目を閉じ、んべ、と舌を出す。
孤独な夜を思わせる闇の中、網膜の奥に染み付いた太陽光が、瞬いてゆく。「霊夢」ちかちか。光の明滅と共に魔理沙の声。「これは、人魚の肉だ」ふわり漂う蛆の集った瓜のような甘い香り。「これを食べれば、永遠に生きられる」ちかりと明滅。魔理沙の温度が近づいてくる。「これを食べれば、永遠に呪われる」身体を覆う彼女の光。その奥から夏の暑さのようにまとわりつく闇。「わたしと一緒に、呪われないか」外に出したままの舌。乾いていく。顎が疲れる。そこに、肉汁のような何かが、落ちた。「永遠を、生きたいと思わないか」山椒のような、凄烈な辛さ。あけびのような、喉奥で感じる甘さ。「わたしは、そうありたいと思う」
そうしてわたしは結局何も言わないまま。
舌の上に落とされたそれを、ただ感じていた。
「珍しい肉を手に入れたんだ」
そういって爽やかなほどの笑顔を向けてくる魔理沙に、「そう」とだけ返して、わたしはまた境内の掃き掃除に戻った。秋は嫌いだ。色づいた葉が舞い落ち、神社が色鮮やかになるのはいいのだけれど、その片付けがとにかく面倒だ。まったく、全自動銀杏とかはないものだろうか。葉が落ちたら勝手に片付けてくれるような。賽銭箱一日分くらいなら払うのだけれど。
「おい。霊夢」
そういえば、銀杏の実を収穫しなくちゃ。とはいえ、一人で黙々と拾っていくのも寂しいものがある。誰か手の空いてる人はいないかしら。暇そうなの。
「話きいてんのか」
「あら、魔理沙。手伝ってくれるのかしら」
「何の話だ」
振り向くと、呆れたような顔の魔理沙がいた。油紙につつまれた小包を脇に抱えている。銀杏の香りに混じって、渓流のような秋風が通り抜けていった。へっくち、とくしゃみが一つこぼれる。肩を抱くと、掌の温かさが肩に伝わってくる。
「なんだ、風邪か」
「こう寒いとね。中で聞くわ」
「掃除はいいのか?」
「こう寒いとね」
肩をすくめて、また魔理沙に背を向けた。わたしを追い越していくとんがり帽子の影法師が、やれやれとかぶりをふった。わたしの歩調似あわせて、ゆっくりと影が揺れる。
ひらりひらり、舞い落ちる紅黄の葉。
ゆっくりと。酸素の速度で歩む。わたしたちの影が、混ざり合う。伸びては縮む、彼女の影。その輪郭が、わたしに触れては離れ。皮膚に感じる魔理沙の影の甘さ。静電気のように。
「霊夢」
縁側のふすまに手をかけると、魔理沙が話しかけてきた。振り向くと、太陽を背負った彼女の顔は、よく見えなかった。
「永遠って、なんだろうな」
がら、と勢いをつけて障子をあけて、答えた。
「さあね」
小さな卓袱台の上に、油紙で包まれた物体がおいてある。微かに漂う、腐った魚のような生臭さ。臭いが喉奥に絡みつき、甘くわたしの脳幹を責める。油紙に染み付いた肉汁が、卓袱台に染み付いていきそうだった。
「何よ、これ」
「秘密だ」
得意げな魔理沙が、胸をはって答える。
「珍しい肉って言ってなかった?」
「なんだ、やっぱり話聞いてたんじゃないか」ぽんと、ゆで卵を向いたままのような魔理沙の指が、油紙の上に乗せられる。「人魚の肉、らしい」つ、とそのか弱い包装を伝うように指が伝う。爪を油紙の端へと引っ掛け、絹の下着を扱うかのようにそっと剥きかけ、また戻した。「食べて、みたいか?」
「秘密」
先ほどの魔理沙への意趣返しなのか。わたしは、その薄紙を弄る魔理沙の指だけを見て答えた。
「なんだよ、はっきりしろよ」
いらついたように、彼女の指の動きが早くなる。紙の上から、抑えつけるように。甘くつねるように指を動かし、その紙を押し付けるように動かした。中の肉が、ぶじゅう、という音とともに、肉汁を吹き出し、魔理沙の指を汚した。生臭い香りがよりいっそう強くなる。
「そもそも、それは本物なの? 人魚なんて、聞いたことないんだけど」
「本物さ。仕入先は言えないけどな」
「どうせまたどこからかくすねてきたんでしょう」
「さあね」魔理沙の爪が、西日に照らされきらりと輝く。ゆっくりと、それが包装の中へと突き立てられる。何か崩れる音。彼女の指が、肉の中を弄る。その感触を確かめるように。わたしの喉が、ごくりとなった。その指が妖艶に、肉の中をまさぐる。臍の裏が、疼く。「それは企業秘密ってやつだ」
それが本物かどうか。わたしにはわからない。ただ、その肉を弄る魔理沙の指だけを見つめていた。
「食べて、みたいか」
魔理沙が言った。
「味わっては、みたいわね」
わたしがいった。
そうして。
わたしは舌の上にそれを載せていた。顎に自らの涎が垂れていく感触。ぽたり、と畳の上に染みができた。顎が疲れている。何も喋れず。何も見れず。ただ、闇の中に魔理沙を感じていた。
魔理沙と共に永遠を歩みたいのか。きっと、これを飲み込めば、それを成せるのだろう。しかし、自らの使命がその邪魔をする。幻想郷に対するわたしとの関係性。それが、崩壊してしまうような気がした。
「怖いか」
闇の中。南国の夕日のような魔理沙の声。
「わたしと一緒に、いたくはないか」
違う。そんなことをしなくても、そうあり続ける。
そう反論するためのわたしの舌は、甘美な味に魅了され、何も言うことはできなかった。
「大丈夫だ。わたしが、いっしょにいる」魔理沙の気配を、間近に感じた。それだけでわたしの全身は、ただ甘美な電流に浸される。「何も問題はない」
頬の産毛に感じる、彼女の鼻息。
鼻孔の奥に感じる、彼女の甘さ。
それはきっと、わたしの脳内が。
そうあれかしと祈っているだけ。
「一緒に、行こう」
そうして、わたしの口内に彼女の舌を感じた。
舌の上の肉を、決して落とさないように。それを弄ぶように。しかし、不安げに。
魔理沙の舌を感じた。舌の側面から感じる、蜂蜜のような甘さ。決して穢してはいけない、巫女服の上に落ちていくわたしたちのエキス。ただ、そうあれかしと祈る。衝撃。自分の脳内を潰すような。彼女の脳内を汚すような。肉を無視するように、わたしの舌の付け根に魔理沙の舌の先端が、そっとキスをする。
全身が、震える。
指の先が、痙攣しているのがわかる。
微かに感じる青菜の香。すすきの匂い。大空を飛び回った。彼女の匂い。
それらが、わたしを犯していく。
くちゅり、と魔理沙が肉を甘噛みする。生臭い臭いが、わたしの食道を通って行く。耳の奥につんとする感触。鼻の奥に彼女と何かの臭いが満ちる。
「永遠になろう、霊夢」ぷは、と息継ぎをするように、魔理沙が言う。「わたしと、ずっと一緒に」
目をあけた。
魔理沙の顔を、見た。
それに答えるように。
わたしは、魔理沙ごと、その肉を噛んだ。
そうして、朝がきた。
「霊夢。よかったのか」
「本物かどうかもわからないんでしょう」
粘ついた肌に感じる、秋の風。シーツを上げて、肩を隠した。
「そりゃそうだけどさ」
「ならいいのよ。八百比丘尼は、呪われた。でも――」そこで言葉を切って、外を見る。とんびが一匹、のんきに飛んでいた。「――呪いと祝いは、表裏一体なの。わかる?」
「わからねーよ」
魔理沙はぶっきらぼうに言うと、そっぽを向いた。
その頭に、そっと手を載せる。
「ねえ、魔理沙」
「何だよ」
「――いいわ、なんでもない」
「何なんだよ」
こっちをみない魔理沙。
そっちをみないわたし。
多分底で止まったまま。
ここは永遠なのだろう。
呪いも祝いも必要なく。
そこには、なにもなく。
ここには、なにもない。
ただ、無為なままある。
それで、いいのだろう。
きっときっと、きっと。
言わなかった言ノ葉を。
気付かれぬように呟く。
その言葉は秋に溶けて。
誰にも、届かないまま。
ただそこにあり続けた。
終わり
孤独な夜を思わせる闇の中、網膜の奥に染み付いた太陽光が、瞬いてゆく。「霊夢」ちかちか。光の明滅と共に魔理沙の声。「これは、人魚の肉だ」ふわり漂う蛆の集った瓜のような甘い香り。「これを食べれば、永遠に生きられる」ちかりと明滅。魔理沙の温度が近づいてくる。「これを食べれば、永遠に呪われる」身体を覆う彼女の光。その奥から夏の暑さのようにまとわりつく闇。「わたしと一緒に、呪われないか」外に出したままの舌。乾いていく。顎が疲れる。そこに、肉汁のような何かが、落ちた。「永遠を、生きたいと思わないか」山椒のような、凄烈な辛さ。あけびのような、喉奥で感じる甘さ。「わたしは、そうありたいと思う」
そうしてわたしは結局何も言わないまま。
舌の上に落とされたそれを、ただ感じていた。
「珍しい肉を手に入れたんだ」
そういって爽やかなほどの笑顔を向けてくる魔理沙に、「そう」とだけ返して、わたしはまた境内の掃き掃除に戻った。秋は嫌いだ。色づいた葉が舞い落ち、神社が色鮮やかになるのはいいのだけれど、その片付けがとにかく面倒だ。まったく、全自動銀杏とかはないものだろうか。葉が落ちたら勝手に片付けてくれるような。賽銭箱一日分くらいなら払うのだけれど。
「おい。霊夢」
そういえば、銀杏の実を収穫しなくちゃ。とはいえ、一人で黙々と拾っていくのも寂しいものがある。誰か手の空いてる人はいないかしら。暇そうなの。
「話きいてんのか」
「あら、魔理沙。手伝ってくれるのかしら」
「何の話だ」
振り向くと、呆れたような顔の魔理沙がいた。油紙につつまれた小包を脇に抱えている。銀杏の香りに混じって、渓流のような秋風が通り抜けていった。へっくち、とくしゃみが一つこぼれる。肩を抱くと、掌の温かさが肩に伝わってくる。
「なんだ、風邪か」
「こう寒いとね。中で聞くわ」
「掃除はいいのか?」
「こう寒いとね」
肩をすくめて、また魔理沙に背を向けた。わたしを追い越していくとんがり帽子の影法師が、やれやれとかぶりをふった。わたしの歩調似あわせて、ゆっくりと影が揺れる。
ひらりひらり、舞い落ちる紅黄の葉。
ゆっくりと。酸素の速度で歩む。わたしたちの影が、混ざり合う。伸びては縮む、彼女の影。その輪郭が、わたしに触れては離れ。皮膚に感じる魔理沙の影の甘さ。静電気のように。
「霊夢」
縁側のふすまに手をかけると、魔理沙が話しかけてきた。振り向くと、太陽を背負った彼女の顔は、よく見えなかった。
「永遠って、なんだろうな」
がら、と勢いをつけて障子をあけて、答えた。
「さあね」
小さな卓袱台の上に、油紙で包まれた物体がおいてある。微かに漂う、腐った魚のような生臭さ。臭いが喉奥に絡みつき、甘くわたしの脳幹を責める。油紙に染み付いた肉汁が、卓袱台に染み付いていきそうだった。
「何よ、これ」
「秘密だ」
得意げな魔理沙が、胸をはって答える。
「珍しい肉って言ってなかった?」
「なんだ、やっぱり話聞いてたんじゃないか」ぽんと、ゆで卵を向いたままのような魔理沙の指が、油紙の上に乗せられる。「人魚の肉、らしい」つ、とそのか弱い包装を伝うように指が伝う。爪を油紙の端へと引っ掛け、絹の下着を扱うかのようにそっと剥きかけ、また戻した。「食べて、みたいか?」
「秘密」
先ほどの魔理沙への意趣返しなのか。わたしは、その薄紙を弄る魔理沙の指だけを見て答えた。
「なんだよ、はっきりしろよ」
いらついたように、彼女の指の動きが早くなる。紙の上から、抑えつけるように。甘くつねるように指を動かし、その紙を押し付けるように動かした。中の肉が、ぶじゅう、という音とともに、肉汁を吹き出し、魔理沙の指を汚した。生臭い香りがよりいっそう強くなる。
「そもそも、それは本物なの? 人魚なんて、聞いたことないんだけど」
「本物さ。仕入先は言えないけどな」
「どうせまたどこからかくすねてきたんでしょう」
「さあね」魔理沙の爪が、西日に照らされきらりと輝く。ゆっくりと、それが包装の中へと突き立てられる。何か崩れる音。彼女の指が、肉の中を弄る。その感触を確かめるように。わたしの喉が、ごくりとなった。その指が妖艶に、肉の中をまさぐる。臍の裏が、疼く。「それは企業秘密ってやつだ」
それが本物かどうか。わたしにはわからない。ただ、その肉を弄る魔理沙の指だけを見つめていた。
「食べて、みたいか」
魔理沙が言った。
「味わっては、みたいわね」
わたしがいった。
そうして。
わたしは舌の上にそれを載せていた。顎に自らの涎が垂れていく感触。ぽたり、と畳の上に染みができた。顎が疲れている。何も喋れず。何も見れず。ただ、闇の中に魔理沙を感じていた。
魔理沙と共に永遠を歩みたいのか。きっと、これを飲み込めば、それを成せるのだろう。しかし、自らの使命がその邪魔をする。幻想郷に対するわたしとの関係性。それが、崩壊してしまうような気がした。
「怖いか」
闇の中。南国の夕日のような魔理沙の声。
「わたしと一緒に、いたくはないか」
違う。そんなことをしなくても、そうあり続ける。
そう反論するためのわたしの舌は、甘美な味に魅了され、何も言うことはできなかった。
「大丈夫だ。わたしが、いっしょにいる」魔理沙の気配を、間近に感じた。それだけでわたしの全身は、ただ甘美な電流に浸される。「何も問題はない」
頬の産毛に感じる、彼女の鼻息。
鼻孔の奥に感じる、彼女の甘さ。
それはきっと、わたしの脳内が。
そうあれかしと祈っているだけ。
「一緒に、行こう」
そうして、わたしの口内に彼女の舌を感じた。
舌の上の肉を、決して落とさないように。それを弄ぶように。しかし、不安げに。
魔理沙の舌を感じた。舌の側面から感じる、蜂蜜のような甘さ。決して穢してはいけない、巫女服の上に落ちていくわたしたちのエキス。ただ、そうあれかしと祈る。衝撃。自分の脳内を潰すような。彼女の脳内を汚すような。肉を無視するように、わたしの舌の付け根に魔理沙の舌の先端が、そっとキスをする。
全身が、震える。
指の先が、痙攣しているのがわかる。
微かに感じる青菜の香。すすきの匂い。大空を飛び回った。彼女の匂い。
それらが、わたしを犯していく。
くちゅり、と魔理沙が肉を甘噛みする。生臭い臭いが、わたしの食道を通って行く。耳の奥につんとする感触。鼻の奥に彼女と何かの臭いが満ちる。
「永遠になろう、霊夢」ぷは、と息継ぎをするように、魔理沙が言う。「わたしと、ずっと一緒に」
目をあけた。
魔理沙の顔を、見た。
それに答えるように。
わたしは、魔理沙ごと、その肉を噛んだ。
そうして、朝がきた。
「霊夢。よかったのか」
「本物かどうかもわからないんでしょう」
粘ついた肌に感じる、秋の風。シーツを上げて、肩を隠した。
「そりゃそうだけどさ」
「ならいいのよ。八百比丘尼は、呪われた。でも――」そこで言葉を切って、外を見る。とんびが一匹、のんきに飛んでいた。「――呪いと祝いは、表裏一体なの。わかる?」
「わからねーよ」
魔理沙はぶっきらぼうに言うと、そっぽを向いた。
その頭に、そっと手を載せる。
「ねえ、魔理沙」
「何だよ」
「――いいわ、なんでもない」
「何なんだよ」
こっちをみない魔理沙。
そっちをみないわたし。
多分底で止まったまま。
ここは永遠なのだろう。
呪いも祝いも必要なく。
そこには、なにもなく。
ここには、なにもない。
ただ、無為なままある。
それで、いいのだろう。
きっときっと、きっと。
言わなかった言ノ葉を。
気付かれぬように呟く。
その言葉は秋に溶けて。
誰にも、届かないまま。
ただそこにあり続けた。
終わり
物語の雰囲気や二人の会話がとてもマッチしていました
ただ、霊夢なら人魚の肉を舌に乗せることまではしないと思いました。結構力技でそこがひっかかる感じ。
話は面白いけどねえ。
この前後を彩る話が読みたい気も、ここだけを切り取ったからいいんだという気もします。
ごちそうさまでした。