Coolier - 新生・東方創想話

わたしの知ってる猫のこと

2011/12/09 20:24:54
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 月夜だった。人里で買い物をして帰る途中、アリスは森の中で魔理沙を見つけた。魔理沙の家とは同じ森の中でも方向がちがうので、偶然行きあうのはめずらしかった。
 何だかごちゃごちゃと、生き物を相手に暴れているようだった。何をしているのかと声をかけた。

「いや猫」
「猫?」
「ああ、何。猫を捕まえたんだ。連れて帰って飼うぜ」
「猫。あんたが、猫を?」

 呆れてしまった。ひらたく言って、魔理沙に猫が飼えるとは思えない。
 魔理沙の家の中はそこらじゅうにどこから拾ってきたのかわからながらくたが散乱していて、それが日々増えつづけるうえ、掃除も片付けもしないから混乱はひろがるばかりであり、さながら中村うさぎ先生の家のようになっている。
 それに魔理沙自身の生活習慣がかなり適当で、研究に没頭して、食事を抜いたり徹夜したりすることがしょっちゅうだし、何かの拍子にふらりと出かけて、そのまま何週間も帰ってこないことがある。
 捕まえた猫とやらを見ると、野生の獣だけあってたくましそうではあったが、それでも魔理沙なんかに飼われてしまっては、すぐに逃げ出すか、もしくは死んでしまうだろうと考えた。とにかく、ペットを飼うのにお定まりの、餌やりだとかトイレの始末だとか、そういうことがたぶん魔理沙には、決定的にできない。
 一応、自立した暮らしを営んでいるとはいえ、ほんとうのところ魔理沙は自分自身の面倒もじゅうぶんにはみれていないのだ、とアリスは考えていた。
 だから、ちょっとは健康に気をつけて、ただでさえ少ない寿命をもっと縮めるようなまねはやめたがいいのに。
 気が気でない。
 アリスはため息をついて、猫だかなんだか知らないが、これは私がなんとかしなくては、と頭の中で結論づけた。

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ。あんたには無理よ。私によこしなさい」
「え? いや、だめだぜ。こいつは私が捕まえたんだ。いくらアリスにだって、譲ってやれないぜ」
「そういう問題じゃないっての」

 わーわーもみ合っていると、横の地面にぺたんとおしりをつけて座り込んでいた猫が、急に鳴き声をあげた。

「そーなのかー」

 めずらしい鳴き声だった。猫にしては体が大きくて、人型をしている猫だった。
 ショートボブの金髪にお札みたいな柄の赤いリボン、白いブラウスに黒いベストとスカートのツーピースを合わせていた。眼の色は赤く、その赤色と対比すると、服の黒色が闇のように見える。
 月夜に映える、とってもきれいな猫だった。猫は立ち上がると、直立して、両手(前足)を真横にひろげて、体全体で十字架のようなかたちになった。
 抵抗する魔理沙を何とか黙らせて、アリスは猫を連れて家に帰った。服を脱がせて、お風呂に入れてやって、体を拭いて髪の毛を乾かしてあげてご飯を食べさせた。めちゃくちゃにたくさん食べる猫だった。その夜から、猫といっしょに眠る生活がはじまった。







 アリスはもとより規則正しい生活を心がけているから、魔法使いとしては例外的に早く起きるほうだが、猫はそれ以上に早起きだった。朝陽がのぼるとすぐに、おなかすいたー、ごはんくれー、と枕元で騒ぎはじめた。
 無視していると、アリスのほっぺたをぺちぺち叩く。手のひらの柔らかい部分で叩くので、痛くはないが、うっとおしいし、そのうち爪を立ててくるんじゃないかと思うと、怖くて寝てられない。
 それでも意地をはって、アリスは目をつぶって無視し、ベッドの布団を頭までかぶった。すると猫が、もぞもぞとアリスの布団に入ってきた。
 それほど広くもないベッドの中で、覚醒途中のアリスの体温の高い体に身をぴったりと寄せ、おさえつけて、顔をぺろぺろと舐める。口、鼻、頬、閉じているまぶたも、どこもかしこもまんべんなく舐めるので、べたべたになってしまった。

「ああ、もう。降参、降参」

 アリスはやっと起きだして、朝ごはんをつくりはじめた。

 オムレツとクロワッサン、グリーンリーフとトマトとベーコンのサラダに、コーヒーをつけたもの。アリスとしては、少し重めの朝食だ。いつもはもっと軽くて、水とパンだけ、ということが多い。
 猫は出されたものを、すぐにぺろりと平らげて、もっとほしい、というような目をしてアリスを見つめた。

「よく食べる猫ねえ。美味しかった?」
「うん。ありがとう」
「よしよし。パンはそこにあるから食べててね。もう少し卵を焼いてあげましょう」

 昨夜もそうだったが、猫の鳴き声が人の言葉のように聞こえる。猫と会話をしてるなんて、まるで自分はひとり暮らしのさびしいOLさんのようだな、と考えてアリスは苦笑した。
 卵を焼き終えて食卓に戻ると、食い散らかされたパンのかけらだけを残して、猫はいなくなっていた。
 あれ、どこに行ったのかな、とあたりを見回して、食卓の下などを探したけれど、姿は見えなかった。一日目の朝にして家出だろうか、これでは私はさみしいOLさん以下で、マリモくらいしか飼う資格がないんじゃないだろうか。
 ねこー、ねこー、とかぼそい声で呼びかけていると、じょっぱーと水を流す音を立てて、トイレから猫が出てきた。アリスはほっとした。

「ああ、トイレにいたのね。よかった。いなくなったんじゃないかと思ったわ。ちゃんと拭いた?」
「ぬかりなく」
「卵焼けたから、まだ食べるつもりならおあがんなさい。それとね、大事なことを忘れていたわ」
「もぐもぐぱくぱく」
「あなたに名前をつけなきゃね。ねこー、ねこー、では、字面がかわいくて萌えるけど、不便だものね」

 アリスはじっと猫を見つめた。目を細めてうまそうに卵を食べている猫はとてもかわいらしかった。
 名前は大切なものだから、注意して、その個体をちゃんと表すような、ぴったりくる名前を考えてやらなければならない。猫のくせに赤いタイまでつけた洋服を着ているから、洋風の、カタカナの名前をつけてやろうと思った。

「うーん……ラ行っぽい顔をしている……」
「もぐもぐもぐ……ルー」
「ルー? ルー……ルー……」
「ルーミ」
「うん。そうね。決まったわ。あなたの名前は、ダルシムよ」
「そうなのかー」

 ヨガファイヤー、と猫が鳴いた気がしたが、気のせいだった。







 猫の飼い方について、電話して藍に尋ねると「できるだけ贅沢をさせてやれ。猫とはそういうものだ」とのことだった。
 実際、藍は橙を飼っていたとき(現在は別居中)、毎月のようにクール宅急便でメバル、カレイ、キス、ウマヅラハギ、アジなどを取り寄せては、手ずから薄造りにして食べさせていたという。
 橙の大好物はエビで、これはたまたま気まぐれを起こした紫が、甘エビの刺身をあげてみた。すると橙はウッ、とか、ニッ、とか、息を呑むような叫びをふた声もらし、全身の毛を軽く逆立てて、ひょいと四肢をそろえて体を縮めてから床の皿の上の甘エビに跳びかかり、クニュクニュ噛む音をさせながらあっという間に食べてしまった。
 そのあと、ぴょーんとテーブルに跳び乗って、残りの甘エビの皿を見つめ、にゃーあー、とねだるように鳴く。
 藍と紫は顔を見合わせて、

 えっと、そういえば、私は甘エビってそんなに好きじゃなかったんだわ。
 そうですね、私も実はそんなに。
 そうよね、少なくとも橙のようには好きじゃないってことはたしかね。
 甘エビは身の部分よりむしろ頭の殻に入っているミソのほうがおいしいって、通は言うらしいですしね。
 そうよそうなのよ。

 てな会話をして、けっきょく、橙に甘エビをぜんぶ食べさせてしまった、ということがあった。
 エビって猫には毒なんじゃなかったっけ、と尋ねると、常識はずれに大量に与えなければまず大丈夫、だそうだ。今朝の朝食で、自分が与えたものは安全だったかな、と気になって、朝食の献立とその際の猫の様子を藍に伝えると、藍はうーん? と言ったきり、困惑したように黙ってしまった。



 電話を切って、アリスはダルシムを見つめた。ダルシムはご飯を食べたあと、ソファで気持ちよさそうに眠っていた。

「にゃん。にゃん、にゃんにゃーん」

 猫語で話しかけてみても、返事はない。あお向けに寝ているから、猫のくせにお腹をまる出しにして無防備にさらしている。
 手のひらで触ってみると、朝食をたくさん食べたので、いくぶんぽっこりしているようだった。そのままお腹をなでていると、ンニ、ンニ、と寝ながらむにゃむにゃつぶやく。顔を見ると、舌を出して、口の周りを舐めまわしていた。夢の中でも、何か食べているんだろうか。
 洗濯機が音を出して、洗濯が終わったことを告げた。猫はひとまずそのままにしておいて、アリスは洗濯物の処理をはじめた。先ほどまで着ていた、猫の闇色の服が洗われて脱水されて、しわしわになっていた。
 猫は今、アリスの着替えのシャツいちまいを着ただけの格好だ。下着もないから、うっかり悪い寝相をすると、お腹だけでなく、なにもかもまる出しになってしまう。
 贅沢をさせてやること。猫とはそういうものだ、と藍は言っていた。食事はまたそのときに考えるとして、まずは服装からはじめようか。
 アリスは猫を起こして、いっしょに人里に出かけた。着るものがなかったので、しかたなく素裸にしてから毛布をかぶせて全身をくるんで、抱っこして運んでやった。猫は多少窮屈そうにしていたが、ここで暴れると自らのいいものを大公開してしまうと思ったからか、わりあいおとなしく抱かれていた。
 



「ただいまあー」
「はい、お疲れ様。よくお似合いよ」
「むむ」

 アリスの家に帰ってきたとたん、ダルシムは姿見に向かって自分の姿をうつし、くるくる回転していろんな角度での見え方をたしかめはじめた。もちろん、買ったお店で何度も入念にやったことだったが、いくらやってもじゅうぶんとはいえない。
 真剣な顔をして鏡をのぞく猫を、アリスはにやにやしながら眺めつづけた。

 黒い服に赤いアクセント、というのが猫としてはゆずれない服装上のこだわりなようで(白黒のエプロンドレスしか着ない魔理沙のようだ)、新しいものに着替えても、カラーリング自体は前のものと変わらなかった。
 ただ、黒一色の無地ではなくって、大小さまざまな丸の模様が灰色と銀色の粗い粒子で黒い布に印刷されている、手の込んだ柄のワンピースを買った。黒の中にぼんやりとした星があって、それが見る角度によってときどき光るような趣向で、黒一色よりも夜のように見える。裾のほうには丸だけでなく、名前はよくわからないが、何かの花の模様があったりもした。
 布自体はやわらかく、てろっとしていて、着心地がよかった。丈が短く、動くと下着が見えそうだったので、アリスはタイツを履かせることにした(色はやっぱり黒にした)。
 困ってしまったのがその下着で、猫はパンツも黒いものを要求したが、アリスは十年早い、と言って白地に赤い小さな水玉模様のパンツを無理やり履かせた。胸のほうは、少しふくらんでいて、まだ大丈夫かなとは思ったが、下手をすると服にぽつっとしたものが透けそうなので、ふんわりとした素材のシンプルなブラジャーを買ってあげた。猫は照れて嫌がったが、私も経験があるけど、つけないと擦れて痛くなるかもよ、と説得すると、神妙な顔をしていそいそとつけた。はじめてのブラということで、アリスはやはり白いものをつけてほしかったが、ここは猫の主張が勝って黒いブラになった。
 これで、外を歩くぶんには必要なものがそろった。時間をかけて選びもしたので、おおむね満足した。が、赤が足りない、と猫が言い出した。赤いアクセントがないと、闇の妖怪としては格好がつかない。
 猫のくせに生意気な、とアリスは思ったが、しかたがないので別のお店に行って、赤く光るきれいな石をはめこんだ、高級なネックレスを買ってあげた。
 細やかな草の模様の装飾がほどこされた金の土台に、大きくて赤い、猫自身の瞳に似た石がはめこまれているもので、あきらかに子ども用ではなく、大人の女性がつけるべきものだった。猫はさすがにちょっと遠慮し、いいの? とでも言いたげな顔をアリスに向けた。値段を見ると、それひとつで先ほど買った服のすべてを合わせたのと同じくらいだった。アリスとしても、冷静に考えて自分はアホなんじゃないかと思ったが、ひとたび、猫がそのネックレスをかけたところを見ると、まるで生まれた瞬間からそれをつけていたようにぴったりとはまっていて、このうえなく似合っていたので、あともどりできなくなってしまったのだった。

「いいの」
「ありがとう。すごくうれしい」

 猫は石を見ながら、うっとりと笑った。食べているときと同じくらい幸福そうな表情の上に、今まで見られなかった女っぽい色気が乗っかっていた。アリスはそれを見て、顔がでれっとするのをおさえきれなかった。

 というわけで、上から順に、赤いお札のようなリボン(これは、どんなにがんばっても外れないし、また髪を洗うときもなぜだか不思議に邪魔にならなかったから、そのままにしておいた)、黒に灰色の模様のワンピース、胸元に赤く光る石のネックレス、白地に赤い水玉のパンティー、黒いタイツ、うすい茶色をベースに黒いリボンの装飾のついた靴という格好になった。
 以前の服装ほどきっちりした感じはしないけど、闇を想起させるイメージはそのままに、女っぽさを加えた感じだ。
 アリスは興奮した。人形師の性か、可愛い女の子を着せ替えしたりしてプロデュースすることに、言い知れない歓びを覚えてしまうのだ。

「うひひひひ……」
「アリス、怖い」
「コワーイ」
「コワーイ」
「うるさいわよ、上海、蓬莱。……ダルシム」
「ん?」
「……なんでもない」

 猫がはじめて、自分の名前を呼んでくれたので、アリスはどきっとしてしまった。
 でも、怖いと言われたのだと思い直して、ごほんごほんと咳払いをしてごまかした。
 明日は、庭に椅子を出して、髪を切ってあげようかなと思った。







 ダルシムにはどんな髪型が似合うだろう? 今の肩までのボブもよく似合っているけれど、もっとすいたりして軽さを出すといいかもしれない。はたまた頭の上の方でひっつめて、バレリーナのようなシニヨンにすれば、昨日見た色っぽさにくわえて活動的な上品さがそなわりそうでもある。
 などなど考えていたら、うまく寝付けなくなってしまった。夜中に猫の寝顔をじっとながめて、構想を練るなどしていたら、朝寝坊してしまった。
 いつもよりも少し遅い時間に、アリスは歯を磨いて、顔を洗って、着替えた。ダルシムは昨日と同じ時間に目を覚ましていたみたいだけど、アリスを起こすことはせず、おとなしく朝食を待っていた。
 アリスはあわてて、おはよう、すぐにご飯つくるわ、遅くなっちゃってごめんね、と挨拶をした。

「んーん。大丈夫」
「ん? お腹、すいてない?」
「すいてる!」
「はい、美味しいの作るからね」

 昨日よりたっぷりと作った。急いでいたからあまり手のこんだものは作れなかったけど、猫はそのすべてを美味しそうにぱくぱくと平らげてくれる。うれしくなってしまった。
 自分の食事は軽くすませて、アリスは窓の外を見た。良い天気だった。椅子のひとつを玄関から外に出し、庭と森の境目の、花がたくさん咲いているあたりに位置を決めて落ち着けた。
 キンモクセイの花木がきれいにオレンジ色の花をつけており、心地よい甘い香りがただよっている。群生している青紫色のちいさなシオンや、鮮やかなピンク色の花魁草、黄色いツワブキを十月桜の大きな木が見下ろしていた。年に二回咲くこの桜を、アリスはひそかにこの庭の女王(クイーン)と呼んでいるのだったが、あまりに少女趣味なので誰にも言うことはなかった。
 花に囲まれた椅子の上に、猫をちょこんと座らせ、上から古くなったシーツをかける。姿見も引っ張り出してきて、お客様の前に置き、よく砥いだはさみをかまえれば、バーバー・アリスのできあがりだった。

「私、そんなに伸びてないよ」
「いいからいいから。任せなさい」
「むー」

 気がすすまないなあ、と言いつつも、猫はおとなしくしていた。
 アリスは猫の髪の毛をまずは注意深く指の間に通し、髪質を確かめた。分類すれば自分と同じ金髪だが、その実質は大きくちがう。アリスの髪の毛は金に白を混ぜて陽光で光らせたようなプラチナブロンドで、とても細く、まっすぐでやわらかい。猫のそれは、まっすぐなところは同じだったが、蜂蜜のような淡い赤黄色の、太くて丈夫な髪の毛だった。最上級の蜂蜜を天上から垂らして、極限まで細くした糸をそのまま固めて髪の毛にしたかのようで、舐めてみたら甘いんじゃないかと思うほどだ。
 やっぱり、切るのはもったいないかもしれない。ひっつめにしようと髪の毛を持ち上げたとき、突然、あたりが真っ暗闇になった。

 さっきまで午前中の明るい光の中にいたのに、いきなり何も見えなくなってしまった。アリスは混乱した。目がおかしくなったのか、と考えて手で目をこするが、何も変わらない。前方に手を伸ばすと、椅子に手が触れて、今までいた場所と同じ所にいるのはわかったが、座っていたはずの猫がいなくなっていた。
 ぱっ、と、スイッチをひねるように、光が戻ってきた。暗闇にいたのはほんの少しの間で、午前中の光はかわらずそこにあった。猫はいなかった。椅子の向こうの鏡に向かって、アリスは変な顔をしてみせた。どういうことなのか、頭が回りはじめる前に、後ろから首に手をかけられた。きゃっ、と声を出して、振り向く。猫が下から手を伸ばして、にやにや笑いながらアリスの首に触れていた。
 アリスは憤慨した。

「こらっ。あんたの悪戯ね」
「あはは」
「もう、危ないわよ。だめよこんなことしちゃ」

 はさみを持っているときに悪戯をすると、事故が起きて大変なことになりかねない……ということをとくとくと語ろうとしていたら、ダルシムが口を開いた。アリスを下から見上げながら、椅子に座って、と言う。

「え?」
「昨日は私が服を買ってもらったから、今日は私がアリスの髪を切ってあげる。おまかせなのだ」
「えええー?」

 ちょっと、予想しない展開になってしまった。昨日寝る前に考えていたのとは、真逆の方向だ。
 椅子に座って、シーツで肩から下をおおって、正面の姿見を見ていると、どんどん不安になってきた。藍でさえ、飼猫に髪を切ってもらった経験は、たぶんないと思う。
 家の中からんしょ、んしょ、と、ちょうどいいくらいの台を引っ張り出してきて、猫はその上に立ち、先ほどのお返しとばかりにアリスの髪を入念に指で梳いた。気持ちいいのか、うーとかおーとか言いながら、あまりにも長い時間そうしているので、アリスは恥ずかしくなってしまった。

「だ、大丈夫かしら。経験はあるの?」
「大丈夫だよ。ないよ。宵闇チョップ!」
「オゥフ!」

 首筋に強烈なチョップをくらって、アリスは気絶した。

「吐ッ」
「ドゥフフ」

 背中側から活を入れられて、アリスは意識を回復した。
 口の端から垂れる血を手で拭いながら、アリスは状況を確かめた。どうやらニコニコ動画で言えば、ちぇんちぇんミニ東方を一本視聴するほどの時間、眠っていたようだ。
 何するのよ、と文句を言おうとすると、猫がアリスの目の前の鏡を、にやにやしながら指し示している。
 アリスの髪の毛に、たくさん花が飾られていた。黄色い花、オレンジの花木。ピンク色の花魁草はその名の由来のごとく、白粉のような良い匂いをさせていた。左耳の上には、十月桜の小枝まであしらわれている。
 ほかにもコスモスや、サルビア、ゼラニウムに千日草、とにかく咲いている花をなんでもかんでも集めてきて、ところかまわず乗せていったようだ。
 まるで、生花の剣山みたいだ。アリスは思わず笑ってしまった。
 とりあえず、チョップのお返しとして蹴りをブチ込んだあと、猫の頭にも花を飾ってあげた。それから、色や配置を考えたり、ただ茎を髪の毛にさすだけではなく、編んで花冠を作ってみたり、いろいろなやり方を考えて、お互いを花まみれにしあって遊んだ。
 お昼ごはんを食べたあとも、つづきをやりたかったが、アリスはカレンダーをひとにらみすると、ちょっと申し訳なさそうに頭をかき、工房にこもってしまった。
 



 


 大きな作業机の上に千代紙を何枚もならべて、一枚ずつ模様を選びながら、ぺたぺたと人形の素体の上にたんねんに貼っていく。一昨日に人里で買ってきた千代紙で、紋や柄が豊かでとてもきらびやかだった。手にとって眺めるだけでもなんとなく楽しい。
 人形の素体自体は、いつもどおりの西洋人形をベースにしたものだ。材料に千代紙を使うことによって、和洋折衷の雰囲気になる。ちょっと試してみたかぎりだと、思いどおりのものになりそうだった。
 作業中、猫は邪魔をするんじゃないかと、少し心配していたけれど、おとなしく机のわきにしゃがみこんでいて、じっとアリスの手元を見つめている。何度も思ったけれど、野生のわりに行儀の良い猫だった。

「何してるの?」
「見てわからない? 人形を作ってるのよ」
「へえ。ずいぶん、きらきらした人形ね」
「いつもは、こんなふうにはしないんだけどね。実用性がないしね。私の人形は、家事や弾幕に使ったりするものだから。でも、これは特別なのよ」
「へえ」

 何で特別なの、とは、猫は訊かなかった。明らかに、誰かへあげる、贈り物の人形だと思ったからだ。

 その日の午後、アリスはずっと人形を作ってすごした。めずらしがって、猫もそれをずっと眺めていたけれど、夕陽が落ちるころには、さすがに飽きてしまっていったん家の外に出た。森は赤く薄暗く、影と夜の境目がはっきりしなくなるような時間だった。
 日が沈みきれば、西の空に宵の明星が輝く。この家に来てから、と猫は考えた。この家に来てから、ごはんをもらえるので、早起きをつづけたけれど、ほんとうは自分はいまくらいから活動するのだった。おなかがすいてきた。
 食料庫のなかみを考えると、よだれが垂れそうになったが、勝手に食べたら叱られるだろう。冷蔵庫の中もおんなじだ。自分で調達したほうが良いだろうか。いままで、ずっとそうしてきたように。
 アリスの作る料理はとても美味しくて、気に入っていたけれど、けれど自分がいちばん食べたいものは、きっといつまでたっても出してくれない。

 視界の隅に、動くものを見つけたような気がする。うさぎやりすなどの、小動物かもしれない。あるいは、何日か前に出会った魔法使いのような、人間が、この森にはまだいるのかもしれない。
 猫はふわりと浮き上がった。ちょうどその時に、

「ダルシムー」

 と、家の中から声をかけられた。
 いつの間にか、アリスの家には明かりが灯っていて、暗い森の中でそこだけがあたたかそうに見える。なんだか、おしりのあたりがむずむずした。けれど鼻のあたりもむずむずして、たぶん家のなかから、小麦粉や鶏肉や、あとあたためた牛乳なんかの、とろとろのおいしそうなにおいがしているからで、猫はよだれを垂らしながら家に駆け込んだ。



 その日と次の日、また次の日も、アリスはずっと人形を作ってすごした。けれど、人形はいっこうに完成しなかった。
 いつもこれくらい長い時間をかけるのかな、と猫は思ったが、一度貼った千代紙をていねいに素体から剥がし、首をかしげながら、先ほどとほとんど変わらないようなところに位置を決め、改めて貼っては、また数分後には剥がしてしまう、といったことを繰り返しているアリスを見ると、これはうまくいっていないんだな、と思わざるを得なかった。

「うまくいかないの?」
「ん? んー」
「どう貼っても、そんなに変わらないんじゃない」
「失礼な。……そうかも知れないけど、でも私はやるしかないのよ。そういうものなの」
「アリスは器用なのに、なんでそんなに貼りまちがえるの?」
「……まちがえてるわけじゃないのよ」

 あのね、と一度言葉を切ってから、アリスはつづけた。

「頭の中にあることを、実際に形にする過程では、とてもさまざまなことが起きるのよ。思い描いていたことがそのままきちんと現実化することもあるし、どうにもずれてしまって、うまくいかないこともあるし。そのずれだって、まったくなにもかも、根底からずれてしまっていることもあれば、何か非常に微妙な、線一本くらいのずれであることもある。
 でも、ずれているだけならそんなに怖くない。それは理屈で片付くことで、やり直しが効くからね。ただ、私が困ってしまうのは――まれに、構想段階ではまったくちっとも頭の片隅にも生まれなかった、思ってもみなかった変なことが、実作段階でいきなり生まれてしまうことがある。
 この、思ってもみなかったこと、というのがわりと重要でね。もちろん、私の最終的な目標は完全な自律人形を作ることだけど、それとはまた別でね、その思ってもみなかったことが生まれたときの、なんとも言えない感覚と、どうにかしてそれにおさまりをつけようとする悪戦苦闘が、私の人形創作者としての、ええと、きわめて大事なよろこびのひとつになっていると、まあ、そういうわけなのよ」

 アリスはたんたんと言ったけれど、やっぱり、猫にはわからなかったし、どうでもいいんじゃないかなあと思ってしまうのだった。
 アリスが遊んでくれないので、しかたなく猫は日々の大半を寝てすごした。ごはんはちゃんと出てくるので、とくに不満があるわけでもなかったけれど、それにしても、服を買いに行ったり、花を頭につけて遊んだりしたほうが楽しいはずだと思っていた。

 思っているうちに、昼と夜が何度も交互にすぎていった。そのうちアリスはお茶の時間を忘れるようになってしまった。しかたないので、猫が準備をして、淹れてあげた。

「はい、お茶」
「あら、ありがとう。……前から思ってたけど、あんたって器用な猫よね」
「えっへん」
「おいしい」

 棚の奥に隠しておいたはずの、とっておきの紅茶だった。上等の茶葉に、ふたつ入れた角砂糖で、疲れが優しく溶けていった。言ったとおり、美味しかった。
 アリスと同等とは言わないまでも、きちんとカップをあっためたり、時間を守って蒸らしたりしているようで、口当たりがよく、たとえば家人ではなくお客様に出すとしても、それほど失礼にはあたらないんじゃないかというくらい、正統的に味を引き出していた。
 これはもしや、仕込めば掃除や洗濯もこなすのではないだろうか。
 そう考えて、アリスは久しぶりに家の中を点検した。しばらくためっぱなしにしておいた洗濯物が山を作っており、部屋の隅々に埃があって小汚かった。台所には料理の洗い物が何枚も重ねられていて、変な時間に変なふうに寝たベッドのシーツも布団も乱れている。
 ため息をついた。これでは魔理沙のことを言えない。
 魔法使いとして大事なのは感情や衝動に流されず、最適に近いレベルのパフォーマンスを常に引き出せる状態に自分を保つことだ。体調管理は大事だ。弾幕はブレインだ。ちゃんと野菜も食べなさい。ああ、ほら、そっちのお肉焼けてるわよ。
 いつも、そのように言ってきたのではなかったか。人にするアドバイスを自分は守れていない。ああ、私はだめな女だ、X-ファイルで言うところのいつまでたってもカメラを持ち歩かないモルダーさんみたいだ、と落ち込みながら食料庫を開けると、わずかの食料を残してほとんどからっぽになっていた。あわてて冷蔵庫を見ると、こちらは完全にからっぽだった。
 逃げようとする猫の首根っこをひっつかまえる。

「こらーっ!」
「ごめーん」

 信じがたいけど、いつの間にかダルシムがほとんどを食べてしまったようだ。アリスにぶたれて、猫はべそをかいた。
 アリスはぽりぽりと頭をかいた。なんとなくおかしくなってしまった。よく食べる子なのはわかっていたんだから、叱ってもしかたない。まあ、人形制作にかまけて、あんまり遊んでやらなかったのも悪かった。
 ひさしぶりに、一緒に出かけよう。人里に出かけて、なくなった食料を買ってこよう。そう考えた。

「いいわ。じゃあ、出かけましょうか。Sweet Magicを踊ってくれました動画が好評だったから、臨時収入もあるし。ダルシムは何が食べたい?」
「人肉」
「それは、ちょっと」

 出かけた。いつの間にか紅葉も終わっていて、日に日に本格的な冬が近づいているようだった。雪が降ってくれば、人里にも行きにくくなる。猫のことを勘定に入れずとも、たくさん買い込んでおいたほうがいいかもしれない。
 帰る途中、また魔理沙に会った。魔理沙は今日は、図書館から本を強奪してきた帰りだった。

「よう。仲良くやってるみたいじゃないか」

 相変わらず生意気な顔をしている。寝不足と疲れで気持ちがゆるみがちだったが、アリスはつとめて沈着な態度を取り繕った。

「おかげさまでね。あんたもあいかわらず、盗賊稼業に精を出していると見える」
「借りてるだけさ。死ぬまでな。ときに猫、大丈夫か。アリスにいじめられてないか。特殊な性癖に辟易してないか?」
「あんたみたいな、きのこ依存症といっしょにしないでよ。このきのこ女。きのこ大好き魔理沙ちゃん」
「きのこを馬鹿にするな。食料から魔法の原材料まで、なんにでも使える完全従属栄養生物なんだぞ」
「きのこ(隠語)」
「おい……」

 仲良くおしゃべりしている魔女むすめふたりに注意を割きながら、ダルシムは月を見た。アリスと出会った晩が満月だったので、今夜は少し欠けた月だった。封印されている身とはいえ、まさか見習い魔女なんかに捕まるとは思わなかった。まあいいんだけど。
 猫のほんとうの名前は実はダルシムではなくって、ルーとかラーとかの、もっときれいな名前だった。月の光は猫を活発にさせる。女の子の猫なら、なおさらだ。
 猫はひさしぶりに、身体のまわりに闇を出してみた。猫が操る闇はそんじょそこらの闇とはちがう、光を通さない完全な闇で、たとえ松明を持っていても、この中では役に立たない。質量のある暗闇を布みたいにかぶっている感じで、ダルシムはほんとうはこの中がいちばん、落ち着くのだった。
 そのまま少しずつ、その場を離れた。魔法使いふたりは口論に夢中になっていて、気づかない。いつしか猫は森のいちばん高い木よりも高く、空に近いところまで浮き上がって、そこで闇を解除して月を見た。
 完全な丸い月もいいけれど、ちょっと欠けているのがやっぱり趣がある。今度スペルカードを作るときも、こういうふうなものがいいな、と思った。月はまるでバターのように黄色く、けれど、それと矛盾するようだけど、透明に、しごく穏やかに輝いていた。







 猫がいなくなってしまった。アリスは落ち込んだ。
 魔理沙とたあいもないののしり合いをしているうちに、いつの間にか消えてしまったのだ。ああ、やっぱり自分には、マリモくらいしか飼えないんじゃないだろうか。
 たくさん買い込んだ食料も、使いでがなくなってしまった。猫がいれば、一週間分くらいだけど、アリスひとりならふた月はもつ量だ。次の日、まわりの森を探しまわった。ダルシムがいた痕跡は、どこにも見当たらなかった。戻ってくるかな、と期待して、待っていたけれど、それから何日経っても、猫は帰ってこなかった。


 
 猫がいなくなった次の日に、アリスの人形は完成した。千代紙を貼り付ける作業はそれ以前に終わっていて、最後の詰めが残っているだけだったのだ。
 さて、しかしその最後の詰めがなんなのかというと、アリスにはなかなかわからなかった。それがわからないために、何日もむだにしてしまった。ほんとうなら、もっと前に作りあげて、発送しているべき人形だった。
 ダルシムを探しまわって、成果が得られず帰ってきたあとで、アリスは洗濯物を取り込んだ。買ってあげた服ではなく、猫がもともと着ていた服で、乾いたそれを壁に引っ掛けて吊るしたのを眺めているうちに、思いついたのだ。
 アリスは残った千代紙を折って、小さな人形のかたちを作った。それを大きな人形の胸元に差し入れると、まるで人形が、娘を抱いているような格好になった。
 きらびやかな千代紙のからだのなかに、また千代紙の子どもなので、見にくいし、もしかすると気づかないかもしれない。しかしアリスは、それがあるのとないのとでは大違いだと考えた。きっちりと、形が崩れないように梱包して、(株)ボーダー商事宅配便サービスに集配を依頼した。受け取りに来た橙に、送り先の住所や宛名を見られて、恥ずかしい思いをしたが、こちらのほうでも藍から聞いた橙の恥ずかしい過去を話していじめてやったので、わりと気が紛れた。







 夕立のような急な雨のあと、森は匂いを濃くし、むっとするようなかび臭さを家の中にまで忍び込ませる。
 つまらない一日だった。朝起きて、そわそわして落ち着かないので、音楽を聴いた。でもすぐに、レコードを止めてしまった。次に読書をして、料理をして、人形の数をかぞえて確認して、アルバムを引っ張り出して写真の整理をした。
 そういえば、猫の写真を撮っていなかったな、と考えた。射命丸にでも頼んで、きれいに撮ってもらっておけばよかった。
 自分の買ってやった服を着たまま、猫はいなくなってしまった。汚していないだろうか? かなり気になった。
 カレンダーを見る。猫がやってきた日と、いなくなった日にまるがつけてある。視線を少し下へずらすと、今日の日付にも、ちゃんとチェックがしてあった。
 朝から何も手につかないのは、今日がその日だったからで、つまり、先日送った人形が、今日の朝に宛先へ着いているはずだった。
 贈り物の人形には、ていねいに書いたメッセージカードをつけておいた。いろいろかんがみて、きちんと到着してさえいれば、すぐにこちらに連絡してくるだろうと思っていた。
 けれど夕立があがって、紅茶の匂いに雨と森のかびの匂いが混じる頃になっても、何も反応がない。とても不安な気持ちになった。
 猫がいれば、そわそわしている自分を見かねて、お茶を淹れてくれたかもしれない。でなければ、食べ物や服装についてのことや、ほかいろいろなことを、ふたりで行うことができて、時間が気にならなかったかもしれない。
 いらいらが止まらなくて、爪を噛んでしまいそうだった。こちらから連絡するのは、なんだか負けたような気がするので嫌だった。しかし、このままだと夜になっても眠れそうにないし、どきどきして不安なままで一日を終えてしまうのも、なんだかしゃくに触るし。
 一日じゅう、あらゆる言い訳を頭の中で考えたあと、アリスはついに観念して、家電話の子機を持ち上げ、短縮ダイヤルの#1を押した。ぷるると音がして、回線がつながった。



「……あ、もしもし。アリスですけど。……お母さん?
 まさかいきなり出るとは。うん、あのね。……何笑ってるの?
 ……うん、あの、その。お誕生日おめでとうございます。神綺様。
 神綺様がお生まれになったこの日を、私たち魔界生まれのものはほんとうに喜ばしく……あ、届きました?
 はい、今日到着で送りました。その……
 ……はい、はい。はい。うん、がんばりました。
 ありがとうございます。
 ……えへっ。
 うん、お母さんをモチーフにして……今までに、やったことのないやり方で……あ、あれはね、うん……娘を表現したつもりです。
 ……もう、そんなのじゃないったら……ないったらないったら、ないもん。
 ふん。そう、思ってたらいいじゃない。
 でも、意外。お母さんだったら、ついたらすぐこっちに電話を……え? 夢子姉さんが? ……そう……待ってればこっちから、ね……
 チクショウ。
 じゃ、切るわよ。え? うん、まだ予定は決まってないわ。また連絡……うん、します、します、しますってば。
 はい。それじゃあね。
 ほんとうにおめでとう、お母さん」



 コングラッチュレーション、と言いながらアリスは電話を切った。すると、とても静かになった。アリスはひとり暮らしなので、自分でうるさくしないかぎり何の音もしない家だが、それにしても今は静かで、屋根や壁、家具のひとつひとつに静寂が染みこんでいくような気がした。
 千代紙の娘に、お母さんは気づいてくれた。もちろん嬉しかったけど、いざ指摘されると、恥ずかしくて死にそうになってしまった。顔が真っ赤になって、火が出そうなほど熱くなっていた。洗面所に行って顔を洗って、洗っているうちにお風呂にも入りたくなってきた。いつも入る時間よりずいぶん早いけど、アリスは水をためて沸かして、湯船に体を沈めた。恥ずかしさとか、電話をする前に感じていたいらいらが、少しずつ体から出ていって、からっぽになっていく気がした。
 からっぽになると、内側に響く音が大きくなる。お風呂場の窓から外を見た。空に月があり、猫に会った日からだんだんに減っていった月が、今では新月に近くなっている。まるで真っ黒いこうもり傘が夜の星の中を転がっていくみたいで、アリスはそれを見て改めて猫のことを考えた。ふと、ダルシムという名前はもしかすると間違いではなかっただろうかという考えが頭に浮かんだ。
 あの猫は夜に生きている。黒い服は闇のようだし、金髪は蜂蜜のようでもあったけど、月のようにも見える。赤い瞳とタイはなんだろう? 色白だったし、月に住むうさぎみたいに色素が足りなかっただけかもしれない。
 ダルシムではない別の名前。たしか猫は、ルー、と言いかけていて、ルー、ルー、ルーミ……
 オメガ・ルガール……
 ガタッ、と物音がした。と同時に、電球が切れたのか、お風呂場は真っ暗になってしまった。

 新月で月の光もないので、お風呂場は真っ暗闇になった。アリスは困惑しながら、手探りで体をふき、タオルを体に巻きつけて、廊下に出た。廊下も真っ暗だった。
 停電だろうか。しかたなく、あまり得意でない光の魔術を使うことにした。手に魔力を集めて、ぶつぶつと呪文を紡ぎ、はじけさせて定常する灯りを作り出す。点かなかった。
 魔法は失敗していない。手のひらから明かりが生み出されているのはわかるのだが、それが外に出たはしから、闇に吸い込まれているみたいだった。結果として、アリスの目には何の光も届かず、何も見えない真っ暗闇のままだ。
 おそろしくなった。これは、襲撃だろうか。森に引きこもっておとなしく暮らしているただの人形師なんかを、誰が襲うというのだろう。また魔理沙の悪ふざけだろうか。ふだんの様子なら、こんな力の強い魔術をあいつが操れるとは思えないが、魔理沙とは不思議なところのある少女で、ここぞというときにのみわけのわからないミラクルを起こすファンタジスタである。ありえないとは言い切れなかった。
 いやでも、他に可能性があるのかも。いちばん嫌で、なおかつ蓋然性がある説明としては、自分が突然、視力を失ったということだった。周りが真っ暗なのではなく、自分の目が光を感知できていない。胸の底が冷えるような考えだった。
 しかしもうひとつ、ありえそうなことといえば……こういう悪戯には経験がある。それかもしれない、と思った。
 手探りで、食料庫のほうへ歩いて行った。ガタッという音はそちらから聞こえてきたようだったし、いるとすればそっちだろう、と思ったからだった。一歩一歩足を進めていくと、だんだん怖くなくなってきた。闇の中でも音が聞こえる。彼女がいるとすれば、何も見えなくっても、私にはわかる。そう考えることができた。食料庫の扉に手をかけた。
 さあ。捕まえてやろう。
 観音開きの扉を両手で引っ張ると――それにつられるようにして、霧が晴れるように、すーっと闇が引いていった。光が戻ってきて、海の底から浮かび上がったみたいな気持ちになった。食料庫のなかみがよく見えた。アリスの二ヶ月分の食料が、一ヶ月分くらいになっていた。
 

 猫がいた。黒い服を着た、赤い目の猫がまだそこにいて、アリスを見てびくっとした。逃げようかどうしようか、迷っているみたいだった。







 
ネタバレ:ダルシムは実は猫ではなく、闇を操る妖怪のルーミア
アン・シャーリー
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コメント



0.1420簡易評価
2.80奇声を発する程度の能力削除
>後書き
な、何だってー(棒
色々ツッコミたいですが面白かったです
3.90名前が無い程度の能力削除
マジかよ・・・信じられない
4.100名前が無い程度の能力削除
それは本当なのかキバヤシ!?

ヨガファイヤ! ジェノサイッカタッ!
6.90はふり削除
衝撃のオチ
いや……これは凄い(色々と)
8.100名前が無い程度の能力削除
これはひどいネタバレ
10.100名前が無い程度の能力削除
あのさぁ…
11.60桜田ぴよこ削除
ダルシムはヒキョウ
14.90名前が無い程度の能力削除
ダルシムタグに釣られて来たらツッコミ所はそれどころじゃなかったぜ…
手足が延びたりジェノサイドカタァしているルーミア想像しちまった、というか作者さんMUGEN好きでしょ?
16.100名前が正体不明である程度の能力削除
オチww
17.100名前が無い程度の能力削除
そうだったのかー、全く気付かなかった>後書き
18.100名前が無い程度の能力削除
ダルシムは関係ないだろ
19.100名前が無い程度の能力削除
面白い。
21.100名前が無い程度の能力削除
宵闇~シリーズといい、ルーアリが最近のジャスティスなのか…金髪美少女いいよね、僕も大好きだ!
あと魔理沙の部屋は中村うさぎ先生みたくブランド品まみれじゃないと思いますよ!
22.100名前が無い程度の能力削除
ヨガファイア猫である
23.90名前が無い程度の能力削除
ダルシムは全然わかないけど面白かった。
猫のるみゃるみゃした様子が最高。
アリスの世話焼きは良いものだ。
27.80名前が無い程度の能力削除
ネコミミが一番よく似合うのはルーミア。
これはゆずれん
28.80名前が無い程度の能力削除
そうだったのかー
30.90名前が無い程度の能力削除
アリスと猫の様子でにやにやしたけれどダルシムという単語が現れる度どんな顔をしていいのかわからなくなる。
33.100名前が無い程度の能力削除
私もこんなダルシム…いや、ルーミアを飼ってみたいです
色々と突っ込みどころ満載でしたが、二人で過ごす穏やかな時間が素敵でした
終わり方もとても好みです。あとがきも含めて
35.100名前が無い程度の能力削除
まさかルーミアだったとは。
36.100名前が無い程度の能力削除
描写がうまい。読んでて心地よかったです。
37.100名前が無い程度の能力削除
全部面白かったけど、
>「ぬかりなく」
>とりあえず、チョップのお返しとして蹴りをブチ込んだあと
この2つに特に吹いたw
38.100保冷剤削除
俺の知ってるねk……ルー……いやダr……。
俺の知ってる猫と違う。けどアリスは割と俺の知ってるアリスだった。ジョークのキレがヨガキック並みで誠に楽しい。というか少女を服飾してこれを可愛く描くって結構難易度高いだろうに、平然とやってのけるとは。コレはすごい。
え? 猫=ルーミア? そんなバカな。
45.100名前が無い程度の能力削除
>Sweet Magicを踊ってくれました動画が好評だったから、臨時収入もあるし。
マジで!?wwww
46.100とーなす削除
ルーミアと猫の親和性ってとても高いと思うのですよ。
シュールな世界観なのに、キャラがとても生き生きのびのびとしてて可愛い、とてもいいSSでした。
49.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
57.100名前が無い程度の能力削除
ルーミアとアリスが可愛いだけの作品でした。
しかしそれを支えるディティールの描き込みが素晴らしい!
58.90名前が無い程度の能力削除
ネコかわいい。まさかルーミアだったとは。
ネコとアリスとのやりとりとか、色々と素敵だけど、やっぱり最後の逃げようかどうしようか逡巡してる姿で幕引きっていう終わり方が素敵だった。
もっと読みたい。