Coolier - 新生・東方創想話

命蓮寺のクリスマス

2011/12/24 15:08:32
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 凍えるような寒さが辺りを包み込み、冬妖怪が本領を発揮し我が物顔で幻想郷を絶対零度の世界へと変貌させ、秋妖怪が自らの使命を終え隠居生活に入り、春妖怪が来るべく春に合わせて日がな眠り続けている季節が冬である。幻想郷にも凍てつく様な真冬がやってきた。
 師走に入ってから何処もかしこも慌しさを増し、幻想郷が本来持ち合わせているどこかゆったりとしたマイペースな雰囲気。それがあまり感じられない。皆が皆年を越す為に一生懸命なのである。
 特に忙しいのが洩矢神社と博麗神社の幻想郷に君臨する二大巨頭神社である。師走の有終の美を飾る大晦日から元日、三が日にかけて初詣に赴こうと多くの参拝客が訪れる事が大いに予想される。何も準備せずに大晦日や新年を迎えてしまえば怒涛の人間や祭りごとに便乗した妖怪達でごった返してしまうだろう。それを見越して神社の巫女である博麗霊夢と東風谷早苗は数日前から働き詰めであった。

 そんな神社のうる若き乙女達が齷齪と働いている最中、幻想郷に最近やってきた寺──命蓮寺の住民も慌しく蠢いていた。本来初詣とは正月の三が日に溜まりに溜まった生命力が爆発するので、その危険な一時を氏子の神様に頼ろう、という事で行うものである。本来は神では無く仏を扱う寺に初詣を行くのは正しくないのだが今では余り小難しく考える事は無く、寺に訪れる者も少なくない。
 命蓮寺も初詣に備え師走の名称通り留まる事無くあっちこっちに動いているのかと思えば……別にそんな事はなかった。

「御主人! そっちの飾り付けは終りましたか?」
「すいませんまだです。というかもう少しで飾りわっかが無くなりそうです」
「こっちも飾りわっかが無くなりそうよ!」
「本当ですか!? 聖は何をやってるんですか!?」
「うふふ、見てください。可愛い蛙さんではありませんか?」
「貴重な折り紙を使って何をしてるんですか! 足りなくなってるんですから早く作って下さいよ! ていうか鶴とかじゃなくて蛙っていうチョイスはなんですか」
「きゃあああ何をやってるんですか星! それは綿じゃなくて雲山です!」
「え……? ああ! ごめんなさい雲山!」
「…………」
「ひぃ!? 怒ってらっしゃる!」
「カレーにチョコを入れると旨味が増すと聞いたんで少しばかり入れさせてもらったよ」
「ちょ、ナズ何勝手な事してんの! カレーに隠し味を入れるなんて邪道よ邪道! カレーはカレーが持つ本来の味で勝負しなきゃ意味ないでしょ!!」
「そうは言うが、村紗のカレーは何時も同じような味だから飽きてしまってだな……」
「失礼ねー毎回変えてるじゃない。ポークにチキンに野菜にスープ……」
「全部カレーじゃないか! 根本的な解決になってないよ!」
「聖は早くわっかを──って今度は一体何を作ってるんですか?」
「こうやってこう折ると……何か星みたいに見えませんか?」
「見えませんよ! それにそれは熊です! 私は虎です!」

 命蓮寺の面々を慌しくさせているもの、それはクリスマスだった。元々仏教の僧侶である聖にとってクリスマスなどといった異文化の催し物は経験したことが無く半ば御法度などだが、聖の「あら面白そう」という鶴の一言で急遽クリスマスパーティが開かれる事となった。勿論誰もクリスマスの事など知っている筈も無く人里に住んでいる上白沢慧音や香霖堂の森近霖之助の所を訪れ、様々な文献に目を通し理解できなかった事は想像で補おうという結論に至った。

 そんな訳で命蓮寺は初詣の準備をほったらかしにし、朝早くから文献と想像で創造された経験値が全く備わっていないクリスマスパーティの準備を執り行っていた。
 時間は只今陽が沈み行く酉の刻。準備はそろそろ佳境を迎えていた。




 ※※※




 凡その準備が終ったのはそれから半刻後。聖の提案によって戌の刻からパーティを開始すると告げられた。それまでは各個人自由時間である。

「カレーも出来たし、する事無くなっちゃったなー」

 命蓮寺の水先案内人──村紗水蜜は大きく伸びをしながら本殿の中を闊歩していた。パーティで皆に振舞おうと思っているカレーの仕込みも終っているし今は特にする事も無い。そうは言っても何かするかというと一時間という時間では出来る事は限られている。村紗は暇を持て余していた。

「ふあ~……暇ね。どうしましょうか」

 遂には縁側に寝転び夜空を見上げ始めた村紗。冬になり空気が澄んでいるという事もあり夜空には満天の星空が広がっていた。宇宙から数え切れない程の時を経てこの幻想郷に降り注ぐ星々の光の数々。目の前に広がる言葉では言い表せないほどの明媚な光景に村紗はふと、こんな美しい物を一人で見ているのがとても寂しくなってきた。
 しかし、ナズーリンと星は茶の間でイチャイチャとバカップルのような戯れに興じているし、一輪と雲山は作業の真最中である。聖は一見した所暇そうだが、先程から首をかくかくと動かし船を漕ぎ始めているのであまり声をかけたくはない。
 詰まる所ぼっちである。

 ──つまんなーい。
 寂寞とした思いの中、足をブラブラと縁側に投げ出し心の中で不平をぶちまけていると、ふと、村紗の脳裏に一人の少女の姿が浮かび上がってきた。

 ──そうだ。ぬえって今何処に居るんだろう。

 村紗が想起した鵺の少女──封獣ぬえは命蓮寺に泊り込みで住んでいる訳では無い。かと言って特に確りとした住居を持っている訳でもない。以前からちょくちょく寺に遊びに来たりはしているので村紗が聖が寺に住む事を勧めているのだがぬえはしきりにその要請を拒んで来た。真意の程は分からないが、本来、鵺は捻くれ者で天邪鬼な性格なので素直に首を縦に振れないのかもしれない。
 もしかしたら──今日もどこかに居るのかもしれない。村紗は胸を期待に膨らませ靴を履き、とことこと境内を歩いてみる事にした。
 夜の境内は不気味なほど静かだ。妖怪や化物が夜の幻想郷を闊歩している事も多々あるが、あまり神社や寺には近付こうとしない。基本的に人間以外が寺を訪れる事は少ないのである。
 そんな夜の命蓮寺が村紗は好きだった。水を打ったような静けさの中に居ると自分を見つめ直す事が出来る。一度死を経験してから村紗は生についてよく考えるようになった。自分は何の為に生きているのか? 何をするのが自分の人生なのだろうか? 真っ暗になった寺の境内で御酒片手に月を見ながら一杯呑みながらそんな事を考えると自分が生きている事を実感する事が出来た。
 一人で酒を煽るのもいいが、今日はクリスマス。隣に何か暖かい温もりが欲しかった。

 ──出来れば大好きなぬえと。

 村紗が本殿の裏辺りに着くと、見覚えのある影があった。真っ黒い髪に真っ黒な服、真っ黒いソックスと黒尽くしの体に不釣合いな色取り取りの尾っぽを風邪に靡かせ憂い顔を浮べている少女はどう見ても村紗が探していた──封獣ぬえそれだった。

 ──居た! ぬえだ。

 思ったより早く想い人に出逢えた村紗は期待で膨らんだままの胸を躍らせた。顔がにやにやとだらしなく歪む。

 ──えへへ、早速声かけちゃおう♪

 リボンを直し、村紗はスキップでぬえへと近付いて行った。




 ※※※




 また来てしまった。特に用事があるわけでもないのに。
 命蓮寺の境内にある石に座り、夜風に当たりながら少女──封獣ぬえは少々後悔していた。
 命蓮寺に居ると心に謎の安堵感が生まれる。命蓮寺の住民と触れ合うと何故か心が弾む。どれもこれもあまり認めたい物では無いけれど。
 そして、あの水平の格好をした少女と話していると心が弾むだけは無く、何故か心が締め付けられる。心臓がきゅーっと締め付けられ、息が苦しくなる。こんな感情は今まで生きてきて初めての事だった。
 何か良くない病気にでもかかってしまったのだろうか。それなら迷いの竹林の奥にある建物に行った方がいいのかもしれない。

 ──めんどくさい。

 ぬえはその一言で自らの提案を却下した。大体何で自分が態々病院なんて怪しい場所に行かなければならないのだ。
 そんな事よりぬえは目下の問題を解決する必要があった。

 何故──また命蓮寺に来てしまったのだろうか。

 勿論用事があって命蓮寺に足を運ぶ事もある。しかしそんな稀有な事は十回に一度あれば良い方で大抵は只ふらふらっと空中散歩をしていたら命蓮寺の近くまで来ており、気が付いたら命蓮寺の境内に降り立っている事が多い。
 ぬえは考える──そう、何時の間にか気が付いたら命蓮寺に居るのである。特に意識的に命蓮寺に来ている訳では無い。折角近くまで来たし、勿体無いから寄ろうかなー程度の軽い気持ちで浮遊していると不思議な事に命蓮寺の敷居を跨いでいるのである。

 ──これも病気なのかな?

 だったら尚の事竹林の建物に行く必要がある。ぬえはその現実を受け入れたくなかった。何でこの私が病院になんて……。
 ぬえが己の葛藤と闘っているとふと何かの気配を感じ取った。

 ──誰だ?

 既に陽は沈み切り妖怪達が跳梁跋扈してもおかしくない時間である。自分が他の妖怪に負けるなど微塵にも思わないが一応用心するに越した事はない。ぬえは槍を手に取り神経を研ぎ澄ませた。

 ──さぁ、どっからでもかかって……ん?

 微弱な気配はやがて実態を帯び、ぬえの目の前に姿を現した。それは凶悪な妖怪でも狡猾な天狗でも暴力的な鬼でもお調子者の河童でも高慢な神々でも無いお化けの少女。

「よっ! 元気してたか?」
「む……らさ?」

 セーラー服を身に纏った少女、村紗水蜜だった。




 ※※※




 ぬえを見つけたあたしの心はまるで玩具を貰った子供のように浮かれていた。だって会いたいと思っていたぬえがまさかこんなに近くに居るなんて思いもしなかったから。一先ずあたしは槍を持って何処か厳しい顔をしているぬえに声をかける事にした。

「よっ! 元気してたか?」

 あたしが声をかけるとぬえは一瞬体をびくりと震わせ、その小振りな口から声を発した。

「む……らさ?」
「そうだよ! 天下無敵のセーラー美少女。村紗水蜜ちゃんなのです」

 高らかに宣言するとぬえはあたしを一瞥だけしてまた明後日の方向を向いてしまった。

「何だ村紗か」

 一蹴されてしまった。別にぬえはいつもこんな感じの反応だし大して気にしないけどね。

「隣座ってもいい?」
「……別に」

 別にいう言葉が肯定なのか否定なのか判断出来ないけど構わずあたしはぬえが座っている石の横にある一回り小さな石に腰を下ろした。

「久しぶりだね!」

 あたしはこれ以上無い明るい声で挨拶した。挨拶の基本は元気と明るさ!

「一昨日も会ったじゃない」
「そうだっけ?」

 正直良く覚えていない。言われてみれば一昨昨日も会った気がするし一昨日も会った気もする。何でだろ。あまり記憶が明瞭ではない。
 するとぬえがじっとりした目付きでこちらを見てきた。いや、睨んできたという方が適切だろう。

「記憶力悪いね。一昨昨日自分が何をしたか覚えてないの? 私が命蓮寺の境内で夜風に当たってたらあんたが片手に一升瓶持ってのこのこやってきて、無理矢理私に酒呑ませたんじゃない。あんたもあんたでラッパ呑みでぐびぐびやったと思ったら急に『気持ち悪い……』とか言い初めて……全く、後片付けが大変だったんだから」
「あー……」

 猛省。だからあたしはその時の記憶が飛んでいたのか。言われてみれば一昨昨日、異様にむしゃくしゃしてたから酒でも呑んで寝ようと思って台所から一升瓶を引っ張り出した所までは覚えてる。で、気が付いたら朝であたしは本堂の裏に寝てて……
 もう一度言おう。猛省。
 大事な事なので二回言いましたよ。

「ごめん。そういえばそうだね。あたしあのまま寝ちゃってたんだ」
「ふん、良いよ。もう慣れっこだし」

 そう言うとぬえはぷいっと顔を背けてしまった。
 可愛い。
 その仕草がたまらなく可愛かった。
 誰が何て言おうとぬえは可愛い。

 顔が可愛いのは勿論な事、小柄な顔がよく映える漆黒の色をしたミディアムヘアーも素敵だし、あたしが着たら似合わないであろう少々奇抜な格好も様になっている。特にこれまた黒いニーソックスと黒いスカートの間に生まれるむっちりとした薄っすらと桃色をっ纏った肌色の光沢を放つ太もものチラリズム──通称【絶対領域】はぬえを語る上では欠かせないものであろう。ああ、あそこに顔を埋め……

 おっとあたしとしたことが、ついつい心の声が出てしまいましたね。失敬失敬。ルックス以外、即ち内面もぬえは可愛い。何時もはつんとした態度を崩さずまるで機嫌が悪いように見えるがそんな事は無い。よく誤解されるがあたしは知っている。ぬえは感情表現が下手なだけなのである。ほんとは好意的に思っている事も恥ずかしさが先行してつい強がって思ってもいない辛辣な発言をしてしまう。たったそれだけの事である。以前あたしが経験した事だが……。

 本当はぬえについてもっと語りたい所なのだが、ここに記すには余白が少な過ぎる、とあたしはどこかの数学者のような言い訳を残しておく。
 そうだ、本筋からずれてしまった。あたしはぬえと一緒にクリスマスを過ごす為に此処に居るのだ。その事をすっかり失念してしまっていた。
 さて、問題はどうやって切り出そうか。開口一番「ぬえ! 今日はクリスマスだね! ちゅっちゅしよう!」と直球で言うのも悪くないがいきなりそんな事を言ったらぬえは驚くに違いない。というより只欲望のままに生きている変態以外の何者でもない。此処は遠回しに言う方が良いだろう。

「ねぇ、ぬえ」

 あたしが声をかけるとそっぽを向いていたぬえの顔が此方へと向いた。
 早る気持ちを抑え、あたしは唇を震わせ言葉を発した。






「ぬえ! 今日はクリスマスだね! ちゅっちゅしよう!」







 現在十二月の末、凍てつくような寒さが身を凍えさせる所謂真冬である。それなのに何処か生暖かい不快な風があたしとぬえとの間を吹き抜ける。
一瞬の沈黙が両者を襲い、そして滞っていた時が動き出した。

「な……あ、あんた何を言ってるの……」

 やっちまったぁぁぁあああああああ!!
 あたしは何ていう事をしてしまったのだろうか! 心で思っていた事が本当に表へ出てしまった。自分の口を通じてぬえの耳へと入ってしまった。
 顔を上げ、恐る恐るぬえの顔を見ると耳から入った言葉によってぬえの耳は真っ赤に染まっていた。言葉の染色は其れだけでは飽き足らないようであたしの言葉はぬえの顔までも茹で蛸の如く真っ赤に染め上げていた。

「ち、違うのぬえ。こ、これはね。所謂一種の事故でありまして、その何ていうか其処に免責性は無いのでありまして、あたしは無実って言うか絶対的善者でありまするでありますから──」

 ああ、自分でも何言っているのか分からなくなってきた。何か軍人さんみたいな口調になってるし! 確かにあたしの格好はセーラー服だけど別に軍人って訳じゃないからね!
 あたしが自分の発した言葉に困惑し、あたふたしているとぬえは何時の間にか立ち上がってじりじりと後退りしていた。
 完全に引いている。このままじゃ締りが悪いのであたしはどうにかしてぬえを止めようとした。

「ちょっと待ってって。別に疚しい意味を込めて言った訳じゃな──」
「……最低」

 ──えっ?
 ぬえ、今何て言った?

「ぬえ、今貴方何て──」
「最低! 二度と近付かないで!!」

 ぬえはそう吐き捨てるとあたしに背を向け何処かへ飛んで行ってしまった。声を出そうにも思うように言葉が出ない。思わずぬえの肩を掴むかの様に右手を伸ばすがその右手は虚しく空を切った。

「ぬ……え…………?」

 如何にも間抜けといった感じで右手を伸ばしているとやがて、目の前を白い霧が覆った。その霧は徐々に濃さを増し、やがてあたしの視界を完全に奪っていった。ぬえに霧を出す能力が備わっていた覚えが無い。一体この霧の正体は……
 霧でも何でも無かった。あたしの視界がぼやけているだけ……
 あたしは立っている気力を無くし、その場に座り込んでしまった。











 暫くあたしの心は此処に在らずといった感じだった。多分冥界の御屋敷にでも遊びに行っていたのでしょう。あそこの庭師の出す羊羹は格別に美味しいという噂だし。
 想像の中であたしが甘い羊羹を貪っていると、何者かが急にあたしの肩を叩いた。

「ひっ!?」

 叩かれた衝撃によってあたしの魂は冥界を抜け出し閻魔様の御屋敷を無断で通り彼岸を超特急で駆け抜けそして現世に戻ってきた。あぁ、まだ羊羹残ってたのに……
 あたしは甘い羊羹を奪った張本人を糾弾すべく首の関節から音がする程度の勢いで思い切り振り向いた。それが機嫌を直して帰ってきたぬえだという可能性もあったのに、あたしは鬼の様な形相で振り向いた。
 肩を叩いた人物は別にぬえでも何でも無かった。

「何て顔をしてるんです村紗。まるで雲山のようではありませんか」

 中性的で忠誠心の強い中正野郎──寅丸星だった。
 星はあたしに呆れ顔を向けると腰に手を当て溜息を吐いた。

「全く命蓮寺の中を探しても探しても見付からないから何処に居るのかと思ったらこんな所で油を売って……」
「え? もうそんな時間? い、今何時くらい?」
「戌の刻を少し過ぎた所ですかね。そろそろ宴を始めようとしたら村紗が居ないんですから大体村紗は……」

 もう、そんな時間が経っていたのか。あたしは一体どのくらいの時間、放心していたのだろう。想像してみたら寒気がしてきた。
 というか待てよ。其れ相応の時間が経っていたという事は星は割と前から居たのではないのか?
 もしかして、今目の前に居るこの寅さんはあたしとぬえのやり取りを見ていたのではないのか?
 寒気が増した。とりあえず聞いてみることにしよう。

「あんた、何時から居たの?」
「私ですか? ついさっき来たところですけれど?」
「見てない?」
「? 何をですか?」

 小首を傾げて目を猫の様に丸くする星。正直言って星は嘘を付くのが下手である。ちょっと問い詰めただけで吃ってしまったり、あたふたと慌てふためいたりと凄く反応が分かりやすいのである。長年付き合ってきた勘からするとこの反応は嘘を付いていないと思われる。根拠は無いが。

「そ、そう。それなら良いけど」
「何かあったんですか?」

 星の顔から疑惑の色が消えない。何か隠していると思われているのかもしれない。実際問題隠している事は事実なのだが。
 相談するべきなのだろうか。眼前の御人好し寅さんは相談とあればまるで自分の事に真剣に考えてくれる。しかし、元来の性格なのか少々浮世離れした意見を言ったり極端な行動に出る事が少なからずある。思い返してみると一回や二回じゃ済まない。
 暴走されるのは厭だなぁ……

「本当に大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが」

 やっぱり心配しているようだ。あたしから言わせればあんたの方が顔色悪いよ! 今にもその純粋無垢な瞳から一粒の滴が零れ落ちそうだよ!
 このままではあたしが星を泣かした悪者になってしまう。多少の心配は拭えないが正直に星に話す事にしよう。別に後ろめたい事をしている訳では無いのだから。

「実はね……さっきまでぬえと会ってたの。偶々寺に来てたみたいでさ、そこの石に座ってぼけーっとしてたから声をかけたのよ。それでちょっと話してたらあいつをクリスマスパーティに誘おうって考えが浮かんだの。あいつ何時も独りだからさ。どうせ今日も独りで寂しいんだろ? って情けをかけてあげたのよ。そしたらあたし何を思ったかとんでも無い事言っちゃって──」

 ここであたしの息は続かなくなってしまった。というより言葉に詰まってしまったのである。たった数十分前の出来事だが、やはり多少は辛い。天真爛漫を自負しているつもりだがそんな事は無いのだろうか。自惚れているだけなのだろうか。

「何を言ったんですか?」

 軽く咳払いをして喉の調子を整えるとあたしは口を開いて二の句を継いだ。

「ちゅ……ちゅっちゅ……」

 あの時は勢いで言ってしまったが改めて、それも自ら意識して言うとこの上無く恥ずかしい事が分かった。口内が強張って上手く言葉が紡げない。

「ちゅ?」
「く、クリスマスだから、ぬ、ぬえとちゅ……ちゅっちゅしたい……なーなんて…………」

 言ってしまった。星に言ってしまった。空気にも酒に酔ってないのに言ってしまった。素面なのに言ってしまった。強要された訳でもないのに言ってしまった。

「む、村紗……」

 星は先程行ってしまったぬえと似たような表情を浮かべている。やはり今の発言はまずかったのかもしれない。しかし、撤回しようにも撤回出来るものでもない。言った事は紛れも無い真実だし、下手に撤回しようものなら余計に疑われてしまうかもしれない。

「あのね、違うの。これはね──」

 撤回するのは余計に疑われると思っている傍から、あたしは事を誤魔化そうとする発言をしていた。明らかに考えている事と行動が一致していない。それだけ動揺しているようだが、星はそんなあたしの動揺を吹き飛ばすほどの事を言い始めた。




「何だそんな事ですか」




 そ、そんな事ですって!?
 思わぬ反応にあたしの発言は宙を彷徨う事となった。まさか『そんな事』扱いされてしまうとは思いもしなかった。このままではすっきりしないので星に発言の真意を問う事にしよう。

「ちょっとそんな事って! あたしにとっては割と死活問題なんだって!」
「どうしてですか?」

 どうしてって──

「いや、だって普通に考えて──」
「私はナズーリンと接吻したいと思っていますよ?」

 今聞いてはいけない単語をさらりと聞いてしまったような気がする。

 ちらりと星の顔を見ると何故かしたり顔を浮かべているのが不可解だ。星から滲み出る『言ってやった』感が凄まじい。

「そうですか……村紗がぬえに友達以上の感情を抱いていた事は薄薄気が付いていましたが……そんなに激しい情愛を抱いていたとは」
「いや! そんな事までは言ってないよ!」

 これは良くない兆候だ。今までの経験からいって今の星の思考はどこか跳躍している。きっとあたしとぬえが同性なのにある種イケない関係に発展していると思っている。変に疑われる前に誤解を解かなくては。あれ? 下手に撤回すると余計に疑われるんだっけ? ああ! もう知らねぇ!

「そりゃあぬえの事は好きか嫌いかと言われれば好きだよ。好きな事に変りは無いけどそれは別に愛情とかそういうんじゃなくてあの──」

 ぽんとあたしの肩に星が手を置いた。不意を突かれたあたしが言葉を詰まらせると星は慈愛に満ち満ちた穏やかな顔を浮かべて首を横に二回程振った。

「いいのですよ。恥ずかしがらなくて……誰が貴方の恋路を邪魔するものですか。誰も貴方を邪魔する権利など無いのです。そんな不届き者を気にする必要などこれっぽっちも無いのです。自分の想いに正直になれば良いではないですか」

 何故だろう。この腑の奥底から熱い物が込み上げてきそうだ。悟りを開いたかのような如何にも『私は貴方の全てを分かっています』といった物言いがやけに鼻に付く。案の定星はあたしの肩から手をどかし、其れを着物の裾に突っ込み、にこやかに微笑んでいる。

「凡そ私の予想ですが……村紗はぬえと一緒にクリスマスを過ごしたかったのではありませんか? そしてぬえを誘おうと思い、いざ声をかけたら誤って不本意な事を口走ってしまい、ぬえはその発言を真に受けてどこかに行ってしまった。其の事を村紗は悔いている。どうでしょうか?」

 いや、あたしがさっき説明したじゃん。
 聞いてなかったのかな?

「まぁ、大体合ってるけど──」
「それならば心配する事はありません」

 そう言うと星は着物の着崩れを直し、膝を曲げ、あたしの目線に合わせ、僅か数センチの距離にまで顔を近付けてきた。ざっくばらんに短く切り、黒のメッシュが入った金髪ときりりとした眉、大きな目に完成された端正な顔立ちが相まってまるで男の子のようにも見える。中性的という表現がぴったりの容貌だった。
 こんなに近くで星の顔を見る事など無かったあたしは不覚にもどきっとしてしまった。呼吸は乱れ顔に熱を帯びていくのが体で感じられる。意外と睫毛が長い事も初めて知った。星はまたあたしの両肩を自らの手で掴んだ。や、やめて。本当に近いって。何か変な気分になってきた……
 このままだとどこか越えてはいけない一線を──




「自分の思うが侭に行動すれば良いではないですか! 今日はクリスマスです! いっその事押し倒してあんな事やこんな事をやってしまっても罰は当たりませんよ!!」





 あたしを纏っていた熱が一気に引いていくのが分かる。
 何だこの発情猫は。突拍子も無い事を言いやがって。
 押し倒すだぁ? 自分の弟子に劣情を抱いてる癖にびびって行動を起こせない奴が何をほざいてやがる! 傍から見りゃぁバレバレなんだよ! てめぇこそ早いとこ押倒しちまえよ! 見てるこっちがやきもきするわ!
 ……あっ……
 オホホ、つい昔の癖が出てしまいましたわ。オホホホホホ……
 ゴッホン。とりあえず咳払いをして態勢を立て直そう。
 相変わらず星はしたり顔を浮かべている。今ではしたり顔といった綺麗な言葉は言い表わせない、最早ドヤ顔の領域に片足を突っ込んでいた。どれだけ自分の発言に自信があるのだろうか。正直絶賛暴走中の寅さんの言う事はよく分からない。
 あたしがそんな事を考えていると星は肩に置いた手を離し、立ち上がった。そして腕を組むと唐突にこんな事を言い出した。

「さて、私はそろそろ戻ります。村紗を見つけるという仕事は完遂しましたし、そろそろぱーちぃーとやらも始まる時間です」
「……え?」
「村紗も早く戻ってくるのですよ。あ、ぬえを押し倒してそれからむんず解れず宜しくやるというのなら話は別ですが」
「……は?」

 では、と一言言い残すと星は着物を翻しとっとと姿を消してしまった。
 あたしはこの十二月の寒空の下、またたった独り残されてしまった。木々の間から吹き荒ぶ体を芯から冷やす様な冷たい風があたしの体に突き刺さる。
 結局、あの寅野郎は自分の言いたいことだけをつらつらと言ってとっとと立ち去ってしまった。何がしたかったのか、今一分からないというのが本音だ。
 冷気を纏った寒風があたしの体の傍を通り抜ける。想像以上の冷たさにあたしの体は悲鳴をあげた。

「うぅー寒いぃ……」

 頭の端っこを『ぬえもどっか行っちゃったしもう御寺に戻ろうかな』という考えが過ぎった時、ふと先程星の言っていた事を思い出した。

『誰が貴方の恋路を邪魔するものですか。誰も貴方を邪魔する権利など無いのです』

 あたしを邪魔する権利なんて誰も持っていない……

『自分の思うが侭に行動すれば良いではないですか! 今日はクリスマスです!』

 今日はクリスマスだし、自分の思うが侭……
 少し手前勝手な意見な気もしないことは無い。どう考えても自分本位に物を考えている。極端に云えば人の事なんて知ったこっちゃねぇという本音さえ見え隠れしている。
 しかし……


 しかし、──何故か羨ましいと思ってしまった──


 う、うーん……
 あたしに足りないのは行動力なのだろうか。あの寅さんくらい積極的且つ、厚顔無恥になるくらいがちょうどいいのだろうか。
 少し思案した後、あたしは一つの結論に辿り着く。そして自分の頬を強く引っ叩き、勢い良く立ち上がった。
 よし! 決めた! ぬえを見つけてはっきりと自分の気持ちを伝えよう! とりあえず結果なんて気にしちゃ駄目だ!!
 急に立ち上がった為脳の血液不足による立ち眩みであたしの視界はぐらぐらと揺れたがあたしの決意は揺るがなかった。
 まずその前にぬえを探さなくちゃ。ぬえが行っちゃってから大分時間が経ってるから探すのには骨が折れそう……ぬえを探す前に聖に一言言っておこう。

「さぁ、幸運を祈っているぞ!」
「う、うわぁぁぁああああああ」

 私が一旦寺へ戻ろうとすると、奇妙な声と共に視界の横から何かが飛び出して来た。
 そこに居たのは──
 






 ※※※







「よっ! 元気してたか?」

 私の目の前に居る水兵帽を被ったセーラー少女、村紗水蜜は軽やかに手を上げて私に挨拶をかまして来た。これは俗に言う噂をすれば何とやらである。まさかその直後に現れて来るとは思いもしなかった……

「む……らさ?」

 思わぬ事に驚いてしまった私は目の前の少女を村紗水蜜と知っているのにも関わらず確認してみる事にした。いや、もしかしたら鵺が化けてるかもしれないじゃない! あ、鵺は私か!

「そうだよ! 天下無敵のセーラー美少女。村紗水蜜ちゃんなのです」

 高らかに水兵少女は宣言した。自分で自分の事を美少女なんていう奴があるか? 少なくとも私はこいつしか知らない。呆れたのでそっぽを向く事にする。

「何だ村紗か」

 とりあえず素っ気無い返事を返す事にした。こいつにわざわざ愛想を振り撒く必要性は無い。適当にあしらっておけばいいのだ。そんな事を気にする奴でも無いだろうし。

「隣座ってもいい?」

 案の定村紗は私の返事の真意が掴めなかったのかそれとも只のバカなのか、隣に座る事を提案してきた。私からこいつを誘う事も無いが、別に断る理由も無い。来る者は拒まず、去る者は追わずだ。私はその提案を飲むことにした。

「……別に」

 別にいう肯定とも否定とも判断出来る言葉を投げかけた。これで奴が帰ったとしても別に私のせいではない。こいつが勝手に帰っただけだ。私は別に否定したわけじゃない……
と思ったら構わずこいつは私が座っている石の横にある一回り小さな石に腰を下ろした。どうやら肯定と受け取ったらしい。おめでたい脳味噌だ。

「久しぶりだね!」

 これ以上ない馬鹿面を浮かべて村紗は言った。何が久しぶりだ。一昨日も会ったじゃないか。そんな事も忘れてたのか。もしかして村紗にとって一昨日は既に久しいレベルなのか? どれだけ会えば気が済むんだ。

「一昨日も会ったじゃない」
「そうだっけ?」

 村紗は首を傾げ、指を顎に当て目線を漆黒の空に移した。よく阿呆な輩が思案する時にする行動だ。思案しているという事はやはりこいつは一昨日の事を忘れてしまっているようだ。それなら仕方がない。思い出させてやろう。
 私はじっとりした目付きで村紗を睨みぽつぽつと話し始めた。

「記憶力悪いね。一昨昨日自分が何をしたか覚えてないの? 私が命蓮寺の境内で夜風に当たってたらあんたが片手に一升瓶持ってのこのこやってきて、無理矢理私に酒呑ませたんじゃない。あんたもあんたでラッパ呑みでぐびぐびやったと思ったら急に『気持ち悪い……』とか言い初めて……全く、後片付けが大変だったんだから」
「あー……」

 あーって……やっぱり忘れてたのね! 私にあんな事までしておいて忘れるとはどういう了見なのかしら。私が命蓮寺で気持ちの良い風に当たってたら何処からともなくけたたましい声が聞こえてきて一体どこの妖怪が騒いでいるのかと思ったら! まさかの貴方よそう村紗! 貴方が片手に一升瓶を持ちながら千鳥足でこっちに近付いてきて、私の姿を認めたかと思ったらまるで獣のような目で走ってきたわね。貴方はあれなの? 一週間程人間に在りつけなかった人喰い妖怪なのかしら!? 今思い出しても寒気がする程の恐ろしさだったわ。

 それだけならまだしも口から唾を飛ばしながら『にゅえーいっしょにおさけのむのらー』ってもう既に呂律が回ってない状態じゃない! そんな危険な状態なのに一升瓶を一気飲みしてそれでゲーゲー吐いてるんだもの、世話無いわ。一通り吐き終わったと思ったらその汚物に倒れこむとか……うぅ、思い出したら気持ち悪くなってきた……
 まさか他人の嘔吐物から当人を引きずり出して洗うなんて日が来るとは思わなかった。神話にだってそんな頭のいかれた話があるかしら。

「ごめん。そういえばそうだね。あたしあのまま寝ちゃってたんだ」

 照れながら村紗は言う。いつもこの無防備な笑顔に騙されてきたが今日は騙されたりするものか。

「ふん、良いよ。もう慣れっこだし」

 そう言うと私はぷいっと顔を背けた。こいつと居ると異常に体力を消耗する気がしてならない。無駄な力は使いたくない。
 …………
 …………
 ……急に静かになったわね。
 私は今明後日の方向を向いている為村紗がどういう表情をしてどういう反応をしているのか伺い知る事は出来ない。いや、振り返れば良い事なのだが何か負けたような気になって非常に悔しい。別に勝負している訳でも無いのにやけに悔しい。
 本当、こいつと一緒に居ると疲れる。

 ──でも
 ──でも、何でだろう。ほんのちょっとだけ心がわくわくする。

 そしてほんのちょっとだけ──胸が締め付けられる。
 村紗以外の命蓮寺の面々や博麗神社の巫女、人間の魔法使い、洩矢神社の頭が御日様巫女と話したり接したりしてもこの感情は湧き出て来ない。話していてつまらない訳では無いが別段わくわくする訳でも無い。
 只、村紗は違う。異常に疲れる代わりに名残惜しい何かが常に私の心に沈殿している。これ以上話していたら疲れ切って眠ってしまいそうになったり村紗が放つ数々の珍言、暴言に苛苛して怒鳴りそうになっても、いざ別れの挨拶を交わした瞬間一瞬だがとても寂しい気持ちになる。物足りなさが襲い掛かってくる。もっともっと村紗と喋りたい。村紗と触れ合っていたい……
 ……はぁ。
 バッカじゃないの。私。
 私は思考を切り替え、深く溜息を吐いた。何でこんなセンチメンタルな事を考えてるのだろうか。似合わないことをしてしまった。きっと今日はクリスマスだから幻想郷に漂っている何か良からぬ臭気に当てられてしまっただろう。
 クリスマスかぁ……
 こいつは命蓮寺の連中と過ごすんだろうなぁ……
 まぁ、私には関係の無い事だ。

「ねぇ、ぬえ」

 今まで柄にも無く黙っていた村紗が遂に沈黙を破った。沈黙を破ったなんて如何にも大袈裟な物言いだが、こいつが三十秒以上黙る事など博麗神社に御賽銭が入るくらい珍しい事だ。今日は雨が降るかな。季節的には雪に変るかもしれない。
 ふと村紗の方に視線を向けると村紗は真剣な眼差しで真っ直ぐに此方を見ていた。村紗のこのような顔は今まであまり見た事が無い。村紗の意外な一面を垣間見られて御得な気分になったが少しばかり厭な予感もする。何だろう。一体何が始まるんだ。第三次幻想郷大戦だろうか。
 私が何時に無く身構えていると村紗はとんでもない事を口走った。






「ぬえ! 今日はクリスマスだね! ちゅっちゅしよう!」






 現在十二月の末、凍てつくような寒さが身を凍えさせる所謂真冬である。それなのに何処か生暖かい風が私と村紗との間を吹き抜ける。
 たった今村紗は【ちゅっちゅ】という言葉を使った。聞き慣れない言葉だが、何となく想像する事は出来る。ちゅーとは即ち接吻の事だろう。接吻とは二人以上の者が互いの唇と唇を触れ合わせる事……
 つまり、私と村紗の唇をお互いに……

 此処で私の思考回路は自らが体内から発する夥しい熱で焼き切れてしまった。
 わわわ私とむむむむ村紗がきききキススススススス。
 一体こいつはな、何を言っているのだろうか。
 だってキスをするという事はこいつと顔を近付けてお互い目を閉じてそのあのえーっとあの──
 駄目だ! 考えただけで体が熱くなってくる!
 長い沈黙がお互いを襲い、そして滞っていた時が動き出した。

「な……あ、あんた何を言ってるの……」

 上手く舌が回らない。私の焼き切れてしまった思考の回路はもう修復し終わっただろうか。いや、この詰まり具合を見る限りどうやらまだ切れたままのようだ。きっと今の私の顔は茹でられた海老の如く真っ赤に染められているだろう。

「ち、違うのぬえ。こ、これはね。所謂一種の事故でありまして、その何ていうか其処に免責性は無いのでありまして、あたしは無実って言うか絶対的善者でありまするでありますから──」

 こいつはこいつで何を言っているのだろうか。呂律はしっかりしているが出てくる言葉が支離滅裂過ぎる。ありますってお前は軍隊の人間かよ。
 ふと、村紗の顔を見ると目は血走り顔からは脂汗を流し、口から口角泡を飛ばしながら体を揺らしながらうろうろしている。明らかに挙動不審である。あわあわという表現が実にピッタリである。こんな様子の村紗を見て私は一つの邪悪な考えに包まれた。
 何か怖い。不気味。
 目の前に居る村紗が下劣な魑魅魍魎の類に見えてしまったのである。
 そしてそれ以上に何か……



 何か、妙な胸の高鳴りを感じる。



 私は何時の間にかじりじりと後退りをしていた。

「ちょっと待ってって。別に疚しい意味を込めて言った訳じゃな──」

 村紗の皮を被った不気味な何かが此方へ近づいて来る。怖い。厭だ。こっちへ来ないで。
 そして、私は妖怪として──実に最低な言葉を放ってしまった。
「……最低」

 そう、文字通り『最低』と。

「ぬえ、今貴方何て──」
「最低! 二度と近付かないで!!」

 ああ、最低なのは一体どちらなのだろうか。否問うまでも無いだろう。
 しかし一度言ってしまった言葉を今更撤回できる筈も無く──
 私は村紗の方を振り向きもせずにその場から逃げるように立ち去っていった。
 耳の奧の方で何かを叫ぶ声が聞こえるが今の私にそれを気にする程の余裕は持ち合わせていなかった。






 ※※※






 結局の所私の逃避行はそう長くは続かなかった。
 別に村紗に見付かったとか自ら自首したという訳では無いのだが空をふよふよと彷徨っている最中、拭え切れない罪悪感に苛まれ前後不覚の状態のまま、また命蓮寺へと戻ってきてしまったのである。
 今、私は先程村紗に一方的な別れを告げた所から命蓮寺を挟んで真反対の場所で石に座り肩を落として項垂れている最中だ。

「はぁー……」

 此処に来て何度目か分からない溜息は白煙となって空を漂い己の存在をさして主張する事無く虚しく消えていく。今の自分はこの身から出た溜息に酷似している。
 いっそ消えてしまいたい。幻想郷から居なくなりたい。
 何であんな事を言ってしまったのだろうか。たった数分前に言った発言が時間と共に圧し掛かる。このままじゃ自分の体が耐えられなくなりそう。
 確かに村紗は突拍子も無い事を言ったし、凄い顔で迫ってきたのは事実だ。しかし、だからといってそれだけで最低と片付けてしまうのは余りにも早計だしどっちが最低だか分かったものじゃない。
 謝りたい……どう考えても悪いのは自分の方である。
 しかしこんな時まで天邪鬼な悪癖が顔を出す。謝らなければいけないのは分かっているのだが、それだとどうも自分のプライドが許してくれそうに無い。謝ったその瞬間から私は村紗に敗北をきしてしまう事になる。そもそも勝ち負けなのかどうかも危うい所だが自ら負け戦を挑むとなるとどうも──

「ん? 其処に居るのはぬえかな?」

 私が思考の渦に巻き込まれていると不意に後方からよく通る中性的な声が響いてきた。この声の主を私は知っている。狡猾で計算高く、冷静で頭の回転が速い、あの間抜けな寅とは大違いな、彼女の従順な僕──ナズーリンだ。

「おーやっぱりぬえじゃないか、こんな寒い中縮こまって一体何をやっているんだい?」
「別に貴方に関係無いわ」

 折角ナズーリンが声をかけてくれたのにも関わらず私は素っ気無く返事をする。何とも非人道的だとは分かっているがこのひん曲がった性根は中中変える事が出来ない。

「ふーん、そうかい……じゃあ、此処に座らせていただくよ」

私が愛想の欠片も無い返答をしたのに対してナズーリンは態々隣に腰を降ろすという理解し難い行動に出た。だから貴方には関係ないと言っているのに人の話を聞いていないのかしら。

「だから、貴方には関係ないって──」
「私には関係ないのだろ? だから私が何処に座ろうと関係無い筈だ。私は別にぬえの隣に座った訳では無い。座った所が偶偶君の隣に位置している。たったそれだけの事だ」

 屁理屈だ。しかし言い返せない。何処か理に適っているしこいつが言うと妙な説得力を感じる。私は何も言わず只只明後日の方向を見つめていた。
 真冬の夜風は遠慮という物を知らない。まるで先端の尖った矛のように私の小さな体に突き刺さって来る。矛は体の表面を傷付けるだけでは飽き足らず体内の奥底、芯にまで侵入し私の熱を容赦無く奪っていく。薄着の私にはこの吹き荒ぶ冬の木枯らしは狂気の凶器に近かった。
 そろそろ体に限界が来ているのか、私の口は段々歯の根が合わなくなりガチガチと音を立て始めた。

「寒いのか?」

 ナズーリンが問うてきた。私は強がりを見せる。

「別に寒くないわ。平気よ」
「震えているじゃないか。ガチガチという音がこっちにまで聞こえてくるぞ」
「大丈夫だって」
「寺の中に入らないか? 最近聖の要望で『ゆかだんぼう』とか云うハイカラな設備を導入したんで寺はいつもポカポカだぞ。それに今日は丁度クリスマスだ。中で催し物を開催する。この手の催し物は参加者が多いほうが盛り上がる」
「良いって言ってるでしょ」
「村紗も居るぞ」

 私の体は村紗という単語に反応した。一瞬だが息が詰まり喉の奥から妙な音がした。

「べ、別にあいつは関係無いでしょ」
「いつも仲良く会話に興じているではないか。私や聖や御主人に対する態度と比べるとその差は歴然だぞ」
「そんな事ないし! しつこいわねー、嫌われるよ?」
「喧嘩でもしたか?」

 また私は息が詰まった。今度は一瞬では無い。確実に二秒程息が出来なかったし妙な音も耳で聞き取れる程大きかった。

「適当に言ったんだが……図星のようだな」

 ナズーリンはにやにやとしたり顔を浮かべている。彼女に私の心情がばれてしまったようだ。主人である寅丸星と違って彼女は実に頭が切れる。ばれてしまった以上誤魔化すのは不可能だろう。私は不本意ながらも彼女の指摘を認める事にした。

「ちっ……貴方に嘘は付けないわね」
「私でよければ相談に乗るぞ?」

 ナズーリンはうりうりと口で擬音を発しながら肘で私の腕を突きじりじりとにじり寄って来た。何時もの彼女とは違う親交的な態度に少し戸惑った。こいつ、こんなにフランクな奴だったかしら。
 恥ずかしい気持ちが無い訳でも無いが、隠す必要も無い。私はナズーリンに事の一部始終を打ち明けた。村紗が私の隣に座り御喋りに興じている最中、とんでもない事を言い始め、それに動揺してしまった私は村紗に酷い事を言ってその場を去った事……ぽつぽつと少しずつ少しずつ心の内を吐露した。
 勿論、私が村紗に抱いている『特別な感情』については触れなかったが。自分でも今一この感情については把握していない。
 概ねの事柄を話し終わるとナズーリンはうーむと一言唸りそのまま黙ってしまった。最初に発するべき言葉を模索しているのだろうか。それとも低俗な話だと思って飽きれ返ってしまったのだろうか。私はナズーリンの横顔を見つめながら最初の言葉を待つ事にした。

「村紗はバカか?」

 第一声は十文字にも満たない罵倒の言葉だった。

「村紗らしいといえばらしいが、幾ら何でもその発言は下卑ているな。聖夜を性夜と勘違いしたのだろうか。御主人でさえそんな事は口に出さないぞ。それは君の行動が正しいよ。私だって急に接吻を迫られたら汚らわしいと思ってしまうだろう」

 散々な言われようである。ちょっと村紗が可哀想になってきた。

「でも、村紗に悪気は無かったんじゃないか。彼女は良く言えば素直で天真爛漫。悪く言えば単純で馬鹿だ。君を傷付けようとしたり不快な気持ちにさせようとして言った訳では無いだろう。何かしら裏があっての発言とも思えん。本心から言ったとしか考えられないからやっぱりムラムラしていたのだろう」

 村紗だけにといってナズーリンは締め括った。今日はちょいちょいギャグを挟んで来る様な気がする。

「というか」

 締め括ったと思ったらまたナズーリンは私に言葉を投げかけた。

「君はどう思っているんだ?」
「私?」
「最低と言って飛び去ってしまった事は聞いた。只、それは君の本心なのか? 咄嗟に言ってしまっただけで本当はどう思っているんだ? それをきちんと聞いていなかった気がするのだが」

 じっと私の顔を見つめながらナズーリンは言った。その顔を見ると何処か達観している目と微妙に上がった口元が私に複雑な気持ちを生み出させる。
 先程から誤魔化そう誤魔化そうと思っていたがどうやらその気持ちさえも見透かされている様だ。どうもこの強かな鼠は私の心中を分かっていながら全てを聞いている節さえある。狡猾な相手に嘘を貫くのはとても難しい。正直に私の気持ちを話そう。

 只、私の村紗に対する気持ちって何だろう。

 村紗以外の他人と話している時は明らかに何かが違うというのは自分でも理解出来る。しかし、はっきり言って自分でもよく分かっていない気持ちを他人に伝えるのは少し憚られる。自信たっぷりに言ったものの『そうじゃなくてそれはこれこれこういう気持ちなのではないか?』と否定されてしまったら、それまでだ。自分でその否定を否定し新たに意見を言うのは厳しい。だって自分でも何を否定すればいいのか分かっていないのだから。

 別に否定する必要もないのだろうか。

 人の意見を聞き入れて自分の中で昇華すれば良いのだろうか。私はそういう事に慣れていないのでどんな風に振舞えばいいのか想像が出来ない。それは私が封獣ぬえである証明でもある。至って天邪鬼、実態が掴めず人を惑わせ煙に巻く。それが私の存在証明なのである。素直に心の内を曝け出す事はそれ即ち私の存在意義の否定にはならないだろうか。

 ……難しく考え過ぎかな。

 とりあえず、目の前の子鼠には私の心情は既に見え見えであると考えて間違い無いだろう。それなら普通に凝った事をせず、思った事をそのまま口にしよう。私はそう決意して軽く息を吸い込んだ。冬の冷たい空気が肺を満たし、私の心を落ち着かせる。

「私は……村紗と仲良くしたいと思ってるわ。これがどういう感情なのか自分でもよく分っていないけれど、村紗とより親密になりたいとは前々から──」
「ああ、それは恋だね」

 また目の前の哺乳類は人様の発言を十文字以内の言葉で切り捨てやがった。
 恋? 私が村紗に恋をしているっていうの? そんな馬鹿な。
 いや、何かの間違いよ。訂正しないと。

「私が村紗に恋をしている? そんな馬鹿な事あるわけないじゃない」
「君は村紗と話していると妙に心臓がどきどきしないかい?」

 悔しいけどそれは確かな事だわ。私は素直に頷いた。

「するわ」
「村紗と自分以外の他人が話していたらもやもやとした気持ちが湧き上がって来ないかい?」
「来るわ」
「正直私と話すより村紗と話をしている方が楽しくないかい?」
「楽しいわ」
「村紗とたくさん言葉を交わしたいのに上手く言葉が紡げず焦る事はないかい?」
「あるわ」
「村紗の事で頭が一杯になってつい溜息が出ないかい?」
「……出るわ」
「村紗を思うと眠れなくなる事があるんじゃないのかい?」
「ない…………いえ、あるわ」
「私の発言に全て肯定したね? それを一般的に恋と言うんだよ」

 ぐうの音も出なかった。ナズーリンの言う事は一つ残らず全て肯定した。事実だ。
 ばんなそかな。いや、そんな馬鹿な。

「私が……村紗に恋……」

 顔に血が昇っていく。外は息が白くなるほど寒いのに首から上が異様に熱い。顔だけ夏にタイムスリップしてしまったみたいだ。

「認めなくないのか。それとも今まで恋をした事が無いから実感が沸かないだけなのかもしれないが、君が村紗に何かしら特別な感情を抱いているのは事実だろう。私は其れに対して何か言おうって事は無いが……」

 頬を掻きながらナズーリンは淡淡と語る。あまり私の耳に言葉は入ってこないが其れでも単語の端々が少しだけ聞こえてくる。

「君が村紗とこのまま気まずい関係を続けたいのか、普段通り仲良くしたいのか、それとも今まで以上の関係を望むのか、それを決めるのは君自身だ。誰も助けてくれないよ」

 決めるのは私自身。

「あ、此処から先は独り言だから聞き流してくれても構わないが」

 ナズーリンはそう前置きをしてから──こう続けた。





「今日はクリスマスだ。何か前向きな力が働いている。村紗との距離を縮めるには絶好のチャンスだと私は思うけどね……おっと、独り言なのについ声が大きくなってしまったようだ。失敬」




 ……丸聞こえだっつーの。私は微笑した。

「……おぉ、寒い。大分体が冷えてきたな。そろそろ私は本堂に戻るとするか」

 体を震わせ両手で自分の体を抱え込むナズーリン。今までの所作は何処か演技染みていたが今の身震いだけは素のように思えた。もしかして此処までが一連の流れだったのだろうか。全ては彼女の手の平の上の出来事だったのだろうか。
 そう思うとちょっと癪だが……私は……村紗と仲直りしたい。あわよくば今以上に親密な仲になりたい。
 きっと、ナズーリンは私に後押しをしてくれたのだろう。素直になれない私への素直じゃないナズーリン也の勇気付け。
 人の後押しによって行動するのはちょっと悔しいが、此処は一つ、最後までこの鼠さんを利用させてもらいましょう。
 よし! 村紗に謝ろう! こんな捻くれた私だけど偶には素直になってもバチは当たらないだろう。

「ねぇ、ナズーリン」
「ん? 何だい?」

 心臓がとくんと跳ねた。村紗と話している時と同じくらい胸が高鳴っている。ああ、何でナズーリン相手にこんなに緊張しているのかしら。

「あんた、知ってるんでしょ? 村紗が今何処に居るか?」

 是でナズーリンが村紗の場所を知らなかったら私はとんだ道化だ。さて、彼女はどういう行動を取るのだろうか。何を言うのだろうか。
 するといきなり腕を掴まれた。そして走り出す。

「え!? ちょっと何するのよ──」
「おおっっっっと! 本堂の反対側に忘れ物をしてきたようだ!」

 あからさまに嘘だと分かる発言をしながらナズーリンは一目散に走る。奔る。本堂の切れ目に差し掛かっても速度を落とす事無く方向を転換する。余りの速さに私は何度も足が縺れ転びそうになった。

「ち、ちゃんと説明を──」
「よく言った! 私は自分の事のように嬉しいぞ!」

 何を言っているかよく分らないが、私の記憶が正しければこの本堂を挟んだ反対側に居るのは確か──
 周りの風景が凄まじい早さで流れていく。冷え切った冬の風が私の顔に容赦無く突き刺さり、耳の傍を立てて通り過ぎて行く。最早寒いというより痛いという領域だ。
 そして、もう一度本堂の切れ目に差し掛かったとき、ナズーリンは私の腕を両手で掴んだ。それから手に力を込め、走りの速度と遠心力を利用して私の体を思い切り前へと放り投げた。

「さぁ、幸運を祈っているぞ!」
「う、うわぁぁぁああああああ」

 私は投げられた事によって走っている時よりも速度を増しながら本堂の切れ目を通り越し、何処か開けた所へ辿り着いた。息が切れ、完全に足が笑っている。

「はあ……はあ……くそ、あの子鼠……」

 後で絶対しばく。必ずしばく。

「ぬ……ぬえ?」

 私は心の中でそう誓い、ふと声のした方向を見た。
 私が其処で見たものは──






 ※※※







 村紗が見たのは暗闇から突如として湧き出てきた封獣ぬえだった。走って此処まで来たのだろうか。息は絶え絶えで足取りも覚束無い様子だ。

「はあ……はあ……くそ、あの子鼠……」

 ぬえは暗闇を睨みながら呟いた。息が切れているのか言葉の端々がとても弱弱しい。

「ぬ……ぬえ?」

 村紗は目の前に居るぬえらしき少女に声をかけた。別に息が切れているわけでも無いのに眼前の少女並の蚊の鳴く様な声しか出なかった。その声を耳にして少女が此方へ振り向いた。

「っく……む、村紗?」
「ぬえ……やっぱりぬえなんだね!」

 村紗は立ち上がりぬえに駈け寄ろうとした、しかしどうも動きがぎこちない。普段なら脱兎の如く俊敏さでぬえに抱き着き、頬を摺り寄せるのだが、手を伸ばしたまま固まっている。

「あ……いやぁ……あはは」

 遂に苦笑いまで浮かべる村紗にぬえは不信感を抱いた。何処かおかしい。ぬえは頭を巡らせその理由を模索した。そして、一つの可能性に辿り着く。

「あ、あのさ、村紗」
「な、何?」

 ぬえはその勘違いを晴らそうと言葉を探す。しかし、走った疲れと先程自分が村紗にした行為が頭を擡げ、喉がつかえる。自分は一体何を言えば良いのか分らない。

「いや、あの、その……」
「と、とりあえずさ、座ろうよ! 何かぬえ震えてるしさ、寒いの? それなら──」
「いや、別に大丈夫……大丈夫よ」

 気丈に振舞っているつもりだが、ぬえは何故自分が震えているか理解している。それは足の筋肉の疲労、そして己への自信の無さから来る震え。耐え切れなくなったぬえは村紗の近くに腰を降ろした。それにつられて村紗も座り込む。

「あ! 話遮っちゃってゴメンね。そ、それで何を言おうとしてたの?」
「い、いや! べ、別に何にも……」
「そ、そう……」
「うん……」
「…………」
「…………」

 二人の間に沈黙が訪れる。

 ──どうしよう。私が先に謝らないと村紗は此処に居辛いよね。只上手く言葉が出ない……くそ、私らしくも無い!

 ──どうしよう。ぬえが来てくれたのは嬉しいけど何か様子がおかしいし、ひょっとしてまだ怒ってるんじゃないかな。そう考えると何を言えば良いのか分らないよぉ……

 両者とも自分が先に言葉を発しなければいけない義務感に囚われているが、先程の手痛い行動が思い起こされ、初めの一歩を踏み出せずにいた。互いが互いの顔色を伺い、会話を始めるタイミングを探り合っている。だが、気持ちばかりが先行し、言葉が出ない。
 一秒一秒がまるで何倍にも何十倍にも感じられる。永遠とも思える時間だが、実際は葉っぱが一枚木から離れ宙を漂い地面に落ちる程度しか経っていない。そんな張り詰めた空気の中、遂にぬえが口を開いた。

「あ、あのね、村紗……」
「ん? ……何?……」
「そ、その……ゴメンね? …………」
「えっ!?」

 ぬえは村紗から目を逸らし、言葉を口にした。対する村紗は予想だにしなかった言葉を聞いた瞬間、目を大きく見開いた。

「ぬえ……何で謝るの?」

 村紗は声と体を震わせてじっとぬえを見つめた。それでもぬえは村紗の方を向いておらず目を伏せたまま言葉を並べる。

「私、村紗に酷い事言ったわ……別に村紗は悪気が合ったわけじゃないのに……全く最低はどっちよ……ね? ……ごめんなさい……許して……」
「え? え?」

 普段の強気で捻くれているぬえからは想像出来ないしおらしい姿に村紗は目を見開いたまま、だらしなく口も大きく開けた。

「ぬ、ぬえ、どうしたの?」

 村紗は目の前に居るぬえの行動が今一理解出来なかった。勿論、急に飛び去って行ったしまった事は悲しかったし悔やんだりもした。しかし、それは当然の行動であり非は薄気味悪い言動をした自分にあるのだ。それなのに眼前の少女は自分に詫びの言葉を投げかけ許しを請うている。
 謝る事に夢中になっている少女は全く気が付いていない。目の前の少女が望んでいる事はそんな事ではないと。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ぬえ、別にいいって! あたしもう怒ってないよ?」

 一方、ぬえの謝罪は止まる所を知らない。普段謝り慣れていないのかそれとも村紗の反応を見て自分はまだ許して貰えていないと思っているのか。当の本人も頭が混乱していて自分の行動がよく分らなくなっていた。

 ──ぬえ、もういいって。
 ──それに、悪いのは……

 そろそろ村紗の許容量にも限界が近付いてきた。
 このような場合、人は拒絶を表す為に大きな叫び声をあげたり、今在る現実から目を逸らす為にその場から逃げ出してしまう事が多い。今の村紗にはどちらの行為を行ってもまるで不自然な事はないのだが──彼女は全く別の行動を取った。
 足を一歩踏み出すと、その推進力を利用し、そして──





 そのまま覆い被さる様にぬえの体に抱き付いた。





「うわうわうわあああ!!」

 ぬえは最初自分の身に何が起こったのか判断出来なかった。まるで経典を詠むかの如く謝罪の言葉を羅列していた為目の前から来る物体に全く気が付かなかったのだ。謎の物体の襲撃を受けて少し体が揺らいだがどうにか体勢を立て直す。そして謎の物体をまじまじと見詰めた。

 それは村紗水蜜だった。

「村紗? ど、どうしたの?」
「もう……謝らないで……あたしはぬえの口からそんな言葉聞きたくない! 悪いのはあたしだったんだから!」
「えっ……」
「あ、あのね、ぬえ……」

 村紗はぬえを自分の体から引き剥がすと、まじまじと彼女の顔を見詰めた。目が潤み、少しばかり声が擦れてきたがそんな事は御構い無しと二の句を発する。

「あたし、ぬえに言いたかった事があるの。勿論、さっき言った事じゃなくて本当に伝えたかった事が」
「な、何?」

 ぬえの肩を手で掴み、一心に彼女の顔だけを凝視する村紗。普段村紗が浮かべる事の無い真面目な顔にぬえは戸惑っていた。そして、それ以上に村紗も戸惑っていた。
 言いたかった事があると伝えてしまった手前、ちゃんと言わなければならない。
 正直、謝罪を続けるぬえの姿を見て自らが居た堪れなくなり、勢いで彼女を抱き締めてしまった節がある。心の準備などほとんど出来ていない。そして先程の失敗が頭を過ぎる。

 ──また変な事言っちゃったらどうしよう。

 二度目は無いと村紗は確信している。そんな何度も口が滑るなど常識で考えたら有り得ない事なのだが、動揺していると何を口走るか分らない。それに断られたりでもしたらもう立ち直れないかもしれないと村紗は暗鬼していた。

「顔が怖いよ? 村紗」

 ぬえが訝しげな顔を向けてきた。その表情からは疑惑と畏怖の色が伺える。

 ──何時までもこうしている訳にはいかないよね。

 息を大きく吸い込み村紗は決心した。

「あ、あのね、ぬえ……」

 声の周波数が不安定になる。

「あ、あたしと……」

 心臓が口から飛び出そうだ。

「い、一緒に……」

 今すぐ此処から逃げ出したい……だが、それ以上に……


 村紗はぬえと一緒に過ごしたかった。クリスマスという特別な日を。





「一緒にクリスマスを過ごして下さい御願いします!!」





 言った。
 やっと言う事が出来た。
 心に溜まっていた重い何かがごっそり体外へ流れ出たような快感を覚え、村紗はほっと胸を撫で下ろした。異常なまでの爽快感。澄み切った青空の如く清涼感を体中に感じる。長い事味わってないような感覚だ。
 後はぬえの反応を待つだけだ。そう思って彼女の顔を見ると村紗の予想していなかった表情を浮かべていた。

「……グスッ……ヒック……」

 泣いているのである。嗚咽し、目から涙を流すぬえを見て村紗は困惑した。

「えっ!? どうしたのぬえ!? あたし何か気に障ること言った──」
「ち、違うの……」

 ぬえは喉を大きく鳴らし息を飲み込み目尻に溜まった涙を拭くと村紗にぽつぽつと説明し始めた。

「嬉しかったの……私、今まで人から好かれた覚えがあんまり無かったから……だからね、さっき私が村紗にキスしよう! って言われて逃げたのも怖いとか気持ち悪いって気持ち以上に……嬉しかった……その嬉しかったって気持ちが同時に恐怖でもあったんだけどね」

 そう語るぬえの顔は何処か晴れ晴れとしていた。そして左足を軸足とし、くるりと体を一回転させた。

「そだ、返事はね。うん、いいよ」
「ほ、本当!?」

 村紗の顔が太陽のような笑顔に変化する。其れを見て苦笑した後、ぬえは下を向きまた語り始める。ま
るで自分に言い聞かせるように小さな声で。

「まぁ、正直言うとね……き、今日だってこの神社に来たのは誰かと一緒にクリスマスを過ごしたいというのも多少合ったと思うし……あ、だからといって別に村紗と過ごしたかったって訳じゃないから勘違いしないでよね! いや、村紗と過ごすのが厭だったって訳でも無いけど、率先的に村紗と……って、あれ?」

 ぬえがふと顔を上げると先程まで居た水兵少女の姿が無い。何処へ行ってしまったのかときょろきょろ辺りを見渡そうとした瞬間、ぬえの左の方向から寺の敷地中に響き渡るであろう轟音が聞こえてきた。





「いやったぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」





 その希望に満ちた朗らかな声の持ち主は明らかに村紗だった。そして、物凄い勢いでぬえの方へ近付き、いきなり彼女の手をがっしりと掴んだ。

「行くよっ!」
「えっ?」

 ぬえが何かを聞き返そうとしたのにも関わらず、村紗はぬえの手を取って全速力で駆け始めた。

「ちょ、ちょっと行くって何処へ──」
「今日は命蓮寺でクリスマスパーティをやるの!! どうせならぬえも一緒に参加しようよ!」
「えぇっ!? わ、私は別に……」
「厭なの?」
「厭じゃないけど別に……」
「じゃあ、何で……はは~ん、もしかしてぬえちゃんはあたしと二人っきりで甘々な夜を過ごしたかったのかにゃあー?」
「なっ……!」
「大丈夫大丈夫。パーティ終った後でもあま~い夜を過ごせるからさー」
「何を言ってるの! この……バカッ! もう知らない!!」

 他愛も無い戯言に興じながら森を全速力で疾走する村紗とぬえ。村紗は早くぬえを命蓮寺に招待する事だけを考え、ぬえは寒さと足の痛みと急な展開に混乱していた。
 だが、この後村紗や命蓮寺の面々と一緒にクリスマスを過ごす事が出来る──と考えたら……
 足の痛みなどどうでも良くなってきた。






 ※※※






 予定より大分遅れてしまった亥の刻に命蓮寺主宰のクリスマスパーティは開催された。各々が手にクラッカーを持ち紐を引っ張る。中から飛び出た色彩豊かな紙達と火薬の鼻に付く独特な臭いが参加者の気持ちを一気に盛り立てた。会食では村紗の作ったカレーやナズーリンの作ったチーズ料理、聖が焼いたミートパイが振舞われ、昼から何も食べていない野獣共の腹を大いに満たした。カレーは絶妙の分量で配合されたスパイスが食欲をそそり、それに追随する形でチーズの臭いが辺りに漂い、更にミートパイの香ばしい香りが上乗せされていた為、その食事風景はある意味地獄絵図のようだった。

 一通り食事をした後は一輪が雲山と協力して手品を披露したり、星とナズーリンが漫才を披露したりといった催し物が行われ参加者を大いに楽しませた。特に聖の楽しみ様は異常で常に顔には笑みが張り付いていた。一番このクリスマスパーティを楽しみにしていた人物が一番楽しんでいる事実に周りの人物も顔を綻ばせた。それを見た聖も更に破顔する。其処には素敵な相乗効果が生まれていた。

 其其が最大限パーティを楽しんだ一時は正に『乱痴気騒ぎ(バッカーノ)』と呼ぶに相応しい物だった。
 一しきりパーティが終った後は互いに酒やらつまみやらを持ち入りしんみりと『宴の後』を楽しんでいた。騒ぎ疲れて寝てしまった者も居れば、ちびちびと酒を呑んでいる者も居る。大騒ぎの後の長閑な時間もまた格別な物だ。
 そんな中、水兵の格好をした少女と体中を黒で覆った少女は互いに体を寄せ合い、宴の余韻に浸っていた。
 一体何を話しているのかは……読者の皆様の想像に委ねるとしよう。二人の世界に浸り切っているのにあまり深い詮索は野暮というものだ。
 だが、之だけは伝える事としよう。


 二人の顔は其れは其れは幸せに満ちた顔をしていると──


















 暗転















「楽しかったですね。御主人」
「ええ、初めての経験でしたが、くりすますぱーちぃというのも悪くないですね」
「聖の突拍子も無い発案にはいつも驚かされますが、当人が誰よりも楽しそうだったので何よりです」
「そうですね」

 宴が終って、既に半刻が過ぎようとしていた時分、星とナズーリンは縁側に酒とつまみを持ち寄り晩酌に洒落込んでいた。つまみは先程の食事で余ったチーズとフライドチキンだ。余り焼酎や日本酒の類に合うようなつまみとはいえないが、二人は十分に酒を楽しんでいた。

「それにしても……一輪の手品は実に見事な物でしたね。何時の間にあそこまで腕を上げていたのか不思議でなりません」
「人が見ていない所で練習を欠かさなかったのではないでしょうか? 一輪はそういう努力を見せたがらない部類の者ですし」
「それに比べて私達ときたら……」
「……それを言うのは辞めましょう。私達に漫才なんて向いてなかったのです」
「聖が喜んでくれたのが……唯一の救いです」

 二人は互いに溜息を付きながら御猪口の液体を飲み干す。喉を焼くような快感と共に体の体温が上昇し、気分が高揚してくるような気になる。今度は溜息では無く酒気の混じった息を吐き出す。白く濁った其れは暫く宙を彷徨った後、やがて消えてしまった。

「そういえば」

 ナズーリンがそう言うと星はフライドチキンを咥えたまま彼女の方へ視線を向けた。その間抜けながら何処か愛らしい表情にナズーリンは欲情を駆り立てられたが、今は抑える事とした。
 そして、今回、二人が起こした一つの作戦の総括を行う。



「で、御主人は上手く村紗を勇気付ける事が出来たのですか?」
「何を言うんですか! 其れは其れは素晴しい助言を伝えましたよ! きっと私の助言が無ければ今頃村紗とぬえはあのような幸せそうな顔を浮かべていませんね。かけてもいいです」
「どうだか……と、いうか、御主人は何時頃村紗がぬえが好きだと気が付いたのですか?」
「昨日です」
「おそっ!?」
「聖は何でも知っているんですね。『村紗もクリスマスくらいは好きな者と過ごしたいのではないでしょうか?』って言い始めてた時は驚きましたよ」
「鈍感だとは思っていたが……まさか此処までとは……」
「それにしても、もしナズーリンが村紗とぬえの修羅場を見てなかったら一体二人の仲はどうなっていたか」
「それは私にも分りかねます。二人の喧嘩は日常茶飯事ですから。今回の件は喧嘩とはいえないにしても……、まぁ。一緒にクリスマスを過ごす事は出来なかったでしょうね」
「何で二人がギクシャクしていると気が付いたんですか?」
「いや、聖から頂いた自由時間の最中、ふと神社を散歩していたら村紗とぬえが言い争っている声が聞こえてたので近くに行って様子を見てみると村紗が呆然としてぬえが飛び去って行く姿が見えたんです。其処で私は『あー何かあったんだな。只事じゃないな』と思ったんです。
 そうしたら村紗が呆けた顔のまま急に地面に座り込んでそのまま動かなくなってしまって。呆けたと一口に言ってますが其れは其れは凄い顔でしたよ。もう心此処に在らずという感じで。そんな村紗を見ていたら何か可哀想になってしまって……クリスマスなのに好きなぬえに嫌われてしまい、意気消沈としている村紗なんて見たくありませんから」
「……」
「天真爛漫こそが村紗の最も素晴しい部分だと私は思います。何があっても弱音を吐かず前向きに捉えるのは中中容易な事ではありません。地の性格が良くなければ無理でしょう。今日村紗の顔を見て再認識しましたがやはり彼女に一番似合うのは笑顔……って御主人。聞いてますか?」
「えっ!? あっ! はい。村紗の作るカレーは美味しいですよね」
「駄目だこいつ……早く何とかしないと」
「良かったですよね。村紗とぬえが仲直りして」
「また其処へ戻るんですか!? 堂々巡りじゃないですかぁ! やだぁー!
 ……まぁ、村紗にエイプリルフールの時の仕返しが出来たので私は満足です」
「え? 何か言いましたか?」
「何でも無いですよー」
「?」




 ※※※





 真冬の深夜は万物が凍り付く程に気温が下がり、体から熱を奪っていく。酒を呑んで火照った体のままつい眠ってしまい、朝起きたら死体に変身しているなんて事も人間妖怪天狗妖精問わずこの幻想郷では少なくない。そんな氷点下の気温の中、怪しげなどす黒い雲が命蓮寺一帯を覆う。やがてその雲から一筋、二筋と雨が降り注いで来た。先述の通り万物が凍り付く程低い気温だ。雨は宙から地面へと落下している間に冷やされ、やがて──

「あ! ナズーリン雪ですよ! 雪!」
「ん? 本当ですか?」

 雪へと変る。
 雨から変化した純白の雪は命蓮寺の大理石や草花に天然の白粉を振り掛ける。雪化粧を施した命蓮寺は普段とはまた違う幻想的な雰囲気を醸し出していた。

「ホワイトクリスマスってやつですね……冬妖怪も洒落た事をしてくれるじゃないですか」

 しんしんと降り積もる雪を尻目にナズーリンと星は今年の総括を始める。

「今年も色々ありましたね。それも後一週間もすれば終わりです」
「えぇ、良い事も悪い事もありました。あれも是も全部含めて良き一年だったと言えるでしょう」
「今日という日が明ければ、すぐさま年越しや初詣の準備で忙しくなりますね。また聖や私は動き通す事になるのかと思うと……今から憂鬱です」
「それもまた一興。年末年始の醍醐味の一つじゃないですか。それに十二月は師走と書くではありませんか。聖が走り回ってこその十二月です」
「……御主人がぽんこつだから私や聖が走り回るのだけどな……」
「えっ」

 ナズーリンはとくとくと徳利に酒を注ぐと其れを星の眼前に差し出してきた。

「まぁ、今日という日を楽しみましょう! どうせ明日はみんな潰れて昼過ぎまで再起不能でしょう。それだったらとことん呑み明かしてやろうじゃありませんか。だって今日はクリスマスですよ?」

 ナズーリンが挑発的な言葉を投げ掛ける。星は彼女の言わんとする事を理解すると不適な笑みを浮かべ自身の持つ徳利にも並々酒を注いだ。

「面白い。私と勝負しようという訳ですねナズーリン。主人として負ける訳にはいきませんよ……くりすますというこの良き日に敗北するなど毘沙門天の名折れに値しますからね」

 そして二人は……一気に其れを喉へと流し込み、同時に同じ言葉を宙へ叫んだ。




 HAPPY MERRY CHIRISTMAS!!




 彼女等の酒盛りは明け方まで続いた。
『命蓮寺のエイプリルフール』に続く命蓮寺シリーズ第2弾です。



 ええ、ちゃっかりシリーズ化しようとしてます。



 前回はナズと星さんが物語の中心人物でしたが、今回は村紗とぬえが中心人物です。


 素直になれないぬえちゃんマジ可愛いと思いながらニヤニヤしながらタイピングをしてました。傍から見れば只の不審者です。


 あまりラブコメ風のアニメやライトノベルは見ないのですが、書いてみると面白い物ですねーみんながこぞって書きたくなるのも分るような気がします。

 さて、今日はクリスマスですが……アハハ アハハハハハハ
ユッチー
http://twitter.com/#!/yucchi178
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コメント



0.290簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
とても微笑ましく読んでて和みました
2.100名前が無い程度の能力削除
ぬえぇ
3.100名前が無い程度の能力削除
命蓮寺組はこういう雰囲気がよく似合う
7.100名前が正体不明である程度の能力削除
メリークリスマスですね。
9.90名前が無い程度の能力削除
>幻想郷を絶対零度の世界へと変貌させ
死ぬわ!
せめて氷点下!
12.100名前が無い程度の能力削除
ほっこりしました