Coolier - 新生・東方創想話

人形には受け入れられない災厄

2011/09/20 22:14:39
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 柔らかい木漏れ日の降り注ぐ小径を、二人の少女が歩いている。
「珍しいこともあるのね」
「ないことじゃあないから、珍しいことなのさ」
 小さな歩みに合わせて、サクッ、サクッ、と落ち葉が鳴る。
「私にとっては、いつものことだし」
 黒髪の少女が言った。
 清純な白いワンピース姿で、胸のところに、ニンジンを模したペンダントを提げている。
「いつもって? うどんは、いつも倒れているの?」
 金色の髪の少女が言った。
 こちらは、黒と赤、毒々しい色合いの服装であったが、幼い顔立ちに妙に似合っている。
 対照的な容姿の二人であったが、仲がいいらしく、揃いの竹編みのカゴを提げて、並んで歩いている。
 歩調もぴったり同じで、二つの膨らんだスカートが、鈴蘭の花を逆さにしたような形で、可愛らしく揺れていた。
 そして二人とも、短い髪の上に、奇抜なアクセサリーをつけている。
 金色の髪の少女は、プレゼントボックスを思わせる、蝶々結びの赤いリボン。
 黒髪の少女は、左右に垂れ下がった、大きな兎の耳――これは、実のところ装飾品ではない。
「違うよ。おつかいの話」
 兎耳の少女が、そう言って、カゴを持ち上げてみせる。
 カゴの中に入っているのは、塗り薬に飲み薬、包帯にバンドエイド。医薬品や、簡単な医療用の道具類だった。
「私も、こういうお仕事には慣れているからね」
 兎耳の少女が言った。カゴの中のものを届けて回るのが、今の二人の仕事である。
 この森の一部に隣接した竹林の奥地に、どんな病気でも治してしまう、人間離れした知識と技術を持つ薬師がひっそりと暮らしている。二人の立場は、その薬師の住まうお屋敷の、居候、あるいはお手伝いのようなものであった。
 本来ならば、この日は別の者が配達を担当する予定だった。しかし、その担当者が急に倒れてしまったため、金色の髪の少女が「代わりに自分が行く」と名乗り出たのだ。
 兎耳の少女は、「あいつの病気が治ったら、一日分、余計に仕事を押しつけてやる」と意地の悪いことを呟いている。自分で勝手についてきておきながら、その言い草はないだろう。そう思いつつ、金色の髪の少女は、歩く先のほうへ目を向けた。
 山。
 遥か前方に、雲を貫いてそびえる、荘厳な山が見える。
『妖怪の山』と呼ばれる、頂上の見えぬほどに巨大な山――二人が目指しているのは、まさにそこだった。
 すなわち、二人が運んでいるのは、山に住む妖怪たちに配るための薬なのだ。
 そこで金色の髪の少女は、思い出したように、得意げに鼻を鳴らした。
「おつかいなら、私もしたことがあるよ」
 すると兎耳の少女が、ほとんど間を置かずに、違った調子で鼻を鳴らし返す。
「一回だけでしょう」
 偉そうな物言いである。金色の髪の少女は、むっと顔をしかめて、抗議の言葉を探し始めた。
「そっちのほうが、珍しいことじゃないかな、と私は思うさ」
 けれども、兎耳の少女のほうが、先に言葉を続けてしまった。金色の髪の少女は、結局何も思いつかず、言い返してやることができない。
 私の経験には遠く及ぶまい、と挑戦的な笑みを浮かべている隣人に対して、
「一回だけでも、珍しくても、したことがあるもの」
 金色の髪の少女は、半ばヤケになって言うと、ぷっくりと頬を膨らませた。
 兎耳の少女は、クスクスと笑ってから、「ま、そうだね」と何食わぬ顔で応える。
「だから、経験者の私が、ついて来てあげたというさ、そういうわけだ」
 隣人は、歩きながら、えへんと胸を張っている。金色の髪の少女は、その様子を見て、風船のように膨れてしまった。
 鈴蘭畑に棄てられた人形。
 毒を心に抱いた少女。
 彼女の名はメディスン・メランコリー――小さなスイートポイズン。

          ※ ※ ※

 季節は秋。
 広大な山は、上手に散らした絵の具のような鮮明さで、華やかに色づいている。
 風が吹いて、赤や黄色の葉がさざめくと、辺りにはほのかに甘い香りが漂った。
「ねえ見て、すごい! ブドウがなっているわ。あっちのリンゴも、美味しそう……」
「勝手に食べちゃダメだからね」
 あっちを見たりこっちを見たり、目をキラキラさせて落ち着かないメディに、兎耳の少女が呆れた様子で注意する。無論、そういったことは、薬師のお屋敷を出る時から再三言いつけられているため、メディも下手にそこらへ手をつけようとはしない。
 妖怪組織によって厳格に管理された、排他的な社会のある土地。
『妖怪の山』とは、そういう場所だった。
 麓の森へ立ち入る際にも、警備の天狗に通行手形を見せる必要があった。貴重な薬の配達人とはいえ、二人が部外者である限り、野草や果物を勝手に採って食べるような行為は慎まなければならない。そういった言いつけは、メディだけではなく、この地に通い慣れている兎耳の少女も、以前から何度も受けてきたことであった。
「でもね、てゐちゃん。想像するだけなら、いくらだっていくらもかからないし、自由なのよ」
「そりゃそうさ、メディ。想像でお腹が膨れるなら、私だってそうするよ」
「あら。心はいっぱいになるわ。ほら、あそこになっているのなんか、毒リンゴにして食べたら、きっと美味しいと思うの」
「食欲旺盛な人形ちゃんだこと。金髪テラスでお茶会するつもりなら、私のリンゴは毒抜きでお願いするよ」
 兎耳の少女は、肩をすくめて小さく笑った。
 ――因幡てゐ。
 メディが人形の妖怪であるように、彼女は兎の妖怪だった。
 言うなれば、今の二人は『薬屋の妖怪コンビ』である。
 排他的な土地である『妖怪の山』だったが、竹林のお屋敷から遣わされた二人には、実のところ、通行手形が与えられているだけではなく、その辺りになっている果物を好きなだけ食べてもいい程度には、自由な行動が保障されている。薬師もそのことを承知していたが、それでも慎み深く行動するよう配達係に言いつけてあるのは、「こちらを信頼してくれている先方に失礼のないように」という、顧客に対する誠実さの表れであった。
 あらゆる病気を治してみせる腕前は言うまでもないが――そうした細かな配慮がなされているからこそ、竹林の薬師は、この世界で広く受け入れられるようになったのかもしれない。
 実際、少し前までは、薬師は何人も立ち入ることのないような竹林の奥地に、半ば引きこもるようにして暮らしていたのだ。しかしながら、近頃はその評判が口から口へと急激に広まり、人妖問わずその世話になる者たちが増えてきている。部外者の立ち入りを安易に認めることのない『妖怪の山』もまた、大きな利点を伴う流行の波に逆らえず、薬の配達を求めるようになった土地のひとつであった。
「こんなに大きな山に住んでいる人たち全員に、一日で配りきれるのかしら」
 メディは前方の高みを見上げて、不安な気持ちになる。
 木々の向こうに垣間見えるのは、頂上の岩肌を覆い隠す分厚い雲の群れだった。この山に、一体どれだけの数の妖怪たちが暮らしているのか解らないが、半分も配りきらないうちに日が暮れてしまいそうである。
「山の妖怪、みんなが病気だったら、そりゃ無理だろうさ」てゐは可笑しそうに言った。「そもそも、山のみんながいっせいに病気になってたとして、私と人形ちゃんの持ってるカゴで、全部まかなえるはずないだろうさ」
「あっ」メディは自分の手に提げたカゴを見て、恥ずかしい気持ちになった。「その通りだわ……」
「それに、一日で配って回るわけじゃないし。その日に、必要な人の分だけ、配るの」
 てゐの説明に、メディは「へえ」と間の抜けた返事をする。いまひとつ理解しきれなかったが、とにかく、延々と山登りをしなくて済むなら、それに越したことはない。
 人形だって、意思を持ったら、疲れるのだ。
 けれども、たくさんの人に会うこと自体は、ちっとも疲れることではない。
 それどころか、人形が心に抱いているのは、もっと前向きな感覚だ。
 まったく知らない人と面識を持つことが、むしろ楽しみでさえある。
 人間の手によって、棄てられた人形。
 かつて、激しい憎しみを燃やしていた自律人形は、時おり湧き起こる暗い感情を完全に捨てきれたわけではない。
 それでも――広い世界を知った少女は、他人と知り合うことを恐れてはいけないと、今は、そう考えているのだ。
「あら」
 と、緩やかな山道を行く二人に、声をかける者があった。
 横合いの木々の間から、ふわりと浮き上がるように現れた影。
 その姿を見て、メディは驚いた。無論、突然の出来事であったため、びっくりしてしまった、というのは言うまでもないことだが、メディは同時に、もっと別のところに驚きを見出していた。
「人形……?」
 思わず立ち止まり、つぶやく。
 目の前に現れた少女からは、自分と同じ気配――人形らしい気配が感じられたのだ。
 黒に近い暗色のスカートも、どこかメディと似たような雰囲気を漂わせている。けれども、すそ周りに血の滲んだような赤い模様があるせいで、似たような色合いの服装をしているメディ自身も、少し不気味だと思ってしまった。
 エメラルドグリーンの豊かな髪と、笑った口元から覗く真っ白な前歯。頭の上でプレゼントボックスのように結ばれたリボンは、メディのよりもずっとボリュームがあって、派手な形をしていた。
 しかしながら、メディの金色の髪のように、明るい色合いの要素は少しも見当たらない。そのため、服の意匠自体は派手であるにもかかわらず、全体的には落ち着いた印象を受ける。
「わあ! 雛様だ」
 兎の少女が、隣で嬉しそうに声を上げた。
「きゃはっ! こんにちは、てゐちゃん」
 呼ばれた少女が、にっこりと、目を細めて笑う。
 何だ、知り合いなのか、と納得するメディ。その反面、何だか置いてけぼりにされたようで、少しばかり、不本意な気持ちになる。
 ともかく――それが厄神との、最初の出会いだった。

          ※ ※ ※

 近くに川が流れているらしく、涼やかな水音が響いてくる。
 森の木陰に適当な岩場を見つけたので、メディとてゐは休憩がてら、落ち葉を払って腰かけた。
「それにしても、奇遇だわね。こんなところで会うなんて」
 そして今は、もう一人。
 エメラルドグリーンの少女も、その場に同席している。
 彼女は、カギヤマ・ヒナと名乗った。
 人々の穢れを肩代わりする、流し雛軍団の長。
 その身の周りに厄を溜め込み、厚い信仰を集めている、偉大な厄神。
 要は神様なのだが――鍵山雛はそんな威厳は少しも感じさせずに、綺麗に生え揃った前歯を見せて、純真な少女らしくニコニコ笑っている。
 メディはその姿に、親近感を覚えた。流し雛の長という立場ゆえ、人形の気配も持ち合わせているのかもしれない。
「今日も、薬の配達だよ」てゐが気安い調子で言葉を返す。「っていうか、こんなところ以外、どこで雛様に会えるのか知りたいよ」
「きゃはっ。それもそうだわね」
 言葉を交わしつつ、屈託のない笑みを浮かべる二人。
 何度も薬の配達係として山を訪れているためか、てゐはもともと、厄神様と顔見知りだったようだ。
 それにしたって、「雛様」と呼んでいるのに対して、他人行儀なところが少しもないのが、メディにはちょっぴり不思議に感じられた。けれども、そういう気さくで物怖じしないところは、因幡てゐらしいとも思う。
「うーん……」
 メディは何だか疎外感。
 人間にとってよくないものを溜め込む立場や、暗色を基調とした服装も含めて、鍵山雛からは、自分と似た者同士という印象を受ける。だが、そうした暗いイメージとは対照的に、実際はとても明るくて優しそうな人だ。メディは是非とも、お友達になりたいと思った。
 けれども、なかなか言葉が見つからない。
 この場合、相手が神様だから、ということは、あまり関係がないだろう。もちろん、神様と聞いて気後れしてしまっている部分がないわけではないが、そもそもメディは、見知らぬ人と話すことに慣れていないのだ。
 鈴蘭畑に閉じこもり。
 友達は、スーさんだけだった。
 だからこそ――広い世界を知った今、勇気を持って、知らない人とも話してみたいと思う。
 メディは雛に出会ってから、ずっと気にしていることがあった。
 フリルのついた、可愛らしいリボン。頭の上にも、腕にも巻いているそれが、とても素敵で、よく似合っている。
 そうだ、リボンのことについて、話せばいいのではないか。
 人形だって、神様だって、女の子なのだ。
 知り合いの人形師には、精緻に作られた人形が何を言っているの、と笑われるかもしれないが――自分の外見には、正直なところ、ちょっぴり自信がない。
 けれども、可愛らしい服は好きだ。
 雛だって、そうかもしれない。暗色ではあるけれど、あんなにフリルのついた服を着て。少なくともメディは、雛自身の顔立ちやスタイルも含めて、とても可愛らしい姿だと思った。
 きっかけは、そういうことでいい。そういう小さなところから、話を膨らませることができればいいな、とメディは考えた。
 雛の横顔へ目を向ける。最近の兎たちの様子はどうか、などと談笑している姿から、自分と二人との間に見えない壁があるように感じて、気が引けてしまう。
 てゐちゃんも少しは気を遣ってくれればいいのに、と少しばかり不満に思いつつ、
「……あのっ」
 勇気を振り絞って声をかけた――その時だった。
「メディ、危ない!」
 声に反応したてゐが、こちらへ顔を向けてきた途端、その表情がこわばった。
 メディは彼女の視線の先、自分の腰かけている岩を見下ろしたが、それと同時に、手元から強い痛みが走る。
「きゃっ!」
 驚いて、その場から飛び退く。慌てすぎたせいか、勢い余って、メディは前のめりに転んでしまった。
 地面に膝をついたまま振り返ると、さっきまで自分の座っていた場所で、まだら模様の大きな蛇が尻尾を揺らしているではないか。
「いけない、マムシだわ。早く手当てしないと」雛が心配そうな顔をして、メディの隣へしゃがみ込んだ。「大丈夫?」
 吐息のかかるくらい間近で話しかけられ、メディは何だか恥ずかしくなって、思わずうつむいてしまう。そこで、自分のスカートがまくれ上がってしまっていることに、ようやく気づいた。真っ白なドロワーズがあらわになっていたので、余計に顔が赤くなる。
 慌ててスカートを直し、顔を上げると、てゐが木の枝を使ってマムシを追い払っているところであった。岩陰から飛び出してきて、手に噛みついたのだろう。
「私は大丈夫よ。手当ても必要ないわ」
 メディはそう言って立ち上がり、スカートの汚れを払った。少し痛みはあるが、手当てが必要ないというのは、嘘ではない。痛覚だけならばともかく、マムシの毒など人形には効かないし、そもそも毒ということならば、毒を操る妖怪人形、メディスン・メランコリーには通用するはずがないのである。むしろ、噛みついたマムシのほうが、毒に侵されていないか心配なくらいであった。
 てゐが木の枝を持て余しながら、溜息を吐いていた。毒を制御していたお陰か、マムシは何の異常もきたすことなく、無事に逃げ延びたらしい。右手に牙の痕をつけられたが、それくらい、メディにとっては些細なことだ。
「あなた……御守りを持っているの?」
 と、雛が唐突に、そんなことを尋ねてきた。
 メディは確かに、博麗の巫女からもらった御守りを、スカートの裏側に縫いつけている。
「ええ。そうだけど」
 戸惑いつつも、メディはうなずいた。スカートがまくれ上がった時に気づいたのだろうが、どうしてそんなことを聞いてくるのか解らなかった。
 すると雛は、何だか不安そうな声音で、
「差し支えなければ……見せてもらえるかな?」
 そんなことを聞いてくるので、メディはいっそう困惑した。御守りを見せるだけならやぶさかではないが、自分からスカートをたくし上げるというのは、やはり恥ずかしい。
 無論、差し支えなければ、と気を遣ってくれていることだから、妙な下心はないのだろう。メディは少し迷ってから、こくりとうなずいて、スカートのすそを持ち上げた。
 雛は「ごめんなさいね」と断ってから、身体を屈めて、スカートの内側を覗き込んできた。その様子を、てゐがニヤニヤと愉快そうに眺めている。メディはまた恥ずかしくなって、顔をうつむけた。
 そうして、しばし沈黙。
「……やっぱり」と、雛が言ったので、メディは助けられたような気持ちでそちらを見た。「この御守り、壊れてるわ」
「えっ?」
 メディは驚きの声を上げた。恥ずかしさも忘れて、スカートをまくり上げ、自分でも確かめてみる。
 果たして――本当だった。
 金糸を織り込んだ分厚い袋が、ぼろ雑巾のように破れている。
「そんな……!」
 由緒正しき博麗神社謹製の、厄除けの御守りが壊れている。
 どうしてだろう。先ほどの転倒で、地面にこすれて、破れてしまったのだろうか。
 それにしては、スカート自体には、汚れこそついてはいるものの、目立った損傷は見られない。分厚い御守りよりも、スカートの生地のほうが、ずっともろいはずだ。だから何も、ケチな性格の巫女に、安い御守りをつかまされたわけではあるまい。
 優しい巫女からもらったものだと、大切にしていたのに。
「あー……。やっぱり、メディを雛様に近づけたのは、よくなかったかなぁ」
 歩み寄ってきたてゐが、頬を掻きながら、申し訳なさそうに言った。
「そうかもしれない」雛は自分のことなのに、まるで他人事のようにうなずいた。「ごめんなさい、メディちゃん。あなたは、あまり私に近づかないほうがいい。私と似ている雰囲気の子だから、つい注意がおろそかになっていたけれど……やっぱり、私の厄は、あなたに危害を及ぼしてしまうようだわ」
 厄。
 そう、鍵山雛は、厄を溜め込む神様だ。
 博麗神社の御守りでも耐えきれぬほどの厄が、気づかぬうちに、メディの近くにも充満していたのだろう。
 厄除けの御守りは、とっくに壊れてしまっていて、本来の機能を果たしていなかったのだろう。
 恐らく、マムシに噛まれたのも、勢い余って転んでしまったのも、それが理由だ。
「だけど……てゐちゃんは、何ともないじゃない」
 不安な気持ちに駆られながら、メディは兎の少女に目を向ける。
 それに対し、てゐは肩をすくめて、ゆっくりと首を左右に振った。
「私は、幸運の兎だよ。自分自身が、御守りみたいなものなんだろうさ」
 見た者に幸運をもたらすという、不思議な力の持ち主。それが、因幡てゐという兎の妖怪の本質だった。
 鍵山雛が厄をまとっているように、因幡てゐは、常に幸運の素を身辺に漂わせている。それは決して自分自身にもたらされる幸運ではなかったが、不運な現象の引き金となる厄を相殺できる程度の力はあったし、強大な力を持つ厄神を前にしても、自分の身を守る程度のことならば可能であったのだ。
 だが、二つの相反する要素が入り乱れる場であっては、第三者が幸運をもたらす力の恩恵に預かることはままならない。
 メディは息を呑み、震える声を漏らした。
「それじゃあ……」
 言い切るより前に、雛が「ええ」とうなずいて、申し訳なさそうに話す。
「今は、あなただけが、厄に対して無防備なの」
 メディの顔は蒼白になった。
 雛はメディを気遣って、厄の影響が少しでも及ばぬようにと、すでに数歩下がって話をしてくれている。
 それなのに、毒人形の少女は――そこから更に、後ずさりしてしまった。
 博麗神社の御守りでさえ、意味をなさないという事実。
 そのことを理解した途端、自分でも意識しないうちに、厄神に対して耐えがたい恐怖心を抱いていたのだ。
「それでいいわ。私の前では、普通の人はみんな、そうしてきたから。きゃはっ」
 雛はそれでも、メディを責めることなく、屈託のない笑みを浮かべた。
 慣れているのだろう。
 他人から、距離を置くことに。
 他人から、避けられることに。
 慣れてしまっていたとしても、その事実が、つらい。毒人形のメディにも、よく解る。
 毒を操る力の不気味さゆえに、誰かに嫌われることに対する、悲しみや寂しさ。
 そんなことは、幾度も想像してきたはずなのに。
 それが解っているはずなのに――
 今のメディは、どうしようもなく、雛の存在が怖かった。

          ※ ※ ※

「それじゃあ、行くよ」
「きゃはっ。またね、てゐちゃん」
 薬の配達という、本来の目的を忘れてはならない。談笑もそこそこに、てゐと雛は別れの言葉を交わした。
「メディちゃんもね」
 雛はそう言って、メディにも微笑みかけてきた。それに対し、丸まったダンゴムシのように、小さくうなずいて応える。
 距離。
 埋まらない距離が、二人の間にはあった。
 結局、メディは怖がってばかりで、あれから雛に近づくこともできなかったのだ。
 厄神と別れ、緩やかな山道を、再び歩き出す。
 自分と似た気配が消えなかったので、後ろのほうで、雛がずっと手を振ってくれているのが解った。
 ――彼女は、いい人だったのに。
 御守りが壊れてしまうほどの危険を理解すると、もう最初に思ったような、「友達になりたい」という感覚など恐怖に塗り潰されてしまっていた。
 それどころか、他人に対して、汚いものを見るような目を向けて、明確な拒絶の意思を示してしまった。
 最低だ、とメディは思う。
 かつて、嫌われたくない、と思ったのは、一体誰だったろう。
 ただの毒人形ではいられない、と決意したのは、一体誰だったろう。
「メディ?」
 隣を歩いていたてゐが、不思議そうな声音で呼びかけてくる。思い悩むあまり、いつの間にか、立ち止まっていたのだ。
 ――触れれば、たちまちに皮膚がただれてしまう、危険な毒人形。
 そういう偏見に対する不安と寂しさは、紅魔館の従者のお陰で、だいぶ克服できたはずだ。
 誰かに受け入れられようとする自分を信用して、誠実な気持ちで生きてゆこうと、メディはそう決意した。
 他人に迷惑をかけることのないように、垂れ流しになっていた毒だって、きちんと制御できるようにした。
 今はまだ、多くの人々にとって、危険な毒人形にすぎない。
 今はそうでも、自身の努力とその成果を信じ続けていれば、いつかきっと、偏見の壁など取り払ってもらえるはずだ。
 そうやって、自分を棄てた人間に対する憎しみを振り切り、自分の中にある誠実な意思を信じるようにしてきたのだ。
 けれども――
 自分が他人を避けることについては、どうなのだ?
 毒を操る人形ゆえに、他人から軽蔑されることを恐れたように。
 厄を操る神様ゆえに、相手のこととなれば平気で軽蔑している。
 初対面だから、なんてことは、陳腐な言い訳にすぎない。
 ――だって、向こうは、初めて会った私に向けて、優しく微笑みかけてくれているというのに。
 ――それどころか、厄を恐れた自分を、嫌な顔ひとつせず、受け入れてくれているというのに。
 そんな優しい他人を、自分は信じることができていない。
 相手が人間であるとかないとか、そういう問題ではない。
 相手が憎むべき存在であるとかないとか、そういう問題ですらない。
 自分の気持ちの前向きな部分を選択して、色々な人と積極的に知り合っていこう――確かに、そう決意したはずなのに。 
 今度は自分のことを棚に上げて、他人を軽蔑してしまっているのだ。
 ――そうだ、このままで、いいはずがない。
 気がつくともう、メディは来た道を戻って、まだ手を振ってくれていた厄神のもとへと駆け寄っていた。
 エメラルドグリーンの少女が、虚を突かれた顔で、こちらを見ている。
 己に問う。
 恐怖心はあるか?
 ――正直、解らない。
 でも、厄を恐れる気持ちがすっかりなくなっているなんて、都合のいいことは考えられない。
 そうだとしても。
 今は、構うまい。
 立ち止まることなく。
 ためらうこともなく。
 そうして、メディは――厄神の身体に、抱きついた。
「ごめんなさい……!」
 悲しい顔を、服にうずめて、謝った。
 暗色のドレスは、肌に心地いいくらいに柔らかくて、ほのかに甘い匂いがした。
「メディちゃん……?」戸惑いと焦りの混じった様子で、雛は言う。「いけないわ。すぐに離れなくちゃ――」
「いいの! このままで!」
 メディは叫んだ。
 それが本当の、誠実な決意というものだった。
 他人の優しさを受け入れることもできずに、自分の誠実さばかりを押しつけようとするなんて、おこがましいにもほどがある。それはもう、誠実とは呼べない、自分本位な態度になってしまっている。
「私、あなたのことを軽蔑した。あなたがいい人だって、ちゃんと解ってたのに……それなのに、厄の神様だっていうだけで、怖くなって。自分のことなんかすっかり忘れて、それでいて、自分のことしか考えないで。私、最低よ……!」
 傷つけられても、血が出なかったように。
 悲しくなっても、涙は出ない。
 メディは、人形だから。
 それでも、泣き叫ぶような、純粋な言葉を受けて――鍵山雛は、「いいんだよ」と微笑んだ。
「普通の人は、みんなそうするの。いえ、そうしたほうがいい。私に近づくと、危険が及ぶから」
 メディは顔を上げて、雛の目を見つめ返す。そうして、ふるふると首を左右に振った。
「だめよ。危険がどうとか、そういうことで、いい人を悪く見るのは嫌だもの。それに私、あなたにとって、普通の人じゃ嫌だもの!」
 叫び、人形は、自分の本当の意思を確かめる。
 心の内で、リンゴを食べるのとは違う。
 きちんと、言葉にして、伝えなければ。
 想像だけでは、心がいっぱいにならないこともあるのだ。
 だから、恐怖心を消し飛ばすような、山のように大きな声で叫んでやろう。
「やっぱり私、あなたとお友達になりたいからっ!」
 静寂。
 流れる川の水が、相も変わらず、涼やかな音を立てている。
 言い切ったメディの瞳の中に、軽蔑してしまった時のような、暗い感情の色は少しもなかった。
 しばし呆然としていた雛が、ようやく言葉を取り戻し、問いかけてくる。
「だけど……私は、厄神よ?」
 ためらいがちな質問に、メディはいま一度、かぶりを振って答える。
「毒蛇に噛まれるのなんて、不運のうちにも入らないわ」そうして、何でもないことのように、にっこりと笑ってみせた。「だって私は、毒人形ですもの」
 降りかかる災厄が障壁となるならば、乗り越えてやるくらいの意思を持てばいい。
 優しい人に冷たい目を向けるくらいならば、起こると解りきった不運な事態に見舞われてやるほうが、ずっと幸せだ。
「きゃはっ」雛は屈託のない笑みを浮かべて、メディの気持ちに応えてくれた。「いい子ね。優しい子……」
 厄神が、人形を抱き締め返す。
 とても温かくて、心地よかった。
 メディの胸の中で、幸福の芽がぐんぐんと育ってゆくような、不思議な感じがした。
 兎の妖怪が、困ったような顔で、その様子を眺めていた。今度は逆に置いてけぼりにしてしまって、申し訳ないな、とメディは思う。
 ややあって、どちらが言い出すまでもなく、二人は自然に腕を解いた。
「よろしくね。メディちゃん」
 厄神が微笑み、右手を差し伸べる。
「ええ。よろしく、雛ちゃん!」
 その手をとって、人形はにっこりと笑った。
 他人を恐れずに、受け入れようとする心。
 また少し、自分を変えることができたのではないか、とメディは思う。
 どんな災厄でも乗り越えてみせるつもりであったが――不思議なことに、メディの身にはもう、悪いことは何も起こらなかった。
「メディちゃん。よかったら、さっきの御守り、私に預けてくれるかしら?」
 握手を解いた途端、雛は思い出したように、そう言った。壊れた御守りを供養するのも、厄神の仕事なのだという。
 メディスン・メランコリーは、その提案を喜んで受け入れた。
 優しい友人の申し出を、断る理由はないのだから。

          ※ ※ ※

「やあ、ヒナちゃん」
「あら、河童のにとりちゃん」
「何だか嬉しそうだな。いいことでもあったのかね?」
「きゃはっ! あのね……新しいお友達ができたのよ!」
「ほう、そうか! そいつはいいことだな。釣った魚が子持ちだった、ってのより、ずっといい」
「それはラッキーだったわね。この近くに、幸運の兎がいたからかしら?」
「兎? 兎も子持ちだったのか?」
「違うわよ。でも、御守りは、子持ちだったわ。子持ちだったから、そのまま返したの」
「不思議なことを言うね」
「私だって、びっくりしたもの。御守りの中に、小さな御守りが入っているなんて。面白いと思わない?」
「そいつは確かに、面白い。タケノコか、タマネギか……あるいは、マトリョーシカだな」
「マトリョーシカ?」
「遠い国には、そういう人形がある」
「きゃはっ。色んなことを知っているのね。一度、見てみたいわ」
「そうか。自分で作ってみたのがあるから、今度、見せてやるよ」
「それは素敵ね! メディも、素敵な人形だったわ。動いて話せる、自律人形の女の子なの」
「何だって? そいつは興味深いね」
「きゃはっ。それじゃあ、マトリョーシカのお礼に、会わせてあげるわね」
「おお! そいつは楽しみだ。どうやって動いているのか、まずは中身を確認する必要があるな……」
「私のお友達を分解しないでくれる?」
「あ……はは。いやあ、その……他意は、なかったんだけど……」
「うーん、でもね……何だか、あの子に嘘をついているみたいで、申し訳ないと思ってしまうの」
「? どういうことだ?」
「御守りが、マトリョーシカだったから。……壊れていなかったのよ。あんなに小さくても、何重もの結界が封じ込めてあった」
「えーと、よく解らないけど。壊れていなかったのなら、まあ、そのまま使えるわけだし、よかったんじゃないか?」
「壊れてくれていたほうが、嬉しかったかもしれない。……ただ、それは自分勝手で、とても失礼なことね。私は、いけない人」
「はあ。そうなのか?」
「これは私の、勝手な高望みよ。御守りもなしに、私の身体に触れることを厭わない。そんな人は、果たして現れるのかしらね? 現れてくれたら、とても素敵なことだと思うけれど――」
 妖怪の山の麓の川辺で、人の温もりを求める厄神が、友に恵まれた幸福を噛み締めて微笑む。
 幻想郷は今日も平和だ。
 お久しぶりです。初めての方は初めまして、カモヤマ・ネギと申します。
 だいぶ間が空いてしまいましたが、『メディスン・メランコリーの冒険』第3話です。
 このお話だけでも読めるように書いたつもりですが、興味がございましたら、前作・前々作にも目を通して頂けるとありがたいです。

 メディと雛からはどこか似通った魅力を感じており、『風神録』発売当初より二人のお話を書いてみたいと考えておりました。二人がお友達になってイチャイチャしてくれちゃったりなんかしちゃったりしたら、僕はもう毒でも厄でもドンと来いって感じでしたので、このお話を書き終えた今の僕は超無敵です。
 ……嘘です。ごめんなさい。

 対照的な力を持つてゐと雛の組み合わせも、以前から書いてみたい気持ちがありましたので、主人公のメディに比べるとオマケ程度ではありますが、今回のお話に取り入れてみました。
 ちなみに、最後の会話についてですが、意図的に別のお話を示唆する形で終わらせております。これに関しては、同人誌として発表させて頂きました作品(マウンテンなんちゃら)のほうで描かれておりますので、機会がございましたら手に取って頂けたら嬉しく思います。

 メディスン・メランコリーの可能性を育む物語、いましばらく続きます。
 最後までお付き合い頂ければ幸いです。
神方山 祈
http://www12.ocn.ne.jp/~pps/
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雛のきゃはっに凄い違和感感じた
それが無ければ個人的にはかなり良かったんだけど…
4.90名前が無い程度の能力削除
続き物とは知らずに読みましたが、面白かったです。
童話みたいな雰囲気が良いですね。
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単品でも楽しめて良い話だと思う。