Coolier - 新生・東方創想話

幼心地の恋心

2011/09/25 19:35:15
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 橙という式がいる。
 彼女は耳を動かして、軽いあくびをしていた。
 幻想郷は今日も平和で、空は快晴。空からの恵みが橙の体に降り注いで、彼女は少し眠気に誘われる。
 ふるふると彼女は頭を振った。細くなっていた目を無理矢理ぱっちりと開けて、ついでに喝を入れるために「にゃーっ!」と鳴いた。
 マヨイガの縁側に座っている彼女は、ここじゃいけないなぁと思った。ここじゃ眠くなっちゃって、大事なアレができないと思った。
 橙は首を傾げた。
 ――アレってなんだっけ……えっと、なんて名前だっけ?
 いくら考えても思い出せない。
 ――と、とりあえず、できなくなっちゃうから! と橙は頬から音が出るくらいに強く叩いた。思った以上に痛くて、少し泣いた。
 橙はアレの名前を思い出すために、それがどんな特徴を持っているのかを思い返す。
 まず、楽しいこと。一人じゃできないこと。どうでもいい人じゃだめなこと。藍さまとか紫さまとかそういう人でもだめなこと。それと……相手はもう決まっていること。
「はれ?」
 ここまで思ってみて、橙は気がついた。アレについて何も知らないのだ。
「困ったな……」
 アレに関するイメージをぼんやりと思い浮かべてみる。
 二人が並んでいる。
 以上。
「はにゃっ!」
 橙は少し汗をかいた。
 これはまずいな、と。これじゃどうしたらいいのか分からないじゃないかと橙は焦る。
 どうしよう、と空を見上げても、そこに答えはない。
 何かひっかかるのだ。何だろうと思うが、明確なイメージを思い浮かぶことができなくて、橙はぐったりと脱力する。
 ――まぁ、いいや。ようやく、これで仲間になれるんだから。
 橙がふふふと笑った時だった。不意に、気配を感じた。
 来た、と橙は背筋を伸ばす。



 ナズーリンはガチガチになりながら、マヨイガへと至った。
 これからとある子とデートをするのだ。
 橙である。
 鼠であるナズーリンは、どうしてこんなことになってしまったんだろうと思った。
 相手は猫の式神だ。鼠である自分にとっては天敵であるのに、なぜデートしなくちゃならないのだろうと思った。
 いや、「なぜ」も「ならない」もナズーリンが言うのはおかしい。
 なぜなら、誘ったのはナズーリンのほうなのだから。
 ――うぅ、どうして誘ってしまったのだろうか。
 ナズーリンは嘆息を吐いた。今更後悔しても仕方ないと思う。とにかく、橙に会わなければいけない。
 そこで、ようやくナズーリンは着いたその場から動いていないことに気がついた。
「こんなんで――」
 うまくいくのか、と言いかけて固まった。
 視線の先には、橙がいた。



 気配を感じてからいつまで経っても来ないので、入り口にまで行ってみた。ナズーリンはその場で立ったままだった。
「どうしたの?」
「いや」
 ナズーリンは顔を赤くして、もじもじとしているだけだった。
 橙は小首を傾げて、右方向に指をさす。
「おといれならあっちだよ?」
「違うっ!」
 橙はビクッと体を震わせた。いきなり叫ばれて、怖いと感じる。
「え、い、いや違うんだよ! えぇっと――もう!」
 ナズーリンは力が籠もっている足踏みで歩みだした。
 そのまま橙の腕をつかみ、
「ほら、行くよ!」
 と声を張り上げ、踵を返す。
「えっ、えっ……ここじゃないの?」
 その一言に足を止め、ナズーリンは振り返った。「はぁ?」と言いたげな表情だった。
「いや、ここじゃできないでしょ」
「え。そうなの? えーっと……何て言うんだっけ?」
「もしかして、デートって知らない?」
「そう、それ! でーと!」
 その一言でナズーリンは空いた片手で目を押さえた。
「大丈夫?」
「……いや、ちょっと目眩がしただけ」
「だ、大丈夫なの?」
「平気だってば。……とりあえず、行こうか」
「う、うん」
 ナズーリンが再び歩き出そうとして、
「ちょ、ちょっと待って」
 ナズーリンは眉をひそめた。
「なんだね?」
「あの。手、ぎゅってさせて」
 橙はナズーリンに引かれるのはイヤだった。引きずられてるみたいで。それをナズーリンも理解したようだった。
「ごめん」
 それから、ぎゅっと、橙の手を握る。
「これで……いいかな?」
「……うん!」
 橙が笑顔になったのを見て、ナズーリンは微笑んだ。
 二人は手を繋ぎあって、歩きだした。



「くぅ~っ!」
 草陰で悶えてるものがいた。
「なんて初々しいんでしょ! あぁ~!」
 寅丸星は身を抱えて、ゴロンゴロンと転がる。法衣が汚れることなんて気にしない。というより、気にしてられない。
「あぁ……いいわ。すごくいいわぁ……」
 ナズーリンがとある子をデートに誘ったのを聞きつけ、こうやって朝から待機していたのである。
 きっかけは、ナズーリンが聖に対して相談を持ちかけたのを、たまたま聞いてしまったことに端を発する。



「聖……相談したいことがあるんだ」
「あら、何かしら?」
 もじもじと、ナズーリンはゆっくりと言う。
「その……普段は避けているはずなのに、なんでか分からないけど気にしちゃう子がいて。この前の、橙っていう猫の式」
「あぁ、この前八雲藍さんに挨拶した時にいた。しょっちゅう遊びに来てる子ね?」
「うん……最初は邪魔なだけで、何とも思ってなかったんだけどね。彼女が遊んでる姿を見る回数を重ねていくと、こう、もやもやとしたものが芽生えてきて……」
「そしてドキドキしてしまう、のでしょう?」
「ど、どうして分かったの!?」
 ナズーリンはしっぽをピンと張って、目を見開く。
「ナズーリン。それは恋というものですよ」
「こ、恋?」
「えぇ」
 戸惑うナズーリンに、聖は頭に手を置く。
「そう。相手が気になってしまってしょうがない時、人はそれを恋と呼ぶのです」
「で、でも……私鼠で、相手猫だし……。それに、これが恋なのかもよくわかんないし……」
 指を合わせてグーパーを繰り返し、ナズーリンは顔を赤くして横に向ける。言葉は後半に行くほど、徐々に萎んでいった。
 柔らかく、聖は笑う。
「なら、確かめてみればいいじゃないですか」
「確かめる?」
「えぇ」
 そう言ってから、聖はデートに誘うことをナズーリンに教えたのだ。
 物陰からそれを聞いていた星は、ほほぉ……と顎を手で撫でた。これは是が非でも見なくちゃな、と思って。



「さて、お二人の移動も開始したことだし。私も移動する――ん?」
 星が立ち上がった時だった。ガサガサと草木が揺れる音が聞こえた。
 目を細めて対面を見る。
「あれは……」
 特徴的な九つの尻尾を持った輩が身悶えてるのを、星は見た。
 そして思った。
 恥ずかしい奴だなぁ、と。
 

 
 手を握りあって、二人は人里へと至る。
 この間、飛んだりはしなかった。ただ歩いてマヨイガから人里へと来たのだ。
 けれど、お互いに話を切り出すことはできなかった。
 ナズーリンは極度に緊張し、橙はそもそもデートというものがよく分かってない。
 この場合はナズーリンから話を切り出すしかないのだが、ナズーリンはいつもの知能を発揮することができないでいる状態だった。
 途中気まずさを感じて、何回か話かけはしたものの、大して弾まなかった。結果はナズーリンの気まずさが増しただけだった。
 ナズーリンはとりあえず、プラン通りに進めようと心がけた。幻想郷を巡る計画だ。本来ならば飛んでいく予定ではあったのだが、それすらも忘れていた。
 とりあえず、人里の中へと入っていった。



 まずい。これはまずいぞとナズーリンは思う。ろくに話が弾むことはなく、相手がどう思っているかが気になってしょうがなかった。
 横にいる相手をチラッと見る。
 橙はまっすぐ前を向いていて、口元は少しつり上がっている。
 無表情であるわけではない。それが少し救いになると同時に、若干の問題を発生する。
 問題は、橙がこれをどう思っているかだった。ナズーリンが危惧しているのは、橙がこれをデートという名の遊びであると勘違いしていないかだった。
 ――確かに、二人で遊びには来ているけど、それが主眼じゃないんだよな。
 このデートで得たいのは、ナズーリンが橙が本当に好きなのかどうかだ。これが遊びであると相手が思っていても、問題はない。
 ――けど。ぶっちゃけ、相手が私をどう思っているのかも知りたいんだよなぁ……。
 だから、橙にはこれが遊びであると思って欲しくないのが、ナズーリンの本音だった。
 そういえば聖はこんなことを言っていたなと思い出す。



「いいですか、ナズーリン。デートで大事なのはムードよ」
 聖は人指し指をぴんと立てる。
「む、ムード?」
「そう。自分も相手もドキドキするような雰囲気よ」
「ど、どうやったらそれを作れるの?」
「残念だけどそれは一概に言えないの。人によって違ってくるから。でもね、アドバイスはできるわ」
「何?」
 ナズーリンは、一層耳を澄ました。
 聖は笑う。
「それはね……相手をちゃんと見ることよ」
「相手を……見る……」
「そう。そして考えるの。相手がどう思っているのかを」
 ナズーリンは声を張り上げる。
「そ、そんなの無理だよ! どうやったら相手が考えていることが分かるのさ!」
「だから、ちゃんと見るの。相手が――橙ちゃんが、何をしたら喜ぶのか。何をしたら嫌がるのか。何をしたらドキドキしてくれるのか」
「つまり……見て、学べということかい?」
「そして、橙ちゃんになりきれれば、完璧」
 ナズーリンは、俯いた。
 ――そんなこと、できるのか。さとり妖怪のように相手の心が読めるなんて、そんなことが。
 ポンとナズーリンの肩に何かが触れた。
 顔を上げると、聖が微笑んで、肩に手を置いていた。
「大丈夫。ナズーリンならできるわ。あなたは賢いもの」
「う、うん」
 ナズーリンがデートを誘うことに踏み切った根拠――それが、この微笑だったことを、ナズーリンは思い出す。



 ナズーリンは決心した。
 ――橙のことを、もっとたくさん知ろう。そして、この胸でもやもやとしているものの正体を暴こう。
「ち、橙」
「何?」
 橙が小首を傾げて、ナズーリンに向く。
「お腹空いてないかい? まずは腹ごしらえでも、しようかと」
 橙の顔がぱぁっと明るくなる。
「うん、食べる!」
 ナズーリンはホッと一息吐いた。とりあえずは喜んでくれたと、胸に手を乗せた。
「それじゃあ、何を食べようか」
「え? うーん……」
 橙がきょろきょろと周りを見渡す。
 ナズーリンはそれを見て、少し微笑む。
 ――かわいいなぁ。いつもこう、何事にも全力って感じで。猫だからなのかもしれないけど、言いたいことが全身で表現されるのがいいというか……。
 この場合は、「どこにしようかな?」と言っているなぁ、と少し間の抜けた顔をしていると、橙に声をかけられる。
「ナズーリン?」
「え、あ、いやぁ。ごめんなんでもないんだ」
 ナズーリンは顔を赤くしつつ、
「で、どこにしたか決まったかい?」
 と訊いた。それに対し、橙は満面の笑みで指差した。
「うん! あそこ!」
 指差した方向を見て、ナズーリンの表情が強ばった。



「ごゆっくり」
 ウェーターにそう言われ、ナズーリンはカチコチになりながら会釈する。
 目の前に座っている橙は楽しそうにメニュー表を見ている。表紙裏表紙とも真っ黒なメニュー。ナズーリンは恐る恐る訊いた。
「えっと、橙? 訊きたいんだけど、どうしてこの店にしたの?」
「ん? えっとねぇ。前に藍さまとここに来たの。そしたらすごくおいしかったからね。また来たいなと思ってたの」
 届かない足をパタパタと揺らして、橙はメニューを見ながら答えた。
「あぁ、そうなの……」
 ナズーリンは店内を見回す。
 まず思ってのが、広いということだ。天井は巨大化した雲山が入っても大丈夫なんじゃないかと思うほど高いし、奥行きは先ほどのウェーターの姿が小さく見えるところから窺える。
 テーブルに目を移すと、そこには真っ白なテーブルクロスがある。その上に乗っているワイングラスには透き通るような水が注がれている。
 そしてメニューを開けば、そこには最低でも二千円、高いものだと五千円する料理の名前がおしゃれな字体で書かれている。
 ――どうしてこうなった!
 ナズーリンは頭を抱えたくなった。
 ここは、人里唯一の高級料理店だった。
「すみませーん!」
 橙の大きな声が、ナズーリンの心に虚しく響く。



「あんたのところの娘さんは何? お昼からこんなところで食べるの?」
「八雲の名を継ぐべき娘なのです。高い教養というのが必要なのですよ、そちらと違って」
「ハンッ。幼い頃から舌を肥えさせるのが高い教養っていうのね。呆れたわ~。あの子が可哀想ね、こんな馬鹿親持って」
「質素倹約という名の貧乏な生活を強いられている、あの子のほうが可哀想ですけどね」
「何? 命蓮寺に喧嘩売ってるの?」
「そちらこそ八雲の名を低く見てないか?」
 険悪な雰囲気を漂わせているのは、寅丸星に八雲藍だ。
 彼女らはマヨイガで出会った。星にとっては、目の前で痴態を繰り広げている藍をとりあえず拾ったという形になっている。毘沙門天の弟子として、情けをかけたというわけだ。
 どうしてあの場にいたのか。そう訊いたら、藍は答えた。橙がある日、藍に訊いたのだと言う。


『ねぇ、藍さま。でーとってなに?』
  
 
 藍はそこで意識を空中一回転させたとか。橙に知識としてデートを教え、それから橙を誑かした不届き者を戒めるために、マヨイガへと赴いたのだと言う。
 しかし、予想外の純粋さに、星と同じく悶えてしまったというわけらしい。
 それから、二人一緒に橙とナズーリンの後を追う。会話が弾まないナズーリンと橙に対し、二人はいかに自分らの子が素晴らしいかを言い合って、結果仲が悪くなった。
 その仲の悪さは、高級料理店に入っても変わらなかった。
 互いに睨み合い、腰を浮かす。
 それを耐えかねたウェーターが仲裁に入ろうとする。
「あの、お客様。ほかのお客様の――」
『あ?』
「――お水、取り替えさせてもらっても、よろしいでしょうか?」
 ウェーターは足を震わせながら、黙々と水を入れ直して、一礼。急いでその場を去っていった。
「……ところで」
 藍が疑問を口にした。
「あの子、お金持ってるの?」
 それに対し、星は沈黙で応えた。



 並べられた料理を平らげて、橙は満足そうにお腹をさする。
「いっぱい食べたぁ」
「そ、そうか。それは、よかったな」
「ところでナズーリンは一つしか注文してなかったけど?」
「あ、あぁ……小食だからな」
 ナズーリンはこっそりと、財布の中身を見た。
 ナズーリンはお金を星から貰っている。しかし、それはお小遣いという形でだ。あまり多くの金額をもらえないのは、別に文句がなかった。今回のデートも貯金を全額使えば何とかなると思っていた。
 しかし、この状況はあまりにも予想外過ぎた。
 ナズーリンの所持金に聖徳太子はいない。札は全て夏目漱石だ。
 ただ、冷や汗を流すしかなかった。
「ナズーリン? なんか顔色悪いよ?」
「いや、うん。大丈夫だよ。ハハハ」
 ナズーリンの乾いた笑いに、橙は小首を傾げる。
「まぁ、いいや。じゃあ、出よう?」
 その一言に、笑いが止まる。
「ナズーリン?」
「いや……うん。もうちょっとここにいないか?」
「えー?」
 あからさまにイヤそうな顔だ。橙は行動を制限されるのが嫌いなのだろう。猫だから、しょうがないと言える。
 確かに、この場所に居続けても金が増えるわけではない。
 ――けど、もう少し考える時間をくれたっていいじゃないか!
 金を払うのは自分だ。なのにこの子は……。
 ナズーリンの内心を知らない橙は、眉をひそめてナズーリンを急かす。子どもだ。子どもだから、金銭など分からないのだ。と言い訳をしてみても、やはり苛立ちが募る。
 ――このままじゃ、確かめもせずに橙を嫌いになっちゃうよ!
 ナズーリンの目にじんわり涙がたまる。
「あれ? ナズーリン、泣いてるの?」
「な、泣いてなんかいない!」
 ゴシゴシと目を擦るが、涙は後から後へと湧いてくる。
 悔しかった。こんなんで橙を嫌いになってしまうと思っている自分が。
 情けなかった。ただお金がないというだけなのに、こんなので泣いてしまう自分が。
 ぐすぐすと音も伴い始める。マズい。これじゃあウェーターに見つかってしまう。お金がないとバレてしまう。橙に――幻滅されてしまう。
 橙に幻滅されると思うと、悲しみがなおさら増してきた。自分で悲しみを増やしてどうするんだバカ! と思う。
 ――あぁ、もうダメだ。泣いちゃう。泣いちゃうよぉ……。
 ふわっと、頭に柔らかい感触を感じた。
 頭を上げると、いつの間にか橙がナズーリンの隣にいて、頭を撫でていた。
「なんでそんなに悲しいのか分からないけど、泣かないで。ナズーリン」
 橙も悲しそうな顔をしていた。わずかに涙がたまっていたのが見えた。
「橙……」
 橙は誰かが悲しんでいると自分も悲しくなるんだ、と理解した。とても優しい心を持っているんだと、分かった。
 ナズーリンはそれが少し嬉しかった。
「うん、泣かないよ。もう、泣かない」
 そう言うと、橙は笑顔になった。
「ナズーリンが元気になった!」
「うん、ありがとうね。橙」
 ナズーリンは微笑み返す。
 しかし、と思う。いくら元気が出たからと言っても、お金がないんじゃ意味がない。どうしたらいいのか……。
 にわかに、周囲が騒ぎ始めた。
 誰もが上を指差し、ざわざわと声を立てる。
 ナズーリンと橙も誘われて、天井を見上げる。
「……わぁ」
 数え切れないほどの紙幣が宙を舞っていた。
 一体どこから降ってきたのか。長方形の紙はひらひらと舞い、床に落ちてくる。
 ナズーリンのところにも、一枚落ちてくる。
 それを拾ってみると、紙には聖徳太子と共に「10000」という数字が印刷されていた。
「これは……!」
 周囲も落ちてくる紙が一万円札だと気づいたのだろう。すぐさま店にいる者は床に這いつくばって紙幣を拾い始めた。時経たずして、店中大騒ぎとなった。
 ナズーリンは何でこのタイミングで一万円札が降ってきたのか分からなかったが、利用しない手はなかった。急いで、料金分の紙幣を集め、橙の腕を引く。
「早く出るよ!」
「え、う、うん!」
 呆けているレジに料金表と金を出す。
「足りるよね!?」
「は、はい」
「釣りはいらない!」
 ナズーリンは外へと飛び出した。巻き込まれると危険だと感じたからだった。
 店を出ると、すでに騒ぎを駆けつけた者が多くいた。入り口から群れが入ってくる。ナズーリンは橙の腕を確かめながら、小さな体を活かし、合間を縫い、走る。
 ある程度距離を置いてから振り返った。
 そこに橙の顔があった。少し汗をかいているが、特に怪我とかはないようだった。念のため訊いてみる。
「大丈夫かい?」
「う、うん……すごかったね」
「あぁ、どうして天井から紙幣が……」
 ナズーリンと橙は遠目から、紛糾している高級料理店を眺めた。



「あぁ、もう! 確かに私の財産使っていいとは言ったけど! 何もバラマくことはないでしょう! ――ちょ、どうしてこんなに外から人が群がってくるの!?」
 藍は入り口から押し寄せてくる群衆をかきわけながら、星に文句を言う。
 星もかき分ける。
「まさかあんなに集まるとは思ってみなかったんです! あと、お金が集まってくるのを目撃されたからじゃないでしょうかね、この人混み。――それはそうと、文句言われる筋合いはないですよこの金持ち! 幻想郷を管理してるのいいことに民衆から貪ってるんじゃないのかしら!?」
「誰が! 八雲の名を貶めるな!」
 舌打ちをして、藍は飛び上がる。星も同じように飛び上がる。
「どこに行ったのかしら、あの二人は?」
 星がキョロキョロと辺りを見回す。
「誰かさんのせいで見失いましたもんね」
「元はと言えば、あなたの教育がおかしいせいでしょうが!」
 藍は「は?」と眉をひそめた。
「他人の教育にケチ付けんじゃないわよ!」
「じゃあ、誰のせいでうちのナズーリンが泣いたと思ってるのよ!」
「あ、あなた! 橙を責めるつもり!?」
「いいえ! あの子に罪はありません! あの子を高級料理店に行かしたあなたを責めているのです!」
「こんの……! 黙ってきいてりゃおんどりゃあ!」
「やりますか! この毘沙門天の弟子に喧嘩を売ると!」
「やってやろうじゃないの! 八雲紫の式並びに最強の獣、九尾の狐に楯突いたこと後悔させてやろうじゃん!」
 星と藍はスペルカードを宣言した。互いのプライドをかけて、本気の喧嘩をする。
 人里の上空に、美しく凶悪な弾幕が展開された。



 橙は店から脱する時、ナズーリンの後ろ姿を見ていた。
 何かは分からないが、落ちてきた紙をたくさんの人が必死に取りに行っていた。あのままあそこにいたら、きっと無事じゃ済まなかっただろうな、ぐらいは分かった。
 ナズーリンは事前にそれを察知したのだ。橙には出来なかったことだ。
 ――かっこいいな。
 トクンと胸が高鳴る。たくさんの人が入り口から入ってきた時も、腕を引っ張って、怪我しないように誘導してくれた。それで無事にこうして二人、並んで歩いている。
 さっきと同じように歩いているつもりでも、何かが違った。
 トクン、トクンと心臓が高鳴っているのだ。
 ――何だろう。
 ナズーリンについ目が行ってしまう。
 さっきまで、でーとというものは誰かと一緒に遊ぶことで、ようやく仲間に入ることができたと思っていた。
 けど、それは違うように橙には思えた。
 ――何が違うんだろう?
 それが分からなかった。
「あ、あのさ。橙」
 ナズーリンから話かけられてきて、より高く鼓動が鳴った。
「な、何?」
 顔が火照ってるようで、暑い。真っ赤になってるんじゃないかと思って、少し俯く。
「あぁ、そのさ。デート、イヤだった?」
 ナズーリンの言葉に、橙は反応した。



「デート、イヤだった?」
 言ってから「バカだろ! テメェ何を言っているんだ!」とナズーリンは自分を罵った。
 あまりにも沈黙が続くものだから、何か言おうと話しかけた。そしたら、橙は気まずそうな声で「何?」と訊き、その後俯いてしまった。
 それを見て、つい訊いてしまった。「デートイヤだった?」と。
 ――これで「イヤだった」と答えられたらどうするつもりだ。
 ナズーリンは「いや、今のは忘れて」と言おうとする前に、橙が叫んだ。
「イヤじゃないよ!」
 ナズーリンは目を丸くした。
 橙の頬は朱に染まっていて、怒ってるのかと思った。けれど、橙は叫びと共にぴんと張った尻尾の力を抜いて、俯いてしまった。
 再びの沈黙が二人の間に降りる。
 ――どうしたものか。
 ナズーリンは困ってしまった。
 橙を怒らしてしまったのかもしれない。返答は「イヤじゃない!」という否定の言葉で嬉しいのだが、何がかみ合ってないのか、橙は俯いてしまっている。
 ――これからどうするか。
 計画は立てていないわけではない。しかし、この空気の中、幻想郷巡りに行こうなんて誰が言えようか。
 当初の構想では、二人一緒に幻想郷の各所を巡って、互いに感想を言い合う。それで橙が何を見ればどう思うのかを知り、改めて橙のことが好きなのか確かめる。その手筈だった。
 けれど、とても行ける空気ではなく、計画は白紙に近いものとなった。
「どうしてこうなったのかなぁ……」
 ぼそりと、呟いた。
「あのね、ナズーリン」
 唐突に呼びかけられて、ビクッと体を震わせた。今の言葉を聞かれてないか、聞かれたとしたらどう説明しようか思考を巡らす。けれど、橙が言ったのはナズーリンが危惧したものではなかった。
「あの……わがまま言っていい?」
「わがまま?」
「うん」
 橙は笑った。
「行きたいところがあるんだ」



 橙が行きたいところとは、幻想郷の中でもマイナーの部類に入るところだった。
 寺子屋の中で、橙は目を輝かせて練り歩く。
「わぁ……」
 何てことはない。ただ黒く汚れた壁や少し剥がれた廊下、使い古された机や畳があるだけだ。普通の子どもならば、それは当たり前の光景として処理されるだろう。
 けれど、橙にとっては違うらしい。
「どうしてここに?」
 それを疑問に思ったのか、ナズーリンは問いかけた。
「んー……ここに来たかったの」
 ナズーリンが嘆息を吐いた。橙にはそう言うしかなかったのだから、しょうがない。それでもこのままじゃナズーリンは納得しないだろうな、と橙は思い、何とか言葉にしようとする。
「なんて言うんだろうなぁ……。うーん……」
 橙は壁をさすりながら、「んー」と唸る。
 思い返す。
 橙はマヨイガにて、猫を使役しようと頑張っている。
 けれど、なかなかうまくいかないのが実状だ。
 未だに八雲の名前をもらえないのは、まだ力がないからだと橙は思う。藍にも「まだ未熟だ」と言われている。
 そのためにも、橙は頑張らなくてならない。頑張って、立派な八雲の式となるためにも、寺子屋に通う余裕なんてない。
 けど、その結果が――
「私ね。猫くらいしかお友達しかいないんだ」
「え?」
「こうやってね。藍さまとか紫さま以外の人と一緒に出かけるの……初めてなんだ」
 ナズーリンにはそれが相当ショックだったようだ。
「え……? 君と同年代の子なんて……」
 ふるふると橙は頭を振った。
「八雲の名を継がないといけないって、藍さまが」
「八雲藍がそう言ったのかい?」
「ううん。藍さまはそんなこと言わないよ。けど……いつも言っていたから。八雲の名を継がないとなって……」
 だから、ここに来たかった。ここに来て、寺子屋とはどういうものかを何となくでいいから実感して、それからまた帰って修行するのだ。立派な八雲の式になってから、寺子屋で友達を作っても遅くはないだろうと橙は思う。
 ――あれ?
 橙は内心で小首を傾げた。
 ――早く実力をつけたいのに、どうしてこうやって「でーと」してるんだろう?
 その答えはすぐ思いつく。「仲間になるため」「命蓮寺と繋がりを持つため」。
 けど、それだけじゃない気がしてならない。
 確か、命蓮寺に遊びに行くのは藍に許可されたからだった。藍は笑いながら、「別に許可を取らなくてもいいのに」と言ったが、それは「命蓮寺には橙のためになることがたくさんあるから行ってもいい」と、そう橙が解釈したからだ。
 ――けど、この「でーと」は私のためになるのかな?
 ただ、繋がりを得たいがために「でーと」をしている。それは自分のためにはならないと橙は思うが、けれどとても大切なことだと橙自身が思っている。それはなぜだろうと橙は思うが、分からない。繋がろうなんて、すごく個人的なことなのに。
 ――ナズーリンを見ると、何かもやもやするんだよなぁ。
 このもやもやは何だろう? 橙は疑問に思うが、分からない。このもやもやが全てを解決するものに違いないのに。
 橙が思案している時だった。
「そ、それは君の思いこみだと思うよ!」



 ナズーリンの叫びに、橙は目を丸くした。  
 ナズーリンも驚いていた。いつの間にか発していたのだ。自分でも意識せず、彼女が悲しそうな表情で何かを考えているのを見ていると、我慢できずに叫んでしまった。ナズーリンは見切り発車した言葉を反芻し、自分の言いたいことを確認する。
「……立派な八雲の式になるのに、場所なんて関係あるのかい? 狭い視野だけで物事を見るようじゃいけない。寺子屋には寺子屋だからこそ学べるものはきっとある」
「けど……藍さまが全部教えてくれるよ?」
「橙は仲間が欲しいんだろう? ――なら、ここに来るべきだ」
「でもっ!」
「もしも八雲藍が止めるというのなら……私が説得する」
 橙は大きく目を見開いた。
 ナズーリンは静かに目をつむった。
 ――今何て言ったお前?
 ――八雲藍を説得する?
 ――バカなのか? 死にたいのか?
 ナズーリンが目をつむり、深く息を吸って、長く吐いた。長考して、それが本当に自分の気持ちから出たものなのかを考える。
 ナズーリンは目を開けた。
 ――うん、本望のようだ。
 なんだ、答えは出ているじゃないかとナズーリンはため息を吐いた。こんなにもいともあっさりと出るなんて。
 橙は慌てた様子でナズーリンに問いかける。
「ど、どうして!? どうして私のためにそんなことしてくれるの!?」
 その問いに、ナズーリンは顔を少し歪めた。
 ――それが知るためのデートだったんだけど……思えば知ってからは、どうするか考えてなかったな。
 考える。自分の気持ち。このデートで得た答え。これからのこと。これからの想い……。
 橙を真っ直ぐに見据え、ナズーリンは口を開けた。
「それは――」
 言いかけ、
「ここは逢い引きするような場所じゃないぞ」
 声がかかった。
 二人がビクッとして、ドアの方に顔を向ける。
 そこにはにこやかに立っている上白沢慧音の姿があった。
「今日は休日で学校は休みなんだが、何か用なのかい?」
「えっと……」
 とっさに頭を切り替え、ナズーリンが何か言い訳をと思考を巡らしている時だった。
「あ、あの!」
 橙が慧音の前に立った。
「ん?」
「あの……わ、私もここで授業を受けられるんでしょうか!」
 橙は手を胸に当てて、慧音に向かい合う。
 橙の目には力が籠もっていた。
 慧音は突然の質問に目を丸くした。
「何があったのかは知らんが……」
 だが、すぐに表情は微笑みに変わった。
「大歓迎だ。希望とあらば、私は妖怪でも授業をやろう。いつでも来るといい」
 橙の顔が輝く。
「ありがとうございます!」
 ぺこりと体を曲げて、全身で感謝を表現した。
 その姿にナズーリンは自分の気持ちを再認識する。
 やっぱり、私は――橙のことが好きなんだ。
 知りたかった答えを再確認して、ナズーリンはため息を吐いた。



 人里に集団ができていた。
 中央にいるのは星と藍だ。ただ二人は正座させられている。
 二人の前で仁王立ちをしているのは、楽園の素敵な巫女こと博麗霊夢だ。腕を組み、手に持ったお祓い棒をリズムよく動かす。顔は無表情に近いものであった。
「――で」
 その声に正座して俯いている二人はビクッと体を揺らした。
 博麗霊夢は――笑いかけた。
「なんだっけ? 私が珍しく満腹で幸せに熟睡している素敵な時間に、人里の真上なんかで弾幕ごっこなんてヤンチャなことをやっちゃったワ、ケ、は?」
 少女らしいあどけない笑顔だな、と二人は思った。が、そのあどけない笑顔に星と藍の体は震え上がっていた。
「ちょ、ちょっと落ち着いて。ね? 霊夢?」
 星がにこやかに話しかけると、霊夢は眉をハの字にして、首を傾げた。
「――れいむ?」
「霊夢さん! どうか落ち着いて下さいませんか!」
 藍と星は極力にっこりと笑って、霊夢の怒りを鎮ませようとする。ただ、二人の顔に伝う汗は地面にシミを作る程だった。
 ひそひそと村人が声を交わした。
 ――うわぁ、あの八雲の式様でさえ敬語使ってるよ。
 ――さすが巫女様。だけど恐いな……。


 ――正直もう神社に近づきたくないよな。
 

 霊夢はお祓い棒を手のひらに打ち付けた。パン! という音が周囲に響き、ざわめきを無くす。
 霊夢は村人を見回し、最後に笑顔を貼り付けている星と藍に見る。
 霊夢は笑って、親指を立てて首の前を横切る動作をした。
 あ、終わった。誰もがそう思っただろう。
「みんな、逃げろー!」
 村人たちはその場から走る去る。
 蒼白となっている星と藍に、霊夢はありったけの夢想封印を叩き込んだ。
 


「で、ナズーリンと橙はどこに行ったのかしらね」
 霊夢は茶屋でそこそこいいお茶を飲み、団子を頬張る。これが解決の報酬だ。お代は藍と星が割り勘することで話はついている。
 霊夢の右に星が、左に藍が座る。ところどころ服はやぶけ、多少毛が焦げているが至って無事である。さすが妖怪、と霊夢は思う。
「さぁ……分からなくなってしまいました。弾幕ごっこをしていて」
「なんつー刹那主義なのよあんたらは」
「妖怪は長生きですから。一瞬一瞬を大事にするというか」
「黙ってなさい」
 「はい……」と星と藍は肩を落とした。
 茶屋のおばちゃんにもう一皿頼み、霊夢は茶を啜る。
「……で、追う気はないの?」
 藍が困ったように笑う。
「追いたいのもやまやまなんですが……先ほど言ったとおりどこにいるのかも分からないんですよ」
「ふーん……あ、おばちゃん。お茶もお代わり」
 空いた湯呑みを渡して、霊夢は頬杖をついた。
「……まぁ。暇つぶしにちょうどいいかな」
「どういうことです?」
「ナズーリンと橙の場所ならなんとなく分かる」
『え!?』
 藍と星は霊夢に顔を向けた。
「あんたらも来る?」
「もちろんです!」
「あぁ、橙の行く末を見届けなくてはな」
 霊夢は頷いて、置かれた団子を手に取り口に含んだ。
 


 三人はこっそりと茂みからマヨイガを覗いた。
「どうしてここ?」
「あの子らはどうせ夜遅くには帰ることはないでしょ。特に橙。あんたの躾が行き届いてるし、あの子は素直だからね」
 今の時刻は夕方。幼子たちは家へ帰る時間だ。橙は確実にここに戻ってくる。そして、霊夢の勘ではそこにナズーリンも伴うと言っている。
「本当に……来るのでしょうね?」
「だーから、私の勘を信じなさいっての」
 霊夢の言い分に対し、二人は少し疑っていた。
 この時間に橙がナズーリンを連れ込むという行為において、それがどんな意味を示すのか、この娘には分かっているのか。と二人は訝っているのだ。
 けれど、その時は来た。
「あ、来た」
 思った以上に早いなと茂みから覗いた時、星と藍に衝撃が走った。
 橙とナズーリン、二人が、頬を染めながら手を握っていた。それは最初の時と変わらないが、二人に衝撃を与えたものは尻尾だった。
 二人の尻尾が、仲睦まじく絡んでいる。
「あ、尻尾絡ませてる。あれどういう意味なんだろ」
 霊夢が何気なく呟いたそれに、星と藍は涙を流した。
「え? ちょ、何で泣いているの?」
 キッ、と星と藍が睨みつけ、霊夢はビクッと身を震わせた。
「そら泣きますよ! だって、だってあのナズーリンが!」
「うえ~~~~~~ん! ちぇ~~~~~~んっ! ちぇ~~~~~~~~~~~~んっ!」
「うわ落ち着け、バレるだろうが!」
 泣き叫ぶ二人の口に霊夢はお札を張り付けて封じた。
 それでもなお泣き叫ぶ二人に、霊夢は嘆息を吐いた。
「一体何なのよ……」
 マヨイガへと入っていくナズーリンと橙を、霊夢は見送った。
 
  
 
 少し時間を巻き戻す。



 ナズーリンと橙は長い階段を延々と登っていた。本来なら飛んだほうが速いだろうが、二人はあえて歩いて登ることを選んだ。
 これから向かうは博麗神社だ。
 選んだ理由は簡単で「他に行くところがなかった」からだ。
 人里から行けるところでなおかつ時間がかからないことが条件だった。橙は門限があると言いだし、時間的に巡れてあと一つくらいだということが分かった。
 ナズーリンは少しでも橙と一緒にいたいという理由で、場所を博麗神社に決めた。巫女に頼み込む覚悟もあった。賽銭という名目でそれなりの経済的損失もあるだろうと踏んでいた。
 結果的には霊夢は留守ということで決着した。
「霊夢いないね」
 到着した橙が、辺りを見回してぽつりと呟く。
「珍しいな。あのグータラ巫女が神社にいないなんて」
 買い出しに行っているのかなとナズーリンは思う。思わぬ幸運に感謝する。
「ここ、見晴らしがいいよね。いつも思うけど」
 橙を誘い、ナズーリンは端に立った。
 一面に広がる緑は山。平らなところは田園地帯で、目を凝らせばかすかだが、人が見える。蟻のように小さい。
 傾き始めた日が、ナズーリンと橙に当たる。
 ナズーリンは迷っていた。
 彼女の胸中には言うか、言わないか、二つの相対する答えで埋められていた。 
 ――今ここで言うのが絶好のチャンスだ。
 慧音に阻害されたあの告白を言うならば。ここには今誰もいない。ただ、家主である霊夢もいつ帰ってくるか分からない。言うなら早めに、だ。
 ――ただ。
 言葉に出せない。あの時にはいとも簡単に言えたはずだった言葉を。
 なぜだろう、とナズーリンは探ってすぐに答えが出てきた。
 それはナズーリンに勇気がないからだった。
 言って、それで相手がなんて答えるのか予想できないからだった。 
 何も今日が最後のチャンスというわけではない。また後日、相手の想いを確かめてからいくらでも言えるではないか。その思いがナズーリンを掴んで離さなかった。
 ――きっと、これからも言い出せない。
 分かってるはずだ、とナズーリンは自問する。けれど、返ってくる答えはまだチャンスはある、だ。
 ――情けないな……。
 ナズーリンは苦笑した。苦笑して、拳を握りしめた。
 ――自分の想いは分かってるのに、
 ――それを、口にすることができないのか。
 上白沢慧音が邪魔しなければ言えたのに。
 再度思う。情けない話だなと。
 結局私は何も言えないと、結論づけた時だった。


「私ね、ナズーリンのことが好きみたい」


 ナズーリンを目を見開いて、橙を見た。
 彼女は俯き、頬を赤く染めながら、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「突然でごめんね。けど、言いたかったの。このでーとで、私が思ったこと」
 あぁ、とナズーリンは理解した。
 ――彼女がことがどうして好きになったのか……。それは一見すると弱い部類に入るのに、私ができないと思ったことを、いとも簡単にやってのけてしまう強さがあるからだ。
 命蓮寺で自分よりも強いものを振り回す姿を思い出す。
 一輪と村紗はそれに疲れ果て、自分にイタズラを仕掛けてくるあの小傘やぬえでさえ、彼女にかかれば同じ遊び仲間となってしまった。
 ――それを見て、憧憬に近いものを得たのがきっかけだったな。
 思い出す。彼女と一緒に遊んでみたいと思ったのは誰か。彼女を見て、ドキドキするようになったのは何時か。
 全ては、彼女の秘められた強さによるものだった。
 ――私は、それに応えたい。
 ナズーリンは真っ直ぐに橙に向かい合って、口を開いた。
「私も、橙のことが好きだよ」
 言ってしまったという後悔よりも、やっと言えたという嬉しさのほうが強かった。
 

 
「私も、橙のことが好きだよ」
 そうナズーリンに言われ、橙は胸がキュンとする感覚を覚えた。
 遅れて、嬉しさが全身に染み渡るような感覚を得た。
 ――ナズーリンが好きと言ってくれた。
 そのことに、橙は体が熱くなるのを感じた。
 橙は今、「でーと」というものがどんなものか理解していた。
 最初藍に訊いた時には『楽しいこと。一人じゃできないこと。どうでもいい人じゃだめなこと』として教えられた。それで理解できたつもりでいたが、当日になってそれが全く理解していないことを知った。
 今、「でーと」という単語を橙が説明するとしたらこうだ。
 相手のことを分かること。
 そのために、色々お話すること。
 そして、自分のことを知ってもらうこと。
 なんで自分のことを分かってもらうのか。それも橙は答えられる。
 好きになってもらうためだ、と。
 そして相手のことを知るのは、相手のことを好きになるためだ、と。
 彼女の中での「でーと」はこれで完結した。
 お互いに、好きであることを確かめられたのだから。
 好きな人に対してどうするか橙は知っている。今までしてきたことだし、これからもすることだ。
「えいっ」
 橙はナズーリンに抱きついた。
 ナズーリンは反応できなかった。
 その後、顔が真っ赤になっていくのを橙は見た。
「なっ、なっ、なっ……!」
 橙はかわいいと思った。このまま食べちゃいたいとナズーリンに――舐めるのは恥ずかしかったので程度を下げて――頬ずりをした。
 その行為でナズーリンはさらに赤くなる。
「ちぇ、ちぇん! あの、そのなんというか、えっと……あの」
 ナズーリンは顔の赤さを増して、黙ってしまった。
 橙は意外に感じた。いつも命蓮寺でテキパキと仕事をこなすナズーリンからは想像できないことだった。
 橙はずっとナズーリンというネズミを見ていた。最初はネズミがいるということで、その本能に従って見ていた。
 見ていくうちに、彼女の周りには人が集まっていることが分かった。
 それは仕事を褒める白蓮であり、無くしたものを探してもらう星であったり、ナズーリンに料理の意見を求める村紗だったりした。一輪もぬえも、たまに遊ぶ小傘も、みんな各々の理由で彼女の周りにいた。
 そして橙は羨ましく思ったのだ。人里の寺子屋にも行きたかったのも、人との繋がりが欲しかったからだった。
 ナズーリンの周りには彼女を慕う者が多くいる。
 そのことが何時からか、こう思うようになった。
 私もあの中に入りたいな、と。
 そして、彼女から「でーと」の誘いを受けた時、心の底から喜んだのだ。これで輪の中に入れる。一緒に遊べる。わざわざ藍の許可も取った。
 けれど、それも違うことに料理屋の騒動で分かった。
 ――輪の中に入りたいんじゃないないんだ。私は。
 ナズーリンには特別な想いを抱いている。しかし、それが何なのか分からなかった。
 分かったのは、寺子屋でナズーリンが叫んだ時だった。自分の思いを話した時、ナズーリンは叫んでくれた。そして、こともあろうに、藍を説得するとまで言ったのだ。
 ――なんで、あんなことを言ってくれたのか。
 それは、自分のもやもやを氷解させるものでもあった。
 ――大事に想ってくれているから。
 それを確かめるために、慧音に寺子屋に通えるかを訊いた。それで「いいよ」と言われ、それでもナズーリンへのもやもやが残っていたら、それは確定となる。
 結果は、答えを聞き、もやもやは残った。
 自分の想いが分かった。
 ――私は……ナズーリンのことが好きなんだ。
 けど、ナズーリンがどう思っているかは分からなかった。ナズーリンが理由を言いかけた時、途中で慧音がそれを止めてしまったから。
 ――もしかしたら別の理由かもしれない。 
 だから、自分から気持ちを明かした。八雲の名に関係なく、ナズーリンと特別な関係になりたかったから。
 そしてそれは今、果たされた。



 博麗神社に、二人の幼子が重なっている。
 片方は自分にはない強さに憧れた鼠で、もう片方は自分にはない繋がりを持っていることに、羨ましさを感じた猫であった。
 二人は互いを暖め合いながら、自分に芽生えた想いを実感している。
 鼠は思った。この想いをより強く表現してみようと。
 猫は思った。この想いをより堅く実際に結んでみようと。
 そこで起こった二つのことに共通しているのは、「繋がる」ということだった。
 鼠は猫の口を自分の口で覆い、猫は二つに分かれた尻尾を相手の尻尾に絡ませた。
 長く長く重ね続け、不意に離れた。
 二人は微笑み合って、帰ろうと頷き合った。
 尻尾は絡ませたまま、次は手を握り合って、マヨイガへと向かう。
 二人はまだ知らない。
 帰ったとき、二人の保護者(+一人の巫女)が乱入して、泣きながらも祝いの宴会をしてくれることを。
 翌日には、二人共々寺子屋に通える許可も貰えることを。
 

 
 FIN.
純愛よりピュ愛のほうが澄んでそうな気がする。

おお、ピュ愛、ピュ愛。
ちゅーん
http://twitter.com/#!/okitada
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コメント



0.810簡易評価
1.80奇声を発する程度の能力削除
二人の仲の良さが伝わってきて良かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
ピュアピュアなずちぇんに悶えまくった。これで俺も恥ずかしい奴の仲間入りだ!
5.100ぺ・四潤削除
星ちゃんと全く同じ場面で悶え転がった。
そして身長が同じぐらいの二人がお手手繋いでついでに尻尾も絡み合わせてたら可愛いだろうなーって妄想してたところでまさしく妄想してた場面そのものが出てきて二度悶え転がった。
普段クールなナズーリンが可愛いすぎてたまらんでした。
あと保護者’sも結婚しちゃえ。
11.50八重結界削除
猫とネズミという設定をいかして、二人はもっと喧嘩っぽいことをすれば良いと思いました。
そして最後はイチャイチャすれば良いと思いました。
ナズがピュ愛すぎて辛い。
13.80名前が無い程度の能力削除
>「私ね。猫くらいしかお友達しかいないんだ」
「しか」が重複?

こんな奥手ナズも良いもんですね。

そしてあの保護者共は・・・。
17.90とーなす削除
ピュ愛いいね!
こっ恥ずかしいSSでしたが、こういうのもアリだ。
23.100名前が無い程度の能力削除
純愛こそが正義!って言うのは俺だけ・・・だよねー
25.100名前が無い程度の能力削除
非常にいい百合だ