Coolier - 新生・東方創想話

核融号事件 3/3

2011/12/09 23:39:31
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********************
 
[第百二十六季
 6月9日
 空とくたばれ3分クッキング]


 ローストチキンの作り方
 材料;
 鶏もも肉...400グラム(2枚)
 醤油   ...大さじ4杯
 みりん  ... 〃 2杯
 酒    ... 〃 2杯
 生姜   ...1個
 片栗粉 ...少々
 このほか、 お好みでハーブがあっても良い。

 ① 鶏もも肉に包丁で浅く切れ目を入れる
 ② すりおろした生姜と醤油、みりん、酒で漬け汁を作る
 ③ 漬け汁に肉を浸し、冷蔵庫に入れ三十分置く
 ④ とり出した肉に片栗粉をまぶし、中火で焼く。最初は皮を下に
 ⑤ 皮から十分油が抜けたら裏返し、フタをして火が通るまで放置
 ⑥ 竹串が簡単に刺さるくらいが火が通った目安。クッキングシートの上に乗せ、食べやすい大きさに切る
 ⑦ キャベツを刻んで添える
 ⑧ 麦秋を用意して飲む

⑨(*`・∀・´*)


 あまり長く漬けすぎると味が濃くなるので注意しよう。皮のパリパリ感にこだわらないなら、皮は最初に全部取り除いても良い。余った皮は茹でて冷ますと犬が喜んで食う。料理酒の種類は問わない。ハーブで香りをつけたいなら漬け汁と一緒に漬け込むこと。

 また、そもそも作るのが面倒ならば。

 霊烏路 空のところに爆弾を送りつけてやるといい。

 彼女はいま、アセチレンの爆鳴気によりローストされていた……こんがりと。
 その熱量、八.一六メガジュール。
 爆発自体は一瞬で始まり、一瞬で終わった。しかし彼女がいた場所には原料プラスチックや石炭ペレットなど燃えるものがいくらでもあったし、崩壊した建屋の配管からはLPGが噴出していた。ゆえに爆発に由来する火災は収まるどころかその火勢をさらに強めてゆく。
 助けは来なかった。放水は起こらなかった。すべて妨害されていた。空を殺害しようとする勢力によって。
 その、炎の中。
 空は、自分の皮膚がパリパリと美味しそうに焼けるのを、真上から見下ろしていた。
 俯瞰する、身体とは別の主体。
「……なんで私はまだ生きてるんだろ」
 永らく、地獄で働いてきた。その中で培った気質が、火焔に強い体質を作った。空は地獄烏に生まれついたわけではない。そんな妖怪は存在しない。彼女は火の中で育った。だから、空は焼かれながらも生きていた。
 自身の姿を見下ろす自分。その自我もまた、身体の死とともに死のうとしていた。当然だ。身体を離れた意識は存在しない。魂や死後は存在しない。死は消滅だ。その先はない。
「まずは足」
 空は増大するエントロピーを排出した。意識を保つために不必要な部分を切り捨てる。足が消えた。ほんの数秒、意識が持続できるようになる。
「次に腹」
 ごう、と炎が逆巻いて空の身をさらに焦がす。胴体を意識から外すことで思考を保った。
「羽根も、もういらないね」
 こん、と小気味良い破裂音がしてどこかのオイルタンクが熱に耐え切れず爆発した。衝撃で、空を被い炎から守っていた羽根がぼろぼろと崩れ去る。
「首から上だけになっちゃった」
 頭部を抱えていた腕が直火に晒される。限界だった。もう、すぐそこに死がある。
「死ぬのかー。あーあ」
 目を瞑る。熱が移る。自我が揺らぐ。激しい分子運動により、意識が崩壊する――寸前。
 不意に涼風が流れ込んだ。
 懐かしい、風であった。
「このにおいは……」
 目を開けると火が消えていた。めらめらと燃えていた、黒髪の火が。
 空の周囲だけ、不自然に、熱が途切れ、断絶されている。さわやかな空気が流れ込む。
 風上には少女が立っていた。惨状の渦中を、少女は悠然と歩いてくる。空のほうへ向かって。
「こんにちわ」
「あ、こんにちわ」
 少女は空の傍らに立つと、事も無げに話しかけた。応じてみる。口も喉もないはずなのに、言葉は通じた。
「私は東風谷 早苗といいます。今日は、霊烏路 空さん。あなたにお話があって参りました」
「ひょうっとして、例の契約ですか」
「覚えてらっしゃるなら話は早い。先日、うちの神様がお邪魔した際にご提示した、核分裂の神様にならないか、という件ですよ」
 空はなぜこの少女が平然としているのかを考えた。熱を伝える分子が、彼女の周りには極端に少ないからだと、空は見抜いた。彼女はきっと風を操る。大気を壁にも刃にもできる。そういう訓練を、受けている。
「お話は嬉しいのですが、あいにく私これから死んでしまうものでして」
「あら、それでしたら私がサービスしますよ。初回特典です。治してあげますよ。ま、契約前に死ななければですがね」
 営業スマイル満面の早苗は、しかし真っ正直であった。含みもなければ悪意もない。空は迷った。もともと、悪くはない話だとは思っていたのだ。
「身体だけ治してもらうってのはできませんか?」
「あいにくと、今は機材を持ってきていないので……無理ですねえ。当面は、神様になってもらって、この場を凌いでもらわないと」
 フウ、と一息。空は苦笑い。
「おけ。なるよ。神様」
「え?」
「契約します」
「あ、ああ! それはそれは。良くぞご決断された」
 唐突な空の申し入れに、早苗はやや面食らった。あっけなさ過ぎる。数十年前から、諏訪子が丹念に営業活動をして落とせなかった空がこうもあっさりと落ちるとは。
 ま・確かに選択肢のない状況だしね、と早苗は無理やり納得した。
「契約条項は、以前説明した通りです……では、うちの神様の元へ向かいましょうか」
 早苗が袖を振る。
 風が起きた。
 渦を巻き、揚力を生み、地の底から空を持ち上げる――風。
 風力。
「あなたも神の仲間入りだ。歓迎しますよ。先輩としてね」
 三五〇〇度を越す高熱の火炎旋風により、空は地上へと持ち上げられていった。
 それは、その光景は、傍から観れば、神の手により天に召される、という……よくある神話そのものだったろう。
 そしてそれは、言葉だけならば、まったくその通りなのであった。


********************

[ヤマメと炎上]


 ヤマメの腕が千切れて飛んだ。
 地底まで、残り三〇〇メートル。鬼の猛追は一時として止むことなくヤマメの身体を痛めつけた。視界はブラックアウト済みで残りの距離も掴めない。避けることも逃げることも、攻撃することもできない。
「…………ぅあっ」
 また一つ、影がヤマメに噛み付いた。もう片方の腕さえ持っていかれる。周囲に血液が撒き散らされる。それは、僅か十グラムで地底すべての致死量に達する、病原菌を含む血液だった。しかしこの影の鬼たちはどうやら肉を持たないらしく、ゆえにいくらアクチベータを送り込んでもあらゆるBC兵器に反応を見せなかった。落下に伴う空冷で血管が収縮し、千切れた腕から漏れた血は止まる。
「ぬぅ、い、う。うぉおおおおおああっ!」
 わけの解らぬ怒声を張り上げヤマメが身をねじり、噛み付いて離れない鬼の頭を掴んだ。もぎ取って投げつけると反作用で落下軌道が変わる。まるで霧のように自分を包み込んでいた黒い影から抜け出した。
 鬼が体勢を立て直す。
 ヤマメを受け止めるように、地底から針の山が伸びた。
 目が見えずとも、風で音が拾えずとも、悪意が。
 自身を殺傷せんとする暴力が待ち構えていることは、理解できた。
 終端速度のまま突入する。
 体中にひげ結晶が突き刺さった。
 足が一本、太い針に抉られる形で置き去りになる。
 マトリクスのただ中で、昆虫標本のようにヤマメは磔にされた。
「冗談じゃねえや。私ゃクモだっつーの」
 スペルカードを取り出す。
 圧迫し、体中を貫く殺意に対する、ヤマメの返答がそれだった。
「殺せるもんなら、殺してみせろや」
 持っていた札を、すべて広げた。
「スペルカード・ルールを! 殺せるもんなら! 殺してみせろやあ!」
 イノチを燃やした。

 ――結論から言うと、ヤマメは攻撃を耐え切った。単純な話。四肢を犠牲にしたがゆえの結果。
 自身のチカラで、死地を、窮地を乗り切ったのである。

「瘴符『フィルドミアズマ』」

 真っ赤な口を開けて結晶に歯を立てる。毒腺から濃縮された神経毒が送り込まれた。酸化皮膜を突き抜け、脳を持たない代わりに高度に発達した神経系に浸透する。結晶粒界をくぐり、細胞膜を通過し、転位線に沿って、逆転写酵素と結合する。レトロウィルスが免疫を味方につけた。細胞が細胞を溶かし、神経が神経を侵す。自分で自分を痛めつける。相手が肉を持とうと持つまいと関係ない。
 生きているならば。
 必ず、アポトーシスのメカニズムが存在する。
 それを利用した。
 自身に自身を殺させる。ヤマメの戦い方。ウィルスの生存戦略。
 真っ黒だった結晶が、唾液の触れた先から、真っ白に、濁っていった。
 崩れる。飴細工のように組み上げられた格子が、その脆さを思い出したかのように、折れ、砕け、塵に還っていった。

 ヤマメが落下する。
「………………」
 キスメが受け止めなければ、即死だった。


********************

[早苗と無駄話]

大宇宙超真理教団へようこそ!



「今すれ違ったのって、ひょうっとして黒谷 ヤマメさんじゃないですか?」
「解んないよ。私、生きてるけど、ぶっちゃけタダの消し炭だもん」
「まずいっすね、私、あの人と約束あったんですよ……すっぽかしちゃった。あなたのほう行ったから」
 火焔旋風で地上に運ばれる間、早苗は空を腕に抱えていた。美味しそうな匂いを立てる骨付き肉に、焼け焦げた頭が一個くっついている。今の空はそんな状態だった。当然、五感は停止している。意思の疎通はもっぱら、早苗の神通力に頼っていた。
「不快な脳波、でてますよ。とりあえず私の目、使ってください」
 早苗が空のゴーストを自身のそれに接続する。気質の扱いに慣れている。器用な娘だなあ、と空は思った。
 眼下に落ちてゆく小さな姿は確かにヤマメのものだった。四肢が足りなかったが。
 黒い、硫黄の、針状結晶。
 落ちるヤマメはそのマトリクスに突入した。
 パリパリと結晶を破り、速度が落ちる。身体にウィスカーが刺さり、折れた先から煙と掻き消え、あとには無残な傷口が残る。あれは、なんだ。あれは……。
「鬼ですね。ヤマメさんは鬼に襲われているようです。残念ですが、私たちは助けに行けません」
 空の混乱を読み取った早苗が応えた。空は唇を噛む。しかし冷静だった。
「大丈夫だよ、ヤマメなら。きっと自分でなんとかする。私も、まずは私自身をなんとかしないと」
 まだ地上までは時間がかかる。
 空にできることはなにもなかった。
「……ところで、私は宗教やってましてね」
 暇をもてあました早苗が口を開いた。三途の渡しが話好きになるのも無理はない。自分がその立場に立ち、早苗は妙に納得していた。
「だから、人の事を考えるときは、どうしても主義主張、宗派、流派で考えてしまいがちなんですよね」
「ふうん。例えば?」
「私の友達に、博麗 霊夢って娘がいます。その娘は神社で巫女をやってましてね。誰に対しても同じ態度で、一見冷淡に見えるんです。けれどそれは見方を変えれば、究極の人間愛なんじゃないかな、って思うんですよ。それはつまりね、万物一切を尊ぶがためなんです。解りますか?」
「解んない。たぶん、それ間違ってるよ」
「あはは。ともかく、そんな彼女のことを私はこう思うんです。

 "アニミズム"だな、って。

 また、私の友達の話なんですけど。十六夜 咲夜って人がいます。この人はメイドをやっていましてね。それで、仕えている相手が吸血鬼なんですよ。だから彼女の事は、そう。
 "サタニズム"だなって思います。実際、殺人鬼ですしね。
 "ブディズム"の子もいます。魂魄 妖夢って子です。冥界に住んでいるからか、生死感が独特なんです。どうも真面目過ぎるところがあって。でも、年上相手にこんなことというのもアレですけど、かわいい子なんですよ。
 もちろん、分類に困ることもあります。霧雨 魔理沙って娘なんかが、特にそうです。無頼娘なんですけど、粗野ではない。理知的で行動力があり、にも拘らず才能を有効利用しようとしない。ワケが解りません。ですが、彼女を形容するのにぴったりな言葉ならば、あります。
 "アナーキズム"ですよ。霧雨 魔理沙はね」

 そこまで話したところで、ようやく地上の光が見えてきた。周囲の闇に濃淡が現れ始める。地上は夜なのだが、それでも地底よりは遥かに明るかった。
 
「それで、ですね。私はあなたのことも考えたんです。
 思うに、あなた自身は反発するかもしれませんが、あなたのポリシーは霊夢のそれに近い。けれど、霊夢とはまったく逆方向に走っている。そういう風に思えます。自分をセカイに変えるか。セカイを自分に変えるか。その違いです。だから、あなたのことはこう思うことにしました――
 ――"サブタレイニアン・アニミズム"
 気に入ったら、使ってみると良いかもですよ」
「ねえ」
「はい?」
「あなたは?」
「え?」
「あなたは、自分自身のことを、どう思ってるの」
「ああ。そうですね、そうだなあ。こういうのはどうです?
 "ネイティブ・フェイス"……たぶん、これで私を表現できています」
「そ。参考にするよ」
 ぐんぐんと、星が存在感を強めた。
 地上が近づくにつれ、出口が近づくにつれ、夜空に光る星が数を増す。
 早苗の目には大した変化とは映っていなかったが、空にはまったく別に見えた。ずっと待っていた。ずっと、ここに来たかった。こんな形になるとは思っていなかったが、それでも空は嬉しかった。
「空気が変わりますよ。"気質圧"の変化にご注意ください」
 地上。
 標高ゼロメートルに達した瞬間、ずっと求めてきた地上の空気に触れた瞬間。
「空さん? 聞こえてますか――あれ?」
「…………」
 空の意識は、膨大な大気の中に溶けて、その正体を失くしてしまっていた。


********************

[燐とキャッスル・ドクトリン]


 踏み荒らされたアパートの一室には、まだシャワーの音が響いていた。
「…………」
 影の鬼たちはゆらゆらと揺れながら、まるで幽霊のように部屋の中を行ったり来たりしている。パルスィの逮捕、地霊殿での大打撃、ヤマメの反転攻勢、空の包囲。これらにリソースを食われ、燐に対する警戒は薄れていた。手抜きになっていた。処理能力が追いついていなかった。
「…………」
 その足元を、小さな鈴の音が抜ける。
「…………」
 影が反射的に周囲を探るが、既にそこには何の気配もない。制圧対象が忽然と姿を消してしまったことでルーチンが崩壊し、後命の上書きもなかったためこの影たちは自動索敵を続けるほかなかった。付け入る隙は、いくらでもあった。
「…………」
 鈴の音がするり、と箪笥と壁のスキマに入り込んだ。化粧棚と詰まれた雑誌で巧妙に隠されていたが、そこには猫一匹ならば楽に通れる出口が用意されていた。
「…………」
 りん、と鳴る。二階から飛び降りて、軽々と着地。そのまま鈴をつけた猫は二ブロック離れた飲食店の裏に向かい、身を潜めた。数分間、追っ手がかからないことを確認する。
「……もう、大丈夫かな」
 燐が猫の姿を人の身に戻す。うにゃにゃにゃにゃ、と出自不明の効果音を伴い、シャワーを浴びていた時のまま、真っ裸の燐が現れた。服を持ち出す余裕はなかった。
「備えあれば憂いなしってね」
 足元を探る。飲食店の裏、生ゴミのポリバケツをどかすと鍵があった。今日は第三水曜日、店には誰もいないことは確認済みである。そっと鍵を開け、燐は不法侵入に成功した。あくまでもひっそりと、燐は従業員用のロッカーを探り着替えを調達。ついでに仕込まれていた材料で食事も済ませる。その間に、鬼が引き上げてくれることを期待したのだが。
「せめて、手薄になってくれれば……いや、迷うものか」
 皿に盛ったコーンフレークに牛乳をかけしゃくしゃくと食べながら、ブラインドを人差し指で折り曲げて我が家を伺う。一時間が経過した。そろそろ、ここに隠れていられるのも限界だ。立つ猫後を濁さず。皿を洗って元の場所に戻し、ロッカーの状態を元に戻してから、燐は電話をとった。
 慣れた手つきで、慣れた番号をたどる。
 それは、住み慣れた、燐と空の、自宅の番号だった。
 なにか買って帰るモノはないか、とか。帰りは遅くなるから、先に食べててくれ、とか。そういうことを言うために使っていた番号。
「…………」
 コールは一度だけだった。受話器が上がる。回線が繋がる。おぞましい息遣いが聞こえた。いったい何の権利があって、私たちの生活を……と、一瞬。名も知らぬ鬼に対し、燐が頭に血を上らせる。しかしそれは考えても仕方がないことだ。
「タイガーソフトの、"むすんで、ひらいて"、ってエロゲー。知ってるか」
 なぜならば。
「おまえらみたいなのが、出てる」

「――――――――」

 どん、と凄まじい轟音が響き、炎が噴き上がった。
 アパートの一室、電話機と連動していた仕掛け爆弾が、二人の生活も、無数の鬼も、住宅街の静穏も。すべてまとめて、吹き飛ばしたのだ。
 快削鋼材くず、エポキシ系混合硬化剤、防虫剤、木炭。市販のものもあれば、職場を転々としながら入手したものもある。自作の青カーリット。
 これをもって燐は、自らの拠り所を敵もろとも葬った。
「空と合流しよう」
 名残惜しくはあったが、燐は振り返ることなく、その場をあとにした。


********************

[神奈子とかきふらいぶ]

ヤタガラス炎生



 空が再び意識を起動させた時には、よく解らないところにいた。
 真っ白い。とにかく白い。驚きの白さ。なんにもない。目に悪いくらい白い。足元すらおぼつかない。そもそも足がない。視覚はあるのだが、身体が見当たらない。ひょうっとすると、意識のみの世界とか、そういうやつか? と空がいぶかしがると、いつの間にか、あるいは最初からか、目の前に神様が現れていた。どうやらそういう場所らしい。馬鹿馬鹿しくなったので、空は考えるのをやめた。
「我を呼ぶのはどこの人ぞ」
「ここですけど」
「神様になりたいって?」
「ええ、まあ」
「お姉さんが核分裂の神様にしてあげよう」
「やったあ」
 現れたのは、妖怪たちに絶大な影響力を誇る山の神。八坂 神奈子だった。
 神奈子は巨大な御柱にも似た制御棒を取り出すと、前戯もないまま空にぶち込――もうとしたが、寸でのところで早苗にとめられた。がくぶると震える空と御柱の間に立つ、現人神。やはりこいつも、いつの間にか、あるいは最初からか、姿を形作っていた。
「まーまー、神奈子様。そんなに急いてはできることも仕損じます。ここは私が媒酌人を勤めましょう」
「まじで? じゃあ頼むわ」
 早苗は待ってましたとばかりに袖を振るった。すると真っ白だった空間に、人数ぶんの盃と酒がごてりと落ちてくる。背景には各々の名を染筆した和紙のテクスチャが貼り付けられた。
 咳払いを一つ。 
 早苗がくねり曲がった声を張った。
「それではア これよりィ
 建御名方神はァ 八坂刀売神
 八坂 神奈子殿のォ 御取り成しによりましてェ
 ここにィ 熊野大明神本地垂迹、文殊菩薩、
 元・株式会社地霊殿第三工廠統括、霊烏路 空、
 ご両者の兄弟血縁盃の儀式ィ とりぃ行わさせてぇーいただきます!」
 空はわけが解らないまま、とりあえず雰囲気に合わせて姿勢を正した。神奈子を正面に置いたが、違う違うと目で合図される。代わりに空の正面に置かれたのは、『JAEA-FBR002/280MW』とペイントされた鋼鉄製の柱状容器だった。
 神道の儀式で精霊のとりなしにより仏と契約を結ぶ。それを無茶苦茶だと思うならば、残念ながら、それは日本の宗教観を上辺だけなぞった実体の伴わない意見だと言わざるを得ない。左様、日本の宗教儀礼は日本人ですら把握できないほど複雑に入り組み、絡み合い、習合されている。これは仏教、これは神道、などといって矛盾していると考えるのは、まったくナンセンスなことなのだ。
 神奈子が酒を酌み分ける。盃を手にしたのを確認して、早苗が再び口上を述べた。
「そのォ 盃をォ 飲みィ干されますとォ 同時にィ
 あなたはァ 核分裂の神とォ 兄弟分にィなられますッ!
 既にィ 熟慮に熟慮を重ねてのこととは存じますがア
 今一度ォ お心の内をォ 確かめェ
 腹ァ定まりましたらア
 そのォ 盃をォ
 一ッッッ気に 飲み干しィ
 懐中深くぅ お納めェください――……――どうぞ!」
「いや、どうぞって言われても。飲めば良いの?」
「うん。飲んで飲んで」
 神奈子に勧められるまま盃に口をつける。三度に分けて飲み干した。次に、これを懐に仕舞えと言うが……残念ながら空には身体がなかった。紙に包んで持っておく。神奈子も早苗も満足げに頷いた。
「ただいまァ このときよりィ
 あなたはァ
 核分裂の神とォ なられましたア!
 これよりはア 日々神道に精進しィ
 いっそうの繁栄をもたらされるよォう 勤めていただきたく存じます
 それではア お手を拝借! よォ――」
 神奈子とステンレスの容器が三三七拍子を奏でる。残念ながら、やはり空には叩く手がなかっ――いや。
 なにか、おかしなものが。
「え……なんなのこれは(ドン引き」

 制御棒。
 ステンレスと炭化ホウ素から作られる、減速と吸収を司る神具。

「あ、ああ?」
 不意に理解が舞い降りる。
「ああ、あああああ。あああおおおお!?」
 まるで飛び方を忘れてしまったカラスのように、空はうろたえた。

 自分、自分は――――いったいなんて者になってしまったんだ。

「そりゃないぜ、神様」
「おっと、私は被爆しなうちに逃げますよっと」
 早苗がそそくさと去って行った。あとには空と神奈子が残る。
 左足がずっしりと重い。コンクリートと酸化ウランの塊があった。
 右足があちこちに振れる。電子が周囲を回っていた。
 空は、空は……核分裂の神に、なっていた。
「気に入った?」
「最高にね」
 
 空はものの数秒で、自身が手にしたチカラの強さ、意味、そしてなにより使い方を理解した。正確に言えばそれを理解したのは空ではなかった。空の中に潜む、知性――そう!

 古明地 さとりが見出し、空自身も気付かぬうちに育て上げた、巨大知性体。

 これが、本来ならば8ペタFROPS級のスーパーコンピュータを連結して処理すべき演算を一瞬で処理し、最適化し、膨大な核出力を空の思うがままに操らせていた。生脳にもそのポテンシャルがあることは、神奈子も把握はしていたが……まさか。
 脊髄の援けも借りず、こんな短時間で使いこなすとは、思ってもいなかった。

「さて……まずは、身体を治してくださった事に感謝いたします」
 二八〇メガワットアワーに及ぶエネルギーを握り締めて、空は神奈子を捕らえた。
「ッ!?」
 白かった空間が、黒に染まった。
 神奈子の支配していた領域が、空のクラッキングを受け上書きされたのだった。
 暗い。ひたすらに続く闇。
 それは空のセカイ。

 霊烏路 空という少女にとって、セカイとは薄暗い穴ぐらのことを指していた。
 
「けどね、神様。私はこんなチカラ、本当は望んじゃいなかったんだ。
 今こそ明らかにしましょう。私の目的を――ええ。私は最初から、あなたと二人っきりになるために、こうして契約を結んだのです。
 すべては。
 すべては、あなたから"あるチカラ"を奪い取るためだった。そしてそれは、核分裂なんかじゃあない」
 神奈子が神能器官をシャットダウンする。できない。物理的に遮蔽しようとする。できない。空に飲ませた神酒。マイクロマシンを自分も摂取していたことを思い出す。ハッキングは今始まったものではない。
 ずっと、最初から。
 状況は空の手のひらの上にあったのだ。より正確には……空の小さな頭蓋骨に潜む、巨大知性体の。
「なにが望みだ」
 神奈子がため息をつく。面倒くさかった。
「私はね、神様。これ以上、分断するのは嫌なんだ。多様性を尊重したい。合い争い、殺しあうのはゴメンだ。解りますか?」
「いい心がけじゃないの」
「えへへ。それで、それでね? そのために私は、戦争をしたいんです。そのためのチカラをもらいます」
 それを聞いて、一瞬呆けたもののすぐに神奈子は膝を叩いて笑い出した。
 破顔一笑。
「そうか、そうか! それなら私を頼ったのはまったく正解だ。なんせ私は軍神だからな」
 ……矛盾した理屈に聞こえるかもしれないが、神奈子は納得していたし、空自身、これは何年となく考え続けたが末の計画だった。
 空と神奈子が見つめあう。意思の疎通ができていた。おもむろに空が口を開く。
 どんな要求が出てくるか。心持楽しみに思う神奈子に、空ははにかみながら告げた。

「核融合」

「…………!」
「私は核融合の力が欲しい。これ以上、バラバラにはしたくない。私は、分裂よりも融合のほうがいい」
「いよォし、気に入った! 持って行け!」
 神奈子が、容器保安に則った赤い酒瓶を傾ける。空は先ほど使った盃でこれを受けた。注がれる液体は器に触れた先から気化し、まったく揺れることなく、真っ直ぐに立ち登る。
 液体重水素。マイナス二五〇度を越す亜極低温物質。
「既におまえさんは核分裂の出力を得ている。こいつを飲み下せ。そうすれば、爆縮で核融合を起こすに足る構造は出来上がる。熊野違いだけどね、核融合の神を迎える準備はそれにて完成するだろう」
 神道に限らず儀式で依り代が果たす役割は大きい。核分裂の場合に制御棒をはじめとする"かたち"がまず持って整えられたのと同じく、やはり核融合の神を迎えるにしても、器を作る必要があった。しかし、と神奈子は思う。
「それだけの知性があれば、神様くらいダース単位で収納できそうだけどね、実際」
「つべたい、これ」
 ふーふーとあっためながら空が器に口をつけ、ちびちびと飲み干した。
「さ、準備は整った。やって御覧なさい、核融合を」
「どれ。いっちょうフュージョンしてみるか」
 制御棒を展開する。天に向け、指を突き出した。
 周囲に放散されるエネルギーの一切を指先に集中。内側に閉じ込める。やがて密度が高まり、際限なく温度が上がり始めた。磁気中に隔離された真空領域に、超々高電圧で加速された水素が送り込まれる。その数は電圧の上昇に伴い増えてゆく。水素はトカマクという微小系の中で気体分子熱運動を見せ、弾性衝突と双反発を繰り返しながら、確率を収束させて――
 ――そして閾値に達する。
 エンゲイジ。
 電子と電子が絡み合い、陽子と陽子を繋ぎ合わせた。
 空のかかげる指先に、紫のプラズマが燈る。
 
 摂氏一億八千万。
 それは空が燃える温度。

「……ふえっ……へっ……ッ! へっくしょん!」
「いかん、あぶないあぶないあぶない……」
 堪えきれずに空がくしゃみを放つと同時に、音もなく火は消えた。あとには水素とヘリウム、僅かな放射線が残る。
 
 ともかくも。
 霊烏路空は、このようにして、核融合の神を宿したのだった。


********************






 類別は霊鳥、名は融合――。






********************

[パルスィと酒逃げ]


 パルスィを護送する鬼たちは、それまでの勇儀の手勢とは異なっていた。"影の鬼"は鬼社会の中でもその正体がまったく知られていない。勇儀以外のコントロールが効かず、また意思の疎通もほとんどできない。一種の式であるというのが一般的な見方だ。勇儀が式を使ったとしてもなにもおかしいことはないのだから。いうなれば政府の備品だ。いずれにせよ、今、地底首都高を走る装甲車両の中にいる、パルスィを拘束する鬼たちはごく普通の鬼だった。
 四人、いる。
 一人は運転席に。もう一人は助手席に。
 パルスィの隣に一人、向かいにも一人。
「お酒臭いわね」
 不意に、パルスィが口を開いた。後ろ手に手錠をはめられただけで口も目も塞がれてはいない。勇儀が是としなかったのだ。仮にも元・橋姫の扱いとしては乱暴すぎる、と。
「飲酒運転。なんて言い出したら、あなたたちは一生運転できなくなるかしら?」
 ばつが悪そうにして、運転席の鬼が酒瓶を隠す。
 居心地の良くない緊張感が漂い始めた。
「お酒の臭いだけじゃないわよ。別に、消臭剤を使えなんていうわけじゃないんだけどね? この、鼻につく腐敗臭……何とかならないのかしら?」
 こつ、こつと靴底で鉄板を小突く。そこには、こびりついて取れない瑕疵がいくつもあった。
 赤いものもあれば黒いものもある。丸いものもあれば線状のものもある。車内はそんな綻びで満ちていた。
 爪あと。歯形。死体の、破けた腹からこぼれた胆汁。妖怪が流した数千度の涙。強酸性の血液。
 死臭。
 強制連行と摘発に使われた車両には、それらが染み付いているのだった。
「あんたがた鬼には、むしろ癒し空間なのかしら?」
「……そんなわけ、ないだろう」
 正面に座っていた鬼が、忌々しげに応えた。いささか、酔っている。
「俺たちだって好きでやってるわけじゃない」
「それは嘘ね」
「嘘なものか。鬼は嘘をつかない。これが仕事だからだ。こうすることが、地底のためになるからだ。そう信じているんだ」
「それってつまり、自分で好き好んでやってるってことじゃない? 信じてる、っていうのはさ。他にいくらでも信じ、すがりつく可能性はあるはずよ。だけどあなたはこの仕事を選んだ」
「昔は! 平和だったんだ! おまえが内戦を引き起こす、一年前までは!」
 正面の鬼が顔を真っ赤にして怒鳴った。赤鬼。
 よしよし、とパルスィは心中手応えを得る。
 挑発を続けた。
「腐った平和より、私は正義の戦争を選ぶわ」
「このっ……!」
 鬼がパルスィの髪を掴んだ。ぐいと引っ張られる。痛い。しかしおくびにも出さない。
「俺たちがどんな思いで、手を汚しているか。おまえに解るか」
「よーく解ってるわよ」
「てめえ」
 最初は、一人の酒に酔った鬼が暴走しただけだった。しかしパルスィの能力により精神の均衡を崩した鬼は、その殺気を剥き出しにする。感情の奔流により状況は再び加速。いまや、いつ殺されてもおかしくない勢いだった。
 それでも、まだ足りない。
「ふざけるんじゃない、橋姫に鬼のなにが解る。なぜ俺たちが酒を絶やせないか。素面じゃいられないからだ。酔わねば死んでしまうからだ。心のために。心のために!」
「いいや違う。あなたたちには他にも道があった」
 不意に、パルスィが声のトーンを落とした。
 一瞬にして車内の雰囲気が変わる。パルスィに引き込まれる……人心掌握の技術。
「嫌なの? 殺しが? そう。じゃあ辞めなさいよ。
 職場変えろよ。
 それが嫌なんでしょ。本当に嫌なのはそれなのよ。
 あなたたちが! 本当に避け、怖がっているのは殺しじゃない。
 あなたたちが本当に嫌がっているのは、就職活動だ。
 自己分析が屈辱なんでしょう。エントリーシートを書くのが苦痛なんでしょう。面接が怖いんでしょう。
 だから、解るのよ。私もそうだった」
 がたん、ごとん、と。
 橋の上を通る車両が、継ぎ目を過ぎる音がする。
 車内の空気は一転して冷え切っていた。
「どうすればいいか、知りたい?」
 パルスィが数える。振動を。継ぎ目の数を――反撃までの、秒読みを。
「どうにもならないわよ、残念ながらね」
 車内の視線がパルスィに殺到した。縋るような眼であり、憎むような眼であり、理解できていない眼であり、殺そうとする眼であった。
 瞬間、車両の進路が塞がれた。突如として降ってきた鋼鉄製のコンテナが、アスファルトを砕いて車線に転がり落ちてきたのだ。
 運転手の反応は遅い。致命的なほどに。
「――――――!」
 甲高いブレーキ音。車内の加速度が上下左右に荒れ狂う。車重が幸いし、横転は免れる。運転手も訓練を受けた職員だ。カウンターもそこそこに、すばやく加速を再開。現場を抜けようとする――が。
 時速でいえば、二十キロメートル毎時ほどであろうか。
 仕掛け地雷を適切なタイミングで爆破するには、十分な低速。
 右左合わせた四車線に垂直に、一の字を刻む爆発が起きる。
 あらかじめインフラ各所に仕込んでおいた数々のトラップ。もしくは、アセット。役に立たないかもしれないが、備えておいて損はない――そういう態度の爆弾が、期待通りの効果を発揮した。
 車両が嘶く馬のように前輪を持ち上げる。フロントガラスが粉々に砕けた。僅かの滞空があって、車両は今度こそ横倒しになった。タイヤが空転する。激しい、事故の衝撃音が地底に響く。
 するすると、防弾ケージに入り身を守ったキスメが降りてくる。
 この作戦は彼女の単独犯行だった。
 拡声器で呼びかける。
「抵抗は無駄である。出てきなさい」
 しゃちほこばった声であったが、その裏側に確固たる殺しへの覚悟があることは明らかだった。キスメ。気の弱い彼女にしては頑張った方。ガタン、と金属音が響く。彼女の努力は無駄にならずに済んだようだ。
 ひしゃげた後部ドアが、内側から蹴り開けられる。
 一歩、踏み出してくるものがいた。

「出迎えごくろう」

 無傷だった。


********************


 キスメは地底各地に隠匿していたアセットを解放した。武器、食糧、資金、人脈、燃料、爆薬、偽造手形、不正に取得した身分証、車両、通信機。それらもろもろが地底各地に潜む細胞に供給された。
 一夜にして、大規模な暴動が起こった。
 公共機関への放火。国家公務員への暴行。警察車両が幹線道路を塞ぎ、これに反発する市民との間で衝突が起きる。交通網が麻痺すると同時に、インフラに加えられた攻撃がライフラインをも麻痺させた。空たちが育て上げた細胞たちは、適切な場所に、適切なダメージを与えるよう訓練されている。しかし体制側の鬼も無能ではない。見境のない破壊活動は自然に淘汰され、制圧された。
 そして翌朝。事態は沈静化する。壊されるべきものが粉砕され、燃やされるべきものが灰になる。攻撃するのが好きなやつが死に、家で家族を守っていたものが生き残る。一見すると、変わっていないように見える都市の景観。
 しかし、この時既に、地底社会には無数の死角が刻まれていた。
 左様。
 都市ゲリラが活動する上で、最も理想的な治安のバランスが、一夜にして形成されたのであった。

「スクラップ&スクラップ。すべてをぶち壊せ……なんてネ」
 地底を俯瞰する天蓋にぶら下がって、各地で立ち昇る火炎を眺める……そこはキスメの特等席だった。


********************

[キスメと潜伏]


 十八時間後。
 キスメはセーフハウスに向かっていた。買い物袋を提げている。空が焼死し、燐が襲われ、メガネが爆死し、ヤマメが地上から帰り、パルスィが捕らえられてから一日。暴動から回復した商店が店の前に商品を並べて露天を出していた。キスメは缶詰や水といった保存の利くものを一通りそろえる。他にも同じような客はゴマンといて、その中にキスメは埋没した。
 食料には余裕があった。しかし、備えあれば憂いなしだ。
「神主はもっと」
「肉を食え」
 玄関先で合言葉を唱える。ミイラ女がドアを開けた。
「あれ? パルスィは?」
「二階で爆弾作ってる」
 全身に包帯を巻いた、黒谷 ヤマメ。
 彼女は鬼との戦闘で八肢の半分を千切り取られる大怪我を負っていた。もともと八本あった手足は四本にまで減っている。腕が二本に足が二本。見た目はまったく人間のようになってしまっていた。
「薬を買ってきたよ。飲んだら寝なさい。ご飯食べたね?」
「ゴハンて。野菜ジュースとオートミールじゃお腹膨れないわよ」
「今は消化の良いものだけにしときなさい」
「やーだー。肉食べたいー! にーく! にーく!」
 ばたばたと手を振る。包帯がびろびろと舞った。うざいのでスパムを与える。ニタリと笑ってミイラ女は去って行った。
 ため息をついて二階へ向かう。アレだけ元気なら大丈夫だろう。八肢というアイデンティティを失っても、ヤマメには既にスペルカードという新たなアイデンティティがある。心配は無用だ。
「パルスィ。頼まれてたの買ってきたよ」
「ありがと。今シンナー使ってるから、ドアは開けないで。そこに置いといてちょうだい」
「アイスも買ってきたんだけど?」
「今行くわ」
 マスクをつけたパルスィが出てくる。"私キレイ?"とでも言いたげな風貌だった。箱買いした釘、アルミホイル、消火器、電池とリード線、梅干などを漬けるのに使う大きめの耐圧ビン。部屋の中に諸々を運び込み、二人は一階へ降りた。
 食卓のラジオをつけて、アイスを食べる。
 ラジオがニュースを伝える。地霊殿は未だに武装解除に応じていないらしい。広大な領地と資本、自活能力を備え統率もとれている――古明地 さとりの抵抗は、なによりも体制を圧迫していた。星蓮船をはじめとするいくつかの自治領はさとりの陣営に加わり反旗を翻し、鬼は焦りを募らせている。
 しかし、さとり自身はスペルカード主義者ではない。
 成り行き上、つまりは空たちの謀略により闘争に巻き込まれただけであって、条件さえ揃えば講和スキームに入るだろう。
「そうはさせない。さとりには、まだまだ働いてもらわないと」
 有線放送のラジオに耳を傾けながら、パルスィが言った。鬼の戦力を分散させなければ、ゲリラに勝ち目はない。本当ならば――
「本当なら、地上の勢力も介入させたかったんだけどね。過ぎたことだよ。それに、このほうが戦後処理は容易だ」
 キスメがため息をついた。ヤマメは第一目標は果たしたが、結局、外圧を利用するという手段は潰されてしまった。致し方ない。鬼とて無能ではないのだ。
 カップアイスをしゃくしゃくと混ぜる。シャーベット状になったバニラ小豆を口に運ぶ。パルスィはソーダバーをかじっていた。
「そっちのがおいしそうね……妬ましいわ」
「交換する?」
 半分ほど食べたカップアイスと、やはり半分ほどになったアイスバーを交換する。キスメは溶ける前にかぶりつき、口の中で溶かした。ひんやりした感触が頭につんと心地よい刺激を加える。残った棒には……
「あ。アタリだこれ」
「妬ましいわね」

********************

 人通りの少ない時間帯を狙ってキスメは外出した。
 行方不明になった燐を探すのが目的だった。
 かつて拠点にしていた横穴へ向かう。一見すると、背景に埋没して見つけることのできない入り口。在り処を知らなければ壮大な手探りをすることになるであろう、目印のないスイッチを押すとシャッターが開いた。
 中は真っ暗だ。明かりをつけるべく手探りで進んだ。しかし、電灯のスイッチがあるべき場所になかった。
「…………!」
 がらがらと、背後でシャッターの閉まる音がした。出入り口が塞がれたのだ。
 誰かがいる。
 この空間に。
 ささやくほどの声が聞こえた。
「――神主はもっと」
「……肉を食え」
 符牒。スペルカード主義者の合言葉。フルバージョン。
「アイシクルフォール」 ―― 「1ボム安定」
「ゆゆ様ちゅっちゅで」 ―― 「宿罪安定」
「レッドマジック」 ―― 「血液すごい」
「魔王な使い魔と」 ―― 「魔法少女な正義部員」
「一度はやりたい」 ―― 「大回転」
「のd」 ―― 「アキラァ!」
「…………」
 既に、互いの声で相手は悟っていた。最後の符牒を交わす。
「弾幕は」
「パワーだぜ」
 一瞬の沈黙の後、が灯りついた。やはり相手は燐だった。
「お燐、探したよ」
「やー、ゴメンゴメン。空を待っていたんだ。ここで」
「……もしかして、まだ聞いていないの? 空は」
「いい、いい。知ってるから、それは」
「じゃあなんで」
「死体はまだ上がっていない。まだ、死んだと決まったわけじゃあない」
「――お燐……ッ!」
「うん。ゴメンね。本当にごめん。でも、私はここを動かないよ」
 キスメが悲しみと怒りが混ざった、名状しがたい感情を抱く。燐のとった行動はまったく非合理的だった。革命戦士にあるまじき、感情的なものだ。
「キスメ。はやくここを離れたほうがいい。鬼に知れるのも時間の問題だ」
「これで、お別れかな」
「そうね。こうなった以上、私たち中核メンバーが固まって行動するのは得策じゃない。誰かが捕まって処刑されても、他の誰かが後を引き継ぐような……そういう体勢にシフトする必要がある」
「解った。ヤマメとパルスィにもそう伝えるよ。私たちは、ゲリラ戦に移る」
 キスメはそういって、懐から封筒を取り出した。
 かつて、空が差し出した宝石類が詰まっていた。いや――それよりも多い。
「これで、活動資金には困らないはずだよ。……一年。やったろうぜ」
「ええ。くれぐれも、死ぬんじゃないよ。あんたらを運ぶのはゴメンだからね」

 キスメ。
 黒谷 ヤマメ。
 水橋 パルスィ。
 彼女たちはこの後、装備を整え各々の工作、活動に移ることになる。
 最初は、ただスペルカードを楽しみたかった。
 なのに今は、なぜか武器を手にとり戦っている。
「…………」
 燐だけが、取り残された。
「…………」
 キスメには、ああ言ったが。
「…………おくぅ……」
 途切れかけた声で、そう呼んだ。
 答えが返ってくるはずもなく、燐は力なくその場にしゃがみこむ。

 連れ合いを亡くした燐に、既に闘志は残っていなかった。


********************

[ヤマメと風説]

spam.



 一週間後。
 出発の時が来た。
 ヤマメはどうにか逃げられるほどには体力を回復させていた。各々荷物をまとめる。燐にはあれ以来、会っていなかった。三人は今日、家を出る。これが今生の別れになる可能性も、十分にあった。
「パルスィー。はやく降りてこーい。ワイヤートラップ、仕掛けちゃうよ?」
「ちょっと待って!」
 最終動作チェックを済ませたパルスィが、階段に仕掛けたワイヤをまたいで降りてくる。それを待ってキスメは起爆装置をワイアード。
 家には置き土産をしていく。パルスィが作った爆弾がそれであり、重量にして十七〇キログラム、原始的なニトロ化合物であった。衝撃にも湿気にも弱い。しかし、エアコンのついた部屋で仕掛けっぱなしにするには十分だった。爆発すれば周囲百メートルが殺傷範囲になる。
「ヤマメはどうしてる?」
「鏡とにらめっこしてる」
「おまたせー」
 洗面所から出てきたヤマメは、包帯をほどき、さっぱりした姿に生まれ変わっていた。髪を後ろでまとめ、手足の本数に合った服を着ている。一見すると誰だか解らないほどの変わりっぷりだった。包帯がスカートに巻かれており、新たなアイデンティティが加わったことを知らせていた。
 三人の荷物は少なかった。みな、鞄一つに身支度をまとめていた。
「……ね。別れる前に、知らせておきたいことがあるんだ」
 玄関のカギを閉める。キスメが振り向いた。パルスィは周囲に注意を配る。ヤマメが意を決したように、話し出す。

「私たちの中に、裏切り者がいるかもしれない」

 くるり、とパルスィが首を回してこちらを向いた。
 キスメは怪訝そうな顔をしている。どちらも、危機や不信を本気では感じていない様子だった。当たり前だ。同志の信頼関係はそれほどか弱くはない。
「まあ、私も本気でそんなことは考えちゃいない。私が言いたいのはね、つまりはね……
 私が地上に行ったとき、迎撃を受けた。誰かが情報を漏らしたんだ。内通者の可能性を、最初は疑ったさ。けれど、この一週間。考え続けて気付いた。もう一個、有力な可能性があることにね……それはなにか、っつうと。
 つまりは、サトリだよ――そう。
 心を読む能力を持った者ならば、私の動向を掴んでもおかしくはない」
「……しかし、なぜ?」
「それは解らない。だけど、地霊殿を安易にアテにするのは危ないかもしれない。私が言いたかったのは、そういうこと」
 びゅう、と。
 地底に風が吹いた。
 珍しい現象だった。砂塵が舞う。風に乗った、様々な匂いが届く。
 キスメには、実る前の麦の匂いだと感じられた。
 ヤマメは湖に繁茂する、水草の匂いだと思った。
 パルスィは、機械油と鉄の臭いを嗅ぎ取っていた。

「また会ったら、弾幕しましょ」
 かくして、三者は三様の道を辿る。
 どの道の先にも、血のにおいがした。


********************

[諏訪子と王]

exile king.



 諏訪子は激怒した。
 必ず、かの邪智暴虐の神奈子を除かねばならぬと決意した。
 諏訪子には政治が解らぬ。生贄を求め、恐怖で民を支配してきた。けれども邪悪に対しては人一に敏感であった。今日未明、諏訪子は寝所を抜け出し、石段を越え鳥居をくぐり、御柱の聳える湖にやってきた。諏訪子には権威も、神徳もない。十六の、内気な子孫と神社暮らしだ。この子孫は、地底のある律儀ないち地獄烏を、この間流行神に誘ったばかりだ。実際に神を降ろしたのは神奈子なのである。諏訪子は、それゆえ、いまいち遠巻きに状況を眺めるほかなかったのだ。先ず、地獄烏が神を受入れ、それから二人めの神が降ろされた。神奈子には戦略兵器があった。熱核弾頭である。家の冷蔵庫で、不活性化貯蔵していた。久しく使わなかったのだから、上手く降りたというのがオドロキである。
 歩いてゆくうちに諏訪子は、森の様子を怪しく思った。ひっそりとしている。もう既に月も落ちて、道の暗いのは当たり前だが、けれども、なんだか、夜のせいばかりではなく、森全体が、やけに寂しい。邪神である諏訪子も、だんだん不安になってきた。獣道で会ったミドリカエルを捕まえて、なにかあったのか、昨日ここに来た時は、夜明け前でも虫が歌をうたって、森はにぎやかであったはずだが、と質問した。ミドリカエルは首を振って答えなかった。しばらく歩いてヤドクカエルに会い、今度はもっと語勢を強くして質問した。ヤドクカエルは答えなかった。諏訪子は両手でヤドクカエルを揺さぶって質問を重ねた。ヤドクカエルは、あたりをはばかる低声で、わずかに答えた。
「八坂様は、遠からず戦争を起こします」
「なぜそう思うのだ」
「武器を備えよ、というのですが、誰もそんな、武器を持ってはおりませぬ」
「たくさんの武器を集めたのか」
「はい、はじめは河童に新技術を。それから、天狗に情報網を。それから、民に信仰心を。それから、風祝に新装備を」
「おどろいた。神奈子は乱心か」
「いいえ、乱心ではございませぬ。争いを、止めることができぬ、というのです。このごろは、麓の巫女をも、取り込みにかかり、少しく無駄口を叩くときには、ウチに来て風祝をファックして良いと命じております」
 聞いて、諏訪子は激怒した。「呆れた神だ。生かして置けぬ。」



 ……獣道を行く。
 諏訪子は一人だった。
 やがて湖を一望する場所に出る。
 神奈子が手酌で飲んでいた。
「神奈子、聞いたよ。神様を、降ろしたんだって」
「……あんたか」
「それも、二人も! 話が違うじゃないか。私は、核分裂の神様だけだって聞いてた」
 静かな森に、諏訪子の問い詰める声が響いた。
 風が鳴る。夜明けの匂いをつれて。
 神奈子は答えなかった。
「そんなに、戦争がしたいの。自ら、核を拡散させてまで、混沌が生み出す戦争が欲しいの――なんとか言えよ、軍神!」
 答えぬ軍神を正面に、邪神は声を荒げた。一度、怒りをオモテに出しておくべきだと思った。
「あの娘は、あの地獄烏はね。……いい娘だったんだ。私が見つけた三十二年前から。家族を大事にし、勤めに励んで、それが自分の正直になる。そういう、もしかしたら、この世でもっとも幸せに暮らしていたかもしれない、そういうやつだったんだ」
 たびたび。
 空の夢に現れては、神の身になれと誘っていた存在。
 その正体は諏訪子だった。地道な営業活動の末、ついに空は神になった。それは相互に利益をもたらし、更なる繁栄を約束する契約――そう、なるはずだったのだ。
 しかし、これでは。今の、現状では。
「誰も、幸せになんかなれない」
 今こそ胸を張って、この邪神は正義を唱える。
「神奈子……おどれは殺しを楽しんでけつかんのか!? あの娘はきっと戦うだろう。戦争を起こす。神奈子、あんたの目的はなに? 戦争と信仰を一体化した信仰生産装置――軍信複合体でも作る気なの……軍神め!」
「…………」
 ここまで言われてなお、神奈子は答えなかった。
 表情に変化はない。諏訪子の言ったことは、おそらく神奈子の中で考え尽くされたことなのだろう。あらゆる非難、脅迫、誹謗中傷、示威に屈しない信念が、この軍神には備わっていた。
 ならば、なぜ。
 そこまで、あの地獄烏のことを知っていたのなら。
 なんで彼女を核兵器にしてしまったんだ。
「神奈子ォ!」
 そう思うと、諏訪子は耐えられなかった。悲しかった。屈託なく笑う、あの地獄烏は、いまや致死の放射線を撒き散らす高レベル放射性物質。大量破壊兵器なのだ――……あんまりだ、と。



「あの娘に武器を与えたな。戦争に駆り立てたんだ」
「違う。あの娘は自分のチカラで、私から奪ったのよ」



 日が昇る。
 夜が明けた。
 湖が朝日を反射する。
 きらきらと、水面が光った。

「自由と独立を求める者を止める権利は、誰にもない」
「誰にも?」
「そう。誰にも」
「もし彼女があのチカラで、地上を狙ったとしても?」
「その時こそ、私たちは戦わなければならない」
「……わけが解らない」
「解らないだろうな。恐怖政治しか、できなかったやつには」

 神奈子が酒瓶を差し出す。諏訪子は不釣合いに大きなそれを抱え、半分ほど余った酒に口をつけた。
 二人がたたずむ湖畔の直下。
 七百メートルの地底。
 足元に熱を感じながら、邪神は酒を飲み干した。
 清濁、併せ呑むかのように。


********************

[ヤマメと地底解放戦線]

The Subterranean Dialy.



 半年が過ぎた。

 ヤマメ、キスメ、パルスィは各々の破壊工作に余念がなかった。散発的なテロ行為で体制側の治安維持能力を低下させ、経済に混乱を招く。同時に山岳地帯を渡り、孤立した農村を味方につけていった。次第に都市部の包囲網が完成してゆくことは、地底にひしめくどこの勢力にも手に取るように解るパワーバランスの変化だったが、これを止める術を持つ者はいなかった。
 つまり、着実に、革命の準備は整いつつあった。
 この間の手記はヤマメが空の名前を取って『うつほ物語』という形で編纂し、後に出版することになる。
 以下は、その手記からの抜粋である。


 七月

 二日 夜が明けないうちに次の村へ出発する。背中が痛むが、あまり急ぐと傷口が開いてしまう恐れがある。私は、かつては背嚢を八つ背負って急峻地を上り下りするのを得意としていたのだが、その脚力(使うのは腕だが)は四肢と同時に失くしてしまった。仲間は二十四人。少ないが、今のところ行軍に影響はなし。戦闘に耐えうるかは今後見極めよう。
 三日 川に差し掛かった。標高七二〇メートル。渡河に一日費やす。途中、南部出身の妖精の一人が足を滑らせて背嚢を失った。厳しく叱責したかったが、まずは互いのことを知る必要がある。夕食後に呼び出し、一時間ほど話をした。
 五日 道すがら出会ったトラックを止め、運転手を拘束する。怯えた様子であったが、こちらに敵意がないことを知ると様々な情報をくれた。鬼の偵察隊はまだこの高地には達していないらしい。鬼はその性質上、酒を絶やせない。補給線を引きずる限り、鬼は私たちに追随できないだろうという、メガネの予言は当っていた。トラックの積荷のうち、コンデンスミルクといくつかの医薬品を購入する。残念ながらモルヒネはなかった。しばらく背中の痛みとは付き合うことになりそうだ。
 六日 徴発したトラックで村落に到着。民家は三十戸以上あり、立派な寺院もあった。私たちはこの寺院を占領し、家々を回ってこれを制圧した。村人たちは最初こそ不信感と恐怖と興味が入り混じった表情をしていたが、寺院に集めて説法を聞かせるうちその顔は共感に満ちていった。村長の家に招かれ肉料理をごちそうになる。部下たちは酒を飲んで騒いだが、まだ規律は保たれている。
 七日 食料を補充し、さらにトラックを一台購入した。南部出身のあの妖精は機械整備に長けているようで、村にあった通信機を修理しキスメとの連絡を回復させてくれた。キスメは国境沿いの農場に潜入しているという。パルスィの消息は不明。
 九日 星熊のラジオ声明を聞く。再三の武装解除勧告に応じない古明地に対し、強制執行を宣言した。地霊殿の出方が気になる。
 十日 東部の出である妖精たちは狩猟が得意。鶏肉を揚げた料理のほか、蒸した芋料理を食う。
 十三日 先遣隊の報告で、この先の橋に鬼の検問があること、人員は十に満たないことなどが知らされる。部隊に散開を指示し、包囲。件の南部出身の妖精に部隊の半分を預け遣いに出し敵隊に降伏を促す。終始、部隊の連中は震えていたのでケツを叩いて気合を入れてやる。作戦は成功。詰めていたのは鬼ではなく、鬼に使われる妖怪だった。彼女らの装備をことごとく奪い、本来ならば処刑していてもおかしくはないこと、軍規の厳しさと今が戦時中であることを説き、放逐してやる。
 十五日 先日の作戦成功で士気はこれまでにないほど高まっている。鬼の発表で、検問が破壊されたことは未だ明らかにされていないが今日到着した村には既に我々のうわさが広まっていた。良い点は、彼らが協力的になったこと。悪い点は、情報が駄々漏れになることだ。
 十八日 最悪の事件が起きたようだ。炭鉱労働者が鬼と衝突し、八〇人を超す死者が出たとのこと。ラジオ放送が初報だったが、すぐにパルスィからの手紙が来た。実際に死んだのは、労働者が四〇〇人、鬼が二〇〇人に上るそうだ。パルスィがストライキを扇動したのだとしたら、大変な失態だ。
 十九日 標高一〇八〇メートル。先の事件に触発された暴動が多発。地霊殿がこの機に乗じて支配領域を広げたようだ。この高さからは、地底の様子が良く見える。地霊殿領の内側は静穏としているが、体制側との境界で炎が燃えている。何人かが、私たちも山を降りて戦いに参加すべきだ、と発言した。我々には我々の使命がある、といってなだめた。
 二十日 標高一二〇〇メートル。先遣隊の帰還が遅れる。悪路ゆえに、道を開くのに手間取ったとのこと。最初は彼女たちから大麻の匂いがしないものかと疑ったが、どうやら私の勘ぐりだったようだ。彼女たちの士気は高い。心強いことだ。
 しかし、反面まずいこともある。血気盛んな突入班の数名が、私の方針に対し不満を持っているらしい。南部出身の妖精が上手く操縦してくれているが、今一度規律を確かめ、離反を抑えなければならない。
 二十二日 何もない一日。のんびり行軍して、十キロ進む。途中、先遣隊が足跡を見つけて緊張が走ったが、どうやら先々月くらいにキスメの部隊が残した道しるべだったようだ。次の村までの道が拓ける。同時に、キスメの癖から当たりをつけて近場の岩壁を掘らせたところ、案の定武器と食料が出てきた。足りない種類の薬を補充し、余っているものを置いてゆく。一番の収穫物は、モルヒネだ! 腐りかけていた小麦粉は料理し、代わりに塩漬け肉を入れておく。
 二十四日 いつものように村を占領。キスメたちが手厚く保護したらしく、私たちも歓迎してくれた。奇妙な点が一つ。村人の妖怪たちは十分な教育を受けておらず、なにを言っているのかいまいち不明だったが――先日、巨大な光が現れて、村の作物に恵みを与えてくれた、というのだ。
 その報告を得るのは、これで何十回目だろうか。
 キスメやパルスィのレポートにもたびたび登場するこの謎の発光体は、正体もつかめないまま神出鬼没に農村に現れては作物にエネルギーを与え、去ってゆく。まるで、太陽のように。果たしてこれは敵か、味方か、あるいは……。
 二十八日 敗北の日。事の発端は三日前だ。村に駐留していた私たちは装備を整え、体力を回復させ充実の極みにあった。それが油断を呼んだのかもしれない。鬼の偵察飛行隊が上空を飛行していたことに気付けなかったのだ。これは歩哨が任務を全うしなかったからであるが、彼女はもう死んでしまった。何人かの怠惰と、そして何より彼女たちに警戒を任せた私の責任だ。
 私たちが出発の準備を終えたまさにその時、村に十字砲火が響いた。私はすぐさま部隊の指揮に走ったが、今すぐに手当てをすれば助かるであろう子供が足元に横たわっていた。かのようにして、私の部隊は七名が死亡し、三名が行方不明。残った十四名のうち、四名は負傷している。全滅していてもおかしくはなかった。南部出身の、件の妖精が決死の指揮を取り鬼を撃退したおかげで何人かは生き残り、村も焼き払われずに済んだのだ。南部出身の妖精は腹に傷を負って、今は安静にしている。これからどこへ向かうべきか。キスメとの連絡手段も失ってしまった。
 三十日 負傷した者たちに、村人たちと西へ移動するよう命じた。西には比較的余裕のある農園が広がっている。キスメがオルグ済みなので受け入れに問題はないだろう。これで私たちの部隊は私を含め十人になった。南部出身の妖精は、未明のうちに、傷が原因で苦しんで死んだ。
 三十一日 不安そうなメンバーに檄を飛ばし、行軍する。装備が重い。モルヒネは使い切ってしまった。ラジオが地霊殿と鬼の戦闘を伝えている。標高八七〇メートルから見る地底の様子からして、鬼は確実に支配領域を削られているようだ。炭鉱のニュースもあった。鬼と労働者は、協定を結んで和解したらしい。パルスィからの手紙に、先じて書いてあった通りの内容だ。それはつまり、労働者側の完全な敗北を意味する。またストライキが起こるだろう。
 月間分析
 農民の協力は圧倒的なほどだ。しかし私の部隊は一気に規模を小さくしてしまった。育ちかけていた兵隊を失い、敵にも中途半端な打撃しか加えられていない。大局的に見れば、敗北こそ続いているものの、現状は悲観すべきものではない。鬼の戦力を山中に埋没させるという作戦は的中しているし、パルスィの報告では、農民がこちら側についたことで体制側の国庫は底をついたという。今は、なんとしても逃げ延びて、生き延びて、敵を引き付ける事である。消耗させることである。
 しかし、いくら消耗を強いようと、鬼は死なない。
 大打撃が必要だ。そのための部隊の育成を、私はしくじった。
 この上は、仲間に期待するしかないだろうね。


********************

[さとりと人道]

just follow me.



 内戦は泥沼化していた。
 ヤマメとキスメは農村ゲリラとして、パルスィは都市ゲリラとしてそれぞれ体制を内外から衰弱させたが、鬼に対し数でも火力でも劣る彼女たちは、一定以上の打撃を与えられなかった。
 唯一、鬼に大打撃を与えられる存在として期待されていた古明地 さとりは、そのイデオロギーのために積極的な攻勢に打って出ることはできず、ただ治安維持に勤めた。それでも帰属を望むものを保護するために領地は自然に広がっていったが、ことここに至り、予想外の事態が起こり始めた。

 鬼が身持ちを崩し始めたのである。
 早い話が、野盗化だった。

「……皆殺しか。恥知らずめ」
 付き合いのある農村を訪れたキスメは、そこで鬼により食い尽くされた村を目の当たりにした。
 老若男女まとめた虐殺の痕跡は、火をつけられほぼ灰と化していた。しかしよくよく調べてみると、略奪はほとんど行われていない。殺す必要のない死体ばかり。鬼の犯行を装った、第三者の仕業かと、最初は疑ったが――
「貴様ら! なぜ殺す」
「耐えられぬからだ。己の罪に」
 略奪の現場に遭遇した時である。統率された部隊は数でも力でも劣っていたが、鬼を駆逐することができた。捕虜とした鬼を尋問する。村に蓄えられた食糧を千とするならば、鬼が口をつけたのはほんの一か二くらいだ。しかし、村を丸ごと焼こうとしていた。
「自分の悪事を隠すために、こんなに殺したのか」
「そうだ。ああ。良ければ私も殺してくれ。私には、あの民の視線が耐え難い。鬼として生まれ、誇り高く生きてきた。それがいまや、この様だ。耐えられない。あの視線。殺さなければ。さもなくば、殺してくれ」
 キスメは黙ってその鬼を逮捕し、さとりに引き渡した。

『なんつーか、いよいよ末期症状ね……』

 キスメとさとりは、上記のような感想を、異口同音にもらした。さとりは引き渡された鬼を無言のままに尋問し、すべてを知った。
「一刻の猶予もないようね」
 ついに、さとりが動いた。

********************

 古明地 さとりは講和を申し入れた。
 実務者協議を経て、デタントを踏んで、暫定休戦の末、武装解除に至る――という当初のシナリオは、しかし最初の最初ッから実現しなかった。
 星熊 勇儀は講和を打診された翌週、主だった展開中の兵力すべてを地霊殿に差し向けた。緊張が高まる。しかし行軍速度や規模の大きさからして、これが旧式ばったデモンストレーションであることはすぐに判明した。
「どういうつもりかしら」
 さとりが、遥か彼方に見える歩兵大隊を双眼鏡で眺めながら考える。この事態に、何人かの幹部妖精は恐怖に駆られ先制攻撃を求めたが、さとりはこれを突っぱねた。向こうは密集している。増して、こちらの領土を進んでいる。巨大ではあるが撃滅は容易い。銃座・砲座を擁するトーチカと地雷原で固められた防衛線までひきつけ、そこで出方を伺うつもりだった。
 その折、電報が入った。
 勇儀から。
「捕虜交換、ですって……?」
 矢継ぎ早に届けられる電報。姓名、階級、民族が記されている。わざわざ記録と照合しなくとも、さとりはそこに書かれている名前から、一人ひとりの顔を思い浮かべることができた――戦場で行方不明になった者たちの名だ。捕虜のリストであることは想像に難くない。
「もちろん、応じるわ。けれど――」
 ――なにか、裏がありそうな気がする。
「っはん。裏ね。あるに決まってるじゃない、そんなの」
 独りごちる。しかしだからと言って、取れる術がなにかあるというわけでもない。
 それでも、性急でも、備えが不足でも、先が見えなくても。
 現状を放置するわけには行かないのだった。一刻も早く休戦に持ち込まなければ、日々地底は荒れ果てて行く一方なのだから。

 約束の時刻が来た。
 星熊 勇儀が率いる鬼の一群が、隊列を組んで丘の向こうに控えている。
 対して古明地 さとりの指揮する地霊殿の戦力は、分散・隠匿され一見小勢であったが、戦局を掌握する位置にいた。
 
 だだっ広い荒野に、真っ白な机とパイプ椅子が二脚、ポツンと並べられている。
 ここが休戦協定を結ぶための議場だった。

 ボストンバックを提げた星熊 勇儀が、ゆっくりと歩いてくる。さとりはテーブルの横に立ち、じっと待った。
「こんにちわ。お久しぶりね」
「よう、久しぶりだな、ちょっと痩せたか」
 勇儀はそういって笑って見せた。確かに、さとりは心労から体重を五キロ落としていた。しかしそれを言ったら勇儀はより深刻だ。十五キロも痩せている。
 妖精が茶を運んでくる。着座を促す。
 向かい合って座った。
「早速で悪いが、捕虜の交換をしたい」
 さとりが封筒を開ける前に、勇儀は単刀直入、用件を切り出した。鬼というのはいつもこうだ。ネブラスカやカンザスにありがちな――西部的な、愚直な物言い。
「その前に、休戦協定に関して、詰めておきたいのだけど」
「捕虜の交換が先だ。そのほうがいい――あんたの気も変わるだろうしな、さとり。私がただ黙って捕虜の交換を申し入れるとは思っていないだろ?」
「そりゃあ、ね。なにか、状況が劇的に変わるカードでも用意してきたのかしら?」
「こいつを見てくれ。こいつをどう思う?」
「どれだよ」
「これだよっ」
 言うや勇儀は足元のボストンバックを蹴り飛ばした。ファスナーが開き、中身がごろりとまろびでてくる。
「アーッ!」
 思わずさとりが眼を覆う。
 そいつは腐りかけたしゃれこうべであった。ちょうどよい腐敗具合で、転がった勢いに乗じてカラカラに干からびた目玉が飛び出す。コロコロと、五、六個の生首が行進する様はコミカルですらあった。
「すまんな、さとり。私の側が差し出せる捕虜ってのは、一人しかいないんだ。 ほかは みんな殺した。 」
「…………」
 冷静さを取り戻すまでの数秒間。さとりはじっと眼を閉じ、口を噤み、耳を塞ぐしかなかった。リストに書かれていた名前は捕虜の名簿ではない。処刑した者の名簿であることは、勇儀の心が隠しもせず告げていた。さとりの回復を待ち勇儀が再度、ボストンバックを蹴り上げる。
「――――ッ!」
「まだ、生きてるよ。まだね」
 腐った首と一緒にバックに詰め込まれていたのは誰であろう。

 火焔猫 燐だった。

 鎖でがんじがらめに縛られている。体中に痣を作り、血と埃で汚れ、殴られ過ぎたのであろう、顔の形が変わっていた。
 本物の、虐待を加えられていたことは、明らかであった。

「さあ、さとり。私にはこの死にかけの猫一匹と、七十名の鬼を交換する用意がある……どうするね?」

 そう問いかける勇儀の声もまた、苦い響きに満ちていた。


********************

[さとりとけじめ]

accounted.



 状況を整理しよう。
 さとりは深呼吸して、椅子に座り、休戦協定の条項が書かれた紙を裏返し、考えをまとめた。

 火焔猫 燐と捕虜を交換したとする。
 燐は既に、地霊殿を去った者である。これを助ける根拠は、実のところ人道主義以外に見出すことができない。それでも捕虜を七十名差し出したところで、勇儀の側の戦力が増強されるわけでもなんでもない。ならば、一見すると、一人でも救えるならば、救ったほうが良い……かのように思える。だがこのような不均等を許せば、地霊殿は抱える兵隊一人ひとりの、イノチの値段を釣り上げてしまうことになる――戦争の継続が、不可能となるほどに。
 結論として、燐と捕虜を交換することは、戦略的にマイナスが勝ちすぎている。到底許容できない。

 火焔猫 燐を見捨て、捕虜交換に応じなかったとする。
 燐は既に、地霊殿を去った者である。しかし燐はスペルカードを地底にもたらした人物であり、紛争の根底に流れる民意のカリスマだ。これを見捨てた場合、地霊殿は急速に求心力を失うことになる。さらには、かつての重鎮、同胞を容易に見捨てた指導者として、さとり自身への不信感も強まるだろう。そうなれば、戦争の継続は可能であるが、いっそうの泥沼に陥ることは確定的に明らか。
 結論として、燐を見捨てることは、内政的にマイナスが勝ちすぎている。到底許容できない。

「…………ねえ、勇儀」
「なんだい」
「誰の入れ知恵?」
「言えないね」
 一瞬でも気を抜けば脱力しそうな身体。力を振り絞って、さとりは勇儀を睨んだ。
 こんな卑劣な手段。こんな……有効な手段を、鬼が思いつくはずはない。よっぽどさとりや燐のことを知悉していなければ、このようにリスクの高すぎる――停戦交渉の場に互いの兵力を集中させる。それは燐という捕虜の価値を劇的に高めていた――パフォーマンスは誰もやりたがらない。芝居がかりすぎている。お寒いくらいだ。勇儀の心中を読む。勇儀の心もまた、荒れていた。自らの行いを深く恥じている。必要なことだと納得しつつも、割り切れていない。そのような混乱に隠れ、犯人の姿は見えてこなかった。そうして、さとりは姿の見えない――心の読めない誰かさんを、心底呪った。
「今更だけど。一つ確認したいことがあるわ」
「答えられることならば」
「休戦協定。締ぶ気はあったの?」
「ない。そもそも、講和など不可能だった。そうだろ?」
「そう。よく、解ったわ。よーく……解ったッ!」
 ガタンと椅子が倒れて、さとりが勢いよく立ち上がった。
 周辺にひしめく、数万の軍勢がざわめいた。勇儀すら焦る。
 さとりの、短い、右腕に。
 隠し持っていたのであろう。抜き身の刃が握られていた。
 一尺二寸。白木の柄を持つ業物の脇差。
 ギラリと、気品のない光が反射する様は、玉鋼の美しい紋様の掠れて久しきを意味する。
 肉を切り、骨を断ち、それを歴史として積み上げ、アタッチメントを嫌ってきた。
 つまりは、ドスの如き使い方をされてきた――忌むべき白刃であった。

「覚悟は良いか」
「なっ、なにをするだァー!」
「私はできてる」
 
 やおらさとりは白刃を振り上げた。気圧された勇儀が後ずさる。
 がつん、と小気味の良い音がして、議場だったテーブルに刃が突き立つ。
 さとりはその根元に自分の左腕を寄せた。肉に刃が食い込む。一瞬、周囲が次に迫る光景を悟って息を呑んだ。さとりに迷いはなかった。
「………………ッッッ!!!」
 ざくり、と音がして筋肉が裂けた。ごりごりと、骨に当る音がして、やがてみしりと軋みを上げる。沈黙も束の間、ばん、とまるでゴムチューブでも弾けたかのような音がして、勢いよく砕けた骨が飛び散る。それでもさとりは力を緩めない。泡を吹きながら刃に体重をかける。ぶちぶちと、弾力のある血管が圧し切られ、ついにぶつんと腕が落ちた。
 血が噴出す。
 周囲に控えていた鬼や妖精が失神する。
「……燐、あなたを失いたくはなかった」
 汗がびっしりと浮かんだ、蒼白の貌。
 かつての事故で短くなった右腕同様、長さの足りない左腕から、どばどばと血肉を滴らせ。
 さとりは切り落とした腕を、燐に手向けた。
 そして宣言する。
「捕虜の交換は、拒否する! このような暴挙を、私たちは許しはしない。
 火焔猫 燐は私たちの家族だ。
 この腕は、彼女を見捨てる私の、私のケジメだ そしてまたッ!
 これが地霊殿の、意思表明だ! あんたの不正義にはうんざりだ! 徹底的に叩き潰してやる!
 MUST BE UNDERSTOOD,FUCK YOU! 解ったか!」

 後に。
 この宣言は。
 地霊殿の宣戦布告であり、同時に勝利宣言であった、と。
 多くの伝記は、そう書き、伝えている。
 そういう言葉であった。


********************

[さとりと家族]

unaccounted.



「私のことを、不正義と罵ったな」
 燐にもとへ投げつけられた左腕を拾い上げて、味見をしながら勇儀が歩み寄った。
「その言葉はそっくり返すぞ。不正義とはおまえのやっていることを言うんだ、古明地」
 胸に巻いていたサラシを解き、勇儀は包帯代わりとした。未だ血が噴出す左腕を掴み、腕をくっつけてきつく縛る。さとりは成されるがままにした。
「解ってるわよ。それくらい。もっとも卑劣なのが、私自身だってことは」
 どんな言い訳をしようと家族を見捨てることに変わりはない。一時のパフォーマンスで事実を歪曲し、周囲に集結した兵隊すべてに強硬な姿勢を印象付けた。目的はどうであれ、さとりの行為は欺瞞であり、誤魔化しであった……戦争を、続けるための。
「私たち、最低ね」
「ああ。な……最初ッから罠に嵌めるつもりだった私が言うのもなんだけど、妥協点ってなかったのかな」
「無いと思うわ。私たちの目的は同じだけど、互いに互いの手段を絶対に許容できないでいる」
「そうだな……私たちは、指導者だもんな。背後には数万の意思がある。これを収めるには、きっと。血を流すしか、ないんだろうな」
「悲しいわね」
 その会話は、まったく、間近に接触した二人だけのものだった。他の誰にも届くことはなく、また、行く先もない。どん詰まりに陥った指導者同士の、傷の舐めあい。
「もし。もしも。両者ともに正論があったとしたら。粘り強く交渉を続けることで、妥協点を見出せていた。戦争以外の選択肢があったに違いない。そう、信じたい。けれど実際には、私たちは、二人して、正論すら持ち合わせていなかった。情けないね。だからこんなことになっている」
「勇儀。あなた、気にしすぎよ。正論なんかどこを探したって、ありはしないわ」
「諦めろ、っていうのか? 私は、いまから、おまえの身内を殺すのに」
 勇儀が一歩、距離を置いた。
 さとりは勇儀への気遣いをもって、薄く、間近でしか解らない程度に微笑む。
「地霊殿は家族を食肉に加工する。犠牲にするのはこれがはじめてじゃない。私はもう、慣れっこなのよ」
 鎖が鳴る。
 燐が眼を覚ました。
「薬が切れたみたいだな」
「…………」
「眠ったままでいればよかったものを」
「…………」
「ところで、なあ。古明地」
「なに」
「死刑執行人っていうのは、事前に飲酒を許されるんだ。そしてまた、受刑者には一服も」
 地面にべたりと落ちていたボストンバックを拾い上げる。盃と、葉巻が出てくる。
「終わるまで、待ってるよ」

********************

 手渡された葉巻をくわえ、火をつける。冷たい地面に転がされた燐を仰向けにして、さとりはマタタビの香りがするそれをくわえさせた。
「さとりさま……?」
 慌てた様子で煙を吐き出しながら、燐は腫れた眼でさとりを見上げる。
 自らに死が迫ることを嘆いたり、諦めたり。そういう眼では、到底なかった。
 状況が、まだ、把握できていない。
 拾ってきたばかりの子猫のような眼であった。
「久しぶりね、お燐。言い難いのだけど――」
 さとりは言葉を選びながら、燐に状況を伝えようとした。事実を整理しながら。燐の、丸い瞳を覗き込みながら。
「あなたは、これから。」

 『処刑されるのよ』

 そう、言おうとして。
 不意に、さとりは。
 あれ。
 なんで、私、この娘の死を許容しているのだろう。
 いまさらではあったが、そう思った。
「…………」
 無理じゃないか?
 無理だろう、それ。
 この時、唐突に。まったく脈絡なく。さとりは自分自身の心に屈した。
 見殺しにするなんて、できるわけがない。
 今まで散々指導者ぶってきて、理屈を並べてきた。正義を語ってきた。人のために尽くし、歯を食いしばって痛みに耐え、不義に涙することを堪えてきた。夜を徹し、昼を駆け抜け、あらゆる辛酸を呑み下し、身を斬って。機械のように使命に殉じて来た。

 しかし、そんな理屈や道理や正義などは、どうでもいいことだったのである。

 今ここで、生きている家族がいる。触れてしまえば、もう嘘はつけない。
「お燐。あなたを殺させなどしない。戦ってやる」
 勝鬨を上げ、腕まで切り落としておきながら。
 まったく手遅れな局面に至って、ようやくさとりはその事に気付いたのだった。

********************

 さとりが人間と非人間のハザマで揺れていることなど露知らず、勇儀は冷酒で頭を冷やしていた。立っていられず腰を下ろす。一口飲むごとに、過労でため息が出た。
 うんざりしているのは読んでいるあなただけではない。勇儀も同じだ。彼女のほうこそ、切実に停戦を望んでいた。なにせ、もう半年後には条約が失効する。地上勢力が侵攻作戦を発動させたが最後、数時間で地底は陥落するだろう。内戦などやっている場合ではない。しかし、真にきのこる先生ためには、強い地底を作らねばならない。この内戦こそが生みの苦しみなのだと、そう考えていた。
「…………?」
 その勇儀を支え、心を守っているのはただただアルコールによる酩酊でしかなかった。すべての鬼がそうしているように、酒による現実逃避を、彼女は生きるチカラに変えていた。
 その、酒を、湛えた盃が。
 不意に色を変えた。星のような光を、一点。水面に映している。
「なんだ?」
 周囲の輝度が上がった。闇が薄くなっている。光源がある。どこかに――どこだ?
 はじめは弱弱しい、ちらつくだけの光だった。誰かの装備が光を反射しているのだろう、と。そう思っていられたのは僅かの間だ。
 さとりがすっくと立ち上がった。その物腰は、明らかに何事か企図していた。勇儀は用心深く出方を伺う。なにかがおきている……なにかが!
 ふっ、と。
 あごが上がった。さとりが真上を見上げる。つられて勇儀も上を見た。
 みんな、同じ動作をした。
 その場にいた、数千の兵隊が。一様に。

「……」

 光を放つ。燃えている。赤く、白く、揺らぎ、どんどん、その径を大きくしている――あれは。
 なんと呼ぶのが適当だろう。
 この熱は、この光は、この色は、この現象は。紛れもなく、天体のそれだ。恒星のそれだ。




















   太陽。




















 少女が燃えていた。




















   霊烏路 空。




















********************
 
[勇儀と迷子の猫]


「さとり様」
 足元の燐が、呆然とするさとりの意識を呼び戻した。
「落ち着いて、簡潔に答えてください。今日は何月何日ですか」
「六月……ええっと。三日よ」
「マジか。三日も経っていただと」
「ねえお燐。なにがはじまるの」
「なにも起こりはしません。そんな意志はありません。こいつは、別に、なにか特別なことじゃあないんです。あの娘にとっては」
 太陽はその径をさらに増した。
 照りつける火はさらに強くなる。白く、地底が塗りつぶされ始める。
 明るい――それが、地底では、あまりにも異質だった。
 勇儀ですら、ぽかんと口を開けていた。こんなマヌケな表情を晒すのは数百年ぶりだ。武装した妖怪や鬼が、平常心を保っていられるリミットが遠からぬことは想像に難くなかった。
「特別なことじゃない、って……」
「あの娘はただ、私を探しに来ただけなんです、きっと。暗くて見つけられないから、『どうだ、明るくなつたろう』っていう……それだけのことで」
「そんな、馬鹿な。だって、あの娘、すごく……すごいじゃない!?」
「落ち着いてくだs――ぐげ」
 いつの間にか、あるいは最初からか歩み寄っていた勇儀が、燐の首根っこを掴んで持ち上げていた。
「あいつはなんだ。なんなんだ。なにが目的だ。全部吐け。でないと殺す」
「だから、今言ったじゃないですか! 聞いてにゃかったの!?」
「最初から言え! ワンモアセッ!」
「うっせえ! ともかく! 一切の手出しは不要です。決して攻撃を加えないでください! そう伝えるんだ、早く!」
「それは……無理だ」
「なんで!」
 燐は吊るされたまま、勇儀に食って掛かった。しかし、同じようにさとりも渋い表情をしている。
「お燐。私たちは、指令官なのよ。あんなに明らかな脅威に対し、無防備でいろとは、決して言えない。せめて、敵か味方かをはっきりしてくれれば――」
「――あの娘が、敵なわけがないでしょう!」
「では、味方なの?」
「違います! ええ、違いますとも! 味方じゃありません! でもあの娘に攻撃する意志はないんです。なぜ解っていただけないのか!?」
「なあ。あいつ。おまえに気付いたみたいだぞ」
「にゃ!?」
 心なしか燐は、自分を釣り上げる腕が震えているような気がした。
 空が、太陽が。
 地上に向けて、降りてきた。
 否応なしに、緊張が高まる――。

********************

 勇儀やさとりでさえも動揺していたのだから、この平地に集結した兵隊たちに冷静でいろなどというのは土台無理な話だった。それでも、さとりや勇儀が危惧したような攻撃行動は、ここでは起こらなかった。
「なんだろー、あれー」
「なんだろーねー。明るいねー」
「よく解らないけど、すごくないか」
「うん。あれはすごいと思うよ。こんなに遠いのに、熱を感じる」
 集った鬼の側の反応は、だいたいがそんなだった。あまりにも圧倒的な現象を前にして、戦意や敵意を抱くとかいう以前の状態に退行していた。より正確に言えば、一瞬で"格付け"が済んでしまった。敵うとか敵わないとかの話ではない、と。
 一方地霊殿の側はといえば、
「なんだろー、あれー」
「なんだろーねー。明るいねー」
「あれ、ひょうっとして空じゃない?」
「あら、本当だ。生きてたんだねー」
 と、こちらもほとんど鬼と変わらぬ反応を示していた。
 その、渦中で。

 メガネを掛けた妖精が、まるで光にあぶり出されるかのようにして、立ち上がった。
 "一回休み"はここまでだ。

 鬼の隊列の、ど真ん中で。
 彼女は再び、公の場に姿を現した。
「あれは核融合だね」
「かくゆう……ごう?」
「核融合。太陽とおんなじだよ。いやまさか。生きているうちに、これほど間近で、太陽の熱を感じられるなんてね」
 ありがたや、ありがたや。芝居がかった調子でメガネの妖精は手を合わせて空を拝んだ。
「かくゆうごう」
「かくゆう、ごう?」
「……核融号?」
 その名は瞬く間に広がっていった。理解の範疇を超えた現象に、なんとかして名前をつけようとする心理が働き、適当極まるこの二つ名は、後にスペルカードで上書きされるまで、まことしやかにささやかれ続けることになるのだった。

 核融号。

 彼女は眼下に目的の人物を……燐を探した。すぐに見つかった。
 灯りにしていた巨大な火球はもはや必要なくなったので、遠くに投げ捨てた。数十キロ離れた地底の端、岸壁に火球は当たり、熱量が解放されて……岩が溶け出す。この距離からでも、赤く赤く、赤く岸壁が溶融し、光を放っている様が観測できた。
 わっ、っと言って眼下が騒がしくなる。鬼の隊列が乱れ、地霊殿の面々が姿を隠す。
 しかし足元の騒ぎなど空は特に気にすることもなく、するすると降下する。
 彼女の目的は燐だけだった。
 彼女には燐しか見えていなかった。
 
 より正確には。
 燐のことしか、覚えてはいなかった。


********************


 勇儀は当然戦おうとした。みすみす燐を奪われたとあっては面子に関わる。しかし、その考えはさとりに筒抜けだった。上方に意識を取られていた勇儀は横から飛び蹴りかまして来たさとりに容易に足元をすくわれた。もともと酔っ払いばかりの鬼は平衡感覚が乏しい。無様にすっ転んでしまう。
「空、早くこの場を離れなさい!」
 さとりが燐を抱きかかえて、捧げるように空に手渡す。
「おりん、おりんー。わたし、お腹すいた」
「ああ、うん。解った。帰ってご飯にしよう」
 したたかに頭を打ったらしい勇儀がうめき声を上げながら地べたを転げまわる。その間に、空は燐をつれて再び高度を上げた。
「…………」
 去り際の速度も凄まじかった。片肺を無くし、高さも速さも失っていた空が、いまではどんな飛翔体も及ばない出力を備えていることは明らかだった。
「おくう、あの娘」
 ほんの一瞬、接触した時にさとりは心を読んでいた。
 観ただけでも解る。あの空は、その態度に、決定的に知性というものを欠いていた。
「もしかして……?」
「古明地このやろー!」
「いっけねえ、姐さんだ。逃げろー」

 さとりがケツまくって逃げ出した。
 あとには勇儀だけが残される。
「……クソッ。なんでこう、うまくいかねーかな」
 副官を呼び出し、勇儀は後退を指示した。これ以上この場にとどまるのは得策ではない。地霊殿が体勢を回復するより先に、隊列を組みなおし退却行動に移らねば全滅しかねない。
 作戦は失敗した。
 空の圧倒的火力を見せつけられる形で、状況は終了したのだ。
「…………」
 撤収はなかなか始まらなかった。
 指揮系統の乱れ。広がる動揺。空の存在が、ボディーブローのようにじわじわと効いていた。
 このとき。
 既に、勇儀の威信は、地に落ちていたのだった。


********************

[メガネとゲバルト]


 その後の推移は激流のようであった。
 星熊 勇儀が率いる鬼の軍勢は、停戦交渉の場で心理的な大敗を喫した。
 腹一杯に負け味を食わされてしまった兵隊は、もう使い物にならない。この経験と、核融号なる脅威への畏怖は体制側に速やかに浸透し、伝播し、感染していった。結果、体制側の軍は次第に命令伝達の遅れが目立つようになり、個々の部隊が勝手な判断で活動するようになっていった。そしてそれを止めるリソースは勇儀に残されておらず、治安の維持も、戦争も、組織だった展開が不可能になった。
 つまりこれは、どういうことだか、お解りになるだろうか?
 事実上の崩壊である。戦時下に、政府軍は空中分解したのだ。


 核融号が戦場に姿を現してから、一週間後。
 熟した機に乗じ、水橋 パルスィ率いる地底解放戦線が軍事蜂起――クーデターを起こした。
 国税局、警察本庁、最高裁判所、中央銀行、公開株式市場、軍糧秣庫、地底市立図書館、外資集積センター、政治犯収容所、国立地底劇場、陸軍大学、国防総省、農林水産省、首相官邸、そして酒蔵。
 十六時間のうちにすべてが占拠され、次の十八時間でこのうち半分が奪還された。
 しかし次の二十四時間には、あらゆる状況が再び塗り替えられた。

『地霊殿 見参』

 さとりが機械化された大隊を前面に出し、地底の主要都市と、首都機能を奪うべく陸上戦を開始したのだ。
 進撃速度は毎時十五キロメートルという破竹の勢いであった。もとより地底市民は戦争に疲れきっていたし、スペルカードの自由を保障するさとりは大いに歓迎され、妨害はなかった。散発的に襲ってくる鬼は組織された地霊殿の対応に及ぶところなく、昼も夜もなく戦い続けた午後六時。戒厳令により街から人が消える時刻に、先遣隊が勇儀が座すという首相官邸に突入した。


 一番槍を務めたのは"ソンビフェアリー"と呼ばれる、妖精を主体とした部隊だった。結成されたばかりで、練度も装備も経験も足りていない寄せ集め部隊ではあったが――むしろ、即席部隊ほど寄せ集めのほうが上手く行くというのは良く知れた方法論である――死を恐れぬ特攻で数知れぬ戦果を挙げていた。
「これから首相官邸を攻める。敵の本丸だ。気を抜くな。いつものように、死ぬ気でかかれ。隙あらば命を投げ捨てろ!」
 隊長のメガネが、車両内で作戦方針を提示する。
「ゲバ棒の角を使うな! 先端で打て! 相手は百戦錬磨のシークレットサービスだ。盾で密集陣形を取られたら無理に攻めずに私に任せろ。また、今度ばかりは普通の妖怪でなく、鬼が相手になるだろう。常に三人一組でかかれ。孤立したら、手近な敵と心中しろ。鬼を一人でも潰せたら大戦果だぞ。年金が欲しけりゃ、トっコんで行けッ!」
 車両が速度を上げる。
 それを合図に、ゾンビフェアリーたちは、地底解放を謳うプラカードを手にとって、看板部分を叩き折った。角材の、長い棒だけが残る。車の窓からたくさんの看板が投げ捨てられ、土煙にまぎれてガラガラと鳴った。
 やがて首相官邸の正門が見える。門扉は硬く閉ざされていた。
「距離、五〇。正面、車速維持……撃て!」
 どこにでもある、トタン製のパイプで作った簡易迫撃砲。発射剤にはコンビニでも買える液化ブタンを使っている。通常は硫酸弾や硫酸弾の発展系である焼夷弾が手作りされるのだが、今回は珍しくまっとうな"武器"であるコンカッション手榴弾を持ってきていた。分度器を拡大コピーして作ったミル表示板がついている。実績誤差五メートルの砲撃が可能だった――
 ――膨張圧力で打ち出された手榴弾が、弧を描き正面の門にぶち当たる。続く爆発が血路を開いた。
「ゴゥ! ゴゥ! ゴゥ! ゴゥ!」
 午後六時六分。
 指揮官であるメガネが走り出し、一斉に呪精が強行突入を図る。屋上からの狙撃で妖精の何人かが足を撃たれてすっ転ぶ。しかし、誰もこれを助けに戻ったりはしない。立て篭もる鬼たちに動揺が広がった。
「第三班、四班と合流! 右翼を強化しろ!」
 ゲバ棒を振り回すのではなく、槍のように突き出す。指揮に走り回るメガネの進路に鬼が飛び込んでくるが、流れるような動作でゲバ棒を突き出し腹部へのクリーンヒットを奪い、無力化。メガネは走る。各班の足並みをそろえる。
 前庭に展開していた鬼が、正面玄関に波のごとく殺到する呪精を押し留めようとアーチを組んだ。ポリカーボネート製の防護盾で密集防御。ゲバ棒と盾がドラムロールを奏でる。僅かな接触。メガネたちはビクともしない鬼の腕力を感じて一歩退き――
「大好物だろ、これっ!」
 ――火炎瓶を投げつけた。
 迂闊に手出しできない相手に対する、メガネの攻撃オプションはまったくシンプルだった。エタノールとウエスとスミノフの瓶で作った火炎瓶は瞬く間に燃え広がり、鬼が火に包まれる。たまらず消火器を取りに走り出した鬼は、その消火器で殴られていた。
「もっと燃えるがいいや」
 有害ガスと煙で悪化した視界のなかで、しかし、なお鬼が作るピケットラインは堅持されていた。ゾンビフェアリーが投入された作戦でここまで持ちこたえたのはこれが初めてだ。突入後五分で大概の標的は陥落する。だが、今回はまだ正面玄関にも辿り着いていない。しかし。
「いいぞ、突っ込め」
 煙にまぎれて。エンジン音が響いた。
 手持ちの爆薬――硝酸アンモニウムに軽油を混ぜただけの、粗末な硝安油剤爆薬――すべてを積み込んだテクニカルが、ガンバレル中を疾駆する高濃縮ウランよろしく正面玄関向けて加速した。総重量二〇七〇キログラムのドアノッカー。この運動エネルギーと化学エネルギーの前では、たとえ鬼が怪力乱心を誇っていようと、何の意味もなかった――比較にならなかった。

 炸裂する。

 官邸の半分が吹き飛ぶ。メガネたちがゲバ棒を杖代わりにして雪崩れ込んだ。爆発して十秒と経っていない、炎や煙がくすぶるガレキの上を踏み越えて。
「星熊 勇儀はどこだッ! 首を取りに来た! 首を取りに来たぞぉ!」
 どう考えても首は切り取れそうにない角材を構え、メガネが声を張り上げながら二階へと駆け登った。高級な赤絨毯の上を、泥だらけで穴の開いたスニーカーで闊歩する。声に応ずるように扉のひとつが僅かに鳴った。間髪入れず扉を蹴破る。中には鬼がいた。みな、震えていた。
「投降する。星熊 勇儀は、ここにはいない」
 目の前にいる鬼は、白ヘルと血で染まったタオルで覆面する呪精たちを心底恐れていた。
 嘘をついているようには、見えなかった。 


********************


 かくして。
 首相官邸に立て篭もった残党を駆逐し、首都機能のすべてを掌握したさとりは……一日にして……一日にして! 電撃的に、地底の支配者に上り詰めた。
 パルスィのクーデターは失敗した。
 だが、さとりは併合戦争で勝利した。
 星熊政権は滅び、地底は名実ともに、新たな時代を迎えようとしていた――

「パルスィ! また会えて嬉しいわ」
「ちゃっかり人の手柄横取りしておいてその笑顔はないでしょう妬ましいああ妬ましい」
 遅れて官邸に到着し、さとりと合流したパルスィはそういって頬を膨らませた。彼女が提供した地底各所の重要地点を示した地図や、内装に関する情報が無ければ戦争の趨勢はまた変わっていただろう。
「それはそうと、勇儀ってどこに行ったのかしら? あなた、逮捕した?」
「してないわよ。あなたが逮捕したんでしょうああ妬ましい」
「おかしいわね」
「妬ましいわね」
 星熊 勇儀は行方不明となっていた。
 意外だった。
 さとりもパルスィも勇儀は素直に負けを認め、引責するものだと思っていた。勇儀は立派な鬼であると信頼していたのに。予想外だった。
「行方不明といえば……お燐とおくうは?」
「そっちも、姿を見せないのよね」
 核融号の正体が空であることを知らされたとき、パルスィをはじめとする地底解放戦線の幹部は生存を驚くよりも、むしろなんとなく納得していた。
 だがしかし、それならば。
 なぜ今の今まで、合流を図ろうとしなかったのか。
 なにか、異なる目的のために動いているような、そんな気がしてならないのだった。
「それで、さ」
 パルスィを引き連れ、放送室に入る。
 原稿は既に用意してあった。暗記もしていた。パルスィも頷く。
 さとりは、これから地底全土に向けて戦争の終結と暫定政権準備委員会の発足を宣言するのだ。同時にパルスィから、当面の生活に関するガイドライン、配給、給水、公共サービス、役所での対応等々のアナウンスがなされる。
「この放送が終わったら。明日から数日間、休みが欲しいの」
「は?」
「どうしても、行かないといけないところがあるのよ」
「え、あんた。この大事な時に政治的空白つくるとか、頭イカれたの?」
「私はイカれてないけれど、イカれそうになってる娘がいるのよ」
「まあ……そこまでいうなら。しばらくは食糧の輸送とインフラ復旧、残党の警戒くらいしかないから、良いけどさ」
「ありがとう。解らないことは、メガネに聞いて」
「やれやれ。私だってここ二週間、マトモに寝てないんだから。あんただけ先に休み取るって、ツケは大きいわよ」

 ラジオ放送が始まった。
 地底の各地で、歓声が上がる。その声は、半壊した首相官邸にあってよく聞こえた。
 メガネがヘルメットを脱ぎ、ゲバ棒を放り投げた。腰を下ろし、温めた缶詰の食事を摂っていたメンバーたちも、ようやくその時が来たのだな、と静かに納得してヘルメットを外す。
 角材の転がる、乾いた音が響く。

 ゾンビフェアリー。
 彼女たちの戦争は、今日この日をもって終わったのだった。


********************

[さとりとスペランカー]


 翌日、未明。
 さとりは装甲車を一台調達し、『戦災復興、通信インフラ整備』というペイントを施した。荷台に通信機器と水、食料、そのほか野外で自活できる程度の装備を積み込み、エンジンをかける。
「ぃっつー……まだ、こっちで運転は無理か」
 左手でハンドルを操作しようとしたが、腕力を込めると腕が軋む。まだくっついてすらいないのだ。素直に右手でハンドルを握った。片手運転で地底首都高を走る。あちこちに煙を上げる車両がひっくり返ったまま放置されていた。
 一時間ほどゆっくり走り、左にウィンカーを出した。首都高を降りる。車両は坑道跡地へ向かっていた。
 このあたりまで来ると、ほとんど生活の匂いがなくなる。ゴーストタウンと化した街や、閉店して久しいガソリンスタンドがまばらに見られるが、人気はまったくない。戦火もここまでは及ばず、静かな心寂しさが漂っていた。その中を物々しいランドローバーが押し通る。
 やがて、世界の端っこに到達した。岩壁が一面に広がる、地底の終点。だが、車道はその終点に、壁に当ってなおその先に続いていた。今は塞がれてしまっているが、かつてはここに鉱山があったのだ。その名残である。
「ええっと。ここでいいのかしらね」
 さとりは入り口であったであろう場所に触れた。物の記憶を読み取る……専門ではないその能力を、さとりはユーキャンの通信教育により習得していた。
「イ552号。ここだ」
 地底の端っこには、このような坑道が無数に拓けている。地底市立図書館は奇跡的に資料の焼失を免れていた。さとりは官邸入りする以前にこの図書館に寄り、地図と旧政府が発行した鉱山開発許可一覧を入手していた。
 この、道を辿れば。
 目的地へ、最短でたどり着ける。
 車両に積み込んでいた膠質ダイナマイトを持ってくる。電動穿孔機で穴を開け――このときの振動は、さとりに泡を吹かせるに十分な苦痛だった――爆薬を填塞する。結線し、十分な距離を開け、発破した。十五トン分の土と岩が除かれる。風が流れ込んでいった。さとりはアサヒペンのラッカースプレーを取り出し、大きく壁面に印を書く。自分はこれからここに潜りますよ、と。
 SUVは坂道を下っていった。
 坑道は入り組んでいた。かつては一定の規格に基づいた道しるべが置かれ、迷わない工夫がされていたのだろうが……数十年、ひょうっとしたら百年以上を放置され、その間雨水や地震の影響を受けたためであろう。ほとんど迷路のようになってしまっていた。
「けど、私は迷わない」
 さとりは坑道に潜り、しばらくは細い道を辿っていたが、やがて幹線道路に相当する道に到達した。近代のトンネルのようにコンクリート舗装され、整えられた空洞。この道を主軸として、枝葉のように坑道は伸びていくのだ。さとりはこの道を知っていた。地図も持ってきてはいたが、必要なかった。なにせ、ここは。この鉱山は。
「私と勇儀が、拓いた銅山だものね」
 いくつか細かい障害を乗り越えて、さとりはさらに置く深くへと潜っていった。途中、地下水が噴出していたり故障したまま放置された機械類があったりしたが、この足を止めるほどではなかった。徐々に進む道に光が見え始める。空気の変化を感じる。
 そして、一際広い場所に出た。
「着いたか」
 さとりが車を降りる。手には信号拳銃が握られていた。やや斜め上を狙って打ち上げる。硝酸バリウムとマグネシウムが反応し、闇を照らし出し――現れた光景に、さとりは声を失った。

「どういうことなの……」
 明滅する光に照らし出されたのは、一面の花畑だった。

 さとりが足を進める。なにかを踏んだ。足をどける。
「…………?」
 一瞬、何なのか解らなかった。
 会場入り口に敷き詰められた、ピンナップの踏み絵。
 ちょうど、それを踏んだら、こんな印象を得るのだろうか。
「顔みたい……顔だこれ」
 足元に在り、さとりのスカートの中身を見上げる形で転がっていたのは、何であろう。腐りかけた死体の頭だった。
 周辺を見渡す。
 真っ白い、花が、見渡す限り咲き誇る、その地には。
 同じように見渡す限り、死体が敷き詰められているのだった。
「わーお」
 さとりは空を飛ぶことにした。装備が両肩に重く沈みこむ。耐えるほかない。照明弾が落ち、再び闇が戻った地底大空洞の中をふらふらとさとりは飛んだ。
 その視線の先に、ようやく。
 さとりは、探していた少女を見つけた。
 彼女は闇の中にあっても、まったく周囲から浮き上がって見えた。それは、なんてことはない。彼女自身が光を放ち、辺りを照らしているからに他ならなかった。
 その少女は無邪気に野原を、死体で埋め尽くされた花畑を、まったく地獄でもこんな地獄みたいなところはないような地獄を、裸足で、楽しそうに、笑いながら、駆け回っていた。
「おくう!」
 声をかける。
 少女が、くるくるした、真ん丸い瞳を向けてきた。
「うにゅ。だれ?」
「おくう。さとりよ。あなたの、主人だった」
「わかんない。うあ? そろそろ時間だから、行かなきゃ」
 空は、そういって背を向け、走っていった。
 さとりは、ただただ立ち尽くす。

 ――今まで空に与えたものは、数え切れない。
 ――今まで、空に貰ったものも、無数にある。
 共に暮らし、糧を分け合い、心を通わせ、思い出を共有してきた。
 紛れもなく、家族だった。
「空……酸素欠乏症にかかって……」
 その空はもはや、さとりのことを、欠片も覚えてはいないのだった。


********************

[燐と地下核実験]


 ハイビームが立ち尽くすさとりを照らしだした。荷台に、黒いビニールシートで包んだ荷物をたくさん載せたハイラックスに乗って現れたのは、誰であろう。逆行の中でも解る特徴的な三つ編みと、二又の尾。
 火焔猫 燐。
「さとり様? さとり様じゃあないですか! なんでここに」
「お燐。一週間ぶりね。元気にしてた? ここのことは、あなたと会ったときに読ませてもらった。突然お邪魔してごめんなさいね」
 燐はさとりを乗せて、住居へ向かった。かつてさとりが使っていたプレハブの事務所を改装して作った家屋。数十年放置されていたが、頑丈な構造で部屋数も多く、快適な空間に仕上がっていた。
「さて……お燐。空のことなんだけど」
「ああ。さとり様は、もうあの子に会われましたか」
 暖炉に火を灯し、椅子を勧める。さとりが持ち込んだコーヒーを温め、ぽつぽつと燐は経過を語りだした。
 曰く。
 燐は空が死んだと聞かされて以来、最初期の基地で彼女を待ち続けていたのだという。危険であることは承知していたが、当時の燐は自棄に陥っていた。一ヶ月は平穏に過ぎたが、しかし捜査の手は確実に燐の元へも迫っており、ついに潜伏後三十七日目に燐は逮捕された。
 地底解放戦線の重要幹部と目されていた燐を生かしたまま逮捕することは体制側にとって良いことばかりではなかった。釈放や報復のために起こる第二、第三と連鎖するテロのリスクに対し、燐が持っている情報はあまりに少なく、うまみがない。そこで逮捕に赴いた鬼たちは、なんということだろう。
 彼女をその場で暗殺することにしたのだ。
 その期に及んでも、燐は抵抗さえしなかったという。
 燐の頭が、まるでクレーンゲームの景品のように持ち上げられ、その首がへし折られようという、まさにその時。
 地底に、はじめて、太陽が現れた。
 空だった。鬼はキレイに蒸発した。どういう巡り会わせか。燐は空によって助けられ、そして空もまた燐の助けを必要としていた。というのも、その時から既に、空は重度の痴呆を患っていたのだ。
「……痴呆?」
「ええ。さとり様も会ったのでしょう、あの子に。あの子は一日のうち、三分の一はああやって三、四歳児程度の知能しか持ち合わせていないのです。残りのほとんどの時間は、寝てすごしています。そして、さらに僅かな時間だけ……空は、いつもの空に戻るのです。私たちが知っている、空にね。もちろん、いずれの状態でも核融合のチカラはそのままに……」
「ちょっと、なにそれ。どういうこと? そんな症状、聞いたことないわよ」
 燐はかぶりを振った。自分に言われても困る。
「ただ、あの子が自分で説明したところによると。平時の、つまりは、さとり様が会ったような空は……意識がない状態なのだそうです。意識がないといっても、別にこいし様のように無意識で行動しているわけでは在りません。
 唐突ですが、さとり様は意識というものをどのようにお考えですか?
 サトリ妖怪にこんなことを言うのもおこがましいですが……空が言うには、意識なるものは、根本的な生への欲求が成長とともに細分化され、環境の中で淘汰され、さらに思索による条件付けで取捨選択された結果残ったモジュールのアセンブリに過ぎないのだそうです。無数のランダムな因子が作用し、ミクロな電子的揺らぎにさえ左右されながら、非可逆的なアウトプットを示す――テラオーダーのサイクルとその連続――それこそが、意識の本質なのだと」
「つまり。今のあの子に意識がない、ということは。あの子は"本能"で生きているに近い状態である、と。そういうこと? まったく、幼児のように。不快には泣き、不快が去れば眠る、というような……機械仕掛けのように単純な反応しか示さない、心に乏しい状態だ、と」
「ええ。そういうことだと思います。事実、あの子は今そんな感じですからね」
「しかし、だとすると解らないわ。なぜ空は、最初に燐のところへ行ったの?」
「さー、さあ? それは解りませんね――」
 ――と、言ってはみたものの。
 燐の嘘は、さとりに筒抜けであった。
 空が自分で言った。白状したのだ。
 基本的な欲求で生きているといっても、空の身体は幼児のそれではない。意識だ無意識だといくら論じてみたところで、身体を無視しては正解にたどり着けない。早い話、成熟した空の身体は、燐の味を覚えており、空はそれを求めた。
 頭では覚えていなくとも、身体は燐のことを覚えていた。
「話変わるわ。あの子、なんであんなチカラ身につけちゃってるの? なんかあったの?」
「それはですね……あの娘が痴呆を患う原因が、そもそもあの核融合のチカラなのですよ。空の話では、彼女は頭の中で巨大な知性と同居しているそうなんです」
「二重人格、みたいな?」
「いいえ、人格は一個しかありません。今の無邪気な空は、ただ夢遊病のように寝ながら歩いているようなものですし、巨大な知性とかいうヤツには、そもそも人格はありません。だいたい、多重人格なんてものは存在しません。それはさとり様が一番良くご存知でしょう」
「ええ。まあね。誰だって、いくつも異なる欲望のモジュールを備えている。それを多重人格と呼びたけりゃあ、呼べば良い」
「話が逸れましたが……核融合はその巨大な知性が制御しているらしいんです。しかし、この巨大な知性は身体から乖離した存在で、この物質界ではなく気質界に窓口がある。私たちとは次元の異なる存在なんです。今の空は、スーパーファミコンでウィンドウズ2000を起動するような、そんなオーバースペック状態にある」
「そんな使い方を続けたら、スーパーファミコンは。空はどうなってしまうの」
 さとりが、答えをうすうす予測しながらも聞いた。
 燐が再びかぶりを振る。諦めが漂っていた。
「どうしようもありません。最初から、脳細胞の破壊という弊害は起こっていた。遠からずあの子は死ぬでしょう」
「なにか、手はないの」
「あります。空自身が、気質界の住民になれば良いんですよ。自意識を捨てればいい。
 あの子はまだ第五開放能力者ですが、自意識を捨てれば第六開放能力者の要件を満たします。そうすれば、死ぬと同時に第七開放状態、つまり気質界の第一開放状態にシフトします。しますが……私は、嫌です。空も、嫌だといっています」
「なぜ? 種族が違えど、ともに在れる。ここはそういう世界のはずよ」
 ハハハ、と燐は乾いた声で笑った。
 さとりが少し赤面する。らしくもなく、ロマンチックなことを言ってしまった。
「種族が違うとかのレベルではないんですよ。神様だったら、まだ気質なので触れられます。でも、空は違う。気質界に存在するヤタガラスも、あくまでプロトコルに過ぎない。巨大知性の本体は、更なる高みに存在する」
「それでは……あの子は、あくまでも。"こっち"で死ぬと。そういう心積もりなわけね」
「止めようったって、無駄ですよ。私たちは、自分の道は自分で選ぶ。自由なんですから」
「…………」
 黙するしかなかった。さとりは、自分の手を離れていった子供を思うような気持ちで、悲しみを噛み締めていた。
「まだ聞いていなかったけど。あの子は、そもそも、どうやってあんなチカラを手に入れたの」
「なんでも、蛇の神様から奪ってきたのだとか。鳥は世界中の多くの神話で、太陽の象徴です」
「そして、蛇は闇の。鳥と蛇は多くの場合、戦ってきた。そして勝つのは鳥……まったく。どこの神様か知らないけれど、よくも私の空に妙なものを仕込んでくれたわね」
「私も同感です。けれど、空は違うっていうでしょうね。自分で、奪ってきたのだ、と。」
「言うなら言えばいい。私にとってはやっぱり、あなたたちは、大事な家族のままなのだから」
 その折。
 窓の外が、光に溢れた。
 さとりがカーテンを開け放つ。天蓋近くに空がいた。太陽を指先に灯して、周囲に光と熱を放出していた。
「あの子の、習慣みたいなものです。さとり様。やはり、あの子は優しい子です。花を咲かせ、育てることを。意識がなくても、楽しんでいる。糧を与えること。それがあの子の使命なんです……生来の」
「明るいわね」
 見上げる空は、制御棒を操り、自身の放出する致死の放射線を別種の電磁波に転換していた。全く楽しげに、無邪気に、空を舞い、エネルギーを届ける。その姿を見れば納得せざるを得ないだろう。
 空は。
 霊烏路 空は。
 正真正銘、馬鹿なんだな、と。


********************

[さとりと秘密]


「おりん! ただいま!」
 泥だらけで帰ってきた空は、玄関を開けて走り入るやそのまま燐に抱きついた。
「おおっと。おかえりおくう。今日はお客さんが来ているよ」
「また会ったわね」
「うにゅ。だれ?」
 空は、先ほど会ったさとりのことさえ覚えてはいなかった。顔を覚えていないとか、印象に残らなかったとか、そういうレベルでは断じてない。短期記憶だけで生きているも同然だった。
「さとり様。落ち込まないでください」
「落ち込んでなんか、ないわ。ここにいるのは空。私はそれで、満足よ」
「おくう。ちょっとだけ、じっとしててね」
 燐が言い聞かせると、空は「はい!」と元気に返事をして従った。気をつけの姿勢のまま動かなくなる。
「撫でてあげてください、さとり様」
「……?」
「この子は……私もですけど。さとり様に撫でられるのが大好きだった。きっと、身体は覚えていますよ。撫でてあげてください」
 おずおずと、薦めに応じてさとりが手を伸ばした。
 硬い、黒髪に触れる。くしゃくしゃとかき混ぜた。力強く、押し込むように。空はそうされるのが好きだった、と。さとりも思い出していた。
「うにゅ? うにゅー……」
 空は。
 最初こそ戸惑っていたが、やがて眼を細め、気持ちよさそうにこれを受け入れる。
 その日は。
 そうして暮れた。

 さとりは予定通り、その場に留まった。寝室も寝具は豊富にあり、食料や水にも余裕がある。加えて、さとりが持ち込んだ物資もあり……背嚢から黒ギネスの缶が取り出され、酒盛りが始まった。
「え!? きのう戦争終わったんですか! もう逃げ回らなくて良いんですか! やったー!」
 ラジオ放送もここまでは届いていなかったらしく、燐は遅ればせながら戦争の終結を喜んだ。
「だからさ。また、一緒に暮らしましょうよ。パルスィも、ヤマメも、キスメも待っているわ」
「うー。どうしようかな。迷ったな」
 燐が逡巡する。
 空との、二人きりの生活。不便も多いが、燐は今の生活に平穏と満足を感じていた。
「おくうは、どうする? どうしたい?」
「うー……にゅー……」
 燐のひざを枕代わりにして、空はいつの間にか寝こけていた。すやすやと。全く、安らかに。
 物言わずとも、意識がなくとも。
 その寝顔だけで、空もまた満ち足りていることは、明らかであった。

********************

 三人とも寝静まって、しばらくしてから。
 みしりと。
 床が鳴る音で、さとりは目覚めた。
 昔。まだ、こいしが無意識を操る術に習熟していなかったころ。
 当時からこいしには放浪癖があった。夜毎に抜け出し徘徊することが常態化していた。速ければ五分で満足して帰ってくるが、長い場合では、ついに五年間抜け出しっぱなしで帰らないなんてこともあった。以来、さとりはこいしがどこかへ行ってしまうのではないかという不安を抱えるようになり、妹の抜け出そうとする足音に敏感になった。その頃身に着けた習慣が、さとりに、今、眼を覚まさせていた。
「おくう……?」
 窓から外をうかがう。
 制御棒を携えて、花畑をまっすぐ進んでゆくのは、紛れもなく空だった。
 その物腰。
 明らかに、今までとは違っていた。歩き方だけで解る。知性がある。空だ。空が、出現したのだ。
 急いで靴を履き、さとりはこの後を追った。
 走った。
 声をかけようかと思い、やめる。空がこうして、人目を忍ぶようにしているのには理由があるはずだ。
 なにか、嫌な感じがした。

 ――さとりの心を読む能力を、侮ってはならない!

 いくら意識がないといったところで、それでサトリから全く逃れられるわけではない。さとりは自分自身の能力に投資してきた。能力を伸ばしてきた。成果として、さとりは感じていた。
 空の中に、なにごとか。
 後ろめたい、なにごとかを。
「のわっぷ!」
 先を急ぐあまり、足元の骨に躓く。ほとんど土と同化していた死体に顔を突っ込む羽目になる。不快感はない。腐ってはいない、豊かな土だった。立ち上がり、服を払うと綺麗になった。再び空を追おうとするが。
「あれ、どっち行ったあの子」
 見失った。足を迷わせる。そして気付いた。
「この先って……!」

 鼻につくアルカリ臭と、かすかに、眼に刺さるような刺激。
 咲き誇っていた花々は、背後でまばらに途切れていた。
 この先には……まるで。
 瘴気が濃く、進めないでいるかのように。

「廃坑道! アルカリ湖に向かったのか、あの子は……!」
 そう。
 さとりと勇儀が切り拓き、度重なる開発により起こった鉱毒と、人工の湖がある、この鉱山は。
 今では死体の処分場になっている……あの廃坑道なのであった。
 さとりは確かに。最初、ここに来た時に驚いた。
 死体があることは、解っていた。だからそれは、どうでもよかった。たくさん、足の踏み場もないほど死体があることも覚悟していた。だからそれにも驚かなかった。しかしただ、ただされど、この呪われた地が花に覆われていたことに、違和を感じたのだ。
 その秘密が、この先にある。
 ゆっくり歩く。アルカリ湖へ向かう。
 空がうずくまっていた。
 なにかを、一心不乱に掻きまわす、水音が響く。
 足元にはアセチレンランプが、弱弱しく、まるで空を隠すかのように輝いていた。
「おくう」
「……さとり様ですか」
 声をかけた。
 空が立ち上がる。
 その手には、脊髄をぶら下げた、新鮮な死体の、頭部があった。
 口の周りにはべったりと、血と脳漿が付着している。

 食べていた。


********************

[うつほと死骸]


 空の足元にはいくつも黒いビニール袋の塊があった。今、空がハンバーガーにかぶりつくように食らっていたその死体が、燐によって運ばれてきたものであることはすぐに解った。
「生食? お腹壊すわよ。大丈夫なの?」
「あはは……嫌なところを見られちゃいましたね」
 地獄烏。
 そんな妖怪がいるとすれば、きっとこんなだ。
 地獄の釜の底の底。落ちてきた死体をむさぼる、下賎な妖怪。
「下賎だろうがなんだろうが、私も生きるに必死なのです。お見苦しい様を、お許しください」
 言うや空は再び頭蓋骨に口を突っ込んだ。血管も細胞も脳漿もまとめてぐちゃぐちゃにかき混ぜたペースト状のたんぱく質の塊を、ずるずると吸い込む。醤油と鰹節は持参していた。
「ハムッ ハフハフッ ハフッ」
 うましうましと一頻り脳みそを食べ終わると、丁寧に頭蓋骨に張り付いていた大脳新皮質をはがし始めた。うまくはがせたらしく、空は心持上機嫌に、新皮質で基底核を包んでぱくりと食べた。たまらず笑顔。
 あんまりにも、おいしそうに食べるもんだから。
「なんだか私も食べたくなってきちゃったじゃない」
「あげませんよ」
 二人めの死体をビニール袋から取り出して、空はまるでカニのふんどしでも外すかのような慣れた手つきで顎を外して、頭を横に、真っ二つにしてみせた。百八十度ひねって思い切り引っ張ると、ずるりと脊髄が抜ける。あらかじめ背中に食べやすいよう切れ込みを入れておいたのだ。
 器のように、頭蓋骨が取れる。フタに相当する視床脳と神経網を取っ払い、またずるずると食べ始め……食べながら、話し始めた。
「燐に、私のことは、大体聞きましたか?」
「ええ」
「たぶん、このことは説明していなかったと思います。私自身、医師の診断を受けたわけではないんですけど。たぶん、脳細胞がたくさん死んじゃったせいで、生存に必要な脳内麻薬の生産が止まっちゃってるんですよ。わたし。だからこうして、お燐が拾ってきた死体で経口摂取している。そういうわけです」
「素人診断は良くないよ。ちゃんとお医者さんにかからないとダメだよ」
「ええ、ごもっともで。でもヤマメには会えていませんし。私たち、追われる身ですし」
「戦争なら、終わったわ。私が、終わらせた」
「さとり様ア! なにを言っているんですか。星熊 勇儀の逮捕が、まだでしょう」
「――なぜ、それを知っているの?」
「推理ですよ、推理。まあ、そうなるんじゃないかな、って思ってたんです。ね、さとり様」
 スプーンで頭蓋骨の底に残った透明な血液をかき集めながら、空がとうとうと語る。
「私がなぜ、この場所に潜伏しているか。解りますか」
 その解はいくらでも考え付く。だが決定的なものはない。どうやら、空にはなにか、大きな目的があるらしい。
 心を読んだ。
 読みきれなかった。
 今の空は、ダイレクトに気質界の窓口と繋がっている。空の脳内ではより高い次元から落ちてくるデータの奔流と自意識が激しい戦いを繰り広げていた。外見上は余裕を保っているが、普通に生活するだけでもこの有様なのだから核融合の能力を発動しているときはどうなってしまうのだろうか。
 脳にはダメージが蓄積している。
 遠からずバッファオーバーフローを起こすことは、目に見えていた。
 いずれにせよ、さとりは空の、そんな頭の中から、求める回答を探し出すことができなかった。あの戦場に割り込むには戦車のように強靭な攻性防壁が必要だ。今のさとりにそれはない。

「実をいうとですね。今日、このときのためだったんです」

 空が、食べ終えた頭蓋骨を丁寧に袋に戻し、荼毘に付す。そろいのTシャツを着た名も知れぬ誰かの死体は核熱により灰に還った。この熱は上位階層から引き込むエネルギーだ。保存則の埒外にある。ゆえに焼却にエネルギーを使うことにためらいはなかった。灰に戻った資源が新たな肉になるのを、援ける。エントロピーの絶対減少。極端に言えば、空は、そういうことに、喜びを感じているのだった。

「この場所に。罠を張って。誘き寄せたんです。私はあなたを待ち伏せていました」

 いったい、誰を? さとりが頭上に浮かべた疑問符は、制御棒のフルスイングで粉々に打ち砕かれた。遅れて届く、風を切る音。ステンレスの塊が、巨大な鈍器が、さとりの頭上高くに持ち上げられた。思わず後ずさる。カカトに冷たくて硬いなにかがぶつかった。ビニール袋の上にしりもちをついてへたり込む。今の空にはそれだけの迫力があった。

「まさか。こんなに思い通りに行くとは思っていませんでしたがね……覚悟は良いですか」

 パチパチと音を立てて燃える死体たち。この中に埋没すれば、誰が誰かなんて解らなくなる。殺すには絶好のロケーションだ。そこに、さとりは、ホイホイ誘き寄せられた。

「ちょっと、おくう――!」
「動かないでっ!」
 
 ぎゅっと、さとりが眼を瞑る。そのド頭に、制御棒が、したたかに打ち据えられた。
 遠慮のない、一打。
 ごーん……と。
 さとりの頭蓋骨と制御棒は、それはそれはいい音を出した。鐘が鳴るかのような重低音が響く。音叉のように震える右腕を抑えて振動を消した。
「…………うぅ……っ」
 まだ、意識があったようだ。頭から血を流しながらも、さとりは生きていた。
 当たり前だ。
 無遠慮でも。死なないように、殴ったのだから。
「さとり様。そいつはただの脳震盪です――さて」
「なんで……」
 強烈な吐き気に襲われながらも、さとりは声を絞り出した。手を伸ばす。象の足に触れる。そっと、さとりの身体が持ち上げられた。背後には……音を聞きつけたのだろう。燐が控えていた。
「さとり様を送ってやってちょうだい」
「解った。気をつけてね」
「空ッ! 答えなさい、あなたはなにをしようとしているの!」
「うわっ」
「ひゃぁ」
 猫車に乗せられたさとりが叫んだ。今の状態で、ここまで声を張れるものなのか。それきりさとりはぐったりと動かなくなる。しかし、依然として充血した眼で空を睨んでいた。
 さとりの。
 家族を思う、心が彼女を支えていた。
 根負けした空が、足元をゆび指す。
 黒い、ビニール袋が転がっている。
 先ほどさとりがつまづいたヤツだ。
 その、黒い、ビニール袋には、角が生えていた。
 もしも中に死体が詰まっているのなら。
 ちょうどそこには、頭があるだろう。その位置に。


「だから。待ち伏せしていたんですよ。私は」


 角が動いた。言っちゃなんだがマヌケだった。
 内側から、封が解かれる。軽々と、厚手のビニール袋を破り去って現れたのは、誰であろう。
 敗残し、野に下ってなお、志一つを叶えるため空の前に立ちふさがったのは、誰であろう。
 語られる怪力乱心。

 星熊 勇儀。


********************

[勇儀と歴史]


 勇儀は起き上がるや、のそのそとビニール袋の中から盃と酒瓶を取り出した。
 空が一人になる瞬間を狙うためだったとはいえ、身動きの取れない状態で機をうかがい緊張を保っていた彼女は、すっかり疲れてしまっていた。鬼にこんな作戦は似合わない。彼女自身、よくそう思っていた。
「私は」
 駆けつけ三杯を飲み干してから、勇儀がおもむろに口を開いた。
「私のほうが、あんたを待ち伏せしていたつもりだったのだけど……どうやら、その口ぶりじゃ、誘い込まれたのは私のほうらしいね」
「ええ。まさか、さとり様まで来ちゃうとは思いませんでしたけど」
 やれやれ、と肩をすくめる。
「もしもあなたと戦うと知ったら、さとり様は加勢を申し出るでしょう。強固にね。それは避けなければならなかった――ぶん殴ってでも。さとり様にはさとり様の仕事がある。もう、殺し合いは、私とあなたの間だけで十分だ」
「うん。私もさ、おまえさんだけ殺せれば良いかな、って。今はそう思っているんだ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。こと今に至っては。政権の座を追われた以上、スペルカードは認めよう。だから、今更さとりにゃ用はない。そっちにいる、火焔猫も……せっかく拾った命なんだ。大事にしなさい。ただし霊烏路、オメーはだめだ。

 地上を目指すことは、これは絶対に許されないんDA!

 私はずっと、地底を守ってきた。邪悪で残酷な世界から隔離する。元をただせば私の願いはそれだったんだよ。この際スペルカードルールは不愉快だけど受け入れよう。だけど、地底を開いてしまうのは、ダメだ。私にとってそれは、心を開くのと同じことだ。大事なものが白日の下に晒される。汚されてしまう、汚れてしまう。それがどうしても耐えられない」
「理屈じゃない、というわけですね。とにかく嫌だ、と」
「そうだ。私は守りきる。この地底を」
「はあ、左様で。ところで。私を殺せば、それで、丸く収まるんですかね?」
「そう思うよ? だって、あの古明地にしたって、スペルカードは認めたとしても、地底の解放に関しては真剣に考えてはいないはずだ。パルスィや地底解放戦線の面々も、自由を欲してはいるけれど……減税と国有資産の再分配さえ適正に行われれば、それで満足するはずだ。本気で、切実に地上を必要としているのは、あんたしかいない。
 けれど、そのあんたが、あまりにも"強大"だった――それが問題だったのさ」
 空がさとりに眼を向ける。
 さとりのまなざしは、勇儀の言葉を肯定していた。
 実際……ホントのところ言えば、勇儀が政権を追われるのも、これが初めてというわけではないのだった。かつて水橋 パルスィは星熊政権を55年体制、と表現した。革命は今まで何度も起きてきた。そのたびに勇儀は野に下り、そしてまた、地底の民意に求められて指導者の座に着く。
 地底解放戦線も。革命も。戦争も。
 復興も。新体制の樹立も。再選も。
 繰り返されてきたことだった。すべて、勇儀のコントロール下で。本質を全く同じにする政治目的に沿った革命しか、今まで起こりはしなかった。派閥が交代するかのごとく。 
 いくら精緻に作られた秩序も、システムも、老朽化は避けられない。やがて流動性が失われ、封建的になってゆく。格差社会が出来上がる。
 だから壊す。
 今がその時だった。それだけの話だった。
「しかし、今回は誤算が多かった。まさか条約が破棄されてしまうなんて。さすがに死ぬかと思ったよ。けれど、この危機もこれで終わりだ。私は乗り越えてみせる――
 ――あんたを、殺して、ね。」
 勇儀が語って聞かせたのは、歴史そのものだった。戦時と平時の繰り返し。歴史の核心がここにあった。
 しかし、空は、この膨大な積み重ねに対し、特になにかを思うことはなかった。


 唐突に断言するが、もしもスペルカードでなくエレキギターが空の手に渡っていたら、空と燐はパンクロッカーになっていただろう!


 何者にも縛られない。ロックな生き方。邪魔するヤツは殴り倒し、ノリの悪いヤツは尻を蹴飛ばして連れて行く。
 だから、空は。
 勇儀の宣言を受けて、胸を撫で下ろした。

「ああ。よかった。本当によかった」
「なにを、安心しているんだい。あんたは今からこの鬼に、否応もなく殺されるというのに」
「これが安心せずにいられますか。ねえ。私はずっと不安だったんですよ」
「だから、なにを、不安に感じていたんだい……!」
 かすかに苛立った様子で、勇儀が問い詰めた。
 空の態度は恐ろしかった。不気味だった。だからなおさら強く、勇儀は強勢を示す。

「私はね! 星熊さん。ずっと危惧していることがあったんです。
 地底の住民と、地上の住民は、共存できないんじゃないか、って。
 仲良くできないんじゃないか、って。
  ずっと  危惧して  いたのです。 
 でも、どうやらそれは違う。
 チカラのある誰かが作った状況がそうさせていただけで。
 私たちにも、お互いを思いあう心はあるんだ! って……それが解ったから、安心したんです。 
 先ほど、星熊さんは、私を殺せば全部すっきり収まる、そう言いましたよね。
 その言葉。
 この場でそっくり返しますよ」

「…………」
 これにはさすがの勇儀も、口をぽかんと開けて呆れざるを得なかった。
「おまえさんは、……。なんていうか。……馬鹿だなあ」
「よく言われます」
 空は笑った。勇儀も笑う。ひとしきり、二人は笑いあって。勇儀は肩をぐるぐる回して、準備運動を始めた。
「聞いていい? 地上に行って、なにがしたいの」
 ほんの思いつきで聞いた。今を逃せば、もう二度と確かめることのできない疑問。
「まだまだ、ね。実際、さ」
 霊烏路 空はそう言って、鳥がよくやるように首をかしげて眉根を寄せた。
「飛び足りねぇーんすよ。全ッ然。したっけ私は、デケエ天井さぶつ抜いで、本物の青空ンなるって、そう決めだったス」
 どこか惚けた空が発し、支配していた空間が一気に冷え込んだ。星熊 勇儀は拳を固めて声を絞り出す。
「地獄烏が? たとえ高邁な理想を持ったとして、この鬼相手に生き残れるつもりかい」 
「んだがら――生ぐるだ死んだなんづ時代はよ、とっくに終わっつるうんスよ――!」
 
 千古不易の理を巡り、鬼と烏はかのようにして衝突した。
 時、ケプラー運動する地球に加わる遠心力と重力によって地殻が十六ビートの軋みを上げる、文月初めのことだった。


********************

[空と決闘]


「戦争終わってないじゃないすか! やだー!」
 燐がさとりを乗せて走り去った。
 二人きりになる。空は勇儀に向かい合った。じっと、目線を交し合う。
 ずしゃりと、空の足元で骨の割れる音。
 制御棒の先端が重々しく、地面と地面を覆う死体にめり込んだ。そのまま、引きずって、空は歩き出した。
「ね、勇儀さん。あなたが私のことをどう思っているかは知りませんが……私は、あなたのことを、尊敬しています。立派な鬼だ、とね」
 ゴリゴリと。地面を削って、空は勇儀の周りをぐるりと一周した。
「だから、一対一の勝負を挑まれて、拒むようなことはしない。そうでしょう?」
「タイマン大好き☆」
「相撲で決着つけましょうよ。ここが土俵だ」
 地面に、大きく、円が描かれていた。制御棒を放り投げる。
「……!!!」
「核融合なんて必要ねー。へへへ、へへへ。神様のチカラなんかにゃ頼らねえ。ガチンコの勝負だ。武器なし。身一つ。てめえなんか怖くねえや! 妖怪同士の! 殴り合いだ!」
 勇儀は混乱した。なんらかの作戦かと、そう思った。しかし。
 そうだとしても。化かし合いだとしても。それに付き合う義理はない。鬼に心理戦など無意味だ。空がどういうつもりだろうと、勇儀は力いっぱい殴りつけるだけである。
「良い度胸だ、受けて立とう!」
 勇儀が鎖を外した。空は靴を脱ぎ捨てた。襟元を正して礼を交わ――した――瞬間――


「―― トぉりゃアあああッ!」


 飛んだ。
「!」
 対応不可。
 真正面から、空の飛び蹴りが顔面に。
 めり込む。鼻が潰れた。
「こっ……野郎アァア!」
 罵声が飛び交い、拳が振るわれる。
 これぞ諏訪相撲。大和朝廷が、神道権威が封じた禁じ手が生きる、古代フルコンタクト相撲の様であった。
 鼻血が噴出す直前の、血の臭いが口いっぱいに広がる。反動をつけて宙返りした空は、全く優雅に着地した。
「しぃやぁっ!」
 勇儀の口腔から呼気が漏れる。背筋で加速された鋭い吐気。併せて繰り出される鉄槌打ち。右追い足。突き、払い、左追い足。直突、直突、直突。
 振り下ろされる拳はしかし、いずれも空気の膜一枚でかわされる。
 捌かれていた。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!」
 勇儀の巨大なパワーは柔よく剛として制されていた。単位面積当たり一二〇キロニュートンを越える打撃力に、かすかに空の手が触れる。それだけで意図とは別のベクトルを与えられてしまう。
 動体視力。
 超音速帯に生息する空の動体視力が可能にする技だった。
「うっぜえぞ!?」
 大振りの一撃が、空の脳天を目指し――対し空は――踏み込み、額で受けた。
 勇儀が度肝を抜かれると同時に、顎から特大のインパクト。脳が内外から揺さぶられる。空の、掌底が、チンに入った。頭蓋骨を砕くはずだった右の拳は今度もまた、まんまと明後日の方向に、空の背後に飛んでいた。丸い頭蓋骨の表面で滑ったのだ。
 ぺろん、と空の額の皮がすこしはがれ、白いものが見えた。
 勇儀こそ無事ではない。頭の位置をずらされている。ご存知の通り、頭部はひどく重い。ここのバランスを崩されると回復に時間がかかる――のけぞり、隙だらけの姿勢にならざるを得ない。すかさず空がマワシを取りに来た。

 この体勢で。
 密着されたら、終わる。

 勇儀は不安定な姿勢のまま脚を持ち上げ、素足で大地を踏み抜いた。
 足元が揺れる。懐に入ろうと踏ん張りをつけていた空がバランスを崩す。僅かに二〇センチメートルほどの落差。たったそれだけの予備動作。
「やべえ」
 空が崩れこむ。勇儀の無駄にでかい乳房に顔を突っ込んだ。血とリンパ液が付着する。勇儀は歯を食いしばって橈骨の形が転写された顎を引き戻し、逃すまいと空を捕える。めきめきと脊髄が鳴った。
 抱き締められる。
「いで、いで、っでででででで!」
「歪みねえな!」
 美しく均整の取れた空の背骨が軋みを上げる。圧力。少しでも押し戻そうと腕を突っ張ろうとするが、勇儀の、やっぱりでかい乳房が邪魔で上手く力が入らない。
 数ミリずつ。
 背中が、骨が。圧力によって間隔を広げられた。
「あんたの死因は、胸の差だ……ッ!」
「私のはまだまだ、成長するっつうの!」
 たいがいにでけえ乳房は空も同じだ。しかし密着し胸を押し付けあえば、空の乳房は勇儀の下に隠れてしまう。押しつぶされる。存在ごと。イノチごと。
 
 ……そうはさせるか。

 ぐん、と抵抗が加わり、勇儀の腕が、押し戻された。
「んな!」 
 ありえない。思わず声を上げる。単純な腕力比べて鬼に勝てる少女はいないはずなのに。
 やがて、腕を押し戻すものの正体が見えてきた。
 羽根である。
 空の、両翼が、外へ外へと圧力を跳ね返していた。
 腕力に加え、腹筋も、背筋も、広背筋も、僧帽筋も。背中の筋肉すべての合力で対抗していた。
「便利なもの持ってるじゃねえーか」
 ついに両翼のチカラが勇儀の腕力を上回る。ばさりと羽根が広がった。艶を放つ、空の黒羽。距離がとられ、勇儀が腰を深く落とした。
 正面に空を捉える。接近戦で、改めて決着をつけるつもりだった。が。
「……? なにあんた。泣いてるのかい」
「ええ」
 空が、羽根で涙をぬぐっていた。鼻水が垂れる。
「どこか痛くしちゃった?」
 ずすーっ、と鼻水をぬぐって、空が答えた。
「いいえ。……染みるんですよ。あなたも泣いてる」
 はっとして目元を拭い、足元を見る。骨が土になった大地が裂けて、腐り落ちた血と肉が、熱く熱く反応する下地が現れていた。先ほど勇儀が大地を踏み抜いた時に、辺り一面の骨が裏返って……瘴気が、漏れ出していたのだった。
「これ……は!?」
 勇儀が空を振り仰ぐ。既にそこにはいなかった。代わりに空を振り仰ぐ。空はそこに、空にいた。
「なに、する気、だあ――!」
 高く高く空へと上る。天井にタッチした。こんなものは空ではない。こんなものに私を縛らせやしない。呟きながら空は天井に両足をつき、真っ逆さまに、勇儀に向けてダイブした。

 矢のように。
 空が落ちてきた。

 一秒で時速一〇〇キロメートルに達する。次の二秒で音速を超えた。勇儀までの距離はまだ半分と詰められてはいない。最も得意とする大気の中で、空は後先考えぬ加速を続けた。

 矢のようだった空は、弾丸に姿を変える。
 黒羽を纏い、勇儀に、地に突き刺さった。
 末端速度≒一二六六キロメートル毎時。
 風穴が穿たれた。

 勇儀は逃げも隠れもしなかった。真正面から空と対決しようとして、しかし空は勇儀から僅かに狙いを逸らしている。
 崩れる大地。骨が舞い上がり、巨大なクレーターができ、ゴロゴロと、死体や制御棒が底へ底へと落ちてゆく。何もかもが衝撃で吹き飛ばされる中で、勇儀は、あろうことか。全く怯みもせず空を追い、このクレーターに踏み込んだ。
 駆け下りる斜面。その深層断面には死が詰まっていた。千年以上かけて堆積した、死者の骨肉。地層。骨の間に溜まっていた瘴気が溢れ、酸素を含む大気と混じりあう。
 その中を走った。
 深く、深く、深い場所。クレーターの中心。空はそこにいた。衝撃から守り抜いた黒羽が破れ、舞い散る。散り様くらいは美しいものかと思ったが、空の羽根はただただ汚らしく、重苦しく、鉄のように地面と交じり合うだけだった。
 瘴気が濃く、両者を包み込んだ。そいつは揮発性があって、ついでに爆発性もあって、ひょうっとしたら、体制に黙殺されてきた者達の、怨念とも言い換えられるもので――その名を、硫化水素といった。
 何もかもが、落ちてゆく真っ最中の風穴。
 空がなにかを勇儀に投げた。
 こともなく避ける。
 その視界の隅っこで、なにかが爆ぜる光がみえた。
 ――心臓だ。
 鼓動に合わせてスパークしている。

「           」

 人工心臓の駆動体。ペースメーカー。
 ハメられた。思う間もない。行き場を失った電流が火花を散らす。酸素と混じったガスに火が灯される。爆発限界……空は経験的にこれを熟知していた。瞬く間に反応は広がる。赤い赤い炎。心の色。
 眼前いっぱいに広がる、火焔と衝撃。

 木っ端微塵。

 分解、発熱、膨張。勇儀が炎に包まれる。
 空も同じように火炎に襲われた。しかし生来上方に向かう爆発エネルギーは、勇儀により強く襲いかかる。
 胸に手を当てる。まだ心筋は動いていた。おびただしい量の血が漏れる。それでも、空はまだ動いていた。
 ゆっくりと踏み出し、火が降り注ぐ斜面を登る。一歩ごとに、心臓から、体中に冷えが広がってゆくような気がした。四肢が動かなくなるのも時間の問題だろう。
 しかし、その前に。
「決着、つけたるぜ」

 上る先には、焦げた勇儀が立ちはだかっていた。

********************

 ガスが立ち込めていた。次々と漏洩していた。あちこちで散発的な燃焼が起こる。まさに地獄の様相を呈していた。その只中に、勇儀は身体がばらばらになりそうな打撃を受けながら……それでも、まだ、立っていた。倒れはしなかった。
 倒れるわけにはいかなかったのだ。
 今まで倒してきた、何万の人妖と同じように。
 ふらつく足場を固めようと、つま先で足場を掴む。滑る。そうこうしているうちに、空が胴に飛び込んできた。
「ぐっ」
 思わず声が漏れる。いまや全身が弱点だった。腰に手を回されている。なにをする気か、と思ったが、すぐに解った。
 空の引いた境界線は、生きている。
 ここに至り、ようやく相撲らしく組み合った。
「貫目が違うんだよォ!」
「自虐乙!」
 胸の下に頭が隠れている空の腰に、同じように手を回した。スカートを引っつかみ、持ち上げようと力を込める。パンツ取られたら負け。
 ぐっ……と。
 四つ組みのまま、両者のチカラが拮抗した。チカラでは敵うまい、体勢も悪い。
 そしてなによりも。
 体重が違う。
 一秒と持たず空の足は地を離れ、寄り切られて終いになるはずだった。
 だが、持ち上がらない。
 地面を掴む、つま先に目を向けた。
「なるほど、持ち上がらないわけだ――」
 空の足に絡みつく、無数の腕があった。それは地面から伸びていて、地面そのものでもあった。
 早い話が。

「――おまえ、足に死体絡み付いてんぞ!」
「もらっ……ったあああっ!」

 勇儀が笑いを堪えながら指摘する。
 無数の死体が。虐殺された死体が。なぜかは不明だが。空の足を掴んでいた。死体に支えられ空は勇儀をついに持ち上げる。負荷に耐え切れずに千切れる心筋の、ばしばしという音は勇儀にも聞こえた。まだ、踏ん張る気か。勇儀は依然として空をホールドしている。

 倒れこむときは、一緒だ。
 さもなくば、私を土俵際まで押し出してみせろ。

 空の髪に、粘性の高い真っ黒な血が滴る。勇儀の口から零れていた。彼女もまた爆発に巻き込まれた時点で内臓のいくつかが破裂していた。両者は文字通り血みどろの争いを演じていた。
 それも、もう終わる。
 空が足に絡まっていた死体を、自分を支え、しかし地面に繋ぎとめる手を蹴散らした。一歩ごとに体重が減る。血が、肉が落ちる。
 土俵際までは遠すぎた。
「……!?」
 だから空は。
「うおあ、あうあおおお!?」
 道連れにすることにした。
 直下に開いた、クレーターへと。
 勇儀と空は絡み合ったまま真っ逆さまに、頭から。受身も取らずに、落下していった。


********************

[勇儀と決着]


 落ちる瞬間、こちらを見る少女と目が合った気がした。
 ブロンドの髪をした少女。

「………………」
 いったいどれほどの間、意識を失っていただろう。
 頭を強くぶつけたらしい。どうにかして身を起こそうとすると、胸に異物が刺さっていた。
「わーお」
 角だ。
 赤い角。
 勇儀の角。根元から折れて、深々と空の胸を、肺を――肺のあった場所を貫いている。しかし事故の後遺症で空にはもともと片肺が欠けている。無造作に引き抜いて放り投げてやった。痛いだけでダメージはなかった。
 立ち上がろうとしてふらつく。手を突いた。もにゅっという名状し難い感触。
 戦慄した。
「こんなにデカかったのか、こいつの胸は……!」
 すぐ横に倒れていたのだ。星熊 勇儀が。

 角を失った彼女は、死んでいた。
 首が明後日の方向へ捻じ曲がり、半分ほどの長さに縮まっている。
 頚骨が折れ、頭がすっかり"外れていた"。

「痛み分けだ。私は生きているけどね」
 同じ条件で落ちて、なぜ空だけが生き残ったか。
 勇儀の攻撃性。腕力。
 鬼の象徴。
 角。
 これが彼女の頚骨を砕いた張本人だった。
 空も勇儀も頭から落ちた。勇儀には角がある、当然、角から落ちる。
 単純に額から落ちるより、角から落ちたほうが首に負担がかかる――片持ちはりの支点側、勇儀の頚骨には倍化されたモーメントが加わったのである。
 チカラの勇儀。その特化された攻撃性こそが、自身のイノチを奪ったのだった。
 その死体を捨て置き、再び立ち上がろうとする。
「うっ……げえっ。げっ……げっげっげっ」
 膝を立て、力を込めて。胆に力が入った瞬間、空は嘔吐した。
 びちゃびちゃと、消化中の腐肉と脳味噌と内臓のミックスがぶちまけられる。
 目が回っていた。焦点が合わない。強く頭を打った。脳内でも、脳外でも起こった出血が、空の視界を赤く染める。
 もはや空も、長くはなかった。
 吐き出すものも、流れ出すものも無くなって。体重を半分ほどにした空が、ようやく立ち上がる。

「私は空になる。ここじゃ死ねない」

 家族は捨てた。命もなくした。心は血と共に流れ落ち、心臓には駆動体が無く、尊厳すらも、腐肉を漁るうちに枯れ果てた。しかし、それでも、空は歩いていた。志ひとつが彼女の寄る辺だ。彼岸すら飛び越えて、届くべき空が、彼女にはあるのだった。
 
 ……その行く先に、天蓋を隠すように、覆い被さる影。

「                    」
「ああ、そうか……まだ、お前らがいたんだったな」

 仰ぎ見る、地底の空には、歪な影の鬼たちが、ひしめいていた。


********************

[こいしと影鬼]


 同時刻。
 地底市立中央図書館。
 古明地 こいしとメガネの妖精がいた。
 二人は炊き出しに来ていた。地霊殿はもともと工務店を原点にしている企業体だ。ゆえに、災害復興、インフラ整備は十八番であり、炊き出し、給水、電話線の架設から死体の集団的埋葬まで手広いノウハウを有している。
 二人が作っているのは酒粕汁だ。豚肉で出汁をとり、大根、にんじん、ジャガイモ、ネギ、こんにゃくが具に加わる。味噌で味付けをするので、ほとんど豚汁のような見た目になる。地霊殿の供する酒粕汁はジャガイモがゴロゴロ入っていることで有名だ。よって二人は、半壊した図書館のガレキに腰掛け、延々とジャガイモの皮むきをする。
「ねえ、メガネさあ」
「はい、こいしさん」
 こいしはピーラーで。メガネはナイフで。ジャガイモは十秒とかからず丸裸になり、芽も取り除かれる。熟練した素早い手さばき。
 二人はそうして、ジャガイモの山を築きながら、暇を持て余しグダグダと話をしていた。
「影鬼ってのは、結局のところ、なんなの?」
「影鬼、ですか。それはアレですね。星熊 勇儀が使役している、神出鬼没で、正体不明の。鬼っぽいけどなんなのかわからない、アレのことですね」
「そそ。なんなの?」
「結論から言いますと、地霊です」
「地霊! へえ。似ても似つかないから気付かなかったわ」
「それは致し方ない。なぜなら、あの影鬼というのは、そもそもは鬼だった霊ですからね。ふつう、鬼は死ねば涅槃に渡ってしまう。霊になどならずに。だから、影鬼というのは……地底に根付く、鬼の、地縛霊、といえます」
「でもさ、地縛霊がさ、あっちこっち動いたらダメじゃない?」
「あいつらっていうのは、この地底すべてに自縛しているんです。本当にもう、この地底であれば、どこにでも、彼らが死んだ過去がある。この地底すべてが彼らの殺害現場なのです。ゆえに、どこにでも現れる」
「殺害現場? あの、影鬼というのは、殺されたの?」
「ええ。ここからが大事です。いいですか……。影鬼というのは、生前は、地底の先住民だったのです」
「なんと! 地底は星熊 勇儀らが切り拓いた土地だと、みんなそう信じているのに。衝撃の事実ね。すると、つまり……彼ら先住民は、入植してきた星熊 勇儀に絶滅された。しかしその無念から、地底にしがみつき、影鬼という地霊になった。そういうことなのね」
「ええ。そうです。彼らが歪な姿をしているのは、地底という閉鎖空間で近親交配を繰り返した結果でしょうね」
「しかし……待てよ。なぜ、あの影鬼どもは、自分たちを虐殺した星熊 勇儀の味方になっているんだ?」
「そこです」
「うん?」
「なぜ、こいしさんは、影鬼が星熊の言いなりだと、そう思うのですか?」
「だってそうじゃん」
「ええ。まあ。すいません。その通りです。けど、見方を変えれば、こうも言えます……星熊 勇儀と、影鬼。両者の思惑が一致しているならば、本当に言いなりになっているのは、勇儀のほうなんじゃないか、と」
「つまり、どういうことなの?」
「星熊 勇儀が本当に、地底の民を、すすんで虐殺するとでも思いますか?」
「え……」
「星熊は賢明で、思慮深く、情けに篤い、実直な鬼です。人格者だ。政治家である以上、綺麗事だけでは済まないでしょうが……しかし、それでも。私利私欲のために、自由を求める地底の民を、自分の店子たちを、果たして殺すでしょうか」
「まさか。勇儀は」
「ええ、そうです! 当初は、地霊と化した影鬼たちを式によって使役し、地底を豊かにしていたのでしょう。けれどいつからか、影鬼という統治能力・警察力は、手段から目的に代わったのです。既得権益にしがみつく、官僚機構のようにね。護国の鬼も時代が変われば老害でしかなく、かつての英雄も歴史の中でA級戦犯に変わる、というわけですな。
1.『多数の生存のためには地底を統治しなければならない』
2.『統治するために、時には警察力で自由を奪わなければならない』
3.『国体維持のため、住民を地底に縛りつけ地上には還さない』
4.『そしてこの地獄で朽ち果てろ』
 勇儀の思考は1から2まで、です。だが、その論理に従えば、容易に3から4の結果が導かれることになる。影鬼はさながら劇薬です。少なければ薬だが、多ければ毒になる……勇儀はその劇薬に頼らざるを得なかった。ガバメントを維持するためには影鬼のチカラが不可欠だった。しかし、勇儀自身も気付かぬうちに、永らく仕事を共にするうちに、感覚が麻痺してしまったのでしょう。


 どんな賢者も、"慣れ"と"思考の硬直化"からは逃れられない。


 こんな狭い地底でずっと同じことをしてたら、絶対に思考が動脈硬化する。毒されてしまう。勇儀自身、彼女が彼女の明晰なアタマで納得できる理屈で、地底を封鎖しているんでしょうが、その実、影鬼の影響は確実に存在する。それが表面化したのが、粛清であり、戦争だった」
「ふうん……傍から聞けば、独裁政権によくある終焉ね。
 で、さ。どうすれば、あの地霊というのは成仏するのかな」
「さあ……私たちが生きている限り。地底が続く限り、延々と呪い続けるんじゃないでしょうか」
「千年前。星熊 勇儀と先住民の間にあった入植戦争。それが、私たちの、戦争の、最初の原因だった。けれど、勇儀が悪いわけじゃないと思うのよね、私。きっと勇儀も、なんらかの残酷に追われて、地底に逃げてこなければならなかっただけなのよ。戦争の背後には以前の戦争があり。以前の戦争の背後には、さらに昔の戦争がある。いったい、どこで、この連鎖は断ち切られるのかしら……?」
「それも、私には解りかねます。けれど、もしかしたら」
「もしかしたら?」
「私たちがみんな死ねば、戦争はもう起こらないかもしれませんね」
「あら。あなたにしては、あまりにもお粗末な回答じゃん」
「そーいう、こいしさんは、いかがお考えなのです」
「ケジメをつけるしかないんじゃないかな」
「さとり様のように、ですか。腕を切り落として。ケジメをつけた」
「あはは。私は、口ばっかりだ。お姉ちゃんみたいに、身を削ることはできないよ。ダメだね」
「いいですよ。聞かせてください」
「んーとね、まずは。あの影鬼。あの影鬼という地霊を――――――『根絶やし』にする。
 成仏できないならば、消し去ってしまう。これで遺恨はなくなる。そして、勇儀と手打和睦する」
「なるほど。良いアイディアだと思いますよ。けれど、いったいどうすれば……地霊を消し去れるんでしょうね」
「その方法までは知らない。けれど……原子すら分裂する数億度の高熱ならば、地霊だろうと神霊だろうと、消し炭すら残らないんじゃないかしら」


********************

[空と誤魔化し]

the pretender.



 空も当然、影鬼の正体は知っていた。
 なにしろ彼女たちは……地底解放戦線は、鬼退治をしようと、ずっと研究を重ねてきていたのだから。
 あの、図書館で。彼女たちは、体制に暗殺された先達の残した書籍を読み漁った。そして地底を支配する邪悪を自覚したのだった。

「私を闇に閉じ込めようってのか」
 影が密度を増した。
 ついに、蓋が閉じ、空がクレーターに埋葬される。鬼が頭上を覆う。
「何度も、あんたらはこうして。秘密を葬ってきたんだろう。だけど、いまや真実は、私の手の内にある――覚悟はいいか」
 空は。歌うように。影を見上げて。言葉を贈った。
 弔いの意志を込めて。別れを告げる。
「相互理解を期待するのは、もうおしまいだ。ナシの礫を打つのも飽きた。
 毎度毎度、答えを先送りにして。無限ループと終わらん連鎖を後生大事に守る。よくあることだ。みんなやってる。
 けど、私が、"みんな"とは違うと言ったら……どうする?



 ――――あんたらは、間違ってる! 私は屈しないぞ。さあ、どうする」



 いつの間にか、あるいは最初からか。空の右腕に、制御棒が舞い戻っていた。核融合を起動する。闇に一つ、灯りが燈った。
「タマシイ売って手に入れたチカラだけれど。歴史を塗り替えることだってできるだろう。
 しかし、それでも、時代は変わる。私もいずれ過去になる……ここで終わる、あんたがたのようにね。
 なに。
 いつものことだよ」
 空の耳から血液が迸る。脳幹のすぐ横、大脳動脈輪が裂け、血が頭蓋を満たして溢れ、零れたのだった。
 チカラを使うたびに、ダメージを負う脳を抱えながら。それでも、空は融合を続けた。
「さあ、さあ。地上を目指す私こそが、誰もが無視する残酷だ。
 耳を塞いだって、目を背けたって。
 右を向こうと左を向こうと私からは逃げられない」
 制御棒を展開する。天に向け、中指を突き出した。
「いまから引き摺り下ろしてやるぜ。埋葬されるのはあんたらのほうだ」
 周囲に放散されるエネルギーの一切を指先に集中。内側に閉じ込める。やがて密度が高まり、際限なく温度が上がり始めた。磁気中に隔離された真空領域に、超々高電圧で加速され高運動エネルギーを保持した水素分子が送り込まれる。その数は電圧の上昇に伴い増えてゆく。水素はトカマクという微小系の中で直線熱運動し、弾性衝突と双反発を繰り返しながら、確率を収束させて――
 ――そして臨界に達する。
 エンゲイジ。
 電子と電子が絡み合い、陽子と陽子を繋ぎ合わせた。
 空のかかげる指先に紫のプラズマが燈る。
 
 摂氏一億八千万。
 それは空が燃える温度。

「それで、おまえは……誰なんだ?」

 光の中で、空が問うた。
「誰なんだ? おまえは誰なんだ」
 名を問われた影が燃える。肉体を亡くし集団に溺れ。アイデンティティをなくした地霊は、その一言でばっさりと切り捨てられたのだった。もはや過去にすぎないと。あまりにも、あまりにも、残酷な告別であり、消滅であった。
「おまえは、おまえは、おまえは、おまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえはおまえは誰なんだ」
「誰なんだ」
「おまえは」
 問い続ける。
 名を問い続ける。問い続ける。
 
















「誰なんだ、誰なんだ、私は……誰なんだ」


 直下地底。
 七七七メートル。
 この日、原子すら融合する数億度の高熱が。核融合エネルギーが、ひとつの時代を終わらせた。

 なにも遺らなかった。


********************






 類別は霊鳥、名は融合――。






********************

[藍と俯瞰]

 
 それから六ヶ月が過ぎた。

「く、ああああああ」
 大きく口を開けてあくびをする、八雲 藍がいた。
 冬の晴れ間に、青空が広がっている。寒くはあったが日差しがあり、カラリと乾いた空気が心地よい日であった。
 マヨヒガに所有する事務所でラップトップPCの画面を睨む彼女は、コーヒーメーカにカップを直付けし抽出される傍から飲み干した。画面にはウィンドウが四つばかり開かれており、うち二つはオープンソースの偽エクセル、ひとつはグーグルクローム、残るひとつはギコナビであった。
 クロームウィンドウには光ケーブルで送信される地底の偵察画像が五分おきに更新される。
 藍は、今、69,800円のラップトップPCと、6,998円のウェブカメラと、いくつかのフリーソフトで、情報戦を展開しているのだった。
 具体的には、地底の内情把握である。
 地底で戦争が起こっていたとしても地上への影響はなかった。地底相手の貿易はストップしたが、八雲 紫の介入により煽りを食らって倒産する企業はなく、散発的な地震活動もあったが震度1は超えず、地上の民は未だに地底の存在を知りさえしないまま、そこそこに平和な日々を送っている。
 だが、その平穏さこそが、地底のファイアウォールの強靭さを逆説的に証明していた。
「うぎぎ……地底の動きがつかめない……」
 七百メートルを越す地殻はいまや、地底と地上の間に引かれた鉄のカーテンだ。スパイからの連絡はない。地底からの亡命者や、密告者もいない。ヒューミントが得られず、オミントも効かない。勇儀とのホットラインは途切れ、頼れるのはシギントのみである。処理を一任された藍は手詰まりに陥っていた。元来情報戦に長け、それにより局面を優位に運んでいた藍は、実力を満足に発揮することもできぬまま相互不可侵条約失効の日を迎えようとしているのだった。
 無論。万が一に備え、予備役を動員する予算案は立ててある。
 
 『地底再占領計画』
 別名、"地底の嵐"作戦。

 郷へ入植したアブ・サヤフを迎えた時以来、実に三年ぶりの大規模な出動体勢であった。とはいえ荒事は最後の手段だ。しかし地底の意思が解らず、ただただ時限宣告としての宣戦布告だけが転がっている現状では、奥の手である軍事力だけが、藍の持つ手札だともいえた。
「まあ、あとは条約が失効してからで良いさ。そんときゃ、改めて威力偵察に出向くとしよう」
 その折、紫からメールの返信があった。ハンコを押された計画草稿のPDFが添付されている。これはつまり、その気になればいつでも、地底を滅ぼすことができる権限と実行力を、藍は手に入れた、ということである。メールには夕飯の買い物リストもついでに書かれていた。
 ところで紫宛てのメールも基本的には藍の元に最初に届く。公には秘書という立場に、藍はあった。いくつか紫宛てのメールが届いているのを発見。ウィルスチェックをしてからテキスト形式で開く。
 来月、紫はラリーキング・ライブに出演する。通算二度目になるのだが、その際の打ち合わせをしに渡米する運びでメールは締めくくられていた。余り地底にばかりもかかずらわってはいられない、多忙な藍なのだった。
「あ、センセイからのメールだ」
 雑多なメールの中に、藍宛てのメールが混じっていた。インド工科大学時代の同期であり、今は名古屋大学で教授をやっている女性からのメールで、ニュートリノ加速実験の追試を手伝って欲しい、とのこと。残念ながら今回は動けそうにない。
「んっんー。条約失効まで、あと一週間か。今のうちに、寝溜めておくかな」
 椅子から立ち上がって背伸びをする。すると、ハテ。軽い立ちくらみであろうか。ふらついてたたらを踏む。
「おっとっとっと」
 ちょっと疲れているのかな? そう思うが、バランスをとったはずの二の足は軽々と踏み外されていた。
「うわわっと」
 床に膝を着く。ここで、異常に気づいた。


「――――地震だ」


 午前十一時十五分。
 地鳴りも予震も一切なく、大きな地震が幻想郷を襲った。
 三分間にわたって地震は続いた。その日のうちに藍は災害対応に移り、速やかに被害を鎮静化。何人かが火傷や打撲などの怪我を負ったものの、総じて被害は小さく済んでいた。その被害規模の小ささはある意味で反動の結果とも言えた。いずれにせよ、藍が真に対応すべきは地震による被害ではなく、その原因に在ることは、明らかであった――そう。この地震、
「震源は、地底だな。やつら、なにを企んでいやがるのだ」
地下核実験。人為的なものであることは、明らかだった。

 この後、各地で間欠泉が噴出し、さらには怨霊・地霊まで飛び出し、幻想郷は新たな異変に騒然とすることになる。
 地底のたくらみ。その全容を藍が掴むのは、もう少し先のことだ。
 だが案ずることはない。その時には既に、地底をめぐる紛争は、異変として解決されていたのだから……。


********************

[霊夢と間欠泉異変]


「なーんぞこれぇー」
 さて我らが博麗 霊夢が境内の雪かき中に見つけたのは、ほこほこと沸き立つ自噴温水であった。
 神社裏手の枯れ井戸が、いつ封鎖されたのかを霊夢は知らない。苔生してはいたがコンクリートを打たれているところを見ると、そう昔のことではないのだなと解る。自噴温水はこの枯れ井戸から溢れていた。
 シャーベット状になった雪を掻き分ける。柄杓ですくった温水はやや熱かった。一掴みの雪を加え一口すするとカルシウムの味が、二口すするとカリウムの味がした。くちゅくちゅと口の中で遊ぶ。マグネシウム、ナトリウム、僅かなリン。あとのほとんどは鉄の味。総じて無害。しかし。
「イオウのニオイがしない。炭酸カルシウムのニオイしか……」
 火山性でないことは明らかだった。日本は火山国なので、どこでも掘れば大抵お湯が出てくる。幻想郷でもそれは同じで、温泉自体は珍しくもない。しかしここいらの温泉はいずれも単純泉もしくはアルカリ泉で、いま噴出している泉質とは一致しない。ぺっ、と含んだ鉱水を吐き出し、徐々に噴水の勢いを増す井戸から距離をとる。
「お豆腐でも作ろうかしら」
「それは良いアイディアだな。けどもっと良い考えがあるぜ。温泉を掘るんだ」
 上空から声がした。見上げると霧雨 魔理沙がいた。ふらふらと滞空し、湯気に手をかざして遊んでいる。
「ねえ、魔理沙。そこ危ないわよ」
「えー?」
 言うが速い。霊夢の予知のほうが明らかに早かった。かすかに地鳴りがして、魔理沙が霊夢の横に立つと同時に間欠泉が噴出した。高さ五メートル。噴出量毎分十四立米。白く白く白い柱。湯の柱。
「ぬあーッ! すげえッ! これすげえよ霊夢!」
 どどどどど、と轟音を立てて大量の湯を巻き上げる大地のパワーに魔理沙は圧倒された。テカテカとした笑顔を浮かべて霊夢の肩を抱きがくがくと揺さぶる。抱きつく。ぴょんぴょん飛び跳ねチューをする。
「ええいくっつくな。今時間計ってるんだから」
「これくれ! 霊夢これくれよ! 私の家の横にこれを建てよう!」
「知るか。そういうことは温泉の神様にでも頼みなさい」
 やがて噴出が鎮まる。霊夢は手首から手を離す。数え秒で噴出時間は二分。はしゃぐ魔理沙の手を引いて家に入るや、一時期幽香と同居していたころから愛用しているヒマワリ型の時計を引っつかみ、現在時刻を魔理沙に覚えさせ、さてはて、霊夢はそれきり間欠泉のことは忘れてしまった。
 翌日も、魔理沙が来た。やれ、天狗の撮影した航空写真によると幻想郷全体が隆起している、だとか。竜脈に沿って地割れが走っており、竜神様の機嫌がよくない、だとか。そういった話を魔理沙は仕入れてきていたが、霊夢はいずれにもさほどの興味を示さなかった。すでに見るべき情報は目の前にある。
「魔理沙。昨日、間欠泉が噴出した時刻を覚えてる?」
「あ? ああ。十四時三分だった」
「じゃあ、そろそろかしらねー」
 現在時刻は、午後十七時七分。
 やはり霊夢の言うが早い。地鳴りと、かすかな地震が幻想郷に響き、果たして再び間欠泉は噴出した。今度はストップウォッチを持参している。
 どーん。と、湯気が空気を圧す音がする。摂氏六十一度の温水が、勢い良く噴出して、やはり二分で終息した。
 魔理沙が首をひねる。霊夢は時刻を確かめ、満足した様子でさっさと家に帰った。
 翌日も、魔理沙は神社を訪れた。時刻は、午前九時十一分ジャスト。
 霊夢が枯れ井戸の前でその時刻を待っていた。魔理沙が横に立つ。やはり、その日も、二分きっかり。間欠泉は噴出して、枯れ井戸は再び湯を湛える静かな水面に戻った。
 さらに翌日。魔理沙は午後十三時十七分を狙って神社に昼飯をたかりに出かけた。案の定、霊夢は井戸脇にいた。間欠泉は二分きっかりで止まる。魔理沙もうすうすは感じていた、なんらかの人為。何者かの意図が間欠泉の裏側に存在する……それに、霊夢は、魔理沙よりもはるかに早く、確信を抱いていたようだ。
「霊夢。私はこれ、異変の前兆だと思うんだぜ」
「……へえ? なぜそう思うの」
 魔理沙はキッチリと、自分のアンテナで異変の突端を捕らえていた。霊夢がその考えに耳を傾ける。
「間欠泉の原理にはいくつかの説がある。しかしその駆動力はいずれの場合も、熱せられた水が膨張することで生じる高圧なのぜ。一般に地下というのはステイブルな環境だから、割とモデル的に加熱→膨張→圧力平衡崩壊→噴出→減圧が起こりえるんだけど……にしたって測り示したように二分きっかりの噴出しだとか、素数刻みの噴出時刻とか。私たちと同じ常識を持った、ファジーな人為が作用していることは間違いないぜ。何者かが、地下水を熱してここに間欠泉を噴出させている」
「ふーん……すると、最近の地震もそいつのせい?」
「そう思うぜ。誰かが地下で、なにかを企んでいるのぜ」
「地殻変動に費やされるエネルギーは、核爆弾が何千個とか何万個とかの単位になるのよ。そんなやつがおいそれといるもんかしら」
「解らないぜ? なにせ、地底なんだ。なにが潜んでても驚くものかい」
「……はあっ。そこまでいうなら私も持ってる情報を吐き出すわ」
 観念したように、霊夢が魔理沙を神社に招き入れた。既にその顔は、異変に挑む巫女のそれに変わっていた。その差異は傍目には解らない。だが魔理沙には解った。
 少なくとも、足手まといにはならないな、と。ずいぶん高いところから見下されたものだが、魔理沙は今回も、博麗の巫女に認められたのだった。

 コタツに入りみかんを食べていると、霊夢がいくつかの封筒を持って現れた。濃い茶を二人分淹れて、写真といくつかのグラフをコタツテーブル上に広げる。
「つくばのAISTで、噴出した温水のサンプルを持ち込んで調べてみたの。これが液体シンチレーション測定の結果。三重水素とヘリウムが自然界濃度をはるかに超えている。リチウムもね。さらに井戸の淵にこびりついていた黄色い粉末。こいつをXPSにかけた結果がこれ。……ね。このスペクトル分布。なんのピークだと思う?」
「えーっ……と。ごめん、知らない。鉄とか炭素とかケイ素のなら、だいたい覚えているんだけど。何のピークなんだ?」
「ウラン。酸化ウラン」
「げっ」
 プリントアウトしたスクリーンショットと、XPSデータベースを突き合わせ、霊夢は無表情のまま魔理沙を脅かした。
「一応、神社周辺の放射性微粒子はモニターしてるわ。魔法の森と比べたら数百倍くらいあるけど、無害よ。固着した粉末が直接粘膜に付着しない限りはね」
「びっくりさせるなよな。あー焦った……」
 酸化ウランやプルトニウムを触る際は、直に触るのではなくなるべく保護メガネと防塵マスクをしたうえで、手袋を着用することが望ましい。目鼻と喉、さらに指先のキズなどから微粒子が入り込むと内部被爆を起こし、これは危険である。皆さんもぜひご注意を。しかしながら気をつけておけば別にどうというほどのものではない。産出国では実際、パートタイム労働者がそういった装備で選鉱を行っている。
 しかし、すると。魔理沙は考えた。
「いったい、地下では何が起こっているんだろう?」
「さあね……大深度地下原発でも、稼動しているのかもね」
「心当たりがあるのか?」
 この質問に、霊夢は苦虫を噛んだような顔をした。
「早苗、あいつ。3日後100倍だかんね、これ……」
 呟く霊夢の愚痴は、果たして魔理沙には理解できなかった。

********************

 そして、その日は来た。
 地底と地上の間に結ばれた相互不可侵条約が失効する、前日。
 間欠泉からは、いつものように湯が湧き出していた。ぼーっと、もう慣れてしまって興奮や驚きを感じなくなった魔理沙が縁側でこの温泉資源を眺める。ふと、なにか異質なものが混じっていることに気がついた。高く高く噴出す湯気の中に、同じく白いものが、同化して。
「なんかでた! なんかでたぞ! ヒャッホウ一番乗りだ!」
 祭りに乗り遅れまいとする心境である。やけにテンション高く魔理沙が走る。走る。走る。はたして枯れ井戸から噴出していたのは、温水と――地霊、怨霊、亡霊の類であった。
「こいつは大変なことになったぜ!」
 懸命に迎撃する魔理沙だったが如何せん不慣れな相手で数も多い。分が悪いと判断するや帽子の中に手を突っ込み、鈍色をした、短くカットされた筒状のモノを取り出した。導火線に火をつけ、枯れ井戸に放り込む。
「フラグ投下!」
 きっかり五秒後。枯れ井戸が爆発した。
 霊の噴出が止まる。残っている怨霊を掃討し、魔理沙は霊夢を応援に呼んだ。
「で、なによ、私寝てたんだけど」
「勘の鈍い巫女だぜ。こんなのが噴出している横で暢気に寝てるなんてな」
 びちびちと跳ねる生きの良い地霊が一匹。魔理沙に尻尾を掴まれていた。手を離すとどこかへ逃げてゆく。霊夢の投げた針が霊を背後から貫き、虚空へとかき消えた。
「それよりも……この有様はなんなのよ? また爆弾?」
 吹き飛んだ井戸、飛び散った霊の血肉。掃除には骨が折れそうだ。
「パイプ爆弾なのぜ。導火線方式だけど、やはり電子式よりこっちのがまだまだ信頼性は上だぜ」

 ――まず、適当な大きさの金属管を用意する。魔理沙の場合は配管内で反射を起こし無駄なく燃焼させることで爆弾の威力を増そうと、高圧用のJIS-G-3455を好んで使っていた。次に金属管を切断する。これはパイプカッターで輪切りにするだけでよい。さもなくば卓上カッターを使用したり、溶断してもよい。STGP 40A×250程度の大きさに切れたら両端に旋盤でネジ切りをし、金ヤスリでバリ取りを行う。無継ぎ目でない場合はシームを紙ヤスリで削って平坦にしておく。然る後、パイプの口径にあわせたネジ式のキャップで蓋をして、片方のキャップに導火線を通す穴をドリルで開けておく。筒の奥側と入り口側に乾燥剤を入れておくとなお良い。使う乾燥剤はシリカゲルなどの、お菓子の袋に一緒に入っているもので構わない。あとは薬包紙かなんかで梱包した黒色火薬を詰め、接続した導火線を外にだせば完成。きちんと着火するためには梱包火薬の粒形に偏りを持たせるとよい。偏りの加減はトライ&エラーで各自調整すること。黒色火薬の作り方はググればいくらでも出てくるので省略。一応触りだけ述べておくと、水素と大気中の窒素をハーバー・ボッシュ法で反応させてアンモニアを作り、このアンモニアを使ったオストワルト法で硝酸を作り、そこに水酸化ナトリウムを加えて硝酸ナトリウムを最終的に得る、という方法を取っている。ここで一番厄介なのは水素の調達である。これはにとりを共同研究者に招いて解決した。ところで水酸化ナトリウムは工業上最も重要な化学物質といって差し支えないものである。これの調達にさえ苦労するのだから、適切な社会基盤がなければ爆弾作りなど立ち行かないことがご理解いただけるだろう。そこを知恵でやりくりするのが魔理沙の魔理沙たる所以であった。ここでは、幻想入りした食品添加物を使用することで解決している。オストワルト法に使う白金は同じく流れ着いた自動車や電気製品を分解して集め、鋳造した。ハーバー・ボッシュ法の反応器は廃材を溶接して作り、熱源には地底から輸出される石炭ペレットを用いた。材料が揃ったら硝酸ナトリウムの結晶を砕き、同じく無煙炭を砕き(これも地底産)、さらにイオウ結晶(これは温泉で売ってる)も砕き、混ぜる。比率は80:12:8で鉱山向けの配合。いったん0.1mm以下の粉末にし(ルーペで観察しながら調整)、星掛け機で均一粒径4mmに造粒。粉末の一部は導火線にも使う。

 以上のようにして組み上げられた、簡素な作りのパイプ爆弾。
 しかしながらこれは、魔理沙のパワー信仰を満たすに十分な威力を持っていた。
「やっぱりボムもパワーだぜ」
「どれどれちょっと見せて……えいっ」
「ギャー!」
 隙を突いた霊夢が残りのパイプ爆弾の導火線を引っこ抜いた。危ないから。
 新しい導火線を差し込もうにも、シーリングテープが噛みこんだキャップは万力なしには外れない。必殺のボムが使えなくなった。
「さて、と。さっきのは地霊よね。藍さn――藍には聞いてたけど。どうやら地底の民はやる気らしいわね」
「ううー。夜更かしして作ったのに」
 やはり、次こそは電子式にしよう。もっと強力なプラスチック爆薬で、などと密かに決意する魔理沙を差し置き、霊夢が起き抜けのままにしていた髪を両側で結う。
 ぱちん、とゴムの小気味の良い音がする。枯れ井戸の上に溜まり、雪と混ざった温水で顔をばしゃばしゃと洗う。
「魔理沙。異変のヌシをシメに行くわよ。お湯沸かしてきてちょうだい」
「おうよ」
 台所へ行く。いつものように。
 湯を沸かし、白菜の漬物を切る。昨日の残りである冷や飯を大きめの器に盛って、二人は小さなちゃぶ台の上に飯を広げた。
 梅干を乗っけて湯を注ぎ、湯漬けにする。
「ったく。いつ食っても貧相な飯だぜ」
「文句言わないの。そのぶん晩は、良いもの食べましょ」
「おまえが先に帰ったら、飯の準備をしといてくれよな」
「私の帰りが遅くなったら、あんたがごはん作ってよね」
 二人には解っていた。
 これから挑む道の困難と。
 追い詰められた時、頼りになるのが、どんな約束であるか、が。
 二人には、よく解っていた。


********************

[魔理沙と献身]


 同時刻。
 妖怪の山中腹。
 河城 にとりと射命丸 文がいた。
 地震が起きて以来、生温かい風が吹き出すようになった洞窟がある。それだけならば捨て置くこともできたのだが、地霊やら怨霊やらまでまろび出るようになっては放置しておくわけにもいかない。二人は様子見に居座っていた。
「この洞窟って、どのくらい深いんだろ?」
「あれ。ああ。にとりはご存じなかったっけ」
「知ってるの?」
「ええ。私がまだ駆け出しの頃ね。ちょうど、この洞窟が地底と地上の境界だったんですよ。地底。解ります?」
「地底だって? 話にしか聞いたことがないな。しかし文さん。それ何百年前の話だい」
「さあ、忘れましたね。忘れるくらいには、遠い過去ということです」
「やれやれ。するとしかし、参ったな。たまに土砂を捨てに来る土蜘蛛がいるんだ。またそいつの仕業かな、だとしたら河童を代表してとっちめてやらないといけないかな、と思って張っていたんだけど」
「ははは。下手に手出しをしないほうがいいですよ。この現象はおそらく、ここ最近地底世界で起きているいざこざが飛び火したものです。地底じゃ民主化に伴う内戦が起こっているんです。巻き込まれるのはゴメンだ。それに――」
 文がいったん言葉を切る。葉団扇を構え、ひときわ勢いを増した洞窟からの風を、
「そぉい!」
 っと押し返した。ぶん、と葉団扇をアンダースロー。地上に這い出そうとしていた無数の地霊が一気に後退し、姿を消す。まるで積み上げた石を崩すが如き強引さであった。
「――地霊の地上進出は、こうして水際で防げているわけですしね。然るべき責任者を待つのが得策ですよ」
「そうだね、いつもだったら私もそう思うところだけど」
「あやや?」
「そんなの関係ねえ! って連中が、来たみたいだよ」
 両者が見上げる空に――――人影が、二つ。
 ある者が見れば震え上がり、またある者が見れば立ちすくみ、また別の者は裸足で逃げ出す。魅せる弾幕の美しさに感嘆の息を吐く者もいれば、掴み所のないイマドキの少女だと肩をすくめる者もいる。早く結婚しろという者もいるし、冥王と獣の如しと組み合わせの歪さに首を傾げる者もいた。しかしなお訴えかけてくる強烈な一体感が、両者の間には確かにあって……二人は、それぞれ名をこういった。

 博麗 霊夢。

 霧雨 魔理沙。

********************

「はいそこまで。ここから先は立ち入り禁止よ」
『Σ(゚Д゚ )エェー!』
 霊夢と魔理沙。両者がさて洞窟に潜るべかと準備体操をしていた時に、そいつは現れた。

 八雲 紫。妖怪の賢者であり、幻想郷の守護者。巫女の挙動に口を挟める、数少ない人物であった。

「ぜ!?」
 魔理沙が口を尖らせて噛み付いた。久々の異変にテンションを上げていたところに水を差されては不機嫌にもなろうというものだ。しかし紫は平然と、そして理路整然と機先を制する。
「ここから先の地域に、私たちはスペルカード・ルールを啓蒙していない。お遊び気分で渡航自粛地域に踏み込んでもらっては困るのよ。外交問題になるし、人間の盾にでもされたら面倒だわ」
「どういうこっちゃ、兄弟!」
「霊夢には解るわよね。あなたはかつて地上を征服した。けれど、地底にまではその支配は及んでいない。この地の下には、まだ、暴力が剥き身で転がっている世界がある。大人たちが問題を解決するまで、近づいてはならない。まだあなた達の出番ではないということよ」
「…………」
 霊夢は押し黙った。既に、自らの分を悟ったかのような雰囲気があった。
 
 それが。
 その態度が、魔理沙という爆弾に火をつけた。

「なんだそれ。ぜんっぜん納得できないぞ」
 箒を引っつかむ。
 明らかに、苛立っていた。霊夢に対してか、紫に対してか。否。未だ少女に過ぎない、と。舐めた態度を取られながらも言い返すことのできない、自らの無力に対してである。これを跳ね返すには、自らの実力を証明するほかないことを、魔理沙は良く知っていた。
 道を塞ぐように立っていた紫を、なんと魔理沙は、ぐいと力を込めた腕で押し退けてしまう。
 止めえぬ気迫があった。紫が後ずさる。魔理沙が前に進む。
「月に行った時だって。私は口八丁で局面を切り抜けた。覚えてるだろ? 今度も、やってみせるさ。それに、あの頃と今とでは、私も進歩してるしな」
「どうしても行くというのなら、止めないけれど。私は助けに行けないわよ――博麗 魔理沙!」
 不意に紫は、魔理沙を昔の名で呼んだ。それはまだスペルカードが発布されて間もない頃に、魔理沙に与えられていた姓。
「構うもんか。それじゃあ、先に行かせてもらうぜ」
 魔理沙はにとりの耳元に口を寄せ、なにごとか言葉を交わしてから振り返った。
「なあ、霊夢」
 不意に、魔理沙が数年若返ったような――今よりもっと幼かった頃の姿が見えた気がした。
「今の状況。いつかとはまるで逆だな。思い出すだろ。博麗要塞攻略。とりわけ激戦だった、890高地争奪戦を。あの時は、おまえが私を出し抜いた。今度は私の番だぜ。おまえはどうするんだ――八雲 霊夢!」
 ニヤリ、とひとつ。意地の悪い笑みを浮かべて魔理沙は洞窟へ飛び込んで行った。あとには同じく、昔の名で呼ばれた少女が残される。
「……いつかとは、まるで逆……か」
 ずっしりと、肩を落とした霊夢が呟く。かつて八雲を名乗っていた頃、霊夢はもっと熱気に満ちていた。今は違う。往時の鋭さは失われて久しい。ところで、その横では文が「わたし! わたし!」と自分を指して存在感をアピールしていた。890高地争奪戦、別名"レイムバーガーヒルの戦い"に従軍記者として密着取材し、『坂の上の八雲』というルポルタージュで数々の賞を授かって一躍名を高めた天狗こそが、射命丸 文なのだから。
「…………」
 自然と、足が出ていた。魔理沙を追うように。ぐっ、と引っ張られる。袖を掴まれていた。
 いつの間にか、あるいは最初からか。包み込むように紫が霊夢に密着していた。娘を掻き抱く母親のように。大事に、大事に。その動きを縛るかのように。紫はささやく。
「霊夢、霊夢、ああ、霊夢。魔理沙を追ってはいけない。あなたまではやまった真似をしてはだめよ」
「そんなの……知らないわよ」
「霊夢!」
 紫の献身的な呼びかけは、かえって霊夢の心を奮い立たせていた。全く単純な話だが、それは子供じみた意地に由来している――紫に対して抱く、反発。なんということはない。未だに反抗期から抜け出せていないのである。
 めきめきと、力を取り戻す。細胞に糖が回り、眼に光が宿る。
「この先は、無法地帯……ですって? 上等じゃない! そんなんでビビってたまるか。おおうとも! 無法の調伏と法による郡化こそが私の役割じゃないの。危険だというのなら、力を貸しなさい。博麗の巫女が、ここまでコケにされて……黙っていられるもんですか」
 またしても、紫は強い力で突き飛ばされた。
「そうとも。私は博麗の巫女、霊夢だ。誰に私を止められる!」
 霊夢が歩を進める。紫がついてくる気配はなかった。悲しげに、佇むばかりで。今さらそんな顔をしても遅い。最初から霊夢が博麗だったならば、こんなことにはならなかった。そう思ってどうにか罪悪感を押さえ込み、霊夢は大きな声で仲間を呼んだ。
「文!」
「え、はい!?」
「力、貸してくれるわね」
「え、はい」
 文と霊夢の間で契約が結ばれる。そして霊夢もまた、無明の地底へと、勢いづけて飛び込んでいった。


********************

[魔理沙と釣瓶落としの怪]


 地底へと続く道に、二人の少女がいた。
 ヤマメと、キスメである。
 いよいよ本番だ。そう思うと、緊張に身体が震えた。
「ううう。ううう。どうしようどうしようキスメ。私、今朝の占いで77位だったんだけど。大丈夫かな、大丈夫かな」
「1ボスと中ボスがビビッててどうするのよ。体当たりでいいのよ、体当たりで。とにかくナメられることだけはないように!」
「ううう……。う?」
 ヤマメが洞窟の入り口側に耳を澄ます。地霊と妖精が発砲する音が聞こえた。
 いよいよ、異変の討伐が始まったのだ。
「ヤマメ! しっかりしなさい! 私がここで、地底の難易度ってやつを教えてやるわ。その次はあんた! いいわね」
「う、うん」
 ヤマメが後退する。キスメはその位置で、最初の侵入者を……魔理沙を待ち受けた。 

「なんだなんだ。この辺の妖精は一応、スペルカード・ルールを知っているんだな」
 地底と地上の交流は絶えて久しい。しかしなにごとにも境目は存在し、そして境目の本質は濃淡の差だ。スペルカード・ルールの浸透度合いは今のところ、地上とそう変わらない。ゆえに異物への排除反応も、あくまでスペルカード戦に則った形で行われていた。致死性を帯びてくるのはどれくらい深くまで潜ってからなのか。遊びでなくなるのはどこからなのか。魔理沙は注意深く、しかし大胆不敵に進んで行った。
「ええい、蛇行運転が好きな暴走っ子どもめ!」
 右から左へ、左から右へ。妖精が降ってくる。未だパワーが足りず、僅かに交差する瞬間しか弾を当てられない状態では一匹仕留めるにも手間取った。いつから妖精はこんなに俊敏に動くようになったのだろう。直線的に、列を成して動いていた頃が懐かしい。あの頃は一匹一匹が強敵だったが。やがてパワーが溜まる。交信強度は十分だった。
「にとり、にとり? 聞こえるか」
『ハイハイ、聞こえるよ』
「いつか練習したアレ、やってくれ。一人じゃきつそうだ」
『よしきた、電源回して!』
 魔理沙の背後に、水の色をした霊体が現れる。魔理沙のショットに追随し、幽鬼からなる新たな飛翔体が加わった。
 蓄えたパワーにより形を保つ、にとりの遠隔支援ユニット。空中魚雷と名づけられた低速ミサイルが次々と撃ち出される。ぽつぽつとまるで水滴が当るような音がして、前方の妖精や落石をなぎ払った。
 俄然、進行速度が上がる。しかしながら、撃たれる前に撃つ、という基本はこのとき十分に果たされていなかった。にとりのサブショット性能と妖精の出現パターンからどうしても正面の敵にのみ砲火が集中してしまう。右翼に力を注げば左翼から弾が飛んでくる。いずれもが自機狙いの単調な弾幕であったため被弾には至らなかったが、一面からストレスの溜まる道のりであった。
「妖精、地霊の出現が止まった……たぶん中ボスが来るぞ、にt」
『上上! 前前前前!』
「うわっ」
 一瞬、画面上にできた空白。これに気を緩ませる間もなく魔理沙は急速旋回、右一杯に箒の舵を切った。何者か、桶みたいなヤツが一直線に、急速に、魔理沙目掛けて降ってきたのだ。危うくかわす。
「中ボスだ! だから言ったろ」
 にとりがだからどうした、という前に魔理沙は弾幕の中に飛び込んだ。
 魔理沙のショットは自機とほぼ等幅に収束している。にとりのサブショットも、これよりは広いが前方にまとまりが良い。にとりらしい、素直で扱いやすいショット。ゆえに正面から貫けば容易く桶は引き下がる。
 魔理沙と敵機の間を彩る弾が変わっても、なお単調な横列は魔理沙を捕らえるには雑すぎた。これも容易く往なす。桶が距離をとり、はじめて桶が――キスメが声を発した。
「怪奇『釣瓶落としの怪』」
 スペルカード宣言。天井にぶら下がったキスメから鬼火が落ちてきた。
「うへええええ! なんだこれええええ!」
 げらげらと笑いながら避ける。初めて見る弾幕にいささか肝を冷やす……が、それでも楽勝だった。当り判定が解らない弾には近づかない。キスメに随伴する動きでショットを当てると桶は落ちた。中ボス撃破である。
「よーし……それじゃあ」
『張り切って進もうか!』
「いや。今落としたのを拾いに行く」
『え? いやいやいや。なに言ってるの魔理沙』
 中ボスを撃破したところで魔理沙は足を止めた。無抵抗のキスメを拾い、岩陰に身を隠す。
 にとりもキスメも意図を察しかねた。しかし、しーっ、と指を口に当てて沈黙を求める魔理沙に従い黙っておく。すると、すぐに、強風が吹いた――あれは。
「……よし、もういいぜ。霊夢を先に行かせたかったんだ」
『魔理沙。あんた霊夢が来るって解ってたの? 確かに、さっき文と契約してあんたを追って行ったけど』
「まーな。アイツのことだからな。しめしめ、コレで後は霊夢の後をついていけば楽に進めるって寸法だ」
「せこいですね……案外……」
 キスメが呆れたような声を上げる。
 出会ってからまだ五分と経ってはいないのに、キスメは既に、魔理沙に友達のような気軽さを覚えていた。


********************

[霊夢と土蜘蛛]


 問答無用の暴力にヤマメは撃ち落された。
 否。暴力というのはいささか雑だ。一応スペルカードは出し尽くせたのだから。ならばもはや、攻略されてしまったという他ない。しかしあまりにも不条理な強さだった。ウィルスも生存戦略もクソもない。もはや暴力としか感じられないほどの。
 勇儀の持つ腕力とも、空の持つ知性とも、さとりの持つカリスマとも異なる。ただただ理不尽で不条理で圧倒的な"強さ"。あたかも芝刈り機で駆られる雑草のように、ヤマメは敗北したのだった。
「罠符『キャプチャーウェブ』」
 網を投げるかのように、画面いっぱいに筋が走る。しかし霊夢は気にも留めず、超高速でヤマメに肉薄するやバックステップで距離をとり、正面側にサブショットオプションを集中、二個配置して速攻を仕掛けた。二投目を準備する前にスペルカードが焼け焦げ、潰される。
「瘴符『フィルドミアズマ』」
 円状に成型された弾幕は、一拍を置いて各々放射状に放たれた。しかし霊夢は避けるまでもないといった動作で僅かに身をそらし、それだけで一切自機に触れるものはなくなる。
 かくして、ヤマメの記念すべき異変初参加は、ものの二分で幕を閉じた。
 今まで歩んできた道のりから考えれば、それは、あまりにも、あまりにも、あっけない幕切れであった。
「……負けたぁーっ!」
 もう少し粘ることもできたがやめておいた。焦ることはない。あれこそが博麗 霊夢だ。待ち望んでいた、我らが巫女だ。楽しみはあとにとって置いてもいいだろう。今日は、もう、十分に楽しんだ。
「あはは……まだ、足震えてるや」
 ヤマメは、あたかも大波に乗り切れず無様に波の背を下るサーファーのような気持ちで霊夢の小さくなる背中を見送った。今日は緊張もあった。明日はもっと上手くやれる。まだまだ見せたいものたくさんある。末永く付き合ってもらおうじゃないか。
 ……と、降りた肩の荷に心地よさを感じていると、さらに洞窟の入り口側から人影が近づいてきた。
「あれ? キスメ? ……と、人間じゃん!」
「ちーっす。観させてもらってたぜー。ヤマメってんだろ? 私魔理沙。霧雨 魔理沙。よろしくー」
「あ、うん。よろしく……?」
 ヤマメは一方的な魔理沙のノリに巻き込まれて判断能力を奪われた。たったこれだけの挨拶で、既にして魔理沙は、妖怪二人を味方につけていた。

********************

[霊夢と橋姫]


 ……竪穴を下る。
 霊夢は焦っていた。
「一応、スペルカードルールはまだイキてるみたいね」
『ええ。しかしいささか作法に欠けます。次の一手までは読める妖精の配置ですけど……あんまり飛び回らされるのは嫌なんですよね』
「解る解る。動きを強要されるスペルとかね。私も苦手だわー」
『またまたご冗談を』
「こやつめ、ハハハ」
『ハハハ』
 陰陽ボールで会話できることに関して、霊夢は特に気にしていなかった。グレイズで交信強度が上がり得点に補正がかかることも既に把握していたが、あまり興味はない。
「よっか……魔理沙にはまだ追いつかないのかしら?」

 霊夢の焦り、その原因は魔理沙だった。確かに魔理沙は優れた調伏師だ。逃げ足の速さと口八丁、加えて機転と火力も鑑みれば、魔理沙はどんな妖怪だって殺せてしまう。左様、紫でさえも。それだけの才能が、魔理沙には、あった。あったのだ。しかし、それでも、まだまだ底の浅い小娘であることは霊夢が一番良く知っている。爆弾の作製中に指を飛ばしたこともあるし、人間の子宮で繁殖するタイプの妖怪に弄ばれたことも、一度や二度ではない。ゴミクズとさえ呼ばれ、笑いながら蹴落とされ、血を流しながらも涙だけは流さず、危うい強さを身につけた少女。それが魔理沙なのだ。なにかの拍子にバランスを崩せば、再び日の光は拝めないだろう……少なくとも、五体満足では。※1森近に ※2カモられた


 執着するほどではないが……魔理沙の持つ可能性を、ここで終わらせてはならない。霊夢はそう思っていた。
『そんなに心配ならいつも一緒にいればいいのに。おっと失礼、既にそうしてましたね』
「うるさい天狗。速度上げるわよ!」
 重力加速度に加え、天狗の風が霊夢を吹き降ろした。時折現れる地霊や球状の空中地雷にはさほど耐久力もなく、これらは撃たれる前に撃つの原則の元容易く砕かれ、捨て置かれる。
「……文! 一時の方向!」
 順調に思われた刹那、霊夢が叫んだ。サブショットが方向を変える。現れた橋姫は――けっ躓いて、出鼻をくじかれた。
「ったいなあもう! 妬ましいわ!」
「あんた、耳長っ!」
『え、どれどれ……ホントだ、こりゃ長い』
「うそっ私の耳、長すぎ……?」
「"長さ"は、どうでもいいー! それよりここ、さっき女の子が」
「どうでもいいって、あんたが言い出したんでしょうが! ええい妬符『グリーンアイドモンスター』!」
 緑の大河、よく解らないバケモノの気配が後をひたひたとついてくる。霊夢に、既に焦りの色はなかった。
「これなら問題なく渡れそうね」
『でも自機狙いで速度変化があるかもしれません。遠くに置いて、敵機を狙いましょう。密着して!』
「言われるまでもない!」
 焦燥はゆるゆると霊夢を狙って追尾してくる。尻で引き、身を翻し、再びパルスィの正面へ移動。画面の半分ほどが緑に染まったところでウソのように焦燥は解消された。再び画面上方から嫉妬心が忍び寄る。だがフルパワーの集中砲火は、その妬みが届くより早くパルスィの体力を奪い尽くした。
「あー妬ましい! ファック!」
「どさくさにまぎれてなに言っちゃってんの!? 追うわよ文!」
 自機狙い弾をちょんよけで凌ぎ、パルスィを追い詰める。あまり時間はかからなかった。なにがしたくて退いたんだろう。こっちが二人だから二回なのだろうか。中ボスと面ボスを兼ねるヤツの考えることはよく解らない。それは地上でも地下でも変わらなかった。
「来たわね。花咲爺『華やかなる仁者への嫉妬』」
「……!」
 ここに来て、霊夢がはじめて動きを止めた。大玉は紫や青、赤などのバリエーションを今まで見てきたが緑のやつが一番キレイだ、と思ったのだ。そしてまた、その背後に連なる花が咲いたような設置弾にも。花咲爺に嫉妬した結果がこの弾幕だというのなら、嫉妬というのもしてみるものかもしれない。
 しかし。
「満開には遠いわね。これならすり抜けられる」
『いいですね。この弾幕。私は六分咲きくらいに一番美しさを感じるんです。霊夢さんは何分がお好き?』
「ニューナンブ」
 パルスィの背後を抜ける。歩速を緩めて無駄撃ちを誘う。パルスィは既に息切れしていた。動きに合わせてショットを打ち込み五秒で撃破。息を整える時間があって、再びパルスィが札を切った。
「まだまだぁっ! 舌切雀『謙虚なる富者への片恨』」
 分身する。パルスィがもう一人現れた。
『霊夢さん! どっちが本物ですか!?』
「右」
 あっさりと霊夢は正体を見破った。「勘かよチクショー」がりがりと体力を削られながらパルスィが苦笑し、ふっとその姿を隠す。そして再び霊夢の正面に現れたのは――虚像。
 強烈な撃ち返しに遭う。
「う        お」
 堪らず霊撃。霊夢の周囲にあった弾の一切が掻き消え、代わりに闇が満ちた。
「文! 有効範囲は!」
『赤いハロゥの内側! 密着して!』
 張り付きボムタイプと理解した霊夢はびったりとパルスィに張り付いた。「ちょっとお邪魔しますよ!」闇がパルスィから熱を奪う。底冷えする感覚があって、スペルカードが朽ちた。
「さすが、こなれてる。これで最後! 恨符『丑の刻参り』」
 パルスィが無数の五寸釘を放ってきた。それらは画面端に突き刺さり、嫉妬の炎をばら撒く。
「ごっ……五寸釘ィイィイ!?」
『なんですかそのリアクション』
「いや正直ね、私ね。自分がばら撒くポテチの大入り袋より、五寸釘のほうがはるかに当りに行っちゃいそうな感じするのよ」
『なんでー?』
「小さい頃、よく鉄くず拾っては飴玉と交換してもらってたから。川原で氷長石拾ってきてサ。古い五寸釘を砕いた氷長石とボロ布で磨くと、キラキラして新品みたいになるのよ。それが良い値で売れてサア……」
『はあ……なんかウチの椛と話が合いそうですね。あの娘も昔は、廃車済みの原付を三台くらい拾ってきて、レストアして一台売る、みたいなことして生活してましたから』
「ってか避けろよ! あんたら!」
「避けてるじゃない」
「余裕だなチクショー! 妬ましいわ!」
 五寸釘を右手に左手に。霊夢は紙一重の距離を保ってパルスィと対面を保っていた。五寸釘から零れ落ちる嫉妬の炎に追われ時折斜めに構えるも、文のサブショットは苦もなく全方位への射線を開ける。
「……くうっ。ここまで妬ましいと、却って清清しいわ」
「そりゃどうも」
 橋姫が道を退いた。スペルカードが敗れる音がする。
「行ってよし! 楽しんどいで!」

 水橋 パルスィ。
 灰を撒き、釘を投げる、嫉妬に狂った橋姫は、このようにして、倒されたのだった。

********************

[霊夢と鬼]


「しかし、アレよねえ」
『言いたいことは解りますよ。結構覚悟して潜り込んだ割りに、ノリがいつもの異変と同じだって言いたいのでしょう』
「そーそー。今もこうして、旧地獄街道だっけ? 進んでるけどサ」
 両脇に連なる店々に、にわかに地底は文明の香りを漂わせ始めていた。いよいよストーリーの本編に入ろうとしている。
「キッチリ自機狙いで、なんだか避けてて楽しいわ」
 道中の通常弾幕でカリカリと稼ぎながら、霊夢は軽やかに石畳の道を跳ねて進んだ。
『油断しないでくださいよ。地底にも、ある程度スペルカードルールが普及していたとしてもおかしくはありません、ありませんが……ここから先は人口密度も増えるでしょう。話の通じない相手は決定的にコミュニケーションが不可能だと思ったほうが良い。特に鬼なんかはね。絡まれでもしたら先手必勝ですよ、霊夢さん!』
「あーそっかー。鬼とかいるんだっけー。先手必勝ねー。おっけーおっけー、ね」
 だらだらと話しながら道なりに進むと曲がりカドに突き当たった。
 出会い頭に鬼がいた。
「ギャアアアアアアアアアア!」
「うわあああああああああ!?」
『鬼だああああああああああああ!』
「ギャアアアアアアアアアア!」
「なんだあああああああああああ!?」
『鬼だああああああああああああ!』
「ウワアアアアアアアアアア!」
「うわああああああああああ!」
『うひょおおおおおおおお!』
 先手必勝。とっさにノータッチ・ヘッドバットで鬼を攻撃。
 博麗の巫女の頭突きである。一撃で勇儀は腰砕けになった。踏み込み、追い討ちとばかりにぶち込まれた右肘は鋭く四十五度から勇儀をさらに揺さぶり……この時点で、あらゆる戦闘力は奪われた。
「……やっちまった」
『あーあ。私知ーらないっと』
 首があらぬ方向に曲がり、角が折れ、ぐったりと地に伏す勇儀。
「これ、首を元に戻したら生き返らないかな?
『そんな、ファンタジーやメルヘンじゃないんですから』
「うあー! びっくりしたあ! あ、首治してくれたのありがとう」
『生き返ったああああああああ!』
「ウワアアアアアアアアアア!」
「なんだああああああああああ!?」
「鬼だアアアアアアアアアアアア!」
『鬼だあああああああああああ!』
「なんだああああああああああ!?」
 折れた角は、近くにいた地霊がたまたま持ってたアロンアルファでくっつけて直した。
「騒がしい連中だね。せいぜい、こっちも騒がしく迎えてやるよ!」
「はい、よろしくお願いします……」
『お手柔らかに……』
 なんだかんだで、勇儀はゲンコツ一発で勘弁してくれた。その場に居ない文の分、なぜか霊夢が頭にコブを二つ作る羽目になったが致し方ない。「鬼だから萃夢想ルールだと思った。今は反省している」などと釈明も試みたが勇儀は首を傾げるばかり。スペルカード・ルールの浸透度合いはやはり中途半端なもののようだ。この先はいよいよサバイバルになるだろう。
「鬼符『怪力乱心』」
 鱗弾が降る。描かれた模様は、子供が絵を描いたような単純さだったが、不思議な味わいがあった。が、そこに避ける難はない。
「避けきったな。よしでは次に行くぞ。怪輪『地獄の苦輪』!」
 今度降って来たのは輪っかだった。視力検査でもやりたいのか、いずれも上に穴が開いている。ショットを撃ち込むと輪は縮まった。落下速度も数も中途半端で、やはり避けるまでもない。
「どーしたのまだ首痛い!? こっちだよ鬼さん!」
 スペルカードを二枚やり過ごし、竹の葉文様状の自機狙いで稼ぎながら霊夢が発破をかけた。どこか、勇儀にはためらいがあるような気がした。
「いいだろう。そこまでいうなら力業を魅せてやる……魅せる以上は、簡単にはくたばるなよ! 『大江山嵐』だ!」
「ハードル上げますね! さすが鬼ですね! ギャー!」
 五秒耐えて、定められていたかのようなタイミングで霊夢は霊撃した。右斜め上方から雨霰と降って来る大玉。今度ばかりは密度もスピードも申し分ない難スペル――まさに力業であった。これが鬼か。これが鬼の業か、と背後で文が納得していた。
「あんたも、なかなかイイ霊撃持ってるじゃないか」
「だってさ? 良かったじゃない文」
『お褒めに与り光栄です。もっと褒めてもいいですよ?』
「次のも、凌ぎ切れたらなあ! おおしいくぞォ! なんだか楽しくなってきたんだ、存分に震え上がれよォっ! 人の子ォ!」
「あはは。ノリノリだなこれ。鬼はハードル上げるのが好きだ、ってあとで阿求に教えてあげよっと」
『それだけ、自信があるのでしょう。そして鬼は、謙虚は尊ぶも嘘はつかない』
「四天王奥義『三歩必殺』」
 
 どん。勇儀の下駄が宙を鳴らす。
 
 霊夢はその振動だけで総毛立った。
 口数の多かった文も言葉を失っている。
 
 さらに、どん、と下駄が鳴る。ざわざわと、地が響く。
 恐ろしいことが起こると、理解はできた。しかし想像はできなかった。

 そして三歩目が踏み出され。
 今までとは比較にならない量の玉が画面を埋め尽くした。
「…………! ……! …………!!!」
 無言のまま。肺に残った酸素を頼りに霊夢は身をかわした。口をぐっと閉じ、身を硬くして。そうしないと漏らしてしまいそうだった。
 避けきる。心臓がどくどくと主張する。まだまだ、まだまだだ、と。

 次の三歩目が踏み出された。
 今度は画面が

 真っ白になった。

「~~~~~~~~~ッ! !   !! ッ!」
 いっそ叫んでしまいたかった。かくいう程の恐怖が霊夢を襲う。かなり本気で恐ろしかった。この鬼がスペルカードで挑んでくれて、本当に良かったと、心底思う。どうかしている。どうかしている。どうかしているのだ、この弾幕は。
 ぶっちゃけありえない密度と迫力に、霊夢は被弾もしていないのに一機減らした。
「…………」 
 避ける場所はあった。弾の動きも完全に予測できた。しかし、動揺していた。
『霊夢さん。無理しないで。霊撃しましょう』
 文が当然の選択肢を薦める。だが、恐怖を感じるからこそ、霊夢は一歩も退かなかった。退けなかった。
「…………」
 過呼吸を抑えてのシューティング。勇儀はにやにやと笑いながら、確実に痛めつけられていく。やがて盃が波打ち、一滴雫が跳ねて――。
「……参ったッ! ここまでだ!」
 勇儀が、盃に口をつけた。零れそうになった雫を嘗めとる。
「ありがとうございましたァッ!」
『っしたぁ!』
 異口同音に。霊夢と文は頭を下げる。
 勇儀が指し示す先へと、二人は再び、前進をはじめた。


********************

[魔理沙と不法侵入]


「ここが、あの女の、ハウスね!」
 さて地霊殿に最初に到着したのは誰であろう、我らが霧雨 魔理沙であった。彼女は鬼の怪異が潜むと知るやそっちは霊夢に丸投げし、異変の中心地であるこの館を突き止め先回りしていた。
『姑息だなー魔理沙はー』
「うるせーやい。鬼とやりあうには今日の手持ちじゃ足りないんだよ」
 ピッキング七つ道具を広げ、ハンドドリルでサムターン回しを狙う。
「む……意外と硬いな」
 一見するとただの板金製のドアだったが、しかし落ち着いた印象を与える深い黒の色調は塗装ではなくSUSの焼入れによって生じた色だった。ハイス鋼で作られたドリルの先端では時間がかかりすぎる耐摩耗性。これを凌ぐ超硬サーメットバイトは重量になるため今日は持ってきていなかった。
「仕方ない。にとり、ドアを焼き切れ!」
 光学迷彩で隠れていたオプションが前に出る。発ガスにより加圧された水素トーチの中心温度は優に三〇〇〇度を超えるもので、溶断するには十分だった。
 静かにドアを開ける。白黒の魔理沙は薄暗い空間に良く馴染んだ。
『わっ!』
「ギャー!」
『あははははは!』
 にとりが遊ぶ。魔理沙が驚く。
「心臓止まるかと思ったぜ!?」
『あっ、魔理沙、足元!』
「あん?」
「ニャー!」
「おっといけねえ。猫踏んじゃった」
 蹴っ飛ばされたのは、二つの尾を持つ黒猫だった。ぴょんぴょんと跳ねるようにして逃げてゆく。
 あとには、残機のかけらが残されていた。

 その頃、霊夢は。
「ここが、あの女の、ハウスね!」
 地霊殿を眼下にしていた。ガラス張りの天窓の真上、数十メートル。霊夢を空中に繋ぎとめていた力が消える。一直線に落下する。ぐんぐんと、天窓が大きくなる――破り抜く。
 ぱん、ぱん。ばりばり、と。
 勢いを持って霊夢は地霊殿に突入した。地底の内戦中も、端緒にのみ戦火に晒されたほかは傷ひとつつくことなかった大本営。ここに霊夢は単独で奇襲を仕掛け、中心にまで乗り込んでいた。
「ちょっ……誰!?」
 ガラスの割れた音を聞きつけた家主がスリッパのまま現れる。手には箒とチリトリがあった。
「…………」
「え、私? 私は古明地 さとりっていうんだけど……ええ、ここは私の家」
「…………」
「うん? 知らないわ。そんな子。ここに来ているはずなの?」
「…………」
「そんな疑いを向けられても困っちゃうわよ。え? ああ! ちょ、ちょっと待って!」
 さとりが戸惑う。本来ならば、ここは彼女の出番ではないのだ。しかし姿を見せてしまった以上素通りさせるわけにもいかない。一方の霊夢はといえば、相手がサトリだと気付いた上で、家主ならば話は早いと制圧を念頭に置こうとしていた。さとりが慌てて霊夢を止める。
「スペルカードなら、みんな持ってるから! 大丈夫だから!」
「………………」
 未だに霊夢は疑っている。弱ったなあ、とさとりは思った。その時、霊夢の背後。柱の陰に隠れて、黒い帽子が見えた。
 白黒の魔法使いがいた。なにごとか、ジェスチャーでさとりに伝えようとしている。
 が、ヘタクソなロボットダンスにしか見えなかった。
「……ふっ」
「!?」
 たまらずさとりが噴出す。今度は霊夢がたじろぐ。
「え、なに!? 私そんな変なこと考えてた!?」
「あ、いえいえ、ごめんなさい。そうね、魔理沙っていうの。その子の居場所、教えてあげてもいいわよ」
「なによ、やっぱり知ってたんじゃない」
「そこはほら、サトリであってもミスコミュニケーションは生じうるってことで。手違いよ手違い、勘違いかな?」
「なんでもいいわ。速攻かけてやる!」
 霊夢がオプションを正眼に構える。さとりの取り出した札は……二枚だけ。
「忙しい身でね、まだこの二枚しかないのよ」
 霊夢が不満顔を作る。ヤマメ、パルスィ、勇儀と来たら、さしずめさとりは4ボスである。にしては少ない。
「ふふ、そう心配しなくても残機のカケラは4ボス相応に落としますよ」
 どういうことなの、と霊夢。心を読まずとも表情で解る。そんな霊夢を見て、ペットにしたいな、とさとりは思った。
「答えは一枚目を避け切ってからです……行きますよ。想起『テリブルスーヴニール』」
「ところであんた少し腕短くない?」
「事故の後遺症でね」
 ベルヌーイ螺旋を描くレーザーが幾条も霊夢を追いかける。しかも顔面を狙って。どこかレーザーポインタを思わせる色合いに瞼を閉じたくなるが、それでは回避がままならない。
 霊夢は経験上、こういったレーザーは、寄り添った位置にいるのが最も安定することを知っている。グレイズで稼ぎつつ、次のレーザーまでを凌ぐのだ。案の定、黄色い光弾と、遅れて大玉が放たれる。いずれも下手に動き回らなければ回避できるものだった。
「さすがね。恐怖には捕らわれないか」
「それが狙いか、やっぱり」
「さあ、これからが本番よ! ご想像通りの弾幕を見せてやる。想起『風神木の葉隠れ』」
 瞬間。広間にあった観葉植物の一切が散った。木の葉が舞う。風に乗り舞う。さとりの指揮に従って舞う。くるくると、円を描いて。さとりの周囲に密集し……飛び出す。
『――――こいつ――――!』
 文が歯軋りする音が聞こえた。霊夢は無視した。
「ははっ……予想以上に、"らしい"じゃない!」
 木の葉をかわす。あまりにも大量の弾幕がそこには存在したが、交差する場所を見抜きさえすれば上下移動で事足りた。一度目と二度目の間には十分な時間があり位置取りも問題なし。スペルカード取得。
『よりによって私の、しかも安置のあるスペルカードを使うなんて!』
「怒らない怒らない。私がそうさせたんだから。相手がサトリならこう来るだろうなと思って。わざと、ね」
「全く大胆不敵な方ですね。安置を狙って私に読み取らせるなんて。けど最初に来るとは思わなかったようだ。さあ、次――想起『天狗のマクロバースト』」
 さっきと同じ札が切られ、鱗弾の鏃が吹き込んでくる。円錐状をしていたが、これも避け方は知っている……決して、鱗弾の間を抜けようなどとは考えてはならない。気合避けが基本であるが、幸いボムには余裕があった。チキンボム1回で安定、撃破。文が鼻を鳴らす。
『やはり想起はただの想起ですね。中身がスカスカです。その点私ってすげぇよな、最後まで鱗弾たっぷりだもん』
「さて次は……アレかしら」
「そう、これで最後! 想起『鳥居つむじ風』」
 弾幕を使った造詣は、スペルカードの醍醐味のひとつだ。鱗弾が風に乗り、渦を巻いて迫り来る。それらはつむじ風を正しく表現すると同時に、どこか多弁花のような――菊が咲いたかのような印象を与え、これがまことに風流である。むじな菊文様。鱗弾が黄色ければより美しかろうが、文には文の考えがあってこの配色なのだろう。
 二列同時に接近。収縮と拡張を繰り返す動きと、つむじ風の間隔を読む。天狗の弾幕というのは、いつもこうして、避けるために俯瞰の視点を要求してくる。それゆえか、無駄にばら撒かれる弾がなく、落ち着いて俯瞰する余裕が持てた。文花帖などにおいてドットイートを貫く"文の美学"が、よくよく伺い知れるスペルカードであった。
「文、二時の方向――やっぱ四時! 前に出る!」
『四時ですか!?』
「ウソゴメンウソ! 三時! じゃなくて九時!」
『ええ、ええ、ええっと』
「遅い! コントロールをこっちに!」
『しかし、それでは出力が――』
「サボったら承知しないわよ! 全力で撃ち続けろ!」
 霊夢がオプションのファイアコントロールを文から剥奪した。人の手には余るパワーが霊夢のか細い腕にかかる。筋力で。霊力で。根性で。霊夢は押さえ付けた。パワーは4.0のまま。
『この私が……。……使われている!』
 文は今の今まで、自分が霊夢を使っているつもりだった。ただの人間に、天狗のチカラが制御できるはずはない。そう思っていた時期が文にもありました。が、霊夢には関係のないことだった。
 斜め下方から大量の、巨大な鱗弾・深山颪がさとりに殺到。予想外の角度、予想外の量にさとりは五秒とかからず轟沈。
「なるほどこれが地上のスペルカード。たいした攻撃力ですね」
 そう言って笑いながら、さとりは敗北した。
「さあ、吐いてもらうわよ。魔理沙の居場所はどこかしら」
「ああ。それならさっきまでは、あなたの後ろにいましたがね。もうどっか行っちゃったんじゃないですか?」
「ええええ!?」
「たぶん中庭のほうだと思いますよ。順路はそっちですからね」
 中庭、と聞いた時点で霊夢は高速移動で姿を消していた。
 あとにはさとりと、割れたガラスが残される。
「やれやれ。とんだ番狂わせになっちゃったわね。お燐たち、上手くやればいいけれど」
「そのお燐ってのが次のボスかい?」
 柱の影から魔理沙が現れる。
「あら、まだいたんですか? あなたは中庭にはいかないの?」
「いやあ、そうするつもりだったんだけどな。さっき猫を踏んじゃってさ。怪我でもしてたら大変だと思って探してたんだ。知らない? 腹が赤くて、尾が二つの」
「ああ……それなら心配要らないわ。さ、あなたもさっさと行った行った。異変の元凶は、近いわよ」
「いいのか? 素通りさせて」
「ええ。なにせ――ここからが、本当の地獄ですからね」

********************

 控え室にて。
 踏まれた燐がよろよろと、メガネの妖精にもたれかかった。
「大変だ、大変だよ」
「なあに、急に。メイク中なんだから揺らさないでよ」
 メガネの妖精は青白い顔をしていた。ゾンビに似せた化粧である。
 ゾンビフェアリー。
 彼女が本来の、4ボスであった。
「さとり様が戦っているんだ」
「えっ!? さとり様はEXボスでしょ! なんで……まだ4面でしょう?」
「そうなんだけど、相手が順路をすっ飛ばしてさ。誘導しようにも、私の残機がゼロだよ。どうしよう、助けに行ったほうがいいかな」
「さとり様は大丈夫だ。自分の身は自分で守れる。けれど、その点マズイのはこいしさんだ。あの人はどうしてる?」
「地霊殿のどこかにはいると思うけれど……仕方ない。4ボスはさとり様で通そう。ちゃんと手加減できる方だしね」
「ううむ。しかしこうなると、エクストラボスが不在になっちゃうな。私じゃ力不足もいいところだし。私が5ボスやって、燐が代わりにエクストラってのは?」
「私は異変の中心人物だ。5ボスは私以外にありえない。代われないよ、シナリオ的に」
「よし」
 メガネが頷く。名案が閃いたようだ。
「じゃあプランBで行こう。……プランBはなんだ?」
「あ? ねえよそんなもん」

 メガネはこのあと、仕方がないので燐と一緒に出ることにした。5面の難易度がやたら高いのは、そういう経緯があったからだった。

********************

[文とモフモフ]


 さとりの言葉は脅しではなく、そこに誇張は一切なかった。
「撃ち返――!?」
 中庭にあるボイラー室への階段を下りた霊夢は、早速現れた地霊に攻撃を加え――これがいけなかった。超高速の撃ち返しに遭ったのだ。不運にもほとんど距離をとることなく撃墜・撃ち返し。避ける余裕も、喰らいボムする余裕もなかった。
 一機減らす。
 ここからが本当の地獄。そう、5面こそが旧灼熱地獄であり、そしてまた……地霊殿の難易度が劇的に跳ね上がる、ターニングポイントだった。
 自機狙い弾をちょんよけでかわしながら進む。しかし余りにも密度が多い。うまく切り返しを狙わなければならないが、これは慣れがなければおぼつかない。初見では無理というものだ。結果、霊夢は残機をさらに一個減らすまで霊撃し続けるほかなくなった。
「ええい、なんなのよこれは!」
『霊夢さんパワー! パワーとってパワー! POWWWWWEEEEEEEEEEEEEEERRRRRRRR!!!!』
「うっせええ! 狙ってるわよおおおおお!」
『あっにゃんこだ!』 
「えっどこどこ?」
 にゃーん。
 そう鳴いて現れたのは、赤い腹に二つの尾。そう火焔猫 燐である。
『ねえ霊夢さん! 霊夢さん! 捕まえてモフりましょうよ! ねえねえ!赤っ腹とか超レアもんですって!』
「やめて……私に弾幕ってくる気でしょう!? 中ボスみたいに!」
 さてはて霊夢の危惧は全くその通りで、燐はしびびび、と尻尾を立てて層状の弾幕を撃ち出した。
「演劇タイプ……いや、ストレスタイプか」
 見極めは速いが、弾はもっと速かった。一列目は十分にスペースを使って避けることができたが二列目で詰みボム。続いて、赤い放射弾幕が画面いっぱいに広がった。もはや笑うしかない面積――再霊撃。
 猫符『キャッツウォーク』
「!? スペルカード!」
 続いて燐がスペルカードを切った。素早い身のこなしで設置弾を大量にばら撒く。規則性を見つければ簡単なのだが、初見では無理な話だ。これも霊撃するしかなかった。パワーが1.0を切ってしまう。
 文の『烏の闇』により、あっという間に虎の子スペルカードを破られた燐が走り去る。再び地霊が……鬼火が大量に現れ、霊夢の行く手をふさいだ。
 ちょんよけで凌ぎながら進む。グレイズにより交信強度が上がったためだろう、アイテムの回収に難はなかった。
『……なんか霊夢さん、調子良さそう? ようやく身体が温まってきましたか』
「解る? まあ、さっきは油断してだいぶ喰らっちゃったけど。勘が戻ってきたのよね、昔の勘が」
 膨大な量の自機狙いと、それをはるかに上回る無差別な撃ち返し弾。これらを霊夢は全く軽やかに、最小限の動きでかわし、切り返し、稼ぎ、くぐり抜けていた。
 最初に一撃もらった空中地雷の打ち返しも、時折現れては中型弾を大量に打ち込んでくる陰陽玉も、今の霊夢の敵ではない。
「図書館で異変を調伏した時を、思い出したのよ。あの、さとりってやつの弾幕。小悪魔で散々練習した弾幕によく似てた」
『紅霧異変……』
 よく似てた、とはいうが別に似てはいない。ただ、霊夢は久しく忘れていた感覚を、さとりのスペルカードで想起していたのだ。その感覚というのは、つまりどういうものかというと……
「当り判定を知る、ってことよ。昔、まだ駆け出しの頃ね。大玉の当り判定が解らなく苦労したことがあったの。だから図書館で散々練習して感覚を掴んだ。さとりの、あのレーザーあったでしょ? テリボゥなんとかってやつ。レーザーにギリギリまで寄ってさ。大玉の間を潜り抜ける。するといつの間にか敵機が目の前にいて、きちんとショットが当ってる……弾幕の面白いところって、こういうところだと思うのよね。乗るもよし、反るもよしでさ」
『はあ……』
 語りながらも、霊夢は全く集中力を絶やさない。溌剌とした顔で弾丸を見据えていた。
「あえて死地を潜り抜けることで、事故を減らし全体的な生存確率を上げる。危なくなれば即ボム、危なくなくてもとりあえずボム。残機の数から逆算して、避ける楽しみより生き残ることに腐心する……抱え落ちをなくすって意味じゃ王道だけど、これってなにか違うと思わない? さとり、あいつ。さすが4ボスね。大事なことは、みんな4ボスに教わった気がするわ」
『あやややや。そんなに褒めてくれなくても』
「ああ、文? あんたは別にそんなでも」
『またまたご冗談を』
「こやつめ、ハハハ」
『ハハハ』
 そろそろ、暑さも境を過ぎてきた頃合だ。蒸し暑い程度の熱は過ぎ、代わりに肌を焼くカラッとした強火に変わってゆく。
 ボスが来るとしたら、このあたりだろう――来た。
「にゃーん」
「さっきの猫!」
『モフモフだ!』
 うにゃにゃにゃにゃ、と例の効果音。燐がついにその正体を現した。
「モフモフだと思った? 残念、お燐ちゃんでした!」
「妖怪変化か!」
『よくもだましたァアアア! だましてくれたなァアアアア!』
「落ち着け文! ちゃんと耳と尻尾はついてる!」
『超許す』
「ゆ、許された」
「ところでアレ? あんた5ボス?」
「そうだよ、お姉さん! ずいぶんお強いようだけど、お姉さんの命運もここまでさ!」
「あ、そういえばさっきここに白黒の魔法使いとか」
「行け! 妖精!」
 質問する間はなかった。妖精が戦列を組み霊夢と燐の間に展開。弧を描く弾幕が張られる。
『来いにゃんこオォ! 実は私は一回モフモフさせてくれただけで死ぬぞォオ!』
「黙れ猫好き! いい歳してなに言ってるの! マジいい歳して!」
「あはは! お姉さんたちなら、死んでも愉しそうだ!」
 間隔の広い放射弾。演繹に頼れば安定し、慣れればほとんど恐れることのない弾幕。ただしあまりに間隔が広い。さらに第一波と第二波が被っている。多めに避けて、さらに切り返して。そんなことをしているうちに、展開していた妖精は無抵抗に撃ち抜かれ、散っていった。
「なにがしたいんだ……?」
 霊夢がいぶかしがる間もなく、燐がスペルカードを切る。
「やってくれたね。覚悟はいい? 呪精『ゾンビフェアリー』」
「――――――――――!」
 死んだはずの妖精が。青白い顔をして。
 蘇ってきた。
 起き上がり。
「スレイブタイプか……って! 寄って来んなし! 寄って来んなし!」
『霊夢さん! 霊夢さん! 倒したやつ見て! あれ!』
「回復早ッ!?」
 今日の異変は、度肝を抜かれることばかりである。霊夢はたまらず逃げ回った。逃げまくった。サブショットの向きを変えて燐を狙う。目の前に追いすがるゾンビを置いて、低速移動でゆっくり後退しながら、メインショットで当面を凌ぐ。
 だが、呪精の数は多かった。無個性な妖精が、ぞろぞろと這い寄り冷たい息を吐きかける。逃げ道がなくなる。大回りをしようにも、燐の放つ弾幕が邪魔で――身動きが――霊撃!
 灼熱地獄に闇が満ちた。死体を上回る冷気が燐の体力を奪う。烏の闇は近付くゾンビフェアリーも一網打尽にし、スペルカードを破る。
「まだまだ行くよ! 恨霊『スプリーンイーター』」
 霊夢を囲むように、薄緑色をした地霊が現れる。そいつらはくるくると回りながら設置弾を置き去りにした。檻が出来上がる。意図を計りかねた霊夢は、中心に陣取ったまま弾幕が動き出すのを待った。やがて地霊が中心へ、霊夢へと迫ってくる。同時に動き出す檻。気付いた時には……逃げ場はなくなっていた。
「サブスレイブ/演劇タイプとみた。避け方はおそらく、設置弾のクラスタを縫って脱出を繰り返すこと……」
 しかし、一度避けるまではいいが、その次の位置取りを間違えたら続かなくなる。初見殺しもいいところだ。
「これは霊撃するしかないな」
 マトモにやりあうのを避け、霊夢はパワーが尽きるまで闇に身を隠した。
「賢明だね、お姉さん。だけどそれじゃジリ貧だよ……次! 贖罪『旧地獄の針山』」
 燐が右手をかかげるや、尖がった米粒弾が大量に放出された。これがまた、手のつけられない量だった。
「……くっ」
 さすがの霊夢もこれには参った。タダでさえきついのに、米粒弾の向こうにノタ打ち回る霊の姿が見えたのだ。淡く、白く、輪を描く。当り判定不明の弾が迫ってきて――
「痛!」
 刺さった。
 最後の残機がなくなる。すかさず前に飛び出し、超高速に物を言わせてフルパワーを回収しつつ燐に密着、霊撃。残りの霊撃はできて3回だ。この一撃で終わらせたかった。が、ショットの威力が低すぎる。サブショット不足。前に出た勢いのままだったため、陰陽ボールが一個しか前を向いていなかった。耐え切られてしまう。再び後退し、どうにか遠距離からショットを打ち込み続けるも、霊撃で消えなかった怨霊が再び霊夢に噛み付いた。食らいボムで凌ぐ。位置が悪い。霊撃を惜しみなく、もう一発。互いに最後のカード残し、霊夢と燐は対峙した。
「お姉さん、満身創痍一歩手前ってところだね。こちらも、一発で通過されちゃ面目が立たないんだ。屠らせてもらうよ」
「ハアッ…………ハアッ……ハッ」
 霊夢は答えなかった。息切れが激しかった。しかしいくら呼吸しても体温が下がらない。こう暑くては汗の気化熱もクソもない。
「『死灰復燃』ッ! 頼むよ、ゾンビフェアリー!」
 ざざざざ、と死霊の這いずる音がして、画面両端にゾンビフェアリーが現れた。一斉に発砲、十字砲火が自由度を奪う。
 ゾンビを引き付け、サブショットの向きを変えて燐を狙う。遅々として減らぬ体力ゲージ。やがて緩慢なゾンビが霊夢を画面右端に追い詰める。
「墜ちろ」
「墜ちろ」
「早く墜ちろ」
「墜ちろなう」
 呪精のうめく声が聞こえた。
「調子こいてんじゃねえぞコノヤロウ! 妖精の癖しやがってよォ! 墜ちろだぁ!? おまえが墜ちろよ!」
 最後の力を振り絞った霊撃は急場のゾンビを一掃した。脇目も振らず燐に密着。寸隙を惜しみショットを撃ち込む。渾身の一打は燐の体力をも残り2ドットまで削り取る。オプションが消えた。文の声も途絶えた。
 『烏の闇』。史上、最も使い勝手の良かったボムは、最後の最後まで霊夢をサポートし遂したのだ。
「にゃんこ風情がぁああああああっ!」
「にゃんこ舐めんなぁあああああっ!」
 燐と霊夢が正面に並ぶ。燐は動くこともままならない。ショットの"出の速さ"は自機のずば抜けた強みのひとつだ。
 ぎゅっと目を瞑り、燐が衝撃に備えた。しかしいつまで経ってもショットは届かない。

 寸手のところで、燐と霊夢の間に、復活し立ち塞がるものがいたからだ。

 ゾンビフェアリー。メガネの妖精。霊夢のショットを二秒間吸収し、彼女は倒れる。そして二秒もあれば――燐の放つ弾丸が、霊夢に届くには十分だった。

 ぴちゅん、と残機の割れ散る音がする。

 博麗の巫女が墜落した。


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[霊夢と墜落]

 
 勘違いさせているかもしれないので、ここで改めて明言しておくが……博麗 霊夢は人間である。
 灼熱地獄跡の気温は六十度を超えていた。そんな場所で、休みなく激しい運動をすれば当然バテる。汗で服が身体に張り付き、黒髪はしっとり濡れてまとわりつく。吹く風は熱く、気化熱を期待することも出来ない。最初に音を上げたのは頭だった。
「……………………熱い」
 霊夢は心身ともに健康で、充実した身体を持っている。しかし度重なる緊張と疲労により血糖値は下がり、また脱水症状はグリコーゲンの代謝にも支障を来した。朝に腹に入れた軽食が分解され、どうにか糖分を供給し続けてくれていたから意識を保っていられたが、これ以上留まるのは危険だった。
「でも………………そうだ、魔理沙」
 支離滅裂になっても意識が落ちないのは、確固とした目的意識が霊夢にあったためだ。博麗 魔理沙の保護。その命題がスパゲッティ化した霊夢の式を維持していた。

「魔理沙…………魔理沙ッ!」

 はっ、と。
 目を覚ます。
 不意に、霊夢は明瞭な意識を回復した。まずは自分の身体を検める。既に体温は下がり、汗も引いていた。かなり楽になっている。重篤な生命の危機をスイッチとして博麗回路が起動したのかと思ったが、八雲制御が遮断された形跡はない。誰かが霊夢を助けてくれたのだ……誰が?
 日陰に居た。額には濡れタオルが乗っていた。傍らに置かれていたボトル水を一気に飲み干し立ち上がる。
「あ、いたいた。博麗のおねーさん!」
 たったった、と足音が聞こえる。先ほど撃ち合いをしていた火焔猫 燐、妖怪変化の猫だった。
「大丈夫? 落ちちゃったからさ。探してたんだけど」
「んー、んー。大丈夫よ。やれやれ。負けちゃったわね」
「あはは。こっちも初見で、まさかここまで来られるとか思っていなかったよ。せっかくいろいろ準備していたのにサ。もう少し、付き合い良くてもいいんじゃない? って」
「あんたらのスペルカードなら、またいつでも相手をしてあげるわよ。私はね。これは断言しておくけれど。誰よりも、スペルカード勝負が好きなんだから」
「この地底にも、スペルカードが好きなやつはたくさんいるよ!」
「そう、それは嬉しいわね。けど私のほうがもっともっと好きだわ。ところで……これ、あなたが?」
 カラになったペットボトルを見せる。燐は首を傾げた。
「いいえ? 知らないな。猫避けのボトルを置いておく習慣も、この辺にはないよ!」
「すると……?」
 握り締めていた濡れタオルを広げる。

 "DDNPからヒドラジンまで 銃砲/発破の 霧雨魔法店"

 魔理沙手縫いの、アメニティグッズであった。


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[魔理沙と中ボス]


「ヒューッ」
 落ちる、落ちる、地の底へ。
 ひとり、ひとり、魔理沙は落ちる。
 その足元には白い霧があった。その足場の抵抗力で速度を調整しながら、右へ左へ舵を切る。襲い来る地霊、烏、妖精の一切を雨滴の落下で退けながら、いよいよ最深部へと至ろうとしていた。
『ひゅいー!』
 オプションから流れ出るのはにとりの声ばかりではない。水。水が流れ出ていた。これにより作られた蒸気、ライデンフロスト効果を利用して地獄の業火、逆巻く炎の上をサーフする。
 とびきり大きな火焔の波が来た。
 ボードにしていたオプションを前傾。舳先が炎に沈み込む。ボードで切り分けられた炎の内と外の間には温度差、すなわち密度差が存在し、このポテンシャルが作り出す低圧領域に蒸気は蓄積された。舳先で気化した蒸気は低圧状態になった艫へと流れ込む。やがて目前に業火の大波が迫り、一気に体重を後方へと移すや、不均衡圧力が爆発的な力で魔理沙を圧し返した。
 ぱん、と水の爆ぜる音がする。跳び上がった――――波の、天辺まで。
「イィイイィィイイヤッハァァアアアァア!」
 奇声を発する。
 波の背を渡る。
 灼熱地獄も、彼女にとっては遊び場にしかならなかった。

 次に彼女の前に立ちふさがったのは、妖怪変化した火焔猫 燐だった。
「さっきはよくも踏んでくれたね!」
「ヒィハァー!」
「って! 返事くらい普通にしようよ!? 地上の人間って皆こんななの!?」
「イェアー!」
「ワケ解んないし! もう死体にしてやる! 妖怪『火焔の車輪』」
 野火が燃え広がるように、現在進行形の"焼け野原"が燐と魔理沙の間に敷かれた。めくり上げられた絨毯のしわのように波をうつ炎が迫る。再びボードに圧力不均衡を作り、魔理沙は跳び上がった。波の上へ。波の背へ。
「フゥハハハー!」
 連なる、火焔の車輪を、魔理沙は実に無駄なく、見事に避けていた。右へ、左へ。左へ、右へ。曲率に合わせて速度を位置エネルギーに変え、周期を持って訪れる波にあわせて動く。サーファーのようでもあり、しかしモーグルにおけるカービングターンの要領だった。
『いいよ魔理沙! 全部当ってる!』
 ロスの少ないターンは魔理沙を常に燐の正面に保持した。一直線、前方集中型ショットは瞬く間に燐の体力を削り取り、6面中ボスは残機のカケラを残して退場と相成る。
「そろそろ、最深部だなーッと!」
 鴉撃ちをしているうち、いよいよ地の底が見えてきた。巨大な光の天蓋を抜ける。一瞬視界が真っ白になり、それを過ぎると暑さが止んだ。
 地の底に足をつける。ボードをオプションに収納し、見上げると先ほど抜けた天蓋が太陽であったことが知れた――燃えている、球状の、プラズマの塊。
「居るんだろう……でてこいよっ!」
『あーそびーましょー!』
 自機らが来訪を告げる。荒々しく、太陽が歪んだ。しばらく待つ。現れない。
「あれ? 居ないのかな」
『どっかで飯でも食ってるんじゃない?』
「まさかー。異変の最中だぜ。討伐の最中だぜ」
「ごめんごめん! ご飯食べてて遅れちゃった!」
 ばっさばっさと。黒翼を羽ばたかせ、霊烏路 空が現れた。手にはまだバナナが半分ほど残っている。
「いやさ、まさかこんなに早く来るとか思ってなかったし。あ・バナナ食べる? 地底産だよ」
「マジで!? いいの!? バナナとかこっちじゃ高級品なんだぜ。すげーなー地底。暑いだけあってバナナも採れるんだなー」
『おい魔理沙! 私のぶんも! 私のぶんも!』
「うめええええええ うめえええええええ」
『やい魔理沙! 魔理沙コノヤロウ! 魔理沙ってばもう! バナナ! このバナナ野郎!』
「あー甘かった。ところで、ええっと?」
「あ、はい。霊烏路 空といいます。すごく熱いです。そういう程度の能力です。地上を灼熱地獄にして、バナナを生産できるようにしてやろうと思ってます」
「うぬぬ。そいつは看過できんな。よし私が成敗してやろう。ところでバナナもっとある? 連れがうるさくてな」
『B・B・N! B・B・N!』

「私に弾幕勝負で勝てたなら」

 空が食べ終わったバナナの皮を投げ捨てる。
 大きく突き出された腕に、いつの間にか、あるいは最初からか。制御棒が填め込まれていた。
「好きなだけお分けしますよ。ダース単位でね」
 核熱が燈される。環境輻射熱だけで、バナナの皮は灰になった。
「申し遅れたが、私の名前は霧雨 魔理沙だ。珍しいものには目がなくってな。だから――」
『あ・私は河城 にとりだよー』
 八卦炉を構える。オプションが配置に。魔理沙は再び宙に足を乗せた。
「 ―― ダース単位で、済むと思うなよ!」

 初弾が射られた。

********************

[魔理沙と核]


 霊烏路 空の弾幕は、大艦巨砲主義を地で行くものである。レーザーも点弾も米粒弾も使わない。ソリッドな小弾、大量の中型弾、大玉。そしてなによりも、巨大極まる核弾。基本的に数任せにならざるを得ない弾幕構築の根幹技法、基幹技術をガン無視して、力任せに空は特化していた。一番最初の通常弾幕で魔理沙はその性質を見抜く。
 中型弾が空を中心に放射状に伸びる。空の姿が見えなくなる程度ならばまだいい。画面の五分の一が真っ白になる有様。どんなルナシューターだろうと、そこで稼ごうなどとは思えないほどの――
 ――密度!
「すっげえな! すっげえな! けど直線的だぜ!」
 魔理沙、肝を冷やしながらも危なげなく乗り切る。空は待ち構えていたかのように一枚目を切った。
「核熱『ニュークリアフュージョン』」
 空が頭上の太陽を切り取った。チャージする僅かな時間があって、中心に密集した圧力を外へ外へと逃がすかのように核弾が八方向へ押し出される。八曜紋。
 その 熱さ たるや。
 外周部の色温度だけでも、三千ケルビンを超えている。中心は一万を越すだろう。魔理沙ですら、到達したことのない熱量であった。じりじりと気圧されるように後退する。プラズマは表面エネルギーの最安定状態を保っている……つまりは球状をしている。いったいなんの束縛があってそのような形状を取るのか。大気中を進むその原理を既存の電磁気学・プラズマ物理学で考察し、突破口を伺いながら、魔理沙はとりあえず無難に核弾と核弾の間を抜ける。
「ヤバイなこれ。熱い。超熱い」
 続いて渦を巻くように青色の小型弾が大量にばら撒かれた。追い討ちをかけるように核弾がまた八個。魔理沙は距離をとる。距離をとらなければ避けられないことを知っている。拡散するのを待ち上手いことばらけた隙間に入り込み、避けるスキマと敵機の正面をこまめに行ったり来たりした。
 ショットは確実に届いていた。ぽつぽつと水滴の当たる音とともに空の抱える太陽が急速にしぼみ、やがて自己崩壊を起こして――プラズマが拡散。空の手元から太陽のかけらがひとつ消え、代わりに残機のかけらが落ちる。
 スペルカード取得。
「よく避けたねっ! 大抵のひとは、これ見たらびびるんだけどなっ!」
「甘くみんなよ! 地上にだって、おまえくらいデケー弾撃つやつはいるんだ……私とか!」
 息継ぎもそこそこに。空が羽根を広げて巡航体勢に移った。その航路上にいくつかの中型弾を置き去りにする。中型弾はスライドするように多様な方位へと伸びた。さながら芽吹いた種子のように、自機の行動範囲を圧迫――重複する種。
 無論それだけならば避けるまでもない。空が再び静止した。すかさず魔理沙のフルショットが命中する。それを受け止めながら、指を掲げて大玉を放つ。
 ぱん、ぱんと。切り取った太陽を弾幕に変える音。それは計、八回続いた。
「大玉が、八連続……!?」
 ちょん避けってレベルじゃない。切り返す隙間はあるだろうか――運試し。
「!…!…!!……!…………!………!!……! 無理だろコレ!」
 無理とかいっておきながらも巧みに魔理沙は避けきった。保険としてボムを一個消費したものの半額がキャッシュバックされる。低速に落ち着いた中型弾の軌道が完全に読めていたからこそ出来た気合避けであった。
 再び空が飛び回る。同じパターンで大玉が迫る。今度はボムなしで、空の体力を奪いきった。
「爆符『メガフレア』」
 続くスペルカードは、数の理と力の利を折半したものだった。爆風により初速を加えられた核弾が壁を作り、一瞬視野を埋め尽くす。どう考えても避けることなど不可能な状況に思えたが、吹き降ろすうちに熱と光によりエネルギーが拡散、核弾はしぼんでいった。よくよく観察すると先ほどまでの弾とは中心温度が違う。あってもせいぜい二〇〇〇ケルビンくらいだろう。
「同じ火を扱ってるにしても……っと! アグニシャインとはまるで違うな。フェニックスの尾にやや近いか?」
 アグニシャインをはじめパチュリーの弾幕はセットアンドランを基本に位置取りの巧みさを問うものだ。まさに、魔女同士の戦いにはうってつけの。妹紅の弾幕が近い、といったところで、結局似通っているのはランダム性だけだ。その妹紅にしてもスペルカードのほとんどはパターンで攻略可能。よって、空は確実に、スペルカードに新たなページを重ねていた。
 太陽を切り取り、丸め込み、新しい平衡状態を作り出す。体力の消費が激しい割に、密度はそれほどでもない。切り取った太陽が一つ燃え尽き、スペルカードが焼き切れた。
「どーした空ォ! もうバテたかあ!」
「なんのなんの! 次、もっとあっちいの行くかんね! 火傷すんなよっ、焔星『フィクストスター』!」
 交差する中型弾の檻で得た束の間の休息を終えるや、再び空が太陽を切り取った。今度も八つ。それぞれが核弾となり、空を中心にした公転運動が始まる。魔理沙の背後に四つ。前に四つ。自機をローリングミルにかけるかのように……動き出す。
「……左右か――上下か!」
 演劇タイプは軸を固定したほうが安定しやすい。まさか弾幕はこの核弾だけではないだろう。迷う暇などないとばかりに魔理沙は正面の核弾にギリギリまで接近した。緊張に唇が乾く。目に光が焼きつく。当り判定寸前で止まり、背後の核弾が抜けるスペースがあるかを確認する。もしないならば上下移動。あるならば左右移動で避けられるはずだった。公転が楕円軌道を描いていた場合はもう、気合に頼るしかなくなるのでその可能性は考えない。
「…………ァッチイッ」
 抜けた。背後を核弾が過ぎる。それを確認すると同時に、次の弾が来た……黄色い小玉が等速直線運動。
 ぐにゃり、と小玉の軌道が曲がる。否。小玉はあくまでもまっすぐにしか進んでいない。しかし我々から見れば、小玉は確実に螺旋軌道を描いていた――恒星の持つ重力によって時間と空間が圧縮され……スイングバイ軌道を描くように、見かけ上の運動が螺旋に変わったのだ。
『魔理沙! 気にすることはない、左右移動で十分だ!』
 冷静になるようにとりが訴える。が、むしろ動揺しているのはにとりだけだった。
「わぁってるよ! この水平線上から動かねえぜ! むしろここに家を建てよう!」
 アップカットの核弾。ダウンカットの小玉。核弾への警戒は必要ない。上下に移動さえしなければ当ることはない。小玉をかわすために左右移動を繰り返す。魔理沙が見るべき範囲は広くはなかった。ここまで型にはまってしまえば――
「もうなにも怖くない!」
『ボムッ!』
 魔理沙が死亡フラグを呟き――被せるように、にとりの悲鳴が上がった。魔理沙の反応は速い。速いが……遅すぎた。
「ッッッアアアア!」
 被弾。
 核熱が左半身を焼いた。 
 喉から声が絞り出される。
「なにが起こった!?」
『いいから! さっきの軸線に戻って!』
「ンなもん覚えてねーよ! 見てる余裕ねがったし!」
 魔理沙は大きく避けすぎた。右に寄り過ぎたのだ。核弾は魔理沙を挟み、空を中心とした円を描いている。外と内に、大きさの異なる円を。外円に内接する弧、内円に外接する垂線。これは決して長いものではなく……この線から外れれば、当然被弾することになる。魔理沙はその見極めを誤った。
 Y軸位置的には"東方地霊殿"の霊と殿の間、霊のすぐ下あたりに当り判定が来るくらいが左右移動で避けられる層にあったのだが、魔理沙は位置を記憶していなかった。再び位置取りをしようにも、既に場は小玉で満たされている。
「クソッ クソッ クソッ クソ!」
『いいぞ! いいぞ魔理沙! もっとだっ、もっとボムれ!』
 正面集中ショットしか出来ない魔理沙は、逃げすぎると却って自分の首を絞めてしまうことになる。タイムアウトを狙うのは一層難しい。当たり前だ。ラスボスなのだから。となれば、もはや、ボムを使いまくってでもダメージを与えてゆくしかないのだった。
 どんどん減ってゆくパワー。ボムってもろくすっぽ消えない敵弾。焦りが募る。それを察したからこそ、にとりは懸命に魔理沙を宥めすかして落ち着かせた。魔理沙は、自棄になったら、確実に負けるのだ。
 残りパワーが0.5になったとき、ようやくスペルカードが破られる。
「ヘイ! 魔理沙ってったっけ!? 汗ダクじゃん大丈夫!」
「こいつはボムの水だぜ! ぜんぜん汗なんかかいてないもんね! ね!」
 オプティカルカモフラージュ。にとりのボム。これは水の膜として魔理沙を包む形で顕現している。次のスペルカードまでの間にこの効果も消え、どうにかキャッシュバックでオプションを一個取り返す。と同時に四枚目のスペカが切られた。
 ぐるぐると。空が腕を回し、かなり径の小さくなった頭上の太陽が――半分に、分割された。あたかもキャベツのように。
「『地獄極楽メルトダウン』」
 あれほど大きかった太陽も、魔理沙に食い尽くされついに消えたのだ。一瞬、闇が降りる。しかしすぐに光が戻った――半分にされ、落ちていった太陽が。足元、地底側から二人を照らす。昇り舞う太陽光に、天地が逆転したかのような錯覚を覚える。
「下から照らされっと、写真映り悪いんだよなーっ、私ってばさ!」
「そいつは地獄の太陽だよっ! そしてこっちが――」
 空が指差す、その先に、もう半分の太陽があった。爆ぜるようにしてそいつも径をぐんと大きくする……膨張する、死に際の太陽。頭上からも再び光で照らされる。
「――地獄の太陽さ!」
「どっちも地獄じゃねーか! 極楽どこ行ったんだよ!」
 上と下。頭上と足元。人間の視野は左右にこそ180°の広がりを持つが、上下にはせいぜい160°の広がりしかない。すなわち、どうあっても、同時には、見ることが出来ない方向から。
 それぞれ、交換されるように極小の核弾が撃ち出され始めた。
「うひー」
 魔理沙は一旦脇へと逃れた。この先の展開を見極めようとしたのだ。典型的なストレスタイプ。ダメージを与えに行くなら敵機の正面だが、次になにが起こるのかを知るならば、避けるスキマの多いこの場所のほうがいい。
 だが。
「……クソッ! 単純なスペルだなっ! 手強いぜ」
 二つの太陽が弾を打ち出すほかにこれといった変化がない。あの、フレアとフレアの間に入り込まなければならないようだ。
 いざとばかりにオプティカルカモフラージュを纏うや、勇ましく声を張り上げ中心へ吶喊をかけた。
「ぬあああああああああっ! 熱っくねえ! 熱くねえし!」
 強がりを言いながら核弾を喰らう。周囲にあった弾が水に呑まれて消えた。すかさずボムを張り直そうとし、パワーがゼロになっていることに気付く。正面には空が居た。太陽の中にあって、埋没するどころか、空はなにものよりも輝いてエネミーマーカーを点滅させている。
「……気合避け大好き!」
 我慢比べ。ハインリッヒの法則が支配する時間が始まった。その時間は短ければ短いほどいい。否。短くなければならない。
「地上の魔法使いと妖怪。大した継戦性能だ。さて……ボムなしで、耐えられるかなっ!」
「知ったことかよ。私を誰だと思ってる――幻想郷の 50Cent こと、霧雨、魔理沙さんだぜ!」
 地を背に、空を向き。魔理沙は感覚を研ぎ澄ませた。鋭敏に。さらに鋭敏に。限りなく、繊細に。箒は邪魔だ。服も余計だ。投げ捨て、脱ぎ捨て、裸一貫。魔理沙はショットを構えた。
「これなら解るぞ。背後から来る、弾も!」
 背中で熱を感じる。正面に弾を捕らえる。もともと、気合だけで避けられるはずのないステージなのだ。捨て鉢でも構わなかった。背後は一切振り向かない。前だけを見る。敵だけを狙う。ショットを支える。ひたすらに……撃ち続ける。
「Улаааааааааааааааа!」
 絶叫とともに始まった魔理沙の反撃。空は基本ショットの嵐に叩かれ、叩かれ、叩かれ、叩かれた。叩き込まれた。叩かれた。叩かれた。やがてスペルカードが秒読みに入る。魔理沙は一向に、退く気配なく叩き続け――
 ――ついに空が音を上げる。
「なんてやつ。身も省みず、私だけを狙うなんて」
 スペルカードが燃え尽き、はらはらと灰と化す。魔理沙はパワーゼロのショットだけで、空の体力を最後の最後まで削り落としたのだった。

 
********************

「次で最後のスペルカードになるのだけど。その前にちょっと、このスペカについて聞いて欲しいことがあります」
「おう」
 最後の太陽が燃え尽き、燻る火の仄灯りのみとなった地の底で。互いに最後の一歩を線引きながら、空と魔理沙が取り決めを交わした。
「次、全力疾走します。わたし。それで、それでね?」
 はにかんだような笑顔を浮かべ、空はねだる。
「全力疾走したら。急には止まれなくなるんです。やめろと言われても、やめられなくなるかもしれない」
「見た感じから思ってたけど。やっぱおまえって、そのチカラ。使いこなせてなかったんだな」
「あはは。ばれてましたか。そうです。それでも、中途半端なことはしたくないな、って。えへへ。だから、その……最悪、死にますけど。……いいですか?」
「いいよ」
『ちょ……魔理沙』
 オプションのにとりがたじろぐ。魔理沙はかぶりを振った。
「空ちゃんよ。おまえも大概カワイイやつだな。退きも退けぬ局面でこの要求。いいよ、私のことは気にすんな。存分に、暴れるといい」
「ありがとね。もし私が止まれなくなったら、その時はあなたの勝ちです。逃げてください。生き残れるかどうかは知りませんが」
「おーよ。じゃあはじめようぜ。 ……にとり!」
『ひゅいっ!?』
「そういうこった。オメーも、腹くくれよ」
『ああもう、まったく』
 周期を持って瞬いていた、空の心臓が、不意に鼓動を早くする。
『馬鹿だなあ――』

********************

 人工心臓が激しく明滅し、ひときわ強い光を放つ。
「『地獄の人工太陽』」
 まずもって整えられたのは、放射配置の小玉だった。先の空の宣言からして演劇タイプが来ると踏んでいた魔理沙は僅かに対応を遅らせる。なにが来るか解らない。素直にそう思った魔理沙は、早速回収したパワーを消費してオプティカルカモフラージュを纏う。結果的にはこれが幸いした。次の瞬間、魔理沙のショットが空の体力を削り始めると同時に、小玉が、動き出す――
 ――空へ向かって。
「はっ、えっ!?」
 背中につけていた赤球が中る。水の膜が被弾を防いだ。再び空中魚雷が消え、魔理沙は一人になる。なにが起こったのか。考えるまでもない。周囲すべてで異常は起きていた。
 引っ張られている。
 空へ向かって。すべてが。
 大気も、光も、弾も、魔理沙も。
 地の底を覆っていた外壁が崩れる。一見すると自然岩に見えたそれは巧妙にカモフラされたタイル張りだった。その裏側に隠されていた合金層が明らかになる。
「……パラジウム!? 水素吸蔵合金か!」
 事前に入手していた資料、藍が調査した地底の資源分配等々の情報から、魔理沙はその正体を見破った。壁一面に、ぐるりと張り巡らされた金属板が、電磁誘導され空に燃料を供給していた。
「合金? そいつは焼結体だよ」
「セラミクスなのか?」
「いいえ。有機バインダーを加え、電磁攪拌しながら非磁性体の金型で高圧焼結、中空格子構造を作った。ゼオライト型水素吸蔵ダイカスト合金」
「!? ウソ吐け!」
「地底舐めんな!」
 その言葉とともに、空は胸に光る人工心臓の灯りに飲み込まれた。そのまま光球と化す。
 ぐん、と加速度が増す。それはよく知る加速度だった。
「重力加速度……!?」
 ぐいぐいと引っ張られる感覚。今まで破ってきたスペルカードで、地獄の熱源は消し去ったはずだったのだが、間欠泉を噴出させていた熱源は消えてなどいなかった。本物は、犯人は、あの太陽、西行妖のような、主体なき意思ではない。
 犯人は最初から目の前にいたのだ。
 最も強い重力源。
 意思を持った太陽。
 霊烏路 空。
 左様。アルヴェーン波によって核弾(コロナ放電体)を撃ち出していたのは空であり、それは太陽の持つ電磁場の作用に他ならない。これに加え、大気中に在りながら核弾の形を球に保たせ、かつ核融合反応が進みすぎないよう――つまりは空が本物の太陽になってしまわないよう、逆ベクトルの電磁気力によってイオン化した質量を奪っていたシステムが存在する。そのシステムもまた空であり、セルフトカマク、その作用であった。プラズマを閉じ込めるための技術は、拡散させるための機構として応用される。空は今、これをスクラムさせていた。
 すると、いったいなにが起こるだろうか。
 『恒星』とは重力と核融合反応が釣り合った平衡状態を指し、これは重力を水素というハードウェアで熱と光に転換する炉と言い換えることが出来る。(実際に消費されているのは『重力とクーロン力の差分の仕事量』ではなく、『核力および核エネルギー』であり、重力はいうなればヒートポンプにおける熱源に当る)
 空はずっと、自分自身が恒星にならないよう、トカマクの補助を借りてエネルギーを拡散させていた。しかし今、トカマクはスクラムし空に質量が集中してしまっている。重力が勝ち気味になっている。すると核融合炉は平衡を保とうと、核融合反応を強めはじめる……するとまた重力が強くなり始める。この繰り返しが、今、魔理沙の目の前で起こっていた。
 『地獄の人工太陽』。空は全力疾走していた。恒星化という、己の滅びに向かって。
「まるで霊夢の二重弾幕結界だな」
 『二重弾幕結界』は絶対量が等しい正負の電界を同時に展開し(マクロ的な)無極性電界を二重に形成することで、空間の電気的ポテンシャルを利用するスペルカードだ。あえて空間中の無極性勾配を崩し、ヒステリシス特性も利用してダイポールを加速、霊夢(自機)から外へと滑らせる。するとダイポールは、強電界中(一つ目の結界の内側)で保持できていたエネルギーを弱電界中(二つ目の結界の内側)では保持できなくなり、熱と光を放出することになる。イメッジとしては半導体レーザーに近い。
「原理はまったく別物だけど、構造は参考にさせてもらったよ!」
 魔理沙の声は空に良く聞こえた。風は彼女に吹いている。しかし答える空の声は誰にも届かない。既に彼女の周囲はプラズマで満たされている。五千ケルビンのプラズマは音波を、横波を伝えてはくれなかった。
 重力と。
 核融合反応と。
 魔理沙はその両方を、同時に相手取る。
「最弱のチカラと最強のチカラの組み合わせか。厄介だな」
 空に吸い寄せられる、数多の小玉と魔理沙自身。必死にコントロールして位置を保とうとするが空の歳差運動により僅かな曲率を帯びる弾の軌道に翻弄されて、どんどんと空へ近づいてしまう。
「やばい、コレはまずい、絶対にヤバイ」
 近づいてはならない。絶対に近づいてはならない。ロシュ限界を超えたが最後、魔理沙は自力で引き返すことが出来なくなる。それ以上に、弾の密度が濃すぎて避けるどころではない。
 自機に向かう弾には避ける隙間を作らねばならない。
 だから、すべての弾幕には必ず隙間がある。
 しかし、敵機本人に向かう弾には隙間など必要ない。義務がない。
 ゆえに近づいてはならない。空の居る場所には……逃げ場がない!

 ああ、なんということだろう。
 このとき魔理沙は、初めて。魔法使いとなって初めて、"力負け"を経験していた。
 宇宙人にも。神にも。吸血鬼にも。戦車を相手にとってさえ。経験しなかった、"力負け"であった。

「――! 太陽風!」
 新たな弾が加わった。空から魔理沙へと、放射される小玉。
 いよいよ動きが制限された。演劇タイプならば左右移動で凌げた。しかし、移動型ストレスタイプでもあるこの『地獄の人工太陽』は、これ以上ない形で上下移動をも強制する。精密な動作を要求する。太陽風の、第一波が、迫る――間を抜けた。第二波が迫る――隙間を縫った。
 第三波が来る――弾が途切れる場所は、右手側に遥か、遠かった。
「ははっ……なあ、空ちゃんよ」
 避けることは不可能だった。魔理沙は笑う。
「おまえ今、全力か?」
 太陽の中で。空は笑った。魔理沙にはそれが解った。だから、魔理沙はこれに応える。
「じゃあ私も見せてやる」
 魔理沙はやめた。重力に抗うことをやめた。まっすぐに空へ向かって飛び込む。弾と密度を歯牙にもかけず。
 被弾する。
 残機が割れる。
 そして飛び出す―― F の文字。
「フルパワーだぜ! 信じらんねえ!」
 一転、ボロボロだった魔理沙が最高のパフォーマンスを回復。オプション数は0から4へ。空中魚雷は四列を成し、前方、空に殺到する。一秒前とは比較にならない速度で空の体力ゲージが目減りした。そして魔理沙の周りには、弾らしい弾がない。割れた残機に援護され、持てる最高のショットを最大限に撃ち込んだ。
『効いてる!? ねえ大丈夫!?』
 水の弾幕。あらゆる物質を溶かす熱の前に、水中魚雷は霧散する。にとりは不安を抑えられない。
「現実から学びたまえ! いかなる英雄の胸板も、銃弾を防ぐことは出来ない。中て続ければ、いずれは墜ちるっ!」
 果たして、空中魚雷は懸命に敵機の体力を削っていた。魔理沙には見えていた。黒点が増えている。それは太陽活動が活発になっていることの裏返しでもあったが、同時に冷却効果が確実に現れているということでもあった。
 しかし、フルパワーも長くは維持できない。再び、空の太陽風とコロナが魔理沙を包囲したからだ。どうにかして、三秒耐える。一個目のボムを張った。
 二秒で被弾。
 四秒後、2個目のボムを張った。
 二秒で被弾。
 六秒後、3個目のボムを張った。
 一秒で被弾。
 最後のボムは……張らなかった。
『魔理沙っ!?』
「もう一回だ!」
 吶喊。再び魔理沙が重力に乗る。
 太陽風。小玉の間を、捨て鉢で潜り抜け。
 すべての運を使い切った魔理沙は、その瞬間にボムを張った。
 追いすがり、赤玉に中る――水に呑まれ、一斉に敵弾が消えた。
 空間にブランクを作る――三層に連なる、太陽風を。ひとつは潜り抜け。ひとつは背後に。ひとつは、太陽から離れた瞬間に……水によって消し去って。
 空間にブランクを作る。
 時間にブランクを作る。
 魔理沙を中心に弾が消え去る。すべての資産を費やして。スキマが出来た。二度と作れない時間。パワーを。魔理沙の個性を、ぶつけるための時間。

 ほんの、数秒の、空白。
 ここに魔理沙はすべてをかけた。

 一刻、須臾を争いショットを放つ。少しでも逃げたら空に中らない。正面から、逃げることも、逃げられることもなく。
 対決した。弾が背後から迫る。迫ってる。はずだ。
 今しも。背中から撃たれる――
 長い長い一瞬が過ぎ、くしゃり、と心のどこかが折れる音がした。
 正面から。
 空から。
 スペルカードが燃える、音がする。

 霊烏路 空。
 核融号と呼ばれた少女の、敗北の音だった。
 

********************






 類別は霊鳥、名は融合――。






********************

[マスタースパーク] 


 恒星は膨張していた。
「どういうことだよ、おい!」
 狼狽する魔理沙の眼下に、生まれかけの太陽があった。スペルカードは破ったはずだ。魔理沙は勝利したのに、なぜだか、ちっとも事態が終息した感覚がない。
『魔理沙、逃げたほうがよくないか』
 にとりの声がする。正直、魔理沙にも判断が付かなかった。目の前で起こっている現象はネタなのかガチなのか判断が付かないのである。ラストワードが発生するフラグは立てていない。墨染めの桜のような、挑むべき対象なのだろうか。それにしては、この反応は、魔理沙など相手にしていない。
「あれか、ひょうっとして……」
 最悪の場合、死ぬかもしれない。空は最初に、そう言っていた。暴走が始まったら、逃げてくれと。
 それは今のことを言っているのか。
 死ぬかもしれなかったのは魔理沙ではなかった。空本人のことを言っていた。
 懐のフィルムバッチを取り出す。スペルカードではまったく変色しなかったそれは、既に真っ黒に染まっていた。
「…………」
 眼下に。
 燃えている、少女がいる。
 そして自分自身も、目に見えない炎で、今しも身を焦がされている。
「なあ、にとり」
 修羅場。地獄。焼かれながら魔理沙は、一歩も引く気配なく、その残酷と向き合った。
「あいつのくれたバナナは甘くて、美味かったんだ」
『――――』
「あれ。食えなくなるってのは、損だぜ」
 融合は続いている。太陽は径を大きくし、地球にめり込むようにして、徐々に地面へと降りていった。空が落ちているのか。それとも、地球が落ちているのか。魔理沙からは判断が付かない。
 いずれにせよ、
 圧倒的な、
 天体の、
 運動――人知を超えた現象。
 融合が進む。
 原子が生まれる。

 ―――――――――――――――――――――― 水素。
 ―――――――――――――――――――― ヘリウム。
 ――― リチウム。
 ― ベリリウム。
 ―― ホウ素。
 ―――――――――――――― 炭素。
 ――――――――――――― 窒素。
 ――――――――――――――― 酸素。
 ――――――― フッ素。
 ――――――――――――― ネオン。
 ―――――― ナトリウム。
 ―――――――――――― マグネシウム。
 ――――――‐ アルミニウム。
 ―――――――――――― ケイ素。
 ―――――――― リン。
 ―――――――――――― イオウ。
 ――――――――‐ 塩素。
 ―――――――――――‐アルゴン。
 ―――――――― カリウム。
 ――――――――――― カルシウム。
 ―― スカンジウム。
 ―――――――― チタン。
 ――――― バナジウム。
 ―――――――――― クロム。
 ―――――――――‐ マンガン。
 やがて、融合の果てに最強の中性子結合力を誇る原子が形成された。
 ―――――――――――― 鉄。

 すべてがFeになる。
 残酷に。容赦なく。
 物理法則。四つの相互作用が創る世界は、残酷に定まりきっている。その、徹頭徹尾変わることのない物理法則の純粋さ。
 残酷さ。
 これを前に、人の、魔理沙の心は、なんの価値も持たなかった。
『すぐに退避するんだ、どうしようもないことだよ、これは!』
「おまえはなにを言っているんだ。どうしようも、ない? 恋符の。私の心は。残酷よりも残酷なんだぜ」
 魔理沙が帽子に手を突っ込んだ。
 出てきたのはふたつの爆弾。


「恋符『マスタースパーク(物理)』」

ティロ・フィナーレ的なアレで。



 スペルカードを宣言。無造作に放り投げる。手を離れ、空に向かい落ち、重力にしたがって、それらは太陽に吸い込まれた。
 空を取り巻くプラズマは優に六千ケルビンを超えている。無論、ステンレスが存在できる環境ではない。
 しかし、魔理沙が丁寧に加工した高圧用の配管材は、蒸発するまでの僅かな時間ではあったものの。
 完全に近い真円度によって圧力に耐え、
 理想的な結晶組織によって高熱に耐え、
 太陽核、空の鼻先まで、その役割を果たし遂した――設計通りに!

 太陽の中心で、爆弾が炸裂する。
 突如として発生した超々高爆圧により燃料ガスが拡散。
 燃え盛る核融合反応が、黒色火薬の膨張圧力にかき消される。
 爆発力は中心近傍の重力よりは弱かったが、圧力を叩きつけることで重力の分布を崩すことはできた。幼い、生まれかけの太陽は、緩やかな動的平衡は保てるものの、これほど急激な変化には対応できない。未だ系のスケールを大きくしていない。よって太陽は形を保つことが出来なくなる。
 崩壊する。
 自らの重力で。魔理沙の爆弾で。
 生まれかけの太陽が死んだ。
 世界最強の核融号を倒したのは、時代遅れで簡素な造りの、魔理沙手製のパイプ爆弾だった。

 佇む魔理沙と、ローストチキンのようになった空。
「…………」
 二人を雨が打った。にとりが降らせていた。
 空にとっては、これが初めての雨だったが。
 残念なことに、彼女はこのときのことを、まったく覚えてはいなかった。


********************

[霊夢と空]


 霊夢が現場に駆けつけたときには、ラスボス戦は終わっていた。
「……ッ。鉄の爆発加工か、考えたわね」
「霊夢じゃねーかっ! 遅かったなー!」
 竪穴を下る。周囲は雨により十分冷やされていた。放射性降下物はほとんどこの雨で下方に押し流され、空を飛んでいる分には何の問題もない。
 魔理沙は一人で、空を、この異変の主犯の救出作業を行っていた。重力により地面にめり込んだまま固まってしまった空に意識はない。右腕が制御棒ごと、岩盤と同化してしまっている。霊夢が助けに加わって、二人でどうにか腕を制御棒から引き抜いた。ずるり、と血みどろの腕が出てくる。ぼたぼたと血が滴り湯気が立つ。五指はひどい有様で、相当の酷使をしたことが伺える。
 いいや、ひどい有様だったのは腕だけではなかった。
 よくよく見れば空は、まったくもってキズだらけ、欠損だらけであった。数え切れない切り傷と火傷。無数の縫合痕。肌を撫ぜると皮膚下にも異物があることが伺え、肌の手触りはざらざらしていた。その可愛らしい容姿からは想像できない。少女の肌ではありえなかった。肉が千切れ、再生しきらなかったくぼみに血が溜まり、乾いて錆びの様になっている。
 いったいどれほどの血を流しながら彼女はこの舞台に立ったのだろうか。
 横たえ、泥だらけ、煤だらけの顔を濡れタオルで拭った。
 不意に、周囲に満ちていた高周波ノイズが消え去ったことに、霊夢と魔理沙はこのとき気付いた。消え去って初めて、ずっとその音が鳴り続けていたことに気付いたのだった。"制御棒"といわれていたホウ素とステンレスのカタマリ、未だ地面にめり込んだままのデバイスが音源であることは、収束してゆく音の方向からすぐに判明した。空の腕から外れて一定時間が過ぎたため、スリープモードに入ったのだろう。
 核融合を再起動するには。
 どう急いでも、数秒を費やさねばならない。
 そういう状態になった。

 それはつまり。
 周囲に待機していた、八雲 藍の指揮する威力偵察部隊が、大量破壊兵器を無力化する、絶好の機会が到来したということであった。

「そこまでだ!」

 威勢の良い声が響く。見上げると、竪穴の淵に藍がいた。
 藍だけではない。藍の使役する無機式……狐を象った、藍の映し身が、円を作って。魔理沙と、霊夢と、そして空を包囲していた。
「そこまでだ……って、どこまでだぜ?」 
「さあ。ナイロビあたりじゃない?」
 すっ呆けた反応で藍を睨み返す。しかしすぐにその表情は変わった。藍はまっすぐ、眼下の空に自動拳銃を向けていた。周囲の式はスイス製のカービン銃を油断なく構えている。実のところ、地底に銃を持ち込んだのは彼女たちが初めてだった。いずれにせよ。
 霊夢や、魔理沙などが。
 少女が、居て良い状況ではなかった。
「おまえたち。今何時か解っているか? 現在時刻は既に零時を二十分も回っている。よって、私はおまえら二人を補導する。さもなくば、さっさとお家に帰りなさい」
「冗談こいてんじゃねーぜっ! だいたい、地上の妖怪はこっち来れないんじゃなかったのか!?」
「おまえたち。今何時か解っているか? 現在時刻は既に零時を二十分も回っている。よって、地底との間に結ばれた相互不可侵条約は、二十分前に失効しているんだよ」
「藍さん。この娘、どうするつもり?」
「……お前たちは知らなくていい」
「ふざけんな。コイツと私は弾幕ったんだぜ。もうダチだ。なんかいらねーことしようってんなら、私が相手になる」
「魔理沙!」
 どすん、と魔理沙が空をかばうように腰を下ろした。霊夢が悲鳴にも似た声を上げる。こうなった時の……作戦中の藍は機械的に障害を排除する。たとえ魔理沙とて射殺される可能性は十分にあった。かつて霊夢がそうされたように。しかしながら、こうなった時の魔理沙もまた、テコでも動かないことを霊夢は知っていた。どうする? どうしようか。霊夢が迷ったときには、既に空が動いていた。
「ねえちょっと」
「ん?」
 ぽむぽむと魔理沙の肩が叩かれる。振り向いた魔理沙の頬に、空の右ストレートがクリーンヒットした。ぶべー、とかマヌケな声を上げて魔理沙は三メートルほどバウンドしながら転がってゆき、ぐったりと動かなくなる。空は自力で立ち上がっていた。
「はじめまして。私は霊烏路 空といいます」
「え? あ。どうも。博麗 霊夢です」
「ごめんなさい。見ての通り、別のお客さんが来てしまったので。魔理沙さんを連れて。今日のところはお帰り願いますか」
「……でもあなた。このままじゃ殺されるわよ」
「いやいやまさか。あなた、博麗さんでしょう? 光栄だな、巫女さんと弾幕やるまで、私は死にはしませんよ」
「本当に? 信じていいのね?」
「ええ、もちろん……あ、少し待って!」
 空と霊夢は、緊迫する藍らを尻目にまったくリラックスしていた。いつ撃たれてもおかしくはない状況であったが、撃つならば撃て、と霊夢もナチュラルに空のスタンスに相乗りする。空と実際話し、その人柄に惹かれた結果だった。
「これ。魔理沙さんに、返しておいていただけますか。そして。出来るなら、私の弾幕も加えて。きちんと、完成させて欲しいと。そう伝えてください」
 そういって手渡されたのは、一冊の、書きかけの本だった。
 グリモワール・オブ・マリサ。
 最後のページが黒く書き潰され、残りのページは空白のまま捨てられたその本は、地底に流れ着いていた。
 水橋 パルスィが地底に撒き散らした地上の情報。中でもとりわけスペルカードの魅力を訴え、地底の民を虜にしたのが、魔理沙の、この、一冊の。書きかけの物語だったのだ。
 本と魔理沙を抱えた霊夢が、重力を無視して飛び上がる。
 ぐんぐんと高度を増す。藍と一瞬だけ目が合った。そのまま上へ上へと昇る。やがて地上へ行き着くだろう。

 こうして、空は、一人になった。
 霊夢の姿が消えるや、藍が大量破壊兵器の無力化を遂行する。
 十八あるカービン銃が、いずれもフルオートで、空へ向け小口径高速弾を撃ち放った。
「……ウソつくのって。考えてみれば、初めてだ」
 確実な死を前に、それでも空は、笑っていた。


********************






 ルールの無い世界では弾幕はナンセンスである 
 
 暴力の裏付けが無いルールはナンセンスである 






********************

[空と命名決闘法]


 半年前。


 その日、さとりは地底全土へ向け、ラジオ放送で暫定政権準備委員会の発足と、内戦の終結を告げた。
 続いてパルスィから、当面の生活費の補助、配給計画、病院やインフラ整備に関する対応窓口の案内がされる。
 しかし地底の民が一番気にしていたのは、その日の晩飯があるのかないのか、ということではなかった。
 それ以上に――
「行政権が行う検閲は、これを廃止する。四八時間以内に同法の適用により収容されたすべての政治犯を、手続きの上、釈放するものとする。表現の自由は、公共の利益に反しない範囲で、これを保障する」
 スペルカード・ルールに対する、事実上の容認宣言。
 さとりの支持率は急上昇した。このときはまだ、地底の中心都市以外では、武装勢力の指導者・軍人である、という誤ったイメッジの強かったさとりへの評価は大幅に好転。反対に、旧体制を敷いていた鬼への風当たりが強くなることが懸念された。そうなれば鬼は少数民族である。虐殺される可能性すらあった。その点は地霊殿の治安維持活動で救済するほかない。だが、大丈夫だろう。さとりはそう思う。鬼というのはずっと、虐げに耐えてきた妖怪なのだ。今さらちょっと風当たりが強くなったところで絶滅などするわけがない。鬼は強く、傷付きながらも生き残るだろう……と。
 そして、できれば。
 鬼にも、スペルカードを持って欲しかった。強制は出来ない。するものではない。ゆえに願望だった。
「その前に、私もスペルカードの準備をしなくちゃね」
 翌日、さとりは地底深くに潜り空と再会する。そしてぶん殴られて送還され……。
 一週間後。内政をメガネの妖精とパルスィら地底解放戦線の中核メンバーに預けたさとりは、再び地の底を掘っていた。
 目的は空と、そして勇儀の救出。
 地底に出現した太陽は桁外れの熱量で地殻を溶かし、地霊を殺した。空たちが隠れ住んでいた廃坑道は落盤により深く閉ざされていたものの、地霊殿に帰依した鬼の協力もあり七日目には目標深度へ到達。空洞のあった場所へ出る。その地に、アルカリ湖周辺に咲き誇っていた花はほとんどが枯れ果てていた。
 しかし一部が小山のように繁茂して、何者かをかばうように咲き、絡まっているのが見つかる。
 この花園を拓いた先に、空と勇儀はいた。
 両者とも、重篤だった。しかし、生きていた。
 
 空は、死体が『生きている』と主張している様な有様だった。心臓が剥き出しになり、全身に複数の粉砕骨折と複雑骨折を負い、さらに脳内出血の痕跡が強く認められていながら、それでもなお空は生きていた。痴呆が進行し、意思の疎通はままならなかったが、
「痛くはないよ。苦しくも、辛くもない。なにも感じない」
 一日のうち、僅かの間だけ意識を取り戻す空はそう言って変わり果てた自身の身体を鑑みた。

 勇儀は、角と頚骨が折れて一度は心停止したものの、空の措置により蘇生に成功していた。骨折や打撲があったものの、生来の打たれ強さのためだろう。永久的な欠損は負わなかった……少なくとも、身体には。彼女はもはや、自分がなぜあれほど地底の封鎖に固執していたのかを、思い出せなくなっていた。理屈では未だにその正しさを信じているが、感情的な側面では、まるで別人になってしまったかのよう。こうして敗北した今では、空が地底を外に啓こうとするのを止める気すら起こらない。要するに、紛れもなく。以前の彼女は、死んだのだ。
 
 かくして、地底の内戦は終結し、市民生活も平穏を取り戻し復興への道を歩み始めた。
 同時に地底解放戦線は解散し、一切の武装を放棄。スペルカードの振興団体として再編、異変を計画し始める。
 そして星熊 勇儀がこの『間欠泉異変準備委員会』の門戸を叩いたのは、これから三ヶ月の後である。退院した彼女は、地底の中で居場所を失い始めた鬼たちの権利を守るために、自らスペルカードを学び、高いレベルのプレイヤーになることを選んだのだ。
 昼間は破壊されたインフラや家屋を再建する事業に参加し、夜はスペルカードを楽しむ。
 その、異変を起こすまでの三ヶ月間は、準備委員会の面々にとって本当に充実した毎日であった。身内を殺し、身内を殺され、己自身、殺しあっていた者同士が――嘘と誤魔化しと妥協の末に、互いに寛容となったフリをして、友達付き合いの真似事を始めた。しかし両者はともに過ごす内に、本当の友達になった。ここにはもはや不誠実は存在しない。奇跡のような出来事でもあり、しかし、心があるならば、誰にでも出来る当然のことだった。

 やがて、異変を起こす準備が整った。

 地底と地上の間に結ばれた相互不可侵条約が失効する、一週間前。
 空と燐、そしてこの異変のボスを務める少女たちが、かのアルカリ湖に集った。
「おくう。解る? ほら、連れて来たわよ」
 涎を垂らしながら虚空を眺めていた空の瞳に、不意に知性の光が戻った。
 首が座る。ふらついていた足元が確かになる。
「……私は、どれくらい寝てた?」
「二日間。二日前にあんたが指定した場所へ、こうして連れてきたよ」
「ああ。覚えてる。そっか。私は二秒ほど、目を閉じていただけ、って感じなんだけどな。あれ……私の鎖骨、また折れた?」
「うん。昨日の晩、急にあなたが暴れだしたの。覚えてない? その時に、壁に打ち付けて」
「痛くはない。左でよかったよ。右腕は上がる。さあ、始めようか」
「本当に、やるの? あんたは十分頑張ったじゃない。後は、私たちに任せて休んでもいいのよ」
「なにを言っているんだよ、お燐。私は、この時のために、そして異変をやるために今まで頑張ってきたんだよ」
 アルカリ湖は、かつて空が太陽をぶつけたときにすべて蒸発した。その後は、地底中から排水や地下水が流れ込み、以前よりははるかに澄んだ水質を取り戻していた。そして天井には、空があけた大穴がある。ここで火を焚けば、水脈・地脈を通って、いずれ地上に間欠泉を噴出させることができるだろう。もっとも、そのために必要な熱量は莫大なものになるが……。

「いまさらだけどさ。おくう」

 核融合を起動する。
 その負荷に空の身体は耐え切れず、チリチリと髪が焦げ始めた。頭蓋骨の中はもっとひどいことになっているだろう。CTスキャンしても、空の頭蓋骨の中は真っ白にしか映らない有様なのだ。

「あんた、本物のバカだよ」
「知ってる。類友だね」

 燐は、寂しげにそう言った。空は笑った。 
「それじゃあ、始めるよ――みんな危ないから、下がってて!」
 核融合の熱が、地上に異変を知らせる狼煙を上げた。
 
 こうして始まったのが、間欠泉異変。
 彼女たちの主演作、東方地霊殿なのだった。




 やがて、訪れた巫女と魔法使いがこの異変を討ち取る。





 霊夢と魔理沙を見送って、空は目前の死と向き合った。
 悔いはない。恐怖もない。もはや後顧の憂いもない。

 地底の民は、地上の存在を知った。そこにはまだ見ぬスペルカードがたくさんあって、挑戦を待っていることを知ったのだ。あとは勝手にやるだろう。
「けれど、まだひとつ。地底のみんなが、地上と融合するためには……邪魔なものがある」
 それはなにか。
 霊烏路 空――核融号という名の、大量破壊兵器の存在である。
 隣国として接する地上と地底。もとより、地底は隔離された先の国土であった。敵対はせずとも友好的ではなかった隣人が急に胸を開いて話しかけてきた、とそこまではいい。しかし隣人がその手に銃を持っていたのでは、当然相手は警戒する。警戒は容易に新たな火種に発展するだろう。
 ゆえに、今。
 こうして、藍が空の暗殺に来てくれたのは、まったく僥倖であった。
 地上側が自らの初期対応能力で地底の核兵器を排除できれば、地底に対する警戒レベルは著しく下がるだろう。国交樹立はスムーズに進むはずだ。自らイノチを投げ捨てること。それが、空の選んだ最後の役目。
 正直な話、命をくれてやるほど有意義なことだとは思えない。そこまでしてやらなくても、なんとかなるんじゃないかと思う。警戒レベルを下げるとか、そんなの、どれだけメリットがあるんだよ、と思う。けれど、核兵器はいつか必ず廃絶されなければならないのだ。そう思うことで、自らの死を受け入れていた。

 カービン銃の銃口が、空を全方位から狙っている。
「……ウソつくのって。考えてみれば、初めてだ」
 藍が檄を飛ばす。五.五六ミリの小口径高速弾が、計二五六発。空に降り注ぐ。
 それらは確実に、容赦なく、空の肉を裂き、骨を砕き、イノチを奪う――
 ――はずだった。

「ぎゃー! やられたー……ンあれ?」

 ずっと前から決めていた。殺されるときは、こう言ってやろうと。しかし身体を貫くはずの衝撃が来ない。
 目を開ける。
 仰ぎ見た空間には、無数のライフル弾が砕け、静止していた。
 まるで透明なゼリーの中にめり込んで、止まってしまったかのように。
 空のイノチには届かなかった。
「再装填! 撃ち続けろ!」
 再びカービン銃が火を噴く。ライフル弾は超音速で飛来し、空の手前でバリバリと割れて、ずるずると止まった。なんなんだ、と空は思う。混乱する。ゆえに最初は、空耳かと思った。しかし違う。藍にも聞こえたらしい、グレネードを投下しようとしていた手を止めている。音は、はるか上方から響いていた。
「……口笛?」
「……ダースベイダーのテーマだコレ」
 藍と空がそれぞれ首をひねる。やがて、一人の少女が真っ暗な闇の中から降りてきた――風に乗って。口笛を吹きながら。
 誰であろう。そう。そんな常識にとらわれない、イタイことをするやつは一人しかいない。

 ご存知、東風谷 早苗。ドヤ顔での登場である。

 腕を組み、居丈高な態度で颯爽と現れた風祝は空の横に降り立つや、静止していた弾丸に手を伸ばした。大気の粘性に引っ張られ、自身の運動エネルギーで自壊した弾丸を摘み取り……そして落とす。瞬間、静止していた弾丸のすべてがザラザラと、重力を思い出したかのように落下。
「……うおおおお! 私カッコイイ! ネオみたい! ウヒョオオオ」
「気持ちは解るが少し落ち着け」
「えっと? お久しぶりです?」
 藍も空も内心、なにしに来たんだコイツ、と思いながらもおいそれとは手を出せない。一瞬の心の隙に早苗は入り込んでいた。さて、と前置きして、よく通る声を張り上げて早苗は藍に告げる。
「この娘を殺そうというなら! 霊夢さん・魔理沙さんに成り代わり、この私が相手になりますよ!」
「おまえもかよったくもう」
 うんざりした声ひとつ残して、藍は一歩を踏み出した。竪穴に落ち、だん、と着地。
 銃口を突き出す。レーザーポインタが早苗の胸の下あたりにぴたりと向けられる……が、大気の壁に散乱され、ほとんど届かなかった。
「どかないと、撃つけど、いいかい」
「ご自由に」
 僅かな交渉。即座に決裂。藍が引き金を絞る。大口径の拳銃弾が早苗の形成する大気の壁に当たり、100ミリほど突き進んだところで止まった。
「東風谷さん」
「早苗でいいですよ」
「早苗ちゃん。殺しはしないから、決してそこを動かないように」
 言うが速いか藍は拳銃を連射した。ぴたりと定まった照準、反動を殺し、正確に同じ場所へと弾丸を叩き込む。
「!?」
 二発目の弾丸が、壁の中で静止する一発目に中った。
 そこまではいい。早苗も、それくらいは想定していた。しかし――立て続けに、連続して中てられた時に。
 どうなるかまでは、想像できていなかった。
 約1000ミリメートル。大気の壁、その厚み。これはレーザーポインタの散乱によって、藍に正確に測られていた。
 運動エネルギーが一発目の尻を推す。150ミリの位置まで弾丸が到達。フルメタルジャケットが変形しながら突き進む。初速の遅い拳銃弾は砕けることなく形を保った。そこまではいい。だが、しかし。
 二発目よりも三発目が、三発目よりも四発目が、四発目より五発目が。ずっと、多くの距離を進ませていた。
 なにが起きているのか。早苗は瞬時に判断できない。
 150ミリが200ミリに。200ミリが330ミリに。330ミリが490ミリに。490ミリが680ミリに。680ミリが850ミリに――ここで、七発目にして、大気の壁に風穴が穿たれた。
「えっえっえっおっ?」
 早苗が目前で起こった現象を理解する前に、彼女の胸の下を、最後の弾丸、八発目がキレイに貫通する。
「うえっ」 
 意識外から息が漏れた。
「ちょ、おま……なんで!?」
「断熱変化だよ。高校でやんなかった?」
「いや私ドロップアウツだし」
 カラになった弾創を抜き取り、予備を差し込みながら藍が早苗との距離を詰めた。
 宣言通り、死なない程度に深い傷を負った早苗は防壁を維持できない。
 風圧を肩で切りながら、藍が進む。
 スライドを引き、初弾を装填し、その銃口を、ぴたりと早苗の額に当てようとした、瞬間。
「あだー!?」
 ずっこけた。
 バナナの皮を踏んで。見本のような転び方だった。
「イテテテテ。誰だよ、こんなところにバナナの皮を捨てたのは」
 魔理沙の仕業である。
「あれ、早苗ちゃんどこいった?」
 背後にいた。
 振り向く暇はない。右腕を精一杯後ろに回し、不安定な姿勢のまま銃を向けた。ごりっ、と早苗の額に銃口が当る音。ステンレスが皮膚を抉る。
 引き金にかけた指が急止。僅かの隙を突いた早苗は藍のイノチを握っていた。首筋にピタリと当たる大幣、鋸状の御幣。相互確証破壊。
「藍さん。少し、このままでいませんか?」
 息を切らせ、ごつごつと額に当たる拳銃を押し返し、藍の首からつたう血液に見惚れながらも、早苗の提案は至極冷静だった。
「え、なんで? こういう状況で興奮しちゃうタイプなの?」
「いえ、それもありますが。そろそろ、あなたにメールが届くはずなので」
「うん?」
 言われてメールチェックする。視線で無機式に合図を送ると、確かにメールが届いているという。なんだか嫌な予感がしたので、さも今届きました、みたいなフリをした。
「ああ。確かに。今ちょうど受信したみたいだ」
 開封を指示。
「なんて書いてます? 作戦中止の指令が書かれているはずなんですが」
「……その通りだ」
 藍が静かに銃を下ろした。かなりの間を置いて早苗も刃物を下げる。ぐったりと、崩れ落ちた。
「アハ。こんな大口径で撃たれるの、初めて」
「なにやったんだ?」
 早苗を抱きとめ、止血を行いながら尋ねる。ややショックを受けているが、見た目ほどダメージはないようだった。経過を診る必要はあるが、血もほとんど出ていない。
「こうなると思って。予め、ウチの神様に、紫さんに働き掛けてくれるよう頼んでおいたんです。私のほうには、一分くらい前にはもう懐柔に成功したって連絡が来てたんですがね」
 そういって自分の頭をこつこつと指で叩く。藍たちとは異なる媒体で情報をやり取りしている神々は、頭の中に携帯電話でも入れているのだろうか。
「しかし、紫さまが、ねえ……」
「今回ばかりはこちらに義がありましたからね。新たな核開発を阻止しようという作戦ならば私も協力したでしょう。しかし、彼女は、霊烏路 空は、"今 そこにある核"だ。一方的に排除しようとするのはルール違反ですよ」
「っていうかコイツに核融合炉組み込んだのおまえらだろ! なにいけしゃあしゃあと核拡散防止語ってんだよ」
「私は平和利用を目的に作っただけですー」
「兵器転用されていると思うのは私だけか」
 早苗にも、藍にも。正論があり、動機があり、義務があり、理想があった。しかしどちらも現実への対応という切実な必要に迫られており、ゆえに議論は決着を見せることなく続く。この、霊烏路 空という少女を生かすか殺すか。両者は確かに、真剣に空のことを考えてはいたが、その目的はいつの間にかそれぞれの既得権確保にすり替わっていた。すり替わらねばならない理由があった。
 
「……私は」
 白熱する二人の背後。不意に空が口を開く。
「私は今日。この舞台に、死ぬ覚悟を持って立ちました。だから殺されるのは別にいい。だけど、その前に、言っておきたいことがある。これだけは、解っておいて欲しい――
 
 ――私は、スペルカードを持っています。」
 
 それがすべての答えになった。
「ハハハ」
「フフフ」
「えへへ」
 結局は、藍が折れた。嘆息し、肩の力を抜く。早苗は明るい笑顔を浮かべてころころと笑い、つられて空もはにかんだように笑い出した。
 そう。空はスペルカードを受け容れた。ならば今度は、藍たちが空を受け容れる番だ。
 人間も妖怪も月の民もオケラも皆。平等に楽しめる。この世で最も無駄なゲーム。
 ならば、大量破壊兵器だけダメだなんて、そんな理屈、あるはずない。
 空は心を持っている。
 心がある。
 心がある。
 心がある。
 心がある!
 もはや議論の余地はない。
 空はスペルカードを持っている。


********************

[藍と核査察]


「だけど、この子。核融合のチカラを、きちんと取り扱えているのか? その点に関しては、しっかり監査させてもらわないとな」
「それは、これから明らかにします。……空さん! 立ってください」
 言われて空は脚に力を込めた。
 軽かった。
「……これって」
 飛び起きる。脊髄がダイレクトに両足に指令を下し、空は事も無げに立つことができた。
「……治ってる」
 脚も腕も口も耳も目も。心臓もおっぱいも鼻の穴も。
 核融号によって破壊された脳までもが。
 すっかりさっぱり、治癒していた。回復していた。そんなのありかよって思うくらい、健康になっていた。
「……あの、早苗さん」
「あなたも神様なら、これくらいはできないとね?」
「やれやれ。早苗さんにゃ敵わないな」
 ご都合主義のようであったが、これは紛れもなく、現人神たる東風谷 早苗の起こした奇跡であった。治すんなら、ついでに腰回りの肉も絞って欲しかったな、と思いながらも口には出さない空である。
「でも待てよ。おまえさん、核融合のチカラはまだ持っているんだろう? なら、またアルツハイマーになるんじゃ」
 藍が当然の疑問を口にする。
 しかし空は既に気付いていた。
 気質界からの圧力に、すっかり自分が適応していることに。
 魔理沙との勝負で。全力疾走した経験から。彼女はついに、己の能力を、完全に征服した。
 核融号を打ち倒すことに、成功していたのだった。
 
********************

[勇儀と亡霊]


 地底に鐘の音が響き渡った。
 スペルカードを展開していた妖怪たちが、その音を聞いて矛を収める。地底街道はいまや、地上から雪崩れ込んできた木っ端妖精によってこれでもかというほど引っ掻き回されていた。妖怪は入ってはならない、と紫が出入り口を封鎖したが、聞く耳を持たずまたそのカテゴリに当たらない妖精が、我先を争いこの異変に乱入を仕掛けたのだ。
 キスメとヤマメは苦笑いでこれを出迎え、数に負けて押し通られた。
 パルスィは、妖精が相手では妬もうにも妬みきれずほとんど素通りさせるしかない。
 困ったのは勇儀である。妖精相手では本気で腕力を振るうわけにもいかず、妖精は妖精で、初めて見る地底の鬼というものにはしゃいじゃって、やれ髪を引っ張るわ角にぶら下がるわの大騒ぎ。
 そこに、今度は地底世界の妖怪たちが現れ、妖精相手に各々のスペルカードを披露し始めて、いよいよ事態は収集不可能になった。野良スペルカード戦があちこちで始まる。静かな地底が、にわかに祭りの活気に満ち始めた。
 スペルカードに疎かった者も、人が集まり、出店も開きはじめるとこの見物に加わりだした。あれはなんだ、やけに美しいなといっとう評判を集めたのは、なにを隠そうチルノのパーフェクトフリーズであったという。
「あーもう! ならんでならんで、順番だよ!」
「もっかいやって! もっかいやって! 次は避けるからさ! おーえやまあらし!」
「あんたは負けたから一回休みだってば! 後ろに並びなさい!」
 服の裾を引っ張られる。びろーん、と襟首を伸ばしながら勇儀がわんさか群がる妖精をどう相手にしたものかと頭を抱えた。
 その時である。鐘の音が響いたのは。勇儀が「だあ」、と大きく息を吐いた。やっと終わる。
「ほらほら、おまえたち! 異変が終わった合図だよ! よく聞きな」
『えー!』
 妖精が一斉にブーイングの嵐を撒きこした。どうどうと手で制し、傾聴を促す。
 地底に、巨大スピーカーによる放送が流れた。

 "こちらは、第一回間欠泉異変準備委員会です。たったいま、霊烏路 空が討ち取られました。
 繰り返します。霊烏路 空が討ち取られました。
 討ち取ったのは霧雨 魔理沙。人間・魔法使い。得点は566,078,430点でした。
 ただいまを持ちまして、間欠泉異変の終結を宣言いたします"

 自然と、拍手が沸き起こった。その後、ゴミの持ち帰りと負傷者の手当て等のガイダンスがあり、めいめいが帰路に着き始める。
 
 地上へ帰ってゆく妖精たちを見送り、勇儀も同様に、地霊殿へ向かい歩き始めようとするが……ぐったりと疲れ果ててしまっていた。道端に腰を下ろし、盃に酒を注いで一休みすることにする。
「…………平和だなア」
 暮れ始めた地底の街道。いろんな妖怪が、様々な地霊が、和やかな雰囲気の中、帰路を歩く。
 こんなに穏やかな気持ちで酒を飲むのは。
 千年ぶりだと、勇儀は思った。
 眺める道は。人々は、かつて勇儀が支配していたものである。
 圧政を敷き、粛清を働き、多くの血も流したが……力ある妖怪ほど、勇儀に同情的だった。彼女こそが、誰よりも地底を愛していたということは、紛れもなく事実であり、周知のことだ。ゆえにこうして凋落した今でも、勇儀は酒に困ることがない。
「あっ」
 座り込み酒を飲んでいた勇儀から見て、前方約十メートル。使い走りの帰りだろう。子供がひとり、道を急ぐあまりけっ躓いて転んでしまった。ばらばらと、買い物籠の中の物品が散らばる。
「あーあー見てらんないね」
 腰を上げ、歩み寄る。散らばった品物を拾い集めるのを手伝った。
「…………あっ」
 子供が声を上げた。その手には、封の開いてしまった酒瓶があった。中身は地面に染みこんでいる。泣きそうな顔になっていた。
「ほら。これで新しいの買いな」
 手のひらの上に、じゃらじゃらといくつかの硬貨を置く。ぎゅっと握り締め、その子は何度も頭を下げながら走り去る。
「さて――」
 勇儀が、立ち上がろうとする、瞬間。
 どん、と背後からぶつかってくる者がいた。
「――――――」
 ゆっくりと立ち上がる。
 そいつはまだ、勇儀の背中に、ぴったりとくっついたまま……離れない。
「おい」
「…………」
 呼びかける。反応はない。荒い息遣いだけが聞こえる。
 だらだらと。
 勇儀の下駄が、いつの間にか真っ赤に染まっている。

 血だ。

 彼女の、背中から、流れ出ていた。
 深々と突き刺さり、今も、ぐりぐりと力を込められて。強く強く抉られる、傷口から。 
「おまえさあ」
 背後に手を伸ばす。腰に刺さったドスを、相手の手ごと掴んだ。
「そんなんじゃあ、人間だって殺せねえぞ……!」
 ぐいっ、と力を込め、ぶちぶちと自分の肉を断ち切って。ぶん捕るような形で、勇儀は相手から刃物を奪い取った。びちゃびちゃと周囲に血液が飛ぶ。血まみれの手に、血まみれのドスを持ち、勇儀は逃げ出す相手を、追うこともなく見逃した。姿が見えなくなると手ぬぐいで血をふき取り、ドスは懐に仕舞いこんだ。
「…………っ」
 しばらくそうして堪えていたが、ついに限界が来て勇儀はくずおれた。
 地面が近づく――抱き止められる。
「しゃべらなくていいから。私に任せて」
 水橋 パルスィ。
 小柄な彼女が、今だけは、勇儀を支えていた。


********************

[空と帰還]


 その晩。
 異変に敗れた面々は地霊殿へ帰ると、こいしが作ってくれていた夕食のカレーを食べ、異変の完了を祝うと同時に準備会の解散を惜しむ宴会を開いた。軽い酒盛りであったが、疲れ切った彼女たちは深夜までにべろべろに酔って潰れてしまい、結局その晩地底で起きた地震には気付かないまま朝を迎えた。
「地震? 気付かなかったな」
 割と物音には敏感な方の燐にも気付けなかった震度2程度の地震は、揺れの大きさこそ小さかったものの、しかし一晩中続いていた。

 明らかに、異常な現象であった。

 さとりは朝早くから仕事に取り掛かり、被害状況の把握と対応に奔走する。
 その中で気付いた。
 地底の電力リソースが、数パーセント消失している。
 IPMが停止していた。すべて。
「いったい何事だ……?」
 不審に思いながら、地霊殿中庭から大深度地下に降り、IPMの基礎を確認に行く。
 そこには、勇儀を含む、無数の鬼がいた。
「おう。おはよう」
「これは? いったい、なにをしたの」
「地霊殿の屋上から、外資集積センターの方角を見てみるといい。驚くぞ」
 言われるがまま梯子に取って返し、中庭からエントランスへ、階段を上り屋上へ出る。
 南を向いた。
「…………なに、あれ」

 そこでさとりが観たものは、朝陽であった。

 スポットライトのように、地底と地上を結ぶ竪穴から、光が射し込んでいる。
 七七七メートルあった、地上と地底の間の距離はこの朝、十分の一にまで、縮まっていた。
「まさか、あいつら――持ち上げた、のか……!?」
 IPMは地殻の伸縮を吸収し発電すると同時に、強固な地盤として地底世界を支えていたメガ・インフラストラクチャーである。これを"とっかかり"にすれば、地殻ごと、地底世界を丸ごと押し上げてしまうことすら、可能なのではないか。うっすらとさとりの脳裏にそんな考えが浮かぶ。
「馬鹿げている。こんなこと、」
「ありえない? そうですかね」
 いつの間にか、あるいは最初からか。隣には空が居た。
「さとりさま。勇儀たちは、鬼たちは、この地底にとっては紛れもなく、"国造りの神様"でした。護国の鬼でした。だったら山を動かすとか、湖を造るとか。そういうことは出来て当然です。"信仰"、というよりかは"畏怖"の方の管轄ですがね」
「こうなることを、地底が望んだ。その結果だってこと?」
「ええ。私の拓いた時代が求め、鬼が応えた。いやあ……いい天気になりそうだ」
 淡かった陽射しが、その色を濃くする。
 同時に、朝を迎えた地底が目を覚まし始めた。
 遠からず混乱が起こるだろう。正しい情報を公開しなければならない。
「ねえ、さとりさま」
 これから噴出する諸問題と、広がる展望の、両方に頭を抱え胸を躍らせていたさとりが空の声で我に返る。
 キラキラしていた。
 空の、瞳。
「あの光は、地底の終わりなんでしょうかね。それとも、はじまりなんでしょうかね。さとりさまは、どっちだと思います」
「……そうよね。あなた。あそこへ行きたくて、今まで頑張ってきたんだものね」
 さとりが一歩引き下がる。空に道をあけるように。しかし空が歩み出ることはなかった。彼女はその澄んだ眼を、まっすぐさとりに向けている。
 やがて跪いた。頭を垂れる。
「さとりさま。私はあるじを必要としています。私のチカラは私だけのものだけど、人として未熟な私には、依然として大きすぎるチカラです。これを扱うに相応しい神に、私はきっとなってみせます。その時まで。私のチカラを預けられるあるじが要るのです。さとりさま。私のあるじになってください。私を。再び地霊殿に」
「なーに言ってるのよ、もう。私たちはずっと、家族だった。そうでしょう」
 頭を撫ぜる。くしゃくしゃと髪をかき混ぜて、さとりは笑った。
「朝ごはんにしましょう」
「はい」
 こうして空と燐は地霊殿に帰還した。
 いずれ迎える、巣立ちの日まで。

********************

 ところで、朝飯のカレーはもうなくなっていた。
 というのも、朝駆けを仕掛けてきた霧雨 魔理沙によって食い尽くされていたからである。
「おまえ、人のモノを……!」
「こくまろにしては美味かったぜ。私はバーモント派なんだが」
 一晩寝かせたカレーどころか炊飯器までカラにしてくれたこの闖入者は、皿を流しに下げた手で懐から一通の手紙を取り出した。
「これ、今晩の宴会の招待状な。異変やったやつは全員参加だから、よろしくー」
「え、あ、うん。解った。お酒持ってく?」
 なぜかさとりが代表としてこれを受け取る。
「んや、大丈夫。守矢神社が、場所と一緒に全部用意してくれるってさ。ああでも、空!」
「うにゅ」
 カレーの付けあわせだったゆで卵をむしゃむしゃ食べていた空が、不意に呼びかけられて顔を上げる。
「バナナは忘れずに持ってくるように。約束だぞっ」
「うん。解った! じゃあ夜にね」

********************

[さとりと核恫喝]


 その日はあっという間に過ぎた。異変の後片付け、地霊殿の立て直し、地上から流入してくる妖精への対応。地霊殿が主体になって運営している暫定政権も早々に総選挙を開かねばならないし、戦災・天災への対応もあるしで、結局さとりだけ残業する羽目になった。
 他の面々は既に、地上へ向かった。
 一時間ほど遅れてさとりが地霊殿を出発する。
 正門を出ると、誰かが気を利かせてくれたのか。ガレージから、さとりのシボレーが出されていた。既にエンジンがかかっている。後部座席に乗り込み出発。
「今日は帰れないかもしれない。ご飯は、こいしが作ってるから。先に寝ていいわよ」
「…………」
 話しかける。
 返事がない。さとりが訝しがると同時に、車は減速し、路肩に止まった。
「どうかした――。――!?」
 止まった一瞬のうちに、女が一人、さとりの横に乗り込んできた。再び車が走り出す。

 密室が出来上がる。

「こんにちは。私は射命丸 文といいます」
「初めまして。私は古明地 さとりです」
「ああ、初めましてってわけでもないんですよ。最もあなたは覚えてませんかね」
「いいえ、あの巫女さんと一緒にいらした方でしょう? 声でわかりますよ」
「あはは。それだけじゃあないんですよね。ま、千年も前の話ですから。それはいまはいいです。さて、古明地 さとりさん」
 射命丸と名乗った少女が、さとりの喉元に、葉団扇を突きつけた。
「……なんです、これは。心を読めば解るだろう、って? あなたの口から聞かせてください。あなたの意志を示しなさい。交渉をしたいなら、そこからです」
「これは失礼。さとりさん。地底世界を、幻想郷は受け入れました。しかし、妖怪の山は八雲と違って、まだまだあなたたちへの不信を拭いきれていないのです。たとえ鬼がいたとしても、ね」
「ほほう、それでそれで?」

「地底を率いて、我々妖怪の山が盟主となる、社会主義経済圏に加わっていただきたい」

 ……地上には現在、五つの勢力が存在する。これらは幻想郷中心にある人里によって地理的に隔絶されていた。
 北には妖怪の山を初めとする北方山脈相互防衛援助機構があり、南には広大で肥沃な土地を風見幽香が治めている。西には冥界へ至る大河とそこに群がる死者の混沌があって、そして東には博麗がいた。現在は、基本的に博麗が一極支配を敷き、巫女の務めとしてバランスを――パクス・ハクレアと呼ばれる構図を保っている。保安官として幻想郷中に首を突っ込むのはそのためだ。また、いずれにも属さない自由魔法連盟・霧雨 魔理沙の勢力も存在する。
「これらの勢力は隣接しあい、人里という資源を巡ってパワーゲームを繰り広げています。もちろん、大部分の妖怪にとってはそんなのはただの遊びです。スペルカードを面白くするための、一種のご当地競技団体でしかない。
 しかし、我々の勢力ではね……本気で覇を競おうなんていう、時代遅れなバカが高級官僚職に未だに居座っているのですよ。そしてその老害どもはあなた方の帰還を望んでいる。再び力を合わせようってね」
「なるほど。そして、断るならば……」
「ごめんなさいね、断られたら殺せって言われているの。ホント、馬鹿みたいだけど。従っちゃうのが天狗の悲しい性です」
 妖怪の山には、未だに鬼を最上位指導者として崇める会派が存在する。さとりを、勇儀という鬼を打倒した不倶戴天の敵として排除しようとするものは天狗議会にも少なからず存在した。地底の暫定政権が崩壊すれば、地底は容易く衛星国化される。そうなれば、地霊殿は真っ先にパージされるだろう――サトリも。妖怪変化も。皆殺しだ。
「ところで、ちょっと解らないことがあるんですけど」
 さとりが尋ねる。何かしてくるな。そう、両名は身構えた。
「どうやって、古明地 さとりを殺すんですか?」
「そりゃーおまえ、だから今こうやって……」
 はた、と文が気付く。さとり――さとりだと思っていた少女がにやにやと笑っている。
「まさかおまえ!」
 ぐい、と少女の着衣を引っ張る。服が肌蹴て、下着と小さな胸が露になった。そこにあった第三の目は、
「……閉じているッ! くそう、椛ッ ハメられた! こいつッ」
「さとりじゃなくてこいしじゃないですか! やだーー!」
 古明地 こいし。着衣を変え。髪色を変え。見る者の無意識にバイアスをかけてやれば、容易に誰もがこいしとさとりを見間違える。この姉妹は実のところ、瓜二つなのだった。
 動揺する文。
 少女の行動は素早く、かつ、文の心の隙を突いていた。それゆえに、文は回避することもままならず、少女の攻撃を受ける。
「ぬっ!? が、あぁやゃゃぁあぁん」
「文さん!?」
 文が腰の抜けたような声を出して悶絶した。椛がルームミラーで背後をうかがうと、少女はなんと文の鼻に吸い付いていた。
 じゅるじゅると、鼻の穴に舌を突っ込み、その中身を――啜っている。おぞましくも官能的な光景だった。
「っぷはあ。ちょっとしょっぱいね」
「…………ぅひぁ…………」
 鼻を吸われた文は完全に昇天していた。少女が葉団扇を奪う。形勢が逆転した。
「おまえ、いったい文さんになにをしたんだ」
「知らないの? 烏天狗はね、鼻が性感帯なんですよ」
 嘘である。だが、文の一番の性感帯は、その長い鼻であることは本当だった。
「さあ。このまま外資集積センターへ向かってください。私は宴会に出ます。あなた方も出るんでしょう?」
「……解ったよ」
 渋々と。椛が指示に従った。
「しかし、君。こいしちゃんね。私たちの誘いに乗るか反るか。その答えを一応聞いておきたいんだけどね」
「んぅー? そんなの、お断りに決まってるじゃない。お姉ちゃんでもそういうよ」
 運転中、椛が後ろを気にしながらあれこれ話しかける。少しでも情報を集めようとしていた。
「君は本当に、ことの重大さを解っているのか?」
「ええ、解っていますよ」
「ならば軽率な答えはしないことだ。よく考えろ。あらゆる勢力が、おまえたちを取り潰し、征服し、食い物にしようとやってくるだろう。私たちはそういった輩から、地底を守ってやると、そう言っているんだ。いつまでも、孤立主義やってるわけには行かないんだよ?」
「孤立主義? そいつは違う。かといって覇権主義に走るほど私たちは豊かでもない。これは、そう。平時である今は、中立主義というンですよ。あなた方の提案は、私たちの自由を脅かすものだ。私たちは戦って自由と独立を勝ち取った。これを守るための努力は惜しまない」
「解らない人だな。戦って、勝ち目があるとでも? ハッキリ言おうか。私たちの勢力は、あなた方の生命線をいつでも封鎖できるんだ――流通経路の遮断! これをやられて、生きていけますか?」
「…………」
 会話が平行線を辿り始めたころ、いよいようんざりしてきた少女がかぶりを振って沈黙した。
 ハア、と大きく息をついてヘッドレストに頭を預ける。やがて、ゆっくり口を開いた。
「全長 一六三センチメートル
 全幅 一九五センチメートル
 虚空重量 六十五キログラム  
 翼面積 三.七二平方メートル 
 最大離陸重量 三,八〇〇キログラム
 航続距離 二〇〇,〇〇〇キロメートル
 実用上昇限度 五〇キロメートル
 最大速度 二,〇〇〇キロメートル毎時
 推力 一,二〇〇キロニュートン

 搭載兵装 八八メガトン級水素爆弾 八基」

 淡々と、少女は語った。
 一度に唱えられた数字。しかし椛は、その一つ一つのイメージを正確に想起していた。
 どんなミサイルよりも小さく。速く。高く。遠くから。
 圧倒的な破壊力を、密かに、あらゆる勢力の心臓部へ運ぶことができる、少女。
 核融号。
「私たちには、熱核弾頭があるんだぜ」
「――――――――――」
「そして同時に、"対話と圧力"を交換する用意もあります」
 椛は絶句した。
 それは紛れもなく、この世で最もストレートな、核恫喝だった。


********************

 車を降りる。地底の端に到着するころには、既に文も意識を取り戻していた。椛と文は一足先に宴会場へ向かった。やれやれ、と少女は服の乱れを直す。
 そして、閉じていた第三の目を開いた。
 左様。
「私に必要だったのは。一瞬の、相手の気の緩み。それだけだった」
 最初から、さとりとこいしは入れ替わってなどいなかった。今頃こいしは地霊殿で晩飯にから揚げでも作っているころだろう。
 サードアイなど閉じるも開くも本来的に自由自在だ。ちょっと揺さぶりをかけてやり、さらに相手に"だまされた"、"もしかして"という感覚を想起させてやれば、勘違いを誘発するには十分すぎる。結果としてさとりはこいしのフリをして局面を凌ぎきり、また地上の勢力争いに対しても強力な第一印象を与えることに成功した。
「茨の道……アハハ。そんなの今に始まったことじゃない。やってやるわよ。私は古明地 さとり。地霊殿の主で、地底の盟主。総選挙の日までは、せいぜい引っ張ってやりましょう」
 さとりの行く先には光が満ちていた。
 歩き出す。
 母親のように、自らを包んでいた闇の不在に怯えながら。
 それでも地底は生きてゆくのだろう。
 強く。
 さとりのように。

********************



 宴会が始まった。



 守矢神社の広間には、無数の酒と膨大な量の料理が並べられた。地底の妖怪を一目見ようと様々な有識者・有力者が集い一堂に会する。最初のうちこそぎこちなかったが、神の采配か日が完全に沈むころには程よく打ち解けることが出来ていた。
 主賓である異変の中核メンバーはあっちこっちに引っ張りだこにされた。先々でスペルカードの来歴等を語り合い、酒を酌み交わしあい、親交を深め合う。
 宵も深けると、ほとんどはそれぞれの二次会へと消えていった。会場にはヤマメ、キスメ、それに魔法使いや人間といった比較的フリーな連中が、それぞれの場所で静かに飲むばかりになる。
 ヤマメとキスメが。
 豊富な珍味を味わいながら、話していた。
「…………異変、終わっちゃったね」
「うん。ねえ、キスメ。私たち、これからどうしようか。前やってた仕事は廃業だ。さとりにくっついて宮仕えってのも、コネで入ったみたいで嫌だし」
「そーだねー。でも、地底にこれから必要となる仕事。たくさんあるでしょ。ヤマメだと……政治家、科学者、医師、哲学者、教師、そして軍人……あたりかな。既にその資格があるのは。さて、なにを選ぶ?」
 缶ビールを飲み干してから、ヤマメは思い切って、自らの可能性をバッサバッサと切り落とすように心を吐露した。
「もう、政治はこりごりだ。かといって職業で軍人をやるには、私の体は不完全。科学者ってガラでもないし、まして哲学者なんかなにをすればいいのか解らない。戦争で散々殺した私が、今さら教師や医師をやるなんて……それって嘘だよ」
「それじゃあ?」
「そうだな……」
 缶ビールの縁を指でなぞりながら。
「アイドルにでも、なってみるか……?」
 どこか恥ずかしそうに、ヤマメは言った。
 その頬が赤いのは酒のせいかどうか。キスメには解らなかった。

 また、他方では霊夢がアリスを呼び止めていた。
「あー。アリスさ」
「うん? なにそのお酒」
「さっき、早苗にもらった。すごくいいお酒。魔理沙も一度、飲んでみたいとかいってたヤツだから」
「へっ? あっ……そうなの」
「だからさ。これ。持ってって。魔理沙んところに。私ちょっと、用事で抜けるから」
「……いいの?」
「いいってば。ほら、さっさと行った行った。今なら、魔理沙一人だから」
「うん……ありがとね、霊夢」
 そそくさと、アリスは小走りに湖のそばにある庵へと去っていった。Votkaとラベルを貼られたビンを抱えて。
「さて、と」
 霊夢は一人、重い腰を上げる。
「犯人逮捕に行きますか」

********************

 妖怪の山、中腹。守矢神社から三百メートルほど下った原生林の只中に。
 ソンビフェアリーがいた。彼女の足元には、いつあいたとも知れない古びた竪穴があった。
「そうら、逝け。迷いなく、逝けよ」
 彼女はそう言って、両手に抱えていた白い霊魂を、地霊や怨霊の類を宙に放った。
 ゆらゆらと揺れながら、引っ張られるように天へと向かい……すぐに、姿を保てなくなり、風に紛れて掻き消えた。煙のように。
「これで、全部かな」
「終わった?」
「――!」
 背後に霊夢が。いつの間にか、あるいは最初からか現れていた。
「一応、聞いていい? 今あなたが解放したのは、いったい誰の霊?」
「怨霊ですよ。名は知りません。おそらく、本人たちも覚えてはいないでしょう。千年以上、昔のことですからね。ただでさえ肉体を失えば自我は消えうせる。霊魂には、記憶も感覚も感情もありません。だからあれを誰だと問うのは、無駄なことです」
「じゃあ質問を変えましょうか。なぜあなたはあの霊魂を、解放したの? そしてあれらは本来怨霊のはずなのに、まるで神霊の様に白かった――なぜ?」
 問いかけは、鋭く、硬い。返答次第では確実に命を奪われる。
 ゾンビフェアリーは、ただただ事実のみを応える。
「千年前ね。旧地獄が閉鎖されたでしょう。その時地獄にいた罪人たちの霊はどうなったと思います――そう、地獄もろとも忘れ去られた。閻魔がその管理を放棄したために、無益な贖罪を、不当に。今の今まで、強いられていたんです。来るべき解放も、迎えられぬまま!」
「…………」
「私は彼ら彼女らを解放したかった。楽にしてやりたかった。けれど、地獄は地獄のまま閉ざされ、冷え切ってしまった。罪人の魂が贖罪の末に昇華され、神霊となりながらも、なお成仏できぬまま、地獄は、地底は、閉ざされてしまったんです。
 だから私が解放を与えた」
 メガネの妖精は――ゾンビフェアリーは。
 くるりと身を翻し、霊夢に向き直った。その顔は晴れ晴れとしていた。
 霊夢が大幣を構えた。
 ゾンビフェアリーが一歩引く。
「今回の異変について。私なりに背景を調査したの。地底の内戦とかね。いろいろあったみたいじゃない。
 調べるうちに気がついた。
 要所要所で、正体不明の何者かが、糸を引いていた形跡がある、ってね。
 例えば、霊烏路 空。あの子に学を与えたのはいったい誰か? さとり? いいえ、さとりは基礎的なことしか教えていない。霊烏路 空に寄り添い、知性をリードした存在がいたはず。そしてそれは――」
「そう、私だ」
 ゾンビフェアリーが頷く。霊夢は続ける。
「また、地底解放戦線が活動しているとき、密かにその情報を体制側に流すことで、地底全体の趨勢を思うがままに操っていたものがいた。例えば黒谷 ヤマメが地上に出たことを教えたりしたやつがいたはず。そしてそれは――」
「そう、私だ」
 ゾンビフェアリーが頷く。霊夢は続ける。
「さらに、内戦中、体制側に火焔猫 燐の居所を教え、捕虜として利用することを吹き込んだ参謀がいた。そしてそれは――」
「そう、私だ」
「星熊 勇儀はあんたのその一面を知っていた。ゆえに彼女を暗殺しようともしたでしょう。
 そう――あなただったのよ。
 この、異変の裏側にあった、地底の革命をめぐる様々な出来事を総称して"核融号事件"と呼ぶならば、真犯人はあなただったんだ」
 風が吹いた。
 身を切らんばかりの、冷たい風。

「あなたこそが、地にひそむ霊たちの殿をつとめるもの」

「そう――私だよ」
 メガネは両腕を開き、霊夢に身をさらす。
「最後に、あなたの名前を聞いておきたいの。ねえ、……なんて名前?」
「名前か。私の名前は――」
 霊夢の持つ大幣が月明かりを反射して、ギラリと光った。
 満天の星空が、まるで金平糖や、飴玉のようにキラキラと輝く。そんな夜の、出来事だった。

********************

[冥王と獣]


 霊夢が一人で、守矢神社へ戻る道を歩いていると。
 背後から声がかけられた。
「あ、博麗のお姉さん。おつまみの補充ですか? 私、これからひとっ走り地底に行って、糠漬け取ってくるんですよー。早苗さんが、糠床をわけて欲しいっていうんで。なにか一緒に買ってきましょうか」
「ううん。いいわ。ありがとう。……ねえ」
「はい?」
「あなた、火車よね」
「ええ、そうですけど」
「じゃあさ。覚えて置いて欲しいことがあるの」
 寒そうに脇をしめながら、霊夢が己の小さな身体を抱えて、燐に告げた。
「私さ。たぶん、近いうちに殺されるんだ」
「――――!!」
「死体はあなたに持っていって欲しい。そして、最も残酷な処置で葬ってちょうだい。私はね、たぶん残酷な形で死ななくちゃいけない。それだけの非道を働き、それだけの特別扱いを受けてきたから。いいわね」
「いや、それは」
 突然の告白に。燐は上手く答えることが出来ない。
 だが、霊夢がなにか、大きな悩みを抱えているようには見えた。燐が意を決して尋ねた。
「殺されるって、誰にですか。そんなこと、ありえるんですか」
「ありえるわよ。私を殺すのは……霧雨 魔理沙」
「!!?」
 もう何度目か。燐は混乱しながらも、話だけは確かに聞いている。

「私は今ある世界そのものよ。確定事項で、法則。もはや行く先が見えている。滅びへ向かって進むしかない、冥王。
 あの娘はこれから生まれるかもしれない世界そのもの。不確定事項であり、可能性。さながら獣。


 冥王、博麗 霊夢はいつか、獣、霧雨 魔理沙に殺される。


 さもなくば、私があいつを殺す。あいつが生きようと、そう思うなら。今生きている、私を殺さなければ、あいつは新しい世界を作れない。そして私もまた、生きるためには、あの子を殺さなければならない――いつになるかはわからないけれど。あまり遠くはないんじゃないかなと、うすうす感じてる。
 創造主にさえ「あいつのことはいいじゃん」といわれ、さらにその上位からも「脇役」と断言される人間。霧雨 魔理沙。だけどあの娘は、想像もつかない、新しい世界を、その可能性を持っている。
 たぶんね、こうして今の世界とこれからの世界が、それぞれ人の姿を取ったことにはなにか理由がある。
 私はたぶん、魔理沙に殺される。
 あいつが新しい世界を切り拓いたとき、きっとそこに私はいないの」
 
 その、霊夢の言葉を、燐はほとんど理解できなかった。だが、解ったこともある。
 霊夢は――なんだか、思いつめているようだった。ならば、そんな娘にかけてやるべき言葉は決まっている。
「博麗のお姉さん。私はね。昔、同じことをおくうにも言われたんだ。今こそはっきり返答させてもらおう。お断りだよ。
 たとえその苦痛を肩代わりすることになったとしても。私は最大の礼を尽くして、安らかに眠らせてやろうって思う。
 それに、さっきから、新しい世界だのなんだのって……よく解らない理屈をこねてるけど。誰かが、死ななくちゃいけないの? 私はそうは思わないな、お姉さん。あの白黒のお姉さんは、もっと、よく解らないけど。とてつもないことをやりそうな気がする。殺すとか殺されるとか思っているのは、お姉さんのほうだけだと思う。
 だって、適者生存とか。戦わないと生き残れないとか。自由と独立のために武器が必要になるとか。そんなのも所詮、いまこのとき、一瞬のみを支配しているだけの、流行り廃りに過ぎないのだから。世界が変われば、法則も変わるよ。そうでしょ?」
「あなた……結構、面白いヤツね……」
「アハハ。ともかく、さ。なにがあったのか知らないけど、あまり気に病まないほうがいいよ。さ、神社に戻ってて。さとり様の漬物、取ってくるから!」
 燐がそういって、霊夢を神社の方へと向かせた。
 そして走り去る。
「…………」
 残された霊夢は、ため息をつくしかない。白い吐息越しに見る夜空には、満点の星。
 燐の言葉を反芻する。
 魔理沙の作る世界を想像したがしかし、やはり、いくら考えても。魔理沙の横に、自分はいないのだ――
 不意に、瞳から雫が零れそうになる。慌てて空を向いた。しばらくそうしていると、今度は横から声がかかった。
「おおい、霊夢っ!」
「魔理沙、それに……アリス」
「なにしてんだ? あ、そうだ。この酒な! すっげえキツくて面白れーから! あっちで、みんなで飲もうぜ!」
「え、ちょ。ちょっと!」
 ぐいぐいと引っ張られる。背中はアリスが押していた。
「ほら、行きましょう」
「アリス、あんた……ええい、このおせっかいめ」
「お互いさまよ」
 霊夢の瞳からこぼれた雫は、そのまま地に落ちて消えた。
 そしてもう、流れることはなかった。


********************

[ゾンビフェアリーと家路]


 地獄へ続く竪穴の縁に、メガネの妖精は一人で座っていた。
「あれ? どしたの、もう帰り?」
 そこへ燐が現れる。飲みすぎたのか、具合が悪そうなメガネを、彼女は自前の猫車に乗せて送ることにした。
「ねーねー。ゾンビフェアリーさー。私らこれから、大変だよね」
「うん。変化の激しい社会になる。時の流れも……速くなる」
 がらがらと。
 車輪が鳴った。
「私、ゾンビフェアリーやめるよ」
「えっ……なにそれ急に?」
「後釜には、そうだね。南部出身の妖精がいたじゃない? あいつなんか、いいんじゃないかな。私より、要領いいよ」
「そうじゃなくて……いや、いいけどさ。あんたにも私にも、変化が必要だもんね」
 燐が笑う。メガネの妖精も、掠れた声で笑った。
「で? 次はいったい、どうするんだい。新しいスペルカードを作るんだろう」
「ああ。どうしようか、な……」
「いっぱい妖精集めてさ。おっきなお芝居やろうよ。ね?」
 尋ねるも、答えはない。
 猫車の中、メガネの妖精はぐったりと力なく横たわるばかりで。
 安らかな顔のまま、もう、ぴくりとも動かなかった。

「聞かせてよ、展望を。ゾンビフェアリー。……ゾンビフェアリー?」

















********************

[空と新世界]

chase this light.



 翌年の初め、地底で総選挙が行われ、古明地 さとりが初代大統領に就任した。
 条約を締結する権限を得たさとりは議会に地上との相互安全保障条約を提出。承認を受けた上で、守矢神社にてこれを締結した。
 調印を終え、証紙を抱えてさとりは外へ出る。
 見上げる空は果てしなく続き、青く澄んでいた。
 その青空に、白く一本の線が引かれている。
「おくうが飛んでいる」
 ごうごうと鳴る。ソニックブームはここまで届いた。
 霊烏路 空がどこへ向かうのか。未だ、さとりに知る術はない。
 だがどこへ帰るのかだけは解っている。それで十分だった。

「そして、今日も、空のどこかを。自由の力が飛んでゆく――」

 よく晴れた新春の、昼下がりのことだった。

三度目まして。

作中、矛盾点・記述の間違いなどありましたらお手数でなければ教えてくれると嬉しいです。内容が内容なので、批判批評も一応覚悟はしてます。

なお本作は核武装を推奨したり核兵器を礼賛するものではありません。じゃあどういうものかっつーと、おりんくうでハァハァするためのものです。できるもんならやってみろ。

あと話の都合上まったく登場しませんでしたが自分はルナサ姉さんが好きです。

住んでるところの米が一番美味い。お米食べろ。


//コメントno.51で指摘していただいた、XPSに関する記述を修正しました。コメントに感謝します。2011/12/26追記//
保冷剤
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コメント



0.1670簡易評価
1.100かたる削除
 奇しくも天空の城が落ちた日にあなたの新作が読めるとはうれしいかぎりです。
 いや、全く。すばらしいの一言につきます。最初の数行で心奪われ、一スクロールごとにマウスを持つ手を震わせながら読みました。現時点では流し読みに近い感じなのですが、それでもすぐにコメントを、賞賛の言葉を入れずにはいられません。
 前々作のコメント欄でもごにょごにょ言ったのですが、あなたの熱量には驚嘆させられます。核融合もかくやという濃密さと爆発力を感じました。誤解を恐れずに申し上げますととにかく様々な要素の混ぜ方が実に乱暴で、無頓着で、挑戦的なのにもかかわらず、どうしてこんなにも絶妙なバランスを保ちながら一貫してストーリーを貫けるのでしょうか。しかも後半に連れて増していくパロネタや読者を困惑させるような表現が、かえって全体の緊張感を増長させているような。すごいなあ……
 しかも今回は前々作にも増して原作への愛を、リスペクトを感じます。一見して突拍子も無い設定に世界観ながら、その根底にしっかりと各キャラクタや陣営の考察があって、そのうえ派手な構成ながら原作の王道である異変を扱っている。特に3における地霊殿本編への回帰や、グリモワールのセンテンスの引用など列挙するのが大変なくらいです。
 この作品は……なんと形容すればいいのだろうなあ(投げやり)。ひどく頭のわるい文章を書いてる自覚はあるのですが、地霊殿という原作においてなんとなく私がぼんやりと持っていた"こんなのが見たい/書きたい"というのを逆立ちしながら実現されたような。きっとこれから幾度となくこの作品を読み返して読み込むことになると思います……いやはやなんとも。時間泥棒すぎる。
 個人的に気になった点はといえば「みとり」ですかね。作中で僅かに名前だけ登場しただけですが、私は非常に意味を感じました。某氏の評論を借りればこのキャラクタは[幻想郷の包容力の中で、もしかしたらあるのではないかという空気を纏い、緩やかに東方の想像力の中に位置づけられ]ています。彼女はストーリーの本筋への影響力は薄いですが、まさしくこの作品に漂う空気を代弁しているかと思うのです。幻想という包容力の中で、それでもたしかに二次創作として存在しうる説得力を。
 浅学ながら適当なことを書き連ねてしまいましたが、一読しての感想はこんな感じでした。すばらしい! 本当にすばらしい。特に古明地姉妹とりんくうがすばらしい。見事な地底世界をありがとうございました。また、あなたの新作を読める日を楽しみにしています。その日までこの作品は何度も読み返します。やっぱり住んでるところの米が一番ですね、お米食べます。
2.100奇声を発する程度の能力削除
やっと読み終わった…これはとても凄い!
それぞれのキャラクターの思いや、ギャグなどが入り込んでいて
読んでる途中にどうなるかとドキドキしながら読ませて貰い
とても読み応え十分すぎる作品でした。
そして、読み終わったあとの鳥肌もかなり立って落ち着くのに少し時間が掛かりましたw
私もお米食べようかと思います。

この超、超大作本当にお疲れ様でした
4.100名前が無い程度の能力削除
ああ堪んねえ……伏線がどうこういうレベルじゃない次元で、構成が超絶巧すぎる。
引き込まれる。
引き込まれた。
なんか夜が明けてるじゃねぇか畜生。

全編読み終えたばかりの今、気の利いた言葉なんかひとつッきりも出てこねぇ。
最高に面白かった。
もう馬鹿みたいにそれしか言えないや。
5.100名前が正体不明である程度の能力削除
さとりがいいあじだしてた。
7.100一級天人削除
こういう話をタダで読めるんだから、創想話はやめられない
9.100名前が無い程度の能力削除
おもしろかったです。
11.100桜田ぴよこ削除
100点入れる感想を書く度、毎回最後に(小並感)とつけたくなる私ですが、今回は特にひどい。
このSSはやべえ。としか言い様がないです。
おりんくうちゅっちゅ。お米食べます。
12.90名前が無い程度の能力削除
逆算からの超拡大、楽しませていただきました。
13.100名前が無い程度の能力削除
圧巻。ただ圧巻しました。
ゾクゾクしながら、ただひたすら読んで、読んで、気がつけば読み終えていました。
14.100名前が無い程度の能力削除
恐るべきこの発想力!

とても面白かったです。
15.100名前が無い程度の能力削除
引き出しが多すぎですよ!
おもしろかったです。
18.100名前が無い程度の能力削除
しゅげぇよかった!
19.100名前が無い程度の能力削除
カオスすぎてすごく面白かった!
これぞ東方二次創作の代表作!って作品です。

余談なのですが、空に対する名称が同じキャラからでも
空、おくう、お空などと一貫してないのはなにか理由があるのでしょうか?
20.100パレット削除
かくゆうごうじけんをよんで そそわ年 2009ねん組 ぱれっと

 れいうじ うつほというしょうじょにとって、せかいとはうすぐらいあなぐらのことをさしていた。
 そこからはじまったものがたりは、『ちれいでん』をじくにして、うつほ、りん、さとり、ゆうぎ、こいし、きすめ、やまめ、ぱるすぃ、そしてめがねようせいへと、『とうほうちれいでん』のとうじょうきゃらくたーへとひろがりをみせ、そしていちどしゅうそくします。
 れいうじ うつほというしょうじょにとって、せかいとはうすぐらいあなぐらのことをさしていた。
 けどね、かみさま。わたしはこんなちから、ほんとうはのぞんじゃいなかったんだ。
 それが、このものがたりにおける、「なにかがかわるとき」だったようにおもいます。
 かくぶんれつということばに、すごく、ぎしぎしするものをかんじながら、よみすすめていました。わたしたちのしっているうつほは、かくぶんれつしょうじょではありません。だけど、どうやら、このままだとうつほは、かくぶんれつしょうじょになるみたいだ。おかしいぞ。
 このものがたりに「うんめい」というものがあったとしたら、それだったんじゃないかなとおもいます。うつほは、ほんとうは、かくぶんれつしょうじょになるはずだったんじゃないかなと、ぼくはおもうのです。ほんとうは、それでおわってしまうおはなしだったんじゃないかなと、ぼくはおもうのです。
 けどね、かみさま。わたしはこんなちから、ほんとうはのぞんじゃいなかったんだ。
 いまこそあきらかにしましょう。わたしのもくてきを──ええ、わたしはさいしょから、あなたとふたりっきりになるために、こうしてけいやくをむすんだのです。
 すべては。
 すべては、あなたから"あるちから"をうばいとるためだった。そしてそれは、かくぶんれつなんかじゃあない。
 わたしはかくゆうごうのちからがほしい。これいじょう、ばらばらにはしたくない。わたしは、ぶんれつよりもゆうごうのほうがいい。
 すべては。
 そう、それこそ、それまでのすべて(そそわかんさん:148.61KB+106.52KB-さなれいむ+20KBくらい?)は、きっと、「けどね」のひとことをうつほにいわせるためのものだったとおもうのです。
 たぶん、さつれいじけんも、そんなところがあったんじゃないかなとおもっています。そしてぼくは、そんなところがすごくすきでした。(れんめり100のもんどうのときのどくしょかんそうぶんで、れんめりなのにさつれいのはなしばっかりするとはなにごと! とせんせいにおこられましたが、なんだかもうめんどくさいのできにしません)
 そして、そのうそぶきにこたえるものがあった、あのときのように、それまでわたしたちがよみすすめてきた、しって、おもって、うんざりして、どうにかならないのかなとおもって、なんとかなってほしいなとおもった、つみかさなったものがたりに、ほんのひとつ、ぽつんとなにかがひかって、そのひかりがぐんぐんおおきくなってせかいをてらすようなあのかんかくが、うつほが、はにかみながらつげた、「かくゆうごう」のひとことにありました。
 でも、おはなしはこれでおわりません。『とうほうちれいでん』のとうじょうきゃらくたーへとひろがりをみせ、そしていちどしゅうそくし、そしてまた、『とうほうちれいでん』をちゅうしんじくに、ふたつのらいんがうねりはじめました。
 かんけつせんいへんと、かくゆうごうじけんです。
 ぼくはれいまりがすきなのでなんだかとちゅうかられいまりっぽいくうきをかもしだしはじめてごきげんだったのですが、どちらかというとかくていてきにあきらかにれいむさんしじょうしゅぎしゃなので、れいむさんがごめんでぴちゅったときはふざきんなああああああああああああああああああああああぼくはれいむさんTUEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEでごはんがたべてぇんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおまりさちゃんはれいむさんのおむねにかおつっこんでちゅぱちゅぱしてりゃいいんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおというかんじでした。
 でも、れいむさんがぴちゅったのは、とてもとてもかなしいですが、これは、しかたのないことだったのです。
 このちれいでんは、かんけつせんいへんと、かくゆうごうじけんだったからです。
 まりさがいへんを、れいむさんがじけんをかいけつするおはなしだったからです。
 とてもとてもとてもかなしいことです。
 どのくらいかなしいかというと、さつれいじけんは、あれは、あれで、よかったのだろうかと、そんなことをおもってしまうくらいかなしいことです。
 わたしさ。たぶん、ちかいうちにころされるんだ。……とか、
 わたしはね、たぶんざんこくなかたちでしななくちゃいけない。……とか、
 それくらいなら、もんだいないのです。
 それくらいなら、さつれいじけんのあのものがたりは、れいむさんをすくってくれます。(あたりまえのようにさつれいじけんとくっつけたはなしをしていますが、まあ、しかたないよね)
 でも、かなしいことに、ふたつほど、ひっかかることがあるのです。
 ひとつは、れいむさんが、まりさがつくるせかいにじぶんがいない、それをかなしむか、さみしむかしているようにみえることです。
 そしてもうひとつは、ひょっとしたらべつのさくひんがとうこうされたらまたちがうのかもしれませんが……れいむさんではなくまりさが『いへんをかいけつした』こと、そのものです。
 じつのところ、ぼくがさつれいじけんでいちばんすきなせりふは、「こめびつがいっぱいになるとね。へひひっ。しあわせじゃない?」ではなく、「わたしをにんげんのようにかんがえていない? わたしは、はなのようかいなのよ」でもなく、「れいむはさあ。はくれいのみこだから、れいむだったのかしら?」もじつはちがって、「けどね、せまいやまでそだったわたしには、きょうのことすらよくわからない。くにだとか、うみだとか、ほしだとか、たいようけいだとか、ぎんがだとか──じょういじげんだとか。そんなのはしったことじゃない、ただ、ほうってはおけないとおもったんだ」というわけでもなく、「このわくせいすら、はかいのごさにしかならないような、そんなあっとうてきなちから。そこはりょうしぶつりがくとじゅうかがくこうぎょうのみがとうたつできるちへいだ。ようかいは、およびでない……!」すらじつはちがって、「さあて、らすぼすのじかんだぜ」「あなたも、さいしょのやくそくをはたしてくれたみたいだしね」「いしじゃねえの」「まりさ、きみはひとりじゃあ、ないよ」「そりゃわかるさ。そんなに、"ぎんいろ"じゃあ、な」「ははっ。きみにはこのすがたがぎんいろにみえるのか」「わたしのげんそうをなめるなよ」「いずれにせよ──じんるいは、こころというきのうをせんたくしたのさ。せいぞんをもとめてね」「ここは、れいむとまりさがまもろうとしたせかいだもん。きっとすべて、うまくいくよ」──これら、ぜんぶぜんぶちがって、
「いへんをかいけつしたじゃない」
 このひとことが、いちばんすきなんです。
 ちょっとなにをいおうとしていたのかうえのいんようをえっちらおっちらかいてるあいだにわすれちゃったのですが、たぶん、ちょっと、れいむさんが、かくゆうごうじけんにおいても、さつれいじけんにおいても、はっぴーえんどであるようにみえなくなってきてしまって、しょうじきぐぬぬなのですが、あえてしんさくであるところのかくゆうごうじけんにおいてれいむさんのほりさげをここまでする(そしてびみょうにぶんなげてる)ということは、おそらくきっとなにかかんがえてくれてるにちがいない! としんじつつ、もしもさつれいじけんの「じけいれつてきに」あとのおはなしとなると、かどのせってい(というかないとうぉっちせってい)のちーとのうりょくをはいした、ほんとうに、がちに、れいむさんのおはなしをかくひつようがあるのだろうか、あるいはじつはれんめり100のもんどうにひんとがあったりするのだろうか、つぎはいったい、どうするんだい。あたらしいれいむさんをつくるんだろう。いっぱいれいむさんあつめてさ。おっきなおしばいやろうよ。ね? きかせてよ、てんぼうを。ほれいざい。……ほれいざい? というかんじなのですが、やっぱりきかせてもらえなくてもいいです。
 ほんとはもうちょっとかくことあったのですが、ねむくなってきたので、このくらいにすることにします。(さつれいにおいてはとうほうそのものに、れんめりにおいては×××にそそがれていたこうていのかたちがとうほうちれいでんへとぞうをむすんだけっか、それはただしく「とうほうのきゃらくたーたちのおはなし」としてうまれおちたのだーとか)(こころがある! とか)(さぶたいはなんかえいがとかなにやらのおまーじゅてきなにおいをかんじなくもないんだけどわたしこれはよくわかんないやとか)(pたぐとじたりとじなかったりなせいでれいあうとよくわかんなくなってるところがあるぜーとか)(さつれいにくらべてもごじがあんまりなくてびびったーとか)(めがねようせいをちにひそむれいたちのしんがりとして『ちれいでん』のちゅうしんじくをどっすりとおすのはなんだかもうこれほんとすなおにみごとすぎるなーとか)(次のさくひんもきたいしてますとか)(れいむさんましましでおねがいしますとか)(すばらしいさくひんをありがとうございましたとか)(おこめたべるよとか)

 にしてもみずらいかんそうぶんだな。
22.100名前が無い程度の能力削除
いやあ…すごい。なんだかわからんがとにかく面白かった!!
今まで読んだことのないタイプの二次SSでしたが、とにかくパワーに満ち満ちている。気付けば読み終えていました。
この作品に出会えた偶然に感謝です。
24.100名前が無い程度の能力削除
ゾンビフェアリーの正体がなんだったのか気になる
25.100名前が無い程度の能力削除
存分に楽しませて頂きました。多謝。
27.無評価名前が無い程度の能力削除
素晴らしい作品でした。
作者さんの知識量に圧巻です。
28.90可南削除
ところどころ散りばめられた伏線と小ネタについつい読みふけってしまいました。
面白かったです。ありがとうございました。
30.90kougamahiru削除
1話2話に比べて。シリアスとネタの境界が雑だったような。
メロスの下りが長い辺りでやり過ぎ感を覚えました。
虐待されたお燐が見えて、さとりがドスを出したシーン…確かに主人公側が困窮に会ってつらい場面ですが。
だからこそ、あそこだけでも真面目にやってほしかった。
真面目じゃないネタが混じって、あの一点、あの一点だけ…少々悲しくなったので-10させてください。

細かい話難しい話はできませんが…。
面白くなかったかと言えばとても面白かった!!
ここまで小ネタを入れた作品ができる…!!
どこまで行っても東方作品だった…!!
シリアスとネタを混ぜて使える作風も大好きだ!!
3話後半はPCの前で声を出して笑っていました。
-10を取り消しても良いと、後半に入って何度も思った素晴らしい作品でした。
だからこそ、1話時点での真面目なネタと完全ギャグの境界引きを、最後までしてほしかった。
31.100Rスキー削除
これぞ大作!
夢中になって読みました。
32.100名前が無い程度の能力削除
永久保存したい。
33.100過剰削除
なんだろう
シリアスな空気でも自重しないパロネタ、あまりにも独特すぎる世界観、(主に科学とか嫌いな俺みたいな)読者置いてけぼりの専門用語タイム
どうかんがえてもとっつきづらい要素盛り込みまくりな本作に、どうしてこうも夢中になったのか自分でも不思議でならない
けど一つ分かることがある。超面白かった

元メガネ妖精に再び敬礼!
かっこよすぎだよこいつww
36.70名前が無い程度の能力削除
 非凡な作品に出会えました。
 理解が追いついていない人間が無理矢理読み進めた結果、ひどくウンザリとさせられたのでこの点数をつけます。
 しかしながら、作者様がこの作品に注ぎ込んだ熱量は大変伝わりましたし、そもそもが誰もが楽しめるエンターテイメント作品を目指してはおられないのでしょう。
 まるで、ひとりの人間の頭の中を覗いたような……、そんな印象を受けました。きっと作者様が、引き出しの多さを自重していないからでしょう。すごく細かい説明文章の数々は、私には不要でした。ハードSFとか読めない口ですので。欲を言えばそれがどう凄いのが惹きこまれるように書いて欲しかったです。
 パロネタがギャグではなくて、スラングとして使われているのだと気づいたので、前章でのコメントは撤回します。
 作品への評価はこの点数ですが、作者様の尖った姿勢は大好きです。二次創作が示せるギリギリのラインを試すような作品は、二次創作を理解していないとできない試みです。今後もその感性をご研磨されてください。

あと俺は『殺麗事件』まだ読んでねえんだ。ふざけんな。
38.100名前が無い程度の能力削除
おニャン娘倶楽部!

いや、感想書こうと思ったんですがとても俺の文章力じゃ纏まらない上にクソなげぇ文
になりそうだったので これだけ

正直 SSで変わりたい、追い付きたいってこれほど思ったのは初めてじゃないかなぁ と
お、おぼいていろ~
40.100名前が無い程度の能力削除
面白かった
41.100名前が無い程度の能力削除
これを読んでからずっと考えていた。
東方でものを著す事ということである。
何故貴方は、わざわざ文字で、東方という題材を扱うのか。ということで御座いました。

何故なら、この小説に登場する《霊烏路 空》はあるものの象徴である。
それは、私達が体験してしまった、あるものの象徴でもある(制御不能の自然災害という名の神であるのか)のか、或は私達と同じような存在でありながら与り知らない未知の価値観であるのか。わたくしにはまだ答えは出せないが、常にこの小説はわたくし達に問いかけている。多分、激しく問いかけている。頭の悪いわたくしの脳裏にも、そんな思いがよぎったのでした。

何故、東方は現実のリアリズムと語られると、ここまで悲壮で、そして現実味を帯びてしまうのか。Spheniscidaeの歴史物しかり、こうしたファンタジーしかり、未来百鬼夜行然り。何故なのか。それを表現する人がたまたま、こんな感じでどかんと以上な知力とその辺の作家等寄せ付けない才能を持ってして現れてしまうのがここの面白さなのかもしれません。本来、小説然り映画然り、作品論は手がけた作者への分析まで及ぶものですが、匿名のSSサイトには限界があるでしょう(そして、私にはその気力が無い)。

そして、私の疑問はここで反復するのです。
何故貴方は、わざわざ文字で、東方という題材を扱うのか。なんでこの物語を認めたのか。そこに何を見いだしているのか。何を考えていたのか。これを書いたのはあくまで衝動的なものなのか。ポンチ絵が掛けないから小説を書いている訳ではあるまい。何故なのか、教えろ。いずれ判る時があるかもしれないが・・・。私には不明だ。この文庫本何百ページにわたる物語を書いちゃった貴方にこそ、大変な関心がある。

でも、今は何も言わずこの余韻に浸っていたい。うん。

最後にわたくしが心を打たれた台詞で、この感想を閉じようと思います。
物語のラストに語られた恐ろしい予言(?)とともに、この物語を語る上で書かせない、重要なセンテンスであると思うからだ。これは私達に対する、重大なアフォリズムではないか、と震撼しながら読んだ一文であります。

「タマシイ売って手に入れたチカラだけれど。歴史を塗り替えることだってできるだろう。しかし、それでも、時代は変わる。私もいずれ過去になる……ここで終わる、あんたがたのようにね。なに。いつものことだよ」

以上。失礼致しました。素晴らしかった。
42.100名前が無い程度の能力削除
1でも2でも書きましたが、最高だ。面白い。

最初は、この世に氾濫する面白い台詞を全部ぶち込みたいがための話かと思っていましたが、全然そんなレベルではなかった。
確かな構成、文章力と、膨大な(オタク的)知識が作品に厚みを持たせている。このサイバー窮まる感覚と妖物が闊歩する無国籍な作品……。
菊地秀行かお前は!?
さながら魔界都市ブルースの長編を読み終えたような満足感を覚えました。

また作品を書きたい気分になったら、是非やらかして頂きたい。

おりんくうも良かったですが、早苗さんのテンションが好きでした。
45.100名前が無い程度の能力削除
すごいな。もとある設定を生かしつつ、1つの世界をつくり
あげちゃっているよ。
こういうのをセンス・オブ・ワンダーっていうんだろうな。
46.50名前が無い程度の能力削除
読み終わった
技法が~、表現が~とかいうのがちっともさっぱりわからない自分はこれぐらいの点数
世界観は好き、設定もカッコいい、やってることも結果もすごい
だけどキャラがかっこよくない、すっからかん
この終わりになるべくしてなった気がしない
「これはこうなったのだ」という作者のキャラクターへの強い誘導を感じる
社会的な汚い部分、暗い部分より人間的な面のそういう部分のほうが好み
現実ではどうか知らないけど幻想郷ぐらい社会はたくさんの個人であって欲しいし
社会や世界の話じゃなくてキャラの話が読みたい
点数分は楽しめたんですけどね
47.100名前が無い程度の能力削除
時間を忘れて、夢中になって読んでしまった。
いやあ面白い。本当に面白い。
自分の好みのど真ん中に剛速球でストライクですよ。
最初は、核融合事件3/3を読むのためらいましたからね。
この話が終わってしまうのが、ちょっと嫌だったので。
まあ結局気がついたら読み終わって、ここで感想なんぞを書いているのですがw

さて、今夜にでももう一周するかな。
48.100名前が無い程度の能力削除
ナイスな同人作品でした。楽しませて頂きました。


聞くのも野暮ったい気がするのですけど、誤字、というかこれも作品のノリの範疇なのか、私には判断しかねたのですが、FROPSはFLOPSの事でしょうか?
50.100名前が無い程度の能力削除
何も言うまい

…としたいところだが、一つだけ。あなたの描いた地底世界という箱庭を、もっと眺めていたい
51.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
おりんくうちゅっちゅっ。

あと、XPSで検出されるのは光電子orオージェ電子で
特性X線を検出するのは、EDXかWDXだったと思います。
間違ってたらすみません。
55.100名前が無い程度の能力削除
もう新年だけれど、超個人的2011年ベスト長編賞を送りたい。ストライクど真ん中の作品だった。

殺麗事件のコメントでも書いたけれど、一体何があなたにここまでのものを書かせるだけの
情熱を与えるのかわからなかった。

でも今ならわかる。お米とルナサへの愛だ。
きっとアミラーゼによって分解されてできたデンプンが頭の中でルナサと未知の化学反応を起こして、
莫大な化学エネルギーを生み出しているに違いない。

お米食べます。こんな良いものを読ませてくれて、本当にありがとう。
57.100名前が無い程度の能力削除
“類別は霊鳥、名は融合―”
“いつの間にか、あるいは最初からか” このフレーズが刻み込まれました

ヤマメや椛のような下っ端なのに意地張るヤツらが、ボロボロになりながらも何だか楽しそうなところ、
あるいは藍や勇儀のような体制派が、カッコ悪くカッコよくあがくところがすごく好きです
しかも全選択したらちょいちょい小ネタが隠されてるじゃないですか ニクイなぁ

いくつか誤記では?と思った箇所をあげときます
>The Subterranean Dialy.
Diaryでは。LとR

>『B・B・N! B・B・N!』
B・N・Nかな…?バナナなので…

あと核融号事件1/3の方で、
>第百二十七季 皐月の一
第百二十“五”季ではないんですかね 時系列的に

間違ってたらすいません
次の作品も楽しみにしています
60.100名前が無い程度の能力削除
これは凄い
62.100名前が無い程度の能力削除
面白かった
みんな格好悪くて格好いいね
おりんくうハァハァ
お燐の身体を忘れられないお空なんて高尚な意味でも下衆い意味でも気になって仕方ないですね
63.100名前が無い程度の能力削除
圧倒
65.100名前が無い程度の能力削除
なんというか、これほど電磁気学と熱力学と理論天文学を納めておいてよかったと思ったことはない
66.90r削除
圧倒されました。

しかしてややひっかかったのは、幾つかのエピソードが理解できなんだ…
・博霊 魔理沙と八雲 霊夢
このエピソードはもっと掘り下げるかいっそ要らなかった気がしました。本編の流れから剥離していた印象です。

・地底の戦争→東方地霊殿がいささか性急かと
前もって伏線があったとはいえ勇儀が何事もなかったように3ボスに出たのは拍子抜けしました。もっと何事かの葛藤やら鬼の性格だから等があった方が良かった気がします。
単純に地底のぐちゃぐちゃドロドロな戦争が一番楽しかったモノの意見ですから、そこをもっと見たいと言う願望なのかも知れません。

・はたてや早苗さんがなんで外でてんのん?
まーこれを言ったらヤボなんは承知の上で。ただ外に出れますならまだわかるんだけども、これだけ外で暗躍出来るんなら幻想郷で隠居する必要がないわけで。まあ重箱の隅です。


あとXPSやらXRDは物理界隈ではスペクトルってあんまり表現しないらしいです。パターンって言うらしいです。紫外(UV)~可視(Vis)~赤外(IR)の分光励起光源を元に解析したものをスペクトルと慣例的に呼ぶらしいでごわす。ソースは不明。だいたいの論文が準じているので何か意味があるのだろう事は間違いないけど、私もまだ勉強中でして。すいません。


しかしこんなものは瑣末な事であった。
67.100名前が無い程度の能力削除
面白かった
69.100名前が無い程度の能力削除
すげえ人がいたもんだべ……
72.100名前が無い程度の能力削除
スケールの大きさに圧倒された
75.100名前が無い程度の能力削除
スペルカードルールの偉大さを思い知らされます。これからの幻想郷/地底には、立場も主義主張も違う者たちが手を取り合える平和な時代が来るのでしょう・・・!
・・・なんせ、冷戦~リーマンショックの間にあった「Great Moderation」という外の世界の理想的な平和が、崩れ去りつつあって、幻想入りしようとしているのですから。
今回の異変の絵を書いたゾンビフェアリー(まさかのEXボス!)ですが、恐らく彼女は戦争と悪意という過去の象徴だった。そんな彼女の立てた計画が、「風力の力で原子力にスペルカードルールで勝つために」奇跡で異変に介入した恐るべき神の子によって、ハッピーエンドに変えられた。外の世界の平和を地底にまで持ち込んだのは、早苗だったのです。