Coolier - 新生・東方創想話

雛様は、必要以上にまわらない

2011/12/26 00:16:26
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「秋様方、こんにちは。ご無沙汰しています」
「わあ。雛様」
 突然のお客にあまりにも驚いたものだからか、妹はなんともぶしつけな返答をしてしまっていた。
 驚きの度合いとしてはわたしも同じだったから、飲み込みかけていた蒸かし芋を喉につまらせていた。おかげでわたしはなにも言えず、妹の不用意な一言をフォローできずにごほげほ咳き込んでいる。しかし、その方がおっしゃったように、わたしたちがこうして会うのは本当に久しぶりなのだから仕方ない。いつ以来だろう……?
 わたしが緑茶でお芋を胃に流し込んでいる間も、妹がお客――厄除け流し雛であらせられる鍵山雛様の応対を続けていた。
「これはまたすごい厄! 相変わらずの不吉っぷりですね!」
「ええ、厄を見つけては何を置いても放っておけませんから……入ってもいいかしら」
「失礼しました、雛様。どうぞこちらへ。穣子、雛様のお茶を淹れてきなさい」
「ちょ、なによ押しのけるみたいに……」
 わたしは妹をキッチンへ追いやり、社に雛様を招きいれた。雛様が周囲に漂わせる『厄』は妹が言うとおりに不吉そのものといったオーラを放ちまくっているのだが、仮にも神であるわたしたち姉妹には厄のほうが嫌がって近寄らない。
 雛様は元が流し雛だからか、お人形のような見た目をしていてとてもかわいらしい神様だ。今日も頭を飾るリボンから足元のお靴までばっちりシックに決まっている。そのセンスには見習うべきものがあるな、と思っていると、当の雛様と目が合う。
 雛様の服装について思ったことをそのまま告げると、雛様ははにかむように微笑んだ。かわいい。
「秋様こそ、こういう装いがお似合いでしょう? きれいな亜麻色のその髪、うらやましいです」
「えへ、そうですか? 今度人里に、雛様みたいな衣装を一式揃えに行こうかな」
「お姉ちゃん! わたしを働かせておいて自分だけ雛様とおしゃべりなんてずるいんじゃないの!?」
 わあわあ喚きながら妹が居間に帰ってくる。姉妹そろって愛用している小さなワゴンの上には、お客様用の上等な急須と茶器。
「さあ雛様、お茶が入りましたよ」
「無視!?」
「そういえば忘れていました。お菓子を焼いてきたのです。秋様方のおつくりになるものには適わないとは思いますが……」
「いえいえそんな。わぁ、いいにおいです。みんなでいただきましょう。雛様にはおもたせですが」
「お姉ちゃんお茶ぶちまけるよ。顔面に」
「はいはいご苦労様。座ってなさい」
 妹と交代して、湯飲みにお茶を注ぐ。雛様が焼いたという一冬寝かせた栗のマフィンをお茶請けに、しばしの歓談。ほっくりとした味わいの栗は、秋の味覚を司るわたしたちの舌をもうならせる出来で、今すぐ厄神様を廃業してパティシエになってもきっと困らないだろうとさえ思う。そつなく女の子らしいことをこなす雛様は、本当にわたしの胸にきゅんと来る。厄でどろどろしているのが玉に瑕だがあばたもえくぼだ。
「……なるほど穣子様は聡明です。たしかに今さらそんなことを言い出しては村人たちが混乱してしまいますね」
「そうなの……いえ、そうなんです。もちろん来年の豊作祈願を、そのときしとくんですけどね。えへへ」
 妹はしまりのない顔で笑っている。
「静葉様、そういえば昨年の紅葉は本当に見事の一言でした。『山』に紅が差す季節は出かける度に心が洗われるようで、静葉様の恩恵をありがたく思います」
「え! そう、そうですか? わあうれしいな、毎年雛様のためにやってるようなものですから!」
「ふん、だらしない顔」
 妹が半眼でこちらを見ていた。
 わたしたち姉妹は、ふたりともこの厄神様にめろめろなのだ。
 姉妹でにらみあっていると、雛様がコトリと音を立てて湯飲みを卓に置いた。
「あの……」
「はいっ」
「近頃うわさの、地底をご存知?」
 雛様はひどく遠慮がちに、目を伏せたまま仰った。
 そんなふうに切り出される地底となれば、もちろん心当たりはある。わたしたちが社を構える『妖怪の山』から、大昔に袂を別たれた妖怪たちが封じられた世界のことだろう。
「ええ、まあ。雛様がお生まれになったのは、鬼と天狗の仲違いより後のことでしたか?  わたしたち姉妹はそうなのですが」
「わたしも、そうかと思います。鬼を見かけたこともほとんどありませんし……」
「天狗たちがいま騒々しいのは、地底のせいらしいですねー」
 訳知り顔の妹がうなずく。妹はわたしより社交的だから、噂にはたしかに耳聡いところがあるのだが。
 わたしがおぼろげに把握しているのは、以前『妖怪の山』に殴りこみをかけてきた巫女が地底にも同様のことをしでかしたという話だ。
「こわい妖怪ばっかりだそうですよ、地底に送られたのは。鬼でしょう、土蜘蛛でしょう、怨霊の類も多いし、けだものもたくさん。それに――極めつけは覚!」
「さとり、ですか。穣子様、それはどのような妖怪なのでしょう」
「あ、それはわたしも知ってます」
 覚妖怪は、心を読むとか、心の声を聞くとか言われて恐れられていた妖怪である。古くは『山』で鬼の権勢の影に隠れるように存在したが、やはり天狗に疎まれて地底に封じられることとなったという。それ以来『山』で姿を見た者はひとりとしておらず……わたしも趣味で古い歴史資料を漁っているときに知ったくらいだから、雛様が知らなくても無理はない。
 その覚妖怪の長の名は……なんというのだったか。わたしはここまで滔々と語っておきながら言葉に詰まってしまった。
「お姉ちゃん、老いたの? ぷふっ」
「穣子は覚えてるの?」
「うーうん」
 わたしは無言で妹の足を蹴った。がたんと机が揺れ、雛様が怪訝な顔をした。
「なにかしら。また地震……?」
「こわいですね。それで、地底がどうかしたのですか」
「ああ、そうでした。これはわたしの社にお供えにきた河童からもらったものなのですが……」
 一枚のチラシがテーブルに置かれる。けばけばしい派手な文字と色が目立つそれは、雛様にはいかにもふさわしくないようなものに思えてしまう。
 妹はわたしを蹴り返すタイミングを測っていたようだが、そのチラシを目に留めると頓狂な声を出した。
「ん? お姉ちゃんこれ、なんか見覚えあるよ」
「たしかに。おとといの天ぷらの油きりに使ったかしら……」
「メモ用紙にしたかも……」
 妹とチラシの上で額をつきあわせる。ゴミ箱を探そうかとも思ったが、現物は既にあるのでやめた。わたしたちは、たしか天狗の新聞に折り込まれていたのをメモなり油きりなりに使ったのだと思う。もしくは穣子が紙飛行機にでもしたのかもしれない。神だけに。
 あらためてチラシを見ると、それはお祭りの開催を知らせるものだった。チラシの下部にはきっちりと日時や場所が……場所が。
「場所は、地底ですって!」
「そうなのです。あのう」
 雛様はうつむいてもじもじと身を揺らした。ちょっと、頬が赤い。
「恥ずかしながら、行ってみたいのですが。天狗も恐れる妖怪がいると聞いては、ひとりでは不安で……」
 心憂げにちらと見上げてくるその視線は儚げで、普段お願いなど慣れていないのだろうということをうかがわせる。
 思えば雛様は本当にいい神様なのだ。人間のために厄を集めて遠ざけ、その小さな体に背負い込む。なのに厄の総大将のように誤解され、心ない人間どもはえんがちょなどと囃し立てやがる。雛様はそれを『わたしは感謝されなくとも良いのです。恨まれても疎まれても、皆が無事ならば……』とそっと微笑むのみ。ああ、それだけでも不憫なのにこの健気な雛様は、ほんとうに珍しく何かしたいことを口にしてくれたと思えば、お祭りに行きたいなどと! 腹いせに作物を残らず枯らしてくれと頼まれたってやってやる(穣子が)というのに、そんな小さなおねだりすらこんなに遠慮がちに!
 わたしはたやすく脳髄を溶かされた。隣で妹も同じ想いでいることは想像に難くない。わたしはてのひらをあわせて指を弄ぶ雛様の手を包むように、自分の手を重ね合わせた。
「わかりましたお供します! わたしたちのフルパワーには遠い季節だが問題ない! いいわね穣子!」
「オッケー! まかせて!」
「……ありがとうございます、秋様方」
 その微笑みとわたしたち姉妹の信仰すべてを引き換えにしてもいいくらいです。まぁさすがに人間には聞かせられないが。





 お祭り当日。わたし、雛様、妹の三柱はチラシに従って地底にたどりついた。縦穴の出口にはものものしいゲートが建てられ、門番のような妖怪がさすまたを携えて立っている。
「あ、こんにちはー。お祭りに来てくれた方ですか?」
「……!?」
 わたしと妹は問答無用で弾幕を放とうとしていた手を、思わず止めていた。
 ガッと妹の肩を捕まえ、ゲートの隅に連れて行く。
 作戦タイムだ。
「なんなの、このほわほわした妖怪は。地底妖怪はもっとおそろしい奴なんじゃあ」
「お姉ちゃんまずはわたしが様子を見る。雛様を見ていて」
「あの、どうしたのですか……?」
 雛様と門番風の妖怪が困惑したように聞いてくる。なんでもないよ! と笑顔で切り返した妹が、咳払いで息を整えながら門番に近寄っていく。
「いかにも、お祭り目当てに来た。わたしは秋を司る神、豊かさと稔りの象徴、秋穣子!」
「か、神様!」
 門番は平伏した。妹が調子こいてる姿を見るのはなんとも心が波立つが、雛様のためだ。今は我慢する。
「おまえはどんな妖怪か?」
「は、ははぁ。雪女でございます」
「雪女? 地底送りを免れた種族ではないか。何故ここにいる」
「ある年、うっかり雪を降らせすぎ、天狗様の住処を圧壊させまして……問答無用で地底送りにさせられました」
「ぶふっ」
 わたしは吹き出した。普段すましている天狗の怒った顔はさぞ見物だったことだろう。不敬なやつが多いから、わたしたち姉妹は天狗があまり好きではない。
 妹が困った顔でこっちに来る。
「どうしようお姉ちゃん。こいついい奴だよ」
「いやさすがに基準おかしいよ穣子……うーん……危険はなさそうだが」
 姉妹でもそもそ話し込んでいると、詰め所からもうひとり妖怪が出てきた。
 金髪碧眼でくたびれたペルシアンドレスを着た、ちょっと視線に険のある感じの妖怪だ。そいつは未だに這いつくばったままの同僚に、ぶっきらぼうに声をかける。
「あんたなにしてんの? もういいから下がってなさいよ」
「あ、うんー。でも水橋さん、そのひとたち神様だから、丁寧に……」
「はいはいはい。その信心深さ、能天気で逆に妬ましいわ」
 どうやら立場はこの妖怪のほうが上らしい。だが、すこしはイメージしたような地底らしい妖怪が出てきたというものだ。
 今度はわたしが進み出て、居丈高にざっ! と足音を立てながら妖怪の前に立つ。
「わたしは秋を司る神、寂しさと終焉の象徴、秋静葉!」
「あー神様、すいませんが後がつかえてるんで。はやいとこ行ってもらえます?」
 言われて、後ろを見る。いつの間にか長蛇の列が形成され、その先頭で雛様が肩身を狭そうにおろおろしていた。
「すいません今すぐ行きますっ」
 雛様と妹の手を引き、わたしはその場を離れる他なかった。くそ、雛様の前でかっこつけようと思ったのに。地底妖怪め。金髪は生意気そうな顔でひらひらとこちらに手を振っていた。Uターンして張り飛ばしてやろうかな。
「想像していたよりも、普通の妖怪でしたね……」
 雛様が思慮深く呟く。全然関係ないが雛様の手がふにふに柔らかくてたまらない。
「いえ、まだ地底に入ったばかり。油断しないでください!」
「そ、そうですね」
 胸の前で小さな拳を握り、警戒の構えをする雛様。いちいちかわいい仕草だが、誘惑されていると感じるのはたぶんわたしの不徳故だろう。雛様がそんな汚れた行為をするわけがない。こうしてつないでいるわたしの手によってさえ汚してしまわないかと一瞬だけ思う。が、雛様の安全のために離すわけにいかない。飽くまで安全のためで他意はない。
 そして今気づく。妹さえいなければ、お祭りでふたりきりのデートだったではないか!  こうなっては妹が邪魔だ。
「……!」
 横目で妹を見る。鋭い視線が交錯した。
 わたしたちは悲しいまでに姉妹だ。こいつ同じことに気づいていやがる。
「あ、ここからは馬車が出ているようですね」
 しばらく火花を散らしながら歩いていると、停留所に二〇席ほどもありそうな大きな馬車が鎮座していた。雛様が小走りに駆けていき、馬の首を撫でる。雛様と動物……心がほっこりする組み合わせだなあ。
 近くにいた御者が手綱の調子を確かめながら、雛様に声をかける。
「気をつけなよ、気性の荒い奴だから」
「そうなの? こんなにおとなしいわ」
「んん……本当だ。あんた不吉そうなのに、馬に好かれるたちなのかねー」
 雛様がひとしきり馬を撫でた後、わたしたちは馬車に乗せてもらった。運行は時刻表に沿っているためか、ほとんど客がいないまま発車したので貸し切りも同然だ。
 もちろん雛様は、だからといってはしゃぐようなお方ではないが。
 注意すべきは妹だ。
「うわーすごいよ雛様お姉ちゃん! あれあれ! 人工太陽ってやつだよ! 本物と全然違う! もっと暗いかと思ってたけど、いや空が見えないのは違和感ばりばりだけど、あああーこれが地底かー!」
「ちょ、ちょっと穣子……もう少し静かに……」
「気にしないでいいよ。お客も少ないしねー」
 御者が口を挟んでくる。その妖怪はかなり歳若く見えた。地上から地底に封じられた妖怪とすれば、計算があわなくなる。また、それほど危険な力も感じない。ふたつの意味で、縦穴の詰め所にいた金髪妖怪たちと比べればほとんど子供と言えるほどである。
「……あなたはもしかして、地底生まれの妖怪?」
「そうだよ。やっぱり若いとそう見えちゃうかなー」
 御者はそばかすの残る幼い頬を気にしたように、指で触れる。他には特に気分を害した様子もなく馬をゆったり走らせている。
「なんだか歴史を感じますね、雛様」
「はい。『妖怪の山』と別たれてから、同じだけの時を過ごしてきたのです。きっと……いろいろなものが見られるはず。もしかしたら……」
 雛様が表情を翳らせる。アンニュイな雛様も素敵だ。
 しかし、ただそれだけで留めておいてはいけないとわたしの直感が告げていた。雛様にはきっと、お祭り以外の目的が、地底にあるのだ。
 問いただそうとしたとき、妹がまた歓声をあげる。様々な様式の建物が立ち並ぶ栄えた通りに馬車が入り、興奮しているようだ。お祭り用の装飾がそこかしこに施され、とても華やいだ雰囲気だ。地上よりも風情はない――それはおそらく、地上に住む者ならば誰でもそう言うだろう。
 しかし、足元をくまなく固めている石畳も、一定の間隔で立ち並ぶ背の高い灯篭も、それぞれに魅力的な文明のにおいがする。
「地上から追放されたっていう奴らだから、あれこれ想像してたけど……」
 例えばもっと荒廃した街で、柄の悪いならず者がそこいらでたむろしているような。お祭りにしても殺牛祭とかそういう心胆寒からしめるようなものをやっているのではないかと思っていた。
 だが現実はどうだ。わたしは通りを思い思いに行き交う妖怪たちに注目してみる。地上のお祭りとなんら変わらない風景を背に、皆が心からの笑みを浮かべている。
 これが地底なのか。封じられた忌み妖怪がつくりあげてきた世界にしては、どうも暖かにすぎる。雛様もわたしと同じことを考えているのだろうか。妹は絶対なにも考えてない。わたしは馬車に揺られながら、地底の指導者にかすかな興味を覚えていた。





「ほんとは地霊殿の前まで行くんだけど、お祭り中は歩行者天国でね。ここで終点。スリとかには気をつけなよ、お客さん」
「どうもありがとう」
 雛様が去りゆく馬車の御者台に手を振っていると、妹がわたしの袖を引く。
「ね、地霊殿ってなに?」
「え……なんだろう。地底の権力者のお城かしら?」
 地底の情報を噂程度でも知っているのは妹の方である。妹が知らなければ、わたしも知らない。
 と、話を聞きつけた雛様が小さな歩幅で近づいてきた。
「地上でいう人間たちの村役場のようなものらしいですよ」
「へぇー。雛様、博識!」
「さっき門番さんがくれたお祭りのパンフレットに書いてありました」
 わたしたちが騒いでいる間に現地で情報を集めていたようだ。抜け目ない、というよりもわたしたちが舞い上がりすぎか……?
「昔は地獄の中心地だったようですが、遷都によって首都機能を失ってからは古明地という家が世襲で統治者となって――」
「あ」
 わたしの背筋に電撃走る。
「それそれ、古明地。こないだ話してた覚妖怪の長の名前と同じです。今の地底を治めているのは、じゃあ覚妖怪……?」
「珍しい名字ですから、そうかもしれませんね」
「あ、お姉ちゃん出店がある! りんごあめ買ってきていい?」
「はいはい、行ってらっしゃい。ここで待ってるから」
 妹はお祭りの空気にあてられて童心にでも帰ったか、物言いがいつもより素直になっている。こうした晴れの場ではしゃぐのはまだいいが、普段はもう少し落ち着いていてくれたほうが神としての威厳を保てるものを。
 くす、とリスの吐息のように小さく雛様が吹き出す。
「わたしには姉妹がおりませんから、よくはわからないのですが……今の静葉様、『姉』のお顔をしておいでですよ」
「むが」
 つい、返答に困ってしまった。どうにか反論しようと口をもごもごとさせていると、雛様はいっそう慈しむような目でこちらを見てくる。雛様が和んでいるのは間違いなく歓迎なのだが……
「ふわー凄いひとだかりだったよ……ん? お姉ちゃん風邪? 顔赤いよ。いや、全身赤いけど」
「だっ、だまらっしゃい」
「なに怒ってんの? はいこれ、お姉ちゃんの」
 妹が竹串に刺さったりんごあめを差し出してきた。りんごあめというのはこんなに食紅の色がぎらぎらしているのに、どうしてこんなにおいしそうに見えるのだろう。不思議に思いながらわたしはそれを受け取る。心のもっと奥では――妹がこんなふうに気を回してくれるなんて、と驚かないでもなかった。
「……ありがと」
 ぺろりとひと舐めしてみて、想像に違わぬ味がする。べったりと甘い。離れたくも、離れたくなくも思う不思議な味だけれど、それはわたしの好きな味でもあった。雛様も同じものを受け取りながら、妙ににこにこしていた。ああ、視線が生ぬるい。
 しばらくは三柱みんなで食べ歩きをした。焼きそばとかクレープとか、カキ氷にわた菓子といった定番のものは地底でも変わらずおいしく食べられるようだった。地底という土地柄ゆえか、からあげの屋台には鳥だけでなくこうもりも供されていて、雛様が悲鳴をあげていた。わたしと妹は年甲斐もなく型抜きでつい熱くなり、誤差コンマ数ミリ以下の奇跡を見せつけて子供たちから喝采を浴びるもテキ屋の鬼に難癖をつけられて景品をもらえなかったりした。『あんた子供たちのために用意した景品をさらっていく気かい? わたしら鬼でもそんな非道はできねーなー』一見子供に配慮したセリフだが釣りのエサを持っていかれたくないのが見え見えだ。
 鬼との交渉は諦め(怖かったので)、姉妹で不作の呪いをかけてからその場を退散した。
「へっ、ざまぁ」
「次に行きましょう雛様」
「い、いいのかしら」
「ええどんどん行きましょう!」
 姉妹で両側から雛様の手を引き、急ぎ足で去る。
 そのまま流れに身を任せていると遠くから歓声が聞こえてきた。と同時に、流れが淀んで一歩も動けなくなった。まるで芋洗いじみた混雑である。
「うわ、なにこれ。ここが一番ひとが多いよ」
「パンフによると……この先のステージでライブをやってる時間ね。超地底シンデレラ黒谷ヤマメ、ですって」
「見たい!」
「そうは言っても進めないし……雛様、どうしますか……雛様?」
 雛様の答えが返らなかった。
 嫌な焦りがお腹からのぼってくる。いつの間にか、わたしの手からあの心地よい感覚が抜け落ちていた。
「雛様!」
 わたしは慌てて周囲を見回す。これだけ混雑しているというのに、未だにステージに近づこうとしている妖怪たちが絶えない。おかげで雛様のかわいらしいリボン頭がさっぱり見えやしなかった。妹も異変を察知したらしく、強張った顔でわたしの袖をつまんでくる。
「お姉ちゃん、雛様がいないよ!」
「わかってる。しくじったわ……」
 雛様から目を離したこともそうだが、こうしてはぐれたときに落ち合う場所を決めておかなかったこともだ。はしゃいでいたのは妹だけではなかった。悔恨が喉元までせりあがってくるが、妹がわたしの肩を強く揺らしてくる。
「探さなきゃ! お姉ちゃん!」
 妹はこういうとき迷いがない。妹の美点だ。
「こういう場合、まずはお祭り運営の本部に行ってみるべきよね」
「迷子の捜索のお願いを出すの?」
「出されるのはわたしたちの方かもね……」
 幸いパンフレットに本部の位置は記されている。これは雛様から借りていたものだが、よくよく見ればどこにでも山積みになっているから、こんな状況なら雛様も新しいものを手に入れているはずだ。
 妖怪の流れに逆らって歩き出す。もしかしたらそのあたりに雛様の姿が見えないかと視線を走らせながら、どうしても気が急いている。
「お姉ちゃん」
 妹が手を握ってきた。不意のことで、肩が震えた。
「きょろきょろしすぎ。わたしたちがはぐれたらもっとまずいよ」
「え、ええ……そうね」
 わたしは自由なほうの手を胸に当てて、自分の鼓動を意識する。妹にたしなめられてしまって頬も赤くなっているだろうが、今は置いておく。なんにしても妹が頼りにできそうなのは見知らぬ土地ではありがたいことだから。
 どうにか混雑を抜け出して本部にたどり着く。そこは噂の地霊殿の真正面で、そのとても豪奢な洋風の造りはわたしの目を惹かれずにはいられないほどのものだ。中まで入ってじっくり見学したいが、まずは雛様優先だ。
 本部はお祭り会場よりは閑散としていて、受付にいる猫耳の妖怪が暇そうにしていた。
「すいません、こちらに迷子きてませんか!?」
「ああ、迷子かい? どんな子?」
 赤毛の三つ編みを調整していたその妖怪は、話を聞くなり身軽に立ち上がった。雛様(あるいはわたしたち)以外にもそれなりに迷子が出てしまっているらしく、広場の一角で子供が集められている。雛様がいくらかわいいとはいえ、さすがに『かわいい』のジャンルが違うため一見していないことがわかった。
 わたしは一応、雛様の特徴を受付さんに言ってみた。
「きれいな緑の髪にリボンを結わえて胸元で結んでて、ちょっとフリフリの衣装を着てる神様なんですけど……そう、あなたのドレスを派手にしたような感じの」
「あたいの服を派手に? ……うーんやっぱりそんな子は来てないなぁ。もし見かけたらここで待つように言っておこうか」
「お、お願いします!」
「ところでお姉さん、探してるのは神様って言ったかい?」
 受付さんが台帳にペンを走らせながら念を押してくる。
「ええ。流し雛の鍵山雛様です」
「……はい、了解。すぐ見つかるといいね」
 名前と特徴を控えてもらい、ひとまず本部でできることは終わった。空振りではあるがマイナスにはなるまい。
 とはいえ、ここからはあてもなく探すだけだ。ここで待つという選択肢もなくはないが……
 地底が地上とほとんど変わらない世界を作っているのはわかった。ならば、地上と同じだけの危険もまた存在するはず。わたしは雛様をひとりにしたままじっとしていることなんて、できない。
「穣子、とりあえず今まで行ったところを辿りましょう」
「それしかないよね……ん?」
「どうしたの?」
「いや、さっきの受付さんがこっちをじーっと見てた。で、わたしと目があったら、どこかに行っちゃった」
 わたしも本部を見やると、確かに今応対してくれた猫妖怪がいなくなっていた。とはいえ受付には他にも妖怪がいるし、雛様と入れ違いになったとしても引き留めておいてくれるだろう。
「まあ、少し席を外すくらいのことはあるでしょう」
「それもそうか。トイレね」
「理由はなんでもいいから!」
 妹からようやく主導権を取り返して、わたしは足を速めた。
 基本的な方針はさっき言った通り、今まで行ったところだ。ほとんどが食べ物系の屋台なので雛様がそんなところに留まり続けているとは考えにくいが、他に心当たりというものもない。雛様は地底に知り合いなどがいないだろうし……
 妹が追いついて軽く体当たりしてくる。
「ねえ、お姉ちゃん。雛様どこ行っちゃったのかな」
「それがわかってたら苦労しないっつーに」
「理由がなんでもいい、なんてことはないんじゃない? 雛様がいないのにはなにか理由があるのかもしれないよ」
「穣子、どういうこと?」
 妹が――ヒントめいたことを言った気がして、わたしは足を止めた。
「雛様はお姉ちゃんみたいにぼんくら女神じゃないんだから、わたしたちをただ見失うような間抜けはしないでしょ」
「つまり……拉致された?」
「ああ、そういう方向に行っちゃうか……って雛様は地底に知り合いもいなけりゃ、いきなり拉致られる謂れもありえないでしょ! もー、お姉ちゃん馬鹿」
「なによ、じゃあどんな理由があるっていうの!?」
「それはわたしもわからない」
 わたしは無言で妹の足を蹴った。が、避けられた。好き放題にわたしを罵倒しておいて折檻からも逃げるとはいい度胸である。姉として、これは見過ごせない事態だ。雛様のことを棚上げしてでもこの場で――
「いやいや抑えるのよ秋静葉、まずはやはり雛様優先……あ」
 閃いた。わたしは雛様の立場になって考えてみる。
 わたしを雛様に置き換え、棚上げの状況を雛様のものに置き換える。
 雛様が、連れ合いのわたしたちを放って。
 そうまでして、流し雛として見過ごせないもの。
「厄、か……!」
 そういえば雛様は地底に着いたあたりでお祭り以外の目的をほのめかしていた。
 流し雛としての使命に忠実な雛様のこと、地底に存在するであろう厄のことを気にかけていたとしても不思議はない。実際に訪れるまでは地底のことをもっとおどろおどろしい場所だと思っていたこともあるわけだし。
 これなら、理由には十分だ。
 妹もなるほどと手のひらを打ち合わせた。
「じゃあ厄がありそうなところを探せばいいってことね」
 厄とは、人間や妖怪たちが日々の生活の中で募らせていくという、言わば生命の澱だ。垢のように存在するはずのそれは、ともすれば人間や妖怪があるところならどこにでもあることになるが、その顕現には濃淡がある。
 感じ取れるはずだ。雛様は動的な厄除けを専門とするならば、わたしたち姉妹は秋を実らせることで静的な厄除けをしていることになるだろう。普段は無意識的に遠ざけているそれらを強く想う。
 この地底で、厄が最も濃い地点に雛様がいる。
 感じ取れ。
 感じ取れ。
 雛様が厄をはらい因果を断つがごとく。
 人間を、妖怪を、幻想郷を守る――わたしたち神々が相対すべき厄を。
 じわり、と黒い気配がにじむように、悪寒が背を撫で上げた。
 振り返れば去ったばかりの地霊殿が、わたしたちを見下ろすように沈黙を保っている。





「い、いいのかな。こんなとこまで入っちゃって」
「いいも悪いも仕方ないでしょ。雛様は厄への感受性が高い。きっと危険だわ」
 もっとも、冷静に考えれば厄を辿る先に雛様がいるとは限らないが。
 わたしたちはこっそりとお祭り運営本部を通り抜けて、地霊殿の奥深くまで這入りこんでいた。横目で確認した程度ではあの猫妖怪はまだ帰ってきていなかった。理由が大事だとすれば、彼女ももしかしたら雛様を探してくれているのかもしれない。
「ここって普段は市役所みたいなところなんだっけ? ものすごくスタッフオンリーな気配が漂ってるんだけど」
「そう思うんなら口をつぐんでなさい。見つかるでしょ」
「お姉ちゃんも声でかいっつーの」
 小声で言い争うが、周囲に妖怪の気配は薄い。お祭りを取り仕切っているのは地霊殿の職員たちが中心なのだろう。
 潜入には好都合である。雑然とした廊下を進みつつ、わたしは安堵していた。
「ていうか潜入しなきゃいけないの?」
「一刻もはやく雛様を確保しなきゃいけない、地霊殿の方を説得してる時間はありませんっ」
「あ、お姉ちゃん!」
「おわっ」
 突然妹が思いっきりわたしを引っ張り、次いで壁に叩きつける。思わぬところからの攻撃にわたしはなにもできずにくずおれた。
「なにやってんのあんたは……!」
「しー! いま向こうから誰か歩いてきてたの!」
 唇に指を当てながら妹はさらにわたしに覆いかぶさり、廃棄予定のカーテンかなにかを広げた。ちょっと汚い。いやそれよりも。
「こ、これで隠れるつもり!? 絶対バレる!」
「いいから静かに!」
 カーテンと妹に覆われて、わたしは床にうずくまる。長い廊下の隅でやる気のないかくれんぼでもしているのか、と冷静にわたしを客観視している自分があきれ返っている気がする。
 しかし、カツンカツンと規則正しい足音が聞こえてくると、そんな冷静な自分も慌てて押し黙った。妹も息を呑んで体を硬くしている。
 足音は徐々に近づき、大きくなる。カーテンの切れ目から覗く足音の主は、まるで少女のように幼い容姿をしていた。薄桃色の髪にハートのワンポイントがついたカチューシャに、空色のブラウス……にまとわりつくような赤と黄のチューブの先に、赤い球体が胸元に浮遊していた。あれはなんだ?  どういう妖怪なのだろう。
 正体はわからないが、相当に危険な気配を感じる。
(お願い、気づかないで……)
 強く念じた瞬間、妖怪が足を止めた。そして不自然に広がったカーテンに気づき、怪訝そうに手を伸ばしてくる――
 と。
「にゃーん!」
 耳を疑った。猫の鳴き真似だ。妙にうまい。だがそんなもんで誤魔化せるか、いい加減にしろ馬鹿穣子! と射殺すような視線を妹に向けると、妹も同じような目でわたしを見ていた。お互いぎょっとして、カーテンの外をうかがう。
「あ、あらら……お燐?」
 なんと謎の妖怪までも困惑したような声を挙げている。そして、ほとんど同時に一匹の猫が走ってきて、その妖怪の肩に飛び乗った。
 猫はしばらくにゃーにゃーわめいていたが、やがて謎の妖怪がその鼻先を撫でると静かになった。
「そう……ここのところ、よくよくそういったものに縁がありますね」
「にゃーお」
「はい、じゃあ行きましょう。大体のところはわかりましたから」
「にゃっ?」
 猫と会話している……? わたしが訝しんでいると、謎の妖怪は猫を肩に乗せたままどこかへ行ってしまった。カツンカツンと、足音が遠ざかっていく。
 わたしは呆然としながらも、妹を押しのけて立ち上がった。
 見つからずに済んだようだ――これは確かだ。
 妹が立ち上がるのに手を貸してやり、わたしは妹に詫びた。
「ごめん、穣子が猫の鳴き真似とか馬鹿なことしたんだと思っちゃった」
「わたしも……ごめん」
「今の、なんだったんだろう。すごく怖い妖怪だったけど」
「あれは秋でも相手できるかわかんないね」
 わたしは思わず吹き出した。妹はあれと戦えるつもりでいる。秋なら本当にやってしまいかねないな、と妹を頼もしく思った。
「さて、行きましょ。もうだいぶ厄の気配が濃い」
「オッケー」
 気を取り直して、厄を辿っていく。このあたりは一旦薄まっているようだが、進むにつれて段々と外より明らかに濃密な厄を感じる。地霊殿の中庭に抜け、さらに地下に潜っていく階段を見つけるころには、たとえ力を持たない人間であってもわかるほどにあからさまになっていた。
「うっ……なんか暑い」
 わたしも妹と同意見だ。地霊殿の地下に入って、明らかに暑くなった。ボイラー室でもあるのだろうか?
 地下通路はやけに頑丈なつくりで、延々と続いている。辟易としつつも濃くなっていく厄――否、もはや瘴気を追いかけて、どんどん下る。
 たどり着いた先には、これまた頑丈そうな鉄扉が構えていた。扉にふさわしいサイズのごつい鍵には弾幕痕があり、破壊されている。わたしたちより先に、侵入者がここまで来た証拠だ。
 妹がごくりと喉を鳴らす音に押されるように、わたしは扉を開け放った。
 熱風が、吹きつけてくる。
「こ、れは……」
 眼下には、この世の果てのような光景が広がっていた。焦土から朽ちた樹木がいくらかある以外は、くすぶった灰の塊が転がっているだけの世界。周囲には厄が漂い、うめき声をあげている。うめき声?
 否、厄は言葉を発さない。わたしたちが厄だと思って追いかけてきたものは、いったいなんだったのだ?
「雛様!」
 妹が叫ぶ。はっと前を向くと、崖の淵のようなところにリボン頭の雛様が佇んでいた。淵のその先には、ゆらゆらと炎が底知れぬ渦を描いている。
 雛様はゆっくりと、こちらに向き直った。その身には、一切の厄をまとっていない。周囲にはあふれんばかりの厄が立ち込めているのだが、雛様自身は地底に降りてきたときよりもその不吉さが目減りしていた。
「秋様方、ご迷惑をかけてしまい、申し訳ございません」
「いったい、どうしたんですか雛様」
「わたしは……」
 雛様はどう説明したものか、と思い悩むように虚空を見つめた。その眼差しは、平時となんら変わらない雛様のものだ。誰かに拉致されたのでもなく、突如奇行に走ってここまで来てしまったのでもなく、最初からここに来るつもりであったことをうかがわせる。いや、それは正確ではない。場所はこの際、関係ないはずである。
 わたしはもう答えに至っていた。
「地底の厄を、はらおうとしていたのですよね。それで……」
「静葉様……ご賢察です。お見通しでしたか」
 雛様は目を伏せた。あまつさえ膝を地に着け、腰をかがめていく。
「秋様方をいいように利用したことは謝ります。断りを入れてから、行動しようと思っていたのですが……はぐれている最中に大きな厄の気配を感じてしまい、どうしても使命を果たそうとせずにはいられませんでした。どうかお許しを」
「ちょっと待ってください!」
 わたしと妹は土下座をしようとする雛様を両脇からがっしり掴んだ。
 大好きな雛様にそんなことをしてもらって喜ぶような趣味を、わたしも妹も持っていないのだ。
 勢いのまま、わたしは叫んでしまう。
「わたしはこの機会に雛様との距離を縮められたらラッキーだなーとか密かに企んでいました!」
「えへへ、お姉ちゃんに同じー。わたしたち誰も損してないんですよ、雛様! ノンゼロサムゲームです」
「だから謝るなんてやめてください。あれ、むしろ謝るのは比較的不純なわたしたちの方か……!?」
「静葉様……穣子様……」
 雛様は、くしゃりとかわいらしいお顔をゆがめた。わたしたちが怒って、絶縁状でも叩きつけられると思っていたのだろうか。逆はあっても、わたしたちからそんなことをするなんてありえないのに。ぽろぽろと涙をこぼしはじめた雛様を両側から抱きしめながら、わたしと妹は顔を見合わせて微笑んだ。そう、なんといっても、わたしたち姉妹はこの厄神様にめろめろなのだった。
「ごめんなさい、ありがとう、静葉様、穣子様……っ」
「大丈夫、大丈夫ですよ。雛様」
 ずっと昔から、同じ神様としてやってきたのだ。雛様のちょっとした偏屈具合など、姉妹でしっかり受け止められる範囲だなんてわかりきっている。
「……でも、雛様」
 妹は雛様の頭をなでさすりながら(抜け駆けだ、この馬鹿穣子め)、ぽつりと口にする。
「どうして厄が減ってるんです? 清浄な土地で、あのくるくる回るあれをしないと厄を流せないんじゃありませんでした?」
「それは、わたしも、よくわかりません、うーっ」
 しゃくりあげながら、雛様が答える。わたしは赤らんだ頬を滑り落ちていく宝石のような涙を拭ってさしあげた。このハンカチは家宝にしよう。妹もきっと賛成する。
「ただ、そう……おかしいのです。この崖の淵に着いたら、厄が……ひとりでに炎に飛び込んでいって」
「まさか、そんなことが……?」
「見つけましたよ、神様方」
 突然、第三者の声が割り込む。わたしは弾かれるように顔を上げる。
 さきほど地霊殿の廊下でやり過ごした、あの謎の妖怪がそこにいた。肩には猫を乗せて、仏頂面で近づいてくる。
「かくれんぼはおしまいです。あのカーテンはクリーニングに出す予定だったものなのですよ」
 既にあの廊下で、ばれていたのか。謎の妖怪の眼力にこめられたプレッシャーにわたしは怯む。妹は気丈にも微動だにせず雛様を背にかばっているが、内心はどうなのだろう。わたしが守らなければ。
 謎の妖怪の胸に赤い球体が浮かんでいる。正面から見れば、それは眼球を模したような飾りだった。やけに生々しく精巧なつくりをしている。
 一体、何者なのだ。わたしが口を開きかけたとき。
「わたしは古明地さとり、この地底の主を務めております。地上からいらした土着神とお見受けしますが……? ああ、やはり。秋の神様に、流し雛の神様……と。流し雛とはいったいどういうものなのでしょう」
 謎の妖怪、いや古明地さとりは一息に喋り出す。わたしは目を白黒させた。わたしも妹も雛様も一言たりとも喋っていないのに、古明地とやらは知りえないはずのわたしたちの素性を言い当てた。
(……あ!)
 古明地といえば自分でも名乗っていたが、地底の統治者の家の名のはず。そしてもうひとつ、意味のある名だ。
 それは、古い時代に『妖怪の山』から追放された――覚妖怪の長の名。
「ああ、伝え忘れておりましたね。察するとおりわたしは心を読む妖怪、覚の末裔です。お燐」
 最後の一言は肩の猫に向けてのものだった。猫が軽く跳んで着地し、そして見る見るうちに人型に変化する。
「あ、あんた受付の猫!」
 妹が指をさして叫んだ。
「ごめんね、お姉さんたち。あたいたち、ちょっとした理由があって地上から来た神様には敏感になっちゃってるんだ。だからさとり様に報告させてもらったよ。でもまさかこんなところまで入り込んでたなんてね……」
 猫――さとりが言うところのお燐は済まなそうにしながら、しかし確かに警戒の色を滲ませている。
「まあ、この地底を転覆させるような意思は、欠片も見当たりませんね。お燐、脅す必要はもうありません」
 じろじろと遠慮会釈なくわたしたち三柱を舐めるように見ていたさとりは、気が抜けたようにそう言った。すーっと溶けるように、お燐からも敵意めいたものが消えていく。さとりの影でよくわからなかったが、この猫も相当怖い妖怪なのだろうと感じた。
「さて、ではどんな目的でここまで来たか、お聞かせいただけますか? まぁ、もう少しばかりは涼しい場所で」





 地霊殿に戻り、さとりの執務室だという部屋に案内される。
 お燐に冷たいお茶を入れてもらって、妹などは露骨に一息ついてせいせいとした顔をしている。
「我慢大会には困らないとこだね、地底は」
「口を慎みなさい穣子」
「はいはーい」
 雛様も、もうずいぶん落ち着いたようだった。わたしの隣で慎ましくグラスに口をつけている。さとりは換気でもしようというのか、執務室の窓を開けていた。
 涼しい風が吹き込んでくる、と思いきやお祭りの熱気が微妙に伝わってくるばかりだ。
 さとりはため息をついて開けたばかりの窓を閉めた。
「たしかに我慢大会ですね。こんなのはお祭りの日くらいなものですが……では、秋様。お話をうかがってもよろしいですか?」
 わたしは意見を求められて、さとりに相対する。ちょっと感心なのは、この古明地さとりというやつはかなりの大妖怪なのに、わたしたち神々に対する敬意をちゃんと持っていることだ。
 だからわたしも、誠意をもって答える。
「わたしはデートに来ただけです」
「お姉ちゃんも黙っといたら?」
 妹の凍えるような声が、ちょっと怖かった。
「では鍵山様、あなたはどうでしょうか」
 さとりもこちらに視線をくれなくなった。お燐も無言である。ただ水を向けられた雛様だけが静かに言った。
「わたしは、僭越ながら地底の厄をはらうためにここまで来ました。逆にお聞きしたい、あの虚ろな炎が吹き上がる淵は、いったいなんなのですか」
「あれは灼熱地獄。ここが正式な地獄だったときの名残、昔時の業火の残り火……」
「この地底をきれいにする、自浄装置でもある」
 さとりとお燐が口々に答える。
「自浄装置、ですか?」
「地霊殿の仕事のひとつに、あの地獄の管理があるんだけど。あそこは最終廃棄物を放り込む場所になってるんだ。なんでもかんでも燃やし尽くして、地底がゴミで埋まらないようにね」
「ただ、近頃は問題もありまして。燃やせないものはないはずの地獄から、燃え残りの怨霊が噴き出すようになったのです」
「じゃあ雛様、わたしたちが厄だと思って追いかけていたのは、怨霊だったということですか」
「たしかに似たような性質を持っているようですが……」
 雛様は、指をくるくると回した。きれいな水で育った白魚のようなその指に、うっすらともやのような厄改め、怨霊がまとわりつく。
「ほんとだ。ちゃんと雛様が操れますね」
 妹も雛様の真似をして指を回す。当然怨霊はくっつかない。
「全てを焼くという地獄の炎でも、これでは厄をはらいきれていない。このままにしてはおけません。わたしが地上から連れてきてしまった厄も、この分だと混ぜてしまったようですし」
「今の雛様、そのかわいらしさを阻害するどろどろがありませんものね」
「静葉様、お気持ちはうれしいのですが今はご自重ください」
「すいません」
 雛様に直接言われてはもう平伏するしかない。妹もわたしをにらんでいた。
 あ、でも。うれしいのか……
 わたしの陶酔をよそに、話は進んでいる。
「見た限りではまだ大丈夫ですが、このまま捨て置けば地底の住民にとって悪いことばかりです。わたしはこの地底に流し雛の儀式を伝えたい」
「まあ、それは願ったり叶ったりですが……」
 さとりはいいこと尽くめの雛様の施しように、逆に戸惑っているようだった。
「『妖怪の山』の了解はいらないのでしょうか? どうもわたしどもばかり、得をしていると思うのですが」
 じゃあ損をしたいのか、この妖怪は。思いはするが、雛様に自重しろと言われているのでわたしは黙っていた。さとりは思考を読んでいるのかもしれなかったが、とにかくこちらには反応しない。本格的に呆れられているかもしれない。
 雛様は、そんなさとりに背筋を伸ばしてきっぱりと言い切った。
「わたしは天狗の社会と直接の関わりはありません。それ以前に、人間も妖怪も、わたしたち神にとっては大した違いはありません。皆等しく場所を問わず、わたしがたすけるべき対象です」
「心の底から、そう思っておられるのですね。鍵山様は……」
 大妖怪古明地さとりの感嘆が、雛様に向けられている。
 わたしはそれが我がことのように誇らしい気持ちでいっぱいになった。どうだわたしの(?)雛様は――なんて全世界に自慢したくなるような、立派な神様。
「神頼みで済むことならば、済ませてしまえばよいのです」
 そう締めくくった雛様は、晴れやかに微笑んでいた。
 少し人工太陽の明度が下がったころ、さとりはお祭りに顔を出さなければならないと言って、お燐を連れて執務室を離れていった。会議も中断せざるをえないが、わたしとしてはしばらく地底に逗留するのもいいかな、と思った。
 会議中、ほとんど無言だった妹は耐えかねたように身を揺すり出す。
「ね、雛様、お姉ちゃん。わたしたちももっかいお祭りに行こうよ。まだまだイベント、いっぱいあるみたいだしさ」
「そうね。時間あるし、それくらいは構わないかも」
「……そうですね」
 おや? 雛様がわたしを見て、含み笑いをした。
「お互いに、今回の埋め合わせをするというのはどうでしょう」
 もうこらえきれずにくすくす笑っている。こんな雛様は珍しいので、わたしは思わず妹と顔を見合わせてしまった。案の定妹も不思議そうにして、雛様の深慮をはかりかねている。雛様は咳払いをひとつして――そしてすこしだけ頬を、季節はずれの秋の色に染めて――そっと、わたしの手をとった。
「わたしと、デートをしてくださるのでしょう?」
「なっ」
「ええー!?」
 姉妹の反応は、大小の差はあれ似たり寄ったりなものとなった。
「ずっるい、お姉ちゃんばっかり! 雛様ぁーわたしもー!」
「ええ、もちろんです」
「ええー!?」
 なんと雛様がわたしの手をあっさり離し、妹と連れ立って駆けていく。わたしに意味ありげな笑みを残して……
 泡を食って追いかけながら、今回は雛様に振り回されっぱなしだ、と思った。でもそれも受け入れてみれば楽しいものだ。何故って、それはもうほとんどデートと同じことだから。たとえコブ(妹)つきでも。
 三柱で地霊殿を飛び出すと、お祭り会場はますます混雑を極めんとするほどの盛況ぶりだった。
 どこから回ろう。振り回される仕返しに、こうもりのからあげでも食べに行ってようか。埋め合わせの一環としてなら、雛様も罰ゲーム感覚で受け入れてくれる気がする。あとは妹とどうにかしてはぐれる算段を立てなければ(これについては妹も同じことを考えているはず)。雛様が行きたいところがあれば、そこでもいい。
(まぁ、どこでもいいや。どこだって楽しいよね、きっと)
 なんたってわたしは、雛様にめろめろなんだから!



 読了感謝します。
 秋様、雛様、と呼び合う雅な三柱の妄想を受信しました。
 どうしても地底に向かってしまうのが困りものでした。
 クリスマスのネタではありませんが、お楽しみいただけたら幸いです。
エムアンドエム(M&M)
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コメント



0.1020簡易評価
1.100奇声を発する程度の能力削除
途中どうなるかとドキドキしましたが、良かったです
読んでて自然と笑顔になれました
4.100名前が正体不明である程度の能力削除
 →
↑厄↓
 ←
8.100名前が無い程度の能力削除
なにこれかわいい
ドキドキが止まらない
10.100名前が無い程度の能力削除
さぁ、早くお祭りデートの様子を詳細に書きあげる作業に戻るんだ
11.100名前が無い程度の能力削除
わっふるわっふる
14.100名前がない程度の能力削除
雛様もいいですが仲がいいような悪いような姉妹の距離感がなかなか面白い
19.100名前が無い程度の能力削除
なんだかんだで仲がいい秋姉妹にニヤニヤしながら読んでました。
23.無評価M&M削除
>1 さん
ありがとうございます。
今後もそうありたいものです。

>4 さん
ご満足いただけたのでしょうか?
もしそうなら嬉しいですが……(汗

>10 さん
好評を得られたようで何よりです。
ひとまず今回はこれからというところで終わってしまってすいません。

>11 さん
機会があればまた秋様雛様で書いてみようと思います。

>14 さん
東方にはいろんな姉妹がいて、それぞれに違った魅力があります。
秋姉妹はこんな感じではないだろうかと思い、書かせていただきました。

>19 さん
ありがとうございます。
生意気な妹と、妹を疎みながらも目が離せない姉というのが秋姉妹のポイントでした。

>匿名評価の皆様
たくさんの評価ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
29.100名前が無い程度の能力削除
ニヤニヤ成分たっぷりで最高。
みんな可愛らしく大満足。
さぁ、デートの続きを(ry