Coolier - 新生・東方創想話

ストロベリー・ストローク

2011/11/11 22:22:56
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 行き過ぎたバスが吐き出す、うす蒼い排ガスから身を守るようにして顔を逸らし、コートのポケットに突っ込んでおいたケータイを取り出した。私以外には誰の影も気配も見当たらない古ぼけた停留所の小屋に入って、椅子に腰かけながら時間を確かめると、ところどころに空白を残し続ける世界の中で、ディスプレイの透明な銀色の輝きだけがやけにぴったりと“はめ込まれた”ように思えてしまう。

 11月12日。
 14時22分。
 今回は自分から誘ったくせに、彼女は未だやってはこない。

 ヒトの意識そのものをリソースとして、ネットワークは世界を繋ぐことができる、なんて、そんな大それたことが唱えられ始めたのはいったいいつ頃からのことなんだろう。人間の持ち得る叡智そのものを連結させて互いを互いの神に据え、人間という生き物自体をひとつの思考システムとして結実させるなんてことが。

 SFなんてジャンルは、今じゃ古典文学に片脚を突っ込み始めたような存在だけれど、その手の想像力が生み出したサイバーパンク的な何ものかだけは、私たちの時代をかろうじて理想の中に繋ぎ止めているのかもしれなかった。ネットワークへのアクセスポイントそのものとして機能し始めたおかげか、今や携帯電話としての面影の大半を失った携帯型情報デバイス。21世紀初頭、スマートフォンなんて呼ばれて一世を風靡していたころからほとんど変わらないスタイルのタッチパネルを叩いて拡張現実を起動させると、私の近視を矯正する拡張現実対応コンタクトレンズに微細な電子の揺らぎが走り、網膜に映る世界にはひどく彩度の高い超現実が張りついた。極薄のプレートに極小の電子部品をナノ単位で組み込んだ、最先端の“色眼鏡”。ほとんど足を運んだことのないこの場所で、何か面白いものが見られるだろうかという、暇つぶし程度の期待感。

 この辺りは、昔、有名な観光地だったらしいから、今でも往時のささやかな繁栄が捨てきれない行政や民間、その他あれこれの人々の手で安価に、しかし無思慮に設置された、拡張現実に訴えるPRのための映像モデルが歩きまわっている。土地にゆかりのある武将なり姫君なり、戦なり博覧会なりを再現した仮想的絵巻物。あるはずのない身体感覚さえ再現・共有可能な領域にまで達したテクノロジーは、本物の人間と変わらない体温と感触を持つ“彼ら”と手を取り合って、観光ルートをエスコートしてもらうことさえ可能なはずだった。けれど、誰もそんなことをする人は居ないのだ。本物の人間による案内なら、客の来ないのを知って大いにかなしんでしまうだろう。交通事故やトラブルを防止するため、直ぐに“にせもの”と解る可視性を重視し、意図的に映像のレベルをデチューンして制作されたCGであるのだろう彼らは、わざとらしい笑みを浮かべ続けて決してかなしむことはない。誰もがそれを望んでいる。そして、誰も知ることはない。京都市外からバスでほんの数十分。衰退ってやつは、こんなところにまで棲みついている。

 私の地元である東京は、霊的災害から京都への遷都を経てひどく荒廃が進んだ街だった。

 ことあるごとに、かつて一千万人がひしめく大都市として繁栄の極みにあった東京の姿を寝物語に聞かされて育った身としては、幼さの観測範囲だけが極端に彩度が低く、灰色で、ぼろぼろの存在なのだと思い込んでいた。いや、本当はそう思い込もうとしていただけだったのかもしれない。高校の後半から近視が進み、思い切って拡張現実対応のコンタクトレンズを使い始めるより以前から、ネットワークはやかましく情報の渦をがなり立てていた。もちろん、知ろうと思えば、紛争地帯で未だに握られ続けるカラシニコフの子孫たちを撃つときの反動を体験することができたのだし、きれいな逆三角形になりつつあった人口ピラミッドのさなか、住む人のなくなって十年間に数十が放棄されていったという各地の街々の空気の温度を肌で感じることもできた。結局のところ、私は臆病なだけであって、衰退そのものが世界のあちこちでパンデミック的に進行しているという事実から眼を逸らしたがっていただけだったのかもしれない。

 何もかもがなくなっていったのは、京都も同じ。

 ちょっと中心の市街地から離れると、そこはもう、かつて人間の領域だった“もの”が虫の息で横たわっているだけだ。今じゃ、こんな光景はそれほど珍しくもなかった。どこを向いても冬を迎える寸前で立ち枯れている秋のようであり、しかし、それは本物の秋ほどに心をときめかせるものはない。

 だから私たちは躍起になる。生物学や、物理学や、経済学や、社会学や、色々な数え切れない人たちの知識が必要だから、人間の意識を単位にする新しいネットワークを構築する。留まるところを知らない少子化のせいで、人間という生き物が緩やかに絶えてしまうのが怖いのだ。だから、食料が枯渇しないよう安全で安価な合成食品をつくりたがるし、結界なんてものを越えて帰って来ないばかなやつが出ないように、視覚だけでないあらゆる感覚までも仮想的に共有できるよう拡張現実を整備する。ここはユートピアだ。苦しいことから眼を逸らしさえすれば。快楽を感じるための思考パターンさえ解き明かされ、人間は神さまのようなものをも擬似的に再現することができてしまう。

「夢と現は同じものなのよ」

 と、彼女は言った。
 相対性精神学専攻で、主客統一論者の彼女。
 私の――たぶん、無二の――相棒。
 
 彼女と出会ってから結構な時間が経っていたことだけは間違いないが、未だにそんな風に議論を吹っ掛けあうのが私たちの日常ってものだった。確か、そのときはむきになって何か必死に反論したような記憶がある。けれど、今となってはこれっぽっちも憶えていない。当たり前の生活を昔の人たちが決して記録に残さなかったように、あまりにもありふれた行動の連なりは、何とない生活の連続として、快楽とも苦痛とも地平を違えたものとしてだけ記憶されていく。

 それって、かなしいことなんだろうか。

 別の友達に訊いてみたら「蓮子は薄情だねえ」なんて笑われたから、自分がおかしいのかもしれないと、その夜はシャワーを浴びながら考えたりもしたものだけど。夢と現は同じもの。秘封倶楽部の相棒である彼女と一緒に居ることが現実で、彼女と話したことすべてが夢だったのだろうか。主客を峻別したがる私の性分では、何が何でもどちらかに何がしかの言葉を与えたくてたまらない。時代に反逆する、なんて言い方をすれば少しは格好がつくかもしれないが、本当は単なる猜疑心だ。

 秘封倶楽部は、本当に私と彼女のものなのだろうか。
 最近、ひとりで居ると、やけに不安で仕方がない。

 それは、あと一年もすれば迎えなければならない就職活動のことだとか、シベリアを起点にして発生した新種のインフルエンザが猛威を振るっていることだとか、頭をひねりにひねって書き上げたレポートが教授にぼろくそ言われてしまったとか、合成食品の台頭によって空洞化した農業の復活を訴えるテロ組織が日本を標的にしている疑いがあるとか、そういう、世界に満ちたあまりにも多すぎる“すべて”に比べるならあまりにもちっぽけで、取るに足らないものではあったに違いない。もしかしたら、そういうものたちが互いに強烈な化学反応を起こして、単にナーバスになっているだけなのかもしれない。

 ときどき、私は私の“眼”のことを考える。
 星と月の傾きで場所と時間を見出す特異な力。
 彼女と出会って、秘封倶楽部に引き入れたのは、彼女の“眼”が私には見えない結界を見ることができたからだ。霊能者同士の傷の舐め合い? そういう風にも解釈できる。それとも仲良しの友達をつくりたかったから? それも、まあ、少しはあるのかもしれない。彼女は話していて面白い。こう言っちゃ失礼かもしれないけど、私と釣り合いの取れるほどの頭脳も持ってる。面白いジョークだってときどきは口にする。それに、結界も見える。私が欲しかった能力を持っている。

 私は、ずっと『ここじゃない、どこか』に行きたかった。
 灰色に満ちた東京から逃げ出したくて、京都の大学に進学した。
 それと同じくらい、にせものの繁栄で生き残った人間たちをごまかし続ける世界には、さっさと背を向けてしまいたかった。でも、私にはそれができない。お金も、勇気も、知識もない。私は、何もできないただの二十歳の宇佐見蓮子だ。

 たったそれだけのことで、私は私のエゴを満たしてくれるかもしれない彼女という存在を欲してしまったのだろうか。彼女の能力を失いたくないせいで、あれこれと彼女が喜びそうなテーマを見つけては議論を吹っ掛けたり、旅行みたいにあちこちに連れ回したり、カフェで評判のケーキを紹介したりしていたのだろうか。それは、友達が友達にするようにして。本当は、彼女のことを好きじゃないかもしれないのにか? 私は卑怯者で、最低の人間だ。彼女と一緒に居るときは、その何となくの愉しさに溺れてユートピアの住人になっているくせに、ひとりになったとたんに自分自身の心のことを、それ以上に彼女の心をも疑い出す。

 近くの自動販売機で買った微糖入り缶コーヒーを飲みながら、相も変わらず停留所で彼女を待つ。遅くなるのならケータイに連絡くらい入れてくれても良いだろうに、何だか今日はやけにルーズなままでいる。メールの返事は帰って来ないし、電話をしても電源が切れているらしいというおことわりのメッセージ。風が吹くと、背後の丘に植えられた木々がざわりざわりと背を震わせた。それとよく似た要領で、不安は私の心臓の内側を撫で上げていく。

 丘と、そこを麓とする山には人の手がほとんど入らなくなったせいで、すっかり野生動物たちの楽園になっているという。鞄の中から取り出した合成の菓子パンを食べようと指で小さくちぎっていると、森から下りてきたらしい狸が私の足下にじゃれついてきたから、唇に運ぶつもりだったパンをひとかけらほど、くれてやった。疑わしげに鼻先を突きつけてにおいを嗅ぎ、毒じゃないと解ると遠慮なくかじりつく。狸って、実はけっこう凶暴な性格の生き物だと聞いていたけれど、大人しく食事をしている分にはなかなか可愛らしい。背を撫でてみようとして手を伸ばしたが、餌を取られると思ったのか、狸は全身を震わせてこちらを威嚇し、そのままどこかに行ってしまった。

 私は、拡張現実の映像モデル越しに遠ざかっていく狸の毛並みや体温を知らない。
 いや、もしかしたら、それがにせものかどうかさえ突きとめることができなかった。
 発達したネットワークと、彩度を向上させていく拡張現実・感覚共有システムは、やがて人間の心だって互いに接続可能になるかもしれないと科学雑誌の記事には書いてあった。今どき、未だ紙媒体にこだわり続けているその老舗雑誌は、八宗兼学を自称して奇人・変人とも天才ともいわれる岡崎夢美教授の仮説を引用し、脳のアドレナリン分泌量や命令伝達の電気信号をリアルタイムに操作できるようになれば、現段階では少なくとも宗教者の神秘体験のような恍惚感なら意図的に擬似体験できるようになるかもしれないと語る。そして、拡張現実を介してネットワークで感覚を“配信”し、すべてのユーザーが同一の精神を抱くことができるのだと。

 すっかり折り目のつくほど何度も開かれ続けてきたそのページを、彼女は興奮気味に私に見せたものだった。笑って肯定することも、鼻を鳴らして否定することもしなかった。それは何となく不気味で、認めがたい――けれど、魅惑的な色彩に満ちた幻想。危ないところに行ってはいけないと諭された子供が、それでもそんな場所に遊びに行ってしまうように。劣等感と自己嫌悪に苛まれながら、彼女と一緒に居られることがどうしようもなくしあわせで仕方がない私のように。私は、彼女が大好きだから。彼女にも、私のことを好きでいて欲しいから。だから、こんな灰色で汚らしい、感情のざらつきを明かすことなんて絶対にしたくない。私が、本当は彼女の“眼”だけが欲しいのかもしれないなんてことを、彼女に聞かせたくはなかったから。けれど、テクノロジーは、そのジレンマさえもひと繋ぎにしてしまうのだろうか。世界すべての人々の心をひとつにして、永遠で恒常的なものを誰の心にも根づかせてしまうのだろうか。

 岡崎教授の仮説を指先で示していた、彼女の体温は?
 物憂げに伏せられた瞳が私と同じ色の空を見ていたという保証はある?
 その心の中を、私の存在がどのくらいまで占めているというのだろう?
 知りたい。が、知るのが怖い。怖いんだ。

 すっかり空になったコーヒーの缶を握りしめながら、屑かごを探しに行く気力もなくうなだれていた。彼女は未だ来ない。もしかしたら、バイトが長引いているのかもしれない。いつも私の遅刻を咎めるくせに。どんな言いわけを口にするだろうな。そんなことを考えると、ほんの少しだけ頭の中がすっきりするような気がした。それなら、私はどんな風に軽口を叩いて迎えてやろうか。

 メールの返事は帰って来ないし、電話をしても電源が切れているらしいというおことわりのメッセージ。彼女は留守電サービスに加入していないから、たまに私が待つ側のときは、いつもいたずらに時間を潰す。ケータイのディスプレイの眩しさに顔をしかめ、星も月も未だ空には出ていないことを少しだけ恨む。

 11月12日。
 14時41分。
 今回は自分から誘ったくせに、彼女は未だやってはこない。

「ばぁーか。メリーのやつ。もう顔も見たくない」

 心にもないことを呟いて、唇に残ったコーヒーの味を思い出そうとした。
 きっと全人類の心がひとつでも、このときの気持ちだけは、私だけしか知ることはない。
 ほら見ろ。私は誰とも繋がれない、ひとりぼっちのままなのだ。
秘封の世界観に特徴的な『夢と現は同じもの』というイメージを自分なりに解釈し、
日常系ディストピアSF(ただし似非)のイメージで書きました。
タイトルは、語呂と語感の良さで決めたので特に意味はないです。



拡張現実が進歩して視覚以外の身体感覚まで投影できるようになったら、
蓮メリはどれだけ離れてても擬似ちゅっちゅできるようになるんじゃねえの。
こうず
http://twitter.com/#!/kouzu
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コメント



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2.90奇声を発する程度の能力削除
独特の世界観が出てて面白かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
つまり……蓮メリちゅっちゅってことだってばよ!!!
5.100名前が無い程度の能力削除
これ好き
6.100名前が無い程度の能力削除
いいなぁこれ

遠隔ちゅっちゅとか胸熱すぎる
7.100名前が無い程度の能力削除
年齢がおかしいのが気になったけど、不思議な雰囲気が秘封らしくてよかったです。

なんとなく、他のいろんな作品でメリーを待たせまくっているから
ここの蓮子はメリーに会えないんだなと思いました。
13.100名前が無い程度の能力削除
やさぐれんこ
16.100名前が無い程度の能力削除
つまり相手の端末にクラッキングを仕掛ければ、見ず知らずの誰かが蓮子と……やめろ!蓮子とちゅっちゅしていいのはメリーだけだ(
18.100名前が正体不明である程度の能力削除
寂し蓮子。
19.80名無しな程度の能力削除
>きっと全人類の心がひとつでも、このときの気持ちだけは、私だけしか知ることはない。

↑だから拡張現実でちゅっちゅしても、それは本物には程遠い。二人は一緒にいないと駄目なんですよ。
20.90とーなす削除
おおう、すごくSF。新鮮でした。
結局メリーは来ないままで終わってしまうのが、すごい寂しい。
26.90名前が無い程度の能力削除
どっかりとそびえる重厚な世界観に強く惹かれました。
願わくばそれが動く様を見たかったです。ただ横たわっているままでは何だか勿体ない。
27.80保冷剤削除
引っかかるところもなく文量的にも読み易いのだけど、いささかとっ散らかっちゃてる印象です。
現代人の抱える孤独を秘封付き合いで埋めてた蓮子が次のステップを望むようになった、というこれはまったくありきたりな若者らしい心理を、これまたありきたりな『仮想という新インフラの黎明』という世界観と併せて描いたもの、だと思います。やけに物憂いのは作者さんの持つ味でしょうか。
これは蓮子の側だけじゃなくメリーの側からも話を見る必要がありそうですね。
28.100名前が無い程度の能力削除
秘封だな