鈴は、自分が何者であるかを、自分が何によって成り立っているかを、はっきりと認識している。
 前者は人を喰らい、人に交われぬ妖怪。後者は、人の手によって練り上げられた型、鉄を打つように鍛え上げた自らの拳法によって。その、人性妖性入り交じった異形が紅美鈴というものであると、紅美鈴は自覚している。

 美鈴は、人であった。平和な村に暮らし、幼き頃から教えられた拳法の、巧みな使い手として村で頼りにされ、幼い子供に拳法を教えながら、畑を作って暮らした。
 平和そのもの、全くその言葉通りの暮らしであった。美鈴は自らに、鍛錬を課していた。自らを律し、何者にも曲げられぬ強固な意志が、正しく使われること――それによって、美鈴は平穏に暮らしてきたし、以後もそうであると信じていた。

『承前:始:了』




『華人小娘、刃と相対す』

 咲夜に投擲されたナイフが、的の中心から僅か逸れて突き刺さっている。十五歩離れた的に、五本のナイフを命中させるだけでも充分な鍛錬が必要だ。その点で咲夜は能力に頼らずともそれなりに戦闘は行えるのだろうと、美鈴は素直に賞賛した。
 それが何故、「私を鍛えて欲しい」などと言い出すのか、美鈴には分かりかねた。何より、時間停止……その力があれば、美鈴の力などは塵に過ぎない。以前のことは不意を打ったに過ぎず、正面切って殺し合えば、結果は言うまでもないことである。
 続けて、美鈴が投擲することになった。咲夜が、傍らに置いた木の台に、ナイフを突き刺して言う。
「全力でして。あなたの力が知りたいから」
 ふむ、と美鈴は思う。なら、とびっきりのを見せようか。美鈴は呼気にて気脈を整え、指先から髪の毛の先にまで気を至らせるように充満させる。台の上に突き刺さった五本のナイフを一本ずつ手に取り、そのナイフにも意識を満たしてゆく。まるでナイフの先端が指先のように、美鈴の意のままに操れるかのように。
 手首を内側に曲げ、二指でナイフを挟む。腕を伸ばすだけの、最低限の動きで美鈴は投擲した。最初の一本が突き刺さったあと、続け様に残りの四本を。
 咲夜のナイフが、的の中心から僅か外れ、中心を囲むように立ち並んでいる。美鈴のナイフはその中心に、的の真心に一本だけ突き刺さっていた。咲夜が回収しようと歩み寄ると驚きに目を細める。
 ナイフは、柄に突き刺さり連なり、真心に立ち並んでいる……。異常だ、と咲夜は思った。集中力、精密さ、どういう鍛錬を積めばこんな風になるのだろう。咲夜は美鈴を仰ぎ見る。
「ふっ」
 美鈴が構えを変え、軽く地を蹴って滞空し、身体を一回転。掌で風を掬うように構えを作り、再び地に下りた時、美鈴の側でごく小さい範囲でのみ発生したはずの風圧がバタフライ効果のように美鈴と咲夜の間を吹き抜け、強い風圧となって草木を揺らし、木の葉をひらめかせた。的に突き刺さったナイフが風に絡め取られて飛び、美鈴の元へと立ち帰る。美鈴が一切手を触れないまま、台に突き刺さり、規則的な距離をとって、立ち並んだ。美鈴が胸の前で拳を掌で合わせ、一礼する。吹き上がった木の葉が、ひらひらと舞い落ちる。
「……あなた、すごいのね」
「あはは、ほんの戯れです」
 美鈴の言ったことは真実だった。風を介して伝わる力は、直接身体から与える衝撃とは比べものにならない。美鈴が行ったのは、ほんの少しの気を風に乗せただけ。こんなものは咲夜の時間停止によるマジックと同じで、子供騙しのトリックに過ぎなかった。けれど、力を勝手に見誤ってくれるのは美鈴にとって都合が良いので黙っていた。
「気を扱えるようになると、あなたのようになるの?」
「うーん、咲夜さんは充分強いじゃありませんか。私のような力なんて……」
「あなたに、私は勝てない」
「…………あはは」
 美鈴は小さく笑ってごまかした。
「……否定できる?私はできないわ。何度やっても、あの夜のようになる」
「それで、私と同じ力を身につけようと?」
「あなたと全く同じ力を身につけられるとは思わないわ。ただ、能力に依らない勝負になった時、最後に頼れるものだと思ったから。肉体の内外の気を整えることで、誰かの襲撃に気付けるかもしれない。気の籠もった一撃を貰っても、耐えることができるかもしれない」
「うーん。そこまで万能ではないですよ。気配は場数を踏んで勘を鍛えるしかないですし、本来の鍛えた身体で出来る範囲でしか、剛性を発揮することはできないですし。あなたの能力はそんなもの凌駕しているでしょう。あなたが抗えない者と言えば、それこそ……」
 美鈴は館を振り返った。
「ま、あれは反則ですけど」
 ふぅ、と咲夜が溜息をつく。美鈴が咲夜を振り返って言う。
「それはそれとして、強くなりたいと言いながら、咲夜さんは能力に頼りすぎではないですか? 身体にあまり筋肉もついてませんし」
「ぎく」
「まずは身体を鍛えるところから始めてはどうですか? 付け焼き刃に私の力を身につけるよりも、確実ですよ」
「ええ、まあそれはそうなのだけど。何分忙しくて」
 紅魔館は未だ朽ちかけた姿のままで、ガラスは割れ、どこもかしこも埃っぽく、調度品も汚れたままであちらこちらに蜘蛛の巣が張っている。咲夜がちまちまと進めてはいるが、とても追いつくものでもない。
「ふむ。妖精を使うのはどうです?」
「うーん、吸血鬼の住む館になんて、好んで働きに来るかしら」
「ああ、それなら問題ありません。妖精は存在価値を与えられるのが好きですから、喜んで来ますよ。可愛い服装なんて着せてあげれば文句なしです」
 そうね、考えてみましょう、と咲夜は頷いた。
「さて……今日もお手合わせお願いできる?」
「ええ、構いませんよ。勝てる気は、しませんが。」
 では、と咲夜は囁くように言い、美鈴に向き直った。自然体がそのまま、戦闘態勢となる。咲夜の構えだった。




 風が枝葉を、草木を揺らしてゆく。風に乗って彷徨するかのように、咲夜の姿がふっと掻き消える。
 時間停止……咲夜の力。美鈴の追いすがることのできる、知覚できる世界を超えてゆく力。対して美鈴は、瞳を閉じた。感覚が広がってゆく。皮膚一枚隔てて、気と大気が触れている。じんわりと浸食するように大気に気が染みてゆく。揺れる草木、転がる枯葉、風がどこから吹いてどこへ行くのかまで知覚できる。無論咲夜の投擲するナイフの煌めきも。
 咲夜が投擲したナイフは12本。背、右足、額、脇腹、大腿、首筋。それぞれに二本づつ。同時に弾着する刃を、如何にして回避するか。ステップを踏み強引に位置を変えるしかない。それも知覚のできない世界で……どこかの損傷は避けられない。
 だが……美鈴自身が知覚する必要はない。美鈴にとっては、鍛えた身体が動作すれば良いだけのこと。咲夜が止まった時間の中で同局面に動作できるように、美鈴は感覚の上で、同局面に動作できる。
 気に満ちた美鈴の思考は高速化され、飛来したナイフを感知すると同時に全ての動作を決定し、末端神経へ至るまでの時間さえ省略して身体は従う。背、脇腹を目指した刃を、正面を向いたまま掴む。対になったそれぞれを手首の動きだけで払うと、額、首筋、大腿……払ってゆく。右足を狙ったものだけ持ち上げて躱し、左足を軸に、右足を振り下ろす勢いを持って知覚の中に現れた咲夜に、手に持ったナイフを投擲した。
 動き始める時の中、美鈴の知覚の上に、咲夜が同時に存在する――投擲した先、そして背後に。美鈴の投げたナイフの先にいる一人が掻き消える。そして背後にいる咲夜が、足を振り上げて後頭部を狙っている。投擲姿勢から戻りきる前に感覚が戻ってきて、回避は敵わず、美鈴は左手を上げて受けた。
 そして、また咲夜が知覚の上に現れる。今度は正面。腹部への回し蹴り。上段蹴りが受けられると同時に回し蹴りを行う。途中の動作は時間停止で省略する。
 咲夜なりの連続動作だった。左手を受けに回した美鈴には、咲夜の蹴りに対応できない。結果として上段蹴りから身をかばった姿勢のまま回し蹴りを受けて、美鈴は二重の衝撃であらぬ方向へと蹴り飛ばされた。
「う……っ、やっぱり、卑怯ですよ、それは」
「何とでも言いなさい。私の力よ」
 美鈴が転がって衝撃を殺し、立ち上がった時には咲夜の姿は断ち消えている。以前の意趣返しのように、咲夜と美鈴の手合わせは、一方的な様相を呈する。とは言っても、美鈴にとって以前のレミリアとの戦い、その一撃一撃と比べれば、筋肉の少ない咲夜の一撃は派手なだけで、何度喰らおうとも痛みは残らない。刃は流石に手加減して投げてくれる。美鈴と咲夜は、互いに互いを殺してはいけないという制約の中戦っている。
(……なら、少しだけ見せてみようかな)
 美鈴にとって勝つ必要のない手合わせなのだ。適度に殴られて調子を合わせていればそれで良い。だが、時間停止に追いつこうと努力することは美鈴にとって無駄にはならない。いつか時間を遡行するような動作を身につけられれば、咲夜の世界さえ超えてゆけるだろう。美鈴にとって生きるとは歩み続けること。どの領域へも行けるようになることだ。
 咲夜が美鈴の世界に現れ、頬を殴る。型もなく筋力もない、撫でられたような痛みだ。美鈴にとっては受けるまでもなく、ただすっとその手を取った。
「あ……っ」
「まぁ、こういうことですよね」
 簡単な話だ、と美鈴は思う。自分より早い相手に追いすがれば、美鈴と対峙したレミリアのような姿を晒す。そして、対応策はレミリアが示したのと同じ。捕まえてしまえば良いのだ。
「失礼」
 加えて、咲夜は圧倒的な勝負ばかりしてきたのだろうと、美鈴は推測する。予測外の出来事に対応し切れない。時を止め、腕を切れば良いのに、それをしない。いや、できない。 焦燥は思考と動作を止めてしまう、危険なほどに。
 二度腹部を軽く打つと、咲夜は身体を折り曲げて地に膝を突いた。
「ほら。やっぱり、鍛え方の問題ですよ」
 片腕を掴んだまま、最適の型で最大の力を込めることなど能わない。片腕だけの力で折れてしまうのだから、打たれ弱いと言わざるを得ない。
「う……うるさい」
 咲夜が立ち上がる。無理をしなければいいのに、と思う。
 結局、咲夜が疲労して動けなくなるまで戦闘は続き、美鈴はレミリアに働く奴を潰すんじゃないと文句を言われ、その日の食事を作ることになった。いつも通りに中華料理を作ったら人間用の食事は好みじゃないと言われ、無理無理勧めて一口食べたら途端に気に入った。レミリアが吸血を止めた一因でもある。


 食後、自室で眠る咲夜の、ベッド脇の小机に食事を置く。それともう一つ、美鈴は紙切れを取り出して、同じように子机の上に置いた。咲夜に合わせたトレーニングを書き込んだ紙切れ。テーピングで止血をした、傷だらけで眠る咲夜の寝顔を見て、美鈴は微笑んだ。
 美鈴は咲夜を尊敬している。レミリアとどういう関係があり、どういう過程で人間の咲夜が、吸血鬼であるレミリアの従者をしているのかは知らない。だが、主従を結ぶのに種族は関係ない。美鈴は咲夜の、主人に対する敬意と忠心を尊敬している。そして、人の身でありながら、妖怪に対峙し超えてゆく力を持つことに。
 殺し合いならば、簡単だ。咲夜は美鈴などいとも容易く殺してしまえる。咲夜が経験してきたのはそういう戦いで、一対一で向き合うことなど殆ど無く、更に言えば敗北さえも、無いかあっても数度だろう、そう美鈴は推測する。殺してはならない戦い、一対一でする戦い。殆ど経験のないことばかり、咲夜が慣れないのも当然だと思う。
「咲夜さん、殺さずに勝つことは、殺すことの何倍も難しいですよ」
 咲夜に聞こえないように、美鈴は呟く。直接戦闘において咲夜の師父になることを、美鈴は心に決めている。まずは能力を使わない戦闘の練習と鍛錬の徹底だな、と思っている。

『華人小娘、刃と相対す:了』




『承前:志』

 やがて平和な村に戦乱の波が押し寄せたことによって、村の運命は大きく歪められ、美鈴自身も例外ではいられなかった。
 いや。美鈴が利己的であったなら、一人生き延びてまた平和に暮らすことも叶っただろう。だが、美鈴は自らの力を、意志を、曲げないことが自分、他人、世界、全ての為になると信じていた。自分を曲げて得た平穏も安全も、何の価値もないと信じていた。結果的には、そのことが美鈴の運命を大きく歪めた。

 村に圧政が生まれ、暴力の嵐が吹き荒れる。一人立ち向かった美鈴も、兵達に追われ、満身創痍で村を出た。逃亡する日々の中、傷だらけで体力も萎え、美鈴は遭遇した一団を打ち倒した。傷ついていたが故に、何者であるかを計らず、追っ手と即断して打ち倒した一団。それは、美鈴を探しに来た村の青年達であった。

『承前:志:了』



『華人小娘、戦いの申し子と相対す』

「こんにちは」
 傘をさして、柔和な笑みで風見幽香は美鈴へと微笑みかけた。美鈴は困ったな、と思いながら、頭を下げた。
「……こんにちは」
 こんな所にどうして来る、と美鈴は思った。レミリアの悪目立ちは今に始まったことではないけれど、せめて、レミリア自身が相手をすれば良いのにと美鈴は思う。門番という立場ではそうもいかない。ええい、と美鈴は思った。腹をくくりながら、幽香の目を見る。
「こんな所で会うなんて珍しいわね」
「ええ。幽香さんこそ、あの花畑を離れるなんて珍しい」
 日だまりのように穏やかな雰囲気を漂わせながら、幽香はそこに立っている。風がゆるやかに流れるたびに、幽香の髪が揺られて良い香りがする。花に囲まれている、自然な香り。思わず眠ってしまいそうなほどに、安らかになる。暴力の伴わない風見幽香はそういう存在だった。
「ええ。ちょっと、用事があって」
「あ、一応、御用は私が聞くということになってて」
 あら。驚きに幽香は目をちょっと広げた。あらあらあら。
「あなた、妖怪の味方をやめて、あの吸血鬼に魂を売ったの」
「いいえ、魂なんて売ってはいませんよ。それに、妖怪の味方だったこともない。私のいる所が、唯一紅美鈴のいる場所です。今はちょっと強迫されて、門番なんてやってますけど」
「変わらないわね、そういうところ。でも、私。あなたが相手でも、あの調子に乗ってる吸血鬼の小娘に用があるの。森の、有象無象に過ぎない妖怪達を倒した程度で勝ち誇っているのですって? ねぇ? ……通して下さる?」
 ぢり、と空気の密度が変わる。幽香の全身に、今にも破裂しそうなほど力が充ちて、解き放たれる時を待っている。ふぅ、と呼気を整える。
「いいえ。私にも、通すべき筋はありますから」
 抉り込むように傘が、美鈴と幽香を隔てていた距離を貫いて、美鈴の服に風穴を開けている。布と肌一枚の距離。紙一重の回避。美鈴の動作に伴って繊維が音を立てて破け、遅れて風圧が伴った。風に吹かれて幽香の髪が乱れ、はたはたと揺れる。
 ――暴威に満ちた、どこまでも穏やかな姿を、美鈴は美しいと思った。暴威の黒き風を纏って右腕が伸びる。受け止めることすら能わぬ――身を仰け反らせて躱す、拳が触れずとも風圧で……肌がたわみ、ぢりぢりと焼け付くような気分さえするほどの一撃。
 風見幽香の一撃は。ひたすらに、重い。レミリアの指は鋭利に尖った爪を持ち、また、力を込めた拳は地を抉るほどに強烈だ。だが……それとはまた、違う。レミリアの拳は軽い。だから、拳以外の場所への動作で、簡単に流すことが可能だ。だが、風見幽香は違う。神鉄性の芯が通っているのかと思うほど、その軌道を逸らすのに小手先では力が足りない。
 連打が来る。美鈴は足技でそれを捌いて、後方へと退がりながらそれぞれを紙一重に回避し続けた。
「相変わらず、あなた逃げるのだけは一級品ね」
「褒め言葉と受け取っておきますよ」
「当然じゃない。私相手に、逃げ続けることができるなんて」
 左腕が美鈴の額を掠め、続けて左足が伸びる。上段蹴りをくぐると、振り上げた足の勢いのままに、右足が後ろ回し蹴りに飛んでくる。この連続動作性! 型もなしに、この読み切れなさと圧力、更に言えば無尽蔵のスタミナ。それが幽香だな、と美鈴は思う。
即座に振り返り、更に連打を仕掛けようと繰り出す幽香の左を躱し、美鈴はカウントを始める。3。
 左に続けて出る右手を、身体を屈めて躱し。2。
 続けて繰り出される左手を、右腕でガードする。アッパー気味の拳が、容易く美鈴のガードを吹き飛ばす。1。読み通り。
 0。追撃に幽香の左手が来る。だが、その左手が来る前に、美鈴の左手が幽香の頬を捕らえている。曲げた肘を最低限の動きで振り抜くショートパンチ。必然のように吸い込まれ命中する。右手が弾かれた時から、動作を始めているのだから、早さも圧力も関係ない。
 そして、幽香がにやりと笑い、幽香の動作は止まらない。幽香にとっても、頬への一撃程度は関わりのないことだ。それも分かっていた美鈴は、幽香の脇をくぐり抜けるようにして、前方に跳んで危うく難を逃れた。
「……ふう」これだから嫌なんだ、と思う。とてもダメージを与えたようには見えないし、こちらが一回喰らえば終わりなのは、レミリアの時と状況は変わらない。しかもこちらの防御も通用しない、となれば、こういう綱渡りを延々と続けていくほかない。
「相変わらず、するすると、やりにくいわね、あなたは」
 美鈴の力は、強者に勝つ為の力だ。単純に膂力ならば、より強い者が勝つ。そんな馬鹿なことはない。幽香が放つその暴威も、より強い暴威があれば砕け散る。膂力の関わりのないところで、美鈴は勝つ。そういう哲学がある。
「私はあなたの、その馬鹿力に向き合うことはしませんから。弱いところをひっそり叩く、それだけですよ」
 目測で距離を計る。美鈴からおよそ七歩の距離。二歩で詰める。三歩目と共に右のストレート、と見せかけて重心を変え、左のフック。腹部を狙ったそれは、腕を振りかぶっている幽香にあっさりと命中する、だが動作は止まらない。
「うひ」
 思わず焦り、下がろうとした踵が何かに引っかかり腰が浮く。後ろ向きに転びながら、幽香の左手を躱す。美鈴の身体が中空にある内に、好機を見て取った幽香がベクトルを下方へと向ける。繰り出した左手を引き、右手を振り下ろしてくる。
 幽香が喜悦に笑う。美鈴は対象的に憔悴を表情に現したまま、身体を半回転。回転する力を右足に溜める。身体は宙に浮いたまま、右足が幽香の頬を捕らえる。
 転ぶ動作まで全て、美鈴のフェイントである。美鈴の体術を持ってすれば、後ろへと重心がかかり、身体が浮いた状態からでも攻勢を得るのは、さほど難しいことではない。
 攻勢が入れ替わった幽香が、初めて身体をよろめかせバランスを崩す。不意打ち、身を固めることのできない美鈴の蹴りによるカウンターは、不十分な体勢ながら気をも込められていた。蹴りの入った頬から顎にかけて、痺れのような痛みが連続的に発生している。美鈴は回転する勢いのままに立ち上がり距離を取り、体勢を整えた。構えは解かない。
「……私があなたに挑むには、余裕なんてどこにもありませんが。……あなたにも、あなたが思っているほど、余裕はありませんよ?」
 幽香は、ますます笑みを強くしたように見えた。美鈴は急速に意識を集中させた。コンマに時間が切り取られた世界の中で、幽香が傘を持ち上げるのを捉える。まずい、と思考が捉えるよりも先に美鈴の身体は動作し、なりふり構わず伸ばされた手で幽香の傘を掴む。いや。身体ごと潜り込ませるように、上方へと向きを変える。
 神速と言って差し支えない速度。傘の先から照射された強烈に過ぎる光エネルギーが紅魔館の屋根をかすめて空を切り裂く。エネルギーの放出を感じながら美鈴は幽香を仰ぎ見る。光に遮られてその表情は見えない。
「悪かったわよ」
 左足が振り上げられるのを、美鈴はその瞬間に垣間見る。紅魔館と自分を秤にかけ、瞬時に跳びすさる。緩急に飛び込み、幽香の手にある傘を蹴って地をかける。目指すところはそう遠くない。湖の上!
 幽香が追いすがる。美鈴の背を向けて伸ばされた傘を、美鈴は気配の内に感知している。風の流れが変わり、放射準備を終えたことを伝えている。横っ飛びに躱し、湖の上で二人は再び対峙した。
「正直舐めてた。でも、これからは出し惜しみなし」
 幽香が小さく呟き、空いている右手をかざすと中空に傘が生まれ、手に取る。傘の両手持ち。十字架にかけられた姿のように、両手を大きく広げる。
 傘から照射されたレーザーが、幽香を中心にして水面を裂くのを、美鈴は見る。幽香が回転を始め――
「ちょ、ちょっと!」
 空気を蹴るようにして空中に逃れると、幽香が軸を変えて、美鈴へと照準を合わせている。一つが行き過ぎるとまた次が、連続して美鈴へと襲いかかった。
「くっ」
 苦し紛れに、咲夜から拝借したナイフを投擲する。光が回転する速度を超えて幽香に到達する訳もなく、光の中で溶けて気体へと昇華する。
 美鈴は急速降下と回避を繰り返して、けれど順当に幽香への距離を詰めつつあった。光の間隙を縫って幽香へと飛び掛かる。捨て身の跳び蹴り。効率の重視だけではなく、動作性、まずは幽香の側で、レーザーを喰らわない位置にいなければ話にならなかった。
「ふん」
 幽香が照射を止め、二刀流に振り払う傘で蹴りは簡単に止められる。首元から、朝のトレーニングの後身につけていたタオルを引き抜いて、傘を蹴って距離を取り、追撃に追い打ってくる傘をタオルで受け止めた。
「へえ……変わった技を使えるのね、あなた」
 タオルは当然柔らかい。だが、美鈴にすれば、指先と同じように、気を隅々まで行き通らせられる。ひらひらと幻惑して動作を見えづらくしておきながら、攻撃をする一瞬、受ける一瞬になれば、棒のように硬質下する。しゅるり、とたわんで、幽香が傘を横薙ぎにすれば両手で引き、受け止め、また垂れ下がる。
「魔法みたいだわ」
「ちょっとした力の応用ですよ……っとぉ」
 美鈴にも、軽口を叩いている余裕はなかった。傘が突き出されるのに合わせてタオルを真っ直ぐに突き出し、互いの頬を掠めて一瞬の後、美鈴は引き、幽香は踏み込んだ。正面からの顔を狙った顔蹴り、美鈴はスウェー気味にバックステップで躱し、傘を前に出す幽香と萃まる光を見る。
 光の照射が過ぎ去った後、幽香はそこに何もないのを確認する。
 ……消えてしまったか? だが、あまりに味気ない。仕留めた感覚もない。幽香は振り返って辺りを見るが、美鈴ほどに気配を察するのには長けていない。
 幽香は背後に一撃を受ける瞬間になって初めて、同時に気配を感じた。美鈴の、体勢と内功を整えた完璧な掌底は幽香の背を捉えている。
 水中を、と幽香は顧みた美鈴を見て思う。ずぶ濡れになった服。光で見えなくなる一瞬を突いて、湖中に逃れ、水面に波一つ立てることなく浮上し気を練った。幽香の身体が傾ぎ吹き飛ぶ。体勢を整えることもままならない、衝撃に水面を跳ねた。
 美鈴が追撃に跳ぶ。動作が連続してゆく。速度で幽香を超え、急停止と型、呼吸を同時に整え、拳をごく短い距離で振り下ろす。側頭部を捉え、突き落とし、その頭部が水面に落ちる前に膝で捉えた。伸び上げる膝蹴り、伸び上がっての前蹴り。持ち上がった幽香の身体を更に蹴り落とす。落ちる幽香に先んじて湖面に着地する。一瞬の内に動作した美鈴が残像を伴って、湖面に立つ一つに集約する。
「――ふっ!」
 単純な筋力、鍛錬の末に高められた勁力と、自らの気の力。全てを込めて、美鈴は拳を突き上げる。落ちてくる加速度と相俟って破壊力と為す。

 
 右手に還ってくる衝撃が、打ち上げられた幽香の受けた破壊を物語る。立たないでくれ、と美鈴は思う。掛け値なしに美鈴の全力だった。風見幽香という化け物を知っていても、そう願わずにはいられない。
 幽香の身体が湖面に落ちる。美鈴は動くことが出来ない。呼気を整え、内功を整える。美鈴の全力は自身の肉体をも、傷付けている。湖面に浮く幽香の身体。
 美鈴が飛び退るのと、幽香の右手が、僅かに体勢を変えた美鈴の肩口を捉えるのが同時だった。幽香の速度に美鈴が追いすがれなければ、頬を打ち砕かれていた。目測を誤ったとは言え打ち込まれた拳は、美鈴の肩を砕いている。
「ぐ」
 痛がっている場合ではない。耐えて、衝撃の勢いのままに距離を取る。水に濡れた幽香の髪、その下から目が、美鈴を見ていた。シャツもまた水に濡れている。
 湖面に浮いているのは、幽香の、チェックの上着だった。
「……意趣返しと、言うわけですか」
「なりふり構ってられないの」
 さて、続けましょうか? その余裕のある仕草からは、美鈴の与えたダメージは感じられない。今のと同じ衝撃を、何度与えれば幽香は倒れるのだ。美鈴は絶望の中、構えを崩さないまま向き合った。このままだと死ぬな、と美鈴は思った。
「そこまで」
 場違いに穏やかな声が響く。傘を差した吸血鬼の主が湖面にふわりと着地した。
「あまり雑魚を相手にしていても仕方ないでしょう」
「あら。面白くなってきたところなのに水を差すなんて、全く吸血鬼の娘は、空気の読めないわね」
「ペットを守ってあげるのも飼い主の務めなもので」
 あらら。美鈴が困ったように言う。
「わんわん」
「よしよし」
 レミリアが美鈴の髪を撫で、幽香に向き直る。
「もういいわ、美鈴。中に招待して? 私が相手をするわ」
「ふん。さっきから見ていたくせに、気に入らないわね。酷い目に合わせてあげるから、覚悟しなさい」
 レミリアの姿が、湖面から掻き消える。数匹の蝙蝠が館の方へと呼び去ってゆくのが見えた。
 面倒なことになったな、と思いながら美鈴は幽香を館へと誘った。門を越えて、幽香が美鈴を振り返る。
「あなたとの決着はまだついていないからね」
「いやいや、私は職務を果たしただけなので。負けでいいですよ」
「何よそれ、余裕のつもり? 私は一発も入れてないのよ」
 一発。ははは、笑ってしまう。幽香の言う一撃を貰うのは死ぬことだ。勝ち負けの関係のない次元に行ってしまう。
「今日はあの吸血鬼を虐めて帰るわ。……あら?」
 幽香が門を越え、館の内側、一区画を切り取って作った花畑に目を向ける。
「お花、育てているの?」
「ええ。まぁ。見た目が荒んでますからね。ちょっとでも穏やかな空気になればと」
「ふぅん。……頑張んなさいね」
 その一言を残して、幽香は中へと入っていった。レミリアとの闘いは三日三晩続き、食事や休憩を挟みながら時を過ごした幽香は、レミリアと仲良しになって帰っていった。出会い頭に殴り合う友達を喧嘩友達というのだろうか、美鈴は考えた。




 幽香が帰ってから、レミリアが美鈴の元を訪れて言った。
「それにしても、あなたちょっと強すぎるわ。幽香との手合わせを見てて思ったけれど。咲夜なんて相手にもならないし」
「いやいや。力で対抗ができないから、手数で勝負するだけで。死なないというだけで、とても強くなんてありませんよ」
 美鈴は手を振って否定したけれど、レミリアは聞き入れなかった。
「本来なら契約した時に記しておくべきものかもしれないけれど、あなたには徴をつけさせてもらうわ」
「は? 何を……うわ!」
 レミリアが人差し指をひょい、と振るとぽわん、と光り輝いて、手首に紅い紋章が刻まれた。
「な、何ですかこれ」
「あなたの力を抑えるものよ。まぁ、首輪みたいなものね。飼い主の手を噛まないように」
「まさか、私が造反でもすると? 馬鹿馬鹿しい、そんなことをするくらいなら勝手に出て行きますよ」
「無断で離れると爆発するわ」
「バトロワじゃないんですから」

『華人小娘、戦いの申し子と相対す:了』




『承前:至』

 錯乱の最中にある美鈴の前に、一人の少年が現れる。彼もまた美鈴を探しに来た、美鈴に教えを請うていた少年達の一人だった。
 錯乱と、飢えの中で、美鈴はその少年を殺し、喰らってしまう。飢えが満たされ、意識を保ち、自分が何者であるかも理解できた。故に美鈴は狂った。自らを充たす、少年を喰らったことによる充足に美鈴は嘔吐した。自らがそうしたものによって満足感を得る存在になってしまった、と、理解が出来てしまったことに。
 紅美鈴は、その認識の中、狂乱の日々を過ごした。だが、美鈴は意識を手放しもしなかったし、鍛え上げた技の型が失われることもなかった。拳法の型を繰り返すことが、美鈴に自我というものを保たせた。やがて、美鈴は妖怪である自己を受け入れた。

『承前:至:了』




『華人小娘、幼き意志と相対す』

 こうして美鈴にはリミッターがかけられた。「大丈夫よ本当に強い人に相対したら外れるから」そんなことをレミリアは言っていたが、慰めにもならない。
 とは言え。美鈴にとってはそんなものがあったところで、大して何かが変わる訳でもない。次の日からも咲夜と共に鍛錬をして、手合わせをして速度、反射、知覚能力が下がっていることに気付いた。だけどそれならそれで、やりようはあるものだ。何より能力を使わない手合わせの中で、鍛錬を積んだ美鈴が咲夜に劣ることもない。咲夜が疲労しすぎない程度に手合わせを済ませた後、咲夜を帰し、一人門の脇で鍛錬を続けた。
 瞳を閉じ、瞑想する。感覚を研ぎ澄まし、館の周辺にいる生物や、物の動きを観測した。物の動作を捉える観察力は、相手の隙、また攻撃の起点を見定め、攻防の起点となる。更に思考を読み解くことで、動作の起点の起点にさえ至れるが……美鈴にとってはまだ、全てを見極めるということは出来ない。何しろ思考は目に見えないものだから、そこに至るにはまた別の種族へと変わらなければならないだろう。
 気の察知する能力を鍛える動作は、そのまま館を見張る警備を兼ねている。咲夜が去る前から、塀の向こうからちょろちょろとうろつく二つの気を感じている。美鈴を伺い、塀に近付いては一つが手を引く、という具合に。
 やがて、ひそひそと話をする二人の、一人、侵入しようと試みる方がもう一人の手を振り払って飛び上がり、塀の縁に手をかけた。
「いけませんよ」
 声だけを投げかけると、びくりと身を震わせたのが分かった。目を開けて塀を見ると、氷の羽根を持つ妖精が、館の縁に手をかけて、登ろうとしている。
「何が目的か知りませんが……妖精なんて食べることもできないし、酷い目にあってお嬢様は不機嫌になるだけですね。止めておいた方がいいですよ、お互いの為に」
「……ふん! あたいに気付くなんて、大したものね! 褒めてあげるわ。あたいから数えて12番目くらいには最強だわ」
 高い場所にいる方が強い、と言わんばかりに妖精は腰に手を当て、ふんぞり返る。美鈴は呆れながら言った。
「あの、少し静かにして貰えませんか。遊んでると思われても困るので」
「何よ、偉そうに! あたいが誰だか、まだ気付いてないようね。最強のあたいに」
 誰ですかあなた、と美鈴が平坦に言う。
「あたいはチルノ! 妖精の間じゃ負けなしの、最強よ」
「ち、チルノちゃん」
「大ちゃんは黙ってて!」
 さっきからちょろちょろしていた妖精の片割れがチルノに声をかけるが、美鈴はどうしようかなと思った。追い払うのは簡単だけど、虐めてると思われても心証が悪い。
「湖の辺りはあたいの縄張りなの。それを、こんな館建てちゃって、主は吸血鬼って聞いてたから勘弁してやってたけど、噂に聞くとこんなに小さいちんちくりんらしいじゃない。そんなのが偉そうにしてるなんて馬鹿みたいだわ、あたいが分からせてあげる!」
 チルノが小さな身体をバネのように跳ね上げて、羽根でバランスを取って美鈴に飛び掛かった。美鈴は身体の軸をずらしてチルノの蹴りを躱しながら、どうしようかな、と思った。まぁ、今の私は門番なのだし。
「先に言っておきますけど」
 チルノを振り返る。「やるわね!」と喚くチルノに、その声は届いていない。再びチルノが拳を上げる。
「私、強いですよ」
 チルノの拳に合わせ、自らのそれを合わせる。拳同士が僅か触れ、離れる。チルノには気付かなかっただろうが、美鈴にとっては戦闘開始の合図、ついでに闘いを行うものへの敬意のつもり――だった。


 存外に速い。美鈴がチルノに対して受けた印象だった。確かに好戦的でない妖精達の間ではそれなりの実力者なのだろうし、名のない妖怪程度なら、勝つこともできるのだろう。だがレミリアや幽香には比べるべくもない。加えて、リーチが圧倒的に短く、踏み込んでくるのに合わせて引き下がるだけで、チルノの手は途端に届かなくなり、二歩三歩と踏み込む度に隙が見えた。まるで子供と打ち合いをしているようだ。懐かしいな、と美鈴は思った。人間の子供に技術を教えた時も、こんな風だった。
 昔を懐かしみながらでも、容易にチルノの動作は簡単に捌けた。
「くっ、なかなかやるわね」
「ええ、なかなかやるんですよー」
 チルノは一端攻め手を休め、一歩下がった。
「ふん、あたいの攻撃を避けるなんて流石だけど、相当に消耗したはずね。奥の手を見せてあげるわ。ここまで出させるなんて、こう……こ、こうめいに思うがいいわ!」
「諸葛亮? ……孔明ではなくて、光栄ではないですか?」
「国語の先生なのアンタは! いいから、喰らえ!」
 チルノが両手を前に突き出して力を込めると、急速に冷やされた空気が煙ったように冷気を放った。チルノの指先で生み出された小さな氷塊が美鈴目指して飛来する。
「あはは、どう! この攻撃には、流石にそれなりに強いアンタでも――」
 美鈴はその場から一歩も歩かず、感覚を研ぎ澄まし、空中にある氷を全て拾い上げた……拾い上げて、投擲し、チルノの額に命中させた。
 チルノは何が起こったのか分からずにわたわたした。額を抑え、動きも止めて。あまりに簡単過ぎて欠伸が出る。
「今の、見えました?」
 チルノが涙目になって首を振る。
「も、もう止めようよぉ、チルノちゃん。やっぱりここは危ないよ。あの人優しいみたいだし、逃げられるうちに……」
 チルノは黙り込んだ。逃げたいけれど、意地がそれを邪魔している。
 ここにも幼い道が一つ。美鈴は微笑ましく思った。自我と背反する高い壁。それを避けるか立ち向かうかは自分次第。美鈴は思った。叶うならば、自らの意地をいつまでも意識していられる魂を得んがことを。そうすれば自ら意識する望む場所へと行ける。望む未来へと。覚えておくが良い、真に望むものは目的地ではなく道なのだと。
「今日はこのくらいで勘弁してあげます。また、強くなってきなさい。いつでも……」
相手してあげますよ、と言いかけた所で、美鈴は言葉を止めた。紅魔館から一つの影が降りてくるのが分かったからだ。
「美鈴、お客様を勝手に帰しちゃ駄目じゃない」
 レミリアが再び降りてきたのだった。幽香の時と同じだ、と美鈴は思った。この人は退屈だから面白そうなことがあったらこっそり覗いている。暇な上司というのは全く手に負えない。
「チルノと言ったかしら。私がレミリア、小さくてちんちくりんの紅魔館の主よ。よろしくね」
 あ、怒ってる。チルノの隣に並んだレミリアは、チルノより数㎝ほど小さかった。チルノが怯えているのが分かる。カリスマは空気中に放出されるようなものなのか。それともやっぱり本能的な恐れが生じるのか。チルノは怯えながら手を握り、レミリアに手を引かれて歩き出した。
「ほら、館にいらっしゃいよ。たっぷりと歓談してあげるから。そっちのあなたも」
 二人はそのまま、強引に館の中へと連れ込まれた。この世には壁なんかじゃなくて、暴虐の肉食獣もいるのだということを、身を以て知ることもあるのだ。美鈴は静かに合掌し、二人は数時間後に泣きながら紅魔館を出て、何処へと去った。
 その後、偶然に会ったチルノの片割れに話を聞くと、目の前で死体から血をグラスに注がれたり、過去に返り討ちにしたヴァンパイアハンターの話をされたり、捕まえた人間に使った拷問具を目の前に並べられたり、叩いて被ってジャンケンポンゲームをさせられたりしたらしい。(「遠慮なく叩いていいのよ、こっちも遠慮しないから♪」「あら、負けちゃった。ほら、叩いて良いのよ。あら、また。ジャンケンが強いのね、チルノは。あはは」)トラウマになっていなければいいけど、と美鈴は思ったが、チルノは三日もすれば忘れたらしい。忘れることができるのは良いことだ。最後には忘却だけが全てを許してくれる。美鈴にとってもそうだった。

『華人小娘、幼き意志と相対す:了』




『承前:死』

 妖怪になった美鈴の感覚は敏感になり、知覚できる世界が広がってゆく。相対する者の気を読み取ることが出来た。やがてその範囲は広がり、まるで世界が自らのものであるかのように広がった。皮肉なことに、美鈴は人を捨てることによって、人ならざる拳法の領域へと到達した。
 そして美鈴の非凡さは、それを受け入れてしまったことだった。自らが喰らった人のことを、忘れ去ることはしない。そして、拳法もまた、捨てさりはしない。全て飲み込んで、どこまでも高みへ行く。そう美鈴が望んだことで、美鈴は初めて自分が何者であるかを認識する。
 私は紅美鈴。妖怪でありながら、自らの道を行くもの。
 そう、美鈴の道にとっては、人間であるとか妖怪であるとかは意味を成さないことだ。ただ必要なのは、意志を貫徹する力だけ。
 美鈴はただ、その為に生きている。

『承前:死:了』




『華人小娘、謎の妖怪(自称)と相対す』

「妖精を虐めたらしいじゃない!この裏切り者!」
 傘を差した妖怪が、館にやってきて美鈴に言った。また面倒事か、と美鈴は溜息をついた。
「はぁ。まぁ、裏切ってはないですし妖精を虐めたのも私じゃなくてお嬢様ですけど。それが、どうかしましたか?」
「問答無用!」
 妖怪が傘を突き出した。のわ、と美鈴は思わず呻き、顔を背けて回避した。見えなかった。思ったよりも強いらしい。
「そっちから話しかけてきたんじゃないですか!」
「うるさいわね。妖怪を裏切って吸血鬼について、その上妖精を虐めて楽しいの、このサディスト。虐殺者。ジェノサイダー!」
 はぁ、と美鈴は溜息をついた。どこからどう見ても徹頭徹尾ふざけているようにしか思えない。実際妖怪は笑みを浮かべている。けれどふざけたようなにやにや笑いでもなく、悦楽による笑いでもない。人を陥れる時の笑みが、最も近いように思える。
「それより、あなたは誰なんですか。決闘を挑むなら名前くらい名乗って下さい、私のことは知っているみたいですけど」
「そうね」
 傘を差した妖怪はちらり、と視線を脇に向けた。金色の髪。白いワンピース。白いふわふわの帽子。
「謎の妖怪ということにしておきましょう。さあ、かかってきなさい!」
 何だ一体、と美鈴は思った。


 傘と扇子、その二つが謎の妖怪の戦闘スタイルらしい。加えて実戦的でないのに、何故か読み切れない優雅な動作。足運び、立ち振る舞い、踏み込み、引き。どこを切り取っても一枚の絵になるかのように美しかった。
 美鈴は思う。この、謎の妖怪は、自らを嚆矢として全てを美しく彩ろうとしている。
美鈴がそう思った理由も分からない。ただ本能的にそう感じ取った。
 不思議なことに……謎の妖怪と打ち合っていると、自らもその絵画の中に引き込まれたかのように、美しさが宿るような気がした。気付けば腕の紋章が消えている。最初の一撃ほどに、以後の動作は速く感じられなくなった。美鈴自身が速くなったのだ。
 傘を打ち広げて一撃、足元を扇子で払って二撃。
 傘の届く範囲を見切って一歩を下がって一撃、足元を狙う扇子を踏み越えて二撃。
 攻撃を見て放った、真っ直ぐに伸ばした美鈴の足は、妖怪が腕で防いだ。直ぐに引き戻して、攻勢に踏み込んだ。顔を目掛けて腕を出し、妖怪が軽く振り払って扇子を美鈴に向ける。美鈴が首を振って躱す。そして、同時にその腕を打った。腕が痺れるほどの力で打った衝撃で、妖怪は扇子を取り落とした。躱す動きをフェイントにしての、美鈴のカウンター。型に嵌った動作ではないから、力を込めても威力は低い。美鈴が追撃に蹴りを見舞うと、妖怪は一歩を引いて、取り落としたはずの扇子を広げて、真っ直ぐに伸ばした美鈴の足を止めていた。
「おかしいですね、落としませんでした。その扇子」
 美鈴は意識の中で、扇子の行く先は捉えていた。中空で扇子は掻き消えた……だが、それを拾った動作はなかった。今妖怪の手元にある扇子も同じだ。
「さて」
 扇子から力が抜けて、妖怪が一歩踏み込む。力の流れを感じていた美鈴は、扇子から消えた気から妖怪自身に攻め気が移るのを感じ、一歩を引いた。スカートを翻し、回転するように妖怪が大上段から蹴りを放つ。派手な動きもどこかしなやかで美しい。美鈴は見切ってそれを正面から受け止めた。蹴る足の、足首を躱しながら掴み、逆側に力を込めて浮き上がっている妖怪の身体の指向性を失わせる。バランスを失い、空中で彷徨する。その背中に向けて美鈴は追撃した。踏み抜く力を前方に向けた両手での掌底。空中にある妖怪の身体では踏ん張れず、勁力を受けて吹き飛ぶはずだった。
 美鈴の掌底は空を切った。妖怪の存在は完全に消失している。どこへ、と惑う前に感覚で探る。美鈴からそう遠くない場所に傘を差す優雅な姿がある。
「……時を?」
 美鈴の知っている内で、そんな芸当ができるのは一人しかいない。
「時がどうかしたの? まさか止められるなんて言うつもり? そんな人間はいないわ」
 謎の妖怪がくすくす笑って言う。分かっているな、と美鈴は思う。だけど、おかしい。時を止めて拾ったにしては、扇子を拾った時の動作には違和感がある。その場で拾ったにしても、どこかで体勢が変わるはずだ。その違和感がない。
 言うならば、腕だけ、それも肩や上半身に干渉しない手首だけ切り取って飛ばし、中空で扇子を拾ってくっつけた。美鈴は思考してからあり得るものか、と反証した。だが、今分かるものでなかった。当然のことで、美鈴は切り捨てた。
「さ、行くわよ」
 ゆらり、と、また妖怪が来る。美鈴は構えて妖怪の攻撃を待ち受けた。

 
 美鈴は思考する。時を止めているのではない、と仮定した場合、どう立ち回るべきか。妖怪の緩慢な拳を下にくぐって躱し、カウンターに打ち込む拳はどうしてか感覚がない。拳ごと美鈴の後ろに回り込んでいる。今のタイミングなら、時を止めたとも解釈できる。
「ふふ」
 妖怪は扇子をひらひらと、余裕たっぷりに美鈴が振り返るのを待っている。美鈴が半回転、腕を伸ばした構えを解かぬままに妖怪と再び対峙する。美鈴が撃ち出す拳を、妖怪が払い、二度動作を繰り返す。全て様子見の動作、三度目に拳を繰り出す瞬間、妖怪の慢心を見出す。
(……とった!)
 妖怪の手首を掴む。これで、次の動きを封じた。踏み込む――だが、打ち込む先が、ない。存在しない。妖怪がいた場所には、誰もいない。腕は掴んでいる。なのに、何故。
「何故……」
 謎の妖怪が、私の背後にいて、拳を背に当てている?

 
 妖怪が美鈴の背を殴り抜き、バランスを崩す美鈴の背を空中からの蹴りで追撃した。
 境界を通り抜けての蹴り……レミリアや幽香のスピードはないが、空間を通り抜けることでゼロ地点へと辿り着ける。時とは別の、妖怪の権能。
「……こんな風に、切り離していたんですね……身体を」
 美鈴が立ち上がりながら、腕を放り捨てる。それは謎の妖怪の、境界で繋がる腕へと舞い戻り、くっついて指を握っては放した。
 ふ、っと妖怪の姿が掻き消える。周囲を見渡すまでもなく、美鈴は半歩下がり身を逸らす。上空からその全身を刃に変えた妖怪が落ちてくる。背後に落ちた妖怪の、顔を打ったはずの裏拳は手応えがない。
 首が中空に浮いている。
「変わった技を」
「ええ、良く言われます」
 す、と首を引くと、首は身体の方に戻る。傘の下、扇子をひらめかせて美鈴を見つめている。美鈴はすっと構えを解いた。
「それで、あなたは一体何をしに来たのですか? 私を倒しに来た訳じゃ、ないのでしょう?」
「馬鹿を言わないで。あなたを倒しに来たのよ! 何しろ、あなたは妖精を虐めた大悪人なのだから」
「いやもう、本当にいいですから」
 ふぅ、と美鈴は溜息をつく。
「戦わなければ、あなたのお嬢様に累が及ぶかもしれませんよ?」
「それなら、私なんて放っておいて入ればいいでしょう。それだけの能力をお持ちです」
「……ふう。なかなか、状況を見るのにも長けているようね」
「そもそもあんな言いがかりで、私程度の妖怪にかかずらうほどあなたは退屈な人ではないでしょ?」
 謎の妖怪に戦意が無いのを、美鈴が見て取った時点で、戦いは拳から口先のものに変わった。元より、何者かは分からないが、戦意がない以上美鈴にとっても拳を交える理由はない。
「吸血鬼と遊ぶようになったからと言って、あまり、調子に乗ってはいけませんよ」
「今度は忠告ですか? ほんとに、あなた何をしに来たんです?」
 あはは、と笑って妖怪はすぅ、と虚空の中へと消えた。
「全く。よく分からない人だ」
 美鈴は首をこきこきと鳴らして、鍛錬に戻った。




 その後、館にて八雲紫がレミリアと会談を行ったことを、美鈴は知らない。
「次の満月の夜以後、吸血鬼によって妖怪が傷付けられることのないように」
「私だって気をつけているわ。だけど、中でフラストレーションを溜めるのも良くない。まぁ……見ていたらいいわ。あんたの言うような迷惑はかけない。あんたとも、近い内に決着をつけてやる。覚えておきなさい」

『華人小娘、謎の妖怪(自称)と相対す:了』




 紅魔館の門番をするようになって、美鈴にとって変わったことと言えば、取り巻く妖怪達と、レミリアに貼り付けられた徴くらいでしかない。とは言っても、元々美鈴の力は日々の鍛錬によるものだ。本当の強者と向き合わなければ、その弱体化が目に見えるものでもない。
 美鈴にとっては変わらないこと。自分の道を貫くこと。弱くなることは困ったが、そのことですることが変わる訳でもない。門番の責務を果たし、自らを鍛えながら日々を過ごした。咲夜を鍛え、レミリアと遊び、侵入者と諍い、日々を過ごした。


 満月の夜。紅魔館に来てから、一ヶ月が経とうとしていた。




 幕間――華人小娘、吸血鬼の館にて正道を貫く:了
幕間です。VS咲夜、幽香、チルノ、紫です。天則に+αしたものを考えていたので、幽香なんかその名残です。あとは妹紅、聖なんか考えてたんですけど、前者は別のアイデアに転用、後者は書きかけて思いついたので混ぜ込むのが難しくなってやめました。天則の外からのキャラが幽香くらいなので、もっと入れれば良かったと思いつつ、これ以上書くと分量が多すぎ、とかも考えてたりしました。
 やりたいことやったので、満足です。その反面構成とか、物語の練り方とか、反省はあります。やっぱり長編を書くのは苦手、と弱音は一言だけにしておいて、長編も挑戦してゆきたいと思っています。
 では、ひとまず幕間まで読んで下さってありがとうございました。ここまで来たら、是非後篇まで付き合ってやって下さい(笑)では、また後篇の後書きでお会いしましょう。

 追記:VS紫時のミス修正しました。指摘ありがとうございました。
RingGing
https://twitter.com/#!/ProdicateJacks2
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コメント



0.890簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
美鈴の芯の部分がうまく描写されていて、引き込まれますね
天則紫のヘンテコな挙動も丁寧に文章になってて、すごいと思いました
8.100名前が正体不明である程度の能力削除
では、次だ。
15.100名前が無い程度の能力削除
いい美鈴ですね。ラストが楽しみ。

紫の性格が初めて見るタイプだけど、よく考えると原作の性格はこんなんだった気もする。