Coolier - 新生・東方創想話

旅立つ君へ

2012/01/09 10:07:30
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命蓮寺の片隅にあてがわれた自室で、ぬえは筆を手にウンウンと唸っていた。
 ある人物へ手紙を書きたいのだが、どうしても上手い言葉が思いつかないのだ。傍らに置かれた指南書も、あれが良いかこれが良いかと思うばかりで、役に立つ兆しがない。
 折角、昔馴染へ手紙を送るのだから、ただ本題を書くだけではなく、積もり積もった数百年分を手紙に載せて送りたい。
 ただ要件を伝えるだけの素っ気無い手紙より、そっちの方がずっと良いはずだ。何百年ぶりの手紙の内容が「助けてくれ」だけでは、あちらも良い思いはしないだろう。
 ぬえはそれをいいアイデアだと思ったのだが、かえって筆を持つ手を止めてしまっていた。
 やっぱり余計な考えだったかと、後悔の念が浮かばなかったわけではない。
 命蓮寺に住む誰かに手助けしてもらおうかとも思ったが、そこから聖に知られてしまっては咎められる可能性があった。
 信用していないわけではないが、聖は人間である。外から新たに強力な妖怪を呼ぶと言えば、それが人間に害をなすかもしれないからと、止められるかもしれないという不安があった。
 決してそんな事をする妖怪ではないのだが、聖にそれを言っても信じてくれるかどうか分からない。
 そう考えると、これは内密にやらなければならないことだ。それに他人の言葉ではなく、自分の言葉で伝えたいというささやかな意地もある。
 誰かの言葉で手紙を送って、相手に誠意が伝わるのだろうか。そういう疑問もあったのだ。

「よし、今度こそ!」

 筆に墨を塗りたくり、歪な文字を便箋にしたためていく。力が入りすぎているのか、その手はプルプルと小刻みに震えていた。
 途中まではぎこちないながらも手が動いていたが、やがてピタリと止まってしまう。冒頭の挨拶まではいいのだが、このあとに何を書けばいいのか分からない。
 先ず本題を出してから、昔の話を書けば良いのか。それとも、他愛もないことを書いてから、本題を切り出すべきか。
 そもそも格式張った文章を書けばいいのか、緩めの文章にすればいいのかすらも分からない。
 普段、手紙どころか文章すらまともに書いたことのないぬえにとって、それらはとてつもなく重大な問題であった。
 悩んでいる内に次第と手の震えが激しくなり、ついにはグシャッと紙を突き破り机に一文字を描いてしまった。

「ああああああ! うわぁ、もう! もう! もう! もう!」

 怒りと焦りと悔しさをごちゃ混ぜにして吐き出す。
 感情に任せて紙をぐしゃぐしゃに丸め、ポイとほうり投げると深いため息を吐いた。
 見れば、彼女の周りには無残な結果が幾つも転がっている。どれも途中で言葉につまり、訳がわからなくなって捨てた代物である。

「こんなことなら、普段からもっと聖とか星の手伝いをしておけば良かった……」

 聖や星はしょっちゅう紙に何かを書いていて、ぬえもそれを手伝うように言われたこともあった。
 しかし、それより遊びまわることの方がぬえにとっては大事だったので、ほぼ全てサボっていたのだ。
 それのツケが回ってきたかと、自分の情けなさにがっくりと肩を落とした。同時に、今度からはちゃんとやろうと心に決めた。
 だが今は自分の情けなさを嘆くより先に、やらなければならないことがある。
 再び筆を手に取ると、真剣な表情で白紙に向き直った。さらさらっと筆を動かし、それを口に出す。

「二ッ岩マミゾウへ……と。ああ、懐かしい名前だなぁ……」

 自分が地底に封印される前に付き合いのあった化け狸。数百年前に別れたっきりだが、当時から力を持っていたあれはきっと元気にやっているだろう。
 聖人にも対抗できる妖怪をと考えた時、真っ先に思い浮かんだのが彼女の名前だ。
 今も健在ならばあの頃よりも力をつけているだろうし、マミゾウの性格ならきっと力を貸してくれる。
 それに彼女はぬえにとって、マミゾウは数少ない友人の一人だ。一度思い出すと、数百年ぶりに会いたい、あの懐かしい顔を見たいという気持ちだけが先走っていく。
 ぬえの感情は素直に筆に出て、紙を突き破ってしまった。またやらかしてしまったと、くしゃくしゃに丸めて捨てる。
 ああ、速く会いたい。あの頃のように、二人で人間たちを化かし合いたい。幻想郷なら、人間どころか様々な妖怪を相手に化かし合いをすることが出来るのだ。
 そう思いながら「二ッ岩マミゾウへ」と書いてみた。そこでやはり筆が止まってしまうが、今度は紙を突き破ることはなかった。
 この状況を何とか出来れば、きっとあの頃よりも面白おかしい日々が待っているだろう。そう考えると、先ほどまで筆が進まないことで募っていた苛立ちが霧散していくように感じた。
 
「うん、変に考え過ぎなきゃ良いんだ」

 今の気持ちを素直に書けば、きっとそれで良いはず。焦っても何の解決にならない。
 すると、ゆっくりとだがまた筆が動き始めた。頭の中に思い浮かんでいく文章を、歪な文字とぎこちない文法で綴っていく。
 さぁ、この調子で書き上げてしまおう。そしてさっさと送って、感動の再開の後に、妖怪の殲滅なんで考えている聖人を二人で叩きのめす。
 それから二人で美味しい酒を飲もう。何百年に酌み交わす酒は、一体どんな味がするだろうか。
 そうやっていると、深刻な内容を書いているはずなのに、ぬえの顔が自然と笑顔になっていった。


 


 マミゾウが不思議な手紙を受け取ったのは、そろそろ暖かくなってきた朝のことだった。
 小屋の前に放置されていた、自分の名前だけが書かれた封筒。隅から隅まで目を通すが、何処を見ても差出人の名前はない。
 さて、これは誰が置いていったものかと首をひねる。
 封筒からは妖気を感じたので妖怪が置いていったのだろうが、不思議なのはその妖気を何処かで感じたものだということだ。

「うーむ、これは誰の妖気じゃったかのう。思い出せんのは耄碌したからじゃないと思いたいが……」

 喉元まででかかっているのに、もう一押しがなくて非常にもどかしい。
 自分がボケたのではないかという可能性を一蹴しながら、罠である可能性を頭の片隅に置きつつ、マミゾウは封を開けた。
 中に入っていたのは大小四枚の紙切れだ。
 一枚を引っ張り出し広げると、辛うじてそれが地図であることが確認できた。『博麗神社』と書かれた鳥居から『人里』と書かれた場所まで伸びているのは、おそらく道だろう。

「またこれは汚いのう。どこのどいつが書いた物じゃこれは」

 あまりに汚く、そして簡略化されている地図に苦笑しつつ、それをまた丁寧に畳んで封筒へと戻した。
 さて、お次はなんじゃろうと小さい紙を引っ張り出す。
 それに書かれた『ぬえ』という名前が目に入り、マミゾウが凍りついた。

「嘘じゃろう……?」

 静かに呟かれたのは驚愕の言葉。そんなはずがない。あいつは自分が不甲斐ないばっかりに、大昔に封印されたきりだ。
 きっと、自分とあいつの関係を知る誰かのいたずらだ。自分が追い出した狐の仕業だろうか。あいつらなら、わざわざ調べ上げて、こういう人の過去に付け入るようなゲスなことだって平気でやるだろう。
 マミゾウは動揺しながら、ゆっくりと写真をひっくり返す。
 そこに写っている人物を見て、マミゾウの目が大きく見開かれた。紙を持つ手が震えだし、口からは意味を持たない声が漏れる。
 間違いなく、そこに写っているのは封獣ぬえだ。色合いからは少々の古臭さを感じるが、そもそもあの時代に写真など無い。
 この写真から考えられることはただひとつ。

「あいつ、封印が解かれたのか! ああ、良かった! 良かったのう!」

 約千年ぶりに見た旧友の顔。
 正体不明を売りにしているぬえは、絵であってもこの姿を形に残されることを嫌っていたはずだ。そんな彼女が、恥ずかしそうに視線を逸らしながら写真に写っている。
 封印が解かれたことを知らせるために堪えたのだと思うと、この旧友が愛おしく思えた。
 きゅうと折れてしまわないように、写真を抱きしめる。
 ぬえが今何処にいるかは分からないが、またあの頃のように二人で笑い合ったり、彼女を抱きしめたりすることが出来るのだと思うと、胸が熱くなるのを感じた。
 普段なら我慢するところだが、今はそんな事ができるはずもなかった。
 口と瞳から感情が溢れ出す。顔をくしゃくしゃに歪め、みっともないほどに声を張り上げる。

「良かった、良かった……!」

 散々に声を張り上げて泣き、ようやく胸の内から沸き上がってくる感情を抑えることが出来た。
 真っ赤にした目をゴシゴシとこすり上げ、慌てて周りにだれもいないかと気配を探る。
 それからホッと胸を撫で下ろすと、抱きしめていた写真を、とても繊細なものを扱うかのようにソッと封筒の中へと戻した。
 思わぬ旧友からの手紙であることが分かり、他は何かと胸踊らせながら広げる。
 そこにびっしりと書かれた文字はやはり汚く、会った時にはとても読みにくかったぞと、一言二言文句を言うべきだろうなとマミゾウは苦笑した。
 一行目に書いてあるのは妙に形式ばった季節の挨拶で、随分とぬえらしくないと思った。
 それに続く文章も堅苦しく、奔放なぬえからは随分とかけ離れたものになってしまっている。
 きっと、手紙というものはこうでなくてはいけないという思い込みで書いたのだろう。
 例えば顔を墨で真っ黒に汚しているかもしれない。自分だけでは無理だと、誰かに泣きついたのかもしれない。
 随分と勝手な想像をして、マミゾウは口元を緩めた。

「くくくく……ぬえめ、随分と可愛いことをするもんじゃのう」

 そんな事を思い、四苦八苦しながら読み進めていく。
 微笑ましさでニコニコしていたマミゾウが、次第に険しい表情へと変わっていった。
 先程までの上機嫌さは何処へ言ったのか、手紙を少々乱暴に封筒へと戻すと、マミゾウは小屋の中へと戻っていった。




「マミゾウ姐さん、入りますぜー」

 とても重要な話がある。そうマミゾウに呼び出された才喜坊が小屋の入り口を叩くと、中から「おう、入れ」と返ってきた。
 その声から、ああこりゃあ姐さんの機嫌が悪いなと想像する。さて、何か良くないことでも起きたか、それとも自分たちが何かやらかしたかと肩を落とした。
 最近は人間を過剰に驚かせたことはないし、若い連中にもそれは徹底させている。身に覚えがないということは、自分の把握出来なかったところで何か起きたのだろう。
 たった一人呼び出されたとなれば、自分の配下の狸が何事かやらかしたのかもしれない。ちゃんと目を光らせてはいるが、まだ不十分だったかとため息を吐いた。
 何時もより重く感じる戸を開けて中に入ると、マミゾウが顔を上げた。

「おう、才喜坊・・・・・・」
「あ、あら?」

 開口一番怒鳴られるかもしれないと覚悟していた才喜坊は、拍子抜けしたのか戸惑いの声を漏らした。
 マミゾウは怒っているという感じはなく、眉間にシワを寄せて難しそうな顔をしている。

「……戸を開けたまま、何を呆けておるんじゃ。はよ座ってしまわんか」
「あ、申し訳ございやせん」

 マミゾウの対面に才喜坊が腰を降ろすと、彼女は一封の封筒を床に置いた。

「これは儂の旧友のぬえから送られてきた手紙でな。ぬえは知っておるじゃろ?」
「ええ、資料で呼んだ程度に……。ありゃ悪さが過ぎて封印されてたって書いてありやしたが、手紙が送られてきたって事は封印が解かれたってことですかね?」
「まぁそれはその手紙を見りゃ分かるとして、だ。儂は佐渡を離れるつもりじゃ。旧友のためにな」
「……失礼しますぜ」

 動揺を押し殺し、手紙へと目を通す。
 随分と馴れ馴れしい言葉遣いや、過去の思い出が書き綴ってある。なるほど、これは親しい間柄だけが交わすことのできるものだと判断した。
 その思い出も自分が生まれていない時分
 そして自分たちに起きようとしている事。幻想郷に来て自分と力を合わせて、この事態を解決してほしいという事。

「でもマミゾウ姐さん。これは姐さんが行くようなことですかい? ぬえってのが鵺本人なら、その人だけで事足りると思うんですがねぇ」
「もしそうだとしてもじゃ。旧友が助けを求めておるんじゃから、儂はそれを放っておくほど薄情ではないぞ。儂が何故二ッ岩大明神と呼ばれておるか、知らんわけではなかろうに」
「そりゃあ……。姐さんの近くにずっと居たんですから、知ってますぜ」

 狸だけではなく、人間に対しても驕ることをせず親身になって関わり、力になってきた。それに対して感謝の意を込めて、彼女は大明神と呼ばれるようになったのである。ただ呼ばれるだけではなく、マミゾウを祭る場所まであるほどだ。
 そこにお願いをすれば、狸が叶えてくれるという話が広がり、すっかり観光名所である。
 そして観光客が宿や飲食店に落とすお金は結構な額になり、これまた人間たちから「ありがたやありがたや」と言われていた。
 赤の他人に対してそこまでするマミゾウが、旧友の助けを放っておくはずがない。

「やはり才喜坊は分かっておるようじゃのう。義を見てせざるは勇なきなり。これを放っておいて、何が二ッ岩じゃ。名が廃るわ」
「はぁ……姐さんがそう言ったら聞きませんもんなぁ。それだってよーく知ってますとも。この石頭の古狸」

 呆れたような才喜坊の言葉にマミゾウは瞬きを一回すると、ケラケラと心底おかしそうに笑った。
 自分は石頭なのだ。それで良い。
 柔軟な考えが必要なときは、そうするだけの頭はある。だが今は、間違いなく石頭であった方が良いのだ。

「言うのう。じゃがな、今度はお前さんがそう言われるようになる番じゃよ……才喜坊」

 マミゾウの顔が険しくなり、その瞳は才喜坊の顔を見据えていた。
 体を突き抜けるような感覚がして、才喜坊は姿勢を正してマミゾウを見つめる。
 それは正しく佐渡の親分としての顔だった。

「潟上湖鏡庵の才喜坊。お前さんに、佐渡の親分を任せたい」
「勿論やれと言われれば喜んで引き受けますが、姐さんは……戻ってこないおつもりで」
「それは分からん。戻ってこれるか戻ってこれないか。だから儂が向こうに行っている間、もし戻ってこれなくなって、その後に何が起きても大丈夫なようにとお前さんに任せたいんじゃよ」
「……それなら分かりやした。姐さんが戻ってくるまでの間、留守は任されましたぜ。だから思う存分暴れてきてくだせぇや」

 戻ってくる意思が少しでもあるなら、背中を押してやるだけだ。
 深々と頭を下げるマミゾウに、才喜坊も同じように頭を下げた。
 マミゾウには沢山の狸たちがつき従っている。そしてその中でも一際力を持つ狸を四匹選び、四天王として自分の補助を任せていた。
 ちなみに今現在は一匹が欠けて三匹になってしまっているが、残りに比肩する程の力を持つ狸がいないのだから、補充のしようがない。
 そして四天王の中で、一番の力を持つのが才喜坊である。
 彼はマミゾウの次に古参であり、群を抜いて信頼を寄せている狸だった。数百年間共に暮らし、彼が自分の跡を継ぐに相応しいと思っている。
 それだけではなく、マミゾウと同じように義理人情に厚く、狸たちにも慕われていた。力だけでも、マミゾウが推薦したからという理由だけでは駄目なのだ。
 こいつならば狸たちを良く導いてくれるだろうし、人間たちとも良好な関係を築いていくことができるだろう。

「それじゃあ、姐さんとご友人の健康とか、前途に祝福あれだとか……あと戦果だの……まぁそういうのを祈って、宴会でも開きやしょうかねぇ!」

 喜び勇んで小屋を出ていく背中を見送り、マミゾウは姿勢を崩した。
 これで跡継ぎは決めたし、才喜坊が後を継ぐことや、自分が佐渡を出て行くことは宴会で告げればいいだろう。
 少なからず湿っぽい雰囲気になるだろうし、その後に宴会をやって、盛り上げればいいのだ。
 あとは、宴会で喋るそれっぽい言葉でも考えなければな。
 そんなことを考えていると、小屋の中に自分や才喜坊とは違う妖気を感じ取り、マミゾウは体を固くした。
 だがすぐに緊張を解き、またゆったりとした体勢に戻した。
 ぬえと同じように懐かしいものだが、こちらはつい最近も感じたことがあるもので、相手の名前を忘れてしまうといったことはなかった。つい警戒してしまうのは、癖のようなものである。
 マミゾウの目の前に湯気のような靄が立ち上り、人の姿を成していく。輪郭がはっきりするにつれ、「ああ、お前さんか」と呟いた。
 それは青年の姿になると、どっかと腰を下ろした。

「やぁマミゾウ。一部始終見てたけど、本当に幻想郷に行くつもりかい?」
「何時もそうなんじゃが、挨拶というものはないのか、お前さんには」
「ああ、こりゃ失礼。マミゾウ元気?」
「……はぁ」

 青年の名前は芝右衛門狸。日本三名狸に名を連ねる化け狸であり、これもマミゾウの旧友だ。
 懐かしい感じ、というのはこの狸が既に死んでいるからだ。成長しない者の妖気が変わることはない。ぬえの場合は最近まで封印されていたので、変化がなかったのだろう。
 死んだ後も、芝右衛門はこうやって霊体となって現れることがある。自分が率いていた淡路島の狸たちに色々と助言を与えたり、マミゾウの話し相手になるのだ。
 飄々としていてやりにくい部分もあるが、何だかんだで親身になってくれる芝右衛門に、狸たちは大いに助けられていた。

「マミゾウは幻想郷がどういう場所か知ってる?」
「名前と、妖怪と人間たちが良いバランスで暮らしておるということしか知らんのう」
「そうそう、なんか妖怪の楽園だとか言われてるね。でもそれにはそれなりの理由があってさ。知りたい?」

 勿体付けるような言い方に、マミゾウはため息を吐いた。
 霊体である芝右衛門は肉体による制約が無いせいか、あっちこっちに行っては様々な話を聞いている。それを聞かせてくれるのはありがたいのだが、勿体ぶる時があるので萎えてしまうことがあるのだ。
 だがおそらく幻想郷のとこも知っているのだろうから、今回は素直に話を聞くことにした。
 何より、自分が知らないことを聞けるのはありがたい。

「お前さん、幻想郷のことを詳しく知っとるのかね?」
「マミゾウよか知ってるけど、話に聞いただけだよ。あのねぇ、ぶっちゃけて言うと、あそこは忘れ去られた者たちの楽園なんだ。こっちの世界で忘れられた存在が自然と行き着く場所。まぁ忘れられた全部が全部行き着くわけじゃないらしいんだけどね」
「忘れられた、か」
「そうそう。マミゾウは覚えてるのが沢山居るから、幻想郷を覆ってるらしい結界を無理矢理越えていくしかないんだよ。親分の座を譲ったからって、直ぐに忘れられるわけがないしね」
「ふむ……。忘れられるというのは寂しいもんじゃが、それでまた別の土地に行けるのならそれでも良いかもしれんのう。して、それを言いに来ただけじゃなかろうて」
「うんうん。それでマミゾウはさ、あっちに行って本当に良いと思ってるわけ? さっき言ってたのは、本心から? そこだけ聞きたくてさ」
「……」

 勿論と言いたかったが、喉の奥でそれが止まってしまった。
 そう聞かれると、幻想郷に行って戻ってこれるかの保証がない以上、躊躇いがないと言えば嘘になる。
 佐渡の狸たちが幸せに暮らしていけるようにしたのは自分だし、人間たちとの信頼関係も自分が一から作り上げてきたものだ。
 それに数百年に渡る思い出が、ここにはある。
 万が一戻ってこれなかったとしたら、それを全て捨ててしまうことになる。
 後ろ髪を引かれる思いというのは、このことだろう。考えれば考えるほど、離れても良いのかという思いがふくれあがっていく。
 マミゾウはほんの少しだけ考えて、その思いにフタをすることにした。

「お前さんもさっきのを見ていたじゃろう。儂はもう、才喜坊を佐渡の親分としたんじゃ。それで今更、行くのを辞めたからまた儂が親分にって、そんなんで誰が認めるかのう。あいつを親分にしたのは、まぁ一種の覚悟とかそんなんじゃよ」
「うん? じゃあマミゾウはもう戻ってこないつもり?」
「そりゃああっち次第じゃな。戻ることが出来て、住み続ける気にならなかったら戻ってくるよ」
「ふーん、そのときはご隠居さん? もう新しい親分が居るんだから」
「あー……それはちょっと嫌じゃなぁ。それなら、まだまだ現役でやれそうなあっちに住み続けるのも悪くはないのう」
「うん、そっちの方が良いと思うよ」

 ぬえの手紙には、幻想郷では人間と妖怪が上手いこと共生できていると書かれていた。それはここ佐渡と似たようなものかもしれない。
 人間に悪さをし、悪さをした妖怪は退治される。
 どちらかが一方的に虐げられることのない、自然の摂理に則った理想郷。ぬえの言い分を信じるのなら、そこで好きなように暮らすのも良いだろう。
 親分という立場に立つのは無理だろうが、これまでの経験を活かすことが出来るかもしれないのだ。
 内容を思い出していくと、段幕ごっこというのもマミゾウの興味を引く物だった。人間と妖怪がルールを定めて勝負をし、それでは力に差のある妖怪と人間でも対等に戦うことが出来るという。
 こういうルールがあるのなら、以前に自分を打ち負かした人間のように骨のある奴と何度も勝負が出来る。

「ふんふん、なるほどね。こりゃあ面白い」

 マミゾウが思案を巡らせていると、芝右衛門が手紙を引っ張り出し、ふんふんと読み始めていた。
 へぇだのほぉだの、興味深い文章を見つける度に感嘆の声を上げている。

「幻想郷には天狗たちも住んでるんだってさ。それに、吸血鬼に不死の人間、最近までこっちにあった諏訪の神社までやってきた……って、スゴいね、こりゃ」
「らしいのう。諏訪のは随分と紙面を騒がせておったが、まさか幻想郷に移り住んでおったとはなぁ」
「他にも色々居るし。ああ、これ僕のほうが行きたいんだけど、駄目かな?」

 興味を惹かれる内容だったのか、芝右衛門が目を輝かせている。
 それもそうだ。古今東西、様々な種族の妖怪が幻想郷には居るらしく、和洋折衷、文化の違いも何のそのだ。興味をひかれるのも無理は無い。
 狸しか居ない佐渡よりも、妖怪全体で見るとよっぽど理想郷である。聖人の復活さえなければ、それなりに力のある妖怪としてワクワクするような世界だ。
 だが芝右衛門はぬえのことを知らないし、物見遊山に行くわけではないのだ。巻き込む訳にはいかない。

「いやいや、ぬえが呼んでいるのは儂だけじゃからな。あんまり連れて行くとあいつの迷惑になってしまう」
「ああ、そう。うわー、ものすごく残念だよ。マミゾウ、戻ってきたら向こうの話でも聞かせてよ」
「心配せんでも、思う存分聞かせてやるぞ」
「約束だからね。忘れないでよ」

 ゆっくりと、芝右衛門の姿が消えて行く。
 それを見送っていたマミゾウだったが、「あ」と間の抜けた声を漏らした。
 今朝手紙が来て、それを芝右衛門が知ってやってきたというのは変だ。自分が知らせなければ、こいつはずっと知らずに過ごしていたに違いない。
 芝右衛門の姿はもうそこにはなかったが、妖気はあるのでマミゾウは聞こえるよう叫んでみた。

「おい、お前さんは今日何で此処に来たんじゃ!」

 すぐには返事がなかったが、少しして虚空から声がした。

「いやぁ、ただ世間話したかっただけ。手紙がどうのとかって偶然だし、さっきのもただ疑問に思っただけで引きとめようだとか思ってないよ」
「なんじゃと!」
「いやぁ、来て良かったね。マミゾウがあんなに大声で、顔をくしゃくしゃにして泣くなんて思わなかったなぁ。あんな女の子らしいところもあるなんて、眼福眼福」
「なぁっ!!」

 そこから見られていた!
 マミゾウの顔がたちまち熱くなっていく。
 部下の前どころか四天王の前ですら滅多に泣いたことはなく、ましてや友人の前では泣いたことがない。というよりは、泣き顔を見せたくはない。
 顔を真っ赤にして悔しがるが、もうそこには誰も居なかった。




 それから三日後。マミゾウは最低限の荷物を持って、小屋を出ようとしていた。
 外へ出る前に腹一杯、小屋の空気を吸い込む。それから脳に焼き付けるように、中を見渡した。
 もし戻れなかったら、ここには誰も住まないだろうか。誰も使わなければ徐々に朽ちていき、最後は誰から見向きもされなくなるだろう。
 それで良いと思う。老兵は死なず、ただ消え去るのみだ。

「さぁて、また会う日まで、さらばじゃよ」

 使い慣れた家に別れを告げ、フェリー乗り場へと足を向ける。
 ひょこひょこと風景を楽しみながら歩いていく。これで見納めかと思うと、見慣れた風景も愛おしいものだ。
 簡単な舗装がされた道を歩いていると、木々とほのかな潮の香りがする。これも嗅ぎ慣れたものだが、時間が流れるにつれて随分と変わってしまった。空気そのものが汚れてしまっているのだろう。
 それでも、こちらで嗅ぐことが出来るのは残り少ない時間しかないので、マミゾウは腹一杯に吸い込んでおくことにした。
 これでもまだ、本土と比べると手付かずの自然が残っている。マミゾウが色々と手を回した結果だ。

「うん? この世界からなくなった物が幻想郷に行くということは、まだ自然が豊かな土地なのかもしれんのう」

 人間が幅を利かせているわけではないのなら、もしかすると佐渡よりも自然が残っているかもしれない。そんなことを考えてみると、ほんの少しだけ足が軽くなったような気がした。
 しばらく歩いていると、狸たちが暮らしている集落へ向かう分かれ道へと差し掛かった。皆の顔を見てやろうかと足を運ぼうとして、思いとどまる。

 明け方まで宴会でどんちゃん騒ぎをしていたのだから、まだ皆は眠りこけているだろう。
 それに、別れの挨拶は昨日済ませたのだ。行って皆の顔を見ると、我慢していた感情が溢れてくるかもしれない。

「それはちょっとなぁ。最後まで格好の良い親分で居たいもんじゃ」

 もう元親分なのだが、そんなプライドを取ってマミゾウは足を動かし始めた。
 ひょっこひょっこと歩みを進めて行くと、自然が減り始め、代わりに家々が立ち並ぶ地域にやってきた。
 朝早いのだが早起きの住人たちが軒先の掃除をしたり、店を開く準備を始めている。
 彼らの内の数人はマミゾウを見ると挨拶をしてきた。

「お、マミゾウさんお出かけで?」 
「おはやいですねぇ、流石はマミゾウさんだぁ」

 それらと同じような調子で、マミゾウも返事をする。声をかけてくるのは、挨拶を交わすだけに止まっている間柄ばかりだ。
 もっと深く付き合いのあった人間たちは、マミゾウが何者か、そしてこれから何処へ行こうとしているのかを知っているので、挨拶ではなく深いお辞儀をして見送っている。
 そういう人間には、マミゾウは酒瓶を持った手を揺らして返事の代わりにした。
 人間とはいえ付き合いはあったのだから、それと言葉を交わせば、佐渡を離れたくないという思いが強くなることを恐れたのだ。
 そんな調子で歩いていくと、風の中に潮の香りが混じり始めた。

「海が近いか……」

 訳もなく呟いたつもりだったが、少しだけ足取りが重くなる。それでも歩みを止めることはしない。
 しばらく歩くと、フェリー乗り場だ。朝一番の便が、出航はまだかとエンジンの音をまき散らしている。

「うむ、ちょうど良い頃合いじゃのう」

 時計を見ると、もう出航まで幾分もないようだ。重い足を必死に動かして乗船券を買い、直ぐにフェリーへ乗船した。
 変に時間があって待合室で待っていると、後ろ髪を引かれる思いに襲われていたかもしれない。時間がなかったのは好都合だったのだ。
 古ぼけたフェリーが汽笛を鳴らした。もうすぐ出発するという合図である。
 マミゾウは船室へ引っ込むことはせず、車両甲板で佐渡の風景を見つめていた。
 慌ただしく走ってくる人々が、視界の片隅に映り込んでいる。
 ああ、これでこの光景も見納めかもしれないのか。
 そんなことを考えていると、奇妙な集団が目に留まった。
 旧日本軍の軍服に身を包んだ集団。それを見た人々が驚いた顔で、弾かれたように道を空けている。
 集団は隊列を組んだまま桟橋まで来ると、ザッとマミゾウへと向き直った。
 何だ何だと、異常を察知した乗客が騒ぎ始める中で、マミゾウと集団の先頭に立っている男の目が合った。

「全員! マミゾウ姐さんにーっ!! 敬礼ッ!!」

 惚れ惚れするような、一糸乱れぬ動き。
 ざわついていた乗客から、感嘆の声が挙がった。
 だが、マミゾウの口をついて出るのはうめき声ばかりだ。
 その昔、満州へ出征しようという同胞を見送る際に、同じ事をした狸たちが居た。自分たちのことを知られてしまうのも恐れず、勇気ある仲間を見送るために。
 けたたましい汽笛に我に返ったマミゾウは、一心不乱に手を降り始めた。それを受けて、先頭に立った兵隊が帽子を取る。それに続くように、皆も帽子を取り、振り始めた。

「――!!」

 才喜坊だ。彼は何かを言ったようだが、汽笛にかき消され聞こえない。
 だが、わざわざ見送りに来てくれたというだけで、マミゾウは満足であった。
 フェリーが波をかき分け進み始め、マミゾウの足下が濡れていく。
 才喜坊たちは船が岸を離れ、米粒のように小さくなるまで帽子を降り続け、マミゾウも手を降り続けるたのだった。












「うん? マミゾウ、その新聞どうしたの?」
「ああ、外の世界のじゃよ。あの胡散臭いスキマ妖怪が持ってきおったわ」
「へぇ~。何々……佐渡のフェリー乗り場に旧日本軍が。嘗ての亡霊がって、何これ? マミゾウも何でそんなに嬉しそうなの」
「んん~、ここに来る前に色々あったんじゃよ」
「へぇ……」
マミゾウさんもっふもふ
筒教信者
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コメント



0.2300簡易評価
5.100奇声を発する程度の能力削除
とても感動出来る素敵なお話でした
7.100名前が無い程度の能力削除
いい話だなー
8.100名前が無い程度の能力削除
短い中でぬえとマミゾウさん、島の人々の優しさ暖かさがしっかり伝わってくる良作でした。
12.100名前が無い程度の能力削除
フェリーに乗り込むマミゾウさんを想像して和みました
13.100名前が正体不明である程度の能力削除
マミさんかっこいい。
15.100名前が無い程度の能力削除
これはいい
22.100名前が無い程度の能力削除
こんなにも文明が似合う幻想の住人はマミゾウさんだけだろうなぁ。幻想郷の文明は、本質的には明治以来の停滞したノスタルジアなわけで。そう考えると守屋組も当てはまるはずなのに・・・神徳ってやつか。
やっぱり、外界で確固とした地盤を保っていたというのは、大きいアイデンティティーですね。
26.100名前が無い程度の能力削除
これは良い神霊廟EX秘話
マミゾウさんはもちろん素敵ですが、手紙を書くのに悪戦苦闘するぬえが可愛いかったです
31.100名前が無い程度の能力削除
いい話。
ほんとに。
34.90とーなす削除
マミゾウが幻想郷に来る前の暮らしぶりが、丁寧な書き口からしっかりと伝わってきました。
38.100名前が無い程度の能力削除
マミゾウさんが思い入れを篭めてフェリーに向かう場面で泣きそうになった。
そっか、マミゾウさんも佐渡に出るのは覚悟がいることだったんだなあ。これは良作。
47.100名前が無い程度の能力削除
ガチ泣きした。