Coolier - 新生・東方創想話

奇跡

2011/11/23 14:10:47
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ある長雨の日の出来事だった。
 空に浮かんだ黒い雲から鉛の様な雨が降り注いでいる。静かだがハッキリと聞こえるその雨音は、さながら泣いている女を連想させた。
 空気も冷え込んだそんな中に一つ、雨の中に黙々と進む影があった。
 影は降り注ぐ雨を、右手に持った大きなこうもり傘で防ぎ、文明から隔離されたこの世界にはおよそ似つかわしくない、青いビニールの雨合羽を服の上から羽織っていた。
 それは美しい面を持った少女だった。その半透明の雨合羽の下には自分の役職を示すかのように青と白でできた特徴的な巫女服をまとっている。
 少女の名前は東風谷早苗という。
 彼女はまだこの世界にやってきたばかりの新参であり、妖怪の山に居を構える新しい二人の神に仕える巫女だった。
 彼女は今朝から主に言いつけられていた人里での用事を終え、神社へと戻ろうと誰もいない道を一人で歩いていたところであった。

「はぁ……今日も雨か、毎日毎日、嫌になっちゃう……」

 溜息混じりに彼女は小さくぼやく。
 一歩一歩踏み出すごとに、ぐしゃぐしゃと足元に絡みつく冷たい泥の感触が、一人でいる孤独感以上に彼女の気分を暗くさせた。
 幻想郷はいま、梅雨の季節に入っていた。それ自体はなにも特別なことではない。だが、便利な外の世界に慣れ切っていた早苗にとって、閉ざされた幻想郷での長雨は、肉体的よりも精神的にきついものがあった。
 歩いている間にもどんよりとした空気と雨が次第に強くなり、まるで心まで暗く湿らせようと降り注ぐ。
 
「早く帰ろう。ご飯も作らないといけないし」

 暗い気持ちを少しでも払おうと、早苗が手に持った傘をくるりと回して大きな雨粒を落として足調を早めたその時、ふと道の端の方に何あるのに気がついた。
 何か棒の様な形のそれは濡れた草むらの中でじっと横たわっている。
 気になって近づいてみると、その正体は一本の古びた唐傘だと知れた。
 茄子を思わせるようなその濃い紫色の傘は、もう随分そこにあって久しいようだった。本体のあちこちで油や塗装はすっかり剥げ落ち、所々ある穴や裂け目のせいで傘の内部が見え隠れしている。明らかに壊れて捨てられた傘だった。
 しかし、何もかもが壊れているわけでもなかった。幸いな事に中の骨はほとんど壊れておらず、芯もしっかりとしているので、少し修繕すれば十分に傘として再び使う事ができそうだった。

「もったいないなぁ」

 こんなもったいない事をするのは一体誰だろう。
 早苗は捨てた人間にほんの少し怒りを感じながら、道端に捨てられていたその傘を拾いあげると、それを試しに開いてみた。
 開いていくごとにバリバリと紙同士に張り付いていた塗料が音を立てて剥がれていく。完全に開くと、幾つかの個所で張り付いた紙が剥がれてしまった。
 それでも傘の持っている鮮やかな色合い自体はそれほど失われてはいない。職人が丁寧に丁寧に色を塗り重ねていった結果だ。
 その証拠に柄の部分にも細やかで美しい模様が彫られており、傘の持ち主が元はどんな身分の人間だったのか一目で推し量れた。
 こんなに素晴らしい出来の唐傘は恐らくそうはないだろう。一流の職人が愛情と丹精を込めて作ったまぎれもない逸品だった。
 なのにそれが今、誰にも見られる事も無く、道端でゴミのように打ち捨てられている。

「かわいそう……」

 この傘を見ているうちに、不意に早苗の脳裏に、自らの暗い過去のビジョンがみがえってきた。
 
 子供の頃――生まれながらに持った不思議な力のせいで近所の子供達から疎まれ、気味悪がられ、避けられ続けた。
 学校でも周囲からも化け物のように扱われ、まともな目で見られることもすらなかった。
 満足に友達などできるはずもなく、優しく声をかけてくれる大人も、家族を除いては誰ひとりいない。
 最初は優しく接してくれていた家族も、段々と自分の事を厄介者の様な眼で見るようになった。優しい言葉をかけてくれなくなり、孤独感に苛まれて泣き続けた。
 やがて、生まれてきたことを恨むようになった。毎日声が枯れるまで泣いては、自分の生まれと力を呪った。そうしなければ、孤独と寂しさで正気を保っていられなかった。
 しかしそれにも限界があった。
 ある日、とうとう人生のなにもかもが嫌になって、死んでしまおうと決意した。もともと孤独と後悔ばかりの人生だ。何も躊躇う必要などなかった。
 自室の机に遺言の入った封筒を置き、神社の梁にロープを吊るして、いよいよ死のうとして―――

 早苗はそこで記憶を思い返すのをやめた。そのときのことは今でも考える事すら辛かった。
 暗い記憶を振り切るようにもう一度、目の前の傘を見つめた。
 この傘は昔の自分と同じだった。人から見捨てられ、誰からも避けられるようになり、遂にひとりぼっちになってしまった。
 こんなに寒い場所に誰にも見られずに佇むのはどんなに辛いだろう。
 こんなに寂しい所で一人ぼっちでいるのはどんなに悲しい事だろう。
 もう他人事ではいられない。この傘はまさに自分の過去の移し身であり、救わなければならない同類だった。

「あなたも一人ぼっちなんだ……」

 早苗はとても愛おしそうに胸に抱いた。まるで母親が優しく子供抱きしめるように。

「これで、あなたはもう一人ぼっちじゃない」

 もう一度、優しく傘の表面を撫でると、早苗は神社にむけて再び足を向けた。




 それから一時間ほど歩いただろうか。片腕と胸で傘を抱いたまま神社への道を歩いていると、

《あ、りが―――とう》

 どこからともなく、弱々しいささやきのような声が聞こえた。

「ん?」

 辺りを見渡したが、早苗のほかにはもちろん誰もおらず、周りは相変わらず雨の音しか聞こえない。
 だが確かに聞こえた。弱々しく、今にも消えてしまいそうな声で〝ありがとう〟と。

「まさか・・・・・・あなたなの?」

 早苗は直感的に、今まさに胸に抱いている唐傘に語りかけた。
 だが、胸に抱かれた紫色の傘は当然ながら何の反応も示さない。ただ沈黙のまま胸に抱かれているだけだ。

「気のせいなのかな?」

 早苗はしばらく首をひねっていたが、このまま考えてもいても仕方がないと思い直し、家路へと向かう速度を早めたのだった。




「おかえり、早苗。帰りが遅かったから心配したよ」

 早苗が神社に帰ってみると、玄関には思わぬ出迎えが待っていた。
 青い髪に朱色の着物――この神社に住まう神の一柱、八坂神奈子だった。
 彼女の手には大きめのタオルが握られていた。恐らく帰りの遅かった早苗の事を案じてのものだろう。
 タオルを受け取ると早苗は申し訳なさそうに言った。

「すみません神奈子様。少し雨がひどかったものですから……」
「雨で体を冷やすといけない。これで顔と体を拭いて、早く着替えておいで――」

 そこまで言った所で、彼女は早苗が持っている壊れた傘を不思議そうに見た。

「その傘はどうしたんだい?」
「これは――道端に捨ててあったのを拾って来たんです。少し直せば使えそうですし……それにこの傘、なんか放っておけなくて」

 神奈子は改めてその傘をじっと、まるで睨めつけるように凝視した。

「――なるほど。確かに少し直せば使えそうだ」
「そうですよね。こんなもったいない事をする人の気が知れません」

 にっこりと微笑む早苗だったが、神奈子は彼女に思いもつかない言葉をぶつけた。

「だけど、その傘はやめた方がいい。今すぐ元の場所へ戻してきなさい」
「……え?」

 一瞬、早苗には神奈子が何を言ってるのか理解できなかった。彼女なら喜んで賛同してくれると思っていたのに。
 なぜそんな事を言うのだろう。
 この傘の何がいけないのだろうか?
 頭の中をいろいろな考えが駆け巡ったが、結局早苗にはわからなかった。
 答えはすぐに神奈子の口から告げられた。

「はっきり言うと、その傘には何かがとり憑いている。恐らくはそれが原因で捨てられたんだろう。一目見ただけじゃ具体的にそれが何かはわからないけど、何かしらの災いを含んだものなのは間違いない――悪い事は言わないから、今すぐそれを元の場所に戻しておいで、それは早苗を不幸にするだけだ」

 愕然とした。
 なんということだろうか、この人は私にこの傘を見捨てろと言うのだ。この自分自身を写し取ったようなこの哀れな傘を。
 自分よりもずっと一人ぼっちで、ずっと悲しい目にあって来たこの傘を。
 そんな事はできない。何があってもそれだけはできなかった。
 早苗はギュッと傘を抱きしめた――もう何があっても離れないと言わんばかりに。
 そしてハッキリと神奈子を見据えると、首を横に振って言った。

「――嫌です」
「……なんだって?」

 蛇の様な神奈子の視線の先が早苗に向かって突き刺さる。彼女の口調そのものは穏やかだったが、その目は明らかに静かな怒りに満ちていた。
 それでも早苗は頑として譲らない。

「嫌です。と言ったんです」
「私の言う事がわからないのかい? それは早苗にきっと何かしらの災いをもたらす。そんな物をわざわざ持っている必要はない」
「だったらその災いも不幸も全部、私が背負います! 私がこの子の全てを受け入れます! だから、だから……だからこの傘を、そんなふうに見捨てないで下さいっ!」
 
 毅然と言い放つ早苗に流石の神奈子も気押されたようだった。
 さっきまでの気迫が少し薄れ、疑問の顔を作った。

「なぜ? どうしてそこまでその傘にこだわるんだい?」
「この傘は――私と同じなんです。捨てられて一人ぼっちのままで死んでいく……そんな事はこの子だって、きっと耐えられないだろうから……だから拾って来たんです。もうこれからは一人にならないように――この傘はあの時の私と同じなんですよ……」

 数秒の間、二人はじっとお互いを見つめ合った。
 そのまま終わらないのかとも思われたにらみ合いだったが、ついに神奈子の方が折れる形で決着がついた。

「はぁ……わかった。そこまでの覚悟があるなら、私はもう止めない」
「神奈子様!」
「その代わり」と付け加えて、毅然とした瞳が早苗を見つめる。「ちゃんとその傘としっかり向き合うんだよ。いい事も悪い事も早苗が全てを背負う。それが拾った者としての責任だ。いいね?」
「――はい!」

 にべもなかった。この同類を胸に抱いた時からその覚悟はすでにできていた。

「はぁ・・・まったく、その意地っ張りで譲らない性格は誰に似たんだか・・・・・・」

 小さくつぶやいてもう一度ため息をついた後、神奈子の視線がいつもの穏やかで優しいものに戻った。

「よし、じゃあひとまずそれを置いて夕餉にしよう。いま諏訪子が食事を作っているから。冷めないうちに食べてしまおう」
 
 うなずき、早苗はようやく玄関を上がった。




 それからいくらか時間は過ぎていき、時は深夜になったが、早苗は未だに寝つけずにいた。
 原因はもちろん、玄関の傘立てに現在置いてある、あの傘の事だ。
 〝憑き物〟とは一体なんなのだろう……
 その問いがずっと早苗の頭を支配していた。
 もしかしたら、あの時の声の主がその憑き物の声だったのだろうか? だとしたら、なぜ〝ありがとう〟なのだろう。
 本当に何か害を及ぼすような存在ならば、その人間に〝ありがとう〟とは言わないはずだ。
 ではいったいなんなのか?
 ぐるぐると巡り続ける疑問を早苗は両断するように頭を振って振り払う。
 それが何であろうと自分は誓ったのだ。なにがあってもあの傘だけは見捨てないと。
 答えはそれだけで十分だった。それ以上の事は必要なかった。
 いい加減に気持ちを切り替えて寝ようと思ったその矢先、ふと早苗は玄関口に奇妙な気配があるのに気がついた。
 最初は神奈子かもう一人の神である諏訪子のものだと思っていたが、どうも様子がおかしい。二人ならば当然持っていていいはずの神気が全くない。

「なんだろう……? もしかして妖怪!?」

 もしそうだったら大変だ。
 護身用の対魔札とスペルカードを何枚か机から引っ張りだして左手に持ち、早苗は恐る恐る玄関を目指す事にした。
 だが、早苗の心配とは反して、あっさりと玄関まで辿りつく事ができた。
 気配はまだ玄関のすぐ目の前にある。未だに動く様子はない。
 少し様子を見ていた早苗だったが、ようやく意を決して、玄関の引き戸に手をかけると、それを勢いよく開けた。
 
「きゃ!!」
 
 突然に戸が開いた事にかなり驚いたのか、気配の主は大声を上げてその場に尻もちをついてしまった。
 
「だ、大丈夫?」
「大丈夫……ってうわぁ!?」
 
 気配の主は早苗を見るや否や、慌ただしくぺこぺこと頭を下げて謝り始めた。

「ご、ごご、ごめんなさい! 勝手にこんな所まで入ってきちゃって、ホントにごめんなさい!」
「え、あ、いや、それもそうなんだけど・・・・・・」

 思いもよらない状況にいささか毒気を抜かれながらも、早苗は気配の主らしい目の前の少女をじっくりと眺めた。
 空色の髪と青いベストに赤と青色の色の違う二つの瞳、すらっとのびた素足には何とも古めかしい下駄履き。
 全てがちぐはぐな様だが、どこかしっくりと彼女に嵌っている。
 だがこの少女、長い間ずっと外にいたのか体中がずぶ濡れだった。元は鮮やかな色だったはずの髪や服も、雨水を吸いこんで今は見る影もなかった。
 当の彼女から何かを聞こうにも、気まずそうにあちこちに視線を泳がせているばかりでなにも語ろうとしない。
 なんと声をかけていいものか悩んだ末、早苗はひとまず家の中に入れようと考えた。

「とりあえず、そのままだと寒いよね? 家の中に入ろう。 乾いた服と何かあったかい飲み物でも出すから」

 早苗がそう言葉をかけると、しかし少女は何故か、ひどく悲しそうな眼を早苗と一瞬だけその後ろに向けたあと首を横に振った。

「大丈夫――もう行くつもりだったから」
 
 先ほどとは違って、強い視線を早苗へ向けて少女は言う。
 何かを断ち切る様に強く放った少女の言葉を、しかして早苗はあっさりと否定した。

「……嘘」
「え?」

 突拍子もない否定に、少女は驚いたように間の抜けた声を上げた。
 だが確かに早苗はそう感じた。彼女は確実に何かを隠していて、それは嘘をついていまで隠すほどの何かなのだと。
 
「嘘だよそんなの。あなた、さっきすごい悲しい目をしてたもの。とっても悲しそうで、つらそうな目。何かあるけど、どうすればいいのか分からないっていう目」
「…………」

 少女は沈黙した。その沈黙は雄弁な肯定だった。
 早苗は少女の心を解きほぐすようにその両手を強く、だが優しく握った。
 彼女の手は酷く冷たかった。まるで心をそうやって凍らせているかのように。
 それでも早苗は握り続ける。少しでも彼女の心を開かせようとして。
 ゆっくりと、相手の心に直接語りかけるように早苗は言う。
 
「お願い――あなたのこともっと詳しく聞かせて。私もあなたの為に何かしたいから……だから、あなたのこと、教えて」

 早苗の言葉を聞いた後も、青髪の少女はしばらく悩んだような目をしていたが、やがてこくりと首を振った。




 早苗はまず、少女を社宅の居間へと通した。外で濡れ鼠のままでは話も何もない。
 黙って廊下を歩く早苗の後を、少女はなにも言わずについてくる。
 先に居間へと入り、少し片付けをしてから、部屋の一角に座布団を敷いて少女を座らせた。
 なにも言わず座布団にちょこんと少女が座るのを見てから、

「ちょっと待ってて、いま拭くものと着替えの服を持ってくるから」

 そう告げて早苗は自室へと向かった。
 自分の服の入った箪笥の中から、もう着る事のなくなった自分の洋服の一式と乾いたバスタオルを手にとって、足早に居間へと引き返す。
 再び居間に入ると、少女は座布団の上にうつむいた表情で座っていた。早苗は彼女にタオルと洋服を手渡してから再び居間の戸に手をかける。

「着替え終わったら、呼んでね」

 少女が頷くのを確認してから早苗は部屋の外に出た。
 あの子は一体何に悩んでたんだろう……
 早苗は廊下にいる間、早苗はぼんやりとそんな事を考えていた。
 彼女がしていた目は間違いなく悩みと悲しみの目だった。けれども彼女は何かをずっと隠している。きっとそれが彼女にとっての悩みごとなのだ。
 何とかしてあげたいな……
 そう思っていると、今の中から〝もう大丈夫〟という声がかかり、早苗は中に戻った。
 中に入ると彼女はさっきと同じく、座布団の上にちょこんと座っていた。その横に自身の服は綺麗に畳まれ、今は早苗の私服のセーターとズボン穿いている。
 少女にとって早苗の洋服が珍しいのか、〝これあったかいね〟などと少し浮かれた声を出していたが、

「それじゃあ……あなたの事。聞かせて」

 早苗がそう言うと、少女は再び黙り、しばらくして意を決したように話し始めた。




 それから交された幾つかの会話で、早苗は目の前の少女が何者なのかを少しずつ知っていった。
 彼女は多々良小傘という名前の妖怪で、どうやら彼女こそが、早苗が拾った傘に宿っていた憑き物のようだった。
 彼女はいつも傘と一緒に夜な夜な人里の近くに化けて現れては、通りがかった人や傘を拾った人を驚かせているらしい。あの道に傘が置いてあったのも、いつものように誰かに待って驚かせるのが目的だったそうだ。
 話を一通り聞いたあと、早苗は首を捻りながらこう訊ねた。
 
「それで、どうしてあなたはあんな所に居たの?」

 そう。早苗の疑問はそこに尽きた。
 彼女は人を驚かす存在だ。ともすれば早苗達を驚かすために家に中で化けて出るくらいの事をしてもおかしくはない。
 だが、彼女はそうするどころか、雨の当たる外でずっと立っていただけだった。早苗を驚かすわけでも、他の妖怪のように人を襲うわけでもなく。ずっとそこで突っ立っていた。
 理由を聞かれて躊躇う様にしていた小傘だったが、ゆっくりと口を開いた。

「あの子に、お別れを言おうと思って……」
「あの子って……あの傘に?」

 黙ったままこくりと小傘は頷く。その行為がますます早苗を混乱させた。

「どうして? あなたは私を驚かすのが目的じゃなかったの?」
「最初はそのつもりだった……勝手な理由で物を捨てる人間なんてみんな大っきらいで、そんな人間にいつか仕返ししてやろうと思って、捨てられてたあの子と一緒になったの……でも、あなたはあの子を見捨てなかった。捨てるどころか、優しく抱きしめてくれて、撫でてくれて、何があっても自分が背負ってくれる。そんな事まで言ってくれた。早苗はあの子を助けてくれたの。あの子は早苗に感謝してたわ。『ありがとう』って何度も言ってた」
「じゃあ、やっぱりあの声は――」
「あの傘の声」
「やっぱりそうだったんだ……」
「私もこれからあの子が幸せになれると思うと嬉しかった。早苗はきっとあの子をすごく大切にしてくれる。だから、もうあの子が私と一緒にいる必要なんかない。だってあの子はもう幸せになれるんだから」

 小傘の話に早苗は納得した。
 だがここまで聞いて肝心なことが一つすっぽりと抜けている事に気がついた。

「――じゃあ、あなたはどうするの?」

 そう尋ねると小傘は少し顔を暗くさせ、

「私は……元々あの傘に取り憑いてただけの幽霊だから……もういいの。あの子が幸せになるだけで、それで満足だから」

 と言って小傘は静かに弱く笑った。
 それが悲しい微笑みである事は誰が見ても明らかだった。
 間違ってる。
 彼女の翳のある微笑みを見た瞬間、早苗はそう思った。

「間違ってるよそんな事! だってそれじゃああなたはなにも救われない。 また一人ぼっちに戻っちゃうんだよ! それの何がいいっていうの!」
「じゃあどうしろって言うのよ! 私は今のあの子にとっては邪魔者でしかないんだから! だったら出ていくしかないじゃない!」

 気がついたら早苗は彼女の身体を抱きしめていた。彼女の身体は小さく、子供のようだった。

「そんな悲しいこと言わないで……あの傘だって、あなたが居なくなったらきっと寂しいよ」
「じゃあ……どうすればいいのよ……だって、私は憑き物の妖怪で、邪魔者で……」

 その言葉をきっかけにするように、小傘は肩を震わせて早苗の胸の中でぽろぽろと泣き出した。

「嫌……もう一人は嫌……もう耐えられない。だけど、私が一緒ならあの子はきっとまた捨てられる……その方がよっぽど辛い……」
「今のままでいいんだよ。あなたとあの子は私が拾ったの。もう誰にも酷い目にあわせたりはしないし、もう寂しい思いもさせない。だから出ていかなくていい。今のままのあなたでいいんだよ……」
「……本当に?」
「うん」
 
 やがて小傘は今まで溜めこんでいた感情を吐き出すかのように早苗の胸の中でぐしゃぐしゃになるまで泣き続けた。その間も早苗はなにも言わず、ただ小傘の事を抱きしめていた。




 やがて小傘は泣き疲れてしまったのか、早苗の胸の中ですやすやと寝息を立て始めていた。
 まだ少し雨水に湿っている髪を撫でていると、居間の戸がスッと開いて、女性が一人奥から現れた。

「決着はついたかい?」
「神奈子様……」

 そこに居たのは神奈子だった。もう満足か? と言わんばかりの顔つきで小傘の方を見ている。恐らくは今までのやり取りは全て承知の上なのだろう。

「その子がそうなんだろう? 傘から出ていた気配と同じだ」
「はい」
「それで――早苗はその子をどうするんだい?」

 試すような、はたまた答えを促すような言葉と視線が早苗へと向けられる。

「私は――どんな事があっても、絶対にこの子とあの傘を見捨てません。絶対に」
「そうかい」ふっ、と神奈子が微笑んだ。「なら、それは早苗のものだ。誰のものでもない。早苗だけのものだ。喜びも悲しみも、すべてをひっくるめて、これからは早苗が面倒みていくんだ。あの時、早苗の命を私が拾ったように――分かったね?」

 それはかつて自分が目の前の女神に言われた事と同じだった。
 かつて神社で自分が死のうとした時、目の前に神奈子が現れてこう言った。
〝お前がその命を捨てると言うなら、お前の命は私が拾おう。責任をもって私がお前を幸せにしてみせよう―――だから、お前の命を私にくれ〟と。
 その言葉に当時の早苗は救われた。初めてきちんと自分を見てくれる人が現れたのだと感じた。嬉しかった。
 今の自分はあの時の神奈子と同じだ。今度は私が小傘を救う番なのだ。

「――はい」

 早苗はハッキリといった。今までで一番凛々しく。一番力強い応えだった。
 答えに満足したように神奈子は何度か頷き、さっと踵を返した。
 そして居間から出る際に、

「もう今日は遅いから、早苗も早く寝るといい。――家族が増えたんだ。明日から忙しくなるよ」
「はい!」
「わかってるならいい。それじゃあ、風邪をひかないように暖かくして寝るんだよ」

 そう言い残して神奈子は部屋から出た。
 それから早苗は、胸の中で眠ったままの小傘を起こさないようにそっと両手に抱えて、居間を抜けると、布団の敷いたままだった自分の部屋に入った。
 細心の注意を払いながら、小傘の身体を布団の中へと入れる。
 そして最後に自分も少し狭くなった布団の中に入って、

「これからはずっと一緒だよ……」

 そう囁いて、早苗は深い深い眠りについたのだった。




 次の日、小傘と早苗は二人であの傘を直すことにした。
 二人としては、少しでも早くあの傘を直して元気にしてやりたかったのだ。
 小傘の意見に早苗は賛成し、傘を神社の脇にある土蔵の中へと運びこんだ。
 修理の方向性や度合いは小傘が傘とが直接相談しあって決めている間の時間、早苗は小傘に言われた修理するための素材や道具を探したり見つけだしたりすることで費やした。
 一時間後、あらかたの道具や素材を集め終わった時、小傘の方も相談が終わっていた。

「できれば元の色や形は変えないでほしいって。……形や色を変えちゃったら、自分を作ってくれた人とか、持ち主の事を全部忘れちゃうみたいで――そう言うのはやっぱり、辛いからってさ」
 
 と、悲しそうとも、悔しそうともつかない表情で小傘はそう言った。
 結果として、傘の修理は壊れた最低限の部分だけに限定して他は可能な限り元のまま残すことになった。
 傘の修理をするのは早苗も小傘も初めてだったが、幸いなことにその方法は傘自身が知っていて、修理に必要な工程や下準備は全て傘本人が指示を出し、早苗達はそれに従って作業するだけでよかった。
 材料をそろえて道具や準備が整うと、二人はいよいよ作業を開始した。
 傘からの指示は、時々小傘が直接訊ねる形で対応した。
 その甲斐あってか、傘の修理は着々と進行していった。
 
「ねえ、早苗」

 二人で黙々と作業をしていると、しばらくして小傘が突然声を上げた。
 思わず作業の手を止めて小傘の方を見た。
 しかし小傘はもじもじと何かを思案するかのように早苗から視線を泳がせ、所在なげにしている。

「なに? 小傘ちゃん」

 と返すと、小傘は大きく深呼吸をした後、早苗をしっかりと見て言った。

「ありがとう――あんなこと言ってくれて」
「え?」

 あんな事と、いきなり言われた早苗は思考が停まった。
 答えは小傘が続けて紡いだ。

「あの時、〝今の私のままでいてくれていい〟って言ってくれて、嬉しかった。私のこと、初めて認めてくれる人がいるんだって思うと嬉しかった」

 一口で言い終えると彼女は早苗に再び微笑みかけた。
 以前のそれとは違い、その微笑は翳のある笑みではなく、太陽のような明るい微笑みだった。
 
「いいんだよ。小傘ちゃんは今のままの小傘ちゃんでいいの。だって、それが一番、小傘ちゃんらしいんだから」
 
 もう一度、この出会って間もない大切な家族にそう言うと、小傘は満足したように笑って、二人は再び作業に没頭した。




「――できた」
「うん。できたね」

 数時間後、傘の修理は無事に終わった。
 傘は傘自信が小傘たちに依頼した通り、今までの部品や素材は極力そのままで損傷が酷く使えない所だけを取り換えた。
 ほかの部分も油を塗り直したり、手入れを施したりと自分たちでできる範囲の事はすべてやった。
 あとは傘を天日に干して油を乾かせば完成だった。
 だが―――
 小傘が土蔵の扉を開けて外を見上げた。
 外では依然として梅雨の長雨がずっと降り注いでいた。雨の勢いも昨日から全く衰えておらず、それどころかさっきよりも増して強く降り注いでいる。
 はぁ、と小傘が溜息をついて土蔵の扉を閉める。

「こんな天気じゃ、お日様に干すなんて無理だよね……お日様に干せないのは残念だけど、この中で乾しちゃおう」
 
 ごめんね、と傘に謝りながら開いた傘の柄を玄関から持ってきたスタンドの中に差し込む。
 傘の方も小傘へ何か語りかけたのか、申し訳なさと嬉しさをないまぜにしたような表情を彼女が作った。
 
「――無理じゃないかもしれない」
 
 不意に早苗の口からそんな言葉がこぼれた。
 
「へ?」

 咄嗟に小傘が聞き返す。
 早苗はそれに応える代わりに小さく呟いた。

「私の……私の力が使えば、できるかもしれない」
 
 そう――早苗は自分に宿った力でどうにかできないかと考えていたのだ。
 〝奇跡を操る程度の能力〟――自分の人生を常に不幸に陥れてきた最大の原因となった力。
 この力のせいで今まで多くのものを失くしてきた。取り返しのつかない事ばかりが起き続けた。
 ――こんな力なんていらない! こんな力があるから自分は不幸なんだ!
 そう何度も自らが呪い、蔑んできた忌まわしい能力だったが、彼女は人生で初めて、自分からその力を使いたいと思った。

 ――本当に奇跡が起きるなら…… 少しでも大切な人を幸せにする力があるのなら……

 使いたい。
 そう、願った。

 不意に、早苗の中で言葉に出来ない何かが起こった。
 まるで溜まっていた何かが抜け出るような、今まで自分の中で全く使われていなかった体の中の何かが、初めて使われたような、不思議な感覚だった。
 そしてその起こった変化は、ただ早苗の中だけで起こったものだけではなかった。
 今までさんざん屋根や地面を叩いていた雨音がいきなり、ふっと止んだのだ。今では何の音もせず、静寂だけが土蔵の中を包んでいる。
 もしやと思い、早苗が土蔵の扉を開いてみると、
 なんと外には一滴の雨も降ってはおらず、空を覆っていたどす黒い雲も嘘のようにどこにもなく、遠くの空の向こうにその残滓だけが残っているだけだった。 

「う、そ……?」

 思わず早苗は自分の目を疑った。本当に冗談の様な話だった。これではまるで――

「奇跡……なの?……」
 
 今までの十数年間まったく使われなかった早苗の能力が、いま、初めて使われた瞬間だった。
 早苗に続くように土蔵から外をのぞいた小傘も突然の光景に驚き、外へと飛び出し空を見上げる。

「すごい! すごいよ早苗! あんなに雨降ってたのに空が晴れてる! お日様が見える! これが早苗の奇跡の力なんだ!」
「これが……私の力……」
「それじゃあ、すぐにあの子を取って来るね!」

 あまりの事に呆然となっている早苗をよそに、小傘は小躍りせんばかりの陽気さで土蔵の中へと引返す。
 
 ―――こんなことができるなんて……

 早苗は自分の起こした現実にただ戸惑うばかりだった。
 今まで自分を不幸にするだけの力だと思っていた物が、こんなに素晴らしいものだったなんて。
 大切な人をこんなに喜ばせることができる力だったなんて。
 さんざん嫌いだった奇跡の力が、今の今になってようやく本当の価値を見出した。
 それはあまりにも時間としては遅すぎて、それでも得られた物はあまりにも大きくて。
 ぐるぐると頭の中を巡る、言葉にはできない何かをどうにか頭の中で整理しようとした時――

 《あ、りが―――とう》

 突然、あの声が再び早苗の耳へと飛び込んできた。
 振り返れば、アルミの傘立てにすっぽりと立てられた傘が小傘の手に握られていた。

「この子も早苗にお礼が言いたいんだってさ。『ありがとう』って」
 
 その一言を言われた瞬間、早苗の心の中に押しとどめられていた感情の波が堰を切ったようにあふれ出し、一気に爆発した。

「うぇ……」
 
 解放された内なる感情は一気解放され、勢いよく外の世界へと飛び出す。
 昨日とは打って変わって、今度は早苗が小傘の胸の中で泣く番だった。
 突然泣きつかれた小傘は、どうしていいものか分からないと言った顔で困った様子だったが、なんとか傘をその場に避難させた後、何も言わずに早苗を抱きしめ続けた。
 依然として、小傘の胸で泣いていた早苗だったが、不意に頭の隅のどこか遠いところで、
 こんな力なら、持っていてもいいのかな……
 とほんの少しだけ思った。
またまたお久しぶりになりました。
他の事に目線がいっていたら、あっという間に時間が過ぎていきます。
もっと早いモチベーションでかければいいんだけどな、と思う今日この頃です。
ではまたどこかで、次回のお話も、かくのごとくなりますことを。
コバルトブルー
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コメント



0.460簡易評価
1.80奇声を発する程度の能力削除
読んでて少しだけ涙腺に来ました
5.30名前が無い程度の能力削除
にべも無いってこういう使い方してたっけ?
神奈子様はなぜあんな言い回しをしたのかな。
小傘と早苗は聖蓮船の前に出会っていた?
なんかいろいろ納得出来ませんでした。いまいち。
6.100名前が無い程度の能力削除
(;ω;)<ブワッ
雨ってしんみりしますよね
7.100名前が正体不明である程度の能力削除
いい話だね。ハートフル!
8.50名前が無い程度の能力削除
この話を読んだ直後に星蓮船プレイするとユーモアで点数が倍になる。
早苗の行動に違和感がすごいけど、よく考えたらばりばり宗教の人だから見た目勧誘みたいで普通なのかも。
9.70筑紫削除
二人が互いの心を救い合う素敵な物語でした。
ただ、もう少し早苗さんが捨てられた傘へ感情移入するに当たって、暗い過去に関する掘り下げが欲しかったかな、と思います。
次回も頑張ってください。
13.80名前が無い程度の能力削除
ちょっぴり違和感があったけど、単純に面白かったです。
いいこがさなありがとうございました。
16.100焼き鳥削除
空が晴れた件で泣いてしまいました。素敵なお話ですね。