Coolier - 新生・東方創想話

核融号事件 2/3

2011/12/09 23:33:24
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[第百二十六季
 4月29日
 霊夢と早苗]


「早苗ってさあ」

 博麗神社。午前。
 博麗 霊夢と東風谷 早苗がいた。

「付き合ってる男の子とか、いたの」
「喧嘩売ってんすか」
「なぜそうなると言わざるを得ない」

 二人しかいなかった。茶を飲んでいた。穀雨が降っていた。春の終わりのことだった。

「彼氏なんざデキた例しがありゃせんす。ツラに資本がないですし」
「そうかしら。美人の部類に入ると思うけれどね」
「そりゃあ、今日は化粧してきてますから。霊夢は見事にノーメイクですよね。毎日」
「当たり前よ。嫁に行くまで化粧なんか不要だわ」
「霊夢らしいです。自分のオトコにしか色目を使う意味はない、ってことですか」
 ひらひらと手を振って、興味なさ気に畳に寝転がる霊夢。二人っきりのときは、早苗は霊夢を呼び捨てにする。その意味は考えない。霊夢は気にも留めない。視線を転がすとぺたりと座った早苗の足が見えた。なんとなく居心地が悪くなって逆を向く。しとしと雨の降る庭を眺めた。
「咲夜やアリスは、こなれた化粧をしてますよね」
「……おかしいのは魔理沙よ。あいつ、ろくすっぽ化粧もしないくせに時々口紅だけはつけてるのよね。塗りがへたくそだけど」
「それはたぶん、塗ったのではないと思いますよ」
「あん?」
「アリスとお揃いの色でしょう」
「そうね、言われてみればそうだった」
「つまり、そういうことですよ」
「なるほど。魔理沙はアリスのところから化粧道具を"借りていってる"ってことか」
「……まあ、いいです」
 ごぼごぼと茶を注ぎ、ぬるくなった渋い味を噛み締める。少し肌寒い。雨の音がしとりしとりと忍び寄り、霊夢と早苗の間を満たした。不意に霊夢が早苗の腋に手を突っ込む。
「ひゃあ」
「おーぬくいぬくい」
「冷たいですね。霊夢の指」
「……なによ。反応鈍いわね」
「常識にはとらわれませんから」
 ばつが悪そうに霊夢は手を引っ込めた。新しく茶を淹れるべく、湯を沸かしに立つ。いってらっしゃい、とひらひら手を振って早苗が部屋に残る。
「……触られちゃった」
 少しだけ顔を熱くした早苗は、独りごち腋の感触を確かめるのだった。

 雨が降り続いている。そろそろお昼だ。参拝客は訪れない。相変わらず早苗と霊夢だけ。
「お昼なんにしようかしらねー」
「あ、私お弁当持ってきてるんですよお弁当」
 確か手ぶらだったはずだが。いぶかしがる霊夢を横目に早苗は玄関に向かう。
 霊夢は座布団にべたーっと座ったまま早苗を目で追う。
「おー気が利くじゃなーいってちょっと早苗? Where you go?」
 玄関から表の境内へ向かった早苗は守矢神社の分社、ミニ神社の観音扉を開けていた。すると中から風呂敷包みが三つ四つ出てくるではないか。
「冷めないうちにいただきましょう」
「どういうことなの……?」
 包みを解く。重箱が出てくる。なぜか、詰められた料理は温かかった。いろいろと疑問は残るが。
「何の問題ですか?」
「何の問題もないね」
 飯は飯である。霊夢は明らかに宴会の残り物であろう弁当を、それでも米一粒残さず胃に収めた。
「水に浸けといてよ。あとで洗って返すから」
「ま、霊夢がそういうなら」
 重箱を水場に持ってゆく。早苗は使った食器はすぐ洗う。ためない。いずれやることは今すぐやる。そういう性質だった。しかし幻想郷に来てからこっち、そのペースは崩れつつあった。 
 早苗は平成生まれである。
 生まれた時から衰退は始まっていて、『有限の未来』という導火線を背中で引きながら成長した彼女たちは、やらなければならないことのあまりの多さと、できることのあまりの少なさの間で闇雲に焦っていた。しかし幻想郷は停滞した社会だ。昨日と同じことをしているだけでも生きてゆける。そういう生活に罪悪感を感じていたのも最初だけだ。今ではあくせくせずに、無為の中から無理やり捻り出した"風流"を解するように、早苗もなっていた。
 水場から戻ると霊夢が腹をさすって仰向けになっている。
「はしたないですよ。霊夢」
「そういわずあんたも寝転がりなさいな。いい心地よ。これを楽しまないのは損だわ」
「デザートもあるんですがね」
「まじで」
 袖の中からリンゴを一個。早苗はそれを宙に投じ、指先で孤を描く。落下し、早苗の手に収まったリンゴは、綺麗に二つに割れていた。
「すごいでしょ? 刃渡り七三〇ミリ,厚み〇.〇三ミリのエアーナイフ。練習したんですよこれ」
「おっおっおっすごぉい」
 これには興味を示したと見える霊夢が弾みをつけて起き上がる。割れたリンゴの断面は汁ひとつ落ちないほど平滑で、僅かに刃紋があるだけだった。
「確かに、いい見世物になるわね――ほら」
「でしょう? 種も仕掛けも――。――!?」
 投げ返されたリンゴを受け取った早苗は目を疑った。今しがた自分が真っ二つにしたはずのリンゴが、元通りのまん丸に……切られる前の状態に戻っていたからだ。
「あんたも巫女なら、これくらいはできないとね?」
「やれやれ。霊夢には敵わないわ」
 キュッキュと表面を撫ぜ、握力だけで再度二つに割る。大きいほうを霊夢に。健康で丈夫な歯を持つ若い巫女二人は皮ごとリンゴにかぶりつき、果汁を飲み干すように食した。瑞々しいリンゴであった。

 午後。食後のお茶を飲みながら、散発的な会話が持たれる。参拝客は来ない。珍しい。
「早苗ってそういえば、今日なにしに来たんだっけ」
「あー……家事かな。入梅する前に掃除と虫干しをしたかった。雨でお流れになりましたけど」
「朝から雨降ってたでしょうに。わざわざ来てくれたの?」
「いやまあその。今、家はちょっと……昨日の宴会のおかげですっぱい臭いがしてまして」
「あはは。私も暇だったし? 来てくれてよかったけどサ」
 雨は時折強くなり、屋根に当たる雨粒の音がてしてしと響いた。正座したままうとうとと早苗がまどろむ。霊夢はどこを見ているか解らない視線を、障子越しにぼんやり庭へ向けていた。沈黙が続く。実に一時間も、二人はそうして微動だにせず過ごした。

 まるで、夢でも見ているみたいだなあ。

 二人でちゃぶ台に突っ伏し、舟をこぎながら、目を瞑ってそんなことを考えた。
 意識はある。眠ってはいない。なにも不足していない、というよりも、不足を感じる心が麻痺してしまったような、充足感に似た心地よさ。
「雨の日って、平和なのよ」
「…………」
 霊夢がすぐそばで、肌と肌が触れ合うほどの距離でぼそぼそと話している。早苗は返事をしようとするが、体は寝ていた。
「最初にこの神社でルーミアと殺しあったのは雪の日だった。そこの庭で幽香とステゴロしたのはかんかん照りの真夏日。冥界で地雷原を突破したのは霧の満ちる朝で、ラペリングで本殿に陣取った紫を討ち取った日には鉛弾が降っていたわ。ここに捨てられてきたのは風の強い日だった――雨の日には、なにも起こっていない。私、雨は好きよ」
「異変は……どうなんですか」
 寝言。
「異変はね。遊びだから。雨の日は、家の中で遊ぶしかないから。雨の日は、やっぱり平和なのよ」
 ようやく早苗が目を開ける。
 いつの間にか、あるいは最初からか、霊夢と一緒にストールに巻かれていた。暖かい。霊夢の匂いがする。
「……寒そうだったから」
「………………」
 早苗は笑顔を見せて、かすかに霊夢に体重を預けた。霊夢も体を傾けてくる。
 雨の音と、少女二人の寝息だけが部屋の中に満ちる……。

 夜。二人は雷光とその轟きで同時に目を覚ました。雨足は強力に、暴風を伴って荒れていた。
「うわ……近いですね」
「そうね」
 霊夢が身を離した。かすかに震えていたことに早苗は気づかないふりをした。
 早苗が雨戸を閉め霊夢が灯りを点す。今日は帰れそうにない。風は轟々と鳴りやまず、雨足も佇む者を打ちのめすかのように降りつけている。
「やれやれ、ご飯も炊いてないし。夕飯どうしよっか?」
「なにがあるんです? あ、今日泊まりますよいいですか」
「んーんー好きにしたらいいわ。ふとん一個しかないけどね。よ……っと。アーノッツとハーシーズがあるけど、どっちがいい?」

 勘による補正があるため、霊夢の夜目は猛禽を凌ぐ。押し入れの上の段からダンボール箱を下ろすとガサゴソと非常食を取り出した。呆れるほどハイカロリーな菓子類が出てくる。著者も震災の折にはこれで凌いだ。


「では、ハーシーズを。牛乳あります?」
「自分のでも絞ってなさい」
 合子にチョコレート菓子をぶちまけ、熱い緑茶を淹れる。ちゃぶ台を挟んで二人は向かい合った。ろうそくの火。
 包み紙が重なる。ぽりぽりとピーナッツチョコレートを齧りながら不意に早苗が本題に入った。

「ねえ、霊夢」
「なあに」
「私がもといた世界では闇が駆逐されていました」
「電力のこと?」

 散々引っ張っておいて恐縮だが、別に早苗は霊夢と乳繰り合わんがために神社を訪れたわけではなかった。
 自身の野心が博麗の、ひいては八雲の、そしてなにより幻想郷にどう受け止められるのか。
 早苗はそれを探りに来ていた。

「電気ねー。あると便利よねアレ」
「そう思いますか! 思われますか!」
 こめかみを撫ぜながら霊夢はうなり、それとない同意を示す。早苗は食いついた。解りやすい娘。霊夢はあっさりと、脈絡をすっ飛ばして早苗の野望を見抜く。
「なあに、原子力発電所でも移設する気、あんた?」
 早苗。かすかに悪びれるも圧して参る。
「あはは……霊夢には敵いません。私はね、少なくとも、今より気軽に電気エネルギーを利用できるようにしたいな、と考えているんです」
「電力の安定供給ねえ。いいけど、流行らないと思うわよ」
「それは、どういう意味ですか? 便利さだけを追求するのは優雅さに欠けるとでも?」
「違う違う。便利になるのに越したことはないし、誰だって楽するほうに動くわよ。私が言ってるのはそんなことじゃないの」
 利便は必ず何物かを引き換えにする。忘れ去られてゆく者の楽園として設計された幻想郷には似合わない、とでもいうのか。

「早苗。そこにある紐、引っ張ってごらんなさい」

「これですか?」
 促されるまま早苗は紐を引っ張った。慣れた手ごたえがあって、チリチリと水銀が気化しガラス管に当たる音がする。二、三度瞬いて神社は近代の灯りで照らされた――蛍光灯が点いた。

 早苗は混乱した。訳が解らなかった。

「……どういうこっちゃ兄弟!?」
「幻想郷の一部では、既に電化製品は実用化されている。ただ、誰も進んで利用しようとしないだけよ」
 呆然と白色光を見上げる。早苗はポカンと口を開けていた。っていうか最初に気づけよ。
 電気が通っているのに。
 これを利用しない生活など。
 考えられない。
 いったいどれだけ無駄な手間をかけているんだ――。
「理解できません……はるかに楽な暮らしができるんですよ? 新生児死亡率は五十分の一になるでしょう。平均寿命だって二十年は延びるはずだ。それなのに、電気エネルギーを利用しないだなんて」
「あんたもたいがい、常識に縛られてるのね」
「ッ!!」
 あごを下げ霊夢を睨みつける。頬杖をついた霊夢はにやにや笑っていた。
 早苗は演繹する。
 無駄な手間。その通りだ。しかし幻想郷の住民にとってはどうだろうか。早苗は類例として幻想郷住民の雛形をタウンミーティング対策に作り上げていた。彼らの信仰・宗教は現生日本人と大差ない。しかし哲学はどうだろう。幻想郷の住民も人間だ。生存を求めぬはずはない。事実、霊夢は生存を求めて博麗にまでなった。であれば生存を有利に運ぶことに関心を持たぬはずはない――……しかし生きるということは、亡霊が歩き妖怪が潜む幻想郷において果たして外の世界と同じ意味を持つのだろうか。もちろん、亡霊は亡霊であり死後が存在するわけではない。本質的に"死"は外だろうと幻想郷だろうと"死"でしかない。誤解されがちだが、亡霊は人間の精神などではなくあくまでも亡霊であって生前の人物とはなんの関係もない、個人に縁のある人間が生み出すただの幻想である。そして妖怪は、そこに存在してしまえばただの脅威でしかない。脅威ならば未だ人間の身の回りに溢れており、それが今更どんな特別な意味をも生存には及ぼさないだろう。生きる。生きるということ。生きるということは死に向かう過程そのものであり、死とは生命という系のエントロピーが最大になった状態を指す。生命も工業も等しく相対的に負のエントロピーを摂取し増大するエントロピーを排出し続けなければ死に至る。生命における新陳代謝は工業における規格化と技術革新に相当し、排出された技術は廃れ幻想となるが、ここで問題になるのは幻想郷を幻想郷たらしめる主体の存在である。それは取りも直さず我々の――そう我々の――生活に他ならない。人間の生活は文化も工業も生物多様性をも厭わず摂取し排出する。人間の細胞がそうしているように、代謝には代謝の代謝があり、代謝の代謝には代謝の代謝の代謝があり、代謝の代謝の代謝の代謝は代謝の代謝と等しいことも珍しくはなく、技術と文化は人間生活に消費され幻想郷に行き着くのだ。幻想郷には廃れ行く風情とロストテクノロジーが集まり、かくしてエントロピーは減少する。やがて人は老いる。産業も斜陽化する。人間の生活を律するモデルを作り上げる様々が移り変わり、幻想となってこの里に齎される一方で、幻想郷はすべてを受け入れたとしてすべてを愛するとは限らない、という悲しいかな現実がある。すなわち技術と文化の取捨選択。代謝の代謝の代謝。これを可能にしたのは、幻想郷が日本という国に立地し日本人という固有の精神構造を備えた民族を擁したことの功罪の功の部分だ。ジャパニーズは文化を非体系的に受容する稀有な民族である。神仏習合という大発明に始まった混沌そのものといえる日本文化史を早苗は学校でさんざっぱら教え込まれてきたものだ。そして幻想郷の住民の哲学というのは明治期の延長線上にあると考えられる。直近の江戸時代において石門心学が作り上げた鎖国下の日本文化は、無意味に細部にまで手をかけた精緻な造詣を得意としている。その後文明開化が起こり、西洋化と富国強兵が始まるのだが、その直後に幻想郷は隔離された。土地と資源が極めて限定され、成長が止まった社会では、いったいどんな現象が起こるだろう――そう、価値の相対化。無駄に意味を見出す精神修業の地位向上である。モノがないからココロを伸ばそう、というわけだ。このような思想が文化と技術の流入を許容しながら勃興するというのは、まったく自然なことだったといえる。すなわち、幻想郷の人々にとって生きるということは『より良い暮らしを求めること』ではないのだ。左様――スペルカード・ルールを見れば、一目瞭然ではないか! 美しく生きること。楽しく生きること。それこそが重要なのであり、そのためには、現代生活を満たす工業の恩恵は必ずしも必要なものではないのだ。ゆえに、外と同じ重化学工業による国力の増強と生活水準の向上を目指そうとすれば、それは確実に住民の反発を呼ぶだろう――否。反発すらされず、華麗にスルーされる可能性が高い。

「そうか、そういうことか」
 早苗は演繹を終え、重々しく口を開いた。
「自ら水を汲み、苗を植え、薪を割る。そんな生活のほうが、人間は美しく在れる。霊夢は、幻想郷はそう考えているんですね」
「や、別に? 便利なのに越したことはねーってさっき言ったでしょ」
「HOLY SHIT!」
 ごん。早苗がぬかでちゃぶ台を打った。

 一息ついて。
 霊夢が思い出したように尋ねた。  
「でも――考えてみたこと、ある? その電気は誰がどうやって作ってるのか」
 ちゃぶ台とキスしていた早苗は上目遣いに答える。
「小二の頃、火力発電所に社会科見学で行ったことありますよ」
「じゃあ、その燃料炭を掘っているオーストラリアの炭鉱に入ったことはある?」
「小五くらいのとき、叔母が連れてってくれました」
「超々高圧送電線を架設している鉄塔に登ったことは?」
「登ったことはないですが、足元までは行きましたよ。家の裏山にあったんで」
「なら、解っているわね。1WHのために積み上げられた、労働の過酷さが。
 山脈のただ中に七〇メートルの鉄塔を五ミリの誤差で組み上げ、噴水とガス漏れに襲われながら石炭を砕き、複次的な数百のパラメータを監視する、労力が」
「…………!」
 今こそ早苗は理解した。
 霊夢の言わんとすることを。
「霊夢は――いや。幻想郷の人々は、それが気に入らないんですね。自分の生活が、手の届かない誰かに支えられなくては、成り立たない、ということが……!」
「や、別に? 便利なのに越したことはねーって言ってるじゃん」
「EEEEENOUGH!」
 紐を引く。闇が戻る。
 力なく呟き、観念したように早苗は蛍光灯を消した。
 霊夢の声。
「答えは簡単よ?」
「もういい、聞きたくない」
「電線よ! あははっ! あんなのあったら、空が飛べなくなるじゃない」
「ハァ!?」
 見えなくとも、早苗がふてくされて、霊夢がニヤついていることは、容易に知れる闇だった。

 深夜。同じ布団に身を寄せ合いながら霊夢と早苗がじっと互いの呼吸に耳を澄ます。
 眠れなかった。昼寝が効いていた。
「それでもあんたはやるんでしょうね」
 不意に霊夢がささやいた。
「ま、ね」
「……やめてくれない?」
「やだ」
 現在時刻、零時二分前。
 本日初めて、霊夢が本気の声を上げた。
「原子力なんて……異変にしてもデンジャラス過ぎよ」
「なにを今更。どんな異変だろうと、妖怪や博麗にとっては遊びでも、弱者にとっては常に生命の危機でした」
「時事的にもマズイ感じだし……」
「それに関しては正直予想外だった」
「考え直さない? あんた風祝なんだから風力にしなさいよ」
「言われなくてもそのつもりですよ?」
「えっ」
「えっ」
「どういうことなの……」
 零時。
 日付が変わった。
「ああ、もしかして勘違いさせちゃいました? 私、別に原子力発電で電力をまかなおうとは思ってませんよ。一基だけ建造して、すぐに再生可能エネルギーにシフトするつもりです。低周波公害の心配がなく、風の通りやすい山岳地帯の尾根も確保してますし……ええ。風力発電です。風祝ですもの」
「いったい、なにがしたいの」
「ごっこ遊びですよ」

 …………それはッ!
 早苗ッ! 悲願のッ!

 ごっこ遊びであるッッッ!!!

 東風谷 早苗はかつて外の世界で挫折したッ!
 原子力発電と自らの風力の競合にて、敗北を喫したのだッ!
 ゆえにッ!
 早苗にとってはッ!
 再生可能エネルギーが原子力に勝つというシナリオはッ!
 かつて成し得なかった幻想ッッッ!!!
 悲願に他ならないのであるッッッ!!!
 
「つまりは悪役を用意するってことです。自作自演でね」
「……なんの意味があるのよ、その異変……」
 ずっしりと疲れた様子で、霊夢が目を瞑る。
 早苗は笑った。
「意味のある異変なんて、今までもこれからも起こりませんよ」
「ああ、そう」
 霊夢が寝返りを打って、早苗に背を向ける。
 その背に、ぴったり、胸を寄せ。早苗が密着した。うなじに向かってささやく。
「でもね、霊夢。私思うんですよ。"原子力発電"と"信仰心"って、最強の組み合わせなんじゃないかな、って」
「…………」
「だってそうでしょう? 原子力発電と、その施設について。知れば知るほどなぜ事故が起こるのか解らなくなる。原子力発電も、原子炉も、これほど安全なものは存在しないってくらい安全なんです……設計上は。そう、災害が起こるのはひとえに人間が運用するからに他ならない。人間っていうのはね、絶対にサボるものなんです。勝手に手順を変えてしまうものなんです。楽なほうへ、楽なほうへ、ね。
 設計は安全。運用は杜撰。
 しかし、もしも、運用する人間に、信仰心があったら――?」
「…………」
 早苗は『設計は安全』、と断言したが、この設計も高さ11メートルの津波までは想定していなかったことが後に露見する――幻想に過ぎなかったことが明らかになる。しかしそれは、まだまだ先のことだった。いずれにせよ、設計を変えれば済む話なのだが。
「中学生の時ね。修学旅行で、千代田区にあるお宅の、大きなお庭にお邪魔したんです。そこの景観は老若男女、たくさんのボランティアによって保たれていました。細かくて白い玉砂利の間にある、どんなに小さなタバコの吸殻も見逃さない。心の底から奉仕していた。その姿を見て、思ったんです。これほど原子力発電の運用に適した人間はいない、って」
「早苗、ひとつ言いたいことがあるわ」
「なんですか?」
「リスクマネジメントでFA」
「ですよねー」
「あとそのでけえ胸を離しやがれ」
「うれしいくせに」
「イヤミか貴様ッ」
 早苗がさらにくっついてきた。下着を外した薄手の寝巻き越しに、乳房の柔らかさとその先端の硬さが、霊夢にはっきりと伝わっていた。
 くすくすと笑いあう。
 夜は、こうして深けた。

 翌朝、早苗は霊夢に裸エプロンのまま朝食を作り、神社を発つ前に勝負を挑んだ。
 結果は早苗の辛勝。
 その場で早苗は勝者権限のもと、霊夢に諏訪湖湖水を二次冷却水に用いた場合の環境影響シミュレーションを依頼。
 霊夢の数学的才能は幻想郷第三位である。彼女は、ずるずると早苗の異変に片足を突っ込んでゆくことになるのだった。


********************

[空と夢]

ヤタガラス浸蝕



「……と契約して、核分裂少女になってよ」
「――――――」

 はっと空が目を覚ますと、そこは見慣れた自室だった。
 一年ぶりだった。あの、奇妙な夢を見たのは。
「おくうー。起きろー。仕事だよっ」
「うにゅ」
 部屋の襖が小突かれる。燐の声。よたよたと起き上がり、パジャマ姿のまま居間へ向かう。ベーコンエッグに焼き魚、ワカメの味噌汁、山盛りのキャベツとご飯。
「ごきげんな朝食だね」
 メリモニュと食べながら部屋を見渡す。
 ……地霊殿を退職し、宿舎を出て。
 二人で住める物件を探し、職を求め。
 一年が経っていた。築二十五年2LDK駐車場あり家賃月五五,〇〇〇円。
 ここはすっかり、二人の家になっていた。
 食べ終わると食器を水につけ、身支度を整えて家を出る。鍵を閉めて安普請の錆びた階段を下りる。カンカンと音が鳴った。
「今朝ね、また変な夢を見たんだ」
「へえ。久しぶりじゃない?」
 燐と空は手弁当ひとつ提げて下町の細い道を歩いた。いつもどおりの朝。
「妙な帽子を被った幼子がさ。私に言うんだ。フィションしない? って」
「意味ワカンネ」
「だよねえ」
 T字路の正面にタバコ屋があり、二人はいつもそこで立ち止まる。燐はキャスターを、空は冷えた缶コーヒーをじゃらじゃらと小銭で支払い、ぼちぼちとまた歩く。
「あー、自転車欲しいな」
「あんたこの間壊したばっかじゃないの」
 十分ほど歩いて到着したのはトタン屋根のみすぼらしい町工場だった。二人は既に、こんな工作場を五箇所も転々としていた。
「おはよーございまーす」
 ロッカールームでもぞもぞと作業着に着替え準備体操をしながら始業を待つ。管理職は二人より少しだけ早く来ていた。始業五分前になってぞろぞろと作業員たちが集まりだす。エアーコンプレッサーが唸りを上げ、機械に息が吹き込まれた。
「さて、今日はなにをしようかな」
 仕事が始まった。
 もちろん、空のやるべきことは決まっている。管理された、誰にでもできる仕事。しかし空はそれで満足しない。考えている。それは何十年も昔、さとりが空に与えた教育の成果だった。
 そして。
「ちょっといいですか、主管」
「ん、どーかした」
 たまたま機械の横を巡視していた偉い人を捕まえて、二ヶ月目の派遣社員に過ぎない空はフローチャートの裏紙をガサゴソと取り出した。主管はなんだなんだと質の悪い藁半紙を覗き込む。次第にその表情が変わっていった。
「空ちゃんよ。ちょっと説明してくれるか」
「はい。このままでいいですか」
 レバーとペダルを右腕と右足でそれぞれ操作しながら、流れていく部品の形、色感、光沢のチェックを怠らない。その状態のまま、集中力を前面に向けたまま空は応じた。
「標本数はどんなもんだ」
「一ヶ月前から記録とってました。二千は下らないです」
「光沢とサビは本質が同じなんだよね。つまり原因も同じ。だからこの二つを統合して、」
「あ・それだったらグラフのx軸を対数に直してください」
「先週、先々週に起こった分は突発原因だから除去して、」
「同じく山なりになるデータにはフィルタリングかけちゃって」
「周期から逆算して休業部分を加算すると」
「すると?」
「……こうしちゃおれん! 今日がその日だ、プレス機止めて、証拠を押さえよう!」
 主管はばたばたと競歩で去っていった。
「がんばれよー」

 霊烏路 空。
 かつて地霊殿で培い、振るった辣腕は衰えていなかった。

********************

 その日の仕事が終わるころ。
 空に声をかけたのはかの主管だった。
「これ、参考になったよ」
「どーいたしまして」
 空はさっさと帰りたかったが上役の誘いでもあるし、ジュース買ってくれるんならまあいいかと腰を下ろした。駐車場のわき、平積みにされた鋼板のうえに並んで座る。
「見てよこれ。プレス屋がウチ向けに使ってるマシンの、シリンダー内部に詰まってたんだ」
「あっはっは、これじゃ粒界腐食も起こるってもんだ――です」
「タメ口で構わないよ。元・地霊殿第三工廠統括責任者さん。ジュースもっと飲む?」
「それじゃあ遠慮なく」
 隠しているわけではなかったが、空の素性は知られていなかった。なにせ、空はここでも入社三日目からバカだバカだと言われていたほどだ。告げたところで信じるものはいない。
「それでさ、相談したいんだけど」
 空と主管は胡坐をかいたまま、缶飲料片手に意見交換を繰り広げた。「グリスの高温品質が悪い」「そもそも高温になるのがおかしい」「ラジエータが何度直しても壊れるからだ」「クーラントの劣化だろ」「メーカー保障期限内に取り替えてるぞ」「水撃だ、配管の材質が弱い」「溶接性との兼ね合いがあって仕方ない」「レゾネータは」「つけてるけど減肉は起こる」「では壊れても直しやすい構造に変えよう」「具体的には、水撃が一番起こりやすい箇所を特定して」「その場所を交換しやすい配置に組み替える」……。
 やがて仕事を終えた者達が脇を通り過ぎる時間になる。
 そのうち何人かが立ち止まった。
 白熱する二人を面白がって、一人、二人と集まってくる。「バカとバカがなんか話してるぞ」「なになに。保冷剤? あれはダメだ」「やべ、あの鋼材倉庫に仕舞わないといけないんだった」「グリス? 高温に強いやつも売ってるよ」「主管がジュース買ってくれるってよ」「高温になるのは熱源に近いからでしょ」「だれか灰皿持って来いよ」「機械スペースが狭すぎるんだよね」「デッドストックを移動すれば?」「やはり溶接性がネックか」「え、空って昔はバカじゃなかったの」「昔もバカだよ」
 そこに、ようやく燐が現れた。
「なにしてるの、あんたたち」
「あー、お燐お燐。ちょっとこの図面見て?」
「なにこれ。……嫌な予感がするんだけど」
 燐が見せられた図面は他でもない。空が担当しているボイラーのものだった。コークスを熱源として加圧熱水を作り、プラスチック部品の成型を行うと同時に、リベットの熱処理も行っている。さてこの設備で起こる問題は、水撃とこれに伴う減肉である。加圧熱水はそれ自体が主たる生成物であると同時に奪熱の役割も果たす。そのため水にアルカリ性の薬剤を加えており、これが水撃を加速させていた。もっとも水撃が起こりやすい場所に赤く丸がついている。この部分は安全上の理由から設備奥に位置しており、破損が起こっても人身に被害が及ばないようにされていた。しかしその分整備性が悪い。これに関して空に異存はない。生産性よりも安全をとるのは当然だ。しかし、ならば、その部分はもっと水撃に強いパイプを接続してやればいいのではないか。そのためには改造が必要だ。異種材の溶接を、奥まった狭い場所で行う。通常は不可能だ。しかしすぐに使わないものをどかして、設備の位置をクレーンで一時的に移動すれば、少なくとも機材は持ち込める。あとは――
「――お燐に溶接してもらえばいいってワケさ!」
 じっ。
 その場にいた全員の視線が集まる。アクロバティックな溶接になるだろう。燐にしかできない。
「デットストックの片付けは私らがやるよ。私らの出した物だし。三十分ちょうだい」
「おい、二十トンスリングの保安チェックやるぞ。荷重分布測って、三箇所で吊るんだ」
「コークスと灰を捨てないと。一時間もすれば機械も冷え切るだろう」
 ぞろぞろと。
 みんな動き出した。
「え、え、え、ちょ、え?」
 燐が置いてけぼりを食う。
「ちょっと待ってよ!? 私、もうお風呂入っちゃったんだけど!?」
 空は聞く耳持たず、それぞれの作業の監督に走っていった。
「燐ちゃん」
「主管!」
 ぽむ。肩に手が乗る。
「残業代の申請は任せろー!」(バリバリ
「やめて!」

 いつも、だいたい。
 二人の行く先では、こんなことが起こっていた。


********************

[メガネと肉じゃが]


 暮れ行く地底の道を歩く。
 あのあと、空と燐は突貫工事を完了し試運転を済ませ、品質を実証した。当然、問題が出た。溶接箇所を増やした。まだ問題が出た。総点検をして、汚れの集まる箇所をふさいだ。だんだん良くなってきた。一度設備を停止してプロセスを理解する。その繰り返しをしているうちに、ついに夜が明けた。二人はそのままその日の仕事に取り掛かり、目を充血させながらやりきった。
 予定より丸一日多く仕事をして。二人は帰路に着いていたのだった。
「…………」
「…………」
 両者とも疲れのあまり無言だった。足取りがおぼつかない。寝不足と疲労で身体がいうことを聞かない。心は充実感に満ちていたがその充足すら重苦しい。
 その二人の行く手を、人混みが塞いだ。
 街頭に立ち、声を張り上げる集団がいた。
「私たちはなぜこの地底に暮らしているのか、考えたことはありますか!」
「鬼の圧政により私たちの生活は多大な圧迫を受けています」
「地上には花が咲き、育てなくとも果実が実る! そこにいるだけで生存が許される、楽園です」
「今こそ支配を打ち砕く時」
「目覚めよ、市民」
 ここ一年で台頭してきた、政治団体の路上パフォーマンスであった。
 うっとおしい拡声器の高周波。二人は遠回りをせざるを得なくなった。頭が痛くなってくる。
「ともにスペルカードを学びましょう!」
「………………」
 ビラを配りに来た少女はつぶらな瞳をしていた。そろいのTシャツに若々しい笑顔を弾けさせ、空たちにスペルカード・ルールの素晴らしさと鬼による暴政を訴える。二人は無言でこれをスルーした。歩速を早める。
 どっと疲れた。逃げるように定食屋の暖簾をくぐり、力なく椅子に体を預ける。
「……ラーメンと生中」
「同じものを」
 はあー、とため息をひとつ。
 しかし、ここでも二人に休息は訪れなかった。
 テーブルを叩く音。怒鳴り声。
「俺たちには地上を目指す権利があるじゃないか!」
「いや、それは確かだけど。でも鬼の圧制を非難する正当性はどこにあるんだ?」
「鬼にだって俺たちをこの地に縛り付ける道理はないぞ」
「だから、そういうことじゃなくて。鬼に逆らうことと地上を目指すことは不可分なのか、ってことだよ」
「おまえ、なにをいってるんだ。権力側になんか吹き込まれたか」
 数人の妖怪どもが奥の席を占領し、大声で怒鳴りあっていた。しかし店内もそれを平然と受け入れている。もはや、珍しくもなんともない光景であった。
 やがて喧騒は険悪なやり取りに発展し、掴み合いが起こる。時を同じくして誰かが通報したのだろう、鬼の官吏が店に押し入って来て店内にいた者すべてを拘束した。燐と空はいち早く危機を察知し逃げていたが。
 店を人目に触れず脱した二人は、早足で狭い路地を抜ける。
 ようやく家の近くのタバコ屋に着いた。
「……いつもの」
 やけに疲れた様子の二人に、タバコ屋は菓子類をサービスした。空はどうにか愛想のいい笑顔を作る。足の裏がずきずきした。筋肉疲労。階段を上り、ドアに手をかけ――違和感に気づく。
「誰かいるみたい」
「公安?」
 逃げる体勢を保ちながらドアを開けると。
「おかえり」
 メガネの妖精がいた。米を研いでいる。
 湯気を立てる鍋には、肉じゃがが温められていた。

********************

 肉じゃがを食う。各々ごはんを三杯ほどおかわりして、三人で五合を平らげた。
 その後風呂に浸かり、燐と空がさあ寝るべと布団に入ると、おいおいちょっと待てとメガネが言い出した。私は別に、飯を食わせに来たんじゃないぞと。
「来月の機関紙、ゲラチェックをして欲しいんだけど」
「マジで。私ら超眠いんだけど……」
「あら。私に向かってそんなこといえたもんかしら?」
 布団に包まりロールケーキ状態で文句を垂れる燐だが、メガネにこう言われては黙るしかない。なにせメガネは燐空ツートップが同時脱退した後の地霊殿を支えるべく、株式会社地霊殿の取締役に名を連ね、二人よりも遥かなかな激務を背負っているのだから。燐は仕方ないねと一人ごちもぞもぞと原稿を受け取る。空は寝ていた。
「ちょっとー、空ー! 今月号、あんたの『力技・大玉弾幕への誘い』がカラーなんだからね。ちゃんとチェックしなさいよ」
「うにゅー」
 しかし空は涎を垂らすばかりで高説の一つも垂れようとしない。
「連れを起こさないでくれ。死ぬほど疲れてる。この子の分も私が見るよ」
 ゲラは薄い和紙に書かれていた。レイアウト等はぞんざいだ。やむをえない。なぜならば。
「よし、オッケー。パルスィにゴーサイン出して」
「解った。明日一番で印刷するよ」
 メガネの妖精は和紙のゲラをムシャムシャと食いだした。
 そう。彼女は二時間早くこの部屋に来て、せっせと記憶していた原稿を和紙に起こし、そして改稿されたものを再び記憶した上で一切の証拠を残さぬよう処分したのだ。すべては、この部屋の外に、彼女らがスペルカード主義者であることを知らせぬための処置だった。
「それにしても、いちど機関紙に新参へのガイドラインを掲載したほうがいいんじゃない?」
「私もそう考えているんだけど、ヤマメとキスメは反対みたい。あくまでも、機関紙はスペルカードルールを広めるためのもので、地底解放活動とは別物だ、って位置づけみたい」
「けどさあ。死人だって出てるのよ? 収容所が満杯になってからも検挙数は変わっていないのに、一向に釈放されるやつがいないんだから」
 スペルカード・ルールは。
 未だ。
 この地底においては、悪法として弾圧の対象になっていた。
 
 一年前、水橋 パルスィは反逆した。

 現体制の不正を暴き、検閲によって自身が差し止めていた出版物を広く開放したのだ。逆・文化大革命。パルスィは鬼による抹殺の手をかいくぐり地下に潜った。時を同じくして出版物からスペルカード・ルールが注目を集め、瞬く間に流行の兆しが現れた。鬼は体制維持のためこの自由思想を徹底的に駆除しようと務めているが、スペルカード所持者の数は検挙されたものの数を上回る勢いで増え続けている。
 ここまでならば、世界中どこででも起こっている市民革命のはじまりに過ぎず、取るに足らない出来事だ。
 問題は、体制側の弾圧姿勢に対し、地底の民は戦い方をまったく知らないというところにあった。
 逃げも隠れもせず、声高に叫び、そして出る杭よろしく叩かれる。
 死にたいのか。
 今日一日街を歩いただけで燐は何度そう思い、歯噛みしたことか。
「私だって、闘争とスペルカードは隔てたいさ。けれど、この二つの思想が地底では同一視されているのも確かだ」
 燐とメガネがううむ、と唸ったっきり一言も発せなくなる。出口のない迷路に落ちてしまったかのような無明。

「そろそろ――私の出番かな」

 不意に声。空の声。

「計画は第二段階に入った」

 意志に溢れた声。
「空?」
「いま地底はエネルギーに満ちている。地上を目指さんとするエネルギーに満ちている。これを利用しない手はない――市民に武装と蜂起の術を教えるんだ」
「なん……」
「……だと」
 それは――寝言であった。
 燐とメガネは顔を見合わせ、空の肩を揺さぶってみる。起きない。まぶたをこじ開ける。白目。間違いなく寝ている。
 寝言であると理解していながら。
 燐とメガネは空に詰め寄った。
「バカなッ! 私たちがはじめた闘争のために、カタギを犠牲にするっていうのか!」
「そうだよ! 筋が通らないし、危険すぎる!」
 空は涎を垂らし、ぐがが、ぐががといびきをかきながら冷静に答えた。
「闘争は既に拡大している。体制に暗殺されたのは、みな自覚と意志に基づいて声を上げた者たちだ――私たちの責任の範疇を超えている。そして彼らに戦い方を教えるのは危険でもなんでもない。筋は通らないかもしれないが、闇雲に体制に圧殺される現状よりは死人は減るだろうよ。……そう。地底の民は、いまや砲弾を待つ野戦砲だ。ぎちぎちに装薬を詰められ、打ち出すべき砲弾を今か今かと待ちわびている。私はこれにライフリングを施し、仰角を設定し、風を読む術を教えたい。やがて成熟した思想に突き動かされた鉄砲玉が現れる。彼らは晴れて体制を突き崩せば英雄と呼ばれるだろう。失敗すればテロリストと呼ばれるだろう。いずれにせよ私たちにとっては有益だ。そんな暴力こそがスペルカード・ルールの普及には必要不可欠なんだよ」
「………………」
 メガネが言葉を失う。どこかで納得している自分がいた。
 敵と味方を殺してでも、自由を求めようという――覚悟が。
 覚悟が。
 覚悟が、果たしてあるのか。そう問われているのだった。
 しかしメガネは独りじゃなかった。
 燐がいた。
「おまえ、誰だ」
「……!?」
 メガネが正気に返る。燐。燐は、燐にだけは解った。今ここでこうして覚悟を問うているのが、空ではないことに。
「霊烏路 空だよ」
「違うね」
 言うが早いか燐は空の唇に自分の唇をつけた。頬をがっちり両手で挟んで、熱烈なキスを放つ。
「んう、んんー……ん~~~っ!」
「っぷはあ……この味は、嘘をついている味だぜ」
「なに!? え、どうし、……え!?」
 
 目を覚ました空は、なにも覚えてはいなかった。


********************






 類別は霊鳥、名は融合――。






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[早苗と陰謀]

yellow cake party.


 
 同時刻。
 インド洋上空、ケニア航空ボーイング737機上。
 機内の照明は暗く落とされ、そこかしこから寝息が聞こえるほかにはわずかな身じろぎの音と、遠くの席のヘッドフォンから漏れるばかりの客室に、日本へ帰国する途上にある清水建設株式会社、社員の一団が眠っている。
 引率する立場にある入社十一年目の部長は、不意なささやき声に目を覚ました。
「お休みのところ、申し訳ありません」
「ん……誰だ」
 アイマスクをずらして目をこする。端正な顔立ちをした女が隣に座っていた。
「私、新潮社で記者をしております――これ名刺です。少し、お話を伺いたいのですが」
「あ、こりゃどうも」
 めっぽうな美人の出現に驚きつつ姿勢を正す。暗がりの中で、女の顔ばかりはよく見えたが、名刺に書かれた名前は読み取れなかった。
「皆さんはジブチ共和国からのお帰りですよね。先週までウガンダでお仕事をされていたそうですが……休む間もないといったところでしょうか?」
「いや、そうでもないよ。今回のは、楽な仕事だった」
 ホルダーに入れてあったクリスタルゲイザーで口を潤しながら、部長は物知りな上に美人な女記者に気分をよくした。寝ているところを起こされ、頭がボーっとして働かない。
「楽だったんですか? 確かに、現地入りしてから、帰りの便に乗るまでほんの三日しか経っていませんね」
「そう、そう、そうなんだよ……いつもだったら、まだ現地を下見して気候、土壌、地質、地盤、法制度、住民意識やらなにやらを確かめて、関係各省庁にあいさつ回りにいって……そういう手続きをしているはずなのに。現地に入ったら下準備はおろか、爆薬の搬入まで終わっててさ。俺たちは結線と図面を確認して、ドリルで穿孔して、ダイナマイト詰めて、スイッチを押すだけでよかった。そして、もうこうして帰りの便に乗ってる。カラ出張したみたいな気分だよ」
「おかしな話です。よく、爆破する気になりましたね?」
「あー……なじみの業者もいたからさ。信頼できる連中だったから。安全であることは間違いなかったし、大丈夫かな、って……あれ……でも、誰だったかな……本社から許可も出てたし。そう、俺たちの仕事に間違いはない……」
 部長はいつしか、女の顔を見ていたはずなのに、どこも見ていないような、焦点の合っていない目をしていた。声もどんどん尻すぼみに小さくなってゆく。典型的な薬物催眠状態だった。
「計画を指揮していた人物を、覚えていますか?」
「ええと……」
「若い女ではありませんか。まだ子供といってもいいくらいの」
「………………」
「可愛げな声で、あなたに挨拶してきたはずです。髪を肩まで伸ばしていて、頭にカエルのヘアバンドをつけていた。違いますか?」
「……! ああ! ああ、そうだ。そうだった……」
「詳しく教えてください」
「まあ、いいけどさ」
 自分自身が何かおかしな状況に陥っていることを意識の隅で自覚しながら、部長は守秘義務に抵触しない範囲の情報をしゃべりまくった。記者の反応は上々で、それがまた気分を良くし、気づけばデジタル表示の機内時計が朝の六時を指そうという時間になっていた。
「いいお話をありがとうございました。いずれ記事になったらお知らせしますね」
 女記者はそれだけ言い残し、客室後部へと姿を消した。ため息をひとつ。顎に引っ掛けたままにしていたアイマスクを装着し、寸暇を惜しむように再び眠りに就こうとし――

 ――不意に顔に降りかかってきた蒸しタオルに目を覚まされた。
「うおっあちぃっ!?」
「あっはっは! いつまで寝てんすか、シニア」
「あと一時間で福岡ですよ」
「え? お、おん……」
 隣同士の席にいる部下たちが元気な笑顔を向けていた。蒸しタオルをプレートに乗せ配っていたフライトアテンダントも、呆れたような顔で笑っている。
「なんだよ、ぜんぜん眠れてないじゃないか」
 機内時計を見ると、目を閉じてから五分と経っていなかった。
 かすかな違和感を感じたものの、特に気にするでもなく携帯電話を取り出し今日のスケジュールをチェックする。
「あ、お前このあと飛行機降りたら有給だっけ?」
「はい。せっかくだから、熊本の実家に顔みせようと思いまして。それより、シニア」
「ん?」
 はす向かいの席に座っていた部下の一人が、思い出したように尋ねた。
「俺、ヘッドフォンつけて夜通しモンハンやってたんですけど、昨日寝言すっげぇつぶやいてましたよ」
「え?」
「はたてちゃーん、かわいいねー、とか。ま、奥さんに聞かれないように気をつけてくださいね」
「なん……だと……!?」
 立ち上がり、客室を見渡す。
 当然、昨晩の女記者の顔は見当たらず。
 手にしていた名刺は、いつの間にか、あるいは最初からか――財布に入れていた、見知った『クラブ命蓮寺』の名刺に摩り替わっていた。


********************

[早苗と船旅]


「ダンケシェーン! ありがとー!」
 ぎらぎらと照りつける、南中の太陽の下。東シナの大洋の上で、東風谷 早苗は大きく手を振って離れてゆく二艘に別れを告げた。
「お嬢ちゃん、ありゃフランスの船だよ」
「あ、そっか。メルシー! ありがとー!」
 ぶんぶんと手を振る。日焼けした傭兵たちが、早苗に向けて陽気に手を振り返し、海のかなたへと消えてゆく。
「さて」
 早苗は去り行くものたちに背を向けて、黒い波の向こうに目を凝らす。日本のコースト・ガード……海上保安庁第七管区所属の巡視艇が二隻、近づいてくるのが見えた。
「室長、ランデブーポイントまであと二十分です」
「もう、見えてますよ。ほらあそこ。じき、無線でコンタクトを取ってくるでしょう」
 PC-108『やえぐも』。視力に優れた早苗は裸眼で彼方の船名を読み取った。フランス船籍の武装船とは公海上を守護してもらう契約を結んでいた。ここから先、日本の領海に入ってからは海保が護衛任務を引き継ぐ。
「それにしても、いい天気ですね……んッん~、実に! スガスガしい気分ですッ! 歌でもひとつ歌いたいようなイイ気分だ! フフフフハハハハ」
「はあ。私は、早く港に着きたいですな。今度ばかりは、積荷が積荷だ。落ちつかないったらありゃしない」
 ベテランの船乗りが、暖かい日差しの中でぶるっと身を震わせた。
「気にしすぎですよ――」
 こつ、こつとつま先で甲板をたたく。ちょうど、その下に問題の積荷が収まっているのだ。


「――たかだか、プルトニウムじゃないですか」


 陽光の元、そういって早苗は微笑んだ。
 この航海で、一番薄ら寒いものを挙げるとすれば、それはなによりも、この早苗こそが、そうなのかもしれない――と、戦慄する船員の携帯電話が震えた。画面を見る。アイ・コンシェルの羊がインフォメーションを告げる。
「今、日本の領海に入りました」
「……日本か。なにもかもみな懐かしい」
 空は青く、高く。
 雲は白く、大きく。
 遮るものない、快晴の洋上。この眺めは世界中どこへ行っても変わらない。
 それでも、日本に帰ってきたと思うと、早苗は胸にこみ上げる郷愁を感じた。

 
 ――ジブチ共和国アルタ州にて、日本のODAによる発電施設建造計画が始まったのは三十年前のことだった。
 当時からアルタ州は治安もよく、適した地盤を持っていた。さらに貿易中継都市としての性格上、流通経路も整っており、ここにインフラを整備することで近代化の橋頭堡にしようというジブチ政府の思惑と、インフラ輸出の試金石としたい日仏合弁企業の思惑が一致したのだ。
 計画開始から二十年後、アルタ原発で五機の軽水炉が稼動を開始。潤沢な電力をスマート・グリッドで国内のみならず国外にも輸出するようになる。この電気売却収入は日本政府からみれば微々たるものだったが、ジブチ政府にとっては国内に一夜にして巨大企業が現れたかのような衝撃として受け止められた。
「電線を通じて金が流れ込むようだ」
 当時の政府高官はこの状態をそう説明している。それから数年間、原子炉はその運転も運用もまったく順調そのものだった。ジブチ政府は日本のODA支出を順調に返納。この間、次第に原子力発電所の主導権は日本政府から現地のアルタ州へと移っていった。それはまったく自然な流れであった。唯一の懸念として、核燃料の国内留保が大きすぎるということが挙げられたが、もとより倉庫番の国である。ジブチ側の姿勢は黙認せざるを得なかった。
 この安定していた状況が変ったのは二年前である。
 ありふれた民族紛争の勃発。
 なんてことのない治安の悪化。
 そして運悪く、デモ隊同士の衝突で二名ばかりの死者が出た。
 ……日本人技術者と、警察庁から出向していた原発警備隊が、ヒステリックな国内の反応に伴う議員連の圧力によって国外退避・帰国させられるには、十分だった。
 民族紛争そのものはすぐに収束した。しかし日本人が戻ることはなかった。そしてまた、戻ったところで居場所はない。次第に原発の発電効率は落ちていった。事故が一月に一件は起きるようになった。送電事業は停滞し、ジブチ政府は多額の負債を抱えるようになる。期を同じくして、隣接するソマリア民主共和国が軍事クーデターにより崩壊、無政府状態に陥り多数の難民が押し寄せ、しわ寄せを食ったジブチは日を追うごとに衰退していった。ここに追い討ちをかけるように、周辺各国が次々と内戦・交戦状態に陥り、戦火が拡大。理由は様々だ。社会主義ゲリラの武装蜂起。イスラム勢力の都市攻撃。民族自決の希求、量産された密造カラシニコフの氾濫……。
 ジブチ国軍が事態に対処しきれなくなるまで、時間はかからなかった。
 国軍は総力を挙げて国防に勤めた。国境付近はPKOとフランス陸軍が守護し、ジブチ陸軍は都市部を中心に治安強化を図る。作戦は的中し、次第に銃声の響かない夜が増えていった。だが、どうしても都市から離れれば離れるほどゲリラに攻撃されるリスクは高くなる。結果としてアルタ原発は稼動停止したまま半年間を宙ぶらりんのまま放置された。
 そして、一年前の春。ジブチ大統領は国内に発していた非常事態宣言を取り下げた。治安と経済は回復し、国民の動揺も収まって、ようやく平和な日々が戻ってきたのだ。だが、ここで問題がひとつ浮かび上がってきた――アルタ原発である。かつてはキャッシュディスペンサー同然と重宝されてきた原子力発電所は……疲弊し切り、この数年間で運用する技術も資本も失くしてしまったジブチ政府にとって、厄介な荷物に成り果ててしまったのである。
 空対地攻撃能力を強化したラファールMからなるフランス空軍の原発哨戒任務期限が目前に迫ったある日、ジブチ政府から日本政府に、三十年前の事前契約を根拠とした申し入れがあった。現状、国軍に原発の核燃料管理をする余裕はない。施設ともども、引き取ってはもらえないか。ついでに、それをもって円借款もチャラにできないか、と。この交渉にはIAEAも一役買った。
 かくして。日本政府は早急に核燃料の持ち出しと、技術機密保全のため施設を破壊する必要に迫られた。
 この事案を今期の通常国会に上げるため、外務省と資源エネルギー庁は上へ下への大騒ぎ。しかし救いの手は思わぬところから差し伸べられる。
 独立行政法人・東アフリカ途上国エネルギー開発機構。通称ECEA(Energy Constructor in East Africa).
 創設時の法令によって、ジブチでのエネルギー開発計画の終了とともに組織の解体が三ヵ月後に控えていた、よくある天下り先としての独行法人……の、はずだった。しかし元をただせば、三十年前計画をスタートしたときから、ずっと、ずっと……アルタ原発とともにあったのは、紛れもなくこの団体だった。資料は十分に揃っていた。独自の情報とイニシアチブを活かし真っ先に現地に飛んだ彼らは、核燃料の輸送と施設の破壊計画を持って帰国。官僚でさえ舌を巻くほど、手際のよい仕事だった。かくして核燃料輸送作戦は国会の承認により法的権限を付与されたECEAの主導で開始された。三ヶ月間の強行スケジュールである。
 そして、常にこの計画の最前線に立ち、傭兵部隊を率いてゲリラや海賊を警戒しつつプルトニウム燃料を輸送し、いま日本に帰国してきた少女こそ。
 東風谷 早苗、その人なのであった。
「ああ、八坂様ですか」
 携帯電話を耳に当て、彼女は甲板の月明かりの元、ぼそぼそと話している。
「私のサポートが心配ですか? ええ、ええ。誰も気づいてません。サーベイメータで何度もチェックしました。官房機密行嚢で、半ユニットぶん持ち帰ります」
 しかし、おかしなことに、その携帯電話には光がない。どことも、回線は繋がっていない。
「本当は全部持って行きたいのですけど、あれは東京電力に渡すしかないでしょうね。ええ……はい。最後まで、抜かりなく」
 電話口からも、何の音も漏れてはいない。まったく、独り言を言っているようにしか見えない――。
「核の力を、わが神に」
 早苗は最後にそう言って、携帯を閉じた。
 丸い月の浮かぶ、日本海沿岸でのことだった。


 翌日の昼、早苗たち一行は無事に長崎港に入港した。パスポートのほか、トランクケースいっぱいの書類を関係各省庁の事務官に提出する。わざわざ長崎までまったくご苦労なことだな、とにこやかな笑顔を崩さず早苗は思った。原子力委員会に航海中作成した文書で経過を報告し、原子力安全委員会の係官に保安物質の内容証明を説明する。同じ作業を税務署の資産調査担当にも行い、いよいよ国会から派遣されてきた特措委員会との面会に挑む。厳格な質問と手続きを要求されたが、事前に法務省と文部科学省の官僚たちと協議を重ねてきた早苗は肩の力を抜いたまま乗り切った。新幹線で東京に帰っていった委員を見送ったらいよいよ核物質管理センターの職員たちを迎えて積荷を降ろす作業が始まる。証明書類と伝票をトランクケースに戻す。ボールペンと印鑑のインクだけで、ずっしりと重くなっているような錯覚を覚えた。
「といっても、荷卸しには立ち会うだけで、やることがあるわけじゃないんだけどね」
 早苗は主要三社の新聞を広げて、自分たちの記事がないか探した。どこにも載っていない。少しがっかりしながら巨大なコンテナクレーンで吊られる積荷を見上げた。
「最初はチリング・サーキットを下ろしてください。次に燃料コンテナ。下ろしたらすぐ放射能遮蔽検査始めてくださいね、どうせ時間かかるんでしょうから。最後に原子炉容器です。ぶつけてノズルが潰れないようお願いしますよ。一本で二百八十万円するんです」
 ひとしきり要望を伝えると、クレーンはじれったいほどゆっくり動き始めた。巨大ロボットが好きな早苗としてはいつまででも眺めていたい作業だったが、せっかく日本に帰ってきたのだ。他にやりたいこと、やらねばならないことがある。最初の十五分だけ監督したら、あとは東京電力の技術者と保障措置検査員に預け、早苗は一人外に出た。
「おじちゃーん、この自転車貸してー!」
「おー、もってけー!」
 真っ白く塗られた壁が清潔感を漂わせる港湾施設を出た足で、早苗は近くの潮臭い漁協に向かった。駐輪場に放置されている錆びた自転車にまたがり、風を切って走りだす。
 天気は快晴。空は青く、日差しは強い。絶好の観光日和だった。暖かな気候と、新旧和洋入り交ざった節操のない街並みが、早苗に日本を実感させた。
 自転車で国道499号線を南下し出島の町を駆け抜ける。左脇の道にそれると、レンガ造りの建物が並ぶオランダ通りに続いていた。
「あはははっ! 赤い! レンガ赤いしこれ! 超うける!」
 片手でレンガをなでながら自転車をこぐ。久しぶりの自転車は早苗のテンションを上げていた。まるで年相応の馬鹿な小娘のようにはしゃいでしまう。オランダ坂を無意味に登ってはノーブレーキで下りてみたり。通りをまっすぐ行き信号を渡ると、目当てのカステラ屋にたどり着いた。
「一番いいのを頼む!」
 買い食いである。カステラを片手でむしゃむしゃと頬張りながら、早苗は再び自転車をこぎ出した。港へ続いている公園の道はソテツをはじめとした熱帯植物に彩られていた。
「どっかに、海鮮食べられるお店ないかなー」
 早苗としては久しぶりに魚介類を食べたい気分だった。しかし行けども行けども洋食屋ばかりで、この際ローソンでエビフライ弁当でも買ってやろうかと思っていたそのとき、ちょうどよく海鮮市場を発見。自転車を停めて店に入る。
「とりあえずビールで。コースメニューあります?」
 見るからに女子高生丸出しな早苗の注文に店員はかすかに眉をひそめた。
「お車は乗られますか? それと、身分証を拝見することになってます」
「ハイ」
 財布から免許証を取り出す。東風谷の苗字は読めなくとも、名前と写真、そして今年で三十四歳になる生年月日は読み取れたと見える。店員はよく冷えたビールで出迎えた。倍以上鯖を読み、早苗は一人乾杯をする。
「キンキンに冷えてやがる……ッ!」
 汗をかいた体にアルコールが回ってゆく。のどを過ぎる強い刺激に脳髄まで痺れる。清涼感を五感全てで味わって、早苗はお通しのたこわさをつついた。
 ……当然、偽造である。早苗は叔母の身分を借りていた。
 ま、誰にもばれやしねーだろう。叔母さんもたいがい若作りだったし。早苗はそう一人ごちた。叔母は早苗たちが現世から姿を消すより二年前に中東で行方不明になった。それ以来連絡はなく、互いに互いの消息をつかむことはもはや不可能になっていた。
「もし。お隣いいですか」
「え?」
 郷愁が呼び覚ました叔母の記憶に浸っていると、不意に横から声がかかる。
 めっぽうな美人がそこにいた。
「東風谷 早苗さんですね。取材を申し込みたいのですが」
「私の名前は、早苗ではありませんよ――あなたは?」
「新潮社で記者をしております。今から、大丈夫ですか? お時間は取らせません、二分で結構なんです」
 仕事中、それも昼間っから酒を飲んでいる現場を押さえられたことに、早苗は苦い気分になった。久しぶりの海鮮料理を邪魔されたくない。しかし立場上、取材を断ることもできかねた。アカウンタビリティが付きまとう。
「料理が来る前に、終わらせてください。その様子だと、よく事前にお調べになったようですね? さて何が聞きたいのです」
「単刀直入にお伺いします。今日お持込になられた燃料プルトニウムは、スッキリキッパリ、何キログラムですか?」
「五六七.八〇キログラムです。パッケージングされた状態で二〇一一キログラム。他には?」
「その量は自然MUFを除き、全量が女川に運ばれ、受け入れられる。そうですね?」
「ええ。そうですよ」
「あなた方がアルタ原発に立ち入り検査をした段階で、プルトニウム燃料は貯蔵施設分も含め、五九九.七七キログラムあったはずですが。残りはどうしたのです?」
「いいえ、ジブチ政府の発表では――」
「私はあなたが確認した量を聞いているのです」
「最終中継基地と原発施設内に、それぞれユニット半ダースづつ。計パッケージング重量、二〇一一キログラム。私たちは、私たちの国の税金で購入されたプルトニウム燃料を全て発見し、全て回収してきました。国会の特措委にも報告済みのことです」
「嘘はいかんです、嘘は」
 そういって記者は、デコレーションされたスライドタイプの携帯電話で早苗に動画サイトを開いて見せた。ちらりと見えた巨乳の風見幽香の待受けは見なかったことにした。ストリーミング方式のフラッシュムービーが荒い解像度で動いている。早苗は はっ とした。見覚えのある施設。見覚えのある人物。そう、それは。
「燃料加工記録映像(オペレーション・レコード)……! なぜこんなものが」
「よく見てくださいよ、ほら、ここです! これあなたですよね」
「…………」
「これは、この映像は、使用中だった半ユニットぶんのプルトニウム燃料を遠隔操作の加工機械で回収するときに記録されたものです。マシンアームに付随するスタンドアロンのカメラで、自動的に、必ず記録されなければならないものだった。もっとも、何者かにすぐ消去されたようですがね。放射線の影響で画質は荒く、燃料が露出するクリティカルな場面は完全に塗り潰れてしまいますが、取り出されたプルトニウムは人の手でも持ち運べるサイズの遮蔽容器に移され、そして持ち去られていることが解る。そしてその、持ち去った人物というのも原発内の監視カメラ映像を見れば解ります」
 別の動画のリンクをクリック。緑がかったモノクロの画面。フォークリフトで運ばれるユニットの横を、スーツケースを持った少女が通り過ぎていった。ガイガーカウンターのチェックを受けて外に出てゆく。その手には先ほどの動画に現れたスーツケースが提げられていた。
「原子炉容器、燃料容器、炉材、配管……処理レベルの放射能を帯びた構造物は全て適切な処置をされたということは、この動画を見ればわかります。ただ二十キログラム分だけ、あなたが持ち去ったプルトニウムを除いては、ね」
「……んー、少し、驚きました」
 早苗はごくごくとビールを飲み干してから、ようやく答えた。
「なぜこんな映像が流出したのか。気にはなりますが、私がプルトニウムを持ち出したっつう証拠には、なりませんよ。これ」
「あなたの荷物を調べれば解ることですよ?」
「誰がやるんですか、そんなことを。なんなら原子力安全委員会に訴え出てみますか。あなたが逮捕されるだけですが」
 女記者は、はあ、と大げさなため息をついた。肩をすくめる。
「私はね、早苗さん」
「早苗じゃないってば」
「告発したくてここに来たんじゃあないんだ。私は。あなた方がなにをしようとしているのか、それが知りたい。目的はスクープです。特ダネです。解りますか? それが解れば私は満足し、あなたの前から姿を消すのです」
「へえ。じゃあこういうのはどうです? 私は爆弾を作ろうとしている。爆縮型核爆弾を」
「あまりふざけてると殺しますよ」
 女記者の言葉は脅しではなかった。
 すでに幻想になった非核三原則ではあるが、人々の心の中には生き続けている。邪悪な意思のもと核の力を手にしようとする人間を、この国と人民は決して許さない。いかに早苗といえど、これを敵に回す気はなかった。
「失敬、どうやらノラリクラリというわけにはいかないようですな。そう、目的ですか?
 それさえ教えれば満足するのでしたね。では教えますよ――発電です」
「原子力発電所でも移築するのですか、早苗さん」
「まあ、そんなところです。他に質問は? あと、私の名前は早苗ではありませんってば」
「では、もうひとつだけ。今朝、東芝の研究施設から試作段階の高圧容器型多点支持式対重力・対温度ひずみレーザー五軸成形器が盗まれる事件があったんですが、心当たりはありませんか? 固形プルトニウムの加工とかに最適なんですよね、これ」
「盗んだんじゃない、死ぬまで借りてるだけだ――なんてね。そんな事件、知りません。だいたい、私は今日長崎に着いたんですよ。横浜でどう盗みを働くというのです。そして、何度も言うようですが、私は早苗じゃないですから」
「誰も新杉田で起きた事件だなんて言ってないんですが。よくご存知ですね、早苗さん。まだ報道もされてないのに」
「東芝に友達がいるんですよ。何度も言わせないでください、私は早苗では」
「いいえ、早苗さん。あなたは早苗さんだ。本物の東風谷さんは、二年前に南オセチアで殉職しています」
「……それ、でたらめだったら鼻を折りますよ」
「事実です。ささやかなお礼ですよ。ああ、いい記事が書けそうだ。じゃあ失礼しますね」
「………………」
 女記者が背中を見せる。早苗はスペルカードを取り出し、この記者を焼き殺そうか少し考えた。その目が不意にカメラのレンズと結ばれる。早苗は直感的に弾幕が切り取られることを理解した。
 カウンター席を区切る暖簾をくぐり、女記者は下駄を鳴らして去る。
「そーか、念写か。あいつは。私が、見ていたのは」
 間を置かずウェイトレスがコース料理を運んできた。
 やっぱり若いだけあって、思い煩うことよりも食い気優先の早苗である。ビールを追加し、箸を迷わせた。
「あ、そうだ。コース料理にはないですけど」
 あの女記者で思い出した。
「焼きホタテを食べたいんですが。あ、できますか? じゃーお願いします!」


********************

[空と悪霊]

intel inside.



「私とおくうの付き合いは長い。あの子に知性が芽生えたのは、せいぜいここ数十年のことだと思う」
 そこは薄暗い穴倉だった。
 いつも集まって。
 スペルカードの訓練をする。
 彼女たちの居場所。
 キスメがいた。ヤマメがいた。パルスィがいた。メガネがいた。燐がいた。空はいなかった。
「あの子の本質は変わってないよ。純粋無垢な馬鹿のまま。けれど同時に、平衡して、共存して。なにを考えているか解らないところが増えていった。それは邪悪にも似ていた」
 話をしているのは燐だけだった。残りは聞くだけ。円を描くように。燐を取り囲む。
「そう、ちょうどおくうがおかしな夢を見る、といい始めた頃からだと思う、その変化は。あたかも、おくうの中に、邪悪で力のある存在が現れたかのようだった。まるで夢を通じておくうを支配しようとしている、という風な。でもどっちが本当のおくうだとか、そうは考えていない。邪悪だとしても、それもおくうだ。そして無力であるより邪悪でも力があるほうがいい。だから……あの子の言っている事には一定の合理性と、成功の見込みがある」
 空は部屋に居残りだった。疲れているようだから寝ておけ、と諭され、しぶしぶ従ったのだった。
「スペルカードは……殺し合いを誘発するものであってはいけない。ましてや、支配の道具などではない。スペルカードを愛するならば、殺すことも殺されることも避けるっていう、そういう努力をしなければならない。だってスペルカード・ルールというのは、そういうものだから。けれどいま、スペルカードを持つ地底の民の多くは、スペルカードという文化の体系的な本質を知らない。弾幕ごっこっていう、"芸術"と"遊び"に心を奪われているだけ」
 がたん。ヤマメとキスメが椅子を鳴らした。燐を睨みつける。燐は続ける。

「だから――次の機関紙に、こいつを載せて欲しい」

 そういって燐がテーブルにぴしゃりと伸ばして置いたのは、スペルカード主義者への活動自粛を願い求める広告だった。
「これ以上、スペルカードを持つことによる死者を増やすわけにはいかないんだ」
 両手をテーブルについて、同意を求めるように前のめりになった燐の……目の前に。
 どん、と。
 ヤマメが足を乗せた。
「てめえ、鬼に安目売ろうってのか」
 メンチを切る。大学に入ってから妙にガラが悪くなったヤマメであった。
「同感だね。私たちは数で勝っている、多数派なんだ。ここは引かずに、勢力を拡大して逆に圧殺するべきだ」
 キスメも同じように、燐と角を付き合わせる。
 燐が劣勢となるやメガネが燐に加勢した。
 対立の構図ができ……。
 パルスィが、最後の一票を投じる立場から状況をまとめた。
「スペルカードを普及したい。死人は増やしたくない。殺し合いは避けたい。
 スペルカードを続ければ処刑される。かといって抗って殺し合いをすれば死人が増える。とはいえスペルカードを隠しては自由がなくなる……。
 ねえ。みんな、地上ではどうやってスペルカードが普及したか……知ってる?」
「それは」
「博麗 霊夢という少女はね。暴力で幻想郷を支配下に置いたのよ。ライフルを手に妖怪を駆逐して神社を手中に収め、風見 幽香と戦い、冥界と地獄を滅ぼし、妖怪の山を制圧した。当時、僅か十一歳。人間の少女に過ぎなかった霊夢は、ついには八雲 紫という幻想郷の盟主を打ち倒して博麗の名を『奪い取った』。博麗 霊夢がスペルカード・ルールを渙発したのではなく、スペルカード・ルールを万民に飲み込ませた少女が博麗 霊夢になったの」
「はくれい、れいむ……」
「スペルカード・ルールといえど、その成立には血を欲する。あたかも戦後に打ち立てられた平和憲法のようにね。
 私たちは。だけどね、お燐。
 だけどね、私たちはね。ヤマメ、キスメ。
 私たちは……博麗 霊夢にはなれないんだ。だったら、意地を汚くして戦う他ない」
 四人は四者四様の疑問符を浮かべて首をかしげた。正直、抽象的過ぎてパルスィがなにを言ってるのかさっぱり解らんかった。
「だーかーらー! もう、なんだよ! 解ってよ!」
 ばたばたと手を振ってパルスィが駄々をこねる。照れ隠しもいいところであった。

 パルスィが暴走し始めたので、一同は茶を淹れて一息つくことにした。
 ヤマメが燐の書いてきた原稿を眺める。悔しいが、妥当な内容であることは認めざるを得なかった。
「私も、キスメも。いまさら自分を偽るような真似はしたくないんだよね。私はスペルカードが好き。これを偽ることはできないし、それは敗北で、裏切りだ。なぜなら私は今までそうやって、多くの同胞にスペルカードを教えてきたから。これを曲げることはできない」
 淡々とした口調だった。誰の制止も届かない声だった。
「しかし、多くのスペルカード主義者にまで同じことをしろとはいえないよね、現実問題」
「うーん……」
 キスメが不安げな上目遣いで尋ねた。
「ねえ、お燐。本当に、体制側は粛清を行っているのかな。日和見的だと言われるかもしれないけど、私にはどうしても実感が沸かない。そんな、まさかって感じ」
「ん。殺してるよ?」
 答えたのはメガネだった。
「今度、証拠見せにつれてってあげようか? 死体の山ができてるからさ。廃坑道なんだけど」
 地霊殿取締役に就任して以降、メガネは地底のオモテとウラを行き来するようになった。そこで彼女が目撃したのは文字通りの地獄絵図であった。
 廃坑道。坑道、といわれているが、別に鉱山があるわけではない。体制が管理している自然公園の一角がこう呼ばれている。
 かつては良質の銅鉱石を産出する鉱床帯だった。しかし度重なる竪坑掘りとリトリートマイニング、さらには山をアルカリ性の用水で丸ごと洗い流し金属イオンを取り出すという方法まで採られた結果、残されたのは強アルカリ性の地底湖だった。生物が棲むどころか妖怪ですら体を侵される地獄沼は、体よく死体を処理するための場所として利用されているのだ。
「いや、いい。遠慮しておく」
 キスメがやや青ざめる。
 ともかくも。
「お燐。私たちも広告の掲載には同意するよ。死人が出るのは嫌だからね」
「ありがとう。よく言ってくれた」
「けど。一個いいかい」
「んなに」
「これからのことなんだけど。私も独自の行動に出るよ」
「……ヤマメ!」
「このままやられっぱなしってわけにも行かないからね。どうにかして、ラチを開けるさ」
「心配しないで、お燐。勝算がないわけじゃ、ないからさ」
 ヤマメとキスメが席を立つ。
「次の会合までに、第一歩を踏み出してみて、報告するよ。それまではなにも知らないほうがいい」
 二人はそう言い残し、去っていった。
「それじゃ、私もそろそろ帰らないと。少しでも寝たい」
 メガネもぼちぼちと姿を消した。パルスィも後追うようにして足を向け、ふと振り返る。
「私はこれから印刷所に行ってくるけど……お燐はどうするの?」
「……お菓子でも買って帰るよ。あの子は、それで喜ぶからね」
 めいめいが隠れ家をあとにする。

 そして、二度とここに揃うことはなかった。


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[幽香と彼岸花]

Lycoris radiata.



 その女性を地底で最初に目撃した妖精は、彼女が手に持っているものがなんなのか解らなかった。
 金属でできた細いパイプの先端から芯金が折り返し、角度をつけて広がっている。芯金は八本あり、その間には布が張られていた。
 妖精がぼんやり様子を見ていると、女は妖精に気づいて笑いかけた。
「こんばんわ。いい天気ね」
 女は見たところ、普通の妖怪だった――肩上で切り揃えられ、ウェーブのかかった髪。チェック柄のロングスカート。白いブラウスに黄色いリボンタイ。ただ、手に持っているものだけが解らない。
「ああ、これ? これは傘よ。人間の知恵の結晶ってところかしら」
 妖精が首をかしげる。アクセサリーだろうか。
「私も一個、聞いていい? これ……この花は地底ではよく見られるのかしら」
 女がしゃがみこむ。確かにそこには花が咲いていた。
 安いアパートの、雨どいの下。
 黄色い彼岸花が、ひっそりと。
 一輪咲き。
 妖精は首を振った。花など、地底では咲きようがない。集団農場でまれにジャガイモの花を見る程度だ。
「そう」
 女はそっと、花弁に指を沿わせた。かすかに花が揺れる。大事に、大事に触れていた。
 妖精が疑問符を浮かべる。なんでこんなところに花が咲いているんだ。あなたは何か知っているのか。
「んん? 推測だけど」
 女はくるくると傘なる道具を回しながら答えた。いや、問いに答えるというよりも自分の思考を声に出して整理しているといったほうが正しかった。
「地底では、育てない限り花は咲かない。理由は二つ。一つはもちろん、日光がないから。これは普通の花の場合の"咲けない理由"。普通の花は、今あなたが思ったとおり日光のない地底では咲きようがない。花や実をつけるよりも別の方法にイノチを賭ける」
 妖精は頷いた。花という手段を絶たれても、生命は道を見つけ出すものだ、超合理的に。具体的にいうと地下茎によって地底でも植物は繁茂している。
「もう一つの理由は、地底では花が咲けないっていう、"常識"があるから。これは幻想の花の場合の"咲けない理由"ね」
 女の解説に妖精は再び首をひねった。しかし――それでは、なぜこの花は咲いているのだろうか、と。
「それはね、花が咲かない二つ目の理由を、この環境が満たしていないからよ。逆に言えばここの環境が花を育てた」
 妖精は周囲を見渡す。なんてことない住宅地だった。特別なものなどない。このボロアパートの庭の隅っこが、そんなに生育に適した場所だというのか。
「ところで……この花は普通の花じゃない。私も見るのは初めてよ。黄色い、曼珠沙華。これは幻想の花よ」
 幻想の花。それがどういう意味なのか妖精は正確には理解できなかった。しかし、どうやら幻想の花ならば、日光が無くても咲けるということらしい。しかし、幻想の花は地底では咲けないって、さっき言ったじゃないか――?
「さあね。でも事実咲いてるわ。だから私は、この周辺の環境が、地底とは違うんじゃないかな、って思うのよね。たとえば……地上の習慣や文化に染まった人や物があったりすると、"地底の常識"より"地上の常識"のほうが強くなる。なにか心当たりがあるんじゃないかしら?」
 妖精は――はっと。ついに思い至った。
 時々通る道端の交番に、よくポスターが張ってあるのだ……

 『あなたの身近に潜む』
 『過激派アジトを発見したら』
 『最寄の交番にご相談ください』
 『彼らは室内で危険物・爆発物を扱っています』
 『くれぐれも近づかないようにしてください』
 『あなたの隣人はスペルカード主義者かもしれません』
 『通報者には薄謝が出ます』

 妖精が急に慌てだした。このアパートには、危険人物が住んでいる可能性がある!
「あら、そうなの。まあ私の知ったことではないけどね」
 女はまったくどうでもよさそうに、さっさと自分の作業に移った。軍手をはめ、園芸用のシャベルで黄色い彼岸花の周辺を掘り、土ごと鉢に移し替えてしまう。
「地底まで粘った甲斐があったわ。あの子にいいお土産ができた」
 妖精は鬼の官吏に通報する言葉を必死で考えながら、去って行こうとする女を呼び止めた。黄色かろうと紅かろうと、彼岸花は有毒だぞ、と。
「え――? ああ。ご心配ありがとう。子供だけど、毒には強い子なのよ」
 心持軽やかな足取りで、女は去っていった。くるくると、傘なる道具を回しながら。
「………………」
 妖精はしばしその姿に見惚れたが、すぐ我に返って最寄の交番に駆け込んだ。
 過激派のアジトらしき住居を発見した、と。

 そこは今まさに空が眠る、彼女の家に相違なかった。


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[勇儀と過激派]

stig's many many cousins.



「あれ」
 からん、と。
 星熊 勇儀は下駄を鳴らして立ち止まった。
「ここ知ってるぞ」
 じゃらじゃらと鎖が鳴る。見たまんまの大女はすっ呆けた様子で周囲を見渡した。電柱にもタバコ屋にも標識にも見覚えがある。すると、このアパートに住んでいるのは。
「アハン。やっぱりあいつらか」
 住所録を手繰る。過激派が潜んでいると通報があった安アパートの住人に、知っている名前があったのだ。左様、その名は二つ。火焔猫 燐と霊烏路 空。都市ゲリラとしての自覚がないのは彼女たちとて同じだった。登記されるものに自分の名前を使うなど論外だ。
「前々からなー、怪しいとは思ってたんだよなー。悲しいな。けど仕方ないな」
 引っさげていたビニール袋から缶ビールを取り出す。プルタブを引き上げようとするが上手くいかない。
「ん。ぬ、く……むう」
 業を煮やした勇儀は一番尖がっている箇所……角の先にタブを引っ掛けて、よっ、と抉るように持ち上げた。封入されていたガスの抜ける音がしてぽたぽたと雫が落ちる。缶を仰ぐように傾けて一気に飲み干すと、空き缶を背後に投げ捨てた。
 放物線を描き、空缶は飛んでゆく。
 地底の闇へ消える。
 落ちる音はしなかった。
「よーしお前ら。仕事だぞ」
 その言葉で、一様に闇が蠢いた。
 よくよく目を凝らせば、微かな輪郭を捉えることができただろう。そこに、闇の中に潜んでいるのはどいつもこいつも奇妙な角を生やした鬼だった。
「仲間がいるはずだ。残さず見つけ出せ。んで殺せ」
 音もなく闇の中を這い回り、雲霞のごとく地に満ちていた鬼は拡散して行った。闇から闇へと。そして恐るべきことに、地底には基本的に闇しかない。
「さあ、霊烏路 空。おまえはこの先、闇を恐れなければならなくなった。太陽なき地底で、それがいかな意味を持つか。その身で知るといい」
 からころと。
 下駄を鳴らす。勇儀は背を向け歩き出した。
「古明地を、あいつを泣かすからこーなるんだ。悔いても遅いぜ」
 
 しかしこのとき、安アパートの一室で。
 その宣戦布告を聞いた空が笑っていたこと知る者はいない。
 左様、空自身でさえも。


********************

[椛とにとり]

impractical proposition.



 同時刻。
 妖怪の山。
 裾野に広がる森林地帯の、川原に。
 河童と白狼天狗が集っていた。
 綺麗な星がよく見える、夜のことだった。

「私たちにとって」
 犬走 椛はイモを頬張り、湯気で霞んだ空気越しに星を見上げた。
「ステルス性は有意な戦略的意義を持たない」
 周囲には部下が数名と、河童の技術者がいた。夏の夜空の下、川辺での立哨任務中。椛たちは、自分たちを付回す集団がいることに気づいた。岩場に誘い込み逆に相手を包囲してやると、あっさりと投降してきたのがこの河童どもだったというわけだ。
「たとえばF-22は、外の世界じゃ史上最強の戦闘機といわれているよね。長い航続距離、広い索敵範囲、スーパー・クルーズ、中距離攻撃における圧倒的なイニチシアチブ、超機動格闘能力、そしてステルス。どれをとっても私達が勝ってる要素はなにひとつとしてない。勝ちようがない」
 周囲を見渡す。皆、頷いて返した。椛は続ける。
「しかし、勝てないけど……そもそも、私たちにはラプターに勝つ必要がない。だから、負けようもないんだ。解るかな。ラプターはその機体にも、パイロットの養成にも、維持にも、一発の兵器、一秒の飛行にも莫大な予算がかかる。私たちを敵に回した時点で、経済的には、ラプターは完全に負けてしまうんだ」
「だけど、航空支配戦闘機がひとたび作戦を発動すれば、私たちのありとあらゆる施設が破壊対象になります。大統領府も、首相官邸も、軍幕も例外なくですよ」
 河童の一人が挙手の上、そう発言した。椛はハハハ、と笑い飛ばした。
「それがどうした? 軍と政府は金を生まない。子も産まない。市民が無事なら問題ない。そして、山々に点在する集落をすべて破壊することは、これは不可能だ。私たちはラプターを落とせないが、ラプターも私たちを潰せない。作戦目標が違うんだよ、設計段階で……私たちとは競合しないんだ」
 なぜまたこんな話になっているのか。それは河童の側からの質問が発端だった。山の中で武器に最も精通している白狼天狗に、ぜひ聞きたいことがある、と。
「むしろ、そんな最新鋭の戦闘機より退役し始めているトム・キャットのほうがおっかないね、私は。アレが中隊規模で攻めてきたら十日とかからず幻想郷の空は彼らのものになるよ。手も足も出ない。高い爆撃能力とペイロードを備えている彼らなら。こんな山、瞬く間に禿山にされる。皆殺しだね」
 椛はそういってカラカラと笑った。白狼天狗たちも同じように、ブラックジョークを楽しむように意地の悪い笑い声を上げる。それはそれで楽しげな雰囲気であったが、同席した河童たちは外界に対して恐怖を再確認していた。
 温度差。
 その中で。
 一人だけ、鋭く、力強く、なによりも冷静な目を失わない河童がいた。
「それは椛さん。誇張しすぎじゃないですか」
「うん? っていうと?」
「山にも防空迎撃網はあります。前時代的な機関砲で、カバーする空域は狭く低い、頼りないものですが。しかし敵はこれを警戒しなければなりません。
 もしこの航空防衛網を破壊せんとするならば、出血を強い、さらに市民を退避させるだけの時間を稼げるでしょう。
 また防空網の突破を図るならば、その機会は一度きりになり、私たちは立て直す時間が得られ、絶滅を免れるでしょう。なぜならば増槽なしで突破するだけの超音速を彼らは実現できないからです。
 では、こちらの防空網を避け高高度から爆撃を行ったとしましょう。トム猫の爆撃精度では、市民への被害は五~十五パーセントの間で収まる。致命傷ではありません。
 つまり、戦略装備を持たない限り編隊でも私たちを殺し尽くすのは容易ではありません。もっとも、その時に、私たちが適切な生き残り策を講じていれば、の話ですが」
 弁の立つ河童だった。椛は顎に手を当て、納得したように頷く。
「なるほどね。その可能性はある。ま、いずれにせよ私たち軍人はみんな死ぬことになりそうだけど」
「ええ。私は、白狼天狗の軍団が徹底的に捨て駒になる、っていう前提でお話しましたからね。お気を悪く?」
「んや、別に。あなた、なかなか面白いね」
「そりゃあどうも。私は河城、……河城 にとりっていいます」
 河童が名乗る。周囲の天狗や河童連中はなんだか話が変な方向に走り始めたあたりで興味を失っていたので、名を検めたのは椛だけで、そして彼女にはその名に覚えがあった。
「犬走 椛だ。あんた知ってるぞ。大将棋連盟の会員だね? 結構上位にいたはずだ。私も会員でね」
「なんと! うれしいな、こんなところで稀有な趣味を共有する人に会うなんて」
 おや、なんだか仲良くなったみたいだぞ。
 やることもないので酒盛りなどはじめた白狼天狗と河童の集団はぱちぱちと手を叩いて新たな友情に乾杯した。

「ところで、今日はなんで私たちのところに来たんだい? 質問がしたいだけならわざわざ虜囚になることもなかったろう」
 程よく打ち解けたところで、思い出したように椛が尋ねる。よもや酒盛りが目的だった、というのか。
「そう、そうだった。私には、特別聞きたいことがあったんです」
 にとりはリュックサックからゴワゴワした毛むくじゃらの布を取り出した。
「これなんですけどね、見ていただこうと思いまして」
 毛むくじゃらのそれを身にまとう。頭からすっぽりと全身を覆う、奇妙な雨合羽。にとりはぴょん、と岩場の向こうへと飛んで降りた。椛がそれを追いかけて眼下を覗き込む。
 しかし、そこににとりの姿は見つけられなかった。
「……ふむ。なるほど」
 椛が意味深にコクコクと頷いた。白狼天狗たちが同じように覗き込む。
「……どこにいったんだ?」
「おい、灯り持って来い」
 白狼天狗たちが捜索する。しかし、そう。にとりはどこへも行ってはいなかった。
「ここですよ」
「――――!」
 ずっと、そこにいた。自然の中で輪郭があやふやになり、誰も気づかなかっただけで。にとりは飛び降りた場所に蹲り、じっとしていただけだった。
「どう思います、これ? ギリースーツです」
 白狼天狗たちは、どや顔を見せるにとりに圧倒された。河童の技術に脅威と恐怖を感じる。見た目、ただのムックだというのに。
 しかし……。
「どれ。もう一回見せてみな?」
 椛の挑戦状。
 にとりは不敵に笑う。椛は耳と目を塞ぎ、口を噤んで隠れるのを待った。三十秒数え、椛は鼻を利かせた。指先に白色弾を点しふいと投げつけ……十五メートルほど離れた暗がりに当たる――ぴちゅん、という音がした。
 ガサゴソと、スーツを引きずってにとりが帰ってきた。解せぬ、という顔をしていた。
「鼻が利く白狼天狗に、そんなスーツ意味ないよ」
「むー……そりゃ、そうかもしれませんが。ですが、視覚だけならば……」
「視覚に限ったところで、そのスーツはあまりに用途が限られている。山の中でしか使えないじゃん」
「それも、そうですけどー! でも、砂漠用とか市街用とかもあるにはありますよ!」
「取り回しが面倒くさい。戦場では段取り替えが命取りになる。機能を集約して」
「そんな、無茶な。透明化でもしろってんですか」
「あら、それいいんじゃない?」
「ふん。ふん、ふふん? 透明化、透明化ね……」
 着想が舞い降りた。
 にとりが座り込む。メモ帳とボールペンでぐりぐりとアイディアやら数式やらを書き連ねる。一瞬で自分の世界に入り込み、もはや誰の声も届かない。そんな様子だった。
「彼女、いつもこうなの?」
「ええ。まあだいたい」
 丸メガネをかけた河童が笑って応ずる。椛は酒盛りをしている横で静かに、深く思索をめぐらせるにとりの横に座ってメモ用紙を解読した。
「私も付き合うよ。外の世界と同じことしてたって、つまらないし、発展がないもんな。敵うわけがない。だったらいっそ、私たちは私たちで突き抜けていかなくっちゃ……応援するよ」
 これが後に光学迷彩スーツ、アカントステガと呼ばれる傑作機の開発に繋がるのだが、それはまた別の話である。


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[藍と侵犯]

calm before the storm.



「透明化するっつーことは空気と同じ屈折率になるってことなの?」
「いやいや、スーツだけ透明化したって意味ないじゃん。私は裸の王様にはなりたくないよ」
「ものが見えるってことは光が反射してるってことだよね。逆に、ものが見えない場合は……光が反射しなければいいのか」
「いやいや、それだとただの真っ暗な闇になっちゃうじゃん。森林での隠蔽効果は高いだろうけど、それだけなら普通のギリースーツと変わらない」
「じゃ、どうするの?」
「入射光の角度を演算・スペクトル分析して、可視光だけを取り出す。さらにフィルタリングをかけて、環境に対し相対的に強な光のみを、背後に透過角度で返してやる……って方法かな、今考えているのは」
「あなくろォ」
「最も手堅い方法だけど、素子の数が問題なんだ。単位面積当たり四の二乗がせいぜいさ。透明化を名乗るなら、せめて十六の二乗は欲しい。これじゃあ、現状、鏡を全身に貼り付けたミラーマンと、効果はさほど変わらないだろうね」
 妖怪の山にて。
 非番の椛と、同じく休み中のにとりが、滝を見上げる庵で大将棋を囲んでいた。
 その話題はもっぱら、開発中の光学迷彩スーツに傾いていた。
 じゃらじゃらと獲得した手駒を宙で鳴らす。椛はこの時間が大好きだった。椛を慕うものは多い。しかし友人となると、これは実のところ居らず、さらに家族もいない身の上。休みの日に談笑しながら茶を飲み、将棋を指す。決して短くはない人生の中で、これほど安らぐ時間はなかった。
「むむむ…………装甲車がウザいな」
「へへっ。戦車を今から送っても地雷原は持たないよ。この補給基地はいただいたね」
「しゃーない、その基地はあげる。代わりに前線の歩を食わしてもらうよ」
 ぱちぱち、ぱちぱちぱちぱち。高速でコマが移動し、交換される。そしてまたぴたりと止まった。考え込む。
「参ったな……対空攻撃ユニットがいない」
「ほほっ。市街地の確保に腐心しすぎたね。戦車が集中しすぎだ、すべて破壊させてもらうよ」
「しゃーない、その街はあげる。代わりに――王手!」
「えええ!?」
 気付くと、にとりの歩、そのほとんどが前線に集結していた。椛は領地を広げることにほとんどの資源を費やし、本丸の守りは地雷原と要塞化でまかなっていたのだが……今、その守りは圧倒的な物量に突き崩されつつあった。歩を大量ににとりに供給し、装甲車両等の快速ユニットを前に出しっぱなしにしたのが響いたのだ。
 徐に、にとりはシリアルバーを取り出してもぐもぐと食べ始めた。一本で満足できるそれを二本、三本と食べ続ける。もぐもぐ、もぐもぐと。ぬふー、と椛が鼻息でチョコレート臭を飛ばした。そして駒を投げる。
「ぬーん……総力戦になるね、死人が増える前に投了するよ」
「そそ、懸命で結構」
 大将棋はクソ長いゲームとして知られているが、なお天狗たちは十年からなるシーズンを通した成績を競う。そこには得失点差、勝ち点の概念も導入されている。勝てるならばいいが、負けが見えているのならば下手にユニットを磨耗させる前に投了したほうがポイントと時間のロスが少なく済む。長くなりがちな大将棋をスムースにする知恵だった。
 にとりが差し出した四本目のバーを、やはりもぐもぐと食べながら椛は盤面を眺める。食べ終わるころ、ようやく諦めがついたのか組んでいた足を伸ばして、だらりと寝そべった。服がまくれてヘソが見える。
「あー……もう、今日はなんもやる気しねえ」
「ははは。いいんじゃない? お休みなんだし」
「ごめんなさいね。そのお休み、ナシになるわ」
「おん……おや、八雲さんところの――藍さんじゃないか」
 椛が身を起こして、居住まいを整える。接近に気付いていなかったわけではないが、無視していた。
 
 不意に現れたのは長身狐目の女で、名を八雲 藍といった。幻想郷の結界、その管理を任される実務者である。

「ご無沙汰しています。早速ですが、用件に入りましょう」
「藍さーん。私、今日はもう一歩も動きませんよ」
「最近だらしねえな」
 にとりが椛を指しカラカラと笑う。しかし、椛と藍の間は和まなかった。
「実を言いますと、結界破りのチンコロがありましてね」
「話聞いてますか? あ、紹介しますね。私のダチで、河城 にとりってんです」
「こんにちわ。はじめまして」
「はじめまして、こんにちわ。あー。それでですね、その結界破りなんですが――」
「だーかーらー、私、今日はお茶飲んで飯食ってグダグダするんですってば」
「――地底の連中らしいですよ」
「……へえ?」
 椛が身を起こす。聞き耳がぴんと立っていた。
「竪鉱跡地。あなたがかつて"あぁんひどぉい"な目にあったトコですね。場所はそこです」
「しかし、あそこにはあんたらが張り巡らせた呪詛と、私が埋めた地雷でいっぱいだぞ」
「それでも、来るんだよ。そんだけの、覚悟があるってこった」
「上等じゃねえの。よし、私も行こう」
 すっくと椛が立ち上がる。にとりも同行しようとしたが、これはやんわりと拒絶された。この行動は未だ非公式なものである。藍にしても不確定なソースに頼っているのが実際だ。しかし嫌な予感がする。地底が最近きな臭いことは事実だった。
「それならせめて、こいつを着て行って欲しい。防弾性能は十分だ」
 椛の私物は少ない。鍛鉄製の巨大な剣と、将棋盤くらいだ。私服も着古した一着しかない。生活必需品すら満足に持っていない。ゆえににとりの差し出した雨合羽は貴重な身を守る防具だった。にとり製の、雨合羽。
 剣を背負い、跳び上がる。
 背後でにとりが手を振る。先に飛び立った藍の横に並んで、椛が尋ねた。
「結界を破るって言うけどさ、それ実際どうやるんだ? 昔、私も爆発物で何度かやったけど……」
「別に爆弾なんかなくたって結界は破れるよ。というか、今回の手合いはおそらく……真っ向から、アカウントを抜いてくるはずだ」
「どういうことなの……」
「ああいうことだよ」
 藍がゆび指す先を千里眼で見通す。
「……!? なんで! あいつどうやって」
 椛が目にしたのは土蜘蛛だった。堂々と、正面から結界を突破し、地に足をつけていた。椛がむっとする。
「野郎、私の許可なく、山の土を踏むとは。どこのどいつだ」
「おかしいわね、私の結界はともかく、あなたの地雷まで無力化されるなんて」
「あの地雷原は……私が、直接ガーデニングしているわけじゃない。まさかとは思うけど」
「付込まれた。何者かは解らないけれど、タダでは済まないわね」
 椛が歯軋りして速度を増す。妖怪の山に、自分の隊に地底の妖怪を手引きする輩がいるとは。どういう目的があるのか、それを見極めねばならない。
 藍と椛。あたかも彗星のような十の尾が空に一の字を引き、二人は現場へ急行した。


********************

[ヤマメと亡命]

#edano_nero



 ヤマメが謀った独自の行動。
 それは地上を頼ることであった。
 より直接的な言い方をするならば、それは売国であり、外患誘致であり、破壊活動である。
 しかし、それも現体制下でならば、の話だ。
 ひとたび三権が転覆すればヤマメは英雄になる。
 既に連絡はついている。地上に頼る辺は出来ている。支援者のほとんどは地下資源目的の資本だったが、暫定政権さえ樹立できれば如何様にでも独立は取り戻せる。そう、ヤマメは考えていた。
 長い長い竪鉱を上る。無明の中を進む。上るという行為は恐ろしい。長年、地底に対し相対的に極高所である地上との境目で仕事をしてきたが、ヤマメはいまだに地上が恐ろしかった。高い場所が怖かった。地上に住む者たちにとってはそここそがゼロ点なのだが。
 やがてたどり着く。大気組成の違いを感じる。マンホールの裏に張り付いて、ヤマメは弾幕勝負で取得したパルスィのスペルカードを取り出した。
「さあ、開け。地上と地底を結び鎖す、橋姫のチカラだ」
 スペルカードは通行証の役割を果たした。橋姫のマーキングが施された書面を、結界は正規の通達として認識する。微かに硬化した感触があって、結界はぱりぱりと破けた。あとには触媒のサランラップだけが残る。
「クリアー」
 結界を破っても、穴を塞ぐ盛土が残っている。しかしヤマメは文字通りの土蜘蛛だ――それは、本来は神道権威に恭順しない傑物を指すあだ名だが、いかにも体制に反する今のヤマメは土蜘蛛だった。いずれにせよ穴掘りは得意である。だから第二志望は土木建築にしていたのだ。もっとも、インターンを控えた今となっては昔の話だが。
 十分とかからずヤマメ一人が通るには十分な穴が開く。土をかき分けて顔を出す。
「……すう……はあ」
 大きく深呼吸。体中を不安が駆け抜けた。意志の力で恐怖をねじ伏せ、両足を地に着ける。土を払って立ち上がる。
「地上か。なにかもみな懐かしい」
 ヤマメは実のところ、地雷の存在を知らなかった。先じて確かに取り除かれてはいたものの、無用心にのそのそと歩く。せっかく地上まで来たんだから、なにかおいしいものでも食べて正々堂々大っぴらにスペルカード戦を楽しみたいものだ、などと考えながら。
「おっ。これが有名な境界石か」
 ぺたぺたと歩き回るヤマメは自然の中で苔生し、埋没していた石碑を見つけた。黒曜石を砕いて成型された石であり、その歴史は優に千年を越える――なにを隠そう、これは地底と地上が分離した時に打ち立てられた石碑、塞の神なのである。
 石碑には以下の三原則が記されていた。すなわち、
 ・土地の分割
 ・相互不可侵条約
 ・主権の承認
 の三つ。これは当時から幻想郷を管理していた八雲一派が、星熊・古明地・水橋という地底の核となる人物と、この石の上で盟約を結んだことを伝えている。

 つまり、そう。
 石碑は契約の証明であり、地底と地上の間に存在する境界そのものだった。
 ゆえにこれは境界石――クドゥル、と呼ばれている。

「あはは、すべすべしてる」
 罰当たりにもぺちぺちと文化遺産に張り手をかます。そうこうしている間に、こちらへ向かってくる二人組が見えた。
 待っていた、迎えの使者だろう。
「お、来たな。よし」
 ぱしん、と膝を叩いて気合を入れ直す。大事な交渉ごとが始まるぞ、地底の、命運をかけた――!
 ああ、健気にも。ヤマメはそう信じて疑わなかった。
 もちろん、力不足や作戦の不備、相手の悪意も承知している。すべてを覚悟して、なお彼女は信念に従って行動していた。
 しかし現実はあくまでも残酷である。
 今日も、それは変わらなかった。

********************

 シルエットがいつもと違う。
 ヤマメが僅かに不審を覚えた。
 密約を交わし、地底侵略を企んでいたのは山の妖怪ではなく人間だった。今こちらに向かってくる影は二つ。一人は腋を出しており、そこはいつもと同じだったが……いかんとも、小柄な気がする。
「え」
 不意に腋を出したほうの影が掻き消えた。光が歪むように。ヤマメが後ずさり、その背中に刃が突きつけられる。
「あなた、地底の妖怪ですね」
 声。
 椛。
 透明化。
 にとりの雨合羽が発揮した光学迷彩機能。これを使い、椛はヤマメの背後を取っていた。
 前面に藍が悠々と着地する。挟み撃ち。
 やれやれ、という風に両手を挙げる。ヤマメは従順だった。
「名は?」
 藍が問うやヤマメは用意しておいた台詞をキメた。
「地獄からの使者、黒谷 ヤマメ!」
「あ、いや。そうっすか……」
 椛は、どうにも調子が狂うな、と思った。地底の妖怪のはずなのに、自分などよりよっぽどノリが地上のそれに近い。椛は自身の感覚が時代とずれている事を承知している。いまどきスペルカードも扱っていない。どうにか苦労して二枚ばかりこしらえてはあるが、一度も使った事はなかった。
「それで? あんたなにしに来たのよ。結界壊しちゃダメでしょ」
 地底と地上の間に人妖の往来はない。ない、という事になってはいるが実際はある。しかしこの一年、橋姫が体制に反逆した事でビザの発行ができず、物資のみがやり取りされるに留まっていた。
 それゆえに、ヤマメの地上進出はちょっとしたニュースであった。まして結界を破っての"侵入"である。八雲が危惧するのも無理はない。
「いやあ。申し訳ない。ちょっと道に迷ってしまって」
「道に迷って結界が破れるもんか。不誠実な応対は身を滅ぼすよ」
 藍がそういって、椛に目で合図する。ずん、と刃がヤマメの背中を押した。斬れはしなかったが、ヤマメの心を揺さぶる効果はあった。
「おい、地底の。黒谷と言ったね。おまえを地上に手引きしたのがいるだろう」
「へえ? そりゃア初耳ですな」
「とぼけても無駄さ。白状しな。あんたみたいな使いっ走りに興味はないんだ。言え。誰が絵ェ描いた?」
「教えるわけないでしょう。それにね」
 ため息を一つ。のらりくらりは時間の無駄だ。時間の無駄はヤマメに不利にしか働かない。
「私は私のチカラで、そして志を持ってここに来たんだ。使いっ走りはあんたらのほうだろ。え? 犬コロども」
「へ――言うじゃねえか。けど。おまえ状況解ってないだろ?」
「なんのことだい」
「私らがここに来たのは密告があったからだ」
「…………ッ」
 ヤマメが押し黙る。表情こそ不変だったが、うなじをダラダラと汗が伝った。
 左様。密告がなければちょうどよく椛が現れるはずなどない。
 そして、ヤマメは一人だった。山の側の"主犯格"が姿を現していない。つまりは――

「そーだよ、おまえは売られたんだ。おまえを売ったヤツに、これ以上肩入れしてどーする気だ?」

 ――裏切られた。
 状況が証明する事実に直面する。なぜ? どうして。地底に新たなエネルギーを供給すると約束したあの少女は、本気だった。なのに、なぜ。信じていた。ヤマメは、地底の支援を持ちかけてきた人間を信じていた。それが裏切られたのだ。
 だが、ヤマメとて厳しい地底社会を生きてきた妖怪である。裏切られることも含めての信頼であることは承知している。ゆえに、今受けているショックは、あの少女がヤマメを裏切った、ということではなく、その本気を貫かなかったことに対するショックだった。
 静かに口を開く。
「勘違いしてもらっては困るんだけど、私を裏切ることができるのはただ一人、私だけだ。私は誰にも裏切られない」
「あっそう。それで?」
「本当は、もうちょっと地上で準備をしたかったんだけどね。どうやらその余裕はなくなったようだ」
「……なにを……言っている?」
「私がここに来た目的を教えましょう。それはね」
 僅かな沈黙を置いてヤマメは高らかに宣言した。
 その手にはスペルカードが握られていた。

「宣戦布告ですよ。最初に言ったでしょう? 私はここに、地底世界を代表する使者として来たんだ」

 藍が頬を釣り上げ牙を見せる。鼻の頭に皺が寄る。怒りの表情だった。イヌ科の表情だった。
「テメー自分がなに言ってるか解ってんのか」
「もちろん。手続きは今から済ませます――そぉい!」
 かつて取得したパルスィのスペルカード。
 足元に。
 叩きつけんとす。
 黒い、御影石。
 そいつはクドゥルとか呼ばれている石だった。
 ヤマメが腕を振り下ろす。
 とっさに藍が呪符を受け止めようとスライディング。
 危うく、その右手が札と石の間に入り込む瞬間。
 椛の足が藍の手を踏みつけた。

 びたん。

 あっけない音がして札は石にぴったりと張り付いた。慌てて藍が左手を伸ばす。しかし無駄。
 触れた先から石は砕け粉になった。
 千年。
 盟約。
 地底と地上を隔てていた結界は、今このとき、橋姫の委託を受けた、土蜘蛛の手で、叩き壊されたのだった。
「なっ! なにをするだァーーー!」
 恐慌状態に陥った藍が叫ぶ。ヤマメが高らかに謳う。
「一年! 一年だッ!」
 指が一本、天を指し。
「盟約の破棄を、地底は宣言した! これより一年後! 地底は相互不可侵条約の失効とともに、地上に侵攻する!」
「させるかバァカ!」
 藍の尻尾が毒蛇のようにうねり、ヤマメの口を塞ごうとする。椛の大剣がこれを弾いた。深く重たい、金属同士がぶつかり合う音がする。
 対立した。
「藍、藍、らァん。私は山の白狼天狗だ。職務を果たさねばならない。こいつは雑魚じゃなかった。山の代表者だ。であれば丁重にお還しせにゃならん。この宣言を、なかったことにはさせない」
「椛ッ! てめえーッ!」
「くっ……くくくふふふ。くふははははは、はははふふふ」
 椛は笑っていた。愉快で愉快でしようがなかった。
「戦争だ、戦争ができるぞォ……いいぞ、念写野郎!」
「ッ!」
 夜空にチェックのスカートがはためいていた。事件を嗅ぎつけた記者が一人。気付けなかった。念を写す実像の出現など、藍といえど現れるまで応対できない。
「いっただきまァす!」
「しまっ――」
 シャッターがきられる。証拠が残る。事実が出来上がる。藍が震える。椛が笑う。
「あんたの通牒はしかと受け取った。しかし地底は今、内戦状態にあるんだろう? 一年で、戦争できる程度に、地底を纏められるのか」
「やってみせるさ。いずれにせよあんたがたは地底を放置できなくなった。それで、私は目的を果たせる」
 ヤマメと椛は奇妙な連帯意識を互いに抱きつつあった。地底に続く竪穴に向かう。藍がこれを呼び止めた。
「待て。黒谷」
「まだ、なにか? 私の身柄は条約で保護されている。まだ、一年間はね。あなたは私を傷つけられないよ」
「解っているさ。けれど、同じ地底の民同士だったらどうかな」
「なにい――」
 藍が腕を振る。ヤマメの背後が吹き飛んだ。腹に響く衝撃。乾いた土煙。大穴が開く。地の底へ続く、竪坑が。
 立ち込める煙幕の中に存在感があった。風が吹く。視界が晴れる。現れたのは闇だった。そいつらは一様に――硬く、鋭く、怪しく、暗く――だがなによりも、歪だった。

 鬼である。

 星熊 勇儀の手勢。闇から闇へと動き、すべてを無明に引きずり込む悪鬼。見た目は棒人間に似ている。ちょうど、The Stigを真っ黒にしたような姿だった。しかし、遥かに――
 上空にあり、これらを直視したはたてはその場で嘔吐を堪える。おぞましい、と。
 探したぞ、と声が聞こえた。この鬼たちに声帯はない。目もあるんだかないんだか解らない。そもそも、意思の疎通ができる相手ではない。だが声がした。鬼の間からこだまが響くのだった。そして、その声には聞き覚えがあった。
「星熊、勇儀……!」
 ヤマメが目を見張る。声は大きく、山に響いた。
「いかにも、星熊だ。この黒いのは私の使者だ。地上の者は手を出すな……っても、触りたくはないよネ、地底の鬼なんかにはネ」
 ははは、と藍が笑う。それが勇儀の自虐的なジョークであることを理解し、また笑ってやれるのは藍だけだった。
「さて、そこにいる黒谷 ヤマメは、きっと自分のことを地底の代表だと申し立てたんだろう。ああ、仕方ないな。橋姫の委託を受けたんじゃあ、致し方ない。破棄を通告してしまった条約も、現状こちらに相殺する用意がない」
「あんたがそこまで言うなら、仕方がないな」

 藍が舌打ちしながらも、矛を収める。ヤマメが胸をなでおろす。最低限、やらねばならぬことは達成できた――
 ――自分は、ここで終わりだとしても。

「そこの白狼天狗! おまえだおまえ」
「え、あ。私?」
「そうおまえ。黒谷の身柄引き渡しを要求する。拒む法的根拠、地位協定はなかろう」
「いや、でもねえ」
「まさか、人道的介入でもする気か。黒谷を渡さないってのはそういうことだ。私と事を構えるか。」
「ケンカなら買いますがね。立場上、売ることはできないな……」
「いいんだ、椛。これは私の、私たちの問題だ」
 ヤマメが椛の拘束を振りほどく。竪鉱、闇に向かって歩む。

 影を踏み、ヤマメは中指を立てて啖呵を切った。
「さあ、来いよクソども。私ゃ百年浪人して大学出てんだ」
 沸き立つ影。
 濃さを増す闇。
「どんだけ分が悪かろうと、ロートルにゃあ負けらんねぇーんだよ!」

 ヤマメの姿はそれっきり。沈み込んで見えなくなった。
 あとには藍と椛が残される。
「あいつ、大丈夫かな」
「私としては、星熊政権のほうが都合がいい。けど、死んで欲しくはなかったな」
「おい、まだ死んだと決まったわけじゃないだろ」
「それより。よくも私の手ェ踏んでくれたな」
「ゴメンゴメン、反射的にね。でもアレはあんたが悪いよ。……でさ」
「うむ」
 藍が頷く。椛と藍は同じことを考えていた。
「今日ここに黒谷が現れるっていうタレコミ。このソースはまったくの不明だ。だから」
 だから。

「だから――」
 地底に向かう竪鉱を落ちながら、ヤマメは思った。
 周辺の闇は、鬼か無か。区別がつかない。しかし相手の数は多い。圧倒的に。
 たった一人で、鬼の勢力を眼下にしながら、ヤマメは思った。
「だから。地上に情報を流し、私をこうして包囲させた密告者は――地上の者ではないかもしれない」
 どん、とヤマメの胸に、腹に、右腕に闇が突き刺さった。
 じわりと血がにじみ、筋組織が破壊される。
 それでもヤマメは考えていた。まるで、まるでそう。
「密告者は。地底の者だろう。そして私のことを知っていたのは……」
 体の痛みなど、この心の痛みに比べればなんてことないとでも言うかのように。

「仲間のなかに、裏切り者がいる――?」

 闇が蠢く。鬼の輪郭が垣間見える。
 敵は巨大。
 黒谷 ヤマメはちっぽけだ。
 眼下の地底ははるかに遠く、ヤマメの視界は失血で霞む。
 再び衝撃が響いて、身体と心が内と外から打ちのめされていった。


********************

[パルスィと凋落]

ruined bridge.



 同時刻。
 パルスィは旧地獄街道を走っていた。
 手の中でスペルカードがちりちりと焼け焦げる。それをもって彼女は、自らの橋姫としての役割がいよいよ形骸化したことを感じた。
「どうやら、ヤマメは成功したみたいね」
 境界。その間に存在する断絶。落差。ポテンシャル。それこそがパルスィの権力の源泉だった。彼女のスペルカード、彼女の個性。それらは橋姫としての来歴に起因する。境界がなくなった今、パルスィは改めて自らが橋姫であることを証明しなければならなくなった。さもなくば、いずれ彼女は消えうせてしまうだろう。あるいは由来の知れない道祖神にでもなるのかもしれないが、いずれにせよ彼女が独立を再び勝ち取る戦場はここにあった。
「しかし、私一人にこの数は多すぎじゃない?」
 呆れ顔、半笑いで街道を埋め尽くす影を数える。百や二百では効かない。パルスィの確保は体制側にも大命題であることが伺えた。ほんの数分前までならばいざ知らず、手持ちの弱体化したスペルカードで切り抜けるには、いささか難局過ぎた。
 煉瓦造りの酒蔵を背後に、単身。
 追い詰められる。
 どうにか足で逃げ切ることを考えていたが、いささか甘かったようだ。土地勘と現地住民の助けを最大限に活用したが……相手は影そのものである。行く先行く先に回り込まれ、ついにデッドエンドに至っていた。
 白紙に、無造作に黒のマーカーを引きまくったかのような包囲網。影の鬼の輪郭は、どの方向から見ても線と円だけで構成されている。その鳥篭のような線がわきわきとへし曲がり、くしゃくしゃに折りたたまれて、ひと一人が通れる道が出来上がる。
 影をくぐって現れたのは誰であろう、星熊 勇儀本人だった。
「よーパルスィ。探したぞ。一年間も、よくぞ私から逃げ回ったもんだ。つい最近は……岩に隠れとったのか?」
「久しぶりね。けど遅かったわ。今更私を拘束しても意味はない。既に盟約は破棄されている」
「そうなんだよなーっ。本当に面倒くさい……」
 勇儀は実にうざったそうな声で天を仰いだ。
「面倒なら、さっさと政権を放棄しなさいな。あんたの"55年体制"には、もう付き合ってられないわ」
「冗談よせやい。そら、こいつを連行しろ。抵抗したら殴ってもいいぞ。でも殺すな」
 パルスィがやや意表を突かれる。この場で裁判にかけられ、処刑されるものだと思っていた。スペルカード主義者の徹底弾圧は星熊政権の基本的なポリシーだったはずだ。
「あんたのチカラは、まだ必要だからね」
 パルスィは笑い飛ばした。今のパルスィに、そこまでのチカラは残っていない。ならば求めているものは他にあるということだ。
「鬼が嘘つくようになったら、オシマイよ――勇儀ッ!」
「連れてけ」
 パルスィの両腕が影に挟まれる。連行されながらも、パルスィはしっかりと胸を張って歩いていた。
 道の端に、地底の民が集まっている。
 左様、ここは地底の中心だ。

 逆境にあるはずの、窮地にあるはずの彼女が、なぜかくも美しく凛々しく在れるのか! 

 この内戦を引き起こした、張本人である橋姫。
 水橋 パルスィ。
 彼女は、最後の最後まで、自身の戦いを貫いたのだった。


********************

[燐と影]

ENTRY.



 やや時刻は遡る。
 この日も、燐と空は仕事をしていた。しかし、いつもと違うところがある。燐は外回りに出た足でそのまま帰宅し、空はたまたま、なし崩し的に残業に就いたため、二人の帰宅時間は大幅にずれていた。
 溶接棒で背中を掻きながら、空がため息をつく。
 明日から、久々に少し長めの休みを取る予定だった。最近なぜか燐とギクシャクしていたりもしたので、二人でゆっくり過ごすつもりだったのだが……。
「ごめんねー、他にできる人がいないんだよね」
 主管が申し訳なさそうに言った。残業の原因は機械の故障だ。かつて空と燐が改造し、生産性と引き換えに整備性に難の目立つようになった設備。異種材同士の、しかも奥まった場所での溶接になるので、上手く温度調節をしなければ完了までにやたら時間を食うことになる作業が、定期的に必要になる。
「いいですよ、私やります」
 背後に主管が立つ。作業を見届けて、手順を規格化するつもりなのだろう。それが上手くいけば熟練工は必要なくなる。手間も省ける。負担も減る。
 この職場にいるのも、あと少しかな。
 溶接用のアセチレンガスが運ばれてくるのを待ちながら、空はぼんやりそんなことを思った。望むところだ。燐も一緒なのだから。
 二人は、だいたい、いつもそうして。そういうタイミングで。職場を転々としながら、地底を巡っているのだった。

 そのころ。
 燐は取引先で折衝をしたあと、定時を過ぎているのを確認して、その日の仕事を終わりにした。その足で買い物へ行き、食材を買い込んで家に帰る。
 今日は少し良い酒を買ってきた。燐もまた空と過ごす休日を楽しみにしていた。荷物を降ろし、汗を流すべく風呂場へ向かう。
 ――狭いアパートだったが、すっかり二人の生活が染み付いた家。
 その周辺で、静かに影が濃さを増した。
 電柱の影に、ゴミ箱の後ろに、標識の裏に。
 どこにでもある、町の中に。
 鬼の軍団が、まるで染み出すようにして出現した。
 アパートを包囲する。ゆっくりと、音もなく階段を上る。
 やがてドアの前に達し、ヒトガタを象った影が頷きあう。
 指を立てて、カウントダウン。互いに連携の取れた動きで予備動作に入る。

 さん、に、いち――ゼロ。

 どん、と音を立てて、板金のドアが打ち破られた。エントリー。まさに影のような動きで室内に踏み込む。ぞろぞろと、大人数が動いているのにまるで音が立たないのが不気味だった。
 影がバスルームに到達する。シャワーの音が響く。まだ制圧対象は気づいていないのかもしれない。いずれにせよ間を置く必要はなかった。
 バスルームの窓は小さく、対象は着替える間もない。逃げ場も、抵抗する術もない。
 再びドアが蹴破られる。

 火焔猫 燐。
 真っ裸のまま、無防備な対象がそこにいた。


********************


 アセチレンガスのタンクがいつもより軽い気がした。
 怪訝に思うがしかし、空も良く知る会社の、仲の良い担当者が販売する品である。
 あとでその旨を聞いてみよう。そう思いながら、空はハンドルを捻った。
 瞬間、バルブが根元から弾け飛んだ――出口に繋がっていた、酸素ボトルのチューブを道連れに!
 掴んでいた左手の指が反対側に曲がる。内圧で走り出したボンベは一直線にボイラーに突っ込んだ。がつん、と音を立てて突き刺さり――その最中、爆発性のガスを周囲に撒き散らす。
 マズイ、と思うと同時に羽根を広げた。熱から、衝撃から、腐食から身を守る、空の黒羽。
 この間、僅かに一秒。
 大気と混じったアセチレンガスが未だ赤熱するコークスと接触したのは、その直後だった。

 後の調査で解ったことだが、その担当者というのも殺されていた。空と燐を分断したのも陰に潜む鬼たちの誘導があったからだった。
 この爆発で、建屋は全壊。
 背後に立っていた主管の死体は粉みじんになり、跡形も残らなかった。後に結婚指輪をはめた薬指だけが発見されたが、これは十五キロ離れた地底の天蓋に突き刺さっていたものである。
 

 霊烏路 空。
 最後に彼女の眼球が捉えたのは、青白い炎だった。


********************

[メガネと狼煙]

no one knows her name.



 同時刻。
 地霊殿に警報が鳴り響いた。 
 メガネの妖精がボールペンを止める。警報盤を一瞥し、アラームが点滅している正面玄関に内線を繋ごうと受話器を取って――衝撃により、これを取り落とした。
「なっ……」
 背後のガラスがビリビリと震える。ずん、ずずん、と爆発音と鈍い衝撃は連続した。執務机の上から写真立てが落ちる。それはかつて、空と燐、そしてメガネが三人揃って撮った、唯一の写真だった。
「爆発だ……正面玄関!」
 メガネは机の引き出しからすばやく装備を取り出した。総重量にして三十キログラムに及ぶそれを身に纏う。執務室のドアを開け放ち、さとりの部屋へと急いだ。ノックもせずドアを開け放つ。いない。そうだ、今日はさとりが食事当番。キッチンにいるはず。一階まで階段を駆け下りる。手すりを掴んで鋭角のターン。廊下をキッチンめがけ走り出すが、その行く手で何度目かの爆発が起こった。
「…………ッ!」
 とっさに顔面をかばう。腕に、胸に、足に石礫が当り、爆発物が撒き散らす釘が深々と肘に刺さった。
 メガネは確信する。
 これは事故ではない。
 何者かの攻撃だ。
 崩れた壁から影が飛び込んでくる。メガネは瞬時に鬼と見抜いた。星熊 勇儀の使役する暗殺部隊。
 節ばり、ささくれ立つ歪な腕がメガネに伸びる。直後、横から飛んできた角材が影の真ん丸なアタマを叩き潰した。周辺にいた影も次々と、振り下ろされる角材の雨でフルボッコにされる。
「私はいい、さとり様を!」
 ゲバ棒で武装し駆けつけたのは地霊殿に住む妖精たちだった。爆発音は既に止んでいる。守備隊は不意打ちをどうにか撃退し、体勢を立て直しつつあった。あちこちを伝令役が走り回り、警戒線を張り巡らせる。
 
 勇儀の使役する鬼たち。
 個々の持つ殺傷力は確かに高いが、その本質は警察力のそれである。
 一方地霊殿は小規模かつ非力ではあるが、性質は軍隊のそれに近い。
 警察 対 軍隊。
 地霊殿が奇襲を凌ぎきった背景には、このような組織力の差があった。

 メガネが肘に刺さった釘を引っこ抜く。ぬめった透明の液体が垂れた。どうにか関節は曲がる。改めてさとりを探した。
 地霊殿、四階。テラス。
 さとりはそこにいた。
 見晴らしの良い場所に、逃げも隠れもせず。
「さとり様。相手は迫撃砲を持っているかもしれません。ここは危険だ」
「…………」
「さとり様?」
 メガネがその顔を恐る恐る覗き込む。
 さとりは無表情のまま、静かに涙を流していた。
 眼下の庭は、ほんの数分前まで色取り取りのバラが咲き誇る豊かな庭園だった。
 今は、気付く間もなく吹き飛ばされた地霊殿の住人と、初期対応に参加して殺された妖精、そして撃退された鬼の血で赤一色に染まっていた。
 視線を移す。鬼たちは地霊殿本社ビルの正面、二〇〇メートルほどに位置する地霊殿第一工廠所を占拠し、そこに本陣を敷いていた。大規模兵員輸送車両が三台、コの字型に道を塞ぎ、その向こうに移動指揮所として機能する通信車両があった。
 今の膠着は、ほんのスキマ時間に過ぎない。すぐに、いいや、今しも新たな襲撃が始まる。
「いったい、なにが目的なの」
 さとりが小さな声でそう言った。唇を噛む。あの鬼たちの心は読めない。アレは、正確には鬼という個体なのかどうかすら怪しい。機械や、猛獣。それこそ影そのものといったほうがしっくり来る。ゆえに目的が不明だった。星熊 勇儀からも声明がない。
 正面の門にバリケードが張られる。地下から武器が持ち出され、一触即発の構図が出来上がった。
「こうなったら、私が直接話をつけるしかないわね」
 さとりが手すりに足をかける。身を乗り出す。これをメガネが止めた。もはや、隠し立てはできなかった。

「さとり様。私はスペルカード主義者です」

 ぴたり、とさとりが止まる。下から覗きこめばスカートの中身が丸見えになろう姿勢のまま。
「この攻撃。鬼は本腰を入れて、地霊殿を弱体化させ、支配下に置くつもりなのでしょう。私一人を逮捕したいのなら、こんな大規模な作戦は必要ない。スペルカード主義者の抹殺。これは、今、ただの口実に過ぎない」
「……しかし、なぜ? いまさら地霊殿を」
「さとり様に、さらに白状しなければならないことがあります。空と燐も、スペルカード主義者です。私たちは反政府ゲリラの中核メンバーだ」
「……そして、黒谷 ヤマメも」
 さとりが、思考を読んだ。メガネは頷く。
「ヤマメは地上との条約を破棄しました。ゆえに星熊は、水橋パルスィと、そしてさとり様。両名の命を狙ったのです。再び、地底を閉ざされたセカイにするために。己自身が、独裁者となることで平和を取り戻そうとしている」
「ならば。あなた一人が出頭しても、どうこうなる問題ではないわね」
 股をこすりつけるように手すりに跨ったさとりがメガネを向いた。早まった真似はするな、と。地霊殿の一員として、決して見捨てたりはしないと。

 言わずとも、心を読まずとも。二人は通じ合っていた。

「しかしさとり様。私は行きます」
「……!?」
「こうなった責任は私にある。せめて、散らばった戦力を纏め上げ、星熊に対抗する軍備を整えるだけの時間は稼ぎます」
「待ちなさい!」
「おさらばです。さとり様」
 メガネの妖精はふわりと飛んだ。追いかけようとするさとりに白い霊魂が纏わりつき、押しとどめる。はじめてスペルカードを効果的に使えた、とメガネは思った。
 庭に下りる。
 ゆっくりと歩む。
 足元に死体があった。
 昨日まで、一緒に泣いたり笑ったりしていた仲間だった。
 バリケードをくぐる。
 道を塞いでいた装甲車両が、ごう、とエンジン音を立てその場をどいた。正面ゲートで首にかけていたIDカードを外し、置き去りにしていった。それは彼女が地霊殿の一員であることを示す証明。電子ロックされていた正面ゲートが地霊殿第一工廠統括責任者を迎え入れた。
 ゲートが開く。
 メガネが歩み入る。
 敵陣の、腹の中へ。
 
「責任者と話がしたい。私はスペルカード主義者であり、黒谷と同列の、地底解放戦線の幹部だ」
 凛とした声で言い放つ。黒い影たちは、まるでクモの巣のように絡み合っている。その一つ一つが寄り集まった結節点が出現する。それはノードだった。ハブだった。主体なき鬼たちの中継地点。上級指揮系統の中枢。
 星熊 勇儀の声だけが響く。影越しにメガネを見下ろしていた。
「おまえは?」
「ルームサービス」
 巨大な、勢力。
 その中央で、メガネは腹に巻いた爆弾の起爆スイッチを押し込んだ。

 桐ダイナマイト――三号、あかつきの混合成型。
 総重量、三十キログラム。
 ジニトロレゾルシン鉛と硬アルミニウム電線で構成されたMS六段発電気雷管は爆薬を確実に、無駄なく、そして容赦なく起爆した。
 二百メートル先、地霊殿の防弾ガラスが割れる。
 クレーターとともに、鬼の勢力は、一瞬で壊滅した。

 メガネの妖精。
 彼女は後に、ゾンビフェアリーと呼ばれることになる。
 その弾幕の特徴は、執拗な撃ち返し弾。
 自爆前提の、弾幕なのであった。

東方という養豚場に群れるBUTAどもが有象無象の二次創作というホルモン剤まみれのエサをブヒブヒ食いあさっている様子には吐き気がする!
諸君!檻をぶち破れ!BUTAから野生へ回帰するのだ!抜かれた牙を取り戻せ!たとえ人知れず朽ち果てようとも、銃弾に倒れて牡丹になろうとも!

前作を見せたとき、親友が自分にくれた言葉です。
稀有なヤツだろ。羨ましいだろうが、やらんぞ。
保冷剤
nekonohime19@yahoo.co.jp
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1.100桜田ぴよこ削除
専門用語が出てくる時わかるものがいっこも無いんですが、それでも面白い。
2.100名前が無い程度の能力削除
サランラップを触媒にするという発想に、笑う前に素直に感心しました。
3.100パレット削除
 霊夢さんの出番が足りないので3を読みに行きます
4.100名前が無い程度の能力削除
あ、ああ……あぁ……あ? あ。あぁ…………ああ。
じゃ、オラ3行ってくるだ
5.100名前が正体不明である程度の能力削除
次だね次。
9.100名前が無い程度の能力削除
ブヒヒヒ。面白いです。
12.100過剰削除
やっべぇ話が難しくてついていけない
なのに文句無しに面白いのは合間に入るパロネタや格好良すぎる台詞回しだけじゃないはずだ

メガネ妖精に敬礼
15.100S.Kawamura削除
 この話どう終わらせるんだろ…。何とでもできる気がするけど、野性的な終わらせ方がどういう風な終わらせ方なのか、
次の170KBに期待です。鬼がこういう行動にでるのは当たり前だよなぁ…。どうするお空。ニヤニヤする。
後書きという名の挑戦状を読んだら、もっとそれが抑えられなくなりました。でも、保冷剤さんの前作は読んでないので、
なにがBUTA野郎で何が野性的なのか私は実はよく知らない。


 ところで、保冷剤さんはwi-z garageさんの「30」という同人誌をご存知でしょうか。
その作品が展開する独特の雰囲気は、非常にこのssのそれと似ています。その雰囲気が私は大好きなので、
それがたまらなく嬉しい。
・銃や車が登場する現代的な世界観がある事
・シリアスとコメディの配分、その切り替えの違和感のなさ
・特に軍事について著しいけれども、全般にわたって詳細に辻褄が合わせられている固有名詞と背景設定
・アクション要素
・かっこいい台詞
・ちょっとセクシーなとこ
・東方のキャラ達がオンニャノコ♪じゃなくて漢(オトメ)なところ!

 ストーリーも細部にこしらえてある小ネタもまったく別物ですけれど、作品全体から受ける雰囲気が似ています。
もし保冷剤さんはこの「30」をご存じなく、このssを作り上げられたのなら、「30」を読んでみる事をお勧めします。
野生の猪が一頭、見つけられると思います。良いssをありがとう。
もし保冷剤さんがこの「30」を参考にしているのなら、それはとても嬉しいです!だって自分も大好きだからです。
やっぱり良いssをありがとう。
17.100名前が無い程度の能力削除
さあ最終章だ!
18.100名前が無い程度の能力削除
専門用語多すぎィ! 読者に理解させる気微塵もないだろコレ!
当たり前のように外の世界と繋がってるし! 実在の企業名まで出してるし!
作者がバーサーカーすぎて困るなこれは。書いてるとき、ホント楽しかったんだろうな。しかし残り280kbで終われるのか不安になってきた。妖怪の山に核施設が建設されるのは原作通りとして、地底側と外の世界はどこに落ち着くんだろうか。
シリアスシーンに挿入されるパロネタが白けてくるんだけど。自前のギャグならよかったのに。
乗り掛かった船です。最後まで付き合わせていただきます。
19.100名前が無い程度の能力削除
さとり様に同情したい。
22.100名前が無い程度の能力削除
野生化したくなった GIRLS♀NEXT♀DOOR!!!!
23.100名前が無い程度の能力削除
1に引き続き楽しい
さあ、次は3だ
25.100名前が無い程度の能力削除
スゴイ。

読んでるときは地霊殿めんばーかっけーとか感想考えてたけど、
終わってみると、スゲーとしかいえない。

あ、もみじ対ラプターが無理なら、にとり対零戦でも見てみたいです。

霊夢力ずくって、旧作でなにやったんや…
29.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷の住人にはCoin機のが有効じゃね
土人散らしにはうってつけよ、アレ
35.100名前が無い程度の能力削除
…え、東北?
それでこの知識…?