Coolier - 新生・東方創想話

日輪がまた輝くとき その二

2011/11/22 20:34:00
最終更新
サイズ
116.86KB
ページ数
1
閲覧数
647
評価数
5/17
POINT
1080
Rate
12.28

分類タグ




目次.

9.胎動/10.開戦/11.兄と妹と
12.救出/13.聖徳王の画/幕間.すべて世は事も無し







9.胎動





 戦の途中で倒れた者には手を差し伸べない。それによって自分自身や、まだ戦っている者が倒れることを避けるためだ。
 だがここは戦場ではない。倒れている者が旅人だろうと領民だろうと、神子は手を差し伸べる。手の届く範囲にいるものは、全て救いたい。
 そういった思いを胸に秘めながら、神子は山道を駆け抜ける。
 するとすぐに、道端で誰かが倒れているのを見つける。傍には衣孟が膝をつき、伏せた人の身体を探っていた。

「衣孟。何事ですか?」
「ああ、行き倒れみたいです。なんだって若い娘が一人で……こんな所に」
「ちょっと失礼」

 見ると、それは変わった衣装を身に纏った、とても美しい女性だった。肌は蝋のように白く、瑠璃色の豊かな髪の毛が、まるで水たまりのように地面へ広がっていた。
 どこか遠くの地から来た旅人なのか? 思いつつ神子は跪くと、彼女の血の気がない頬へと手の甲を当てた。

「もし、大丈夫ですか?」
「……あ……ぅ」

 女は言葉……というよりも、うめき声に近いものを発した。
 その目は開かずに、乾いた唇が僅かに動いたのみ。

「かなり弱っていますね。神子様、彼女はもう……」

 衣孟は首を横に振り、悲しそうに目を伏せる。
 しかし神子は構わずに、自らの上着を脱ぎさって、行き倒れの身体へと掛けてやった。

「ゆっくりと、おやすみなさい」
「み、神子様。その衣装は……」

 神子が普段身に纏っている衣装は、王としての証でもある。
 それを行き倒れへと与えた行為に、衣孟は驚き戸惑った。

「いいのですよ。さぁ、戻りましょう」

 駆けつけた屠自古たちにも同様の説明をし、神子は散策を再開した。その頃にはもう、旅人の身体は命を失ったように、ぴくりとも動かなくなってしまった。
 そして屠自古が見事に鹿を射止め、布都を満足させてやると、一行は斑鳩宮へと帰っていった。



   ◇   ◇   ◇



 その夜。
 夕飯を食べ終えた神子たちは、夜空を眺めながら雑談に興じていた。

「それにしても太子様~。なんで、あの上着を死体にあげてしまったのですか?」
「死体じゃないでしょ。まだ生きてたし……。いや、まぁ、虫の息だったけど。……でも、確かに何故あのような行動をされたのですか?」

 布都を諭しながらも、屠自古も神子が取った行動の意味を知りたいようであった。
 そんな二人を前にして、神子は一つ頷いてから説明を始める。

「……実は、なんとなく感じたのです。あの人は……そう、普通の人間ではないような気が……」
「? どういう事ですか?」
「私の中での感覚ですから、具体的に説明は出来ませんが……。恐らくあの女性は、あそこで朽ち果てる人ではない。――そう思ったのです」
「ふぅん。我は慌ててたから分からなかったけど、太子様がおっしゃるなら、その通りなんだろうな」
「いや、しかし。何故……そんな得体の知れない者へ、上着を掛けるなどという行為をしたのです?」

 神子は言われて、少し困ってしまった。
 実のところ、あの時の行動は理屈や深い考えあっての事ではない。ただ、身体が勝手に動いたといっても良い、衝動的な行動だったのだ。

「試されているような――そんな気がしました。だから伝えたのです。私は分かっていると。私は……あなたと同じであると」

――『聖は聖を知る。という事ですわ』

 突如として湧いた、聞き覚えのない声。
 その出所である背後へと、屠自古は咄嗟に振り返る。

「誰だ、貴様っ!?」

 今まで気配の微塵もなかった場所に、煙のように人影が現れる。
 そこには、あの時の行き倒れ――否、神子を試した人物の姿があった。
 彼女は作りもののようなやたら美しい笑顔をみせると、三人に向けて頭を垂れた。

「初めまして。私は青娥娘々と申します。とある高名な仙人です」
「仙……人!?」
「にゃん……にゃん!?」

 言葉の響きに惹かれている布都は置いておくとして、屠自古と神子はその『仙人』という耳慣れない単語に気を取られた。
 大陸では超人の代名詞ともされる仙人であるが、この大和においてはその存在すらも知られてはいなかった。よって神子たちにとっては初めて聞く言葉である。
 自分たちに全く気付かれず、この斑鳩宮に侵入してきた存在。只者ではない。――それが『仙人』の力なのだろうか、と神子たちは警戒した。

「突然の訪問、ご無礼は承知しております。しかし、豊聡耳神子様……。貴方には返さなくてはならないモノがありましたので……」

 そういうと青娥は、神子が身体に掛けてやった衣装を差し出してきた。白い腕がまっすぐに神子へと伸びていく。
 だがしかし。そこで屠自古が神子の前に入り込み、その受け渡しを阻止した。

「待て、青娥娘々とやら。……貴様、どこで神子様の名前を知った?」

 その目は鋭く厳しい。屠自古はまるで戦場での立ち振る舞いのように、その闘気を全身から滲ませる。
 対する青娥は一切顔色を変えず、水が流れるように流暢に話を進めた。

「……私は仙人。才あるものを“タオ”へと導くのが仕事です。そしてこの国で見つけた最も才ある人……それが豊聡耳様。だから色々と調べさせてもらいました」

 物腰は柔らかな青娥娘々。
 しかし屠自古はその余裕ある態度に、ますます警戒心を強めた。

「胡散臭いな。タオとは何だ? それが神子様に何の関係がある?」
「そう昂ぶらないで下さい……。私は争いを好みません。――そして、同じ考えの豊聡耳様に興味がある。それだけなのです」
「……興味本位で神子様に近づく? ふふ、私は嫉妬深い。そんな事をしてタダで済むと思うなよ?」

 今にも青娥に斬りかかりそうな屠自古。
 しかし相手は、その肩を飾る柔らかな羽衣の動くように、ゆらりゆらりと言葉を躱す。

「まぁ、まぁ。私は何も自分の利益だけの為に、豊聡耳様とお会いしに来た訳ではありません。これは言わば、互いに得をする契約の話。……豊聡耳様?」

 そこで青娥は、屠自古の肩越しに見える神子へと、熱のこもった視線を送った。月明かりしかない廊下で、仙人の瞳は猫のように光っていた。
 そして、そのふっくらとした形の良い唇が、あの言葉を紡いだ。

「不老不死――に興味はありませんか?」

 誰も知らない。
 青娥の言葉を聞いた瞬間、神子の胸がどくりと大きな脈を打ったことを。

「不老不死だと!? 何を戯けた事を……。神子様! ご命令とあらば、今すぐにこの曲者を斬り捨て……」

 屠自古は声を荒らげたが、神子がそれを遮る。

「待ちなさい、屠自古」

 その声を聞いてしまえば、屠自古は闘争心を鎮めざるを得ない。
 多少の悔しさを表情に残しながらも、彼女は神子と青娥を結ぶ直線から身を引いた。

「青娥娘々」
「……豊聡耳様、どうか青娥と呼び捨ててくださいまし」

 一瞬、ぐっと唾を飲みこんだ。
 彼女の言うとおりにしてしまう事に、神子は多少の恐れを感じていたのだ。
 だが、まずは話を聞いてみないことには何も始まらない。
 だから、神子は彼女の名を呼んだ。彼女の望みどおりに、飾らないありのままの形で。

「……青娥。貴殿の言う“道”について、話を伺いたい」

 神子の言葉に耳を疑い、再び屠自古が身を乗り出す。

「神子様? このような怪しい者の言う事など……」

 しかし、それを静かに神子が制した。

「屠自古、超人的な存在を否定するというのなら。……それは私たち自身をも否定することになります。青娥は大陸から来たこと以外に、私たちと何も変わらない存在。外部からの存在を疎んでいては、革新は得られません。青娥と私たちは似た者同士、同じ異なる力を持った者。そうではありませんか?」

 そういうと神子は一歩前に出て、青娥の方へ手を伸ばした。
 道士は、先ほどから浮かべていた笑顔に、より深い喜びの感情を足した。

「私の話を聞いて頂けるのなら――自信があります。豊聡耳様、貴方は必ずや道教の力を必要とし……。そして今までの誰よりも最高の“道”を修める事が出来ると」

 これほどまでに自信に満ちた表情を、神子は見たことがなかった。
 目の前にいるのは、未だ自分が出会った事のなかった人。
 自分の住んでいた世界とは異なるところから来た、仙人。
 それはきっと、自分の人生にとてつもない変化を齎す存在。

「私は……自分の力を戦いの為だけに使いたくない。もっと人の為になる力……それが、その“道”に示されるのであるならば……」

 青娥の手に置かれていた王の衣装が、神子の手の中に戻った。
 こうして豊聡耳神子は、青娥という一人の邪仙に出会ったのだ。



   ◇   ◇   ◇



 神子の書斎。
 青娥の話は小一時間も続いただろうか。
 どうしても同席するという屠自古と、興味本位かつ一人ぼっちが嫌な布都。そして神子の三人は青娥の話に聞き入っていた。

「不老不死の仙人になる……。それが道教の最終目標なのですか?」
「ええ、そうです。私はそれを信仰し、長い修業の果てにこうして仙人となりました。見た目は若いですが、こう見えてもう随分と長いこと生きていますよ」

 真剣な表情を変えずに聞き入る神子。
 その隣で屠自古は、ほとんど眉を顰め続けて、事あるごと青娥に食って掛かる。

「……不老不死か。確かに我々人間にとって、それは魅力的だが……。ただ、そう簡単に不老不死になれるなんて信じられないな」
「だから言ったではないですか。仙人になれるのは類まれなる才能を持った、一握りの人間だけ。しかも、道教とはこうして仙人より陰から教えられるもの。だから歴史の表には出てこない。故に不老不死など存在しないと、皆は思っているのです」

 屠自古ほどではないが、神子もまだ青娥の話を受け入れることが出来ないでいた。
 長年想い続けてきた“人間の死”に対する理不尽。鵜眞の他には誰にも漏らしたことのないその秘密を、まるで見透かしたように不老不死の法を持ってきた青娥。
 あまりにも話が出来過ぎている。
 故に神子もまだ、最低限の警戒心は解いていなかった。
 そして慎重に質問をしていく。友好な関係だけは崩さず、ただ探りを入れるために。

「……私がその、才能を持った一握りの人間だと?」
「もちろん。悔しいけれど、豊聡耳様は私よりも遥かに潜在能力が高い。今のように力をそのまま解放し、人間同士の戦に使うなど勿体無いのです。豊聡耳様なら確実に仙人――それも歴史に名を刻むような、最高峰の仙人になれますよ」

 神子は思った。
 もし不老不死になったとしたら、自分は何をするのだろう。
 戦での戦いはもっと楽になり、味方も敵すらも死ぬ事のない圧倒的な勝利を齎せるかもしれない。
 そして作り上げた国を、朽ちることのない身体で永遠に統治出来るのかもしれない。

 つまり、それは――

 未来永劫、滅びぬ事のない豊かな国。
 自分が治める事によって、それは実現する。実現させてみせる。そのようにいつも思い描き、しかし叶わぬ事を知って落胆してきた。
 あの夢の実現に他ならないのではないか?

「答えをお聞かせ願いますか? 豊聡耳様は、仙人になりたいのか、否か」
「私は……」

 周りを見る。
 そこには布都と屠自古。そして自分の答えを待つ青娥。

 布都と知り合ってもう大分経つ。心を癒してくれる可愛い妹のような存在。自分を慕ってくれる存在。

 屠自古とは日が浅いが、思い上がりでなければ、強い絆で結ばれていると思う。自分の為に尽くしてくれる存在。

 青娥とは今日、出会った。全く繋がりがないと言って良いだろう。しかし、自分が永らく求めていた渇きを潤してくれる存在。そうなるに違いない。

「私は……」

 自分がもし不老不死を目指すと言ったら、布都と屠自古はどういう反応をするだろう?
 布都はまだ死の羨望も生への執着もなさそうだ。でも『一緒に不老不死になりたい』と言い出すかもしれない。いや、そうに決まっている。彼女はいつだって自分を追いかけてきた。自分を慕っていた。――布都は仙人になれるのだろうか。
 屠自古はどうだろう? 戦いの中で死ぬことを望む彼女は、あまり不老不死に肯定的でなさそうだ。でも、自分と生涯を共にする伴侶。名前だけの夫婦でも、その絆は本物に負けないくらい。きっと、そうだろうと思う。ならば、もしかしたら一緒に仙人になってくれるかもしれない。――屠自古は仙人になれるのだろうか。

 もしも、二人が仙人になれなければ。豊聡耳神子だけに仙人へとなれる才能があるとすれば。
 自分たちを捨てて不老不死になる。そんな私に対し、彼女たちはどんな反応をするのだろう。

「私は」

 いや、そもそも。二人の反応を気にしている必要があるのか?
 自分が不老不死になるか否かには、自分がいずれ作り上げる国の民。その数え切れないほどの人間の命運が懸かっているのだ。
 自分個人の人間関係を気にして、自らの不老不死を諦める事は、それはまだ見ぬ国民に対しての裏切りではないのか?
 自分は国を作る為に。その為に産み落とされ、生き続け、戦い抜いてきたのではないのか?

 答えをすぐに出すことなど出来なかった。
 神子は戦場で追いつめられたかのように、その額に汗を滲ませ、やっとのことで口を開いた。

「少し……時間を下さい」

 その言葉に青娥は、まるで幼子を愛でるような柔和な笑みを浮かべた。

「ええ。構いませんわ。むしろ、こんな重大な案件を即決されたら、少し貴方のことを買い被り過ぎていたと思わざるを得なかった。――あなたの心が決まった頃に、またお邪魔します」

 言い終わると、青娥は優雅な演舞を踊るようにくるりと身を翻し、中庭へと降り立った。そして夜の闇に溶けこむように消え去った。

「神子様……」

 心配するように語りかける屠自古へと、大丈夫です、という意味で微笑みを返す。しかし、その表情には説得力が全くなかったのであろう、布都すらも慌てて神子のもとへ駆け寄った。

「太子様、汗がすごいですよ……。どうしたのですか?」
「すみません。少し……一人にさせてください」

 自分のもとに集まってくる人を拒絶したのは、彼女にとって初めての経験であった。彼女はこの問題の大きさを、しっかりと分かっている。
 これは一人で答えに辿り着くべき問いなのだ。

「……分かりました。ただし、彼奴のような侵入者がまた来るとも限りません。神子様が答えを見つけるまで、私は待っています」
「え、わ、我も待つ!」

 布都は神子の悩みの理由など、それほど分かっている訳ではないだろうが、屠自古に追従した。

「ありがとう、ございます」

 言って神子はふらりと歩みを進め、自室へと帰っていった。



   ◇   ◇   ◇



 数日、考えた。
 食事も摂らず、ただ部屋の中で独り考えていた。
 屠自古と布都は、一緒に断食こそしなかったが、それでも部屋の外で神子の答えを待っていてくれた。
 答えは最初から決まっていたのかもしれない。

 鵜眞と語った理想の国。その実現は手を伸ばせば、あと数歩前に行けば、というところまできている。
 だが理想の国を作ったとしても、それを維持することは難しいだろう。
 年老いた鵜眞はあと十年も生きられるか分からないし、神子も今の力のままでいられるのは十年くらい。ましてや自分たちが亡きあと、後継者が自分たちの理想を継いでくれるか、そしてそれを実現できる力があるかは不明である。
 それが神子の悩み続けた、理想と現実のはざま。

 だが、不老不死になれば、どうだろう。
 少なくとも自分は、自分の理想を続けられる。いつまでも、衰えることのない力のままで。
 ならば、何を悩む必要があるのか!
 不老不死となり、滅びることのない理想の国を作ればよい。

 だが、彼女は気にしている。
 周りの者が不老不死になった自分を、どのように見るだろうかと。
 これは周りからの評価が気になるという心もある、と神子は自覚している。だがそれと同時に、自分が不老不死になったとしても、共に歩み人がいなければ国は作れないという現実的な問題もある。
 自分は屠自古や布都、そして鵜眞を信用していないのだろうか。そう考えると己の疑心に嫌気がさす。

 青娥が信用できない、というのもあるだろう。
 突然現れた怪しげな人物から、不老不死の法がある、と言われたら疑うのが当然。不老不死を求めて心を乱した王の話は、大陸から幾つか伝わっている。
 だが、これは信じられない幸運がもたらした千載一遇の好機かもしれない。これを逃したら、二度と不老不死の法は手に入らないかもしれない。

 ここ数日間、神子の頭の中ではこれらの考えが、延々と相反し合っていた。
 誰かの意見を聞きたい、という欲もあったが、それは決してしなかった。助言を求めたならば、部屋の外にいる二人は喜んで神子の話を聞き、親身になって悩んでくれるだろうが、それに甘える訳にもいかない。
 これは自分の問題である。

 ふと気づけば、部屋の外から虫の音が聞こえる。何回目かの夜を迎え、神子は無限に続く思考の回廊から脱するように、少し違うことへと考えを向けた。

 老いとは、なんだろうか。
 十と数年しか生きていない彼女にとっては、老いとは想像もつかない。
 身近な人間でいえば鵜眞も結構な歳であるが、彼は白髪と皺が増えただけで、昔とそう変わらない気がする。「もう歳だから身体の節々が痛い」などと愚痴を吐いていたこともあるが、心はむしろ丸くなっていて、達観したような印象を受ける。
 それは彼が国を作るという理想を、もうすぐ成し遂げるからではないだろうか。人生の目標を達成した者は、ああした余裕が生まれるのだろう。
 ならば、自分はどうか。
 自分は鵜眞と同じ理想を持っている。彼と幼い頃に話した『理想の国』は全くもって同じだったからだ。
 だが、彼と違うところもある。
 それは神子は理想の国を未来永劫に亘り、存続させたいという理想があるからだ。国を作ることを理想に駆け抜けてきた鵜眞とは、そこが違う。
 となると神子は困る。自分が老いた時、自分は理想を成し遂げることはできない。いや、自分の理想は永遠に成し遂げることは出来ないのだ。永遠を求めるということは、永遠に手に入らないということ。

 そう考えると、神子は未だ経験したことのない老いというものが、少し怖くなった。

「答えは最初から決まっていた」

 悩んだことは決して無駄ではなかったが、彼女にとってこの数日間は儀式のようなものであった。
 飯も喰わずに三日三晩悩み抜いた末の決断であると、自分を納得させるための通過儀礼。

 神子は部屋から出ると、すぐに駆け寄ってきた屠自古と布都から抱擁を受ける。やつれたその顔には微笑みを浮かべ、しっかりと二人の身体を抱きしめ返す。
 そして、廊下の先に佇む仙人の姿を見た。



   ◇   ◇   ◇



「私は、不老不死を目指します」

 神子は後ろにいる二人の表情を見なかった。ただ目の前で満面の笑みを浮かべる青娥だけを見ていた。
 それは“逃げ”かもしれない。怖かったのかもしれない。自分へと向けられる軽蔑と嫉妬の瞳の輝きを、あの人たちが発するのを恐れたのである。

 僅かな沈黙を挟み、やがて声が聞こえた。

「神子様が選んだのならば、私はそれを助けるまで」

 感情の読めない平坦な声。

「不老不死……すごいなぁ。我もなれぬのかな……?」

 という呆けたような声。
 神子の後ろから、それらは聞こえた。
 その二つの声を聞いてから、青娥が満足気に笑い、口を開いた。

「豊聡耳様。私はただ“道”の力を貴方に授けるだけでは飽き足りません。私は貴方の全てを手助けしたい。不老不死の誘いはその一環に過ぎません。――例えば、どうやったら国を安定させられるのか。どうやったら敵を弱らせることが出来るのか。それらについて、この青娥の知識を提供しましょう」

 彼女の口から出てくるのは、とにかく自分が欲していたものばかり。
 ここまで自分に都合の良い存在があると、やはり不安になる。

「何故です、青娥。そこまでして、何故……私を助けようとしてくださるのです?」

 神子の問いに対して、青娥の答えは簡潔であった。

「それは……貴方が魅力的だからです。貴方は絶対に最高の道士になれる……私が見つけた、黄金色の原石……。私は貴方に世界を統べてもらいたい」

 その言葉には、青娥の言うこと為すこと気に入らない屠自古も、思わず同意して納得させられた。布都は「もちろん」と言いたげにうんうんと頷いている。
 懸念していた二人の反応も悪くなかった事で、神子はついに意を決した。
 自分は不老不死の為政者として、理想の国を作る。その為に夢幻のような仙人という存在に成る。――この、青娥という導き手に誘われて。もう後ろを振り返らずに走り抜ける。

「ならば……。そうですね。こちらにいる布都や屠自古らと協力し、まずは大和を治めましょう」

 ――私の目的はあくまでも私利私欲を満たすためではなく、未来永劫に亘って国を統治すること。
 そのように言い聞かせて、神子は胸に沸き立つ不思議な気持ちを押し殺していた。
 今まで自分を育ててくれた鵜眞、亡き師匠である椒林、あるいは自分を慕ってくれている兵たち。それらの人を想うと何故か胸が苦しくなる――それは彼女にとって初めての、心に黒く渦巻くもの――罪悪感であった。



   ◇   ◇   ◇



「え、仏教?」
「そうです。個人の“到達”を目的とする道教とは違い、皆が平等であるように導くのが仏教の性質。それは民を治めるのに便利なものです。道教が国を支配すれば民は無謀にも不老不死を求め、無駄死にしたり争ったりで国は弱ります。対して仏教を広めれば国の安定が図れるのです」

 青娥による講義は再び小一時間にも及んだが、それを聴く三人の表情は――特に布都は――先ほどよりも断然に真剣味を帯びていた。
 彼女が提唱するのは、神子が道教を取り入れ不老不死を目指し、一方で民には仏教を広めて無駄な争いをなくそうというものである。
 これには神子も大いに困惑した。まるで民を騙すかのようなやり口だからだ。

「……どちらかと言えば、私の本心は仏教の考えに近いのですがね」
「そこは使い分けですよ。私すらも道教の熱心な信者というわけではありません。豊聡耳様は不老不死になるため道教を利用するのです。そして国を安定させるため仏教を利用する。それで良いではないですか」
「それは……民を騙すという事ではないか!」

 声を荒らげた屠自古に対し、青娥はくすくすと笑って答える。

「国の一つを治めるのに、嘘のひとつも吐けなくてどうします? 神子様は――そして貴方たちは清らかな心を持ち、民の為を本当に良く想っている。しかし、私のように人間の醜さを知らない。……それでは足元を掬われますよ。同じ醜き人間にね」
「ふん、舐めるなよ。確かに道士は私たちより長く生きておられるようだが、我らとて戦乱の世を生き抜いてきた武士。今更、人間の愚かさを教えられるほど無知ではない!」
「……屠自古。少し落ち着いてください」

 どうも屠自古は青娥の事が気に入らないようである。
 確かに、この仙人が信頼出来る人物なのか、神子も見極められてはいない。
 ただ、青娥の胸の内には自分を助けたいと思う気持ちがある。確かにそれだけは本当であると理解できていた。
 だから神子は青娥を信じてみようと思うのだ。利害の一致という以上に、人間同士の心の繋がりというものに神子は期待していた。
 そんな気持ちを知ってか知らずか、青娥はぺらぺらと講義を続ける。

「貴方たちが国を治めるのに、その誇り高い理想は持ち続けてもらいたい。――いえ、持っていなければならない。だから、その邪魔になる人間の穢れは、清濁併せ呑むこの私が露払いしましょう。と、そういう事です」
「青娥。あなたの協力には感謝します。私には不老不死の力が必要ですから……。ただ、仏教をこの国に広めるという案については、少し仲間内での相談をさせてください」
「それは、この三人の中で?」
「いえ、私にはもう一人……。我が半身のような仲間がいます。その人に相談してからでも……」
「蘇我鵜眞……ですか」

 父の名前を出された屠自古はピクリと眉を動かし、牽制するように青娥を睨めつける。しかし、声は出さずに青娥の次の言葉を待った。

「……豊聡耳様。一つの提案がございます。この道教による仙人化の計画は、この部屋にいる四名の間でのみの秘密とさせてもらいたいのです」
「鵜眞には報せるな、と?」
「ええ。蘇我鵜眞には『国を治める為に仏教を広める』と。その部分だけを知らせるに留めて欲しいのです。決して神子様が不老不死の仙人を目指しているとは、教えないでください」
「何故、父上には知らせないのだ?」

 追求するような厳しい屠自古の問いに、青娥は彼女と……そして布都の顔を見た。そして口元を緩ませる。

「豊聡耳様のあまりの力に見惚れて、最初は気付かなかったけれど。……思わず涎が出てしまいますね、ふふふ」
「はァ? 何を言っている……?」
「蘇我屠自古。そして物部布都。――貴方たちも、仙人になってはみませんか?」
「な……に?」

 その提案は三人を驚かせた。中でも布都は驚きよりも、嬉しさで激しく動揺している。

「にゃんにゃん! それは本当か? 我も太子様と同じく、仙人になれるのか!?」
「ええ、成れますわ。流石に豊聡耳様ほどではないにしろ、二人とも類まれなる力を持っている。間違いなく仙人に――不老不死になれる。これほどの逸材が揃っているなんて、この国に来て本当に良かった……」

 青娥の言葉に被さるように、布都の甲高い声が響いた。

「わ、我は仙人になりたい! 太子様の手助けをする為には、我も不老不死にならなければ……!」

 青娥へと食いかかるように言う布都を見て、思わず神子は彼女を諌める。

「布都、そんな軽々しく決めては……」
「軽々しくではありませぬ! 我は心に決めたのです。太子様の作る国を太子様と一緒に支えると……。その為には長く生きなければならない。太子様と同じように……永劫の時を生きなければなりませぬ」

 ともかく布都の返事にご満悦の青娥は、続いて屠自古へと向きを変える。

「それで……屠自古さんは、どうしますの?」
「私は……」

 屠自古は少し考えた。
 神子の顔を見て、続いて布都の顔を見る。
 二人とも不老不死を目指し、仙人になる。となれば、自分だけが普通の人間。そうなれば二人よりも確実に早く死ぬことになる。
 自分は武士として死ぬ事を選ぶのか。それとも聖徳王の妻として付き添う事を選ぶのか。この返事によってそれが決まる。
 唐突に訪れた人生の岐路であるが、彼女は自分の生き方を簡単に変える人ではなく、またその道はまっすぐであった。
 だから返事は即決。矢のような速さで返してやる。

「私は仙人にはなりません。……あくまでも私は武士であり、人間として聖徳王の妻でありたい。――神子様、どうかお許しを」
「許しなど……。そんな、屠自古……私こそ謝らなければ。勝手な事を言って、結果あなたを置いていってしまうのだから……」
「残念ですねぇ。屠自古さんほどの才能、百年に一度現れるか否かというモノなのに……」

 心底、もったいないと溜息をつく青娥。
 屠自古は「それよりも」と話を戻させる。

「道士よ。それで……私と布都が仙人になるか否かと、父上に事情を隠すこと、何の関係がある!?」

 問い詰められた青娥は「考えなおしてくれないかしらねェ」と呟きながら、しぶしぶと説明を始める。

「お知らせした通り、貴方たち三人には仙人となれる才がある。――しかし、蘇我鵜眞にはそれがない。彼は万が一にでも仙人にはなれない。なろうとしても身体が持たずに死ぬだけです」
「……まぁ、父上は神通力などとは無縁な方だからな……」
「となると。そんな人に自分たちだけ不老不死になると伝えるのが、どういう事になるか……お分かりかしら?」
「? どういう事ですか?」
「まさか、道士。貴様……」

 合点のいかない神子とは対照的に、屠自古は青娥の言わんとしている事を察して、怒りに顔を紅潮させる。

「そう、年老いた彼の心には醜い嫉妬が芽生えるでしょう。『何故、これから死に行く自分を差し置いて、お前たちが不老不死となるのだ』――そのような感情は、豊聡耳様の往く道に、決して良い影響は与えないでしょう。ならば事情は伏して、盟友のまま彼とは死に別れるべきなのです」

 青娥の説明を聞いて、ようやく神子は彼女の懸念を理解した。
 そして表情を曇らせる。それは屠自古と同じ気持ちからであった。

「……鵜眞は、そんな男ではありません」
「神子様の言うとおりだ! 父上を愚弄するな! 確かに武士ではないが……死を恐れて神子様に害なすなど、考えられぬ!」
「う、うん。鵜眞殿はそんな人じゃないぞ。にゃんにゃん……」

 三人の反応を見て、青娥は「やっぱりねぇ」と溜息をついた。

「だから貴方たちは清らか過ぎるのよ。老いた人間の、死を近くに感じる人間の心が、どんなに醜く歪んでいくかを知らなさすぎる。今まで固い絆で結ばれていた者同士が、容易く殺し合おうとする心理を、人間の脆さを知らなさすぎる」
「……青娥。あなたの助言は、確かに現実的なものかもしれません。しかし、私はやはり彼を信じている。鵜眞に……私が仙人を目指すことを伝えたいと思います」

 神子の言葉を受け、青娥はこめかみに指を当てる。そして何やら考えを巡らせたあとに、深く溜息をついた。

「はぁ。そうなったら私は“国造り”からは手を引かせてもらいますよ。今の時点で鵜眞さんと仲違いしては、豊聡耳様の力を持ってしても国造りは難しいですからね。危ない橋は渡りたくないのです」
「構いません。むしろ、仙人の修行をつけてくれるだけでも、ありがたいのですから。……私は人間を信じたいのです。……すみません」

 神子はそう言い切ると、すっくと立ち上がった。
 善は急げ。彼女の行動は迅速である。

「さっそく、都へ向かいたいと思います」



   ◇   ◇   ◇



 鵜眞への面会は通常、何日も前から申し込んでおかなければ叶わない。
 だが神子については特別だ。なんといっても王である。立場は鵜眞よりも上になっているのだ。
 故に、夜が深いこの時間にも鵜眞は彼女を招き入れた。――と、表向きはなっている。
 だが娘同然の神子が「話があります」と訪ねてくれば、たとえ夜中だろうと会ってやるのは当然の事だろう。

「……失礼します」

 屋敷に上がった神子は、ゆっくりと面会の場へと歩く。
 その間、神子の頭の中では青娥の言葉が繰り返されていた。

『何故、これから死に行く自分を差し置いて、お前たちが不老不死となるのだ』

 そういえば最近、鵜眞も白髪が増えた。いい歳なのだから隠居しろ、と屠自古が言っていたのを思い出す。
 もしも仙人になると告白した時――鵜眞が青娥の懸念したように返してきたら、自分はどうすれば良いのだ?

『私は……』

 ふと想い出す。
 自分が仙人になろうと言葉にした時、屠自古と布都の顔を見て、自分が何を思ったのか。
 あの時は、彼女たちにも仙人になれる才能があるとは知らなかった。だから恐れたのではないか。――彼女たちが不老不死になる自分を妬むのではないか、と。

『死を感じる人間の心が、どんなに醜く歪んでいくか――』

 人の生き死には、重い。そんな当たり前の事を、自分は度重なる戦の中で忘れかけているのかもしれない。
 もしも自分が相手の立場だったら、どうなる?
 一緒に国を作ろうと誓い合った仲の相手が、死に行く自分を差し置いて不老不死になる。
 そんな状況に、もしもなったら。自分は相手を恨まずにいられるだろうか。今までと変わらずに接していけるのだろうか。

「聖徳王。どうぞ」

 鵜眞の声に促され、神子は部屋の中へと入る。

「どうしたんだ? こんな夜中に用事など……。何かあったのか?」
「いえ、鵜眞。実は……」

 神子は彼の前に座し、その顔を見た。
 記憶の中にある顔よりも、いくらか年老いている。
 いつの間にか、彼の顔にある皺も深さを増したものだ。

「……何かあったのか」
「実は今日、青娥という大陸の人間と出会いました」
「ほう! 大陸の……珍しいな。それで?」
「私は……」

 神子の言葉が止まり、部屋の中を静寂が包む。
 鵜眞は促すことをせず、ただ彼女の言葉を待っていた。

「鵜眞」
「なんだ?」
「もしも……鵜眞が不老不死になれるとしたら……。どうします?」

 神子は問うた。
 全ての事情を、自分が仙人になると告白する事を止めて、鵜眞に問いかけをした。
 彼は不思議そうに首を傾げてから、何か合点がいったように頷いた。

「私も……この歳になると死を身近に感じる。果たして大和をこの手中に収めるまで、この骨は痩せ肉が落ちた肉体がもってくれるのか、とな」
「え、ええ」

 鵜眞は自嘲気味の笑みを浮かべながら、神子のものと太さがそう変わらない腕を見せつけた。
 神子の知らぬ間に、彼は年老いていく。しばらく会わないだけで、こうも人間は早く衰えてしまうのか。

「だから私は、どんな方法を使ってでも……大和を手に入れたい。そしてお前を王にするつもりだ。それまでに命がもたないというのなら、少し不老不死になってもみたい」

 冗談で言っているのであろうが、それは不老不死という存在が夢幻であると、鵜眞が信じきっているからだ。
 いや、ある程度の教養がある人間ならば、不老不死など不可能だと知っている。そう思わされているのだ。
 だから、不老不死が実際にあると知ったら、鵜眞が今と同じように冗談で笑い飛ばせるかどうかは定かでない。

「だから、そんな方法があったら、是非ご教授願いたいがね。――話はそれだけじゃないのだろう?」
「……ああ、そうですね」

 神子は微笑んで――いつもの様に微笑んでいた。

 彼女は思っていた。
 鵜眞ならば、自分の悩みを理解してくれるのではないかと。
 いや、してくれていたはずだ。
 たとえ良き国を作ったとしても、自分の身がいつか朽ち果てれば全てが無に帰すという葛藤を。
 いつかの鵜眞は理解してくれたはずなのだ。
 神子はそれを信じたかった。

 だが、理解してしまったのだ。
 人の話を一つ聞けば、十が分かる神子なのだから。
 いつの間にか、あの頃の鵜眞はいなくなっていた。いや、最初からいなかったのかもしれない。
 人は他人に無意識のうちに、理想の形を押し付けてしまうのだから。

 神子は心の中で一呼吸を置き、気をとり直した。

「実は、その青娥という者より――仏教という存在について伝授されたのです」
「仏教? うむ、名前は聞いたことがあるかもしれない」

 興味深そうに尋ねてくる。その目は、物部との戦いに役立つものであれば何でも利用しようという貪欲さを秘めている。
 彼の言った通り、彼は老いによって焦っているのかもしれない。物部との戦いを早く終わらせ、神子を王にしようと。
 神子はその目の輝きをしっかりと見つめ返し、言葉を続ける。

「その仏教を民の間で広める事により国の安定を図れます。その上、物部の武器である日本の神々の力を弱める働きがあるのです」

 それから神子は青娥からの受け売りを鵜眞に話し、彼の邸宅を後にした。
 夜も深いから泊まっていくと良い、という申し出を断り、彼女は斑鳩宮へと足早に戻っていく。

 結局、彼女は話せなかった。
 青娥より伝えられし不老不死の法。そして自分がその道を選んだという事実。――それらが鵜眞に伝わることはなかった。



   ◇   ◇   ◇



 斑鳩宮に戻ってきた神子は、浮かない顔で青娥たちに迎えられた。
 結局の所、自分は鵜眞に真実を伝えることが出来なかった。
 彼を信用していない訳ではない。そのはずなのに、どうしても寸前で彼女は躊躇した。
 『道教について隠し、仏教を広めることだけを伝える』という青娥の進言そのままを実行してしまった。

「どうでしたか、神子様?」
「屠自古……私は……」

 その表情を見て、屠自古も大体の事情を察した。

「まさか、父上が……?」
「いえ、違うのです。私が、最初から鵜眞には伝えなかった。彼には仏教についてのみ伝えました」
「そうですか……。分かりました」

 幻滅されても仕方がない。自分の父親を信用していない、と言われたも同然なのだから。
 しかし屠自古は、ただ受け入れるように、その言葉を聞いた。表情には悲しみや怒りや、それらと逆の感情すらもなかった。
 達観、あるいは覚悟を決めた顔。

「屠自古……。私はあなたの父上を信頼していないというわけでは……」
「分かっています。父があなたにとって大事であるからこそ、あなたは苦しんだのでしょう? それは誇りに思える事です」
「……ふむ。こうなると計画は先ほど話した通り、でよろしいという事ですかね」

 青娥の言葉に、神子は力なく頷いた。それに満足した青娥は続いて、屠自古の方へ向き直る。

「しかし、一つだけ……。屠自古さん、あなたが仙人にならないというのなら……」

 青娥の言葉を遮り、屠自古が答える。
 その瞳からは敵意のみが抜き取られ、しかし精悍さは残っていた。

「安心しなさい、道士。私はあなたの味方にはならないけれど、依然変わりなく神子様の味方よ。――仙人は目指さないというだけで、神子様への忠誠は変わらない。だから、あなたの計画にも賛同してあげましょう。手始めに私からも父に、仏教を広める話をしておきましょう」
「そう。それならば良かった。なら神子様と布都ちゃんは仙人になるべく、こっそりと修行を始めましょう」

 屠自古が自分の元を去らずに、引き続き味方になってくれる。
 それを知って神子は安心すると同時に、いよいよ歯止めが効かなくなるような、少しの怖さも感じていた。
 だが自分が臆してはどうしようもない。そこは王らしく堂々と、これから往く道を示すように宣言を行う。

「分かりました。王と仙人の両立、どちらにも支障が出ないように頑張りましょう。我々四人で理想の国を創り上げる為、協力し合っていくのです」
「へへへ、我も仙人かぁ。太子様と同じ……。よーし! よろしく頼むぞ、にゃんにゃん!」
「ええ、豊聡耳様。屠自古さん。布都ちゃん。我々は一蓮托生、よろしくね」
「……あぁ。くれぐれも蘇我の大和制覇も疎かにならぬように、頑張っていきましょう」

 こうして神子たちは道教を取り入れ、不老不死の仙人を目指す事になった。
 豊聡耳神子の――否、彼女たちの運命は間違いなく、ここで転機を迎えた。
 それを知ることが出来たなら、彼女はこの日の選択を変えたのだろうか。
 恐らくは――




10.開戦





 蘇我の領内にある港町。そこで船出を祝う盛大な宴が行われていた。
 旅立つのは聖徳王の忠臣、小野衣孟。彼は大陸にある帝国へと親書を送る為、使者に抜擢されたのである。

「それでは……くれぐれも気をつけてください」

 杯を交わしつつ、神子は彼の身を案じた。

「ええ、大事な仕事ですからね。必ずや皇帝に届けてみせます」

 彼は神子にとって初めての臣下であり、自分の正体を知る数少ない人物である。
 だから、その別れは名残り惜しい。しかし、彼の大陸行きを決めたのは他ならぬ神子であった。

「これから本格的に物部との戦いが始まるというのに、傍で一緒に戦う事が出来ずに……申し訳なく思います」
「いえ、これがあなたの夢なのですから。存分に活躍してきて下さい」
「……あの時は、まさか本当に自分が海を越えていけるなんて、夢にも思いませんでしたよ」
「最初に会った時は……。あなたは畑を耕す民でしたね」
「それが今や、聖徳王の使いとして大陸に行くとはなぁ……。人生、どこでどうなるか分かりませんね」

 神子は思い出す。
 それは自分が王になって間もない頃――
 彼女は民の様子を見ておきたいと、領地内を視察に廻っていた。
 ある農村を通りかかった神子の元へ、一人の青年が駆け込んできたのだ。

「王! 聞いて欲しい事があります!」

 青年はすぐさま側近たちに取り押さえられ、地面へ組み伏せられた。
 しかし神子はそれを解き放たせ、地面に膝をついて問い返す。

「何事でしょうか?」
「おぉ、聞いてくださいますか! 私は衣孟と申します! ご覧の通り農作が仕事の下民です」
「ええ、我々の生活を支えて下さっている。感謝します」
「あ、いえいえ。とんでもない。……って、そんな事じゃなくてですね! 私は武士になりたいんですよ!」
「武士に……?」
「私は腕っ節に自信があるし、大陸から来た人間に兵法を学んだ経験もある! 絶対に名前だけの連中よりも役に立つはずだ! ところが雑兵じゃあ、いくら活躍しようが、いつまで経っても名が上がらない!」

 確かにこの頃、出自が豪族の者でなければ将にはなれなかった。いくら武勇があろうとも――流石に神子ほどになれば話は別だが――豪族でない者は、将の盾となる雑兵にしかなれなかった。

 実のところ、神子もその仕組みには疑問を持っていたのである。
 だから衣孟の話には興味が湧いた。

「……あなたの話が本当であれば、私にその力を見せて欲しいのですが」
「力を見せ……認めてもらえたなら、私は将になれますか!?」
「……私の一存では……約束できません。しかし、私個人の考えとすれば……確かに、能力ある者はそれ相応の地位に就くべきだとは思います」

 馬小屋に捨てられた身から、鵜眞のおかげで今の地位についた自分。
 そんな経緯があるからこそ、神子は自分と同じように才能あるものが埋もれる事を嫌った。
 そして衣孟という青年。王である自分に直談判しに来る度胸からして、見どころのある人間だと感じたのである。

「……衣孟。少々、私の元で働いてみませんか? その結果次第では、私はあなたに家の名と、将の地位を与えたいと思います」
「おぉ、本当ですか!? 噂に聴いていた通り、素晴らしい王だ! あなたは!」

 そこから衣孟は戦に参加し、期待通りの戦果を挙げた。神子の人を見る目は正しかったのだ。
 よって神子は鵜眞に言って、衣孟へと地位と家名を与える事を申し出た。
 しかし――

「……いや、それは難しい。昔から家の名は由緒正しい血の者にしか与えられないからな……。他の将が黙っちゃいないだろう」

 思いのほか渋る鵜眞に対し、神子は真っ向から自分の意見をぶつける。

「以前に鵜眞は言いました。王というのは最初、権力者が勝手に名乗りを上げたものだと。――ならば家も同じでしょう。才能があるものが名乗れば、周りは納得します。逆に才能無きものが無駄に名を見せびらかし、往来を闊歩するのがいけないのです」
「むぅ。……うーむ。ならば、全く新しい制度を作るしかないな。能力に見合った者に、相応しい位を授ける制度を」
「分かりました。ならば私が作りましょう。その新しい制度を」

 こうして衣孟は小野という名を与えられ、神子の腹心として地位を上げた。
 以来、数々の戦場で王の補佐をし、若き将として勇名を馳せる。このままいけば、神子が作る国でも相当な地位に就けたことだろう。
 だが「大陸へ渡る」という昔からの夢を神子に話してしまったのが、ある意味では彼の運の尽きだった。
 神子は彼の為に尽力し『大陸の皇帝へ親書を送る』という仕事を作って彼に宛てがったのだ。

「……あなたが居なければ、私は未だに畑で野菜を作って平和に過ごしていた事でしょうねェ」
「そう考えると、私がしたことは……あなたにとって必ずしも良い事ではなかったのかもしれません」
「はっ、何をおっしゃる。……感謝していますよ、聖徳王。あなたと出会い、共に戦えたことにね。――私が帰ってくる頃には、きっと大和は神子様が治める素晴らしき国になっている事でしょう。いや、その暁には日本と号を改めるのでしたかね」
「ええ、そうなるように……頑張ります」
「……あぁ、船出の時間です。それでは」

 こうして小野衣孟は海を渡った。
 当時の船旅と言えば正しく命懸け、そして何ヶ月にも及ぶ長い旅路となる。
 よって彼が豊聡耳神子と顔を合わせるのは、この時が最後となった。



   ◇   ◇   ◇



 物部の強さは、まず物量にある。大和の半分を支配しているのだから、それは当然と言えよう。更には大和王の威光があり、その広大な領地に住む大勢の民を安定して束ねる事が出来ていた。
 そして戦いになれば活躍するのが、物部の術師たちである。神々の力を模した秘術を扱う彼らの存在が、物部の戦を支えているのだ。
 神子もその力には苦戦し、今までの様な連戦連勝といった快進撃は出来ないでいた。

 やがて神子は不用意に戦場の最前線に立つこともなく、必要に応じて駆けつけるよう、本陣で待機することが多くなっていた。

「戦況は如何ですか?」
「あまり芳しくないですね……。南は屠自古が押さえていますが、援軍が必要です。――っと、青娥でしたか」

 青娥娘々は何処にでも現れる。彼女は自由自在に時と場所を変え、こうして神子の元を訪れるのだ。
 それは厳重な見張りが敷かれているはずの、この本陣においても例外ではない。青娥は神子が一人でいるのを確認すると、すっと近寄ってきた。

「豊聡耳様。もし入り用でしたら、私がキョンシーを戦場に派遣しましょうか?」
「キョ、キョンシー? それは何ですか?」
「死体に霊魂を詰めて復活させる秘術です。死ぬことのないキョンシー軍団なら、物部の軍と言えどもイチコロですよ」
「いやいや、そんな不気味な兵が戦場に現れたら大混乱ですよ……。それに、道教の事は内密に、でしょう?」
「ふふ、冗談ですわ。……でも、キョンシー軍団については冗談ではないのです」
「それは……?」

 青娥は懐から一枚の紙を取り出すと、それを神子へ向けて広げた。そこには大きな建造物の設計図が描かれていた。

「私に“大祀廟”の建設許可を頂きたいのです」
「なんですか、大祀廟とは?」
「言うなれば神子様の本拠地となる、あるいは象徴となる建物です。仙人となった貴方は神格化され、ここで祀られます。そして、この場所にはいざという時の為にキョンシー軍団を配備しておきます」
「……そんな先の事まで考えているのですか。私はまだ仙人の修行を始めたばかりだというのに」
「準備はし過ぎて困ることはありませんからね。豊聡耳様たちは戦に忙しい。そこで自由に動ける私がこうした準備を進める。効率的ではありませんか」

 神子は少しだけ考えた。
 自分の周りを守るのが動く死体というのは不気味であるが、それが青娥の趣味であるというなら文句はつけられまい。

「分かりました。大祀廟の建設はあなたに一任します」
「ありがとうございます。それでは早速……」
「あ、ちょっと待ってください!」

 ふらりと去りかけた青娥を引き止める。
 青娥は神出鬼没だ。こういう時に用事は全部済ませておかなければ、今度いつ会えるか分からない。
 だから神子は疑問をぶつける。彼女の教える道教の修行について、だ。

「なんでしょう?」
「私や布都が修行の為に服用している丹砂ですが……。物の本によれば、これは猛毒の類であるとか……」

 信用していない訳ではない。
 しかし、やはり青娥を信頼はしていない。
 だから神子は彼女の教えることを、自分なりに調べてみたのだ。
 それは自分と違って青娥に完全に心酔している布都を、万が一の事態から守る意味もあった。

 そんな、一歩間違えば仲違いを起こしそうな質問にも、青娥は笑顔で答える。

「ええ、毒ですよ」

 意外な言葉に、神子は驚きのあまり、一瞬言葉を失ってしまった。

「ッ!? それは……どういう……?」

 神子の反応を楽しむように、青娥は後から説明をする。

「一般人には、毒なのです。しかし、豊聡耳様や布都ちゃんのような資質ある者にとっては、仙人になる為の薬となる訳です。だから凡人に道教を教えてはならない。貴重な人間を無駄死にさせるだけですからね」

 彼女がわざと自分を信頼させまいとしているような言動をするのには、神子も流石に慣れてきた。
 しかし、分かってはいても、青娥の言葉は神子を不安にさせる。

「……本当に大丈夫なのでしょうね?」
「ご安心ください。才能がなければ、もうとっくに身体に変調が起きているはずでしょう。こうして無事でいる事が、豊聡耳様が仙人になれるという証拠でもあります」
「すみません。私も命が懸かっているとなると、いささか不安になるのです……」
「それは人間ですもの、そうでしょう。いいえ、貴方に限っては人間ではなく、聖人だけれどもね」

 用件を終えると、青娥はいつもの様にふらりといなくなった。まるで煙か何かのように、その姿を歪ませて空間から消失したのだ。それも仙人の術の一つだという。
 さっそく、大祀廟の建設とやらに向かったのだろう。

「青娥娘々。……私は彼女を信頼できるのでしょうか」

 確かに自分への関わり方には、何か執着に近いほどの親愛を感じる。
 だが彼女の本質を薄っすらと見抜いている神子にとっては、彼女の教えに従って仙人になることは賭けに等しかった。
 それでも、不老不死の王として君臨するには、この好機を逃す手はないのだ。
 だから彼女は青娥を受け入れていた。彼女の毒が自分を静かにじんわりと冒していくのではないか、そんな猜疑の心を持ちながらも。



   ◇   ◇   ◇



 蘇我は民へと仏教を広めた。その役目は主に鵜眞が請け負っていた。
 彼自身も仏教の考えには共感し、国を安定させるのに適合した宗教だと歓迎したのだ。
 物部との戦が始まると神子は戦場に出ずっぱりになってしまい、政に手を出せなくなっていた。だから都にいる鵜眞が、その政治のほとんどを執り行っている。

 神子は最近になって思う。もう随分と鵜眞に会っていない。
 だからだろうか、ある日、彼女はこんな夢を見た。

「鵜眞。今宵は月が綺麗ですねぇ」
「ああ、そうだな。美しい満月だ」

 夜空を見上げ、こんな会話をしている。
 これは確か椒林が死んでから、神子が蘇我の大将になるまでの間、そのくらいの時期に実際あった出来事だった。
 それが夢で再現されている。過去を振り返る夢である。

「ねぇ、鵜眞。あなたは一体、どんな国を作りたいと思っているの?」

 幼い神子は、無垢な質問をぶつける。
 それは子が親の職について、いかな働きぶりなのか気になる、そんな心理からくるものだった。

「どんな国……か。私は民が平和に暮らせる、そして戦の起こらない、そんな理想的な国を作ろうと思っているぞ。だが、まぁ……きっと誰もが、そういう国を作ろうと思ってはいるんだ」
「……そうなんだ。でも、上手くいかないんですね」
「これから私が上手いことやる予定だがね」

 鵜眞の返しに笑う神子、そんな娘に対し、男は微笑みながら問いを投げる。

「……神子よ。お前は、お前ならどんな国を作ろうと思う?」

 思わぬ質問に、神子は目を丸くした。

「私が、ですか? ……私は国を作るなんて、そんな大それた事……できないですよ」
「もしも作れたら、でいい。――お前はどんな国を作りたいと思っている?」
「私は……私はですね。うん……鵜眞と同じ国が作りたいな」

 その言葉を聞いて、鵜眞は珍しく満面の笑みを浮かべた。そして、神子の頭をその大きな手で撫でる。

「そうか。私とお前の理想は同じだったか。……これなら安心だな」

 ああ、そうだ。
 私は――私が思い描く理想の国とは。
 この時に生まれたものだったのだな。

 神子の理想が鵜眞の作り出したのだとしたら、その理想の為に生きる神子自身も、鵜眞が作り出したといっても過言ではない。
 彼女が『理想の国』を永遠のものとしたいのも、鵜眞の理想を永遠にしたいという、彼のためだけの理想に他ならないのかもしれない。

「私は命を救われた。だから、この命は鵜眞のもの」

 言葉は夢の中か、現実か、どちらで発したものか分からない。
 神子は覚醒し、身を起こした。
 隣の布団では、先の戦勝に浮かれ酔いつぶれた屠自古が寝ている。

「屠自古」
「うー、んにゃ……なんですかぁ?」
「私はちょっと、鵜眞の所に行ってきます」
「父上のところぉ? いってらっさい……」

 神子は斑鳩宮の蔵へ足を運ぶと、いつぞや何処かの豪族から贈られた酒を持ちだした。

「あ、太子様ー! おはようございます!」
「おはよう、布都」

 廊下で会った童女は、うきうきしている。その手には道教の修行に使う、丹砂の包み紙が握られていた。

「これから今日の修行をするんですよー! 太子様もご一緒にどうですか?」
「いえ、私はこれから鵜眞の所に出かけてきます」
「鵜眞殿? ああ、そういえば最近、我も会ってないなぁ……。ついていっても良いですか?」
「いや、せっかく修行の準備をしたのですから、布都は鍛錬をしていてください」
「……はーい。道中、気をつけて下さいね!」

 そして神子は都へと向かう。
 日はまだ天頂に差し掛かった辺りで、都には人の往来が多い。
 道行く人々は神子の姿に気がつくと、慌てて頭を下げる。鵜眞の宣伝は上手く言っているようで、都の民は誰もが神子の事を知り、敬っているのだ。

「……神子? 今日は休んでいるんじゃなかったのか?」

 訪ねてきた神子の姿を見て、鵜眞は大層驚いた。

「いえ、久しぶりに……鵜眞と話がしたくて」
「あぁ。そういえば、お前とも久しぶりになるな。前回会ったのは……仏教の話を持ってきた時のか。ああ、神子、昼飯は食べたか?」
「まだですが……」
「その手に持ったもの、飾るために持ってきた訳ではあるまい。食べていきなさい」

 鵜眞は酒を受け取ると、召使に言って料理を用意させた。

「立ったままでは何だ、座りなさい」
「……はい」

 久々に、神子は誰かから命じられた。
 王の立場になってからは、誰もそんな事はしなくなった。
 王なのだから、誰かに命令する事はしょっちゅうでも、誰かから命令される事はない。あるとしても屠自古たちの助言くらいなものだ。
 だから、その懐かしさに彼女は笑みを零した。

「最近、どうだ。やはり物部は手強いだろう」
「ええ、そうですね。私一人の力では戦況をひっくり返すなど、とても出来ません。――しかし、屠自古たちが優秀なおかげで、ここまでは順調です」
「そうか、あいつは役に立っているか。……親として鼻が高いな」
「屠自古には本当に助けられていますよ。戦いだけでなく、生活の面でもね」
「ふふ、本当に夫婦みたいだな。お前たちは」
「そうしたら、私たちの子供は布都ですかね」
「あぁ、そうだ。布都姫は元気にやっているか? ……恥ずかしながら、全く構ってやれていないからな。いや、こんな爺といるよりも、お前たちといる方があの子にとっても楽しいのだろうが」
「ここに来る前、布都も鵜眞に会いたがっていましたよ。彼女にとって、鵜眞は父親のような存在ですから。良く慕っているようです」
「そうならば嬉しいが。……そういえば神子よ、あの青娥という大陸人は、まだ……お前に纏わりついているのか?」
「え、ええ。客人として斑鳩宮に招いていますよ。仏教を私たちに伝えてくれた恩人ですから」
「あやつは……お前に妙な入れ知恵をしているそうじゃないか?」
「入れ知恵、ですか? まぁ、大陸の文化などについて教えてもらっていますが……」
「……彼奴は雌狐だ。かつて大陸の帝国を滅ぼしたという、九尾の狐のようなものに私は感じる。……あまり深く関わるなよ」
「房中術には嵌りませんよ」
「冗談ではない」
「大丈夫です。あの人には確かに純然な悪意があります。しかし、私に対しては協力的であるのも事実。そこを踏まえていれば互いに利用し合える関係になるでしょう」
「……お前も、人の世に染まったものだな」
「悲しそうな顔で言わないでください。これでも成長したつもりなんです」
「男親は娘の成長を喜べないものなのだよ。……そうそう、仏教についてなのだが」
「なんでしょう」
「あれは確かに素晴らしいものだ。民にも問題なく広まっていっているし、上手く使えば物部との戦いにおいても有利になりそうだ」
「戦いに……仏教の力を使うのですか? あれは民の心を癒すものだと――」
「まだ確証はないが、あれは運用次第で戦にも使える……。それに軍の侵攻よりも、宗教の侵攻の方が早いことにも気づいたしな」
「ああ、物部の領内でも仏教徒が増えているという話ですか。上手いこと、やりましたね」
「民は戦によって苦しむものだからな。宗教というのは、そういった苦しみを和らげるものだ。……後は物部を上手く焚き付けて、仏教の弾圧でもさせればこちらのものだ。奴らは内部から崩壊していく」
「……ふむ。しかし物部も、そんな愚かな行為はしないでしょう。表立って仏教を弾圧するなど、民からの反感を買うのは眼に見えている」
「だから、それを上手くだな……」

 酒は進み、料理に舌鼓を打ち、なおも二人の話は続いた。
 鵜眞の用事があり側近の迎えがあるまで、神子と鵜眞はとことん話し合った。
 それは今まで疎遠だった分を取り戻そうという、そんな時間だったのかもしれない。

「……それでは、鵜眞。また近いうちに会いましょう」
「ああ。戦いはお前に任せたぞ。だから、国造りは私に任せろ」
「ええ、きっと、また……」

 名残りを惜しみながらも、神子は鵜眞の邸宅を後にした。
 斑鳩宮へ帰る途中、彼女は空を見上げた。薄暗くなってきた空に浮かぶのは、まんまるい月。
 いつか見たのと同じ、美しい満月。
 しかし、それを見つめる彼女の心は、あの時とは違う。あの時の、鵜眞と同じ理想を掲げて高鳴っていた心とは、違うのだ。
 同じ月を見ているはずなのだ。それだけは信じていたい。
 その足取りが重いのは、酒のせいではないだろう。




11.兄と妹と





 斑鳩宮の廊下を神子が走る。珍しく血相を変え、ある人物を探して。

「布都! どういう事ですか!?」

 部屋の中で物書きをしていた布都へ、開口一番に問いかける。

「ど、どど、どうしたんです? 太子様!?」
「どうしたもこうしたも……。鵜眞から聞きましたよっ!?」
「え、ああ。……あの事ですか」

 そこへ騒ぎを聞きつけた屠自古もやってくる。

「どうしたのですか? 珍しく布都ではなく、神子様が騒いでいるなんて」
「屠自古は聞きましたか!? 布都が今度、物部杜矢の元へ謁見に向かうということ……」
「えっ!? なんだって? 兄妹の立場とはいえ、今の状態で物部に帰るなんて危険ですよ!」

 今や蘇我氏と物部氏は、戦争状態である。
 互いの領地は物資の行き来も難しい情勢。物部の人間とはいえ、鵜眞の妃である布都が物部領へと帰るのは困難だろう。

「そこを利用するのだ。……鵜眞殿が考えた、仏教を最大限に利用する方法。物部が仏教を弾圧するきっかけとして、我の力が必要なんだ」

 物部が仏教を弾圧すれば、今や国全体に広がりつつある仏教勢力を敵に回すことになる。だが物部もそんな事は百も承知。弾圧などという愚かな行為はしないだろう。
 そこで布都は自分が兄に進言し、仏教弾圧をやらせようと言うのだ。

「そんなの蘇我の罠だとバレるんじゃないか? そうしたら布都だってその場で捕まってしまう。下手をすれば……」
「大丈夫だ。我は蘇我を裏切ったように見せかける。『蘇我の切り札である仏教を滅ぼせば太子様の力も失われる』と説く。……なにより我も日本古来の神と近しい者。本来ならば仏教は敵である。そんな我の言うことならば兄も信ずる事だろう」

 確かに布都の言うことは一理ある。
 しかし、その理屈を実際にやって、敵に通るかどうかは別である。

「上手くいきますかね……。私は布都にそんな危険な役目を負わすなんて、反対です」
「父上も何を考えているんだ。そりゃ杜矢も堂々と手を出してはこないだろうが、裏から手を回して布都をどうにでも出来てしまう。命懸けじゃないか……」

 神子と屠自古の矛先が鵜眞へ向かうと、布都は慌ててそれを否定した。

「太子様、屠自古。安心してください。これは我から鵜眞殿に申し出たこと……。我が自らやりたい事なのですから」

 珍しくやる気に満ちている布都を見て、神子はもっと別の方向に気概を持って欲しいと悲しんだ。
 王の立場を利用し、鶴の一声で中断させても良い。
 しかし彼女の話によると、計画はもう進んでしまっているようだ。こうなれば詳細を尋ねて、その手助けをするしかない。

「しかし布都、どういった理由をつけて物部に戻ろうというのですか?」
「我々の一族には『磐船の儀』というものがありまして……。それを利用するのです」

 物部一族にとって大事な日がある。それが先祖の神々へと祈りを捧げる儀式である『磐船の儀』が執り行われる日だ。
 同族枝族の多い物部氏にとって、この儀式に参加しない事は一族の輪から外れるという、致命的な落ち度になる。
 よって蘇我に嫁いだ布都と言えども、この儀式には参加して違和感がない。
 これを理由として布都は里帰りをし、杜矢と接触して仏教弾圧を吹きこもうというのだ。

「既に物部の側に申し入れております。故に今更、中止には出来ないのですよ。何より……我はやりたい。神子様に止めろと言われても、こればかりはやり通したい」

 そのあまりにも強い意思に、神子は彼女を信じてみようという気になった。
 それに敵は血の繋がった兄なのだ。最悪の事態でも幽閉される程度に留まるであろう、と推測した。
 だが出来るだけの事はしたい。神子は妥協案を提示する。

「分かりました。領内には入れませんが……。前日まで一緒に行動しましょう。最近は賊なども多いと聞きますからね」
「……神子様。私もついて行きます。せめて、少しでも布都の危険をなくしたい」

 こうして神子と屠自古は、布都が物部の領内へと帰るのを見守る為、ひっそりと随行する事にした。



   ◇   ◇   ◇



 『磐船の儀』が執り行われる前日。布都は物部の領内から一里と離れていない場所で一夜を明かす。
 次の日には物部側からの迎えがあり、都まで護送される手はずである。

「布都……。不安ではありませんか?」

 宿の窓から夜空を見上げ、一人で過ごす童女へと話しかけた。
 明日になればたった一人で敵地に乗り込むことになる。実際の戦に向かうわけではなくとも、その危険については彼女も十分承知しているだろう。
 だが彼女は努めて、あっけらかんとしていているようだった。

「何をおっしゃるやら。自分の故郷に帰るのに、何を恐怖する事がありますか?」
「そうですね。……いや、しかし……今の蘇我と物部の関係は、昔とは違いますからね」

 口ではそのように言った神子であったが、胸中には別の問いを持っていた。
 いつだったか、布都に親族と戦う事になる意味を尋ねた日。彼女が見せた拒否反応。
 あれは単に身内と戦う事になる辛さからくるものではなく、それ以前から彼女を苦しめてきた何かの鬱屈だったような気がした。
 神子は今こそ、彼女が物部と一人で対峙する前だからこそ、真実を聞いておかねばならないと思うのだ。

「布都。……聞かせてくれませんか?」
「…………ぁ」

 いつも神子の言葉に対しては、水を得た魚のように元気よく答える布都。そんな彼女が、この問いかけに対しては答えを返さない。
 しかし神子としても深く追求するつもりはなかった。この問いかけに対して布都が何も言わなければ、また別の何かを答えるのならば、それ以上は何も言わないつもりであった。

「太子様……。それは」

 しかし彼女は窓を背にし、神子と顔を合わせた。その顔に浮かぶのは、照れの混じった苦笑い。あの時も見た、歪な笑顔だ。

「“私”と物部に関する事ですか?」
「……ええ」

 周りには他に誰もいない。
 付き添いの兵も遠く、屠自古は辺りを見回ると離れていった。
 ここには布都と神子の他に、人はいなかった。

「あの時は、すみませんでした」
「いえ、私こそ無神経でした。布都の心の内を、私は知ることが出来ていなかった。それなのに分かったように、入り込んでしまった」
「違うんです。私は……」

 あとは、布都の独白を聞くだけ。神子は静かに唇を閉じて、全てを受け入れるように佇むのみ。

「私は……鬼子なんです」

 そんな馬鹿な。――布都の身の上を知るものならば、皆がそう言うだろう。
 何故なら彼女は物部氏の中でも、特に神々の血を色濃く継いだ神童であった。歓迎こそされ忌み嫌われるはずはない。
 だが、事実がそうでないのは本人が知っている。

「物部は時代と共に勢力を拡大させ、一族も数え切れぬ程に増えました。すると、それに呼応するように……神の力を持った人間は、次第に産まれなくなってきたのです。今も戦場で活躍している術師が扱うのは、神の力を模したモノですからね」

 屠自古の使う召雷術などは、擬似的な神の力を扱う、研究の結果で生み出された技術。
 布都が稀少だと言われるのは、本物の神の力を借りられるからなのだ。
 だが、実際に戦などで現れる効果は、秘術も神の力も大差がない。ならば、ある程度の才あらば誰でも習得できる秘術が重宝されるのは自然な流れであった。

「今の物部では神通力よりも、武勲や秘術の扱いに秀でた者が重宝されます。兄が弓の名手として名を馳せているように……。だから私のような者は……逆に必要なかった。産まれてはならなかったのです」

 布都の神性が示されたのは、彼女が七つになった時の『磐船の儀』であった。
 王も見守る中で行われる儀式。一族は社へ祀られている大きな磐船へと、順々に手をかざす。布都が父に促されて手をかざしたその瞬間、それは大きな地鳴りと共に浮き上がり、空へと舞い上がった。そして光り輝きながら、ゆっくりと大地に降り立ったのだ。
 それはまるで物部の遠祖神である『饒速日命』が天から降りてきた時のように。

「それから私は神の血を継いだ娘として、王や父から物部の象徴のように扱われました。……私なんか……政も戦も……何も出来ない駄目な娘だったのに。だから、兄やその他の一族からすれば面白くなかったのでしょう」

 それからの一年は、彼女にとって地獄であった。
 閉鎖された物部氏という空間の中で、彼女の味方は誰もいなかった。
 宮の奥にいる王はもちろん、物部の首長として多忙な父は、布都を持ち上げるだけ持ち上げて、その実は彼女の様子を気にかける事もなかった。
 彼女は兄弟たちからの執拗な責めに遭い、まるで最初から存在しないもののように、あるいは病を撒き散らす疫神であるかのような扱いを受けた。

「兄が私を“大物忌”にしようとしたのは、お互いにとって良い事でした。兄からすれば物部の権力から遠ざけられるという事でしたし、私からしても物部の家から逃げ出す事のできる機会でしたから……。大物忌として過ごした二年間は、厳しい戒律に疲れもしましたが、家にいるよりは遥かに楽な時間でした」

 布都が十歳を過ぎ“大物忌”を引退せざるを得なくなった時、杜矢は彼女が再び物部に戻ることを疎んだ。そして、ちょうど停戦協定を結ぼうとしていた蘇我氏へと嫁に出すことを思いついたのだ。

「蘇我に嫁いでからの数年間は、私の人生の中で……本当に楽しくって……素晴らしい時間だったと思います。……太子様、それはあなたのおかげによる所が大きいのは……言うまでもないでしょう」

 そこで神子はようやく口を開いた。

「ならば、何故……今、また物部氏へと戻ろうというのですか? 布都の持つ神の力は、物部にとっても脅威となるでしょう。あなたを物部が無理矢理に拘束する、あるいは亡き者にしようという可能性も……」

 神子の懸念は、布都も重々承知していた。
 それでも物部へ帰る理由。それは――

「私は……。勝ちたいんです」
「勝つ?」
「兄に……いえ、物部氏という敵に、私は勝たなければいけない。そうしなければ、私はこのまま斑鳩宮で太子様たちと平和に過ごしていたとしても、物部という存在に囚われたまま……。それでは駄目なんです。そんな風に、気付いたんです」

 屠自古が以前、布都に教えたことがある。
 勝てない者からは逃げる術を持て、と。
 しかし、物部布都という少女は屠自古が思っていた以上に強かったのだ。
 その場限りの延命を好まず、自らの成長を欲する程、物部布都は欲深かった。
 彼女は自分が強くなる事を欲していた。

「あなたに、それだけの覚悟があるのなら。布都、私はここであなたの帰りを待ちます。あなたの“勝利”を信じて」
「私は負けません。必ずや、物部杜矢を唆してみせます。……そして、必ずやあなたのもとに戻ってきます!」

 一際大きな声で布都が宣言した途端、彼女の背後、窓辺から二つの顔が覗いた。

「良く言ったじゃない、布都姫。いざとなったら私と神子様で助けに行く。大船に乗ったつもりでいってらっしゃい」
「布都ちゃん、私もいるわよ。おおごとになったらキョンシーの動員も辞さないからね。人質救出は得意だから安心して」
「おわっ! 屠自古、それに……にゃんにゃんまで!?」

 二人の登場には神子も驚きを隠せない。

「屠自古、いつの間に戻っていたのですか? それに青娥は久々ですね。大祀廟とやらの建設はどうなったのですか?」
「外を見回っていたら道士が現れたのでね。変な動きをされないように神子様のもとに連れてきたのです」
「あら失礼ね。裏口から堂々と入ってきたのに。……豊聡耳様、ご安心ください。大祀廟は完成間近です。あとは建設キョンシーがやってくれるので、私は貴方の御傍に仕えさせてもらえます」
「待てまてっ! おぬしら、何処から聞いておったのだ!」

 布都が顔を真っ赤にして窓枠から身を乗り出す。
 彼女にとっては神子にだけ聴かせるつもりだった。――それだけ秘密にしたかった想い。
 なのだが、実はダダ漏れであった。

「どこからって……」
「全部聞いちゃった」

 しれっと答える二人に、布都は身体をふるふると震えさせ、やがて神子に抱きつきにいった。

「わぁぁぁあ、太子様の馬鹿ァー! 二人がいるなら、いるって言って下さいよぅー!」
「うぅ、す、すみません。私も気付かなかったのです。布都の話に集中していて……」
「まぁ、いいじゃないか。道教の秘密を共有する私たちだ、お互いに隠し事はナシってことで、ね?」
「ごめんね、布都ちゃん。でも一人で抱え込むよりも、皆で相談して解決した方が良いこともあるのよ?」

 布都は袖口で顔を隠しながら、ちらりと窓際に目線をやった。
 知られてしまったものは、しょうがない。
 むしろ、こうして応援してくれる人が多い方が、心強く感じると思い直す。

「……ありがとう。我は戦ってくる! 我は立派な仙人になるのだ。こんな所で躓いてなどおられぬ」
「その意気だよ。布都姫には私の分まで、神子様の傍に居てもらわなければいけないんだからな」
「布都ちゃん。あっちにいる間は修行を休みなさいな。万が一にも道教へ通じた者がいて、そいつに看破されたら計画が台無しになっちゃうからね」
「うん、分かった!」

 彼女の顔には、いつもの無垢な笑顔が戻っていた。
 神子は思う。それが彼女の本性なのだろうか、と。
 あるいは……たまに見せる鋭さや、先ほどの思いつめた顔が、布都の本当の顔なのかと。
 でも、どちらにせよ。
 神子はこの笑顔が好きであった。だから布都には、いつまでも笑っていて欲しかった。

「布都。気を付けて」



   ◇   ◇   ◇



 大陸から伝わった建築技術などを取り入れた蘇我の都に比べ、物部の都は古都という表現が良く合っていた。
 忌まわしき記憶しかない土地でも、その懐かしさに少しばかり心は踊るものだ。しかし布都の表情は、緊張に引き締まっている。
 これより先は味方などいない完全なる敵地。肉親同士であっても、少しの隙でも見せれば、そこを突いて陥れにかかる。それは布都が物部の人間としてこの地にいた時より、一つも変わらない事であった。

「おぉ、布都様! お久しぶりでございます!」

 物部の屋敷、一族の集まる大広間に通された。
 そこに待ち受けていたのは幼少期に布都を蔑んでいた連中。それが今は朗らかな笑顔で彼女を迎える。

――太子様の微笑に比べ、なんと醜いことか。

 そのように胸中では見下しながら、布都も同じように笑顔を返す。

「皆様、お久しぶりでございます。お元気そうで何よりです。『磐船の儀』への出席、認めてくださり感謝しております」
「いやはや、物部の為にお一人で蘇我へ嫁いだ方です。布都様が儀へ出席されずに誰が出るというのか」
「なにより布都様ほどの神通力を持ったお方、儀へお越しにならなければ饒速日命様も肩を落とすでしょう」

 そこで広間は笑い声に包まれた。傍から見れば一堂に会した親類の談笑。
 だが、その実は腹の探り合いを隠す偽装。
 それを打ち破ったのは、無遠慮に開いた扉の音と、続く男の声だった。

「ふん。何をしに舞い戻って来おったか。蘇我の人間が」

 布都には一瞥もくれず吐き捨てるように言うと、男は上座に腰を降ろした。
 先ほどまで笑顔だった連中も、ぐっと息を呑んで押し黙る。
 故に布都の幼い声だけが、はっきりと通った。

「お久しぶりです、物部杜矢様。いえ……お兄様」
「ふむ。多少は顔つきが変わったか。……何かを腹に抱えておるなァ」

 物部を束ねる男、物部杜矢。布都とは八つほど歳の離れた兄であり、そして、この世で彼女のことを最も憎む人間。
 戦に出ない政治家とは思えぬ、鍛え抜かれた肉体。そして人を射殺すかのような鋭い眼光。彼にこそ武士という言葉は相応しい。
 そして実際、彼は大和一とも言われるほどの弓の名手であり、この場においても愛弓をその背に背負っていた。
 それはつまり、いつ敵に襲われても良いようにとの備えであり、肉親相手といえども一寸たりとも心を許してはいない事の表れである。

「何をおっしゃるのです。数年ぶりにお兄様とお会い出来ると思い、喜んで参りましたのに」
「はっ、あれだけの仕打ちを受けておいて、まだ俺に兄妹の義を感じているとすれば……おぬしは白痴であろうな」
「失礼ですね。今の私はあなたの妹であると同時に、蘇我の姫でもあるのですよ。まさか戦に呆けて最低限の礼儀も欠いてしまった訳ではないでしょう?」
「馬鹿も休みやすみ言え。敵国の姫としてお前を招いていたのなら、既にその首は胴と離れておる。今回はお前を物部の人間として、我が妹として呼んだのだ」
「……それならば、兄妹らしく仲良くしましょう?」
「それも『磐船の義』が終わるまでだがな。儀にはいつものように王もいらっしゃる。ここ数年は王も神通力が起こらずに『儀』への関心を失っておる。いつぞやの小娘が起こした奇跡に味をしめ、普通の儀では物足りなくなってしまったのだ」
「……その為に私の出席を認めてくださったのですね」
「ああ。磐船を浮かすでも何でもしろ。そうすれば後はお前など知らん。さっさと蘇我へ帰って鵜眞の爺と子作りでもしてるんだな」

 吐き捨てた杜矢は踵を返すと、さっさと広間から出ていった。
 後に残された一族の者は静まり返る。

「……下品な男」

 布都はそう呟くと、兄の出ていったのとは反対方向へと足を向けた。

「あっ、布都様! この後には食事が……」

 追いかけてきた言葉に、布都は短く答える。

「兄のいた部屋で、物を口にしたくはありません」



   ◇   ◇   ◇



 まさか、これほどとは思わなかった。
 確かに数年前の迫害に比べれば、どうという事はない。
 だが、自分は客人として招かれていたのだ。それに対してあの言動とは、いくら物部の頭としても許容できる事ではない。
 会わなかった年月は二人の距離を更に広げてしまったのか。そんな感傷がない訳ではない。
 しかし、今の布都には兄と仲直りをするよりも大切な使命があるのだ。

 それに――自分も彼を利用しようとしている。兄を非難する事は出来ないだろう――布都はその様に思いながら、杜矢の部屋へと向かった。
 そこには当然、見張りの兵が立っている。布都は一つ深呼吸をすると、意を決して近づいていった。気負わず、敵意なく、無害な少女になる。

「あの……。すみません。杜矢の居室へ通して頂きたいのですが」
「あー、駄目ですよ。杜矢様から、夜には誰も通すなと言われていますのでね」
「そんな……。明日に儀が終わったら、私は蘇我に戻らなければいけないのです。……お兄様と少しだけでも、お話を……」
「……うーん。しょうがないなぁ。少しだけですよ」

 実の兄妹なのだ。ましてや甲斐甲斐しく兄を慕う妹、を完璧に演じて見せた布都。それに騙されない男はいないだろう。物部の兵は渋々ながら、布都を奥まで通した。
 してやったりと布都は静かに杜矢の部屋へ近づき、扉を叩いてみた。

「……何用だ」

 扉は僅かに隙間を開ける。その向こうから猛禽の放つような鋭い視線が覗いた。目的の男、杜矢である。布都はまず第一の関門をクリアした。
 ただ問題は、開いた扉から鋭い刃が差し出された事だろう。

「……ッ!? あ、お兄様。……布都です」
「帰れ」

 勢い良く扉が閉じられた。
 ある程度は予想していた。だが、まさかいきなり刃を見せつけるとは。
 相手が布都と知ってはいない状態でこれなのだから、自分に近寄ってくる相手には全てこうなのだろう。
 布都は兄の異常さに身体を震わせ、歯が勝手に音を鳴らすのを抑えられなかった。
 心のどこかで、まさか実の妹を殺そうとはしまい、という期待――のようなものがあったのかもしれない。
 だが違った。この男は自分に害為すとみれば、間違いなく肉親だろうが殺す。布都はそのように考えを改めた。

「待ってください!」

 布都は思い切って扉を開き、杜矢の部屋へとなだれ込む。
 怒りを買い、もしくは反射的に斬られてもおかしくはない。
 それだけの狂気を今の兄からは感じる。だが、彼女はやらなければいけないのだ。だから落命の恐れを顧みず、行動した。

「お願いします、助けてください!」

 杜矢の怒号が飛び出る前に、布都は床に頭をつけて土下座をする。
 その耳の上を、鋭い刃が通った。髪の毛が数本、はらりと落ちる。冷や汗と鳥肌が全身を覆うが、布都は歯を食いしばって恐怖に打ち勝った。

「頼みがあります……」
「……申せ。その必死さに免じて聞いてやる」

 刃を納め、冷たい瞳で布都を見下ろしながら、杜矢は言い放った。
 布都は「とりあえず殺されなかった」と胸をなで下ろしながら、ゆっくりと口を開く。

「私を助けてください……。今やこの国は仏教が広まり、古代の神々は力を失いつつあります」
「知っておる。それが、お前と何の関係にある?」
「わ、私は……知っての通り、神の血を色濃く継いでおります。……故に、神の力が弱まることによって……私の身体も生命力を失うのです」

 大嘘である。そんな事実は布都も聞いたことがない。
 だが、杜矢は「ふふん」と面白そうに鼻で笑って、こう紡いだ。

「なるほどな。お前の顔を一目見て思ったわ。こやつ死にかけておる、とな」

 兄から飛び出た意外な言葉に、布都は心中で「騙されおって」と小躍りする。
 だが気取られぬように、布都はわざと声を震わせて続ける。

「お兄様……。どうか、お願いでございます。私を助ける為……仏教を滅ぼしてください!」
「……それが、俺にとって何の得になる?」

 血の繋がりという情でなど、微塵も動かないことは百も承知。
 続く言葉は用意してあるが、あえて言葉に詰まらせてから答える。

「も、物部は神の血によって支えられてきた豪族です。その恩恵が実際は弱まったとしても、仏教が蘇我の力となり……神々が物部の力となっている事に代わりはありませぬ。仏教を滅ぼすことは……蘇我との戦いも有利なこと」

 これは事実である。信仰の力を失えば、神も力を失う。
 故に杜矢も布都の話が嘘ではない、と少し信用を高めたようだ。しかし、まだ疑るように彼女へ問い詰める。

「……お前は蘇我の人間であろう? それが、何故……俺の助けになるような事を?」
「わ、私は……今更、私をあんな目に遭わせた……お兄様たちに情など……持ってはいませぬ」

 ここは敢えて、決別の言葉を放ってみせる。
 私は物部の人間です、だから物部に味方するのは当然です。――などと情に訴えかけて、それが通じる相手ではない。
 ならば事実を伝えてやる。そちらの方が杜矢相手には、信用を勝ち取れると踏んだ。

「私は……自分の命が惜しいのです。蘇我の連中と聖徳王は仏教を広め、神々の力を殺そうとしている。それが私の命を失わせる事と知りながら……ッ! 許せない、私はまだ……死にたくないのです!」
「……ふむ。なるほどな」

 この杜矢という男は、下手な情よりこうした人間の醜さを見せた方が、よっぽど信頼をする。――実の兄に対して、そのような分析をする布都の心中は、如何なものであったか。
 ましてや、それが有効であった時の物悲しさは。

「……お前が『物部の為に』などと嘯いたら、この場で斬り捨てるつもりであった。お前が一族の為に裏切るなど、そんな度量があるはずがない。――お前のような卑しく弱き者は、いつも自分の事だけを考えて動いておるからな」
「まさか……自分の命より大切なものが、この世にあるとお考えですか?」
「否。俺は自分の命、そして物部の覇権以外には何も要らぬ。布都、お前の命も、俺にとっては蘇我に打ち勝つ為の道具に過ぎない」
「承知です。お兄様……今一度、私の命を使ってください。そして私を生かし……蘇我を滅ぼすのです……!」

 必死の形相で頭を下げる布都に満足したのか、杜矢は歯を見せて笑った。獣のような鋭い犬歯がちらりと覗く。

「勘違いするなよ。俺も仏教という怪しげな教えは、いつか潰さなければいけないと考えていた。そこにお前が丁度やってきた。――くれぐれも自分が物部の役に立ったなどと、思い上がらないことだな」
「それでも良いのです。とにかく私の命さえ永らえさせてもらえれば! 私が持つ蘇我についての情報を……聖徳王についての情報を……!! 仏教を滅ぼす為にお使いください!」

 あるいは――布都が実の妹であったから、杜矢もその口車に乗ったのかもしれない。
 幼い頃の、自分に虐げられていた布都を知るからこそ、彼女の演技も命惜しさから来る真実であると思い込んだのだろう。
 布都が物部を離れて数年間、神子たちと出会った事で成し遂げた成長を、杜矢は想像もしていなかった。彼の中で布都はいつまでも愚図な妹であり、その才覚だけで持ち上げられた癌なのだから。

「いいだろう。お前の知っている事、洗いざらい話せ。……それを俺が信用するかどうかは、また別の問題だがな」
「信用? どうでも良い! とにかく仏教を潰してくだされば……!」

 その夜、布都は蘇我に関する機密を杜矢へと伝えた。
 彼を納得させる事実と、確認しようのない嘘を混ぜた絶妙な虚言。
 これを杜矢が信用しようがしまいが、布都には関係ない。
 杜矢が「仏教を滅ぼそう」と動く事こそが、彼女の勝利なのだから。



   ◇   ◇   ◇



 ――次の日。

 朝起きると、庭から矢を射る音が聞こえてきた。
 音を辿っていくと、やがて庭に向けて弓を構える杜矢の姿があった。

「流石はお兄様ですね。弓聖と呼ばれる裏には、このような毎日の鍛錬があったとは」
「ああ、俺の数少ない日課だからな。今日の的は少々大きく、歯ごたえがないが」
「ええ……。うッ!?」

 杜矢の射っている矢。それが狙う的に目を向けた布都は、思わず口を手で塞いだ。
 そこには丸太へ括りつけられ、何本もの矢で射ぬかれた男の屍体があったのだ。

「あ……れは」
「いや、なに。昨晩、俺の部屋へと人を通した不届き者がおったからな。仕置きをしておったのだ」
「そうですか。それは……愚かな」

 布都は思わず兄から顔を背け、その場を後にした。
 いつから兄は、あのような人になってしまったのか。
 自分が『磐船の儀』で舟を浮かせる前、兄はどんな人であったか。
 微かに残る記憶、そこには自分を可愛がってくれる優しい人がいたような気がする。
 だが、それは兄ではありえない。――そう言い聞かせて、布都は庭に漂う死臭から逃げていった。

 ――それから数時間後。
 布都たち物部一族は都からほど近い社へと集まっていた。

「えェ~、本日はお日柄もよく、天におられる饒速日命様も我々の事を良くご覧になってくださる事と思います……」

 と言った具合の挨拶で始まるのが『磐船の儀』である。
 物部の先祖である饒速日命が、天より舞い降りた時に乗っていたという磐船。その実物と伝えられているのが、この社に祀られている大岩であり、布都はこれに手をかざした事でその神通力を見出された。

 社には大和中の物部一族が勢ぞろいし、それぞれが談笑したりして時間を過ごしている。
 その中でも人だかりのあるのが大和王の座る場所。布都も折角だからと謁見の順番を待ち、王の元へとやってきた。
 すると、王は布都の姿を見るなり大きく目を開き、嬉しそうに手を叩いて歓迎する。

「おぉおぉ! もしや布都姫か? 久しぶりであるな」
「はい、物部布都にございます。お久しぶりです、大和王」

 真っ白になった髪を揺らし、深く刻まれた皺をさらに深くし、王は笑みをもって布都を近寄らせた。

「蘇我に嫁いだと聞いて驚いたが……。大丈夫か? 虐められていたりしないか?」
「えぇ、私には饒速日命の加護がありますから。この身体が遠い地にあったとしても、私の心は常に神々と陛下の傍にあります」
「そうだろう、そうだろう! 今日の儀は楽しみにしておるぞ!」

 やはり王は布都を気に入っている。
 あの時に見せた神通力のおかげもあるし、まるで孫のように布都の成長を見てきたこともある。
 そして、布都は王のそんな姿を見て一計を案じた。瞬間的に布都は脳内にあらすじを描いていく。

「陛下。後で内密に話があります……」
「おぉ、そうか。ならば今申せ、人払いをしよう」
「あっ、いや」

 兄の前であまり目立つ事はしたくない。ましてや王と密談などもってのほか。
 しかし、周りを見れば物部の直系の姿はなく、不思議と人が少なくなっていた。

「あれ……?」
「ふふふ、実はな。儂は布都姫とゆっくり話がしたくてな……。予め人を散らしておいたのじゃ! なにしろ、この老いぼれには孫のような姫と話すくらいしか、楽しみがないのでな」
「そうですか……。お気遣いありがとうございます」

 これは好機。
 布都は素早く王に耳打ちした。
 いつ兄に気取られてしまうか分からない。善は急げだ。

「実は私が戻ってきたのは、陛下に伝えたいことがあったからなのです」
「ほほう、それは何だろう?」

 そこで布都は、ちょっと青娥を意識して声色を変える。

「……陛下。――不老不死に興味はございますか?」

 布都は王を一目見て思いついたのだ。前に会った時から、もう随分と老いて、生命力の枯れている王。
 このように老いていく人間、しかも権力を持った者が行き着くのは、一つと決まっている。

「不老……不死!?」
「ええ。老いることもなく、死ぬこともない。一部の限られた人間にのみ与えられる、禁断の力……。私はそれを陛下にお伝えする為に、ここまで戻ってきたのです」
「それは……うむ。どういう内容なのだ……?」

 やはり、興味を持たぬ方がおかしいのだ。
 布都は翁の身を案じる孫娘のような、そんな献身的な態度で優しく囁いた。

「実は……蘇我の大将である聖徳王……あれも不老不死を目指しているのです」

 大胆な手口であった。
 何故、布都が不老不死の法を知っているのか? 違和感なくそれを信じこませる為に、この最上級の機密を敢えて漏らす。

「な……何ッ!? あ、あれが?」

 それは王に想像以上の動揺を与えた。

「そうです。そして私は蘇我鵜眞の妻として彼と親しくしていますから、その機密を盗み出す事に成功しました」
「……ほ、本当だろうな!?」
「ええ。その秘密は……仏教にあります」

 そこからの説明は全くのデタラメであった。
 仏教を信仰し、民の力を集めれば権力者は不老不死になれる。
 教えを読み解けば、実際にそんな意味を持った信仰ではないと気づくはずだ。
 しかし不老不死になるという特権を民には知らせない為、書物には嘘しか書いていない。――その一言で王は納得してしまう。

「……この先、陛下の不老不死を望まない者が仏教を否定するかもしれません。陛下が亡き後に権力を握らんとする者が、この秘密を嗅ぎつけて……」
「ぬぅ。しかし儂が不老不死になっても、神子の奴めも不老不死になってしまえば……」
「ご安心ください。あれが不老不死になることは、私が内部から妨害しておきます。ですから……陛下も内部からの反逆にお気をつけ下さい」

 興奮気味だった王は、そこで一息ついた。
 冷静になって考えてみれば、あまりにも美味しすぎる話。
 流石に長年、王として君臨してきた彼は慎重になることを知っている。

「……この話。信じても良いのか?」
「私の話を信じられないのならば、私の力を信じてくださればよろしい」

 布都の神通力と不老不死の法に関連性はない。布都の力を見て、不老不死を信じろ、というのは理屈として全くもっておかしい。
 しかし人は目の当たりにする超人的な現象に対し、理屈を飛び越えた信用を持ってしまうのだ。
 もしも王があと幾らか若ければ、布都の妄言になど騙されはしないだろう。しかし、老い衰えたことへの焦りというのは、人間の判断力をたやすく弱らせる。

「分かりましたね? くれぐれも陛下……。仏教を重んじ……不老不死の為に民の心を集めさせるのですよ」

 最後に念を押して、布都は王との謁見を終えた。そして、彼女は人だかりへと戻っていった。
 今回の『磐船の儀』においても、物部の象徴たる磐船は空高く舞い上がったという。



   ◇   ◇   ◇



「大成功だ……! 大成功っ!」

 物部の領地を出て、蘇我の兵たちと合流した布都は、すこぶるご機嫌であった。
 結局、兄が廃仏の考えを持っているのを確認できたし、突発的に思いついた王と兄を仲違いさせる策も上手くいった。
 儀で磐船を持ち上げてみせたおかげで王は大喜び――不老不死について信頼もしただろう――それを見て兄も満足したようで、布都の動きに感づいた様子はなかった。
 それは、こうして無事に蘇我へと戻ってこられた事が証拠である。

「あぁ、早く太子様に会って報告したいなぁ~」

 嬉しくってつい小走りになった。護衛の兵士たちは慌ててそれを追いかける。

「お待ちください、布都姫様~」
「そんなに走っては危ないです……ぐぉ!?」

 後ろから追いかけてくる兵士の声が途絶えた。
 その異変に気付いて、布都が振り返る。
 するとそこには、反り立った土の壁。その中に巻き込まれて気絶する蘇我の兵士たち。

「これは……秘術……!?」

 その現象の意味を布都が理解した時、すでに彼女の周りを秘術使いが取り囲んでいた。
 袖と裾からたなびく色とりどりの紐。その独特な衣装、彼らの立ち姿には見覚えがある。物部氏直属の秘術使い。選りすぐりのエリートだ。

「た、太子様ッ……たすけ……」
「木槌!」

 術師の一人が放った声に呼応し、布都の足場が崩れた。
 地面から飛び出した樹の幹が、彼女の腹に突き刺さる。

「ぐ……ゥ」

 薄れ行く意識の中で、布都は――誰かに謝っていた。
 ごめんなさい。ごめんなさい。
 それは神子に向けてか、兄へ? それとも王か?
 誰に向けたものなのかは、もう分からない。彼女の意識はそこで途絶えた。




12.救出





 神子と屠自古は、例の宿にて布都の帰りを待っていた。
 予定の時刻を過ぎても帰ってこない。まぁ、どうせ何処かで道草を喰っているのだろうと安心していた。
 ただ、それが一日経っても戻らないとなれば話は別だ。

「おかしい。出迎えの兵も帰らない。……これは、何か嫌な予感がします」

 屠自古の言葉に、神子も同意する。

「一足先に戻った蘇我の兵からは、布都姫の受け渡しは完了したと伝わっています。そこからこの宿までの短い間で、何かが起きたに違いありません」
「……やっぱり私たちが迎えにいけば良かった! 神子様、今からでも布都を探しに行きましょう!」
「もちろん。……と言いたいところですが、ここは物部の領地との境です。兵を動かすなど大事になれば、争いの火種を生みかねません。ここはあくまでも少数精鋭でいくことにします」
「そうなると、私と神子様……他には、う……む」

 他に思い当たる節がなく、言葉に詰まった屠自古へと、聞きなれた声が掛けられる。

「あら、私もいますわよ」

 ふいに青娥が部屋へと現れてそう言った。ここ数日は姿を消していた彼女が、このタイミングで同行を望むのは偶然とは思えない。

「むぅ、道士か。今まで何処に行っていたのだ?」
「私は物部とも蘇我とも関係がない自由な存在。だから互いの領地も好き勝手に歩ける」
「……まさか、青娥。あなたは布都が何処に行ってしまったのか、知っているのですか?」

 神子の問いに、青娥は「もちろん」と澄まし顔で答える。

「布都ちゃんは豊聡耳様の大事な付き人ですもの。その肉体が無事かどうかを、しっかりと観察していたのよ」
「そ、それで!? 布都はどうした?」
「蘇我領に戻った直後、謎の術師たちに襲われ、連れ去られて行ったわ。そして、その後……この山を根城にしている賊へと引き渡された」

 それを聞いた二人は顔を青くした。
 屠自古は青娥に掴みかからんという勢いで詰め寄る。

「道士! それを見ていながら……貴様は何をしていた!?」
「落ち着いて、屠自古さん。相手は布都ちゃんを人質にとっているのと同じ。私の力では彼女を盾に取られた時点で、手が出せなくなってしまう」
「……分かりました、青娥。私の力が必要なのですね、今すぐにでも救出に向かいましょう」
「そういうこと。私の操る霊魂が敵のアジトを見張っているわ。今のところ大きな変化はない様子」
「……くそっ。早く行きましょう!」

 こうして三人は布都を救出するため、賊の潜む山へ向かった。



   ◇   ◇   ◇



「あそこです」

 草むらに身を隠しながら、青娥の指差す方を見る。そこには潜伏に持ってこいの大きな洞穴が口を開けていた。
 青娥は辺りをうろついていた一つの霊魂を掌に収めると、用済みと言わんばかりに握りつぶした。

「……青娥。敵はどのくらいの規模なのですか?」
「ざっと見た感じ、二十は超えていますね。全員が剣などで武装しています。人質は恐らく……洞窟の一番奥に捕らえられているかと」
「……敵の目的は何なのだ? 一体誰が布都を捕まえようとしたのだ?」
「術師が関わっているというのなら、相手は物部の者でしょうね……」

 神子の推測に、青娥は静かに頷いた。

「ええ、私もそう思います。物部からすれば神の力を扱える布都ちゃんが、敵方である蘇我にいるのは不利になります。そこで賊の仕業にして始末しようとしたのでしょう」
「それならば……布都はもう……!?」

 悲痛な叫びを上げる屠自古の肩に、青娥は手を置いて宥めるようにした。

「大丈夫です。布都ちゃんが生きているのは確認しています。賊は術師たちに依頼された“始末”の任務を反故にし、布都ちゃんを生かしつつ蘇我に対して身代金の要求をするつもりなのでしょう。……誇りのないものに仕事を任せた物部の落ち度です」
「……ならば、布都は無事なのか……!?」

 身体を揺らして落ち着きない屠自古の手を、安心させるように神子は握った。そして青娥の推測に同意する。

「そのはずでしょう。私も青娥の見立ては正しいと思います。……そうであると、信じたい。布都はきっと無事です」

 そうとなれば、一刻も早く救出に動きたい。
 しかし相手の根城に、ただ無策で突っ込んでは危険だろう。しかも相手は布都という人質を持っている。

「豊聡耳様。この青娥めに良い案があります」
「……なんでしょう。教えてください」
「はい。豊聡耳様と屠自古さんが敵を陽動し、洞窟の外に敵の目を逸らしてくだされば、その間に私が布都ちゃんを救い出してみせます」

 随分と簡単に言ってくれる。――それが正直な感想であった。
 本当にそれだけの事で、青娥は布都を救い出せるのであろうか。
 失敗すれば、まず間違いなく布都は殺される。

「どうやって救い出すのですか?」
「……それは、秘密です。私の方法を知って、豊聡耳様たちの動きが意識を持つのは良くない。相手にはあくまでも正面から敵が来ただけと思わせたい。感づかれたくないのです」
「神子様……信じるのですか? この者を」

 肝心の方法について隠されると、信じたくても信じられない。少なくとも屠自古は青娥を信用していない。
 神子も完全に青娥を信用しているわけではなかった。ないのであるが……。

「私は……青娥の事を、信用したい。他に有効な方法もなく、時間がない。私が穂積の要塞で屠自古の案を採用したように、ここでは青娥の方法を採用したい」

 屠自古にとっては、それだけで十分であった。彼女とて自分の考えや意志がないわけではない、彼女は神子の傀儡ではない。しかし、それ以上に彼女は神子を信頼しているという事だ。

「分かりました。神子様がそういうのであれば、私は道士の案に従い動きましょう」

 屠自古は遠方からの援護、そして開戦の一撃を放つ為に、洞窟の裏手へ回った。
 そして正面の草むらには、そのまま神子と青娥が残る。
 洞窟の入口には定期的に見張りが出てくる。次に誰かが出てきた時、屠自古がその者を射殺すのを合図とする。
 それと同時に、作戦は開始だ。



   ◇   ◇   ◇



 草むらで二人、見張りが交代するのを――そして屠自古の合図を待つ。
 じっと洞窟の入り口に目をやる青娥へ、神子は囁くように話しかけた。

「青娥、話があります」
「……? なんですか?」
「私はさっき言った通り、あなたの事を信じたい。……つまり、まだ信頼はできていないという事です」
「そうですか。それは……いや、正しい事だと思いますわ」

 自嘲でも冗談でもなく、青娥は自分が信用されていないのを客観的に受け止めていた。
 神子もそれを分かっているから、遠慮なく自分の気持ちを伝えられる。

「だから布都を救いだすという大役をあなたに任せるのは、不安です」
「……ならば、どうします? 今から計画を変更しますか?」
「いいえ。ただ……」

 そこで神子は彼女の瞳を見つめた。瑠璃色の美しい玉が、神子を見返してくる。その深い海のような奥底に眠るのは、黒く渦巻くものか、はたまた神秘的な美しさか。
 未だに、この人の事を理解できてはいないと、神子は改めて思う。だから、ここで話さなければならない。

「聞かせて欲しいのです。何故、あなたが私のことを助けようとしてくれるのか」
「前に言った通りです。私は貴方の力に惚れ込んだ。だから尽くしたい」
「それも真実なのだと理解できます。しかし、その奥にある……あなたの心を私は知りたい」

 青娥は困ったように首を傾げると、ふぅ、と鼻から息を吹き出す。

「理由なんて一つだけなのですけれど。それならば、私の昔話でもしましょうか?」
「ええ、お願いします。きっと私は……それを聞きたいのです」

 そこから、青娥は自分が仙人になった経緯について話した。

 幼い頃に父が道士となり、自分と家族を置いていったこと。
 そんな父の残した書により、自分も道士を目指すことになったこと。
 やがて嫁いでからも道士への憧れを捨てられず、家族を捨てて道士を目指したこと。
 やがて彼女は、邪仙となったこと。

「すると青娥……あなたは、仙人ではないのですか?」
「邪仙も仙人のうち、ですよ。私はそう思っています」

 彼女は凡庸であった。人より秀でた力を持っていたとはいえ、上には上がいる。彼女は仙人としては大した力を修めることが出来なかった。

「悔しかった。全てを捨てて、愛した人を裏切ってまで“道”を究めようとしたのに、私にはそれが出来るだけの才覚がなかったのです」
「しかし、私から見れば青娥の力も素晴らしいと思いますが……」
「それは、この国が“道”を知らないからでしょう。私の才能なんて屠自古さんより上で、布都ちゃんより下。その程度しかないのです。私はそれを、ありとあらゆる邪道で補ってここまでやってきた」

 彼女は貪欲であった。己が他の仙人より優秀であると示す為に、考えつく全ての方法を実行した。それでも自分に限界を感じた。
 だから彼女は考えを改めた。
 自分より優れた者を道士へと導き、その功績によって自分の才能を示すのだ、と。

「豊聡耳様、貴方は……私の欲望を叶えてくれる唯一の存在。貴方が道士になったならば、大陸で伝説として崇められている仙人どもなど、所詮は才なきただの先駆者だったと評されるでしょう」
「なるほど、だから私を仙人にしようと。……しかし、私を仙人へと導く為……それと私が王になることや、こうして布都を助けることは関係がありません」
「……もう、何度言わせるんですか。私は貴方に惚れ込んでいるんです。私は昔から惚れ込みやすい上に、尽くす女ですから」
「困りましたね。あなたの言葉は半分、本当のように聞こえる。しかし、もう半分が聞き取れない」
「虚言は私の盾なのです。弱いものほど、こうして身を守るしかない」
「……どうか、私の前では嘘をつかないでくれませんか? 私は青娥の味方になりたい。青娥が私を助けてくれるように、私もあなたを助けていきたいのです」
「ならば……一つ、告白をしましょう。私が貴方に吐いていた嘘の一つを」

 青娥が言った時、ちょうど洞窟から一人の賊が姿を現した。神子の身体に緊張が走る。目線は自然と屠自古のいる草むらの方へ向いた。

「豊聡耳様。私は仙人になれば不老不死になれると言いましたが、あれは嘘です」
「えっ?」
「正しくは、不老長寿。仙人も死にますよ。この身を死神の鎌に裂かれればね」

 言ったのと同時に、青娥の姿が煙のように掻き消えた。
 風を切る一閃の輝き。見張りの背中に矢が突き立った。
 神子はさっきまで青娥のいた空間を一瞥してから、丙子椒林剣の柄を握った。

「さぁ、行きましょう!」

 この場にはいない仲間たちへと声を掛け、神子は草むらから飛び出した。



   ◇   ◇   ◇



 見張りが倒れるのから一拍遅れて、洞窟からわらわらと賊が出てきた。
 敵対する他の賊や、討伐隊から常に身を狙われる彼らは、異常には敏感に反応するのだ。

「なんだ!? どうした!」
「おい、矢でやられてやがる! 敵襲か!?」

 そんな困惑に答えを与えてやるように、神子がその場に現れた。
 手には抜き身の剣。身体と顔を隠すように、青娥の羽衣をマント代わりに纏っている。

「賊ども! 覚悟しろ! 私が正義の鉄槌を下す!」
「なっ!? ぐぎゃあああ!?」

 言うなり跳びかかった神子は、手近にいた賊を袈裟斬りで倒す。

「なっ、んだ!? こいつ!」

 慌てふためいた賊たちは、剣を振り上げて神子に襲いかかる。
 それを受けて神子は何合か打ち合った、しかし彼女はあっという間に敵に囲まれてしまう。

「くっ、多勢に無勢だ……」

 神子は冷や汗を流しながら、なんとか賊と渡り合っている。
 それらはもちろん、演技であった。本気を出して敵を全滅させては、残党が洞窟の中に逃げてしまうかもしれない。ここは敢えて善戦させてやり『増援があれば倒せる』と思わせる。そうして穴蔵から、どんどんと賊を引っ張り出すのだ。
 もう一つ演技の理由として、聖徳王であると露見するのを避ける為だ。もし王だとバレれば、相手は布都を交渉材料に持ち出すだろう。あくまでも神子は謎の剣士であり、布都を人質にとる意味のない相手でなければならない。

「ぐァ!」

 一体何処からか、矢が飛んできて賊の一人を射抜いた。

「ちくしょう! もう一人、敵が潜んでやがる!」
「お前らは弓使いを探せ! くそっ、駄目だ。もっと人を呼んでこい!」

 賊の言葉を聞きながら、神子は順調に引き付けが出来ていると安堵した。
 屠自古に関しては安心して任せられる。何人かの賊など、近づかせる前に仕留められるだろう。
 いざとなれば召雷もあるし、危険なら逃げ出すようにも言ってある。

 あとは青娥が布都を助けだすのを待つのみである、が。

「駄目だ! 敵わねェ、逃げろぉー!」

 想定外だったのは賊の根性のなさであった。
 なかなか倒せない神子に恐れをなして、賊が次々に洞窟へと逃げ込んでしまったのだ。
 このままではいけない。洞窟に忍び込んだ青娥が見つかってしまう。そして布都も殺されるかもしれない。

「くッ……! 待ちなさい!」

 神子は剣を握る拳に力を入れると、弾かれるように洞窟へ突貫した。
 そして逃げ込んだ賊たちを背中から次々に斬っていく。その動きの激しさにいつの間にか、羽織っていた羽衣は地面に落ちてしまった。

「あぁっ!? こいつ……聖徳王じゃねェか!?」
「……しまった……!」

 流石にそこまで暴れた上、素顔を晒せば賊たちも敵の正体に気付いてしまう。神子は思わず舌打ちした。
 聖徳王が相手と分かれば、賊には最大の切り札がある。
 すかさず、賊の中でも手練とみえる者が声を上げた。

「待て、聖徳王! そこ動くな!」
「……ぐっ」

 思わず剣を振るう手を止め、その場に立ち止まった。

「止まったな。――という事は知っているはずだ。いや、正体を隠して攻めに来たということは、目的がそれということ」
「なんの事でしょうか」
「とぼけるな! 布都姫を助けに来たんだろうが!!」
「……布都姫……? ああ、鵜眞の妃ですか」
「下手な時間稼ぎはよすんだな。いいか? 抵抗すれば布都の命はないと思え。妙な力を少しでも発現したら、それも同じだ」
「……良く分かりませんが、従いましょう」

 神子は静かに、地面へと丙子椒林剣を捨てた。
 そして近づいてくる賊たち。彼らは手に荒縄を持っている。それで神子を縛り上げ、布都と一緒に人質とするつもりだろうか。
 だが、大きな問題がある。
 彼らとて神子の身体を触れば、流石に気づくだろう。――王が、女であるという事に。

「……? え?」
「どうした?」
「か、頭! こ、こいつ……。女です!」
「何を馬鹿な事言ってやがる。王が女の訳がねェだろうが…………って本当だ!? こいつ女じゃねェか!」

 神子は心中で鵜眞に謝った。秘密のはずである自身の正体について、こんな賊に知られてしまった。そうなれば漏洩というレベルの問題ではない。
 賊の頭は下卑た笑いを浮かべながら、神子の頭にポンと手を置いた。

「……これは驚いた。布都姫という餌で、こんな大物が釣れてしまうとはな」
「黙っていただく訳にはいきませんか」
「ふん。黙って欲しければ、蘇我鵜眞はとんでもない代金を支払うことになるだろうな」
「それは、なりません。私の事は、私で決着をつける」
「はっ! なら、どうする? 俺たち全員の口を封じるっていうのか?」
「……心苦しいですが。それしかありませんね」
「馬鹿がッ。俺たちには布都姫という人質が……」

――「いませんね」

 背後から聞こえた耳慣れぬ声に、思わず頭は振り返った。その瞬間に神子の身体は深く沈み、右手には愛剣が戻る。

「しまっ」
「吻ッ!」

 気合の掛け声と共に振り上げられた刃は、男の身体を股下から一直線に割った。洞穴を濡らす血しぶきと同時、そこには賊たちの悲鳴しか残らない。
 片手で人体を真っ二つに斬り裂く化物相手に、人質もなしで勝てるとは思えない。賊たちは一斉に武器を捨てて、頭を地面に擦りつけた。

「うわあぁああ! い、命だけはァぁァァ!?」
「ヒィィイ! た、助けてぇえぇ!」
「……どうします? 豊聡耳様」

 気を失っている布都を抱きかかえ、服を泥だらけにした青娥が問う。
 その姿に思わず神子は尋ねた。

「……どうしたのです? その格好は?」
「私の得意な術の一つに“壁抜け”がありましてね。位置さえ分かれば洞窟など、私にとっては壁のない広間と変わりません。ただし、このように服は汚れますが」

 彼女の手には土を掘る為の匙が握られていた。なるほど、物理的な壁抜け術である。

「そういうことですか。……それで、布都は?」
「気絶しているだけです。かなり弱っていますが、命に別状はないでしょう。……そして、豊聡耳様? どうするのです、この悲鳴を上げている者たちは」
「……無駄に殺したくはありません。しかし、口を封じるしかないかも……」

 人質をなくした賊たちは、為す術もなく震え上がっている。
 しかし、その中でも気骨ある者が一人いた。彼は隙を見て立ち上がり、神子たちに刃を突きつけた。

「いい気になるなよ、聖徳王! この洞窟はな、ただのネグラじゃないんだ!」
「ほう、それならば何か? もぐらの巣穴かと思いましたが……」

 口を挟んだ青娥に向けて、男は激高した。

「怪しげな女め! お前は黙っていろ! いいか? この洞窟は物部の秘術使いたちが、布都姫と共に俺たちへ寄越したものなんだ。そして、秘術によって色々な仕掛けが施されている!」
「……仕掛け?」

 神子が怪訝そうに問う。それを受けて男は得意げに説明をする。

「そう。危機が訪れた時、洞窟に備えられた杭を抜くと仕掛けが発動する。それによって敵は死に絶える! そんな仕掛けが作られているんだよ!」
「……!! 待ちなさい、それは……!」
「気づいたか! そう、俺の足元にあるコレが、その杭なのだ!」

 神子の静止は間に合わず、賊は足を振り上げ、その杭を蹴飛ばした。乾いた木片が地面に転がり、カラコロと音を鳴らす。

「はははは! 王め、お前もこれで終わりだ……!」
「いけません! 青娥、走って!」
「逃がすかァ! ……あ?」

 賊の顔が天井に向けられた。その鼻先に一つ、石が落ちてきた。

「痛っ!」

 次の瞬間、足元がぐらりと揺れる。どこからか地鳴りのような音が響いてきて、やがて轟音が洞窟の中を支配する。

「豊聡耳様、これは!?」
「罠ですよ! 賊や布都、そして助けに来た者を殺すための、物部の罠です!」

 出口に向けて走りだした神子たちの頭上、洞窟を構成する岩が崩壊し始める。

『うわァぁああぁ!?』
『ぎゃうああああ! 助け……』

 男たちの声は、岩雪崩の中に消えていった。
 沈痛な面持ちでそれを聞き流し、神子は駆ける。
 落ちてくる岩を避け、逃げまどう男たちを抜き去り、まっすぐに出口を目指す。
 やがて彼女たちは外の明かりを正面に見た。しかし洞窟の崩壊も、すぐ背中まで迫ってきている。

「豊聡耳様! 布都を!」
「ええ、こちらに!」

 身体能力で勝る自分が布都を抱えた方が良い。そう判断して神子は、青娥から布都を受け取った。その軽い身体を抱えた瞬間、一気に最大速度へ加速した神子は、その網膜を太陽の光が焼いたのを確認する。

「出たッ!」

 咄嗟に布都を地面へ置き、神子は振り返った。
 そこには一歩遅れて洞窟から出ようとする青娥。彼女にしては珍しく感情を表に出し、顔には安堵の色が広がる。
 その上から、特大の岩が崩れ落ちてくる。

「……あっ」

 青娥の足がもつれた。まるで天女の着物のように美しい彼女の衣装が、さらに土にまみれてしまう。そして、それを押しつぶす岩が、彼女の上に覆いかぶさる。
 一瞬、時が止まったように見えた。
 青娥の視界には、もはや岩しか見えない。あと数瞬もしないうちに、自分の肉体は圧倒的な重量によって押しつぶされる。
 長い年月によって蓄えられた“道”が肉体から解放され、無残にも飛び散る。
 自分を襲う死は、こんなにも残酷な形であったのか。――青娥は目を閉じた。

「はあああァァァァア!」
「……!?」

 耳を打つ咆哮。それに瞳を開いた青娥は、信じられない光景を目の当たりにする。
 太陽の放つが如き神々しい光を全身に纏った少女が、一本の剣を巨岩に突き刺している。そして自分の身体を跨いで、それを持ち上げているのである。

「とっ!? 豊聡耳様っ!?」
「……に、ちりん……よっ! ……我に……力を!」

 声に呼応するように神子の身体を護る光が増幅し、ついに岩石は剣の刺さったところを中心にして崩壊を始める。
 振り切った剣によって真っ二つにされた岩は、辺りに破片をまき散らしながら消え去った。

「……あ……あァ」
「せ、いが……無事……ですか」

 珍しく神子は疲労を隠そうともせず、荒い息を吐きながら青娥へと手を差し伸ばす。
 邪仙はその手を握り返すと、ゆっくりと立ち上がる。そこでようやく気づいた。己の足が恐怖に震えていたことに。

「ふ、ふふ。大丈夫です。……あぁ、豊聡耳様。貴方という人は、本当に……」
「大丈夫なら良かった。……布都は?」

 振り返ると、そこには布都を抱えた屠自古の姿があった。

「やれやれ、間一髪でしたね」
「ありがとう、屠自古。悪いのですが……布都をそのまま抱えてくれませんか?」
「もちろん、いいですよ。今回は私、あまり仕事してませんしね」

 しれっと言いつつも、辺りには屠自古が掃除した賊の屍体がいくつも転がっている。
 肩を借りて歩みを進める青娥は、隣にある神子の横顔を見た。そして、掠れた声で話す。

「……豊聡耳様。その剣、まさか岩を斬っても折れないとは……流石は貴方の佩刀ですね」
「ええ、これは丙子椒林剣といって、私の心が折れない限りはその刃を折らないという……」
「丙子……椒林剣!?」

 青娥が顔色を変えて尋ねる。
 その反応に神子も驚いて聞き返した。

「どうかしたのですか?」
「豊聡耳、ちょっと……その剣を見せてください」
「ええ、構いませんが……」

 青娥は丙子椒林剣を手に取ると、その刃をじっくりと眺めた。特に文字の刻まれたあたりを凝視する。
 そして納得したように「あぁ」と声を漏らすと、剣を返しながら大声で笑う。

「ど、どうしたのですか? そんな風に笑うなんて珍しいですね、青娥」
「ふふふ、はっははは! あー、なるほど。血は争えないという事ですね」
「うーんと、どういう事ですか?」
「この剣、椒林という男から豊聡耳様に贈られたものでしょう?」
「え、ええ。そうですが。良く分かりましたね」
「ならば私も、これを渡しましょう」

 言うと青娥は、彼女がいつも腰に下げていた刀を神子へ手渡した。
 武器を手にすると、ついついとその性能を確かめようとしてしまう。だから青娥から渡された小刀も反射的に鞘から引き抜いてみる。
 その刃は一度も使われたことがないのであろう美しさであり、表面には細かな字で何かが刻まれている。

「これは……儀礼剣ですか?」
「ええ。それは七星剣と呼ばれるもの。“道”を修めた道士がそれぞれ持つ、護符の意味を持たせた剣です。私に限っては護符というよりも、武器としての性能を優先させましたが」

 自分の身を守るならば、相手を死に至らしめる方が手っ取り早い。
 彼女らしい考えに基づいた七星剣は、故にその刃に凶悪な呪詛を込められているのだ。

「? ならば、大事なものではないですか。受け取れませんよ」
「いいえ。それは私から貴方への忠義の証。そして命を救っていただいた礼。何より……」
「なんですか?」
「いいえ。さっ、帰りましょう。布都ちゃんを休ませてあげないと」

 青娥は神子に七星剣を渡すと、笑顔のまま帰路についた。
 彼女は敢えて飲み込んだのだ。七星剣を渡した最大の意味を、神子には教えなかった。
 それは先を越されたという嫉妬。あるいは彼にだけ神子を守らせたくはないという独占欲。いずれにせよ、本人には教えない方が面白いと、霍青娥は思ったのだ。



   ◇   ◇   ◇



 斑鳩宮。救出された布都は精神的な衰弱が激しいようで、しばらく床に伏せていた。

「……我は、また太子様の足を引っ張ってしまった。ごめんなさい……」

 神子が見舞いに来ると、彼女は決まってそう呟く。

「何を言うのです。布都は計略の為に一人で、立派に役目を果たしてきました。賊に捕まったのは物部の謀なのですから、気にする必要はありません」
「……我は、太子様の役に立ちたかったのに……。こうしてまた、余計なことを……」
「何を言うのです……」

 神子は彼女の小さな手を、両手で優しく包みこむ。
 額から汗を流す布都は、天井を虚ろな瞳で見つめて呟く。

「……我が仙人になれば、もう太子様に迷惑をかけることもないのです。……早く、仙人になりたい」
「大丈夫。布都ならきっとなれると、青娥も言っていましたから。頑張りましょう。今は早く身体を良くする事ですよ」
「……ええ。……我は、太子様のお役に立ちたい……」

 そんな神子と布都の会話を、扉の向こうでそっと聞く者がいた。
 蘇我屠自古。彼女は二人の会話を聞いて、胸の前で握りこぶしを作る。
 そして自らの心臓にあてがい、とん、と一回叩いてみた。
 動いている。自分の心臓は今、動いている。しかし、やがて止まる時が来るのだろう。生きている限りは逃れられぬ、それが死という運命。
 でも、彼女たちは。私の愛する人間たちは、それを超越しようとしている。

「……私は、どうすれば良い?」




13.聖徳王の画





 屠自古が気付くと、彼女は何処かの広間に立っていた。
 目の前には一人の少年が居る。その気弱そうな顔には見覚えがあった。

「……? あれ、蔵麻呂じゃないの」
「え? ええ。そうですけれど。どうしました、屠自古殿」

 そうだ。目の前にいるのは穂積との戦いで命を落とした、屠自古の異母弟である蘇我蔵麻呂。
 死んだはずの彼が、何故そこにいるのか。否、彼の姿が幼いことからも既に想像はついていた。

「あぁ。これは夢か」

 屠自古が認識すると、いつの間にか広間は大勢の人で埋まっていた。
 それらは蘇我の一族だ。部屋の中央には父親である鵜眞、これまた若い姿で談笑している。
 他にも見たことがある顔がちらほらと。自分の手を見れば、弓も握れぬほどに小さい。恐らくは自分の身体も時代に合わせて幼くなっているのだろう。夢にしては整合性がとれている。

「屠自古ちゃん!」

 声を掛けられて振り返る。そこには、ひどく懐かしい顔があった。

「お姉さま……」

 美しい衣装に身を包んだ、屠自古よりも一回りほど年上の女性。それは屠自古の異母姉である蘇我河憂江だった。
 彼女は波打つ豊かな黒髪を揺らしながら、小首を傾げている。

「そんな格好で、どうしたのよ? 今日は宴なのだから、もっと女の子らしい姿にならなくちゃ」

 河憂江がポンと手を叩くと、屠自古の着ている衣装が一瞬で別のものになった。
 いつも着ている戦用の衣装ではなく、緑色を基調とした派手で煌びやかな衣装。

「……ありがとう、姉上」
「ふふ、その方が屠自古ちゃんらしいじゃない」

 河憂江は屠自古の頭を撫でて、その愛嬌ある笑顔を振りまいた。
 そうだ。思い出した。
 屠自古は彼女が好きだった。母親がいなかった自分にとって、彼女が母の代わりだった。美しく優しい姉。
 だが、彼女はもういない。
 なぜなら、布都と入れ替わりで物部杜矢に嫁いだ人質が、河憂江だからだ。
 それ以降、河憂江がどうなったのかは聞いていない。お互いの大事な人質なのだから酷い目には遭っていないだろうが、一人で敵地に嫁がされる彼女の辛さを慮り、屠自古は胸を痛める。

「なんで、そんなに悲しそうな顔をするの?」
「だって、姉上は……今、大変だろうな、って思って」
「? 私は幸せよ。こうして屠自古ちゃんとお話出来るし。蘇我の姫として何一つ不自由ではない」

 ああ、この夢にいる人たちは、当時の知識のままで生きているのだ。
 だから自分だけが知っている。蔵麻呂は敵地で死に、河憂江は物部へ嫁ぎに行くと。

「……ねぇ、屠自古ちゃん? あなたはどうして……そんなにも厳しい目つきをしているの?」
「だって私は戦いに身を置くのが好きな、そんな変わり者だから……」
「どうして? 私の知っている屠自古ちゃんは……そんな子じゃないわよ」
「え? いや、姉上……私は……」
「屠自古ちゃんは、そんな子じゃ、ない」

 頭を石鎚で殴られたような、強烈な衝撃が屠自古を襲った。
 思い出す。自分が幼い時、この蘇我一族の宴があった頃。自分は――
 戦いなど好きであったか? 戦場で死ぬことを欲していたか?

「私は……今の私は、いつ産まれたのだ?」

 ふと気付けば、広間からは誰もがいなくなっていた。
 しかし廊下に続く扉の隙間から、誰かがこちらを覗いている。
 それは苔色の髪の毛をした、肌の白い子供。
 可愛らしい衣装を身に纏い、オドオドと屠自古の方を見る少女。

「そうだ。あれが……私だ。幼い頃の私は……姉上の後ろに隠れながら、人と争うこともなく……あれが、私だ」

 屠自古の視界が真っ暗になる。地面が崩壊するように足元を掬われ、彼女は闇の中に落ちていく。そして、覚醒した。



   ◇   ◇   ◇



「ん……おはようございます」

 布団から身を起こすと、既に神子は王の衣装を身に纏い、身支度を整えていた。

「おや珍しい。屠自古がお寝坊さんとは」
「……随分と早いですね。今日は何か用事がありましたっけ?」
「あれです。鵜眞が斑鳩宮に画家を呼んで、私の肖像画を描かせるというので、正装をしているんですよ」
「はァ……。それじゃあ、私も見学しようかしら」
「あれ? 今日は確か墓参りに行くと言ってませんでしたか?」

 屠自古は思い返してみるが、そんな事を言った覚えも、予定もなかった。しかし――

「あ、ほら! 迎えが来ましたよ」

 神子が部屋の外を指さしたので、屠自古はそちらへと目線を送る。すると、そこには――

「迎え? って、父上!?」
「おう、屠自古。ほら、乗りなさい」

 斑鳩宮の庭に、何故か鵜眞がいた。しかも馬に乗っている。

「父上が乗馬……!? 馬鹿なっ、あの馬に乗ったら五秒で落馬する父上が……!?」
「ごちゃごちゃ言ってないで、乗りなさい」
「え、ええ……」

 頭の混乱が収まらないまま、屠自古は父の操る馬に相乗りした。

「それで、父上? 今日は墓参りですって?」
「なんだ、忘れたのか? 今日はお前の母親の命日じゃないか」
「は……母上……?」
「それじゃ、行くぞ! はいよーッ!」

 鵜眞が馬の尻を叩くと、その脚が動き出した。なかなかどうして、上手い乗り方をするものだった。

「父上、いつの間に馬なんか乗れるようになったのです?」
「何を言っておるのだ。私は前から馬に乗っておったではないか」
「いや、そんな筈は……」

 親子を乗せた馬は、風を切って林道を抜ける。
 激しく上下に揺れる馬の背中で、鵜眞は舌も噛まずに話しかけてきた。

「それで……屠自古。神子が不老不死になる事……お前はどう思っているのだ?」
「なっ!? ええええッ!?」

 父の口から、神子の不老不死についての話が出てきたことで、屠自古は驚きのあまり落馬しそうになる。

「おいおい、大丈夫か?」
「……!! ああ、そうか! 何かおかしいと思ったが……」

 これも夢なのだ。そうに違いない。そうでなければおかしい。
 ならば折角だと屠自古は、現実では絶対に出来ない父親への相談をした。

「……私は悩んでいます。今からでも神子様や布都と同じように、仙人になるべきなのではないかと」

 本当ならば父親というのは、良き相談相手になってくれるはずだ。しかし彼に不老不死の仙人の話はしてはならない。だから屠自古は鵜眞に相談は出来なかった。しかし、自分の夢の中ならば構わないだろう。夢の中の鵜眞は既に不老不死について知っているようであったし、何も問題はない。
 屠自古の言葉に対し、鵜眞は少し考えるように沈黙してから、落ち着いた声で返した。

「……それは、何故だね?」
「何故って……だって、私は聖徳王の妻です。生涯付き添い、助けになりたい」
「それならば、仙人になれば良い」
「でも……私は……。武士として戦場で死ぬことを望んできました。仙人になれば、それは叶わなくなるでしょう?」
「自分の夢と、神子たちとの時間。天秤に掛けた結果が……前者ということか」

 そういう言い方をされると、自分が酷い裏切り者であるように聞こえる。自分のエゴを貫く為に、仲間と離別する人間に思える。
 しかし、自分とて悩まずにいる訳ではない。そんな冷徹な人間ではないはずだ。

「……私が神子様にお仕えする事になったのは、もともと私の戦いたいという欲求を叶える為。……だから、神子様の為に戦いを捨てるとしたら、それは本末転倒です」
「だが、悩んでいる」
「……そう。私は……戦いたいという願望よりも……神子様の傍で……布都たちと一緒に過ごしたい。そういう思いの方が強いのではないかと、悩んでいる」
「…………そうか」

 そこで馬の脚が止まった。
 気付けば二人は川辺に到着していた。あたり一面を真っ赤な曼珠沙華に覆われた、見たことのない場所。

「着いたぞ」
「……ここは?」
「あれが、お前の母親の墓だ」

 川辺にひとつ、無縁仏のような碑が立っていた。誰からも花を添えられる事もなく、誰からも弔われていない墓。

「……なァ、屠自古よ」
「なんですか? 父上」
「お前が戦いを望み、心を焦がしたのは……いつからだったのかな?」

 その言葉を聞いた瞬間。屠自古の視界が歪んだ。
 そうだ。その疑問だ。
 さきほどの広間の夢と同じ。
 自分はいつから、今の自分になったのか。
 それを知ったならば、きっと全ての答えを知ることになる。

「それじゃあ。もう少し戻ろうか」

 父の声はもはや遠くに聞こえ、曼珠沙華の景色は何処かへ消え失せていた。



   ◇   ◇   ◇



 屠自古は目を覚ました。
 ここは……どこだろう。寝ぼけ眼をこすりながら状況を確認する。
 そして彼女は気付く。ここは自分が幼少の頃を過ごした屋敷。
 幻覚のように、部屋の中央に霞が掛かった。そして次の瞬間、そこには一人の女性が佇んでいる。

「……あの」

 声を掛けると女性は振り向いた。その豊かな、金色に輝く美しい髪の毛が、首の動きを追って綺麗な弧を描いた。

「あっ……」

 思わず見惚れ、そして屠自古はついに思い出した。
 目の前にいる女性こそが、自分の母親であると。

「どうしたのです? 屠自古」
「あ……あの……」

 宝石のように美しい青い瞳が、屠自古をまっすぐに見据えている。
 それの何とも言えぬ魅力にたじろいで、屠自古は返事が出来ないでいた。

「……屠自古。私の可愛い娘よ」
「な、なんですか。母上……?」
「もう、いいのですよ」
「何がですか」

 彼女は薄々と感づいていた。夢見の母が何を言わんとしているのか。
 きっとそれは、彼女がこの夢の連鎖の中で見つけた疑問への解答。

「もう、あなたは見つけたのですから」
「一体、この私が何を見つけたというのです」
「……あなたはもう、守らなくて良いのです」

 母が言った瞬間。屠自古の視界が真っ赤に染まった。
 部屋が、床が、壁が、炎に包まれたのだ。

「うわァ!? ……は、母上!」
「いいのですよ。あの時のことは……もう……」

『ははうえー!』

 外から少女の声が聞こえる。それは幼い頃の自分の声であると、屠自古はすぐに分かった。

『屠自古ちゃん! 早く逃げないと!』
『でも、母上が! 母上がぁー!』
『いいから、逃げなさい!』

 外で自分と言い争っているのは、恐らく河憂江であろう。
 再び、屠自古の頭が重い頭痛に苛まれる。それは奥底に封印された記憶を呼び覚ます、荒々しい解錠の痛み。

「あ、ああああ! 思い出した……! 母上は……」

 海の向こうから来た人。
 人間ではないと恐れられもした。鬼と蔑まされた。
 しかし鵜眞はそんな女を妻とし、その間に屠自古が産まれた。

『なんでーっ! ああああああぁぁぁ! 父上はっ! なんで来ない!』

 屋敷が燃えたのは、そんな鬼の親子を良く思わない勢力の仕業であると、屠自古は後に聞いた。
 都で政に忙しい父は、駆けつけるのが遅れた。
 河憂江らと逃げ果せた屠自古に遺されたのは、跡形もなく燃え殻となった屋敷と、その中から見つかった幾つかの骨のみだった。

――歪みは、その時に産まれたのだ。

「私は……母上を助けられなかった。そして、父上も助けてはくれなかった。――だから、強くなろうとした。一人でも大事な人を守れるように。女である事を捨て、強くあることだけを望んだ」
「……でも。今のあなたは見つけたはずよ? お互いに助け合える仲間を。逆にあなたを助けてくれる人を。ならば……もう、いいじゃない」
「母上……私は……いいのですか? もう、戦いから身を引いても……神子様たちと永久の時を生きることを選んでも……いいのですか?」

 母は無言で抱きしめてくれた。
 屠自古の視界は再び歪む。今度は頬を濡らす涙で、綺麗に歪んだ。

「でも……」



   ◇   ◇   ◇



 ふわりと身体が浮かんだ。
 周りは僅かな光もない、夜よりも深い闇。
 しかし、まるで温かい海の中に沈んだような心地よさ。
 しばらくその感触に身を委ねていると、闇の向こうから誰かがやってきた。
 全身を赤黒い塗料で染め、その手には抜き身の剣。混沌とした戦場から今帰ってきたかのような武士は、こちらに気付くと動きを止めた。
 そして、その口が開かれる。

「私を……捨てるのか」

 やって来たのは“自分”に他ならない。
 しかし戦いに明け暮れた、戦いによって自我を保っていた自分。
 今の、答えを見つけかけた自分とは違う。歪みによって産まれた分身。

「いいえ、あなたも私。捨てることなんて出来ない」

 屠自古の返答に、しかし血塗れの屠自古は首を横に振る。

「しかし、お前は答えを見つけたはずだ。母の死によって産まれた、強さのみを求める私。それは神子様たちとの出会いによって、もはや必要がなくなった存在であると」

 確かに、今の自分には“戦場で死ぬことに焦がれる自分”を演じる必要はない。神子たちと共に居られれば、それで良いのだ。
 そして、それは仙人になることで永遠の幸福となる。

「……私は、歪んだ私は……神子様によって人間になれた。母上が望むであろうように、私は人間としての生を全うする」
「ならば私は人間ではない。歪んだ存在。やはり捨てるということか」
「いいえ、捨てない。歪んだ存在だったとしても、私にとって戦いに恋焦がれた数年間も、戦いに明け暮れたこの一年も、それは私だから」

 屠自古は泳ぐように手を掻いて前に進む。
 もう一人の自分の空いていた手を、そっと両手で握りしめた。

「私は自分の意志で戦うことを選べる。自分の意志であなたになれる」

 戦わざるを得なかった少女は、自分のために戦えるようになった。それは人間であることの証。

「だが、どうするのだ。人間であることを望めば、神子様たちといずれ別れることになる。永遠の時を生きようとすれば、それは人間ではなくなる。――二者択一」
「仙人となっても、自分の意志で生きることが出来れば……。自分の意志で動くことが出来れば、それは人間じゃなくて?」
「そう思いたい。だが、実際は思えていない。だからこうして、自問自答しているんだろう」

 価値観の問題、といえば簡単かもしれない。
 だが簡単には割り切れない。
 神子のような高い志を持ってではなく、布都のように強い願望があってではなく、ただ居心地が良いから――それだけで不老不死となることを選べるほど、屠自古は達観してはいなかった。
 彼女はただ才能に溢れる人間なのだから。
 聖人でもなければ、神の血を受け継ぐ者でもない。ただ一介の豪族の姫。

「お前はどうありたいのだ」

 幾つもの骸を積み上げてきた女が、まるで聖母のような優しい声で問う。

「私はどうありたいの」

 繰り返すように呟き、その身体は闇の中に沈んでいった。



   ◇   ◇   ◇



 濃い霧。手を伸ばせば己の指さえも影となってしまうほどに、視界を覆う水の壁。全身をそれで濡らしながら、屠自古は全く裸体でいた。
 霧の向こうからやってくる。自分の心の一番奥底まで、その指先を伸ばしてくる。豊聡耳神子が現れた。そしていつもと変わらぬ笑顔で、こう問いかける。

「屠自古は、私たちを畏れますか」
「そんな事……」
「不老不死となる私たちを、軽蔑しますか」

 その言葉に屠自古は押し黙る。
 自分は青娥との邂逅の際に、一人だけ不老不死の道を選ばなかった。それは気まぐれや青娥個人への感情を抜きにした、自分自身の考えに基づいた結論。
 そう。自分は確かに不老不死に対して良い感情を持っていない。それは恐らく自分が蘇我という血統の中に生まれ、血統の中を生きてきたから。命の限りある人間たちが、その血を継いできたことに誇りを持っているから。
 でも神子は天涯孤独であるし、布都は血の継りを嫌っている。だから彼女たちは不老不死に対する考えが、自分とは決定的に違う。
 その価値観の相違は知っていたし、無理に合わせる必要も、異なる考えを批判する理由もない。

「神子様。私は不老不死に肯定的ではありません。しかし、あなたたちが持つ不老不死への考えも、あるいは悩みも理解しているつもりです。そして、不老不死があなたたちにとって必要だということも」

 ゆっくりと、まるで自分の心に言い聞かせるように、神子へと告げた。
 それを受けて神子は悲しそうに目を伏せた。

「それでは……。屠自古は無理をしているのですね。不老不死を否定しながらも、私たちの歩む道は否定できないと、己を押し殺して私たちのもとにいるのですね」

 その言葉を聞いて、屠自古は胸が締めつけられる思いになる。
 そうではない、と叫びたい。決して無理などしていない、と。
 なぜなら私は。

「神子様、私はあなたと共に歩みたい」

 背筋を伸ばして誇らしげに、言ったあとには恥ずかしさを伴った。
 しかし、それが屠自古の本音なのだ。
 この霧中の自分は嘘を吐かない。ここで口にする言葉は全て真実だ。

「神子様、私は。確かに不老不死になることに抵抗がある、だからあなたたちと永遠の時を生きるという幸せが待っているとしても、そこに飛び込めなかった。それでも私は決して神子様や布都を軽蔑や、異端視などしない……。なぜなら」
「それは?」
「私はあなた達と最後まで共に歩みたい。それだけなんです」

 神子がもう一度、にっこりと笑った。微笑みではなく嬉しさを表すための、まるで宝石のように美しい笑顔。
 それが霧の中に消えていくと、屠自古の身体も霧と同化していく。その霧は冷たさとは真逆の温かさで、まるで柔らかい毛布に包まれたかのような心地よさに抱かれる。
 屠自古の意識はまたもや、何処かへと消えていった。



   ◇   ◇   ◇



 屠自古は目を覚ました。
 布団から身を起こすと、隣では神子が正装に着替えている。

「……? これも……夢か?」
「あら、おはようございます。屠自古が私より後に起きるなんて、珍しいですね」
「神子様、その服は一体……?」
「ああ、これですか? 鵜眞がですね、画家を呼んで私の肖像画を描かせるというので……って、屠自古!? 何故自分の頬をつねっているのですか?」
「いたたたた……。どうやら夢じゃないみたいね」

 屠自古は起き上がり、寝間着からいつもの装束に着替えた。大きく伸びをすると、背骨がポキリと軽快な音を出す。

「さて、あんまり待たせても失礼です。私は肖像画を描いてもらいに行きますが……屠自古は朝ごはんを?」
「いえ、ちょっと興味があります。私も見学させてください」
「……う、はい。なんだか恥ずかしいのですけれど……人に自分の絵を描いてもらうなんて」
「しかし、神子様の姿をそのまま描いたら……まるで女性そのものですよね。それはマズいんじゃないですか?」
「ああ、大丈夫です。ちゃんと付け髭を用意しました」
「……それで大丈夫なのかなぁ」

 神子は黒い付け髭を装着すると、画家の待つ部屋へと向かう。
 そこには既に布都と青娥、そして緊張した面持ちの画家が待っていた。

「おぉー、太子様! なかなかお似合いですね」
「……ぷふっ。髭かわいい……」
「えー、ごほん。それでは先生、お願いします」

 神子は緊張の面持ちながらも、七星剣を腰から提げて笏を両手に掲げる。ポーズはバッチリ決まった。

「は、はい。それでは描かせて頂きます」

 生唾をごくりと飲み込んで筆を取る。そんな画家に青娥が耳打ちした。

「ねェ。くれぐれも男らしく描いて頂戴よ? なんといったって、我らが王なのですから」
「は、はひ」

 そんな入れ知恵のせいもあり、数時間後に完成した絵には、髭面の中年男性の姿が描かれていた。
 それを見て布都は腹を抱えて笑う。

「ぶっはっはっは! これが太子様だってー! まるで鵜眞殿みたい」
「あら、いいじゃない。王としての威厳が上手く描かれているわ?」
「……神子様はこんな髭面男じゃない……。いや、まぁ王としての肖像画はこれで正解なのかもしれないが」
「……あ、あの。描き直しましょうか?」

 おずおずと申し出た画家に、神子が慌ててフォローを入れる。

「ああ、いえいえ! 大丈夫です。これで、全くもっていいんです! ありがとうございました」

 こうして聖徳王の肖像画は完成した。
 屠自古は、この場に居合わせた事を誇りに思う。そして神子や布都との楽しいひと時が、いつまでも続けば良いのにと、切に願う。
 それは実現できる願望。そして夢の中で母に望まれた道。闇の中で願った夢。

「しかし、神子様」
「なんですか?」
「あっ、いえ……。なんでもありません」

 だが、屠自古はそれを選ばなかった。
 仙人とならずして人間のまま仕えるからこそ、自分はこうして楽しい時を過ごせているのだ。自分は人間として死ぬ。人間として聖徳王の妻で在り続ける。
 人間でいれば、屠自古は守られる存在になる。母が得ることの出来なかった日々を、自分は精一杯に駆け抜けることが出来る。
 自分は神子に与えられた人間としての生を、精一杯に駆け抜ける。

 結局はっきりとした答えは分からなかった。しかし、こうして言葉に出すことで、屠自古は前に進む事ができる。

「……これが私の答えです。母上」

 炎の中に消えていったあの日の母へ向けて、屠自古は一人呟いた。




幕間.すべて世は事も無し





 仏教は今や大和中に広まり、そして民の心を穏やかにさせていた。それは権力者にとっても領内の安定を図ることの助けになる。蘇我氏の内政はすこぶる調子が良かった。
 物部との戦いについても、今のところは順調であった。布都が謀った「王と杜矢の仲違い」が上手くいったのか、物部は反攻の勢いをなくし、次第に蘇我軍が攻勢を強めている。
 そして神子個人のことについても問題はない。
 彼女と布都は、青娥の指導のもとで道教の修行を続けていた。青娥によれば二人とも経過は良好で、早ければ一年後には仙人となれるらしい。

 そんな中、神子は今日も戦場を駆けていた。物部氏の配下である厚東氏の領地への攻め。両軍入り乱れての乱戦模様となり、神子も編隊から外れて単独行動に出ている。その傍らには弓を構える屠自古。

「神子様! 右です!」
「むっ!」

 屠自古の指示で飛んでくる矢へと素早く反応し、剣の切っ先で弾き返す。神子を狙った弓兵には、屠自古の雷矢がお返しをする。

「さぁ、神子様!」
「ええ、行きます!」

 屠自古が召雷で乱戦の中に活路を作り、神子の突進を助けた。
 聖徳王は一直線に敵の大将へと肉薄し、丙子椒林剣を振りかぶる。

「厚東長人! 覚悟!」
「来たか、化物めが……!」

 敵の総大将である長人は槍を構えた。海の向こうからの侵略者を幾度も追い返したという、厚東の槍。その前では神子も油断はしない。

「……しッ!」

 神子は左手から一つの棒を放った。それは宙をふわりと浮き、長人の頭上を越える。

「飛び道具!? しゃらくさい!」

 それを槍ではたき落とした長人は、地面に落ちたものを見て愕然とする。
 神子が放ったのは武器でもなんでもなく、金の笏であったからだ。

「もらった!」
「しまっ……」

 その隙を逃さず懐に飛び込んだ神子は、剣の一閃で長人を沈めた。
 絶対的な総大将を倒された厚東軍は浮き足立ち、纏まりを欠いていく。そうなれば後は蘇我の独壇場だ。

「……ふぅ。これで一つ、また有力な豪族を滅ぼせましたね」

 もはや勝ち戦となった戦場を見渡し、神子は一息ついた。

「ええ、斑鳩宮で待つ布都に良い報告ができますね」
「さて……それでは本陣に戻りましょうか」

 小康状態になった戦場に背を向け、二人は蘇我の本陣へと引き返す。
 そして彼女たちをいつものように、兵たちの勝鬨が包む。
 はずであった。

「神子様! 大変です!」

 一人の雑兵が足をもつれさせながら、神子の元に駆け込んできた。神子の記憶が正しければ、それは都と戦場間の伝達を担当する兵である。

「どうしました?」
「あ、あの……! 都から緊急の知らせがあり……」

 息を切らし、緊張でしどろもどろの兵に対し、屠自古が苦言を呈する。

「王に対しては、簡潔に申せ」

 その言葉に兵士は肩をびくりと震わせ、はっきりとした口調で一言伝えた。

「はい! 布都様が危篤だそうです!」

 神子と屠自古は互いの顔を無言で見合わせ、次いで伝達の兵に再度視線を戻した。

「……え?」
「なんと、言った?」
「だから! 物部布都様が、危篤だそうです!」

 全てが順調のはずだった。この厚東氏との戦も、何事もなく勝利に終わったつもりだった。
 だが、神子の知らないところで――事態は、静かに進行していたのだ。

「日輪がまた輝くとき その二」を読んでいただきまして、ありがとうございます。
物語は結末へと向かっていきます。
キャラの過去話を書くとなると、その行き着く先は原作の彼女たち。
読み終わった時に「こういう○○もいいな」と思っていただければ幸いです。
それでは引き続きお楽しみいただければ幸いです。
yunta
konparo@gmail.com
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.580簡易評価
3.無評価名前が無い程度の能力削除
いくつか青娥が青蛾になっていました。
4.無評価yunta削除
>>3.
これが邪仙の成せる業か…
いや、すみません。間違いでした。
ご指摘ありがとうございます。
5.100名前が正体不明である程度の能力削除
次いこー。
9.100名前が無い程度の能力削除
 ひえー。自己紹介や能力・技を披露する場面だった「その一」に比べて、「その二」では、先が見えない展開でドキドキします。神子様の心も揺らいでますねぇ…。そしてラストも!次!次いきたいけど、もう時間が…

・にゃんにゃん…たのもしい。清濁併せのむ娘々。腹黒い娘々。GOOD.
・物部杜矢さんは本当に悪者ですねぇ。そんなんじゃ人もついてこないぜ…
・蘇我河憂江は河上の郎女さんが元ネタでしょうか
10.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
14.無評価yunta削除
お返事です。

蘇我河憂江の元ネタはその通り、河上の郎女さんです。
杜矢さんは昔は本当に良いお兄ちゃんだったはずなのです。
19.100名前が無い程度の能力削除
布都ちゃんが、なんてかっこいい
20.100非現実世界に棲む者削除
今作もはらはらさせていただきました。
さあ締めだ。
日輪は輝くのだろうか。